八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

第1章 家庭は天国の中心モデル

天国を開く門、真の家庭(2012年版)p11-43



第1章 家庭は天国の中心モデル

 

1) 家庭はすべての存在の中心モデル

人が空間の世界に立つようになれば、必ず上下が必要であり、左右が必要です。そうしてこそ私の存在位置が確定されるのです。みなさんが上下を正しく備えているのか、左右・前後を正しく備えているかによって、様々な形になるのです。
皆さんの上下、左右、前後関係、そして、家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱うにおいて公式は一つです。


個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても親子、夫婦、兄弟姉妹がいなければなりません。
それは国においても同様です。国の主人を中心とし、すべての家庭が、東西の文明、南北の文明を抱き、世界万民を兄弟姉妹のように抱いて、結局一つの家庭モデルを実現するのです。
モデルは同じです。そして自分自身がそのモデルの中心です。自分があるという前提のもとに、自分の家庭があり、国、世界、天地、ハナニムにまで至れる、というのと同じ道理です。皆さんは、宇宙の中心になりたいと思うだけではなく、そのようになることができるのです。このように、家庭の概念とは、宇宙における核のようなものです。天を父母と見れば、地は子女です。東と西を見るならば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴します。女性は結婚すると夫の位置に準じますが、それは、西が、太陽の光を受けて光り輝く時、東と同じ位置をもつようになるのと同じです。


兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として行動するとき、弟たちが協力するようになるのです。ですから人間は、親子の関係がなければならず、夫婦の関係、そして兄弟の関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点で結ばれなければならないのです。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。
この中心点が異なれば、上下、左右、前後関係の均衡がみな崩れるのです。ですから結局、上・下・左・右・前・後、そして一つの中心点まで合わせると、全部で七数になります。このように七数になるというのは、正にハナニムを中心として、完全な真の愛で一つになり、すべてが完全に球形となって、調和と統一を実現する家庭になるという意味です。私たちがよく「ラッキーセブン」と言うのも、このような観点において一理あるのです。


真の愛が永遠に変わらぬ限り、この中心核も変わらずに永遠に回るようになり、真の家庭の理想が実現するようになります。また、すべてが核において連結されるので、この中心核から一・二・三・四・五・六・七、すべてが同等の価値をもちます。おじいさんが願えば、孫が反対せず、息子や娘もそれを願い、三代がみな共に願うようになるのです。おじいさん、おばあさん、夫婦、息子、娘、すべてが中心に合わせるようになります。
この愛を中心として見るときに、親子関係が一つなので「一体」と言えますし、夫婦関係も「一体」と言えますし、兄弟関係も「一体」と言えます。一つの体です。何を中心としてこのような関係を「一体」と言えるのかというならば、愛の中心であるハナニムの真の愛を中心として言えるのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一体となり、兄弟姉妹においても同様です。そうなることによって、すべての価値が同等になるのです。


 

2)家庭は宇宙の愛に接することができるの愛の教材

宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは、ハナニムの愛する子女が、愛という理想を見いだしていけるように、教材としてつくられたものです。ですから、そのすべては何もかも相対的な構造になっています。
鉱物は主体と対象の関係で作用します。原子もそうです。陽子と電子が主体と対象の関係で作用します。作用しなくては存続することができません。運動せずしては永続、存続ができないのです。ですから宇宙は、人間を中心とし、その中心点に到達できるように創造された世界なのです。


宇宙とは何でしょうか。家庭を拡大したものです。愛を完全に成した家庭を見ると、上中下(父母・夫婦・子女)があり、左右があり、前後があります。これが原則です。「上下」というときは父母と子女のことをいい、「左右」というときは夫と妻のことをいい、「前後」というときは兄弟のことをいいます。
このような全体は何によって一つになれるのでしょうか。力でもなく、知識でもお金でもできません。ではどのようなものでできるのでしょうか。真の愛です。それは間違いない真理です。そうでなければ球形にならないのです。


それでは、上中下は私たちの家庭において何なのでしょうか。愛の教材です。宇宙の愛に接することができる愛の教材です。そのようなことを社会に出て実践しなさいというのです。
どのように愛さなければならないのでしょうか。イエス様も、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と語られましたが、どのようにせよということなのでしょうか。漠然としています。世の中に出ていってお年寄りに接するときは、皆さんのおじいさんのように尽くしなさいというのです。お母さんのように対し、お父さんのように対し、息子のように対しなさいというのです。世の中に出れば、みなそのようにしなければなりません。
上中下や前後左右という型の人々がいっぱいとなって、世界という展示場に展示されています。人の博覧会が世界だということを知らなければなりません。皆さんがそのような愛をもって、すべてのものを愛することができれば、その中にハナニムが共にいらっしゃいます。


天国とは何でしょうか。自分の家庭のように世界の人々を愛せる所が天国であり、そのような人が天国の民です。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦、兄弟、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として愛を、宇宙の真の愛を体験するための教材としての家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです。
私たちは、宇宙の愛を学ばなければ生きることができません。ハナニムは、教本や経典のようなものを作られて、「あなたのおばあさんとおじいさんを愛しなさい。地上にいるおばあさんとおじいさんは霊界のおばあさんとおじいさんを代表して送ったので、そのおばあさんとおじいさんを愛することは全体を愛することにしてあげよう」と公約されるのです。
その次には、「あなたがお母さんとお父さんをこの上なく愛することは、この世界の数多くのお母さんとお父さんを代表する教本のように愛するモデルになるので、全体を愛した条件にしてあげよう。また、男性として女性を愛したことは、世界の男性が、世界の女性を代表的にまとめて愛したものとして見なしてあげよう」とおっしゃるのです。


またその次は、「あなたの息子、娘を愛したことで全体の息子、娘をみな愛したことにしてあげよう」とおっしゃるのです。ですから家庭は、その訓練を受ける訓練所です。
そのような経典による世界愛の訓練過程において、訓練を受けた人に「今から世の中に一度出て、皆さんのおじいさんとおばあさんの代わりに、世の中のおばあさんとおじいさんを愛せますか」と聞いて「イエス!」と答えられるならば、それは、世界を救うことができるのです。


 

3)愛の王国に入籍するための愛の修練場

愛の王国を実現したいというのがハナニムのみ意です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようとするのがハナニムのみ意だというとき、小学校の卒業から大学の学士、博士卒業までパスできる実験場がどこかといえば、家庭です。
家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見てみると、おじいさんとおばあさんが住む世界、それからおじいさんとおばあさんが住む世界、お兄さんとお姉さんのような人たちが住む世界、青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界があります。ですから、老年から壮年、中年、青年、少年たちが集まって住むこの世界は、型が大きく、数が多いだけであって、家庭を拡大させたものです。


家庭は、天国に入るための最小単位の修練所であり教材です。そこには、祖父母級、父母級、夫婦級、兄弟級がすべてあります。これをおじいさんとおばあさん、あるいはお母さんとお父さんの年齢、その次には、自分の年齢、息子、娘の年齢に拡大させたのが世界人類です。この人類を自分の妻のように愛し、父母のように愛し、息子、娘のように「ため」に生き得る家庭だけが天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。ハナニムが造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権が、ここにあるのです。
家庭は、死ぬときに天の国の平和の王宮に入籍する手続きの権利を得られる愛の教科書です。家庭が愛の訓練場だというのです。この家庭を拡大したものが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんとお母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子、娘のような世界があるというのです。これを拡大すれば、そのまま世界になるというのです。


ですから、自分の家庭を愛するように、その家庭を中心としてハナニムを愛するように全世界の人々を愛すれば、それが天国にまっすぐに行く道になるのです。したがって、「心をつくし、思いをつくし、精神をつくして主なるあなたのハナニムを愛せよ」というのが第一の戒めです。
第二は、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」というものです。ハナニムを愛して人類を愛すればすべて終わるのです。それができなければ、いくら修養しても意味がありません。宗教でいくら修行を積んだとしても、ハナニムを愛することを知らず、人類を愛することを知らず、宇宙を愛することを知らなければ、すべて落第なのです。


家庭において、全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そのようにできる訓練場として引き継いだのが、皆さんの育ったお父さんとお母さんが住む家庭だというのです。
ですから、自分の妻を愛する以上に父母を愛し、自分の妻を愛する以上に息子、娘を愛し、自分の妻を愛する以上に人類を愛し、自分の妻を愛する以上にハナニムを愛するなら、すべてOKです。だからといって、自分の妻を捨てなさいというのではありません。そのようにすべての人を愛するようになれば、その愛を受けたすべて人々が自分の妻を愛するようになるのです。それ以上の栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです。


 

4)家庭は天国のモデル教科書

子女の立場にいる人は、どのような運勢を受けなければならないでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母は、なぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は、過去の生きた歴史を代表します。その次に、父母は現在を代表します。それから、子女は未来を象徴します。そこには東西も入っていて、南北も入っています。そして、全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、ハナニムの中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものです。ですから、おじいさんを愛し、おじいさんを尊敬するのは、過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶことです。
お父さんからは現在を学ぶのであり、子女を愛することは未来を学んでいくことです。おじいさんとおばあさん、お母さんとお父さんを通じて何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。「おじいさんとおばあさんは年を取っているが、二人が真の愛で一つになっているし、お母さんとお父さんも一つになっているので、私たちもあのようになって未来を引き継ごう」というのです。


ですから、真の家庭にならなければ、絶対に未来を引き継ぐことができないのです。家庭のこの三代を見るとき、それは、宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は、現在と未来を代表した真の家庭にあるのです。動物世界を見ても、雌を愛し雄を愛しますが、これは宇宙の愛を学ぶことができる教科書です。
おばあさんがいなければ不安定です。おじいさんがいなくても不安定であり、どちらがいなくても同じです。二人が共にいてこそ、そのまま天の国へ移っていくのです。祖父母、父母、子女が皆いてこそ、そのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に入ることができるのです。そのモデル教科書が真の家庭です。


家庭は、天国をつくるための教材です。天がつくっておいた教材です。世界のどこに行っても、おじいさんの年齢の人に会うときに、その人を自分のおじいさんのように愛する人は、天国に行くようになっています。
自分の父母のような年齢の人に会って、その人を自分の父母のように愛せる人は、どこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線ができないのです。万国の若者を自分の子女だと思う心をもてば、その人は、十二の真珠門があって十二の方向があっても、天国のどこでも通じるのです。ですから、家庭というのは、天国と因縁を結ばせるための教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すればハナニムの子女、すなわち聖子になるのです。人はみな、そのような欲望をもっています。


皆さんは、五色人種の子女を抱き、その孫たちを抱くことができなければなりません。ですから、ハナニムの真の愛をもって真の父母として世界人類を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。ハナニムの愛を中心とした本然の父母の因縁の中で、真の愛の家庭基準を代表できる立場に立つことによって、初めて天国に入ることができるのです。

 

5)家庭は三時代の愛が結集した核心体

歴史を抱き、現在を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから、ハナニムが今まで六千年を経ながら求めてきた最後の基点が、正に家庭なのです。その家庭は、愛が連結された、愛によって結束された家庭です。


存在するすべてのものは、みな真の愛の主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛との関係を離れることはできません。このような家庭をつくることが、ハナニムが創造当時にアダムとエバに下さった本来の使命だったのです。
ハナニムは、男性のアダムと女性のエバだけで終わるのではなく、互いに結合してつくる新しい家庭を夢見られたのです。これが、ハナニムが男性と女性を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから、真の家庭を求め、その家庭圏内において、ハナニムの愛を中心としてこの世で充足感を感じられる境地に入って生きてこそ、天国も無事に通過するのです。そのようにしてこそ、この世界も越えることができます。


愛の家庭圏を形成するためには、絶対的でなければなりません。父母は歴史に代われるものであり、夫婦は現在に代われるものであり、子女は未来に代われるものです。自分が一つの時代で一人の相対を愛することは、ハナニムが世界に対されるのと同じことです。ここで父母と夫婦と子女が一体となり、天宙を代表して「私たちの愛を見習いなさい」と言うことができ、子孫たちに対して「私たちに従いなさい」と言うことができ、内心でも外心でも主張できる心の本郷、そのような天情が通じる所は、天地に記憶されることでしょう。
今までハナニムは、何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。ハナニムに似て、ご自身がつくられた世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点とは何でしょうか。家庭です。家庭以上に宇宙を代表できるものはありません。父母と一つになることは、歴史と現実が出会うことです。ここで「私」は父母を愛することで過去を愛することができ、相対を愛することで現実を愛することができ、子女を愛することで未来を愛することができます。ですから、私は、三時代の愛を体験することができるのです。この三種類の愛が結集した核心体が正に家庭です。


では、天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他のところから始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏を離れたものではないというのです。ですから、皆さんが自分の妻や夫を抱くときには、世界のすべての男性と女性が一つになるのだと思わなければなりません。このように、世界人類を愛したという条件を立て得る場が、正に家庭なのです。皆さんは、そのように生きていく道を求めなければなりません。父母を愛することは歴史と現在を連結させることであり、ハナニムが訪ねてこられる道を整えることです。


ですから、父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な自分を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが父母を愛することです。また、自分を中心として子女を愛することは、現実と未来を連結させることです。そして、このような愛を千年、万年たたえるようにしようという思想が「統一思想」です。

 

6)家庭は心情的な訓練場所

私たちは、心情を離れては生きることができません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せるところがなければ生きていけません。自分が率いる人たちや閣僚たち、あるいは追従する人たちには、心情的な満足は感じられません。それは、家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じられなければなりません。そのようにして、その喜びを他の人に誇れなければなりません。その喜びは、第一次的な喜びであって二次的な喜びではありません。


ハナニムも同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のないハナニムは喜ぶことができないのです。結局、家庭がなければならないのです。
家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では先生を中心としなければなりません。父母は自分に乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、それで情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校は何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練する所です。家庭が情緒的な訓練場なら、学校は社会生活のための実験的な訓練所です。


かといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかというと、国に帰結するのです。国には国王がいます。人々がみな大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってからどこに行くのかというと、もっと大きな所に行くのです。
大統領といえば、蘇生・長成段階を越えて三つ目の段階の結実です。種が根から始まって循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲き、実を結ぶのです。ですから、学校も国のための貴重な中心人物になり得る人、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。


学校でする勉強とは何でしょうか。訓練です。ですから、学校は訓練場所、実験場です。訓練とは、本番ではなく準備の段階です。準備を誤ってはなりません。
家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場所です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のこのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるのです。
父母は、情緒的なすべてのことを子女たちに伝授してあげなければならないのです。父母が生きたのと同じように家庭ではこのように生きなければならず、社会ではこのように生きなければならず、国のためにはこのように生きなければならないという情緒的な土台を築いてあげなければならないのです。


皆さんが家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を因縁づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、親と子の間に、互いに「ため」に生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。

 

7)人間の永遠の本郷は家庭

家庭、家庭は良い所です。どうして良いのでしょうか。お母さんとお父さんがいるから良い所であり、お姉さんとお兄さんがいるから良い所であり、弟と妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所なのです。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっているのです。国よりも故郷にもっと思いをはせます。大韓民国が好きで大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも懐かしい所はどこでしょうか。故郷、故郷なのです!


それでは、故郷とは、どのような所でしょうか。自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です。その心情とは何でしょうか。愛で結びつけられるものです。上には父母が結びつけられ、左右には夫婦の因縁が結びつけられ、下には子女、親戚が立体的な愛で固く結びつけられているのが本郷の心情です。
人は、愛を中心とした幸福の基点を最高に望むので、本郷を慕わざるを得ないのです。ではハナニムの本郷はどこなのでしょうか。この地球星において、ハナニムの本郷の地はどこなのでしょうか。これは考えなければならない問題です。


愛のハナニムなら、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこでしょうか。それを知るためには、ハナニムがその基点を準備するためにどのようにしてこられたのかを知らなければなりません。
ハナニムの家庭を準備することができ、本郷の基点になり得る所はどこなのでしょうか。他の所ではありません。ハナニムを本当の父だと思う息子がいる所です。すなわち、ハナニムの愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して完全な家庭を築く所です。


ではその本郷の地には、誰がいなければなりませんか。慕わしい人たちがいなければなりません。父母がいなければならず、兄弟がいなければなりません。そうして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、一瞬だけではなく、永遠に一緒に暮らしても嫌気がさしてはいけません。そのような所を求めていかなければなりません。そこが今日、宗教で目指す天国なのです。
今日、私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にはどこの誰よりも近い父母がいるし、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいついかなる時に訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私に困難なことがあれば、その大変な事情に同情し慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそれがなければ、本郷が懐かしく、好きで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情はなくなり、かえって嘆息の条件をもって帰ることになるということを知らなければなりません。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。


 

8)家庭は天宙主義を完結させる最終基準

すべてのものは、一つから多くのものに分かれ、結局、一つの大きなものに統合されます。すなわち、一つからいくつかに分かれ、そして一つに統合されるのです。ここでまた分かれて、より大きなものになる反復運動をします。
そこには家庭がありますが、形態は統合される前と同じです。家庭は、夫婦を成した所であり、その夫婦を一つにする所です。氏族は家庭を一つにする所であり、民族は氏族を一つにする所です。民族が集まって一つの国家の前にすべて入ります。しかし、どこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開させれば横的な世界になるのです。


ですから、どのような社会であったとしても、家庭を抜きにすることはできないのです。家庭を復帰できなければ、世界を復帰することができません。その次には、その家庭を中心として天宙主義を成就しなければなりません。天宙とは、天と地を総合したものです。天と地は、人間における心と体のようなものです。心と体が一つにならなければなりません。
一つの主体があれば一つの相対が必要なように、一人の男性には一人の女性が必要なのです。男性と女性が一つになるのが家庭です。この一つの家庭を中心にしなければハナニムの愛の基盤が定まりません。
天宙主義というものは、体と心を合わせたのち、ハナニムの愛の本体となる家庭を築き、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は「家」という意味です。それで天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。


これが、私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要です。皆さんが家庭で一つになれなければ、天宙主義とは関係ないというのです。家庭が天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌うことができず、幸福を称賛できない人は、この地上でも霊界に行っても不幸な人になるのです。
天国は、どこから成されるのでしょうか。私たちの家庭から成されます。では、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に「家」を意味する宙という字、すなわち天の家主義だというのです。このようになってこそ、天宙という意味がはっきりするのです。


ですから、聖書六十六巻は、すべて理想的な家庭を願ったみ言です。また万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは理想的な夫に出会うことです。女性がいくら学士、博士になって世界に大言壮語するとしても、その願いは理想的な男性に出会うことです。愛することができる理想的な男性に出会い、福々しい子女を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。
それでは、天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は父母の主義です。これは、我が家の主義であり、我が国の主義であり、皆さんの個人の主義です。


人間が堕落しなかったならば、世界は誰の主義になるのでしょうか。アダムの主義になるのです。そのアダム主義が、正に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の主義はあり得ないのです。
ですから、統一教会は、この本然の理想的な家庭の範囲の中で、心情的な問題を、真の父母という理念を中心として天の主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り、統一教会は滅びません。