八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 4-1

八大教材教本 天聖経(2012年版)p937-978

【天啓の御言】(4-1)

 


統一教会にも、がらくたがたくさんいます。たまに「自分がメシヤだ」と言う人がいます。「レバレンド・ムーンは洗礼ヨハネで、私がイエスだ!」と言うのです。レバレンド・ムーンがただでそのようになったのではありません。天国に行って、み印を受けなければならないのです。天上世界の霊界を統一したので、霊界が先生を後援するのです。全体がそうです。混沌こんとんとなった霊界が先生によって収拾されるのです。
今まで仏教であれば仏教圏、儒教であれば儒教圏が垣根になって様々な派が多いのです。これがすべて一つの方向をとらえました。二つの方向ではなく一つの方向です。霊界がそうであるので、一つの方向の権限をもって地上に来て・・・。地上にも様々な方向があります。50億人類であれば、50億の方向があるのです。すべて成して一つの方向をつくるのです。サタン世界が反対してレバレンド・ムーンを殺そうとありとあらゆることをしましたが、レバレンド・ムーンを中心として、だんだんと一つの方向の世界が広がるのです。一つの方向に進んでいます。「世界平和のための平和主義者は、文先生だ」と、このように今、言っているのです。それゆえに、先生に対して関心が高いのです。
それを知っていますか。霊界の混乱をすべて収拾すれば、地上で混乱したこともすべて一つの方向にしなければならないのです。それで、世の中の政治家たち、世界で最高に有名な学者、言論人、経済人、有名な人々をすべて連結するのです。その人々が先生を尊敬しますか、しませんか。みな自分なりに様々な試験をして、あらゆるチェックをしたのです。ですから霊界の混乱を収拾したので地上の混乱を収拾する段階が今、見えているのです。どうですか。見ることができますか。目前に1歩だけ越えていけばどのようになるか、みんな分かります。
ここに集まった人々は、ばかではないでしょう? 賢い群れである皆さんが見る時、「世界は私たちの手にある」と思いますか、思いませんか。まことの父母は永遠に一つです。誰でもないのです。ですから霊界がすべて順応しなければならず、地上がすべて順応しなければなりません。二つではなくてただ一つです。終着点は真の父母です。
(259-320, 1994.4.24)
宗教も、いろいろなものがあります。文化背景が違うのでそうなるしかありません。50億人類がキリスト教文化圏と同じではないのです。キリスト教は、何も知らないのです。イエス様を信じないとすべて地獄ですか、とんでもないことです。霊界に行ってみてください。孔子様とイエス様は友達です。釈迦しゃかムハンマドマホメット)も友達です。キリスト教の名をもつ聖人たちや仏教を信じた高僧たちも、みんな友達です。とばり一つだけ違うのであって、すべてハナニムの一族なのです。このとばりを開け放たなければならないのです。宗教が統一される時、とばりがすべてはがされて、一つの家族として大声を出して激しく泣ける、そのようなことが起こるのです。その天上世界の1日を待つのです。


歴史時代に宗教の背景に無知であり、このような闘いをしたという事実を知らなければなりません。
それゆえに歴史的なすべての恨みに対して各宗団者、教主、全歴史的指導者たちが集まって悔い改めをしなければなりません。悔い改めさせ得る人が誰かといえば、まことの父母です。
(232-20, 1992.7.1)
「孝子」とは何ですか。愛を中心として、命懸けで父母に侍る息子のことをいうのではないですか。では「忠臣」とは何ですか。愛を基台として、天の代わりに君主のために生命を捧げて犠牲になりながら行く人を「愛国者」と言います。聖人は世界の人のために生きる人のことです。文化背景が違い、国境が違い、人種が違っても、万民を愛することに生命を捧げようという人です。一時的にではなく、永遠に愛し得る道に導こうという人が聖人です。一段階さらに上がって「聖子せいし」とは何ですか。世界だけではなく霊界、無限の世界のためにまで、ハナニムのためにまで、愛を中心として、自分の生命以上に「ため」に生きようとするお方が聖子ではないかというのです。すべて愛です。
(143-151, 1986.3.17)
霊界に行ってみれば、統一教会ムン先生はどのようになっているか分かるはずです。「釈迦や孔子ムハンマドはレバレンド・ムーンの弟子だと言った」と言って、ホメイニのような人はレバレンド・ムーンを死刑にすると大声をあげていましたが、みな死んでいきました。その聖人たちをすべて祝福してあげたではないですか。祝福してあげたでしょう。ですから、霊界から送ってきた相軒サンホン氏の手紙によれば、有り難いというあいさつをどれほどしているでしょうか。生きて祝福を受けた皆さんは、霊界に行って復活した数百万、数千万、数億の人々やその教主たちよりも高い位置にいるということを知っていますか。今まで、むやみに生きてきました。それを知らなければなりません。先生は、自分勝手に暮らしているようですが、どこに行って座ろうと、どこに行って何をしようと、ハナニムの法度はっとを守って清掃して座っています。法を守るから、そうだというのです。皆さんは、むやみに生きているでしょう。
(304-50, 1999.9.5)

 

② 天国建設と地上、天上世界の統一

一国を見れば、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を見てみる時、天国の主人は誰ですか。主権者は誰ですか。間違いなくハナニムが主権者です。そして、民とは誰ですか。民とは万民です。では、国土はどこでしょうか。地球ぼしです。
(96-14, 1978.1.1)
アダムとエバが堕落しなければ、ハナニムが何をしてあげようとしたのでしょうか。ハナニムが祝福によって結婚式をしてくださり、ハナニムが喜び得る息子、娘を生むようにし、ハナニムが喜び得る家庭を編成して、これを繁殖させて宗族と民族を編成しようとしました。これが、もっと広がればその世界は、何主義の世界ですか。「神主義」の世界であると同時に、アダム主義の世界です。その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義理念であり、そこに宇宙観があるとすればアダム主義宇宙観であり、天宙観があるとすればアダム主義天宙観であり、生活観があるとすればアダム主義生活観だというのです。


そして、まだらになって五色人種になるのはかまわないというのです。それは環境によって変わったことなので、数多くの民族の皮膚の色合いが異なってもかまわないというのです。では、どうして数多くの民族の言語が異なってしまったのですか。人類始祖が堕落することによって、天が分立させたというのです。
(156-202, 1966.5.25)
私が行き来するのも、その国を取り戻すため、祖国光復のため、建国の功臣になるためにそのような使命を担い、あるいは天の密使としての指令を受け、今日の悪なる世に来て、このことをしているという事実を考えながら生きていかなければならないのです。そうでなくては、皆さんは今後、復帰する国の国民として、その威信と体面を立てられないということを知らなければなりません。
(50-255, 1971.11.7)
人間の力、人間の知恵、人間の文化、その何をもってしても、真の意味の平和の世界や一つの統一された世界を願えない時点にあるということを、私たちは知っています。このような立場で世界文化を解決するにおいて、最も中心の問題とは何ですか。ハナニムがいるか、いないかという問題をはっきりと解明することが、何よりも重要な問題だと思います。
万一、ハナニムがいるということを全人類が知るようになった場合には、ハナニムのみ旨がどのような所を指向するのかがはっきりと分かるようになるはずであり、その指向するみ旨を知るようになる時は、その世界こそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界に違いないのです。
(56-131, 1972.5.14)
祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母でなければできないのです。真の父母がこのような膨大な内容を解決して、霊界と肉界の統一、地上世界の統一をしなければなりません。世界が私に反対していたのが、すべて従ってくるようになっているのです。ハナニムの前に行ってみいんを受けることなくして、霊界を統一し、地上を統一することはできないのです。いくら地上が反対してもムン総裁の行く道を妨げることはできません。天使世界と霊界が動員し、先祖が動員しても「行かない」と言うなら、悪夢を見させ、首を押さえてサタンの行動を代わりにする時が来るというのです。
(290-172, 1998.2.18)
今や、霊界の解放圏まで成し遂げました。霊界と地上の平準化運動を、今しているというのです。春がやって来るのです。天国の春、地上の春が訪れるのです。今までは、天国には春が来ましたが、地上は夏であったのです。今は地上において、夏が去り、冬が去って、天国の永遠に続く幸福の理想、すべてを消化して新しい生命を復活させ得る春の季節が訪れるので、地上の時代には平和がやって来ます。それで、統一教会の先生が今、選んだ言葉は何ですか。「世界平和統一家庭連合」をはじめとして、すべて「平和」という言葉が入っているのです。
(301-288, 1999.5.5)


霊界、肉界が上に上がっていっても、下に降りてきても、左右になってもかまわないのです。前後左右がいくら入れ替わっても同等な価値をもっているので、天上世界と地上世界を完成した理想の愛圏時代、天宙的な愛圏時代が出発するというのです。それを私たちは、地上天国、天上天国というのです。全体解放圏です。何の話か分かりますか。
(301-236, 1999.5.2)
過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復のために協助できる時が来ました。ですから、多くの人々に先祖が降りてきて、統一教会に行かなければ、薬と病(あめむち)を与えるのです。文総裁の力でそのようになるのではありません。ハナニムと先祖が、天使世界と先祖が一つになって、地上をすべてコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心として、コーナーで手をつけることができないのです。ただ文総裁だけが全権をもって行使することができる、驚くべき事実をこの民族が希望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎する時は、天下無敵の国になるのです。
(290-172, 1998.2.18)
霊界が今までお兄さんの立場で地上を蹂躙じゅうりんしてきましたが、今からはそのお兄さんが地上を助けられる環境に入ることによって、地上のアベル圏は今のように、これ以上利用されません。欺いて、一方通行はできないのです。この方向を越えることはできません。東西南北において東方は侵犯できませんが、西方、南方、北方を行ったり来たりしながら、地上でそのことをしているのです。それによって多くの霊的な犠牲が地球ぼしで続いてきましたが、今からは、それが解消されていくというのです。ですから、今、地上と天上が統一圏へ近づいてきたというのです。
(208-85, 1990.11.17)
歴史を通じた全般的な自分に対する根本問題を解決する道は、先生の教え以外にはありません。永遠にありません。先生がうそをついているかどうか、霊界に行ってみなさい。先生はすべて知って教えるのではなく、成して勝利してから教えているのです。良心は、それを知っています。
それゆえに、「まことの父母と成約時代」を宣布したということは、それを成したということです。サタンと対決して屈服させ、先生が向かう世界、展望する世界には、サタンがその姿を現すことができないのです。それを平面圏において、個人、家庭、宗族、民族、国家、天宙、霊界の天国まで平面化させています。それを平面化して連結すれば地上天国です。地上天国で生きた人とその一族がそのまま天上天国に移行するようになっているのです。天上天国とは何かというと本家です。
(256-24, 1994.3.12)


今、時が来たので、李相軒イサンホン先生が霊界に行ったのです。霊界の事実をすべて地上に知らせるために摂理のみ旨の中で、逝ったと見るのです。霊界全体を知るためにはハナニムの指示を受けることができなければならないし、接ぎ木をしなければなりません。これをすべて体系化できなければならないはずですが、今まで霊界は、そのようにできる基準に到達できていなかったというのです。それゆえに、数多くの宗教が現れて霊界の事実を紹介したといっても、それは一部分であり、その宗教の内容を中心として教えたのであって、全体を把握できなかったというのです。
しかし今、成約時代を迎えたので、ハナニムの許諾を受け、霊界全体の様相を地上に説明できる時代になったのです。それを知らなければなりません。それゆえに、霊界の事実を知らなければならないというのです。
(295-120, 1998.8.19)
霊界が完成しましたか。霊界は今まで未完成でした。なぜ未完成だったのですか。本来、霊界のヒエラルキー・システム(hierarchy system:階級体系)とは何かというと、ハナニムと真の父母を中心として、真の子女を中心として全霊界が連結されなければならないのに、そうなっていないというのです。地上も、やはりそうなっていません。この内容だけ地上にもってきてくっつけておけば、霊界は自動的です。
言い換えれば、堕落していないアダム主義、ハナニムを中心としたアダム主義、アダム主義であると同時に真の父母を中心としたヒエラルキー組織が霊界ですが、そうなっていないのです。今までその中心には、仏教を中心とした釈迦しゃかクラブができていて、孔子クラブができていて、イスラーム・クラブができているというのです。ですから、霊界は真の父母主義とアダム主義が現れることをイスラームの群れ、孔子の群れ、釈迦の群れ、すべてが願っているというのです。
ですから統一的な方向をたどらなければならないので、地上にも真の父母の役事が世界的な基準に上がっていく時、すべての宗教の境界線はなくなり、統合運動が霊界の動きに従って自動的にその結果が地上で現れるようになるというのです。ですから、統一教会が世界主義になることによって、どのようなことが起こるのかといえば、霊界の霊人たちがすべて霊界にいなくなります。目的が地上で完成し、逆に入っていかなければならないので、すべて再臨するようになります。すべて再臨するのです。すべて活動します。
世界に散在している統一教会食口シックたちが先端に立って、「動け! 動け! 動け! 動け!」と命じることを願っているのが、数千億になる霊界の霊人たちです。ですから、ここに合わせて霊界で一つにしておけば、ハナニムが主管される世界になるのです。真の父母の名のもとに、一つの統一された世界が永遠に続くのです。
(161-222, 1987.2.15)
今から国家、民族的なグループが連合できる時代に入るのです。ですから、地上の国と宗族と家庭が連合し、統一圏に越えていくのです。このように越えていくことによって、世界は急速に変わるのです。ここで反対している人々は、サタンが来て黙っていないというのです。


サタンが今まで地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れていくというのです。そうやって協助して先祖まで天国に連れていこうとするのであり、天国に行くことを妨害する者がいないので解放圏になり、それによって急速に未来の世界化時代へと越えていくというのです。
(298-221, 1999.1.8)
先生が霊界と地上世界を清算でき、理想的な地上天国、天上天国を完成できる実力があると思いますか、ないと思いますか。それが可能だと思いますか、不可能だと思いますか。どうですか。ですから、そのような全体、全般、全権、全能の時代、それを行使することができる時代が来ました。世の中の組織が、いろいろな国の全体組織が一般化されるというのです。
全体的、全般的にすべての能力をもったサタン世界は、完全に天の権限の前に無能になり、ハナニムの全権時代、全能時代へ越えていくというのです。そのようにできる人は真の父母です。真の父母から始まるのです。
(293-325, 1998.6.7)
霊界からすべて出動すれば、良いことがたくさんあるでしょう。抱き合うことも多いでしょうし、喜ぶ人もいるでしょうし、統一教会のろって逃げた人々が地をたたきながら、こう言うでしょう。「全く、こんなはずでは!」と。
(302-71, 1999.5.18)

 

3) 真の父母様と愛の役事

 

① 聖人と殺人鬼も同じ席で祝福

先生が聖人と殺人鬼まで許してあげたでしょう。では、自分の息子、娘が罪を犯したのはゆるしてあげることができますか、できませんか。スターリンヒトラーは、人を何百万人も殺したのです。そのような悪魔の中の悪魔までも赦してあげ、祝福してあげました。それをしてあげなければ地獄の門を開くことができません。それは、よくやったことですか、まずかったことですか。仏教では、「ああ、私たちの釈迦しゃかを連れていって結婚させる。そのようなことができるのか!」、そして、「ああ、イエス様を結婚させる!」と言っています。行って見たところ、すべて楽園です。中間霊界にいます。
彼らに、「あなた方の願うことは何ですか」と聞くと、「先生が願うことですから、私たちの願うことは簡単です。祝福していただきたいです」と言うのです。「祝福してあげればどうしますか」と言うと、「地獄の門が開いて天国へ行ける道がなかったので、私たちは生前に世界を一つにできませんでしたが、今では、その10倍以上努力できる力があり、自信があります。聖人たちを後ろにつけて引っ張っていきます」というのです。このような決心をして自信満々に回心するようになるならば、使徒パウロでさえも、反対している途中で回心させ、キリスト教の忠臣とならしめたハナニムですから、反対の悪党たちが霊界に行ったとしても、うまくつくろって活用できる忠臣とならしめ、ハナニムは忠臣の王になることができるというのです。
(299-26, 1999.2.1)


聖人と殺人鬼を解放してあげたので、その原則において、統一教会に猛反対していた夫であれ自分が願う人を引っ張って、地獄にいる人までも連れてきて解放させ、祝福できるのです。そのようなことが起こっているのです。聖人と悪人をすべて一つにする、このような原則があったので、そのようなことが可能なのです。そして、霊肉祝福一体圏をなして三日儀式までするようになっているので、残りの霊界において、地上で生きられず結婚することができずに死んだ哀魂たち、16歳以上の年齢になったすべての人々まで、今、解放してあげるのです。その人々まで祝福してあげるのです。
地獄の門を開けて、霊界に行ったすべての人々に祝福をしてあげたので、ハナニムの血族的な権限を認めることによって、サタンは、完全に後退せざるを得ないということを知らなければなりません。これは革命です。革命の中でも、このような革命はないのです。堕落によってすべての死んだ者が天国に行けるという、その環境をつくっておいたのです。アダムとエバが堕落して以後、結婚できずに死んだ子供たちも、結婚して天国へ入って暮らせるすべての基盤、すべての先祖が祝福を受けた圏内において霊界に入れる環境をつくり、天国に行ける高速道路を築いておいたのです。そのような基盤をすべて蕩減とうげん復帰したというのです。
(300-305, 1999.4.11)
先生が霊界を知らなければ、この道を行くことはできません。霊界のお父様が私のお父様です。ですから、霊界の秘密を誰よりもよく知っているのです。避難の渦中において、おなかがすいている時は、先祖を動員するのです。道端の過ぎ行く人のために、うたげのぜんを準備させたものも、たくさんもらって食べました。そのような話をすれば、うそのようなことが多いので話をしません。私のように優秀で科学を学んだ人が、信じられない話をなぜしますか。皆、理論的に考えるので、これらは信じられない話ですが、先生の話を聞けばすべて信じるでしょう?
(299-46, 1999.2.1)
ハナニムがお造りになった霊界には、堕落した人間は暮らしていないというのです。その霊界は、完成した祝福家庭たちだけが暮らせる所です。そこは、アダムが完成した以後に生活すべき天国のような環境です。ですからハナニムが全権をもって、世の中のすべての小さなものから大きなものまで思いどおりにできるのです。祝福を受けて、「真の祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。打ち砕くのです。ですから、80歳となる2000年代に入り、すべての地上の一族は、天国行きです。
出エジプトのように、地上世界の出発が始まるのです。モーセが80歳に出エジプトしたのと同じように、これからは真の父母、家庭の王として世界地球ぼしの出発をするのです。
(300-305, 1999.4.11)


先生は、世界高速道路プロジェクトをまだ発表しませんでした。どこへ行かなければならないかということをはっきり明らかにして、すべて道を開いておいたのです。それで、霊界の地獄まで降りていって、地獄の門をぱっと開けたのです。殺人鬼まで祝福してあげたのです。
李相軒イサンホン氏が、霊界の実相を見て一人で泣いて祈祷していたところ、使者が「一緒に帰ろう」と言うので、ハナニムのもとに帰ってきたというのです。ハナニムのところに行くと「悲しいのか」と言われ、李相軒氏が痛哭つうこくしていると、ハナニムが、「そのようなすべての者を救わなければならないが、どうするつもりか」と言われたのです。
そうしてハナニムは、「お前の息子、娘たちは幸せに暮らさなければならない」と言われたのです。「それと同じように、全人類はハナニムの息子、娘なので幸せに暮らさなければならないが、その道を解放してあげたくともハナニム御自身ではできないので、お前が責任を負わなければならない」ということなのです。それが『霊界の実相と地上生活』に出てきます。「お前が責任を負いなさい」と言うのは、どうしてかというのです。統一教会に反対して死んだ(かわいそうな霊がいる)ので、ムン総裁に伝えて解放してほしいと願っておられるのです。それで、私が痛哭をしたのです。
「ハナニムがなぜこのようになったのですか。私のような者に頼まれるハナニム、なぜこのようになったのですか」と言ったのです。それで、昨年(1998年)5月13日から15日まで、霊界のすべてをくつがえして、私が責任をもったというのです。太っ腹でしょう。「私が責任をもって断行します」と、このようにして祝福をしてあげたのです。
(301-156, 1999.4.25)
一次アダム失敗、二次アダム失敗、三次父母も失敗して、荒野路程でこれをすべて蕩減とうげんして解放され、第四次アダム圏祝福時代は地上天国出発時代です。この理論がすべて合わなければなりません。大ざっぱな計算でくっつけてはならないのです。それが霊界や地上で先生が「原理」を中心として解明した結果的基準で評価する時、右手と左手がぴったり合わなければなりません。こうしてこそ音がするでしょう。それを合わせるのが愛です。
絶対愛を中心としてです。地上世界、天上世界がカインとアベルに分かれたものが、初めて兄弟の因縁、まことの父母の愛、真の血統の因縁によって一つになれるので、同じ祝福を中心として死んでも共に死に、生きても共に生きようというのです。ですから、死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬではありません。
真の父母がいる時は、生きようとする者は生きるのです。真の父母に従って生きようとする者は生きるのであり、真の父母がいないので、すべてを反対にしなければならなかったのです。逆説的に死のうとすることなしに、真の父母の行く道を、侍り得る位置を探すことができないのです。霊界も解放であり、地上も解放です。アダムとエバの歴史が始まって以来、ハナニムの胸に打ち込まれた大きなくぎを抜く者がいなかったのです。そして、歴史時代の善の先祖たちがみな血を流してきました。彼らのハンを解くことができなかったのです。
(301-166, 1999.4.25)
先生が80歳を超えれば天地が合徳する時代です。先生が80歳まで1代ですべてのことを、霊界を完全に解放するのです。地上・天上、夫婦なら夫婦、家庭が天国に入るのです。夫婦で天国に入るべきであって、一人では入れません。地獄の門天国の門をすべて開いておいたのです。すべて回りながら上がっていくのです。


自分の先祖が列をつくって見張りになり、案内してくれるのです。昔は、サタンが自分の欲望を中心として穴を掘っておき、千年、万年行けないようにしたのです。使いをさせていたのです。今、それをすべて撤廃してしまいました。うそのようでしょう。そのようになるのです。見ていてください。なぜですか。霊界の事実がすべてどのようになっているか、よく知っているからです。それをしなければ、後代に行って引っ掛かるのです。
(300-74, 1999.2.21)

 

② 真の祝福の天宙化で霊界・肉界平準化

まことの祝福天宙化とサタンの血統根絶です! 根を切るのです。偽りの結婚をして地獄へ行ったので、真の父母が結婚して正さなければならないのです。ですから、霊界の天使長が地上にいるエバを愛して堕落させたことを蕩減復帰するためには、霊界にいる家庭的な天使長の立場が地上に来て、地上にいるアダムとエバの家庭と同じなので、アダム家庭を再編成するにあたって開拓者になるのです。
そのようにすることによって、それらの家庭が皆さんの家庭の周辺に来て、サタン追放運動をするのです。これが原理観により、きちんと理論的に整理されるのです。どのようなことが残っているのかといえば、これからは地上において霊界の人たちと愛し合える愛の門が開く時になったというのです。夫が死んでいったとしても、地上で共に暮らすのです。今、そのように暮らす家庭もあるのです。それで、今回、統一教会に通うことに反対されていた人たちを中心として、反対した自分の夫を許し、祝福してあげたのです。
祝福しただけでなく、私がアメリカに行く前、4億双の祝福を行う前に霊的な祝福をしてあげた人たちは、実体の三日儀式までするようにしたのです。三日儀式までして霊界に本格的な家庭出動命令を下したので、残りは何ですか。今まで結婚できずに死んだ哀魂を中心として、霊界で大きくなって結婚を待つ数千億の霊がいるので、この門を開けてあげ、4億双の4倍である16億双を結婚させてあげました。
(301-171, 1999.4.25)
先生がそうです。私がみ旨の道で誇ろうと思ったことは一度もありません。私が世界的にしたことは多いのですが、まだすることが多いというのです。霊界が残っています。地上でしたならば地上で整備して逝かなければならないのです。それで、今回、一人で暮らして結婚せずに死んだ男女、父母の愛を受けたけれども地上で妻をめとれず、嫁ぐこともできなかった人を・・・。また、生まれてすぐ死んだ赤ん坊たちです。赤ん坊たちが霊界で成長するのです。そのままではありません。母が泣いたりわめいたりして思ってあげることにより、その思う心で大きくしてあげるのです。父母が子女の死んだことを悲しむのは悪いことではありません。知ってみれば、死んだ相対が霊界で大きくなるのです。夫が死んだと妻が気にして悲しく考えれば、その恩恵を受けるのです。
(301-187, 1999.4.26)


地上で生まれたすべての人間で、真の父母を通じて生まれた人は、一人もいません。真の母、真の父、真の父母の血統を受けないで生まれた者は、天国に入る道がないのです。
ハナニムの創造理想によると、真の父母の血統を受け継いで、真の父母に天上天国、地上天国の王権の主人として仕え、親族圏内で愛を中心として真の父母様と共に暮らし自分も結婚して子孫を残し、そのまま移る所が天国です。ですから皇族圏の愛を中心として、体恤たいじゅつ的な経験をもたない人は、天国に入ることができないのです。明らかだというのです。
(250-49, 1993.10.11)
私は私の責任を果たしました。何かやることがあるでしょうか。霊界まで統一圏によって祝福してあげて怨讐おんしゅうまで生かしたので、サタンが私の前で讒訴ざんそできる何の条件もないのに、何をもっとするのでしょうか。今は蕩減とうげんがありません。
(272-121, 1995.8.30)
霊界に水平にしておかなければなりません。今まで地上に来て霊界に行った人々は、どのような人たちですか。自分勝手に愛の関係を交わして生きた人たちです。浮気をし、男性も女性も自分勝手に生きた人たちです。女性も姦婦かんぷが多いでしょう。浮気をしてです。そのようにして地獄に行くのです。地獄のどん底に行くのです。最近では法的な契約夫婦がいます。それを知っていますか。彼らは赤ん坊を生むことを嫌います。家庭をもつことを嫌うのです。
天使長時代にはそうなのです。赤ん坊のいない人が父母の愛を知っていますか。子女を愛することができますか。契約では永遠に愛することができないのです。これは流れ者です。霊界に行けば流れ者になります。定着できる根拠がありません。このような者たちも、先生を通して結婚させてあげれば、どれほど喜ぶでしょうか。
(301-63, 1999.4.16)
霊界は何ですか。霊界は天使長世界であり、地上はアダム世界です。息子の世界としもべの世界は違うのです。では、霊界が一生懸命しなければなりませんか、この地上が一生懸命しなければなりませんか。そうするためには、この地上の4万双というものが・・・。今、私たち祝福家庭が4万双出てきているのです。4万と5000双ほどになるのです。いや、4億を超えるのです。それゆえに、一つの家庭で1双ずつだけ未婚の男女を駆り出せばよいということなのです。それは霊界も同じです。
霊界にいる霊人たちはみなアダムの子孫ですが、堕落することによって天使長の血統が霊界に行っているのです。これは、あってはならない事実です。カイン形態が広がった霊界を、そのままにしておいてはなりません。すべて祝福してあげなければならないのです。祝福をしてあげ、これがすべて水平にならなければなりません。


それゆえに、結婚できずに死んだ霊たちをすべて集めて祝福させたのです。また、生まれて赤ん坊のうちに死んだ霊たちが育つというのです。16歳以上で、結婚できずに霊界に行った人々を、すべて祝福してあげるのです。それは、数千億にはなるでしょう。それで、祝福を今しているのです。
(301-209, 1999.5.1)
潮水が引いていく時は悪いものが出ていきます。入ってくる時は一番あとに出ていったものが先に入るのです。蕩減復帰するので同じ水、同じ月を見れば、中間に立ち、この二つが入ってきて一つになる時、そこにぴたっと合うというのです。歴史的にこれが、ぴたっと1代で水平になる時、プラス、マイナスのように祝福してあげることによって、サタンを完全に追放できるのです。
偽りの父母は追い出し、真の父母と一つになるのです。それをしたので、地獄を撤廃し、霊界にいる先祖を結婚させてあげるということが起こるのです。今、数億、数百億、数千億が結婚するのです。霊界を天国にリードするのが私たちの先祖です。地上で子孫は、父の位置、息子の位置を、縦的に真の愛を中心として一つにするのです。東洋と西洋を連結させ得る始点が、真の愛を中心とした家庭基盤です。
(300-224, 1999.3.14)
祝福とは、ハナニムの真の生命の血統が連結され得る基盤を相続することです。祝福を通してハナニムの血統を相続した人が霊界や肉界にいるので、ハナニムが思いのままに主管できるのです。ですから、ハナニムが思いのままに再創造、復帰歴史を今でも蕩減条件なく全権をもってなしていくのです。ですから、皆さんがそのような信念をもった相対的立場に立つか立たないかということが問題です。決心をなし、そのような絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つになる時には、一遍にすべてのものが水平世界に線を引けるというのです。
(300-303, 1999.4.11)
父を愛の主人にしてあげるのは息子であり、夫を愛の主人にしてあげるのは妻であり、兄を愛の主人にしてあげるのは弟なのです。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、各々愛の主人の位置を見いだせないのです。
真の愛の主人になるには、相対を自分よりも敬い、「ため」に生きなければならないのです。ですから、個人では心と体の一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成して、8段階の理想モデルである愛の圏を完成するのです。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立てて、父子関係である真の愛のモデルが完成するのです。
そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家などがすべてこのような真の愛を中心として、8段階のモデルである主人になることを願う所が、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的平準化が始まることにより、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的になされるのです。
(316-245, 2000.2.13)


 

③ 地上・天上地獄、真の愛で解放

地上世界と天上世界の地獄まで平準化させなければなりません。その道を開拓し、平和の天国基地まで、地獄の門を打破してしまい、天国の門を開門しなければならないのです。ハナニムが自由自在に往来できるようにしなければならないのです。地上世界と霊界どこでも・・・。地獄というハンのその敷居は、ハナニムには要らないというのです。それをみな押し倒しておかなければなりません。それを誰が知っていますか。では、ムン総裁がしたことは何ですか。個人的な門を、地上世界と天上世界の地獄までふさがっていたものを「キック!」して壊してしまったのです。
ですから、ハイウェイを築いておかなければなりません。平準化させなければならないのです。それは地上だけではありません。霊界をすべて平準化しなければならないのです。家庭的平準化、宗族的平準化、民族的平準化、園家的平準化、世界的平準化、天宙的平準化ができなければなりません。それは何によってできますか。男性と女性の家庭形成によってできるようになっています。
(302-226, 1999.6.14)
今、祝福が可能なので、いくらでもみな祝福するのです。一人も残さず、すべて祝福してあげなければなりません。先生が行く前に、霊界では祝福していない人々がいないようにしなければなりません。祝福がなかったのが、生じるようになったのです。
地上でも天上世界でも、先生が逝く前に、祝福を受けた人が霊界でも地上でもぎっしりいっぱいにならなければなりません。そうでなくては、今までアダムがばらまいた堕落のすべての血統が根絶されないというのです。それゆえに今年の標語は何ですか。「まことの祝福天宙化とサタンの血統根絶」です。完全に霊界を祝福してあげなければならないのです。先生が逝く時にそれを残しておいてはいけないのです。逝く前に、霊界をすべてクリーン(clean:清掃)しなければならないのです。サタンを根絶することを考えていますか。先生が霊界を既に整備しました。
皆さんは分かりませんが、すべてそういうことをしているのです。霊界をすべて祝福してあげ、先祖を解怨かいおんし祝福できるペース(pace:進み具合)に入り。赤ん坊で死んだり、結婚できなくて霊界に行ったりした人々を、すべて解怨してあげることにより、祝福圏内にみな入るのです。
このようにして、サタンの根を根絶するのです。それで、肉界で三日儀式をするのと同じように、私が20日前、ここに帰ってくる前に、霊界の霊人たちも三日儀式ができるということを、すべて指示したのです。それは複雑です。地上のことと同じです。ここで青少年を中心として結婚するので、霊界でも未婚男女を中心として同じ立場で祝福してあげるのです。
(301-212, 1999.5.1)


今、赤ん坊たち以上のすべての人々を祝福してあげたので、全霊界が来て・・・。祝福とは、「原理」で見れば何ですか。人間の責任分担です。責任分担は何かというと、祝福を受けることです。人間の責任分担を果たせば、ハナニムの息子として完成の立場に立つのです。天使世界を支配できる圏内に立つというのです。それゆえに、祝福の因縁をもったということは、既に戸籍が違うのです。韓国人も、アメリカの市民権を得ればアメリカの法で統治されるのと同じです。今、そのような世界にはなっていないのです。それをえり分けるためには、天地を中心として平準化させ、個人の長孫ちょうそん(長子の長子)、宗族の長孫、これを反対にひっくり返すのです。個人長孫圏、宗族長孫圏、民族長孫圈、国家長孫圈、世界長孫圈、天宙長孫圏、霊界がそのようになっています。反対に今、先生が合わせていくのです。
(301-189, 1999.4.26)
愛の道は、分かれることができないというのです。水平です。愛は水平なので、息子が逝ったからといってなくなりません。霊界に行って水平的な相対圏をもって育つというのです。ですから、赤ん坊たちが生まれてから死んでも、霊界で育っているというのです。そのことを知らずにいるのです。私たち統一教会は、知らなければなりません。それゆえに、今後、霊界に行った子供たちが堕落せずにいれば、再び来て生活するのです。
霊界と祝福した人々の三日儀式まで許したので、これから統一教会を信じて逝った人は、夫でも妻でも地上に来て共に暮らせます。49歳を超えたならば、慰労祝福をしてあげるなというのです。今までそうなっていないのです。慰労祝福をしました。49日という言葉があるでしょう。それで、今からは50歳前の人々からは、慰安祝福もしてあげるなというのです。なぜですか。霊人祝福してあげた人々にも三日儀式を許したからです。
(301-189, 1999.4.26)
再臨主は、条件的な蕩減とうげん復帰ではなく実体蕩減復帰です。そのような闘いを経てきたので・・・。この世で勝利するためには、霊界で闘うのと同じようにそれを中心として、すべて実体圏を蕩減復帰していかなければならないのです。それが今まで、キリスト教文化圏で一つになって先生を信奉すべき理由でした。キリスト教が信奉したならば、そのような迫害もされなかったのです。すぐに天が立てた何人かを探して復帰したはずです。新婦は一人です。霊的な複雑な内容を中心として、継ぎはぎがありませんでした。そのような式を踏まえなければ、今後、国家基準を越えるために、全世界的にそれを再びしなければならないのです。
祝福とは、教会祝福、国家祝福、世界祝福です。これを解けず霊界に行けば引っ掛かるので、解かなければならないというのです。これを解くためには千年、万年かかるかもしれませんが、解けなければ、皆さんが霊界に入っても活動をすることができず、すべて待合所で待たなければならないのです。ですから、地上がどれほど貴いかを知らなければなりません。


それゆえに、おじいさんの立場が孫の立場になり、父の立場が息子の立場になり、息子の立場が父の立場になって、逆さまになるというのです。ですから、再臨主を軸としてアダムが第一の父、イエス様が第二の父、再臨主が第三の父になるのです。今、再臨主が、第一の父、第二の父の失敗を蕩減して完成圏に上ることによって・・・。この三人の子女の息子、娘がこの世だけに生きているのではなく、霊界でも生きているのです。
(236-330, 1992.11.9)
先生がこの世にいるので、皆さんは先生を見つめていきますが、先生が霊界に行ったあとはどうしますか。今後、後代の統一教会は、どこへ行くでしょう。後代の統一教会は、先生の過ぎし日の歴史をそのままついてこようとするでしょう。ヤコブが行った道をイスラエルの一族が行かなければならず、モーセが行った道をイスラエルの国が行かなければならず、イエス様が行った道をキリスト教が行かなければならなかったように、今日、統一教会において、文先生が行った道を統一教会食口シックたちが行かなければなりません。行かなければならないというのです。行かなければ渡り鳥と同じように、大洋を渡って南極と北極を通じさせることができないのです。飛んで行かなければなりません。
(142-168, 1986.3.9)
今回も、すべてマッチング(婚約)をしてあげるのですが、写真を送ってきた女性たちを、私は一度も見ることができませんでした。マッチングをしてみると、女性が足りないので、日本の1000人の写真がってあるアルバムの中から選び、「あなたの相対者です」と選んであげたのです。かといって日本の女性は、「会いもしないで婚約するならわしがどこにあるか」とは言わないのです。その写真についていって暮らしているのです。それがどれほど素晴らしいことでしょうか。ですから、統一教会は、世界を正すことができるのです。それが偉大なのです。
そして、皆さんが先生を通し・・・。先生のような人が、いつもこの地に来るわけではありません。過去にもなく、未来にもないのです。過去にもなく、未来にもあり得ないのです。ただ、今日、先生が在世している時、先生が地上に暮らしているこの時しかないのです。その方を通し、皆さんが結婚したという事実を考えてみてください。霊界に行けば、それを語るのです。「私は、先生に祝福された」と。
(165-90, 1987.5.20)
地上で自分の愛する妻が今、霊界に行くようになれば、みんな別れていくのです。今までは別れていきました。霊界に行けば、霊界の基準に合う度数に従って入っていくのです。霊界にさっと入っていけば、ビデオのようにボタンだけ押すと、自分がどのようにしたのかすべて出てくるのです。すべて記録されているのです。そして、「何番です!」と言えば、何番かに自分を連れていく人が既に来ていて、そこに行くのです。家庭に10人がいても心霊基準が違うので、みんな別れなければなりません。会うことができないのです。今、それが解放されるのです。地上に愛する人がいれば、また霊界に行っている愛する人がいれば、その人を祝福してあげられるのです。大母様テモニムもそうであり、大兄様テヒョンニムもそのように祝福してあげたのです。忠母様チュンモニムも祝福してあげました。霊界の人を祝福してあげたのです。


その門が開くのです。そうしてこそ地獄の解放が可能です。そのようにしてこそエデンの園の堕落していない本然の世界、天国に入っていく一方的な通行をもって、天国編成を完成したといえる基準を、地上で分かれたすべての個人、家庭を散らして世界的に編成するというのです。これを一時いっときに合わせることによって、地上・天上天国の統一圏が広がり、ハナニムが解放され得る時代が訪れたのです。
(283-146, 1997.4.8)
まことの父母様は実体世界において、超民族的な祝福の因縁を中心として祝福をしています。これが連結されることにより、地上で個人解放、家庭解放、宗族解放、民族解放、国家の解放圏がなされます。その解放圏は霊界でなされるのではありません。このような天国の愛の国、天宙の愛の国まで連結させ得る基盤が地上にあるので、真の父母を中心としたすべての霊界と肉界が一つになって、統括的な面において総清算をし、個人祝福、家庭祝福、宗族祝福、民族祝福、国家祝福、世界祝福、天宙まで祝福の完成をなさなければなりません。
それで、霊界と肉界の祝福家庭一体化圏が展開することにより、堕落していないアダムを中心とした天国理念の基盤が、歴史が始まって以来、すべての家庭を中心として、同一的な価値の立場で成立し、地上天国と天上天国が顕現するところにハナニムが臨在されるのです。ハナニムは縦的な父母であり、真の父母は地上を平準化できる横的な父母です。ですから、「七・八節」を中心として天地父母天宙安息圏を宣布して新しい時代が出発し、「九・九節」を中心として完全に越えていかなければならないのです。
(303-257, 1999.9.9)
皆さんが今、「九・九節」を中心として「総蕩減献金」をしなければなりません。「総蕩減献金」は何をするかといえば、怨恨えんこんの解放式です。解放式をしなければなりません。ハナニムの怨恨を解いてさしあげ、解放をしてさしあげなければなりません。のみならず天宙を解放し、皆さんを解放させ得るのが「総蕩減献金」です。
(298-59, 1999.1.1)
今、解放時代を迎えたということを考える時、この地球を中心とした宇宙が、どれほど称賛しているか知れないのです。どれほどきょうを喜んでいるか知れないのです。それで、今年に入ってきょうまで、祝いの雰囲気一色になったと見るのです。今、私たちがしようとするすべてのことに、天運が付いて回りながら手助けをするのです。天運をつかもうと努めますが、天運が私たちのあとに付いて回りながら助けるというのです。どういうことかというと、ハナニムと霊界が数多くの先祖と数多くの善なる人々を動員し、この地を助け得る時が来たというのです。解放圏をなすことができ、変革できる時代が来たというのです。
(298-228, 1999.1.8)


今からは、皆さんの家庭が理想的家庭になって、父母様とハナニムに直接侍り、父母様の身代わりにならなければなりません。皆さんは旧約時代、新約時代に来たメシヤ、新約時代を越えて成約時代に来たメシヤ、一次アダム、二次アダム、三次アダムの代身家庭になることにより、ハナニムに侍るようになって、万民が天国に直行できるようになるのです。そのようになることで、第四次アダム圏解放祝福時代に入るのです。
(298-224, 1999.1.8)
万国に聖酒を広めなければなりません。聖酒を飲ませると生き返るでしょう。堕落圏の解放が加重されるのです。万物にまで飲ませてあげなければならないのです。すべて神側へ帰っていかなければならないのです。ですから、今から全世界、地球ぼしに聖酒を飛行機で主要都市だけでも配布しながら祈祷するのです。父母様が祈祷することがどれほど恐ろしいかということを知らなければなりません。滅びろといえば滅びるのです。逃れられません。
(298-232, 1999.1.8)

 

④ 天国入籍と祝福家庭の霊界

イ) 入籍をするためには
今まで天の国に入籍がありませんでした。天国に国がありませんでした。家庭もなく国もなかったのです。霊界に行けば、父母であれ何であれ、10人家族であれば10人家族がみな別れてしまいました。しかし、これからはそうではありません。本来、堕落しなければ、父母と一族が共に入っていくのが天国だということを知らなければなりません。
まことの愛を中心として、祖父から父母、自分たち夫婦、息子、娘が一つになって、「ため」に生きるハナニムの真の愛をもつようになれば、そこにはハナニムも絶対服従するのです。そのような愛の伝統に服従しながら、「ため」に生きる愛だけをもって動くその世界、「ため」に生きようとするその世界には、平和の基地が生まれまいとしても、生まれざるを得ないのです。
(210-354, 1990.12.27)
真の父母を中心として入籍する人が今後、先祖になるのです。あの世の先祖になってそれがすべて主流氏族を中心として、主流民族を中心として、そこに傍系になるすべての人を中心としてこれを編成するようになっているのです。
ですから、入籍しなければなりません。入籍は、そのままするようにはなっていません。160家庭、あるいは180家庭を完了しなければならないのです。これができなかった人は、脱落するのです。36家庭であっても、それを主張する時代は過ぎ去るのです。平等化時代に入ったので、ここではその数に誰が先に至るかが問題なのです。統一教会でその氏族が多ければ、恩恵を受けるのです。
(286-247, 1997.8.11)
血統が変わったために、血統を転換しなければ神の国に連結されず、入籍できないのです。血統の主人は、ハナニムでいらっしゃいます。堕落の血統を受け継いで、すべて盗んでハナニムの所有権をめちゃくちゃにしてしまったので、ハナニムの愛により血統を連結することによって、これが整理されます。それゆえに、血統転換をしなければなりません。堕落の愛の関係により、血が異なってしまったのです。血統が逆さまになったので、血統転換しなければハナニムのもとに帰る道がないのです。
(258-287, 1994.3.20)


祝福の日も、教会の祝福、国の祝福がなければなりません。世界の祝福、天国へ行って永遠の祝福の礼式を経てこそ、本然の世界に帰り得る道があることを知らなければなりません。皆さん、統一教会の祝福を受けたといって、「簡単に、便宜的に、さっと先生に分からずに祝福を受けた」と言っても通じません。国の祝福を経なければなりません。そこでは経歴がすべて出るのです。それから世界祝福を経なければなりません。それで、天上に行って大入会式とともに入籍式を経て、12支派の編成を終えて、ハナニムを中心として真の父母があの世に行ってお座りになってこそ、場を定めて座られてこそ、すべての万民は順次に場を定めて座るようになるということを知らないでしょう。
(185-36, 1989.1.1)
血統転換、所有権転換、心情圈転換です。心情圏が宗族です。これを転換しなければなりません。ですから、宗族を復帰しなければなりません。イエス様は、国を復帰するために来ましたが、入籍できませんでした。戸籍を作っておくことができませんでした。それを蕩減とうげん復帰しなければなりません。それゆえに、統一教会では(かつて)、結婚しても33歳が過ぎる前には生活できませんでした。その次には30歳でした。
エス様が出家する前の、30歳から生活する立場になりました。南北が統一される日には、そのような受難の道をすべて越えるのです。ですから、統一教会の祝福は教会祝福、南北統一時代祝福、世界統一時代祝福です。三大祝福を経てこそ解放の立場に進めることを知らなければなりません。
(252-140, 1993.11.14)
国家がなければ入籍できないのです。教会には入籍できたのですが、国家に入籍できていないのです。南北統一をすることで入籍時代に入るようになるのです。その時が来るので、先生が「宗族メシヤを中心として160家庭を早く収拾しなさい」と言ったのです。そうなれば、南北統一がなされた場合には、先生が第1代として入籍して第1の先祖になり、それから誰が来るのかといえば、160家庭を祝福した人が続くのです。先祖の順序が入籍によって違ってくるというのです。ここに1600人を超える人が座って祝福を受けたとしても、1600代の差が出るのです。
(256-332, 1994.3.14)
今後、12支派を中心として世界がすべて入籍をしなければなりません。それをする時は、皆さんの一生、統一教会に入ってきてから今までのすべてのことを一つ残らず記録しなければならないのです。ここの教会から何か一つ、ふろしき一つでも持っていけば、それをすべて記録しなければなりません。それが霊界に記録されたコンピューターの記録と合わない時、皆さんは入ることができないのです。
(212-56, 1991.1.1)


王族心情圏を中心としたそこには、歓待かんたいだけであって、丘とか壁になるものは何もないのです。平地なのです。全体が歓迎し、万年の愛の世界が連結されるのです。そこの主人として立つのです。自分の一族がそのようになるというのです。一族がすべて集まったその霊界の価値をもって入籍し、天国に入っていくのです。入籍するでしょう。新しく入籍し天国に入れるように、清い解放の宗族長として、メシヤとして、父母として、自らが一族を引き寄せてあげましょう。
(218-358, 1991.8.22)
霊界に行ってみなさい、私の話が合っているかいないか。女性はすべて私に差し出しなさいというのです。そうかといって売り飛ばしたりはしません。天に入籍させるのです。それから息子、娘を入籍させれば、その夫も入籍できるのです。そのようにして本然的な峠を越え、38度線を越えて、統一のみ旨の世界で家庭が再祝福を受けて、天国の堕落していない本然的基準で出発するようになるのです。
そうすることによって、罪を犯さない天国の民を生んで、天国に直行できる道を行くのです。メシヤが必要ないその立場にまで道を築いて、ここに案内しようとするのに、ここで行動しなければ、それは滅びるのです。
(230-250, 1992.5.8)
入籍をしなければなりません。入籍のためにどこへ行こうというのですか。故郷の地へ帰らなければならない運命は避けられません。生前にできなければ、霊界に行って反対に億千万代をぐるぐる巡りながら、涙と嘆息とともに越えていくべき堕落圏の支配を逃れる道がないのです。ですから、そのために直行することを願い、詳細に語ったので、それを忘れず肝に銘じて、勝利の天国の門を入っていける王権を受け継ぎ、このような相続を受け継げる、天国と故郷の地の本籍を立てて入籍できる皆さんになるようにお願いします。そうしようという人は両手を挙げて宣誓しましょう。
(177-351, 1988.5.22)

 

ロ) 統一圏霊界も中間霊界、監獄がある
地上で祝福を受けた夫婦は、永遠の世界である霊界に行っても共にいるのです。この世の夫婦、息子、娘は、いくらたくさんいても、霊界に行けば散り散りになって別れるのです。別れて、みなどこに行ったのかも分からないというのです。会うのが大変なのです。相対的な関係がなければ会うこともできません。心霊状態の基準によって、すべて霊界で分かれるというのです。それは思いもよらぬことでしょう! しかし、今先生が言ったように、愛を中心として一つになれば、そのまま一族が霊界に入っていくのです。それは幸福なことですか、不幸なことですか。
(250-334, 1993.10.15)
霊界に行っても、誰かが「地獄に行きなさい」と言うのではありません。自分が訪ねていくのです。自らの程度に合う所を訪ねていくのです。統一教会だけ考えても、すべて同じ圏に行くことが目的ですが、自分の心霊状態の基準によってとどまるのです。それで、祝福を受けた家庭はどのような面において違いますか。祝福を受けた家庭は離れようとしてもお互いに離れることはできません。霊界に行くようになった時、自分の妻が責任を果たせなかったなら、共同責任を負って夫が解怨かいおんしてあげなければならないのです。妻が間違っても引っ掛かり、夫が間違っても引っ掛かり、息子、娘が間違っても引っ掛かるというのです。
(242-108, 1993.1.1)


天上世界の霊界に行けば、その階級によってとどまる所が決まります。そして、長い期間そこで教育を受けるのです。その世界は堕落圏ではありません。ハナニムの原理圏です。一国家の国民が罪を犯しても、その国の民として罪を犯すのです。天国の民として天国の法に抵触したので、その法に従って処理を受けて、天国を侵害したすべてのものを、全体の前に手助けできる内容を提示することによって・・・。
これから天国に楽園が生じます。そこで待たなければならないというのです。天国に中間霊界が生まれるのです。天国に地獄が生まれたのです。監獄が生じるということを知らなければなりません。それを知ることによって、皆さんがどこに行くのかがはっきりと分かるのです。分かるようになっています。分かるようになっていますか、分からないようになっていますか。はっきり教えてあげるのです。
(295-135, 1998.8.19)
祝福されて編成したのに入れない人は、アダム家庭が堕落したのと同じです。霊界に入って何が生じるかといえば、天の側の監獄が生じます。中間霊界が生まれるのです。祝福家庭の楽園が生じることを知らなければなりません。このごろ相軒サンホン氏の証言が代表となっていますが、そこでも罪を犯した人は、名札を付けて行き来しなければなりません。角度が異なる分だけ、90度に合わないその度数の差に対して制裁を受けなければなりません。一切許されないのです。強制的にでもひねり出すのです。
角張ったものは削ってしまわなければなりません。それが駄目になった時は、隔離しなければならないのです。北極へ、南極へと隔離するのです。そのような時が来るというのです。見ていてください。霊界がそのようになっています。
(300-158, 1999.3.3)
霊界に行った36家庭たちは、霊界の栄えある所に行っているのです。李相軒イサンホン氏が霊界の実相に対してすべてを話しませんでしたか。祝福を受けた36家庭は、栄えある所にいるというのです。しかし、誤れば名札を付けて行き来するというのです。そこに地獄が生じます。楽園があるのです。それが今後、サタン世界が除去されれば・・・。
天国は天国ですが、天国ではないというのです。中間霊界、霊界の監獄に閉じ込められているのです。地獄のような国が遠くにあるのではなく、1日生活圏にあるというのです。地上は時間圏内で生活するのですが、そこは1年を1単位にして生活するような理念をもって暮らすことができるのです。そのような差が生じるのです。
(299-315, 1999.2.21)
地獄にいるすべての人々も解放の恩恵を受け、家庭を備えると同時に息子、娘に再び会うことができ、孫をみな集めて天国の門に入っていく時は、堕落していないアダム家庭と同じ位置に至らなければならないのです。ここはサタン世界圏から抜け出した世界、サタンの讒訴ざんそがない所なので復帰が早いのです。


霊界では、相軒サンホン氏が祝福家庭の最高の位置に行っていると言ったでしょう? この最高の位置が、これから生まれる霊界のモデルです。霊界のモデルだというのです。天国があり、家庭的な楽園が生じるのです。家庭的な中間霊界が生まれ、家庭的な地獄が生まれるというのです。皆さんが現在の暮らしの中で良心の影として残っているものが、白昼にすべて底までのぞき見ることができる時代なのです。そこでは弁明が通じないのです。そこにも監獄があるというでしょう。監獄があります。
祝福家庭も霊界、天国に入っていって家庭がハナニムに近い所へ行き、父母様の近くに行ける階層が生じたというのです。
(295-300, 1998.9.24)

 

4) 真の父母様の家庭と霊界役事

 

① 興進様と霊界長子権成立

興進フンヂンが霊界に行くことによって、地上と天に分かれたアベルと天使が、双子のように一つに結ばれるようになりました。その一つになった基盤の上に、父母が出動するのです。
これが、統一原理観です。
(131-52, 1984.4.1)
興進は息子格のアベルですが、その息子は、真の父母の愛によって原理結果主管圏の蕩減とうげん条件を立てた基盤をもって霊界に行きました。サタン主管圏で勝利し、直接主管圏をなした立場で霊界に行ったのです。それゆえに、堕落以後、初めて完成した資格を備えた息子として天上世界に行ったという条件をもっているのです。本来、堕落しなければ、霊界に行った人々が真の父母の心情圏を中心として原理結果主管圏と直接主管圏が一つになった家庭的基盤において、愛を中心とした主人や息子の資格をもつというのです。これをもたなければ、天上世界に行けなくなっているのが原理です。
(131-52, 1984.4.1)
興進が逝く前に「統一式」をしたのです。このすべてのことを準備しておき、先生が医師に酸素マスクを取ることをOKしたのです。このように道をすべて築いておいて送ったのです。この世ならば、息子が死んでいくのにそうしているので、「狂った人だ」と言うでしょう。
天の前に捧げるのです。このような歴史時代の三角地帯において、人類と韓国と統一教会の群れと世界のために、また霊界のために捧げるのです。イエス様が昇天して再び来られるのと同じように、そのようなことが起こるのです。それゆえに、霊界を見れば興進が再臨主です。霊界の救世主なのです。そのようになっているのです。
霊界から見たとき、真の父母から愛のメシヤとして送られたのが、興進様だというのです。その興進が、地上の父母様を協助しているので、この地上に、再臨時代と統一世界が展開されるのです。それで、二世が祝福される時が来たのです。分かりますか、何の話か。
(225-86, 1992.1.2)


「統一式」をしてあげるのにどのようにしますか。何でもつかんで式をしてあげるのではありません。生殖器を中心として式をしてあげるのです。愛のみ旨を成し遂げられずに逝ってしまう息子の前に、愛の「統一式」をしてあげてこそイエス様と直結され得るのです。オモニもすべては知らないのです。そのように死んでいく環境で「統一式」をしてあげることによって、悪魔たちが見つめる立場のすべてを越えるのです。息子が死ぬのが問題ではなく、泣くことが問題ではないのです。ハナニムの愛する家庭がどうなっているのだと、皆が恨めしく思うそのような場面で、それをすべて退け、父として息子の行く道を収拾してあげなければならないのです。
(212-93, 1991.1.2)
興進を生きた祭物として送ったので、それが橋になったのです。それは、愛を中心として家庭的背景を中心とした天上世界の橋なので、イエス様も興進君についていかなければならないのです。家庭の橋を経なければならないでしょう。初めてこの地上で真の父母の子女として、真の父母の愛を受けて、祭物の勝利者として天上世界に行ったのが、興進ただ一人なので、天上の全権をもって統治できるのです。
(280-281, 1997.1.2)
興進君が青少年で逝くことによって、真の父母の愛を受けた子孫が行くことによって、興進君と霊界が一つになる立場に立つようになって、これが真の父母の家庭と連結されるのです。霊的世界の長男になるのです。お兄さんになるのです。
それゆえに真の父母様の愛の圏が霊界に移されるのです。それにより、地上と関係を結ぶことができなかった霊界のキリスト教から始まって、すべての宗教が興進によってみな・・・。イエスが興進をお兄さんとして侍らなければなりません。そうして連結されるのです。そして、地上再臨をすることによって、地上に霊的な後援が激しく押し寄せることによって、サタン世界は崩れ始めます。急進的に下降してしまうようになるというのです。
堕落後に生じた霊界と肉界の境界線がすべて崩れるという話です。興進が逝くことによって、真の父母の愛の圏を中心として霊界と連結されるので、地上世界と天上世界の塀が崩れて交流できる時代に入ったのです。
(225-86, 1992.1.2)
この時代において、直系の子女と養子圏がどのように交代するのでしょうか。ここで興進に重要な責任があるのです。この時が来る前に霊界を収拾してあげなければなりません。イエス様から今まで、霊界に行ったすべての霊たちは真の父母と関係がなく、真の父母の血肉と何の関係もないのです。
また真の父母の愛と関係を結ぶことができなかったというのです。ですから、あの世に行った人々は、みな未婚の男女と同じです。イエス様御自身もそうなのです。再び来て関係を結ばなければなりません。
(225-85, 1992.1.2)


興進君を結婚させたでしょう。霊界家庭総司令官という立場なので、結婚をしなければならないのです。その下にみなぶら下がっているのです。そして、霊界で大母様テモニム忠母様チュンモニムを中心として・・・。霊界に行けば大母様から祝福を受けなければなりません。多くの教派、イスラームイスラム教)やキリスト教などの宗教が一つになって・・・。大移動が始まるのです。この地で父母様を通じてこそ、それを中心として連結されるのです。そうするためには、孝子にならなければなりません。忠臣にならなければならず、聖人にならなければなりません。それが伝統だというのです。
(292-226, 1998.4.17)
今回、イエス様の家庭と興進フンヂン君の家庭を、一つの家で過ごせるようにしてあげました。興進君とイエス様は、一つの家で生活しなければならないのです。イエス様の養子を託さなければなりません。これは天ができません。まことの父母がしなければなりません。ハナニムができないことを、真の父母がするというのです。ハナニムが「アダムが名づけたとおりになるであろう」と言ったでしょう? 何の話か分かりますか。
(292-327, 1998.4.27)
先生が今、清平チョンピョンに行って、イエス様の家庭をよくしてあげ、興進君と兄弟の関係を結んであげて、キリスト教のすべての使徒を祝福してあげなければなりません。統一教会アベルの立場であり、キリスト教がカインの立場だというのです。これをどのようにして一つにしますか。霊的な観点からでも、肉的な観点からでもすべて一つにしなければなりません。真の子女である興進君はアベルの立場です。長子の立場です。カイン側の長子はイエス様です。地上世界と霊界を連結し、統一教会キリスト教世界を一度に祝福してあげるのです。
また、白人も黒人もすべて祝福し、未来にはすべて混ざり合うのです。そうすれば、闘うことがないのです。アメリカの悩みの種である、白人と黒人の問題を誰が解決しますか。その闘いを誰がやめさせることができますか。それはアメリカの誰もすることができません。いかなる団体もできないのです。宗教圏もできません。ただレバレンド・ムーンだけが可能なのです。
(292-312, 1998.4.27)
キリスト教文化圏の長子権の国であるアメリカに発表したのです。興進君とイエス様が一つになって・・・。興進君は統一教会を中心とした父母様を中心として、キリスト教を中心としたイエス様を中心として、彼らが主体、対象の関係だというのです。これがカインです。反対してきたのが、今からは統一教会に屈服することによって弟の立場に立ち、弟が兄の立場に立つというのです。弟の立場に立つには、興進君と統一教会が一つになった立場に立ったので・・・。
長子権とはアメリカだけではありません。父母様に侍ってから、統一教会に侍ってから、興進君に侍ってから。統一教会食口シックたちのために侍ってから一つになったので、二人が一つになって長子になるのです。天上世界、地上世界の長子の立場に立ち、統一天下、地上天国完結、統一圏に越えていくのです! アーメン!
(293-79, 1998.5.24)


霊界では、興進を迎える日が、歴史が始まって以来、最も嬉しい日です。興進は、愛のメシヤとして、霊界の門を開き、地上では標本的な殉教の道を開いたのです。ですから、統一教会員たちは興進を愛さなければならないのです。
(130-201, 1984.1.15)
ですから、興進が長子圏の福を次子圏に相続してあげることができるというのです。サタンは、相続してあげないようにしたのです。サタンは、相続をしてあげないで自分が強奪するのですが、長子圏の興進は地上で受けた福をすべて譲り渡すというのです。ですから連結できるのです。今までサタン世界は譲り渡そうとしませんでしたが、興進はどんどん譲り渡そうとするというのです。
(131-52, 1984.4.1)
霊界では興進がいるので、興進が垣根になって責任をもって教育をし、地上でできなかった恥ずかしさを逃れるために努力することを決心し、霊人たちが訓練を受けるのです。父母様は、うわべだけではないというのです。霊界を中心としたすべての実体的な権限を中心としてやっているのです。それゆえに、霊界を祝福できるのです。霊界に父母の実体圏があることによって、地上と霊界に統一的な祝福をして、祝福を受けた人々が天国に行くようになっているのです。天国は空いています。天国を満たすためには、地上で祝福がなされなければなりません。地上の祝福なしに、天上に祝福があるということは、あり得ないのです。
(304-306, 1999.11.12)
霊界でも今、教育体験館を立てようとしています。信仰世界、宗教世界の伝統を教えてあげ、その次には傍系である世の中の思想も教えなければなりません。「統一思想」を教えなければなりません。そのような教育部署をつくり・・・。霊界ですべて別れているので、分からないのです。ハナニムが自分の父母であり、自分は愛する息子、娘となって理想的家庭を成すという教育をしなければならないのです。
(300-314, 1999.4.15)
先生の家庭に今回、信春シンチュンが生まれることによって、家族が40人になりました。ちょうど40数を満たしました。それで、信春です。信春とは何ですか。新しい「新」という字ではなく、信じる「信」という字です。信仰において統一教会に春が来るのです。
今からは蕩減とうげん数で見ても、すべてのものを見てもそうだというのです。先生の家庭には今後、息子、娘がたくさん生まれるでしょう。孫たちがたくさん生まれるでしょう。私たちの息子、娘は何人ですか。なぜ12ですか。13でしたね。惠進ヘヂンは生まれて8日目に逝ってしまったのです。今後、興進も養子をとってこのようになれば・・・。産児制限しなければなりませんか、してはなりませんか。サタン世界では産児制限をしなければなりませんが、私たち祝福を受けた群れは産児制限をしてはいけないのです。汚れた体になって、「私はこうであっては息子、娘を生むことができない」という時は、生んではいけないのです。
(213-189, 1991.1.20)


歴史的な全体勝利圏の代わりとなる真の父母の家庭がこのようになったのは、根まで浄化するための歴史を経てきたからです。惠進様は、エデンの園の堕落した女性の血統を切ってしまって犠牲になったとすれば、喜進ヒヂン君は旧約時代です。すべて母が違います。
それで、喜進君は旧約時代に該当し、興進フンヂンは新約時代です。結婚できなかったのです。イエス様と全く同じです。結婚をしたので、地上で霊界と連結して、キリスト教の祝福を受けていない霊的な完成を広げてきた歴史に、肉的な完成のキリスト教の基盤を連結させるのです。家庭的な祝福が連結されるのです。
(304-304, 1999.11.12)

 

② 先祖解怨式と清平役事

清平チョンピョンに行くのはなぜですか。自分自体において霊的に引っ掛かったことを清算しなければならないし、自分の先祖をすべて解怨かいおんしなければなりません。検証を受けなければならないのです。興進君が行っています、興進君が霊界の最高の長子です。興進は誰の弟ですか。興進の兄が孝進ヒョヂンでしょう。ところが、興進は孝進よりもお兄さんの立場にあります。興進が最高のお兄さんの立場にあるというのです。すべて王として侍らなければならないのです。
(299-309, 1999.2.21)
今は、国家時代に入ったのです。焦点を合わせなければなりません。それで、霊界解放と祝福をするでしょう。120代まで祝福するつもりです。過去には4代です。4代であれば何親等ですか。8親等までいくのです。7代まですればもっと多くなるのです。数百家庭、たくさん栄えた家庭は数千家庭になるのです。4代祝福、それから7代祝福をするのです。7代やれば一族を越えるでしょう。その次には世界版図である120代です。清平でそのことをするために、すべての祝福家庭は競争して、自分の先祖をすべて解怨してあげなければならず、祝福の門を開けてあげなければならない責任があるということを知らなければなりません。
(299-307, 1999.2.21)
先祖解怨式をみなしましたか。7代を解放しなければなりません。7代が解放されれば120代まで、7代からどんどん上がっていき、120代までしなければなりません。その先祖を中心として解放すれば、分別して、一度に120代を祝福できるのです。それゆえに完全にすべて祝福を受けます。では、地獄の門が壊れていきますか、壊れていきませんか。イエス様がいる楽園、その楽園や中間霊界は堕落ゆえに生れました。霊界もペア・システムになっています。それをしなければ自分たちが霊界に行って困るというのです。霊界で引っ掛かれば駄目です。霊界を整理しておき、地上はいつでも霊界を通して解決しなければなりません。
(301-205, 1999.4.26)
自分の先祖、120代を解怨するために清平に行って修練しなさい。「4代を解怨しなさい」と言ったところ、清平で大騒ぎでしたが、4代をしました。それから、「7代をしなさい」と言ったところ、7代をしたのです。今回は、「120代をしなさい」と言ったところ、「アイゴー(ああ)!」と言うのです。「アイゴー」とは何ですか。死に物狂いでやりなさいというのです、霊界に行ってです。興進もおばあさんもそこに閉じこもり、霊界に行ったからには、死に物狂いでやりなさいというのです。祭物になれというのです。それで、120代を解怨すればみな呼び出してあげるのです。


アダムが天国に入っていく時、中間霊界に夫婦たちが暮らし、地獄に行っている人たちの泣き声を聞けば、アダムの心は安らかでしょうか、安らかではないでしょうか。そのようなことは、あってはならないことではありませんか。原理がそうでしょう。ですから解放するのです。「四・四節」をコディアックで宣布しましたが、宇宙的な「四・四節」をプンタ・デル・エステで1月8日に宣布しました。
(300-96, 1999.3.1)
大母様テモニム以外に忠母様チュンモニムもいるのです。大兄様テヒョンニムもいるのです。先生の一家の人たちは今、先生が命令すれば、どこに行ったとしても大母様がしていた仕事をすることができるのです。興進は、大母様の教育を受けなくても大母様をリードしています。先生の息子、娘がたくさんいて、孫まで合わせれば40人以上になりますが、それを準備し、受け入れられる人々がいません。どうですか。関心ありますか、ありませんか。先生が冗談半分に言うので、全部そのように聞いているでしょう、この者たち! 深刻な話です。
(298-165, 1999.1.1)
孝南ヒョナム氏! 各州に清平のような修練所をつくらなければなりません。自分が六大州を2ヵ月に1回ずつ行って、巡回しながら支部をつくらなければなりません。一つの所に引っ張ってきていると費用が多くかかってしまいます。清平に行くのに費用がたくさんかかります。そのような必要はありません。六大州支部をつくり、自分が一人で行って何千人もいっぺんにやれれば、費用も節約でき、神霊役事も霊界を動員し、アフリカの人々も動員できるのです。清平のような所を六大州につくり、その六大州につくったものを各国で立ち上げれば、均衡的な霊的教育の場が生まれるのです。そうすることができなければ、私が清平から追い出すのです。「清平ではこのくらいにして、誰かを代わりに立てて、あなたはヨーロッパへ行け」と言えば、興進君から大母様、忠母様が一緒に行って、3ヵ月だけすれば支部が生まれるのです。今後、霊界に通じる人がたくさん生じるのです。
(294-197, 1998.6.14)

 

5) ただ一つの願いが残っているとすれば

堕落した世界で迫害を受ければ受けるほど、より理想的な、より高い所に行くのです。霊界に行けば高貴な天国人になるのです。ハナニムが見下ろして「これは私の愛する息子だ!」と言われるのです。その時は、五官がハナニムの愛に酔うのです。全宇宙が頭を下げて称賛するのです。そのような世界が待っているのです。聖子せいしが来るのを待っているのです。それが私たちの究極の目標です。分かりましたか。すっきりしましたか。
(294-96, 1998.6.14)


ムン総裁は闘いませんでした。最後まで耐えに耐え、また耐えて頭を下げて行ってみると、その道は、闘わずに最高の立場、ハナニムの相続権を受け得る立場まで行ける道だったというのです。そうしてみると、滅びずに、「滅びろ」と言う世の中の前に勝利の覇権を握って、国を越え、世界を越えて歓迎を受け得る環境をつくりました。地上世界と霊界まで平準化できる、このようなことをすべて終えたのです。アーメンです。アーメン!
(302-207, 1999.6.13)
私が韓国に対して血肉を削って奉仕した時代は、過ぎたというのです。国家を中心として、時は来ているのです。私が立てた手本を見せてあげたならば、「先生以上に死ぬ前に仕事をして自らの生涯に残さなければならない」と言わなければなりません。これをしなくては、天上世界の父母様のあとをついていけないのです。今や、相続権を受けたので、父母様の影のような姿でも、その国、その地で家庭の周辺に影響を及ぼすことができなければならないのです。幹になれないなら枝にならなければならず、枝になれないなら葉にでもならなければならないという、木の存在に所属するのです。自らの霊界と接近できるというのです。
(267-279, 1995.1.20)
私が手に力を入れて夜寝ると、これが固まるので、天が私の手を握って広げてくれます。そのようにするなといわれるのです。そうすれば、解けていくのです。そのようなハナニムを信じて暮らす人にとって、何が心配でしょう。統一教会の背後には、そのような奇跡がいくらでもあるのです。
霊界について相軒サンホン氏があかしたことは何でもないのです。私はそれを知っています。世の中は信じようとしませんが、私は100パーセント、1000パーセント知っている人です。信じるのではなく、知っている人です。人類はそのようなことを信じないので、天が支援しません。
霊界に行けば、先生に対して有り難いと思うのです。李相軒イサンホン氏も統一教会を信じて霊界に行けば苦労すると思ったのですが、最上の立場で仕事をしているというのです。驚くべき事実であり、こうであるとは思わなかったというのです。かといって、笑って過ごさないでください。深刻な問題です。それを信じることができなかったなら、そばに刀を刺しておき、うとうとすれば死ぬと決心して祈祷してみてください。そのような談判祈祷をしなければなりません。適当では駄目です。
(302-270, 1999.6.17)
先生は、おかしな人です。一度しっかりと記憶すれば忘れてしまわないのです。それが心配なのです。何も知らないで、今・・・。何、痴呆ちほう? まだそうなっていないのです。80歳になったおじいさんでも、賢くてはっきりとしたおじいさんです。コンピューターが私に来てあいさつをする、そのようなおじいさんだと思えば間違いないのです。私の頭に入れれば永遠に忘れません。霊界まで行っても記憶しているのです。地上で自分が誤ったことがあれば、解かなければなりません。
(298-129, 1999.1.1)
先生は1960年以降に、山に行ってハンティングをしたりしています。国のためのすべての責任を全うするために、動物世界を経て水産事業まで、63年から準備したのです。海を占領しなければならず、陸地を占領しなければなりません。それから占領する場合は、祭事を捧げます。祭物を捧げてアベル的基盤に立ち、カインを愛したというそのような因縁を結ぶことができる人は、まことの父母以外にはないのです。誰もできないのです。


統一教会食口シックたちは、出来ません。偽りの父母によって分かれたすべてのものを、真の父母によって成さなければならないので、雨が降っても雪が降っても海を中心としてすべて・・・。その海で犠牲になったすべての霊人たち、地獄の、地上に生きて死んでいった霊人たちの霊界解放が属開されるでしょう。それと同じです。海で死んだ霊人たちをみな祝福してあげるのも、すべてそのためなのです。ですから、真のハナニムという言葉を主張したことが、どれほど深刻であったかを知らなければなりません。何の話か、分かりましたか。
(298-19, 1998.12.31)
皆さんのような、そのような闘いも知らない純潔な人たちに王の座をすべて譲ってあげ、ふろしき包み一つも持たずに気楽に霊界に行こうと思うのです。霊界でも準備されているので、地上から持っていくものが何かありますか。もっと良い天国が見えているのに。
(299-239, 1999.2.17)
今は、大体すべて終わりました。先生がすべて教えてあげました。複雑な世界で疲れ果て、いじめられ、責められ、今ではそのようなことは嫌です。嫌になるのです。ですから、静かな所で松一つを見て10年も生き、岩を見つめて10年を生き、このようにしながら霊界に行く準備をしなければならないのです。霊界の複雑なすべてのことを収拾しなければならないのではないですか。それを知っていますか。
(296-286, 1998.11.10)
先生は万人に道を開いてあげなければならないので、死刑囚とも友になり、窃盗犯と手錠を一緒にかけられ、共にご飯を食べながら彼らを慰労してあげました。この前はラスベガスにまで行って、刑務所に収監されている人々のために祈祷してあげてきました。ニューヨークのニューヨーカー・ホテルを買ったのも、今後ニューヨークで1番のサタンの巣窟そうくつから掃討して新しく基盤を築こうとしたからです。そこに行って、付き合ってあげ、慰労してあげなければなりません。そのようにしてこそ、各界各層、サタン世界の滅びゆく人にまでも道を開き、道を築いてあげることができます。そうしながら地上で道を築いてあげればこそ、霊界のふさがっていたものが開き、世界が一つになることができます。それゆえに超民族的に黒人も結婚させてあげ、白人も結婚させてあげ、白人にも家を買ってあげるし、黒人にも家を買ってあげます。このように先生は世界にないことをしている人です。
(91-160, 1977.2.6)
この国の扱いを考えれば、悔しく思います。おじいさんが使って捨てたつえのように考えて、肥だめをつっつこうとする統一教会の群れがたくさんいます。どのようになるか、霊界に行ってみなさいというのです。烈祖の審判台の前で、千年、万年のハンを抱き痛哭つうこくの涙を止められない悲運が宿っていることを知らないでいるのです。レバレンド・ムーンは、それを知っているのでここまで来ました。
(263-221, 1994.10.4)


気楽に寝る者は、誰かが夜に毒薬を注ぐかもしれません。これは1000万年の道を汚すことです。ですから先生は生涯を懸け、針の座布団に座ったような気分で生きているのです。気楽に座ったこともなく、寝ることもできないのです。横になって体を曲げて寝るのです。使命を果たす前には、自らの肢体を天に向けることができないのです。先生はそのような生活をしています。
(247-81, 1993.4.21)
皆さんはみんなネクタイを結んでいますが、私はこのように着ています。いつでも走っていくというのです。ですから、誰よりも先に行くというのです。家にいる時は靴下を脱ぎ捨てて、裸足で過ごしています。できるだけ服を脱いで暮らすのです。なぜですか。そのようなことがすべて預金です。飢えた人のために与えるのです。それがくせになってしまい、靴下をはいただけでも煩わしいのです。どこに行っても脱いでしまうのです。一生の間でいくらになるかを計算するのです。私が霊界に行けば、これが何千ドルになるならば、預金し、アフリカのかわいそうな人を生かしてあげなさいというのです。基金をつくっておいて逝こうとするのです。
(279-308, 1996.9.22)
本来、ハナニムの創造理想とは何ですか。まことの父母の名前を通じて、天国の王国と地上王国を成すことです。真の父母の名前をもたずに、地上天国と天上天国は生じません。今日、キリスト教徒たちに、「イエス様はハナニムの愛する長子であり息子なのに、どうして天国に行かず楽園に行っているのですか」と尋ねてみれば、返事ができないのです。天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるというのです。霊界に行って王国を統一することが真の父母の使命であって、他の人の使命ではないのです。
(131-182, 1984.5.1)
先生は生涯の間、命を懸けて闘ってきました。世の中で苦しい仕事は避けることができますが、この仕事は避けることもできないのです。腕力や暴力をもってしてもできることではないのです。
原理原則によってしなければ、四方から打ち込まれる矢を避けることができません。このような闘いは、ハナニムが天地を創造なさることよりも、もっと難しいことではないかとも思います。そのようなことをしながら、蕩減とうげん条件を立てて内的基盤を築いてきたとは、皆さんは夢にも思わなかったでしょう。そのような基盤を土台として転換点をなしたというのは、「天宙的な勝利だ」と言うことができます。
(35-167, 1970.10.13)
ムン先生がこの道を探すために死の道を何百回も越えてきたことを、皆さんは知らなければなりません。ハナニムを数百回も泣かせた人が文先生です。歴史が始まって以来、誰も文先生くらいハナニムを愛した人がいないのです。それゆえに、いくら世の中が私をなくそうとしても、文先生は絶対に滅びません。ハナニムが保護してくださるからです。皆さんも文先生が教える真理圏内に入れば、ハナニムが共に保護してくださいます。
(279-256, 1996.9.15)


新しい開拓精神で生きていけば、年を取りません。
私は、性格のゆえに横になって死なないし、死ななければいつも動くのです。ってでも動き、そうやって見ればいばらの道でしょう。年を取って周辺の注目を浴びてお世話になりかねない、このような立場で生きるというのは、恥辱の中でもこのような恥辱はないのです。私たちは、霊界を知っているので、体を脱ぎ捨てればどれほど自由でしょうか。
今後は海、水を占領するというそのような主張、そのような思想をもてば世界を主管できます。水が一番重要なのです。それで、私が霊界に行く前に、大きな地域を中心として着手しておいて逝かなければならないのです。ですからせっせとみことばも多く語り、すべて語っておけば、後世の人たちがなすと考えています。
(276-296, 1996.3.10)
先生は性格的に、霊界に行って静かに玉座に座って命令できる先生にはなれません。霊界へ行くようになれば、今まで、霊界に行っているすべての人々が開拓できなかったハナニムの心の世界、次元の高いその世界、考えも及ばなかった世界に、レバレンド・ムーンが行って、また開拓する勇士になるでしょう。
(276-75, 1996.2.4)
ある霊通人が、文先生が偽物か本物かと祈祷したところ、痛哭をするのです。我知らず痛哭するというのです。1日、2日、毎日痛哭するのです。なぜそうなるのでしょうか。文先生を知るためには痛哭する心情を知らなければなりません。それを知らずして文先生が分からないのです。誰かが私に対して一言だけ言えば、私が千年の恨を抱いて痛哭できる事情をもっていることを、誰が知っていますか。私がハナニムを知らなかったら、それほど非難されないのです。ハナニムをあまりに知り尽くした罪で・・・。私だけを信じるしかないハナニムがどれほどかわいそうですか。2000年間誤った歴史を20年間で蕩減復帰しなければならないのです。ですから易しいですか。言うことがたやすいですか。
(137-183, 1986.1.1)
私が霊界に行った時、最高の希望とは何でしょうか。私が慕い、私が愛し、(私が)最高潮の時に思ったその心情圏内で、お父様を呼び、お父様の愛を受けたその基準を願うのです。
(282-311, 1997.4.7)
涙で分かれたので、痛哭したあとにすすり泣くその息子をつかんで、「お前の願いがこれではなかったのか」と、祝福のみ言を伝授されてこそ、永遠の勝利の真の父母の覇権が伝授されることを知っている人なのです。深刻です。その1日のために一生を捧げているのです。
(288-153, 1997.11.27)
霊界に行く時、ハナニムの前にどういう贈り物をもって行くのか、それが先生の問題なのです。ハナニムが願う国と世界のために働いたのであり、今後来る、理想的な社会と理想的な世界を成し得る二世のために生きてきました。ハナニムのように愛しました。


それゆえに霊界に行っても不自然ではありません。そのままの延長です。ほかのことではありません。そのことをするのです。ハナニムがそのことをしているので、私もハナニムに近い所へ行き、そのことを共にせざるを得ないという詰論が出てくるのです。ですから、お父様におかれても、「私の国はお前の国だ」と言われるのです。なぜですか。「変わらない愛をもって、お前が私を知ったのちにも変わらなかった」、これが理由でしょう。「お前は私が愛する愛をもって変わらない立場で、台風が来て暴風が吹いても、監獄にほうり込まれ、どんなにさげすまれても、個人の反対、家庭の反対、社会の反対、国家の反対、世界の反対、全霊界の反対を受けても変わらないで、私のような不変の姿勢をもち、その愛と理想を追求したので、お前が成した国は私の国であり、お前が人類のために探したものは私の国に違いない」と言われるのです。
(205-212, 1990.9.2)
ただ一つの願いとは何でしょうか。私が霊界に入る時、ハナニムが私にどのように対するかということが問題です。私がそのみ前に立つ時、ハナニムが王座に座っていて、我を忘れて矢のように駆け降りてきて、「御苦労だった」と抱き締め、キスをされながら、「永遠の祝福がお前にあることを願う!」と言ってくださるその1日が願いです。そのことを地上に残さないでは、死のうとしても死ねないのが真の父母の事情であることを知らなければなりません。
(264-63, 1994.10.9)
家庭を救ったならば国家を救わなければならず、国家を救ったならば世界を救わなければならず、世界を救ったならば天宙を救わなければなりません。そののちには、ハナニムまで解放しなければならないのです。すべてのサタンまでも、ハナニムまでも解放しなければならないのです。そのような立場には、まだなっていないのです。その立場にまで行かなければならないのです。先生がそのような立場で仕事ができなければ、霊界に行って罪人の生活をしなければなりません。自己の責任を果たせなかったという恥ずかしさ、それゆえに冒険をしているのです。霊界をすべて解放してあげるのです。解放してあげ、「私があなた方を解放させてあげたから私のために生きなさい」と言うのではありません。
「霊界ではハナニムのために生き、私を踏み越えて、世界のために生きなさい、生かしなさい」と言うのです。それが孝子の心であり、忠臣の心です。自分というものが中心になり得ないのです。
(301-187, 1999.4.26)
アダムが責任を果たさなかったことで地獄の谷間に入っていったのを、逆に立って、羞恥しゅうちと謀略とハンの心情をもって再び生命の道を開拓しなければならない道がどれほど悲惨なものか、誰も知らないのです。ハナニムだけは知っているでしょう。
霊界に通じる人がムン総裁は誰であるかと祈祷する時、痛哭つうこくでしか答えられないという天の心情を聞くたびに、私が「お父様、何でもありませんでした」と答えるなら、ハナニムは感謝の涙をどれほど流されるだろうかと考えました。そのような心情をもって歩んできて、このようなことを宣布することにより、ハナニムが捕らわれの身から解放されるのです。そしてそのことにより、私が霊界に帰る時、ハナニムがアダムの千倍、万倍の価値的存在として私を迎え、何千倍の喜びをもって私を歓迎したいと思われる、そのような自らにいかになるかということが、先生の生涯の目標だったことを皆さんは知らなければなりません。
(302-250, 1999.6.14)


p973 第7巻 礼節と儀式

 

第7巻 礼節と儀式

 

第1章 ハナニムに対して侍る礼法

   

1) ハナニムに侍って生きるべし

 

① ハナニムと人間は父子の関係

因縁の中でも標準となる因縁は、ハナニムと人間の間に結ばれた親子の因縁です。この因縁から始まった心情は、どんな存在の権限にも曲げられない永遠で、不変で、唯一なものです。

また、この心情の権限は絶対的なものです。それゆえこの権限をもって現れる時、すべての存在物はその前に頭を下げざるを得ませんし、この心情の権限をもって動かす時、全天下は、それに従って動かなければなりません。これが宇宙の鉄則です。
(7-105, 1959.7.26)

ハナニムが創造当時、理想として願ったまことなる愛、偉大な愛を中心として人間との愛の関係を結び、一つになり得る神人愛一体の家庭を成したならば、今日、私たちは「天国だ、地獄だ」と心配することなく、ただそのまま天国に入るようになるのです。
(275-54, 1995.10.31)

父と息子が出会える最高の場所とはどこでしょうか。愛が交差する中心、生命が交差する中心、理想が交差するその中心で出会うのです。そのように見ると、愛と生命と理想が一つの場にあるというのです。その場に行けばハナニムも愛であり、私も愛であり、ハナニムも生命であり、私も生命であり、ハナニムも理想であり、私も理想になるというのです。これを決定づけることのできる最初の因縁と最初の統一の場所が、親子関係が成される場でなければなりません。これは間違いのない事実です。
(69-78, 1973.10.20)

皆さん、「父子一身」という言葉はいったい何を中心として言う言葉ですか。これは愛を抜いてはいけません。愛と生命と血統が連結されています。この三つの要件が必要です。「父子一身だ」と言う時、そこには必ず愛と生命と血統が連結されなければなりません。
(197-234, 1990.1.19)

言葉で結ばれる親子の関係、約束だけで結ばれる親子関係は必要ありません。心を尽くし、精誠を尽くして父のみ旨のために生き、骨肉が溶けるような苦痛の中でも耐えて勝利する時、私たちはハナニムと親子の関係を回復できます。
(2-234, 1957.6.2)



ハナニムから愛を受けたいと思うその最高の立場とは、どのような立場でしょうか。その立場はまさしく息子の立場であり、娘の立場です。ハナニムには天情があり、私たち人間には人情があります。この人情と天情が互いに合わさることのできる帰着点となる場は、絶対者であるハナニムも願い、人間も願うただ一つの場、すなわち一父母を中心とした息子、娘の立場で互いに愛を与え受けることのできる場です。
(39-9, 1971.1.9)

本来はアダムとエバが互いに最高に喜び合う中で、最高の生命力が発揮され、最高の力が一つになり、全体の理想力まで一つにならなければならないのです。そのような中で、愛の花が咲かなければなりません。それで花のように咲いて、その香りが全天下を覆っても余りあり、ハナニムがその花を見つめて花の香りを味わいながら、自らそこに酔うことのできるそのような愛を、ハナニムは夢見ていたのです。
(104-44, 1979.3.28)

アダムとハナニムが一つになって、互いに愛があふれる時、アダムはハナニムになることができます。アダムが愛によってハナニムと完全に一つになる時に、ハナニムはアダムに臨まれます。聖書にも、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ 13:16)とあります。私たちがハナニムの聖殿です。
(54-139, 1972.3.22)

ハナニムは皆さんの近くにいらっしゃり、誰よりも皆さん一人一人を心配していらっしゃる方だということを知らなければなりません。

この世では肉親の愛が一番大きいと思っていますが、ハナニムの愛はそれよりも大きく、深いのであり、この世のどんな人間的な愛よりも深く、大きいものであることを知らなければなりません。このようなハナニムの愛の懐に抱かれて、「お父さん」と呼べる皆さんにならなければなりません。「お父様の悲しみを私は知っております」と言える立場で、ハナニムの内的な心情を体恤たいじゅつする真の息子、娘にならなければなりません。そのような息子、娘となり、ハナニムに侍る天国を所有するならば、その天国は誰も奪っていくことができません。
(2-234, 1957.6.2)

父子一身という愛の論理圏内においては、父の所有は息子の所有になるのです。夫の所有は妻の所有になるのです。愛を中心としては相続権が永遠に保障されるのです。真なるハナニムの愛の対象者として因縁を結んだ息子、娘となったなら、その人においては、ハナニムの体も私の体であり、愛も私の愛であると同時に、造られたすべてのものも私のものになるのです。

ですから皆さんの中には、天下を占領しようという本性の欲心が残っているのです。これがハナニムが人間に共通に分配してくださった、宇宙を所有できるハナニムの息子、娘の権限を引き継がせるための贈り物だったというのです。
(199-346, 1990.2.21)



 

② 一体となった生活をしなければならない

すべての宗教では、「見るものをいい加減に見ないで、聞くものをいい加減に聞かないで、話すことも人に対することもいい加減にしてはいけない」と言います。

見るのも、聞くのも、言うのも、感じるのも、愛するのも、すべてがハナニムを中心としてしなければならないのであって、自分を中心としてしてはいけないということです。
(66-231, 1973.5.13)

皆さんはハナニムに侍る者として、うれしい時にハナニムをどれほど喜ばせましたか。皆さんがおなかのすいた時にご飯を食べながら感じる有り難み以上に、ハナニムに侍ってさしあげましたか。皆さんは良いものを食べる時や着る時、そして悲しい時や大変な時にも、いつもハナニムに侍らなければなりません。そうすることによって、ハナニムの心に覚えられる理由を残さなければなりません。
(17-291, 1967.2.15)

私の意識と直感と感覚器官の一切が、父のものであり、私が感じ意識する全体が父のものだという観が決定されなければなりません。そのようにならない限り、心情を通じて動く天を所有することができないということを、はっきり知らなければなりません。
(8-294, 1960.2.14)

人間は誰でも、心情的にハナニムと一つになるようになっています。お父さんであるハナニムと子供の人間は、正に心情で連結されています。
(55-163, 1972.5.7)

私たちが話をし、見て、感じ、また感情的に体感する一切も、ハナニムを中心として因縁をもったものでなければなりません。
(53-239, 1972.2.29)

私たちはハナニムに侍り、父母に侍って生きるのです。話をするときも、行動をするときも、寝ても覚めても侍る生活をしなければなりません。このようなコンセプト(概念)さえもてば、24時間サタンが侵犯することは全くありません。
(161-231, 1987.2.15)

朝、寝床から起きて初めの言葉を天の前に捧げ、家を出る時も、第1歩を右足から踏み出し、天の前に捧げなければなりません。平素の習慣がこのようになれば、皆さんの生活は侍義じぎ生活になり得るのです。このような観点で、皆さんは原則的な基準で、生活態度を取っていかなければなりません。
(17-296, 1967.2.15)

私たちが朝起きて感じるすべての感覚、動作が一つの目的を中心として、いつも直線上に帰一できなければなりません。その点を喪失すれば、み旨と私とは関係を結べないということを否定できません。
(57-231, 1972.6.4)

天国は、侍る生活をしたことを誇る所です。それならその天国とは、どのような者が行く所でしょうか。主を信じて福を受けるために、福を先立てていく者が行く所ではありません。天国は、侍るために心情的に準備する生活をした者たちが行く所です。準備する期間に死ぬとしても、侍る生活を残して喜んでいくことのできる者が行く所です。そこに復活があるのです。
(8-304, 1960.2.14)



今は三合(ハナニム、真の父母、皆さん)が一致しなければなりません。歩調を合わせなければならないということです。生死の決定的内容がかかっているので、三者が一致する点で一つにならなければなりません。その点に生命の復活圏があります。その点が、まことの父母と皆さんが一つになって一致できる連結点です。そこで一心統一が起こるのです。ですから皆さんは、み旨と一致した生活をしなければなりません。
(31-321, 1970.6.7)

1日24時間の生活圏内で私が見聞きしたすべてのことは、何のためでしょうか。ハナニムのためです。ハナニムのために見たり聞いたりしなければならないし、感じることもハナニムのために感じなければなりません。私たちは地上で生活していますが、天上世界の生活と連結させて生活しなければなりません。
(35-284, 1970.10.25)

毎日のように慕わしく思えない人は、ハナニムに侍ることはできません。皆さんは誰を慕うとしても、いつも慕わしさに浸っていなければなりません。しかし、夜12時になると「さあ、寝よう」と言う人はハナニムを心配させる人です。天国には昼夜がないのです。心情の因縁を抱いて出る時、夜が問題ではないというのです。
(17-293, 1967.2.15)

本来、ハナニムと完全に一つになったのちに、私を中心として生き、私を中心として考え、私を中心として愛するのが原則です。それをはっきりと知るべきです。そのようになれば、自分を中心として考え、自分を中心として愛しても、それはハナニムを中心とした考えになり、ハナニムを中心として愛することになるのです。それが原則だというのです。
(92-166, 1977.4.3)

お父様であるハナニムに出会うために、ハナニムと因縁を結ぶために、どれほど情誠を尽くしたかということが自分の財産です。
(50-288, 1971.11.8)

皆さんは涙の谷間で父を呼ぶ時、応答を受けられる息子、娘にならなければなりません。

涙を流す場で「お父様!」と言う時、「おお、私がここにいるから耐えなさい」と、血と汗を流す苦痛がしみる場で「お父様よ」と言う時、「私が忍耐したのだからお前も耐えなさい」と、死が迫りくるその瞬間にも、「私がいるから安心しなさい」という言葉を聞ける皆さんにならなければなりません。

そのような場でどれほど父に侍り、どれほど父と共に相談し、どれほど父と共に生きたのかということが問題になるのであって、栄光の場では父をいくら呼んでも問題にならないというのです。なぜならば、お父様がまだ栄光の日を迎えていらっしゃらないからです。
(11-102, 1961.2.12)

「ああ、おなかがすいた。ああ、ご飯、ご飯、ご飯!」と言いますが、それは誰のために食べるというのですか。ハナニムのために食べると、そうでなければなりません。



どのようにすればハナニムのために食べることになるのでしょうか。私がハナニムの完全な聖殿になったならば、「ハナニムの聖殿である私のおなかがすけば、中にいらっしゃるハナニムがご飯を食べようと言われる」このように考えなさいというのです。そのようにご飯を食べれば、そのご飯は聖なるご飯になるのです。ご飯がご飯様になるのです。
(92-166, 1977.4.3)
 

2) 侍る心構えと態度

 

① 侍ることによって生活の天国化を成す

ハナニムは、妄想的で観念的なハナニムではありません。抽象的なハナニムではありません。生活的な主体性をもって、常に私たちが暮らしている生活の主人として、共にいらっしゃるのです。侍られるだけではありません。共同的愛を中心として、共同的な生活をしていらっしゃるハナニムです。夢のような話です。
(168-111, 1987.9.13)

ハナニムを心の中に侍り、私たち人間が体の立場で完全に一つになることのできる起源をつくらずしては、この悪魔の世界を清算する道がありません。このような観点から見る時、侍る時代、侍義じぎの救援時代だと見るのです。侍ることによって救われるのです。ハナニムは、あの空中に掛け離れているハナニムではありません。私たちの生活圏内の主体者としてのハナニムに侍らなければなりません。
(144-274, 1986.4.25)

皆さんは、ハナニムがいらっしゃることを1日に何回自覚しますか。24時間の中で何回ハナニムがいらっしゃることを感じますか。「侍ることによって救いを受ける」と言う人たちが、24時間の中で1、2時間ぐらい侍っていてよいでしょうか。

空気よりも切迫して必要なのがハナニムです。水よりも切迫して必要なのがハナニムです。ご飯よりももっと貴いのがハナニムです。ところで皆さんは、そのように感じられますか。
(33-230, 1970.8.16)

これから皆さんは、侍る生活をしなければなりません。今までの信仰生活は信仰によって救いを受けましたが、これからは侍ることによって救いを受ける時代です。本来堕落しなかったならば、ハナニムに侍ることによって私たちが行くべき道を歩むのです。侍るには、皆さんの生活と心で共に侍らなければなりません。
(150-213, 1961.4.15)

侍る生活をすべき私たちです。願いの天国は迎えましたが、待り実践しながら生活できる天国は迎えられませんでした。すなわち、生活的な面で主体のハナニムを知りませんでした。
(6-226, 1959.5.17)

私たちがこのように習い、聞き、待る生活をするのは何のためですか。6000年間、人類があえいできた目的は何ですか。それは聖書に流れているハナニムの事情を知り、ハナニムの心情を知るためです。



民族や国家は言うまでもなく、個々人をおいても父母の心情をもって対し、傷つき、蹂躙じゅうりんされ、排斥され、引き裂かれてこられたハナニムが私の父だということを知るためです。
(8-252, 1960.1.17)

成約時代は、愛の時代です。ですから結婚できるのです。今まで宗教時代には愛を許さなかったので、高次的な宗教は結婚を許さなかったということを知らなければなりません。
(96-117, 1978.1.2)

ハナニムは「ため」に生きる宇宙の中心存在なので、その前に近く行けば、千年、万年主管されてももっと主管されたいのです。ハナニムを中心とした侍る道理がそのようになっているので、今日、私たち人間もそのような立場で主管されれば、それ以上の幸福はないというのです。その事実を、私たちは考えることすらできませんでした。
(77-328, 1975.4.30)

信仰の義であるとか、行いの義であるとか、侍る義を追求するのはなぜでしょうか。義でなければ善悪を分別できないからです。悪なる世界と善なる世界が分かれません。その善の基準点の中心点となるのは何でしょうか。ハナニムです。ハナニムが信じるのと同じように、ハナニムが行うのと同じように、ハナニムが侍るのと同じように、いつもハナニムが中心にならなければなりません。それは、なぜそうでなければならないのでしょうか。

サタンはハナニムのように義なる者に対しては、讒訴ざんそできないというのです。ハナニムが信じ、ハナニムが行い、ハナニムが生活する、侍る環境に処していればサタンが干渉できません。

サタン圏内にいても、その環境にハナニムのようにできる義なる基準が生じれば、サタンはそこから後退するのです。
(161-218, 1987.2.15)

行いの旧約時代が過ぎ去り、信仰の新約時代が過ぎ去り、侍る成約時代だけがあるのではありません。成約時代になっても行いが必要であり、信仰が必要であり、侍る生活もみな必要なのです。それは蘇生そせい、長成があって、長成の上に完成があるのと同じだというのです。それは切っても切れません。
(161-218, 1987.2.15)

統一教会では「侍ることによって救われる」と言います。侍義、すなわち侍ることによって救いを受けるというのです。春夏秋冬、洋服を仕立てて着る男性がいるならば、お父さんにも仕立ててあげなければいけません。その方が体をもった方ではないので、代わりに精誠をためておいて、ある時が来ればそのためられた精誠を、誰が見ていても見ていなくても自分一人、教会のためにハナニムに侍る心で涙を流しながら献金箱に捧げれば、その精誠は契約の箱に積まれるのです。これが観念的ではなく、感情的に体化され表現できる生活にならなければなりません。
(48-323, 1971.9.26)