八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 4-5

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1091-1126

【天啓の御言】(4-5)

 


 

② 直接主管圏

責任分担を完成することにより間接主管圏と直接主管圏が連結され、地上天国と天上天国が連結されるのであって、それがなければすべて無効です。ですから私たちは、責任分担を完成した愛の実体、愛の化身となり、ハナニムを愛し、全宇宙を愛し、自分の家庭を愛さなければなりません。そのような人だけが天国に入るのです。それが天国に入る公式です。
(149-318, 1986.12.21)
責任分担圏は、愛を中心として一つになった所です。完成に向かって縦的なハナニムの愛と連結されたとき、間接主管圏と直接主管圏が連結されます。そこにはサタンがいないのです。直接主管圏と間接主管圏が連結されれば心情圏が連結されるので、サタンがそこに存在できないのです。その前に堕落したので問題なのです。
(172-198, 1988.1.21)
ハナニムの完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこでハナニムの縦的愛とアダムとエバの横的愛が連結されるのです。
(173-286, 1988.2.21)
本来、アダムとエバが堕落しないで、責任分担を完遂してハナニムと愛の一体圏内で天地が一体化し、勝利的基盤を築いたならば、ハナニムとアダムが一つになったその愛の圏内で、天使長を連れて天国に行くのです。それが道理です。それが原則です。
(197-286, 1990.1.20)
責任分担は、成熟する時まで必要なものです。成熟して思春期に入れば、すべて終わるのです。愛の圏内に入れば直接主管圏内です。
(198-371, 1990.2.11)
「原理」の「責任分担」という言葉は何を意味しますか。責任分担完成というのは、人間の愛とハナニムの愛が一つになることです。ハナニムの愛は永遠の愛なので、永遠のハナニムの愛を中心として人間は、相対の立場で、永遠の一体を成すのです。そこには分立があり得ません。
(212-14, 1991.1.1)
ハナニムが人間を創造されるとき、直接主管圏と間接主管圏をおいて造られました。それでは、なぜ間接主管圏をおいたのですか。直接主管圏と間接主管圏は、いつ一つになるのでしょうか。本来のまことの人類始祖であるアダムとエバが成熟して互いに横的な立場で愛によって一つになろうとする時、ハナニムが臨在し、縦的な愛を中心としてアダムとエバを横的な愛によって接ぎ木するためのものが、アダムとエバの結婚です。それで天地の一体化を成すのです。
(135-306, 1985.12.15)
直接主管圏は、なぜ必要なのでしょうか。直接主管圏に連結せずには、ハナニムと愛の連結ができないからです。この愛が連結されなければ、ハナニムから宇宙を相続することができません。相続は、愛を中心としてするようになっています。ですから、すべての国やすべての家庭も、愛する子供を中心として相続させようとします。原理がそうなっています。
(135-324, 1985.12.15)


「責任分担」という言葉は、先生の時代に初めて出てきた言葉です。ある人は「間接主管圏や直接主管圏という言葉は、ムン先生は頭が良いので、合うように作った言葉だろう」と言うかもしれませんが、それなら私がどうして苦労しますか。適当に作ったのならば、私が一生の間、何のために監獄に出入りしながらこのように苦労するでしょうか。口にもしてはいけません。私が作ったのならば、どうして楽に行けないのでしょうか。楽な道を行けばよいのに、なぜこのように、花のような青春を犠牲にし、ぼろのふろしきをまとい、なぜこのように生きなければならないのですか。
「レバレンド・ムーンが作った」という言葉は成り立たないのです。作るに先立って、それ以上の何かがあるということを知っているので、死の峠でも行こうとし、迫害の道も自ら進んで行ったのです。迫害の道を好む人がどこにいますか。ハナニムしかその事情は知らないでしょう。
(139-247, 1986.1.31)
祝福を受けて否定するのは、サタンよりももっと悪いです。サタンが讒訴ざんそするというのです。これは、直接主管圏内に入って堕落したのと同じです。皆さんは知りませんが、その原則、その天理の法度が適用されるということを知らなければなりません。ですから、頑張らなければなりません。皆さんが、どのようにその伝統を立てるのかということが重要な問題です。
(128-110, 1983.6.5)
その世界は、皆さんが考えるような漠然とした所ではありません。直接的にお父さん、お母さんが私の皮膚にぶつかってくるし、私の精神にぶつかってくるのです。心の感動が爆発して私を刺激することを感じれば、彼は既に天国内で生きている人です。このようになれば、ちょっと人に接すれば分かります。「あの人は悪い人で、あの人はいい人だ」と。そのようになれば、皆さんが想像できない次元の高い直接主管圏内に入ったことを発見するでしょう。そう見るのが原理観です。そのように生きなさい。
(78-35, 1975.5.1)
間接主管圏と直接主管圏を連結させるために責任分担を完成しなければなりません。責任分担完成というものは、男性が成熟し、女性が成熟しなければならないのです。男性と女性が完成したとは、どういうことですか。エデンの園での完成は、ハナニムしか知らないのです。ハナニムを第1に愛さなければなりません。その次に、男性は女性を第2に思い、女性は男性を第2に思う、そういう人にならなければなりません。このようになるとき、責任分担を完成することにより、みな間接主管圏から直接主管圏内に行ける新しい次元に越えていくのです。
(165-105, 1987.5.20)
責任分坦は、直接主管圈、間接主管圏を克服するのです。思いどおりに天上世界と地上世界に通じることができるようにするのは、ハナニムの愛を中心として、一体的心情圏に入らなければならないのです。ハナニムの愛を中心として自分の縦的な面の父母の立場を代表できる横的な面さえきっちり決まれば、そこからはサタンがいないのです。直接主管圏です。いまだに責任分担圏を越えることができていないので、問題なのです。
(185-126, 1989.1.3)


堕落した人間世界で一番必要とするものは、堕落圏を乗り越えたまことの父母です。私たちの「原理」でいえば、責任分担を完成した、その圏内を越えた人だというのです。間接主管圏内から直接主管圏内に入った人です。直接主管圏とは何ですか。愛に一致した世界です。こうなれば他の主人は生じることができません。絶対的です。愛にぴったり一致すれば、二人の主人を願いません。
ハナニムも他の主人を願わず、人間も他の主人を願わないというのです。連結されたなら、それによって永遠の基地になるのです。そうしてそれが家庭に拡大し、宗族、民族、国家に拡大され、その愛の軸を中心として天運が回るようになっています。
(149-154, 1986.11.21)
ハナニムを中心として責任分担を完成した基準で愛を中心として統一され、天運が回るのです。このような回転圏内に、誰が来てぶつかるでしょうか。サタンは、影も現すことができなくなるのです。このような基盤さえできれば、地上天国は自然に形成されるのです。
(149-172, 1986.11.21)
原理結果主管圏を通過し、人間の責任分担を完成することによって愛を中心として連結されるので、直接主管圏に入るのです。そうすれば縦的な役事も横的にできるし、横的な役事も縦的にできるというのです。下に押せば横的になり、引っ張れば縦的になります。その言葉がそれです。引っ張れば縦的になり、下に押せば横的になるのです。それゆえ縦的にも占領できるし、横的にも占領できるのです。
(193-217, 1989.10.4)
ハナニムの完全な愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の因縁が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。そうなれば、その縦横の愛を通じてハナニムの血統的な因縁が、血縁ができるのです。血筋が生じます。その血筋、ハナニムの愛を中心として一つになり縦横の愛と因縁を結んで生まれた血筋は、サタンが干渉できないのです。サタンと因縁がないのです。ですから心情を受け継ぐためには、純粋なハナニムの愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければならないというのです。それが問題です。
(173-285, 1988.2.21)
責任分担の統一的直接主管圏の一致点というのは、理想的父母の愛からのみ可能なのです。
(137-254, 1986.1.3)


責任分担完成は、原理結果主管圏と直接主管圏の過程を通過し、愛をもって一体化します。一体化して直接ハナニムの指導圏に入るのです。主管圏に入る、それ自体がハナニムの心情圏に属するのです。
(183-89, 1988.10.29)

 

2) 人間に責任分担がある

 

① 責任分担を下さった理由

ハナニムが人間を愛されるとしたなら、全天下が丸ごと屈服する愛であり、権威を下さるとしたなら、全宇宙が彼に従い、完全に頭を下げさせ得る権威です。そのような最高の愛と最高の権威を考えて人間に責任分担を下さったのです。
(20-209, 1968.6.9)
ハナニムは、どうして人間に責任分担を下さったのでしょうか。全知全能なる方なので、その全知全能な創造性までも賦与し、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表できる位置に立てるために責任分担を下さらざるを得なかったのです。これは福の条件になるものであり、全体を占領できる一つのかぎのようなものなので、これを下さらざるを得なかったのです。しかし、この責任分担が問題になり、堕落したということを私たちは知らなければなりません。
(20-209, 1968.6.9)
人間は、ハナニムの創造の偉業に加担しなければなりません。もともと人間が堕落していなかったとしても、そのような責任はあるのです。堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落していなかったとしても、人間は責任を負っているというのです。人として完成できるハナニムの95パーセントの創造理想的形態をみな備えたとしても、自分の5パーセントの責任を完遂しなければなりません。人間自体の完成をハナニムがさせるのではなく、自分がそこにプラスして完成しなければならない責任があるのです。堕落していなかったとしてもです。
(115-65, 1981.11.4)
私たちは、再建するのではなく、再創造しなければなりません。ハナニムの責任分担95パーセントに人間の責任分担5パーセントを合わせて、新しくつくらなければなりません。
(24-307, 1969.9.7)
人間に責任分担をなぜ与えたのでしょうか。創造の偉業に加担できる権威を与えて、ハナニムの前に対象的な価値を賦与するためです。それは驚くべき事実です。
(109-65, 1980.10.4)
原理には絶対性があります。原理には許しがありません。いずれ行かなければなりません。死んでも行かなければならないというのです。永遠に行かなければなりません。ハナニムご自身がこれを思いどおりにできれば、今まで復帰摂理の路程で受難の道を行く必要もないのです。しかし、そのように制定しておいたので、責任分担的限界線のゆえにハナニムもそれに掛かり、今まで人間を復帰するために数多くの受難の道を歩んでこられたのです。その責任は、ハナニムにだけあるのではないということを知らなければなりません。人間と共同で責任を負っているのです。堕落しなかったとしてもそうだというのです。
(115-65, 1981.11.4)


人間が責任分担を果たせなかったことにより、「蕩減とうげん復帰」という怨恨えんこんの言葉が出てきたということを知らなければなりません。蕩減復帰の過程では、絶対にハナニムも後援しないし、本部も後援しないので、一人でしなければなりません。助けてあげれば、蕩減になりません。どうしてですか。人間の責任分担という原則があり、その原則において、助けては蕩減にならないからです。それを助けることができたならば、人間が堕落するとき、ハナニムが干渉して堕落しないようにしたでしょう。責任分担があるからできなかったのです。人間の責任分担があるからできなかったのです。
(124-304, 1983.3.1)
レバレンド・ムーンをハナニムが愛されますが、人間の責任分担を果たす過程で蕩減路程を行くときには、ハナニムは協助できません。私自身がサタンに勝っていかなければならないのです。サタンとサタン世界に勝っていかなければならないのが本来のアダムに許された理想圏でしたが、その理想圏を凌駕りょうがしなければならないというのです。
(124-304, 1983.3.1)
結局、責任分担があるから蕩減も生じるようになったという事実を知らなければなりません。もし責任分担がなかったならば、ハナニムはいつでも主管することができるのです。堕落するとき、「おい、そうしたら駄目だ」と言うことはできますが、人間の責任分担があり、ハナニムが干渉することができない立場にいたので、人間が堕落し、サタンが活動するのを防止することができなかったという事実を知らなければなりません。
(87-120, 1976.5.23)
アダムとエバが、彼らが堕落する前にハナニムに先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこうするのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そうしていたならば、ハナニムが答えたはずです。この尋ねてみることが責任分担の5パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねないで横的関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねないで行動したので問題が起こったのです。いつもそうです。
皆さんは、自分の責任分担の5パーセントを果たす自信がありますか。ないのにはしゃぐ、雑多な鬼神たちが多いというのです。そのような精神をもって、いつ統一させますか。
(33-241, 1970.8.16)
人間には責任分担があります。ハナニムが人間に責任分担を与えた目的は、創造の偉業に同参させるためです。95パーセントはハナニムが造り、5パーセントは人間が造ることにより、創造するときハナニムだけが創造したのではなく、人間も自ら創造したという条件になるというのです。このような同等な価値を賦与するためのものが責任分担です。これが偉大なのです。人間だけに責任分担があるのです。しかし歴史始まって以来、責任分担を完成した人がいないというのです。責任分担、これを知らなかったのです。
(139-230, 1986.1.31)


能力の多いハナニム、全知全能なるハナニム、絶対的なハナニムが、どうして地上にご自身が願う天国を実現できなかったのか、ということが問題です。
ハナニムが思うとおりにされたなら、既に一瞬のうちにすべて、これを解決できたでしょう。しかし、人間が堕落したために、人間の責任分担が残っているので、人間がその責任を果たさずしては、ハナニムが願う天国実現が不可能なのです。
(82-89, 1976.1.1)
アダムとエバは、愛を中心として完成しなければならないのに、愛を間違って、その責任分担の問題に引っかかりました。責任分担は、すべての分野の過程にあります。目的を完成しようとすれば、過程を経なければなりません。過程には必ず責任分担が連結されるのです。それを知らなければなりません。ある時限的な過程を経るときは、必ず責任分担があるのです。それを果たさないときには、すべてのものが破壊されるというのです。
(133-175, 1984.7.10)
アダムとエバがなぜ堕落したのかといえば、責任を果たせなかったからです。責任分担は、アダム一人でできるのですか。まずハナニムを中心としてハナニムと一つにならなければなりません。ハナニムと一つにならなければ責任分担を完遂することができない、ということを皆さんは知らなければなりません。その次は、原理と一つにならなければなりません。このような二つの条件が成立しなければなりません。
(87-122, 1976.5.23)
責低分担を完成しなければなりません。蕩減という内容を喪失してしまい、その世界に生きることができなかったのがハンです。血統転換といううらめしい、この悲運の運命をもった堕落の子孫になったことが気の遠くなるような悲痛な事実です。これを抜け出すためには、ありったけの力を尽くし、責任を果たした息子の姿、娘の姿として立ち上がり、ハナニムに対してためらわず「お父さん」と言うことができなければなりません。
(197-115, 1990.1.7)
先生が行く道は、泰山峻嶺しゅんれい(注:とても険しい峠の道)でした。いつハナニムが手でも一度つかんで、「おいおい、お前、大変だな」と言われたと思いますか。夜も昼も保護し、喜んで迎えてくださると思いますか。見ながらも、じっとしているのです。どこに行けという話もしません。教えてくださることができないのです。責任分担を果たさなければなりません。ハナニムは、本然の愛をもった人間を愛そうとしたのであって、愛を求めていく過程の人間を愛そうとはしなかったのです。
(202-301, 1990.5.25)
責任分担を完成した立場の人間とは、どんな人間でしょうか。ハナニムのように完全な人間だというのです。ハナニムが95パーセントを創造しましたが、人間が共に100パーセント完成した創造の資格を賦与される位置に立っているので、人間の完成であると同時にハナニムの創造の偉業の完成になるのです。創造の偉業の完成であると同時にみ旨の完成であり、み旨の完成であると同時にハナニムの完成になるのです。このようなことが言えるのです。
(130-20, 1983.12.11)
責任分担を完遂できなかった私たちの先祖の罪により、死亡の深淵しんえんどん底が生じたのです。サタンの愛の領域が天国の門の前の境界線まで連結され、直接主管圏内と間接主管圏内の違いをもたらしたのです。
(137-251, 1986.1.3)


責任分担を完成すれば、悪魔サタンがいなくなります。讒訴ざんそする存在がいないのです。この基準を越えられなければ讒訴条件があるので、いくら天上世界に、天国に入ろうとしても入れません。讒訴条件の内容をもてば入ることができないのです。絶対的な愛、不変・唯一・永遠の愛の内容を中心としてハナニムの愛と関係を結んだ基準に立てば、サタンがそこに讒訴条件を立てることはできません。そのような立場に立てば、サタンが居座ることができません。私が行けば、サタンがいてもそこから逃げていかなければなりません。
(169-84, 1987.10.25)
アダムとエバが堕落しなかったならば、ハナニムの体と化してその体を着て完成し、この地上でハナニムの愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る責任分担を果たした愛の王になるのです。そうすればハナニムは、そのアダムの心にいらっしゃり、アダムの霊はハナニムの体になるのです。一身になるのです。永遠にハナニムの愛と人間の愛を共に分かち、それを呼吸するのです。
(213-190, 1991.1.20)
人間が責任分担を完遂してハナニムと対等な立場に立とうとするのは、まことの愛を授受するために、対等な愛を与えるためであり、同じ愛を授受するためです。同様に、互いに同じ立場で中心になり、同じ立場で授受するというのです。
(119-125, 1982.7.11)
堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです。ただそのまま育てば、思春期が来るようになっているので易しいのです。それは自然に来るようになっています。自然に来るので難しいことはないというのです。間違った愛によって責任分担が難しくなったのです。それでは、責任分担の中心とは何ですか。ハナニムが95パーセントの責任を果たし、人間が5パーセントの責任を果たして、人間がハナニムの創造の偉業を相続することだというのです。それでは、相続するための中心とは何ですか。真の愛です。
(124-94, 1983.1.30)

 

② 責任分担を果たせなかった結果

統一教会がいう「責任分担」という言葉は偉大な言葉です。皆さんもみな、責任分担を果たせなかった立場にいるでしょう。人類始祖が責任分担を果たせなかったその位置は、サタンの支配圏になってしまったのです。ですから責任分担を果たせなかったその位置以下から、悪主権の世界ができたのです。ですから復帰時代においての善主権の世界は、責任分担を完成した線以上のところから始まります。理論的にそうです。責任分担線以下では悪主権であり、責任分担線以上では善主権が始まりますが、悪主権の出発は何によって始まったのでしょうか。堕落した愛から始まったのです。
(139-231, 1986.1.31)


責任分担の未完成によってサタン世界が形成され、この地がサタン主管圏内に残されたことを知っています。この責任分担未完成によって、ハナニムも今まで苦労の道をたどってこられたことを骨身にしみて感じなければなりません。
(63-320, 1972.10.22)
責任分担圏を侵犯されることによって何が生じたのかといえば、もう一つの父母ができたのです。もう一つの父母とは、サタンです。はっきり知らなければなりません。
(137-247, 1986.1.3)
アダムとエバが責任分担を果たせませんでした。責任を果たせなかったことが、アダムとエバ自体だけで終わったのではなく、アダムとエバが根となり、幹となり、枝となり、葉となって、全人類は結局、責任を果たせなかったそのような立場にとどまっている、という事実をはっきりと知らなければなりません。
(87-120, 1976.5.23)
ハナニムが今まで人間の責任分担圏以上の立場で接しているというのです。しかし、それ以下に落ちた人間は、どんなことをしても橋を架けて上がらなければなりません。その圏に全人類が引っ掛かっているのです。世界が引っ掛かり、歴史が引っ掛かり、霊界に行った人、現在この世界の人類、今後生まれてくる子孫全体が、この運命圏を抜け出ることができずにいるというのです。これが怨恨えんこんの堕落圏です。
(115-67, 1981.11.4)
堕落した人間は、人間の責任分担だけではありません。全体創造の97パーセントをみな蹂躙じゅうりんしてしまったのです。ですから再創造しなければなりませんが、創造過程のすべてが倒れたというのです。ゆえに、どんなに難しいかというのです。したがって、人間が97パーセントに該当し得る責任を果たさずしては、責任分担を完成する道は永遠にないというのです。再創造しなければなりません。
復帰摂理は再創造摂理ですが、再創造がなぜ必要なのでしょうか。人間の責任分担のゆえです。人間の責任分担を果たし、その場まで出ていくためには、必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造過程を通過するためには、必ず蕩減とうげんしなければなりません。蕩減条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。
(115-67, 1981.11.4)
蕩減復帰して解怨かいおん成就したのちに、初めて責任分担が展開されます。ハンを残した責任分担、このためにハナニムも苦労され、今まで人類がこの責任分担を果たし得る世界的な一時を迎えることができなかったので、恨の歴史は繰り返し流れてきたことを知らなければなりません。恨の多い責任分担の峠を、どのように越えるのかということを皆さんがはっきり知らなければなりません。
(63-347, 1972.10.22)
アダム(아담アダム)が責任分担を果たせなかったことにより、天地にこのように数多くの垣根(ダム)をつくってしまいましたが、「ああ、ダム」をどうしたらよいのですか! ダム(垣根)をつくってしまったので、エバ해와ヘワ)はどのように「して()くる()」べきなのでしょうか。ですから人類歴史での女性の道は、悲惨な道だったのです。こちらに行っては引き裂かれ、あちらに行っては踏みにじられたのです。割れたひょうたんのようにけられたら、割れてもまた転がっていかなければならないのです。ぱんとけられて靴の跡がついても、転がっていかなければなりません。


また、向こうでもけられて、穴が10個いても転がらなければならない境遇にあるのが女性だというのです。全身傷だらけになって、転がっていかざるを得ない道を歩んできたのが女性です。なぜですか、「して()くる()」ために、エバ해와ヘワ)になるためにです。
(122-40, 1982.10.31)
アダムとエバに悪口を言うとき、先にアダムに言いますか、エバから言いますか、エバから言うというのです。「エバ해와ヘワ)」という言葉は、韓国語で、仕事を「して()」、復帰して「くるように()」ということです。それを覚えておきなさい。本当です。「アダム(아담アダム)」は、堕落して垣根(ダム)ができたということです。責任分担を果たせなかったことにより、いろいろな垣根ができたのです。ですからその垣根を壊していかなければなりません。
(227-324, 1992.2.16)

 

3) 責任分担を完成すれば

 

① 責任分担の自由化圏が必要

アダムとエバが責任分担を果たしていたならば、子孫は責任分担圏にいるのではありません。その次は、統治法的家庭倫理時代に入るのです。その時は、地上にまことの父母がいらっしゃるので、即刻、平面的な面から教えてあげることができるのです。しかし、今までは360度の平面をもちましたが、ハナニムは教えてあげることができないので、中心が来る時まで待っていたのです。それで問題が生じたのです。そのようなことを、はっきり知っていかなければなりません。
(136-316, 1985.12.29)
真の父母様は、個人・家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙的蕩減とうげん路程を経なければなりません。サタンによって失った責任分担を完遂して、サタンを分別させることによって愛をもたらすのです。怨讐おんしゅうを愛し、怨讐の国を愛する人には、サタンが侵犯できないのです。自分を中心とした愛をもっては駄目なのです。サタンは自分を中心として愛し始めたので、これを除去するには、自分を中心とした愛をもってはできないのです。
(137-113, 1985.12.24)
蕩減復帰は、責任分担の自由化圏をつくるためのものです。堕落していない本然の責任分担の自由な環境を復帰するためのものです。理論的になっているのです。先生もそこに引っ掛かっているのです。ゆえに、先生が世界的な反対を受けるのです。世界的な迫害を受けるのです。世界的に攻撃を受けるのです。その世界的迫害を受ける中で、世界的にサタンを分立するのです。
(148-199, 1986.10.9)
蕩減復帰は不可避なものです。なぜ蕩減復帰しなければならず、なぜサタン分立をしなければならないのでしょうか。自然な本然の責任分担、自由な環境基盤を必要とするからです。そうすればサタンが讒訴ざんそできず、サタンが因縁を結べないところを私が占有するようになるからです。それで蕩減復帰、責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。
ですから、サタンを分立しなければなりません。それゆえ、御飯が食べられずに座っていても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺ぶんすいれいです。それが境界線です。
(148-204, 1986.10.9)


責任分担がどれほど重要かを、みな知らずに生きてきました。蕩減復帰とは何ですか。責任分担を完成できる自由な環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防御しなければなりません。サタンを防御するにはどうしなければならないのでしょうか。サタンよりもハナニムをもっと愛し、人類をもっと愛さなければなりません。
サタンはハナニムを憎み、人類を憎みますが、私たちは、「ハナニムをもっと愛し、人類をもっと愛する」と言えなければなりません。堕落していない人間がもっていくべき、責任分担完成圏を越えていくべきその基準で一方通行させ得る、このような立場に立たずしてはサタンを分立させることができません。
(148-154, 1986.10.8)
責任分担を完成するためには、蕩減とうげん条件が必要です。先生がそのような蕩減条件を払ったので、皆さんは先生が歩んできた生涯の目的観を受け継いだ者として、愛の旗手として、堂々と国に現れれば愛国者になるのです。家庭に入れば孝子、孝女になるのであり、夫婦の位置に立てば烈男、烈女になるのです。世界に向かっては聖人の道理を行くのであり、天の国の王宮の法に歩調を合わせる王子の位置まで行くことになるのです。無事に通過できるただ一つの道があるとすれば、愛のために生きようとすべてのものを捧げる生活です。これは驚くべき事実です。
(169-94, 1987.10.25)
アダムとエバの責任分担、ハナニムの頭を悩ませたその怨恨えんこんの峠に、50億人類がみな引っ掛かっているし、霊界に行った数多くの先祖もみな引っ掛かっています。これを見つめるハナニムは、堕落がなかった本然の基準をどうやって再び回生できるのでしょうか。それでハナニムは、かわいそうなハナニムなのです。
ですから早く、もっと早く蕩減の道を行き、このすべての責任分担を完遂して世界人類が解怨かいおん成就できる道を、その道に向かって「時間よ、行け」、「歳月よ、行け」、「解放の日よ、早く来い」と言いながら歩んできたのです。
(197-104, 1990.1.7)
ハナニムは、今まで蕩減復帰の過程を待ちながら変わりませんでした。最後の峠、愛の理想を成して万民の前に解放の鐘の音とともに天下に宣布する、そのようなところまで耐えてきたのです。耐えてきた心を解いて涙とともに復帰の使命を成し遂げ得る再臨主がこの地上に来て、そのみ旨を成し、サタン世界全体の所有権を相続して天の前にお返しできる、それこそ平和統一の世界を地上で成さなければなりません。強制ではありません。所有権を伝授して天の前にお返ししなければなりません。
(197-96, 1990.1.7)

 

② 完成した立場は天地一体化家庭

地上と天上を統一し、心身を統一するのが責任分担の完成です。縦的なハナニムと横的なまことの父母は一つだというのです。そこに統一された愛、天と地上を連結する愛、体と心が一つになった愛、男性と女性が一つになった愛が問題です。統一された愛の基盤を築くことができ、そこで初めて天の愛と天の生命と天の血統が連結され得るし、それの横的な拡大が八方に展開されることによって王権ができるのです。内容は簡単です。
(218-124, 1991.7.14)


男性と女性は、天宙の圧縮された核です。夫婦が真の愛で愛するところには、全宇宙が掛かってきます。男性と女性は、愛のために生まれました。本来、人間は、縦的、横的にできています。責任分担を完成することによって縦的な主人が設定され、次に横的な主人が設定されるのです。それは真の愛によって成立するのです。
(218-136, 1991.7.14)
アダムとエバが責任分担を完遂することによってハナニムは彼らの縦的な存在になり、アダムとエバは横的な存在になるのです。真の愛によって一体化するのです。そうして初めて縦的なものが横的に連結され、そのように連結されたところは宇宙的な愛の根を下ろす基盤になるのです。それが定着できなければ、軸が正しく立ちません。その軸を正しく立てるには、メシヤ思想、父母の思想が軸となるのです。それで立ったとすれば、それは自動的にその軸と一つになることによって繁殖するのです。そして、ハナニムの愛、ハナニムの生命、ハナニムの血統が永遠に固着するのです。
(218-136, 1991.7.14)
責任分担は、第1に、真の子女になることです。第2に、真の兄弟になることです。第3に、真の夫婦になることです。第4に、真の父母になることです。ですから、息子や娘として生まれ、子女になり、兄弟になり、夫婦になり、父母になることです。父母になってハナニムの代わりに創造するのです。ハナニムがアダムとエバを造って喜んだその事実を内的、外的に体験するのです。どれほど貴いか分かりますか。
(225-129, 1992.1.5)
真の父母の勝利圏は、第1は個人、第2は家庭、第3は国家、第4は世界、第5は天宙、第6はハナニムの真の愛です。その次は、一体理想の実現で、このすべてのものが真の愛によって一つになるのです。
ハナニムが真の愛の主人ですが、この真の愛によって全部が連結されます。一体理想の実現でハナニムの愛が一つに連結されているので、一体理想です。家庭も個人も離れているものがないというのです。一体理想実現で天上、地上が統合され、本然のアダムとエバが長子権を取得することによって霊界が地上に順応するようになります。それは、愛を中心としてそうならなければなりません。真の愛によって。私たちの「原理」で言い換えれば、責任分担を完成することです。
(212-137, 1991.1.2)
ハナニムの心情圏は、どのように伝授されるのでしょうか。堕落していない本然の人間は、責任分担を完成することによってハナニムの縦的愛の核を中心として、左右にアダムとエバの愛が連結されなければなりません。そこが根源になり、根となって息子、娘が生まれるようになっています。そこから心情圏が勃発ぼっぱつし、根を下ろすようになっているのです。血統基盤がよみがえるというのです。深刻な問題です。
(173-302, 1988.2.21)


ハナニムの摂理は、4000万人、6000万人がすべて動いて成されるのではありません。祭壇上で成されるのです。はとを裂くことによって国が興亡するのと同じです。
(175-20, 1988.4.6)
何よりもまず、責任分担をはっきり知らなければなりません。責任分担を完成するために、天と地とすべてのものは、一つの愛の共鳴圏だということを知らなければなりません。親子関係、夫婦関係、兄弟関係がすべて、真の愛を中心として統一を成しているのです。
ハナニムを中心とした愛を掲げていくのに、妻が掲げていくときには夫がついていかざるを得ないし、お母さんが掲げていくときにはお父さんがついていかざるを得ないし、孫や息子、娘が掲げていくときは祖父母、父母、兄弟たちがみなついていかざるを得ません。それで、家庭がすべてのものの基盤になるのです。それは、責任分担を完遂することにより、天の愛、地の愛、親族の愛、父母の愛、兄弟の愛が成されるのです。
(218-124, 1991.7.14)
天の愛は縦的で、地の愛は横的です。そして、兄弟の愛は前後の愛です。立体的です。ですから、父母と息子と娘が一つの統一体になれば、ハナニムが地上に臨在できる基盤になるのです。
それでハナニムが、正に人間の先祖の立場に立つのです。それゆえに、父母の立場に立つようになるというのです。人間がそのハナニムの前に子女の関係で連結されて初めて、天地一体化の家庭が設定されるのです。責任分担を完成した立場で、それが可能です。天と地上の愛が連結されなければなりません。内容は簡単です。
(218-124, 1991.7.14)
ハナニムの愛、それはハナニムの血統をいいます。アダムとエバの堕落によってハナニムの血統が切れたのです。それゆえ原点を復帰するその立場においては、どのようにハナニムの生命を連結し、ハナニムの愛を連結し、ハナニムの血統を連結するかということが問題です。この場が、再創造完成の場です。
(217-106, 1991.5.12)
血統復帰は根本復帰です。条件では復帰ができません。愛は、条件的愛でよいのでしょうか。根本的な愛でしょう。血統は根本的な愛から始まったので、条件的愛では全体復帰ができません。蕩減とうげん復帰は、苦労したこと、何か牛どろぼうしたこと、人のまくわうりを取って食べたこと、かぼちゃを取って食べたこと、すいかを取って食べたこと、そのようなことと同じように蕩減復帰されるのではありません。愛は、根本を蕩減しなければなりません。
(215-98, 1991.2.6)


アダムが責任分担を完成すれば、長子の立場に立つようになります。それで真の父母ですね? 父母権復帰です。王です。天地の王です。今までずっとサタン世界と闘って長子権を復帰したというのは、いかなるものとも比べられない大変なことです。父母権復帰というのは、なぞ解きのようなものです。王権復帰というのも、このような難しい時期に民主主義世界の中央でなしたということを考えてみてください。そのようなことを語れるだろうかというのです。しかし今は、「ああ、ムン先生があのようなことを語られるとは、素晴らしいところがある」と言い得る環境になったのです。
(217-45, 1991.4.16)
完成基準に立った真の男性、完成した主体となる本然のアダムの立場から見たとき、責任分担を果たした場合には、子女の種、人類元来の子女の種を受けたはずです。それはハナニムの愛と、ハナニムの生命と、ハナニムの血統を受け継いだ立場のものでなければなりません。そのような種を受けなければなりませんでした。堕落によってそれが根本的に狂っているのです。
(213-303, 1991.1.21)
アダムとエバは、ハナニムの体です。アダムとエバは横的な父母であり、ハナニムは縦的な父母なので、私たちが横的なこの体を脱ぎ捨てて、縦的に還故郷して天の国で永遠の王に侍って生きるのです。アダムとエバが堕落しなかったならば、ハナニムの体と化してその体を着て完成し、この地上でハナニムの愛によって直接主管圏と間接主管圏を連結させ得る、責任分担を果たした愛の王になるのです。
(213-190, 1991.1.20)
責任分担というものを失ってしまいました。それでは責任分担とは何でしょうか。男女に任された責任分担とは、男性は東側、女性は西側で互いに成熟して・・・。男性が生まれたのは女性のためであり、女性が生まれたのは男性のためなので、結婚しなければならないのです。どこで出会うのですか。中央線、垂直線です。プラス、マイナスが接すれば、愛が爆発してハナニムの愛、ハナニムの生命、ハナニムの血統的基盤になります。これが根となり、抜こうとしても抜くことができないのです。絶対的な愛の起源、絶対的な生命の起源、絶対的な血統の起源を中心として人間が生まれるのです。
(196-222, 1990.1.1)
皆さんの心に残るべきことは、ハナニムの心がそうであるように、責任分担、蕩減復帰というものが残らなければなりません。他のものはありません。本然の基準をどのように取り戻すのかというのです。蕩減復帰、その次は血統、真の愛を中心とした血統! それを知らなければなりません。責任分担、蕩減復帰、血統、この三つです。蕩減復帰が易しいですか。血統をひっくり返して合わせなければなりません。接ぎ木しなければなりません。完全にサタン世界と私は、別のものです。お母さんの顔、お父さんの顔、みな忘れてこそ復帰ができるのです。
(197-100, 1990.1.7)


 

4) 責任分担の発見とその重要性

「責任分担」という言葉は、この世ではあまり使わない言葉です。しかし統一教会では、どんな言葉よりも、特別に重要視する単語です。統一教会において、この「責任分担」と「蕩減とうげん」という言葉、責任分担と蕩減復帰、この二つを知らなければ歴史的なすべての内容を悟ることができず、間違った歴史、あるいは歴史の未知の事実を解決できません。そのような重要な言葉です。
(169-45, 1987.10.25)
責任分担ということを今まで知らなかったので、歴史の曲折を知りませんでした。なぜ善なる人たちがみな犠牲になり、悪なる人たちがうまくいくのですか。歴史を見ると、独裁者がなぜこの世を支配し、善なる王が出てきても平和の世界をつくることができなかったのでしょうか。歴史を調べてみると、独裁者の世界統一の夢だけが記録されているのです。
それはサタン世界だからです。責任分担圏を侵犯されたので、それ以下のすべての被造物、それ以下の人間全体、地上世界の万民、以前に来ては逝ったすべての霊界にいる先祖たちまで見ても、責任分担完成圏を越えた人は一人もいないというのです。それが原理です。ムン先生が適当にもってきて付けたのではありません。この「責任分担」という言葉が分からなければ、歴史が解けません。
歴史の曲折を解決することができません。なぜ戦争史ですか。責任分担という善の条件が悪なる世界の条件を克服しなければならない立場にあるので、堕落して、サタン世界になり、落ちたものをくつがえす闘いをしなければなりません。ですから歴史は、善悪の闘争史なのです。
(137-266, 1986.1.3)
この宇宙の矛盾した事実と歴史の悲運の曲折、このすべてが歴史上の責任分担というものを知らなかったので生じたのです。責任分担がどれほど重要かということを、皆さんは知らなければなりません。皆さんは、責任分担を自分勝手に考えているのです。「責任分担は『原理』で教えてくれるものであって、私たちとは関係ない」。このように考えているのです。このように見るとき、先生が「責任分担」という言葉を発見したということは、偉大な発見だということを知らなければなりません。
皆さんは、責任分担をどれほど重要に思いましたか。この責任分担には宇宙が引っ掛かってあえいでいるのです。
(124-94, 1983.1.30)
今日、統一教会で人間の責任分担というものを見つけたという事実は、宇宙的な発見だということを知らなければなりません。原子爆弾を発明したことや、アインシュタインが相対性原理を発見したこととは比べものにならないのです。それを知らなければ、歴史のすべてのものが解決されないのです。皆さんが人間の責任分担というこの真理を知ったという事実は、偉大なことです。しかし今、私たちは、人間の責任分担を一番嫌っているのです。一番好まなければならないのが私たちなのに、人間の責任分担を一番嫌っているというのです。
(124-303, 1983.3.1)


蕩減復帰を知らないので、人類歴史が解けないのです。歴史を通じてみれば、必ず因果の原則によって悪なる者は滅びるようになっているのです。ところで、なぜそうなのか知らなかったのです。また、人類の理想がなぜ成就していないのか、ハナニムの愛が現れなければならないのに、どこで現れるのかを知らなかったのです。学者の頭からは現れません。それは本然の父母の骨髄から現れるのです。本然の父母からです。ですからまことの父母の歴史が始まったということは、天国の起源がこの地上に連結され得る一つの基盤が設定されたということです。真の父母を通さずして、天国は出現することができません。
(148-212, 1986.10.9)
ハナニムの愛は絶対的であると同時に、その愛は絶対的な責任分担の上に立たずしては見つけることができません。皆さんが朝、御飯を食べることと生きることを考えるよりも、これがもっと根本です。「責任分担」という言葉は先生が発見しましたが、皆さんのようにただ座って発見したと思いますか。闘争して発見したのです。これを発見すれば、サタン世界は完全に倒れるので、サタンは隠し、覆って、ひたすら泰山のようにして、それを全部隠してきたのです。
(149-318, 1986.12.21)
統一教会において、「責任分担」という言葉を誰が作りましたか。私は発見したのであって、作ったのではありません。ハナニムが作ったのです。それでは、先生がそれを発見する前にその言葉はありましたか、ありませんでしたか。太初からありました。この法は、永遠の法です。それを知らなければなりません。
(149-318, 1986.12.21)
統一教会でいう「責任分担」という言葉は、重要な言葉です。この責任分担が成就されることによってアダムとエバは初めて人間として完成するのです。完成した人間になるのです。また人間の完成とともに、ハナニムが人間を創造した目的が成されるのです。それは何かといえば、創造主として権威を立て得る結果をもたらすことになるというのです。このように重要なのです。人間が責任分担を完遂したというその立場は、ハナニムのすべての創造理想を完成できる結果になるということです。
(169-45, 1987.10.25)
レバレンド・ムーンが「責任分担」という言葉を発見したのは、偉大な発見であることを知らなければなりません。皆さんは、責任分担をどれほど重要に考えていますか。この責任分担には宇宙が掛かっています。このためにハナニムも解放されず、宇宙も解放されず、地獄の門も解放されず、社会の矛盾したすべての不義の歴史が責任分担という囲いに、責任分担という壁に引っ掛かって、すべてがあえいでいるのです。
(124-94, 1983.1.30)
「人間の責任分担」という言葉は、私がいる前からあり、私がいるこの時代、そして私が去ったのちまでも永遠に残る法であると考える人がいますか。「人間の責任分担という言葉が何のために私たちに必要なのでしょうか。なぜ必要ですか」と言う者たちがいます。
(149-318, 1986.12.21)


統一教会が出てこなかったならば、ハナニムが分からないようになっています。人間の歴史始まって以来、霊界と肉界に対する関係、人間がどうしてこのように受難の道を行き、ハナニムがいらっしゃるならなぜ悪なる世界をつくって人間をこのように悲惨な運命に追い込まなければならないのか、という問題を解決する道がないのです。しかし今日、統一教会の信徒たちは、これが人間の責任分担のためだということを知っているのです。それは驚くべき事実です。
(138-120, 1986.1.19)
もし、堕落した人間に対してハナニムが責任分担を設定しなかったならば、「蕩減復帰」という言葉は出てこなかったでしょう。復帰するなら、ただそのまましたでしょう。蕩減しなければなりません! なぜ蕩減しなければならないのでしょうか。人間には責任分担があるからです。人間が完成すべき責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たしていかなければなりません。そうするためには、サタン世界のすべてのものに勝って、サタンを主管する立場に立ち、堂々とハナニムの愛を受け得る位置に入らなければなりません。そうなれば、サタンは離れるのです。
(143-77, 1986.3.16)

 

5) 責任分担を遂行する姿勢

 

① 責任分担はすべての分野の過程にある

蕩減復帰歴史は、幼いときから年老いて死ぬときまで、また霊界に行ってもいつも付いて回るのです。責任分担というものは付いて回るのです。霊界に行っても責任分担は残っているのです。霊界に行って、高い世界に上がれば上がるほどもっと高い次元の法があるのです。すべて責任分担が付いて回るのです。それを知らなければなりません。
(133-175, 1984.7.10)
先生の時代に法を立てるのは、責任分担法の延長であり、拡大であることを知って、その法に順応しなければなりません。教会の規範のようなものも、みな責任分担です。それで礼拝時間は、きちっと守らなければなりません。礼拝が始まる前に来なければならないし、礼拝の時間は絶対に動いてはいけません。先生もそうしました。先生も昔、学校の時間に遅れれば、その日は昼御飯を抜きました。ちょうど5分前に行くのです。そういうことをやりました。早く行って時間を無駄にすることはないのです。思考がとても科学的だったのです。
(133-154, 1984.7.10)
すべての制度が責任分担の管下に所属するということを知らなければなりません。統一教会の法を守らなければなりません。朝、敬拝時間を守るのも責任分担です。その一つさえできなければ、この次の皆さんの人生の問題がここで左右すると考えなさい。
(133-154, 1984.7.10)


責任分担は、どこにでもあるのです。御飯を食べれば、自分が食べた食器をみな片づけなければならないのも責任分担です。責任が多いのです。責任分担をたくさんつくれる人が偉大な人です。統一教会の先生が責任分担制度をたくさんつくりました。会社でも全体のためになる原則、法を立てて、その規約を守らなければなりません。異議があり得ません。ああしたりこうしたりしていたら追い出されるのです。アダムとエバが、ああだこうだと行動して、どうなりましたか。追い出されたのです。
(133-154, 1984.7.10)

 

② 責任分担を遂行する姿勢

堕落した人間は、人間の責任分担だけではありません。全体創造の97パーセントをみな蹂躙じゅうりんしてしまったのです。創造過程のすべてが崩れたというのです。ゆえに、どれほど難しいかというのです。ですから人間が97パーセントに該当し得る責任を果たさずしては、責任分担を完成できる道が永遠にないというのです。
ですから復帰摂理というのは再創造摂理ですが、再創造がなぜ必要なのでしょうか。人間の責任分担のためです。人間の責任分担を果たし、その場まで出ていくためには必ず再創造の過程を経なければなりません。再創造過程を経るには必ず蕩減とうげん条件を立てなければなりません。受難の道を行かなければならないというのです。
(115-67, 1981.11.4)
責任分担をよく知らなければなりません。救いの歴史は復帰の歴史であり、復帰の歴史は再創造の歴史です。再創造は、原理的にするのです。責任分担を果たさなければなりません。責任分担は、私たちの絶対的な信仰です。絶対順応です。これしかありません。自己主張があり得ません。エバは、自己主張して堕落したのです。教会に入って不平を言ってはいけません。
(143-113, 1986.3.16)
皆さんは、責任分担を1日に何回考えてみましたか。御飯を食べるときも責任分担、スプーンを握るときも責任分担、お皿を洗うときも責任分担、便所に行って大便や小便をしながらも責任分担、歩きながらも責任分担を唱えよというのです。アダムとエバが責任分担というものを考えなかったので滅びたのです。私たちは、アダムとエバのように責任を果たせないで堕落する人になってはいけません。復帰して勝利する人になるためには、24時間責任分担を尊重し、考えなければなりません。
(124-103, 1983.1.30)
ハナニムは今まで、人間の責任分担圏以上の立場で、人間世界に接していらっしゃいます。しかし、それ以下に落ちた人間は、どんなことをしても橋を架けて上がらなければなりません。その圏内に全人類が引っ掛かっていて、全世界が引っ掛かっていて、歴史が引っ掛かっています。過去に霊界に行った人、今後生まれてくる子孫全体がこの運命圏を抜け出せないでいるというのです。これが怨恨えんこんの堕落圏です。それで再創造していくには必ず闘争過程を通過しなければなりません。再創造過程に必要とする圏は、誰が支配していますか。サタンが支配しているのです。97パーセント圏をサタンが支配しており、97パーセント圏以上からハナニムが支配します。このように見なければなりません。
(115-67, 1981.11.4)


人間が自分の責任分担を果たせなかったので、アダム完成者が責任分担を果たさなければなりません。ですから未知の世界を開発していくのです。ゆえに原理の道は、開発していかなければなりません。求めていかなければなりません。原理の道は探していく道であり、蕩減の道は踏んでいく道です。ただそのまま踏んでいかなければなりません。
ヤコブが蕩減したもの、イエス様の蕩減、モーセの蕩減路程を、今日の統一教会ムン先生の蕩減路程を通し、踏んでいかなければなりません。千里の道ではなくても、3歩、4歩ずつでも踏んでいかなければなりません。そのような条件が貴いのです。
(233-306, 1992.8.2)
天使が来た時、ヤコブはハナニムの使者として来たことを知っていました。それで、「私を滅ぼすための使命をもってきたのですか。でなければ、福を与えるための使命をもってきたのですか」と尋ねると、「福を与えるために来た」と答えました。それに対して、「福を与えようと来たのならくれたらいいのに、どうしてくれないのか」と言うと、「それは責任分担が残っているから、ただそのままで与えることはできない」ということだったのです。
すなわち、ヤコブが相撲をして勝たなければ福を与えられないというのです。言い換えれば、命を懸けて闘わなければ与えられないというのです。そのような条件を掛けて立ち上がった時、ヤコブは、「そうか、よし、私の指が抜け、私の腕がなくなっても決して負けない」と決心し、刀で打たれても離さないし、首を切られても離さないという心をもって相撲をしたのです。どれほど闘ったでしょうか。夜を明かして闘いました。死んでも離さないという心で闘ったのです。
(20-228, 1968.6.9)
責任分担圏の蕩減路程は立てなければならないものです。その責任分担は、何を中心として果たさなければならないのでしょうか。より天を愛すること、より絶対的な信仰と、より絶対的な愛をもたずしては、サタンを屈服させることはできません。
(139-279, 1986.1.31)
「責任分担」という言葉に対して感謝したことがありますか。この責任分担を果たせなかった人間が行く道において、解放を追求する前に通過すべき蕩減という怨恨の道が、壁が、どん底が残っているのです。この事実を知ったので、この道を行くために身もだえする統一教会の群れにならなければなりません。その道が残っているので、先生もこの道を埋めるために身もだえしてやってきたのです。
(138-120, 1986.1.19)
皆さんは、責任分担を完成したと思いますか。アダムとエバが責任分担を完成できずに死んだので、皆さんも責任分担を完成した立場にいないのです。いくら素晴らしく、いくら大統領で、この国の有名な学者になったとしても、責任分担を完成した立場に上がれなかったというのです。


責任分担を完遂できなかった圏内では、サタンがぎゅっとつかんでいるのです。これを離すためには蕩減しなければなりません。蕩減せずしては、祭物にならずしては、離れないのです。蕩減するまでは、ただでは離れないのです。
(134-273, 1985.7.20)
皆さんは、天国に行く道を知りません。蕩減の道を知りません。蕩減の道を知っていますか。責任分担を完成できなかったので、責任分担条件に引っ掛かっているのです。責任分担を果たせなかったことにより、サタンが侵犯したのです。個人、家庭、社会、国家、世界、また霊界まで、みなサタンが侵犯しているのです。
(137-104, 1985.12.24)
5パーセントの人間の責任分担を果たさなければなりません。先生も責任分担と蕩減法のゆえに一生の間、苦労するのです。これを知ったので、サタンが統一教会を一番恐れるのです。これがサタンを屈服させる武器です。ですからサタンの一線に行かなければなりません。サタン世界に行って反対行動をして、その基盤を築いて、カインを救わなければなりません。カインもサタンを解放してあげなければなりません。カインを救ってこそサタンが解放されます。カインを探してくることができなければ、追放ができないのです。
(134-271, 1985.7.20)
私たちになぜ蕩減法が必要なのでしょうか。サタンを分別するためです。責任分担を果たせなければサタンを分別できません。責任分担を完遂できずしては、サタンが分別されないというのです。ですから皆さんは、蕩減の道を行かなければなりません。先生が責任分担と蕩減法を知らなければ、今日、統一教会は成り立たないのです。ハナニムのみ旨を中心として見るとき、ハナニムが私に協助できないというのです。
統一教会が特別なのは、責任分担を中心として蕩減法を知ったからです。先生が生涯を懸けて苦労するのは、蕩減の道のためです。先生が一生の間なぜこのことをするのでしょうか。いつも牢獄に出入りし、なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。それは蕩減法のためです。蕩減法のゆえなのです。
(134-271, 1985.7.20)


 

第2章 罪、人間堕落の内的意味

   

1) 換父易祖ファンブヨクヂョがすなわち堕落

(父が換わり先祖が替わったこと)

 

① 悪魔サタンが私たちの父

私が糾明きゅうめいした原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭で起こった天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でのサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。ハナニムの愛の理想を破壊し、ハナニムの血統を、サタンを中心とした血統に変えた元凶です。イエス様もヨハネによる福音書第8章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。
ハナニムがご自身の外的な体であるアダムとエバを通じて実現しようとされた愛の理想を剥奪はくだつした愛の姦夫かんぷが、正に悪魔サタンなのです。皆さんには聞き慣れないことかもしれませんが、私が霊界を開拓して宇宙の根本の曲折を糾明しようと血と汗のにじむ闘争をした結果、得た結論がこれです。皆さんも真剣に祈祷してみれば、解答が得られるでしょう。
(135-12, 1985.8.20)
堕落の実相とは何でしょうか。善悪の実を取って食べて堕落したという聖書のみごんは、比喩ひゆです。今までそれをそのまま信じてきたのは、本当に健気けなげです。善悪の実を取って食べたのが堕落だという、そのような盲目的な信仰基準をもって、今までキリスト教が世界的に発展し、20世紀の文明を創建したことを見れば、ハナニムが背後からたくさん協助してくださったということが分かります。しかし、内容が確実ではないものは、結果がどのように出るでしょうか。無知では完成することができないのです。
(22-242, 1969.5.4)
聖書の内容を観察してみれば、人類始祖が不倫の愛によって、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。ハナニムの血筋を受け、ハナニムの絶対的な愛の中で、ハナニムの直系の息子、娘として生まれなければならない価値をもった人間が、悪魔サタンの血統を受けてサタンの息子、娘として生まれたというのです。ローマ人への手紙第8章に、「御霊みたまの最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子(養子)たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)と記録されています。養子は、血筋が違うのです。これが私たち人間の実情なのです。
(53-261, 1972.3.1)
ローマ人への手紙第8章を見ると、「御霊みたまの最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子(養子)たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(15節)とあります。養子にしかなれないのです。


今のクリスチャンたちは、養子です。養子は、血筋が違うのです。ヨハネによる福音書第8章44節を見れば、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」とイエス様が言われました。ここで父と言われたから、血筋が、先祖が悪魔ではありませんか。
ですから割礼はどうするのですか。陽部を裂くのです。このようになっています。善悪の実とは、どんな善悪の実ですか。
(154-337, 1964.10.5)
堕落した結果、どうなったのでしょうか。私たちは死亡圏内に落ちました。ハナニムが「善悪の実を取って食べたなら必ず死ぬであろう」と言われたみ言のように、死亡圏内に落ちていきました。堕落した結果、どうなったのでしょうか。ヨハネ福音書第8章44節を見れば、悪魔サタンが私たち人類の父になった、とイエス様は指摘されました。
ハナニムを父として侍るべきアダムとエバが堕落することによって、悪魔サタンを父として侍るようになったという、この口惜しく恨めしい事実が堕落の報いであることを知らなければなりません。
(74-140, 1974.11.28)
堕落によって人間は、偽りの父である悪魔サタンに屈服せざるを得なくなりました。人間は、自分たちの父を替えたのです。私たちはまことの父であるハナニムを捨てて、偽りの父である悪魔サタンと一つになったのです。こうして最初の男性と女性は、サタンの息子、娘になってしまったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅱ-321)
もともと、サタンはどんな存在なのでしょうか。悪魔とはどんな存在かといえば、ハナニムのしもべです。しかしこの僕が、主人の娘を強奪したのです。これが堕落です。
聖書に出てくるその堕落とは何かといえば、エバが善悪の実を取って食べたのが堕落だといいますが、善悪の実は果物ではありません。僕が主人の娘を強奪したことです。将来、代を継ぐ息子、娘を生み育てて、ハナニムの理想を成そうとしていたのに、僕として造った天使長という者が、主人の娘を強奪したのが人類の堕落の起源になりました。この世にそのようなことがあってもよいのでしょうか。天地がそのようになったのです。複雑にもつれた内容を、皆さんは「原理」を聞けば大体分かるはずです。
(85-308, 1976.3.4)
エデンの園にあるすべての木の実は取って食べたとしても、「園の中央にある善悪を知る木と命の木の実は取って食べるな」と言いましたが、それは何を意味するのでしょうか。ユン博士! 他の木は何の木で、命の木と善悪を知る木は何の木ですか。同じ木なのに、他の木は何の木ですか。それは何かというと、兄と妹として暮らしながら、手を握ってもよいし、なでてもよいし、かわいいと思ってどんなことをしてもよいのですが、善悪の実は見てもいけないし、触ってもいけないというのです。それが何か分かりますか。他のところはみな触っても、そこは触るなということです。そのように解釈すべきであって、エデンの園の北方にある命の木はこれこれであり、その他の木は他の木である、と解釈すれば大変なことになるのです。何のことか分かりますか。


兄と妹が手を握ってもよいし、抱き締めてもよいというのです。兄と妹、二人しかいないではありませんか。子供たち同士は、体を触ったり何でもするでしょう。大きくなる過程で、家でみなそうではないですか。兄なら兄が、それを知っているでしょうか。そのようにみな触ってもよいのですが、いけないところがあるというのです。命の木の実である男の棒は凸で、善悪の実は凹です。それは触ってもいけないのです。取って食べれば大変なことになるのです。聖書は、そのように比喩で書かれているのです。ハナニムがどれほど風刺的か分かりません。
(199-93, 1990.2.15)
聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したとありますが、下部を覆ったというのはどういうことでしょうか。既成教会で聖書をもう少し知性的に解釈できる心さえあれば、すぐに堕落の起源を知ることができます。
どうして下部が恥ずかしいものなのでしょうか。下部をなぜ覆ったのでしょうか。口を覆い、手を覆わなければならないのに、下部だからといって欠点になることはありません。しかし、下部で堕落することにより、天の愛を蹂躙じゅうりんした恥ずかしい宮殿になったというのです。真の愛の泉がわかなければならないのに、悪魔の愛を中心とした偽りの愛の泉があふれ出てきたのです。それで、これが愛の土台の中で一番悪い愛の土台になったのです。
(202-199, 1990.5.24)
アダムを追い出すとき、息子、娘を生んでから追い出したでしょうか。生む前に追い出したでしょうか。見ることはできませんでしたが、息子、娘を連れていたら追い出すことができるでしょうか。涙をもっと多く見なければならないでしょう。「おじいさん、おばあさん、どうしてこのように追い出すのですか」と言って、つかんで痛哭つうこくするでしょう・・・。四人が四肢をつかんで騒げば、それをみな刀で切り捨てなければならないではありませんか。罪を犯したアダムとエバは分かりませんが、罪を犯していないアダムとエバの息子、娘がそれに気づくのです。それを知っているハナニムが息子、娘を生む前に追い出したのです。彼らは、追い出されたのちに、勝手に結婚して赤ちゃんを生みました。
ハナニムが追い出すとき、お前たちは出ていって結婚し、息子、娘を生めと訓示して送ったでしょうか。そのような話をしないで送ったでしょうか。答えてみなさい。いずれにしても、彼らは追い出されてから息子、娘を生んだのです。
(218-230, 1991.8.19)
このような話をどこかで、お金を払って聞くことができますか。自分の家を売り、財産をはたいて千年、万年祭事をしても、教えてくれる人はいません。統一教会ムン先生しかいません。これは宇宙の秘密です。聖書にもこのような内容はないでしょう。聖書では、善悪の実を取って食べて堕落したとあります。善悪の実とはどんな果実ですか。そのように幼稚園児にもなれない実力でありながら、博士号を検証し、博士号の総会長になった文総裁に「異端だ」と言えますか。異端だというのは端が異なるのではなく、端が見えないという言葉です。私の言葉が合っていますか、違いますか。合っているというのです。
(238-213, 1992.11.22)


堕落することによってどんな結果になったのかといえば、エバが未成年時代にしもべそそのかされて堕落してしまったのです。堕落とは何ですか。今日、聖書でいう、善悪の実を取って食べたことではありません。ハナニムが一番貴く思うことをサタンは知っていました。またハナニムの息子になり、ハナニムの娘になることができる一番貴いものが何なのかをサタンは知っているというのです。それでハナニムが一番愛し、アダムとエバが一番愛し得るそれを、自分も一度もてたらよいと考えざるを得なかったのです。
(214-266, 1991.2.3)
「終りの日」になり、再びそれを編成して、ハナニムのハンを解き、天倫の根を解くと同時に人類の恨を解かなければならないのです。このようにならなければならないのに、これを知らずに善悪の実を取って食べてどうのこうの・・・。
ここで話す人の言葉が違っているというなら、命がけで40日間祈祷してみなさい。統一教会の文先生がうそをついたのでしょうか。皆さんは、正常な血筋を受けて生まれてはいません。ですから独身生活を強調したのです。子供を繁殖しては困るというのです。
(156-228, 1966.5.25)
ハナニムは、淫乱いんらんを憎みます。なぜでしょうか。人間が不法に愛して天地をひっくり返したからです。この悪の血は、どうすることもできないものです。それで道の世界では独身生活を主張するのです。
もし男性が神霊なる祈祷の境地に入れば、必ず女性が現れて試験をします。必ずこのようなことが起こります。修養の道を妨げてくるというのです。なぜですか。不法な愛によって歴史がふさがったからです。善悪の実を取って食べて堕落したという教理で、2000年まで残ったというのは健気けなげなことです。
(41-292, 1971.2.17)
宇宙の根本には、脱線があり得ないのです。しかしこの悪魔が、大きくなる前、未成年の15、16歳と見て、10代の時に・・・ちょうどその時です。その時に、エバが天使長ルーシェルをじっと見ると、天地の理致(道理)をみな知っているのです。ハナニムのお使いをして、天地創造に対しても話すことができるのです。
一方アダムは、むっつり無口で・・・アダムは最近でいえば、鳥でも捕まえようと歩き回り、棍棒こんぼうでも持って蛇でも捕まえようと歩き回り、かえるでも捕まえようと歩き回り、こうして・・・自然に吸収されたすべてのことを将来、主管し、管理し、親しくなろうとし、その和合者になろうとするので、エバに対して関心があるでしょうか。ついて回りたくても力の強い男性についていけず、一人で陰に座って休んだりすれば、ルーシェルがひそひそとささやいて誘惑し、犯したのです。


ところで、ハナニムがなぜそれを干渉できなかったのでしょうか。人間の愛は、人間を通じて主管するのです。天地のすべての愛は、主体者が主ではなく、相対者が主なので、相対者の願いを中心として「ため」に生きるハナニムがそれを主管すれば、根本が破綻はたんするのです。逆理的立場で主管者になるので仕方なく、見てもどうすることもできなかったのです。
(191-97, 1989.6.24)

 

 

② 堕落しなかったならば

それでは、堕落したのちに一番嘆いた方とは誰ですか。歴史をもって一番痛哭つうこくし、身もだえした方とは誰ですか。ハナニムです。なぜでしょうか。ハナニムは、とてもよく御存じです。「アダムとエバが堕落しなかったならば、天地の偉業を受け継ぐはずなのに、こんなことがあり得るのか」と言われるのです。アダムとエバは、未成年時代だったので、知らなかったのです。世間知らずだったので、知らなかったのです。知らなければ、痛哭できますか、身もだえできますか。
(232-114, 1992.7.3)
ハナニムの性相は、男性格である父なるハナニムと女性格である母なるハナニムから成っています。ですからハナニムから造られた人間と被造世界が、男性と女性の二性のハナニムでもあります。
ハナニムは、第1に、体をもつためにアダムとエバを創造され、第2に、愛を完成するためにアダムとエバを創造されたのです。このようなアダムとエバが完成して二人が一つになり得る愛の実体になれば、ハナニムが臨在され、人類の完全な愛の父母になるのです。
そうして、ハナニムの形状的実体の父母となったアダムとエバが、実体の子女を繁殖することにより、理想世界が成就するのです。そうなれば人間を通じて霊界と地上世界が連結されるので、霊界と地上世界を連結させるための目的もあって人間を造られたのです。それでハナニムが愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類のまことなる父母、実体の父母として、アダムとエバの形状である体を使い、父母の立場に顕現できるのです。しかし、アダムとエバが堕落することにより、このようなことが成されなかったという事実を皆さんが理解されることを願います。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-308)
アダムとエバが堕落しなかったならば、ハナニムを中心としたアダムの直系の長孫ちょうそん(長子の長子)の子女たちが出てきたはずです。アダムは長孫であり、真の父であり、王です。地上の国と天上世界の王です。また真の父母であり、真の長子です。ですからアダム家庭は、天の国の王室です。
それでは、アダム家庭のおじいさんとは誰でしょうか。ハナニムがおじいさんです。その次に、お父さんとお母さんは、アダムとエバです。そして過去の立場を身代わりした観点から見れば、おじいさん、おばあさんはハナニムの代身であり、またハナニムは父母の代身です。縦的に見れば、ハナニムが1代圏、2代圏、3代圏を中心として家庭に着陸がなされるのですが、1代圏が横的に展開されたのがおじいさんで、2代圏がお父さんで、3代圏が私です。それで息子、娘を中心として万世一系の王室の代を継ぐのです。
(218-255, 1991.8.19)


真の長子権、真の父母権、真の王権、これがアダムとエバが出発しなければならなかった原点です。そこにハナニムの王宮があり、ハナニムの愛があります。そして、人間と創造主が一つに連結され、真の愛の基盤になるのです。そこが完成した本然のアダムの家庭基盤であり、ハナニムが永遠に臨在できるハナニムの王宮です。
(218-189, 1991.7.28)
統一教会でいうハナニムとは、どんなハナニムかといえば、真の愛を中心とした縦的な父母だというのです。それでは、アダムとエバは何でしょうか。縦的な父母は一つです。縦的なものは一つしかありません。ハナニムが人間を愛するにあたっては縦的関係です。中心です。縦的な愛です。そうだとしたら、アダムとエバとは何でしょうか。縦的な基準の前に、横的な父母の代身とならなければなりません。
(187-113, 1989.2.5)
それでは、なぜ横的なものが必要だったのでしょうか。繁殖が必要だからです。縦的基盤を中心としては生むことができません。横的な基盤を通じて繁殖が必要なのです。繁殖、これは360度を中心としてこの平面基準に無限数が包括されているというのです。それで繁殖が東西南北を通じて、これを縦に合わせられるこのような球形体を形成するためにハナニムは、ハナニムの愛を中心として体に通じることのできるアダムとエバを造ったのです。
(187-115, 1989.2.5)
アダムとエバを中心として見るとき、父母がそこから出てきます。人類の元の父母が出てきます。アダムとエバを中心として、そこから人類の真の夫婦が出てきます。アダムとエバを中心として、初めて息子、娘が出てきます。アダムとエバを中心として、ハナニムと息子、娘、父子の関係までみな出てくるようになっています。
(188-214, 1989.2.26)
ハナニムがなぜアダムとエバを造ったのか分かりますか。ハナニムも父母の立場で、息子、娘を愛する愛を一度もってみたいというのです。その次は、アダムとエバのように新郎新婦が愛する愛、その愛を一度体験してみたいというのです。おじいさんの愛、その次は国を一度愛してみたいし、世界を一度愛してみたいし、すべてもちたいのです。すべてもちたいものを私たち人間世界に伝授し、それを受け継いだのが皆さんの一族であり、皆さんの民族であり、皆さんの国であり、この世界であり、この地であり、あの世、霊界であることを知らなければなりません。
(188-214, 1989.2.26)
堕落せずに完成の立場まで行ったならば、アダムとエバは個人完成だけでなく、宇宙史的な完成をしたはずです。また、ハナニムの愛を中心とした新しい家庭が出発したはずです。このように家庭から氏族・民族・国家・世界が成されたならば、ハナニムに侍る一つの大家族社会になっていたはずです。このような大家族社会の中心は、ハナニムとアダムです。
それゆえ、その世界においては、ハナニムを中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が、歴史的伝統として残ります。彼の生活方式、風習、慣習、そして生活的な背景が、歴史的伝統になるのです。それは、ハナニムの愛で結ばれた伝統以外の何ものでもありません。ハナニムの愛は命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れるとしても再び帰ってこざるを得ないのです。
(91-240, 1979.2.23)


堕落は、アダムとエバだけに制限された問題のようですが、彼らは人類の先祖であり、根本となる泉のような存在なので、個人、家庭、宗族、民族、国家、世界と未来全体に影響を及ぼしたのです。
(97-274, 1978.3.26)
アダムとエバの堕落は、アダムとエバだけの堕落ではなく、全般的な人類歴史を総合した立場での堕落です。言い換えれば、アダムとエバが堕落したということは、善なる父母になれないで、悪なる父母になったということを意味します。悪なる父母によって悪なる子女が生まれ、悪なる子女が生まれることによって悪なる宗族、悪なる国家、悪なる世界が形成され、この世界圏内に50億人類が存続しているのです。このような堕落圏内にいる今日の人類歴史は、喜びの歴史ではなく、悲しみの歴史であり、人類も喜びの人類ではなく、悲しみの人類であることに間違いありません。
(38-149, 1971.1.3)
愛を知るようになるときには、すべてのものが通じます。地上世界の平面的な事実だけでなく霊眼が開いて立体的な世界までも分かるので、ハナニムを直接見て、接し得る境地に至るのです。
しかし、愛の知覚が発達する前に堕落してしまいました。天使長と不倫の関係を結んだというのです。これが宇宙を破綻はたんさせた根本原因になったのです。
(137-127, 1986.1.1)
先生の時になって、堕落が愛によって起こった結果だという事実を明らかにしたのは驚くべきことです。これは、歴史的背景を通じて理論的に体系化されたもので、否定できない内容です。
(128-88, 1983.6.5)

 

2) 堕落はサタンを中心とした血統転換

 

① 怨讐の血統を受けた

アダムとエバは、堕落のゆえに血統が変わったというのです。誰の愛によってでしょうか。ハナニムの怨讐おんしゅう姦夫かんぷであるサタンの愛によって、サタンの生命体になったのです。男性の生命体、女性の生命体がサタンの愛に入り混じって一つになり、その二人によって結実したのが息子、娘です。それゆえ、その息子、娘はサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を継承しているのです。
(227-47, 1992.2.10)
堕落人間は、偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うというのです。ですから堕落は、血統的なものだったという論理が出てきたのです。堕落とは何ですか。血統を誤って引き継いだことです。誤った愛によって堕落したという論理を立てても妥当です。


ですから、統一教会で愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書いてあるでしょう。善悪の実とは何か分かりますか。善悪の実とは、単なる実ですか。風が吹けば落ちて、ころころ転がる実ですか。違います。
(157-158, 1967.4.2)
アダムとエバの心にサタンが入って一つになったので、サタンの血統を受け継いだということです。愛の多いハナニムが、なぜサタンを許せないのでしょうか。殺人強盗も許し、みな許すと言われたのに、イエス様を信じれば許されると言われたのに・・・。サタンを許すことができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したことです。それは何を意味するのでしょうか。ハナニムの立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。
(156-226, 1966.5.25)
サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定できないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、ハナニムを中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには、彼らを呼んでハナニムを中心として祝福してあげたでしょう。
(228-254, 1992.7.5)
アダムとエバが善悪の実を取って食べずに、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫ちょうそん(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治め得る基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。
(231-27, 1992.5.31)
ハナニムの手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。
キリスト教は、それを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼そうそう大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定できる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。しかし、無知には完成がありません。
(231-21, 1992.5.31)
体を打つようなことを、どうしてするのですか。サタンの血、ハナニムの怨讐の血を受けたからです。ハナニムの怨讐とは誰かといえば、姦夫です。ハナニムの愛の怨讐です。姦夫です。姦夫の血を受けたのです。天の国の王権を受け継いで王妃になるはずだったエバが悪魔の配偶者になり、しもべの相対になったというのです。これは天地の秘密ですが、先生の時代になって初めて暴露されたので、サタン世界は退かなければなりません。
(172-277, 1988.1.24)


無知には完成があり得ません。サタンとは誰ですか。ハナニムの姦夫です。姦夫。このような問題を明らかにしてあげましたが、これをみな覆っておいて天国へ行きますか。隠しておいて救いを受けますか。とんでもないというのです。偽り多く、でたらめな者たち。そのように信じて救われるものなら、私たちのような人は既にみな救われて余りあるというのです。このように苦労しません。
(188-230, 1989.2.26)
悪魔がなぜハナニムを憎みますか。ハナニムはなぜ悪魔を憎みますか。キリスト教の論理でいえば、「怨讐を愛せよ」と言いました。怨讐を愛するとすれば、ハナニムの怨讐はサタンですが、ハナニムはなぜ愛せないのですか。愛の怨讐を愛すれば、天地がなくなるというのです。治める法がなくなります。存在法がなくなるのです。
(191-43, 1989.6.24)
サタンがハナニムの理想的愛を破壊させ、理想的生命、理想的血統を蹂躙じゅうりんしたのです。そうして赤ちゃんを生んだのが人間たちです。サタンの愛の表示、生命の表示、血統の表示であるその息子、娘をハナニムが干渉することはできません。
(197-286, 1990.1.20)
サタンは、なぜうんざりするほど、今まで人類歴史において、修養の道を行こうとする人々に必ず訪れ、首を押さえ、背中に乗り、犠牲にするようなまねをしてきたのでしょうか。そのサタンとは何かといえば、ハナニムにおいては、ハナニムの家族を奪っていった、強奪していった姦夫だというのです。私たちのお母さんが本来ハナニムに侍り、平和の王国を成し、平和の天地を築かなければならないのに、お父さんと私たちを追い出したというのです。サタンが入ってきて、今日、人間をこんな哀れな姿にしたのです。何か他の罪を犯したのではありません。
(156-226, 1966.5.25)
その悪魔が堕落させたものが何ですか。善悪の実ですか。善悪の実を食べてどこを隠しましたか。口を隠しましたか。手を隠しましたか。下部を隠したでしょう。これが悪をいた種になりました。ティーンエージャー時代、成熟する前に堕落しました。この歴史的な人間の世の中の血統がそこから広がったので、それが人間終末時代において盛んになるのです。
全世界的に青少年たちがアダムとエバのように、陰で独自的に愛の倫理を破壊させ、天地が恐ろしいことを知らない時になったら、サタンの全権時代が地上に到来したと思えというのです。その時は、ハナニムの鉄槌てっついが目前にやって来るのです。
(200-227, 1990.2.25)
血統を転換しなければなりません。なぜ血統を転換するのですか。サタンの血統を受けて継承したので、血統を正さなければなりません。これをはっきり知らなければなりません。
(183-308, 1988.11.7)


 

② 血統的な原罪は遺伝する

堕落は、血統の否定的動機から始まった事件でした。ですから堕落の結果が今日まで、原罪として遺伝されてきているのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-323)
サタン圏に属している人々は、ハナニムの血統とは全く関係がありません。すなわち、善なる父母の子女として生まれるべき人類が悪の父母と因縁を結んで生まれました。それで悪を中心とした家庭、宗族、民族、国家、世界に拡大されました。
(55-133, 1972.5.7)
不倫なる淫行いんこう関係によってエバは天使長と一つになり、アダムはさらに天使長と一つになったエバと一つになることにより、アダムとエバは結局、ハナニムを中心としてではなく、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭を築くようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、サタンの血統を受け継ぐようになったのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-325)
堕落は、ハナニムを中心としてアダムとエバが一つにならなければならないのに、ハナニムの僕である天使長と一つになったことをいいます。ハナニムの血統を受け継ぐべき人間が、僕の血筋を受け継いだということです。ですから、堕落した人間がいくらハナニムを父と呼んでも実感が伴わないのです。これは、ハナニムであれ何であれ関係なく、すべてのものを自己中心に連結させて考える、堕落性本性が遺伝されたからです。
それで、みな相反する存在になり、宗族と民族を成したので、少したてばすべて分かれるようになるのです。このようにして立てられたのがサタン文化圏です。二つに分かれ、三つに分かれて、みな分裂するのはサタン圏に属するものです。
(91-242, 1977.2.23)
堕落によってまことの父母を失ってしまい、真の夫を失ってしまい、真の子女を失ってしまいました。失った動機は、エバと天使長のゆえでした。このような観点から見るとき、この地に生きている女性たちは、天使長のお父さん、天使長の夫、天使長の兄に頼って生きているのです。ゆえに、女性たちは悲惨なのです。お金持ちの家の令嬢が自分の家の下男と住むかたちになったのです。すなわち、僕の血筋を受け継いで生まれたというのです。ですから本来の夫、本来のお父さん、本来のお兄さんの愛を受けられなかった女性たちなのです。
(51-182, 1971.11.21)
血統的に曲折が多くあったので6000年かかるのであって、そうでなければ、全能なるハナニムが1日でみな復帰するというのです。血統的にこれが固まってしまったので、これを一度にみな除けば死んでしまうのです。ですから、6000年かかっているのです。善悪の実を取って食べて堕落したというのですか。それならどれほどよいでしょうか。
(155-295, 1965.11.1)


罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、このようなものは具体的にどのように生じるようになったかということが問題です。アダムとエバまで戻って考えてみましょう。アダムとエバがどうして堕落したのかという根源を探ってみると、アダムとエバはハナニムが命令した「善悪の実を取って食べるな」という言葉を不信して堕落しました。2番目には、自己中心的だというのです。
3番目は、自己を中心として愛そうとしたのです。これが堕落した中心の骨子の内容なので、この内容と同じものはサタン側だという結論が出てくるのです。堕落した人間たちは、みな不信の愛、自己中心に愛した人たちです。結局、自己中心の愛を主張するのがこの世界の人たちだと見るのです。
(79-198, 1975.7.27)

 

3) サタンはハナニムの愛の姦夫かんぷ

 

① サタンは堕落した天使長ルーシェル

サタンとはいったいどんな存在でしょうか。特にイエス様を信じる人たちはハナニムの前において、サタンの正体をはっきり明かさなければなりません。サタンとは何ですか。姦夫かんぷ、愛の姦夫だというのです。
そのサタンがお父さんを殴り殺し、お母さんを強奪して生んだ子女が正に皆さんです。気分が悪いでしょう。とても信じられないなら、先生の言葉が本当かうそか命を懸けてハナニムの前に談判祈祷を一度してみなさいというのです。
(38-175, 1971.1.3)
私たちの先祖がサタンに讒訴ざんそされ、蹂躙じゅうりんされ、虐殺の祭物になってきたハンを解かなければならないキリスト教信徒であり、修養の道を行く人だとするなら、このサタンの正体を解明しなければならず、歴史的なハナニムの心情と時代的なハナニムの心情、未来を心配されるハナニムの心情を知らなければなりません。そうしてハナニムが涙を流し、「おお、私の息子、娘よ」と言うことができてこそ世の中は回るというのです。
(8-130, 1959.11.29)
ハナニムにおいて、エバは未来の妻でした。なぜならば、アダムはハナニムと一体になるので、ハナニムご自身です。ハナニムの妻をサタンが犯しました。サタンはハナニムの怨讐おんしゅうであり、私たちの怨讐です。
(22-207, 1969.2.4)
サタンとは誰ですか。ハナニムの妻になるエバを強奪した姦夫です。アダムの妻であると同時に、ハナニムの妻となるエバを強奪した姦夫です。サタンは愛の怨讐です。ですからハナニムが怨讐を愛しても、サタン、姦夫まで愛せよとはいいませんでした。サタンは許すことができません。サタンに属した人は愛しますが、サタンは許すことができません。それは原理なので、皆さんがみな知らなければなりません。
(148-294, 1986.10.25)
エバはアダムの妻であり、ハナニムの娘ですが、そのエバをサタンが強奪したのです。ですからサタンは、ハナニムの前に姦夫になるのです。今まで既成教会の人たちは、これを知りませんでした。
(19-158, 1968.1.1)


本来の主人を追い出し、彼の妻を奪ってその息子、娘までみな死の立場に引っ張っていく魁首かいしゅの立場が悪魔サタンだというのです。このように見るとき、ハナニムの怨讐であり、人類の怨讐である悪魔サタンを許す道がありますか。結局、悪魔サタンは、ハナニムと愛を中心として姦夫の関係になってしまったというのです。
ゆえに許すことができますか。そのようなサタンを許せば世の中をみな破綻はたんさせてしまうのです。ですから皆さん、ただそのままでハナニムの息子、娘になれると思えますか。ですからこれをすり替える日まで、ハナニムと人類は呻吟しんぎんと苦痛の道を免れ得ない立場で、歴史をつづってきたということを知らなければなりません。
(53-338, 1972.3.6)
皆さんの家庭がハナニムの公認された愛によって築かれた家庭ですか。違います。皆さんの家庭は、お父さん、お母さんがサタン世界の堕落した愛の因縁によって結ばれた家庭です。そのような家庭で生まれたのが、正に皆さんです。それで血統が違うというのです。それは強盗にお父さんが追い出され、お母さんが強奪され、その間に生まれた退廃物のようなものです。結局、ハナニムがいらっしゃることも知らない姦夫の一族、悪魔の社会になってしまいました。
(19-102, 1967.12.31)
皆さんの愛の関係は、どこから始まりましたか。どこから出発したというのですか。悪から始まりました。この悪の魁首が悪魔サタンです。どんな因縁をもった悪魔かといえば、愛の姦夫だというのです。その姦夫の血と肉を受け継いで人間が生まれたのです。それなら、私たちが受けようとする愛は、姦夫の愛ですか。姦夫の血統を通じて受け継いできた不浄な血統の愛を受けようとしましたか。違います。これが問題です。
(35-90, 1970.10.4)
元来人間は、ハナニムを中心としてまことの命と真の血統を受け継ぎ、宇宙の権限をもって栄光の生活をしていなければならなかったのですが、堕落することによってサタンの愛を中心にサタンの血統、サタンの命を受けたのです。サタンは、ハナニムの怨讐です。ハナニムの愛の怨讐です。それは姦夫です。姦夫。女が3人集まれば「姦」という字を書くでしょう。姦夫とは何か分かりますか。姦夫とは何かといえば、自分が愛する女性を奪っていった者を姦夫というのです。
(213-265, 1991.1.21)
サタンは、ハナニムにとって姦夫です。そして人類は、その姦夫の子供です。ですから、サタンは怨讐です。この怨讐に対してかたきを討とうという考えに激しく燃えている人であってこそ、神側の人になるのです。
(16-142, 1966.1.9)
ハナニムはもてる限りの精誠を尽くし、希望に満ちた大業を夢見て宇宙を創造されたのですが、その大業と命と理念のすべての条件が一時に破綻して滅びるとき、天地が真っ暗になったというのです。ここに怨讐として登場したのが、天使長ルーシェルでした。このルーシェルを討ち取らなければならないでしょうか、討ち取ってはならないでしょうか。ハナニムが最も愛していた骨の中の骨であり、肉の中の肉である息子、娘をルーシェルが自分の息子、娘にしたのです。このような怨讐の首を切らなければなりませんか、そのままほうっておかなければなりませんか。このような問題をめぐって、歴史始まって以来初めて苦心した方がハナニムです。
(27-60, 1969.11.23)


ハナニムが願っていた王子、王女の資格を破綻させ、王子、王女の家庭的愛を破綻させ、王子、王女以後の王孫を破綻させ、ハナニムが理想とする家庭、天の国を破綻させた元凶が悪魔サタンだということを知らなければなりません。
(302-220, 1999.6.14)
この元凶がハナニムの怨讐であるだけでなく、私たち人類の怨讐です。その怨讐の敵将にその国の王宮にいる王族、王族の王子、王女が捕まっていって、しもべの暮らしをしながらその僕の世界の赤ちゃんを繁殖させるのと同じです。王子、王女を中心として王権のもとで展開されなければならないにもかかわらず、悪なる悪魔の王権のもとで繁殖された群れのようなものが堕落した人類だというのです。
(302-222, 1999.6.14)

 

 

② サタンは愛の怨讐

天使長とは誰でしょうか。ハナニムの妻を奪った姦夫かんぷです。すなわち、悪の主体サタンとは何かといえば、ハナニムの妻を奪った姦夫だというのです。姦夫といえば、何かの機関の幹部(注:韓国語では姦夫と幹部は発音が同じ)ではありません。愛を取って食べた姦夫だという意味です。これを知らなかったのです。
(35-71, 1970.10.3)
人間は本来、ハナニムの王子、王女になるはずだったのに、僕の子になり、僕の赤ちゃんを生み広めたのです。
サタンとは何か知っているでしょう。姦夫です。姦夫とは何ですか。愛の強盗だというのです。それは、順理を通じた愛の道理を逸脱したものです。ですから、サタンは愛の強盗です。
(135-283, 1985.12.15)
サタンとは誰でしょうか。サタンはハナニムの姦夫です。姦夫。自分のお父さんを殺し、自分のお母さんを強奪し、その家の主人になりすますのです。世界の人類は、このような大怨讐を逃しておいて、怨讐に対してかたきを討つことのできない群れになったのです。
(153-270, 1964.3.26)
皆さんは、姦夫を愛することができますか。それがハナニムの苦痛です。ハナニムがどれほどかわいそうかというのです。その姦夫はどんな姦夫ですか。3代を蹂躙じゅうりんしました。おばあさんとおじいさん、お母さんとお父さん、自分まで、3代を蹂躙したというのです。それは何を意味しますか。この天の国の王宮を全部サタンが占領し、おばあさん、自分のお母さん、自分の妻までも、みんなその場で強奪して殺してしまったのです。サタンは、このような怨讐だというのです。
(188-230, 1989.2.26)
愛の怨讐、悪魔サタンを許せば、天地がひっくり返るので、本然の愛を取り戻すためには許すことができないというのです。これを審判せずしては、取り戻すことができないというのです。ですから、不倫な愛の関係をハナニムが一番怨讐視するのです。これが膨張したので、ハナニムが安着できないのです。
(53-140, 1972.2.13)


人間世界の知識が何に必要で、権力が何に必要で、富が何に必要ですか。人間世界の愛だとか、家庭だとか、何が必要ですか。否定しなければなりません。堕落人間は、サタン、姦夫の血を受け継いだ血族です。「ペっ!」とつばを吐かなければなりません。
(188-234, 1989.2.26)
ハナニムの息子、娘には誰でもみななりたいと思います。本来の創造原則がそうで、そうならなければならないのに、そのようになれる血族から生まれるべき人間たちが怨讐に引っ張られていき、ハナニムの愛の怨讐であるサタンの血を受けたのです。ハナニムの血を受けて生まれなければならないのに、とても悔しいことです。
(191-244, 1989.6.25)
サタンは、何を主張するのでしょうか。「あなたはハナニムですが、私は悪魔になりました。それを認めます。私は悪魔です。それではあなたの原理を見れば、天使長を造ってアダムとエバを造るとき、天使長であるルーシェルという存在を永遠の愛の標準のもとで造りましたか。一時的な愛の標準として造りましたか」と質問するのです。そのとき、ハナニムはどのように答えなければならないでしょうか。「臨時に愛する標準のもとでお前を造った」とおっしゃるでしょうか。言うまでもなく、「永遠を中心として造った」とおっしゃるのです。
そうするとサタンが「私は変わったとしても、あなたは変わることができないのではないですか」と言えば、ハナニムが「そうだ」とおっしゃるのです。「私が変わって破壊的行動をしたとしても、あなたは破壊されてはいけないのではないですか」と言えば、「そうだ」とおっしゃるのです。たった一つ、これをつかんでいるというのです。
(125-264, 1983.3.27)
怨讐を愛さなければ天国に入れません。「怨讐を愛さずしては天国に入れない」と言いましたが、その内容を霊界で知ってみると、どんなにうらやましいかというのです。なぜそうかといえば、アダムとエバは堕落したとしても、ハナニムの原理原則は変わりませんでした。
天国に入る原理原則は、アダムの堕落前もあとも変わりがないのです。それでは、本来、堕落しなかったアダムが完成していたならば、完成と同時にハナニムとアダムが合わさって天使長であるルーシェルを愛し、天国に連れて入らなければならないのが原理原則だったというのです。そのような原理原則は残っているのです。サタンがそれをもって主張するのです。
(182-282, 1988.10.26)
この世で犯罪を犯した者でも、自分の罪の実状を知っている人がいないときには、どこに行っても堂々と罪を犯していない人のように振る舞うことができるのです。しかし、とても小さな少年でも、その人が罪を犯す現場を目撃したと指摘するときには、その犯罪者はそれに屈服するのです。ですから悪魔サタンを屈服させるには、悪魔サタンの正体を暴いて罪状を暴露し、天上と地上で追放運動をすればよいのです。
(53-194, 1972.2.21)


ハナニムは、永遠の公法の主人公であられるので、ハナニムの前にサタンを引っ張っていって讒訴ざんそしなければならないのです。サタンを告訴しなければなりません。サタンが弁護するのを見て、検事の立場で論告をし、微動だにできないように締め付けておかなければなりません。そうして、堕落した天使長ではなく、堕落していない天使長たちが、「正しい! やはり正しい! 正しい」と言わなければなりません。
(65-201, 1972.11.19)

 

4) 善悪の実はエバ生殖器

 

① 下部を覆ったのが罪の表示だ

皆さん、エバが善悪の実を取って食べたのか、りんごを取って食べたのかよく分かりませんが、取って食べるには、まず目で見て、次に手が行って取って、その次に口で食べたはずです。取って食べるには、目、手、口が動機であり、行動した実体です。ですから、取って食べたのちには目を覆い、手を隠し、口を覆わなければならないのに、アダムとエバは取って食べたのちに、下部を覆ったのです。これが問題です。
(54-62, 1972.3.11)
人は心情的な子女の立場で生まれましたが、ここで生まれて大きくならなければなりません。成熟して宇宙を主管できるようになるためには、回らなければなりません。
それでハナニムも、ここに降りてきて、軸と一つになり、宇宙を回さなければなりません。原理において「善悪の実を取って食べるな」と言ったのは、成熟する時まで待ちなさいという意味です。それは、中央の点が決まる時まで、そこに定着できるその時まで待ちなさいというのです。
(171-11, 1987.12.5)
愛が先ですか、自覚が先ですか。愛が先です。そうすれば万事に通じます。そうなれば、人生が行く道には壁がなく、谷間の道があり得ないというのです。それが天理のギアが歯をぴったり合わせて、ぐるっと回ることができるようにする天理の大原則だったにもかかわらず、それを離れて、女性が自分の自覚で始めたというのです。
聖書では、何を取って食べたいといいましたか。善悪の実を見ると、食べるによく、目が開けるという自己自覚! これが問題になったのです。ですから自分が自覚する立場、自己主張できる立場に立っているのは妖邪ようじゃなサタンの侵犯圏、堕落性の侵犯圏にあるということが分かるでしょう。これをはっきり知らなければなりません。
(171-109, 1987.12.13)
悪魔がどこに根を打ち込んだのかといえば、体に打ち込んだのです。ハナニムはアダムとエバを造りましたが、彼らは未成年の時に堕落しました。
「善悪の実を取って食べるな」と言いましたが、それは果実ではありません。善悪の実を取って食べるとき、手で取って口で食べたなら、手を隠し、口を覆ったはずなのに、なぜ下部を覆いましたか。これが死亡の落とし穴です。人類文化を滅ぼし得る根源地です。皆さん、愛という言葉が極めて聖なる言葉であるにもかかわらず、なぜ下品な言葉として使いますか。なぜ下品な言葉だというのですか。それが大地の大道たいどうを破壊したからです。
(198-110, 1990.1.25)


それが、何ゆえにハナニムがこのように手をつけられず、無力になりましたか。何の堕落のゆえに、そのようにひどいのですか。善悪の実を取って食べたのですか。善悪の実を取って食べたなら、なぜ下部を覆ったのですか。血を汚しました。血を汚したということは生命を汚したということであり、生命を汚したということは愛を汚したということです。
天地の大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。女性を誰が強奪したのですか。しもべである天使長がハナニムの娘、未来にはハナニムの王妃になることができ、ハナニムの外的な体になることができるエバを強奪してしまったのです。血筋をひっくり返したのです。こんな話は初めて聞くでしょう。
(200-50, 1990.2.23)
善悪の実とは何ですか。何だか知っていますか。女性の陰部をいうのです。韓国語で「おれはあの女を取って食べた」と言うでしょう。韓国語は妙だというのです。男性たちはそのような言葉を使います。「あの女を取って食べよう」と。聖書も知らない人たちがそう言うのです。それは心にあるままを告げるのです。すべての者が良心にあるままを告げなければなりません。「終りの日」には、みなありのままを告げなければなりません。
(137-252, 1986.1.3)
善悪の実を取って食べて原罪が生じますか。「父が善悪の実を取って食べたのが罪だ」と言いますが、善悪の実が何であるがゆえに千代、万代の子孫が罪人になるのですか。これは血統的関係です。
血統的に罪の根を植えておけば、遺伝法則によって永遠に行くのです。それができるのは、愛の問題しかありません。間違った愛が堕落の原因です。
(23-167, 1969.5.18)
人間がキリスト教でいうように善悪の実を取って食べて堕落したならば、復帰も一朝一夕にできます。ハナニムが善悪の実よりもっとおいしく良いものをつくって食べさせれば、蕩減とうげんになるのではありませんか。理論的にいえば、そうだというのです。
(38-164, 1971.1.3)
アダムとエバがどこで出会うのかといえば、垂直線に行って出会うのです。出会うには、愛を中心として一つになるのです。愛をどこに合わせますか。中心、中心に合わせるのです。それが何かといえば、男性と女性の生殖器です。そこに合わせるのです。男性と女性の生殖器は、そのように貴いものです。ですから男性と女性は一生の間、それにハナニムのように侍って生きなければなりません。それが至聖所だというのです。
(185-278, 1989.1.17)
アダムとエバが堕落したのちに、なぜ下部を覆いましたか。そのような問題をキリスト教は知らずにいるのです。何、善悪の実を取って食べたというのですか。ハナニムがなぜ愛する息子、娘を追放してしまったのでしょうか。どれほど重要な問題なので追放してしまったのかというのです。
(197-263, 1990.1.19)


エバは、二つの世界の母体になりました。善と悪の中間の立場になったというのです。それでは善悪の方向を誰が決定しなければならないのでしょうか。自分自身が決めなければなりません。そうするには悪をたたきつぶし、サタンをたたきつぶして、ハナニムにしがみつかなければなりません。サタンを打つことよりも数倍も強くハナニムにしがみつかなければなりません。悪を打つためには渾身こんしんの力を傾けなければなりません。それと同時に、それ以上の力でハナニムにしがみつかなければならないというのです。
(31-18, 1970.4.8)
堕落とは何でしょうか。キリスト教では、「善悪の実を取って食べたことだ」と言います。それで、善悪の実は木の実だと思っています。しかし、木の実は人間の価値と対等ではあり得ません。
本来、植物というものは、すべての存在の中で、人間の下にいるように造りました。それが自分以上のものを堕落させられる内容の要素をもつようには、ハナニムが造らなかったというのです。
(166-42, 1987.5.28)
既成教会では、善悪の実を取って食べたことを堕落といいます。そのような解釈は唯物論的なものです。物質を食べて霊魂が堕落したとすれば、物質の中から精神が出てくるという共産党の理論と何が違うでしょうか。物質を食べて霊魂が堕落するのでしょうか。物質を食べて堕落することができるでしょうか。霊魂によって物質が堕落したなら話が分かりますが、物質によって霊魂が堕落したというのは話になりません。物質の中に霊魂があるというのは唯物論だというのです。
(41-292, 1971.2.17)

 

 

② 善悪の実は生と死の分かれ道

聖書を見れば、エデンの園の木の実は取って食べてもよいけれども、園の中央にある命の木と善悪を知る木は見てもいけないし、触ってもいけないとあります。それは何を意味するのでしょうか。すべての木は何ですか。兄弟の関係なので、手を握ってキスをしてもよいけれども、すべての木の実を取って食べてもよいけれども、善悪の実と命の木、男性の生殖器と女性の生殖器は触らないようにしたのです。そのように警告したのです。
(200-50, 1990.2.23)
人類始祖の堕落の起源になった善悪の実とは何か分かりますか。男性と女性の生殖器です。それを正しく使えば国が栄え、間違って使えば国が滅びるのです。それが善悪の実です。王様でも正しく使うときには国が栄えますが、間違って使えば国が滅びます。それによって家庭が壊れ、社会が壊れ、すべてのものが地獄と天国に分かれます。善の実が結ばれるべきところに悪の実が結ばれたのです。それが善悪の実ではありませんか。善悪の実はみなもっていますか。もっていませんか。男性の生殖器、女性の生殖器が善悪の実です。毒蛇の頭です。
エス様がなぜサタンを「まむしだ」と言ったのですか。サタンをなぜ「蛇だ」と言ったのですか。それが蛇の頭です。それを知らなければなりません。毒蛇の頭です。女性も男性もみな、それをねらっているでしょう。女性も男性も、みなそうではありませんか。
(227-251, 1992.2.14)