八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 4-6

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1127-1162

【天啓の御言】(4-6)

 


善悪の実とは何でしょうか。愛を間違えば、永遠の悪の実を継承するのであり、愛を正しくすれば、永遠の善の実を継承するのです。その善悪の実とは何かの果物ですか。狂った者たち! 善悪の実というのは、男性と女性の生殖器をいうのです。
(226-110, 1992.2.2)
男性よりも女性が堕落し得る素質が多いので、ハナニムが「善悪の実を取って食べてはいけない!」と警告されたのです。女性の生殖器が善なる人を迎えれば、善なる実が出てくるし、悪い男性を迎えれば悪なる実が出てくるのです。善悪の実は、女性の生殖器のことをいうのです。男性にはそのようなことがありますか。男性にはそのようなことがないというのです。
(221-282, 1991.10.26)
アダムとエバに善悪の実を取って食べるなと警告をするとき、誰にしたのでしょうか。アダムにしませんでした。アダムは思春期になって出て遊ぶのに忙しく、疲れて寝るのに忙しかったのです。女性(エバ)はいつも座って、「太陽の光が暖かい! ああ、花が咲く! 水もきれいで、空気もおいしい!」と、このようなことばかり言っているのです。そうしながら「花のように美しくありたい!」と言ったりしたのではないでしょうか。ですから思春期もどちらが早いのかといえば、女性のほうが早いのです。
(221-280, 1991.10.26)
善悪の実とは、性器のことをいうのです。性器。それは善の実が結ばれ得るし、悪の実が結ばれ得るのです。悪なる者とくっつけば悪なる種子を受け、善なる者とくっつけば善なる種子を受けるでしょう。それが女性の生殖器なのです。エバが堕落することによって悪魔の血を受けました。悪魔が誰かといえば、天使長です。この天使長はしもべの代表でした。
(209-285, 1990.11.30)
ハナニムが警告することに何があるでしょうか。ハナニムとして一番理想的なアダムとエバを造っておいて、警告する条件物として何があるかというのです。若い男女に、お母さん、お父さんが警告することとは何でしょうか。注意することは何でしょうか。同じ道理です。
ハナニムに注意できるものは何でしょうか。ハナニムはお金が必要ありません。知識が必要ではありません。権力が必要ではありません。それらはいつも、自分の思いどおりに自由自在に所有することができるものです。しかし、愛だけはハナニムも思いどおりにできません。
(196-41, 1989.12.24)
「善悪の実を取って食べたら目が開ける」という言葉があります。「目が開ける」という言葉は何を意味しますか。人々が、男性が女性を知り、女性が男性を知ること、すなわち、異性に対することを知ること、それ以上はないというのです。
男性として生まれて女性を知らなければ、それはばかでしょう。最高の理想とは何ですか。男性が行くべき最高の理想的焦点は女性です。女性ですが、どんな女性ですか。自分の心にぴったり合う女性、若いときも合うし、年を取ってからも合うし、永遠に合う、このような女性ではありませんか。
(178-52, 1988.6.1)


ハナニムが人間を造るとき、一番苦労して造ったところとはどこでしょうか。目ですか。口ですか。鼻ですか。手ですか。人間は考えもしないでいるというのです。それが愛の本拠地です。愛の本拠地。愛の本拠地とは、男性と女性のそれをいうのです。それが愛の本宮だというのです。そこから男性が愛を知り、女性が愛を知り、それなくしては愛が分かりません。愛の主人が現れることができません。
(302-220, 1999.6.14)
愛の王宮、命の王宮、血統の王宮とはどこですか。男性と女性の重要な器官です。これはハナニムの創造当時の聖所です。聖所だったというのです。これを侵犯されれば、すべてのものが壊れていくのです。
(205-328, 1990.10.2)
この一箇所に三つの貴いものが連結されるのです。愛もそこに連結され、命もそこに連結され、血統もそこに連結されるでしょう。重大な3要素の起源地が性器です。
(205-328, 1990.10.2)
これは本来ハナニムの創造理想から見るとき、一番貴い至聖所です。聖所、至聖所です。至聖所は、誰でも入れるところではありません。大祭司長、責任をもった人以外には、そのふたを思いのままに開けることはできないのです。聖書の雅歌がかに出てくる封をした泉とは、それをいうのです。
(205-328, 1990.10.2)
命の王宮であり、愛の王宮であり、血統の王宮である貴重なものを、放蕩ほうとう息子のように、何の価値もないもののように扱ったその罪の代価を、どうやって払うのですか。深刻な問題でしょう。それは聖所です。
ハナニムが最高の貴重なものとして造っておいた器官としての至聖所です。それを汚す場合にはどうなるでしょうか。モーセの路程において、契約の箱を汚す者はその場で殺してしまったでしょう。それと同じです。至聖所と同じ愛の本拠地を汚すのは許されません。男性と女性が抱擁をします。愛するというのは天宙的なものです。神人一体圏を成す試金石です。有限が無限に連結される因縁が与えられる瞬間なのです。
(218-133, 1991.7.14)
聖なる男性と聖なる女性が、聖なる愛、聖なる命、聖なる血統が動いてそこに連結され子女を生むときは、その子女は天国に直行するのです。宗教が必要なく、修養が必要ありません。
心と体が90度の角度を備え、愛とすべてのものが損失なく育ち、内外が整えば、教えてあげなくてもみんな分かるのです。私はそうです。習ってから統一教会の先生をしているのでしょうか。さっと分かります。既に何がどうだということを知っているのです。教えてくれなくても分かるのです。
(211-247, 1990.12.30)
善悪の実とは何でしょうか。それは今まで秘密でした。話すことができないものです。先祖の傷です。先祖たちが間違ったので、将来まことの先祖が出てくるまでは、この言葉を公開できないのです。サタンも公開できず、ハナニムも公開できないのです。
(191-232, 1989.6.25)


5) 堕落の恨、ハナニムの復帰の心情

 

① 愛の怨讐、堕落の恨

堕落したという事実は、長男長女を追い出したということと連結されます。長男というのはひとり子です。長女はひとり娘です。アダムとエバは、ハナニムの億万代のひとり子、ひとり娘として生まれました。善悪の実を取って食べ、その億万代のひとり子を追放したと考えてみてください。
(289-120, 1997.12.30)
皆さん、息子を一人、娘を一人もっていて、息子一人が死んだというとき、父母の痛みはどれほど大きいでしょうか。「7代のひとり子の死は、町内と隣村と知り合いたちがみな痛哭つうこくする」という言葉があります。7代のひとり子を失った父母の悲しみは推し量ることができないので、周辺にいるすべての家庭をもった父母たちと子供たちと兄弟たちが同情するということを考えるとき、これは何代のひとり子ですか。億万代です。億万代。
それで、父子の関係が成されませんでした。億万代のひとり子を失ったハナニムがそれを再び取り戻すためには、億万代の苦痛を越えずしては取り戻す道がないというのです。そのような天の父母がいたということを知りませんでした。
(301-100, 1999.4.20)
サタンとは何ですか。ハナニムの愛の姦夫かんぷです・・・。その怨讐おんしゅうサタンにエバを抱かせて今まで千回、万回讒訴ざんそすれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それがハナニムの立場です。
どれほどハナニムの立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげられる男性の立場、それ以上の立場がハナニムの立場であることを知らなければなりません。あなた方は、そうすることができますか。
(182-174, 1988.10.16)
サタンはエバの姦夫です。ゆえにハナニムの愛の怨讐です。その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それでハナニムがこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言って、それを反対してはいけません。なぜかといえば、天使長がいるからです。
(182-246, 1988.10.23)
サタンは、ハナニムの愛の姦夫です。これはムン総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが。悪魔とはいったい何でしょうか。しもべが、未来にハナニムの妻になれる人を強奪したのです。アダムとエバとは何ですか。ハナニムの体です。聖書のコリント人への第1の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」とあります。ハナニムの家です。聖書にアダムが名前を付けたようになったという言葉がありますが、それは何を意味するのでしょうか。ハナニムがその心の中に入っていらっしゃるということです。
(209-40, 1990.11.25)


サタンは、ハナニムの立場から見れば姦夫です。エバ姦婦かんぷで、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人とその娘を、純潔な女性として、純潔な娘として考えなければ復帰することができません。そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。そのような心情圏に処しているハナニムの悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。
(227-47, 1992.2.10)
怨讐に引かれていった自分の愛する妻が、子供を生んで、再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは、愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそ、アダムとエバが堕落した立場と同じです。
しかしハナニムの心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。
(237-238, 1992.11.17)
愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たちを怨讐の子として扱っていれば、ハナニムのようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛なハナニムの立場を考えたことがありますか。
(208-291, 1990.11.20)
キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せよということです。ハナニムもこのような原則的な立場にあるので、悪魔サタンを愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバが、庶子を連れて入ってくるとき、お父さんが彼らを自分の生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバが本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことか分かりますか。
(235-84, 1992.8.29)
自分の愛する妻を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ってあげられる雅量のある男にならずしては、ハナニムの息子、娘になることができないという結論にまで到達します。なぜですか。エバとは誰ですか。ハナニムの妻です。サタンが抱いて今までにもてあそんできた姦婦のようなものを、今まで6000年間、6000年ではありません。数万年です。人類歴史を1000万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきたハナニムのその痛む心情の谷間を誰が知るでしょうか。
ですから自分の愛する妻を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈れる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、ハナニムの心情を知ることができないというのです。
(184-302, 1989.1.1)
結婚の前日にハナニムを捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを、再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならないハナニムの心情を思うとき、オモニを偉大なオモニにつくらなければならないと考えるのです。


昔のエバよりももっと素晴らしいオモニにしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛なハナニムの心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。
(233-255, 1992.8.1)
先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までも魁首かいしゅサタンに抱かせてあげ、祝福してあげられる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。ハナニムがそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫であり、怨讐ですが、「終りの日」になってメシヤになり得る資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、ハナニムを解放できる立場に立たなければ、ハナニムを解放できないのです。
(185-133, 1989.1.3)

 

 

② サタンの讒訴条件

ハナニムの愛の姦夫かんぷが悪魔です。今まで愛の悪魔である姦夫が讒訴ざんそするとき、彼を相手にしてきたのです。彼を人類の前に、全体の人間たちの前に、愛したという条件を取り戻すために今まで耐えてきたのがハナニムの心情だというのです。なぜですか。堕落しなければ天使長でしたが、天使長もハナニムが愛してこそ天国に入るのです。
ハナニムとハナニムの息子、娘たち、天使長を愛した人たちが天国に入るのです。それでサタンが讒訴するというのです。「私は悪魔になったとしても、あなたの創造原理、本然の原則的基準は残っているので、ハナニムも私を愛し、ハナニムの息子、娘も私を愛さなければ天国に行けないのが原則ではありませんか」と言うとき、「うーん!」と言うのです。ここに、襟首をつかんで今まで護訴してきたのです。
(185-56, 1989.1.1)
サタンとは何ですか。ハナニムの愛の姦夫です。この妖邪ようじゃなやつが天理の大道たいどう破綻はたんさせておいても、ずうずうしくいまだにこの地球ぼしで、人類を離さず、かじり食い、はぎ食い、削り食っているというのです。こいつを私が地獄に行って、全部ごみ箱にぶち込むでしょう。ほうっておけばハナニムに帰る本心があるので、さっと回るのです。
春になりさえすれば、からからに枯れた木の枝も朝の日ざしに、春の日ざしに芽がふくのと同じように、人の心はじっと自由さえ与えれば、本心は自然にハナニムに帰ろうとします。ですから生きられないように、どっとぶち込むのです。そのようなことを知らないでしょう。自分の運命がそのように悲惨になっていることを知らないこの人類をすべて解放させて、一つにしようというのです。統一しようというのです。
(142-281, 1986.3.13)
私たちは、どんな犠牲でも投入して、父の姦夫に恨みを晴らさなければなりません。恨みを晴らすには、銃や刀で晴らすようにはなっていないのです。より大きな愛でなければ晴らす道がないと見るのです。ゆえにその怨讐おんしゅうを愛してこそ、本来の創造理論に合格したハナニムのところに登場するのです。


なぜですか。悪魔サタン、天使長も本来、創造当時はハナニムの愛を受けるようになっていたからです。永遠に受けるようになっているので、「あなたがハナニムになるには、私が堕落したとしても、私を愛したという原則を立てなければこの宇宙を支配できる立場に行けません」と言ってしがみつくのです。ここに引っ掛かっているのです。本当にあきれる事実です。
(120-266, 1982.10.17)
人間は本来、創造原則に従ってハナニムの息子、娘でなければならないのに、堕落することによってサタンの息子、娘になりました。それでハナニムは、姦夫であるサタンと額を突き合わせて闘ってこられました。讒訴の条件を防ぎながら、今まで人類を取り戻してくる作戦をしてこられたのです。このような気のふさがるハナニムであることを既成教会の人たちは知らなかったというのです。栄光のハナニムとしてのみ考え、「おお! 天地の栄光の中の偉大な神よ」と言っているのです。
(41-301, 1971.2.17)
皆さん、サタンとは何ですか。ハナニムの姦夫です。したがって、姦夫を許してあげれば天理の原則にそぐわないので、許すことができないのです。それゆえサタン世界の人間たちは100回、1000回許すことができても、サタンだけは絶対に許すことができないというのです。それで大審判があるのです。大審判は誰を審判するのかといえば、人を審判するのではなく、人間の心の中に主人の如く臨在しているサタンを審判するのです。
(22-282, 1969.5.4)
サタンは、愛を蹂躙じゅうりんした怨讐です。お母さん、お父さんが寝ているところに入ってきて、お父さんを殴り殺し、お母さんを強奪したどろぼう野郎です。サタンとは何ですか。ハナニムの愛するエバ、ハナニムの実体的相対であるエバを強奪した愛の怨讐です。そのような姦夫に自分の愛する人を渡し、祝福してあげられる心をもたなければなりません。怨讐を愛するには、許してあげるくらいではいけません。そのくらいでサタンが「ありがとう」と言うでしょうか。
かけがえのない愛する人を怨讐に与えても、祝福をしてあげられる心までもたなければならないのです。これが最後の峠です。それなのに、ただ信じれば天国に行くというのですか。
(34-278, 1970.9.13)
今日、人間の堕落をキリスト教徒たちは、蛇がひそひそささやいて取って食べたといいます。原則がどうなっているかも知らない人たちです。ですからハナニムがどれほど物悲しく哀れで悲惨で、無念に思われたでしょうか。
アダムとエバが善悪の実を取って食べる瞬間、心臓が爆発するようなもどかしい心情をもたれた方でした。しかしハナニムは、彼らを愛さざるを得ませんでした。皆さんは、それを知らなければなりません。
(21-141, 1968.11.17)
アダムとエバが善悪の実を取って食べようとするとき、ハナニムが「私が心配したとおりになったな。もう少しやれ」と言ったでしょうか。いいえ。心臓が縮み、すべての感覚が1箇所に吸い込まれていく、そのような立場だったでしょう。「それを取って食べてはいけない」。血を流し、震え、形容できない哀絶なもどかしさのゆえに何も考えられない、そのような立場に立たざるを得ないハナニムだったのです。


そのようなハナニムが、アダムとエバが善悪の実を取って食べているとき、見物していただけなのだろうかというのです。刀があれば歴史をり、この天下を斬り、断ち切ってしまいたい心でしたが、そのようにできない立場にいることを、自ら嘆かざるを得なかったハナニムでした。
(21-141, 1968.11.17)
ハナニムの前に立っていたアダムとエバ自身がハナニムの内情を察することができたなら、堕落しようにもできなかったはずです。父母は父母として子供に対して愛の心をもっていますが、子供は父母の深い心情まで知らなかったのです。もちろん幼くて堕落したのですが、その年齢の幼さが堕落の動機になったのではなく、心情が足らずに堕落したのではないでしょうか。「あの方は私と共にいる。あの方は私と離れようにも離れられない」と、ハナニムが一切の問題に関係しているということを、もしアダムとエバが感じられたなら、彼は堕落することができなかったのではないでしょうか。結局、心情の一致点をもてなかったので堕落したのです。天の願いと自分たちの願いが食い違い、自分の考える方向が天の考えることと食い違っていたから、堕落したのではないでしょうか。
(65-173, 1972.11.19)
強盗が本来の父を殴り殺し、お母さんを強奪することによって生まれたような立場にあるのが、今日の堕落した人類です。サタンとは何かといえば、ハナニムの愛の怨讐です。サタンはハナニムの子女を強奪した姦夫なので、愛のハナニムもサタンを許すことができません。愛の姦夫を許す法はないのです。ですから他のことは許すとしても、サタンだけは許すことができません。サタンを許せば天法がみな壊れるのです。
(41-197, 1971.2.15)
私たちは、ハナニムの心情に背反した堕落した子孫です。皆さん、私たちの先祖が何に背反したと思いますか。取って食べるなという善悪の実を一つ取って食べたことだと思いますか。とんでもないことです。心情に背いたのです。ハナニムの心情に背反したのです。問題はそこにあります。どんな心情に背反したのか、創造理想の心情、希望の心情に背反したのです。
(9-112, 1960.4.24)
サタンをなぜ一度に分別できないのですか。なぜハナニムは、全能な方なのに一度に引き離せないのですか。血筋が連結されているからです。血筋です。一度に引き抜いてなくしてしまえば、人類を絶滅させることになってしまいます。
サタンの血を受けたのを一度に引き抜けば、人類がいなくならなければなりません。アダムとエバまでいなくなります。たたきつぶさなければなりません。なぜハナニムはアダムとエバをたたきつぶして、造り直せないのでしょうか。もう一度造るようにはなっていません。愛はアルファでありオメガなのです。初めであり永遠なので、そのような理想的基準になったので、その愛の対象としての人は打つことができません。それを知らなければなりません。
(188-225, 1989.2.26)


サタンがどのようにしてハナニムの前に6000年間対抗してきたのですか。サタンは今まで、ハナニムの前に原理を掲げてやってきました。「ハナニム、私を処罰することができますか。私を処罰するにはまずこの天地を壊してしまわなければなりません。ハナニムは私を創造されるとき、たとえ天使長が受ける愛であっても、完成基準で愛してくださろうとされたのではありませんか」と言うのです。天使長も、天使長級完成基準で愛を受けなければならないというのです。
それで天使長はハナニムに、いつ私を完成段階で愛してみたのかと聞くのです。ハナニムもここに引っ掛かるのです。ハナニムが完成段階の愛を天使長に施しましたか。施せませんでしたか。できなかったというのです。自由天地であるエデンの園で天使長にも完成段階の愛をし尽くしてこそ、ハナニムも責任を果たしたといえるのです。そうでなければ、微動だにできず、引っ掛かるのです。
(37-254, 1970.12.27)
ハナニムが6000年の間、愛する息子、娘の首を切ることを数千万回ほしいままにしてきた天使長を追及できないのは、天使長を完全に愛してあげることができなかった責任があるからです。それで今までハナニムは、誰かが間違えば、「ハナニム! 誰々がこのようにしようとしています」と言って、讒訴されなければならない悲しい歴史の背後があったというのです。このような内容は、今日、統一教会が出てきたので分かるのであって、誰も知らなかった内容です。
(35-95, 1970.10.4)
ハナニムの前に孝子がいなかったので、ハナニムの前に忠臣の道理、ハナニムの前に聖人の道理、ハナニムの前に聖子せいしの道理を立てた者がいませんでした。その国を守り得る主流の愛の体制がなくなったので、ハナニムの立つ位置がないというのです。今まで、囹圄れいご(牢獄)の身として軟禁状態にとどまったハナニムになっているというのです。天の国は、完全に廃虚となって空いています。その痛みを感じているかわいそうなハナニムであられます。
(302-226, 1999.6.14)

 

6) 真の父母の祝福と血統復帰

 

① メシヤとして真の父母が必要だ

皆さんは、まことなる父母と関係のない立場で、天の前に追い出された偽りの父母の血筋を受けて生まれたので、この血筋から抜け出すためには、血筋を踏み、引き抜いてしまわなければなりません。そうして血統を根本的に変えなければ、天の国に行くことができません。
(22-271, 1969.5.4)
血統転換を成すためにはアダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入って、将来の子供となるその種にハナニムの愛と結束された勝利的条件を充足させなければ、ハナニムの子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないことです。聖書に、そのようにしてきた記録があるからです。そうだとしたら、聖書はハナニムのみことばだというのです。
(35-162, 1970.10.13)


メシヤとは誰ですか。真の父母です。それなら真の父母がなぜ必要ですか。真の父母の愛によって再び接ぎ木しなければならないからです。ですからメシヤである真の父母が現れなければ、堕落した人間は、原罪を脱いで罪のない解放された立場で、完成段階の祝福を受け得る立場に出ていくことができないのです。
(35-215, 1970.10.19)
メシヤがこの地に来て、代行しなければならない立場が真の父母の立場です。それでは真の父母とは何でしょうか。縦的な真の父の代わりに横的な真の愛を中心とした横的な父母です。キリスト教ではメシヤがハナニムであり、ハナニムがメシヤだといいますが、それは間違いです。ハナニムは縦的な真の父です。これは一つしかありません。メシヤは横的な真の父母だというのです。
(186-40, 1989.1.24)
堕落した人間が求める救い主とは、どんな救い主ですか。堕落した父母の立場ではなく、堕落していないアダムとエバのような立場でハナニムのみ旨と一体となり、ハナニムの愛を受けて、ハナニムの祝福を受け得る真の父母の立場で人類を生んでくれる救い主でなければいけません。そうでなければ、人間が原罪と関係のない立場に上がることができません。
(22-269, 1969.5.4)
皆さんは、新しい血筋を受け継がなければなりません。受け継ぐにはメシヤが父として来て、サタン世界に勝った、サタンが干渉できない超世界的な基盤でエバを迎え、蕩減とうげん復帰しなければなりません。そうして夫婦の因縁を中心とした家庭で息子、娘を立てて、横的に接ぎ木するということが起こらなければなりません。それで統一教会で祝福をしてあげるのです。統一教会は違います。統一教会は、血筋がどこから始まったのでしょうか。ハナニムから始まったというのです。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみよというのです。反対していたら損害賠償を払うようになるのです。
(169-37, 1987.10.4)
私たち人間は、血統的にサタンの血統を受けたので、それ自体では天の前に帰ることができないのです。ゆえにメシヤは、絶対に血統復帰をして、サタンが汚した血統を改造しなければなりません。これを転換させなければなりません。それでメシヤは、必ず来なければならないのです。メシヤが来なければ血統復帰ができないのです。血統を復帰しなければなりません。
(172-53, 1988.1.7)
血統が違うというのは、お父さんが違うということです。それゆえお父さんが違う血統をもって生まれた人間は、本来、堕落していない本然の父母によらずしては罪を蕩減することができません。ですから今日まで歴史は、堕落していない元の先祖になれる権利をもったそのお一人が来るときまで、宗教の理念を中心に連結させてきました。
(20-115, 1968.5.1)


真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心として、その根を下ろさなければならないからです。今は根が違います。堕落によって幹と枝が、全部違います。ここから新しく根が真の父母から始まり、幹と枝が出て、接ぎ木するのです。切って接ぎ木するのです。接ぎ木して、それが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根まで切ってしまわなければなりません。
(164-155, 1987.5.10)
人間は堕落により、ハナニムとは関係のないサタンの実体をもった存在になってしまいました。これはハナニムの愛とは正反対になるので、蕩減しなければなりません。
(35-159, 1970.10.13)
蕩減とは原罪を除去することです。原罪を除去するにおいては、血統的なものが根本的に存在します。血統的なものは、堕落人間としては到底解決できないものです。それでメシヤが必要なのです。
(35-159, 1970.10.13)
真の父母は、何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根である間違った血統を正さなければならず、間違った命を取り戻さなければならず、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか。サタン世界は死ななければならないからです。
(169-37, 1987.10.4)
エデンの園で、結婚を誤ったのが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることにより、再びひっくり返したのです。偽りの父母がしでかしたことを真の父母が清算することにより、地獄を撤廃し、数百、数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させてあげるということが起こるのです。真の愛を中心とした地上の子孫たちの家庭基盤を通じて、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つに合わさるだけでなく、このような家庭基盤を起点として東洋と西洋が互いに連結されます。
(300-222, 1999.3.14)
まずは、父母を心から慕わなければなりません。私の命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母だという基準をもって、父母に侍ることができなければ救いを受けられないのです。皆さんは、そのように侍ったことがありますか。皆さんは、これをはっきり知らなければなりません。ですから、「私は真の父母と永遠に一つになることができる息子、娘だ」という信念を、自分の存在意識を超越できるくらいに固くもたなければなりません。そうでなければいけません。
(30-237, 1970.3.23)
皆さんは、先生をどれほど愛さなければならないでしょうか。根本問題に帰るのです。サタン世界の愛の痕跡こんせきがある、その愛が染み付いた立場で愛してはいけません。それ以上でなければなりません。それはどういうことですか。皆さんが、サタン世界で生まれたお母さん、お父さん、妻子、その誰よりも愛さなければなりません。
それで聖書で、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そうしながらのちには「自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ16:24)と言いました。十字架を負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架です。ここで悲痛な涙を流さなければなりません。
(178-97, 1988.6.1)


血統を転換するのはメシヤがするのですが、転換できるように行動するのは自分自身でなければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。これは決して易しく成されるのではなく、死ぬか生きるかの境地を通過しなければなりません。40日断食祈祷だとか血を吐く死の境地に行ってこそ血統転換が可能です。
(35-160, 1970.10.13)
蕩減条件を立てる方法については先生から教えてもらわなければなりません。もし昔、日本でそれを知ろうという考えをもった一人の人がいて、日本全部と交換してでもそれを買ってきたとするならば、日本は既に世界を統一していたかもしれません。世界でそれよりもっと良い事業はないでしょう。聖書に、「たとえ人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」というみ言があります。命はそれほど貴いものです。私たちは、蕩減条件を立てる方法を正しく悟り、自分の貴い命を復活させていかなければなりません。
(22-207, 1969.2.4)

 

 

② 再臨思想の核心は血統復帰

血統の転換は誰がするのでしょうか。それは誰でもできるものではありません。先生がこのことをするために涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。このような基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福という新しい伝統を継ぐことになりました。転換の勝利圏を立てるには、数千年にわたるハナニムの労苦と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これを基礎として立ったところが、正に皆さんが立っているところです。祝福とは接ぎ木することであり、接ぎ木することによって、血統が変わるのです。
(35-178, 1970.10.13)
血統の同一性が必要なので、ハナニムの心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうかといえば、根が違います。幹が違います。ゆえに根が同じでなければならず、幹が同じでなければならず、芽が同じでなければなりません。そこには、絶対的に血統転換という大変な問題が起こるのです。それは、一人ではできません。まことの父母がいなければなりません。
(172-55, 1988.1.7)
神側ではサタンの偽りの愛圏にいる人間を、より大きなハナニムの愛で奪ってきて重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の血統を通じて再び生まれてこそハナニムの子女、ハナニムの民になるのです。イエス様の宝血(注:人類の罪を贖罪しょくざいするためイエス様が十字架にかけられて流した血)の貴さも、聖晩餐ばんさんの儀式もすべて、血統転換を通じてハナニムの子女になる摂理を形象的、象徴的に現すものです。
(135-12, 1985.8.20)


統一教会の祝福を受けるにおいて血統転換式があるのです。皆さん、血統転換式をしたでしょう。蕩減棒行事だとか三日行事だとか・・・。どれほど複雑ですか。そこにはサタンが入ってくることができません。それは真の父母とハナニムの法によって天国の門を開き、解放を宣言して出てきたものなので、長成期完成級で行使していたサタンは関係することができません。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたことを知っていますか。それを経なければならないのです。
(235-215, 1992.9.20)
復帰過程には、血統転換という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。その血統を転換するために聖酒がなければなりません。
そして聖酒という酒が出てくるためには21種類の聖別過程を経なければなりません。それが何か分からないでしょう。それは、空中で実を結ぶものと、地で実を結ぶものと、地の下で実を結ぶものを中心として、その次には鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように21種類の聖別されたものを通じてその過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴ざんそ条件に引っ掛かってはいけません。
7ヵ月の間使わずにおきますが、そこに不祥事が起こってはいけません。皆さんはそれを飲みましたが、それが簡単に出てきたのではありません。
(215-109, 1991.2.6)
皆さんは血統転換、この実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。先生がアベルになるときには、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので、皆さんが先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きな問題が起こるというのです。
(161-153, 1987.1.18)
「統一原理」の特約とは何ですか。ハナニムの息子、娘になる特権的な内容を中心としてサインしてもらい、真の父母様のサインをもらい、真の父母を通じて血統転換をしたという立場に立ち、解放者という名前をさっともらえば、天国にも入ることができるというのです。入るには、礼服を着て入らなければなりません。服を脱いで行くことはできません。天国に入るには、礼服を着て入らなければならないというのです。その礼服とは何ですか。統一教会の「原理」で武装して、そのとおりに実践した人だというのです。特権は、すべてもらったのです。この世に、そのようにできるものはありません。
(214-71, 1991.2.1)
ハナニムの心情はどこで連結されますか。理論で連結されるのではありません。血統を通じてこそ連結されるのです。皆さんは、ハナニムの心情の血統を受けましたか。今まで知らなかったというのです。それで皆さんには、祝福を受ける前に血統転換式があるのです。その時は、私は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が私から始まるという信念をもたなければなりません。
(180-159, 1988.8.22)
皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは何も知らずに、先生がさせるとおりに従ってやっただけですが、それがそんなに簡単なものではありません。


エス様が夫婦関係を成すことができなかったので歴史がこんなに混乱してきたということを考え、その目的に合う1双を立てるという心情的基準から見るとき、祝福の血統を汚すようなことがある場合には大変なことになります。これは刑罰が問題ではありません。エデンの園では未完成期に堕落したのも追い出しましたが、完成の心情的基準で罪を犯したとすれば、言うまでもありません。それは、後ろ姿も見たくないハナニムであられます。先生もそうです。
(198-220, 1990.2.3)
祝福を受けるとき皆さんは、血統転換式をしたでしょう。そのあとからは、完全に変わらなければなりません。真の父母が出てこなかったなら、このことが可能でしょうか。創世以後、どれほど大変な道を歩んできたでしょうか。真の父母が出てきたことだけでも有り難いですが、真の父母から祝福を受けたということは、もっと驚くべきことです。こうして伝統、その伝統が何かといえば、血統の伝統です。真の愛と、真の命と、真の血統を植えたことが伝統になっているのです。これをいつも考えなければなりません。
(216-36, 1991.3.3)
祝福家庭は、どんな意味をもっていますか。祝福家庭を中心として見るとき、サタンが祝福家庭を支配することはできないというのです。先生を完全に信じて、どんな国ででも真の父母様に属しているという信念をもって立っているとき、サタンはそれを侵犯できないのです。なぜでしょうか。父母様の心情を中心として血統転換した心情圏に連結されているからです。ですからここからは、サタンが手をつけることができないのです。
(149-53, 1986.11.2)
「私は堕落してあなたの血統的すべてのものを蹂躙じゅうりんしましたが、あなたがあなたの息子と天国に入るためには、血統転換をさせなければならないのではありませんか。あなたの血筋と連結された一つの根・・・。あなたが命の主体ならば、あなたからアダムが命の種を受けたのです。ですからあなたからアダムが受けた命の種がエバを中心として連結され、根になることができる本然の基準を成して、その基準であなたの血族の立場に立たなければなりませんが、そうするには、今私の血族の中に立っている彼らの血統を転換させて、根を改造しなければ天国に入れません。天の国にはアダムの根の人が入るようになっているのであって、天使長の根の人が入ることができますか。入れません!」と言うのです。何のことか分かりますか。
(197-286, 1990.1.20)
血統転換という恨めしい悲運の運命をもった堕落の子孫になったことが、息の詰まる悲痛な事実です。これを抜け出すためには、力の限りを尽くして解放された息子の姿、娘の姿として現れなければならず、ハナニムに対してためらわずに、「お父様」と言えなければなりません。自信がありますか。先生はハナニムに対して、「お父様!」と呼ぶ自信があるでしょうか、ないでしょうか。自信があります。
(197-115, 1990.1.7)


復帰途上でしもべしもべの時代からしもべの時代を経て、養子の時代、直系の子女の時代に上がらなければならないのです。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系時代と因縁を結ぶことができますか。直系の時代と因縁を結ぶには、そのまま結ぶことはできません。必ず原理によって信仰の基台を経て、実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。
すなわち、メシヤを迎えなければならないということです。メシヤはハナニムの真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が違います。ですから血統転換が必要だというのです。
(55-192, 1972.5.9)
堕落人間は、血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。ハナニムと人間の関係は父子の関係ですが、このようなすべてのものが未知の事実として残っているので、歴史が解かれなかったし、今までハナニムの摂理を知らなかったというのです。血統転換も個人圈、家庭圈、民族圈、国家圈、世界圏と、すべてしなければなりません。これはメシヤが来なければならないのです。
父母が出てくることによって父母から血統が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。このようなすべての問題に個人が責任を取らなければなりません。
個人がすべてこのようなことをして、越えていかなければなりません。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにしてあげるのです。
(161-147, 1987.1.18)
堕落人間は、出発が間違ったというのです。ですから再び戻らなければなりません。戻るには戻りますが、どこに行くのですか。原点に戻らなければなりません。偽りの父母から始めたので、戻って真の父母から再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻でしょうか。私がハナニムの愛とハナニムの命とハナニムの血統を再び受け継がなければなりません。
それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたのです。それを私の命より、もっと信じなければなりません。統一教会の一つの儀式だと、ただ一般の宗教儀式のように考えてはいけないのです。これは、死んだ人を回生させる注射と同じです。解毒注射です。
(216-107, 1991.3.9)
聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになりお父さんをだまして祝福を受け、タマルの役事を中心としてもこのように背倫の行為をしたのに、ユダの支派を通じてイエス様が来るという言葉は何を意味しますか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。
ここにキリスト教だけが血統を重要視して、血統浄化を主要思想としてきました。他の宗教にはこのような歴史がないので、ここについていくべきだという結論が出てくるのです。ですから血統転換ということを中心として見るとき、ムン総裁はキリスト教を除くことができなかったのです。それで、選民思想を受け継いだキリスト教を除くことができなかったのです。すべての宗教が同一だと言ったなら、どうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨子の思想がこのようになっているからです。はっきり知らなければなりません。
(227-349, 1992.2.16)


 

第3章 蕩減と復帰の公式

   

1) 母性復帰から見たリベカ、タマル、マリヤの役事

 

エバの堕落とリベカ、タマルの欺きの役事

堕落は、母の胎内から始まりました。それゆえ復帰も、母の胎内からなされなければなりません。そこが悪の根源地となり、出発点になったので、復帰においてもその原点に戻らなければならないのです。それで、ハナニムは、二人の兄弟を立てて、長子権を復帰する摂理を行うことになったのです。すなわち、カインはアベルの位置に下がらなければならず、アベルはカインの位置、すなわち長子の位置に上がらなければならなかったのです。
しかし、カインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の、堕落行為の反復でした。すなわち復帰された立場はおろか、再び天使がアダムを主管した立場に立ってしまったのです。
(55-109, 1972.4.1)
エバが堕落するとき、誰をだましましたか。ハナニムをだましました。ハナニムに隠れて、ハナニムに相談せずに、勝手にハナニムを否定する立場で堕落したのです。次に、アダムは自分の夫であると同時に、ハナニムの息子です。父子を否定する立場で堕落したがゆえに、アダムを失いました。
このようになったのを蕩減とうげん復帰するために、ハナニムはリベカを立て、ハナニムの代わりに父イサク、アダムの代わりに息子エサウ、この二人が分からないように祝福を奪ってくるのです。言い換えれば、逆になったものを取り替えるために、リベカはヤコブを通して、失った祝福の長子の嗣業しぎょうを奪ってこれる条件をもつようになったのです。条件です。その実体を得たのではなく、条件を得たのです。
(114-17, 1981.5.14)
天使がエバを誘惑しましたが、今度は逆に、エバが誘惑するのです。そのようなことを蕩減復帰しなければなりません。ですからタマルはしゅうとと関係を結ぶことになったのです。関係を結ぶ時の約束で、やぎの子をあげようというのを、いんひもつえの三つのしるしとなるものをくれと言って受け取り、保管しました。「私のはらんだ子の父親が誰かということを確認させるためには、たとえ死ぬとしても、それを残して死ななければ」という覚悟で、タマルは証拠物を受け取って保管したのです。
(55-305, 1972.5.9)


マリヤも、エバとほとんど同じではありませんか。自分の夫であり兄であるアダムと、父であるハナニム、ハナニムと兄と夫をエバが欺いたように、タマルもそのようにしたのです。
自分の未来の夫となる人、そして舅、夫と兄とすべての兄弟を欺いたその内容は、すべてエバの行為と一致する蕩減の内容となるのです。それがタマル自体を中心として、マリヤを中心として相似しているのです。
(213-309, 1991.1.21)
エバが3人の男性を欺いたように、いつも3人の男性を欺くのです。リベカが3人の男性を欺いたでしょう。ハナニム、自分の夫、自分の息子を欺きました。またタマルも3人の男性を欺きました。舅と1番目の息子、2番目の息子を欺きました。またマリヤは誰を欺きましたか。マリヤもハナニム、そして自分の父母、自分の夫。同じです。エバが父を欺き、兄を欺き、夫を欺きました。アダムが兄であると同時に夫です。同じなのです。
(215-98, 1991.2.6)
マタイによる福音書第1章に、4大淫女いんじょが出てきます。そこにバテシバが出てくるでしょう。タマルが出てくるでしょう。その次に遊女ラハブが出てくるでしょう。次にはルツが出てくるでしょう。4大淫女が出てきます。彼女たちは、みな淫女です。夫がいるのに他の男性と関係をもったのですから淫女ではありませんか。聖書を一度よく読んでみなさいというのです。それゆえ、イエス様は正妻を通して生まれることができないのです。めかけを通して出てきたのです。
(139-311, 1986.1.31)
聖書は聖なる経典であるのに、許されないような内容がたくさんあります。そうではないですか。ヤコブがリベカと一つになり、兄エサウと父を欺いて祝福を受けるというようなことがどうして起きたのでしょうか。またタマルが舅と関係を結んで生まれたペレツとゼラを中心として、ユダの支派が祝福を受けるようになったのはなぜかという問題、人倫の道徳観では解決できない、このような問題があるのはなぜかというのです。マタイによる福音書第1章には、4大淫女が出てきます。タマルとバテシバとラハブとルツが出てきます。
マタイによる福音書は創世記に匹敵するものですが、歴史時代において、最初のページにこのような女性たちを中心として、清くない汚点をもつ女性たちがこのように出てくるのはなぜかというのです。このような問題は、すべて堕落原理を知らずしては解決する道がありません。なぞとして残っているのです。ところがムン総裁の時代になって、初めてそれをすべて明らかにしたのです。
(211-137, 1990.12.30)

 

 

② タマルを中心とした腹中根本復帰

カインとアベルを、エサウヤコブが生まれた時に入れ替えようとしました。そこにはいつも母子協助が必要なのです。エバアベルを擁護したのです。次にエサウヤコブ時代には、リベカがヤコブの側になり、うそをついて助けたのです。
ところが、ハナニムが祝福をしてくださったのはなぜかという問題については、誰も知らないのです。そしてヤコブの時に双子として生まれて入れ替わったのです。それでも駄目だったので、ペレツとゼラを中心としてタマルの腹中から出るときに争い、入れ替わって次子が長子を押し退けて出てくるということが起こったのです。これはすべて、本然の父母の血統的基準に接近するための運動であったという事実を知らなければなりません。
(120-167, 1982.10.13)


ハナニムはリベカに、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る」(創世記25:23)と言われたのです。二つの国に分かれるというのです。一つの国は天の国であり、もう一つの国はサタンの国です。ここから争って血統復帰をしようとしたので3代を要したのです。腹中で争ってひっくり返して、腹中から血統を継承したという基準を立てなければならないのです。ヤコブが3代目にして外的に勝利しましたが、内的な勝利の基盤は、タマルの腹中から生まれたペレツから成されたのです。これが復帰の原則です。
(36-251, 1970.12.6)
タマルの役事を中心として考えると、タマルは天の天道を引き継ぐために自分の命を懸けたのです。文総裁と同じように命を懸けたのです。そしてヤコブは、天使と命懸けで戦いました。ももの骨が折れても、一晩中手を離すことはありませんでした。それはどういうことですか。ももの骨を打たれなければなりません。ももの骨を誤って用いたことが淫乱いんらんではありませんか。それゆえ、我々統一教会では、結婚をしたあとで蕩減棒儀式をするのです。蕩減棒儀式とは何でしょうか。どこを打つことですか。腰を打つことです。この腰を誤って用いたのではありませんか。この聡明そうめいな文総裁がどうしてそのようなことをするのでしょうか。しかし、仕方がないのです。
(214-225, 1991.2.2)
昔、天使長がエバを誘惑したのとは反対に女性がしゅうとを誘惑し、天命を懸けてアブラハムの理想を相続するために、自分の身は肥やしとなり、今、石で打たれて死んだとしても・・・。その当時ユダヤの法は、寡婦が子をはらむと石で打たれて死ぬというものでしたが、それを覚悟の上でした。どういうことか分かりますか。「ユダヤの血統を残すことが私の願いであり、そのためにはこうするしかない。殺すなら殺しなさい」という志を立て、死を覚悟して進んでいったのです。祭物的死を覚悟し、決断して勇み立ったタマルのこの役事は、驚くべき女性の役事となったのです。
(110-35, 1980.11.8)
エス様の先祖が、そこから生まれたのです。これは驚くべき事件なのです。これを考えると、堕落論を否定することはできません。なぜハナニムがこのような摂理をしなければならないのでしょうか。人類は腹中から汚れたので、腹中から入れ替える転換点を立てなければならないので、タマルがそのような悲運の運命の中に立ったのです。
(110-35, 1980.11.8)
さあ、歴史始まって以来、初めて兄と弟が腹中で入れ替わるということが起こったのです。ユダの時になってタマルという不法的な行動をした女性により、初めて歴史が正されたという事実を私たちは知りました。


このようなタマルの勝利の伝統を受け継ぎ、信じて進む人にはサタンが侵犯できないという起源が、ここから始まるのです。タマルのような心情的歴史的伝統を受け継ぎ、ユダの支派の伝統を受け継いで信じて進む人には、サタンが侵犯できないのです。入れ替えられたことを中心として、伝統が受け継がれてきたのです。
(72-139, 1974.6.2)
タマルという女性は、ハナニムの血統、すなわち祝福というものを重要視した人物です。血統を受け継ぐためには、どんな冒険でもするという歴史的な代表の女性です。これは、どんな位置と同じかというと、エバの位置と同じです。エバは人類の母としてハナニムの直系の伝統を受け継ぐべきであったにもかかわらず、これをないがしろにして破綻はたんさせたのです。
それを復帰するためには、エバの上を行く女性が出てこなければならないのです。死んで滅びることをものともせずに、ひたすらハナニムの祝福を受ける血統の代を残すことを、自分の生命よりも価値あるものと考える女性が出てこなければならないのです。そのような女性がタマルです。
(58-53, 1972.6.6)
ユダはタマルの舅でしたが、父の立場にありました。父と嫁が一つとなることにより、彼女は妊娠しました。結局タマルは、舅によって息子を妊娠したのです。創世記第38章を見ると、ユダには3人の息子があり、タマルはその長男の妻でした。彼女の夫は死に、このような場合、ユダヤ民族の慣習ではその二男によって息子を生まなければならないのですが、二男も死に、三男は幼すぎました。それでタマルは、ハナニムの復帰してきた血統を継承することが何よりも重要であり、必要なことだと思い、舅ユダによって子を妊娠するという最後の手段を使わざるを得なかったのです。
その時、彼女は誇りも捨て、生命までも投げ出す覚悟をしました。彼女は、遊女の衣をまとい、舅が通る道端に座り、農場に行くユダを誘惑して関係を結んだのです。
(55-114, 1972.4.1)
タマルは、舅と血縁関係を結ぶために生命を投げ出しました。今すぐにでも石で打たれて死ぬかもしれず、二つの家門がすべて打ち殺されるかもしれないというものでした。タマルはそのような状況の中で、自分の体面と威信を捨てたのです。自分の夫が死んで夫の弟を迎えたのですが、その弟も死にました。ところが三男は幼くて、彼によっては天の祝福を受けた血統の代を受け継ぐことはできませんでした。そのような立場でタマルは、自分の威信と体面を捨て、生命を犠牲にしてでも天の祝福を受けた代を残さなければならないと誓ったのです。タマルのその心、それが貴いのです。
(47-124, 1971.8.22)
エサウヤコブのときを考えてみると、リベカの腹中から闘ったのですが、先に生まれたエサウはサタン側です。ヤコブは、生まれてから長子の嗣業しぎょうを奪ったのです。ところがペレツとゼラは、タマルの腹中で闘い、ペレツが長子の嗣業を奪い返したのです。母の腹中は息子、娘の生まれる根本ですが、その根本から入れ替えられたのです。生まれてから入れ替えたのではなく、腹中から入れ替えられたのです。
(43-199, 1971.4.30)


腹中で入れ替えられて先に生まれた息子に向かってサタンは、「お前は私の息子だ」と言うことはできないのです。腹中で入れ替えられずに先に生まれたならばサタン側ですが、腹中で入れ替えられて先に生まれたならば天の側なのです。タマルの腹中で闘ってペレツがゼラを押し退けて生まれたので、長子の嗣業を奪ったのです。ですから、生まれつき長子なのです。ペレツは必然的に次子となるべきであるにもかかわらず、長子の立場で生まれたので、善が先に生まれたということができます。
(43-199, 1971.4.30)
天の祝福が貴いものなので、天の選民思想を残すことは重要なことです。それゆえその血統を受け継がなければならないのですが、自分の夫は死に、夫の兄弟がいないというのです。ユダヤの風習では兄が死ねば弟が兄嫁をめとらなければならないのですが、弟は死んでいないのです。それで血統を受け継ぐために、仕方なく遊女の衣をまとい、舅を欺いて子をはらんだのです。どういうことか分かりますか。サタンの世界に行って奪ってこなければなりません。
それゆえ、舅は夫の代わりであり、兄の代わりであり、父の代わりです。そのような立場に立てて長子権を・・・。アブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ、4代すべての祝福を受け継ぐために、タマルは生命を懸けて断行したのです。
(227-347, 1992.2.16)
サタンがどこに子の種をいたかというと、子宮に蒔きました。それゆえ、ペレツとゼラも双子として生まれたのです。一つの腹中に二つの種が蒔かれたのです。ですから双子なのです。タマルの腹中から生まれる二人の子がペレツとゼラなのですが、その兄が先に出てこようと手を出したときに赤い糸を結んだのです。これはのちに、再臨の主の時に、共産主義世界から全権を代表した独裁者が先に現れることを意味するものです。それで第二次大戦時代には、ヒトラーのような独裁者が現れ、ソ連にはスターリンのような人物が現れたのです。
スターリンは、1953年に死にました。その時から中国とソ連が分かれたのです。先生が獄中から解放されて出てから3年目に死んだのです。歴史はすべて、偶然ではありません。
(227-349, 1992.2.16)

 

 

③ イエスの路程におけるマリヤの使命

タマルは複数の男性を経て息子を生んだので、駄目なのです。ですから養子です。それゆえ、タマルのそのような志操を受け継ぎ、処女の身で精誠を尽くし、ハナニムの前に召命を受け得る女性がいなければなりません。そのような処女がいなければなりません。その処女がマリヤなのです。
(43-201, 1971.4.30)


マリヤはその時代において、自分の命を懸けてハナニムのみ旨を誰よりも一生懸命追求する女性でした。あたかもタマルのような志操と忠節を尽くし、貴い天の血統を残すためにはいかなる冒険も強行できる大胆な立場に立っていた女性が、すなわちマリヤでした。
天使ガブリエルが現れ、マリヤに遠からず懐妊するであろうと予告したとき、マリヤは、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」(ルカ1:34)と答えました。天使が再び、「神には、なんでもできないことはありません」(同1:37)と言うと、マリヤは、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(同1:38)と答えたのでした。
(35-222, 1970.10.19)
エス様は、どのようにして生まれたのでしょうか。イエス様は、血統を清めてこられました。兄弟から生まれ、双子時代を経て、エサウヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中で、ペレツとゼラの歴史に例を見ない熾烈しれつな闘いを通してひっくり返し、順序を変えて、血統転換を子宮からしたのです。
先に出る兄を押し退けて出てきたので、ペレツと名づけられました。兄ゼラを押し退けて先に出てきたということです。タマルの腹中から兄ゼラの手が出てきたとき、産婆が赤い糸を手に結んだのは、今後この世界の継承者が現れるとき、共産主義が先に現れるということ予示したのです。これを退けて長子権復帰ができなければ、世界が統一されないのです。
(140-149, 1986.2.9)
タマルのような立場にあったのが、ヨセフの婚約者マリヤです。マリヤも母を欺き、父を欺きました。そして自分の夫ヨセフを欺いて子を妊娠しました。アダムとエバがそうして堕落したので、蕩減とうげん復帰原則がそうなっているのです。婚約時代に天倫に背いたので、マリヤはタマルの伝統を受け継ぎ、子宮にハナニムの伝統的歴史を受け継がなければならないのです。ハナニムの祝福を受けた血統を尊重するマリヤは、自分の生死を越えて、自分が死んだとしてもそうしなければならなかったのです。ユダヤの法では、処女が妊娠すれば石で打たれて殺されることになっていました。そうでしょう。女性はみな、生命を捧げる覚悟をしなければならないのです。
(211-101, 1990.12.29)
ヨセフと婚約をしたマリヤという女性は、エバと全く同じです。アダムとエバが堕落したとき、どのような立場にいたかというと、婚約した立場にいたのです。アダムとエバが婚約した段階で堕落したのと同じなので、それを蕩減復帰するためにはリベカの伝統を受け継ぎ、タマルの伝統を受け継がなければなりません。そうして血統を清めた女性を代表した基準において、それを相続し得る位置に立った人物がマリヤだったのです。
(139-303, 1986.1.31)


蕩減復帰原則によってこのように欺いたマリヤは、その時代の法からすれば石で打たれて死ななければなりません。石で打たれて死ななければならないのに、妊娠したイエス様を殺すわけにはいかないので、天がヨセフに、「ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは御霊みたまによるのである」(マタイ1:20)と伝え、ヨセフは仕方なくマリヤを迎えたのです。
(139-305, 1986.1.31)
天使長の血を受け継いだので、天使長と同じような人物を通してイエス様を懐妊させたのです。聖神聖霊)によって身ごもったというのですか。そのようなばかげたことは、もう終わりにしなさいというのです。蕩減復帰原則がそうなっているのです。ハナニムが特別に愛する天の側で、100パーセント永遠に変わらない天の側の忠臣になり得る天使長のような人物を立てれば、サタンが天使長の位置から去っていくのです。
ですから、天使長級の天の側の人物を通してイエス様を生んだのです。このようにしてイエス様は、長子として生まれたのです。堕落した長子権から新しい血統へと清められ、天の側の長子権として生まれたのです。それゆえ、イエス様を信じる人がハナニムを中心としてハナニムの愛に接することになるので、その血統はサタンとは異なるのです。
(143-104, 1986.3.16)
ヨセフとマリヤが婚約したのは、アダムとエバが婚約段階にいたのと同じ立場です。それでハナニムは、婚約した関係にいるマリヤとヨセフの間からマリヤを奪わなければならなかったのです。ハナニムがマリヤを奪わなければならないのは、失ったエバを復帰するためです。それでヨセフは、誰の立場ですか、天使長の立場です。ヨセフは元来、アダムの立場に立たなければならないのです。
では、どうしてヨセフが天使長の立場ですか。堕落した子孫なので、種が違うからです。すなわち、根が違うというのです。ヨセフは堕落の種をもっているというのです。それゆえ、これをひっくり返すには否定しなければなりません。それではその種は、どこから出てこなければなりませんか。ハナニムから出てこなければなりません。
(36-245, 1970.12.6)
堕落した世界において、アダムのような立場にある人が、初めて成熟して、天側の天使長の立場に立ち得る代表者になり、天側の天使長の種を受け継いで、本然の種以上の立場に上がってこそ、ハナニムの直系の子女が生まれるのです。ですからイエス様のお父さんは誰ですか。お父さんが違うのです。ヨセフではありません。天側の天使長圏ですが、堕落した天使ではありません。
だからといって、ハナニムが来て赤ちゃんを生んでくれたわけではありません。サタンは天使長でしょう。天側で忠臣になることのできる、堕落した天使長以上の天使長格でなければなりません。サタンが讒訴ざんそできる位置ではありません。サタンが讒訴できない、心情圏を継ぎ、ハナニムの息子の権威を受け継いでくるのがメシヤだというのです。複雑だというのです。それで、初めてこの地上にハナニムの初愛を受けた長男が生まれたのです。
(169-194, 1987.10.31)


エス様が歴史的な背後のもつれたすべてを蕩減することができる過程を経ていくためには、母の絶対的な支持が必要でした。ガリラヤのカナの親戚しんせきの婚礼で、イエス様の母がぶどう酒がなくなったと言った時、イエス様が「婦人よ、あなたは、わたしと、なんのかかわりがありますか」(ヨハネ2:4)と言ったのは気分が良くて言った言葉でしょうか。「親戚の婚礼で何をばかげたことを言っているのだ。母としてすべきこともせずに・・・。」とはねつけたのです。それが分かりますか。
(139-307, 1986.1.31)
エス様は公的に立った人物なので、公的なすべての規約、天法に従って結婚するようになっているのであって、適当に出会って生活する男性と女性のようなわけにはいかないのです。歴史の方向に照準を合わせ、その摂理の時代に照準を合わせなければなりません。蕩減復帰のためには、それが絶対に必要なのです。それが合わないがゆえに、イエス様は結婚できなかったのです。
(139-307, 1986.1.31)
万王の王権をもってくるイエス様は、どのように来られましたか。血統を転換させ、勝利的な伝統を受け継いで来ました。それゆえ、マリヤが懐妊しても、サタンは「それは私の息子だ」と言うことができないのです。
タマルの心情的伝統を受け継いだ歴史的な基準の上に、国家的次元でマリヤが懐妊したので、エバの過ちを蕩減復帰したのです。それと同時に、歴史的願いである女性の行くべき道の前に結実の場に立って血統転換、長子復帰完成基準の心情圏の上で懐妊したので、腹中からサタンが自分の息子だと主張することができないのです。
タマルにおいてペレツは、生まれてから天の長子として主張することができるのであり、腹中では主張することができなかったのです。
(139-309, 1986.1.31)
エス様が、仏教の釈迦牟尼しゃかむに儒教孔子イスラームイスラム教)のムハンマドマホメット)のような方と違うところは、どこでしょうか。血統を清めて来られた方は、歴史上、イエス様しかありません。そこが違うのです。釈迦牟尼とイエス様のどこが違いますか。孔子とどこが違いますか。ムハンマドとはどこが違いますか。イエス様が彼らと違うところは、血統を清めて来られたということです。それがメシヤの特権です。そこが違うのです。
歴史始まって以来、このような役事が展開されることによって、イスラエルの国に初めてイエス様を中心としたキリスト教の出発がなされたのです。こうしてまことの父の立場に立つのです。
(169-194, 1987.10.31)
エス様は万民に対して、このように宣布しました。「誰よりもわたしを愛しなさい」。「誰よりも」というのは、堕落した世の中を意味するものです。堕落した世の圏内は、堕落した愛の基準のもとにあるということです。その基準を越えなければなりません。
ですから集約すれば、家庭を中心とした自分の母、父よりもハナニムを愛するべきであり、本然の父母であるメシヤのために生きるべきであり、自分の妻や夫よりもイエス様を愛するべきなのです。それはどういうことでしょうか。蕩減復帰原則において、サタン側の愛を凌駕りょうができる愛が、初めて出発できる基準を立てて宣布したということです。
(144-58, 1986.4.8)


祝福というのは、男性と女性の二人が出会うことではありません。イエス様はザカリヤの家庭、ザカリヤの族属、ザカリヤの一族の者とヨセフの一族の者、二つの家門、カイン、アベルの関係にある宗族的基盤の上に立たなければなりません。これが、イエス様の結婚の立場です。ところが、これができずに死にました。それゆえ、これを蕩減復帰するためのものが祝福です。イエス様とヨセフの家庭は、アベルの位置を意味します。そしてザカリヤの家庭は、カインの位置を意味します。
(146-342, 1986.8.10)
エス様と洗礼ヨハネとの関係は、カインとアベルのような関係です。イエス様と洗礼ヨハネとは兄弟です。明らかにされていませんが兄弟です。洗礼ヨハネは最初の妻から生まれ、イエス様は2番目の妻から生まれました。
最初の妻から生まれてはいけません。それゆえ終末には淫乱いんらん蔓延まんえんするのです。女性が身を売るという風潮が広がるのです。女性を解放しなければなりません。最初の夫では駄目なのです。終末には放蕩ほうとうな女、淫女いんじょ娼婦しょうふを通して偉大な人物が生まれるのです。どういう意味か分かりますか。めかけは堕落した世界から愛を奪ってくるのです。
ですから今日、本妻であれ何であれ、めかけが逆に勢力をもつような時代になってきているのです。なぜそうなのでしょうか。最初のものはカイン側の愛であり、2番目のものは天の側の愛なので、2番目のものを通して役事するのです。それゆえヨセフといった人物もイエス様も、2番目です。分かりましたか。
(169-194, 1987.10.31)

 

2) 真のお父様の歴史的蕩減路程

 

① 蕩減路程を行く人の心構え

私が40年前に、「40年後には、これこれこういう時が来る」と言いました。その時は本当に小さな存在でした。服がなくて、あわせズボンも大切に表地と裏地を別々に青く染めてはき、上着がないので米軍の青い作業服を着て、靴は運動靴、その運動靴も日本人がくれたものでした。そのように3ヵ国の服を着て歩いたのです。そのような身なりで歩きながらも、「これはみな蕩減とうげん復帰のためだ。蕩減復帰するためにアメリカのぼろ、韓国のぼろ、日本のぼろを私が着て歩くのだ」と言ったものです。それは、どれほど素晴らしいことでしょうか。
(164-61, 1987.5.3)
私たちの教会は、蕩減復帰の道を歩んできました。蕩減復帰をするために事情の多い道を経て、先生は今までこれほどの基盤を築いてきました。滅びることなく、サタンに鼻を引っ掛けられて釣られることなく残りました。この基盤は、誰のために築いたものでしょうか。自分のために築いたものではありません。


人類のために築いたものです。これを統一教会のものとして残してはいけません。人類のためのものです。統一教会は、今後なくならなければなりません。一つの主権の中に入っていかなければなりません。それが、すべての宗教の望むところです。
(161-86, 1987.1.2)
イスラエル勝利圏の出発者ヤコブからキリスト教文化圏まで、4000年基盤を築いてきたものが失敗したのを、レバレンド・ムーン1代の40年間で、どんな辱めを受けても、これを元に戻し蕩減復帰しなければなりません。それが40年荒野路程でした。
(149-59, 1986.11.2)
イスラエルの歴史は、ヤコブからイエス様を経て今まで4000年の歴史です。この4000年の歴史を40年で蕩減復帰できなければ流れてしまうのです。すべて壊れてしまうのです。
4000年の歴史を40年に圧縮して、すべてを蕩減しなければなりません。ですから、全世界が反対するのです。一つの国も例外があってはなりません。それはユダヤ教から、キリスト教から、アメリカから、共産党まで、すべてが先生に反対したのです。
(148-288, 1986.10.25)
イスラエルの路程は、蕩減復帰路程です。モーセに従っていけばよいのです。しかしモーセは、60万の生死の圏に責任を取って天と地を抱いて倒れたのです。モーセシナイ山で40昼夜を徹夜断食しながら石板を受けようとしたことは、どれほど悲痛な事実でしょうか。
モーセが安楽な立場にあったでしょうか。あなた方は何ですか。今までやくざのような格好をして・・・。大家たいけに来て暮らしながらも、その大家の歴史も知らず、何をするのかも知らずに、何も知らずに気兼ねしながら飯を食い、人目ばかり気にしてきたのです。みな恥ずかしい事実を知らなければなりません。
(140-197, 1986.2.9)
荒っぽい人を見ると、足も大きく手も大きいのですが、先生の手足を見ると、苦労をしないかただというのです。このように貴い体をもって生まれた方が苦労をしてはならないというのです。自分で考えても、苦労をしてはならない方が苦労をしたという事実がおかしいのです。それは蕩減復帰を知らないからです。
(140-186, 1986.2.9)
皆さんは偽物です。偽物、偽物なのです。本物になることは易しいことではありません。溶鉱炉に何百回も出たり入ったりしなければならないことを知らなければなりません。蕩減復帰、心情圏の復帰のために自分の息子、娘を刑場に送る父親となるとき、涙なしにはできないのです。アブラハムもそうでした。天理の大道たいどうを切り開き、ハナニムのために、ハナニムを愛の圏の中に解放するためには、このまま座っていてはならないのです。
今日このような位置を備えたのも、偶然にそうなったのではありません。血の涙の出るような、血の涙が凝り固まってたまるような、そのような過程を経て統一教会の基盤が築かれたのです。その基盤を知れば涙なしに座ることはできず、痛悔つうかいの念なしには座ることができないという事実を知らなければなりません。
(169-131, 1987.10.29)


私は一生の間苦労してきましたが、私は豪華な高い位置で歴史を蕩減していこうというのではありません。私が享受できる福をあとに残しておいて、皆さんの苦労と共に先生も高く上がっていく、そのような民族的な尊敬心も皆さんと同じ立場で・・・。国家の解放とともに歓喜の1日を望むのが先生の希望だということを知らなければなりません。
(181-66, 1988.8.28)
監獄に入る人はみな、監獄に入るときから絶望と落胆の思いをもちますが、ここに立っているこの人は、監獄生活のあとにやってくる結果はどんなものであろうか、ということに相当な関心をもちます。皆さんは蕩減復帰を学んだので分かると思います。この峠を越えれば何が起こるか、今、受けている苦痛が問題ではなく、その苦痛のあとに来る新しい歴史的な一つのプレゼントが何であろうかということを、いつも考えていたことが今も記憶に新しいのです。
(133-300, 1985.1.1)
責任分担を完遂できなかった私たちの先祖の罪により、サタンの愛の領域が天国の門前の境界線まで連結し、死亡の深いふちが生じたのです。それで先生は、世界から反対を受けながら国家基準を越えて蕩減復帰路程を行くのです。こうしてアメリカが民主主義世界のキリスト教文化圏を中心として本来の水平線、直接主管圏と完全に一つとなった位置で、世界的蕩減条件を立てた基台の上でカイン、アベルが蕩減復帰してきたのです。
(137-249, 1986.1.3)
蕩減復帰の道は厳粛なものです。間違いなく40年間に失ったものを取り戻してくるのです。40年前にキリスト教アメリカが一つとなり、韓国を抱いて統一教会を支援したならば、世界復帰は7年以内で、終わったでしょう。今日このような問題を40年かけて、ヤコブから再臨時代までの4000年の再蕩減歴史を40年間かけて家庭を引っ張って蕩減復帰し・・・。
監獄に入ってでもありとあらゆる苦労をし、これを一つにして清算しなければならないという使命、召命を受けたがゆえに、先生は生命を投げ出してその道のために闘ってきたのです。そのような歴史路程に、この者たち、自分のことだけあれこれ考えては自分勝手に遊んでこのようになったのです。悔い改めなさいというのです。今からそのような人とは、私は会いません。これからは法で治めます。
(137-38, 1986.1.1)
蕩減の道を歩みながら不平を言ったとするならば、既に消え去っていたでしょう。蕩減復帰の道がどのようなものか、私がよく知っているからです。蕩減の道においては、世界的な迫害を受けなければなりません。
万民が個人的立場から、世界50億の人間が1対1ですべて反対する立場で、私が敗者にならないためには、その反対する50億の個人以上のことをすべて成すという度胸をもたなければならないのです。そうでなければできません。
(138-134, 1986.1.19)


第二次大戦直後に、世界はすべて長子権復帰することができたはずでした。キリスト教統一教会ムン先生と一つになっていたならば、今日のような40年の歴史は生じませんでした。共産主義は既になくなっていたはずです。先生の言うことさえ聞いていたならば、韓国が分断されることはありませんでした。キリスト教を中心として神霊的な団体が、すべて私の言うことを聞いていたならば分断されなかったのです。
ところがエデンの園を復帰するために準備されたすべての団体がこの世的な考えをもつことによって、洗礼ヨハネのような運命へと流れていってしまったのです。そうして解放以後、統一教会が反対を受けることによって、これを再び収拾するために、キリスト教の2000年歴史、ヤコブからの4000年の歴史を繰り返すということを、40年間で蕩減復帰してきたのです。
(138-214, 1986.1.21)
先生は、一人で蕩減復帰するのです。この世は知らないのです。こうして個人復帰、家庭復帰、このことをしてきたのです。サタン世界がいたとおりに実ったのですが、この実った世界にメシヤが来て、これを再び救わなければ救う道がありません。
解放直後、先生と一つとなりさえしたならば、7年路程を中心として一時に個人カイン、家庭カイン、宗族カイン、民族カイン、国家カイン、世界カイン、全体カインを蕩減復帰することができたのに、信じなかったので40年延長されたのです。
(138-216, 1986.1.21)
先生がキリスト教アメリカ、韓国の反対を受けることでどのような立場に立ったかというと、国のない一人の人になったのです。国がないのです。国がないと同時に民族もなく、宗族もなく、家庭もない孤児のような立場に落ちてしまったのです。
ここから40年の間に取り戻して、国家的、世界的霊的版図基盤の上に立たなければなりませんでした。しかし、霊的版図だけではいけません。霊的版図基盤をキリスト教文化圏から引き継ぎ、国家基準の実体文化圏を再び取り戻し、その基盤の上に世界の実体キリスト教文化圏をすべて蕩減復帰しなければならないのです。
(143-176, 1986.3.18)
イスラエルの歴史は、ヤコブの時代から始まりました。イスラエルという勝利した伝統的な歴史を世界的勝利の基盤に、キリスト教文化圏を通して統一圏がつくられていたのに、これが反対することによって分かれたので、4000年を40年で再び蕩減復帰しなければなりません。
もしこれを40年でなすことができなければ問題は大きくなります。この40年間が歴史上、大変遷の時代なのです。ですから、サタンが最も脅威を感じていた第二次大戦の直後に、サタンが全面的に後退するはずだったのですが、すべてがサタン側に立つことによって天が全面的に後退し、サタンが世界を全面的に支配し、天の側の統一教会を責め立て始めたのです。
(161-220, 1987.2.15)


しもべしもべから始めるこれは、内的蕩減分別路程なのです。サタン世界のすべての縦的な蕩減条件をすべて立てれば、サタンが攻撃しようとしても攻撃する条件がないのです。ですから先生自身が僕の僕からしもべに、僕から養子に、養子から庶子へと、このように蕩減復帰してきたのです。その次は、息子復帰、母復帰をしなければならず、アダム復帰をしなければなりません。男性として最高の位置に上がり、女性として最高の位置に上がったという条件を立てて初めて父母の位置に上がるのであり、ただ上がっていくのではありません。内的蕩減条件、これを確実にしなければなりません。
(161-208, 1987.2.4)
復帰のためには、人がどんな干渉をしたとしても、自分自身の確固とした主体性をもって進まなければなりません。人がどんな道を行こうと、私の行く道は忙しいのです。横からどんなことを言われても、そこに神経を遣っている暇はありません。夜寝る時間がありません。落ち着いて、楽に座って食事をする余裕もありません。そのような切迫した心情をもたなければ復帰の道を行くことはできません。
(22-211, 1969.2.4)
先生は、何十、何百、何千、何万にもなる生死の境界線を見つめながら、サタンと対決してきました。言葉では言い表せない難しい環境が、波のように何度も押し寄せてきても、先生が立てた基準は変わりません。足が折れても、目玉が落ちても、首が飛んでも、出発する時の心情基準から離脱しません。したがって、死ななければ勝利します。
(22-184, 1969.2.2)
先生は、生涯、命懸けで闘ってきました。この世なら苦痛を避けて通ることができますが、これを避けることもできません。腕力や暴力をもってできることではありません。原理原則に従ってなさなければ、四方から押し寄せる矢を避けることができません。このような闘いは、ハナニムが天地を創造されることよりも、もっと困難なことではないかと思われます。そのようなことをしながらも蕩減条件を立て、内的な基盤を築いてきたということは、皆さんは夢にも考えることができないでしょう。そのような基盤を礎にして転換点を築いたということは、天宙的な勝利だということができます。
(35-166, 1970.10.13)
私が今、死んだならば、私のようにハナニムを愛し、私のように人類を愛する人がこの地にいるだろうかという懸念が先立ちます。そのような意味で私が長生きしなければならないのです。先生は、皆さんの中からそのような人が早く出てくればどんなに良いかという目で、皆さんを見つめているということを知らなければなりません。ハナニムがこのレバレンド・ムーンに祝福してくださるとすれば、ハナニムが私にそのような人を下さることが一番のプレゼントであり、祝福であると考えるのです。今まで不信され苦難を受けてこられたハナニムを、先生以上に愛し、先生以上に人類を解放するために努力するという人がこの時間に現れるならば、きょうは栄光の日なのです。
(92-293, 1977.4.18)


ある霊通人が、文先生が偽物か本物か祈祷していて痛哭つうこくしたのです。我知らず痛哭するのです。1日、2日、毎日痛哭するのです。どうしてでしょうか。文先生を知るには痛哭する心情を知らなければなりません。それを知らずには文先生が分からないのです。誰かが私に向かって一言言ったならば、私は千年のハンを抱いて痛哭できる事情をもっているということを誰が知っているでしょうか。私がハナニムを知らなかったならば、それほど悪口を言われることはありません。
ハナニムをあまりにも知っているという罪によって・・・。私だけを信じるしかないハナニムがどれほどかわいそうでしょうか。2000年間のもつれた歴史を、20年間で蕩減復帰しなければならないのです。ですから容易でしょうか。容易に言うことができるでしょうか。
(137-183, 1986.1.1)
蕩減原則をもって、歴史時代にハナニムが悲しまれたすべての事情と苦痛を解いてさしあげなければならないのです。そうしてこそ、子供が、過ちを犯してハナニムを苦労させた不孝者だということを知り、父母に仕えるにおいて不孝をした以上に、孝行の限りを尽くせるまことの孝行息子となるのではないかということです。
それゆえハナニムに仕えるにおいて自分のすべてを犠牲にして、御苦労される父母様の労苦を、歴史時代にどれほど苦労されたかを知らなければなりません。1歩1歩少しずつこのように清算できる時代になったので、ハナニムに侍り、皆さんが今からでもハナニムの苦労を代わりに背負い、ハナニムを解怨かいおん成就してさしあげなければなりません。
(144-274, 1986.4.25)
救世主は、いったい何をしに来られるのでしょうか。政治をするために来られるお方ではありません。今日キリスト教でいうには、主が来ればすべて空中に上げられ、自分たちは連なって引き上げられ、地上の人々はみな・・・。違います。そうではありません。審判するというのですが、救世主は審判しに来られるお方ではありません。その方はハナニムの息子、娘であると同時に、人類の父母として来られるのです。
人類の父母として父母の心をもって来られるお方が病気で死にそうになって呻吟しんぎんしている息子、娘を見て、「お前は、あの地獄に行け」と突き放すことができるでしょうか。
堕落したこの世の父母でも、自分の子が死んでいく悲惨な姿を見れば、のどを詰まらせ痛哭つうこくして、自分の生命を失ったとしても、子を生かすためならどんなことでもしたいという気持ちが先立つのです。それが父母であるのに、本然の父母の心情をもって来られる救世主はいかばかりでしょうか。審判ということは考えられないのです。そうではありませんか。
(222-150, 1991.11.3)
さあ、先生とハナニムが会うとしたら、笑って会うでしょうか、痛哭して会うでしょうか。考えてみてください。私が思うには、昏睡こんすい状態に陥ると考えられます。涙を流すとすれば体面があり、死ぬとすれば体面があるからです。体面がありません。40年の生涯を懸けてやりますと言いましたが、誇るものは一つもありません。恥ずかしいばかりです。そのように思うのです。
(193-77, 1989.8.20)


統一教会の文先生という人が現れたので、幸いです。人間の150万年という歴史的な恨がもつれ、絡み合ったものを元に戻すために、どれほど苦労したか知れません。限りなく転がっていくこの歴史的な悲惨な姿を、天の前に戻すための道を、誰が切り開くかということが問題です。
統一教会の何年かの歴史の上に数千年の歴史が展開され、数十万年の歴史が背後で、かみ合って動くのです。悲しみの歴史を、統一教会が蕩減の悲運を負って取り戻してきたということを忘れてはなりません。
(143-36, 1986.3.15)
私がこの地に人間として生まれ、本然の地上の万物をハナニムのように愛し、動物をハナニムのように愛し、人間をハナニムのように愛したがゆえにハナニムの愛の相対になったのです。ハナニムから出発したのでハナニムに帰るのです。ハナニムは皆さんが生きている間に、何億万倍も素晴らしくなることを願っていらっしゃいます。それゆえご自身よりも素晴らしい息子となって帰ってくることを願っていらっしゃるという事実なのです。
(268-291, 1995.4.3)
先生の名前には興味深いものがあります。「文」という字をこのように早く書けば、父という字になります。そして「ソン」という字は羊と魚を意味します。このように父を中心として陸地と海を合わせたものなのです。次に「ミョン」は日と月です。
海を一つにし、陸地を一つにする、カインとアベルを一つにする統一的真理を教え、日と月が一つとなる統一的真理を教えてくれる方とは誰かというと、ハナニムだというのです。ハナニムは知恵の王です。知恵の王であると同時に、ハナニムは父母なのです。
(268-289, 1995.4.3)

 

 

② 真のお母様を選ぶこと

キリスト教を通して2000年の間再臨主が来れるようにしたがゆえに、キリスト教文化圏を中心として、第二次大戦直後にキリスト教アメリカを中心とした勝利的基盤の上に先生が立ったならば、先生が苦労をしたでしょうか。その当時に先生を受け入れたならば、オモニは誰になっていたでしょうか。聖進ソンヂン様のオモニが駄目ならば誰がなったでしょうか。イギリスの女性です。
み旨からしてイギリスの女性です。イギリスの王宮が先生と関係を結ぶのです。そこは、キリスト教文化圏ではありませんか。アメリカは、イギリスが生んだのです。ですから博士(注:李承晩イスンマン)がなぜ西洋の女性を妻にしたかというと、そのような象徴的な意味があったのです。それゆえ、キリスト教が反対することによって、オモニが福を得たのです。
(181-217, 1988.10.3)
エバ復帰のために、7数を蕩減とうげん復帰しなければなりません。オモニを1960年代に立てて1968年まで7年路程を経て「神の日」を定めるまで、オモニは迫害の時代に入ったのです。それで統一教会の女性たちはみなオモニを虐待して、あらゆる謀略中傷をする期間なのです。そのことをオモニは知らないので、お父様の言葉に絶対服従してこそ越えることができるのです。


それで、「ああしてこうして私の言うとおりにしなさい」と。ですから聖婚式ののち3年間は外に追い出して、3年を経てから先生と一緒に部屋の中に入ったのです。これはすべて事実です。我々統一教会員はそれが分かりますね。蕩減です、蕩減。個人蕩減路程、家庭蕩減路程を経てくるのです。
(139-296, 1986.1.31)
「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てて「神の日」まで・・・。1960年度から7年路程を経て、1968年に心情一致圏を中心とした「神の日」を定めることができるようになったのです。オモニも長成期完成級から完成期完成級まで7年路程が残っているのです。そうしなければ心情圏が同じにならないのです。それゆえ先生は1960年に結婚しましたが、7年を経て1968年の1月1日に「神の日」を定めたのです。原理的なのです。
7年路程は、誰にもみなあるのです。祝福家庭も7年路程を行かなければなりません。例外はありません。7年路程をみな行かなければなりません。祝福家庭が7年路程を行くことができなければ、天国には入ることができません。統一教会に家庭楽園級が生じるのです。すべてが理論的なのです。
(139-311, 1986.1.31)
オモニを迎えたのは解放後14年目のことでした。1960年度です。なぜ14年なのでしょうか。人間始祖が長成期完成級で堕落したので2次の7年路程を経るという立場で、すなわち第3次7年路程を前にして第2次7年路程の終結時代に堕落したからです。ですから蕩減復帰原則によって14年の迫害の路程で韓国に着陸して、統一教会という祭壇をつくり、既成教会と大韓民国と闘いながらオモニを選んで立てたのです。オモニを立てたところから、初めて地上に着陸したのです。
(143-178, 1986.3.18)
オモニは20歳を過ぎていてはならないのです。それはなぜでしょうか。アダムとエバティーンエージャーの時に堕落したからです。その時に堕落したので、オモニはそのような年齢でなければならないのです。どんなにもどかしいことでしょうか。この複雑な統一教会を動かすために、オモニを選ぶのに大学を出た博士のお嬢さんもぞろぞろいて、目をぎらぎら燃やして先生の相対になろうとありとあらゆる工作をしているのを眺めながら、何も知らないティーンエージャーの女性を探さなければならない運命も大変なものです。しかし、仕方がないのです。蕩減復帰の原則があるがゆえに勝手にはできないのです。
(145-161, 1986.5.1)
蕩減復帰の原則を知っているがゆえに、40になるまで青竹のように年を取らなければならなかったのです。そして年の多いお嫁さんをもらえるわけでもなく、18歳・・・18歳を超えてはならないのです。統一教会に大学を出た博士、学士がぞろぞろいて、目をむいて捕らえようとする、そのような女性の群れがおおかみのようにほえている所で、それにかまわず何も知らないオモニを迎えたのですから、どれほど大変なことになったでしょうか。
(164-61, 1987.5.3)


結婚してからは妻の母(注:洪順愛ホンスネ大母様テモニム)に、「3年間は絶対に正面の門から出入りしてはならない。母親だからといって訪ねてくるな。エデンの園エバには母親がいなかった。正門を通ってはならない」と言ったのです。こんなことがあってよいのでしょうか。この世から見れば、妻の母親の前で婿たる者が、「オモニの部屋に入るときは絶対に裏門から入らなければならない。正門から来てはならない、3年間」と言ったのです。それゆえ私が最も恐ろしいのです。見た目にはただ・・・。
(184-262, 1989.I.1)
オモニは、エバがアダムを通して造られたように、何も知らないところから来なければなりません。親戚しんせきが多くてはいけません。3代がついてくるようではいけないのです。縦的な基準において駄目なのです。正常ではいけないのです。今のオモニが、まさしくそのようなオモニです。そうではないですか。兄もなければ父親もなく、一人です。母と娘の二人しかいません。
また、そのオモニは、主に仕えるために精誠を尽くすことにおいては韓国の代表です。主が肉身をもって来られるといって、腹中教から従ってきた人々なのです。また、知ってみるとオモニは、そのようなあらゆるエバ的な責任を果たした韓国の歴史を代表するおばあさんたちから祝福を受けていたのです。
(184-293, 1989.1.1)

 

3) 8段階蕩減路程と八定式

 

① 縦横の8段階の蕩減復帰路程

6000年の歴史は個人から家庭、宗族、民族、国家、世界へと来た歴史なのです。統一教会は個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニムの愛復帰まで8段階を経るのです。祈祷するとき、8段階を中心としてするでしょう。「お父様、個人復帰完成し、家庭復帰完成し・・・」。
それがどういうことかというと、個人復帰完成は家庭の中にあり、家庭復帰完成は宗族の中に、宗族復帰完成は民族の中に、民族復帰完成は国家の中に、国家復帰完成は世界の中に、世界復帰完成は天宙の中に、天宙復帰完成はハナニムの愛の中にあるのです。すべてハナニムの愛を中心として天宙的に一つになれという意味なのです。
(61-75, 1972.8.27)
皆さんの体が、サタンの支配から逃れてハナニムと一つとなっていますか。自分を完全に否定しなければ、サタンに打ち勝つことができません。ですから苦労をしなさいというのです、3年半の間。乞食、しもべしもべから上がっていかなければなりません。縦的に僕の僕からしもべ、養子、庶子、直系子女、次には母、父、ハナニム、このように8段階です。また、個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニム、これも8段階です。


ですから縦的に8段階であり、横的に8段階です。それが原理観です。先生の言葉ではありません。
(189-141, 1989.4.1)

 

 

② サタンの活動と8段階の勝利

サタンが今まで歴史的に個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニム、この8段階を中心としてついて回るのは何でしょうか。「ハナニム、あなたは原則的な主人であり、ハナニムの息子、理想的なアダムとエバ、すなわちまことの父母というのは原則的な息子であり、その原則的な父が私を天使長としてつくったがゆえに、天使長の私が堕落する前にハナニムの愛とハナニムの息子の愛を受けられるというのが原則だった。そのように愛し尽くさなければ、あなたが原理的な父として原理的な息子を愛する立場に立つことができないのではないか」と言うのです。これが問題です。
私は堕落したが、あなたが私を愛してくれなければ私の所有を、本然のエデンでアダムの愛、ハナニムの愛の圏内で主管することのできたすべてのものを取り戻すことはできないということです。個人的には、ハナニムとアベルが一つとなり私を愛して、個人的な愛の条件をもって取り戻すことができるのであって、そうでなければ取り戻すことができないというのです。次に家庭もそうであり、宗族、民族、国家、世界もそのような立場にあり、天地もそのような立場にあると主張するのです。それが、サタンが私たちの胸ぐらをつかむ、何というか、首を絞める綱なのです。
(132-29, 1984.5.19)
統一教会の「原理」は一つの原則的な道ですが、その道を原理の道といって、そのまま入っていくことはできません。8段階を経ていくべき運命の道なのです。個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニムまで8段階です。8数は再出発数です。その次に再出発は出てこないのです。
(135-304, 1985.12.15)
歴史上数多くの苦難の道がありましたが、先生の歩んできたこの8段階の苦難の道は、歴史時代になかった道だという事実を知らなければなりません。だからといって困難さゆえに、「ハナニム、私はこの立場を耐え忍ぶことができません」と、涙を流してはならない蕩減とうげんの道であったということを知らなければなりません。天国へ行く人は、涙を流しながらその道を行ってはならないのです。涙を流すところを喜びをもっていける基盤ができていなければ、天国の足場は、この地上世界に残らないという天理原則があるのです。
(161-194, 1987.2.3)
蕩減復帰は、肯定の条件が少しでも残っていてはなされません。絶対否定の条件によって蕩減条件が立てられるのです。そのように絶対否定の基準が個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニムに至るまで立てられなければなりません。それで8段階が充足されれば、人類歴史の理想郷に連結されます。その段階ごとに必ず絶対否定の過程を経なければ、ハナニムと通じる理想郷を連結することができません。
(御旨と世界-697)


「その8段階というのはレバレンド・ムーンがつくったものだ。私には蕩減は必要ない」と言うかもしれませんが、とんでもないことです。人間の責任分担が事実ならば、人間の責任分担によってこのような形態の過程があるのです。堕落しなかったならば一度に、21年間自動的に越えるはずなのですが、このように壁で遮られているので一つ一つ処理しなければなりません。
サタンがいるがゆえに、一度に処理することができないのです。一つ一つ処理して代置だいちしていくしかないのです。堕落したがゆえにサタンが生じ、蕩減条件が生じたのです。その蕩減条件は、人間の責任分担があるがゆえに不可避な過程なのです。
(124-306, 1983.3.1)
復帰路程は個人復帰、家庭復帰、宗族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、天宙復帰、ハナニムの愛復帰まで、8段階を経なければならないのですが、一度にそうすることはできません。
アダムとエバが堕落しなかったならばそのまま完成したはずですが、これが歴史時代においてしもべしもべに落ちたがゆえに一度に上がることができないのです。それゆえ段階を開拓しながら続けていくこの過程には、過程ごとに必ず蕩減条件が必要だったのです。蕩減条件を立てることによってサタンが分立されます。サタンゆえに蕩減条件が必要なのであり、サタンがいなければ蕩減条件は必要ないのです。
(161-204, 1987.2.4)
個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙、ハナニムまでの8段階を上がっていくには、どのように行かなければならないのでしょうか。どこからこの中心的な茎を探し出すかというと、横に出て個人勝利をしなければならないのですが、心を中心として横に上がり、カインと闘って勝たなければなりません。このように8段階をカインと闘い、屈服させて上がっていくのです。なぜでしょうか。私にはサタンが付いているからなのです。これを知らなければなりません。
(181-211, 1988.10.3)
先生はこの世の天地の中で、このような蕩減法を知り、個人から愛の焦点を合わせて家庭的愛、宗族的愛、民族的愛、国家的愛の焦点を合わせてきました。そのたびにサタンがこれを撃破しようと、ありとあらゆることをするのです。それゆえ宗教は、迫害の道を行くのです。涙と血を流さなければなりません。一番高いところに上ってはならないのです。日陰にいなければならないのです。そこが安全地帯です。サタンは驕慢きょうまんなので、困難なところを嫌います。それゆえ、最も悲惨なところが安全地帯なのです。
(181-213, 1988.10.3)
アダムが個人の立場で堕落したのですが、彼は全体の中心なので、復帰は世界を中心としてしなければなりません。復帰するときには、一時に復帰することができません。一つ一つ復帰していかなければなりません。個人の位置を整備し、家庭的な環境と、宗族・民族・国家・世界・天宙的な環境まで整備をしなければなりません。すべて8段階を経るのです。


理想世界を求めていく人間は、必ずやこのような問題を解決してこそ愛の主体であるハナニムに出会うことができるのです。どこかがふさがっているならば、その基準以下では通じるかもしれませんが、それ以上の世界では通じません。それは絶対的なハナニムと一つとなる道を得ることができないのです。ある段階まで行けば、蘇生そせい圏と長成圏の霊界までは霊人の協助を受けることができますが、ハナニムと通じることは困難なのです。
(御旨と世界-697)
僕の僕からしもべ、養子、庶子、直系子女、母、父、ハナニムまで8段階です。8段階が残っているのです。きちんと分かっていなければなりません。統一教会の責任者となる前に、その国の僕にならなければなりません。そうしなければ解放の道がありません。僕の僕になり、養子の扱いを受けなければなりません。庶子の扱いを受けなければなりません。そして直系子女に・・・。こうして上がっていくのです。
この段階に上がるときは必ず蕩減がなければなりません。サタンと決闘してハナニムの公判による勝敗を決定しなければ蕩減路程を行くことができません。
家庭蕩減路程を歩まずに宗族蕩減路程を行くことができますか。とんでもないことです。宗族蕩減路程を歩まずに民族蕩減路程を行くことができ、民族蕩減路程を歩まずに国家蕩減路程を行くことができ、国家蕩減路程を歩まずに世界蕩減路程を行くことができ、世界蕩減路程を歩まずに天宙蕩減路程の道を行くことができるでしょうか。はっきり知っていなければなりません。
(181-213, 1988.10.3)
先生のことを言うと、個人アダムであると同時に家庭アダム、宗族アダム、民族アダム、国家・世界・天宙アダムの歴史を結び合わせてきたのです。僕の僕からずっと縦的に8段階を上がっていくのです。また8段階を上がるだけではなく、横的に個人、家庭、宗族、民族、世界まで、すべてを抱かなければならないのです。世界50億人類まで、世界まで縦横を中心として蕩減路程をすべて経て上がっていくことによって、サタンが讒訴ざんそすることのできない解放圏を成就するのです。その道は容易でしょうか。
(194-110, 1989.10.17)
今までの人類歴史は85万年と言われています。約85万年と見るのです。その期間、宗教運動は未開なところから迫害を受けてきたのです。
それでは、このような歴史は誰がそうさせるのでしょうか。ハナニムです。ハナニムなのですが、僕の僕から段階的に分かれてくるのです。それでは僕の僕の中では、僕が主人となるのです。主人が僕を使うのではなく、僕が主人を使うようになるのです。このように天国の僕の主人になるには、サタン世界をすべて合わせた僕の迫害を受けて勝利しなければなりません。
それゆえに死ぬ覚悟をしなければならないのです。それで死なんとする者は生きるという言葉が出てきたのです。僕の僕から僕の位置に上がり、次に僕から養子の位置へと上がるにも必ず迫害があるのです。ここも同じです。


7段階まで。ハナニムまで8段階です。それではこの迫害を誰が受けるというのでしょうか。人は変わりますが、ハナニムは変わることがありません。ですからこの世界の宗教の中には僕の僕の宗教、僕の宗教、養子の宗教、庶子の宗数、息子の宗教、母の宗教、父の宗教、真の父母の宗教があるのです。最後には父母の宗教が出てくるのです。終末には真の父母を中心とした真の父母の宗教が現れるのです。
統一教会が現れ、「宗教を統一する」という話をするのは、真の父母の内容をもった宗教の教理を通さなければそれが不可能なのです。
(124-69, 1983.1.23)

 

 

③ 八定式

縦的な蕩減と横的な蕩減、8段階の蕩減がすべて終わったので、去年(1989年)8月31日(陰暦8月1日)を中心として「八定式」というものを、西洋社会でも最も高いアラスカに行って行いました。最も高い所です。そうして9月1日に天父主義を発表しました。天父主義です。愛援主義であると同時に父母主義です。父母主義とは愛そうということです。愛することは、サタンが反対することができません。統一教会が行く道の前にサタンが反対しなければ、あっという間に世界的なものへと展開されるのです。
(199-157, 1990.2.16)
「八定式」とは何か分かりますか。それは何ですか。縦横です。縦的に上がるには僕の僕から上がったのです。横的には個人、家庭、宗族、民族、国家、世界に広げていくのです。縦的な基準が立たなければ、横的な円形を描くことはできません。中央線が決定されなければ、そこで円形を描くことができません。
円形がすべて一つの8段階にぴったりと合わなければならないのです。これを1989年9月1日にアラスカで終えたのです。アラスカは、「알았습니까アラッスムニカ?(分りましたか)」という意味です。
(215-124, 1991.2.6)
国家的基準と世界的、天宙的基準を中心として「八定式」を既に宣布することによって、縦的に天が思いのままに往来することができ、横的に天が思いのままに地球ぼしのどの表面までも自由自在に通じる時代が来たので、「地球村」という言葉が生まれました。
地球村だけでなく、地球家族を訴えている統一教会、地球家族的役事が地上に展開し得る時代が来ました。世界全体が、昼と夜に2分されていた世界が、今は1日生活圏内に入り、すべてのものが瞬間的に世界と通じる時代になりました。
(198-277, 1990.2.4)
「八定式」が終わったので何をすることができると言いましたか、父母権が解怨かいおん成就されるのです。ですからこの時が来るがゆえに、先生は父母の立場から皆さんを宗族的メシヤの立場に立てて、イエス様の立場の解怨成就、アダム家庭の解怨成就をするのです。


皆さんの一族を通して、父母の過ちの基盤をすべて解消することによって初めて、すべての人の生まれた故郷が、天国の故郷の地へと転換されるのです。
(193-214, 1989.10.4)
アラスカで先生が、1989年8月31日に宣布したのが「八定式」です。そうすることによって世界人類の前に蕩減が必要のない時代に越えていくのです。それは何を意味するかと言えば、先生が行く所や統一教会の信徒たちが行く所には迫害時代がなくなったということです。
これからは天の国に王国をつくるとか、私たちだけで様々なことをやっても、誰も讒訴できません。それで、その基地として定着する式が「八定式」です。この「八定式」を基盤として1989年9月1日に天父主義を宣布しました。「八定式」が終わるまでは長子復帰時代です。長子権復帰時代です。今こそ完全に長子権が復帰されたのです。長子権も天の側に復帰されることによって、サタンが反対できない世界的頂上圏に上り立つのです。
これから、私たちが強く大胆に押せばアメリカも押され、共産世界も押され、韓国も押される時が来ました。日本も押されるのです。ですから強く大胆でありなさいというのです。
(193-204, 1989.10.4)
「八定式」は縦的な蕩減歴史的路程、横的な個人・家庭・民族・国家・世界蕩減路程、8段階の縦横の路程を経て、定着することで、長子権復帰がなされ、この地における世界の人間の前には、蕩減の路程が解消されるのです。
「八定式」をすることによって、そうなるのです。長子権が復帰され、父母様が抱くことによって父母の愛の圏内から長子権復帰のための歴史時代の戦争史、闘争史がなくなり、愛によって和合できる蕩減の必要ない時に突入したのです。そのようにするためには「八定式」をしなければなりません。「八定式」をすることによって、その息子、娘を、長子と次子をもった父母が、このような子供たちを許してくれたので、その次には父母の許し圏の時代が来るのです。
(193-173, 1989.10.3)
「八定式」を宣布したアラスカは、有名になります。今回、私が帰るときに、北極の中央に教会を建てるように言いました。ソ連共産党が反対すれば、私が責任を取るというのです。ちょうど北極の中央に、私たち統一教会を建てるのです。世界万民のための祝福の基盤のために一生の間生きて、死ぬ前には北極の統一教会に来て40日精誠を尽くして逝かなければならないと言えば・・・。
考えてみなさい。氷山の世界に理想都市ができるのです。そうすれば何百里の道、何千里の道もすべて空中から補給して・・・。そのように一度やってみなさい。それは素晴らしいことです。それは今日の科学の力をもってすれば何でもありません。
今から組立式にして・・・。そこに飛行場を造り、住もうとするのに何の問題がありますか。それで観光地コディアックに基地を造っておくのです。考えてみなさい。歴史時代にない関門になるのです。
(193-217, 1989.10.4)