八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 5-7

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1460-1495

【天啓の御言】(5-7)

 


皆さんは家に帰り、おじいさん、おばあさんをハナニムのように思って侍らなければなりません。お母さん、お父さんを家庭の中心である王のように、王妃のように侍らなければなりません。そのお父さん、お母さんの息子、娘として、私は王子、王女の道理を受け継いで育ち、未来の王権を伝授されて世界を導いていくべき王子、王女なのです。
今後、統一教会員は、そのような考えを中心として、そのような愛の秩序に拍子を合わせていかなければならないのです。そのような家庭の父母となり、そのような家庭のおばあさんとなり、そのような家庭のおじいさん、そのような家庭の息子となるときには、そのまま天国へ行くのです。そのような天国の皇族の愛を体験した人の行く所が、天国なのです。
(221-309, 1991.10.26)
私たち統一教会の信徒同士は、自分の兄弟よりも近いのです。そのように今後、世界は、前後の世界が一つとなり、その次には夫婦が一つとなり、左右の世界が一つとならなければなりません。上下、前後、左右が一つとならなければなりません。上下は子としての道理、前後は兄弟としての道理、左右は夫婦としての道理、そのようにして完成すれば、霊界のハナニムの位置に上がってハナニム化するのです。
ハナニムへと帰っていくのは、まことの愛だけにできることだ、ということを知らなければなりません。他のものではできません。真の家庭とは、このような公式的基準で訓練された、完成したアダム家庭を拡大したものなので、この世界を拡大すれば、東西が一つとなり、男性と女性が一つとなるのと同じことです。男性を中心として、主体を中心として相対が一つとなり、前後が一つとなり、上下が一つとならなければならないのです。そうなることによって、一つの世界が、間違いなく原理的な内容を中心として、真の愛によってすべてのものが完成し、完結するでしょう! アーメン!
(222-321, 1991.11.6)
今日の人生の行路は、旅人の行路なのですが、そこで備えるべきものとは何でしょうか。愛を体恤たいじゅつしていかなければならないのです。父母の愛をよく受けられなかったことが堕落なので、真の父母の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の息子、娘の愛を中心として、縦的な家庭を築き、横的な環境を、東西南北にたくさんの家庭を広めなければなりません。そして、それらが縦横を連結できる真の家庭の形態を成して、宗族圏、民族圏、国家圏、世界圏へと連結するとき、愛で結ばれたその世界のことを、すなわち天国というのです。
(139-212, 1986.1.31)
子女の愛、兄弟の愛、父母の愛を拡大しなければならないのです。拡大してそれが公式化され、広がることによって、縦的な国と、横的な国を受け継いだ天地の完成的家庭となるのです。ハナニムの内的な心情と、アダムとエバの外的な実体のすべてを体験し得る家庭的な生活をした人が、天国の皇族圏に属するのです。簡単なことです。先生の言うことに間違いはありません。
(240-17, 1992.12.11)


真の父母の愛、真の師の愛、真の主人の愛です。この三大主体思想の中心の位置は、一つです。真の家庭の父母を中心として一つです。先生も、夜になれば家に帰ります。大統領でも、夜になれば家に帰らなければなりません。それゆえ、父母の愛を中心として父母の代わりに教育するところが学校であり、父母の代わりに父母の愛で国を治める者が大統領なのです。
(213-124, 1991.1.16)
真の愛とは、どのようなものでしょうか。自分の理想を投入して忘れるのが、真の愛です。愛国とは何でしょうか。自分の命を投入して忘れることです。真の夫とは、自分の妻のために自分の命を投入し、また投入しても、永遠に投入しようという人です。そのような立場に立つのが真の夫の行く道であり、真の妻の行く道であり、真の息子の行く道であり、真の兄弟の行く道であり、真の父母の行く道であり、真の家庭の行く道なのです。おじいさんがそうであり、おばあさんがそうであり、お母さん、お父さんがそうであり、自分の夫、妻がそうであり、息子、娘がそうだという家庭は、ハナニムに「来ないで下さい」と言っても、自動的に来ていらっしゃるのです。なぜでしょうか。ハナニムに似ているからです。
(210-32, 1990.11.30)
お金がたくさん必要なのではありません。お金というものは流れていってしまうものです。知識というものも流れていってしまいます。すべては流れていってしまいます。しかし、真の愛を中心とした真の家庭の伝統だけは、霊界にまで永遠に残るのです。それが最も貴いものなのです。
(215-160, 1991.2.17)
アダムとエバが、息子から兄弟、夫婦、父母にまでなったとすれば、アダムの息子、娘たちもそうなったことでしょう。しかし、アダムの息子、娘は、ハナニムの愛の圏内にまで至ることができませんでした。堕落していないアダムの息子、娘となったならば、すべてが横的に結ばれる地上天国ができたのですが、縦横が連結されなかったので、天国はできなかったのです。ですから、二つの国を受け継がなければならないのです。息子、娘は、二つの国を受け継がなければなりません。
天の国と地上の国、縦的な国と横的な国、縦的な父母と横的な父母の血統を受け継いだので、縦的な父母の内的なものすべてと、横的な父母の内外のすべてを伝授されるのが息子、娘なのです。皇族というのは、二つの国を受け継いだ生活を実際にするのです。皇族になれば、二つの国でいつでも受け入れられる、そのような完成的な基盤の上に立つのです。
(240-17, 1992.12.11)
父母の愛は、全世界の男性圏、女性圏を代表した花であると同時に、香りとなり、実の基準となるものです。代表なのです。母親と父親は、人類の女性と男性を代表した存在なのです。では、自分の息子、娘は何でしょうか。後代に数千万の人類が生じ得る、そのような子孫の代表者なのです。


ですからこの三者が一度にハナニムの愛と化して、下の者が上の者のために、上の者が下の者のために生きる愛になるのです。自分のためというのではありません。ハナニムの創造本性とは、「ため」に生きるということです。
(214-270, 1991.2.3)
おじいさん、おばあさんはハナニムの代わりとなり、母親、父親は世界の大統領の代わりとなり、その息子、娘は、天国の王の息子、娘のように王子、王女として生きるのが家庭の理想であり、創造主であられるハナニムの愛の本来的な家庭です。家庭は天国の王宮であり、その構成員は天国の王族を代表するものです。おじいさんはハナニムから見れば、王子、王女の代表です。
皆さんの両親は、すべての国家、世界の王子、王女の代表です。そうではないでしょうか。誰もがそのような欲心をもっていますね。同じなのです。子供は、未来の全宇宙の王子、王女の代表です。これほど価値ある場の中心が、私たちの家庭です。本当に誇るべきことです。そのような素晴らしい理論の基盤の上に私たちが立っているというのは、本当に貴いことなのです。
「私はハナニムを誇ります」と、皆さんがそう言えば、もちろんハナニムも同じです。「私は中心家庭として、理想的夫婦の代表的な家庭であることを自負しています」と言うことができれば、すべてが、未来のすべての万物までもが歓迎するのです。そのような価値ある家庭、歴史的家庭の背後を知っていますか。それはハナニムが創造された理想家庭の組織です。皆さんが、その立場に出なければならないのです。ハナニムは、おじいさんの立場です。その立場に立てば、誰もがその前で敬拝するのです。
(216-299, 1991.4.14)
おじいさんを愛し、おじいさんを尊敬するということは、過去をすべて受け継いで、過去の世を学ぶことです。父親からは現在を学ぶのであり、子女を愛するということ、子女を大切に思うことは、未来を学んでいくことです。おばあさん、おじいさんを通して、お母さん、お父さんを通して何を受け継ぐのか、どんな血統を受け継ぐのかというと、真の愛です。真の愛を受け継ぐのです。
おじいさん、おばあさんが年を取っていても、二人が真の愛で一つとなっていて、お母さん、お父さんが一つとなっているので、私たちもそのようになり、未来を受け継ごうというのです。未来を受け継ぐためには、絶対に真の家庭とならなければなりません。そうならなければ未来を受け継ぐことができない、ということを知らなければなりません。
家庭の中にこの三者がいるならば、それは宇宙があるようなものです。宇宙の愛は、ハナニムからの歴史全体、現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。真の家庭でおばあさんを愛し、お母さんを愛し、お姉さんを愛するのです。動物の世界を見ても、雌を愛し、雄を愛するというように、すべてがそうなっているのです。


それはなぜかというと、宇宙の愛を学ぶ教科書だからです。おばあさんがいなければ不安定なのです。おじいさんがいなくても不安定で、誰かほかの方がいなくても同じです。そのようになってこそ、そのまま天国に移っていくのです。祖父母、母、父、子女がそのまま天国へ行くのです。
真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国へ行くのです。その模型の教科書が家庭です。そう考え、ハナニムを考えると、永遠の未来になるのです。ハナニムを愛しながら「私の愛は未来のために行く」というとき、永遠の未来となるのです。
(162-140, 1987.4.5)

 

4) 天国は家庭単位で行く所

家庭は国の中にあり、国は世界、世界は宇宙の中にあるので、家庭や世界を捨てたとしても、ハナニムのために愛したとすれば、すべてを愛したという立場に立つのです。
ですから統一教会の皆さんは、世界のために生き、ハナニムのために生きるべきなのです。皆さんが先生のことを好きだというくらい、世界を愛し、人類を愛したとすれば、天国へ行けるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-954)
父なるハナニムというように、ハナニムは親です。本来、堕落しなかったならば、アダムとエバが父母であると同時に、国の王となるのです。天国の王になるのです。宇宙の王になるのです。ですから愛する孝子は、天国へ行けるというのです。愛する忠臣と孝子は、天国へ行けるということです。
夫をハナニムのように、主のように、王のように思って仕え、まことの愛をもって生きる人は、天国へ行けるのです。父母を愛し、その国と世界を愛することなくしては天国へ行くことができないという論理が、そこで成り立つのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-954)
人間の堕落とは何でしょうか。堕落した子女とは何でしょうか。彼らは、ハナニムが自分の父であると切に感じることができません。彼らは心の中に、ハナニムという概念をもっていないのです。皆さんは、次のようなことを体験し、悟らなければなりません。即ち、「私は、新生して新しい生命を得て、真の父母によって新たな生活を営んでいるハナニムの息子、娘である」という事実を実感しなければなりません。
第2には、「私は、ハナニムの国に住む資格をもった市民である」ということを実感しなければなりません。第3には、皆さんが国と世界を見るときに、ハナニムの愛を感じなければならず、「ハナニムがこの世界を遺産として下さったので、ハナニムの子女としてこの世を所有する権利がある」と思わなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-953)
私一人では、天国に行けません。そのような意味で、一人の男性は一人の女性と一つにならなければなりません。また、そのような過程を経るためには、一人は必ずカインと一つにならなければなりません。相対的環境を必要としているのです。父母を迎える前に、もしくは夫婦を迎える前に、兄弟の間で一つの相対的基準をもっていなければ(天国へ)行くことができないというのが「統一思想」なのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-953)


皆さんが知らなければならないことは、地上で天国の愛を体験できなかったならば、天上に行くことができないということです。カイン的な人を本当に愛したことがありますか。天国へ行くにはサタン世界における父母の愛、夫婦の愛以上の愛で愛さなければなりません。もし、堕落世界で父母が子女のために命まで捧げたとすれば、私たちはそれを超越した愛で愛さなければならないのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-953)
皆さんの心の中に、皆さんの生活の中にハナニムの愛があふれて、ぽたぽたと滴るようでなければなりません。愛がぽたぽたと滴れば、希望がありますが、愛が乾いているとするならば、皆さんとその家庭は、滅びるしかないということを知らなければなりません。愛の乾いた人は、愛の国の国籍から除名されるという事実を知らなければなりません。愛の伝統の世界から除外されるしかない運命になる、ということをはっきりと知らなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-952)
皆さんは、夫婦の愛と父母の愛を尊重できてこそ、天国へ行ける資格者となるのです。自分たち夫婦が愛し合う以上に、母、父を愛し、自分の母、父を愛する以上に、おばあさん、おじいさんを愛さなければなりません。それが天国の核心であり、理想的なモットー(信条)となるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-952)
天国に行く人とは、どのような人でしょうか。ハナニムよりも自分の息子をより愛する人は、天国に行けないのであり、ハナニムよりも妻や自分自身を愛するようでは天国に行けないのです。
(35-305, 1970.10.30)
「私は劉孝元ユヒョウォンです。地上では先生の一番弟子として長い間、協会長を務め、みことばを受けて『原理講論』を執筆し、世界的経典とならしめたので、霊界では最も高い地位を占めるだろうと思っていました。ところが、先生が霊界の三位基台を編成なさったのですが、李起鍚イキソク、劉孝元、朴鍾九パクチョングの順でした。私は失望して、不平を言いました。
先生は、『ここは愛の世界であり、知性を競うのではなく、愛を競うところである。李起鍚のほうが愛をより多く所有していたのだ。だから李起鍚が三位基台の一番上の兄になったのだ』と説明してくださったので理解できました。私は、いまだ天国へ行くことができずにいます。今、行く途中です。これまでは知性的な面に傾いてやってきましたが、地上にいる妻と共に、懸命に心情的に働こうと思います。
現在、天国には興進フンヂン様がいらっしゃいます。興進様も祝福を受ける前は、天国にお入りになることができなかったのですが、四位よんい基台を立てて天国へ行かれました。霊界は、愛の世界です」。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-952)


天国には、独り者は決して行くことができません。独身者にとって天国は絶望の山河です。寂寞じゃくまくの山河には希望がありますが、絶望の山河というのは希望すらない状態ではないですか。(注:韓国語では「絶望」と「寂寞」の発音が似ている)
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-951)
皆さんは、天国とはどのような所だと思いますか。天国は、一言で言うと、完成した人が行って暮らす所だということができます。天国が真なる愛をもった完成した人の行く所だとすれば、その真の愛をもった人というのは、どのような人なのでしょうか。人間には男性と女性がいます。ハナニムの理想的愛が地上でどのようにして完成するのかを考えると、男性と女性を離れては完成されないという結論に至ります。完成した愛の主体性をもった男性と女性でなければ、ハナニムの愛は完成されないのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-951)
天国復帰は、誰がするのでしょうか。み旨のためならば十字架の道も感謝することができ、絶対夫婦、絶対信仰、絶対実践、絶対心情を主張できる夫婦から、初めて天国の門が開かれるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-951)
「天命を受け、この怨讐おんしゅうの世界において手本となるような家庭になってほしい」というのがお父様の願いであることを思えば、天国に行くためには、家庭を通さずしては行けないということを知らなければなりません。
(29-9, 1970.2.15)
天国へは一人では行くことができません。祝福は、天国の門をさっと越えるということなのです。天国は、家庭的に行くところです。3代の因縁をもって行くところです。ヤコブの70人の家族も、3代が合わさったものです。そのようにしてエジプトに行ったのです。
(12-266, 1963.5.25)
本来、創造原則による天国とは、家庭を中心として行く所です。父母が行って、子供が行って、自分の家門全体が行ってこそ幸福なのであり、父母は地獄へ行き、子供だけが天国へ行ったとするならば、どうして「天国だ」と言えるでしょうか。ですから、統一教会が今後、天国へ行ける道を築くにおいて、家庭的な基準を立てなければなりません。そうしなければ天国へ行けません。家庭を中心としてサタンが讒訴ざんそし得る基準を脱しなければなりません。歴史的な讒訴基準、時代的な讒訴基準から脱しなければなりません。
(21-63, 1968.9.1)
一人では天国に行けません。一人では絶対に天国へ行けません。アダムとエバが二人で堕落して地獄の門を開いたので、一人では天国へ行けないのです。ですから、イエス様も天国に行けず、楽園にいるのです。
エス様も、新婦を迎えて初めて天国へ行くようになっているのです。今日のキリスト教信徒は、このようなことを知りもせずに、みな「イエス様についていく」と言います。そうなれば、彼らは行って、再び戻ってこなければなりません。家庭を築き、家庭的な復帰の基準を立てなければ、天国へ行けないのです。ですから、統一教会で祝福をしてあげるのです。
(23-315, 1969.6.8)


女性が先に罪を犯したので、女性神である聖神聖霊)が来て母の実体として現れ、罪を洗い清め、世の中を清めたならば、イエス様は、新郎として新しい種をもって再臨しなければなりません。再び充電して、新たな天地の真の父母の血族として、ハナニムを中心とした新しい世界をつくろうというのがハナニムの目的です。そのような世界ができてこそ、ハナニムの計画がみこころのままに成されたといえるのです。目的もなく6000年の間、摂理してこられたハナニムだとすれば、そのようなハナニムは信じる必要すらないのです。
(21-199, 1968.11.20)
天国とは、どのような所でしょうか。男女が共に家庭を築いていく所です。ところが、イエス様は、この地に来られて新婦を取り戻すことができず、息子、娘をもてずに亡くなられたので、今まで楽園で2000年間、祈祷しながら、聖神聖霊)に役事させていらっしゃるのです。
(21-199, 1968.11.20)
本来、ハナニムは、夫は天国に、妻は地獄に行くというように創造されたのではありません。創造当時の理想の主人公たち、すなわち父と母と息子、娘が宗族を成し、民族を成し、国を成そうとしたのでした。そうなるべきではないでしょうか。ところが、人間が堕落したので地獄が生じたのです。
(16-33, 1965.12.26)
統一教会でいう天国とは、一人で行く天国ではなく、家族が共に行く天国です。ハナニムの創造理想から考えると、男性と女性が分かれていく所が天国でしょうか。そうではありません。二人で行く所が天国です。父親が行けば母親も行き、両親が行けば子供も一緒に行く所が天国なのです。天国へは、お父さん、お母さんが一緒に行かなければなりません。お父さんは天国に行くのに、お母さんは地獄に行くのでは、「天国だ」と言えるでしょうか。このような立場から、私たち統一教会は、歴史的な宗教です。
(34-209, 1970.9.6)
天国というのは、人間が堕落せずに、この地上でハナニムの愛の懐で成婚し、ハナニムの喜ぶ息子、娘、ハナニムの喜ぶ孫を得てハナニムの愛を受け、その家庭がみな一緒に行く所です。子供が行けなくても、自分さえ行ければ良いというのは天国でしょうか。ところで、楽園というのは、いくら仲の良い夫婦や親子でも、別れて行くのです。家庭とは何の関係もありません。そのような所が天国でしょうか。両親と共に家族全員が行って、ハナニムを中心として授け受けする、そのような世界が天国です。息子は地獄で死にそうだとあがいているのに、親が天国で良い暮らしをすることができるでしょうか。そのような所を「天国だ」と言えるでしょうか。
(19-105, 1967.12.31)
天国へは、個人的には絶対に行くことができません。先生が知っているところでは、天国は、これまでキリスト教徒が信じているような妄想的な所ではありません。本来、天国は、家庭単位で行くようになっています。家庭が行くようになっているのです。家庭が行くのです。


お父さん、お母さん、息子、娘が一緒に行ってハナニムを中心として、共に生きられる所が理想的な世界なのです。ところが、父親は地獄へ行き、母親は天国へ行き、姉は地獄へ行き、弟は天国へ行くというのでは、自分が天国へ行ったとしてもうれしいでしょうか。天国へは、家庭単位で行くのです。家庭が行くのです。
(22-271, 1969.5.4)
天国へ行く秘訣ひけつとは何でしょうか。天国へは個人で行くのではありません。家庭的に行かなければなりません。家庭的に行かなければならないというだけではなく、一族を率いていかなければなりません。この地で、ハナニムの前に多くの一族がいるということは恵まれたことです。家庭にたくさんの息子、娘がいて富裕であれば、恵まれた家庭だといいます。そのように恵まれて天国へ行こうとするならば、個人が一人で行くのではなく、家庭的に行かなければなりません。
(22-168, 1969.2.2)

 

5) 家庭盟誓

 

① 家庭盟誓を唱えることができる者

家庭盟誓カヂョンメンセを唱えることができる家庭は、心と体が一つになった立場にある家庭です。心と体が一つにならなければ、家庭盟誓を唱えることができません。これを毎日のように唱えながら祈祷するとき、ここに不合格のすべてのものを除去し、そこに合致し得るものを加え、解放の心身統一圏を備えなければなりません。その立場で唱えるのです。
(261-143, 1994.6.9)
成約時代は家庭盟誓のとおりにならなければなりません。この家庭盟誓を唱えるにおいて、「私たちの家庭はまことの愛を中心として」、これが標題です。それは、堕落圏を越えたということです。偽りの父母の愛と、偽りの生命と、偽りの血統を中心として分かれたものが、統一されることをいいます。
「真の愛を中心として」と言うときは、心と体が一つになった立場で唱えなければなりません。その次には、男性と女性、心と体、夫婦が一体となった立場で、その次は、息子、娘が一つになった立場で唱えなければなりません。息子、娘を中心としてカインがアベルの血を流すようになった歴史的暗礁を、すべて消化しなければなりません。このようにすべて統一されて、心身統一、夫婦統一、子女統一の基盤の上で唱えるべきなのが、この盟誓メンセ文だということを知らなければなりません。
(264-192, 1994.10.9)
家庭盟誓は、どんな人がすることができるのでしょうか。サタン世界の偽りの父母による偽りの愛と、偽りの生命の因縁をもった人は、できないようになっています。本然の世界に帰って、ハナニムと堕落していない真の父母と一つになって、真の愛によって心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになれる基準に立った人だけが、この家庭盟誓を唱えるようになっているのです。
(264-213, 1994.11.3)


天国には、どんな人が入るのでしょうか。天国は、誰もが入る所ではありません。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、3代が暮らす家庭の四位よんい基台基盤を成してから入る所です。ですから天国に入るには、出発できる基地である家庭を中心として、完全に統一しなければなりません。そのようにできる人々が唱える盟誓文が、家庭盟誓だということを知らなければなりません。
ですから、毎日、朝食、昼食、夕食を食べるたびにチェックしなければなりません。そして、朝、起きる時と夜になれば、必ずチェックしなければなりません。自分の心身が一つになれず、サタン的因縁を再び誘致させる立場に立たなかったかを常にチェックしなければなりません。
夫婦げんかはあり得ません。夫婦がけんかするのは問題になるのです。今まで自分勝手に生きてきましたが、これは将来、天法によって治められるべき時が来るというのです。厳格です。そこには許しがありません。女性は特に、もっと注意しなければなりません。堕落した女性たちは、口をよく主管しなければなりません。口を慎めというのです。女性が重要な責任を負わなければなりません。女性がすべての責任を取らなければならないのです。
(264-214, 1994.11.3)
家庭盟誓は、一般の人が唱えるのではありません。家庭盟誓は、誰でもたやすく唱和できるようにはなっていません。家庭盟誓の八つの項の初めには、「私たちの家庭は真の愛を中心として」というのが前提になっています。それは、サタン世界と関係のない基盤で言う言葉です。
(263-195, 1994.10.4)

 

② 家庭盟誓の内容

イ) 第1条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します。」
第1番は、「天一てんいちこく主人、私たちの家庭は、まことの愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建する」です。私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するという言葉は、地上天国と天上天国を私がつくるということです。家庭を失ったので、家庭をつくらなければならないという言葉です。
私たちの家庭は真の愛によって、本郷の地を中心として、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建するというのです。本郷の地です。家庭を中心とした本郷の地です。国ではありません。それで故郷に帰らなければならないというのです。皆さんにそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成就しなければなりません。故郷さえ取り戻せば、自然に国、世界、すべてが一つになるのです。心配する必要がありません。地上天国、天上天国が自然に築かれるのです。それは、家庭から始まるのです。
(260-157, 1994.5.2)


それで盟誓メンセ文の第1は何ですか。「真の愛を中心として本郷の地を求め」、その地を求めていかなければなりません。「ハナニムの創造理想である地上天国と天上天国」を完成することを誓うのではありません。創建しなければなりません。私の手でつくらなければならないというのです。悪魔の世界から完全に取り戻してこなければなりません。サタンの世界圏を完全に回復しなければなりません。分かりますか。ですから完成ではなく、創建です。
(261-88, 1994.5.22)
第1番は何かといえば、本郷の地を求めて、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければなりません。失ったので、復帰しなければなりません。つくるのは、ハナニムがつくってくださるのではなく、私たちが取り戻さなければなりません。
(263-148, 1994.8.21)

 

ロ) 第2条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様に待り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します。」
2番目は、「私たちの家庭は、まことの愛を中心として」、真の愛を離れてはいけないのです。「ハナニムと真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子」、父も孝子になり、息子、娘も孝子になり、すべて孝子にならなければなりません。孝子の伝統を受け継がなければならないのです。「国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子せいしの(家庭の)道理を完成する」というのです。
「私たちの家庭は、真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成する」です。父母になって、息子、娘を正しく育てなければならないというのです。「聖子」と言うとき、息子の「子」の字ですか。息子をいうのです。聖子とは何かといえば、天の国の宮法と、天の国の法と、地上の宮法と、地上の法とを、みな守ることです。二つの世界をいうです。
天の国に王権があり、民がいれば、どちらもこの法を守らなければならないのです。霊界も王権があり、プラス・マイナス、二つの世界のプラス・マイナスになるのです。
(260-157, 1994.5.2)
ハナニムと真の父母様に侍って、代表的な家庭となり、中心家庭となって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天地では聖子の道理を、天が願ったすべてのことを私たちの家庭で完成しようというのです。父母として子女教育をなし、国家では国民教育をなし、世界と天地では、その天の国の一族、家庭、食口シックとしての合格者になれるようにしようということです。
(260-190, 1994.5.8)
2番日は何ですか。代表的家庭です。「ハナニムと真の父母様に侍り、代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の(家庭の)道理を完成すること」を誓わなければなりません。


今まで歴史時代にハナニムに不忠、親不孝だったこと、逆賊となったこと、これをすべて片づけなければならないというのです。家庭にもそのような群れが多く、国家にもそのような群れが多く、世界にもそのような群れが多く、天地にもそのような群れが多かったというのです。多かったのですが、そのすべてのものを代表して真の父母と一つになり、このような家庭を完成しなければならないというのです。
(261-88, 1994.5.22)
その次は、孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の(家庭の)道理を、すべて愛を通して連結させなければなりません。アダム・エバの代表的家庭です。一番頂上の家庭です。頂上で結婚すれば地上に着陸するのです。
天上で愛を中心として着陸すれば、中心家庭になるのです。それは聖子の家庭であり、聖人の家庭であり、忠臣の家庭であり、孝子の家庭だというのです。永遠にそれが種になります。実は同じです。千代、万代この原則に立脚した人になることによって、間違いなく天の国の民になるのです。
(263-149, 1994.8.21)

 

(注:「聖子の家庭の道理」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみことばにはない)

 

ハ) 第3条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することをお誓い致します。」
3番目は、「私たちの家庭は、まことの愛を中心として、四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。皆さんは四大心情圏と三代王権をみな知っています。それは堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三代王権を成して、皇族になることでした。それでこれは、復帰された皇族をつくって入ることをいうのです。私たち祝福家庭がこれを成さなければなりません。
女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この立場に立たずしては愛することができないようになっているのです。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三代王権の立場でするようになっているのです。愛がなければ、四大心情圈と三代王権があり得ないのです。ですから、男性が女性に絶対に必要であり、女性が男性に絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として、毎日のように努力しなければなりません。実際問題です。みな目の前にあるのです。
(260-190, 1994.5.8)
3番目は、「私たちの家庭は、真の愛を中心として、四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成する」です。これはアダムとエバが初愛を中心として成すべきことを成せなかったので、これから本然的にこれを成すのです。聖子せいしなどは、みな復帰的内容があるので、それを育ててこのように越えていかなければなりません。
「四大心情圈と三代王権と皇族圏を完成する」、これです。皇族圏というのは、これから来られる再臨主の直系の子女たちであり、蕩減とうげん条件がないのです。蕩減条件に引っ掛かりません。これは何かといえば、直系ではなく、地上でカイン圏の女性とカイン圏の息子に残してあげるのです。オモニを中心として見ても、そのようになっているのです。聖進ソンヂンのオモニと聖進を中心として、そのようなことが起こるのです。


それは何かといえば、カイン圏をみな皇族圏として認定することです。弟として、復帰された弟の立場に立て、皇族扱いすることにより、サタンが讒訴ざんそする道がなくなるのです。サタンがなぜ認めるかと言えば、「自分の息子だ」と言える条件ができないからです。皇族圏というものを認めなければ、堕落したサタン圏内に皇族を離れた群れがいるということになるので、サタンが残るというのです。しかし、皇族圏を認定するので、サタンがいなくならなければならないのです。これは重要な言葉です。
(260-158, 1994.5.2)
四大心情圏と三代王権を完成しなければなりません。おじいさんは、ハナニムの代身です。お父さんは、二世の中心になっているので、この世界家庭の王になるのです。お母さん、お父さんには、王ときさきのように侍らなければなりません。おじいさんには、ハナニムのように侍らなければなりません。それで二つの愛を迎えることにより、ハナニムの代わりにお母さん、お父さんの二つの愛を受けることにより、孫の時代に入って地上天国と天上天国の拡大世界に越えていくのです。
(264-195, 1994.10.9)
それをすることによって初めて、ハナニムの本然的理想型、堕落していないアダムの本然的理想型である四大心情圏と三代王権を完成するようになるのです。「真の愛を中心として、四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」。そのようになった家庭が、そうできる立場に出ていくのです。ハナニムと真の父母様に侍り、天下の代表、イエス様のような世界完成した立場に立ち、ハナニムに対するようになるとき、サタンと永遠に関係がなくなるのです。
今まで世界の人々が怨讐おんしゅうになり、長子の立場で天の側であるアベルを殺してきましたが、殺してしまうことができないというのです。知ってみると、お兄さんだったというのです。お兄さんの立場から弟の立場に入れ替わっただけであって、兄弟です。ですから、このような群れを、世界の人々を、皇族として扱うのです。
統一教会アベル的皇族なら、サタン世界はカイン的皇族です。この統一教会の教会員たちは、カイン的皇族を一つにしなければ、天国に入れないということです。父母様と一つになり、これをしなければなりません。ここには反対がなく、順理的にみな従っていくようになっています。
(261-88, 1994.5.22)

 

ニ) 第4条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。」
4番目は、「私たちの家庭は、まことの愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成する」です。「私たちの家庭は、真の愛を中心として」、これは同じです。「ハナニムの創造理想である天宙大家族を」、どんなに大きな家族でも一つの家庭です。霊界に行けば、一家庭だというのです。「形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成する」です。そこに形成することによって、天宙的な自由、天宙的な平和、(天宙的な統一、)天宙的な幸福が宿る世界を完成するという意味です。
(260-158, 1994.5.2)

 

(注:「統一と」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみことばにはない)


「私たちの家庭は、真の愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し」、ハナニムの理想は、世界がみな一つの家庭です。一家です。四大心情圏と三代王権を完成した人々が(家庭盟誓カヂョンメンセを)唱える立場なので、ハナニムを中心とした一つの家庭であって、二つの家庭になることができないというのです。創造理想である天宙大家族を形成し、私たちは、世界が一つの家族です。
(260-191, 1994.5.8)
「天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します」、自由というのは、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人々の自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の幸福です。全人類がみな幸福だということです。
(260-192, 1994.5.8)
その次に、4番目は何ですか。ハナニムの真の愛を中心として何ですか。「創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福・・・」、このような基盤があって、ハナニムが願う創造理想は大家族です。カイン、アベルの世界が大家族です。本然の理想を、初めて四大心情圏と三代王権をすべて成したその場に大家族理想を完成するのです。そのような立場に立つことによって、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します。これがこのように順理的になっています。
(261-89, 1994.5.22)

 

ホ) 第5条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します。」
5番目は、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化する」です。前進的発展は、毎日のように発展することです。ストップしないのです。ストップすれば、すべて地獄と連結されるのです。前進的発展をしなければなりません。前進的発展を促進化するというのです。
私たちの信仰生活は、毎日、天と霊界に関心があります。今まで統一教会の教会員たちが霊界を中心として毎日の生活をしなければならないのに、そのようにできないのが問題です。この世に関して先に考え、霊界に対する考えは後回しです。その反対にならなければなりません。
私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって、一つにならなければなりません。ストップするのではなく、前進的発展をしなければなりません。生きているものは発展するし、死んでいるものはストップするのです。また促進化するというのです。止まるものは地獄と連結され、成長は繁栄と連結されるのです。天国に連結されるというのです。私たちに止まるということは必要ありません。


皆さん、統一教会に入るときは喜んだのに、今まで10年、20年たってみるとどうですか。ストップは下がっていくのです。ストップは地獄に連結され、成長は天国に連結されます。ストップはサタンが一番願うことです。ですから毎日、一つずつプラスしなければなりません。重要な言葉です。これまでこの世では、みなお金を集めようと必死ですが、私たちは、一人の生命を救うために必死にならなければならないのです。
(260-159, 1994.5.2)
私たちの家庭は毎日、主体的天上世界、主体的な大きな天上世界があるということを知らなければなりません。どこがプラスかといえば、霊界がプラスです。心がプラスであるのと同じです。体は世界を代表し、心は霊界を代表するのです。心はプラスのようなもので、体はマイナスのようなものです。ですから主体的心の世界が分からない生活をしたならば、地獄に行くようになるのです。体が心を打つのと同じように、心を否定してきましたが、これを反対にしなければなりません。
それで「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」、主体世界と対象世界が統一されなければならないのです。「統一に向かって前進的発展」、前進していく発展です。「前進的発展を促進化することをお誓い致します」、促進化、早く、早くさせるのです。停止してはいけません。停止すれば、落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じるのです。停止は下がっていって地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。
促進、急ぐのです。寝てばかりいて、怠けて食べ、楽しみ、そんなものは歴史にないというのです。忙しいというのです。人生は短いのです。宇宙が大きいですが、焦点は一点と同じように、焦点が1周回れば、これも1周回らなければならないというのです。同じように回らなければなりません。ですから焦点を合わせなければならないというのです。
それで「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。休まずに走れというのです。先生のようにです。寝ることもせずに走れ走れ、というのです。私が考えたその世界と関係を結ぶのであって、考えもしない世界にどうやって関係を結びますか。一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。
(260-194, 1994.5.8)
家庭盟誓カヂョンメンセの5番は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」。これは、世界がみな同じ家庭だということです。天地にすべて主体的天の国の相対的立場で一つにならなければなりません。一つになるだけでなく、地上に地上地獄分野、サタン圏が残っているので、これ(前進的発展)を早く促進化させなければなりません。1日も早く急がなければならないのです。
(264-202, 1994.10.9)


ヘ) 第6条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します。」
6番目は、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成する」です。自分だけ良い暮らしをしようとしてはいけないというのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として」、ですから天運がハナニムと真の父母様と共にあるのです。天道を動かす、天運を動かす家庭となって、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、どこに行っても私たち祝福家庭は、全体に福を分けてあげられる中心家庭になるということです。
(260-160, 1994.5.2)
6番目は、「私たちは真の愛を中心として・・・」、真の愛を知っているでしょう。いつも考えなければなりません。「ハナニムと真の父母様の代身家庭として・・・」、ハナニムの家庭と真の父母の代身家庭です。皆さんが天運を動かす家庭となるのであり、ハナニムと真の父母の代身家庭は天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて、良い暮らしをしようというのではありません。結局は王族となって、全体の人々を国民につくらなければならないということです。
真の愛を中心として、ハナニムと真の父母の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、ハナニムと真の父母の代身家庭は天運を動かすというのです。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。天のすべての祝福を万民に平等に分けてあげる家庭的福の機関になろうというのです。ハナニムと真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、祝福家庭が多いので、全世界に広がって、ハナニムの家庭と真の父母の家庭の代身として福を受ける機関となって、分けてあげる家庭にならなければならないということです。
(260-195, 1994.5.8)
天運を動かすのが6番でしょう。「真の愛を中心として真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になるのです。真の父母様が受けたすべての受難は、自分が良い暮らしをするためのものではありません。全人類を自分が解放し、天運を分かち、天運を移してあげるためのものです。真の父母についてくる天運を、ただそのまま渡してあげなければなりません。福の機関になれということです。分かりますか。どんなに促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分なりの福だけを受けて行ってはならないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足して、大きな天運の恵沢を受けられるものを渡してあげてから、行かなければなりません。
先生が今まで幸福と自由の環境で、天下を動かすことができ、福を受けられるこのような環境で、父母のみ旨を立てるために、反対の道をすべて経て、万民にまで天運をつないであげるためにやってきたので、真の父母の家庭の代表者として、皆さんも天運を分配してあげる家庭になってこそ、真の父母のあとに従い、天の国で呼吸を共にし、面と向かって暮らせる面目が立ち得るということをいうのです。
(261-91, 1994.5.22)


その次は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。福の機関になれというのです。そうしてこそ天と地の一つとなったすべてのものを備えて、その場を中心として、ハナニムが下さった福の機関になるのです。分かりますか。福のセンターになれというのです。
(264-202, 1994.10.9)

 

ト) 第7条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します。」
7番目は、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、本然の血統と連結されたために生きる生活を通して、心情文化世界を完成する」です。「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された」本然の血統です。血統が重要です。血統が変わってはならないし、汚してはいけないのです。心情文化世界の形成を完成するというのです。心情文化というものは、すべての生活において、真の愛によって為に生きる思想が入っていなければならないのです。心情文化世界というときは、全体を代表した一つの囲いをいうのです。心情圏の宗族(宗族そうぞく)をいうのです。
(260-160, 1994.5.2)
心情文化世界とは何か分かりますか。ハナニムの心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界も、一つだというのです。それで「心情文化世界の形成を完成することをお誓い致します」、これが私たちの理想です。文化が二つではありません。堕落した世界は文化が複雑多端なのです。それを通してこそ個人天国、家庭天国、宗族天国、国家天国、天上天国、永遠の世界の天国へと連結されるのです。その心情でなくては、個人、家庭、宗族を連結することができません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結することができないのです。
(260-196, 1994.5.8)
私たちの世界は、心情文化世界です。ハナニムのただ一つの愛を中心とした統一家族、一家族です。高いもの低いものがなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。将来、そのような時が来ます。全世界で動員して平均的な生活を定めよう。世界の公義がそのようになったら、どのように定めるのか。どの国を中心として定めるのか。このように言うときは、北朝鮮があのように貧しければ、貧しい北朝鮮を中心として基準にするのです。アフリカではありません。日本の国ではありません。アダム国家を中心として一番貧しい人を基準にするのです。
(261-93, 1994.5.22)


心情文化世界は本然的なハナニムの文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化が二つではありません。一つしかありません。言語も一つであり、風習も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になることでしょう。そこにおいてのみハナニムが個人にも共に住み、家庭にも共に住むということを知らなければなりません。
(261-95, 1994.5.22)
その次には、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された心情文化世界を完成することをお誓い致します」。心情世界です。真の愛が表面化された世界です。どの町に行っても、道の要所で夫婦がお客さんを迎えるために待ちわびる世界にならなければなりません。ごちそうを作ったなら、それを世界の兄弟に分けてあげるために、道に出て待ち、迎えて入るのです。自分の兄弟のように自分の家に世界の家庭を迎えて、多くのものを食べさせ、たくさん奉仕する時代に入っていくのです。
こうして心情を表面化させて、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界、統一文化世界が来るのです。戦争がなく、紛争のない一つの世界、地上天国と天上天国世界になるのです。心情文化世界になれば、終了だというのです。
(264-202, 1994.10.9)

 

チ) 第8条
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します。」
8番目は何ですか。「私たちの家庭はまことの愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏(と釈放圏)を完成することをお誓い致します」。それが何かと言えば、エデンの園のハナニムが創造するその当時の内容です。
成約時代を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対何ですか。絶対服従によって地上天国と天上天国が神人愛一体圏となって、ハナニムのような息子、娘のすべての権限も自由に行使することができ、自由奔放な世界となってどこにでも通じる、活動できる能力者になって、初めてハナニムを解放させられるのです。地上天国と天上天国の解放圏です。
(301-85, 1999.4.16)

 

(注:「・・・と釈放圏」という表現は、のちに付け加えられたものであり、当時のみことばにはない)
ハナニムが創造するとき、ハナニムご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置にあったのですが、その相対的な家庭を成すことができず、すべてが地獄に落ちたのです。真の父母の勝利圏によって一つになったすべての基盤において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することによって、アダム家庭で失ったものを世界的に越えていくこの時であるがゆえに、統一教会は真の父母を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。真の父母はハナニムの前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の伝統を受け継いできたので、それを伝授されなければなりません。分かるでしょう。天の祝福が共にあることでしょう。
(1996.11.3)


宿命的課題と運命的課題であるすべての父子の関係の因縁が一つにならなければなりませんが、何を中心として一つになるのでしょうか。骨髄から、赤ちゃんの種から、真の愛を中心として一つにならなければなりません。それで生まれて今、心と体が大きくなって、世の中をすべて抱いて、父も抱いて母と一つになるのです。父母様が言うそこには、絶対信仰、他対愛、絶対服従、おじいさんが言う時は、孫も絶対信仰、絶対愛、絶対服従。お父さんも絶対信仰、絶対愛、絶対服従、同じです。
永遠に伝統的に相続されていくというのです。宿命的提案解怨かいおん! こうしてこそ第8盟誓メンセにおいての成約時代を迎えて、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体、ハナニムと人間が一体、愛によって一体になるのです。一体を成して、その次には、そこから地上・天上天国の解放圏です。
(1998.8.28)


 

第3章 国家・世界観

   

1) 人類が追求してきた一つの国家、世界

 

① アダム主義、アダム国家、アダム世界

本来、人間始祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者となり、アダム王となるのです。それゆえ、この世界はアダム主義で一つに統一されるのです。つまらなくみっともない主義は、ほうり出さなければならないのです。くだらない主義が現れて世界を攪乱かくらんさせているので、私たちはこのような主義を根こそぎ、全部引っこ抜いてしまわなければならないのです。
主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダムの制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義は「神主義」です。ハナニムの心によってハナニムと一つにならなければならないので、「神主義」と言うのです。
(20-123, 1968.5.1)
家庭を中心として見るとき、堕落していないアダムとエバの家庭が、アダムとエバ二人だけの家庭でしょうか、宇宙を代表した家庭でしょうか。その次に、ハナニムにおいてその国は、誰の国でしょうか。ハナニムの国ですか。アダム、エバの国ですか。ハナニムとの共同目的をもった、ハナニムを中心としたアダムとエバの国です。そして、その国が拡大されたのが世界ですが、その世界もやはりハナニムを中心とした世界です。それを知らなければなりません。
(161-243, 1987.2.22)
私たちは、どこに行くのでしょうか。天国ですが、家庭的天国から、宗族的天国、世界的天国、宇宙的天国に行くというのです。そこまで行かなければならないのです。地上での世界を自分の国と思い、万民を自分の兄弟と思い、世界を中心としてこのように伝統を受け継いだ人は、間違いなく天国に一番近いところに行くのです。これは理論的です。
(161-225, 1987.2.15)
皆さんが天国に行くとき、「うちのお父さん、お母さん、息子、娘を連れていく」と、このような考えをしないでください。「国を連れていく」と言わなければなりません。国を捨てて自分の家庭を中心として、「ああ! 私の息子、娘よ」ではないのです。国を連れて入らなければなりません。


国の中に民族がすべて入っていて、自分の息子、娘もすべて入っているのです。先生でいえば、先生の考えでは「世界を連れて天国に行かなければならない」と、このように今までご飯を食べ、行動し、生きてきたのです。このように生きてきたので、この天上世界の中心位置に行くのです。正にこれがハナニムの考えです。まことの父母の考えであり、真の子女の考えではないでしょうか。
(161-225, 1987.2.15)
ハナニムが創造した世界には国境があり得ません。黒人、白人の人種問題が問題になりません。善悪の闘争も、そこには必要ないはずです。このような観点から見たとき、私たちが住んでいる世界には各国ごとに国境があります。
黒人、白人の人種問題だけではなく、家庭においても夫と妻、父母と子女間にすべて分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っているのです。このような現情勢を見たとき、再臨主は国境がない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を全部統一しなければならず、善悪が闘っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。
(53-72, 1972.2.9)
ハナニムが確実にいることさえ分かれば、ハナニムのみ旨についていかざるを得ません。ハナニムのみ旨とは何でしょうか。この世界人類をご自身が愛される民にし、この地球ぼしをご自身が愛される国土にし、この国土と民を合わせて一つの主権国家をつくろうというのが理想世界です。
(56-192, 1972.5.14)
皆さんには、そのような国がありますか。ないので、その国を求めて成さなければならないのではありませんか。その国は、どのような国でしょうか。理想の国、統一の国なのです。万民が行ける国なのです。この国を成すのには例外があり得ません。
ここには家庭も協助し、宗族も民族も世界もみな協助することでしょう。そうして個人を統一でき、家庭、宗族、民族、国家、世界を統一できるのです。
(18-213, 1967.6.8)
人は誰でも、自分の国で生きるべきです。それは人間に賦与された絶対的な条件です。一人も漏れなく、その国とその義のために希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いによって理想郷を描き、生活によって義の法度を立てながら、その国とその義のために生きよというのです。
(18-213, 1967.6.8)
普通、世界主義といえば、民族と国家を無視して全世界を一つの国家、全人類を同胞と見るという意味で終わりますが、統一教会で叫ぶ世界主義は、家庭からその壁を超越するのです。父母であられるお一人のハナニムと、血肉の本当の兄弟と変わりない同じ兄弟たちである全人類が、一つの世界を成すという世界主義です。これは、どれほど素晴らしい世界主義でしょうか。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-844)


天国とはどのようなものでしょうか。地上天国とはどのようなものでしょうか。私たち統一教会食口シックのような人が、全世界で暮らすのです。それが地上天国です。この地上のすべての人たちが統一教会の食口のように暮らせば、それが地上天国です。その世界とは、ハナニムと共にある世界です。誰かが「ハナニムはいない」と言うこともなく、ハナニムに対して疑いません。ハナニムを私たちの父として、すべてが一つになった世界です。その次に、サタンの誘惑がなくサタンがいないのです。ハナニムが主管する世界、それが地上天国です。ハナニムが私たちと暮らすのです。
(79-304, 1975.9.21)
これからこの世界問題を解決して、人類の道徳問題をすべて解消させるためには、堕落論がなくてはならないのです。堕落論なくしては、人間の問題が是正されないのです。これは、サタンが天を裏切って歴史を引っ張ってきた最後の絶望的終末現象だというのです。これは人類を破綻はたん、滅亡させるためのサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれないのです。
歴史が解かれなければ歴史を清算することができないのです。これに対する代案を中心として、ハナニムの創造と理想の代案を中心として、私たちは「神主義」に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、為他いた的なのです。愛の相対を創造しなければならないというのです。そのような内容でなければ収拾する道がありません。
(219-266, 1991.10.11)
なぜ結婚をするのでしょうか。ハナニムの愛を中心として、ハナニムに侍り、男性、女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源はここから始まるのです。
真の愛の本質は、父と母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、弟が兄のために生き、このように「ため」に生きることです。「ため」に生きる愛によって、もつれてしまったそこに、永遠のハナニムの愛が臨在することにより、その家庭は、永遠無窮の永生的家庭となり、国となるのです。
(221-212, 1991.10.24)

 

② その国は私たちすべての願い

私たちは、ハナニムの国を慕い仰ぎます。そこは、愛がある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越した永遠なる愛が存続し得る所です。また、自分自らが高められる所であり、自分の価値を100パーセント認めてもらえる所だというのです。すなわち、永遠に幸福な所です。ですから人間は、天国を慕いあこがれるのです。
(25-284, 1969.10.5)
もし、地上の国家を復帰することを自分の生涯に果たせなかった場合、皆さんは霊界に行っても天国に属した人としての価値をもつことができません。地上でハナニムの主管圏内で統治された実績をもち、霊界に行かなければなりません。それは、本来の創造基準なのです。
(40-131, 1971.1.30)


私は今、世の中にうらやましいものがありません。この世的に見ても、うらやましいものがありません。この世的なものには考えがいきません。お金、土地、家、そのようなものには関心がないのです。「部屋、一部屋でも何でも、死ぬとしても私の国で死ななければならない。ハナニムが保護し得るその国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きていくことができなければ、その生涯は、悲惨な生涯ではないのか。だから死ぬ前に、1日でもその国を訪ねていかなければならない」と。
これが先生の一生の願いです。その日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で前進しているのです。皆さんは休んでも、私は前進しているのです。皆さんができなければ、外国人を動かしてでもやらなければならないし、大韓民国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしても行かなければなりません。
(51-340, 1971.12.5)
私たちの信仰の目標は、ハナニムの国の民になることです。その国の民になれなければ、その子女として自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛される道は現れません。国がない者は、常に攻撃されるのです。かわいそうな立場に立つようになります。あきれるほどやられる場合がいくらでもあるのです。ですからハナニムが願う国がどこにあるのか、ハナニムが足場とする国がどこにあるのか、これが問題です。
(55-79, 1972.4.23)
私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠なる天の国を成すため、千秋万代の子孫たちがとこしえに褒めたたえられる福地を成すためです。
(14-193, 1964.10.3)
その国は、ハナニムを中心として直系の子女が天命を奉じ、ハナニムに代わる命令をもってその王権によって治める、そのような国であることは間違いありません。そこには、民主主義や共産主義があり得ないというのです。一度、形成されれば、永遠の国家体制として残るというのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民になれなかったという事実が、とても悔しいことではないかというのです。私自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような一つの私を備えられないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、私たちは嘆かなければなりません。
(72-292, 1974.9.1)
主権と国と国土を建てるために、人類は、主権国家を建ててきました。その中で数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった数多くの人々、天の側にいる人々、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、ある一時に、そのような国、そのような世界を成してくれることを願うのではないでしょうか。
(72-292, 1974.9.1)


ハナニムが愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのことを進めてきましたが、現時点で、一つの国家を復帰し得る基盤をつくることができませんでした。何度も失敗したので、この地上に天の人を送り、それを治めさせて推進させ、成就させるために努力してきたのが、今までの天の役事だったのです。
(30-10, 1970.3.14)
主権のない国の国民は、かわいそうなのです。それでイエス様が案じて、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:31~33)と言われました。先に息子を求めよと言われましたか、国を求めよと言われましたか。ハナニムが望んでいる国を求めよと言われたのです。
(34-337, 1970.9.20)
エス様も楽園に行って待っていらっしゃるのです。天のみ座の前に行けなかったということを知らなければなりません。イエス様はハナニムの前に、国の主権を建てて国を治め、地上から天国まで直通し得る権限をもった国をつくれなかったので、ハナニムの前に立つことができないのです。ですから楽園は、天国へ行く待合室です。また、天国へは一人では行けないのです。天国へは本来、堕落していないアダムとエバ、家庭単位で行かなければならないのです。息子、娘と共に行かなければなりません。そうでなければ行けないのです。
(56-201, 1972.5.14)
今まで宗教人たちは、なぜ生き残ることができないようなことをしたのでしょうか。宗教に協助してくれる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国がない民なのです。国があったならば、宗族が反対する立場に立ったとしても、その国圏内に生き残る道があったのですが、今まで宗教を信じた人々は、どこに行っても迫害され、どこに行っても血を流す祭物の道を歩んできたのは何のためでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて国があったならば、「やあ、お前たち、これが正しいのだ」と言えば、「はい」となるのに、国がないので苦難を受けるのです。
(56-159, 1972.5.14)
今日、この地上に霊的救いを完成した世界圏、キリスト教文化圏の世界が民主主義世界です。ところが、ハナニムが選定したイスラエル民族が選民思想を受け継いできたのと同じように、その選民を定め、間違いなくお前の国にメシヤを送ってあげようとイスラエル民族に対してきたのに、その約束と共にあるべきキリスト教国家が世界にはないのです。皆さん、これを知らなければなりません。ですから地を失い、国もなく空中に名前だけもったその国を追求して、東から追われれば西に逃れ、北から追われれば南に逃れ、彷徨ほうこうしながら、死の道を避けながら世界的な発展をしてきたのがキリスト教文化圏の世界です。
(65-48, 1972.11.13)


統一教会員たちも国がないのです。今の民主主義の世界も、ハナニムが6000年間、苦労してつくってこられたのです。もし皆さんが昔のイエス時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首は既に落ちて久しいはずです。先生のような人は既に、この世の中には痕跡こんせきもなくなっていたことでしょう。国家的に不義のサタンの代役者がいるかと思えば、現在の世界的な不義の代弁者である共産主義が宗教を抹殺するための最後の背水の陣を敷いているというこの厳然たる事実を、私たちははっきり知らなければなりません。私たち統一教会員たち、国がありますか。ですからいやしい者ではないですか。行く所がない賤民せんみん扱いを受けたのではないですか。その誰よりも悔しい立場にあることを忘れてはならないのです。
(55-209, 1972.5.9)
国がなければ、いくら良い幸福な家庭であっても、馬賊が出てきて、首を切られることがあり得るのです。ですから国を求めなければなりません。これを、宗教人たちは知らないでいるのです。宗教人たちは全く知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
(57-260, 1972.6.4)
その国を探せる代表的な一人の個人は、どこにいるのでしょうか。この地上にはいません。それで、宗教を通して、そのような代表的な一人の方に仕えようとする思想が、再臨思想です。この再臨思想を中心として、新しい個人が現れるのです。新しい家庭、新しい宗族、新しい民族、新しい国家、新しい世界の形成が起こるのです。
それで再臨思想は、他の思想とは根本的に次元が違うのです。それで、その代表的な人は、死亡の世界から腐った死体を取り除き、そこに根を下ろし、それを肥やしにして大きくならなければなりません。ここで良いというものを肥やしにできる力をもった、新しい主体的な人格を備えてこられる人です。
サタン世界が良いというものを自分の生命体として復活の権限を誓い得る息子ならば息子、民ならば民が備えなければならない人格は何かというとき、この死亡の世界、腐った死体のようになったものを肥やしにして、大きくなれる主体的力をもった人格者でなければなりません。言い換えれば、死亡の世界に支配される人ではありません。
(49-93, 1971.10.9)
人類を救うために来られる方が再臨主です。天は基準さえ立てられれば打ちます。攻勢を取ります。だからといって、スターリンのように首を切って殺すのではなく、一度に降伏させるのです。1番目は理念、2番目は民、3番目は主権、4番目は領土で、サタンを降伏させなければならないのです。人は誰でも、お金と権勢と友達と理想が共にあることを願いますが、その四つは、正にこれを代表したものなのです。
(12-169, 1963.3.16)


2) 理想社会、国家、世界の構造

 

① 人類大家族社会

私たちが暮らしたい所は、天の国、「天国で暮らしたい」というのが合っています。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言葉は二つですか。違います。人種の差がありますか。ありません。それでは天の国とは何なのでしょうか。人はみなハナニムの懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。ハナニムを中心として見ればハナニムの息子、娘なので、すべてが兄弟であり、地上天国を中心として見れば民となります。地上天国の国民だというのです。民だというのです。
(66-281, 1973.5.16)
完成した人は、どのようでなければならないのかというと、天と共に世界的な一つの国民にならなければなりません。皆さんは、どの国の人でしょうか。皆さんにはアメリカ人、ドイツ人、韓国人といろいろいますが、私の国はどこにあるのでしょうか。この地球です。この地球が私の国です。私の故郷とは、どこでしょうか。この地球が私の故郷です。私は、国境のようなものは知りません。黒人、白人のようなものも知りません。すべてハナニムの子供です。
(79-24, 1975.8.24)
「原理」は、永遠の歴史を通じても変わらない真理です。これは、どんな偉人の権勢や国家権力でも変えることができず、世界も、ハナニムも変えることができないものです。過去、現在、未来にわたって変わらない真理だとすれば、これは人間が本来願う理想的な価値をもっているものに違いありません。
この「原理」によって復活した人たちが国家を超越し、世界を超越して一つになれば、すべてが兄弟なのです。そこには、白人もなく黒人もなく黄色人もありません。黒人だといっても、皮膚の色が違うだけで、すべてが同じです。骨も同じ、肉も同じ、血も同じ、心も同じです。皮膚の色だけが少し違うのです。これは、気候と環境によって異なったことなので、仕方がないことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-847)
松の木を見てください。極寒地帯から温帯圏に行くにつれ、種類が少しずつ異なります。松の木が立っている地域環境によってだんだん異なり、また、それが出発した基準と歴史を通して種類が異なるのです。また、熊を見てください。北極の熊は、白熊です。白色でなければ駄目なのです。それは環境のためなのです。保護色が白色だからです。白色人種は何かといえば、北極の白熊と同じようなものであり、黒色人種は、暑い温帯地方の黒熊と同じようなものなのです。ただ、その違いだけです。ところで黒熊と白熊がお互いに、「お前は白熊だから」、「お前は黒熊だから」と言いながら、「共にいることができない」と言えるでしょうか。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-847)
すべてが一つにならなければなりません。統一教会は、結婚式を国際的に行います。西洋人と東洋人が結婚をします。白人と黒人が結婚をすることもあります。人種を超越し、愛し合う姿、それは歴史にもない美しさです。そのようにならないところに問題があるのであって、それは一番美しいのです。このような主張を訴える世界的な思想がなければ、人類は滅亡してしまいます。ハナニムを中心として見れば、人間は、みな兄弟です。ハナニムの前では、すべてが一つになれないわけがありません。アメリカの建国精神は「ハナニムのもとの一つの国家(one nation under God)」です。これは、素晴らしい精神です。また、現在、そのようになりつつあるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-849)


万民は、その生きていく環境が違うだけで、人間という点で、白人も黒人も同じです。もし、ある人が黒人の女性と結婚して暮らしながら黒人の子供を生み、そうして再び白人女性と結婚して白人の子供を生んだとすれば、その人は白人の父にもなり、黒人の父ともなるのです。すなわち、彼らの父は一人の父だというのです。どんなことがあっても、世界人類が一人の父によって生まれた兄弟だという心情がわき出すようにしなければ、世界人の統一は不可能であり、万代の糾合は不可能です。
(18-111, 1967.5.28)
全世界の人種が一つになる一番の近道は、国際結婚しかありません。二つの全く異なる文化圏と環境から選ばれた男女が、ハナニムの愛によって仲良く一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一なのです。このように理想を実現するのが私たちです。偉大なことを成就させるために私たちは、巨大な愛の力を求めなければなりません。ただ、最高の愛の力によってのみ、そのような力を発揮するのです。社会の動きと環境によって翻弄ほんろうされるような愛ではありません。最高の愛だけが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-845)
これからどのように世界を一つに統一するのか、また、心情交流の土台をどのように築くのか、これが問題です。
それで先生は、これから独身の男女を国際結婚させようと思います。これは、ハナニムが願われることです。韓国の枠の中だけで身をかがめて座っている、そのような人をハナニムは願われません。ハナニムは、ご自身の理念圏内ですべてのことが成されることを願われます。共産主義の女性たちは、労働者と結婚することが最高の希望です。しかし、統一教会の娘たちは、それ以上にならなければなりません。
(17-43, 1966.11.6)
さてこれからは、自分の家庭が異国の民族と一つになれる血統をどのくらいもっているかということが、霊界に行って誇れる内容になります。ですから、これから皆さんの息子、娘が結婚するときには、国際結婚をたくさんしなければならないのです。これから統一教会の独身男女はみな、国際結婚をしなければなりません。男性も女性も生まれたならば、一度はやってみる価値があるのです。
(34-73, 1970.8.29)


ハナニムは公平です。アメリカは、ハナニムの祝福によって物質文明を花咲かせた代表的な国となりました。ですから、外的な基準から内的な基準に、急に変わることは難しいのです。反面、東洋では物質的面よりは精神的面を重要視します。西洋は、外的には祝福されましたが、内的基準においては不足です。反面、東洋は、内的には祝福されましたが、外的基準においては不足です。ハナニムは、これほど公平な方です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅱ-380)
宗教を中心に精神面を重要視すれば、物質的な条件を退けてしまいます。東洋は、精神文化を重要視し、すべての外的基準を拒絶してしまいました。それを西洋人たちが拾い集めました。アメリカをはじめとして西洋の多くの国が外的に素晴らしくなったのは、東洋におけるすべての物質的条件の援助を受けて西洋文明を発展させたからです。しかし、それが限界に来ています。そして東洋における精神文明も、限界に直面しています。東洋は、だんだん西洋文明、物質文明を要求するようになりました。西洋はまた、東洋文明、精神文明を要求するようになり、これらが交差する時点に立っています。まさしく授受作用をしているのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅱ-381)
人間にとって一番難しく大変な道とは、どのような道でしょうか。天国へ行く道です。この道が一番難しいのです。この宇宙の中で人間に一番難しい道とは、どのような道でしょうか。天国へ行く道が一番難しいというのです。
エス様が天国へ行きましたか。楽園に行っています。天国へ行く待合室にいらっしゃるというのです。ですから、これがどれほど難しいのかというのです。それでは、ハナニムは天国で住んでいらっしゃいますか。違うのです。それでは、歴史始まって以来、天国で住む人が誰かいますか。ハナニムが住めず、その息子が住めないのに、誰が天国に行って住めるのかというのです。天国へ行って住んだ人はいるのでしょうか。いないのです。ですから一番難しい道なのです。
(72-253, 1974.6.30)

 

② 共生・共栄・共義の社会

ハナニムが一番好きなものは、愛の文化です。ハナニムがお金や権力、知識などを必要としますか。良い家を設計して建てるためには、れんがも必要であり、ドアも必要であり、多くの材料が必要ですが、その中で一番重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。
人間に対してハナニムが願われる一番の願いは、お金が多いこと、学者になることではありません。聖書のみことばどおり、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22:37)と言われているので、それが第1の戒めです。第2は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同22:39)と言われました。驚くべきみ言です。
(143-273, 1986.3.20)
コリント人への第1の手紙第13章の愛の章にも、「信仰と希望と愛」この三つが常にあるが、「その中で一番は愛だ」と言いませんでしたか。人間は、それを知らなかったのです。あなたの心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くせというのはどういうことですか。命を懸けて愛せよということです。


皆さん、誰かをそのように完全に愛してみましたか。妻たる者が夫を完全に愛し、弟子なる者が師を完全に愛し、民たる者が国を完全に愛してみたのかというのです。誰も完全に愛せなかったので、モデルをつくらなければなりません。
工場で鋳型いがたを作って物を大量生産するように、その鋳型と同じようなまことの人間のモデルをつくらなければなりません。そうすることによって、そのモデルに倣って真の人間が世界に広く広がっていくのです。
(143-273, 1986.3.20)
時が来れば、一人で主張する時代は、すべて過ぎ去ってしまいます。「私が一番だ」と言えない時代です。その時からは、共同世界です。すなわち共生共栄共義主義世界だというのです。だから統一教会で、共生だ、共栄だ、共義だということを主張するのです。その世界は、一人で成すのではありません。
(24-298, 1969.8.31)
共生共栄共義主義の世界は、人類が願ってきた理想天国の世界です。その世界は、絶対に一人では成すことができない世界です。ですからその世界は、一人だけでいる世界ではありません。「私」といえば、必ず相対がいるのであり、また家庭があるのです。これは観念だけで終わるのではなく、実際の生活において作用しなければなりません。それが生活舞台において実際に表現し得る世界が、すなわち天国の世界です。
(24-300, 1969.8.31)
その世界は、どのような世界でしょうか。互いに嫉視しっし反目しながら、人がうまくいけばおなかが痛み、人が喜べば死にそうだという、そのような世界ではありません。一人の人が良くなるのは、全体を代表して良くなるのであり、一人の人がうれしいのは全体を代表してうれしいことなので、一人がうれしがれば全体がうれしがるのであり、一人が喜べば全体が一緒に喜ぶ所がその世界なのです。
(18-102, 1967.5.28)
皆さん、左目と右目の歩調が合っていますか、合っていませんか。これは共栄です。すべてが一つの目的のために生きていくのです。全部このようになっているのです。鼻の穴も二つですが、一方の鼻の穴が詰まってもいいですか、良くないですか。同じように耳も一方が詰まってもいいですか、良くないですか。体が不自由でいいですか、良くないですか。足を切り、腕を切ってみてください。気分が悪いはずです。ですから相対的関係を備えたすべての存在物は、自ら天地を証明するのです。
すなわち人間が自ら証明しているというのです。このように心は知っています。「人心が天心」という言葉も、ここに関係しているというのです。
(24-300, 1969.8.31)


 

③ 言語も一つ

アメリカの豚も韓国の豚もみな同じように「ブー、ブー」と言い、すずめも「チュン、チュン」と鳴きますが、万物の霊長である人は、なぜこのような状態なのですか。豚の言葉でもなく、牛の言葉でもなく、数十ヵ国を回ってみても、行く先々で言葉が違います。ご飯をもらって食べるのも大変です。口の利けない人の中でも、最重度の口の利けない人になるのです。このような結果を誰がつくりましたか。それは一言で言うと、堕落したからです。言葉も一つに統一できず、一つの種類の言葉も使えない人間が、どうして万物の霊長でしょうか。どれだけ悔しいことでしょうか。本当にあきれて物が言えないのです。
(20-124, 1968.5.1)
ハナニムの絶対的な愛を中心に、絶対的な男女が合わさり、絶対的な文化を創建しなければなりません。絶対的な文化創建のために、何よりも統一された一つの言語と文字をもたなければならないので、韓国の言葉と文字を学ばなければならないと何度も強調してきたのです。文化創造と発展は、言葉と文字によって伝達されるからです。
(135-166, 1985.11.12)
これからは言葉が問題です。先生が今、韓国語で話していますから相当、大変なのです。これから通訳がいなければどうするつもりですか。皆さんが私に習わなければなりませんか、私が皆さんから習わなければなりませんか。先生が話す韓国語を習えば、先生を通してもっと深い内容を学べ、もっと価値あるものをもてるからです。これが何よりも貴いので、そのようにしなければならないという結論が出るのです。
(74-33, 1974.11.10)
まことの父母の息子、娘は、その父母が使う言葉ができなければ口の利けない人です。口の利けない人だというのです。今後、そのような方向に世界は流れていくのです。この西欧社会にレバレンド・ムーンが来て今、かなりの波紋を起こしています。これは近世にない新しい宗教界の脅威であり、新しい問題だということを皆さんは知らなければなりません。これから原語の勉強には韓国語が入るであろうということを知っておくべきです。
皆さんがどんなに英語になったものを読みながら、「なるほど」と言っていても、韓国語の原本がこうだと言えば、すべて何度も書き替えるのです。ですから、変わらないものに価値があるのです。同じです。これからは、原語を勉強しなければなりません。
(74-33, 1974.11.10)
韓国の言葉と文字は、韓国で作られ、韓国で使われています。「真の父母」という言葉も、韓国語で初めて名前が付けられたのです。真の父母の愛を中心として、ハナニムの真の父母の愛と、歴史始まって以来最初に接ぎ木されたのです。ハナニムが愛を中心として言葉を話しはじめた最初の出発が、真の父母を中心とした愛の基盤の上で、韓国語を通す以外なかったというのです。それで「真の父母」という言葉の起源が絶対的なので、韓国語を学ばなければならない理由となるのです。


またハングルは、韓国語を表記できる文字なので学ばなければなりません。ハナニムが愛の言葉を語れる最初の場所が韓国だということも知らなければなりません。
(135-166, 1985.11.12)
先生が「真の父母」という言葉を韓国語で初めて使い始めたので、「真の父母」という言葉の起源は、韓国語となるのです。「真の父母」という言葉は、英語や中国語ではなく、韓国語です。それで韓国が、統一教会員にとって愛の祖国となるのです。韓国が愛の祖国なので、愛の祖国を求めなければならない私たちは、韓国語とその文字を学ばなければならないのです。
昔さんが韓国人の男性、女性と祝福を受けたいと思うのも、ハナニムの話した初愛の言葉の起源が韓国語なので、その本郷の近くに行きたいという心の発露から始まったと言えるでしょう。
(135-166, 1985.11.12)
韓国語には哲学が入っています。天地の理致と調和を備えた背景をもっています。発音法において、アメリカで、言語学博士号を取った有名な人もいます。
(173-75, 1988.1.3)
韓国語は、極めて高次元的な宗教言語です。表現が深く繊細です。それは、どの国もついていけません。ですから韓国人は、頭が良いというのです。それは、正確で分析的な言語を通して全部キャッチして理解するので、その頭の構造は、相当に次元が高い位置にあるということを知らなければなりません。韓国人が技能オリンピック大会でいつも1等になるではありませんか。多分、7年間そうだったはずです。
(173-75, 1988.1.3)
統一世界に向かう私たちにおいては、統一語で先生の説教集の朗読を完遂しなければなりません。皆さんがこれを原語で読めなければどうしますか。原語でです。オリジナル言語、英語ではなく、ドイツ語でもないのです。ですから、これから皆さんは、説教に対しては心配する必要がありません。これは、先生が一生の間に説教したものです。
皆さんが霊界に行って問答するとき、「私は見ることもできず、読むこともできなかった」と言うのですか。ですから、英語に翻訳をさせないでしょう。ここに漢字を入れれば本当に良いのです。これを読まないで逝けば大変なのです。指導者がこれを読まなければ、大変なことになるのです。後代に、各自の家に先生が入っているでしょうか、みことばが入っているでしょうか。考えてみてください、どうですか。先生のみ言が入っているのです。
(173-76, 1988.1.3)

 

3) 人類の中心思想は真の愛主義

 

① アダム主義は父母主義

本来、アダムは私たち人類の始祖であると同時に、家長にもなり、族長にもなり、民族長にもなり、その国の王にもなるというのです。この世界は本来、堕落していなかったならば何主義の世界ですか。アダム主義世界です。アダム主義とは何ですか。「神主義」です。このようになるはずだったのです。これが堕落することによって、ばらばらに引き裂かれたというのです。こうしてアダムが破壊した、穴がぼこぼこと開いているもの、それを直さなければならないのです。堕落したので穴がぽかんと開いているのです。
(155-304, 1965.11.1)


アダムとエバが堕落しなかったならば、ハナニムが何をしてあげようとしたのでしょうか。ハナニムが祝福によって結婚式を挙げてくださり、ハナニムが喜ばれる息子、娘を生むようになり、ハナニムが喜ばれる家庭を編成して、これを繁殖させ、宗族と民族を編成するようにしようとしていました。これがさらに広がれば、その世界は、「神主義」の世界であると同時に、アダム主義の世界です。その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義理念であり、そこに宇宙観があるとすれば、アダム主義宇宙観であり、天宙観があるとすれば、アダム主義天宙観であり、生活観があるとすれば、アダム主義生活観だというのです。
そして五色人種が入り混ざって、そのようなものは問題ないというのです。それは環境によって異なったものなので、数多くの民族における皮膚の色が違うのは、問題ないというのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が異なるようになったのでしょうか。人類始祖が堕落することによって、天は分立させたというのです。
(156-202, 1966.5.25)
主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダムの伝統、生活方式もアダムの生活方式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が、「神主義」です。ハナニムによってハナニムと一体とならなければならないので、「神主義」だと言うのです。
(20-122, 1968.5.1)
主権より、人権の平等を論議しなければなりません。私たちが追求する主義は天宙主義であり、「神主義」です。私とハナニムが合わさった主義です。今日、民主主義はハナニムを離れた主義であり、共産主義は物質と人間だけを中心とした主義です。しかし天宙主義は、人間とハナニムを合わせた主義です。私たちはこの世界を、ハナニムを中心とした主権の世界につくろうとするのです。
(13-72, 1963.10.18)
私たちは、心の福地を成せる一つの中心を立て、心情の福地を成せる一つの中心を立てて、心情と心と体が通じ得る一つの基準を求めなければなりません。そうして体と心が一つになったのちには、世界を抱かなければなりません。ですから、今日のこの時代には、世界主義よりも大きい天宙主義の理念が現れなければなりません。神主義が現れなければなりません。そうして人間がこの地で生活する上で、その「神主義」を中心として体と心が天の心情と通じる確固とした基準を立てなければ、私たちが幸せに暮らすことはできないのです。
(8-30, 1959.10.25)
人間は、堕落することによって、その心と体がサタンの偽りの愛を受け継ぎ、自己第一主義による不協和を起こす個人になりました。このような人々が集まった家庭、社会、国家、世界は立体的に増幅された葛藤かっとうと紛争を自体矛盾としてもち、相互不信と分裂、闘争をするようになるのです。サタンの願いである自己中心主義によって、民主世界は、個人第一主義化され、サタンと人類は、滅亡に向かっているのです。これを救うために、ハナニムのまことの愛を中心とした「統一思想」と「神主義」が必要なのです。
(219-109, 1991.8.27)


「神主義」は、自分のために尽くせという主義ではありません。「ため」に生きようとする投入主義です。「ため」に生きようとする主義です。悪魔は自分のために尽くせという主義ですが、ハナニムは「ため」に生きようとする主義です。ですから投入して投入して投入するほど、あの永遠の世界の所有権が増えるのです。共産世界では、投入するほど損をするので仕事をしません。しかし、私たちの世界では誰が福を多く受けるのかといえば、自分の部落のために寝ることを惜しんで血と汗を流す人です。ハナニムのように投入する人が、福を受けるようになるのです。
(209-292, 1990.11.30)
「神主義」とは何主義でしょうか。真の愛主義です。真の愛主義とは、どのように生きることでしょうか。投入してまた投入し、忘れるのです。このような国民になるならば、大韓民国がどのようになるでしょうか。
(201-54, 1990.2.28)
父母主義とは何でしょうか。地上でアダムとエバが完成した真の父母主義です。その次に、「神主義」とは何でしょうか。真の父母は横的な父母なので、縦的な父母が必要だというのです。ですから縦的な父母主義が「神主義」です。ゆえに、「頭翼思想」という言葉は真の父母主義であり、ゴッディズム(Godism:神主義)とは縦的な「神主義」です。このようになるのです。横的な真の父母と縦的な「神主義」の、縦横が一つになって、天の生命、地の生命、天の愛、地の愛、天の血統、地の血統が連結されて人間が生まれたので、人間は二重存在になっているというのです。内的な人と、外的な人になっています。内的な人は縦的な私であり、体的な人は横的な私だというのです。実となるのです。
(224-277, 1991.12.15)

 

② 父母主義は真の愛主義

ハナニムが一番好まれるのは、愛の文化です。ハナニムにお金や権力、知識などが必要ですか。良い家を設計し、建てるためには、れんがも必要で、ドアも必要で、多くの材料が必要ですが、その中でも一番重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。人間に対してハナニムが願われる最も大きな願いは、お金が多いこと、学者になることではありません。聖書のみことばのとおり、思いを尽くし、心を尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよと言われましたが、それが第1の戒めです。第2は、あなたの体を愛するように隣り人を愛せよと言われました。驚くべきみ言です。
(143-273, 1986.3.20)


私たちが行くべき道は、本当に行きたい道であり、私たちが求めて成すべき国は、永遠に住みたい国です。私たちがもつべき財物は、天宙のものであると同時に、私のものであり、この時代のものであると同時に、過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。私たちが泣くとき、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶとき、天地が共に喜べる権威と知識をもたなければなりません。これが今日、堕落した人間たちが現世で求めるべき最高の欲望であり、希望なのです。
(13-31, 1963.10.16)
ハナニムの理想国家の実現、すなわち祖国光復は、どこから実現されるのでしょうか。怨讐おんしゅうを愛する思想をもった個人から、出発するのです。ですからハナニムがいらっしゃる限り、愛によって国境を壊し、すべての環境と文化的な壁を越えて怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教が、世界的な宗教にならざるを得ないのです。豆を植えれば豆が出て、小豆を植えれば小豆が出て、赤い花の種からは赤い花が咲きます。同じように、恨みを晴らす悪魔サタンの種をけば、恨みを晴らす悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の理致なのです。
(107-18, 1980.2.21)
その国は、ハナニムを中心として直系の子女たちが天命を奉じ、ハナニムの代身である命令をもってその王権を治める、そのような国であるに違いありません。そこには民主主義や共産主義があり得ないというのです。一度、形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民になれなかったという事実がとても悔しいことではないかというのです。私自身がそのような国で住むことができないことを嘆息しなければなりません。そのような一つの不変の主権をもっていないことを私たちは嘆かなければなりません。
(72-292, 1974.9.1)
レバレンド・ムーンを中心として、「統一思想」によって共産主義と民主主義を消化させ得る「神主義」とは、どんな主義ですか。力を出す主義ですか。まことの愛主義です。その真の愛によってこの世の中を、これからどのように料理するのかというのです。
(181-227, 1988.10.3)
大韓民国の民主主義は、何のための民主主義ですか。政党のための民主主義ではありません。大韓民国のための民主主義です。それでは大韓民国は、どんな主義にならなければならないのでしょうか。大韓民国は、世界のために生きる主義に帰らなければなりません。
世界は、「神主義」に帰らなければなりません。人間主義は信じられません。100年以内にすべて消えてしまいます。「神主義」であってこそ永遠無窮なのです。その伝統を受け継いで、真の愛という論理の上にこれが連結されるので、個人も真の愛が必要であり、男性、女性も必要であり、夫婦も必要であり、息子、娘も必要であり、宗族も必要であり、民族も必要であり、国家も必要であり、世界も必要なのです。
(177-70, 1988.5.15)


「神主義」とは、いったいどんな主義でしょうか。愛の主義です。愛主義ですが、いったいどんな愛主義なのでしょうか。(私の)ために尽くせという主義ではなく、(他の)ために生きようとする主義なのです。これを知らなければなりません。
(169-281, 1987.11.1)
「神主義」とは何でしょうか。個人主義でもなく、家庭主義でもなく、宗族主義でもなく、民族主義でもなく、国家主義でもありません。天宙主義です。天宙主義の基盤をもったそのような霊界に、個人主義の囲いに入った人が行こうとしてみても、行くことができないのです。家庭を中心として、「ああ、世の中がどうであろうが、うちの息子、娘、うちのお母さん、お父さんしかいない」と言うそのようなやからの圏内に入るならば、抜け出す道がないのです。永遠に抜け出すことができないでしょう。その壁を誰が壊さなければならないのでしょうか。その中で自分たちだけで自分の主張を立てて、家庭を中心として争い合うのです。
(112-211, 1981.4.12)
健康な人は、普通の人が消化できないものを消化します。ですから、誰でも健康な人が好きなのです。人が健康な精神をもった、精神が健康だというとき、何でも消化してしまいます。民主主義も消化し、共産主義も消化し、何でも消化するのです。
それでは、統一教会は、どんな主義ですか。ユニフィケーショニズム(Unificationism:統一主義)です。ユニフィケーショニズムは簡単ですか。私たちの四肢を見ても、この体には目があり、耳があり、鼻があり、手足があり、すべてあるのです。ここに一つの生命が連結され、統一されなければならないのです。そして、これが一つになるためには、「ああ、私は目が嫌いだ。どこどこが嫌いだ」と言えば、できるでしょうか。みんな「いい、いい」と言わなければならないのです。すべて消化しなければならないのです。
(111-96, 1981.2.1)
ハナニムをあがめ尊ぶ人は、血を流さなければなりません。ハナニムを愛そうとする人は、涙を流さなければなりません。目から涙が乾いてはならないのです。そして、ハナニムを求めていこうとする人は、汗を流さなければならないのです。それで父母の心情をもってしもべの体で人類のために、アベルの立場で犠牲と奉仕をし、もてる限りの精誠を尽くして与えよというのです。与えながら誇るのではなく、もっと良いものを与えたい気持ちをもって、恥ずかしさを感じながら与えよというのです。これが「神主義」です。
(38-328, 1971.1.8)
公的なものを、どのように管理するのでしょうか。個人を、どのように管理するのでしょうか。社会を、どのように管理するのでしょうか。国家を、どのように管理するのでしょうか。さらには世界を、どのように管理するのでしょうか。このような公的な管理法を中心として、新しい愛、新しい世界主義を定立させていかなければなりません。その主義は、人間主義ではありません。そのような主義ならば滅んでしまうのです。「神主義」と一体になれるかなれないかという問題が、生死を決定する原因となるのです。
(31-255, 1970.6.4)


今まで世界の数多くの民族、あるいは五色人種がつくった文化圏を全部打破して、一つの文化圏にしなければなりません。言い換えれば、「神主義」的な家庭制度、「神主義」的な社会制度、「神主義」的な国家制度、「神主義」的な内容を備えた理想社会が展開されなければなりません。そのような主義が、堕落していない完成したアダム主義です。共産主義でも民主主義でもない、アダム主義です。
それは「神主義」を求めていく過程です。主義というのは、ある目的を求めていくつえのようなものです。主義自体が要求されるのではなく、目的を成就する上で必要な過程なので、この主義というのは変遷するのです。
今日、アメリカを民主主義の宗主国として先進国家と言いますが、将来、お金によって腐敗し、民主主義が嫌いになる時が来るのです。大韓民国にも今、このような状況が起こっています。民主主義が良いことは良いのですが、今の私たちの国ではお金のためにもろもろの中傷謀略が起き、政権を奪い取ろうとする闘いが起こっています。それが民主主義ですか。それは、特権主義的な状態で起こる現象です。
(21-156, 1968.11.17)
今日の若者は、「ため」に生きる生活をすれば中心存在となり、責任者となり、保護する主人になるという事実を知りません。自分の生命までも投入して失っても喜ぶ真の愛のみが、男性と女性を、父母と子女を統一させることができるのです。そして、ここに永遠なるハナニムの愛が臨在することによって、その家庭は、永遠無窮な永生的家庭になるのです。これが思想の核心なのです。永生は、ここにあるのです。
(222-138, 1991.10.28)
利己主義を打破する新しい世界主義が出てこなければなりません。私より他人のために生きる利他主義は、ただハナニムの理想からのみ出てくることができます。それはハナニムが愛の本体であられ、愛の本質は、自分を犠牲にして他人を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛です。その思想は、人の四肢を動かす頭ともいえる中心思想です。それで「頭翼思想」なのです。
(164-194, 1987.5.15)
必勝目標、必勝する上で、どのように勝つのかが問題です。勝つには、「神主義」の「頭翼思想」で勝たなければなりません。これは、純然とレバレンド・ムーンだけが勝てるのです。左右を解決するための「頭翼思想」、ハナニムと真の父母を中心として、十字架で右側の強盗と左側の強盗が闘ったのが、世界的な実を結ぶ時代に、ハナニムと父母が出てきて父母様の思想とハナニムの思想を中心として、この二つの手足が闘ってはならないのです。
これが、何をもって一つになるのでしょうか。知識でもなく、お金でもなく、権力でもありません。愛によって一つにならなければなりません。愛を中心として動き始めなければなりません。愛によって命令してこそ、すべてが喜んで動くのです。
(169-210, 1987.10.31)


唯一残るのは、絶対的な愛の理想をもった、万国の兄弟の心情圏を備えた「神主義」です。これのみが、この世界を統治するでしょう! アーメン。
(137-196, 1986.1.1)

 

4) 民主世界と共産世界の未来

 

① 民主世界と共産世界を一つに

「神主義」とは何ですか。先祖主義です。第一先祖主義、その次には「頭翼思想」です。共産主義と民主主義が闘うのをやめさせる、父母主義のようなものです。父母主義です。頭翼思想とは何かといえば、それはまことの父母主義です。愛を中心とした父母を知るようになるときは、この手も闘っていたのがすべて解かれ、一つになるのです。座る位置、立つ位置、方位を備えて、誰も指導しなくても天理の大道たいどうを守って生きられる人をつくれば、すべて終わるのではありませんか。人が問題です。お金はいくらでもあり、国はいくらでもあります。何が問題ですか。人なのです。
(191-200, 1989.6.24)
原理がなかったならば共産主義の克服はもちろん、代案提示も不可能だったというのです。それは、何をもってするのですか。「神主義」をもってするのです。「神主義」とは何ですか。真の愛主義です。生命を投入しても、また投入しようとし、何度も投入しようとするのです。そうしてみると、宇宙を包括しても余りある、ハナニムの愛があふれる宇宙になるのです。
(213-89, 1991.1.14)
現在、世界で起こっている最後の難しい問題とは何ですか。東西文化の分立の問題です。東洋と西洋をどのように一つにするかという問題です。それは、人間の力ではできないのです。左翼と右翼が一つになるには左翼でもできないし、右翼でもできないのです。ここに頭翼が出てこなければなりません。それで「頭翼思想」の顕現を語っているのです。人間が優れているというあの人本主義思想、唯物主義をもってもできません。物本主義思想と人本主義思想では駄目なのです。天意による本然の心情を中心とした、神本主義思想に帰らなければなりません。このような問題を提示して、東西に分立されたこのすべての文化背景を、どのように連結させるのかというのです。アメリカの国民が私に反対しましたが、私に従わざるを得ない段階に入りました。西洋社会も同じです。
(168-112, 1987.9.13)
人類の真の平和は右翼でもできないし、左翼でもできません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的動機が利己主義を抜け出ていないからです。自分を中心として、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくならない利害の衝突があり、統一もあり得ず、平和もありません。
(164-194-1987.5.15)