八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 7-5

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1977-2012

【天啓の御言】(7-5)

 


私の命令どおりに統班撃破を一度やってみなさい。長くはありません。7ヵ月さえ死ぬつもりで、足の裏に豆ができるほど一度走ってみなさいというのです。お金もかかりません。これからは私が、「ここまで来なさい」と言わないでしょう。私があなた方の故郷に行くでしょう。みな行けばよいのでしょうが、今、ソウルの洞だけでも3300あり、統だけでも1万2000あり、班だけでも12万もありますから、みな行くことができますか。全部は行けないので、推薦してもらい、行って、会うつもりです。皆さんがみんな素晴らしい統班撃破をして、ハナニムが誇り得る家門を代表した家庭が成されれば、自動的に福を受けるでしょう。そこで幸福の礎が形成され、自由の旗がなびくことでしょう。
(209-48, 1990.11.25)
ソウルは最近、みなびりだというのです。もともとは、みな故郷に行くのです。故郷に行くのに、これから6ヵ月の間、期限を決め、みな統班撃破をできる組織をつくり、そこに有力な人、既成教会に通っていた将軍たち、長老級がいれば、将来、そこにみな配置しようと思います。ソウルは、そのように全部配置しようと思います。40日さえ修練を受ければ、いくらでも導くことができるのです。将軍クラスの人たちは、連隊長などをやったことがあるので、組織とか大衆を指導する上では、皆さんはかないません。
(198-41, 1990.1.20)
愛の世界には、ハナニムを私の相対にできる特権があるというのです。大きい、小さいを問わず、そうだというのです。自分が統班撃破の分野で血と汗を流し、基盤を築き、1から100までいっぱいに愛があふれ出ることができるように、るつぼをつくっておき、主人の立場で、「ハナニム、一度いらっしゃいますか」と言うとき、ハナニムが来て、「どけ」と言うでしょうか。「あなたが案内しなさい」と言うのです。「どこに座るか」と聞くようになっているのであって、自分が勝手に座ることができますか。この世の道理がそうです。
秩序を立てたハナニムは、被造世界の段階を知っていらっしゃるので、自分が座り、立つ位置を知っていらっしゃるのです。分別のない人に対して、「あいつは座る位置、立つ位置をわきまえて生活することを知っているか」というようなことを言うでしょう。同じです。
(208-211, 1990.11.18)

 

④ 教学統連と二世中心の摂理

別に全名門校出身の全国大会をして、道を中心として地方組織の責任者たちを選定するのです。道の責任者、グンの責任者、ミョンの責任者、トンの責任者、パンの責任者まで選定すれば、これが統班撃破トンパンギョッパの活用基盤になるのです。このようにしておけば、その名門の中学、高校の出身者たちが大体、ソウル大、高麗コリョ大のような名門大学出身に連結されるので、名門大学出身全国連合会が自動的に編成されるのです。
(214-339, 1991.2.7)


本来、私がアメリカへ行って話すとき、統班撃破時代に教授たちを中心として、中学、高校の先生、小学校の先生まで、いちいち対談して、させたのも、みな父兄たちと連結するための作戦なのです。それで勝共連合の組織をつくり、国民連合の組織をつくり、みなつくったのですが、これをしなければならなかったのです。これができなかったので、共産党共産党のままのさばり、みな死の地にしてしまったのです。それに一人ですべて闘ってきたのではありませんか。
(207-169, 1990.11.9)
統班撃破運動を教授たち、中学、高校の先生、小学校の先生たちを中心として連結させるのです。彼らを連結させれば、すべて終わるのです。既成教会が「歴史の何がああだこうだ」と言って、反対しますが、みなきれいに越えていくのです。共産党まで、みな座って消化できるのです。
(205-297, 1990.10.1)
こうして、そこに関係のあるすべての教授たちの前に・・・。ある教授は故郷がどこで、というようなことがすぐに出てくるではありませんか。100個すべて郷土学校の基盤を中心として、さっとつくり、「ホーム・チャーチの責任者、来い」と言って、夕食は教授たちがごちそうしてもよいのです。そうして組織して、共産党を防ぐための地方においての統班撃破、里洞撃破リドンギョッパをしなければ、共産党に食べられるのは実際的問題です。
(187-21, 1989.2.7)
統班撃破、それはカープ(CARP)が主導の役割をしなければなりません! 中学、高校の学生たちは、将来、大学生になって、二世たちを包摂ほうせつしなければなりません!
(198-7, 1990.1.20)
今の時は、学舎(注:韓国の原理研究会の寮)を動かすことを重要視しなければなりません。あなた方はみな、統班撃破に責任をもち、今、教育をしているのではありませんか。二重作戦です。行動部隊として今、学舎が立ち上がったので、全面的に後援しなければなりません。それで、新聞社を早くつくらなければなりません。急がなければなりません。
(181-156, 1988.9.5)
今回、どんなことがあったのかといえば、南北統一運動国民連合をつくり、全国的に統班撃破運動をしてきました。そこにミョン長の半端者たち、支署長の半端者たち、警察署長の半端者たち、郡守グンスの半端者たち、「どこどこの大学を出た」と言って、腹を突き出し、腕を振り回して歩く者たちが加担しました。また、そこの面の委員長が誰かといえば、大学教授たちです。みな大学教授たちが配置され、国を生かそうとするのに、ここの新聞記者の先生たち、自分の故郷を生かすのに加担しますか、加担しませんか。答えてください。やりますか。国を生かすためにもっとやらないと。世界を生かすのにはどうですか。国を売ってでも世界を生かそうとするならば、その民族は世界の祖先の民族になるのです。
(179-202, 1988.8.12)


国が必要であり、世界が必要です。これを探していく道がありません。このように見るとき、皆さん教授自身も、垂直的愛に90度の角度の水平線で成す愛圏を中心とした、愛の球形の理想を成すべき宇宙史的本然の追求を抜け出す道がありません。それは何のことかといえば、ムン総裁の言うことを聞けということです。そうでなければ、これに合わせることができません。これをやっておけば、さっと合わせれば、どこに行きますか。家庭に行きます。それで統班撃破とは何かといえば、家庭に帰ってこれに合わせるのです。
皆さんは文総裁の息子、娘なので、私が世界的に築いたすべての心情圏、同参権、同位権、相続権とその価値まで、無条件に丸ごとあげたので、故郷に帰って家に行き、根を下ろせというのです。皆さんが根さえ下ろし、垂直にしっかり立てば、文総裁により、世界的情的版図をそのまま相続し、同参できる勝利的栄光の立場に上がるというのです。理論的です。まことの父母は絶対的です。ですから、宗教でメシヤが絶対に来なければならないという結論がここから出てくるのです。
(176-124, 1988.5.3)
「国民連合でも勝共連合でも統一教会でも、あなた方が働くべき場所は、現在の事務室ではありません。統班撃破、これをやって、闘って闘いなさい」と言うのです。誰が班に行き、多くの影響を与えるのか、誰がドンに行き、北韓解放の勇士になろうという人を多く加入させるか、地区長、あるいは議長団のもとに自分に属した族属たちをたくさんつくるのかということを競争しなさい。それを発表しなければ、みな崩壊していました。教授たちは考えもしなかったでしょう。責任をもった文総裁は、どんなに頭を使ったか分かりますか。それで結論が何かといえば、中央までも、すべての郡でも、面までも、教授たちがトンパン長をしなさいというのです。教授たちは、みなふろしきを包み、家庭に行きなさいというのです。
愛国の根は、家庭に植えなければなりません。面の事務所、郡の事務所ではありません。家庭に根を下ろさなければなりません。さあ、文総裁が統班撃破しなさいと宣言したのは正しかったと思いますか、間違ったと思いますか。教授たち、正しかったか、間違いましたか。それでは、統班撃破をしようと夜を明かしてどれほど歩き回りましたか。それが問題です。自分のお父さんが亡くなった時の悲しい心情以上の心情をもたなければ、国を生かすことはできません。自分のお母さん、自分の一族が死んだ以上の悲しみを感じなければ、南北統一はできません。私は、そのように見る人です。教授たちが家に入って手を取り、涙ながらに、「南北統一をしよう」という、むせぶような一言は、どの教師の千の言葉よりもまさると見るのです。
それで教学統連をつくっておき、班町内を生かそうというそのような教授がいるとすれば、学生たちと連結させ、その息子、娘たちをみな糾合せよと指示しました。
(176-112, 1988.5.3)


 

⑤ 宗族的メシヤ活動と統班撃破

本然の故郷の地に帰らなければなりません! これが原理観です。これをどうやって否定しますか。理論的な結論です。そうではないと言う人、手を挙げてください。否定できますか。服従する道以外にありません。それで今、韓国でそのようにしているのです。還故郷しなさいと言って、自分の村の統班撃破トンパンギョッパを完遂した基盤の上に国家基盤を完遂しなければなりません。各家庭の出発点を立てて、蘇生そせい、長成、完成を通るのです。家庭は蘇生で、トンパンは宗族で長成になり、国家が完成になるのです。家庭にこの三つが連結されなければなりません。そうでなければ、宗族を連結できず、国家を連結できず、世界を連結できません。
(218-184, 1991.7.28)
統班撃破をなぜするのですか。今まで政府が私に反対してきたのは、ムン総裁が家庭まで入れば大変だと思ったからです。文総裁が定着すべき所は、政府ではありません。政府には平和の基地がありません。大韓民国ではありません。それではどこでしょうか。家庭です。アダム・エバの家庭です。家庭を中心として堕落したので、家庭を正さなければなりません。偽りの父母により、家庭が破綻はたんしたので、まことの父母が出てきて、家庭を正さなければなりません。
(203-252, 1990.6.26)
これからは統班撃破のために、全国の3600個のミョンと統を中心として、組織を編成し、完全に配置するでしょう。ここ本部にいる人もよく知っておいてください。これからは、ここが自分の故郷ではない人がここに参席したならば、みな張り飛ばします。なぜでしょうか。宗教世界において、還故郷というプレゼントをあげたのに、なぜ行かないのかというのです。
(197-207, 1990.1.14)
今、宗族そうぞく的メシヤの使命を果たせば、自動的に大韓民国は解放されるのです。これが何かといえば、統班撃破に連結されるのです。一族を中心として、統班撃破、これが決定される時には、共産党は存在できません。ですから韓国で、個人的にサタンの讒訴ざんそ圏を抜け出ました。
先生が国家基準まで、実体を中心としてアメリカを中心として築いてきて、アメリカを中心とした国家の勝利的基盤をもたらしたので、ここで大韓民国が国家を経て、世界に行くことができる道を先生がここに接ぎ木して、宗族的メシヤ圏を中心として、4000万民族をさっと連結させることにより、これが一つになったというときには、皆さんの家庭にはサタンが讒訴するところがありません。個人で讒訴できる基盤を越え、家庭で、宗族で讒訴する基盤を越えました。三つの宗族を連結させれば、民族が編成されるのです。
(188-315, 1989.3.1)
宗族的基盤さえ解決すれば、民族は自動的に編成されるのです。そして、これからのことが何かといえば、統班撃破問題です。統班撃破は宗族圏から始まるのです。部落といえば部落、統・班は、みな宗族圏内にあります。それで先生が今まで、統班撃破という言葉を使ってきたことを知らなければなりません。これから宗族的メシヤになれば、統班撃破が完了できますか、できませんか。完了できるのです。


それでは、皆さんは、どのように動かなければならないのでしょうか。先生が一生を懸けて苦労した、すべての受難の道を推し量りながら、涙とともに自分の故郷、父母兄弟が、自分の親族のために、泣かなければならない時が来たというのです。涙でもってエデンの園で別れざるを得なかった親族が、みな四方八方に散らばり、数多くの怨讐おんしゅう国家と闘い、滅び得るサタンの地域になっていたのが、今や再び戻り、涙をもって一つになり、万国を収拾するのです。一つの愛を中心として、万国を代表した家庭を通して、涙で出会うことにより、そこに解放の旗が立てられるとき、万国はそれを中心として永遠に戻ってくることができるというのです。
(187-173, 1989.2.5)
統班撃破という言葉は「破壊せよ」というのではありません。その言葉をもって問い詰める人は、「統班撃破が何だ。統班消化と言うとか、解放とか言ったらいいのに」と言うかもしれませんが、ひっくり返さなければなりません。なぜですか。そこには偽りの愛が残っていて、偽りの血筋が残っていて、自分のために生きよという偽りの生命があるからです。これをひっくり返さなければなりません。それで「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言いました。あなたの家の家族が怨讐だというのです。必ずそうです。その道を行こうとすれば、お母さん、お父さんが、「狂った子だ」と言います。
(203-252, 1990.6.26)
統班撃破の意義を知らなければなりません。家庭基準を中心として、思想的な面で180度、真の父母の心情圏に帰らなければならないというのです。
(204-320, 1990.7.11)
私が語る言葉は、私のものではありません。万民のものです。天地のものです。愛で私に伝授された父の伝統を引き継ぎ、私も真の父母の因縁をもって無条件で皆さんに与えるのです。私が与えるには、血と肉と精誠を付け加えて与えようというのです。そのような誠意ある気立てを見習い、皆さんの奥さんの心、息子、娘の心、隣人である皆さんの村、さらには、統、班に与えれば、統班撃破がみな終わるのです。
(199-374, 1990.2.21)
アダムとエバは家庭から出発できなかったがゆえに、結局のところ、宗族的メシヤが家庭定着の問題を解決しなければなりません。それゆえ、韓国で統班撃破運動を展開したのです。家庭が定着できるようにするために、今、韓国にいる家庭に先生の写真を掲げる運動、旗を掲げる運動をさせているのです。それは何かというと、完全にサタン世界と天側の世界を分けることです。初めて家庭に、真の父母様のお写真を迎えることになるのです。
(218-124, 1991.7.14)


今、統班撃破において、、統の組織を先生がすべてつくりました。8万世帯に該当するすべての家庭に、父母様のお写真と旗を分けてあげ、7月の3日から9日まで、真の父母宣布、救世主宣布、メシヤ宣布、再臨主宣布まですべてしたのです。再臨主宣布とは何でしょうか。真の父母です。メシヤとは何でしょうか。再臨主のことです。
(238-336, 1992.11.22)
本然の心情が爆発する一つの起源とならなければ、山頂を越えていくことはできません。ヒマラヤのような山頂を越えることはできないのです。何をもってでしょうか。愛の力をもって、死ぬ、生きるということが問題ではないのです。その反面、外部の世界は、国が合わさり、一つとなって反対するのです。その反対する渦中に責任をもち、行って撃破しなければならないのです。先生一人で闘うのです。私は、アメリカに行っても闘ったのです。個人的に撃破! 統班撃破でしょう?
(214-114, 1991.2.1)
南北統一時代になすべき第1のことは、統班撃破です。今、叫んでいるのが統班撃破でしょう? 統班撃破を通して先生のお写真を掲げ、それから先生の思想を教えてあげるのです。真の父母様とは誰であるかを教えてあげるのです。
(212-138, 1991.1.2)
「還故郷しなさい」と言いましたね。私も大韓民国へやって来て、頂上をすべて吸収しました。文総裁といえば、「ああ、あの方は愛国者だ!」と言うようになっているのです。優れた人物だと言われる人々にも、「こういうわけで南北統一総選挙に備える全国大会をするのだが、反対しますか、支持しますか」と言えば、「どうして反対などしましょうか。支持します」という通牒つうちょうを受けてするのです。今までは、そのような通牒をすることもありませんでした。もしも反対するならば、私が力比べをしてさっさと押し出してしまいます。私が手を出せば、すさまじいのです。いくら大きなことを言っても、しおれてしまうのです。そういうことを知った上で統班撃破をしなければなりません。
(213-51, 1991.1.13)
統班撃破というのは、行って銃剣で脅迫し、恐喝せよというものではありません。愛のみことばと、愛の実践を通し、夜も昼も活動するならば、おじいさん、おばあさんがタバコを吸い、酒を飲みながらも、あるいは悪いことをしながらも、「うちの息子、娘たちも、あの人たちを見習うようにしなければ」と統一教会を褒めるのです。すると、酒好きの悪魔も、そこから逃げていくのです。けんかしていた者たちも、統一教会に入教してからはけんかをしないのを見て、「うちの息子、娘たちも統一教会の信徒のようになったらいいのに・・・」と思うならば、サタンはみな逃げていくのです。何のことか分かりますか。
(212-100, 1991.1.2)
家庭に基盤を築けば、180度変わるのです。それゆえ、きのうもお話ししましたが、父母様の写真を掲げなさいというのです。そうすれば、父母様の命令と一致し得る立場となるので、あたかもモーセ竿さおに蛇を掲げたのを見た人は生き残ったように、生きるのです。全くそのとおりです。
私たち統一教会の旗を見てのろうようなことがあれば、今後、目がおかしくなったり、様々なことが起こったりするのです。皆さんが精誠を尽くして掲げないから、そのようなことが起こらないのです。写真を掲げるのも、精誠を尽くして掲げれば、指をさして悪口でも言おうものならば、指が曲がるなど、いろいろなことが起こるのです。精誠を尽くしていなくて、そうだというのです。
(218-72, 1991.7.2)


統班撃破のために家庭を訪ねていくのです。アダムとエバの家庭からすべて失い、それが国と世界を失う起源となったので、これからは先生が世界から蕩減とうげんし、大韓民国の家庭をすべて包み込み、方向転換する놀음ノルゥム(遊び、行楽)をしているのです。そうするためには主体思想がなければならないので、真の父母と、真の師と、真の主人の思想を宣布したのです。これを宣布なさった真の父母は、どんなお方でしょうか。ハナニムのような立場です。ハナニムは真の父母なので、この地上の真の父母の立場で、真の師の位置、真の主人となるための世界的版図圏を相続してあげるために、今、大会をするように教えてあげるのです。これが最後です。分かりましたか。
(204-125, 1990.7.1)
統班撃破の組織さえ完了したならば、どの家にも旗を掲げた竿を立て、統一教会の人が1日に3人も出入りしても喜べる、そのような家庭にさえなれば、みな救われるのです。ですから、私がお世話をするのです。「反対するな」と言って、お世話するのです。皆さんは、私の世話になりましたね。アメリカに連れていって教育してです。明らかに世話になっているのに、「真の父母だ」と言ったからといって、反対できるでしょうか。先生を中心としてなされたすべての事実、先生のみ言によって精神的分野と物質的分野でみな恵沢を受けたのです。誰が反対しますか。「ラッパを吹いて太鼓をたたきなさい」と言えば、みなラッパを吹いて太鼓をたたくようになっています。そのような段階まで来ているというのです。
ですから父母様を宣布し、歓迎するようにさせて、世界の頂上を越え、サタンが今まで舞台としてきたこの地球ぼしを踏み越えて、韓国に帰り、天の国と連結させ、王権、定着宣布式をすることができる時となったのです。分かりましたか。ですから押さえつけるのです。精神を統一させてしまえば、何も言えないのです。こぶしでなぐるのではありません。考えだけで制圧できる時が来るのです。
(200-346, 1990.2.27)
統班撃破運動は、今、韓国に帰ってきて家庭に帰りなさいという運動です。すべてのことを国家を中心に、統から、班から、すべて帰り始めれば、組織として統と班さえ統一すればそれで終わるのです。
それは蘇生、長成、完成の3段階を意味しています。自分自身を中心として、垂直には家庭と統、班、横的には自分と父、そしておじいさん、このように自分を中心として蘇生、長成、完成の3段階基準をもって家庭転換期に入っていくのです。そのときに何を中心としてそのようになるのでしょうか。真の父母の愛とともに、「頭翼思想」、「神主義」が中心となっていくことにより、サタンは歴史を通して何の讒訴条件も押し出すことができないのです。
(213-254, 1991.1.21)


 

6) 統一運動と女性の役割

先生は実に巧みでしょう。良い暮らしをしている女性に統班撃破トンパンギョッパとか何とかやらせて・・・。それが皆さんと、どんな関係があるのでしょうか。それをしたからといって、誰かが認めてくれるでしょうか。しかし、これによって女性解放の伝統的歴史を、韓国の女性が築き上げることになるのです。それが教材となるのです。
先生の教えたみことばのすべてと、皆さんが行動してきたその内容は、今後、世界の女性を動かす伝統的教材となるということが分かるのです! アーメン。
誰がその教材となることができるのでしょうか。楽な立場で8時間寝て、3度の食事をして、暑ければ涼しい所へ行って日陰で休む、それではいけません。日の照りつける中で血と汗を流し、脂汗を流しながら行動することが歴史に残るのです。悲惨であるほどに歴史時代の材料となるのです。皆さんも、先生が獄中生活をした話を聞けば、骨の髄まで泣くのです。ですから先生は、そのような話ができないのです。獄中生活をした話、それを包み隠さずに話せば、痛哭つうこくが巻き起こるのです。そこには、どれほど多くの事情があることでしょう。話さないのです。
(233-262, 1992.8.1)
私は、一銭のお金も出してあげませんでした。お金を出してあげてはいけません。お金を出してあげれば、今後、国の行く道は遮られてしまいます。国が民にお金を出してあげなければならないという論理が成り立ってしまうのです。そのような国はないのです。それゆえ大変でも、統一教会の信徒が血と汗を売って、血と汗を流し、骨身を削って売ってでも、この国のなすべきことをしなければなりません。
お金を出さずにこれまでやってきて、今や統班撃破が終わる段階に来ています。うまくできましたか、できませんでしたか。あのように生活が困難な統一教会の信徒がいかにしてやったか、この間全体の報告を聞き、整理するために私はソウルへ来ました。全国へは行くことができず、ソウルが中心ですから代表として来たのです。オモニにそのような話をすると、オモニが考えて、今、巡回しているのです。
(233-179, 1992.8.1)
きょう、よく話を聞いて清算し、新しい皆さんとならなければなりません。先生の願うことは何か? 男性を通して失敗した統班撃破体制を、女性を通して再び築くために、今現在、トン基準を中心としてすべての人事をしました。統班撃破が目の前にあるのですから、統一教会の女性たちは、寝ず、食べず、遊ばずに、これをなすべき天的な義務があることを知っているのです! アーメン。そうしようという人、手を挙げてください。
(233-52, 1992.7.20)
今まで先生が夜寝ずに、一生の間、犠牲になってきました。皆さんも同じなのです。統班撃破は、自分の一族を中心として120家庭をしなければなりません。昔、イエス様の時は、120門徒がいましたね。それと同じく120家庭を自分の指揮下に立てたならば、お金などが問題ではありません。食べて生きるのが心配でしょうか。問題ありません。男性たち、分かりましたか。男性たちは、天使長です。天使長は使い物にはなりません。オモニを通して生んだという条件を立てなければなりません。ですから、再び祝福を受けてこそ天国に入るというのです。
(232-253, 1992.7.9)


韓国は、女性を立てて救わなければなりません。このような意味から、不可避的に「世界平和女性連合」の指導者を、地方の女性指導者として立てたのです。「世界平和女性連合」の指導者たちが地方におけるグン支部長となり、ミョン支部長となり、ドン支部長となり、統支部長となるのです。それは容易なことでしょうか。ムン総裁はこれを、14年前から準備してきました。ホーム・チャーチという言葉を中心として「地方へ行って一族を収拾せよ」といって、これを、14年前から準備してきたのです。それゆえ、7年前から統班撃破を主張してきました。
(232-199, 1992.7.6)
きたる4月に、15万人の女性を中心として、オリンピック・スタジアムを完全に埋めるための計画を立てています。ですから全国の婦人たちが、統班撃破をしなければなりません。男性ができなかったので、女性がしなければなりません。今まで7年の間、統班撃破運動をしてきたのですが、まだできていません。私は3度も、「多くのお金を使って完遂せよ」と言ったのにできなかったのですから、今後は男性を信じることはできません。男性を除いて、女性を動員して解決しなければならないのです。
男性が統班撃破をするとしても、妻の署名、息子、娘の署名をもらわなければ勝手にできません。しかし女性は、1軒1軒入っていって、夫を追い出して集まることができるのです。分かりますか。なんと便利なことでしょう。女性たちは、群れをなして裏門、正門、門の垣を乗り越えて、その家の夫を追い出し、思いのままに会議をすることができるのです。分かりますか。
(224-62, 1991.11.21)
皆さんはハナニムを中心として、平和の世界が早く訪れるように国民を結束し、平和の門を開くために南北統一、平和の基準を促進化しなければなりません。これを促進化するための運動が統班撃破運動だということです。分かりましたか。南侵したスパイが隠れているところは、女性の懐です。女性の치마チマ(スカート)の中に抱かれているのです。チマの下に隠れているということです。スパイは南へ下りてきて南韓で嫁をもらい、お金を稼ぎ、遠い親戚のところまで入っていき、後援をしたり、町内や一族の者に気前よく施しをしたりするのです。これが、南韓スパイの工作費で宴会を開いてもてなすような、名のある人物だということを知らなければなりません。これを撃破しなければなりません。
(214-255, 1991.2.2)
今までは仕方なく男性にさせてきましたが、これからは違います。家庭教会は、主に男性がしてきましたし、今も男性が主にやっていますね。男性を中心に統班撃破をするのに、どれだけお金を投入したでしょうか。これからは血肉を売ってでも、きちんとした基盤をつくらなければなりません。土地を売るなり、一族の田畑を売るなり、一族のお金を集めてでも、これを成就しなければなりません。分かりましたか。今後、指令が下されます。70家庭をして、「1家庭で1億ずつ準備しなさい」と言えば、70億ができます。


南北統一時代なのですから、それができる準備をしなければなりません。涙と血と汗を流してまとまったお金を作り、夫に知られないように通帳を作らなければなりません。先生は今、何と言いましたか。夫に知られないように何を作れと言ったでしょうか。通帳、銀行通帳を作るのです。
(235-126, 1992.8.29)
1978年より始めたので、既に14年目です。14年前からこのことを始めたのです。皆さんが決死の覚悟でしていたなら、どれほど良かったでしょうか! そのようにしていれば、ホーム・チャーチを中心として、統班撃破に連結されるのです。ホーム・チャーチの基盤を中心として統班撃破をするために、男性たちを中心に里まですべて組織したのです。それでドン大会、統大会、パン大会まで、すべてしたのです。12万人いるすべてのパン長たちに、私の名前で『世界の希望』という本と「原理」の本を配布してあげたのです。ここにも、もらった人がいるはずです。そうしたにもかかわらず、男性たちがみな責任を果たすことができませんでした。このことを、この世の遊び事でもするかのように、気楽に考えたのです。ですから、男性たちが責任を果たせなかったので、女性がしなければならないのです。何があろうとやらなければなりません。
女性たちは、自分の家の家事だけをしていてはいけないようになっています。女性連合を中心として動員したのを見てください。これが動員されたのは人の力によってですか。最初、私が「アジア平和女性連合」発起大会をやると言った時、みな目がこのようになって、「女性がいったい何をするのですか。『アジア平和女性連合』がいったい何をするのですか」と反対したのが、私たち統一教会の教会員たちでした。オモニが前面に立ったので、仕方なかったのでしょう。雰囲気を見れば、反対できないのです。そうしながら、「女性時代の到来」を宣布したのです。それができる時になったので、宣布したのです。これから女性時代が到来するかどうか見ていなさい。
(233-111, 1992.7.31)
統班撃破を1978年から始めたので、もう14年になります。14年間統班撃破をしてきたのは、この時を目標にしてのものです。家庭教会の理念が統班撃破の理念です。それが気が緩んできたので、色彩を異にし、統班撃破を中心として引っ張ってきたのです。それが7年、7年の14年かかりました。それ以前から準備して行うのが先生の計画だったのですが、韓国の責任者たちはそれが分からずに、責任を果たせなかったのです。男性が2度できなかったので、これからは女性がしなければなりません。
(237-65, 1992.11.11)
南北総選挙を実施するようになれば、この南韓はどうなるでしょうか。文総裁は愚か者ではありません。今やすべての準備を整え、統班撃破をするのです。それを何度も訓練しておきました。ですから女性が必要なのです。
(206-70, 1990.10.3)


北傀ほっかい北韓)の軍人を女性たちが担当しなければなりません。女性が地上のサタンを担当しなければならないのです。そうして初めて男性が天上世界のサタンを打つのです。両面作戦をしなければなりません。北傀のスパイは、(韓国で)女性の保護を受けて住んでいます。女性の懐で暮らしているのです。男性は願わないのに、女性が隠しているのです。これを撃破するために統班撃破運動が現れたのです。今やあれこれ、すべて分かりました。
先生は、いつ皆さんを呼んで命令を下し、「使命を果たせ」と言うか分かりません。「できない」と言うならば牢獄に閉じ込めてしまうのです。のらりくらりと暮らす所ではありません。生死の決断をして勇み立つ道なのです。給料をもらって楽な暮らしをするための場ではありません。野良犬を連れてきて食べさせてあげる所ではありません。それを知らなければなりません。天国の精兵をつくる所です。
(180-121, 1988.8.7)
統班撃破というのを知っていますか。14年前からホーム・チャーチのことを語ってきました。多くのお金を使って教育してきました。5年前から「統班撃破」と言ってきました。男性を立てて失敗したので、仕方なく最後に女性を立てるのです。
(238-305, 1992.11.22)


 

第4章 宗族的メシヤ活動をせよ

 

1) 今は東西南北統一の時代

先生は、南北統一運動ができる基盤をつくるために、一生の間苦労してきました。これから皆さんは、既に造成された雰囲気の中でその運動ができるので、ずっと容易なのですから、勇気をもって一生懸命活動してほしいと思います。もし南北統一運動に反対する人がいるとすれば、その前に行ってデモをしてでも反対しないようにしなければなりません。
(149-170, 1986.11.21)
皆さんが韓国で楽に暮らしながら南北統一の目標が達成できるでしょうか。ここは第一線です。世界の第一線なのです。ここは世界の焦点だということです。ですから、決意した分、私たちのみ旨を中心として様々な役事が起こると考えられるのです。完全に団結して南韓さえ動かすことができれば、霊界で役事するのではないでしょうか。何が起こるか分からないのです。
(165-215, 1987.5.27)
お金がなくてもしなければなりません。自分の家も売るのです。そうしてこそ、天が行く道を守り、責任をもってくれるのです。問題はそこにあるのです。お金に従ってはならないし、体制に従ってはなりません。天の喜ばないお金は毒薬です。滅びるのです。精誠が必要です。これからは教会で泣いた以上に、泣きながら歩むべきです。それは簡単なことです。教会で精誠を尽くした以上に、南北統一運動のために泣きながら歩みなさいということです。
(166-183, 1987.6.5)
いかにして統一された体制をつくるかという問題を考えるときに、思想的な面において、民主体制と共産体制を越え、それらを消化できるもう一つの統一的な思想がなければならないのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルとなります。韓国を中心とした国民連合の形態をもっているのが、世界の「東西南北統一連合」です。韓国が正に世界のモデルとなるのです。世界がそれに従ってくるならば、すべてが統一的世界体制になっていくのです。
(173-67, 1988.1.3)
今後の問題は、世界を動かすことです。そのためにはまず、理念の徹底化、二つ目は組織の強化、三つ目は協同活動によって一致することです。それゆえ私たちは、共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。少し発展すれば組織化しなければなりません。
(15-94, 1965.9.30)


「南北統一運動国民連合」は、南北統一運動のための、統一のための運動機関です。そこでは、国民が連合して南北統一運動をするのです。そこでは、6000万を動員しなければなりません。6000万民族が一つにならなければなりません。60万を代表として団結させ、新しいエデンに向かって600万、6000万の団結した旗手が生じるならば、世界は完全に地上天国の基地へと直行することでしょう。
(163-24, 1987.4.18)
統一教会には教会もあり、勝共連合もあり、教学統連(注:全国大学教授学生南北統一運動連合)もあるし、「南北統一運動国民連合」もあります。これらは何をしようというものでしょうか。南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放とともに、ハナニムを解放しようというものです。何を中心としてするのでしょうか。まことの愛を中心としてするのです。それを知らなければなりません。
(166-155, 1987.6.5)
南北統一運動は、ハナニムの伝統的思想を中心として南北を統一しようというものです。そうして、すべての国民が新しい建国思想をもち、天国を建設しようというものなのです。
(163-165, 1987.5.1)
問題はこれです。歴史の勝敗圏を分ける最後の激戦場の勇士として闘うに当たり、今後迫ってくる激戦、戦争の前に、どれだけ強く雄々しくあるか、どれだけ克服していくか、生死の交差路においても、第2の決意ができる希望ある勇士となれるかということが問題なのです。死の道においても、再び生きて闘える希望があり、それがかなわなければ再び生き返って闘おうという思想があるならば、共産主義を吸収することができるのです。
(61-35, 1972.8.20)
いまだに統一教会を知らない人がいますね。それは責任を果たせなかったということです。楽に休み、遊んでいる人はいても、この民族に責任をもつ責任者がいなかったのです。骨が砕けても、この山河、あの町の谷間、すべてが私の血と汗のにじんだ精誠の手を待っているのですから、行かなければなりません。自分にそれができないならば、鐘に綱を結びつけて引っ張り、四方にガランガランと鐘の音を鳴らしてでも、一つ所に動いていける統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ、いくら南北韓が会談をしたとしても、統一法案を模索する道はありません。私たちが主体的な立場で、そのような道を切り開かなければなりません。
(61-237, 1972.8.31)
今は、どんな時でしょうか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、夜を明かしてでも、ありったけの力を出し、エジプトの地に住んでいるイスラエル民族に、何日、何時にその家を出なければならないと通報をしてあげなければなりません。知っていながらも知らせてあげない人は、永遠の罰を受けることになります。そのようにカナンの福地に向かって出発する時代になったので、私たちは3000万民族全体の前に、彼らが行くにしても、行かないにしても、知らせてあげる責任があるのです。ですから今まで全国的な活動を展開してきたのですが、いまだに統一教会を知らない人がいるというのではいけないのです。
(61-237, 1972.8.31)


呻吟しんぎんの声の高まる、息の詰まるような世界的な最後の交差点に向かっていく混乱した渦中で、自分の主体性をいかにしてもっていくかという問題が、今後の韓国において宗教人が解決すべき問題であり、多くの僑胞きょうほうが解決すべき問題であり、大韓民国全体が解決すべき問題ではないでしょうか。これもよいし、あれもよい、というのではいけません。主体と対象を確実に分け、天を主体とし、人間を対象として完全に分け、立つべき位置に立ち、いるべき所にいなければならないということです。それゆえ、息の詰まるような時代の交差点に向かって私たちは、今、前進しているのであり、今がその瞬間なのです。
(65-152, 1972.11.5)
南北が一つとなるためには、北韓を自分の兄弟以上に愛するという愛をもち、養ってあげられる南韓の政権にならなければなりません。今、全羅道チョルラド慶尚道キョンサンドが互いに、「自分がやってやろう」と闘っているのですが、そんなことで南北統一をしようというのでしょうか。とんでもないことです。すべてが滅びます。滅びるのです。このような話は、耳が痛いかもしれません。耳が痛い話だとしても、正しいことだから私が話しているのです。
(168-230, 1987.9.20)
天運に従っていかなければなりません。個人的運勢、国家的運勢も、アジアの運勢を捨てたならば、大韓民国はここで失脚するのです。天運に従い、アジアの運勢に足並みをそろえられる大韓民国にならなければなりません。大韓民国は、天運に従ってこそ天運の保護を受けるのであり、そうでなければ滅びるのです。その道をいくら知っているといっても、ムン先生に学ばなければならないという結論まで出したのです。今日も同じです。
(168-230, 1987.9.20)
南北が統一されれば、統一された大韓民国は、堂々と世界の前で先頭に立ち、世界のために犠牲になれる、伝統的思想を残す国家とならなければなりません。そうなれば、この大韓民国がなくなり、主権がなくなったとしても、この民族の思想は、今後20世紀を越え、30世紀以降いつまでも残り、必ずや世界を指導できる民族として残ることでしょう。皆さんは、それを知らなければなりません。
(56-273, 1972.5.18)
南北統一が武力によってなされると思いますか。とんでもないことです。共産主義思想とはいっても、ハナニムの愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません。それのみならず、東西問題や南北問題も、このハナニムの愛で完全に解決することができます。このようなハナニムの理想を中心として、世界の理想を消化し、そこで国家の理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人まで連結し得る理想世界の平和的無限景(注:この上もなく素晴らしい景色)となることにより、この地上にはユートピアが建設されるに違いありません。
(143-285, 1986.3.20)


この時代においての願いは、南北統一です。北韓南韓を統一して、ハナニムが安息できる基台を、皆さんの家庭と、私たち民族と世界に築くことを天は願っているということです。それでは、何をもってハナニムにお仕えするのでしょうか。他の何物でもありません。自分の母親、父親を愛する以上の、夫、妻を愛する以上の、子を愛する以上の愛を中心として、その環境をつくり、祭物的な祭壇を築こうというところから、初めて理想的南北統一というものが出てくるのであり、理想的東西文化の統合がなされるのであり、地獄と天国の解放圏ができるのです。愛をもってしなければ解くことはできません。愛のキーが必要なのです。
(170-103, 1987.11.8)
韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみことば伝播でんぱしているのです。
(142-318, 1986.3.14)
我が国の政治を執り行う指導者たちは、国を愛しているでしょうか。国がどうなっていっているのかも知らずに、このごろも民正党とか新民党は、自分が大統領になるといって闘っていますが、やってみなさいというのです。本当に国民と共に生きようという心が彼らにないならば、すべては流れていくのです。いくら立派だといっても、水の泡のように流れていってしまうのです。国民を愛することのできない指導者ならば、国民から、そしてのちには歴史からの審判を免れることはできないはずです。
(148-275, 1986.10.11)
分かれた南と北は、そのままでは一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ずに、時間を超越し、困難な環境を克服し得る心の決意と実践が必要なのです。真に共に生きたい。死ぬにも共に死に、生きるにも共に生きたい。私たちの先祖、霊界の霊人たちとも共に生きたい。そのような皆さんとなることにより、今、南北統一をここから始めるのです。
(148-277, 1986.10.11)
北韓があのように困難に処しているのは、北韓が閉鎖社会となっているからなのですが、その事情を知れば知るほど、その治下にいる人々がどれほど悲惨か知れません。共産主義怨讐おんしゅうなのであって、人々が怨讐なのではありません。北韓を眺めながら、かわいそうな暮らしをしている同胞のために涙を流し、「あなた方の困難と共に私は生きている。解放の1日を準備して皆さんの前に現れよう」と誓い、統一のための実践運動がここから繰り広げられたならば、北韓に行く日は遠くないのです。
(148-268, 1986.10.11)


統一をどこからするかが問題です。南北統一は、どこから、何をすべきなのでしょうか。こぶしや力によってでしょうか。力によって屈服させたとすれば、のちに向こうの力のほうが大きくなったときに、再び闘いが起こります。そのような方式では統一することはできません。
(148-268, 1986.10.11)
たとえ以南(南韓)の地で生きているとしても、以北(北韓)に住む人々と本当に共に生きたいという心、一つとならなければという心があってこそ、統一の道が開かれるのです。
(148-266, 1986.10.11)
「共に生きたい」というその内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越することができません。それは一時のものです。知識でしょうか。知識の世界は発展するものです。皆さん、知識の世界で学問とともに、永遠に共に生きたいという気持ちはありますか。私たちが共に生き得るものは、知識でもなく、金銭でもないということは確かです。このように考えるならば、上や下や前後左右を問わず、過去、現在、未来の時間性を超越した場で、共通的に認め得る一つの分母とは何でしょうか。それはすなわち、愛なのです。
(148-260, 1986.10.11)
人間がいかに生きるか、あるいは、私たちの人生航路をいかに行くべきかを念頭において考えるとき、その骨子を要約すれば、孝子の行く道、忠臣の行く道、聖人の行く道、聖子せいしの行く道の根本があるのです。すなわち、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越して、生涯を越えて共に生きたいという切なる思いをもった生涯ではないか、という結論が出てくるのです。
(148-258, 1986.10.11)
38度線を中心として南北に分かれているこの国において、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。問題の解決をいかにすべきか、ということが問題です。それは北韓の人々よりも苦労し、南韓の人々よりも苦労することです。苦労の中で立てられた超民族的な愛国心をいかにしてもっていくか、それが韓国を生かす近道であり、解決方案です。
悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。悪なる世界の忠臣以上の忠臣が現れなければなりません。今まで善を志向してきながらも、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張し得る人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのではないでしょうか。そのように考えるのです。
(61-125, 1972.8.13)
今、南北の間で行き違いがあります。方向を異にする立場で、一方は南に、一方は北に行こうとするという二つの別れ道があるので、その目的は異なるのです。いかにすれば統一されるかという問題を考えると、深刻なのです。その主体的な使命を誰が果たすべきなのでしょうか。南韓がすると言えば、北韓が反対するでしょうし、北韓がすると言えば、南韓が反対することでしょう。自分自体にこだわる立場では、再び決裂することでしょう。これをいかにするかが問題です。問題は、南韓の誰よりも北韓をより愛する韓国人が現れなければならないということです。北韓の人が北韓を愛する以上に、北韓を愛する韓国人が現れればよいのです。それ以外には模索方案、解決方案はありません。南韓の誰よりも国を愛する人北韓の誰よりも国を愛する人、そのようにして一つの道を行く人がいるとするならば、そこから統一方案が出てくるのです。そのほかに道はあるでしょうか。それ以外に、道はないのではないでしょうか。
(61-125, 1972.8.13)


今、南北統一を願っているのですが、南北統一するための方案は何でしょうか。次元の高い統一の内容を提示せずしては、統一されることはありません。以北(北韓)から以南(南韓)に来て、また、以南から以北に行き、互いに、「私の言うようにしよう」というのではいけません。互いに損害を受ける立場では、統一はされないのです。互いにプラスとなるところにおいて可能なのです。そうではないでしょうか。男女が結婚して互いにマイナスとなる立場では、一つとなる法はありません。それゆえ、互いに利益となることを求めなければならないのです。
(61-73, 1972.8.27)
南韓北韓を武力で打って屈服させるのではありません。私たちは、彼らよりも強い思想の基盤をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に、私たちも我が国を愛さなければならないのであり、彼らが共産主義を愛する以上に、私たちも天を愛することができる思想的な強い力をもち、人格的な面において彼らを自然屈服させることができる実力者とならなければなりません。そうでなければ、北韓を吸収することはできないのです。生活的に感服させて、人生観や生涯を通して感服させ得る、人格的な基準を中心に現れた人格の価値を中心として考えるときに、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕りょうがする私たちとならなければなりません。
私たちが彼らに影響を与え得る環境をもたなければ、カイン国家を復帰することはできません。カイン国家を復帰できなければ、天国を中心とした世界的な国となり得る復帰の国家は、成立しないのです。
(46-123, 1971.8.13)
ハナニムが、サタンを敵であり怨讐だと考えて、復讐ふくしゅうしようという思想をもっているとするならば、絶対に勝利の頂上を占めることはできません。そのような観点からハナニムは、「怨讐を愛せよ、怨讐を愛せよ」と、愛の作戦をとってこられました。イエス様のみ言の結論も、「怨讐を愛せよ」というものです。
(ハナニムの摂理から見た南北統一-595)
世界的に迫害を受けたとしても、世界的な怨讐圏に立ったとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。この一筋にハナニムもかかっており、ハナニムの子女になろうというあらゆる宗教界のすべての人がかかっているのです。「怨讐を愛せよ」というみ言は、偉大な真理です。内容は簡単ですが、これがハナニムとサタンの闘いの勝敗を分かつ境界線となってきたことを誰も知りませんでした。
(ハナニムの摂理から見た南北統一-595)


私たちの願い、私たちの願いは何ですか。統一です。統一教会を中心とした統一ではありません。統一教会が祭物となって南北韓を統一する、その統一のことをいっているのです。
(56-283, 1972.5.18)
統一教会の行く道は、何をしようというものなのでしょうか。統一です。統一が核心です。
(90-64, 1976.12)

 

2) 宗族的メシヤ宣布の意義

先生が「宗族そうぞく的メシヤ」の宣布をしました。なぜそれをしなければならないか分かりますか。韓国が先生に反対したからです。それを蕩減とうげん復帰しなければならないでしょう。アメリカが反対したことも私が蕩減復帰してあげましたが、また私が蕩減復帰してあげるのです。そうしなければならないではありませんか。
(188-59, 1989.2.16)
どうして「宗族的メシヤ」を韓国と共に世界に宣布したのか分かりますか。これを韓国でさえやれば、世界の国家すべてがまことの父母を中心として一つになるのです。霊界でどれほど総動員されたか考えてみなさい。この時だと、みな目の色を変えて解怨かいおん成就できる、数千、数万年の歴史を蕩減できる良い時が来たと、すべてが下りていくことを願っているのに、みな橋を切ってしまったらどうしますか。
今はもう、国家的次元、世界的次元です。ですからこれがすべて崩れたので、自分が立つ場がありません。立つ位置をつくるには、宗族的メシヤとして祝福家庭を配置して、イエス様の完成、自分の完成、アダムの完成、3大先祖の基準を立てることにより、この地上にいるすべての人間たちを抱くことができる自由な環境に入るのです。
それゆえ「宗族的メシヤ」の宣布をするようになったのです。南北統一は適当にやってできるのではありません。これをつないでいってこそ可能です。それが家庭的基準と宗族的基準に連結されたので、国家的基準に連結されるでしょう。ですから統一教会と政府が内的に一つにならなければならないのです。
(219-97, 1991.8.25)
エス様が失敗したのち、皆さんに宗族的メシヤを委任して、堕落したアダムと同じように、自分勝手に結婚した自分の親を今になって、「祝福」というハナニムの天恵により、堕落していない親の立場に立てるというのは、とてつもないことです。夢のような話です。そのようなことを完成するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
エス様は一人で「宗族的メシヤ」を宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤ、国家的メシヤになるために送られたのですが、先生は、全世界的に祝福を受けた2万5000人以上の祝福家庭を宗族的メシヤとして発表しました。この威力というものがどんなものか考えてみてください。
(228-173, 1992.3.27)


韓国の統一教会と日本の統一教会は、カイン・アベルとして一つになりましたが、一つになった統一教会の女性たちがプラスとなり、統一教会の団体である「国際勝共連合」、「南北統一運動国民連合」など、すべての団体をはじめとして、統一教会に連結された団体のすべての女性たちをこれから捧げなければなりません。どこにもっていって捧げなければならないかというと、家庭に訪ねていくのです。どこからしなければなりませんか。家庭です。これを促進化するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
先生の代わりに男性たちが行ったので、女性たちがみな収拾し、女性の4人をしっかり収拾しておけば、男性たちはその国の宗族的な王になるのです。そうすれば、女性のお出ましを中心として、すべての男性までも収拾することができるのです。教育さえすれば、すべて終わるのです。
(230-287, 1992.5.8)
地で成されることが天でも成され、地における成就が天の勝利として刈り取れる時となり、真の父母のみ名と共にきょう挙行したすべての式典によって、霊界のイエス様を中心として統一的な霊界と、地上の真の父母を中心として統一的な(地上世界が)一つの世界になりました。二つの世界が一つの真の愛を中心とした家庭的な血縁関係を通して束ねられる、新たな世界拡張時代として、「宗族的メシヤ」を宣布しました。これが受け入れられる新婦と家庭、エバとカイン・アベル圏を中心とする真の家庭の基盤において、新郎の心情を接ぎ木することができる、世界的なすべての終末的な清算期間をもたせてくださったのです。
(246-136, 1993.4.7)
宗族的メシヤが家庭的メシヤの橋を見失えば、重生できる道がふさがってしまうのです。先生がこのようなことを知ったので、人類を解放するために、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。これは世界的な革命的事件です。特権的事件、特赦的な事件です。
(265-134, 1994.11.20)

 

3) 宗族的メシヤの責任を与えた理由

宗族そうぞく的メシヤ」とは何でしょうか。まことの愛の主人です。真の愛の主人、これはイエス様が願い、アダムとエバが願い、ハナニムも願った所願でした。ですから、すべて真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうすれば、すべてが終わるのです。宗族的メシヤになりなさいというのは、宗族的な先祖になりなさいということです。
(185-98, 1989.1.3)
「宗族的メシヤ」とは何でしょうか。一言でいえば、父親、母親を王権の位置に上げて立てるための役事をすることであり、その次には、今まで愛を中心として父母が始めて、私の生まれた本来の故郷である天国の故郷に行くことができるのです。そうでなければ、故郷はありません。これをしてあげなければ生まれた故郷がないのです。故郷のない所には、父母がいることができません。故郷が定められることにより、韓国で暮らしていたすべての人の故郷は、今後、天国の故郷の地に入り、収められるのです。それによって、地も人間の生まれたあらゆる所が天国に属し、堕落していない立場で生まれた父母の位置を代わりに受け継ぐようになるのです。
(194-121, 1989.10.17)


宗族的なメシヤは、1代において宗族(宗族)を中心として、故郷を案内する先鋒せんぽう者であることを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなりません。盲目的であってはなりません。モーセは何も分かっていませんでしたが、私たちは具体的にすべて知っています。理論的にすべて知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。
しかし、カインを探し出さなければ故郷に入ることができない、ということは原理的な事実です。サタン世界に兄の宗族が残っているので、彼らが自分の宗族に来るように、兄を救ってあげなければなりません。そうしなければサタンになるので、仕方がないのです。兄を救ってあげてこそ、兄が囲いとなり、自分の故郷に帰って、自分の一族を救うことができるのです。そうしなければ、皆さんの母親、父親を伝道しておいても、サタンが再び連れていくのです。引いていかれるのです。そのようになる危険性があるので、ハナニムはこのような摂理をせざるを得ないのです。自分の父親、母親、自分の一族、故郷をすべて伝道しても、再び引っ張っていくのです。
(102-264, 1979.1.14)
宗族的なメシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出すことにより、王権の回復がなされるのです。そうなれば、すべて終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王権復帰するのです。それゆえ生まれたすべての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷をもつようになるということです。
天国の故郷をもつには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。
(194-121, 1989.10.17)
ハナニムの息子になるためには、垂直の位置に行かなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下の感覚すべてを体得することにより、ハナニムが見るときに、「見るまでもなく経験した」と言うことのできる位置に入ったとき、息子の位置に入るのです。本然の位置に行かせまいと、サタンが百方をふさいでいるのです。サタンが最も恐れることは、ハナニムの愛に接することです。お金も恐れず、権力も恐れません。ハナニムの前では権力は必要ありません。ハナニムは全知全能なお方なので、知識は必要ありません。全知なるお方に、何の知識が必要でしょうか。知識の王様なのに。
(198-260, 1990.2.4)


垂直の位置で、天にいるハナニムに代わって地上に降り、地上から横的な面で宗族的メシヤを送るというのが、今回の大仕事なのです。宗族的メシヤは、自分は死んだとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木されるようになるのです。それゆえ、今、先生は宗族的メシヤを送り、アベル門中の先祖となるようにしているのです。
その先祖は生命の種をもっているということです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と、両親は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかれば、どこへ行っても通じます。
(198-267, 1990.2.4)
宗族的メシヤは、ユダヤ教キリスト教統一教会を中心として、伝統的すべての失敗を圧縮し、勝利的権限をもって仏教、儒教などのすべての宗教が受けることを望むすべての恵みを総合した位置で、決定的核として伝授したものです。それが宗族的メシヤです。皆さんが国家のことを心配する必要はありません。世界のことも心配する必要はありません。皆さんの一家のことを心配すればよいのです。
(198-270, 1990.2.4)
自らの宗族を復帰するためには、宗族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったものです。宗族的メシヤの立場は、第2の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を与えられたという、とてつもない価値があるのです。これは、どんなものとも換えることができません。
(217-125, 1991.5.12)
なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母というのは、第一のアダムの立場です。皆さんは、第二のアダムの立場にいます。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。2番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たすことにより、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局のところ、宗族的メシヤの責任分担を果たすべき理由は、アダム家庭の完成のためなのです。具体的には、宗族を教育しなければならないということです。
(217-125, 1991.5.12)
これからは皆さんの根を整備しなければなりません。根が堕落することにより、父母が駄目になりました。長子が駄目になりました。それゆえ、真の父母を中心とし、真の息子、娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、逆に回して越えなければなりません。そのままでは接触できないのです。180度反対にしてつけてこそ、出発できるのです。ですから皆さんは、故郷に帰って先祖を変えるべき運命が残っていることを知らなければなりません。
(178-99, 1988.6.1)
皆さんを宗族的メシヤとして送ったのは、どういうことでしょうか。昔はイエス様が、霊界からこの地上に縦的な過程を通して送りましたが、今日ムン総裁は、天を代表したハナニムの立場で、宗族を代表するメシヤ型の数万家庭を世界に送ったのです。これからは滅ぶことがありません。1989年1月3日、午後2時30分に「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
(185-238, 1989.1.8)


統一教会という教団は、宗族です。私の血が共に動くのです。私が涙すれば、涙しなければならず、私が喜べば、喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を越え、文化背景の異なるすべての国家基準を越え、壁を取り払って一つとなった、新たな天国創建のための民族です。この民族が聖なるものとなるとき、天国の創国が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされるのであり、その世界の上に、天宙的な地上の天国と天上天国が連結するのです。
(168-136, 1987.9.13)
私が皆さんを祝福してあげました。「祝福」というのは、イエス様に優る立場を意味します。祝福を受けた皆さんを、サタンは讒訴ざんそできません。男性も女性も、みな讒訴することができません。なぜでしょうか。真の父母を中心として血統がつながっているからです。
それを見ればサタンも、個人、家庭、民族、国家、世界のいかなる次元においても讒訴できません。それがハナニムの最終的な観点です。絶対に讒訴することができないのです。それが解放の境地です。ですから今回、「宗族的メシヤ」を宣布したのです。
(189-147, 1989.4.1)
「宗族的メシヤになれ」と宣布したのは、どういうことでしょうか。皆さんが私の代わりに責任を負ってするならば、天が後援するということです。私が過去に、統一教会が困難の中にあったときに開拓したその時代、後援して開拓したその役事を、霊界では今でも間違いなくしているということです。そのときは、反対される中でも、統一教会を宗族的復帰時代に発展させた天なのです。今は反対されないのですから、どれほど発展するでしょうか。
(185-240, 1989.1.8)
堕落したアダムとエバが失敗したものを、皆さんが再び復活させ、復帰された家庭の資格を天国の天権をもって是認、公布するのです。それが「宗族的メシヤ」宣布の目的です。
(193-308, 1989.10.8)
故郷、私も今、故郷に帰りたい思いです。ここ、ソウルにいたくはありません。このように従う外国の統一教会員が故郷へ行ってすべて還故郷活動するようになり、その余波が北傀ほっかい北韓)(凌駕りょうがするようになれば、先生の故郷は自然と浮上してくるのです。闘うことなく、そのまま通じるのです。水が、潮が、その先生の故郷を満たすこともでき、通じます。それゆえ、金日成キムイルソンの徒党以上の精誠を尽くし、心情的な故郷、カナンの地を編成するのが統一家の使命だということです。ですから今日、宗族的なメシヤになりなさいというのです。
(187-193, 1989.2.5)
今、先生が皆さんにメシヤという名をあげました。宗族的メシヤ! では皆さんは、どうしなければならないでしょうか。メシヤとして何をすべきでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとなるための、すべてのことを準備しておきました。山のような大きな宝物を、皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝石の山のようなこれらすべての相続を受けるのです。水道管のようなものがつながっていて水が流れていくように、皆さんに相続されるのです。
(189-247, 1989.4.9)


宗族的メシヤが安物だとでも思いますか。賢明な先生が、メシヤの使命を果たすために一生をかけても至らずに、恥ずかしく思うのです。皆さんの前に「宗族的メシヤ」という言葉は、驚くべきことです。イエス様よりも貴い価値ある位置に立つことができるのです。それだけでなく、統一教会に反対して、ありとあらゆる悪態をついていた人までをも、堕落していないアダムの位置に引き上げてあげるのです。そのような話がいったいどこにあるでしょうか。話をしている文という人は、真の父母の位置にいるので、今まで話したことはすべて成し遂げてきました。成されなかったことはありません。
(219-150, 1991.8.29)
皆さんは「宗族的メシヤ」、「宗族の救世主」という名前をもったのです。ヤコブ家庭において、メシヤが来ることをどんなに待ったでしょうか。何千年も待ちました。何千年も待って迎えなければならないものを、皆さんの宗族の前にメシヤとして任命して送ったのですから、そのメシヤの種子としてどんなに貴いものでしょうか。
(197-207, 1990.1.14)
ここに来た皆さんは、キム氏ならば金氏家門のメシヤの使命を果たさなければなりません。金氏家門であれば金氏家門、パク氏家門であれば朴氏家門において、天国を創建するに当たり、その宗族を代表して、「私がメシヤだ」と考えなさいというのです。救い主だと考えるべきです。金氏家門を救ってあげる救世主だと考えなければなりません。そのためには、金氏家門の全体を代表して、祭司長的な責任を果たさなければなりません。
(155-265, 1965.10.31)
今後、最後に残った終着地は何でしょうか。解決方法は何かということです。すべての壁を取り除き、処方するのですが、そのような恵沢を受けるにはどうすべきなのでしょうか。宗族的メシヤにならなければなりません。これさえ終われば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、宗族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的・世界的讒訴条件を提示するその何ものもなくなるということです。
(189-110, 1989.3.19)
皆さんが外地に出て修練し、み旨を中心として懸命に活動した新しい習慣性をもって、その町全体を変革させなければなりません。従っていくのではいけません。ハナニムが何もない中から自己の全体を投入して愛の対象圏をつくったように、皆さん自体を投入しなければなりません。必ず一つにしなければなりません。
皆さんの故郷の人々の中で、誰よりも最高の位置につけば、霊界が協助するのです。実際にそうか、そうでないか、見ていてください。そしてビデオ・テープをたくさん作って伝道しなければなりません。
(179-27, 1988.6.15)


今日、皆さんは故郷へ帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が植えられ、大韓民国はもちろんのこと、天地が訪ねていける、ハナニムがいつでも訪ねていきたいと思う環境を残さなければなりません。そうした上で、あの世へ行くときは、天国の息子、娘として愛を受けて生きるに違いありません。このような生涯路程を、これから定立していかなければなりません。
(197-221, 1990.1.14)
先生が、「故郷へ行きなさい」と言えば、故郷へ行くのは、新たな種を植えるということです。アダムとエバの種となったので、皆さんを通して新しい種を植え、新しい根を下ろそうとしているのです。新しい種を植えるときには、肥やしをかけてやらなければなりません。ですから、悪口を言われに行かなければなりません。善意の悪口を言われて、多くの苦労をしなければなりません。3年だけしてみなさい。3年も必要ありません。6ヵ月あれば、すべて終わると見るのです。昔、皆さんが1次伝道に出るときも、「故郷の代わりとして行き、120軒つくり、教会をつくれ」と言って追い出したことがありましたね。それは、失敗に終わりましたね。その次に、「ホーム・チャーチ」をしなさいと言いましたが、それも失敗しましたね。もう最後です。
(219-158, 1991.8.29)
宗族的メシヤとして行きなさいということは、自分の宗族の所に生えているものはすべて、偽物、野生のオリーブなので、そこに行って、真のオリーブが生えるように、切って接ぎ木をして真のオリーブ畑にしようということです。その一族にとっては、それ以上の福音はありません。国を求めることよりも、世界を求めることよりも、天地を求めることよりも、もっと貴いことなのです。
(197-207, 1990.1.14)
韓国統一というのは、統一教会の文先生を中心として統一教会の信徒が完全にプラス・マイナスとなり、私が縦的なところにいれば、統一教会員は横的な基準で走ればよいのです。私が国のためにこの基盤を築いたのですから、皆さんはこの基盤を築くために、南北統一のための基盤を築くに当たっては、宗族が連合せよということです。
(185-200, 1989.1.8)
宗族的メシヤが来て、「助けてくれ」とはどういうことですか。協会長! 言ってみなさい。先生は助けてくれという祈祷は一言もしませんでした。また、助けることもできません。それを助けるならば、さなぎになるのです。さなぎとはどのようなものか知っていますか。死ぬほどの力を出し切っても駄目ならば、祈祷してみなさい。祈祷しなくても、お金はついてくるようになっています。そういうものです。
(202-306, 1990.5.25)
故郷に帰るに当たり、今後の自分の生活問題、息子、娘の教育問題、このようではすべて滅びます。イスラエル民族が出エジプトするに当たり、出ていかなかった人々はすべて滅びたではないですか。のろわれる民族になるかもしれないのです。そのような天的なみ旨があるので、先生があらかじめ宗族的メシヤに関して、すべて宣布するのです。
(207-165, 1990.11.9)


 

4) 真なる心情を本郷の地に植えよう

個人が安息するには家庭がなければならないので、今まで統一教会は、家庭を探し求めるために闘ってきたのです。また、家庭が安息するためには宗族そうぞく圏がなければなりません。宗族が囲いとなり、吹き付ける風とそれ以外のすべてを防いでくれる責任を代わりに果たすような、そのような舞台をつくらなければ、自分が安らかな家庭で生存することはできないのです。そのためには、親戚しんせきを中心として族長になれというのです。
族長になれば、戦いが起こっても町中の親戚が出て戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。ですから先生は皆さんに対して、宗族的メシヤの使命を果たすようにいうのです。何をしなさいですって? 宗族的メシヤの使命を果たしなさいというのです。今までは事実上、他郷での暮らしでした。これからは故郷を訪ねていくのです。故郷へ行き、涙を流して精誠を尽くさなければなりません。
イスラエル民族がエジプトに行って400年間暮らしたのと同じく、私たちは43年間そのように暮らしたので、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。ハナニムを愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。ですから、世界的サタンが讒訴ざんそし得る起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナン福地の理想天国を形成することができませんでした。ですから、サタン世界に何かを求めてはならないのです。「ふろしき包みを背負って歩いたとしても、私たちが一番です。悪口を言われて歩き、夜には近所の犬にほえられても、私たちが一番です」。そのような自負心をもち、堂々とした足取りで、村の天地を愛の喊声かんせいと共に消化することに参与し、前進しなければならないことをよく覚えておき、闘ってほしいと思います。
(178-139, 1988.6.1)
皆さんは、まことの父母様の前に真の子女の名分をもっているので、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じ、すべてを愛圏の中に投入しなければなりません。ハナニムが投入したのと同じように、皆さんが完全に投入することにより一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活するのです。
(177-161, 1988.5.17)
自分の郷里を中心として、新しい種として植えられる父母の赤い血筋がそこに埋められ、すべての山野、山河がすべての犠牲の代価をたたえるように、頭を下げるようにしなければなりません。そこに植えられて花が咲けば、初めの花は天の花として、2番目の花は父母様の花として、3番目の花は自分の長男の花として、4番目、5番目は自分のものとしなければなりません。適当にしてもよいでしょうか。とんでもないことです。
(181-273, 1988.10.3)


今回、故郷に帰ったならば、皆さんもカナン福地に入ったイスラエル民族と同じなのですから、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやんではなりません。権力者をうらやんではなりません。気を奪われることなく、正しい教育をしなければなりません。ハナニムを愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏である私たち民族を愛する伝統が第1です。皆さんの子を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはなりません。
何千年ぶりに、何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもって細胞と骨の髄が響くように泣き、血と涙でその地を濡らし、血と涙に浸った聖なる地だという名が天から降りなければなりません。そこから天国が始まるのです。
(177-228, 1988.5.20)
故郷に帰って、皆さんの故郷を復活させなければなりません。イスラエル民族は、それができませんでした。40年間乞食こじきの群れとなって渡り歩き、帰ってきてからは豊かに暮らしているカナン7族がうらやましく思われ、彼らの持つ子羊がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って暮らす身の上だったからです。そうしているうちに国を売り渡し、ハナニムを売り渡すことになったのです。
(175-34, 1988.4.6)
人を愛する場合には、最も悲惨な人たちから、悲惨な子供から愛して、ずっと中年に上がってくるのです。世の中で貧しく暮らす人たちには、良心的な人々が多くいます。私たち統一教会の家庭は、世の中で一番貧しく暮らす人を愛しなさいというのです。貧しく暮らす人は、悪魔の世界にいても、これからそのような人の中から、ハナニムの天運を受け継げる人が出てくると見るのです。
(175-31, 1988.4.6)
それでは、故郷に帰ってどうしなければならないのでしょうか。皆さんと一つになるようにしなければなりません。その方法は簡単です。息子は出ていって、天の伝統を伝授する教師となり、「こうすれば天国ができる」という手本を見せてあげ、父母は、その町内の父母たちに、「こうすれば天国の部落になる」というのを見せなければなりません。そうすれば良いのです。簡単です。
夫は妻を、妻は夫を愛し、父母は子を、子は父母を愛する愛の家庭を築き、それをすべて伝授すればよいのです。
(135-35, 1985.8.20)
先生は、世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは皆さんなりに、宗族的先祖になるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知るべきです。皆さんの宗族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから12支派が編成されていくことでしょう。ですから伝統が必要だということです。自分のことを考える人は、ここから外れなければならないのです。
(131-62, 1984.4.1)
真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これが植えられなかったのが堕落でした。そして皆さんは、皆さんの一族の中で宗長にならなければなりません。
(177-80, 1988.5.15)


「ハナニムは宇宙のアベルであり、この世界の人類はハナニムの前にカインの立場にあるのですが、ハナニムは、しもべしもべの体をまとい、養子、子女の体をもまとい、今まで復帰歴史をしてきたので、私たちはその伝統を受け、自分の宗族のところへ行き、そのような伝統を再び提示し、屈服させる役事をしましょう!」というのです。それは長くかかりません。長くても3年です。ですから10年と見るのです。
(159-80, 1968.3.3)

 

5) この時代に私たちがやるべきこと

 

① 真の父母様を証そう

万民の願いは何でしょうか。世界の国家を迎える前に、まことの父母を迎えようということです。誰から出発したいと思うのでしょうか。皆さんの新しい息子、娘は、皆さんの血筋を通して生まれるのを願うのではありません。真の父母の血筋を通して生まれたいと思うのです。それゆえ真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。
(35-237, 1970.10.19)
すべては、どこに帰結するのでしょうか。真の父母に会うことに帰結するのです。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですから、そのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです。永遠な世界というものを考えれば、人間の一生というのは、一度呼吸する期間のようなものです。
(51-354, 1971.12.5)
真の父母というのは、どのような存在でしょうか。真の父母は、全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、60億人類が生きている今日の、この世界における国家圏の中心です。真の父母は、今後の理想世界につながる未来線上における出発点です。
(35-237, 1970.10.19)
참부모チャムプモ(真の父母)」というその3文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界になり得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めてハナニムを解怨かいおん成就してさしあげることのできる中心が決定するのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動することのできる、この驚くべき恵みに、皆さんは、まず感謝しなければなりません。
(43-144, 1971.4.29)
人間の願いは、真の父母に会うことです。死の道を行ったとしても会わなければならないのが真の父母なのです。歴史のすべてを失い、時代のすべてを失い、自分の子孫すべてを失うことがあったとしても、真の父母に出会ったならば、歴史を得て、時代を得て、未来を得るのです。そのようなお方がすなわち、真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。
(35-237, 1970.10.19)


皆さんが真の父母と完全に一つとなるときに、国家があり、宗族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のあらゆる栄光の価値を総合した実体基準が真の父母です。真の父母をこの世のお金と取り替えますか。自分の生命を渡して取り替えることができるでしょうか。それゆえ、昔とは違うのです。
皆さんはどこに行っても、真の父母に侍るために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千世、万世の子孫たちもそうしなければなりません。それゆえ統一教会は、違うのです。
(30-237, 1970.3.23)
統一教会で言う真の父母とは何でしょうか。堕落しなかったとすれば、ハナニムが縦的な愛になり、アダムとエバはハナニムの体になるのです。ハナニムの体のようなものです。ハナニムは骨のようなものであり、アダムとエバは体のようなものだということです。ハナニムにも心があり、体があります。
ハナニムは、内的な立場で内的な父母となり、アダムとエバは、外的な立場で外的な父母となるのです。内的、外的な父母が一つとなったその場において、愛によって結ばれて内的父母に仕えるようになり、外的父母をもつことになります。ハナニムと人間との愛の結びつきにより、真の父母、つまり完成した人間が成就するということです。愛と結びつかなければ、完成人間はないのです。
(184-71, 1988.11.13)

 

② すべての家庭に父母様のお写真を掲げよう

父母様の写真をり、統一教会の旗さえ掲げれば、それは天国の眷属けんぞくとなるのです。天国の眷属をつくってあげようというのです。それゆえ、今回旗を掲げることをためらって雷に打たれた人がたくさんいましたね。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさしたことで、手が悪くなり、幾晩も祈祷し、悔い改めて初めて良くなる、そのようなことが起こっているのです。なぜでしょうか。天運が来ているのに、個人の運勢によって防ぐことはできません。宿命的な道なのです。モーセつえを持っているときは、それを見ていた人はみな生きました。統一教会の旗を見て、行く時も来る時も敬拝し、写真を見て、行く時も来る時も敬拝すれば生きるのです。
(219-91, 1991.8.25)
統一旗を掲げるのは、通り掛かりの信徒が空腹であれば、ここに入って休みなさいという表示であり、昼時であれば、昼ご飯でも食べていきなさいという表示です。それゆえ、いつでも客をもてなせる準備をしていなければなりません。父母に代わって、そのような準備をしなければならないのです。ですから部屋もなければなりません。
ところが父母様が来ないので、父母様の代わりとして客に侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準の前に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、ハナニムに侍るように、父母様に侍るように客をもてなしなさいというのです。そのような人は、恵みを受けます。
(169-220, 1987.10.31)


ムン総裁は有名です。国のための愛国者だということは、みな認めています。また、私が成した功績には、天下がみなこうべを垂れます。そして、「あの方の写真を掛けている以上、夫婦がむやみにけんかをするわけにはいかない」と言い、息子、娘の前でも、「あの文先生の前ではそれではいけない」と言うようになれば、悪いことはありません。自分の両親の写真以上に尊ぶことによって、先祖たちが来て、先祖として侍るのです。また、先祖たちが来て、その家に侍ることのできる祭壇となるのです。それゆえ、天上世界の恵みを受けられる道があるので、午前3時になれば、自分たちは寝ていても、(先祖たちが)みな一家周辺の邪悪な悪魔をすべて追い払うのです。
(219-91, 1991.8.25)
今日以降、皆さんは先生の写真をもって歩くのが良いのです。そうすればどんな苦難に遭っても、無事に耐え抜くことができるよう保護してくれることでしょう。モーセがエジプトのパロ王からイスラエルの民を脱出させてカナンに導くために、奇跡を見せたとき、長子は患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門の柱に塗った家は、その患難は避けて通ったのです。霊界は、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけでなく、保護もしてくれるのです。
(130-290, 1984.2.7)
イスラエル民族がエジプトから出てくるときに、門の柱に血を塗って災いを免れたのと同じように、写真をもっていれば、そのようなことがあるかもしれないのです。霊界は、先生の写真をポケットに入れておいても分かります。このように小さな条件が、門の柱に血を塗るのと同じことになるのです。
(132-190, 1984.6.1)
今ではレバレンド・ムーンの名声は国境を越えました。あちこちの政治家の中には、書斎にレバレンド・ムーンの写真を掲げて仰ぐ人が多いことを私は知っています。ユン博士も私の写真を掲げましたか。毎日あいさつしますか。毎日キスをしますか。熱情的でなければなりません。キスしなければなりません。そうしたからといって、失礼になることはありません。
ハナニムの愛に代わってキスすることにより、私がキスすることにより、霊界に行った人々に同参権、同位権をもたせようとしているのだといえば、ハナニムは「ノー」とは言わないのです。「そうだ、そのとおりだ」と言うのです。尹世元ユンセウォン博士、そうしてみてはどうですか。
(171-239, 1988.1.1)
先生のほほえみは、モナリザのほほえみほどに神秘的なところがあるという経験をしたことがあるはずです。ある時はこうで、またある時はああで、数十万種類の姿に見える先生のこの神秘的な姿は、霊界をして皆さんに協助させるという経験を大部分がもっていると思います。霊界の霊人たちはみな、先生のことをよく知っているのですから、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、気を悪くするでしょうか。皆さんの先祖がこれを媒介体としてつながることができるのです。そのような良い材料であると理解してほしいと思います。
(132-190, 1984.6.1)


 

③ 宗族復興会をしよう

これからは、家庭復興会をしなければなりません。家庭復興会は皆さんの一族を中心としてするのですが、その復興会は全体の宗族を代表した復興会です。それは韓国だけでなく、世界の多くの祝福家庭が、宗族をつなげた、その宗族を代表した復興会だと考えなければなりません。そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。
今日、韓国にある統一教会は、韓国が基地となることにより、宗族基盤を中心として、世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれほどの恵みか知れません。ですから、この復興会の宴会で牛をほふってもよいのです。それは、皆さんの思いどおりにしてもよいのです。にわとりをほふるならほふり、鶏をほふっただけの恵みを受ければよいのです。牛をほふれば牛をほふっただけの、牛100頭をほふったとすれば牛100頭をほふっただけの恵みを受けるのです。相手のためにというその心情、自分の努力いかんによってすべて左右されるのです。それに比例して皆さんの先祖の解放圏が広がっていくのです。
(185-141, 1989.1.3)
今や、韓国統一が可能な時になったのです。すべてがそうです。これからは、故郷を訪ねていって宗族復興会をすれば、それは歴史的な復興会になるのです。これは、国を取り戻そうと三・一運動で万歳を叫んだ以上の驚くべき事件です。
歓迎される立場で天理が動き得る、そのような環境をもったということです。このような舞台で自分の宗族を動かせないとすれば、それはもうみな死ななければなりません。
(186-232, 1989.2.5)
歴史というのは、まことの真理を求めていく路程です。その真理は、真の個人が生きる道、真の家庭が生きる道、真の社会が築かれ得る道、真の国が築かれ得る道、真の世界が築かれ得る道を提示しなければなりません。そうして、個人から世界までの焦点がすべて一致してこそ、世界完成、国家完成、宗族完成、家庭完成、個人完成が可能なのです。このようにぴったりと合わせ得る核となるみことば、すなわち真理をもってこられるお方が真の父母なので、その真理はすなわち、ハナニムの真の愛です。
(20-25, 1968.3.31)
全世界の人類は、今や気を確かにもたなければなりません。統一教会ムン総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるとするならば、人類を鉄格子の窓で審判するというのではいけません。たたくことによっては、一人として完全に屈服させることはできないのです。自分のために、手がヒキガエルの背のようにでこぼこになり、曲がって開かなくなるほどに苦労した母親の犠牲的な愛には、不孝者を悔い改めさせ、戻ってこさせる力があるのです。棍棒こんぼうをもってしてはできません。審判の大王であり、天地を思いのままに主導なさるハナニムでも、真の愛なしには天宙統一は不可能なのです。真の愛は、困難が問題になりません。自分の生命を投げ出しても、行ける力が真の愛にはあるのです。
(201-339, 1990.4.30)


統一教会のみ言は良いのだが、人は良くないというようになれば滅びます。統一教会の文先生は皆さんの前に、み言を語っただけでしょうか。み言を語っただけではありません。先生が今、皆さんに教えていることは、先生がすべておこなってから教えているものなのです。それゆえ、これは間違いありません。先生は、知識の面においても、実際的な面においても、矛盾や相いれないということのない理念体系をつくり、教えてあげているのです。それに対しては、誰も何も言えません。サタンも公認し、ハナニムも公認します。
(24-108, 1969.7.13)
ハナニムは、み言をもって私たちを呼んでいらっしゃるので、私たちは、そのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえるための道は何でしょうか。真なるみ言を通じることです。そのみ言は、父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子となることはできません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。私たちは、そのようなみ言を求めていかなければなりません。そのみ言がある論理的な条件にぴったりと合うといっても、それで終わるものではありません。大原則でありながらも、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても、生命となり得るみ言です。そのようなみ言を求めなければなりません。
(10-130, 1960.9.18)
父母のみ言は、永遠なものです。時間と空間を超越するということです。それゆえ、ハナニムのみ言は歴史を超越します。時代を超越します。主義を超越します。思想を超越します。ですから、どこの誰の言葉よりも貴いものです。そのみ言は、夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れ込んでいくのです。そのようなみ言を求めなければなりません。
(10-130, 1960.9.18)
私のハンは何でしょうか。両親の生きているうちに、統一教会に入会するように涙を流し、絶叫しながら勧めることができなかった不孝を残したことです。この恨を、皆さんを通して解こうと思います。私の一族を伝道することができませんでした。8人の兄弟姉妹がいましたが、私は彼らの前で「原理」のみ言を一言も語ることができませんでした。兄は、私が語れば何でも絶対服従するのです。カイン復帰を完全にしました。「家を売れ」と言えば家を売り、「牛を売れ」と言えば牛を売ってくれるのです。母親、父親が及ぶところではありません。そのような兄に対して、一度も「原理」のみ言を語ることができませんでした。
(203-183, 1990.6.24)
故郷に帰ってこれからは、灯台を立てなければなりません。灯台とは何でしょうか。夜、暗い所に明かりをともすのです。それは、どんな灯台でしょうか。南北統一、東西統一の灯台の明かりをともしなさいということです。これからは、聖地のその明かりを消さないように、をともさなければなりません。
(181-296, 1988.10.3)
今後、皆さんは口を閉じていてはいけません。人が集まってくれば、先生が1950年代に7年間2時間以上寝ることなく、皆さんに昼夜を問わず教えたように、夜も昼もなく7年ぐらいやってごらんなさい。7年間しなくてもよいのです。4年もかかりません。4ヵ月以内にすべて終わるのです。私が故郷に行くならば、もう、あっという間に統一してしまうのです。ですから、両親によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに本当の意味で、よくよく教えてあげなければなりません。自分の手で、人の口を借りることなく、皆さんの血と汗を通して教えてあげなければなりません。精誠のこもったその教える態度を、その姿勢を父母が見習い、兄、姉、弟、妹が見習い、おいめいが見習えば「家の宝である私たちのおじさん、私たちの弟、お姉さん、私たちの息子、娘」このようになるのです。
(185-116, 1989.1.3)


皆さん、これからみ言を宣布しなければなりません。これから「原理宣布だ」と言って、皆さんの町内で8時間でも何時間でも夜を明かし、私が7年間したように、皆さんもそのようにしなければなりません。7年もかかりません。7ヵ月もすれば、すべて変わっていくことでしょう。そうなれば、私がトラックにいろいろと積んで行くかもしれません。一族が私を招待してです。
(185-250, 1989.1.8)
先生は、7年間、1日に2時間しか寝ませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は協会長に3年間、16時間ずつ講義させました。劉協会長が苦しんでいるときに私が、「こら、横になって人を殺そうというのか。先生に横になると言いもせずに横になっているのか」と怒鳴ったことが、今となっては心が痛みます。劉協会長は魚が好きでした。アキアミ(注:甲殻類に属するエビの一種)というエビの塩辛のにおいは、その横に行くこともできないほどなのに、それをおいしいといって食べたことを今でもはっきり覚えています。今では味付けした牛のカルビ(あばら肉)の片身全部を食べさせてやれる時代になったのに、あんなにかわいそうな生活をしていたことを思うと、胸が痛むことがあります。どうしてそうしたのかというと、伝統を立てるためです。
(185-250, 1989.1.8)

 

④ 訓読会を組織化せよ

先生のみことばは、先生が語ったものではありません。先生が言ったことではないのです。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は、皆さんがいつ、どこで聞いても心が動き始めます。心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こるのです。そのような力があります。
(289-295, 1998.2.1)
集まりがあるときは勉強です。夜も昼も時間さえあれば勉強です。何百回、何千回と読んで、自分のものになるまで、自分がその相対的実体圏をもつまで、これからはそのようなことをするのです。統一教会員は、座っていると病気になります。病気にならないためには一生懸命に読み、試験をし、努力するのです。
(288-41, 1997.10.31)
まことの父母は、み言の先祖であり、人格の先祖であり、心情の先祖です。
(14-22, 1964.4.19)
訓読会は、私が千辛万苦して人生において積んだすべての宝の箱を、民族の前で開けて与えることなのです。誰にでも、すべて。「翻訳もするな」と言いました。翻訳できません。私の民族の前に通告する時までです。それを知らなければなりません。時間さえあれば訓読会をしなければなりません。一人でも、トイレでも訓読会、1日に何時間でも、どこを読んだか記録して、ポケットにみ言の本を入れておいて常に訓読会をしなければなりません。
(290-29, 1998.2.2)


『御旨の道』を読み、原理を読むのはもちろんですが『祝福と理想家庭』であるとか、今まで先生の語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙たいじして闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければなりません。ここには、父母様の歴史的に記念となる過去、現在、闘ってきた内容がすべて含まれているので、私たち統一家が父母様と一つとなるためには、その内容と一つとなりながら、そこにあるそのみ言と相対的な基準をつくっていかなければならないのです。自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、7代まで、そして横的には160家庭、180家庭を中心として完全に一つとなってみ言を定着させなければならないのです。
(288-16, 1997.10.31)
訓読会は、すべての祝福家庭が夫婦二人きりでもしなければなりません。毎日、朝1時間ずつ。もし朝にできなければ、夜寝る前に12時でも1時にでもすべきです。私はしています。今回、南米を巡回したときにも、12時を過ぎて疲れていても、それを実践しました。1日も欠かすことはできません。分かりましたか。皆さんも読んでみてください。『祝福家庭と理想天国』! この本は、祝福家庭の内容をすべて教えてあげ、理想天国の内容をすべて教えてあげたものです。先生がそれをめぐって闘ってきた勝利の基盤を、ハイウェイを切り開いておいたので、ここに高速道路をつくり、皆さんはすべて自動車となり、ガソリンとなって、最高のスピードで走らなければなりません。
(288-41, 1997.10.31)
私たち統一教会の原理の内容を、嫌気が差すほど語ってみなさい。一度、嫌になるほどやってみようということになれば、どんなにおもしろく、どんなに良いか知れません。み言が創造の能力をもっているという事実を、確実に知らなければなりません。私がどこへ行こうとも、天が共にあるということを知っているので、その心情が直接、大衆に影響を及ぼすのです。どういうことか分かりますか。
(107-251, 1980.5.19)
先生が今まで説教した説教集を、すべて読んだ人は手を挙げてみなさい。この者たち! どんな教育をしたのですか、協会長。先生は、その説教集の中でも深い内容は語れませんでした。今でも語ることができません。み言の貴さを知り、み言の下には生命の源泉があります。き水の源泉、水の源泉ではありません。降水ではありません。この生命の源泉が流れているということを知らなければなりません。自分個人の家にその湧き水のパイプをひき、永遠の生命水が湧き出すような道を模索しなければならないのが、統一家の群れの責任なのに、何をしてきたのですか。あれはみな、古物屋に売る本なのですか。
(181-268, 1988.10.3)


 

第5章 再出発のための私たちの姿勢

 

1) 再出発の決意

滅びるわけにもいかないし、死ぬわけにもいきません。そうでしょう? 生き残らなければなりません。生き残るためには、そのままでいてはならないのです。敵を越えていかなければなりません。敵を越えれば天国です。ですから還故郷した所から敵を越える日には、天国の版図が広がるのです。統一民族圏ができるのです。それゆえ、皆さんが今回、同行することにより、1000万の心の中に還故郷の火をともす良い機会になるのです。こうして底辺から侍り、抱き、兄弟の愛をもって南韓の同胞と北韓の同胞が兄弟のように、自らのすべてを分かち合いつつ、そこから再出発するのです。そこには、国家観はありません。カイン・アベル時代に国家はあったでしょうか。国家がありましたか、ありませんでしたか。国家の後援を受けてはならないのです。国家の後援があれば、両者とも滅びるのです。
(219-339, 1991.10.13)
以前に、「分水嶺ぶんすいれいを越える」と言いましたね。古稀こきのとき、霊界に通じる外部の人が、踊りを踊りながら、「今やムン総裁が38度線を越えた」と言いました。それは敷居を越えたという意味です。幸福の世界が来るということです。そのようにして1990年代を越えなければなりません。これを越えれば統一教会は、一瀉いっしゃ千里に発展していくことができます。今回の古稀から、今、70歳ですから7000年、7数を蕩減とうげんして8数時代になるのです。8数は解放の数、再出発の数ですね。ですから、アメリカが共産党滅亡宣布をしたのです。すべてが終わったのです。本当に不思議です。それも、私たちが大会を終えたのちの7日と8日でした。
(199-96, 1990.2.15)
このような難局の時期が来ることを天は知っていたので、神のみ旨を中心として新たに再出発する準備をさせなければなりません。その位置にあるべき宗派、教会、あるいは宗団とは、いかなる宗団でしょうか。統一宗団だというのです。その名のとおり「統一」という言葉は指導を受ける位置での統一ではありません。「統」には率いるという意味があるのです。率いなければなりません。主体的な中心をもって相手を教育し、主体理論の理想的な同伴者として、相対圏を形成し得る内容を備えなければなりません。それが統一宗団、統一教会です。
しかしそれは、このレバレンド・ムーン一人の構想から始まったものではないのです。歴史性を超越した内容を中心として始まったという事実を、今日の世界は知りませんでした。
(219-289, 1991.10.13)


孝子の道を行くためには、有史以来、どんなに迫害が身にこたえ、困難な峠が多かったとしても、それを克服することのできる余裕満々とした男とならなければなりません。艱難かんなんと試練の中でもまれ、後退の余念をもって悲しみのハンの道へと戻っていくのではなく、億千万世の苦衷くちゅうと受難の道を克服し、また克服しながら、決意して誓い、あすの希望に満ちた再出発の道を促していきながら、死の道も見分けていける道を残して行かなければなりません。そのような歴史的要求と、ハナニムの要求があるということを知らなければなりません。
(174-43, 1988.2.23)
「世界平和連合」の構想をその時から始めたのです。それを、今年8月末までに終わらせなければなりません。「世界平和宗教連合」も同じです。これが9月を越えてはならないのです。8月は世界的な再出発をする月なので、それを形成しなければなりません。そのために7月1日、「ハナニム祝福永遠宣布式」をしたのです。蕩減路程をすべて越えなければならないのです。そして宗教圏まで一つに結んで宣布しなければならないのです。それが8月28日です。その時までに宣布式をして、その次に、9月1日に新たな出発をするのです。すべてが越えるのです。そしてこれからは、世界は進んでいた道に背を向け、すべて先生に従ってくる群れとなっていくのです。
(220-45, 1991.10.14)
皆さん、皆さんがそのように「ため」に生きようという生き方をすれば、歴代の先祖の基準を越え、歴史上初めて必勝の勝世者として「ハナニムの息子、娘だ」と言える天道の道を行く偉大な人の人生に出世するのです。そのような時代になったのです。皆さんが自分自身の生涯を再出発させ得る、驚くべき時代になったのです。
(201-169, 1990.3.30)

 

2) 真の父母様の伝統相続の姿勢

皆さんは、堕落した息子、娘です。本来は、一人ではその位置に到達することはできません。皆さんは、堕落した位置にいるのです。それゆえ、まずまことの父母に学ばなければなりません。行動することはすべて指示に従わなければなりません。その場において、互いに一つになることができ、そこから真の愛が生まれるのです。それが最初のエデン家庭の伝統になるのです。真の父母様なしに、どうして真の愛と伝統を学ぶことができるでしょうか。父母様なしには、そのような相続がなされるはずはないのです。
(131-238, 1984.5.4)
父と母は、真の愛で愛する息子、娘に自分のすべてを相続しようとするのです。宇宙の相続は、愛の伝統の上で、同等な愛の価値的位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく100パーセント相続するようになっているのです。ですから父母は、孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠なる愛の同参者として、愛を相続し、つなぐ人です。
(140-233, 1986.2.12)


皆さんは、皆さんの家庭の主人をどのような人にしたいですか。どのような人を主人の位置に置きたいでしょうか。父親でも、おばあさんでも、家族はみな、どのような人を相続者にしたいと思うでしょうか。より愛する人です。おじいさんが最もその家全体を愛しているとすれば、家族は、お父さんをさておいて、おじいさんにすべてを報告するのです。それはどうしようもないのです。それゆえ、家庭の主人となれる者は、愛の心をもち、「ため」に生きる者です。愛の心をもち、より「ため」に生きる者が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より大きな愛をもち、「ため」に生きる者が永遠なる相続系列に同参することを知るべきです。
(141-292, 1986.3.2)
皆さんは家庭で、「孝子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。真の愛の中に入りなさいということです。それでは、「相続者となれ! 愛国者となれ!」と言うのはどういうことでしょうか。国を相続しようということです。「聖人となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。世界を愛せということです。そうすれば、世界の主人になるというのです。世界を相続するというのです。「聖子せいしとなれ! ハナニムの息子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。ハナニムの愛に同参し、宇宙全体の相続権を受け継ぎなさいということです。そのすべてを相続できる伝統的な道があるので、今日まで堕落した人間世界において、このような論理的な段階に発展できる基盤を連結させてきたのです。それゆえ宗教の目的や、救いの道が可能だと決定づけることができるのです。何ゆえにできるのでしょうか。愛のゆえです。
(142-337, 1986.3.14)
今まで、この道を切り開いてきたハナニムの道がそうだからです。ハナニムの築いてきた伝統を相続してあげるには、皆さんがこの道を行かなければならないのです。皆さんが苦労するのを見て喜ぶのではありません。苦労して切り開いてきた、その心血を注いだすべての福の恵みを、皆さんに無条件に祝福してくださる天があることを知らなければなりません。その位置で相続を受けてこそ栄光となるのです。そうではないですか。怨讐おんしゅうの側に、相続を受けてこそ栄光となります。
ハナニムは、そこで暮らすのです。十字架でいたのですから、十字架で刈り入れなければなりません。それを知らなければならないのです。涙で蒔いたので、涙で刈り入れなければなりません。
(150-209, 1961.2.15)
私たちがハナニムの摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実な者となったのちには、どうすべきでしょうか。責任をもたなければなりません。責任をもてば革命を起こさなければなりません。この伝統が父の前に正しくないとするならば、その伝統を全体の前で相続させるためには、社会環境の矛盾したすべてを打開するために闘争しなければなりません。そうしなければ発展がないのです。それゆえ、皆さんがそのような歴史的な因縁を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、ハナニムの復帰摂理に関する歴史的で純粋な伝統を受け継がなければなりません。そして、現在の生活的環境においてそのような責任を負い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければならないことを、よくよく心に刻まなければなりません。
(152-196, 1963.5.10)