八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 1-5

八大教材教本 天聖経(2012年版)p195-230

【天啓の御言】(1-5)

 


救世主の「世」というのは、この世の中をいうのです。ハナニムがこの世を愛されてひとり子を下さったのであって、キリスト教を愛されてひとり子を下さったのではありません。ヨハネによる福音書3章16節をすらすらとよく暗唱するキリスト教徒たち!「ハナニムがキリスト教会を愛されてひとり子を送られたので、誰もが私を信じれば滅びず、救いを受ける」とは言わなかったのです。「ハナニムが世の中をこのように愛されて、ひとり子を送られた」と言いました。救世主の使命とは何でしょうか。ハナニムを解放することであり、サタンを処断することです。そのように人間に食いついて、さっさと処理しながら讒訴ざんそしていた怨恨えんこんの元凶を誰が清算するのでしょうか。ハナニムは精算できません。メシヤ、救世主だけができるのです。
(136-219, 1985.12.29)
メシヤが来て何をするのでしょうか。歴史上において、はじめて一つの国の主権と国土と民を取り戻し、それを基盤として、横的な世界を奪うための戦いをコーチする司令官として来るのです。それがメシヤの使命です。
サタンを屈服させるには、国家だけ屈服させてはいけません。サタンは世界的な主権をもっているために、世界主権まで追放しなければなりません。そうしてこそ初めて、この地球ぼしに解放圏が生じるようになるのです。
地球星のどこに行っても、サタンが反対する影があっては、ハナニムが自由と平和の園として造ったエデンの園の理想が実現されません。地球星にサタンが反対し得る影がなくなってこそ、地上天国が完成するのです。地上でそのことが完了されてこそ、天上世界の解放運動を始めることができるのです。これが統一教会食口シックたちの行くべき道です。
(57-128, 1972.5.29)
メシヤがすべきこととは何でしょうか。個人的にサタンを屈服させ、サタンの血統を除去し、個人的に勝利の道を築くべきであり、家庭、国家、世界的に勝利の道を築くべきです。これがメシヤの行く道です。言い換えれば、
第1は、個人が行く道を築かなければならず、第2は、家庭が行く道を築かなければならず、第3は、国家が行く道を築かなければならず、第4は、世界が行く道を築かなければなりません。
個人的に勝った次に、世界的にサタンが動員され、国家と民主世界が合わさって攻撃をしてきても、それと戦って勝たなければならないのです。家庭的にも全世界的にも、そうしなければなりません。言い換えれば、ヤコブが天使と戦って勝ったのと同じであり、アベルがカインに勝ったのと同様に、勝たなければなりません。これは、1対1の戦いなのです。しかし、今はサタン世界全体を打たなければならず、そのためには、そうできる最も先端の代表的な国がなければなりません。そこが韓国です。
(54-197, 1972.3.24)

 

3) イエス様と「真の父母」

エス様はどんな方でしょうか。エデンの園で、アダムとエバが堕落することによって、まことの父母になれず、偽りの父母になり、偽りの子孫を生んだので、これを再び復帰するための真の父母として来られた方です。アダムとエバは、真の父母になれなかったと同時に、真の夫婦になれなかったので、真の子女にもなれませんでした。


それゆえ、イエス様を完全に信じて一つになれば、真の子女の復帰、真の夫婦の復帰、真の父母の復帰をすることができるのです。それで、イエス様を一番愛しなさいというのです。
(8-109, 1959.11.22)

 

黙示録を見ると、「終わりの日」には、主が新婦を迎えにこの地に来られるという内容があります。皆さん、「小羊の婚宴」とは何か分かりますか。それは、歴史始まって以来初めて一人の新郎と一人の新婦が、ハナニムの愛を中心として夫婦を成すうたげの日を言うのです。
我々人類の始祖が堕落することにより、我々の先祖は善の父母ではなく、悪の父母になりました。それゆえ、ハナニムが構想された位置、我々人類の先祖が堕落しないで成すべきだった本然の父母の位置、まことであり善である父母の位置は、まだ現れず、成すことができなかったのです。
聖書を見ると、「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(黙示録22:13)と書かれています。創世記から成そうとされた目的を人間の堕落によって成し得なかったため、黙示録に行って終わりになるのです。では、イエス様はどのような方として来られたのでしょうか。アダムが堕落したために、堕落しないでハナニムの愛に一致し得る完成したアダムとして来られたのです。それで、コリント人への第1の手紙15章45節を見ると、「『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった」と書かれているのです。
聖書を見ると、イエス様を2番目のアダムと指摘しました。ハナニムが我々人間に賦与し得る真なる息子の位置、夫婦の位置、父母の位置を決定づけずには、ハナニムが計画された家庭を探すことができないために、それが地上に現れなければならないのです。
世界には数多くの宗教がありますが、その中で、キリスト教だけが4大要件を中心としてハナニムの息子になり、ハナニムと一つの体になり、ハナニムのみ旨の中で互いに新郎新婦を迎え、新しい家庭を築く理念をもっています。イエス様がそのような理念をもってこられたため、イエス様を中心としたキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。
(54-108, 1972.3.20)

 

4) 再臨と「真の父母」

 

① メシヤを迎えるために準備すべきこと

皆さんの暮らす所は天国です。ところで、今そこに暮らしていますか。暮らしていません。また、その天国は、直ちに出てくるのではありません。
では、天国が出てくる前に何が出てくるべきでしょうか。メシヤが出てこなければなりません。そうですが、メシヤだけでは駄目なのです。ユダヤの国、イスラエルの国に、イエス様が来ましたが、天国は成されませんでした。


天国が来る前に、天国の民族が出てこなければなりません。では、その民族が出てくるには、どうすべきでしょうか。一度に民族は出てきません。特別な氏族が出てこなければなりません。その氏族が出てきて、民族を動かさなければなりません。
その氏族が出てくるにはどうすべきでしょうか。そうするには、親族がいなければならないのです。その親族が出てくるには、どのようにすべきですか。親族の中心になる家庭が出てこなければならないのです。また、その家庭が出てくるには、どのようにすべきでしょうか。息子がいて、父母がいなければならないというのです。では、その子女が出てくるには、どのようになるべきでしょうか。その父母がいなければなりません。その父母が出てくるには、どのようにすべきでしょうか。天国のすべてを代表し得る一人の男性がいなければならないのです。
それは誰ですか。メシヤです。その男性は、どのようになるべきですか。男性が父母になるには、相手を探して、その相手と一つにならなければならないのです。それがキリスト教の教えです。それが終末です。
このように逆さまに落ちたのを、世界的なキリスト教の基盤の上に、2000年間イエス様を中心として、反対に霊的な復帰をしてきたのです。これが霊的なキリスト教です。ここでメシヤを迎えれば、すべてが終わるのです。
ここに再臨主が来るのです。これを逆さまにするのです。そうして全世界が一つになり、国家同士が一つになり、全部が一つにならなければなりません。そのようになるのです。国家の中で、キリスト教の宗派が一つになり、宗派の中ですべての祭司長たちが一つにならなければなりません。このようになるべきです。宗派が一つになるためには、祭司長たちが一つにならなければならないのです。祭司長たちが一つになって、イエス様と一つになるべきなのです。そうしてイエス様に侍って、一つになるようになれば、一時に世界が復帰されるのです。これを2000年間準備してきたのです。しかし、これがすべて駄目だったために、再び準備をしなければならないのです。
(66-277, 1973.5.16)

 

② 再臨主のすべきこと

来られる主がすべきこととは何でしょうか。サタンに勝利すべきであり、その次には、すべての霊人たちに勝利すべきなのです。今日、道士たちの中で、「自分が天下の何になる」と誇る人たちがいますが、この堕落圏を収拾し得る内容がどのようになっているかということを知らずに、ただ時だけ願って精誠を尽くすばかりでは駄目なのです。
サタン圏に勝利して、その次には霊界圏に勝利すべきです。それは、見える世界ではなく、見えない世界だというのです。見えない世界と闘争をして、サタンに勝利できなければ、霊界に進展し得る道が生まれてこないというのです。必ず妨害を受けるために、霊界に入ろうとしても、どうなるでしょうか。入ることもできないし、たとえ入ったとしても、戦って勝つことができないというのです。


それゆえ、サタン圏で勝利圏をもって、その次には霊界に入って勝利圏を備えて、雑教からすべて経て最高の宗教、キリスト教が最高の主流の宗教なら、キリスト教まで屈服させるようにしなければなりません。それは何かというと、彼らのすべてを相続しなければならないということです。
このような戦いの過程を経て、天地に勝利したという公認を受け得るようになるとき、ハナニムから、「お前はサタンと霊界に対する勝利者だ!」という言葉をもらうのです。そして、地上の実践路程が始まるのです。これを皆さんは知らなければなりません。そのような歴史が残っているのです。
では、来られる主は、どんなお方でしょうか。サタン、悪魔を屈服させなければならず、数多くの霊人、数多くの教祖、数多くの指導者たちを、すべて1対1で屈服させなければなりません。ハナニムの人格と真なる愛を中心として、宗教とこの宇宙がどうだということを、すべて納得させることによって屈服するのです。
言い換えれば、この地上のより高い愛の主人公の前に吸収されようとするのが、この万有の存在だというのです。鳥や犬までも、自分をより愛してくれる町、自分のために与えてくれる町を訪ねていくのです。同じことです。
それゆえ、真の愛を中心としてここで屈服させて、彼らのすべての権限を相続しなければならないのです。統一圏の相続を受けなければなりません。それが、メシヤという方がこの地上で果たすべき責任です。
一度にキリスト教だけで一つになっては駄目なのです。そうしては、キリスト教だけを地上で一つにできるかもしれませんが、霊界の背景である仏教の文化圏、イスラム教の文化圏など、全体的な文化圏を統一することは不可能です。地上にこの境界線が残っている限り、これをすべて打破できない限り、その根となる霊界に行って一つになり得る起源を形成できない限り、地上でそのような特色のあるすべての文化圏の統一をもたらすことはできないのです。
(100-16, 1978.10.4)
本然の愛をもって、この国を一つにして、世界を一つにして、天地を一つにし得る責任をもった人がメシヤですが、メシヤがそのようなことができますか。ハナニム御自身もできないのに、彼ができるかというのです。
このような観点で見るとき、これからメシヤがもって出てくるべき宗教、ハナニムが立てるべき宗教とは、どのような宗教でしょうか。愛を中心として、個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙を統一するという、強力な力をもった宗教でなければ駄目だという結論が出てくるのです。サタンも、「それが、メシヤが来てすべき目的ではないでしょうか。それが、ハナニムがメシヤを送る目的ではないでしょうか」と言うのです。
(130-174, 1984.1.15)


 

第3章 「真の父母」の必要性

 

1) 普遍的父母も必要

本来ハナニムは、アダム、エバを造っておいて、その中に、父母として子供に対する実を自分がもつと同時に、子供も父母に対する実をもつようにすることで、二人とも完成させ得る、ということを願ったのです。このようになれば、ハナニムは二人とも収めて、もつことができるという言葉も成立するのです。
では、なぜ父母が必要であり、なぜ子供が必要かというのです。ハナニムは霊的であり、息子は地的です。父子関係がそうなのです。
そのような見えないハナニムが、見える息子を通じて実を結ぶことによって、見えないハナニムが息子の心の中に入って、見えるハナニムの価値として現れるのです。見えないハナニムが息子の心の中にも現れ、息子の実も結ばれ、また、父の実までも息子の中に移してあげられる、それが可能だということです。ですから、ハナニムに対しては、ハナニムの実も結ばれ、父母の実も結ばれるのです。同等の価値をもつということです。
では、父母をなぜ必要とし、子供をなぜ必要としますか。ハナニムでも愛をもてば、相対が必要なのです。我々は子供でも愛をもてば相対が必要ですが、この相対的な関係とは何かというと、天と地の関係です。垂直条件です。
これを半分に切ると、半分は霊的世界であり、半分は肉的世界です。見えないハナニムの息子、娘として生まれて、役事してみると、相対的な極なのです。極から生まれて、これが大きくなるのです。もっと大きくなりながら、見えないハナニムも見いださなければならないといって、初めて新郎新婦になり、愛で一つになることによって、霊的上弦と肉的下弦の統一をもたらすのです。
父母を必要とするのは、天国を占領するためであり、父母が子供の愛を願うのは、地を占有するためです。父母の心は、天の心です。この天の心をいつ知るかというと、子供の時には分かりません。父母になってこそ分かるのです。
二つの世界を占領して、一つにするためにこのようなことをするのが愛だというのです。このようになったとき、父子関係は、栄えある父子関係だということです。同じなのです。誰も後ろに回すことができず、誰も前に回すことができません。一つです、一つ。そうするとき、栄えある父子関係だということです。


それで人々は、父母がいない人を「かわいそうだ」と言うのです。なぜでしょうか。霊界と肉界を占領する道がないからです。また、子供がいなければ、「かわいそうだ」と言います。
ハナニムの創造理想は、子供と父母が一つになって天宙を愛で結ぶようになっているのに、その1等モデルに不合格になり得る立場にいるから、ごみ箱に入るのです。地獄へ行くのです。それで、子供がなく、父母がいない人は悲しい人です。
(222-309, 1991.11.6)

 

2) 世の中の父母と「真の父母」

世の中で皆さんを生んでくれた両親は、どのような立場にいますか。堕落しなかった世の中に、「おお、あれは私の息子、娘だ!」と主張し得る息子、娘がいましたか。一つの新しい父母を探すために、昔の父母を捨てなければならない、そのような概念がエデンの園にありましたか。ありませんでした。なぜ、このような運命をもって生まれましたか。その運命は、ハナニムがつくったのではなく、サタンがつくりました。堕落したためにです。悪魔がつくっておいた世の中なのです。
そこでサタンは、すべて分けておいたのです。父母を分けておき、息子、娘を分けておき、家庭を分けておき、国家を分けておき、世界をすべてばらばらに分けておいたのです。そのように分けておく日が「終わりの日」なのです。終わりということは末世です。
世の中の「終わりの日」になれば、新しい日が出発します。我々の原理で言って、「終わりの日」でありながら新しい理想が出発すれば、ハナニムはどうするでしょうか。分かれたものを全部統合してくる運動をするのです。
(125-166, 1983.3.20)
では、「まことの父母」とは何ですか。肉身の父母と真の父母と何が違いますか。愛を中心として言うとき、肉身の父母と「真の父母」とは何が違いますか。愛に対する概念が違います。愛の概念が違うのです。皆さんの肉的な父母は、肉身を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的な父母は、霊的な世界を中心とした愛を教えてくれるのです。内容が違うのです。
肉的な父母だけいればいいのに、霊的父母がなぜ必要なのですか。堕落したためです。今まで、堕落した父母が何を教えてくれたかというと、自分を中心として絶えず下がっていくことを教えてくれました。それで、父母の愛を中心として、サタン世界に永遠にいるようにするための一つの決定的な線が引かれました。これを断つ道はありません。
(129-99, 1983.10.1)
真の父母が生まれれば、ハナニムを中心として愛するために、真の父母が愛するすべてをハナニムは愛さざるを得ません。原則がそのようになっているのです。それで、「我々はサタン世界で生まれたが、『真の父母』に従おう! うちの親よりも、うち(家)よりも、うちの息子、娘よりも、真の父母の国とその家庭がもっといい。より良いものがハナニムの愛だ!」と言いながら、従おうとしなければなりません。


真の父母が愛するようになれば、いくらサタンが引いていこうとしても駄目です。ハナニムと真の父母様の愛の圏は、本来の世界の理想圏であるために、この息子、娘をサタンが取っていくことはできないのです。
統一教会員たちの中には、五色人種が、みないます。皆さんの父母は通常の父母です。その次に、統一教会の真の父母がいます。特別な父母です。真の父母は皆さんの父母とは違います。
皆さんの通常の父母は、レバレンド・ムーンの所に行こうとする皆さんを拉致らちしようとし、皆さんは、特別な父母の所に行こうとして大騒ぎです。しかし特別な父母は目をつぶり、このようにじっとしているのです。「来なさい」とも言いません。「来るなら来て、来ないなら来なくていい」と言うのです。皆さんの通常の父母は、強引に通そうとして「レバレンド・ムーンは、サタンである、異端だ!」と大騒ぎしますが、真の父母はじっとしているのです。しかし、皆さんの父母は、「我々は特別な父母だ」と、そう言うのですか。
(128-137, 1983.6.11)
先生は、何かというと、3時代の父母です。旧約時代、新約時代、成約時代の父母だというのです。それで真の父母なのです。皆さんは父母の名前で祈りますが、皆さんは父母の名前で祈ってはいけないのです。父母様の名前で祈ることができる人は、たった一人の方、先生しかいません。
では、皆さんを生んでくれた父母と、真の父母と、何が違いますか。同じではありません。皆さんの父母は、1時代の父母の位置にいますが、先生は3時代、霊界や現世やこれから訪れる時代、この3時代圏内の父母の位置にいるというのです。それは、芽と根です。ここにつながったのです。
皆さんの父母は、枝の父母です。芽の育つ方向に枝が伸びるのです。ですから、その父母はその時代の枝の父母ですが、先生は3時代の父母なのです。根の時代の父母にもなり、幹と枝、葉の時代の父母にもなるのです。
それで、いつも「真の父母」という言葉を忘れてはいけないのです。私が父母の名前で祈るからといって、全部先生に従って「真の父母様の名前で祈ります」と言いますが、それではいけません。それは原理に引っ掛かるのです。
そうなれば、どんなことが起こるでしょうか。父と母が「父母だ」と言うので、子供が、「うちの親は誰だ? 何が違う?」と、このように考えるのです。それで混乱が起きます。そのようになってはいけません。皆さんの父母は1代に対する父母であり、先生は3時代の父母の内容を備えているのです。茎の父母です。ですから、先生に対して、おじいさんも「父母」と言い、お父さんも「父母」と言い、孫も「父母」と言うのです。3時代、3段階です。
それゆえ、父母様は勝手にできないのです。根を離れては勝手にできないのです。「ああ、枝のように動けばいい」と言いますが、そのようにはできないのです。


根が勝手にできますか。芽が勝手に行くことができますか。枝が恋しいのです。億千万年その立場を守ることが、どれほどもどかしいですか。 一つの位置で、枯れて死ぬようになっているのです。そこには自由がないのです。しかし、枝は勝手に動きます。そのようなことを知らなければなりません。
(141-226, 1986.2.22)

 

3) 「真の父母」が来るべき理由

皆さんの願いとは何ですか。天国の人とか、天国の子女になりたいのです。それが願いでしょう? 天国の民、天国の子女にさえなれば、天国は自然に生まれるのです。
では、天国はどのような世界ですか。民主主義の世界ですか、民主主義は、これから主が来られて、政権交替をたやすくするための一つの方便であり、過渡期的な主義です。これから地上に主が現れれば、全世界の民が主に従わなければなりません。民は、すべて主の前に進み出なければなりません。そうすれば、全世界の国家組織を一つの国家として編成するにあたって、便利なのです。
ところで、民主主義をもってして世界は一つになれないのです。それは既に実験済みです。アメリカ自体が世界を指導できるでしょうか。アメリカ自体が滅びるようになりました。それゆえ、いかにアメリカを生かし、アメリカが世界を支配できるようにするかというのです。それがハナニムのみ旨ならば、これは必ず統一教会の思想、レバレンド・ムーン主義を中心として対処しなければなりません。そうする以外には、アメリカの生きる道がなく、アメリカ国民を通じて天国に行く橋をかけることができないのです。
このような原則で、霊界が形成されているのに、肉界にこのようなものが現れたなら、どれほど引っ掛かるでしょうか。第1は、ハナニムを中心として、第2は、真の父母が現れ、第3は、真の子女が現れ、第4は、真の国民を通じた真の国家が現れなければならないのです。そうなるのを、どれほど待ち望んだかというのです。皆さんが地上に現れて、本然のみ旨を成すことを、霊界に行った霊人たちが数千年間、どれほど待ち望んできただろうかというのです。
この世界を主管する者はサタンです。この世界は、第1はサタンを中心とした世界であり、第2は偽りの父母、すなわち堕落した父母、悪なる父母を中心とした世界であり、第3は悪なる子女を中心とした世界であり、第4は悪なる国家を中心とした世界なのです。霊界の世界や、これからの理想世界は、これを全部否定しなければなりません。
統一教会で「真の父母」と言うので、皆さんの親は「我々は何なのか」と反対するのです。真の息子、娘になろうとする子供を拉致らちする事件が起きるのです。それで、悪なる世の中のすべての国が反対して追い出しましたが、今は反対できません。今は、戦ってみても、レバレンド・ムーンには勝てないのです。
ですから、サタン圏内から脱出しなければなりません。ところが、サタンが個人、家庭、宗族、民族、国家、世界を総動員して、脱出できないようにしています。最後の決戦です。
(161-222, 1987.2.15)


 

4) 「真の父母」出現の前提条件

真の父母が出てくるために、どのようにすべきでしょうか。天使長を復帰せずして、真の父母は出てくることができません。イエス様を復帰せずして、真の父母は出てくることができません。また、新婦を復帰せずして、真の父母は出てくることができません。宗教世界では、これを解決しなければならないのです。
ハナニムが復帰摂理をしてこられるにあたって、すべての難関を解決した立場で新しく登場した名詞とは何かというと、真の父母です。真の父母は、いい加減な人ではありません。
真の父母は、天使長復帰ができなければ出てきません。アダム復帰がされなければ出てきません。また、新婦、すなわちエバ復帰がされなければ出てきません。これは間違いありません。
(46-214, 1971.8.15)

 

5) 真の血統は「真の父母」を通じて

我々に必要なのは誰かというと、真の父母です。偽りの父母から出発したのを、真の父母から出発させなければならないのです。偽りの父母とは、偽りの愛から、偽りの生命、偽りの血統を受けたのです。
これをひっくり返さなければなりません。それで真の父母の愛を中心として、真の生命と真の血統をどのように受け継ぐかというのです。言い換えれば、生命の種を誤って受けたために、どのようにして再び本然の種を受けるかということです。
この問題を考えるようになるとき、真の父母がいなければ受けられないために、この地上にメシヤが来られ、そのメシヤの種、真の父母の新しい生命の種をもってきて、再度注入して、接ぎ木しなければいけないのです。これを通じて、本然の真のオリーブの木の位置に帰るのです。簡単なことです。
それで、ハナニムは本当に我々の父母です。ですから、どれほど近いですか。ハナニムは縦的な父母であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成すのです。
(218-223, 1991.7.29)
民主主義は兄弟主義です。それゆえ、けんかしているのです。それで、「父母がいなければならない。父母がいてこそ、けんかをやめることができる。このような悲惨な中において必要なものとは父母主義である。ハナニム主義、ハナニムを中心とした主義だ!」と宣布したのです。その父母はどんな父母ですか。そのような父母は、サタン世界にはいません。サタン世界にいる父母とは正反対です。それがいわゆる真の父母というものです。
なぜ、真の父母が必要なのでしょうか。サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するために必要です。どのようにして男女が、そのような位置に落ちましたか。それは、生殖器のためです。本来、生殖器は愛の王宮です。ところが、今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるものが、そのように貴いものが人間の生殖器です。これは聖なるものです。


それが堕落によって、汚いものになってしまいました。ハナニムの観点から見れば、それは汚いものではなく、聖なるものです。最も貴いのです。生命、愛、そして血統がここにつながっています。このように聖なるものを、サタンが汚しました。
(218-176, 1991.7.28)

 

6) 「真の父母」が絶対必要な理由

統一教会員たちは、私を見て何と言いますか。「まことの父母」と言います。この「真の父母」という言葉は、恐ろしい言葉です。また、「真の父母」という言葉があるということは、偉大なことです。
ハナニムの愛を母体とした家庭をモデルとしなければ、宗族や民族、国家は編成されないのです。家庭を拡大させた宗族、民族、国家を編成するのです。それゆえ、悪魔の世界を打ち破るためには、真なる家庭のモデルを中心として処理していかなければなりません。
我々堕落した人間は、悪なる父母をもちました。皆さんの両親も堕落圏内の父母です。その言葉は何を意味しますか。堕落した伝統圏内の先祖たちだということです。ですから、「真の父母」という言葉が出てきたという事実は、驚くべきことです。
いったい、真の父母はなぜ必要なのでしょうか。本然のみ旨を成すにあたって、心情一致圏を中心として、すべてが一つになり、すべてが確実であり、すべてが完全な環境圏をもって出発できた住みかが、堕落しないアダム、エバがハナニムと一体理想を成し得た愛の圏です。その愛の圏が出てきませんでした。その愛の圏を成そうとするので、真の父母が必要なのです。
その愛の圏が世界に出てくる日には、統一教会は必要ありません。世界も必要ありません。その世界を捨てて、その国を捨てて、のちにはこの家庭を探さなければならないのです。また来なければならないのです。ですから、すべてを捨てても、これを探さなければなりません。これが重要なことです。
(138-277, 1986.1.24)
我々に必要な方とは誰かというと、真の父母です。真の父母とは誰ですか。友達よりも、先生よりも、もっと貴い方です。それゆえ、友達を捨てても真の父母についていくべきであり、先生を捨てても真の父母についていくべきなのです。「統一教会に行く」と言って、友達が「ああ、お前は私と離別だ」と言っても、この道を行かなければならず、先生が「お前と師弟間の離別だ」と言っても、この道を行かなければなりません。また、両親が「離別だ」と言っても、この道を行かなければなりません。皆が一度に「良い」と言える道を行ったなら、そこに歴史的な新しい天地開闢かいびゃくが起こるのです。
(33-336, 1970.8.23)
人類には、真の父母が必要です。なぜそうでしょうか。愛の軸をつなぎ得る原則的なこのことが、歴史始まって以来初めて起こったのです。歴史始まって以来、前にもなかったし、あとにもありません。軸は一つです。二つではありません。その軸とは何かというと、真の愛です。今、皆さんの両親が愛することは、真の愛ではありません。


それゆえ「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』」(マタイ22:37~39)と言いました。ハナニムが、そのように生きてこられたのです。
(137-107, 1985.12.24)
なぜ真の父母が必要ですか。真の父母が、個人の責任分担を完遂することによって、個人についている世界的なサタンを追放し得るのです。家庭蕩減とうげん条件、責任分担を完遂することによって、サタンを自動的に蕩減復帰するのです。
個人の世界的な蕩減復帰、責任分担を完成しなければ、蕩減復帰ができないのです。責任分担を完遂してサタンを落とさなければ、復帰ができません。
(137-106, 1985.12.24)
父母が必要なのは、ハナニムを地上に定着させるためです。これが、父母様がこの地上で苦労する理由です。
(217-354, 1991.6.12)
皆さんに真の父母がなぜ必要ですか。新しい血筋を受けるためです。旧約時代は信仰基台時代であり、新約時代は実体基台時代であり、成約時代は新しい理想時代です。ですから、「愛の時代として、天国の善なる血筋を受けなければならない」と言いました。今までは、血筋が違いました。総合的な血を受け継ぎました。
先生は、本然の伝統的な血筋を相続し、このようなすべての真理を知って、サタンと戦っているのです。このようなことが分かるので、そうするのです。真の父母は真のオリーブの新芽です。皆さんは、みな切ってしまって、真の父母の芽を接ぎ木しなければなりません。父母の芽とハナニムの芽を接ぎ木しなければなりません。そのようになれば、体はありませんが、思想はハナニム、真の父母様とそっくりだというのです。ですから、みな同じ実、善なる息子、娘を生むことができるのです。サタン世界を中心としては、なり得ないのです。その前に、息子、娘を生むのは、良いことではありません。
(125-208, 1983.3.20)

 

7) 「真の父母」の決定は先見的予知・予定圏

「終りの日」に至っては、どのようになるでしょうか。堕落によって悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血筋を受け継いだので、ハナニムの愛、ハナニムの生命、ハナニムの血筋を受け継ぐためには、真の父母が出てこなければならないのです。真の父母は流れていく人ではありません。先生が「真の父母」という名前を宣布するまで、ハナニムがどれほど苦労し、宗教がどれほど血を流したか分かりますか。
格菴遺録キョガムユロク』という本があります。その本は『鄭鑑録チョンガムノク』よりもあとに出てきたものですが、そこに既に先生の名前が預言されて出ていたというのです。先生が生まれもしない前に、先生を見た人がたくさんいます。先生が生まれもしない前に、どうして先生を見たのでしょう。霊界は先生が生まれる前からあったので、このような人が生まれなければならないということを教えてくれたのです。それでこそ、地上で受難を受け、苦痛を受けた人たちが、霊界では先生の統治圏内に入ってくるのです。ハナニムは、そのような作戦をされるのです。その方に仕えて暮らしたために、その方が後に出てきても、仕えたその方に従うようになっているのです。それゆえ、愛するハナニムは、私を生む何十年、何百年前に、みな見せてくれたのです。


ですから、歴史的な人物です。今は、歴史的な人物だと言ったとしても、韓国人や世界の人に夜中や明け方に一言言っても、白昼に聞くように「そうだ」と言うのであって、「違う」と言う人は一人もいないのです。
(213-27, 1991.1.13)

 

8) 選挙で選出できない「真の父母」

先生は、今まで家庭を探すのが大変で、教会を探すのが大変で、その次には、キリスト教の方向を定めるのが大変で、滅びていく自由世界の方向を正すのに大変で、滅びていく共産世界の方向を正すのに大変でした。
今や、ムン総裁をして、長子権が復帰されたのです。長子権が復帰されたというのです。本来、アダムが堕落しなかったら、アダム自身が長子権をもったでしょう。また、アダム自身がまことなる真の父母になります。その次には、アダム自身が王の中の王です。
人間は、堕落によって何を失ってしまったのでしょうか。長子権を失ってしまいました。天地の大基業(もととなる事業)を相続する、その長子の権限を失ってしまいました。悪魔のために失ってしまいました。これを知らずにいました。それだけでなく、ハナニムの愛と、ハナニムの生命と、ハナニムの血統を中心として、天地の創造主である父母に侍ることができ、永遠の血族になるべきなのにもかかわらず、アダムが真の父母になるべき権限を失ってしまいました。そして、堕落しなければ、一つの文化であったでしょう。アダムの文化です。アダムの一族です。こうすることによって、一つの王権が成されるのです。
民主世界というのは、つえと同じです。これは、兄弟主義です。兄弟が多いので、これを相続するように代表を立てようとするので、兄弟たちがみな集まって、より犠牲となり、より奉仕して、より伝統を立て得る人を選び出さなければならないのですが、それが民主主義の方式です。
民主主義は、世界主義ですが、その上が父母主義です。これから、父母主義時代がやって来るのです。父母を選挙で選出しますか。再臨主を選挙で選出できますか。ハナニムを選挙で採択できますか。できないのです。民主主義は、不信の風潮を造成し得る基盤になっています。なぜでしょうか。全部自分の利益のためには、ありとあらゆることをします。財力を動員し、人力を動員し、謀略、中傷など、ありとあらゆることをします。
(211-343, 1991.1.1)


 

第4章 「真の父母」の使命

 

1) 「真の父母」の立場

この世の中を見ると、帝国主義時代と帝王時代、そして王国時代があり、その次には、民主主義の子女時代と、共産主義しもべの時代があります。それらがみな、愛の法を中心として統治する時代ではないという事実を考えてみるとき、この世の中は偽りの世の中だというのです。このように結論づけることができます。
ですから、ここで本然の心を中心として本然の世界が生まれたなら、本然の人がいなければなりません。では、本然の人は、どこにいるでしょうか。「人」というと、男性と女性がみな入るのです。
この世界が間違いなくサタン世界であるために、今日の歴史は、この世の中で本然の人を探しているというのです。それで今日、数十億の世界人類が、まことの世界を指導し、天地を指導する指導者を探しているのです。
では、本然の指導者は、どのようにして来るのでしょうか。堕落した世界の個人、家庭、宗族、民族、国家、世界を越えてくるのです。その本然の人は、どのような人でしょうか。真の人です。その真の人とは、どのような人でしょうか。真の人の定義とは、どういうものかというのです。完全な愛をなす人です。簡単です。
では、その完全な愛とは何でしょうか。完全な愛をなす人は、どのような人を言うのですか。真の父母です。簡単です。
ハナニムは、どのようなお方でしょうか。ハナニムは、真の愛の代表です。もっと具体的に、ハナニムはどんな方でしょうか。すべての人を愛することができる方です。ハナニムは、すべての存在を愛することができる能力をもった方なのです。簡単に要約すれば、大きなもの小さなもの、すべてのものを愛するのです。小さなもの、大きなものを、みな入れることができるのです。そこには大きなもの、小さなもの、すべてのものが入るのです。そのように整理しなければなりません。世の中のすべての存在、大小のものがみな入るのです。それゆえ、大きなものから小さなものまで愛し得る能力をもたれた方が、ハナニムだというのです。
(124-116, 1983.2.1)
我々の目的地は世界です。私たちは世界のために行くべきです。いくら難しくても、行かなければなりません。世界のために行くべきであり、世界のために与えるべきです。自分が行く所では、どこでも与えるべきです。


真の父母は、与えるべきです。これが原則です。そこに新しいものがあり、そこに新しい世界があり、そこに新しい因縁が生まれるのです。
(147-142, 1986.9.7)
皆さんはレバレンド・ムーンを「真の父母」と言います。それで、ハナニムに代わった立場で皆さんの前に、すべての良いものをあげようとし、皆さんも一番良いものをもらおうとするのが原則だということを知っているため、このような道を指導するのです。
(127-328, 1983.5.22)
皆さんには、背景があります。これは完全な背景です。真の父母の背景です。真の父母は、サタンが讒訴ざんそできないのです。それで、身分証をもらうのです。そこにはハナニムがサインして、サタンがサインしなければならないのです。それだけではありません。天使長がサインしなければならず、その次には、アダムがサインしなければなりません。
(117-160, 1982.2.28)

 

2) 「真の父母」の道

今、世界では戦いが起こっています。これに誰が手を着けるべきですか。我々がすべきでしょう。共産党と戦って、倫理破綻はたんも防御しなければならず、宗教が崩れるのも防御しなければなりません。
先生が、世界の学者と神学者たちを集めて、このような問題を深刻に討議しています。アメリカが夢にも見ないことをしているのです。皆さんは「活動する」と言いますが、皆さんが難しいでしょうか、先生が難しいでしょうか。
父母は、子供よりも苦労しなければならないという原則があるので、先生はそれを実践しています。何かお金があれば、私がそのお金で食べて暮らすのではありません。未来の子孫のために、良い道を開いてあげるのです。未来の子孫を愛する心をもって、お金を稼ぐのです。
「真の父母」とは何かというと、父と同じ位置で家庭を通じ、宗族を通じ、民族を通じ、国家を通じ、世界を通じ、宇宙を通じていくべきなのです。これをつながなければならないのです。それをカバーするのです。妻が夫を愛するように人類を愛さなければならず、息子、娘を愛するように人類を愛さなければなりません。息子、娘が父母を愛するように、人類を愛さなければなりません。いつも、それが即座につながらなければなりません。
(118-240, 1982.6.6)
ハナニムの願いとは何かというと、ハナニムと共に暮らしたいと思う人を探すことです。ハナニムと永遠無窮に共に暮らしたい人、それでハナニムが額を一度付き合わせれば、千年、万年たっても離したくない人、そのような人を探すことです。ハナニムは、愛する息子、娘に指先で一度触れれば、千年、万年たっても離したくない、そのような愛をもって暮らしたいというのです。
統一教会は、そのような原則による父子の関係を教えようとします。そのような原則による夫婦関係を教えようとします。また、そのような原則による家庭を論じ、そのような原則による兄弟を論じようとするのです。兄弟でも、一度会って別れるのではなく、千年、万年共にいても嫌でない、そのような兄弟のことです。


それが、五色人種を通じて実践されてこそ、ハナニムの愛の圏が成し得ると思うのです。それは易しいことですか。自分が食べる御飯があるなら、彼らに分けて、みな食べるまで待って、それから皿洗いまでして、寝ることまでみなみてあげる、そのようなことをする父母がいなければなりません。今日、真の父母は、そのような道を行こうとするのです。それが、真の父母の行くべき道であると思うのです。毎日、人に会うようになると、昼食の時も忘れて話をしようとし、夕食の時が過ぎたにもかかわらず話をするというのです。
生の哲学はそうです。御飯が問題ではありません。千年、万年、あなたと私が暮らしても嫌になり得ない、そのようなあなたを発見しようと、探そうとするのです。12時になり、夜明けの2時になり、明け方に鶏が鳴き、空が白んできても、夜を明かしながら愛さざるを得ない息子、娘を恋しがる人です。また兄弟を探している人なのです。
(127-284, 1983.5.15)
もし、真なる人間がいれば、その真なる人間は、今日、歴史を代表して、「人類よ、あなた方が行くべき真の標準は、正にこれである」と教えてあげることができる道を模索するでしょう。真なる人がいるなら、その人は、人類に代わってむごい犠牲となっても、その道を求めて勇み立つはずであり、教えてあげるはずであり、開拓してあげるのではないかというのです。もし、その道を知っているにもかかわらず、自分だけ行ったとするなら、彼は真なる人ではありません。
(63-88, 1972.10.8)
歴史路程において「真の父母」という言葉を受けるためには、どうならなければならないか、考えてごらんなさい。真の父母まで行くには、何段階まで経なければならないでしょうか。そこには、まず真なるしもべしもべがいるべきです。そこから始まるべきです。そして、真なる乞食こじきもいなければならないでしょう。真なる労働者もいなければならないでしょう。みないなければなりません。真なる迫害者もいなければならないし、十字架につく人もいなければなりません。そのようなことを嫌だと思えば、真の父母は、絶対出てくることができません。罪人の中にも真なる罪人がいなければなりません。みないなければなりません。
その道を行くべきであり、橋を架けるべきです。世の中で一番悲惨な位置から始まって、すべてのことを越えることができる愛の代表者がいなければなりません。そうするためには、愛の十字架の道を行くべきだというのです。それが橋です。1段階、1段階を真の僕の僕から真の養子に上がっていき、真の息子に上がっていき、真のカインに上がっていき、真のアベルに上がっていかなければなりません。
皆さんが知っている、僕の僕の道、養子の道、このような道を誰が行くのですか。その道は、先生が行かなければなりません。先生は、その道を行き、戦い、生き残って、勝利したために、その橋を架けてあげるのです。それゆえ、皆さんが通りでかわいそうな人を見れば、先生がそのような立場だということを知りなさい。私が、そのような立場で共産党に踏まれ、拷問を受け、ひったくられたりするときに、腹が立ったでしょうか、腹が立たなかったでしょうか。そうかといって、「ハナニム、私の怨讐おんしゅうたちに雷を落として、全部殺してしまってください!」とは言いませんでした。体から血が流れる立場でも、彼らのために福を願ってあげたのです。
(116-113, 1981.12.27)


 

3) 「真の父母」になる以前の過程

人間の堕落によって、偽りの父母が生まれました。それで先生は、サタンを中心としたこの世界の上に、天国の真の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。それは、父母が復帰しなければなりません。ひっくり返ったものを、父母が全部責任をもって蕩減とうげんしなければなりません。
(131-62, 1984.4.1)
真の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。このカイン世界は、長男の世界でしょう? カイン世界は、堕落した長男の世界と同じであるために、その世界が反対しても、天の愛を尽くしてあげたという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。
長子を先に愛さなければなりません。原則的にサタンが長子であるために、ハナニムがアベルを愛するには、長子であるサタンを先に愛したという条件を立てるべきです。そのような愛をサタンに示さないことには、次子を愛することはできないのです。これが原理的だということです。
ですから、母、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。それゆえ、母がいくら宇宙的な愛を願うとしても、そのように愛してあげることはできないのです。そのような位置にいるのです。
(124-73, 1983.1.23)
先生は、愛の関係においては世界的な記録をもっています。良心においては、天宙史的な記録をもち得る群れが生まれているのです。それは、観念にとどまるものではなく、実在だということを知るべきなのです。事実だというのです。歴史的な事実です。サタンにおいては、どれほど脅威であり、ハナニムにおいては、どれほど希望的かというのです。我々統一教会の未来が希望的であり得るしかないという、このような驚くべき位置にいるという事実を、深く深く感謝できなければなりません。
ハナニムとレバレンド・ムーン、ハナニムと真の父母が、これを築くためにどのようにしたのでしょうか。鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そこには血痕けっこんと涙のあとは言うまでもなく、悲惨な拷問のむちのあとまで残っているのです。そのような過程を経て開拓したのです。
そのような天の父母と、地の父母の心を傷めてはいけません。これが宇宙の宝の倉庫なのです。ここから地獄をなくし、天国をつくることができます。
(216-325, 1991.4.15)


真の父母は、二人の方がいなければなりません。二人の方がいなければ、真の父母の基準の上に立つことができないのです。そして、霊的な闘いに勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立ちません。いくら霊界で勝利の条件を成したとしても、地上に真の父母が立てられなければ、その霊的世界の足場に該当する足場を、この地上に築くことができないのです。
それゆえ、これから来られる真の父母は、このために命を捧げて、地と天に代わって闘っていかなければならないのです。このような闘いの期間が、40年期間です。
では、この40年期間に来られる真の父母は、どのような闘いを経なければならないのでしょうか。まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次には、地上で実体的な試練を経なければなりません。そのような中でも、倒れずに中心をもって立ち上がってこそ、初めて霊肉合わせて真の父母の因縁を立てることができるのです。すなわち、6000年の摂理歴史の希望を成すことができるのです。
我々は、1960年に「父母の日」を設定しましたが、その日はどのような日でしょうか。霊肉合わせて真なる勝利の起点をつかむ日であり、真の父母の理念が出発した日です。それで、その日は1日にすぎず、その日の因縁は部分的な因縁にすぎませんが、この因縁は、天宙史的な因縁を経ていくでしょう。
そして、ハナニムは、その日を起点にして、霊界と肉界で同時に計画を実践なさることができたということです。すなわち、霊界と呼応し得る基盤、初めてハナニムが闘うことができる基盤が築かれたということです。このように勝利の基盤が築かれたために、ここに一致する家庭的な基盤、宗族的な基盤、民族的な基盤、国家的な基盤、世界的な基盤のみを築いておけばいいのです。
エス様は、イスラエル民族の反対で、全体的な使命を完成なさることができずに楽園に行き、霊的にイスラエルを収拾して、霊的な父母の立場に立っていらっしゃいます。真の父母が世界的な勝利の版図を地上に築くことができる路程とは、どんな路程かというと、4年路程です。この4年路程に霊界と肉界が一致して、勝利の起点を立てる日には、全世界の人類が、楽園以上の霊界で行軍し得る時代的な恵沢圏内に入るというのです。
ところで、このような歴史過程を経ていくにおいて、来られる真の父母は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべき段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、宗族的、民族的、国家的な十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。
イスラエル民族の歴史を見ると、ヤコブは、エサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復帰の条件を立てることができました。そうしてから、ラバンの家に行き、天が協助する中で家庭的な戦いで勝利したために、家庭を見いだすことができました。


その後、ヤコブの子孫は、民族を形成するため、サタン世界であるエジプトに入りました。彼らは、そこで天の協助で救い出され、カナンに入ってカナン7族を滅ぼすことができました。このようにイスラエル民族は、カナン復帰路程40年を経ながら、初めてサタン世界に対して攻撃することができたのです。
40年荒野路程以前には、3日路程がありました。イスラエル民族は、3日路程を経たのちに、初めてカナン復帰をすることができたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また40数を探して立てなければなりませんでした。
復帰摂理がこのような路程を経てきたために、先生も40年路程を経たのち、3年路程を歩まなければならず、4年路程を歩まなければならないのです。3年路程と4年路程を合わせれば、7年路程になるのです。
このような過程を経てこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。イエス様も、本来は33歳から7年路程を歩んで、ハナニムが願う父母の基準を立て、そこから万物復帰の基準を立て、40歳ですべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成し得ず、十字架で亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。
それで、再び来られる真の父母が、内的、外的な闘いに責任をもたざるを得ないので、40年準備期間、あるいは、闘争期間を経ていくのです。それは、外的には40年準備期間でしたが、内的には闘争期間であったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉を合わせた実体的な基盤を築き得る土台を備えたのです。
真の父母が中心になって3年路程を経て、万物復帰の期間、すなわち、四方性を備えるための4年路程を経なければなりません。それで、7年路程として蕩減とうげん復帰を終結していかなければならないのです。真の父母を探すまでの3年路程、4年路程、40年路程は短い路程ですが、歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念さを総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。歴史的なすべての悲しみと苦痛と無念さにも屈服しないという、絶対的な基準を立てずには、真の父母の日、真の父母の勝利の日は、迎えることができないのです。
天に代わり、真の父母の因縁に代わってみ旨に責任をもち、従ってきた我々統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて、受けていっているのです。
その過程でサタン世界と分別された自分を立て、真の父母が勝利の一つの手本を取って、サタン世界を審判し得る真の子女の基準を立てておかなければなりません。そのように、宗族、民族、国家の基準を立てておかずには、真の父母に対する本然のみ旨を地上に成すことはできないのです。
この期間に私と共に闘っている皆さんは、真の父母の個人的な代身であり、家庭的な代身であり、民族的な代身であり、国家的な代身です。このような父母の代身として、今まで韓国はもちろんのこと、世界の舞台で責任をもって闘わなければならないのが、皆さんの責任なのです。


このような観点から見るとき、今までの霊界と肉界の悲しみとは何でしたか。本来は、真の父母がこの地に現れれば、その日から天地が平和を謳歌おうかすべきであり、全天宙が幸福圏内に入るべきであり、ハナニムを中心に地上天国が成されるべきです。
(13-285, 1964.4.12)
先生が「真の父母」を宣布するまで、どれほど苦労し、悪口をどれほど聞き、どれほど監獄生活をしましたか。6回も監獄に入りました。このようにして「真の父母」を宣布したのです。ですから真の父母様です。ですから、世界で最高にかわいそうな王の中の王が、先生です。お母さん、お父さんが、どうだこうだと言いますが、一番かわいそうな人は、先生です。
(211-161, 1990.12.30)
先生が世界のために、どれほど多く投入したかしれません。血と涙をどれほど注ぎ、汗をどれほど流し、どれほどため息をついたでしょうか。御飯のために、出世のために、そうしたのではありません。地上世界、天上世界、ハナニムを解放するためです。このような人は、歴史時代に、ムン総裁以外にはいません。真の父母以外にはいないのです。
そのような背後の歴史をもっているのです。それは観念だけではありません。実戦舞台で実際圏を形成するにあたって、それ以上の基盤を築いてきたために、世界万国が粛然と頭を下げ得る段階まで来たのです。
(210-363, 1990.12.27)

 

4) 「真の父母」の権限と使命

真の父母は、この地上の人間たちの前に、何をしようと訪ねてきたのですか。人間が一番好きなものをつくってあげるために来たのです。それが何かというと、皆さんを真の父母、小さい真の父母にすることです。
(125-117, 1983.3.14)
真の父母様がすべきことは何でしょうか。地上世界と天上世界の間にふさがった道をみな開いて、ハイウェイを造っておかなければならないのです。地上世界から、霊界の地獄、天上の位置まで、ハイウェイを造らなければならないというのです。
(134-127, 1985.2.5)
真の父母は、霊界と肉界を中心とした王権をもってこられたために、それを霊界まで連結するためには、霊界に統一基盤を築いて、霊界の王権基盤、蘇生そせい的長成基盤を連結しなければなりません。そうしなくては、真の父母が地上に完成基準を成したという位置に、霊界が同参することはできません。それゆえ、その準備をしておかなければなりません。
(140-53, 1986.2.1)
皆さんは、先生を「真の父母」と言います。なぜ皆さんの父母ですか。皆さんを生んであげてもいないのに、父母ですか。一つ違うことは何でしょうか。ハナニムの愛、本来の愛をつなげてあげられる父母なのです。アダムとは何でしょうか。皆さんの先祖になり得る父母でした。ところが、ハナニムの愛をつなげられなかったのです。それゆえ、皆さんの父母たちは、皆さんをハナニムの愛につなげることができないのです。


真の父母が違うこととは何ですか。ハナニムの愛をつなげ得る特権をもってきたということです。皆さんが父母の言葉を聞かないで、先生の言葉を聞くことは、社会の正義ですか、悪ですか。正義です。天宙の原則がそうであるためです。
(118-147, 1982.5.23)
「真の父母」とは何をする人ですか。偽りの子女たちを率いて、真の子女にする役割をするのです。ですから、サタンはそれをできないようにするために、ぶん殴り、ありとあらゆることをするのです。サタン側は、悪なるものです。それゆえ、真の父母は、息子、娘を消化して段階的に家庭基準、宗族基準、世界基準まで消化しようとするのです。このように言いますが、問題は深刻です。
(149-279, 1986.12.7)
先生は、この時代に、すべてを見せてあげるのです。しもべしもべしもべがどのように行くべきかを見せてあげるのです。どのように行き、一つになるべきかを見せてあげるために、今まですべてのことをしてきたのです。先生に従ってすべてを成しておいてこそ、あとでハナニムの愛にまで至ることができるのです。そうでなければ行けません。
(135-140, 1985.10.4)
真の父母には、どのようにしてなることができるのでしょうか。人間の先祖の堕落によって、ふさがった塀を崩せる責任的条件を立てることができてこそ、真の父母になります。統一教会にはキリスト教、仏教、儒教、イスーラム(イスラム教)も、みな入っています。仏教もここに入っています。ここに入ってくれば、宗教が一つになり得るというのです。その次には、五色人種が一つになることができるというのです。
(118-270, 1982.6.13)
原理結果主管圏(間接主管圏)と直接主管圏の間に塀が生じたのを、蕩減とうげんしなければなりません。個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天と地の塀を、全部蕩減しなければならないのです。原理結果主管圏がサタンに占領されました。ですから、サタンがその中間の位置にいるのです。ハナニムが上にいて、人間が下にいれば、サタンは中間に位置しているのです。それで、サタンの塀が生じたのです。
では、どのようにこの塀を貫いて、ハナニムの位置まで進むのですか。これが宗教の目的です。そこからサタンは、いつも間接主管圏を利用するのです、天地創造の時から今まで、そうしてきました。ですから、これをもう一度連結しようというのがハナニムの摂理です。それで、歴史を通じて宗教を発展させてきたのです。それがユダヤ教でした。宗教を通じて、ハナニムのみ旨が今まで流れてきました。そうして、キリスト教まで下ってきたのが、現在の我々の状況です。
真の父母は、この間接主管圏と直接主管圏を連結させる責任があるのです。サタンに引っ掛かっている個人、家庭、宗族、民族、国家、世界の塀をどのように壊すかということが問題です。サタンはサタンなりに、ハナニムの継続的なこの歴史をどのように妨げようかということを考えています。このように、二人が対決してきているのです。粘り強くサタンがハナニムを相手にしているのです。


それで、先生がサタンとハナニムの中間で、いつもサタンを除去することをしてきたのです。どのようにサタンの讒訴ざんそを受けない位置で、この仕事をはかどらせていくのでしょうか。それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。今まで、人間が責任分担を成せませんでした。どのようにその責任を埋めていくのかというのです。
サタンは、それがメシヤの責任であることを知っているのです。それで、すべてのサタン勢力を総出動させて、真の父母を攻撃したのです。それで先生は、サタンの塀を壊すことを、個人から家庭、宗族、民族、国家、世界、霊界まで経てきたのです。メシヤは、この道をすべて経なければならないのです。
これが、我々統一教会の歴史です。サタンに対して、いつも愛をもち、原理をしっかりと打ち出してきたのです。サタンの血統を受けて堕落した父母として始まったことを、どのようにして人類の真の父母の位置に復帰させるか、ということに苦心したのがハナニムの立場だというのです。
それで、1960年に父母様の聖婚式が、歴史上に初めて起こったのです。堕落した父母から復帰が起こったのです。イエス様が来られたのは、アダム、エバが堕落したことを復帰するためでしたが、できなかったので、それを全部代わりにしなければならないのです。
(131-70, 1984.4.16)

 

5) 「真の父母」の愛

皆さんが本当の「私」を見いだしたというときは、ハナニムが自分の心にいて、自分は解放圏にいるのです。本然的なハナニムの愛と、本然的なまことの父母の愛を中心として、本然的な血統の歴史をつないで生まれたのが、本然的な自分です。その自分を見いだせば、すべてが成されるのです。そこに真の父母がいます。そこには、真の父母の愛があります。
ハナニムの愛から自分が始まったために、自分を見いだしたときは、自分の中には既に二つの愛の本然相が植えられているのです。それが根になっているのです。自分をハナニムから離してしまうことができず、真の父母から離してしまうことができないのです。その肢体ですが、その肢体となった自体を否定できないのです。
細胞を例に挙げましょう。細胞は、葉の細胞も根の細胞も同じなのです。このごろは、細胞を繁殖させて、植物も繁殖させます。同様です。葉にも根の要素があり、すべてあるということです。
ですから、自分が偉大なのです。ハナニムの愛と真の父母の愛を、みなもっているのです。ハナニムの愛と真の父母の愛は、宇宙におけるすべての主管性の核です。主体性の永遠な標準です。愛を中心として、全部主管するのです。


ですから、自分自身がすべての代表になるのです。ハナニムを代表することができ、父母を代表することができ、兄弟がいればお兄さんを代表することができ、弟を代表することができ、お姉さんを代表することができ、妹を代表することができるのです。そのような代表者になり得るのです。そのようになるとき、一族が歓迎するようになっているのであって、けんかしません。反発が起きないのです。吸収されるようになっているのです。言葉は簡単ですが、これは、原理の核です。
自分を完成しなければならないのです。道を修めるのも自分を完成するためです。自己の完成の位置に行くには、結局、ハナニムを探し、真の父母を探して、接ぎ木することです。すっかり大きくなって、再び生むことはできないので、仕方なく接ぎ木しなければならないのです。それゆえにメシヤが来るのです。
メシヤとは、本然の愛、真の父母の愛を、完成した男性として来る方です。本然の理想的な代身者として来るのです。「私」という言葉を使うたびに、そのことを考えてみよというのです。ですから、解放され得るのです。サタンから解放、生活圏から解放、血統圏から解放されれば、みな終わるのです。では、解放されて何をするのですか。悪魔の代わりにハナニムに侍り、文化圏を形成しなければなりません。真の父母の生活圏を形成しなければならないのです。完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。
そのようにして、自分には真の父母の愛が宿り、ハナニムの愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させ得る調和の根本です。それを言い換えれば、自分には愛があり、生命があり、血統があるということです。三位一体です。
(202-283, 1990.5.25)


 

第5章 天国と「真の父母」

 

1) 「天」の字と「父母」の字のもう一つの意味

天というのは、二人です。仁というのも二人です。二人ですが、二人はどんな二人ですか。完全な愛を中心として、天地が縦的に一つになり、横的に完全に一つになり得る人間です。天地の調和を成し得る根本は、愛です。その愛から始まるのです。
(186-60, 1989.1.29)
天地間において、天が先か、地が先か。地天か、天地か。父母も、父母か、母父か。夫婦も「夫」の字と「婦」の字が逆さまになった婦夫か、正しくなった夫婦か。正しくなった夫婦にならなければなりません。地天を願う人はいません。全部天地を願います。
それゆえ、何が先になるべきでしょうか。天が先になるべきです。その次には、地になるべきです。そして、父母がいますが、父母は、なぜ母が先にならず、父が先になるのでしょうか。そうだからといって女性を無視するのではないのです。
父母は「父」という字が先になければなりません。「母」という字をじっと見れば、これはおもしろいのです。これは何かというと「女」という字二つを逆さまにして合わせておいたものです。それは本当におもしろいのです。それが「母」という字です。女を二人くっつけておいたのです。逆さまにもってきて合わせたのです。それが母です。
それゆえ、天の心をもった母にならなければならず、地の心をもった母にならなければなりません。言い換えれば、天の心をもった女性になり、地の女性を代表した心をもった女性になって、その二つの心を合わせておいてこそ母になるのです。
また、「父」という字を見ましょう。これは何でしょうか。上の部分と下の部分を離すと「人」という字が二つです。それが合わさって「父」という字になっているのです。それは、一箇所にもってきて結んでおいたのです。
それは何でしょうか。男性は男性ですが、人は人ですが、一人ではなく二人をもってきて結んでおかなければならないのです。それでこそ父になるというのです。それは何かというと、天の人と地の人が結ばれて、一つの行動をとれてこそ、父になるということです。これを考えれば、おもしろいです。


また、「天」という字は何でしょうか。天というのは、一人でいるのではありません。二人がいてこそ天になるのです。それゆえ、「天」は、二人をもってきて合わせればなるのです。また、「夫」という字は何でしょうか。これは姿が不届きです。冠をかぶって(官職に就いて) 天よりも高く上がるということです。これは何でしょうか。二人が互いに好きなら、天のてっぺんまでも貫いて上がるということです。それで、夫婦という言葉が設定されるのです。
では、「私はこれほど美男であり、これほど立派な男性なので、私には父母が必要ない」と言う人がいますか。「私は男であるために、男である父は必要ない。父が死ねば、私が代わりに父になり、主人になるから、父は死んで母だけ残ってください」と言う、そのような男性がいますか。いないというのです。
また、「うちでは女の家長になろうとするので、母は死んで父だけ一人生きてください」と言う、そのような娘はいないというのです。では、何がいなければならないのでしょうか。二人がいなければなりません。父母がいなければならないのです。
(59-182, 1972.7.16)

 

2) 地で「真の父母」に侍るべき理由

霊界とは何かというと、我々の先祖たちがアダムを中心としてコントロールする国です。また、地上天国は、その子孫を中心として、世界がコントロールされる国です。このようになるのです。
皆さんが死ねば、間違いなく先祖圏内を訪ねていきますが、その先祖たちが何千万人になるでしょうか。その先祖たちを、みな経ていくのです。そうして、誤れば彼らから審判を受けるのです。審判をパスする原則とは何でしょうか。これが問題です。
先祖たちの家庭に行ってパスしようとするには、どのようにしなければならないのでしょうか。原則に従わなければなりません。あの世でも、数多くの先祖、数多くの家庭、数多くの民族がつながっていて、世界がみなつながっているのです。このような観点で評価するとき、自分が引っ掛からないでパスするのは、何かというのです。
それは、簡単な言葉で言えば、まことの父母の理想の伝統です。真なる家庭は、「真なる父母」の家庭です。そして、真なる父母は、家庭の大統領です。では、国の大統領とは何ですか。その国の真なる父母の位置に立っているのです。そうならば、アメリカならアメリカが真なる父母の国になるのです。
それゆえ、国民はその大統領に母、父のように仕え、もっと一つになるべきです。自分の家庭を越えて、自分の妻を越えて、自分の父母を越えて、国と一つになるというのが原則です。家庭よりもっと大きなものが理想です。自分の家庭の真の父母よりも、国の真の父母の「ため」になる立場に立つのが理想的だというのです。
我々がなぜそのように暮らさなければならないのでしょうか。そのように暮らさなければ、霊界に行って、行く道がふさがってしまいます。そこで歓迎されないというのです。いくらドクターという名が付いたとしても通じないのです。そのようになるというのです。


家庭的真の父母圏を凌駕りょうがする国家的な父母のためにもっとしなければならないのが、本来理想世界の原則だというのです。その次には、国家的父母圏は世界的父母圏の支配を受けなければならないのです。国家的父母がもっと世界的父母のためにならなければならないというのです。
統一教会は、何をする所ですか。世界的真の父母圏のために動いていく所です。人間の世の中の最高の道を準備するために、家庭的真の父母、国家的真の父母までも犠牲にする道を行こうというのです。これが統一教会の運動です。世界の真の父母圏のための家庭理想を実現させるために、すべてを克服していくのが統一教会運動だというのです。そのために、我々は家庭的父母、国家的父母をすべて犠牲にしなければなりません。そうして、世界の中心になるときには、個人と家庭をどれほど犠牲にし、国と国民を越えてどれほど努力したかということを中心として、新しい世界の伝統的な要因として記録されるでしょう。
(118-234, 1982.6.6)

 

3) 天国は「真の父母」を通じてこそ可能

皆さん自身は、天国を成すことはできません。それには父母様が臨まなければなりません。聖神聖霊)と共に一つになって、イエス様の愛と共に和合することができなければなりません。
それでこそ、天の側のオリーブの木に接ぎ木できる可能性があります。そうだとしても、霊的ですから接ぎ木はできません。再臨時代にまことの父母が来て、接ぎ木してあげるのです。
天国建設は、それが基本です。公式は同じです。ハナニムと息子の関係は、絶対的です。それを誰も分けることはできません。父子の関係を誰も分けることができないのです。夫婦が愛で一つになれば、その愛を誰も分けられません。ハナニムも分けられません。永遠なものです。
夫婦が二人一つになって、アダム、エバと同様に、真の父母に侍り得る夫婦になったかというのです。ハナニムの愛と父母の愛が、我々の家庭に臨むことができるか、その愛の圏内で息子、娘を生まれさせるための愛をなしているかというのです。これは深刻な問題です。そうせずには、家庭天国が開門しないということを知るべきです。
(137-185, 1986.1.1)
我々が天国に入るためには、真の父母を経なければなりません。真の父母を経ずしては、天国に入ることができないのです。それで、真の父母が出てきました。真の父母が出てくれば、その真の父母を中心とした真なる家庭が生じるのです。サタン世界でも、この真の家庭まで上がるために、ここから出発するのです。闘って、これを全部否定しなければなりません。
(44-140, 1971.5.6)
皆さんには、国がありますか。国のない人たちです。大韓民国という国はありますが、我々が行く国は違う国です。神の国というものです。その国に行くためには、どうしなければならないでしょうか。皆さんがその国の公認された市民権を新しく受けずしては、天国に入ることができないのです。公認された市民権をもった人には、サタンが東西南北を通じても、過去、現在、未来を通じても、讒訴ざんそできないのです。そのような市民権をもたずして、天国に入ることはできません。
(148-288, 1986.10.25)


全世界の人間たちは、真の父母の愛を通じて行かなければなりません。その門を通じなくては、天上世界の本然的な故郷の地に帰る道がありません。地獄しか行く道がありません。これをさかのぼっていかなければなりません。反対する国と戦って、勝っていかなければなりません。
そうして、統一教会は、世界的なメシヤ圏の勝利を受け継ぎ、国家的なメシヤ圏を越えて、宗族的なメシヤ圏に訪ね下りてきたのです。サタン世界の宗族圏を中心として、サタンの家庭に入って、世界と交替しなければなりません。
先生が提示する統班撃破トンパンギョッパは、家庭的な基準で真の父母の息子、娘をつくるためのものです。家庭で真の父母の愛に代わり得る夫婦をつくり、ハナニムの愛の中で成されるべきおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、妻と夫、子女の基準を中心として一族、一国、一世界を失ったのを、再現させなければなりません。そうして、世界万民を自分の息子、娘として抱き、愛することができる世界になったと宣布してこそ、地上に解放圏が始まるのです。
(210-42, 1990.11.30)
聖書を見ると、「幼子のようでなければ天国に入れない」という言葉があります。それはどういう言葉ですか。幼子たちには、お母さん、お父さんしかいません。御飯を食べてもお母さん、お父さん、寝てもお母さん、お父さん、ただお母さん、お父さんです。そのように育って、分別がついて、いくら結婚したとしても、そのお父さん、お母さんというものは忘れられないのです。その言葉を取ることができないのです。
ハナニムも我々のお父さんです。父親です。ハナニムは、我々の縦的な父であり、真の父母は横的な父です。それで、その父母の言葉を習って、その父母の風習を習って、すべてその父母のするとおりにしてこそ、故郷にも行き、どこに行っても、その国に適合するのです。
このようなすべての歴史的な蕩減とうげんを父母様がして、何をしようというのですか。万民を解放しようというのです。なぜ? どうして? 人類を解放させてこそ、ハナニムが解放されるからです。
(225-19, 1992.1.1)

 

4) 天国と真の愛

真の父母を中心とした所から、理想的な歴史の出発、新しい文化の出発、新しい愛の出発が起こるのであり、新しい人生の出発、新しい家庭の出発、新しい国家の出発、新しい世界の出発が起こるのであり、天国とハナニムの愛の出発が起こるのです。


この「真の父母」という言葉は、今まで知っていたそのような内容の言葉ではありません。このような後世と関係を結ぶため、国も滅び、個人も滅び、家庭も滅びました。この位置は、数億数千万の犠牲の祭物の血が訴えている位置だというのです。
聖書には、アベルがカインに殺されて血を流すことによって、天に讒訴したと出ています。そのような歴史を全部解怨かいおん成就し得る立場は、この立場しかないのです。
そのような使命を受け継いで、そのような驚くべき蕩減の道を、まっすぐにするために集まった群れが、正に統一教会員たちです。それを本当に知るようになれば、自分の生命がどうだ、自分がどうだという不平は、千回死んでも、夢にも言えないのです。
(67-226, 1973.6.27)
ハナニムの創造理想とは何かというと、「真の父母」の名前を通じて天国の王国と、地上の王国を成すことです。「真の父母」の名前をもたずには、地上天国と天上天国が生まれません。今日、キリスト教徒たちに、「イエス様はハナニムの愛する長子であり、息子なのにもかかわらず、なぜ天国に行けず、楽園に行っているのか」と聞いてみると、答えられないのです。
天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されます。霊界に行って王国を統一するのは、真の父母の使命であって、他の人の使命ではありません。イエス様は真の父母になれなかったので、楽園に行っているのです。堕落した世界には、まだ真の父母の愛を受けた物もなく、受けた人もなく、現れた痕跡こんせきもないのです。ですから、霊界にそのような基盤が生まれても、必要がないのです。縦的であり横的な原理基準、公式がしっかりとできているのです。勝手にしてはいけないのです。
(131-182, 1984.5.1)
天国は男性と女性の愛から始まるのです。何を中心として? ハナニムの愛を中心として、垂直線をセンターにして、水平線が統一されている所が本然の天国です。ハナニムがいらっしゃるのに、男女がすっとその中で核になって、体と心が共にぴたりと丸くなるのです。
そこで心は何かというと、垂直的な自分です。体は何かというと、水平的な自分です。明確なのです。垂直的な心は、ハナニムであり、垂直的な体は何かというと、真の父母なのです。それが一つになるのです。
心は垂直的です。見えはしませんが、垂直的です。体は見えますが水平的です。90度、これは男性が好むのです。
家庭は大宇宙の縮小体です。我々、人の中に霊界があります。霊が入ってきています。それが心です。見える体は世界の代表です。二つがセンターを中心として、完全に四方を歩き回っても、ひと所を離れなければ、理想的な人になるのです。簡単なのです。見えない心と、見える体が、真の愛の核を中心に一つになるとき、これが理想的な男性と女性、個人の完成なのです。


皆さんの体と心が、いつ、何によって一つになるのですか。真の愛によって一つになるのです。どんな真の愛ですか。垂直的な真の愛と、水平的な真の愛です。2種類の愛です。これは90度です。ハナニムから、愛と生命と血統を受け継いで構成された実が自分です。これが真の愛、縦横の真の愛を核にして、一つになるべきなのです。
(217-150, 1991.5.19)

 

5) 「真の父母」と永生

皆さんが、相対者に会って、愛することができる子女を得るためには、父母に従わなければなりません。それで、子女を得たなら、「ああ、私が天国を率い、天国全体を率いることができる道のために従う」と言えなければなりません。それが、どれほど素晴らしいですか! 地上世界でも同様なのです。家庭をもって、統一宗族を得て、統一世界を得て、統一の天を得るために行くのです。
なぜ、真の父母に従うべきなのでしょうか。この宇宙全体を相続するために従うのです。どれほど素晴らしいかというのです。ハナニムと真の父母は、すべてをもっているのです。これが真の父母主義です。真の父母主義が、このように素晴らしいというのです。
み旨のために忠誠を尽くそうという統一教会の群れたちは、韓国に行っても統一教会が我々のものであり、南米へ行ってもそうであり、アフリカのどこでも、我々のものです。真の父母の驚くべきこととは何かというと、その方に会って永遠に一つになると決心して、永遠に一つになるようになれば、この宇宙全体をハナニムが相続させてくれるというのです。
(124-39, 1983.1.16)
皆さんは、先生があの星の国へ行っていたなら、どうやって探しますか。愛の心で「ジジジッ」と方向を合わせるのです。方向を合わせて、「先生! お父様!」と言えば、一遍に当たるのです。「来るな」と言っても、真の父母の位置に、さっと来るのです。それが真の父母の愛主義です。そうすれば、きちっと方向が一致するのです。すぐに分かるのです。
皆さんは、死ぬまで父母を恋しがりながら、生活をしなければならないのです。父母のために涙ぐむことができる生活をして、霊界へ行かなければならないのです。そうすれば死んで天国に行くのです。それが原則です。それができないために、それを継ぎ当てするために、今日真の父母が出てきたのです。真の父母がその運動を再現させ、条件を立てたということで天国に行くのです。
(124-41, 1983.1.16)
統一教会において主人は誰かというと、先生です。そこには異議がありません。なぜでしょうか。誰よりも投入したからです。誰よりも「ため」に生きました。また、師です。誰も私に代わることはできません。いくらやってみても、私ほどできません。ひと月も行かないでパンクします。それゆえ、私が山へ行って地の穴を掘って入っていると、地の穴を掘ってでも侍っていこうとするでしょう。なぜでしょうか。ムン先生のような先生がいないからです。


また、「真の父母」という言葉を中心として見るとき、世の中の天地の福を全部もってきて与え、永生を保証し得る証書をくれます。サタンとハナニムの前に、立証書をくれます。それが分かります。それが分からずにいれば、自分の先祖たちが来て敬礼します。それを受けたその日、自分の3代の先祖がやって来て敬礼します。驚くべき事実です。
(200-73, 1990.2.23)

 

6) 「真の父母」と国

我々がこれまで、なぜ犠牲になったのでしょうか。それは、宗族の父母になるためです。それは、どれほど素晴らしいでしょう! このように犠牲になって、国が統一され、世界が統一されれば、何をするのでしょうか。統一された所はなくなるのではありません。統一した所で、自分が父母の位置に立つのです。
父母の位置に立てば、どれほど神聖で偉大ですか! 父母は愛をもって、いつも犠牲奉仕します。それを思えば、真なる父母になるために生きるというのは、気分がいいです。それは、アメリカもそうなのです。レバレンド・ムーンが、今までアメリカに対してそのように歩んできました。愛をもって、アメリカの人たちを一つにするようになるときは、父母の志をもってしたという事実を知るようになるでしょう。そのようになるとき、ここから分かれることができない一つの世界と、一つの国が決定されるのです。
ここから父母がこの位置に入ってきてもOK 、この位置に入ってきてもOKです。それは、全部ハナニムを中心としてつながった父母の位置として、縦的な心情圏がつながるのです。このセンターを通じなくては、つながらないという事実を知るべきです。
また、その次には、垂直は垂直ですが、このような垂直になっています。これが夫婦であり、その次には家庭の父母であり、その次は宗族の父母であり、民族の父母です。もっと大きくなります。この言葉は何かというと、最初、この真の父母の伝統を受け継いだこのセンターを中心として見るとき、父母は父母ですが、一つは家庭の父母であり、宗族の父母であり、民族の父母であり、国家の父母であり、世界の父母です。あとは、この父母権を中心として国がセンターとなり、父母権の国を中心とした世界をつくるのです。
(118-267, 1982.6.13)
皆さんは、宗族的メシヤになったので、長子権と父母権を受け継いだのです。長子権を受け継ぎ、その次に父母権を受け継ぎ、その次には王権をつなぎ得る国を探すために働いているのです。皆さんが韓国を復帰すれば、世界の国は、みな復帰されるのです。これが最後です。原理的に、理論的な結論がここに帰着するのです。もうこれ以上ありません。
これから、その位置に土台として立てるものがあるなら、真の父母、真の先生、真の主人です。この3人の方です。真の愛を中心とした父母は、真なる先生です。この世の中が知らないことをみな教えてあげました。天の秘密、地の秘密をくまなく、みな教えてあげました。ですから、先生の中の先生です。ハナニムがそうです。ハナニムは、主人の中の主人です。先生も主人の中の主人です。王権を復帰するようになれば、主人の中の主人になるのです。「三大主体思想」とは何かというと、真の父母思想、真の先生思想、真の主人思想です。ですから、統一教会は真の父母の群れです。


国もそうです。国にも大統領を中心として系列があります。国家組織を見ると、教育機関の教育部があります。これは真の先生の群れです。その次に、国家の行政省庁は、神経の主人と同じです。これがすべて上がるので、行政省庁は主人の位置に入らなければならないのです。そのてっぺんにいる大統領が、国の主人です。これが「三大主体思想」の中に、みな入っているのです。
それゆえ、真の父母はいつも縦的な位置に立っていて、その次に教育機関と行政省庁は相対的です。これがカイン・アベルと同じです。このカイン・アベルが完全に一つになるときは、その王権は永遠不滅の王権になるのです。
金日成キムイルソンの「三大主体思想」は。自主性、創造性、意識性だといいますが、それは人間論を中心としたものであって、思想になり得ないのです。ハナニムを知りません。そこには本体論が抜けているのです。このようなことを知って、皆さんは力強く前進しなければなりません。
(208-341, 1990.11.21)
今、皆さんの目で国を見ることができる時が来たのです。皆さんが国を救うための独立勇士として一線に立てる、この驚くべき事実は、歴史を代表して、宇宙史を代表するのです。天がこれを見るとき、どれほど誇らしく、どれほど生きがいを感じるのかというのです。
この地上に真の父母が出てきたということは、驚くべき事実です。偽りの父母として、このように出てきたのを半分切って、この基盤を中心としてここからこの反対の父母の門を通じて、全部追い込もうというのです。そうして、地獄に行っていた道を、天上に上がれるようにするのです。
父母の門を通じなくては、天国に行けないのです。キリスト教に父母の門はありません。統一教会にだけあります。ですから、天国に直行し得るのです。その代わり、自分の過去を完全に清算しなければなりません。過去の友達の名前までも、覚えていてはいけないのです。嫁に行った女性たちは、過去の初恋の男性が思い出されてはいけないのです。ゼロの位置に入らなければなりません。「過去に自分がどのように暮らしたか」という思いをする人は、天国に入ることはできません。
それゆえ、あらゆる精誠を込めなければなりません。そこに他のものは何もありません。ただ真の父母様とハナニムの思いしかないのです。そこに他のものが混じっては、この直線に乗れないのです。愛の道を行けないのです。そのような課題が残っています。地上で祝福を受けたといって、そのままで済むのではありません。祝福も、教会の祝福、国の祝福、世界の祝福を経なければなりません。


このように3段階を経なければならないのです。なぜそうでなければならないのでしょうか。ゼロの位置に入るために、そうなのです。自分の息子、娘がいるといって、その息子、娘は自分の所有ではありません。ゼロの位置に立たなければなりません。その息子、娘は、ハナニムの所有であり、真の父母の所有です。
(208-342, 1990.11.21)


 

第6章 「真の父母」と我々

   

1) 統一教会の教えの核心

 

① 父母哲学

皆さんが孝行者になろうとすれば、父母がどのような方かを知らなければなりません。皆さんは、果たして父母がどのような方かということを知っていますか。教えられて知っているのか、本当に知っているのか、考えてみたことがありますか。
皆さんは、統一教会に来て、孝子、孝女の道を行っています。しかし、皆さんは、大小便をする幼子です。お母さんのおっぱいをくわえて吸っている幼子です。そうしながら、父母の愛を受けて育ってきました。この世に最高の哲学があるなら、それは父母哲学でしょう。父母哲学が最高だというのです。もう皆さんは、幼子ではありません。皆さんは、全部習わなければなりません。それが父母の願うことです。
皆さんは、お母さんのおなかを通じて生まれましたが、養子、養女です。ですから、その父母の前に忠誠を尽くすべきです。そうして、皆さんが父母になれば、四位よんい基台が成されるようになります。しかしながら、皆さんだけでは、絶対に天の子女をもてないようになっています。天の子女をもつためには、明らかに天の父母がまず出てこなければなりません。
ところで、このような父母が出てくるためには、長男がまず出てこなければならないのです。なぜなら、長男であったカインが天道に背いたので、ハナニムの前に背いたカインの路程を逆さまに歩み、ハナニムに代わり得る位置まで上がらなければならないためです。そうして、四位基台を成さなければなりません。そうするまで、皆さんは全部赤ん坊です。ですから、世の中でいくら優れていて、何がどうだという人でも、赤ん坊のような心情をもたなければなりません。そうして、お母さんのおなかの中と、お父さんのおなかの中を通じて、再び出てこなければなりません。
(16-191, 1966.3.22)
宗教の違いはあるといえども、すべて良い道に従うようになっています。転がっていくようになっています。教派を主張した宗教は、退くようになっているのです。間接主管圏と心情圏が連結されなかったのを、完成期蘇生そせい級から始めて、完成期長成級、完成期完成級まで、7年路程に該当する期間を残したここで、父母様を中心として、今まで世界的な蕩減とうげんをしたのです。そのために今は、本来の線上で、間接主管圏内に落ちて堕落したものを再び引き上げて、直接主管圏の平衡線上に接し得る段階に入ってきたのです。これは、まことの父母を中心としなければ、駄目なのです。


今、皆さんに必要な思想は、真の父母の思想以外にはありません。それ以外にはないのです。誰々の、いかなるよこしまな思想もあり得ないのです。金日成キムイルソンの思想を受け入れることはできません。誰の思想も受け入れることはできません。ただ、真の父母の思想一つだけです。
(136-51, 1985.12.20)

 

② 真なる家庭 ‐ 宇宙の中心を決定

真なる父母が出てくれば、真なる家庭が成立し、真なる人の目的も成すことができるのです。過去や、現在や、未来において永遠にたたえられ得るその名前とは何かというと、真なる父母、真の父母です。真の父母がこの地上に顕現したという事実、真の父母がこの地上にいらっしゃるという事実は、何よりもうれしい、福音の中の福音です。
今日、邪悪な人間たちの前に、悪が主管することによって方向を整えられず、死亡圏を成しているこの世界に、真なる父母の因縁が成立したことは、ハナニムの6000年の歴史的な苦労の功績の実として現れたものです。また、多くの人間たちが、行く所を知らず、方向を選べないこの時代の前に、行く所を探してあげ、行くべき方向を提示してあげられる、一つの中心的なモデルとして現れたのが、真の父母だというのです。
「真の父母」という名前が出てくることによって、ハナニムの創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった永遠の未来の天国が、ここから出発するのです。その事実は歴史的であり、時代的であり、未来的なのです。それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史をひっくるめて見るとき、この地上に顕現した真の父母は、宇宙の中心を決定する中心ポイントであるということを、皆さんは知るべきです。
歴史は、ここから実を結び、ここから収拾され、ここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶために、過去がここで復活するのであり、世界がここで一つの世界に収拾されるのであり、一つの世界が起源となり、新しい天国が成されるのです。
今まで歴史時代において、人類の希望がどこにあったでしょうか。その希望は未来にあったのです。人類は、希望を未来のものとしてだけ考えてきたのです。人類は、どこに向かっていくのでしょうか。未来に成される一つの世界に向かっていきます。未来について、一つの世界を模索したのです。
偽りの人類の中で、真なる父母を迎え得る道があるなら、人類は喜ぶことでしょう。それゆえ、人類の希望とは何でしょうか。それは、真なる父母を迎えることです。
真なる父母は、人間たちの最高の希望であるために、真の父母が顕現すれば、歴史的伝統は未来で成されるのでなく、真の父母が顕現した現実圏内で成就するのです。真の父母が現れれば、真の父母が現れたそこが、歴史の完成の出発点であって、完成を願う出発点ではないということです。言い換えれば、願いが出発する場ではなく、願いの成就が出発する場であるのです。
(44-132, 1971.5.6)


真の父母の家庭とは、どんな家庭でしょうか。真の父母の家庭は歴史的な実であり、時代の中心であり、未来の起源です。それゆえ、我々人類が暮らしているこの世の中が、今後、希望の天国となるとき、そこにおいて伝統の本国は、真の父母様が暮らしていかれたその生活全体になるのです。国家の思想的な母体とは何かというとき、これが国家の思想的な母体なのです。また、世界を創建し得る起源とは何かというとき、これが世界を創建し得る起源です。
いつでも真の父母と共に、真の父母の子女になる因縁を中心として、3代圏を成さなければなりません。ハナニム、父母、そして皆さん、このように3代です。横的に見れば、先生、先生の子女たち、その次に皆さん、このように3代です。この3代圏を備えて完成しなければ、天地が統一されないということです。
(44-169, 1971.5.6)
天の基地は家庭です。家庭に着地しなければなりません。家庭に着地して、方向を定めなければならないのです。すべての家庭は、父母様とハナニムの名前を中心とした写真を掛け、そこに四位よんい基台が敬礼しなければなりません。3代が敬礼しなければなりません。四位基台は3代です。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子供たち、このように3代が敬礼をしなければなりません。
「真の父母」の名前とともに、四位基台圏を成して敬礼する所は、堕落圏内ではあません。ハナニムが直接主管をするために、解放圏が起こるのです。それによって、天上世界に行ったすべての霊人たちが地上に来て、天使長がアダム家庭を保護するように、保護するのです。そのような時代に入ってきたのです。
昔は、カイン圏が霊界になっていて、アベル圏が地上になっていました。それで、アベルがカインを救うために、犠牲となる時であったために、利用されてきました。ですが、今は長子権を復帰したので、霊界が天使世界であり、今日統一教会を中心とした家庭がアダム圏であるために、アダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようにはなっていません。
こうすることによって、サタンが介在して活動し得る地がなくなるのです。そうする余地がないのです。サタンは追放されるのです。強く雄々しく先頭基準を一歩も譲らない前進的姿勢と、平衡的基準を備えて前進するのです。そうすれば、悪魔の勢力圏は、がけから落ちるのです。家庭ごとに火をつけるのです。
(211-349, 1991.1.1)

 

③ ハナニムの愛と「真の父母」の愛

ハナニムの愛は、縦的な父母の愛であり、真の父母の愛は、横的な父母の愛です。それを受け継いだ人間の前に、皆さんの心は、縦的なハナニムと父母の愛を受けた伝統的な実であり、体は、横的な真の父母の愛を受けた伝統的な実です。


この実が互いに横的家庭基盤になり、縦的中心を中心として、球形を成そうとするので、夫婦を成し、息子、娘を生まなければならないのです。それゆえ、息子、娘を生まなければ罪なのです。息子、娘がいない人になってはいけません。骨のない肉がありますか。それは位置が定まらないのです。
(184-309, 1989.1.1)
エバは女性の性稟せいひん、アダムは男性の性稟を中心として分立して、何でまた一つになるのですか。別れてから合わさることによって、ハナニム御自身が内的に抱いていた愛が、どれほど強いかということが分かるのです。そうでなければ分かりません。自分に愛がありますが、愛が分かりません。相手に会うことで分かるのです。内省的な愛を、人を通じて感じてみるのです。ハナニムは縦的な父であり、アダム、エバは横的な真の愛を中心とした父母です。
(185-187, 1989.1.8)
ハナニムは、愛の骨です。愛を中心として見るとき、ハナニムの愛は「骨の愛」であり、人間の愛は「肉の愛」です。骨と肉が一つになって、形態を整えるのです。そのような道理になっています。皆さんに骨があるように、ハナニムの愛は、骨の愛です。真の父母の愛は肉の愛です。
(181-206, 1988.10.3)

 

④ 父母と食口

我々統一教会では、信徒たちを「食口シック」と言います。今日までの歴史途上で、この「食口」という名詞を悟らせてくれた者がいませんでした。「食口」という言葉は、家庭を離れては成立しません。食口が生まれるためには、必ず家庭がなければならず、その家庭があるためには、兄弟姉妹がいなければならず、兄妹がいるためには、父母がいなければなりません。
キリスト教でも、「信徒」や「信者」という名詞を使いますが、「食口」という名詞は使えませんでした。今日、この世界が外的な面で「世界大家族主義」を叫んでいますが、大家族を成すためには、その大家族の父になれる、母になれる父母がいなければなりません。その父母として来られる方が、正にメシヤです。
ところで、今日、統一教会で言う「食口」の中に、まことの食口がいて、それとは反対になる食口がいます。また、中間の立場にいる食口もいます。では、ハナニムが立てられた天的な家庭を中心として「食口」という名詞をもった、真の食口とはどのような人でしょうか。これが問題です。
食口になるためには、まず父母をもたなければなりません。兄弟になるためにも、父母がいなければなりません。兄弟は何人かいますが、父母は一組なのが原則です。すなわち、食口は何人いても、主人は一人だというのです。
では、その父母や主人は、誰を中心とした父母であり、主人ですか。自分を中心とした主人ではなく、自分を中心とした父母ではありません。兄弟を中心とした父母であり、食口を中心とした主人なのです。悪なる世界で、悪と接し得る主人であり、悪と接し得る父母ですか。悪とは関係ない主人であり、父母でなければならないのです。真なる善としていらっしゃる父母であり、主人であるというからには、その父母は家庭や、あるいは韓国の民なら韓国の民を主とした父母であり、主人なのですか。違います。全世界人類全体の父母であり、一つの大家族を主にした中心でなければなりません。


では、その主人であり父母である中心の位置には、誰が立つべきですか。天地を創造したハナニムが立つべきです。その次には、誰が立つべきでしょうか。悪なる世の中を世界的に収拾する、ハナニムの代身、すなわち、救世主が立つべきです。そうして、ハナニムと一体となった救世主を父母として地上に迎えることができてこそ、初めて真なる家庭を成すことができ、救世主に真に侍る者だけが真の子女と真の兄弟になれるのです。
(15-294, 1965.12.7)
皆さんは、ハナニムのみ旨にかなった道だけを歩むべきであり、兄弟でない兄弟にならなければならず、父母でない父母にならなければなりません。統一教会では、父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟がハナニムを中心として血肉の情を越えていく運動を展開しているのです。
ここから民族を超越し、世界を超越し、新文化創造が起こるのです。何を中心としてでしょうか。ハナニムの何を中心としてでしょうか。ハナニムの生命力を中心としてでしょうか。ハナニムの創造の能力を中心としてでしょうか。ハナニムの知恵を中心としてでしょうか。知識を中心としてでしょうか。違います。ハナニムの愛を中心としてこそ可能なのです。
(83-177, 1976.2.8)

 

2) 「真の父母」の在世時に同参する価値

この世に、まことの父母が二組いることはできません。今日、北朝鮮では金日成キムイルソンを「父」とし、統一教会ではムン先生を「お父様」と言っています。しかし、統一教会で言う「お父様」と、北朝鮮金日成を「父」と言うのとは、質的に違います。二人が対立したのです。この二人が、互いに「自分が父母だ」と言うのです。そして、ハナニムもその父母は自分のものだと言い、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。
これを公的に、誰が公判しなければならないのですか。人間がしてあげるのです。人間が、「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこれこれのゆえに悪い父母であり、善なる父母はこれこれのゆえに善なる父母です。善なる父母を探してきたのは、サタンではなくハナニムなので、ハナニムが善なる父母の父です」。このように立ち上がって決定づけなければなりません。それゆえ、すべてはどこに帰結するのですか。真の父母に会うところです。
父母は、二組存在することはできません。一度死んだ父母が、千年後にも再び現れますか。人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、あとにも先にもない時であり、歴史上に一度しかない頂上なのです。狭小といえば、どれほど狭小ですか。永遠の世界から見るならば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。