八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 2-2

八大教材教本 天聖経(2012年版)p381-422

【天啓の御言】(2-2)

 


 

第3章 愛と結婚

 

1) 真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと

結婚はなぜするのでしょうか。ハナニムの姿に似るためです。ハナニムは二性性相としていらっしゃる方であり、各一性が合体化した一体的な存在であられ、ハナニムの分性的な人格が男女なので、これらが合性一体化して種のようになって、ハナニムの本性の立場に戻らなければなりません。
(138-97, 1986.1.19)
結婚の最高の神聖さを私たちはうたわなければなりません。男女が愛することのできる道は、結婚生活です。そのように一つになることによって、誰に似るのでしょうか。ハナニムに似るというのです。男女が一つになってこそ、人を御自分の形状どおりに造られたと言われるハナニムに似るのです。そうしてこそハナニムが臨在されるのです。
(70-76, 1974.2.8)
男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が合わさって調和し、平衡線を成さなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-868)
男女が合わさることは、天地が合わさることです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-868)
男性と女性が互いに好み合い、抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成した立場です。ハナニムの理想の中で成される創造本然の姿は、そのようなものです。
(御旨と世界-28)
結婚は、なぜするのでしょうか。世界を愛する訓練を受けるためです。また万民を愛し得る資格をもつためです。
(37-109, 1970.12.22)
結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権を賦与されることを意味するのです。
(76-46, 1975.1.26)
結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようとすることであり、男性と女性の愛の完成のためのものです。それで結婚したということは、そのような証拠を見せて宣布をすることです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を成したなら、「家庭の理想を実現した」と言うことができます。それで死ぬ時これを成したなら、間違いなく天国に行くというのです。
(97-276, 1978.3.26)
結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。結婚は愛を探していく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。


男性と女性の血統が混合されるところです。結婚を通して歴史が生まれ、ここから国が生まれ、理想世界が始まるのです。
(279-251, 1996.9.15)
結婚は誰のためにするのかといえば、人類のためにするのであり、人類の共同利益のためにするのです。ですから結婚は、世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性もまた世界を代表した女性です。では、どこから出発しなければならないのかというと、世界を代表した立場から出発しなければならないのです。結婚する意味は、人類が公的に願っているみ旨のためのものなのです。
(75-278, 1975.1.12)
妹のように育て、妻のように愛し、母のように仕えてあげるという心をもつことが必要です。愛は妹から、すなわち妹として愛することをはじめとし、妻として愛さなければならず、妹、姉、新婦、母のように愛さなければなりません。そうしてこそ、人間が堕落したことによって失い、ハナニムが愛することのできなかったものをすべて復帰することができます。
(31-88, 1970.4.20)
国を愛するためには何を愛さなければならないでしょうか。まず男性は一人の女性を、この国の代表的な女性だと思って愛せる者にならなければなりません。また女性は、男性に対してただ一人の男性としてではなく、全世界の男性の中で代表的に選び出した人だと思うのです。このように代表者の立場に立った男性と女性が合わさって家庭を成すようになれば、この家庭は、天の国の家庭になるのです。
(26-153, 1969.10.25)
女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)
愛は、一人では感じることができません。幸福も同じです。
(145-267, 1986.5.15)
相手と同等な相対的関係を結びながら互いに感じ、愛することができてこそまことの幸福を感じるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-342)
結婚する時は、その男性がハンサムだといって喜んでいたのに、その男性が1週間後に事故に遭って体が不自由になった時、離婚しようとするのは真の愛ではありません。それは、偽りの愛です。真の愛は、絶対的であり、不変であり、永遠なのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-351)
結婚は、私のためにではなくて、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚を、立派な人、きれいな人としたいというのは、間違った考えです。人間は他のために生きなければならないという原則を知ったなら、結婚も相手のためにするという考えをもたなければなりません。どんなに魅力がなくても、美人よりもっと愛そうという信念をもつのが原則的な結婚観です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-361)
人間として生まれて相手をハナニムのように愛し、人類のように愛し、この世界の誰よりももっと愛し得るという考えに立たなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として、一人の女性を愛することを知らなければ、ハナニムと人類を愛することはできません。
(97-319, 1978.4.1)


結婚とは、「幸福の宮殿のドアを開けて入っていく儀式だ」と言うことができます。したがって、結婚は人倫の大事なのです。愛は、時空を超越し、人間史において最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を表し、確認する儀式なのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-356)
結婚する時は、美人の夫になろうと思わないでください。「醜女の夫になり、誰よりも立派に生きる夫になる」と言わなければなりません。そしてこの世のどのような美人からも敬われるような、そのような夫にならなければなりません。そのような観をもって、女性に正しく対さなければなりません。
(26-332, 1969.10.3)
どのような妻、どのような夫に会って結婚するのでしょうか。最も魅力のない人に会い、烈女になって愛そうとする原則を立てて結婚し、暮らさなければならないということを知らなければなりません。愛の度数が高いほど、無限の宇宙の舞台で活動することができます。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-636)
人間にとって、愛は永遠なものであり、二つでなく一つです。男性と女性が愛によって結ばれると、地上で百年偕老かいろう(注:共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きなければなりません。体は二つですが、一つになって回ることによって一体になるのです。 二つの体が一つになれば、ハナニムと共に回るようになり、愛の四位よんい基台を成すようになり、それがすなわち愛の理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵入することができず、ただ真の愛のみが臨在するのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-344)
個体完成、相対完成を成したのちにハナニムを中心とした愛によって公認されてこそ、本当の理想が成されます。
(19-314, 1968.3.17)
新郎新婦はお金や権力、名誉を中心として一つになるのではなく、ハナニムの本然の愛を中心として一体にならなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-880)
ハナニムの最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、ハナニムを中心として愛することができるなら、それは最高の愛であり、超越的な愛であり、この世的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中の代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。
(26-153, 1969.10.25)
真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければなりませんが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対的に必要です。真の愛のための絶対的な男性と女性は、一心に努力することによって結ばれます。一つに結ばれた時は、ハナニムが二人の中に臨在されるようになることを知らなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)


全世界の人種が一つになるための最も早い近道は、国際結婚しかありません。二つの全く違う文化圏と環境から選択された男女が、ハナニムの愛によって一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一です。
このような偉大なことを成就するために私たちは、巨大な愛の力を見つけなければなりません。最高の愛のみが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。
(御旨と世界-499)
ハナニムの愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は、一つになろうとするものです。男女が互いに慕い合う理由は、男性は女性、女性は男性を通してのみハナニムを所有できるからです。愛は、互いを好むことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-334)
結婚しない人は、天国に絶対に行けません。結婚しない人には、天国は絶望の山河です。寂寞じゃくまくとした山河には希望がありますが、絶望の山河は希望もない状態です。
(101-43, 1978.10.28)
男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、ハナニムが共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、ハナニムが共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは2本の足で歩いているのです。
(御旨と世界-543)
女性は男性に会うために生まれ、男性は女性に会うために生まれたのです。それが最高の真理です。それで、このような原則に従って祝福圏を探していかなければなりません。最高の真理圏を離脱するのは、最高の悪です。
(21-201, 1968.11.20)
韓国の伝統婚礼を見ると、互いに向かい合って大きなお辞儀をします。どうして大きなお辞儀をするのか知っていますか。互いに「ため」に生きようと大きなお辞儀をするのです。互いに「ため」に生きなければ愛は逃げていってしまいます。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-361)
韓国の民法では同姓同系の結婚を禁じ、異族結婚を奨励していますが、これは統一を思慕する民族だからそうなのです。
(19-306, 1968.3.10)

 

2) 男女の愛、互いが必要とする愛

成長する中で最も花のような時、最も美しい時が青春時代です。その青春時代の姿が最高のつぼみのような時期です。それをしっかりと愛し得る人がいるなら、その人は、ハナニムの家の奥座敷にでも招待される人です。そのような愛を授受することのできる男性と女性は、ハナニムの福を受けることができ、ハナニムの奥座敷にまでも招待されるはずです。
(26-153, 1968.6.4)
人間の幸福とは、どのようなものでしょうか。お金が有り余ってダイヤモンドを身に着けると幸福だと言えるのでしょうか。本当の幸福とは、相対者と共に愛に酔って笑い、歌ってささやくところから見つけることができます。そうできる人は、幸福な人です。愛する恋人からささやく言葉を聞くことのできる人は、幸福な人だと言うことができます。耳元で愛をささやくことは、あたかも夢を見ているような幸福感を感じることができるからです。幸福な時は年齢的に見る時、若さが最も華麗に咲く時だといえます。愛によって力いっぱい膨らんで一つになることのできる時が、青春時代です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-366)


自分の一生一代に男女間で愛する愛よりも、世界を愛し、ハナニムを愛し、人類を愛したあとで自分を愛することのできる、そのような愛をもった相対を迎えようとする人が、理想的な人です。
(46-42, 1971.7.18)
女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)
男性が一人でいくら愛を探しても、その人は狂った人としか思われません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)
男性と女性がいくら素晴らしいといっても、愛がない時は意味がありません。
(175-165, 1988.4.16)
男性と女性は、生理的にみな反対です。女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また女性は家にばかりいますが、男性はあちこち世の中を歩き回ります。このように、性格がみんな反対です。このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間とハナニムを一つにするのも愛です。
(38-256, 1971.1.8)
ハナニムは、愛の理想完成のために人間を創造しました。そして人間とハナニムの関係は、最高の愛を中心とした主体と対象の関係です。では、人間はいつ完成されるのでしょうか。男性も女性も愛の因縁を結んで、愛の価値を知った立場に立った時、初めて完成されます。
(128-132, 1983.6.11)
ある男性がハンサムで健康な人だとしても、女性がいなければ意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って生きる男性は、どうしようもない存在にすぎません。そのように自我に陶酔して生きている男性が、この世に多くいます。これは歴史が悲劇へと流れてきた要因でもあります。自己陶酔に陥って変遷する世の中を改善し、変化させていくのがハナニムの摂理だったということを知らなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)
この世で最も良いものとは何でしょうか。男性には女性、女性には男性ではないかというのです。男性が好きな愛は、男性のものではなく、女性が好きな愛も、女性のものではありません。そうでしょう。一人でいる時、愛したい気持ちになりますか。
(37-27, 1970.12.22)
男性は、ハナニムの愛を中心として女性を愛するにおいて、「完全に愛した。最初から最後まで永遠に変わらずに愛した」と言える立場に立たなければなりません。また女性は、そのような立場に立つために自分の体をしっかりと封じておかなければなりません。芍薬しゃくやくの花が多くの花びらで何重にも包んであるように、しっかりと埋めておかなければなりません。そうして春という季節に、天地の調和に合わせ、そこに和合して新しい人生を出発しなければなりません。これを、しっかりとしなければなりません。
(26-156, 1969.10.25)


皆さんは花の中で、美しい花は何だと思いますか。皆さんはどのような花が好きか分かりませんが、先生はラッパのような形をした花が好きです。なぜかと言うと、ラッパのような形をした花は、香りを遠くまで漂わせます。ラッパのような形をした花は、深い愛を意味します。ラッパのような形をしていてこそ、香りが遠くまで広がります。ですから、ラッパのような形であるほど香りが多く出ます。ですから女性が花であれば、深い愛の心情をもっていなければなりません。美しい香りをもった花は万民が喜びます。
そしてゆりは、単調ですが優雅な味があります。清く優雅なゆりの花は、葉なのか茎なのか分からないように同じ色で咲いているのを見ると、感傷的で情緒的な花だというのです。そのように結婚前の女性は、アサガオ、またはゆりのようにならなければなりません。 優雅で清い花にならなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-614)
いくら美しい娘にも、思春期はたった一時しかないのです。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時なのです。それにもかかわらず、「私一人で生きるわ」と思っている女性がいるでしょうか。その人は、女性ではありません。
また男性の中でも、見てくれの悪いところがなく、これ以上良い時はないという青春の時に、自分一人で生きると言う者がいるでしょうか。そのような時には、必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなのでしょうか。 ハナニムに似てそうなのです。人生の最も貴い時である思春期の時に、相対を探そうとするのは男性も女性も同じです。
(32-248, 1970.7.19)
男性は、なぜ生まれたのでしょうか。男性は、多くが自分一人で生きることができるので、そういうことに関心がないとも言いますが、男性は、女性のために生まれたというのです。女性がいなければ男性は必要ありません。自分のために生まれたものは、一つもないというのです。
(285-220, 1997.5.19)
私たちの五官を見てください。私の目は、私の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手も、すべて相手のために生まれました。五官を総動員して集中できるその力とは何かというと、まことの愛です。目、鼻、耳、 口そして手は、真の愛のために生まれた、真の愛の道具です。
(299-119, 1999.2.7)
女性にとって最も貴いものとは何でしょうか。男性です。どのような男性が必要でしょうか。立派か立派でないか、体が自由か不自由かが問題ではなく、その男性から価値のある愛を見つけ出すことができるかどうかが問題なのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-340)


男性の心の中にはハナニムが愛される女性がいて、女性の心の中にはハナニムが愛される男性がいて、共にたたえるようになる時にはハナニムもそれを見て喜ばれるので、万物も互いに喜ぶようになります。彼らが抱擁する喜びの内容が、天と地と共に喜ぶ価値になります。
男性と女性が互いに好んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成す立場になります。ハナニムの理想の中で成される創造本然の姿が、そうです。
(御旨と世界-28)
本来、男性が生まれた本当の意味はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたということを否定することができません。反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を本人が確信できない立場で、問題が起きるのだということを、私たちは知らなければなりません。
これを天地創造の大主宰であられるハナニムが創造の原則とされたので、その原則に従わずには善で、真で、幸福で、平和な世界、または愛と理想の世界に入ることができないのです。
(75-319, 1975.1.16)
この世に多くの男性がいるとしても、目を向けてはいけません。貞操は生命より、もっと尊いものです。夫が愛することができ、息子、娘が愛することができ、国が愛することができ、世界が愛することのできる歴史の道が、女性によって開かれるというのです。このような女性の美しさと、高貴さと、情緒的な伝統が輝くことのできる基準を築いていく厳粛な課題の前に、皆さんは、真実と真の姿であらゆる誠心を尽くさなければならないのです。
(39-218, 1971.1.10)
最も花のような時期、花がぱっと咲いた青春時代がいつかというと、思春期の時です。その時期がすなわち18歳から24歳までの7年間です。この7年間は人生に二度とない花のような、愛の花が咲く時期です。一度しかない花のような時代が、どんなに貴いでしょうか。
(26-151, 1969.10.25)
芍薬しゃくやくの花を知っているでしょう? つぼみは何十もの花びらでしっかりと包まれていて、簡単に手をつけられないようになっています。このように、男性も女性も同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみを、いつぱっと咲かせるのでしょうか。天地の調和の中の美が最もよく現れる時が、青春の時期です。人間として見る時も最高に咲く時です。ハナニムの傑作品となり、最も中心の絶頂として光る期間が青春の時期ですが、その時にハナニムの祝福の中で、ぱっと咲かなければなりません。
(26-151, 1969.10.25)
青春時代に純潔を失ったアダムとエバハンを踏まえ、蕩減とうげんすることのできる貴い時である思春期に、純潔を汚してはいけません。その純潔を清く大切に保存して、「千代、万代一人で行っても愛が蹂躙じゅうりんされることは絶対にあり得ない」という志操しそうと決意をもたなければなりません。
(37-108, 1970.12.22)


青少年として、堕落せず、汚れず、染まらずに、聖なる純潔を大切に保管して、これをどこにもっていくのでしょうか。天が最も喜ぶ祭壇に掲げて、ハナニムが喜ぶそのような純潔をもった男性と女性が出会い、一つに結ばれる貴い基台が、新郎新婦の出会う場にならなければなりません。
(64-84, 1972.10.24)

 

3) 祝福結婚式はハナニムの愛の伝授式

統一教会では、結婚することを「祝福」と表現します。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-544)
祝福は、まことの父母と真の子女が出会い、創造目的を成就することを意味します。
(19-73, 1967.12.27)
祝福とは何かというと、ハナニムと一つになることです。ハナニムと一つになると、全体をもつことができます。ハナニムのすべてのもの、主体がもっている全体をもらうことになるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-544)
皆さんは今まで、真の父母と完全な因縁を結ぶことができませんでした。ですからその因縁を結ぶために、してあげるのが祝福です。
(23-333, 1969.6.15)
祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任をもちます。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶことでもあります。
(御旨と世界-533)
祝福は、天国の門を開くことであり、子女と共に入るのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-544)
この世には大勢の人がいますが、大きく二つに分けてみると、男性と女性に区分されます。この人たちが一つになれる秘法を模索することが、私たちの根本目的です。今まで、そのような一つの結実的な家庭の起源が出てこなかったので、私たちはそれを模索していくのです。 そのような起源が現れて種をくと、新しい木になるのです。これが祝福結婚式です。
(31-191, 1970.5.31)
祝福結婚式は、単純に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、ハナニムに喜びを帰すほどの内容をもって歴史を蕩減とうげんする貴い条件として、聖なる雰囲気をもって盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダム、エバの堕落に始まったハナニムの恨みを解怨かいおんしてさしあげ、イエス様が成すことのできなかった新郎新婦の基準を通過することだと、原理ははっきりと説明しています。
(御旨と世界-27)
ハナニムの摂理で信仰を立てたとしても、ハナニムの子供として復帰させるためには接ぎ木しなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-508)


もう一度生まれなければならないということは、堕落したアダム、エバの子孫である父母の血肉を通して、もう一度生まれなければならないというのではなく、堕落と関係のない父母の血肉を通して、もう一度生まれなければならないということです。
そうせずには、ハナニムのもとに帰ることができません。罪の根本の根はアダム、エバから始まったので、これを踏み越え、すなわち原罪と因縁のない立場で生まれたという資格をもたずには、ハナニムのそばに帰ることができないのです。
(22-269, 1969.5.4)
重生する(生まれ変わる)には、アダム、エバより出来が悪くてはできないし、また根本の復帰もできません。重生するにも個人が重生しなければならないし、家庭、民族、国家、世界が重生しなければなりません。この事実を、今日のクリスチャンたちは知らずにいます。
(58-42, 1972.6.6)
80歳を超えたおばあさんたちも、祝福を受けずに死んだなら天国に行けないという事実を知っているので、死にゆく最後の瞬間にでも何千里離れた所に男性がいたり、何千里後ろに男性がいたとしても、二人が糸で結んで、祝福の条件だけでも受けたいと思うのです。祝福はこのようになっています。先生は、このことをやり遂げなければならないので、運の悪い人です。
(22-16, 1969.1.1)
真の父母というのは、完全な男性と完全な女性ということです。縦的、横的90度になった男性と女性ということです。それで先生がこれを接ぎ木するために、青年男女を集めて頭を切り捨ててしまい、母親の芽と父親の芽をもって植えるのが祝福です。
(131-174, 1984.5.1)
祝福式は、正に愛の伝授式です。ハナニムの愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛をハナニムの愛の代わりに受けて、「このように生きなさい!」という愛の伝授式が祝福式だというのです。
祝福式はハナニムの愛を父母から受けるのです。ある名の知れた人から受けるのではありません。それは、天使長がしてくれる結婚式です。名の知れた人が一人で前に立ってしてくれる結婚式は、みな天使長から受ける結婚式です。
(96-236, 1978.1.22)
祝福をしてあげるということは、天の全権を移してあげることを意味します。
(17-328, 1967.4.16)
祝福は、歴史が追求する万民解放の扉を開けるかぎです。
(御旨と世界-27)
先生が生涯で最も貴いものだと考えたのは何だったでしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史以来最高の贈り物は祝福なのです。
(23-317, 1969.6.8)
ハナニムを中心とした新しい愛、すなわち創造の法度による愛が決定した位置で初めてハナニムの理想が出発します。
(19-314, 1968.3.17)


血統が違うということは、父親が違うということです。ですから父親の違う血統をもって生まれた人間は、本来、堕落していない本然の父母によらなければ、罪を蕩減することができません。ですから今日まで、歴史は堕落していない始祖になり得る権利をもったその一人の方が来る時まで、宗教の理念を中心として連結させてきました。
(20-115, 1968.5.1)
祝福を受けたということは、メシヤが2000年間の苦労によって地上に基盤をつくり、選ばれた民族と、教団と、自分の宗族を中心として、新郎新婦の名前によって出発できる時が来たということです。皆さんは宗族的なメシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁を結んだので、サタンもどうすることもできません。このように祝福は、本当にすごいことです。
(21-14, 1968.8.13)
天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家の主義であり、私たちの国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったなら、世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるはずです。そのアダム主義がすなわち、真の父母主義です。父親母親主義なのです。ほかにこれ以上の思想はあり得ません。
ですから統一教会は、心情的な問題を、本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として天宙主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り、滅びることはありません。滅びてはいけないというのです。
(26-201, 1969.10.25)
天宙主義とは何でしょうか。家庭において言えば、自分が暮らしている家庭に金銀財宝があり余るほどあるとしても、それに酔って生きるのではなく、それを忘れて、いつでもハナニムの愛に酔って暮らせる、そのような家庭です。 息子のものは父母のものであり、父母のものはハナニムのものとして、そっくりそのまま連結できなければなりません。
(35-281, 1970.10.25)
真の家庭主義とは、どのような主義でしょうか。真の家庭主義は、ハナニムの愛主義です。愛がなければいくら世界一だといって胸を張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば息子、娘は父母のあとに永遠についていく主義、また兄が行けば弟が永遠についていく主義、弟が行けば兄が永遠についていく主義です。ですから弟の国があれば、兄の国がついていき、兄の国があれば、弟の国もついていくと言わなければなりません。
(21-50, 1968.9.1)


 

第4章 愛と家庭

 

1) 愛の理想実現は家庭から

家庭は、万古不易ばんこふえき(注:いつまでも変わらないこと)の起源でありいしずえです。これは父も変えることができず、兄弟も変えることができず、どの国も、どのような制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができず、天地も、ハナニムも変えることができません。ですから、家庭というものには永遠に「革命」という名詞が必要ないのです。家庭は愛の場なので、革命が必要ないというのです。
(25-85, 1969.9.30)
なぜ父母が良いものになるのでしょうか。そして夫と妻、子女がなぜ良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは子供に絶対に必要です。夫婦の愛、これは夫と妻に絶対に必要なものになります。
そして兄弟間の友愛、子女が父母に対してもつ親孝行の心も、一つの家庭に絶対に必要なものです。
(112-291, 1981.4.25)
家庭がなぜ良いのでしょうか。家庭は、互いが愛を自由に授受できる基盤になっていて、栄えることができるので、人は故郷を懐かしく思い、父母と兄弟がいる家庭を懐かしく思うのです。
(38-328, 1971.1.8)
まことの家庭は、自分の母のように妻を愛し慈しみ、自分の父のように夫を慈しんで愛し、弟や兄のようにお互いを愛する所です。その次には、ハナニムのように自分の夫を愛し尊敬する世界が、理想家庭が住む天国です。このような伝統が、この地球上に立たなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-924)
ハナニムを中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三つの愛がある所が理想家庭です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-913)
父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹たちがすべて、真の愛を中心として一つとなることを願う所が、私たちの理想家庭です。ここから永遠なる世界的平準化が始まり、地上天国が出発するのであり、さらにまた、天上天国も自動的に成し遂げられるのです。
(未来の主人公-172)


幸福は、どこから来るのでしょう。鼻歌を歌いながら迎えることのできる、そのような環境は、どこから来るのでしょうか。家庭から来るのです。家庭の幸福は、情緒的に問題があれば成せないのです。また、心情、愛がなくても成せないのです。
(23-121, 1969.5.18)
不幸は、どこから出発するのでしょうか。愛の安息地がなくなる時から始まるのです。幸福な家庭は、その家の垣根である父母に仕えて生活する家庭です。その家庭は、上では天を代表した父母に仕え、横では夫婦が結ばれ、この夫婦が天倫の法度を貴び、その代を継ぎながら暮らす家庭です。
(19-305, 1968.3.10)
皆さんは、どのような愛を見出しましたか。ハナニムの愛を見出したならば、皆さんの心と体が完全に一つになり、ハナニムの愛が臨在することができるのです。それゆえに、夫婦の天国となり、家庭天国を成すようになるのです。お母さん、お父さんが完全に一つとなって愛し合うようになり、息子、娘もお母さん、お父さんのような相対をもらうことができれば、家庭天国が実現されるのです。父母がプラスになり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国が実現されるのです。
(96-28, 1978.1.1)
父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭の愛を拡大して、すべての人を愛することが、人類を生かす道だということを知らなければなりません。年を取った人はおばあさん、おじいさんのように、中年はお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のように見える人はお兄さん、お姉さんのように、年下のように見える人は弟、妹のように考え、愛さなければなりません。
(御旨と世界-613)
天国は、どこででき上がるのでしょうか。私たちの家庭からでき上がるのです。それならば私たちは、何主義なのでしょうか。家庭主義です。
私たちが標榜ひょうぼうする天宙主義は、「天」という字に「宙」の文字、すなわち天の家主義というのです。このようになれば、天宙という意味が明確になるのです。
(26-103, 1969.10.18)
家庭は、小さな社会に立脚した小さな国家です。小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙なのです。それで、家庭を離れては何もできないのです。
(24-230, 1969.8.17)
一つの家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界では手本になり、根本的で一次的な組織です。このような家庭で、愛が最善の価値基準になるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-924)
人の一生涯で一番重要な時はいつかと言えば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないのでしょうか。正しく生まれなければなりません。次には、結婚する時です。結婚は、生きるためにするのです。すなわち、四位よんい基台を成すためにするのです。このように宇宙の公法を地球上に立てておけば、ハナニムのみ旨を成すことができ、人間のみ旨を成すことができるのです。このような宇宙の法度が指向する内容をもち、その形態をもつためのものが家庭です。
(24-230, 1969.8.17)


家庭は、天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば戻りたくなく、10回、100回会ってもまた会いたい方がいる所です。万民が共通にそこに行きたいと思い、その方に会いたく、その方と共に住みたいと思えば、世界は統一されるのです。そこに向かっていくのが目標です。しかし、そこは一度に成されるのではありません。まず個人の基台が立ち、次に家庭の基台が立ち、その次に民族、国家、世界に広がっていくのです。
(12-180, 1963.4.1)
天国は、どこにあるのでしょうか。空中から降ってくるのではなく、お父さんとお母さん、そして子供の間に授受できる生活舞台を育て、またすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件を利用するおもしろさ、そのおもしろさを100パーセント享受できる所が天国です。
(78-35, 1975.5.1)
天国へは一人では行くことができません。祝福は、天国の門をさらりと越えていくのです。天国は、家庭に帰っていく所です。3代の因縁をもって入っていく所です。
(12-266, 1963.5.25)
宗教は、むね(最上、根本)となる教えです。ハナニムの宗となる教えとは、人類を教え、人類を愛してみようということです。そのほかにはありません。それで真の父母は、子供に対して世界を好きになり、ハナニムを好きになることを教えてくれるのです。
(102-240, 1979.1.1)
天国へは、誰かが教えてくれて行くようになっていません。良心的に生きる人は、自動的に行くようになっている所が天国です。太陽が昇れば、すべての木の芽は太陽に向かいます。草木までも自ら方向性をもって帰っていくのに、まして万物の霊長である人間が自分の行く道を知らないわけがないのです。このような現象が起こってくるというのです。
(75-42, 1975.1.1)
天国は、愛の世界です。中心者であるハナニムのためにある世界、ハナニムのために生きる世界です。
(98-33, 1978.4.8)
天国へは、愛の軌道に乗って行くのです。このように話せば、実感するでしょう。その愛のひもは、引っ張れば引っ張るほどゴムのように細くなるのではありません。ゴムは、引っ張れば引っ張るほど細くなりますが、愛の紐は、引っ張れば引っ張るほど反対に太くなるのです。
(57-162, 1972.5.31)
人間には、親子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはならないのです。この中心点が違えば上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて7数を成すようになるのです。このように7数を成しているものは、ハナニムを中心として完全な真の愛で一つになり、このすべてが完全に球形を成し、調和と統一を成す家庭になるのです。
(299-114, 1999.2.7)


世界にはおじいさん、おばあさんのような人たちが住んでいて、お母さん、お父さんのような人たちが住んでいて、夫婦のような人たちが住んでいて、息子、娘のような人たちが住んでいます。何種類かと言えば、このような4種類の人たちが全世界に住んでいます。それゆえ、世界の数多い人たちに、天国人になれる教育の教材、経典としてみなされるのが、私たちの家庭だという観念をもたなければなりません。
(130-267, 1984.2.5)
家庭というものは、天国と因縁を結ぶための教材です。教育の教科書なのです。それは、軸を中心として、国に適用すれば愛国者になります。世界に適用すれば聖人になります。天地を中心とするようになればハナニムの息子、娘、聖子せいしになるのです。
(137-77, 1985.12.18)
家庭は、死ぬ時に天の国、平和の王宮に入籍できる手続き券を得られる、愛の教科書です。愛の修練所です。これを拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんのような世界があり、お母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子、娘のような世界があるのです。このように拡大すれば、すなわち世界になるのです。
(142-242, 1986.3.11)
愛の王国を成したいのがハナニムのみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようとするのがハナニムのみ旨だとする時、小学校から大学の卒業、博士号の取得までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界を詳しく見てみれば、おじいさん、おばあさんが住む世界、その次におじさん、おばさんたちが住む世界、お兄さん、お姉さんのような人たちが住む世界、その次に、青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界だといえるでしょう。ですから、老年から壮年、中年、青年、青少年たちが住むここは、形が大きく、数が多いだけで、家庭を拡大したものです。
(147-281, 1986.10.1)
家庭の中心は父母ですが、なぜ父母になるのでしょうか。父母はすべて、家庭全体のためにあるからです。
(124-51, 1983.1.23)
人には、家庭が必要で、国が必要で、世界が必要で、本然の世界、宇宙が必要です。
(141-302, 1986.3.2)
愛を中心とした家庭で、父母は、国の代表者です。ハナニムの代表者だと見るのです。それを訓練するための第1段階の訓練舞台が家庭です。地上で天国を成せる第1教化場が家庭で、そして国家が第2教化場です。ここに愛国者が必要なのです。その次に第3教化場が世界です。そこに聖人が必要です。霊界は、第4教化場です。その次には、ハナニムの息子、娘になるのです。聖人といっても、ハナニムの息子、娘ではありません。それで、すべてがハナニムの息子、娘にならなければならないのです。聖子の位置に入り、ハナニムの愛と一つになって、永遠にハナニムを所有できる位置に入るようになります。
(141-302, 1986.3.2)


 

2) 家庭は天国生活のための愛の訓練場

天国は、愛の世界です。ハナニムのためにある世界、ハナニムのために生きる世界です。
(98-35, 1978.4.8)
家庭は、歴史を圧縮させたものです。これが歴史と連結します。それで家庭は、ハナニムから始まります。垂直に受け継ぐのです。90度の垂直に受け継がなければなりません。おじいさんとおばあさんは、これを引き継いだ代身です。
(216-262, 1991.4.7)
ですから、先祖を圧縮したのが、正におじいさんとおばあさんです。
(214-268, 1991.4.7)
おじいさんは、ハナニムを中心として歴史時代の先祖を代表する相続者であり、代表者です。ハナニムを中心として歴史を連結させる相続者だというのです。
(216-262, 1991.4.7)
おじいさんとおばあさんは、過去、過ぎ去った時代の代表者であり、父母は現時代を代表します。そして、息子、娘は未来を代表します。ですから、おじいさんとおばあさんは過去であり、父母は現在であり、私は未来を代表します。ここに息子、娘がいれば、息子、娘は過去、現在、未来の総和なので、三つの父母と三つの先祖の三つの愛を連ねて4代を愛さなければなりません。したがって、ハナニムが孫に会えなかったことが堕落です。
(211-206, 1990.12.30)
天国は家庭から始まります。おじいさんはハナニムの代身であり、父母は現在の代身であり、息子、娘は未来です。過去、現在、未来が縮小されています。ですから、父母はこの世を代表します。おじいさんはハナニムを身代わりします。おじいさんとおばあさんは過去のハナニムの位置であり、父母は現在のハナニムの位置であり、将来の息子、娘は未来のハナニムの位置です。まことの愛を中心としては同等です。平等であり同等な内容の価値、本質的な一体理想観を形成できる真の愛を中心として、その一つの「ために生きる」愛を核にして、東西、四方が一つに結ばれるとき、その場は永遠にハナニムの愛の運勢が保護できる場なので、真の愛の論理を中心にハナニムの愛の相対として永遠不滅、永生するというのです。
(211-289, 1990.12.30)
ハナニムと私が直接関係を結ぶことができる立場にいるならば、それがどれほど貴いでしょうか。「道」の目的は、自分の家庭を完成し、そこで無限の愛を感じて無限の幸福を享受しようというところにあります。
(33-68, 1970.8.8)


家庭とは何ですか。理想の国と理想の世界を愛で占領できる訓練場です。さらには、天国とハナニムまでも占領できる訓練場です。
(106-25, 1979.11.4)
愛することができない人は、あの世に行って窒息します。呼吸が合わないのです。地上生活は、その世界に入って呼吸できるように訓練させる訓練場です。ですから、自分の家庭が教材です。おじいさんの年齢の人がいれば、自分のおじいさんよりもっと愛そうと考えなければならず、父母の年齢の人がいれば、外部の人でも、黒人でも白人でも、国家を越えてどこに行っても歓迎しなければなりません。若者がいれば、自分の息子、娘のように愛さなければならないのです。
(121-294, 1982.10.29)
天国とは何でしょうか。自分の家庭のように世界の人たちを愛することができる所が天国です。そのような人が天国の民です。おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、自分の妻、兄弟、子女の4代とは何でしょうか。天国の民として愛を、宇宙の真の愛を体験するための教材としてあるのが家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だということを知らなければなりません。
(129-96, 1983.10.1)
ハナニムの愛は、被造万物に現れます。父母の愛は、どこに現れるのでしょうか。子供に現れます。また、夫がいる所に妻の愛が現れます。子供を見て父母の愛を知ることができ、夫の服の端を見て妻の愛を知ることができるように、この世界に現れた事実を見てハナニムの愛を知ることができます。
(20-18, 1968.3.31)
ハナニムの愛は、順序に従って人に現れます。まず父母の愛、次に夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛です。
(20-33, 1968.3.31)
愛さえあればハナニムと友達のように付き合うこともでき、お父さんのように付き合うこともできます。
(67-171, 1973.6.3)
人生の航路は旅人の道ですが、私たちは、縦横の愛を体恤たいじゅつしていかなければなりません。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を成したのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を置かなければなりません。それで彼らが縦横に連結できる真の家庭の形態を成して、宗族圏、国家圏、世界圏、ハナニムに連結される時、真の愛で連結されたその世界を天国だというのです。
(298-306, 1999.1.17)
救いの門を開くのは、ハナニムの愛です。私たちは、ハナニムの真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継がなければなりません。そうしなければ、救うことができないという事実を知らなければなりません。
(275-55, 1995.10.31)
踏みにじったり壊してしまうのは、罪の中の罪です。怨讐おんしゅうの中でも一番ひどく憎い怨讐は、愛を破綻はたんさせる怨讐です。一家庭を中心として子供が父母を愛せなくしてしまい、夫婦同士愛せなくし、壊してしまう悪魔以上の悪魔はいません。
(82-200, 1976.1.25)


人類の始祖が堕落することにより、1番目は兄弟の愛を、2番目は夫婦の愛を、3番目は子女の愛を失ってしまいました。私たちは、これを再現させて愛さなければ、天国に入っていけません。
(82-201, 1976.1.25)
ハナニムの真の愛と一つになって生活して入っていく所、ハナニムの真の愛の血族を準備して共に入っていく所が天国です。この真の愛を占領できなければ、永遠に天国に入ることができません。その日のために、数千万年を待って準備しなければならないことを知るべきです。
ハナニムは、真の愛の本体としていらっしゃり、真の愛と連結されれば、すべてが同じ体になります。父母はハナニムの代わりとしての生きたハナニムで、夫と妻は互いに片側のハナニムで、息子、娘はまた一つの小さなハナニムです。このように、3代が真の愛を中心として成す家庭組織が天国の基盤です。このような基盤をつくらなければ、天国は成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事に通過です。このような場合、ハナニムは全体宇宙の父母として、愛の複合的な中心位置にいらっしゃいます。
(298-306, 1999.1.17)
ハナニムを中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、ハナニムの愛がすべて入っています。このような消化された位置から父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛せば、誰でも天国生活をするのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-942)
天国生活は、どこから始まるのでしょうか。家庭です。違う所から起こるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけで、家庭圏を離れたものではありません。そのために自分の妻や夫を懐に抱く時、これは世界の男性と女性が一つになるのだと考えなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる位置が、すなわち家庭です。
(30-82, 1970.3.17)
皆さんの血族を大切にしなければなりません。お父さん、お母さんを大切にしなければなりません。おじいさん、おばあさんは、天国の王権を代表した、うちの主人です。しかし今は、年を取ったと疎まれる者になったでしょう? そのようにしておいて、何が世代の差ですか。これは誰がつくりましたか。サタンがつくっておいたのです。世代差がどこにありますか。愛に世代差がありますか。千年前の愛する方法が、千年後の愛する方法と違いますか。方法も同じで、そのようにするのも同じです。内容が変わったのです。堕落しなければ、愛の内容は公式になるので、億万年が過ぎても変わらないのです。


千万回の天地開闢かいびゃくがあったとしても、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、息子、娘の3代が一つになり、鉄城てつじょう(注:堅固に取り囲んだもののたとえ)のようにくるくる巻き固め、そこにハナニムを核として迎えれば、どこでも天国を実現できる一つの種になるのです。これは、ハナニムの愛の種です。生命の種として、血統の根本だといえるのです。これを探し出さなければなりません。そうしなければ地上天国、平和の天国、幸福と自由の世界という、すべての願いはありえません。
(225-300, 1992.1.26)
天国とは何でしょうか。「極楽あるいは天国に行く」と言っても、自分一人で行く所ではありません。自分の父母と兄弟すべてが、共に行かなければならない所が天国です。
(15-278, 1965.10.30)


 

第5章 愛と霊界

 

1) 霊界の空気は愛、愛が生命要素である

私たちは、ハナニムの代身として愛によって生まれ、愛によって生きて、息子、娘を生んで、愛の目的地に到達し、永遠にハナニムと共に生きるためにハナニムのもとに帰っていくのです。すなわち私たちの一生は、愛によって始まり、愛によって成熟し、愛の実として収穫されるのです。人が死ぬということは、愛の実を刈り入れることです。
(298-311, 1999.1.17)
死とは、人間が肉身生活を終えたのちに第二の出生しゅっしょうをすることです。第二の出生をする所、死んでから行く世界がすなわち霊界です。その霊界に入って、第三の父母であるハナニムから宇宙全体を代表するまことの愛を供給してもらうのです。霊界は、愛を呼吸して、愛を中心として生きる世界です。それで完全な真の愛の人格を成すことができなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じることができません。ドアを通っても、一つのドアしか通れないのと同じです。春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて生きることのできる資格をもつためには、地上生活において完全な愛の人格を具備しなければなりません。
(298-311, 1999.1.17)
ハナニムの愛の中に生まれることが死ぬことなのですが、人間世界では「ああ、死んでしまう」と大騒ぎになります。そうするとハナニムは、それを見て大笑いされるでしょうか。人間の世界で泣きわめく姿を見てハナニムは、悲しまれるでしょうか、喜ばれるでしょうか。制限された愛の圏から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎えられる瞬間が、第2の出生である死の道を通る、その瞬間ではないでしょうか。それでその道は、昇華の道です。
(116-172, 1982.1.1)
死を屈服しなければなりません。第二の生を促進させる、変化の過程が死です。それゆえに、死は悲しいものではありません。新しい世界に飛躍するものであり、昇華なのです。
(139-214, 1986.1.28)
この世では死が生命の終わりを意味しますが、死は他の世界に新しく生まれることを意味します。それで、死のゆえに憂鬱ゆううつになったり、悲しんだり、挫折ざせつしてはいけません。代わりに与えられた使命のために一生を生きて、霊的な勝利の中でもう一度生まれることを喜ばなければなりません。私たちが地上であまりにも悲しみに沈んだり、悲痛に思うと、天上に上った人を地の下に引っ張るようになるのです。


赤ん坊が第一の母の胎内から生まれ出たように、第二の宇宙的な母の胎内からまた別の世界に誕生する昇華式は、実際に男女が出会って結婚する、その式に比べることができます。悲しみの瞬間では絶対にありません。それは昆虫が堅い皮を破りまゆから出て、新しい形態に、新しい存在として、新しい本質になるのと同じです。
(49-285, 1971.10.17)
人間が死ななければならない理由は、肉身によって制限された愛しかすることができないからです。無限のハナニムの真の愛の対象的実権をもって現れようとすれば、制限された肉身のみをもってしては駄目なのです。ですから、無形の霊に変わるほかありません。さらに、真の愛の理想を全天地と共に同一化するためです。ですから死は、苦痛の道ではなく、宇宙的真の愛を所有できる幸福の門を開門する時間だというのです。
(298-311, 1999.1.17)
私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を分かち合って子女を愛したので、私の一生にわたってかれたハナニムのすべての愛を刈り入れ、自分の国に行くのです。そして、私たちが完全に愛によって一つになれば、ハナニムと似るようになります。夫婦が合わさって3段階の愛を完全に成して霊界に行くと、永遠の主体であられるハナニムの前に、永遠に相対的なハナニムになるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになるのです。ハナニムで始まり、ハナニムで終わりを結ぶのです。
(298-311, 1999.1.17)
地上の生活と霊界の生活は、別々ではありません。地上の生活も重要で、霊界の生活も重要です。霊界の生活は、地上生活から連結されているのです。両方とも重要ですが、今日この地で生きている人は、永生の観念を知りません。この地上生活が重要であると思っています。問題はこれです。統一教会員たちも、現在の生活が永生を保障する基盤であることを知らない人が多いのです。
(217-85, 1991.4.16)
人間は、母親のおなかの中にいてから生まれ、一定期間を地上で生き、死を迎えるようになっています。そうして大部分の人間は、年を取れば取るほど死に対する恐れを感じるようになります。人間が年を取るほど死に対する恐怖や不安を感じるのは、死後の世界を信じないからです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-1062)
霊界は、愛の成分によって覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛で囲まれている所です。人間は、地上で空気を吸いガスを吐き出しますが、霊界は、愛を吸って生きている所です。霊界で授受する愛は、真の愛だというのです。
(145-267, 1986.5.15)


私たち人間の一生は、腹中時代10ヵ月、肉身時代百年、そして霊魂時代千年、万年を永遠に生きるのです。
(298-304, 1999.1.17)
赤ん坊は生まれてすぐに泣くと同時に、鼻の穴で息をする第2の世界、すなわち空気の世界につながるのです。腹中から空気の世界につながる時には、腹中の世界で生きていたへその緒と羊膜をみんな破壊して出てこなければなりません。それら死(破壊)と同時に、地球ぼしという母親から生まれたのです。生まれると口で食べ、鼻で息をします。ところで地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的生命要素ではありません。本質的生命要素は、すなわち愛です。それで、この世で愛という空気を吸わなければなりません。母親、父親から愛の空気を吸わなければならないのです。
(139-212, 1986.1.31)
霊界における愛の宮殿は、真の父母から始まります。霊界に宮殿があるとしても、真の父母が行って、「ここを宮殿にする」と宣布して初めて、そこを中心として全霊界が位置を決めるのです。そのような責任が残っているので、霊界でも真の父母を絶対に必要としているのです。
(205-255, 1990.9.9)
アダムとエバが完成して霊界に行くようになれば、アダムとエバはハナニムの体になり、ハナニムはアダムとエバの心になります。ですから、霊界に行ってもハナニムは見えません。完成した人を実体世界の体と心のような一つの結果として成しておこうというのが、ハナニムがアダムとエバを創造した目的です。
(92-147, 1977.4.1)
霊界の裏通りまでも通いながら調べてみると、天地の道理は、簡単なものでした。二人が絶対的な力で合わさって真空状態になったところにハナニムが入ってきて、骨髄のようなしんになるのです。ここに、男性の愛と女性の愛の二つのかけらがぴったりとくっつくのです。これが宇宙の核です。愛の理想的実体が合わさって愛の軸になるのです。
(170-171, 1987.11.15)
地上世界と霊界は、互いに向かい合って動きます。地上世界が上がると霊界も上がり、地上世界が下がると霊界も下がります。一方が回れば、もう一方も共に回ります。それで現世でそれを実感して、永世にプラスさせる生活をしなければなりません。永世と現世は、分けられていないのです。
(217-85, 1991.4.16)
私たちは、結局どこに行かなければならないのでしょうか。霊界とは何なのでしょうか。「死後の世界だ」と大抵は言いますが、死後の世界ではありません。なぜ死後の世界ではないのでしょうか。愛と関係のある世界だからです。愛と関係のある世界なので、死後の世界ではありません。真の愛を中心として出発したものなので、私が真の愛の真理に立つようになる時は、今ここが霊界と同じなのです。ですから愛が偉大だというのです。
(144-198, 1986.4.24)


ハナニムは、愛に酔って億千万世を生きるように人間を造りました。ですから、人が年を取るのは怨讐おんしゅうではありません。人は、愛から始まって、愛をもって生活して、愛の実を刈り取ります。死ぬことは、愛の実を刈り取ることです。私たちは、父母の愛を受け、子女の愛を受け、夫婦の愛をもって父母として子女を愛して生き、ハナニムの愛、すなわち内的な愛の世界にいたすべてのものを一生を通して実を結ばせ、これを刈り取ってあの世に行くのです。
(83-198, 1976.2.8)
皆さん、霊界がどれほど大きいか分かりますか。霊界にどれほど多くの人口がいるか考えてみましたか。今、霊通する人々が言うのを聞けば、一人当たり3320人以上の霊人たちが付いて回ると計算しています。私たちの側にそれほどいると考えるとき、世の中に負けますか、勝ちますか。
(86-193, 1976.3.28)
霊界に行くようになれば、数多くの先知先烈たちと数多くの先祖たちと会って討論するのです。「あなた、どこから来ましたか。地球ぼしのどこですか。どの国ですか」と尋ね、回想して話すのです。友達同士が会えば、自分のあらゆる昔話をしないですか。霊界に行くようになれば、皆さんの宗族のおじいさん、数千、数万の先祖に会うようになります。そこで、「この息子はどのように生きたのか」とぞんざいな言葉を使うとき、気分が良いでしょうか。考えてみてください。
(148-321, 1986.10.26)
皆さんは、天国に行く時に、献上品として持っていくものがありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが前にずらっと立ち並んでいるのですが、彼らの前に、皆さんが持っていったふろしきを広げておけると思いますか。 統一教会がどのような苦労をし、皆さんがどのような苦労をしましたか。それほど苦労もしないで、どのように「国のために生き、世界のために生きた」と言うのですか。「苦労しましたが、私は苦労したと思いません」、それが当然なのです。いまだに行く道が残っています。霊界に行ってふろしきを解き、「これは、一生懸けて私が用意した贈り物ですので受け取ってください」と、言うことができなければなりません。女性が嫁入りする時は一袋ずつ持っていきながら、天国に行く時に、ぶらぶらと体だけで行くことができますか。
(32-71, 1970.6.21)
この地上で肉身の皮はだんだんと年を取りますが、夫婦生活をして愛すれば愛するほど霊人体はもっと若くなります。それはどういうことでしょうか。 人間が長生きすればするほど、内的な人間である霊人体は最高の円熟した美男、美女になるというのです。
(164-101, 1987.4.26)
霊界の生活はどのようなものですか。食べる心配、暮らす心配、着る心配がありません。なぜですか。自分の心霊状態のとおり、望むすべてのものが可能だからです。あの世でも食べます。あの世でも、自分を触ってみれば、血管が、脈拍が打つのを感じられます。同じことです。霊的な体ですが同じです。
(194-42, 1989.10.15)


霊界には、ないものがなく、慕うものがありませんが、最も慕わしいものがあるとすれば真の人です。
ですから、真の人を養育するために精魂を込めたその功臣は、天上世界で当然栄光の息子、娘になれます。したがって、誇れるのはそれしかないというのです。
(30-147, 1970.3.21)
皆さんは、心を見ることができますか。霊界は、心のような体と化して生活する世界ですが、これは時空を超越した所です。そこでは、御飯を思いどおりに食べられます。御飯を心配する必要がありません。水を心配する必要がありません。飲料水を心配する必要がありません。服を心配する必要がありません。衣食住、すべてのものを超越します。そこに自動車が必要ですか。自動車工場がありますか。食品工場、服工場、製織せいしょく工場がありますか。すべてありません。そこでは億千万里を、あっという間に往来するのです。何の力でですか。愛の力でそのようにします。愛する人に会いたいと思えば、さっと現れます。
(210-225, 1990.12.23)
霊界に行けば、通じない所がありません。霊界の動きを妨げる物が何もないからです。天の本性稟せいひんの存在性を妨げるようにはなっていないのです。すべて通じるようになっています。時空を超越しているので、何億年前にいた人が今でもいます。その人たちも自分が望む年齢で現れるというのです。ですから、そのような人にいくらでも会うことができます。
(194-133, 1989.10.17)
霊界に行ってみれば、霊界全体が一人の人間に見えます。それで主体であるハナニムと、大きな一人の人と、一つになるのです。すると、全霊界と肉界が混ざり合います。ハナニムが走れば地も走り、ハナニムが笑えば地も笑う、そのようになっています。霊界に行ってみれば、一人の人と同じ組織になっているというのです。
(91-280, 1977.2.27)
霊界は説明する必要がなく、弁解をする必要がありません。さっとすれば、すぐに分かるようになっています。あの人が私の下なのか、横なのか、高い位置なのか分かるのです。愛の位階が分かるというのです。その位階は絶対的です。その位階が高い人は、その位階を合わせて自然に自分が立つ位置に立っています。地上世界と違います。謀略や中傷をして出世する、そのような人は逆さまになるのです。その反対になります。それで「正道を守りなさい、正道を守りなさい」と言うのです。
(194-134, 1989.10.17)
私の生涯に何をするのでしょうか。愛の墓を残していこうというのです。愛の墓の中で生きられれば恨みはないというのです。人生というものは、永遠において成功するものです。そのように皆さんが生きて、死ぬ時にはハナニムが祝福してくださるでしょうし、霊界ではハナニムが息子、娘を連れて歓迎するために出てこられるはずです。
(97-167, 1978.3.12)
霊界では、ハナニムの愛がなければ食べられません。食べる権利がないというのです。地獄は、見ながらも食べられず、知っていながらも行うことのできない所です。ですからハナニムの愛を中心として地上で霊肉が一つになって天国生活をした人以外には、永遠の理想的世界をもつことはできないのであり、天国を所有できないということを知らなければなりません。
(91-173, 1977.2.6)


あの世で必要なことは、世界よりも、自分の国よりも、自分の妻や夫よりも、自分の息子や娘よりも、ハナニムをもっと愛するということです。愛の圏内の最大の人格を構成した人は、その世界ではハナニムのような能力行使が可能です。
(126-142, 1983.4.12)
あの世は、愛の空気でできています。愛によってすべてのものが生まれ、愛によって生き、愛によって「ため」に生きていける愛の道理によって満たされてこそ、今まで歴史時代に願われたハナニムの希望の実体を完成したという立場に立つことができ、天国のどこに行っても歓迎されるのです。皆さんの家庭が、天国に向かう修練所です。
(143-71, 1986.3.15)
家庭で修練を受けたものを四方に拡大させて、「ため」に生きていける愛の圏をもって生きる人は、天国に直行するのです。
(143-72, 1986.3.15)
霊界という世界は、無限に膨大な世界ですが、何百万里の距離も瞬時に愛を中心として行ったり来たりできる世界です。愛は最大の速さをもっています。
(216-192, 1991.3.31)
霊界では、天地というものや地球というものは、一点のほこりのようなものです。霊界はどれほど広大か分かりません。時空を超越した無限の世界です。そして、「ある時代のこれこれこういう心情をもって地上で生まれ、暮らして行った人がいれば、ここに直接出てきてみなさい!」と言えば、その人があっという間に現れます。そのように直感的感覚が現実化する世界です。
(224-105, 1991.11.23)
霊界は、ある部分を探して凝視して、千年見つめても嫌気が差さない美しい世界です。想像もできません。何か世界で一番だと言っても、それは何でもありません。霊界の一角にもなりません。ですから、この地上を所有したいとは思いません。先生に言わせれば、この地上は先生の目的に合わないので帰りたいと思っているのです。
(15-149, 1965.10.7)
霊界でハナニムが見る時、皆さんの心の中で愛の鐘の音が鳴るようになると、明かりがだんだんと大きくなります。この光はハナニムの目には、ダイヤモンドの光よりももっと美しく見えます。また、その光は味のある、見れば見るほどいいものです。ですから、ハナニムは愛だというのです。
(103-28, 1979.1.28)
霊界の空気は、愛です。愛が生命要素になっています。その世界は、鼻で息をするだけでなく、頭のてっぺんでも息をし、細胞全体が息をします。


ですから完全な霊界生活をしようとするならば、地上生活で完全な愛の人格を具備しなければならないのです。
(112-205, 1981.4.12)
霊界に行ってみると父母、夫婦、兄弟姉妹、子女という、家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を得ることができ、その人はどこへでも、何の制限もなく、どの方向にも行くことができます。その反対に、愛の経験のない人は、心が狭く、霊界でも自分一人で孤立していて自由がありません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-1062)
霊界ではハナニムの愛がすなわち法です。
(98-35, 1978.4.8)
霊界とは、永遠の要素を望む永遠の所です。ですから、愛を体験した霊人体は間違いなく、自動的に磁石に引っ張られるように、その世界に行くようになります。霊界は、どのような所でしょうか。すべてが愛で充満した、愛で詰まった調和の世界です。今日の人間は誰でも、愛の関係を結ぼうとします。これは霊界の拍子に合わせるためです。
(122-16, 1981.3.15)
愛の力で動かない存在はないし、愛の力の対象にならない存在もないので、愛の言葉で聞いてこたえないものもありません。愛は、すべてのことを可能にすることができ、起こすこともできます。再現させることのできる能力があります。したがって霊界は、直感的な愛の心をもって、すべてのことを可能にする、自由自在の世界だというのです。
(112-219, 1981.4.12)
霊界を結束しなければならないのですが、霊界を収拾することのできない人は、天下を統一できません。天運の根が天なのですが、天を収拾できない人がどのように世界を統一するのでしょうか。ですから地上を統一する前に、霊界を統一しなければなりません。
(191-205, 1989.6.24)
皆さんは、先祖の顔に代わって生まれた歴史的な復活体です。その歴史がどのくらいになるでしょうか。何十万年にもなるというのです。そのように長い歴史過程は、結局は私、自分一人をつくるために苦労したというのです。キム氏ならば金氏という自分一人を誕生させるために、数多くの先祖たちが来ては去っていきました。ですから、私たちは歴史的な結実体です。
(46-155, 1971.8.13)
おじいさん、おばあさんが亡くなったなら、お墓参りをしなければなりません。「ハナニムがお墓に埋められた」と言って、お墓参りをしなければなりません。
(220-350, 1991.10.20)
今まで霊界に行った霊人たちは、すべて別れています。霊界では横的には通じません。縦的にはこの程度に通じます。
(218-125, 1991.7.14)
あの世に行けば殺人を犯した人、殺された人、様々な人が1箇所に集まっているので、そこでは包丁ざたが起こり、復讐ふくしゅうしようとする出来事も起こります。ですから数多くの塀に囲まれている所です。ですから、悪なる霊が怨讐おんしゅうの子供を捜し回って事故を起こさせて連れていくような、そういうことが起こるのです。これをすべて解かなければなりません。解くためには、まず地上世界で解かなければなりません。解くためには、もっといいものをあげなければなりません。


死ぬよりももっといいもの、怨讐関係になったものよりももっといいものをあげなければ解けないのです。
(191-205, 1989.6.24)
人は、どこに行くのでしょうか。霊界に向かって行くのです。霊界は海と同じです。どうせ行かなければなりません。海にも流れがあるように、そこにはこの上ない調和の取れた変化があるのです。海では主流の流れを中心として、淡水にはない調和の存在があります。海には数多くの魚族があるように、そこには数多くの新しい天地家庭があります。同じです。あの世に行くと同じです。
(141-306, 1986.3.2)

 

2) 愛の人格体は地上生活で具備しなければならない

地上にいる時の生活がどんなに重要でしょうか。地上生活は、一度しかありません。瞬間ですが一度しかありません。地上生活を永生に比喩ひゆすると、これは一つの点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。この期間に肉身生活を越えて、霊界のために準備しなければならないのです。常にそのような思想をもって、中心に立って一体をコントロールして征服できなければなりません。そうでなければ完成を成すことができません。それを知らなければなりません。
(207-99, 1990.11.1)
人がこの一生だけで終わるのなら、どれほど簡単でしょうか。人は、永生するようになっています。永生するようになっているというのです。ところが、良いことは良いのですが、大変なことになりました。人は、永生するようになっています。皆さんが霊界に対する体験がないから知らないだけであって、霊界の体験がある人たちは、昔のアダムから何千年前までの先祖に、みな会えるというのです。
(159-277, 1968.5.19)
皆さんは、肉身をもったこの期間が、どれほど貴重なのかを知らなければなりません。ハナニムも復活させることができ、宇宙も復活させることができ、すべての天下を統一させられるのは、肉身をもっているこの期間しかありません。ハナニムと万物を合わせても、この肉身世界と取り替えられません。なぜでしょうか。ハナニムとこの宇宙を合わせても、肉身をもった人間がいなければ完成しないからです。人間の体がどれほど貴重なのかを知らなければなりません。私たちの肉身は、宇宙をもらっても取り替えられません。聖書の「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」(マタイ 16:26)という意味の言葉も、それで成立するのです。
(91-191, 1977.2.13)
もし生涯の中で3分の2以上が罪の生活をしたならば、その3分の2の生活をすべて切り捨てることができるでしょうか。できません。切り捨てることができないのです。これは必ずついて回るのです。
(34-139, 1970.8.30)


皆さんの心をフイルムに撮って、その写真を自分が見ると思ってください。
(19-25, 1967.12.10)
完成は地上でするのであって、霊界でするのではありません。地上でこそまことの愛を中心として可能なのです。霊界ではありません。
(217-130, 1991.5.12)
寝床に就くとき、脱いでおいた履物を翌朝に再び履く自信がありますか。 いくら忙しいといっても、永生問題以上に重要なことは世の中にありません。それで、この世で永生問題を決定すること以上に深刻なことはないのです。
(10-249, 1960.10.21)
今日、信仰生活をしている人は、蕩減とうげん法を知りません。無責任な立場で「天国に行く」と思っている人は多いけれど、責任をもって蕩減し、歴史的な罪を清算してから天国に行こうとする人はいないというのです。ですから私たちは、肉身をもっている地上生活で責任を果たし、歴史的なすべてのことを清算した条件を立ててから行かなければなりません。
肉身があるときに罪を蕩減できずに霊界に行った人は、蕩減できないので、もう一度来て蕩減しなければなりません。今まで来て去っていった歴史時代のすべての霊人たちは、蕩減復帰をすることができなかったので、全部この法に引っ掛かり、霊界に行ってからもう一度来て蕩減条件を立てなければならない運命にあります。
地上に住んでいる人が霊界の人より一つ有利なこととは何でしょうか。直接蕩減条件を立てることができる肉身をもっているということです。
(80-93, 1975.10.19)
皆さんが天国に行く人か、地獄に行く人か、確実に知らなければなりません。レバレンド・ムーンは霊界をよく知っている人です。いろいろな人が生きては去っていきます。死を避けることのできる人は一人もいません。死は避けることができないというのです。ここで生きて去っていくのですが、自分のために生きた人は、この世界に行って、ぐるっと回って地獄に行き、他のために生きた人はぐるっと回って天国に行くのです。この二つの世界が死の場において分かれるのです。
(203-100, 1990.6.17)
地獄という所は、一度ほうり込まれれば、永遠に抜け出せない所です。それにもかかわらず、皆さんは自分の父母、そして親戚しんせきが地獄に行くということを実感できません。ただ「どうにかなるだろう」と思って終わりです。しかし、愛する父母が本当に地獄に行くと考えてみてください。世の中の監獄に入るというだけでも、泣いたりわめいたりしながら、あらゆることをしても引っ張り出そうとするのが人情ならば、まして天情で結ばれた息子、娘が、自分の父母と親戚、兄弟と姉妹が永遠に出てこれない監獄に行くということを知れば、そのような考えをしますか。
(34-266, 1970.9.13)
人に対するとき、その人を利用しようと考えず、利益を得ようと考えないということです。そうしてはいけません。本性が一度ゆがめば、修正するのに半年から3年はかかります。ですから、行動が恐ろしいです。そのようになれば、地獄の中でそれほどの地獄はありません。それを知っている人は、全く考えもしないのです。
(204-304, 1990.7.11)


通りの乞食こじきや病人の悪口を言ってはいけません。皆さんの霊人体がそのような姿ではないかと考えなければなりません。
(10-249, 1969.10.21)
なぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を体験するために結婚するのです。それでは、それがなぜ必要でしょうか。愛の空気が充満する所が霊界です。霊界の拍子に合わせる訓練をするためには、家庭をもたなければならないことを知らなければなりません。これを感じられずに行く人は、あの世に行って拍子を合わせることができません。このような人は、愛の空気をかぐことのできる鼻のない人と同じなのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-1062)
父子間の愛は縦的な関係であり、夫婦間の愛は横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛は旋回して取り囲む関係です。この三つの関係は、すべて違います。それで地上でこの三つの違った方法によって深い愛の経験をもってこそ、霊界に行って制限なく縦的、横的、円として旋回できるのです。
例を挙げると、父母が早く亡くなることによって父母の愛を味わえなかった人は、とても重要な愛の経験ができなかったので多少悲劇的な人であり、 夫婦関係を経験できなかった人は、人生の重要な部分が不足しているので霊界ではとてもみすぼらしい人です。
また兄弟姉妹がいない人は、すべての分野が欠けているので、完全な人生を生きることができずに霊界で寂しい立場に立つのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-1062)
皆さんが霊界に行ってみれば、その世界は次のようなものです。すなわち父母、兄弟姉妹、夫婦、子女に対する愛を十分にもった者、すなわち家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を享受できるでしょう。その人は、どこでも何の制限もなく、どの方向でも行くことができます。その反対に愛の経験がない人は、心が狭く、霊界でも自分一人孤立していて、自由が全くありません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-1062)
地上で子女を立派に育てて残していかなければなりません。将来、その子女すべてが霊界に行きます。霊界に行って天国の国民になるのです。自分が天国の国民として何人捧げたかという時、地上ではつらいことだったとしても、永遠の世界ではそれが高貴な栄光の道になるのです。
(218-319, 1991.8.22)
あの世に行くと、霊界に行ったすべての次元の高い人たちのことが、地上のことと同じなのです。地上とは、どのような所でしょうか。天国の国民を生産する生産工場です。分かりますか。広大無辺の天国です。無限大です。あまりにも広いのです。人は数億年の間、来ては去っていきましたが、どこにいるのか分かりません。そのように広いのです。1人が100人ずつ子供を生んでも天国は広いので、過剰生産ということがありません。あの世は、いくらでも収容できる世界です。産児制限しなければならないでしょうか、してはいけないでしょうか。


あの世に行く時、天国の民をどのくらい引き連れていくかということが問題になります。真の天国の息子、娘をたくさん引き連れてくる時、それが自分の権域になり、天上世界で表彰を受ける、等級の等差を設定できる資料になるということを知らなければなりません。
(202-40, 1990.5.1)
これから霊界に行けば、自分の所有権は何かというと、天国の民をどれくらい連れて入っていくかということです。それは自分の財産です。永遠の財産なのです。
(218-227, 1991.8.19)
霊界には、繁殖がありません。ハナニムは、縦的な父母の立場にいらっしゃり、軸は一つなので、一点しかないのです。
(221-204, 1991.10.24)
誤ったなら、霊界に行って保護官生活をしなければなりません。何千年も待たなければなりません。祝福を受けた人たちもこれから息子、娘がみな、「お母さん、私をどうしてこんなふうに生んだの。どうしてここに引っ張ってきたの」と言わないと思いますか。皆さんの息子、娘がじっとしていると思いますか。皆さんの家庭によって、レベルがみな違います。
それで行くのも、自分のレベルに合う所に行き、長い間とどまるのです。そうすると皆さんの先祖たちが息子、娘に、「なぜこうですか。なぜできなかったのですか。いったい何ですか」と言いながら讒訴ざんそします。皆さんは、それに該当するほどの長い時間、そこにとどまらなければなりません。そのように、簡単なことではありません。それで、地上でしっかりしなければならないのです。
(207-99, 1990.11.1)
皆さんは、父母から生まれました。その次にもっと根本的なことは、母親のおなかを借りてハナニムによって生まれたという事実です。皆さんは、宇宙の父母を通して、肉身の父母を通して、真の父母を探していくようになるのです。肉身の父母は、通過の父母です。
それで死の瞬間は、真の父母に会いに行く歓喜の時間です。そこには真の父母の愛があります。そこを「天上天国」と言います。そこの構成要素は愛であり、父母の愛によって充満しています。その愛は、私のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則の元に法度に通じることのできる愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練所です。
皆さんは、このような内容が宇宙の根本だということを知って、生きている時にこのような観をもって愛を実践し、合格したのちにそこに行けば、間違いなくハナニムに会えるという結論になるのです。
(105-108, 1979.9.30)


霊界に行くと、必ず行いをしたとおりに報われます。祝福を受けた家庭は、先生が祝福を授けたので天国に行く門は開きますが、前進するにあたっては心情の軌道に乗っていけば、あちらから引っ張ってくれなければなりません。その世界は愛の世界なので、私の心情がそれと和同できてはじめて入ることができます。それで、これからそのような世界があらわになる時になれば、皆さんは、たくさんの審判過程を経るべき運命ではないかと考えるようになります。
(70-170, 1974.2.9)
人が生まれたのは、愛の実を地上に結ぶためです。地上でハナニムが望んだ愛の実を結実するのが、地上に来た目的です。ですから短いのです。一つの季節にしかなりません。短いというのです。分かりましたか。
(130-158, 1984.1.8)
皆さんは、100歳まで生きると考えずに、70歳を生きても3倍のことをすれば、210歳まで生きたことになります。そのような考えをしなさいというのです。10倍なら700年を生きるのです。20倍ならば1400年を生きるのです。
一生の間、24時間働くのです。それでこそ、霊界に行って、実を結ぶ愛の所有が多くなるのです。愛の財産が多くなるのです。私の所有が多くなって活動舞台が広くなるのです。
(102-39, 1978.11.19)
魚は、水の世界を離れては生きていけません。水が絶対的な生命です。川の水にむ魚が、川の水だけにいてはいけません。海の水にも行ったり来たりして生きなければなりません。なぜそうしなければならないのでしょうか。淡水の魚は、海水と接するその水を味わわなければ子供をはらめないのです。それを知らなければなりません。それを知っていますか。また、海に棲んでいる魚は、淡水に来て、それを味わって子供を産むようになっています。二つの世界に通じなければなりません。
(210-128, 1990.12.17)
地上と霊界は、二つの世界ではありません。ですから二つの世界で生活できる、一つの内容をもたなければならないということを知らなければなりません。
(177-274, 1988.5.20)


 

第4巻 真の家庭

 

第1章 創造本然の真の家庭

 

1) アダムとエバを通じたハナニムのみ旨

多くの人たちがハナニムのみ旨について語っています。しかし、この話は、簡単なようで、いざ「ハナニムのみ旨とは何か」という質問を受けたとき、答えるのは非常に難しいものです。また、今日まで多くの信仰者が、「神よ、み旨を成さしめたまえ」と祈ってきました。そのようにしてハナニムのみ旨を成すために、現在、私たちも信仰生活をしています。
しかし、ハナニムのみ旨とは何かということもよく分からずに、ハナニムのみ旨が成されることを祈り、またそのみ旨のために信仰生活をしているというのは、一つの矛盾だと言わざるを得ません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-298)
統一教会で見るハナニムのみ旨、すなわちレバレンド・ムーンが知っているハナニムのみ旨とは何でしょうか。それは、ハナニムが宇宙を造られた創造理想、すなわち創造目的を完成することです。
ハナニムは、すべての被造万物を創造されるとき、必ず目的をもって創造されたので、そのようなハナニムの創造目的を成すことがハナニムのみ旨です。その目的の中心は誰でしょうか。アダムとエバでした。ですから、私は、創造の理想を実現すること、すなわちアダムとエバを中心とした理想を実現することが、ハナニムの創造目的だと見るのです。
それでは、その理想実現とは何でしょうか。それは、正に四位よんい基台を成すことです。四位基台とは、ハナニムの愛の圏において、ハナニムを中心としてアダムとエバが離れようとしても離れることができないほど完全に一つとなり、理想的な夫婦となり、彼らが子女を繁殖することによってつくられる、ハナニムを中心とする家庭の基台をいうのです。この四位基台が造成されれば、アダムとエバがハナニムを中心として夫婦の愛で一体となり、ハナニムの愛の圏から離れることができなくなります。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-298)
人間始祖を通してのハナニムの理想とは、何だったのでしょうか。ハナニムの理想は、理想的な男性と理想的な女性が結婚して理想的な家庭を完成することでした。それでは、理想的な家庭を成す中心とは何でしょうか。それは、男性でもなく女性でもありません。家庭とは、結局、父母と子女、夫婦の結合によってつくられる一つの束であり、その結ばれたものの中心は何かといえば、正にハナニムの愛です。ハナニムの愛を中心にして夫婦が結婚し、ハナニムの愛を中心にして家庭を完成させることがハナニムのみ旨だという結論が出ます。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-301)


ハナニムの創造目的とは何でしょうか。アダムとエバを造られたのは、ただ眺めるためではありません。男性と女性を造られたのは、男性は男性で、女性は女性で、年老いて死んでいくためではありません。
彼らが成長し、互いに異性に対する相対的な心情を通して、ハナニムを中心とした人類のまことの地上天国を建設するためでした。ハナニムを中心とした愛の巣をつくるためだったのです。
ここで、男性であるアダムは天を代表し、女性であるエバは地を代表します。ですから、彼らは二人ですが、彼らが横的に一つになれば、天と地が統一されるのです。ハナニムの愛を中心に二人が統一されれば、天宙は自動的に統一されるのです。
(21-1968.9.1)

 

2) ハナニムが絶対に必要とするもの

ハナニムは、なぜ被造世界を創造されたのですか。ハナニムは、被造世界を通して喜びを味わおうとされたのです。ハナニムがいくら絶対者だとしても、喜びを一人で感じることはできません。喜びは、相対がいてこそ生じるからです。
ハナニムが必要とされるのは、知識でもなく、お金でもなく、権力でもありません。ハナニム御自身が絶対的で全知全能なので、そのようなものを必要とはされません。科学がどれほど発達しても、ハナニムがつくられたものに追いついたり越えたりすることはできません。
膨大な宇宙は、秩序の中で法度に従って運行しています。ハナニムは、人間の思考と科学が及び得ない膨大な宇宙を創造され、運行していらっしゃることを考えるとき、ハナニムは絶対的な科学者でもあられます。
世の中に存在する物の中で、ハナニムと相対できる力はありません。ハナニムの力は、全知全能であり、絶対的だからです。また、永遠不滅で自存じぞんするお方がハナニムであられます。そのようなハナニムが願われることがあるとすれば何でしょうか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、何を願っていらっしゃるのかというのです。ハナニムが必要とされるものは何かということが問題です。
ハナニムが絶対に必要とされるものが一つだけあります。それは、人間に絶対的に必要なものであると同時に、ハナニムにも絶対に必要なものであり、それがまことの愛です。
それでは、ハナニムお一人で愛を受けることができますか。ハナニムは、御自身で愛を思いどおりにできるのではないかと思うかもしれませんが、そうではないのです。ハナニムにおいて最も必要なものは、真の愛を分かち合える相対だというのです。これを知らなかったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-304)
ハナニムが絶対的なお方ならば、その絶対的なお方がなぜ人間を造られたのかというのです。お金のために造られたのでもなく、知識のために造られたのでもなく、権力のために造られたのでもありません。ハナニムの愛をハナニム御自身が感じられる唯一の道であるがゆえに人間を造られたのです。


このような観点から見るとき、ハナニムは父であり、人間は息子、娘だということが一つの軸をなすのです。もしこの軸が連結されたならば、人間とハナニムが愛で一体となった関係は、何が作用しても絶対に引き離せないのです。
ハナニムの本然の愛ときずなを結び、その愛の味を味わった人がハナニムから離れていくでしょうか。
はちは、春にみつを味わいます。蜜を吸っている蜂のおしりをつかんで引っ張ると、おしりがとれても、その蜂は蜜から口を離しません。
皆さんがその味を味わったならどうでしょうか。離しても戻ってきて、再びそこにくっつこうとするでしょう。
この軸の愛が、そこに連結された万有が作用する基準になっていれば、人間の家庭は、個人的に完成した男性と女性が一つになって愛を中心とした家庭が現れるのです。さらに、この愛を軸として成された宗族、民族、国家、そのようにして世界が現れるようになるのです。
(137-57, 1985.12.18)

 

3) ハナニムの永遠なる愛の相対者

ハナニムがこの世界を創造されたのですが、私たちがハナニムに、何ゆえにこの世界を造られたのかと尋ねるならば、ハナニムは間違いなく「善くて・・・」とお答えになるでしょう。善くて、すなわち喜びのために、喜びを得たいがために、ハナニムはこの世界を創造されたというのです。
ところで、善い状態、すなわち喜びはどのようにして得られるのかといえば、愛の形態を通して得られるのです。ですから、ハナニムは、愛の実現を通して喜びを得るためにこの世界を創造されたのです。そのような結論を私たちは得ることができます。愛の実現のためにこの世界を創造されたハナニムであられました。
人間と万物がハナニムの愛を中心に一つとなり、和気あいあいとした愛の世界を築くのを見て喜ばれるために、そのようにして、人間がハナニムの愛を中心に一つのまことの夫婦の因縁を結び、一つの真の愛の家庭と宗族、民族、国家、世界を成すのを見て喜ばれるために、そのようにして、そのような人間と愛で一つになることにより、愛の喜びを味わうために被造世界を創造されたハナニムであられました。正にそれがハナニムの創造の理想だったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-302)
ハナニムの夢はただ一つ、愛の理想を実現することでした。ところが問題は、愛の理想の実現は、ハナニムお一人では果たせないのです。愛や幸福、喜びなどは、一つの個体を中心として成り立つようになっているのではありません。相対がなくては絶対に成立することができないのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-303)


ハナニムは絶対的な存在ですが、愛の相対となる存在がなければなりません。ハナニムの愛の相対者は、正に人間なのです。人間が完成した愛をもって、愛の相対者としてハナニムの前に現れるとき、ハナニムは幸福のハナニム、喜びの理想を得たハナニムとなるのです。
(145-267, 1986.5.15)
なぜハナニムには人間が必要なのでしょうか。ハナニムの理想を実現するのに、なぜ人間が必要なのかというとき、「ハナニムの愛を完成するために必要なのだ」と言うことができます。ハナニムの愛とは何でしょうか。それは、人間同士が、永遠に見つめ合って愛し合うのはもちろんのこと、ハナニムが人間を永遠に愛することでもあるといえます。
人間は、このようにハナニムの永遠の愛の相対者なのです。アダムとエバを創造されたその日から、ハナニムは、永遠無窮に、アダムとエバをどれほど見てももっと見たいし、どれほど一緒にいてももっといたいし、どれほど一緒に住んでももっと住みたいという対象として愛したかったのです。そのようにできる対象をもつことがハナニムの創造理想です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-306)

 

4) アダムとエバを創造された目的

旧約聖書の創世記第1章27節を見ると、神の形どおりに人間を造り、一男一女を造られたという聖句があります。そこから帰納的に推理すると、ハナニムは、一人の男性と一人の女性を合わせたお方だという結論が出るのです。
そのようなハナニムが一人でいてはいけないので、対象を必要として、この世界を創造せざるを得なかったのです。そのような理由で造られたのが、一人の男性であり一人の女性なのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-307)
ハナニムは、第1に体をもつためにアダムとエバを創造され、第2に愛を完成するためにアダムとエバを創造されたのです。このようなアダムとエバが完成し、二人が一つになり得る愛の実体となれば、ハナニムが臨在され、彼らは人類の完全な愛の父母となるのです。そのようにして、ハナニムの形象的実体の父母になったアダムとエバが、実体の子女を繁殖することによって、理想世界が成就されるのです。
そのようになれば、人間を通して霊界と地上世界が連結されるので、霊界と地上世界を連結させる目的としても人間を造られたのです。そのようにして、ハナニムが愛を中心にしてアダムとエバに臨在されることにより、ハナニムは、人類のまことの父母、実体の父母として存在されるのです。そのようにして、アダムとエバが霊界に行けば、霊界でもアダムとエバの形状をもって父母の位置に顕現することができるのです。
ところが、アダムとエバが堕落することにより、これが成されなかったという事実を皆さん方が理解してくださるようにお願いします。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-308)


ハナニムは見えません。その無形のハナニムが実体相をもつためにアダムとエバを創造されたのです。心の中にハナニムを抱いているアダムとエバが完成し、結婚して子女を生めば、ハナニムは内的な父になり、アダムは外的な父となるのです。そのようになれば、アダムはハナニムに完全に似るようになります。
ハナニムに似たアダムとエバが人類の父と母になれば、その姿を通して、いつもハナニムがいらっしゃることが歴史を通して認知されたことでしょう。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-309)
ハナニムが男性と女性を造られた目的は、二人が愛し合って一つになるようにするためでした。アダムはアダムのために、エバエバのために造られたのではありません。アダムはエバのために、エバはアダムのために造られたのです。
また、ハナニム御自身の愛と喜びのためにアダムとエバを造られたのです。ハナニムがアダムとエバを造られたのは、知識、権力、お金のためではありません。全知全能なるハナニムは、知識、お金、権力が必要だったのではなく、ただ愛が必要だったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-308)
ハナニムがアダムとエバを造られたのは、知識を与えるためでもなく、権力を与えるためでもなく、多くの財物を与えて良い生活ができるようにするためでもありません。彼らを創造された目的は、愛の実体として立てるためだったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-308)

 

5) アダムとエバの初愛の時期

ハナニムがアダムとエバに「取って食べるな」と言われたのは、彼らが愛し得る時期になっていなかったからです。彼らは、成長期にいたので、成熟するまで待ちなさいという戒めだったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-310)
人間は、思春期に向かいながら、その一時を中心に生きてきました。その時まで待つべき理由がどこにあるのかを知らなければなりません。すぐに男性と女性が一つになって愛すればよいのに、なぜ待たなければならないのでしょうか。愛のゆえにそうせざるを得なかったのです。成熟し得る思春期時代までの期間が必要なので、その期間まで過程的な要件を整えなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-312)
それでは、アダムとエバが教育を受けられる姿勢とは何でしょうか。ハナニムとアダムとエバは、父母と子女の関係なので、その父母が行く所にはいつもついていかなければならず、主管を受けなければならないにもかかわらず、その立場を離れることによって本然の姿勢を離脱したのです。ハナニムは、絶対的なお方なので、絶対的にそのお方に従って服従しなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-311)
アダムとエバは、万物の霊長として、父なるハナニムが定めてくださった期間、すなわち霊肉共に成熟する時を待たなければなりませんでした。


ハナニムもアダムとエバに「生育し、繁殖せよ」とおっしゃいました。それは、肉体と霊人体が完全に成長したのちに、夫婦となって愛し合い、息子、娘を繁殖しなさいというみことばなのです。
アダムとエバが身体的に成熟していきながら、一緒に出歩くようになるのですが、一緒に歩いていてびっくりするような光景を見れば、エバが「まあ、怖い!」と言いながらアダムの胸に抱かれたり、後ろに隠れたりすることが起こるようになったのです。
エバがアダムの胸に抱かれれば、恐ろしいと思っていた心が安心でき、楽になるのと同時に、アダムから強烈な異性的衝動を受けるのです。アダムもまた嫌な気もせず、エバから、自分とは違う性的衝動感を受けたでしょう。
このようなとき、アダムとエバのうち、性的モーションをどちらが先に掛けたのですか。「怖い」とアダムの胸に駆け込んだエバが先に掛けたのです。その時から彼らには、次第に愛の接触がなされるようになったのです。
ハナニムは、愛で被造世界を創造されました。ですから、アダムとエバは、ハナニムの愛を中心にして被造世界を愛の組織体としてつくり、ハナニムに連結させなければなりませんでした。そのような任務をもったアダムとエバは、どのような姿勢をもってハナニムが許された愛を共有すべきかを考えていなければなりませんでした。この愛の問題は、極めて重大なことで、彼らの生死を分けるものになりかねないのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-311)
愛はどこから出発するのでしょうか。個性を完成するところからです。原理で見れば、個性を完成したのちに愛するようになっています。思春期を経て異性に対せる資格を備え、天地の調和に一致して通過し得る責任を担えるときに初めて、愛の因縁が始まるのです。ところが、アダムとエバにおいては、そうではありませんでした。彼らの愛は、どのような愛でしたか。天地のすべての万物を統一させ得る位置での愛ではありませんでした。主体的な愛ではありませんでした。
彼らの愛は、主体的で必然的な愛でなければなりませんでした。ところが彼らは、必然的な愛で愛することができなかったのです。
(26-151, 1969.10.25)

 

6) すべての存在は愛を通じてのみ完成する

個体完成とは、本来、ハナニムがつくられた愛の基台の上で、心と体が完全に一つとなった中で、成長し成熟するように授受作用を永続させていくことをいいます。
愛を中心にして出発し、愛を中心に成熟し、その上に愛の芽が出て実を結んでこそ完成するのです。このように愛の基台が立つようになれば、その中にハナニムが愛の因縁をもって臨在されるのです。愛が成熟しなければ、実を結び得る基台を造成できないのです。