八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 7-3

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1901-1940

【天啓の御言】(7-3)

 


韓半島を中心とした脈というとき、その脈とは何かというと、それは韓国の運命や運勢と通じるのです。天運とも通じます。国運とも通じるはずです。国運とは何でしょうか。国の運、国が転がっていく方向です。このようにみます。韓国が転がっていくとき、すなわち韓国が生きていくにおいて、韓国の脈拍がよく打ち、よく連結すれば、大韓民国は、発展することができるのです。そのような大韓民国が世界の天運と脈拍を共にし、天運を協助して一つの世界をつくっていかなければなりません。
(178-265, 1988.6.8)
共産主義は崩壊しなければなりません。民主世界も崩壊しなければなりません。民主世界は人本主義であり、共産世界は唯物主義です。彼らはハナニムを追放してしまいました。ローマ教皇庁は、神本主義を中心として世界統一を成し遂げ、理想的王権を立てようとしましたが、それが失敗したので、再び戻って蕩減とうげんして越えていくのです。
大陸を中心としてイギリスを蕩減し、イタリア半島ローマ教皇庁が過ったことをアジアにおいて復帰しなければなりません。そのため、アジアにおいてローマと同じ半島を復帰しなければなりません。それが韓半島です。
(188-315, 1989.3.1)
イタリア半島教皇庁で統一することができなかったので、再び半島を通じて統一しなければなりません。その場所が韓半島であるということをサタンは知っているので、4000年を蕩減するために日本が40年間支配する時代に入っていくのです。その40年間の支配を受ける国こそ、再臨主、アダムが来られる理想の国だということを皆さんは知らなければなりません。歴史発展の帰趨きすうから見るとき、また蕩減復帰の原則から見るとき、韓半島に再臨主が来なければならないという理論的な根拠が、ここから出てくるのです。
ここでイギリスとアメリカとフランスが一つになって、どのような国を訪ね求めていくのでしょうか。アダムの国を訪ね求めていくのです。父の国を訪ね求めていくのです。父を取り戻さなければなりません。父の国を訪ね求め、アダムの国を訪ね求めていかなければなりません。
(189-93, 1989.3.19)
これは、レバレンド・ムーンの考えではありません。原理観です。韓半島の統一は自動的に訪れます。韓国がエバを抱いて一つになれば、天使長たちが完全にアダムとエバに献身するようになるのです。それが原理観です。
(189-104, 1989.3.19)
太平洋文明圏とは何かというと、「来られる父」主義の版図を形成するための準備文化です。ここで統一的文化圏を展開し結束した一つの文化を終結しなければならないので、父母文化を中心として言語統一、文化統一、国家統一が起きてくるのです。そのような時になっていくのです。そして、それは韓半島を中心として連結してくるのです。
(193-225, 1989.10.4)


韓国は、地政学的に非常に微妙な位置にあり、昔から強大国の勢力拡大のための要地となり、歴史的な犠牲を払ってきました。東西両極時代に代表的な苦難を経た我が祖国は、多元化と和解の時代を迎えたとしても、その国益が保障され、民族的な問題が解決されているわけではありません。韓国を中心とした四つの強大国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島に各々重要な関心と利害関係をもって互いに絡み合っています。私は、ハナニムの摂理的観点からこのような韓国の状況を、世界と歴史の縮小体として見つめています。それゆえに、すべての歴史的因縁と世界的問題が直接、間接に韓半島に連結しており、韓国は世界問題の縮小体となっているのです。したがって、世界問題の解決は、韓国問題の解決と不可分の関係にあります。
(193-317, 1989.10.12)
母が西側の果てならば、父は西側から現れるようにはなっていません。女性が西側の果てならば、男性は東側の果てでなければなりません。「極東」という言葉も、このような面で意味があるのです。また韓半島という所は、男性と女性が連結する場所です。陸地が男性を象徴すれば、海は女性を象徴しています。
ゆえに、島の人々は常に陸地を慕うのです。彼らが陸地を訪ね求めてきて上陸する時は、常に半島に上陸します。それゆえに、西欧文明においては、今までイタリア半島が伝統的因縁を中心として、千年以上の歴史を経ながら、世界のキリスト教文化圏の中心としての権限を行使してきましたが、その反対に位置する極東においても半島が問題となるのです。
(196-162, 1990.1.1)
今、日本は、どこに帰っていかなければならないのでしょうか。イタリア半島のような所へ帰っていかなければなりません。そして、大陸と連結しなければなりません。そのようにできる焦点が韓半島です。インドシナ半島でもなく、マレー半島でもなく、シンガポールでもありません。唯一、極東でなければなりません。そのような地域は、韓半島しかありません。その韓半島の歴史は、イスラエル民族の歴史と似通っていなければなりません。
なぜなら、ユダヤ教の延長がキリスト教だからです。そして、単一民族として長い歴史をもつ中で受難を受けなければなりません。多くの血を流さなければなりません。正義の人々でなければなりません。歴史時代において、奸臣かんしんたちによってどれほど多くの血を流したでしょうか。さらに、朝鮮王朝の500年期間、600年に相当する期間をそのように生きてきたのです。この6数を蕩減しなければなりません。そのような時代だったので、多くの善なる血を流したのです。
(204-161, 1990.7.8)
私は、統一教会の悲惨な運命の道を40年間歩んできましたが、滅びませんでした。なぜでしょうか。このことを知っていたからです。私が願う家庭的基準がこうであり、私が願う国がこうであり、私が願う世界がこうであり、私が願うハナニムはこうだというのです。そのような私の願いが、ハナニムの願いであったということを知ったのです。


それゆえに、投入して、投入してまた投入すれば、それは循環して、ある軸を中心として定着する、世界史的な一つの定着地が必ず生じてくるのです。できれば、それが韓半島の38度線を中心として成し遂げられることを希望しているのです。さらには、先生の故郷を中心として、これを着地させようという思いをもっています。それで、今、故郷の地に向かって前進しているのです。
(208-226, 1990.11.18)
南北が交差する中で展開した闘争の場において、韓国の自主独立の1日を願いながら身もだえしたのです。この韓半島が新しい寵児ちょうじとして生まれるためには、産みの苦しみを経なければなりません。そのような立場から南北が交差するようになっているのです。民主世界と共産世界を代表した一つの先陣基地となり、両分される悲惨な国家的運命を迎えるようになっているのです。
誰が、これに責任を負わなければならないのですか。韓国民族が、その責任を負わなければなりません。韓国民族が責任を負うのですが、将来の韓国の行くべき道を知らない人が、その責任を負うことはできません。もし、それを知っていれば、韓国の伝統的歴史を通じて、韓国のこのような悲惨な姿を、彼ら自身が収拾していたはずです。「収拾しなければならない」と考えた人、あるいはそのような愛国者もたくさんいたはずです。しかし、それができなかったということは、人間だけで解決できる韓半島ではなかったということです。それを知っていたので、天意による摂理史的な韓半島とはどのようなものかを知っている先生としては、開拓の一路を準備せざるを得なかったのです。
(211-135, 1990.12.30)
韓国と日本が合同で北朝鮮を動かし、南北統一を主導しなければなりません。そうでなくては、韓半島と日本は、一体化できません。
(212-140, 1991.1.2)

 

韓半島統一は世界統一の模型

韓国を中心として統一を果たさなければなりません。そのようにすれば、次には韓半島を中心としてエバ国家である日本を一つにし、中共を一つにし、ソ連アメリカを一つにしなければなりません。既に、そのようにすることができる基盤を、すべて築きました。先生が、すべて築きました。この国に入ってきて、外的なカイン世界に基盤を築くための活動をしました。今まで、政治世界、経済世界の基盤を築くために、彼らのために活動したのです。統一教会ムン総裁に反対する人は、次第にいなくなるのです。既成教会に何人かの反対する人たちがいますが、今では、南北統一する人は、私しかいないということをすべての人が知っているのです。
(214-306, 1991.2.3)
韓半島が南と北に分かれましたが、これは世界が分かれたことを意味しています。今や、統一の運勢を集めて回ってこなければなりません。誰がこれを南北に分けたのですか。日本が分けたのです。ゆえに、南北統一の基金は日本が出さなければなりません。そのようにしようとすれば、日本の国民を教育して総動員しなければなりません。それができる人は、文総裁しかいません。それをするのです。南北統一の基金はどこで出さなければなりませんか。日本が出さなければなりません。
(226-134, 1992.2.2)


蕩減とうげん復帰において、日本は、失敗したイギリスに代わり、経済王権を中心としてアジアと全世界に影響を及ぼすことができる立場に立つようになったのです。ここで失敗すれば終わりです。ここでまことの父を迎えなかったので、大陸を失い、半島を失い、島を失ったのです。ゆえに、それを蕩減するために大陸に戻り、これを反対から蕩減しなければなりません。ここで、その大陸がアメリカであり、島が日本であり、半島が韓半島です。それで、大陸に戻ってくるのです。
(227-67, 1992.2.10)
アダムの怨讐おんしゅうエバであり、エバの怨讐がアダムであり、アベルの怨讐が父母であり、カインの怨讐が父母です。そして、アベルとカインの兄弟は、お互いが怨讐です。このように、すべて怨讐です。怨讐たちが闘って掌握しようとしている所がどこかというと、韓半島です。韓半島は、最後の歴史を終結させる場所です。これを文化史で見れば、共産主義と民主主義の決着点です。韓国と北朝鮮がそのようになっているのです。共産世界を代表して再臨復活した父親の格位に当たるのが北朝鮮金日成キムイルソンです。それから、民主世界を代表し、キリスト教を中心として再臨復活した父親の格位に当たるのが文総裁、真の父母です。父母が二人出てきたのです。
今までこの韓半島は、アジアにおいてアメリカや中国やソ連が手放すことができない立場にあります。日本は結婚していないエバであり、きらびやかに着飾った完璧かんぺきな美人になっているのです。ですから、ソ連も中国も、そしてアメリカも、これを取って食べたいと思っているのです。天使が堕落する時と、全く同じです。
(228-231, 1992.4.3)
ハナニムは、韓半島を愛していらっしゃいます。韓国だけを愛しているのではありません。今まで北朝鮮は、愛することができる立場になれなかったのですが、今からは、北朝鮮を助けてあげなければなりません。ヤコブエサウを助けてあげたのと同じように、すなわちヤコブエサウの長子権を受け継ぐために、受難を経ながら21年間、準備した財物をすべて捧げたのと同じように、文総裁にも、北朝鮮の人々を先頭に立てて、食べさせて、生かす道を開拓しなければならない責任があります。そのためには、カインの立場の政府と、アベルの立場の文総裁が一つにならなければなりません。
(228-235, 1992.4.3)
死ぬべき金日成を救ってあげたのが文総裁です。双子の兄弟と同じです。韓半島の双子でしょう? ゆえに、互いに殺そうとするのではなく、助けてあげなければなりません。エサウヤコブは兄弟でしょう? ヤコブが21年ぶりに帰ってくることによって兄の前にすべてのものを捧げたのです。エサウにとって祝福を受けた長子権を譲り渡すことは惜しいことでしたが、同じ兄弟の位置に立って福を譲り渡すことによって、イスラエルの王権が成立したのです。第3イスラエル圏にあるレバレンド・ムーンは、韓半島の南北を統一し、アジアの諸国圏を一つにしなければなりません。北と南はカインとアベルです。そのようにすることによって、イエス様がアジアで失ってしまった体を接ぎ木してあげなければなりません。
(228-239, 1992.4.3)


民主と共産に分断された韓半島は、世界の中心地であり、南北統一こそ世界の平和統一のかぎになるということを知り、今日まで私は、世界の各地で、この任務のために全身全霊を捧げてきました。昨年、1991年11月に、私が北朝鮮を訪問して金日成に談判したのもこのためでした。今や、世界のすべての宗教が統一される日も遠くはありません。韓半島の南北が統一される日も遠くはありません。
(229-80, 1992.4.10)
韓半島は、40年間、南北に分かれてきました。今、世界において第三次世界大戦勃発ぼっぱつの最も大きな危険性をもっている場所は、中東のイスラエル地域と韓半島です。この二つの地域です。これらは、すべて宗教的背後をもってぶつかっています。金日成主体思想は、サタンを中心とした宗教と同じです。北朝鮮は、完全にサタン的宗教圏です。その独裁については、到底、言葉では表現できません。この世界を統一できる宗教は、レバレンド・ムーンの統一教会しかありません。
(229-125, 1992.4.11)
今、世界には、宗教を中心とした中近東のイスラエル地域の問題と、民主主義思想と共産主義思想を中心とした、韓半島の韓国と北朝鮮の問題があります。この宗教と思想を背景とした両陣営の衝突によって第三次世界大戦が発生すれば、地上の人類は全滅します。そのような危険のまっただ中に立っているのです。誰がこれを平和の世界へと収拾するのでしょうか。
(229-125, 1992.4.11)
アダムとエバが一体化すれば、カインとアベルが統一の出発をするのです。そのようになれば、韓国と日本を中心として、アジアにおいて新しい理想的出発がなされるのです。アジアと西洋、すなわち東洋と西洋の一体化、そして、南北の一体化が成されるのです。それは、韓半島の南北のことではありません。南北における貧富の差のことをいっているのです。そして、東洋と西洋の文化の違いのことをいっているのです。ゆえに、世界的一体化は問題ではありません。
(230-292, 1992.5.8)
この国が40年前に先生を立てていれば、世界を主導できる長子権の王宮になっていたはずです。長子権の国になっていたはずです。第3イスラエル圏の定着国になっていたはずです。しかし、それができなかったので、二つに分かれたのです。イスラエル北朝イスラエル南朝ユダに分かれて闘ったように、韓半島が分かれたのです。これが再び回ってきて、文総裁を中心として統一的運勢を備えなければならなかったのですが、そのようにできなかったので、統一が成されませんでした。
(230-346, 1992.5.10)


韓半島が南北に分断されたのは、我が民族がそれを願ったのではなく、アメリカとソ連の2大国家、そして中国や日本など、周辺の強大国の影響によるものです。したがって南北統一も、私たちが韓半島の中に座ってただ統一を願ったとしても、それがそのまま訪れるのではありません。アメリカ、ソ連、中国、日本などが我が国を分断させたままで、国際秩序を主導している既存の状況を変えなければ、統一を成すことはできません。すなわち、韓半島を統一させる事業に、周辺の強大国が妨害するのではなく、協力するように、我が民族と韓国の主体的な影響力を養わなければなりません。
(231-8, 1992.5.11)

 

④ アダム国復帰のための摂理的展開

イ) 日本、アメリカ、ドイツを中心とした摂理
死亡の種を受けたエバが生命の種を受けるためには、アダムを中心としてカインとアベルの二人の息子を抱いてこなければなりません。いたとおりに刈り取らなければならないのです。第二次大戦時、島国であるイギリスは、エバ国家としてアメリカというアベル的な息子を生み、天使長であるフランスを抱かなければなりませんでした。カインとアベルを抱かなければなりません。そこに相対しているのが島国である日本ですが、日本は、エバ国家としてドイツとイタリアを抱いたのです。全く同じです。
ドイツのヒトラーは、キリスト教破壊主義者です。ゲルマン民族第一主義思想をもって、精神的に、思想的に、すべてのものを破壊しようとしたのがヒトラーの思想です。そして、行ったり来たりするイタリアは、天使長です。サタン側の母の前に二人の息子と同じ立場に立ったのです。これを世界的に清算する闘いが第二次世界大戦です。そのように蒔いたので、秋になれば「毒麦」は切って捨てなければなりません。それを切って捨て、一人の主人圏内のキリスト教文化圏に統一したのが第二次世界大戦です。
(207-269, 1990.11.11)
アダムとエバが堕落する前は、アダムとエバを中心としてハナニムと3人の天使長がいました。アダムを中心として見るとき、エバはアダムに従い、3人の天使長もアダムに従っていかなければなりませんでした。アダムを中心として、エバと3人の天使長がハナニムと一つになって天国に入っていくのが理想です。ゆえに、今、アダム格の代表である先生が、エバ国家である日本を動かし、アメリカを動かし、中国を動かし、ソ連も動かしているのです。それで、3人の天使長とエバ圏を迎える位置に戻ってきたのです。
(199-84, 1990.2.15)
韓国はアダム国家であり、日本はエバ国家です。なぜ日本がエバ国家なのでしょうか。日本は、島国です。島は、常に陸地を慕うのです。ですから、島国は女性を象徴するのです。これが韓半島と日本を中心として成立したのです。ここに3人の天使長と同じ国があるのです。そのアジア的天使長が中共であり、西欧キリスト教的な天側の天使長がアメリカであり、悪魔的な天使長がソ連です。これが、3人の天使長です。
(207-270, 1990.11.11)


イギリスは、エバ国家です。失われたアダム家庭においてエバが誤ったのです。その次は、カインとアベルです。カインとアベルが一つになれずに堕落しました。それを世界的国家形態で復帰し、結実したのがイギリスです。イギリスは、島国です。島国は、いつも陸地を慕います。これはエバを象徴するのです。母の象徴です。そしてアメリカは、アングロサクソン民族を中心としてエバ国が生んだ国です。ゆえに、アベルです。それからフランスは、天使長です。イギリスとも闘い、アメリカとも闘って怨讐おんしゅうですが、これが終末になって連合軍を中心として、イギリスとアメリカとフランスの統一が起きたのです。
(277-34, 1996.3.24)
今まで、先生がアメリカでしたこととは、アダム国家とエバ国家、それからカイン国家とアベル国家の復帰です。アダムが堕落して種を蒔いたので、これを世界的国家基準において蕩減とうげん復帰しなければなりません。韓国がアダム国家、日本がエバ国家、それからアメリカがアベルの立場です。長子権復帰を成し、主権復帰を成すために出てきたのがアベル国家です。それからドイツは、サタン側のカイン国家でしたが、日本がエバの位置に立ったので、ドイツが天の側のカイン国家になるのです。
この四つの国が世界的な舞台の上で、一つの国の伝統を立てなければなりません。その舞台がアメリカです。自由世界のキリスト教文化圏であり、世界を指導するアメリカにおいて、先生を中心として、日本人、ドイツ人、韓国人、アメリカ人が一つにならなければなりません。アメリカが滅びるようになっているのです。アベル国家型が崩壊してきているのです。このようなことを収拾しておかなくては、アダム国家とエバ国家の立つ位置がありません。いくらアダム国家の位置にいたとしても、これが完全に崩壊してしまってはいけません。ゆえに、先生は、これを収拾するためにアメリカに行くのです。また、それをするのは、韓国人と日本人を連れていってアメリカ人を教育し、ドイツ人と一つにさせるためです。これらは、怨讐の国です。すべて怨讐関係にある国です。
(141-224, 1986.2.22)
先生は、韓国をアダム国家、日本をエバ国家に立てましたが、アメリカに行ってすべてが出会うのです。カインとアベル、旧教と新教が結束した基盤の上で、今までアダムとエバを中心とした結束運動を12年間してきたのです。
(143-132, 1986.3.17)
エバ国家がすべてなし、アダム国家がすべてなせば、その次には天使長国家です。3大天使長です。中国はアジアの天使長、アメリカはキリスト教文化圏である西洋の天使長、ソ連はサタン側の天使長です。この3人の天使長がアダム国家とエバ国家とハナニムと一つとなり、本然の相続権が引き継がれれば、それによって初めて、堕落しなかった個人的エデンの園の、ハナニムとアダムとエバと3人の天使長の位置を世界的に蕩減復帰するのです。そこにまことの父母が設定されることにより、真の父母の名前がある所には悪魔の勢力がいなくなっていくのです。今は、その時が来たので、真の父母を世界的に宣布するのです。歴史は、そのように流れていくのです。この話は、私の話ではありません。
(209-297, 1990.11.30)


アメリカは摂理的に見れば倉庫番です。知識倉庫、軍隊倉庫、物質倉庫、科学技術など、あらゆるものをもっています。しかし主人ではありません。主人ではなくその管理人です。ゆえに、これらをすべて世界に分け与えてあげなければなりません。ところがアメリカは、何が何でもそれを独占しようとしています。倉庫は天がコントロールするのです。その倉庫をアジアに移してくるのです。
今はそれを日本がすべて引き継ぐのです。そうでしょう? 日本はエバ国家なので、天使長と一つになって失ってしまったものを再び取り戻すのです。エバがこのようにするのはアダムのためです。そうして、どこに行くのでしょうか。アダムの所に帰っていくのです。今アメリカは、韓国を捨てれば滅びます。カーターは、そのようにしたので首が飛びました。それは、意味もなくなされたことではありません。このようなことは、すべて摂理的見地からなされているのです。皆さんは、「なぜアメリカは天使長国家なのだろうか」と言って恨めしく思うかもしれません。しかし、キリスト教がそのようになっているのです。相対的です。再臨する時は、エバ国家を中心としてすべて民となるのではないですか。キリスト教文化圏は、新婦圏をつくるためにあるのです。すべての国は、天使長国家となるのです。
(210-185, 1990.12.19)

 

ロ) 第二次大戦前後の蕩減復帰摂理
イギリスは、エバ国家です。そのエバが息子として生んだのがアメリカです。フランスは怨讐おんしゅうです。この3ヵ国が連合国です。それから、枢軸国はどこかというと、島国であるエバ国家日本です。サタン側も神側と全く同じです。島国日本を中心として、ドイツもサタン側の息子のように極悪です。第一次大戦以降、日本は大東亜戦争を中心として、フランスの領土であるベトナムをあっという間に占領し、またシンガポールもあっという間に占領してしまいました。ドイツは、日本が自らの怨讐国をこのようにあっという間にやっつけるのを見て、「日本を中心として一つになれば、世界をのみ込むことができる」と考えたのです。それで、日本とイタリアと三国同盟を結んだのです。イタリアは天使長圏なので、行ったり来たりするのです。
(228-222, 1992.4.3)
キリスト教を抹殺しようとしている国々を中心として、本来のエバ国家であるイギリスの代身、また本来のアベル国家であるアメリカの代身、そして本来のカイン国家であるフランスの代身として立てなければなりません。キリスト教文化圏の代身となったものをすべてサタンがもっていったので、アダムの位置にアメリカを掲げておいてエバを選択するのです。ハナニムの好きなイギリスという頭をサタンが占領したので、ハナニムは仕方なくその腰となる日本をつかんでくるのです。その次には、アメリカの腰をつかむのです。その次には、ドイツの腰をつかんだのです。そのようにして、エバ国家、アベル国家、カイン国家の形態を再びつくりあげ、4000年の歴史を40年間で蕩減とうげんしながら、峠を越えていくのです。そのようにしなければ世界が滅びるのです。
(228-225, 1992.4.3)


キリスト教を中心としてエバ国家を代表したのがイギリスです。カインはフランスです。それから、アベルアメリカです。アメリカは、イギリスが生んだ息子と同じです。世界的にそのような種をいたので、そのような国が世界的に実を結ぶのです。そのように実を結んでこそ、お互いに闘ってきた国同士が、反対に天の側に復帰される立場となるので、イギリスを中心としてアメリカがアベル国家であり、フランスがカイン国家となるのです。この3ヵ国が一つになって連合国となるのです。サタン側はその反対です。日本はサタン側のエバ国家です。天照大神あまてらすおおみかみは女性神でしょう? これを中心として、サタン側のアベル国家がドイツです。ドイツは、歴史時代に600万人ものユダヤ人を虐殺しました。キリスト教全体を虐殺し、この世界を一掃しようとしたのです。
(228-282, 1992.7.5)
日本は、サタン側のエバ国家です。ドイツのヒトラーは、日本をはじめとしてイタリアと三国同盟を結びました。なぜでしょうか。ドイツにとっては、フランスとイギリスを打ち破ることが最高の目的となっているのですが、日本が、フランス領のベトナムとイギリス領のシンガポールを侵攻し、それをあっという間に飲み込むのを見て、「日本と同盟を結べば、アジア的な勝利圏を連結することができる」と考えたのです。そして、「このように一つになって勝利すれば、その時はドイツが主体となる」と考えたのです。「日本は大陸ではなく、海洋の国なので、日本が勝利しても大陸の主体である自分たちのあとに従ってくるしかない」と考えたのです。
(257-100, 1994.3.13)
神側の連合国と同じように、サタン側でも編成するのです。日本、ドイツ、イタリア、この3ヵ国が枢軸国です。同盟国を中心として見るとき、日本がエバ国家です。誰が闘いを始めたのかというと、東洋では、女性が先に始めました。東洋全体をまとめようとしたのです。また、西洋では、どうだったのでしょうか。ドイツは体を象徴しています。そのようなドイツが西洋全体を占領してまとめようとしたのです。全体的に見るとき、先に闘いを始めたのは日本であり、ドイツです。イタリアという国は、それについて回る、こぶです。
(235-49, 1992.8.28)
第二次大戦の時、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスと、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアが闘いました。これは何でしょうか。エデンの園で蒔いた種を、その蒔いたとおりに刈り取るのです。母親とカイン、アベルです。これがハナニムのみ旨の中で、内的なものと外的なものという二股ふたまたに分かれたのです。それゆえに、内的なエバ国家と外的なエバ国家、内的なカイン国家と外的なカイン国家、内的なアベル国家と外的なアベル国家として大きくなってくるのです。それが右翼と左翼です。
(239-262, 1992.12.6)
ハナニムのみ旨においては、2度選んで使うことはありません。しかし、アメリカを除いてしまえば、統一教会キリスト教、そして統一教会ユダヤ教の文化圏が分裂していくのです。それで、やむを得ず泣く泣くアメリカを選んだのです。なぜ、私がアメリカに行って闘わなければならないのでしょうか。それは、私がアメリカを選んだからです。ゆえに、エバ国家の日本人を連れていって、アメリカが失敗したものをすべて整えてあげるのです。アダムが蒔いた罪が世界的に実を結んだので、それをすべてめちゃくちゃに打たなければなりません。根本を見れば、ハナニム、アダムとエバ、そして3人の天使長です。これを見れば、韓国がアダム国家であり、日本がエバ国家です。ですから、交叉こうさ結婚をするのです。アダムとエバは、個人的に結婚することによって死亡世界をつくりました。しかし第二世は、韓国民族の二世と日本民族の二世が交叉結婚をするのです。政府が反対してみなさいというのです。
(197-269, 1990.1.19)


もしアメリカまで放棄していれば、自由世界とキリスト教文化圏は完全になくなるのです。誰がアメリカをアベルの位置に再び立たせたのかというと、私です。それは、ハナニムが選んだのではありません。一度、失敗すれば、それで終わるのです。しかし、父母によって誤ったものをアベルを通して救った歴史があるので、私がアメリカをアベルの位置に選び、イギリスの代わりのエバ国家として日本を選び、フランスの代わりにサタン側にいた、極悪なサタンの最も愛する怨讐国家ドイツを奪ってきたのです。
(204-288, 1990.7.11)
サタン側と天側の2種類の人を立てました。サタン側のエバ国家、サタン側のアダム国家、サタン側の天使長国家を立ててぶつかったのが第二次大戦です。ここでサタン側が屈服することにより、キリスト教文化圏がアメリカに入っていきました。新教文化圏がアメリカに入っていったのです。アメリカが韓国の統一教会と一つになり、ムン総裁と一つになっていれば、今日のようにはなっていません。共産主義は、出てこなかったのです。ゆえに、アメリカが韓国を手放せば滅びます。それで先生は、日本をエバ国家として育て、統一教会に反対したアメリカを天使長国家として育てたのです。それは、アメリカや日本が自らそのようになったのではありません。文総裁がそのようにしたのです。
(204-164, 1990.7.8)
私は、解放後の7年間で世界のキリスト教を統合する責任を果たそうとしました。歴史を代表して誇ることができる偉大な人物が、40年蕩減路程を経て、今日、70歳となって戻ってきました。ですから、アダム国家とエバ国家が統一されることにより、反対していた天側の天使長、アメリカ、アジアの天使長、中共共産党の天使長、ソ連、この3人の天使長が自然屈服して、韓国を中心として従ってくるようになる時は、世界におけるサタン世界の血統を根絶し、天国の血統と交替することができる平和の王国時代が到来するのです。
(197-271, 1990.1.19)
先生を中心として中共アメリカとソ連が一つになるということは、エデンの園でアダムとエバを中心として3人の天使長が一つになったことと同じなので、このようになればすべてが終わるのです。そのような環境で蒔かれたものが世界的次元に発展し、そこでそれを蕩減復帰して清算しなければなりません。ゆえに、韓国がアダム国家であり、日本がエバ国家であり、その周辺の国々が3大天使長国家です。ちょうどそのようになっています。


ハナニムとアダムとエバを中心として3大天使長圏ですが、その3大天使長圏がどこの国かというと、中国とアメリカとソ連です。これが今では、神側に反対しません。先生を中心として、すべて連結されたのです。
(207-327, 1990.11.11)
ハナニムとアダムとエバの周辺に3人の天使長がいたように、ハナニムを中心としてアダム国家を形成しなければなりません。個人的に蒔いたすべてのものが国家的、世界的に実を結んでこそ終わるのです。ですから、ハナニム、アダム国家、エバ国家、そしてその横に3人の天使長です。これは何かというと、韓国と日本がアダム国家とエバ国家です。そして、3人の天使長とは、アジアの天使長、天側のキリスト教天使長、それから世界的な悪魔側の天使長のことをいうのです。この3人の天使長が集まってエバを奪い取ろうとするのです。もし、アダムとエバを再びもてあそぶようなことがあれば、世界的にすべて終わるのです。そのようになれば終わりです。
(208-332, 1990.11.21)
来られる主が世界の全権をもって天地を統治する基盤を、すべて連結させ、統一王権を中心として世界を一つにしなければなりませんでした。それがハナニムのみ旨だったのですが、キリスト教文化圏であるアメリカを中心として統一教会の文先生に反対することにより、サタン圏内に完全に倒れていったのです。そのような状態で、文総裁が何ももたずに決起したのです。サタン側のエバ国家である敗亡した日本を支え、アメリカを支えたのです。
(242-124, 1993.1.1)

 

ハ) アダム・エバ・天使長国家の摂理
摂理観から見るアダム国家とエバ国家と天使長国家を、いかにして一つの国のようにするかということが問題です。この話は何かというと、今後は、韓国人、日本人、アメリカ人、ドイツ人が一つの家で暮らさなければならないということです。天国に行こうとすれば、それをここで準備しなければなりません。天国に、ドイツ人やアメリカ人や韓国人や日本人というものがありますか。天国では、すべて一つの国の人です。しかし、霊界はすべて分断されています。これを一つにしようとすれば、地上で一つにしなければなりません。地上で一つにして上がっていかなければなりません。それが問題です。
(173-71, 1988.1.3)
もし、イエス様が死ななければ、中国とインドを二人の息子のように抱かなければなりませんでした。それらの国が、それをしなければなりませんでした。母の格位であるイスラエルの国が、その新郎として来られるイエス様をアダムとして待る立場で、インドと中国というカイン、アベルを中心として一つにならなければならなかったのです。そのようにして、メシヤがアダム国家の主権を立てなければなりませんでした。しかし、イスラエル民族がメシヤに侍ることができなかったので、逆の方向に行くのです。ローマという半島から、島国へ回っていくのです。
(188-309, 1989.3.1)


宗教が果たすべき責任とは何かというと、オモニに侍る歴史的基盤を築くことです。それは世界的でなければなりません。そのような意味から、宗教圏を中心として世界が一つになれる摂理的帰結点をハナニムが考えざるを得ないとみるのです。その時がいつなのかというと、第二次大戦の時でした。それで、エバ国家、カイン・アベル国家、アダム国家を立てなければなりません。彼らがアダムとして来られるお父様に侍り、世界の頂上で接ぎ木をする工作をして、統一国をつくろうとされたのがハナニムのみ旨でした。歴史を、このように見なければなりません。
(193-189, 1989.10.4)
統一教会は異色な4大文明圏、すなわちアダム国家とエバ国家と天使長国家、そしてカイン・アベル国家、このように怨讐おんしゅうと同じ4大文化に基盤をおいたのです。すべて背景が異なり、相いれない立場にあるものを伝統基盤とし、出発基地としようというのは恐ろしいことだと知らなければなりません。これがどれほど偉大な事実か、ということを知らなければなりません。
それを出発点とするのは難しいことだと考えるかもしれませんが、それが統一教会において何よりも誇り得る伝統基地だということを知らなければなりません。
(129-234, 1983.11.6)
本来、かれたもの、すなわちアダムとエバと天使長が失敗したものを、国家的次元で収穫期の結実として、アダム国家、エバ国家、天使長国家を中心として蕩減とうげんしてくるのです。もし先生を中心としてイギリスとアメリカとフランスさえ一つになっていれば、韓国はアダム国家となるのです。天の国、縦的な国の主権を中心としたアダム国家となり、イギリスをエバ国家として率い、アメリカを長子として率いていたのです。アメリカは、アベル圏として世界の主導権を握り、世界の版図を率いるのです。世界の国家的な主導権を、アベル的立場に立ったアメリカが初めてもったのです。それ以外の国々は、カイン的立場です。そして、カイン的立場の国々は、アメリカに従っていくのです。ゆえに、長子権復帰の世界化時代に合わせて統一されたキリスト教文化圏時代の上に主が来られ、母子協助基盤と連結させれば、すべての問題が解決するのです。
(184-252, 1989.1.1)
ムン総裁がアメリカに行って成したこととは、世界的な西欧文明のすべての潮流をアジアの潮流へ引き込むことでした。今まではアジアから盗んでいったのですが、今からは引き込むのです。引き込むにおいて、その最初が日本です。日本は、エバ国家として祝福を受けたので、アダム国家を訪ねていかなければなりません。エバが堕落することによって、万物とあらゆる権威をサタン世界が奪っていったので、回復時代においては、世界の潮流が逆に流れる時代に入ってくるのです。イギリスを「日の沈まぬ国」と言ったように、今日、日本を中心として経済圏とあらゆる権限がアジアに集中するのです。そのようにして日本に従って、韓国を経て大陸に行き、そこで定着するのです。
(184-274, 1989.1.1)


 

⑤ 私たちが取り戻すべき祖国

イ) 祖国光復は人類すべての願い
本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのようになっていたのでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長となるのです。族長となると同時に民族長となるのです。また、国家の代表者となってアダム王となるのです。したがって、この世界は、アダム主義一つに統一されていくのです。つまらない主義が出てきて世界を攪乱かくらんしているので、私たちは、このような主義を根元から抜き取ってしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダム生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければなりません。このような主義が「神主義」です。ハナニムの心によってハナニムと一体とならなければならないので、「神主義」というのです。
(20-123, 1968.5.1)
アダムとエバが堕落していなければ、ハナニムは何をしてあげようとされたでしょうか。ハナニムは祝福による結婚式をしてあげ、ハナニムが喜ばれる息子、娘を生ませ、ハナニムが喜ばれる家庭を編成し、これを繁殖させて宗族と民族を編成しようとされたのです。これがさらに広がれば、その世界は「神主義」の世界であると同時に、アダム主義世界となるのです。
その世界に理念があるとすれば、それはアダム主義理念であり、宇宙観があるとすればアダム主義宇宙観であり、天宙観があるとすればアダム主義天宙観であり、生活観があるとすればアダム主義生活観です。そして、そこに五色人種がいることは問題ありません。それは環境によって変化したものなので、皮膚の色が異なったりしているのは問題ないのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が変わったのでしょうか。それは人類始祖が堕落することによって、天が分立させたのです。
(156-202, 1966.5.25)
ハナニムが創造された世界に国境はあり得ません。そこでは、白黒の人種は問題となりません。善悪の闘争も、そこでは必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちの住んでいる世界には、各国ごとに国境があります。そして、白黒の人種問題だけでなく、家庭における夫と妻、また父母と子女の間に分裂が起きています。善人と悪人が闘っています。このような状態を見るとき、来られる主は、国境のない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をすべて統一し、善と悪が争っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。
(53-72, 1972.2.9)
理想天国とはどのようなものでしょうか。統一教会食口シックのような人々が全世界で暮らすことです。それが地上天国です。この地上のすべての人々が統一教会の食口のように生きれば、それが地上天国です。それはどのような世界かというと、ハナニムと共に暮らす世界です。その世界では誰も、「ハナニムはいない」と言わず、またハナニムに対して疑うことがありません。ハナニムを「私たちの父」と言いながら、すべてが一つになる世界です。それから、サタンの誘惑がありません。サタンがいないのです。ハナニムが主管する世界、それが地上天国です。ハナニムが私たちと共に暮らすのです。
(79-304, 1975.9.21)


その国は、ハナニムを中心として直系の子女たちが天命に従い、ハナニムの代わりの命令をもち、その王権によって統治する国だということは間違いはありません。そこには民主主義や共産主義というものはあり得ません。一度形成されれば、その国家体制は永遠に続くのです。そのようなことを考えれば、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が悔しいことではないかというのです。私自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような国をもっていないことを嘆かなければなりません。そのような不変の主権をもっていないことを私たちは嘆かなければならないのです。
(72-292, 1974.9.1)
ハナニムの理想国家の実現、すなわち祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐おんしゅうを愛する思想をもった個人から出発するのです。それゆえに、ハナニムが存在される限り、「愛によって国境を壊し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こう」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆が出るし、小豆を植えれば小豆が出るし、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲くのです。同じように、恨みを晴らすサタンの種をけば、恨みを晴らす悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の道理です。
(107-18, 1980.2.21)
本然の地とは、どのような所でしょうか。そこは悪が宿る所ではなく、悪と絶縁し、あふれ出る本然の愛を中心として、幸福を永遠に謳歌おうかしながら暮らす永遠の統一世界です。今まで、そのような所で生活をした人はいたでしょうか。一人もいなかったのです。歴史上、数多くの人々がそのような世界を追求してきましたが、この地上にそのような世界が立てられたことはありませんでした。その世界がいかなる世界かを言葉で表現した人はたくさんいましたが、自ら実践してそのような世界をつくりあげた人はいませんでした。
(18-102, 1967.5.28)
今まで、世界の数多くの民族、あるいは五色人種がつくってきた文化圏の世界をすべて打破し、一つの文化圏をつくらなければなりません。言い換えれば、「神主義」的な家庭制度、「神主義」的な社会制度、「神主義」的な国家制度、「神主義」的な内容を備えた理想世界ができてこなければなりません。そのような主義が、堕落することのない完成したアダム主義です。共産主義でも民主主義でもない、アダム主義です。それは、「神主義」を尋ね求めていく過程です。主義というものは、ある目的を尋ね求めていくつえのようなものです。主義というものは、それ自体が要求されているのではなく、あくまでも目的を果たすために必要な過程です。したがって、この主義というものは変遷するのです。


今日、アメリカは民主主義の宗主そうしゅ国として先進国家だといっていますが、今後、金銭問題で腐敗することによって民主主義を嫌う時代が来るはずです。今、大韓民国にもそのような現象が起きています。民主主義は、良いことは良いのですが、我が国では金銭問題ゆえに、ありとあらゆる謀略中傷が起きて、「政権を奪取しよう」という争いが展開しています。それが民主主義ですか。それは、特権主義的な状態で展開する現象です。
(21-156, 1968.11.17)
南北が分離し、その貧富の格差が広がっているのを一つにしなければなりません。また、東西の文化を一つにしなければなりません。それから、人種差別、文化の差別をなくして一つにしなければなりません。何によって一つになるのでしょうか。これが絶対的な一つの愛から出発することができなかったので、この絶対的な愛によって宇宙版図の上に立てば、統一教会に反対する叫び声はなくなるはずです。世界は、老若男女を問わず、この愛のふろしきで一つに包まれるのです。それだけでなく、霊界にいるすべての霊人も、このふろしきに包まれることを願っているのです。ゆえに、天宙統一というのは可能な話なのです。
(195-122, 1989.11.5)
ハナニムがいらっしゃるということをはっきり知るようになれば、ハナニムのみ旨に従っていかざるを得ません。ハナニムのみ旨とは何でしょうか。この世界人類を御自分の愛される民族とし、この地球ぼしを御自分の愛される国土とし、この国土と民族を合わせて一つの主権国家をつくろうとされるのが理想世界、すなわちハナニムのみ旨です。
(56-192, 1972.5.14)
人は誰でも、自分の国で生きなければなりません。それは、人間に賦与された絶対的な条件です。一人も漏れることなく、その国と、その義のために、希望にあふれた義の生活をしなければなりません。理想郷を思い描き、生活で義の法度を立てながら、その国と、その義のために生きなさいというのです。皆さんに、そのような国がありますか。なければ、その国を探し出し、それをつくりあげなければならないのではありませんか。その国は、どのような国でしょうか。理想の国、統一の国です。万民が行ける国です。国をつくるにおいて例外はありません。ここには家庭も協助し、民族も、世界もすべて協助するはずです。そして、個人を統一し、家庭、宗族、民族、国家、世界を統一することができるのです。
(18-213, 1967.6.8)
普通、世界主義というと、民族と国家を無視して全世界を一つの国家、全人類を同胞として見るという意味にとどまりますが、統一教会において唱える世界主義は、家庭からその壁を超越するのです。父母であられる一人のハナニムと、血のつながった実の兄弟と変わらない全人類が、一つの世界を成し遂げるという世界主義です。これは、いかに素晴らしい世界主義でしょうか
(98-254, 1978.8.3)

 

ロ) 新しい祖国の定礎石をおこう
人間の力、人間の知恵、人間の文化、そのいずれをもってしても、まことの意味での平和世界や一つの統一された世界を願うことができない時点にあることを、私たちは知っています。このような立場において、世界文化を解決するために最も中心的な問題は何でしょうか。ハナニムがいるのか、いないのかという問題をはっきり解明することが、何よりも重要な問題だとみます。ハナニムがいらっしゃるということを全人類が知り、ハナニムのみ旨がいかなる世界を目指しているかということを知るようになれば、その世界は正に、一つの世界、平和の世界、理想の世界になるに違いありません。
(56-131, 1972.5.14)


私たち統一教会が違う点は、これです。統一教会は、父母を愛するように兄弟を愛し、民族を愛し、国家を愛そうというのです。父母を捨ててでも国を愛そうというのです。世界を愛するためには、自分の国も捨てなければなりません。また、天を愛するためには、世界まで捨てようというのです。より遠く大きいもののために、自分に近く小さいものを犠牲にする愛の道を尋ね求めていくのが統一教会の主流思想です。
(100-80, 1978.10.8)
皆さんは、民族主義者になりますか、それとも世界主義者になりますか。宗教は、世界主義というだけではありません。人間だけ喜ぼうという主義ではなく、ハナニムまで喜ぶようにしようという主義です。しかし、共産主義や民主主義は、人間だけが喜ぼうという主義です。そのような人間だけが喜ぼうという主義と、ハナニムまで喜ぶようにしようという主義とでは、どちらが良いですか。ハナニムも喜び、人間も喜ぶ主義が良いですか、それとも主人を除き、しもべたちだけが喜ぶ主義が良いですか。宗教は、ハナニムまでも喜ぶようにしようという主義なので良いのです。
(41-44, 1971.2.12)
最後に残る思想とは何でしょうか。世界のために自分の国や民族よりも世界を愛し、ハナニムを愛する運動だけが最後まで残る主義となり、思想となるはずです。したがって、その国を越え得る超民族的な運動を世界的に提示し、超民族的にハナニムが愛する場所、あるいは世界の人が愛する場所に自由に行ける道をいかに模索するか、という主義だけが問題になるのです。
(53-24, 1972.2.4)
今後、この世界を引き継ぐ主義思想は、自分の国を犠牲にしてでも世界を救おうという主義思想です。そのような思想をもった国、そのような新しい運動を中心とした国家や国民が登場すれば、この世には新しい希望の世界が顕現するはずです。国を越えられない国家観や歴史観は、ハナニムの理想世界を引き継ぐことはできません。
(51-44, 1971.11.4)
黄色人種は長男であり、黒人は2番目の息子であり、白人は3番目の息子です(注:ノアの三人息子の例)。韓国は、争っているこれらの人種を、「統一思想」を通じて統一することができるのです。このようになれば、ハナニムを中心とした理想的祖国が創建されるのです。そこから初めて平和の世界、統一の世界、勝利の世界に収拾されていくのです。


そして、地上に天国を形成すると同時に、ハナニムと一致しなければなりません。天上天国の主体であられるハナニムに地上で待り、統一された一つの天国を形成しなければなりません。これが、統一信徒たちの果たすべき使命だということを、はっきりと知らなければなりません。そのような基盤のもとで父母と一つになることによって、初めて平和な天国生活が始まるでしょう。
(79-83, 1975.6.1)
統一教会とはいったい何でしょうか。右翼を抱き、左翼を抱いて、これを互いにつかんでどこに行くのでしょうか。ここから闘争の世界を越えてハナニムが導かれる幸福の世界、ユートピアの世界へ行くのです。これを抱いて平面的に行ってはなりません。それは何の話かというと、体制によって没落し失敗したことを、統一教会が思想的にすべて収拾できる論理体制を備えると同時に、これを抱いて縦的に動かせる霊的体験の基盤を中心とした、超越的実体を追求しなければならないということです。
人間的な面での人本主義や物本主義、そして過去のあらゆる神本主義も体系的に理論化させ、それを統合できる内容をもつと同時に、縦的な面において宗派を超越して連結していける超自然的な体験の宗教思想になるべきだ、という事実を知らなければなりません。
(162-102, 1987.3.30)
皆さんの願う国とは、どのような国ですか。その国は、今日、皆さんが暮らしている、このような国ではありません。このような国は、いずれ決別を告げなければならない国です。皆さんがこのような国と因縁があるとすれば、それは罪悪の因縁があるのです。皆さんは、その国の願いとハナニムの願いが結びつく善の因縁を最初から結ぶことができない、堕落した人間の子孫として生まれた、ということを自らよく知っているのです。
(37-217, 1970.12.27)
国がなければ、国籍がないということです。国がなければ、入籍できる基盤がないということです。私たちは、民族を編成して新たに入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって愛国し、愛族する真の善の父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘となり、自らの一族、あるいは家族を率いて生きていってこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。
(58-145, 1972.5.22)
国があって初めて、私たちの子孫に、千秋万代にわたってそのまま残してあげられる伝統も残るのであり、血と汗を流した私たちのすべての努力も残るのです。また、ハナニムの勝利を祝う記念塔がこの地上に造られ、すべての栄光の痕跡が、この地上に残されるのです。しかし、国がなければ、すべては無駄になるのです。今日、世界のキリスト教に残された十字架やすべての文物も、ハナニムが探し求めようとされる国がなくなるような場合は、すべて川に流し、火で燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡ろうらくによって、すべて滅びていくということを知らなければなりません。ですから、国が問題です。そのことを皆さんは知らなければなりません。
(55-339, 1972.5.9)


真の父母の愛を受け、ハナニムの愛を受けなければなりません。しかし、ハナニムの愛は、国なくしては受けることができません。本来、アダムは、一人でも彼が国の始まりでした。サタン世界のサタンの国よりも良い国があってこそ、ハナニムの愛を受けるのです。私たちは、ハナニムの愛を受けはしますが、直接受ける立場にはありません。真の父母様の愛は受けることができますが、ハナニムの愛を受けようとすれば、国まで備えなければなりません。なぜそうなのかというと、サタンがいて、サタンの国が残っているからです。それよりも上がっていかなければなりません。
(90-116, 1976.10.21)
私たちが取り戻さなければならない祖国は、今日、この地上にあるような、ある歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは、本質的に次元が異なります。次元の異なるその国を私たちが受け継ごうとすれば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民とならなければなりません。その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者の願う国ができるためには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致することを願わなければなりません。そのような国民性と国家形態を備えなければなりません。
(49-93, 1971.10.9)
一つの国が形成されるためには、主権と民族と国土がなければなりません。天国も、やはり同じです。主権を代表したものが父母であり、民族を代表したものが息子、娘であり、国土を代表したものが国です。このうちのどれ一つとして、除けるものはありません。これは鉄則です。
(35-279, 1970.10.25)
国が形成されるためには、国土があり、民族と主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的なハナニムと因縁を結ぶことです。国を治める人たちは、その民が深く寝静まったのちにハナニムと因縁を結び、政治をしなければなりません。そして、主権者は、その民と一つにならなければなりません。民と一つとなり、自らにあるすべてのものは自分のためにあるのではなく、国のためにあるものだと考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。
(30-88, 1970.3.17)
いくら大きい国家であっても、それは人間に似ていなければなりません。それは、ハナニムがご自身の形状に似たものを喜ばれるからです。したがって、理想的な国家とは人間に似ていなければなりません。それは、天地人に似ているということです。
(26-183, 1969.10.25)
私が行ったり来たりするのも、その国を取り戻すためです。祖国光復のための建国の功臣となるためにそのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受け、今日の悪の世の中に来て、このことをしているという事実を思いながら生きていかなければなりません。そうでなくては、皆さんは、今後、訪れてくる国の国民として、その威信と体面を立て得ないということを知らなければなりません。
(50-254, 1971.11.7)


 

第13巻 真のハナニムの祖国光復

 

第1章 真のハナニムの祖国光復

 

1) 真のハナニムが願う祖国

エス様もまことのハナニムの祖国を創建するために来られ、先知先烈(注:先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちも祖国建設の役軍(注:担い手)たちでした。天国を創建するために、完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭を成し、子女を繁殖し、宗族、民族、国家を成さなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減とうげんし、接ぎ木し、この世界をハナニムが主管する祖国として創建しなければなりません。先知先烈たちがこれを願ってきたのですが、願う個人、家庭、宗族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは歩んでいた道を捨てて、行かなければなりません。
(15-278, 1965.10.30)
本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなかったならば、どうなっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは、族長になるのです。族長になると同時に、民族長になるのです。また国家の代表者になり、アダム王となるのです。
ですからこの世界は、アダム主義一つに統一されるのです。くだらない主義は、みな片づけなければなりません。くだらない主義がたくさん出てきて、世界を惑わしたので、私たちは、このような主義を根こそぎ引き抜いてしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダムの生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が「神主義」です。ハナニムの心情によってハナニムと一体とならなければならないので、「神主義」なのです。
(20-123, 1968.5.1)
私たちが住みたい所は、天の国、天国で暮らしたいというのが正しいのです。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言語は二つですか。違います。人種の違いがありますか。ありません。では天の国とは何ですか。人はみなハナニムの懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。ハナニムを中心として見れば、ハナニムの息子、娘ですから、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば、国民です。地上天国の国民なのです。国民だというのです。
(66-281, 1973.5.16)
私たちの目標は、統一世界、ハナニムを中心とした一つの国を築くところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心に一つの血統で連結されています。その国では、すべてが心情圏を成し、理想的な後継者になろうとするのです。聖書で「怨讐おんしゅうを愛せよ」と言う、すべてのものを成就することができます。
(御旨と世界-697)


ハナニムが創造した世界は、国境があり得ません。白黒の人種問題は、問題になりません。善悪の闘争も、そこには必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちが住む世界には国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にみな分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っています。このような現情勢を見るとき、来られる主は、国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をみな統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に、平和の王国をつくらなければなりません。
(53-72, 1972.2.9)
それでは、本郷の地と本郷の祖国はどこか、祖国は何を意味するのか。祖国はもちろん、ある特定の一つの国家的基準になるのですが、ハナニムが求めてこられた人類の祖国とはどこかといえば、地球ぼしです。この地球星です。この地球が人類の願う祖国だというのです。ハナニムが願う人類の祖国なのです。過去に数多くの歴代の私たちの先祖たちが犠牲の道を歩みましたが、彼らが希望をもって天の前に訴えながら歩んだことは何だったのか。「希望の祖国の一時が早く来るように」というものでした。
天の一つの国家を立てることにより、今まで天の前に怨讐である大サタンを審判してしまい、悪を取り除き、善のみを中心とした平和の天国をこの地上に築かなければならないというものです。それがハナニムの願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において、至大な貢献をした私たちの先祖たちの願いであったことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。
(155-321, 1965.11.1)
祖国は、アメリカでも韓国でもありません。いかなる所であっても、家庭の編成、宗族の編成、民族の編成が成された祖国の地がなければなりません。ハナニムは6000年の間、数多くの国家を経ながら、この地に築かれる天国を願いつつ、求めてこられたのです。天の忠臣、烈女がどこにいるかと求めてこられたので、今こそ私たちは、天を中心とした国家と民族、家庭を再編成しなければなりません。祖国光復の解放の日のために召された、ということを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるのに、自分一人が救われようという間違った欲をもっています。
(15-280, 1965.10.30)
統一教会のメンバーは、個人から民族、国家基準まで築いてきました。これからは全世界の人類と、すべての国家を動員しなければなりません。私たちは祖国光復、自由、平等、幸福の日を求めていかなければなりません。その道が難しくとも、行かなければなりません。それは、先生が見つめる観点であり、ハナニムが御覧になる基準です。イエス様は、この基準を目指して歩み、亡くなられました。


私たちは、祖国光復の過程において、苦労し、前進しなければなりません。この地の人類は、統一教会のメンバーを前に立てて行かなければなりません。統一教会のメンバーでなければ駄目だという時が来ても、3年は苦労しなければなりません。彼らが私たちのものを相続する時まで、伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければなりません。まだ私たちには、蕩減条件が残っていることを知らなければなりません。
(15-280, 1965.10.30)
ハナニムは悲惨なハナニム、ハナニムは孤独なハナニム、ハナニムは言い表すことのできないほど悲しいハナニムですが、このハナニムを解放するための旗手になり、第一線の将兵となり、「血を流しても正統に打たれ、血を流して倒れるとしても一度に倒れよう」と言える信念をもち、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために歩む勇士の隊列がだんだん大きくなれば、ここからハナニムの喜びが始まることでしょう。
(64-286, 1972.11.12)
今は摂理の時が、どのような環境になったかが分かりますか。天の国の祖国光復がなされ、ハナニムの地上天国が解放されること、それが第1の目標です。そのためには自分の家庭だとか自分の一族を犠牲にしてでも、やらなければならないのです。難民になったとしても、それをやらなければなりません。
(300-309, 1999.4.11)
一つのハナニムの主権のもとに、一つの国を建てなければなりません。皆さんがこれからハナニムを中心として、真の父母を代行する実権者である以上、地上に祖国光復、世界統一的な国家に税金を払う時が来ました。先生の財布から出たお金をもって、皆さん個人を助けてはなりません。天のみこころに従わなければなりません。ですから韓国は、韓国なりに責任を果たさなければならず、日本は、日本なりに責任を果たさなければならず、アメリカは、アメリカなりに責任を果たさなければなりませんが、この3ヵ国が一つの国です。父母の国と兄の国です。
(303-157, 1999.8.17)
今後、言語の統一をしなければなりません。父母様が成就したすべてのことに対する記録を読むのに、翻訳されたものを読むというのは恥です。天上世界の前に恥となるでしょう。天上世界に行けば、ハナニムの命令によって、千年、万年を蕩減しなければならないかもしれません。そのように大変な問題が起こるのです。その峠を越えられない人は、祖国光復をしたといっても、故郷に帰る道がありません。祖国に住める居住証がありません。国民として入籍できていないというのです。深刻な問題です。
(303-157, 1999.8.17)

 

2) 我々の祖国を求めていかなければ

私たちは、ハナニムの国を仰ぎ、慕います。そこは、愛がある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠の愛が存続する所です。また、自分自身が高められる所であり、自分の価値が100パーセント認められる所なのです。すなわち、永遠に幸福な所です。それゆえに人は、天国を慕い、憧憬どうけいするのです。
(25-284, 1969.10.5)


もしも、地上で国家を復帰することを自分の生涯で果たせなかった場合、皆さんは霊界に行っても、天国に属する人としての価値をもつことはできません。地上でハナニムの主管圏内で統治されたという実績をもち、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。
(40-131, 1971.1.30)
私たちの信仰の目標は、ハナニムの国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として万民あるいは万物世界に自由自在に誇り、愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つことになります。あえなく攻撃される場合が、いくらでもあります。それゆえ、ハナニムの願う国がどこにあり、ハナニムが足場とする国がどこにあるか、それが問題です。
(55-79, 1972.4.23)
私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局のところ永遠の天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえ得る福地を築くためです。
(14-193, 1964.10.3)
その国とは、ハナニムを中心として直系の子女たちが天命に従い、ハナニムの代身となるめいを受け、その王権によって治める、そのような国であることに違いありません。そこには民主主義や、共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が恨めしいことではないかというのです。自分自身がそのような国で暮らせないことを嘆かなければなりません。そのような一つの国をもてなかったことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもてなかったことを、私たちは嘆かなければなりません。
(72-292, 1974.9.1)
主権と国民と国土を復帰するために、人類は主権国家を立ててきました。その中で多くの人が死に、多くの民が犠牲となり、多くの国が滅び、多くの主権が入れ替わってきた事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった多くの人、天側にいる人、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、いつの日かそのような国、そのような世界を築いてくれることを願っているのではないでしょうか。
(72-292, 1974.9.1)
ハナニムは愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのみ旨を進行させてきましたが、現時点では、一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。
(30-10, 1970.3.14)


主権のない国の国民は、かわいそうなものです。ですからイエス様が心配して、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ6:31〜33)と言われました。「まず息子を求めなさい」と言われましたか、「国を求めなさい」と言われましたか。「ハナニムの求めている国を求めよ」と言われたのです。
(34-337, 1970.9.20)
エス様も、楽園に行って待っているのです。天の玉座の前には行けなかった、ということを知らなければなりません。イエス様は、ハナニムの前に国の主権を立て、国を治めて、地上から天国まで直通できる権限のある国をつくれなかったので、ハナニムの前に立つことができないのです。ですから楽園は、天国へ行くための待合室です。また、天国へは一人では行くことができません。本来、堕落しなかったならば、天国へはアダムとエバ、家庭単位で行くべきなのです。息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ行けないのです。
(56-201, 1972.5.14)
今まで宗教人たちは、なぜ生き残れないようなことをしてきたのでしょうか。宗教を協助できる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国のない民なのです。国があったならば、宗族が反対する立場に立ったとしても、その国の圏内に残る道があったはずなのに、今まで宗教を信じる人たちが、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのは、なぜでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて、国さえあれば、「おい、お前たち、これが正しいのだ」と言えば、「はい」と言うことになったのですが、国がないのでそうなったのです。国のない民なのです。
(56-159, 1972.5.14)
国がなかったとすれば、いくら幸福で良い家庭だとしても、馬賊ファンマチョクダン(注:馬に乗った盗賊)が出現したら、首をはねられるかもしれないのです。それゆえ国を求めなければなりません。宗教人は、そのことを知らずにいます。宗教人ははっきりと分かっていません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
(57-260, 1972.6.4)
国がなければ国籍がないのです。国がなければ入籍するための土台がないということです。私たちは民族を編成して、新しく入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を率いて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。
(58-145, 1972.5.22)
国があって初めて、私たちの千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげる伝統も残り、私たちが血と汗を流したすべての努力も残り、天の労苦をたたえ得る記念塔がこの地上に生じ、すべての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければすべて無駄なものになるのです。今日、世界のキリスト教にとって残された十字架やすべての文物も、天の求める国がないとするならば、すべて川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡ろうらくに倒れていくことを知らなければなりません。それゆえ、国が問題であることを皆さんは知らなければなりません。
(55-339, 1972.5.9)


私たちが求めるべき祖国とは、今日、この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。
そして、その主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者の願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致し得る国となることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。
(49-93, 1971.10.9)
国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的なハナニムと因縁を結ぶことです。国を治める人は国民が深い眠りについたあとで、ハナニムと因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして主権者は、国民と一つにならなければなりません。
国民と一つになり、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、天のためのものであると考えなければなりません。そうなれば、その国は繁栄するのです。
(30-88, 1970.3.17)
一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天国も、やはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中の、どれ一つとして欠かすことはできないのです。これは鉄則です。
(35-279, 1970.10.25)
一つの国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみると、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなくハナニムが主権者です。では、国民は誰でしょうか。国民は万民です。それでは、国土はどこでしょうか。地球ぼしです。
(96-15, 1978.1.1)
自分が行き来するのも、その国を求めるための、祖国光復のための建国の功臣になるために、そのような使命を負い、あるいは天の密使としての指令を受け、今日の悪なる世に来て、「このようなことをしているのだ」という事実を考えながら生きていくべきです。そうでなければ皆さんは、今後、来たるべき国の国民として、その威信と体面を立てられないということを知らなければなりません。
(50-255, 1971.11.7)


さあ、6000年間ハナニムに打撃を与え、苦しめてきたサタンが、そのままおとなしく、「ああ、我は降りる」と言って目を伏せて引き下がるでしょうか。皆さんは、ぼろの雑巾ぞうきんでも、捨てようとすればもったいないと思いますね。ぼろでも裏返しでにおいをかいでみてから捨てるでしょう。
サタンがそのまま引き下がるわけがありません。しぶとく闘いを挑んでくるのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会ムン先生も、中心から外れれば、折れて出ていくのです。方向が合わなければ発展しないのです。
(57-276, 1972.6.4)
統一教会のメンバーは、はだしで立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べて残ったものでは、この国を生かすことはできません。
いつ食べて、着て、移動して、そのようなことに気を遣っている暇があるでしょうか。はだしで、素手で開拓していこう、このようにしていくのが統一教会です。
(14-201, 1964.10.7)

 

3) 祖国光復の旗手

皆さんが責任を遂行するために誓い、三千里半島で新たな旗手になろうと誓って立ち上がるとき、大韓民国は、私たちの懐に帰ってくることでしょう。
それゆえ輝くひとみをもっているならば、その瞳は、栄光の祖国を直視する瞳と化さなければなりません。才能と力をもっているならば、それを祖国光復のために用いることができる勇士となり、皆さん自身が堂々とした姿で、「祖国光復のための聖別された責任者に代わる者となろう」という信念を感じながら前進することができなければなりません。
祖国を立て、祖国を輝かせ、祖国と共に生き、祖国の中で死ねる自分とならなければなりません。今まで天の前に、誰も果たすことができなかった責任、この一時に一度しかできないこの厳粛な責任をおろそかにしてはなりません。一度聞けば10のことを考え、一度聞いたことを10以上のものと比較していかなければなりません。「天の運勢をここに現すためには、自分が1000回恥辱を受けてもそれをものともせず、また、100の死の道があったとしてもそれをものともせずに行こう」という信念をもって進むとき、ハナニムは皆さんの行く道を守ってくださることでしょう。
なぜならば、先生が今まで歩んできた生活の中でそのようなことがあるたびに、ハナニムはお捨てにならなかったことを体験したからです。皆さんも、ハナニムが保護してくださることは間違いないのです。
祖国光復のための一つの主体的な使命者として、自分が任された一つのならば道、一つの部落ならば部落で、「この責任を遂行する者は自分しかいない」という信念をもち、絶対引き下がってはいけません。ここで背信者となってはいけません。天命に一致する責任を果たせなくてはなりません。責任の裏道(責任を避ける所)にいたのでは、この道を越えることはできないのです。


寝ることができなくてもやらなければならず、食べられなくてもやらなければならず、追われながらもやらなければならず、死ぬとしても決定を下してから死ななければなりません。皆さんがこのような決定的な使命を遂行しようと新たに決心して立ち上がるとき、皆さんの行く道は開かれるに違いありません。しかし、そうできなければ、先生が皆さんを立てて信じ、願ってきた希望の世界、光明の世界は、逆にやみの世界となるでしょう。先生は、このような問題を心配しているのです。
(29-50, 1970.2.16)
因縁を結んできた歴史とともに、因縁を結んできた事情とともに、深い涙ににじんだ心情を感じるたびに、ハナニムの心情をかき抱いて身もだえしなければなりません。そして祖国光復と世界解放の土台を私たちの手で、私たちの精誠によって築くために、闘いの場に向かって力強く闘っていかなければなりません。そのような皆さんになってほしいと思います。私たちが求めるべき希望の祖国を見いだす皆さんとならなければなりません。
(36-200, 1970.11.29)
皆さんが死地に赴かなければ、自分が救われないのはもちろん、大韓民国が滅びることになるのです。大韓民国の国民がすべて滅びたとすれば、どうしますか。そこに入ろうとしなければならないのです。もしそこで犠牲になったとすれば、民族を団結させ得る新たな世界史的な爆発的力の源泉がそこからわき出るのです。「進め! やるぞ!」と決意できる男らしい足並みとならなければなりません。そのような道以外に成し遂げる方法がないとするならば、「その道を通ってでもみ旨を成していこう」と、「そこに志操の碑を立てていこう」という天の息子がいるとするならば、それはハナニムの胸と骨と肉を一度に溶かし得る息子ではないでしょうか。祖国光復の伝統的思想は、そこから芽生えるのではないかということです。
(49-110, 1971.10.9)
そこへ共に行き、その涙の谷間を共に行き来するならば、皆さんは滅びることはないでしょう。ハナニムは、そのような人を捨てはしないでしょう。きたる希望の祖国は、そのような人を迎えるようになっているのです。
皆さんが世界史上になかった祖国を迎える最初の旗手となり、祖国光復の建国の勇士として登場するときには、千年、万年たたえられる群れになるのではないでしょうか。これは深刻な問題です。
(49-112, 1971.10.9)
今日、統一教会の群れは、金日成キムイルソンを中心とした北朝鮮共産党の骨髄分子が一つとなる以上に、先生を中心として、強く、完全に一つにならなければならないのです。それを凌駕りょうができなければ、ハナニムのみ旨を成し遂げることはできないのです。そうでなければ、ハナニムの願う新しい祖国光復はあり得ないのです。
(50-215, 1971.11.7)
女性が先頭に立たなければなりません。ですから今、韓国でも祝福を受けた家庭の女性をすべて一線に追い出しました。先に動員したのです。
韓国が本部国家なので、祝福を受けた皆さんの先輩家庭は、みな一線に出ました。それを知らなければなりません。ですから世界に散らばっているムーニーの女性は、すべてそれに従って一線に向かって出ていくのです。アーメン。
(170-241, 1987.11.21)


 

4) 私たちは祖国光復のための独立軍

皆さんが決心すべきこととは何でしょうか。祖国光復の1日を迎えることです。今日、私たち韓国の国民は、8月15日を光復節として記念しています。解放の日として記念しているのです。第二次世界大戦以降、多くの弱小民族が、自分の一つの国を中心として光復と解放と独立を記念しています。ところでハナニムを中心として、天地の光復の日と独立をたたえることができる日はいつ来るのでしょうか。考えたことはありますか。その日が来なければならないのです。
(155-223, 1965.10.30)
日帝時代末期に祖国光復のために、祖国の独立のために地下運動をして日本と闘争しました。今もはっきりと覚えています。私が血を吐くような場で、息が詰まり倒れるその場で、「私はハナニムの名によって日本帝国を屈服させなければならない」といって闘争しました。そのような場において、ハナニムは共にあるのです。
北朝鮮に行っても同じです。監獄に入れられ、追い込まれた場でも、ハナニムの名によって監獄へ行けば、ハナニムがついてくるのです。
(166-159, 1987.6.5)
私たちの生きている現世を、どんなことがあっても否定しなければならない運命にあるのが、今日の人類であり、人類を導いている様々な国家だと結論づけることができます。
それゆえ、この地上に生き、地上に存在する人類と国は、いずれ一つの峠を越えなければならないのです。歴史的伝統をそのままもっていては、まことなる理想の祖国、ハナニムの描く祖国の光復はあり得ないということを知らなければなりません。
(172-9, 1988.1.3)
ハナニムの祖国光復が私たちの目前に迫っている時点にあるというとき、そして、今日の韓国の地がハナニムの祖国光復の基地となるという驚くべき事実を知るとき、韓国民族は寝ていられるでしょうか。食べて遊ぶでしょうか。勝手なことをするでしょうか。「するな」と言っても昼夜を問わず生命を投入することでしょう。財産が問題ではありません。子と妻はもちろん、自分のすべてと韓国全体を投入してでも、これを成就させなければならないという義務感をもった大韓民国になるに違いないのです。そうなれば南北が統一されるでしょうか、統一されないでしょうか。それを知らなければなりません。
(172-41, 1988.1.3)
その基地はどこでしょうか。パンです。その班が、個人の前で「お前は祖国光復をなしたか」と問うときに、「なしました。私はハナニムが愛した本然の祖国、私たちの先祖が愛した祖国の上に立ちました。歴代の先祖が愛し、見たいと思っていたその場に立ちました。ですから、愛を中心としたハナニムの祖国のための復活体、祖国光復を願う父母と歴代先祖の希望の復活体、祖国光復を願う世界万民を縮小した復活体として、私は立ったのです!」という自負心をもたなければなりません。
(173-184, 1988.2.14)


今まで統一教会は、家一つ建てませんでした。私はビルを建てることができるのに、どうしてそれをしないのでしょうか。
私たちの教会本部を汝矣島ヨウィドに建てようとしたとき、政府が許可してくれませんでした。本堂を建てられない統一教会が、地方教会を建てるというのですか。祖国光復のために、ハナニムを迎えて万民復帰を主張するため殿堂を立ててから出発しなければならないのに、私たち統一家が一つ所に落ち着いて良い暮らしをしてはならないのです。
(174-172, 1988.2.28)
ですから「父母の日」から、祖国の光復を公布しなければならず、万国天下の伝統的な出発と一致しなければなりません。このような闘いをしなければなりません。これを失ったのです。ですからこれは、サタンのえさです。では、これを起こして成し遂げた人は誰でしょうか。サタンでも、誰でもみな、「ムン総裁は最高だ」と言うのです。父の国、再臨主の国、愛の救世主の国、天国の生命を中心とした愛の中心存在、天国の生命をもった中心存在として、ハナニムの血統を受け継ぎ、ここに真のオリーブとして登場し、ついにこの統一教会の群れを支え得る統一教会ができたので、これらを中心として、すべての既成教会の思想を切ってしまい、接ぎ木するということをなしてきたのです。接ぎ木されまいと騒ぎ、切るといっては大騒ぎしていますね。切ってしまわなければ、それは滅びるのです。
(191-263, 1989.6.25)
日本人が復讐ふくしゅうをするときは、自分の母一人、兄弟一人殺したといって、一生の間、命懸けで復讐します。これを知れば、私たちの祖国光復のための復帰摂理路程において、このような惨事に遭ったことを知る王の悲痛、民の悲痛は、どれほど大きかっただろうかということです。ところが、民であるこの人類がそれを知らずにいるのを見るハナニムは、なおのこと悲痛なのです。
(200-68, 1990.2.23)
ハナニムのものなのに、偽りの愛によってすべて奪われてしまったのです。ですから、ハナニムに帰らなければなりません。帰るには、そのままでは帰ることができません。蕩減とうげんしなければなりません。では、そのようなことを誰がしなければならないのでしょうか。数千年間宗教を通してなしてきたのですが、アメリカのキリスト教が韓国をアダム国家として保護し、イギリスとフランスと日本とドイツ、イタリアまで合わせて、祖国を光復させなければなりません。父の国を創建しなければなりません。そのためには絶対服従して、すべて真のオリーブに接ぎ木されなければなりません。
(200-301, 1990.2.26)
お母様の行く道は、先生の道のように困難であってはなりません。お父様の行く道に男性が反対しても困難はないのですが、お母様の行く道には反対する女性がいてはなりません。それを私が解怨かいおん成就するためにも、オモニの行く道は女性という従者がすべて後援し、「私を踏んで早く祖国光復と天地を解放し、ハナニムを解放する道を行ってください」と言える女性の橋が必要なのです。
(222-279, 1991.11.3)


ここにいる食口シックたちはみな、国を捨ててきました。自分の祖国を捨ててきました。なぜでしょうか。ハナニムが願う本然の祖国の地のため、祖国の光復のためにです。いかにアメリカが素晴らしいとしても、私の言うことを聞かなければ滅びるようになっています。このような独断的な決断を下してそのようなことを言う人は、通りがかりの客ではありません。それをすべて果たしたので言っているのです。ほら吹き者ではありません。すべて終わらせてきたのです。
(233-329, 1992.8.2)
過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復のために協助できる時が来ました。ですから多くの人々に先祖が入ってきて、統一教会に行かなければ、薬と病(飴と鞭)を与えるようなことが起こるのです。文総裁の力でそうなるのではありません。ハナニムと先祖、天使世界と先祖が一つとなって、地上をすべてコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心としてコーナーで手をつけることはできません。唯一、文総裁だけが全権をもって行使することができるという驚くべき事実を、この民族が希望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎するときには、天下無敵の国となるのです。
(290-172, 1998.2.18)

 

5) 祖国光復は真の愛によって

天の国、天国を建設する祖国光復において独立軍として戦いに出た女性は、歴史上どれだけ立派なことでしょうか。歴史上どれだけたたえられることでしょうか。堕落したエバ一人により、歴史的に女性がどれほどのろわれてきたことでしょうか。しかし、今、復帰時代において、女性が先頭に立って祖国光復のために勝利的基盤を築いたならば、それはどんなにたたえるべきことかというのです。
では、どのようにして勝たなければならないのでしょうか。銃剣で勝ちますか、何によって勝ちますか。女性が現れれば、サタンの男性兵士が女性のまことの愛を願うでしょうか。願いません。そのような者たちにどうやって勝つというのでしょうか。皆さんは、自分が女王であるかのように考えなければなりません。金日成キムイルソンは悪なる王であり、皆さんは善なる女王なので、自国のあらゆる権限をすべて悪なる王に、何も言わずに与えるのです。そうして整備しなければなりません。何によってでしょうか。真の愛によってです。
(170-241, 1987.11.21)
ハナニムが最も喜ばれるのは、愛の文化です。ハナニムはお金や権力、知識などが必要でしょうか。良い家を設計して建てるためには、レンガも必要で、ドアも必要で、多くの材料が必要ですが、その中でも最も重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。人間にハナニムが願われる最も大きな願いは、多くのお金をもっていること、学者になることではありません。聖書のみことばのとおり、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22:37)、これが第1の戒めです。第2に、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同22:39)と言われました。驚くべきみ言です。
(143-273, 1986.3.20)


今後、この世界の問題を解決し、人類の道徳問題をすべて解消するためには、堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた最後の絶望的終末現象なのです。これは人類を破綻はたん、滅亡させるためのサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれることはありません。歴史が解かれなければ、歴史を清算することはできないのです。それに対する代案を中心として、ハナニムの創造理想の代案を中心として、私たちの「神主義」に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、利他的なものです。愛の相対を創造しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。
(219–266, 1991.10.11)
アメリカの女性は、善なる女王のようです。現代のアメリカの全家庭において、女性は女王のような状態にあります。いつも夫に、「ああしろ、こうしろ」と命令するのです。ハナニムがアメリカの女性を訓練しているのです。お金もたくさんもっているし、宝石もたくさんあるし、力も強いのです。お金をたくさんもっています。お金、すなわち「マニー(money)」というのは、韓国語では「たくさん(많이マニ)」という意味です。
皆さんが宝石や家や、アメリカの土地の半分を金日成(キムイルソン)の肩に掛けてやれば、座り込んでしまうことでしょう。アメリカの半分を載せさえすれば、座り込んでしまうのではないでしょうか。そうでしょう。今、彼らは飢えて死につつあります。悲惨です。経済的に後援すればさっと変わります。ですからアメリカの女性が一線に立ち、「闘うのはやめよう。おなかがすいているでしょう。食べ物を送ってあげる。車も送ってあげる。欲しいものはすべて送ってあげる」と送り続けてごらんなさい。自然に解放されるのです。アメリカの女性がもっているお金をすべて金日成にあげれば、金日成は闘おうとするでしょうか。その次には、中共を通して食べ物も送り、着る物も送ってごらんなさい。
アメリカ人のように良い暮らしができるようにして、豊富に食べさせてあげれば、闘うことはしないはずです。ですから、ムーニーたちは、どうすべきなのでしょうか。苦労して飢えながらも北朝鮮の人に対して犠牲的に尽くしたとしましょう。そうすれば、北側の人は、それが分かったときに、銃剣でムーニーを殺すでしょうか。
(170-241, 1987.11.21)
人類は、すべて家族です。私たちは、一つの家族だというのです。すべて、真の愛によって関係した一つの家族なのです。きょうお話ししたことと同じです。人類は一つの木だということです。皆さんの家庭には、何人もの家族が一緒に住むのです。そこには、赤ん坊もいるし、少年もいるし、青年もいるし、壮年もいるし、老年もいるというように、みんないるのです。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための師範教育の場なのです。


自分の家庭を中心として関係をもっているおじいさんから母親、父親、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された4種類の人が散らばっているのです。ですから自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。それが復帰原理なのです。より大きな目的を完成するためには、投入しなければならないのです。それが復帰原理です。再創造原理です。
主体と対象になれば、さらに大きな対象を求めて、対応的な相対関係を中心とした主体と対象となり、一つにならなければなりません。それと同じことです。人類大家族化時代なのです。これは、家庭を中心として訓練された愛で、自分の家庭よりも大きなものを愛するということです。投入して忘れるならば、より愛するならば、どこにおいても主人となるのです。家庭よりも宗族が大きいので、宗族を愛し、宗族よりも民族が大きいので宗族を愛していた以上に民族を愛し、民族よりも国家が大きいので、民族を愛する以上に国家を愛するということです。
このように段階的により投入して忘れるのです。大きい分野に該当する道理に従って、より投入するという概念がなければなりません。この国から、あの国に移るときも同じです。国をもって世界へと上がるときには、国に対して尽くしてきた精誠以上の精誠を尽くせばよいのです。投入するところには、より投入すべきなのです。
韓国で暮らしてきた人が、ここウルグアイに来たということは、地の果てから地の果てまで来たことになるので、自分の国よりも愛さなければならないのです。そのように自分の家庭よりも、自分の国よりも愛そうという心をもっていれば、夢でも統一されます。国境がなくなります。今や地球ぼしは真の愛を中心として、統一祖国化時代となったので、このような思想さえもっていれば、どこでも通じることができるのです。1番目は、言語統一化時代であり、2番目は、人類大家族化時代です。これらはすべて、真の愛を中心としてするのです。
(289-208, 1998.1.2)
世界も祖国光復とともに自然についてくるので、一つの方向を中心として、民族が団結した世界と国家の形態をつくることができるのです。これがアダム文化でしょう? それは何かというと、真の愛の文化です。生まれるのも愛ゆえに生まれたということです。男性が生まれたのは自分のために生まれたというのでは、真の愛をすべて全面的に抱くことはできません。向こうの果てまで完全に抱くためには、無限に与え、与えて忘れなければなりません。そうすれば、宇宙が飛びついてくるのです。
今後、天国の世界では、給料をもらうという時代は過ぎていくのです。夫婦を中心として総蕩減とうげんをしなければならないのです。歴史時代においては、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が宇宙創造の原則です。愛ゆえに信仰も必要なのであり、服従も必要なのです。愛ゆえです。無限なる愛には、宇宙的なハナニムまでも服従するのです。ハナニムが投入してお忘れになるのですから、私も投入して忘れるのです。服従するのです。


愛を中心として絶対信仰です。愛を完成するためには絶対服従しなければならないのです。死んで、100回死んでも愛を必要とするがゆえに、その道を求めていかなければならないのです。それゆえ、霊界に行くということは死ぬことではなく、ハナニムの愛を求めていく道です。死ぬことではありません。ハナニムの愛を求めていく道だというのです。ハナニムが愛のために死ぬという道をつくったのです。それ以上の心をもっていなければ、愛を復帰することはできません。
(296-50, 1998.10.11)

 

6) 祖国光復のためにもつべき信念と姿勢

これから新しい時代を迎えて、どんな姿勢をもつべきなのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりも高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、6000年間ハナニムが待ちわびてきた祖国を建設する旗手となり、先鋒せんぽうに立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、このとてつもない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。
来ては去っていった多くの人が手に入れたいと願ってはきたものの、手に入れようにも手に入れることのできなかった、たった一つしかない、この時にしかない特権的な使命を背負っているという厳粛な責任感をもつべきです。食べて寝て、行き来するという生活全体が、祖国創建のためのものでなければなりません。
ハナニムから特別に遣わされた密使として、凛々りりしくこの使命を遂行しようと勇み立つことを、ハナニムはどれほど待ちわびてこられたことでしょうか。今まではひどく追い込まれ、ひどく追われてきました。
一度たりとも国家の足場を備え、全体の内容を提示して繰り広げられなかった天のそのみ旨、祖国を立てるための、そのみ旨を立てなければなりません。今まで一度もそのみ旨を立てることができなかったのです。
これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。またそこには、単一民族の血統がつながっていて、他の民族にはもち得ない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早い時期に完遂できれば、それだけ祖国光復の土台が自分によって徐々に近づくのです。今日、苦労の代価を払うということが、祖国光復の1日を近くに迎える土台となるのです。このような事実を考えながら、皆さんは、生きて密使の使命を完遂しようという決意をもって進まなければなりません。そうしなければ、この時代にハナニムが私たちにもたらしてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることはできません。
(29-40, 1970.2.16)


「ハナニムは私たちのハナニム、私たちはハナニムの息子、娘、私たちは祖国光復のために生きてきた。世界の至る所で追われても滅びることなく、復権する日を見るまでは死ぬものか。たとえ私たちは果たせずに死んだとしても、お前たちはその日を見てから死になさい」と子孫に遺言を残すのです。この思想が、すなわちイスラエルの思想です。
(18-231, 1967.6.11)
今後、私たちは、大韓民国をハナニムのみ旨の前に立てなければならないのであり、ハナニムの願う祖国光復をしなければなりません。新しい人類の祖国を光復しなければなりません。このような意味から、私たちの責任遂行を前にして冷徹に批判してみるときに、今まで私たちがつづってきた生活態度が、どのような意味での生活だったかを反省せざるを得ません。
(29-35, 1970.2.16)
ハナニムは、どのようなお方でしょうか。ハナニムは、密使の大王であられます。祖国光復のためにサタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官であられます。では、そのようなハナニムがこの地に向かって、「私がハナニムである。私が教えてあげられる真理はこれだ」と6000年の間に主張したことが一度でもあったでしょうか。ありませんでした。しかしながらハナニムは、私たちの澄んだ良心を通して指示し、きずなを結ぶために苦労してこられました。私たちの心の器を広げ、一致し得る自由な世界へと率いてきたのが6000年の復帰摂理歴史なのです。
(29-48, 1970.2.16)


 

第2章 家庭教会は摂理の内的基盤

 

1) 家庭教会とは何か

皆さんは、「ホーム・チャーチ」という言葉を聞いたことがありますか。家庭教会というのでしょう。ところで家庭教会というのは、昔はいくら「家庭教会」という名詞を知っていたとしても、事実それを迎えることはできなかったのです。なぜでしょうか。時が来ていなかったからです。そのような蕩減とうげん条件が、歴史の前にハナニムとサタンと歴史を代表した責任者との決定がなされていなかったので、いくらホーム・チャーチに入って、「これを世界の祭壇に完結させて捧げます」と言っても受けることができないというのです。サタンも認定しないというのです。
(100-146, 1978.10.9)
今、全世界の統一教会で、家庭教会活動が展開されています。堕落した人間たちは、個人復帰から世界復帰まで、先生のように一生、犠牲の道を通じて、天国に行かなければなりません。
しかし、今は、先生が築いた道に従っていけばよいのです。もう先生は、皆さんが走れる道をつくってあげました。皆さんは、先生が築いておいた道を蕩減復帰する条件を立てて出発することができます。それが360軒を中心とした家庭教会活動です。
皆さんが今年から家庭教会活動ができるという事実は、驚くべきことです。これは、人間が堕落の運命を抜け出すための運命的な道であり、生きてできなければ、死んででも行くべき道です。今や、個人から宗族、民族が、天の国民として編成される時になったので、統一教会は、この全歴史のすべての結実を総合し、一つの勝利的祭壇を築かなければなりません。そのようなことを担当するために出てきたのが、家庭教会活動なのです。自分の息子、娘よりも360軒のカイン世界を愛さずしては、入り得る道はありません。
ハナニムは、数千年の間、言い表すことのできない難しいこの道を築いてきましたが、私たちは7年間、360軒を中心として活動し、勝利の条件を経ることができるのです。このような家庭教会の基盤が、皆さんの目前にあるので、皆さんは行かざるを得ません。これは歴史的なすべてのことを網羅して、この世界を代表したハナニムの理想的完成であり、今日、人類がやるべきこととして、登場し得る家庭教会となるとき、間違いなく地上天国が実現されるでしょう。
家庭教会とは、360軒を中心とした祭壇を設定して、その家庭教会の祭壇に属した家々をハナニムのみ旨の中に立ててあげる活動です。このように360軒を中心とした家庭教会を実践し、完成する人は、個人的にはハナニムのまことの子女になると同時に、宗族そうぞく的メシヤになり、全体的にはハナニムの創造理想を実現することになるのです。


先生が100余ヵ国のすべての蕩減条件をみな立て、天地にふさがれた壁を心情的基準で連結させたので、皆さん自身もそのような世界を縮小した型を中心として蕩減条件を立て、現時点において天と地に壁がふさがらない、自分自ら動ける基盤を築いておかなければなりません。それが何かといえば、ホーム・チャーチ(家庭教会)だというのです。
(105-270, 1979.10.26)
先生は今まで、父母の名前をもって全世界の人類の前に、万民が個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、ハナニムにまで行ける蕩減条件を代表的に立てておいたのです。代表的に立て、勝利したので、この勝利の名前でそれを100パーセント相続し、皆さんが7年路程を経て、行かなければならないのです。
先生が一生の間に世界の舞台に成し遂げたことを、皆さんはできますか。ですから世界舞台を縮小した足場、祭壇が必要だというのです。それがホーム・チャーチだということを知らなければなりません。家庭教会です。分かりましたか。
(109-184, 1980.11.1)
統一教会が歴史上初めて、家庭教会という主題を立てることができたという事実は、ハナニムの前にも人間全体の前にも、極めて重要なことだという事実を知らなければなりません。先生が世界的に勝利したのに、皆さんは、わずか360軒を中心とした家庭教会で勝利できないでしょうか。
皆さんが家庭教会活動をするのは、ハナニムの代わりに、真理の教育と愛の教育をしに行くのです。家庭教会を通じて、父なるハナニムの愛と真理を教えなければなりません。
皆さんは、ハナニムに、どこで出会えるのでしょうか。レバレンド・ムーンは、世界の蕩減基盤を中心として各国で汗と涙を流す闘争の中で、勝利の土台を立てるところでハナニムに出会うことができましたが、皆さんは父母様の名を通じて勝利のそのすべてのものを相続し、皆さんが世界の舞台には行かなかったとしても、「世界に行った」と言える、そのような条件を成就したということが必要なのです。それが何ですか。家庭教会です。
(109-184, 1980.11.1)
そこが、万国の解放された家庭の出発地点です。堕落していない本然的なアダムとエバの、理想的な真の愛と真の生命の出発が宣布された所だというのです。これを編成するために、先生が「宗族的メシヤ」を宣布したのです。イエス様が家庭を求めてきたでしょう? ホーム・チャーチを知っているでしょう? カインの一族、アベルの一族が一つにならなければなりません。イエス様でいえば、ヨセフの支派と洗礼ヨハネの支派が一つになり、家庭を成さなければなりません。そのように家庭が策定されなければならないというのです。そうすればサタンが侵犯できません。そのようにして、宗族的メシヤの前に、イエス様の前に、すべての一族が抱かれることによって初めて、イスラエルの国で失敗した家庭本然の基準が、堕落していない基準へと復帰されるのです。
(235-111, 1992.8.29)


家庭教会の完成とは何ですか。新たな文化創建を主導する、アダム文化を再編成し得る主人になれということです。そうしてこそ、アダムの子孫になるでしょう。それでは、何が中心なのでしょうか。心情的基準が中心です。それでは、その心情とはどんな心情なのでしょうか。ハナニムが皆さんを見つめられたとき、心の中に「私は堕落した。復帰された息子じゃない」という堕落した観念を感じることなく、(ハナニムから)「我が愛する息子よ!」と言われるような立場に上がらなければなりません。「あいつ、統一教会に入って、ろくでなしのように、あっちにふらふら、こっちにふらふら、どじょうやうなぎのように・・・」などと言われてはいけません。
(110-54, 1980.11.8)
世界がまだ私たちの教会化した天国基盤になっていないので、家庭教会の組織を通じて、先生が40年の間、すべての蕩減条件、ハナニムの愛を中心とした所有の決定的権限を完全に編成し、「勝利した」という印を押さなければならないのです。サタンが公認し、ハナニムが公認した立場で、「勝利しました」と言い得る決定をしてこそ、愛する父母は、愛の勝利の所有決定権を皆さんの前にすべて相続してくれるのです。それは真の父母という名前をもったがゆえに、皆さんが相続し得るのであって、そうでなければ相続できないのです。
(137-301, 1986.1.3)
皆さんは、ホーム・チャーチをしながら、ありとあらゆる人にののしられなさいというのです。冷遇されなさいというのです。自分が冷遇されるときは、ただされるのではないのです。私が冷遇され、罵られるのはなぜかと言えば、妻を生かすために、息子、娘を生かすために、そうするのです。その息子、娘を抱き締め、妻子を抱き締めて、夜を明かしながら、止めどなく涙を流さなければなりません。冷遇されるたびに、「これはどうしたことだろう。この道を行くのに、こんなにも反対するなんて・・・」と言って涙を流すのは、悲惨なことではありません。この世で涙を流すすべての悲痛な人々よりも、切なる天の価値のために涙を流す立場に立ってこそ、これが谷となり、この世から流れて入ってくるのです。そうしてこそ同情して、一つに絡み合って出てくるのです。
(181-286, 1988.10.3)
私が統一教会をつくり、統一教会に残してあげた宝があるとすれば、これです。家庭教会は、私が一生の間、犠牲の道を歩んで残してあげた宝です。統一教会の教会員たちに残してあげられる宝とは何でしょうか。統一教会の権限を天と地から、あるいはサタンとハナニムから堂々と相続し得るという、これが宝です。それでは家庭教会が完成するときは、「統一教会」という名詞があるでしょうか、ないでしょうか。ハナニムの摂理はあるでしょうか、ないでしょうか。私以外の家庭教会未完成圏では、あるかもしれませんが、私自体に成された家庭教会圏内では、ハナニムの摂理も宗教もありません。そこは、天国人が住む所です。
(108-334, 1980.10.19)