八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 3-8

八大教材教本 天聖経(2012年版)p900-936

【天啓の御言】(3-8)

 


世界的な時代に入った皆さんは、個人的な立場にあったとしても、世界最高の聖人と連結しているので、必要とする時、彼と同じ心性をもって、彼と同じ心的な生活をした人には、どこでも縦横無尽に協助できる基盤が霊的にできてくるというのです。それで今、統一教会の動きに伴い、全世界各国の愛国者は、統一教会の基盤を中心として、その背後に囲いを巡らしてすべてこの地上に再臨し、定住しています。
これは部隊でいえば、その国の民族の何十倍、何百倍にもなる人々が死んでいったのではなかったでしょうか。その人々が来て、陣を張り、拡大工作を待っているというのです。それゆえに、すべての宣教師は、国家的な運動をして総動員し、霊界と共に全体を代表し、犠牲を覚悟して総進軍の命令を下せば、その霊が協助するようになっています。
(162-108, 1987.3.30)
今までの宗教は、霊界と肉界を連結させることができなかったので、霊的な精誠を尽くして縦的な面に拍子と波動が合って初めて接触できましたが、今は、その放送局自体に入りました。振動盤のような位置に立ったというのです。波動ではなく、波動を起こす送信機自体だというのです。ここで何千周波数にしようと、何十周波数にしようと、短波にしようと、くっつければ波長、電波をすべて出せます。
私が放送局をもったので、「霊界にいる私たちの先祖が来て、私に協助してください。善の先祖よ、来て協助してください。そのようなバイブレーション(振動)が必要です」と言えば、さーっと来て・・・。個人を呼んでも動かすことができ、家庭を呼んでも動かすことができ、宗族圏、民族圏、世界圏を中心として連結させ得る踏み台が地上にできてきたので、それが動いて降りてくるというのです。このようになれば、今まで私の体はこのように行こうとしたのですが、我知らず回って、引っ張られていくのです。
二人の霊人体が来て、私一人をつかんで引っ張れば、私はつかまれたことが分からないので、引っ張られていくしかないでしょう。はた目には、一人で走っていくように見えるのです。皆さん、それを信じますか。これは空論ではありません。理論的です。
(162-103, 1987.3.30)
統一教会が動けばムハンマドマホメット)が協助し、儒教、仏教の代表者がみな協助し、ハナニムも協助するという話は理論的だというのです。ですから、私は人類を代表し、霊界を代表し、ハナニムの代身となっているので、全体が協助する立場で動くという自負心を持たなければなりません。
(162-15, 1987.3.15)
今まで父母様に対して霊界が支持できず、協助できない理由は、完成した父母の位置は堕落した霊界が協助できない位置だからです。本来、原理がそうでしょう。完成した父母の位置だということは、ハナニムと堕落していない天使長が後援するようになっているのであって、サタン圏内にある霊がいくら多くても父母を協助できないのです。今、霊界に行っている霊人は、まことの父母を通して生まれずに偽りの父母を通して生まれたので、真の父母を協助できないのです。


しかし、天使長が失敗したすべてのものを蕩減とうげんし、子女の位置でアダムとエバが育つそのような立場においては、いくらでも後援できるようになっています。それゆえに、霊界が協助することによって、世の中がだんだんと遠からず崩れていくというのです。
(146-312, 1986.7.20)

 

⑤ 流離する霊たち

皆さん、霊界がどれほど大きいか知っていますか。霊界にどのくらい多くの人々がいるだろうかと、考えたことがありましたか。今、霊通する人々の話では、一人当たりに3320余人ずつ霊人たちがくっついていると計算しています。私たちの味方にそれくらいいると考えると、世の中に負けるでしょうか、勝つでしょうか。
(86-193, 1976.3.28)
人が100年も生きられないのを考えるとき、50億の人類の中に、1年に5000万が霊界へ行きます。地獄に行くのをどうしますか。サタンがいておいた種をすべて天に収めることをハナニムが願うのに、これが遅れれば遅れるほど、どうなりますか。今まで40年間に、どれほど地獄に行きましたか。数十億が行ったのです。深刻なのです。あの世に行って、霊たちに会うようになれば、「先生の在世当時に、私たちに対して責任を果たせなかったのか」と言われれば、何と言いますか。心ででもしなければなりません。心ででも食口シックたちに話をして、未来に対しても責任をもつという行いを中心としていけば、「あなたは驚くべき方です。私たちのことを考えてくださった」と言うのです。
(205-355, 1990.10.2)
今も1日に6万人が死んでいます。今、1年に2000万人が飢え死にしているので、1日に6万人です。6万人が死んでいくのを父母、子女、兄弟たちが見るとき、胸を痛めて痛哭つうこくせざるを得ない事情が生じています。ところが、真の父母が同情せず、それに対する対処をしなければ、地上で在世当時に自分たちと共に生きたという条件が怨恨えんこんになります。
(205-355, 1990.10.2)
飢え死にする人よりもっと哀れな者たちが、ハナニムを否定する人々です。飢え死にする人は、自分(なり)の善意の道理に従ってあの世に行くようになっても、(それなりに)位置がありますが、ハナニムがいないという人は、霊界を否定するので足場がありません。霊界で雲の塊のように漂います。さまよう霊になるのです。雲が集まって雨が降るのと同じように、集結して悪い影響を及ぼすのです。ですから、みんな地獄に行って地獄を困らせるのです。そのようなことを十分に知って、彼らを生かしてあげなければならなので、この仕事をするのです。
(205-355, 1990.10.2)


4) 先祖たちと私たち

 

① 私たちは先祖の結実体

皆さんはみな、先祖の代わりとして生まれてきた歴史的な復活体です。その歴史がどのくらいになるでしょうか。何十万年になったと言います。結局は、「私」一人をつくるために、そのように長い歴史過程を苦労したのです。キム氏なら金氏という「私」一人を誕生させるために、多くの先祖が生まれて逝きました。ですから、私たちは歴史的な結実体です。
(46-155, 1971.8.13)
先生は人の顔を見れば、その先祖が良いのか、悪いのか大概分かります。ある人は良い先祖がいて福を受けるかと思えば、ある人は悪い先祖がいて実に苦労ばかりしているというのです。そのような人は、伝道しようと任地に行っても、ひどく苦労ばかりします。
(37-144, 1970.12.23)
皆さんが基準を立てて統一教会と歩調を合わせていけば、霊界にいる国家的な運勢に従って動いた善の霊人や先祖が、皆さんのために仕事をするでしょう。
皆さんは、外的に見ると顔が平たく、耳がつぶれていて不幸せに見えますが、霊界では、皆さんのことを福福しい人と思っています。また、10代(前までの)圏内にいる先祖は、気をもんでいます。なぜなら、復帰歴史は10代(前までの先祖)を中心として成されるからです。ところが、万一悪い子孫が現れれば、10代圏内にいる先祖が、「こいつ! お前が私たちを滅ぼそうとするのだな」と言って審判します。
(14-20, 1964.4.19)
エス様が地上へ来られることによって、それ以前の善の先祖が霊形体級の霊界から生命体級の霊界に入っていけたように、皆さんの先祖も、地上にいる皆さんを条件にして再臨できる特別な恵沢圏内に入りました。皆さんがこのようなみ旨を知って勝利の枝になれば、一つの生命体を成し遂げ得る立場なので、皆さんの先祖が皆さんを協助するのです。このように皆さんは、数千代の善の先祖が再臨できる基盤にならなければなりません。
(14-22, 1964.4.19)
霊界に行くようになれば、多くの預言者、烈士たちと多くの先祖に会って討論するのです。「あなたは、どこから来ましたか。地球のどこですか。どこの国ですか。どこですか」と聞いて回想して言うのです。友達同士が会えば自分の昔話をするでしょう。霊界に行くようになれば、皆さんの最初のおじいさん、数千、数万の先祖に会うようになります。ところが、「この者たち、どのように生きたのか」とぞんざいな言葉遣いをされれば、気分が良いでしょうか。考えてみなさい。
(148-321, 1986.10.26)
今は、私たちを協助してこそ自分たちが福を受けるようになっているのであって、反対すれば反対するほどますますどん底に落ちていくのです。天運が急変していきます。今後、家ごとに先生の写真を掛けようと大騒ぎするでしょう。霊界で自分の先祖が忠告するのです。それで旗を掲げ、先生の写真を掛けてその前で毎日のようにあいさつする人は、自分の先祖を復活させ得る役事が再び起こるのです。
(208-154, 1990.11.17)


今まで、数多くの雑霊界に通じる霊人たちは、「統一教会に行くな」と言いました。しかし、これからは釈迦しゃか、イエス様、孔子ムハンマドマホメット)も、「統一教会に行け」と教えなければ、天法に引っ掛かるのです。なぜでしょうか。先生が説く宗教は、父母の宗教だからです。
(208-154, 1990.11.17)
「私たちは、まことの父母によって新しい血統の代を継げる先祖になることにより、解放圏が広がる祝福を受けた宗族になった! この宗族は、永遠不滅のハナニムの眷属けんぞくであり、血族になる!」。(先祖が)このようになれば、サタンと完全に決別です。それで、統一教会は先祖を祭ることを認めるのです。
キリスト教祭祀さいしを行うことを認めましたか。統一教会は、今やその伝統を引き継いでいかなければなりません。これは、この世の伝統ではありません。天の父母、天国、天の先祖に侍ることによって、その継代を継ぐ宗族的メシヤ圏、伝統的な血族を千年、万年侍り得る王土になるのです。王に仕えて永遠の太平の世を導き得る国になるのです。その国で暮らしてこそ、皆さんのお父さん、お母さん、一家、一族が天国に直行するのです。
(220-222, 1991.10.19)
皆さんが祈祷して霊界と通じてみれば分かると思いますが、霊界では子孫を天の前に近く立てるために、どれほど努力しているか分かりません。ところが、ここでは先祖に悪口でも言って、自分だけ満足して生きようとしています。
(22-338, 1965.5.11)
霊人たちは、現在の自己の位置から解放されようとすれば、地上人を通さなくては苦痛を免れることができません。また犯した罪を脱ぐこともできないので、自分が暮らしていた所に必ず訪ねていきます。自分の血肉や関係のある人を訪ねていき、継続して信号を送ります。
(293-249, 1998.6.1)

 

② 先祖の救いは私たちがする

先祖が住んでいたこの家の中に、自分のひいおじいさん、ひいおばあさんが暮らした部屋に、おじいさんを生み、お父さんを生み、私を生んだその部屋に、おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさんが愛した愛より大きな愛を残すことによって、天が見れば、愛の光がぴかぴか光るというのです。100ボルト、1000ボルト、1万ボルト、何億ボルトの光をずっと照らすというのです。その照らす光がどこに行くのかといえば、先祖、先祖、先祖に上がっていくのです。霊界に行くようになれば、ハナニムを中心とした天国に行くのです。その天国が本来、私たちの本然の故郷です。私たちの本来のお父さんは、ハナニムでしょう。
(213-190, 1991.1.20)
あの世のすべての先祖が皆さんの生き方をすべて見ています。隠す所がどこにもありません。先祖がすべて見ているというのです。霊界に行くようになれば、壁もすべて通じるのです。地球もすべて通じるというのです。そのような世界に行って永遠に生きなければなりません。


ハナニムの愛の対象として創造された人間なので、ハナニムが永遠であられる限り、愛の対象である存在も永遠に必要だというのです。ハナニムが永遠であられるように私たちも永遠だというのです。愛の相対がなくては永生がありません。
(213-196, 1991.1.20)
霊界が私の手に懸かっており、親戚しんせきが私の手に懸かっており、親戚だけでなく国が私の手に懸かっており、今後来る子孫の前に正しい伝統を立てておくべきことも私の手に懸かっています。これをいつも考えなければなりません。皆さん自身一人一人が正しくできるか、できないかによって、霊界に行った皆さんの先祖も解放でき、皆さんの親戚も解放でき、皆さんの子孫は解放の選民として策定されるのです。
(66-76, 1973.3.17)
皆さんはいつでも、「3時代を代表した私だ」と考えなさい。ですから、霊界が私の手に懸かっているのです。皆さんの先祖が皆さん自身に懸かっているのです。過去、現在、未来をすべてこのように集めて、二つを重ねて引っ張っていけば走ってくるのです。そのような使命を果たさなければなりません。
(66-76, 1973.3.17)
今から世の中が急変します。悪人が事故でたくさん死ぬというのです。自分でも知らないうちに死にます。今や蕩減とうげんがありません。即決、処断時代が来るのです。気を引き締めなければなりません。誰が(処断)するのですか。悪魔が蕩減させるのではありません。自分の先祖たちが処理します。今現在、祝福してあげたその基準は水平になっているのですが、落ちて離れても、霊界においては落ちません。その位置に立たなければならないので(その位置を)失わないためにも連れていかなければならないのです。そのような時代が来るのです。先祖が薬と病気(あめむち)をくれます。先祖が「まことの父母様の写真を置いて侍れ」と命じるのです。
(301-164, 1999.4.25)
天地が願う以上、切実な心をもって協助を受けなければならないのです。みんなそのように行くのです。3代です。自分の先祖は1代、それから自分は2代、息子や娘は3代です。そこにおいて切実な心で結束しておけば、この地上に生まれる、3代圏の子孫が、父母と天上の先祖にまで及ぶようになるというのです。そうでしょう?
(302-39, 1999.5.18)
霊界にいる皆さんの先祖も、この世を見下ろしながら、誇らしい子孫に協助したくて地上に降りていきたいと思うのです。それで多くの先祖たちが皆さんの周囲に降りてきます。これが、宗族を中心とする宗派を超越した宗教世界です。理解できますか。皆さんの先祖たちが、皆さんを信じて皆さんを愛しながら、皆さんに従っていきたいと思うのです。すべてのものが皆さんに従ってきます。それで皆さんを協助することに献身したいと思うのです。
(189-278, 1989.5.1)


この地上に来て協助するには、自分(忠母様チュンモニム)が先生の母として立ち得る位置を整えておいて来なければならないので、今、来たというのです。皆さんによって復活をするのです。皆さんの先祖までが、皆さんによって救われるのです。それで、積極的に後援しようとするのです。ですから、その部落で休まず仕事をしなければなりません。
(179-25, 1986.6.15)
皆さんが一つの鉄則として知らなければならないことは、その地方で生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師たちが尽くした精誠以上に精誠を尽くさなければならないということです。それ以上精誠を尽くしさえすれば、彼らがみな協助するというのです。それが条件です。そうすれば、サタンの讒訴ざんそ圏以上の位置に立つようになるのでサタンが反対せず、霊界の協助によって皆さんの先祖が皆さんの子孫に、「みんな統一教会に入れ」と霊的に追い込むのです。どのようなことが起きるかといえば、皆さんのおじいさんが協助しようと現れて、みんな伝道するというのです。
(179-17, 1988.6.15)
お手洗いに行って座っていれば、霊界では「お前はきょう、何々をしなさい」とプログラムをすべて教えてくれるのです。そのようなすごいことが起ってくるのです。ですから、街頭にいれば関連する人々は、あらかじめ霊的にすべて連絡がついていて、出会うということがいくらでもあるのです。ですから、霊界の協助を受けなければなりません。霊界の協助がなければなりません。
皆さんも、今や先祖が協助するようになっているのです。堕落していない圏内の世界において、アダム完成圏を天使が保護して育てることにより、祝福の位置に行くことができるのです。霊界がそのような本然の使命を果たすことにより、天使長圏の霊界が復帰され、それによって地上圏が復帰されるのです。堕落は天使長がしたでしょう? それで、皆さんの先祖が来て、善の天使長がなすべきことをすることによって、皆さんは、アダムが堕落していない本然の位置に立って、ハナニムの心情圏内に到達できるのです。皆さんは、皆さんの先祖が協助する垣根の中でそのような道を行くことができるので堕落圏ではありません。本然の心情圏の勝利圏に立ち、解脱圏に向かって前進するというのです。
それゆえに、天国に直行できるのです。それが蕩減復帰原理にすべて合うのです。先生は適当に言うのではありません。
(178-133, 1988.6.1)
霊界が協助するのです。霊界が協助してその一族、親戚すべて、近い群れをすべて集めて皆さんの前に追い込むのです。このようにすることによって皆さんを中心として霊界が、ハナニムを中心として霊界の霊が降りてきてアダムを取り囲むのです。そこは善霊が囲むので、悪なるサタンは侵犯できない圏内となるというのです。それで、その基準を中心として、本然の真の先祖の位置を心情的因縁によって受け継ぎ、新しく植えた基盤ができたので、その基盤を中心として、皆さんの一族のおじいさん、おばあさん、誰彼だれかれなしに頭を下げることができます。
(177-75, 1988.5.15)


今や、皆さんの先祖が協助するようになっています。以前は、悪い先祖が子孫を利用したのです。しかし、今は、善の先祖が降りてきて活躍できる時が来ました。それゆえに、皆さんは、十字架を背負わなければなりません。宗族圏の十字架を背負って民族の代わりに蕩減とうげんし、国家と世界の十字架を背負って国家と世界のために蕩減するという人がいなければなりません。
世界的な理念時代に身を置くことが国家と民族の希望でしたが、霊人たちは今まで、高い位置に立てずに、どん底に敷き詰められていたのです。しかし、世界的な恵沢圏内で皆さんが十字架を背負って闘うならば、皆さんによって、さっとすべて復活できるというのです。そうすれば、平面的な立場で先祖代々に救援できる足場がすべて築かれるのです。それでこそ、皆さんの一族の解放が起こるのです。私の話が分かりますか。何の話か理解できますか。
(172-253, 1988.1.23)
横的な面において、自分の先祖たちがみなやって来て、橋を架けてくれるのです。先祖は天使長なので、再創造するのに協助をしてまことの父母の愛の因縁によって上がっていくのです。地獄も、門が開いて天上世界へ上がっていける道があるので、自分たちが教育を受けて・・・。自分の父母、先祖が天使長でしょう? しかし今は、神側を滅ぼす天使ではありません。
堕落した世界を滅ぼす天使、蕩減復帰の原則によって反対の立場で、昔と違って天を滅ぼす位置ではない神側の天使長の使命を果たして、自らの子孫、アダムと同じ立場の者を協助してあげるのです。霊界にいる霊人たちが協助する、そのようなことが起こるのです。そのようにすることによって、その霊人たちも、地上人のように越えていくことができるのです。
(164-276, 1987.5.17)
善霊が降りてきて皆さんを協助し、先祖がみな協助するというのです。それで、皆さんも、以前は誰かが統一教会に反対すれば、冷や冷やして震えたりしたことがすべてなくなるのです。今からは天下が騒ぎ立てても、心は太平だというのです。心が動揺しないというのです。それはどういうことかといえば、既に時がそのようになったというのです。悪なる霊的な雰囲気が私たちと接することができないのです。
善の先祖をもったすべての子孫たちを、よく観察してみると、彼らの心は、皆さんが自分の家に訪ねてくることを喜ぶのです。また来れば、何か貴いものを与えたいと思っているのです。皆さんは知りませんが、心において先祖が協助することによって、皆さんが不憫ふびんな人を助け、思いやるようになれば、皆さんの先祖も恩恵を受けるのです。皆さんもそれに応じて発展するというのです。今は再創造時代なので、アダム圏を天使世界が協助していたその道理によって、先祖たちが、天使圏において、アダムの子孫である皆さんを後援し、再創造に協助することによって、天のみ旨の前で成長していくのと同じ位置に立つというのです。
(164-308, 1987.5.17)


おばあさん、おじいさんが死んだとしても私のためによみがえり、お父さん、お母さんが私のために生き返ることができます。真の愛によって、真の愛を中心として、「生き返ってください」と言えば、「よし」と言って、おばあさんが現れ、死んだお父さん、お母さんに会うことができます。そのような道が真の愛にあることを知らなければなりません。おばあさん、おじいさん、私たちの先祖はみんな霊界にいるのですが、「私がこのような難しいことがあるので協助してください」と言えば、さっさっさっとするのです。そのような時代に入ります。教えてくれるのです。
ハナニムは私たちの先祖であり、私たちは孫です。ですから、「このように告げるので成し遂げてください」と言えば、「よし」と言うのであって、「駄目だ」と言わないのです。ハナニムは、すべて通じるのです。
(162-143, 1987.4.5)
霊人たちは、霊界で地上人の協助を受けるために、いろいろな方法を動員して地上の子孫を訪ねてきますが、地上の子孫が解決する方法を知らないので、だんだん家運が傾き、行く道が厳しくなるなどの困難が繰り返されます。地上人の助けによって昇進する霊人たちは、現在の自己の位置からもっと良い位置に移っていくことで自らの生活が楽になり、地上にいる子孫の生活もまた平和になるのです。
(292-287, 1998.4.27)

 

③ 祝福家庭と祭祀

統一教会は、先祖に侍ることを認めるのです。統一教会は今、その伝統を引き継いでいかなければなりません。これが今後、真の父母を中心として反対の立場に立つのです。この世の国、この世の伝統ではありません。天の父母、天国、天の先祖に侍るにあたり、その代を引き継いだ主流の思想的、伝統的な血族に、千年万年侍ることのできる王土になるのです。王に侍る、永遠な太平聖代をうたう国になるのです。その国で暮らして行ってこそ皆さんのお父さん、お母さん、一家、一族が天国に直行するのです。
(220-221, 1991.10.19)
先祖が死んだ日になれば、みんな来るのです。そして、先祖のために祭壇を整えて祭祀さいしを執り行います。先生の写真を置いた部屋で執り行えば、敬礼をしても罪にはなりません。もちを作って祭祀を執り行うからといって、罪になるのではありません。
(212-100, 1991.1.2)
選民圏と血統を重要視しなければなりません。選民圏は長子権です。韓国は長子の国です。韓国が族譜ぞくふ(注:一族の系譜)を愛する民族になったのも、すべて血統を受け継いでいくためなのです。先祖を崇拝して先祖に祭祀を執り行うのは、悪いことではありません。今後、儒教思想以上に父母を尊敬する時が来るのです。何の話か分かりますか。
(226-277, 1992.2.9)


おじいさん、おばあさんが亡くなったら墓参りをしなければなりません。ハナニムが墓に埋められたと思って墓参りをしなければなりません。そして、私の1代におばあさん、おじいさんに侍ることができなかったハンをその日に贖罪しょくざいしなさいというのです。
(220-349, 1991.10.20)
長孫ちょうそん(長子の長子)はどうなるかというと、根を深く下ろさなければなりません。それは、誰も抜くことができません。おじいさんも抜けません。叔父さんも抜けません。それゆえに、祭祀さいしを執り行う時はいくら叔父さん、いとこ、8親等、曽祖父がいたとしても、長子を先に立てるのです。そのようなことを知っていましたか。韓国の伝統的な文化背景に先祖を尊重視することにおいて、長孫を先頭に立てたのを見ると、この民族は長子権を尊重視する民族であったというのです。賤民せんみん両班ヤンバンが一緒に暮らしましたか。賤民と両班が結婚しましたか。いいえ。「両班は凍え死んでも、もみ殻の火には当たらない(武士は食わねど高楊子)」と言いました。それは驚くべきことです。
(197-340, 1990.1.20)
今までキリスト教において、祭祀を行うことができなかったのも一理あります。祭祀は、ハナニムと全人類のまことの父母が受けなければなりません。上の代の先祖が、天でまず侍られなければなりません。
ところが、堕落することによって、今までは禁止してきましたが、今、復帰時代において祝福を受けたので、今後、先祖に侍らなければなりません。
(223-210, 1991.11.10)
祭祀の日が来れば、祭祀を執り行う時間は長子が決定するのです。ですから、明け方1時にしたのを朝5時にでもできます。朝5時にしようとしていたのを事情によって、朝7時にでもでき、昼にでもすることができるのです。誰がそれを決定するかといえば、亡くなったおじいさん、先祖がするのではありません。長孫が決定するのです。亡くなったおじいさん、おばあさんたちも長孫が決定した時間に来てこそ祭祀のぜんに対せるのであって、それが嫌ならば対することはできないのです。地上が中心ではないですか。地で解けば、天で解かれるというのと同じなのです。それゆえに二つが一つにならなければなりません。
(231-168, 1992.6.2)
先祖を愛さなければなりません。先祖のために生きることは、罪ではないというのです。サタン世界でも先祖のために生きるのに、キリスト教では「先祖のために生きるな」と言うでしょう。しかし、今後、天の世界の先祖のために生きて、またさらに「ため」に生きなければならないのです。それで、統一教会は祭祀も認めるのです。キリスト教では、「お、偶像なのに・・・」と大騒ぎするでしょう。しかし、堕落した世界にいる祝福を受けた家庭は、このような伝統を子孫に伝授してあげるべき責任があるというのです。
(241-127, 1992.12.20)
韓国の歴史は、実に素晴らしいのです。祭祀の時には長子の家で、叔父さんも長子に侍って祭祀を執り行うでしょう。ハナニムの摂理の中で長子の民族をつくるための歴史的背景があるという事実を知らなければなりません。これを知ってこそ、韓国民族の優越性がどのようなものか、韓民族がどれほど偉大なのかが分かるので、皆さんの息子、娘がおくすることがありません。このようなことをはっきりと知らなければなりません。
(245-156, 1993.2.28)


「長孫」と言えば、おじいさんも、祭祀を執り行う時は、長孫の前で、その指揮下に入らなければなりません。尊敬しなければならないのです。長子の血統、その次は族譜ぞくふと血統を尊重視する事実、これはハナニムの復帰摂理における、その心の根本を忘れることができない、記録的な歴史性に代わるものとして残されてきたという驚くべき事実なのです。
(290-9, 1998.2.2)
アダムの息子、娘がいくら多くても長子を中心として国が連結するのです。そうすれば、その長子を中心として横にいる兄弟たちは広がって宗族になり、国家になるのです。長子が系統を継ぐのです。韓国でいえば長孫です。実に驚くべきことです。韓国が偉大で、ハナニムの祝福を受けることができるのは、長孫を守ってきたということです。最初のおじいさんの息子が長孫になれば、ひいおじいさんたちや、おじいさんの弟になる人たちは祭祀の時、長孫を中心として侍らなければなりません。長孫に仕えてきたことは驚くべきことです。絶対服従しなければなりません。
(301-189, 1999.4.26)
韓国民族がそうです。長孫の歴史、ひいおじいさんも祭祀の時は長孫を立てるのです。それは驚くべき歴史だというのです。それより高い血族的な基準、より高い生命基準、より高い愛の基準が関連性をもつようになる時は、ハナニムが願う最高の基準として、天を中心とした影響圏を地上に合わせれば、その影響圏に必ず吸収されるので、地上天国に改善することが可能だというのです。これは、すべて理論的なのです。妄想ではありません。理論的です。
(301-288, 1999.5.5)
聖子せいしの道理とは何ですか。「聖子」といえばこれは縦的です。垂直概念をいいます。「聖人」という時は東西南北の横的です。儒教思想もそうではありませんか。「天」といえば天子だけが関係を結ぶと考えませんか。ですから縦的なのです。韓国の礼法を見て驚くことは、叔父さんも祭祀の時には長孫を前面に立てます。それはなぜですか。縦的です。縦が先だというのです。
(196-320, 1990.1.12)

 

5) 霊界を知らなければならない

私は彼らに、「今や科学が先端に来ているので、霊界と接触できる周波数を研究しなさい」と言いました。霊界の作用は、すべて振動によって作用するというのです。振動数を通じて霊界と連絡できる、霊通する人の振動数を発見して霊界を科学的にあかすことができる時代に入っていくので、「それを研究しなさい」と言いました。霊界に対する内容をずっと説明してあげると、目を丸くしているのです。


それで、きのう心理学の作用が現象世界にどのように関係していて、霊界がどのように関係しているかということを話してあげました。心理学が絶対的な力の作用をするというのですが、なぜそうでなければならないのかという問題について一面しか知らないというのです。それは、電気がプラス・マイナスで作用するのですが、作用するサークル圏内でプラスとマイナスが力を現すのと同様の現象だということを知りません。それゆえに、これに対する開拓をすれば、新しい次元の世界が・・・。未知の霊界を合理的にすべて知り得る時代に行けば、宗教時代はすべて終わるのです。人類は、「ハナニムを信じるな」と言ってもハナニムを信じ得る時代になります。これが大きな課題なのです。
(134-239, 1985.7.20)

 

6) 審判

 

① ハナニムには怨讐の概念がない

ハナニムがなぜ人間を創造したのでしょうか。ハナニムが一人でいればよいでしょうか、寂しいでしょうか、喜ぶでしょうか。今日、宗教はそれも解決できずにいます。キリスト教では、「ハナニムは大審判主になり、裁判長になって、悪い者は地獄に送り、良い者は天国に送る」と言います。ハナニムが裁判長になれば、ハナニムの資格がありますか。それなら怖いハナニムでしょう。接したくないハナニムです。何のハナニムになりたいと思われるのかといえば、人類に対してまことの愛のハナニムになるということです。
(278-197, 1996.5.24)
「ハナニムが審判主」という論理は、ハナニムにはないのです。もし、恨みを晴らすという概念があれば、今後、ハナニムの理想世界が出現しません。それゆえに、ハナニムには火の審判という概念がありません。怨讐おんしゅうの概念がないので、アベルを立てカインを強制ではなく自然に屈服させるのです。
(233-228, 1992.8.1)
この世でも裁判長が死刑宣告を5回すれば、夜、夢見が悪いというのです。もし、ハナニムが億千万の人類をすべて審判して地獄に送ったとしたら、地獄に行ったその霊がじっとしているでしょうか。ハナニムを殴り倒そうとするでしょう。夢見がどんなに悪いでしょうか。そのようなことをするわけにはいかないかもしれませんが、それは理にかなった話です。
(221-113, 1991.10.23)
全知全能であられるハナニムが、思いのままに審判して、キリスト教を信じる人だけ天国に送り、そうでない人は地獄に送り、すべて思いどおりにすれば、そこでは理想論を探すことができません。理想というものは普遍かつ妥当でなければなりません。どこでも、過去、現在、未来いつでもすべて同じでなければなりません。海水が理想的なのは、深い所は埋めて、いつでも水平だからです。変わることがないのです。このようになれば、二元論、三元論になります。
(219-39, 1991.8.25)


ハナニムは、誰も打つことができません。愛の理想をもって創造したハナニムが、愛の理想を実践しようというハナニムが、審判の鉄のつえをもって打つことはできないのです。ハナニムは、打つことができません。なぜですか。創造する時に愛の理想をもって創造したので、その理想が実現されなくても打てないのです。もし、打つようなことが起こったとすれば、打つ伝統、打つ習慣を残しておいては、これを解く道がありません。今日、習慣性という言葉もあるでしょう。それゆえに、絶対的なハナニムは打たなくても絶対的な教化ができなければなりません。
(213-11, 1991.1.13)
ハナニムは歴史が始まって以来、闘いながら打たれて奪ってくる作戦をします。ハナニムが先に打つことができません。ハナニムが先に打つことができるという論理を立てれば、審判できるという原則をハナニムが立てたという論理が起こります。善と悪を分別すべき責任をハナニムが負っているというとき、善悪の概念がハナニム自体内にあったという論理が展開されるので、二元論に落ちるのです。それゆえに、ハナニムは打つことができないのです。
(242-108, 1993.1.1)
「ハナニムは何をして生きているでしょうか」と聞けば、既成教徒は、「玉座に座って悪人は地獄に送り、善人は天国に送る」と言っています。それがハナニムのすることですか。皆さん、最高裁判所の判事を5年間だけやってみなさい。それができるでしょうか。自分の息子、娘を審判し、自分の妻、自分のお母さんを判定するにおいて、死刑の宣告を下すと考えてみなさい。自分のお母さん、お父さんに死刑を宣告しておいて寝ることができるでしょうか。苦闘する心の世界の艱難かんなんを、誰が遮ることができますか。国も遮ることができず、世界も遮ることができません。そのような悲惨な位置にいるハナニムを、一方通行の論理をもって世界平和の主人だと侍ること自体が矛盾しているのです。ですから、既成教会は、滅びなければなりません。
(204-100, 1990.7.1)
皆さんは霊界をよく知らないかもしれませんが、霊界に行くようになれば、ハナニムが公義の裁判官になって、「ガンガン(注:木槌きづちでたたく音)、あなたは地獄行き!」と言うのではありません。絶対、そのようには言いません。ハナニムがそのようなハナニムであり得ますか。人類の父であられ、善の王の中の善の王であられるハナニムが、地獄に行けと地獄をつくっておいたのでしょうか。予定論のようなことを言う人は、狂った人です。私は、霊界をどれほどよく知っているでしょうか。イエス様の秘密まで、すべて知っているのです。ですから、聖書の秘密をすべて解き、今日誰も分からない漠然とした聖書体制を中心として一貫した思想体制をつくったのです。そのような大先生が誰でしょうか。ここに立っている、悪口をたくさん言われているムン総裁ではないですか。
(201-273, 1990.4.29)
親は、自分の愛する子女が病気になった時は、幸福ではありません。ハナニムが、今日の世界人類が亡国の種となり、地獄の門に向かって垂直に落ちる実情を見ながら、胸が痛まずに、「おー、お前は審判を受けて滅びていくのだなあ」と言って喜ぶ方ならば、そのようなハナニムは、雷に打たれなければなりません。


父母の立場を代表した理想のハナニムであられるので、その実情を見てじっとしていられないのです。国の法を無視してでも子女を助けたい父母の心情が隠れていることを考えると、ハナニムも同じだというのです。
サタンさえいなければ、人間を許し、助けてあげたいにもかかわらず、サタンの讒訴ざんそから抜け出すことができないので、切ない心情をもちながらも、それに順応せざるを得ないのです。そのようなハナニムの苦痛を誰が知っているかというのです。それを解放してあげなければなりません。そのためには、サタンを処置し、地獄に落ちた人を救ってあげられる息子、娘がいなければなりません。そうでなくては不可能なのです。
(210-218, 1990.12.23)
からの牛車を引っ張っていくのも大変なのに、ハナニムは、この世界人類を逆に引っ張っていくのです。これは順路ではありません。逆に引っ張っていくのです。逆路の道を行くので、逆に引っ張っていかなければならないのです。今日、宗教を信じる人々は、そのようなことをしているハナニムだということを考えもしません。
仏教思想で見ても、キリスト教の思想でも、ハナニムは全知全能で思いのままに殺し、生かし、審判し、罰を与えたり福を与えたりできると思っているのです。とんでもないことです! このように見ると、宗教圏にあっても統一教会は、次元の高い世界の内容をもって解決方法を探そうと苦心する宗教に間違いないというのです。ですから、次元の高い宗教です。ハナニムを解放するという宗教は、今、統一教会以外にはありません。
(233-270, 1992.8.2)
今日、キリスト教信者が、「不義と正義を審判する公義の裁判長として生きていらっしゃるハナニム」と言いますが、そのようなハナニムは心が平安ですか。ここに、判事をしたことのある人はいますか。死刑囚を殺す時は、その刑場に判事が立ち会わなければならないのです。判事のように悲惨な人がいません。裁判長がよいですか。皆さんは何を中心として生きたいですか。裁判長ですか。権力者になって、号令をかければ天下のすべてが自分の願い通りに無事通過できる、そのような環境に置かれて、何日間暮らせると思いますか。1ヵ月くらい暮らしてみれば、これは違うというのです。嫌になるのです。
牛肉定食も、毎日のように食べると嫌になります。それを食べてから出るガスのにおいも違います。人は高い低いによって、前後左右をすべて備えて生きるようになっているのです。
(199-327, 1990.2.21)
ハナニムに、「あなたは何をして生きたいですか」と聞いてみれば・・・。皆さん、私は、直接聞いてみて返事を聞いた張本人です。裁判長ではありません。弁護士でもありません。検事でもありません。「愛に酔って生きたい」と言われるのです。答弁は簡単です。何に酔って生きたいと言いましたか。愛に酔って生きたいというのです。愛に酔うようになる時は、目も一つの所へ行き、においをかぐ鼻もそちらへ行き、話す口もそちらへ行き、聞く耳もそちらへ行き、すべて一つの所へ行くのです。五官を完全に統一できる刺激的な要素が、私たち人間において何ですか。正に愛です。
(199-266, 1990.2.20)


今日、キリスト教において、「ハナニムは神聖で全知全能であられる方で、公義の審判主として玉座に座って万民を審判する裁判長です」と言いますが、皆さん、裁判長がよいですか。裁判長を10年すれば、病気になって死にます。死ぬというより、病気になって倒れます。病気にならなければ、それは偽者です。
他人の生命を奪う死刑宣告を下すこともしたはずですが、自分が下した判決が絶対的ではあり得ないというのです。論法、解説法に様々な方向があるのに、自分の判決によってその人の生死の問題を決定づけたので、そうなるというのです。それは深刻な問題です。宇宙の公法に照らしてみれば、韓国の法が絶対的ではあり得ません。ですから、このような人は、10年間判事をすれば病気にならなければならないというのです。
(198-285, 1990.2.5)
キリスト教式に言えば、「ハナニムが天国の玉座に座って、公義の裁判長として善悪を判別し、よくやった者は天国に送り、できなかった者は地獄に送るのです。それがハナニムの趣味生活です!」。アーメンですか、ノーメンですか。裁判長は、いや応なしにやるというのです。判決を下せば、夜、寝ることができないというのです。正しいことであれ過ったことであれ、苦痛を受けるのです。審判者は一つです。私たち人間でさえそうなるのに、私たちがハナニムに似ているとすれば、ハナニムは、裁判長をすることを好みますか、嫌いますか。
(197-145, 1990.1.13)
ハナニムが悲しいハナニムであり、苦痛のハナニムであることをキリスト教徒は知らなかったのです。ハナニムが神聖な王として、審判主としていらっしゃいますか。ハナニムが、何が切なくて審判主ですか。審判主が良いのですか。そのように生きることがハナニムの生活ですか。堕落によって、仕方なくそれをするのであって、その清算方法を誰も知りません。宗教世界でも誰も知りません。統一教会以外には知っている所がありません。
(196-172, 1990.1.1)

 

② 真の父母様は愛の統治法で審判

救世主とはいったい何ですか。救世主が何をしに来るのかというのです。政治をしようとして来る方ではありません。救世主は、何をするために来ますか。今日、キリスト教では、「主が来ればすべて空中に上げられて、自分たちはぽんぽんと上がり、地上の人々はすべて審判される」と言います。違います。そうではありません。「審判する」と言うのですが、救世主は、何かを審判しようとして来られる方ではありません。その方は、ハナニムの息子、娘であると同時に、人類の父母として来るのです。
人類の父母として父母の心をもって来られる方が、病気になって死ぬ場でうめいているこのような息子、娘を見て、「おい、お前は、あの地獄へ行きなさい!」と言って片づけることができますか。堕落したこの世の親でも、自分の息子が死んでいく悲惨な姿を見れば、のどを詰まらせて痛哭つうこくし、自分の生命を失っても、生かしてあげるためにはどのようなことでもしたいという心が先立つのです。それが堕落した世界の父母だというなら、本然の父母の心情をもって来られる救世主は、いかばかりでしょうか。審判というものは考えられないというのです。そうでしょう。
(222-150, 1991.11.3)


聖書には、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子みこを信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)とあり、(キリスト教徒の)誰もが唱えていますが・・・。「この世を(それほどに)愛して下さった」と言いました。イエス様は、この世の救いのために来たのであって、キリスト教の救いのために来たのではありません。「終りの日」に審判するでしょうか。そうなれば、「神が(それほどに)この世を愛して下さった」という定義と異なります。キリスト教徒だけを愛するのですか。いつでも愛しておられることを知らないのです。それを教えてあげて悔い改めさせなければなりません。教派主義者たちに言いなさい!
(210-110, 1990.12.1)
今日、既成教会では、ハナニムが審判してどのようにするといいますが、ハナニムが思いどおりにできるのなら、今までこのようにする必要はありません。堕落したその次の日に、すべてしてしまったはずです。打って勝利したその基盤の上に、ハナニムの愛の理想を立てるという原理はないのです。
(210-61, 1990.12.1)
今日、既成教会の哲学の間違っている点は何でしょうか。ハナニムを公義の裁判長といいます。裁判長を5年やれば、腰が曲がり始めるというのです。なぜですか。腰を伸ばすことができないからです。キリスト教がこれを知らなかったというのです。ただ力のハナニム、全能のハナニムを思慕して、それとともに一つになれば何でもできると信じているのです。ここで人を殺してもかまわないという論理が出てくるのです。今日、キリスト教を中心とした西洋文化が力の哲学を培養してきたので、西欧文明の背後には血が連結されています。
(208-248, 1990.11.20)
ハナニムもそうなのです。この地上の悪なる人々を審判し、整理するのは、ハナニムがするのではありません。サタンを前面に立ててするのです。
(204-60, 1990.7.1)
ハナニムがこの世界を審判しようとする時、「少々お待ちくださいませ。ハナニム、これを御覧くださいませ。実におもしろいことがございます」と言って、「それは何だ」と言われれば、「私のてのひらでございます。なんと良い手相でございましょう! あなたの手相より良いので、私がこの仕事をしています」と、このように言えば、ハナニムが何と言われるでしょうか。手相を比較しながら、このような者と話していれば、悔しいこともすべてなくなるのです。
「ハナニム、あなたは私の手を切って捨てますか。審判なさいますか」と聞けば、「ははは、まったく、こいつは・・・」と言うのです。醜くても、そうすれば喜ぶのです。何の話か分かりますか。陰陽がなければなりません。傑作品になるには、背景に、立体性がなくてはならないのです。すべてのものがそうです。人は、日向ひなたと日陰があり、格があってこそ人格者になるのです。


ハナニムがいくら怒ったとしても、「ハナニム、そのように怒らないでください」と言うより、「ハナニム、あちらを御覧くださいませ」と言って、「なんだ」と聞かれれば、「あのわしにわとりを捕まえて食べようとしております」と言うのです。「鶏を捕まえて食べようとしたならば、とっくに捕まえて食べただろう・・・」とおっしゃれば、「その鷲があなたに似ております」と言うのです。それで、ハナニムが引っ掛かるのです。「お、こいつ、なんだ。私が・・・」と、そのようにすれば、話すことができずに「ふむ・・・」と言うのです。
(202-219, 1990.5.24)
ハナニムに尋ねてみると、公義の審判主になろうと言われたのではありません。ハナニムは審判しません。霊界を知らないので、そのようなことを言うのです。キリスト教で説教している内容を読んでみると、でたらめです。霊界をあまりにも知らないのです。
そのようにして天国に行きますか。どうなるのか、行ってみなさいというのです。ですから皆、からすの群れ、鷲の群れが食いついていきます。世間の人たちより悪いのです。私は、そのような人とは相対しません。犬がほえるのに一緒にほえれば、犬のようになるのです。相対しません。哀れなので、今後、飢え死にするようになる時は、私が食べるものをもって訪ねていって食べさせてあげようと考えているのです。
(201-286, 1990.4.29)
全人類は、気を引き締めなければなりません。統一教会ムン総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とするまことの愛と生命のみことばです。再臨主が世の中を救おうとして来られるならば、人類を鉄のつえで審判してはなりません。打っては、ただの一人も完全に屈服させることができないのです。
子供のために生きて、手がひきがえるの背中のように、でこぼこにゆがんだままになるほどに苦労した母の犠牲的な愛は、親不孝者を悔い改めさせて帰って来させるほどの力があるのです。棒をもってはできません。審判の大王であり、天地を思いどおりに主導するハナニムでも真の愛なくしては、天宙統一は不可能なのです。真の愛は、いかなる困難も問題になりません。自分の生命を投げてでも行ける力が、真の愛にはあるのです。
(201-139, 1990.4.30)
怨讐おんしゅう(の心)を溶かせるものも愛です。最高の親不孝者を孝行者にし得る力をもったものも愛です。逆賊だと主張する人を、忠臣のように屈服させ得る力も愛にだけあるのです。それは可能なのです。それで、古くから人間は、誰もが愛を中心として命を懸け、生きたいと思うのです。
(195-70, 1989.11.5)
長老派教会の教理は、ハナニムは公義の審判長になって、予定して救援なさるというのですか。そのようなたぐいの、ばかげた話がどこにありますか。それこそ詐欺師です。私が調べてみると、ハナニムはそうではありません。本来、人間が生まれる時、ハナニムが天国に行くようにつくっておき、地獄に行く人をつくっておくなら、それがどうして善のハナニムですか。理論として通じません。理論として通じてこそ常識に合うのです。常識に外れた真理はありません。


裁判長が殺人犯を裁判して死刑を言い渡し、5人だけでも殺してみなさい。そのたびに(病院に)行って検診しなければなりません。また、大韓民国の法と北朝鮮の法は違います。ここで死刑宣告を受けた人が、向こうで愛国者にもなり得ます。天地の大道たいどうを中心として、公義の法を中心として考える時、弁護士の心が平安でしょうか。
(200-192, 1990.2.25)
審判の大王であり、天地を思いどおりに力をもって主導するハナニムでは、天宙統一は不可能なのです。これはお金をもっていてもできず、知識があってもできず、権力をもってもできません。ただ一つできるものがあるとすれば、愛しかありません。
(200-173, 1990.2.25)
ハナニムは悪魔を審判できないのです。ヨブ記を見てください。サタンがあのように付きまといながら支配するようになっても、なぜそれに応じてあげるのですか。応じてあげざるを得ません。サタンは、「あなたが私を愛で消化せずには、愛で消化して本然の基準に合わせておかなくては、私を支配できないのがあなたの道理ではないですか。愛の道理を、原則的な愛のすべての完成的な道理を越えて私を主管するようになっているのに、その道理が満ちていないので私を主管することができない。私を主管しようとするなら、私を屈服させようとするなら、その道理の形態に合わせたその基準に・・・。個人基準ならば個人、家庭基準ならば家庭、宗族基準ならば宗族、民族基準ならば民族、ここで私が順応できるのであって、そうでなければならないのではないでしょうか」と、このように言うのです。これに身動きできずに引っ掛かっているのです。これを知らなければなりません。
(188-228, 1989.2.26)
皆さん、そうでしょう。この世で「あなたは何をしたいのですか」と聞けば、「私は最高裁判所の判事がしたい」と言います。「判事」と言えばみな喜ぶでしょう。今日、既成教会の信仰者たちは、「ハナニムは天地の大主宰であると同時に、善悪を見分けて善人は天国に送り、悪人は地獄に送る、天地を公義の法を通して治める裁判長です」と言っていますが、そのような裁判長がよいのですか。今まで歴史始まって以来、数千億の人を地獄に送ったとすれば、そのハナニムの気分は良いでしょうか。そのようなことはあり得ません。
それゆえに、玉座に座って公義の審判長の権限をもって行使して暮らすことが、ハナニムの生活目標ではないというのです。ハナニムは、そのようなことは嫌だというのです。
(201-21, 1990.2.28)
ハナニムよりも、自分が自分自身をよく知っています。それゆえに、私たちには審判主が必要ありません。事実、ハナニムが必要ないというのです。自分の良心がよく知っているのです。このような原則にのっとって考えてみると、解放的な基準を中心として、私は何パーセントの解放の目的をもって参加したのかという事実が、パーセントで出てくるのです。私が本物なのか、偽物なのか分かっています。知らないですか、知っていますか。知らなければ望みがないでしょう。知らなければそれは、共同墓地に行かなければなりません。そうでなければ、ごみ箱に入っていくか、そうでなければ、投げて太平洋にほうり込まなければなりません。それは処埋困難なのです。


皆さんは、善なることと悪なることを知っています。一言言うのも、私には悪いことが分かっています。見る視線も、悪いことを知っています。聞くこの音声も、感じるこの触覚も、みな知っているのです。
霊界に行くようになれば、それがすべて現れます。頭をこのようにすれば、すぐに自分がどのような人なのか、すべて現れます。その心の鏡といえる、心の光彩がさっと現れるのです。説明が必要ありません。霊界を知らないのでそうでしょう。私は、よく知っていますから、世の中の人に非難されても、じっとして耐えながら今まで来ました。
(201-270, 1990.4.29)
この世の中には、どのような人が生きているかといえば、しもべしもべが生き、しもべが生き、養子が生き、庶子が生きています。このように混じっています。この秩序を立ててあげなければならないのです。何によって秩序を立てるのでしょうか。愛しかないというのです。そのような愛の伝統的な道理を受け継ぎ、引き継いできた宗教が、世界的宗教にならなければならないのに、その愛の道理に外れた宗教と、この愛を中心として従っていけない人は、歴史をかけ、時代を代表して審判されるようになるのです。
その愛が、天地を愛するその愛の伝統が、世界を愛するその伝統が、国を愛するその伝統が、民族を愛するその伝統が、自分の家庭を愛するその伝統が、父母と妻と兄弟を愛するその伝統が、自分が自分を愛するその伝統が、世界を審判するのです。
(192-75, 1989.7.2)
ハナニムは審判者であられ、イエス様は弁護士のようですが、今まで天の側の検事がいませんでした。今まで悪魔が検事をしていたのです。天の側の検事が生じなければならず、天の側の裁判長が生じなければならず、天の側の弁護士が生じなければなりません。このような意味から統一教会は、すべてのものを備えているので、サタンを永遠に、人本主義を永遠に、淫乱いんらん主義を永遠に、破壊主義を永遠に地球において打破しなければならないのです。これが統一教会の主義です。
(192-49, 1989.7.2)
ハナニムが願うものは、ほかのものではありません。愛です。「終りの日」になれば、何が最も怨讐おんしゅうですか。審判の第1の条件は何ですか。「終りの日」には、自分が愛するものが審判の第1の条件です。学者には学者意識、学ぶというそれ自体が審判の要件になります。自分が最も好きなことが審判の条件になります。
お金を最も好む人、お金を集めるためにすべてのものを犠牲にする人は、それが審判の条件になります。名誉を好み、権力を好む人はそれが審判の条件になります。女性なら女性のすべての素性そせいによって、特定の素質によって好きなものがあります。それが審判の条件になるというのです。
(170-92, 1987.11.8)


悪口を言われながらも忘れて、むちで打たれても忘れて・・・。先生は、そのような歴史の事情が多いのですが、私がそれをもって審判しようとするのではありません。愛をもってそれ以上のことまで消化しようとする道を行くので、それでハナニムは私が好きなようです。私もそのような人が恋しいです。少しやって代価をもらおうとするそのような人を、私は嫌う人です。誰か私の前で、「代価をもらう」と言う人がいますか。顔を上げて前に出なさい。話を少ししましょう。
(148-56, 1986.10.4)
悔い改めなければ、皆さんは公義の審判を受けなければなりません。愛の統治法度はっとの前に立つ者がいないのです。その時に、先生が弁護士になってあげて、先生の家族の一族が弁護士になってあげ、皆さんを指導する統一教会のすべての人々が弁護士になり、ハナニムもそうであり、先生もそうであり、先生の家庭から指導者までそうすることができ、弁護の範囲が讒訴ざんそ圏よりも多くあってこそ、善の天国の民として入籍できるのであって、その讒訴圏より小さくては入籍できません。
(147-331, 1986.10.1)
法の道理を私も歩んでいるのです。ですから皆さんは、黙ってこの道についてこなければなりません。黙ってこの道に従っていく日には、そこに共に参与した恩恵を受けられますが、そこに自らの家を建て、自らの丘を造っておいては、審判の条件に引っ掛かるのです。刑務所に入った人が国家の法律の何条に引っ掛かったということと同じです。国家全体の法に引っ掛かったのではありません。ある条目に引っ掛かるというのです。同じように皆さんも、審判の項目の何条かに引っ掛かれば、行くことができません。
(147-317, 1986.10.1)
共に滅びることがあっても、背信者の道を行くなというのです。滅びれば、霊界に行って良い立場に立つのです。背信者にならなければ、その背信者にならないグループで今後いくらでも発展できますが、背信者は発展できません。それがいつも遮っているのです。それを消化して越えていける力が自分にはないのです。ですから、国に対する背信者や・・・。より大きな目的のための立場で、ついていかなければならないと決意をしたのにもかかわらず、裏切れば、そこに大きな目的が私をいつも審判する位置で、責任を追及するのです。そこから脱け出す道がないのです。
(144-254, 1986.4.25)
今後、世の中が1箇所に出てきて国を設定していくようになる時は、皆さんの経路をすべて一つ残らず書き、公義の審判場でパスしなければなりません。再審査を経ずしては国家祝福の位置に行けないのです。世界祝福まで行くべき道が残っているのです。統一教会がする祝福は、教会祝福です。


審判はどこから、統一家から、祝福を受けた息子、娘から、祝福を受けたお父さん、お母さんから、それから・・・。これをしておいて、その秘法により比例する世界の審判圏に越えていくでしょう。はっきりと知らなければなりません。祝福を受けたという、このでたらめな女性たちから、しっかりとしなさい。
原理は後回しにしておき、自分勝手に生きて、原理の世界が、み旨の世界が皆さんと関係を結べると思いますか。とんでもないことです。そのようなことができるならば、私がこれほど苦労しません。
(137-259, 1986.1.3)
ハナニムの愛と、ハナニムの生命と、ハナニムの血統を通して、鉄槌てっついで審判するでしょう。そのような時が来るのです。その時に、メシヤが来るのです。メシヤがどのような方か知っていますか。救世主がどのような方か知っていますか。本然的な愛の秩序を求め、本然的なハナニムの永遠の生命と愛と血統の本宮を求めて、幸福の基地を正しく立て直し、それと連結した家庭と一族を越えて、民族と国家、世界に一つの愛の主導権に立てるために来られる方であることを知らなければなりません。
(209-40, 1990.11.25)
ハナニムの家庭とは何ですか。このようなまことの愛を中心として、ハナニムの位置にいるこれは、下にもっていって合わせてもよく、これをすべて離してどこかにもっていって合わせてもすべて合うのです。おじいさんの肩に孫が上がっても、家法で審判しません。孫がおじいさんのふとんを持っていって、おじいさんが隅に体を曲げて寝るからといって、親不孝者だと審判しません。そこでは、すべてのものがOKです。
(209-102, 1990.11.27)
「父母様」と言葉ではよく言いますが、父母様に侍ったことがありますか。私が夜を明かせば、さらに夜を明かしてこそ侍る位置に立つのです。私が苦労すれば、もっと苦労してこそ侍る位置に立つのです。ついていきながら、みな寄生虫になりました。寄生虫は、寄生の虫ということです。この者たち、寄生虫という名前にぴったり合います。偽物を喜ぶこの者たち! 統一教会の者は、そのようなものが多いです。今、粛清しなければなりません。
本当に怨恨えんこんをもったムン総裁は、統一教会の遊んで食べて教会をむしり取って食べる食口シックを、ガソリンをかけて私の手で火をつけようと思います。世の中を審判する前に、この者たちを審判しなければならないのです。私が教えてあげた道理に一致しなければ、きれいに整備しなければならないでしょう。
(260-80, 1994.4.11)
この悪魔の世界が天国を成し遂げるのに提供するものは、何もありません。それは、すべて火で燃やしてしまわなければならないのです。それで、聖塩を作って聖別させ、それを代わりに使うというのです。堕落したこの人間まで、すべて火で燃やしてしまわなければならないのです。火の審判を受けるのです。そのようにして、私の手で人を再創造しなければならないのです。心情を投入し、生かして天国に連れていくというのです。


今まで私の手で、一人の生命も血を流すようにはしませんでした。私が手をつける日は恐ろしいのです。どうか、そのような結果をもたらさないように、皆さんが肝に銘じてください。分かりますか。血を見る日には、問題が大きいのです。原則がそうです。それで、金日成キムイルソンまでも私が生かしてあげようとするのです。
(210-73, 1990.12.1)
私が酒を飲んでここに来て、座って小便をもらしながら、「あなたたち、なぜ来たのか」と追い出せば、残る人が何人になるかと考えてみるのです。なぜ笑うのですか。そのような審判が、天地の誰もが分からずに、引っ掛かり得る審判方法です。
まことの愛をなすための参与者を探すためには、丸裸になって小便をもらしながら、半狂乱になってかたわららに行って、小便をもらしたりすれば、残る人が何人になるのか、そのようなことまで考える人です。なぜですか。私が経てきた道が、どんなに驚く道か分かりません。それを皆さんは、知りません。私のオモニも知りません。今、このオモニも知らないというのです。それゆえに、霊通したおばあさんたちが、先生がかわいそうだと大いに泣くそうです。話さなければ、それを誰が知っていますか。難しい問題に今まで一人でぶつかってきて、内外共に身もだえしているということを誰も知りません。
(210-81, 1990.12.1)

 

③ 罪を犯せば家庭裁判で一族が審判する

皆さんの父母は何かといえば、公義の法廷の裁判官です。それを知らなければなりません。皆さんの家庭では、必ずお母さんが弁護士の役割をします。そして、兄弟が間違ったら、その兄弟がすべて検事の役割をします。「ああ、お姉さんが先にそうしたのであって、私が先にしたのではありません」。それで、お母さんはただ聞いて、「うんそうか、お前のほうが正しい。お前は正しくない。この子のほうが正しい」と言うのです。ですから、弁護士のようなものです。お母さんが弁護士の役割をするというのです。兄、姉、弟たちがけんかをすれば、検事は誰ですか。姉も検事になり、兄も検事になります。それを知らなければなりません。皆さんの家の中に判事、検事がいることを知らなければなりません。若い青年たち、そのように考えてみたことがありますか。
(147-303, 1986.5.25)
妻が見て恥ずかしい夫になるなというのです。妻は、ハナニムの特使です。息子、娘がハナニムの特使だというのです。私を監視して教育し、正しい道へ行くようにするための、一番の側近者としての特使だというのです。子女の前に恥ずかしい父親になるなというのです。その天の特使は、盗んだ物を食べさせるなというのです。詐欺を働いて天に侍ることができますか。先祖に侍ることができますか。
それなら、皆さんがあの世に行けば、先祖が瞬間的に審判します。ハナニムは審判しません。先祖が審判して、結局は、世界的な公判廷まで引っ張り出すのです。先祖がここで報告して公判廷に引っ張り出さなければ、その先祖は善人になれません。そのようになっているのです。その統治法を背後に置いて、未来に希望の基盤を決定すべき、また、そのような日々を迎えていくべきこの生涯の路程は深刻だというのです。
(163-33, 1987.4.18)


今後、理想時代には法廷が必要ありません。この世で人生の過程は、永世の基盤であり、あの世に行って生きるべき準備の過程であるので、一族の中で誰かが誤ったら一族が処理するのです。一番の裁判長とは誰ですか。妻が誤れば夫が裁判長になるのです。子女が間違った時は父親が裁判長になるのです。公法により指導を受け、その一族が処理するのです。
(197-359, 1990.1.20)
今後、あの世に行けば誰が審判するようになるのでしょうか。自分の先祖が審判します。今後は、国に裁判所がなくなります。一族が処断するのです。裁判長は、誰がするのかといえば、自分の父母がなります。最も近い人がなるのです。エデンの園で誤った時、誰が裁判をしましたか。ハナニムがしたでしょう。お父さんがしたでしょう。自分の一族にとって恥ずかしい事実なので、そのようにするのです。検事は誰がするのでしょうか。最も愛する人がなるのです。夫が誤れば妻が讒訴するのです。
(198-367, 1990.2.11)
誰が審判しますか。最も愛する人が審判するのです。アダムとエバを誰が審判しましたか。アダムとエバは、兄と妹です。怨讐おんしゅうになりました。誰が怨讐であると判決しましたか。アダムがエバを、エバがアダムを判決しました。そのような時が来るのです。
(199-119, 1990.2.16)
天地と運命が左右され得る法を設定すべき仕事が、私たちが行く道に待っていることを知らなければなりません。その法が設定されるようになれば、今までむやみやたらに生きた人間は許しがありません。自分の一族で処理するのです。法廷に行きません。自分の宗族が中心になります。ムン氏ならば全国にいる文氏の宗族そうぞくで、その文氏の宗族法によって族長が審判するのです。そこには許しがありません。
(206-140, 1990.10.3)
今後、罪を誰が審判するのでしょうか。もちろん霊界でも審判するのですが、自分の周辺にいる人々が審判します。誤れば町内の人が審判するでしょう。町内より高い段階のグンならば、郡の人が審判します。郡の人が誤ればの人が、道の人が誤れば国が、国が誤れば世界が審判するのです。それゆえに、その秩序的基準に合格できる制度が、この制度です。
(208-12, 1990.11.13)
今後、罪を犯すようになれば、法廷に引っ張っていって断罪するのではありません。自分の一家でするようになるというのです。そのような時代が来るのです。ですから、のろうこともできません。自分のお父さんとお母さんが審判し、妻が間違えば自分の夫が審判するのです。それゆえに、今後、統一家の祝福家庭の二世が誤れば、誰が処断するのでしょうか。父母がするのです。
(208-86, 1990.11.17)


アダムとエバのお父さんは、ハナニムでしょう? それでは、アダムとエバが罪を犯したのですが、誰が審判しましたか。その次は誰ですか。その次は自分の相対です。夫を妻が審判しなければならず、妻を夫が審判しなければなりません。その次は誰ですか。息子、娘です。愛の源泉を中心としてすべてこのようになるのです。最も近い人が最も嫌うのです。息子、娘が最も嫌い、夫が最も嫌い、妻が最も嫌い、父母が最も嫌うのです。
それにもかかわらずそのような行動をすれば、父母を欺き、相対を欺き、息子、娘を欺き、天地の前に、「お父さんだ、お母さんだ、兄弟だ、父母だ」と言えないというのです。ここにもそのような男性、女性がいるとするなら、今後、あなた方だけで、みなブルドーザーで押し出してしまわなければなりません。
(215-278, 1991.2.21)
統一教会の家庭に対する審判時代が来るというのです。みんなヨルダン川を渡っていくのに、こちらに立って見つめながら、渡れないのです。モーセがピスガ山上で、イスラエルの地を見つめながら入っていけなかったのとちょうど同じです。家庭も、ちょうど同じです。ですから警告するのです。
(228-20, 1992.3.1)
警察は必要ありません。刑務所は必要ありません。一族の責任者が集まり、警察に代わり判事に代わって、その家庭を審判するのです。その部落の法に外れることがあれば、問題が起こるのです。
(242-148, 1993.1.1)
完成した子女、完成した兄弟、完成した夫婦、完成した父母はこうあるべきだというハナニムの公式的なモデルがあるでしょうか、ないでしょうか。それがあってこそ、永遠の審判の基準になるのです。「君は天国の第一合格者、第二合格者、第三合格者・・・」という系列を定めることができ、位置を決定できるのです。そのようなものがあるでしょうか、ないでしょうか。なければならないのです。そのような愛の理想相対を地上に実践し、完成しようというのが創造理想だというのです。それで、ハナニムが子女を造られたのです。
(245-209, 1993.3.7)
今後、一族の中で、もし犯罪者がいれば、なにがしの一族、その一族の族長を中心として統治するのです。宗族的メシヤがハナニムの代わりの裁判長になるのです。自分の一族に事件が起これば、雷が落ちるのです。その一族から、そのような悪者を輩出したという事実は、一族の看板に泥を塗ることです。部落がこのように滅び、腐敗していく国ではいけません。全体が一つになって一族を保護するのです。若者の中で悪者が生じれば捕まえて、「こいつ!」と張り飛ばすのです。最後におじいさんが裁判長になり、お父さんが検事になり、お兄さんが弁護士にならなければなりません。


天地原則の大道たいどうを明らかにするためには、父が検事になり、お兄さんが弁護士にならなければならないのです。「天理原則の大道を明らかにするためには、私たちの家庭の血族であるが、血族になることができない」。このようにして無慈悲に公的な審判をしてしまわなければなりません。それで、警察がなくなるのです。軍隊がなくなるのです。
(252-296, 1994.1.1)
今後は、警察がすべてなくなるのです。罪を犯せば、家庭が絶対権限をもって家庭で解決するのです。その父母が責任を負うのです。夫が間違えば妻が審判するのです。最も近い人が審判しなければならないのです。なぜですか。偽りの愛の種が残したものをまことの愛の相対的基準が処理しなければならないので、最も近い人々が審判しなければならないのです。
(264-223, 1994.11.3)
罪というものは何ですか。罪は私的なところで生じるのです。滅びるのも私的な基準で起こるのです。悪も同じです。私的なことが度を超えれば、悪として現れるのです。私的なことには限界があるのですが、その限界を越えれば悪になり、滅びるようになり、罪を犯すようになるのです。
それでは、永遠に善であり得る、永遠に発展することができ、永遠に福を受けられる位置とは、どこでしょうか。滅びるのを避けられる位置、罪になることを避けられる位置、悪になることを避けられる位置とは、どこでしょうか。それは正に公的な位置です。ご飯を食べても公的な位置で食べなければなりません。仕事をしても公的なこととして、話をしても公的な話として消化しなければなりません。このように一切を公的なものと関連づけて生きなければなりません。そのような人は、地獄に行こうと思っても行けないのです。
(31-164, 1970.5.24)
本来、天法の道理に従っていく人間には、自分自身が滅びることを防いで保護してあげようとする心があるのです。これは、ハナニムに本来そのような心があるので、人間にも本来あるようになったのです。自分が作った法ではないというのです。
「良心よ、私はこうで、こうなのだ」と言いますか。「私の考えでは、そうすべきだ」と命じたからといって、良心が作用しますか。どこか分かりませんが、ほかの所から命令を受けるのです。そのような感情が自分を支配していることを考えると、これは、公私問題を中心として支配しているということに気づくのです。
(31-241, 1970.6.4)
罪をたくさん犯した人は、だんだん北極に送るのです。そのような時が来ます。そのような人々に、なぜご飯を食べさせますか。くまでも食べさせて生きるようにするのです。何年間か、その境界線にほうり込むのです。「何でも捕って食べて暮らし、死ななければ何年かあとに来い」と言うのです。そのような隔離時代が来るのです。その世界で死のうが死ぬまいが勝手にしなさいというのです。
とらを捕まえて食べるのなら、そのようにしなさいというのです。氷の家を建てようが建てまいが勝手にしろというのです。そのような隔離時代が来るというのです。伝染病患者は隔離するでしょう? そのように完全に隔離するのです。ですから予防薬として強調することが、「罪を犯すな」ということです。
(202-280, 1990.5.25)


 

第3章 真の父母様と霊界

   

1) 真の父母様の権限と使命

 

① 真の父母様は体をまとわれたハナニム

ハナニムは無形でいらっしゃるので、霊界に行っても見えません。それゆえにハナニムは、体をもった父にならなければならないのです。体をもった父になることによって、無形と有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴します。ハナニムは、体をもつためにアダムとエバを造りました。体をもつには愛だけが可能です。愛があってこそハナニムの形状に似た体を備えるようになります。
アダムとエバがハナニムの体を備えれば、彼らの心の中にハナニムがいらっしゃって、地上世界と無形世界を統治するというのです。ハナニムの王国をつくるのです。ハナニムの王国は、愛の王国だというのです。愛を中心としてこそ霊と肉が一つになるのであって、他のものでは一つになれないのです。
(143-93, 1986.3.16)
ハナニムは、ハナニムと人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成させることだけを目標とされたのではありません。縦的な愛を完成して、アダムとエバの横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が、正に内的父母であられるハナニムが外的父母であるアダムとエバと完全一体を成すために臨在される、愛の理想成就の瞬間です。
無形の父母であられるハナニムが、アダムとエバの形状をもって有形世界に永存なさる父母になるのです。この時アダムとエバは、真の父母、真の先祖になるのです。
(135-10, 1985.8.20)
ハナニムが心と体に宿った、そのような愛をもった男性と女性が結婚すれば、それは誰の結婚になりますか。誰の結婚になるのかというのです。人間の結婚であると同時に、ハナニムの結婚です。驚くべき話です。既成教会の信徒たちから見ると、驚き倒れる話です。「あんなことを言うから異端だと言うのだ」と言うのです。異端は誰ですか。本当の異端は誰なのか、霊界に行ってみてください。
(248-284, 1993.10.3)
本来、アダムとエバは何ですか。ハナニムの長男、長女です。ハナニムは天宙すべてを創造した万能の王であり、アダムとエバはその王の子女なのです。王の息子と王の娘が絶対者であるハナニムの愛を中心として一つになり、ハナニムと一つになったその基準に立たなければなりません。それがアダムとエバの位置です。言い換えれば、アダムとエバは、地上天国と天上天国の王にならなければならないというのです。皆さん、ハナニムの姿は霊界に行っても見えません。姿が見えないのです。ハナニムの創造目的は何ですか。御自身の形をもつことです。姿をもちたかったというのです。
(250-37, 1993.10.11)


無形のハナニムは実体がないので、その形体の代身となったのがまことの父母だというのです。真の父母は、個人的な父母であり、家庭的な父母であり、宗族的な父母であり、民族的な父母であり、国家的な父母であり、霊界に行っても、今後、真の父母の形状でハナニムが現れるのです。
(98-224, 1978.8.1)
統一教会の偉大なこととは、それです。レバレンド・ムーンの偉大なこととは何かというと、レバレンド・ムーンの形状をハナニムがもたれるということです。何の話か分かりますか。
(162-232, 1987.6.7)
先生が監獄に行って、悪いうわさが立ち、すべて滅んでなくなると思っていたのですが、今でも生きて堂々と大口をたたいています。アンテナを立て、すべて見聞きして分かっていて、大声をあげているのです。ハナニムも、先生のサインが出ているか、出ていないかを見て、それから決裁するはずです。先生のサインがあるかないかを見て、先生のサインがあれば「OK」、ない時は「ノー」と言われるのです。言葉は簡単ですが、そのようになることがどれほど難しいかを考えてみてください。今後の世界、霊界はすべて先生の手の中で動くはずであり、この肉界はいずれ一つの谷間へ行くしかないという結論が出てきます。
(134-17, 1985.1.1)
自然世界は、真理でぎっしり詰まっています。皆さんは霊界についてよく知りませんが、先生は霊界の専門家です。そこは、21世紀ではなく22世紀、30世紀になったとしても、先生がいなければ開門できません。理論的に霊界を教示して霊界を開門する時、体系的内容を明らかにしてくれた元祖がムン 先生だという名声が永遠に残るのです。
(203-324, 1990.6.28)
霊界を結束させなければならないのに、霊界を収拾できない人は、天下を統一できないのです。天運の根が天であるのに、天を収拾できないのです。天運の根が天であるのに、天を収拾できない人が、どうしてその結果をこの世の道理として、世界を統一できますか。それゆえに、地上を統一する前に霊界を統一しなければなりません。
(191-204, 1989.6.24)
天国に王宮がありますか、ありませんか。そこの王は、民主主義の王でしょうか。どのような王でしょうか。霊界は真の愛を中心とした所なので、霊界の王は一度中心になれば永遠です。それゆえに、高い所、低い所を一つと見るのです。全体を球形と見るのであって、分離されたものとしては見ないというのです。
(167-123, 1987.7.1)


 

② 宇宙の軸、地上・天上の統治者

霊界に行けばアダムとエバが家庭の王であり、宗族の王であり、民族の王であり、国家の王であり、世界の王であり、天宙の王なのです。ですから、霊界に行ってはハナニムの代身者となるのです。ハナニムは無形の神なので見えません。あの世に行ってもハナニムは見えないのです。しかし、ハナニムも体が必要です。それで、ハナニムが造った万物世界は体をもっています。無形の神が体をもち得る相対的な存在を必要として万物を創造されたので、完成したアダムとエバはハナニムの体になるのです。
(242-166, 1993.1.1)
アダム家庭とは何かというと、将来アダム一族の族長になり得る立場であり、アダム一国の王になる人であり、世界の王の中の王になる人です。ハナニムの代身と一体となれる世界です。ハナニムが、なぜ創造をしたのでしょうか。地上で人間アダムの子孫を通じ天国の民を育てることが、アダムを造った目的です。ですから、地上でアダムとエバに通じることなしに子女を・・・。霊界で子女繁殖はできません。縦的であるので、霊界に行っては息子、娘を生むことができないのです。ここは縦的ですから、縦的なものは一点の上に立つのです。
面積がありません。それゆえにアダムとエバが縦的な基準の前に360度で・・・。これは無限であり、無限の面積が必要なその中で生まれた、無限な息子、娘を天国の民とするためのものだというのです。そうなれば天国で王になれる方が誰かといえば、ハナニムです。ハナニムが王にならなければならず、ハナニムと一つの体となり得る、ハナニムが体をもてる、そのような人が必要です。その体が誰かといえば、アダムとエバです。
(284-132, 1997.4.16)
堕落していなければ、アダムは誰ですか。霊界に行くようになればハナニムになるのです。霊界で体をもつ主人になるのです。ハナニムは、あの世に行っても見えません。なぜ人を創造しましたか。この宇宙は実体があるので、実体の主人であるアダムとエバを中心として管理主導できる立場に立つためです。
霊界において、ハナニムは無形でいらっしゃり、支配し得ないので、実体の仮面をかぶって実体の体をもことにより、あの世において、地球ぼしで生産されてくる自分の息子、娘たる子孫を、実体をもって支配し得る王になるために実体の人を造ったのです。その王の顔が誰の顔ですか。アダムの顔です。王をつくったから王妃が必要なのです。王妃とは誰ですか。エバが王妃にならなければならないのです。地上の先祖であると同時に、天上世界の先祖になるのです。
(199-144, 1990.2.16)
霊界に行けば、先生がすべて統治しているのです。先生ではなく、ハナニムです。ハナニムの体なのです。皆さん、体のあるところに心があるでしょう。心と体は一つです。もう少し深い話をすればよいのですが、ひっくり返る人々がいるので話をしてあげられません。ひっくり返るようになっています。「ああ! そんなことがあるものか」と、このようになるのです。


この世には、本当に、そのようなことがいくらでもあるというのです。ハナニムは、遠方にいるのではありません。そのようなことがある、限りなく近い所にいらっしゃる方だということを知らなかったのです。
(273-243, 1995.10.29)
霊界に行けばハナニムが見えるのではありません。ハナニムがアダムとエバを造ったのは、将来、実体的な万物世界を子孫にすべて管理させるためです。ハナニムも形状が必要だというのです。アダムとエバの形状をもち、あの世に行って父の役割、すべての中心存在の役割をするのです。父母様があの世に行けば、ハナニムが心にあって一つの体になり、全霊界とこの地が一つになるのです。
ハナニムが心に入り、父母様がハナニムの代わりに入っているのです。私たちの体と心の関係のようなものです。そのような原則になっているので、地上の皆さんの家庭は、霊界の中心家庭である父母様の家庭とハナニムが一つになったその形態を、小さいけれど皆さんの家庭で一単位として実を結ばせたのと同じだというのです。
(248-52, 1996.4.28)
アダムとエバが堕落しないで完成し、人間の責任分担を果たしていれば、この地上世界と天上世界は、地上天国と天上天国が成され、まことの愛を中心として一つの世界になっているというのです。結局、最初であると同時に最後となる日は何ですか。「真の父母の日」です。「真の父母」と言えば、ハナニムは縦的な父母をいい、真の父母は横的な父母をいうのです。縦的なハナニムは霊界を代表し、横的な真の父母は地上世界を代表して一つになるのです。真の愛によって一つになる世界です。その二つの核心的な内容が真の父母です。真の父母の中に、縦的父母と横的父母があることを知らなければなりません。
(248-50, 1996.4.28)

 

③ 真の父母様を通して天国に行く

宇宙の中心とは何かというと、霊肉の真の父母です。その基準を中心として、そこから東西南北が生じ、家庭が生じ、宗族が生じ、民族が生じ、国家が生じ、世界が生じるのです。これが、宇宙の根本です。これを中心として霊界が生じるのです。これが、90度、360度になってこの中に宇宙が入るのです。
(147-111, 1986.8.31)
先生が、幼い時から霊界の問題に当面しながら、このようなすべてのものを探し出してくる中での伝承的な記録が、「原理」のみことば だということを知らなければなりません。漠然とした話ではありません。それで、李相軒イサンホン氏もこの地上に生きているとき、先生を100パーセントは信じられませんでした。


先生が「右手は霊界をつかみ左手は地上をつかんで、反対に引き抜かなければならない責任が真の父母にある」と話したのですが、それが何のことか分からなかったのです。
(302-156, 1999.6.13)
今、私がハナニムに、「ハナニム、私は堕落したこの世界と霊界を見たくありません。新しい、これよりももっと良い天国を再びつくればよいでしょう」と言っても、それが可能だというのです。まだサタンが解放されていないのが問題だというのです。サタンを底無し地獄に押し込んで、影も見たくないし、恨みの声も聞きたくないというのです。解放されたとしても、まだ処理すべきことが残っています。
(302-257, 1999.6.14)
皆さんは、霊界についてよく知らないでしょう。私は霊界の専門家です。おそらく歴史の中で、「霊界を開門するにあたって、理論的な基盤によって霊界を教示し、体系的な内容によって明らかにした元祖がムン総裁である」という名が残るでしょう。元祖(원조ウォンジョ)を知っているでしょう。貧しくて助けるという意味の援助(注:韓国語では元祖と援助は同音)ではありません。根本という意味の「元」(ウォン)と先祖の「祖」(ジョ)です。
皆さん、文総裁に対して「真の父母」と言いますが、私はその「真の父母」という言葉を最も嫌う人間です。それがどれほど怖い言葉でしょうか。真の父母になったならば、真の家庭を率いなければならないのです。ここに一門がくっつけば、真の一門を率いなければなりません。また世界へ拡張される時は、世界を率いなければなりません。天地の前に、霊界と肉界に人類がいっぱいに拡張された時には、それを率いることができる能力がなければならないのです。途方もないことです。そのようなことをみな知っている人です。
(203-324, 1990.6.28)
堕落していない本然の真の父母が来て初めて、ハナニムの垂直と人間の水平の90度を合わせられるようになるのです。真の父母が来て90度に合わせることができる教育をするのです。霊界へ行ってみてください。私が言っていることが間違っていれば、首を切ってもいいです。真の父母が来て水平と垂直を90度で合わせられるようになるのです。90度で合わせられるように教育をするのです。この教育に絶対服従しなければなりません。体をつかんで打ち、90度にしなければなりません。
(201-165, 1990.3.30)
真の父母は、宇宙的な真の愛の中心基盤です。ですから、そのような真の父母が現れれば、朝にすべての山川草木が昇る太陽に向かうように、すべての被造世界が真の父母に向かうようになります。すべての被造物が葉や枝と同じなのです。霊界では、すべてのものがハナニムに向かっています。同じように統一教会でも、先生が韓国へ行けば食口シックたちのすべての神経が自動的に先生についていくのです。同じことです。
(202-360, 1990.5.27)
博士の学位を受けようとするなら、指導教授に足でけられても、「ああ、ありがとうございます」と言ってこそサインしてくれるのであって、そうでなければしてくれないのです。「私が鼻を見ても、顔を見ても、体つきを見ても、何を見ても優れていて、相撲をしても勝つし、こ飯を食べてもたくさん食べ、何でも1等になることができ、10箇所、100箇所良いところがあるのに、一つくらい知らないからといって博士学位をくれないのですか」と言っても通じません。先生がそのような霊界の特許権をもつかもしれないというのです。
(134-17, 1985.1.1)


天地を与えられても取り替えられない高貴な価値の存在である人間が、なぜこのように脱落してしまったのでしょうか。堕落ゆえにです。それを解放しようとするなら、レバレンド・ムーンを通じなければなりません。レバレンド・ムーンを通じることなしに、この原則を知ることはできません。いくら学者であり、いくら世の中でずばぬけているといっても、霊界に行く時は、レバレンド・ムーンのサインを受けて入っていってこそパスするのです。
(280-169, 1996.11.24)
先生を中心として霊界が協助するという、そのことは只事ただごとでしょうか。霊界に関してもそうですが、これからは何もかも私が深刻になさなければなりません。先生が血を見るようになれば恐ろしいのです。先生が血を見るようになれば無慈悲なのです。
歴史的なすべての蕩減とうげんを何倍もかけて、け飛ばしてしまうのです。血を御覧になったハナニムを、歴史過程のそのハナニムを慰労する道がないのです。それを涙でふさいであげようというのが先生の考えです。
(207-175, 1990.11.9)
霊界でも、関心は、先生以外にはありません。父母様以外にはないのです。それが生命の根源であり、愛の根源であり、良心の根源であり、すべてのものの根源です。そこを通じなければ大きくなりません。
(256-28, 1994.3.12)
この地上世界だけがまことの父母を必要とするのではなく、霊界も同じです。どうしてですか。そこでは地上で愛をもって生きた人が行って宮殿をつくるべきですが、そのような人がいないからです。愛の宮殿は、ハナニムもつくることができず、霊界の人もつくれません。真の父母がつくらなければならないのです。霊界で愛の宮殿が真の父母から始まります。霊界に宮殿があっても、真の父母が行って、「ここを宮殿とします」と宣布してこそ、それを中心としてすべての霊界が落ち着くのです。そのような責任が残っているので、霊界でも真の父母を絶対に必要としています。
(205-255, 1990.9.9)
先生は、常にいる人ではありません。歴史が始まって以来、2000年の間に、1世紀前にもなく、あとにもない、永遠に1回しかないこの期間に生まれた人です。いつでも生まれ得る人ではないのです。そのような期間に皆さんが先生から直接秘密の内容を学ぶということは、無限の価値があるのです。そのまま実践して霊界に行けば、間違いなく天国に行くのです。その未来の国が皆さんを待っているのです。その天国は、今まで空いていました。真の父母が本来、入るはずでしたが、真の父母が現れなかったというのです。
(249-327, 1993.10.11)
統一教会の先生の誇りは、ハナニムを知っていることです。霊界で知っている以上に知っているというのです。人がいくら多いといっても、ハナニムの心情を知っているので、ハナニムは最も先生のことが好きです。
(146-333, 1986.8.10)


宗教人たちが涙に濡れて、ひざまでへこむほど一生の間祈祷をしても、イエス様に出会って導きを受けるかどうかです。にもかかわらず、皆さんがここに来て先生に会い、このような話を聞けるということは、歴史的な事件です。
(146-335, 1986.8.10)
復帰の真理だとか、死だとか、霊界などを知るにおいては、何もせずに分かるのではありません。先生は、何も食べないで17時間ずっと祈祷だけをしたことがあります。10時間、12時間は普通です。ですから、ここがすべて固まってしまいました。今は、祈祷を長くしなくてもハナニムが近くにいらっしゃるので、すぐに通じます。この膝にも、そのような痕跡こんせきがあります。
(250-317, 1993.10.15)
先生が祈祷する時は、冬でも綿ズボンが濡れるほど痛哭つうこくしたのです。そのような功績を立てて探した「原理」を、皆さんはどのように扱いましたか。霊界に行って、そのような事実を知れば、先生の近くにどのようにして来るのでしょうか。オモニも、先生に対しては用心するのです。分からないことが多いのです。知れば、その道に同参しなければなりません。そのようなハンの峠を越えるとしても、ここで自分が死んいきながらも、愛をプラスして死のうとしてこそ、天の死として扱ってくれるということを知らなければなりません。ここは、死に勝つことができる位置です。死が干渉しない位置です。
(253-325, 1994.1.30)
先生を知って損をした人は、手を挙げてみてください。いますか、いませんか。いるという者は、泥棒どろぼうです。誰が損害を受けましたか。私が損害を受けましたか、皆さんが損害を受けましたか。私が一生の間、損をしたでょう? かといって、それを取り返そうとは思いません。代わりに皆さんの子孫に返してあげなさいというのです。皆さんの息子、娘すべてに、先生の代わりに父母として侍ってもらえというのです。それをすることができなければ、先生の功をすべて再び蕩減しなければならないのです。霊界に行き、がちっと引っ掛かってしまいます。許しがないのです。
(252-263, 1994.1.1)
「真の父母」という言葉は、驚くべき言葉です。皆さんの中で霊界に通じる人は、祈祷してみてください。「ハナニムが高いですか、ムン総裁が高いですか」と祈祷すれば、「文総裁が高い」と答えるのです。このような話をするから、異端でないはずがないでしょう。
(266-249, 1995.1.1)
悟りの世界においては、霊界に行ってハナニムにまで認められなければなりません。なぜそうなのでしょうか。「原理」の勉強をすれば、みんな分かるでしょう。そのように難しいのです。それをすべて暴き、体系を作らなければならないのです。私のような人は、しぶとい人なので、そのような体系を作ったのです。その世界があまりに膨大なので手を付けることができません。継ぎはぎのふろしき包みを、くまなくすべて解いて一つの服を作ろうとすれば、君王が着て出掛けられる服を作れなければならないのです。そして、ハナニムをして「お前は歴史が始まって以来、私よりまさっている」と言わせなければならないのです。
(203-296, 1990.6.27)


まことの愛を中心として生涯を投入し、霊界に行けば、どこででも「先生!」と言うと、すぐに会えるのです。すぐ会えます。心配することはありません。愛の心情に合わせれば、同参、同位、同居権をもつことができるので、先生を呼べばすぐに会えます。それは良いでしょう。そのような人々には、先生が全霊界を見物させてあげることでしょう。ダイヤモンドの星もあり、黄金の星もあります。その時、先生の特権で一つぐらいあげるかもしれません。先生には、そのような特権があるのです。
(229-164, 1992.4.11)
分かりますか、分かりませんか、この者たち。「この者たち」と言うのは、私が条件を残してあげることなのです。「ムン総裁、どうしてそのように悪口を言うのですか。文総裁に私が初めて会うのに、そのように非難されては、すべて信じることができません」と言うかもしれませんが、その時になって許してあげようと悪口を言うのです。そして、あの世に行き、「あなたが悪口を言うので、統一教会を信じることができなかった」。それは理にかなった話なのです。それで、霊界に行って許す条件を立ててあげるために悪口も言うのです。非難されても心が痛くないのです。帰ってみてください。「ああ、悔しい!」と、そう思っていたのに、故郷へ行く前にすべて忘れてしまうというのです。心がそのようになるのです。分かりますか、分かりませんか。分かるという人は手を挙げてください。しゃきっとしたようですね。
(283-211, 1997.4.12)
ハナニムは、負債を負われる方ではありません。千倍も万倍も返そうとされる方なので、文総裁は、しがない一人の兵士として監獄を行き来しながらも、先生の所有版図は、国を越え、世界を越え、天地を越えて、霊界と肉界の統一的な一つの位置をつかみ得る、この時が来ました。ですから、アダム家庭における、天地に統一的で家庭的な基盤形態を、万民の前に賦与できる、このような特権時代を得た先生の権威が、どれほど偉大かというのです。全体全般です。一つも欠けることなく、全体全般です。その次には、全権全能の時代に向かえる結果が、先生の未来の世界に待っているというのです。
(284-113, 1997.4.16)
天宙は霊肉の世界ですが、天上世界の中間霊界にとどまっている霊たちと、地獄に行った霊たちをすべて解放し、門をすべて開いてあげてこそ、ハナニムが解放の立場に立てるというのです。ハナニムが解放された立場に立ってこそ、全人類が呼吸を共にして太平聖代に入っていけるのです。それが統一教会の行く道です。それゆえに、ハナニムが解放される日まで、統一教会は行かなければならないのです。偉大な事実です。大ざっぱではありません。
(249-248, 1993.10.10)
今、霊界は形態をもっていないのです。真の父母によって形態をもつようになるのです。霊界祝福とともに天地総合、地上天国統一の愛の主権世界宣布をするようになれば、先生が霊界に行かなくても、ハナニムは先生の父母の形態をもって霊界を主管できるようになるのです。それゆえに、それを待つのです。別れてしまったものが結合するのを待っているというのです。先生が早く霊界に来ることを待っているというのです。


ですから、地上の仕事が終われば、霊界の仕事を始めなければなりません。皆、待っているのです。霊界の王として立つのです。地上の王がそのまま霊界の王になって、原理原則に一致した故郷の地に帰るのです。
(295-202, 1998.8.28)
文総裁の願いは何かというと、教主の中で真の愛のための代表的な教主になろうと考えています。歓迎しますか。皆さんは、霊界をよく知らないのです。私は、霊界の専門家です。死んでどのようになるかということをはっきり知っているので、世の中の万事がいくら騒々しく反対しても、それが私の目にはとまりません。なぜですか。それより、あの世界を見るからです。あの世に拍子を合わせて暮らすのです。
それゆえに、今後世界の霊通人たちは、僧侶そうりょでもどのような人でも、私のところに来て教育を受けなければなりません。天地の秘密を知っている人がいなかったのです。初めてこの時代に文総裁という人が出てきて発表することによって、天国の博物館にもなかった記録の蔵書になり、それを見て数多くの善霊たちが知って、地上の自分の子孫に夢による啓示を通じて、あるいは啓示を通じて教えるようになる時、地上の図書館がぎっしりいっぱいになるでしょう。今ここで話すことは、どのような図書館にもないことです。
(200-173, 1990.2.25)
ハナニムの心情世界までも発見したレバレンド・ムーンが、偽物でないということを知らなければなりません。このような、すべての内容を聞いてみても、世の中にはないのです。先生が教える内容は、世界のどんな図書館の本にもなく、霊界の図書館にもありません。初めてなのです、初めてです! このような内容は地上のどこにもなく、霊界のどこにもない新しい真理のみことばです。これは、ハナニムと霊界と地上の人間が求められない宝の倉庫にある記録だということを知らなければなりません。
(303-59, 1999.7.4)
地上で先生を見ただけでも、霊界に行っては自慢の種になるでしょう。「私は先生に侍った」と言ってです。
草や木を見ても、植物の芽がすべて太陽の光に向かっているように、皆さんの本性こそ、愛の太陽の光に向かうのです。ハナニムは、愛の太陽です。霊界に行けばそうなのです。
(142-312, 1986.3.13)
総結論は何ですか。アダム完成です。アダム完成とは何ですか。アダムができなかったことは何かというと、責任分担の完成ができなかったのです。責任分担とは何ですか。祝福家庭の世界の、伝統的な礎の基準が、家庭的な礎となり、宗族的な礎となり、民族的な礎となり、国家的な礎となり、地上天国の礎となり、天上天国の礎となることのできる、そのすべてのことです。その礎が汚されてしまいました。それを清算しなければなりません。ですから霊界の清掃、地上の清掃、すべてのことをしなければなりません。
(302-241, 1999.6.14)


2) 真の父母様と天国建設

 

① 真の父母になるためにみ印を受けなければならない

再臨主になるためには、どのようにしなければならないでしょうか。霊界に入っていって、イエス様を中心としてすべての宗教に関係する原理の内容、天地はこうで、すべての原則がこのようになっているという道理を解いて、霊界で承認を受けなければならないのです。その内容を発表しなければなりません。これは、霊界でも分からない話なのです。
ハナニムとサタンだけが知っている内容ですが、これをすべて発表するので霊界で反対が起こるのです。それで、40日間、霊界の混乱時代が来ます。サタンがハナニムを否定する条件を立てて反対するので・・・。そこで霊界の半分が別れて反対しました。ですから混乱が起こるのです。最後に至ってはハナニムが、「どれがまことなのか」ということで判決しなければなりません。それで、真の父母が霊界を完全に屈服させて、ハナニムのみいんを受けて地上に降りてくるのです。
(236-323, 1992.11.9)
天下を統一するためには、霊界を統一しなければなりません。霊界の先祖から、「ムン総裁は異端者だ、反逆者だ!」と言われます。最終的にはハナニムまでも、「そうだ。捨ててしまいなさい」と言うのです。蕩減とうげん原則がそうです。アダムとエバがハナニムを否定したので、ハナニムもアダムとエバを条件的に否定しなければならないのです。否定する立場から肯定し、私のハナニムとして取り戻さなければなりませんし、私の天国として取り戻し、ハナニムの印を受けなければなりません。そうしてハナニムがここに共に立って讒訴ざんそしてから、あとではすべて・・・。
先生の性格は、一度始めれば最後を見届けるまでやめません。死ぬ前には後退をしないのです。この「原理」がどうだということを私がはっきり、よく知っていて、自信満々なので、食ってかかるのです。イエス孔子などが何を知っていますか。彼らは、「ああ、私が学んだのはこのようなものでしたが・・・」と言うのです。彼らは、自分たちが教えた教理にはないと否定的事実を質問するのです。「そうではない!」と言うのです。
43日間、霊界全体に対して闘争の役事をしたのです。ですから最後には何かというと、40日目はハナニムまでも、「レバレンド・ムーン、こいつめ! なぜこの天上世界に来て平穏な天の世界を混乱させるのだ、この泥棒どろぼうめが!」と言うのです。皆「わっ!」と言いました。かといって、私は後退しなかったのです。
(282-168, 1997.3.11)
再臨主になろうとするなら、霊界に入っていってハナニムのみ印を受けて来なければならないのです。文総裁が霊界に入っていくことによって、43日間、霊界で闘いが生じました。地獄の底から天上まですべてが、「文総裁は異端者だ!」と言うのです。それを下から整理していかなければなりません。一番あとは聖賢たちです。彼らとハナニムの前で談判して、正義の主人が誰かという勝敗を決める闘いをしなければなりません。その時の題目は何ですか。霊界に来たすべての人々は、血統が変わったというのです。血統転換をしなければならないことを知っていたのかというのです。


二つ目は何ですか。所有権転換です。「地上で生きながら個人の所有権をもつことは天国の背信者だ!」と言うのです。教主たちがいくら優れているとしても、ここに引っ掛かっているのです。ですから、先生が霊界で闘う時、自信満々に「異端が何だ」と対抗して闘ったのです。今後は、霊界に大混乱が起きるのでハナニムが審判長として判決を下さなければなりません。ところが、ハナニムまで反対するのです。
「文総裁は、お前たちが言うように異端者だ!」と言うのです。なぜですか。アダムが天を裏切ったので、蕩減復帰の原則によってハナニムもアダム完成者を裏切らなければならないのです。そのようにしてこそ、ハナニムの心にわだかまった塀が崩れるのです。そして、全体がみな反対し、ハナニムまであちら側に立っていて、ただ一人、文総裁が残ったのです。
かといって混乱の渦中にある霊界を、そのままにしておくことはできないのです。ハナニムが最後の判決を下さなければならないのです。「文なにがしが言う血統転換、所有権転換、心情圏転換は事実である!」と言うのです。そのような勝利の覇権者として、み印を受けて降りてこなければならないのです。
(264-50, 1994.10.9)
皆さん、世の中を収拾するためには、霊界を収拾しなくてはなりません。それをせずには世の中が収拾できないのです。先生がこのような真理のみことばを探求し、「こうでなければならない!」と主張する時、サタンも反対しハナニムも反対したのです。人間がハナニムを捨てたので、ハナニムも人間を捨てなければならないのです。蕩減法則です。それで、霊界で40日間、闘いが生じるというのです。四大聖人たちがすべて来て、「レバレンド・ムーン、異端だ!」と言うのです。
霊界のすべての宗教指導者たちが私に反対したのです。このようにしてハナニムのみ前で大会をし、誰が正しいか攻防戦をしました。40日間、全霊界が大騒ぎしました。「レバレンド・ムーン、異端だ!」と言いながら大騒ぎしたのです。「霊界は複雑だ。私たちは、それは嫌いだ。追い出せ!」と言いながら騒いだのです。しかし、ハナニムもこのみ旨でなければならず、このようにしなければすべての世の中を理論的に収拾する道がないというのです。孔子は、ハナニムの人格体を知らなかったではありませんか。ハナニムをよく知らなかったのです。人格的なハナニムは分かりませんでした。「天」については語りましたが、漠然としています。質問戦でノックダウンするのです。
エス様に対しては、「あなたは再臨論について、なぜこのような問題を語らなかったのですか」と言えば、ノックダウンするのです。空中に千年王国を成すというのですか。霊界に行けば、みな間違っていることが分かるのです。私が質問する時、相手は口を開くことができないのです。最終的にハナニムに対しても、「あなたが判定してください、誰が正しいのか」と言うと、ハナニムが「レバレンド・ムーンが正しい!」と言われたのです。
(259-320, 1994.4.24)
霊界に入っていき、43日間、一番下からぞんざいな扱いを受けるのです。「お前はなんだ」と言ってです。下郎げろうだとか、パク氏ハルモニのたぐいの詐欺師だとか、異端者の魁首かいしゅだとか言われるのです。霊界に入っていって全宗教を中心として、選民たちを中心として、一番あとには四大聖人たちを中心として面談し・・・。すべて反対するのです。ハナニムまで一緒になって、「この逆賊め、たたき殺せ!」と言うのです。「歯には歯、目には目」です。40日期間、霊界全体が反対するのです。ここで後退しては駄目です。43日間を闘うのです。最後は、ハナニムまでもみな反対したのです。先生が後退できますか。後退すれば大変なことになるでしょう。それで、そのあとにはハナニムまで屈服させるのです。


ですから、ハナニムが霊界に対して、「気をつけ!」と言うのです。そうして、「霊界の闘いに対して私が判定しなければならないようだが、すべて当たっている証人は文鮮明ムンソンミョンだ」と発表をするのです。それで、ハナニムの前に答弁するのですが、後ろを振り返れというのです。振り返って答弁するのですが、文鮮明の話が合っているとして、「気をつけ!」と言い、ハナニム御自身と共に、全霊界が先生をあかしするのです。ですから霊界まで、すべて終わりました。みいんを受け、公認を受けて地上に来るのです。
(295-293, 1998.9.24)
世の中を統一するには、天上世界に入っていって統一しなければなりません。どのように統一をするのでしょうか。歓迎するのではありません。天上世界に行って、「天理の道理は私が言うように、このように解かなければなりません」と言えば、サタンも知り、ハナニムも知っているといえども答弁できません。すべての教主たちは、初めて聞くのです。「血統転換、所有権転換、心情圏転換、そのような言葉がどこにあるか」と言うのです。イエス様さえも、日ごとにそのように言うのです。聖人たちがすべて反対しました。こうして43日間、霊界の大混乱の役事が起きるのです。「あの異端の魁首、レバレンド・ムーンを追い出せ!」と言うのです。「追い出せ」と言うからといって、追い出したとしたらどのようになっていたでしょうか。統一教会は出てきません。ですから、その試験の中で43日をすべて押しまくらなければなりません。
先生は、そのようなところにおいては専門家です。正しいことと間違っていることの分別については、専門家です。それで、サタンなのかハナニムなのかすぐに分かります。すべて見たところ、間違っているのです。ですから押しまくるのです。すると、最後にハナニムも大騒ぎするのです。霊界が混乱して、レバレンド・ムーン一人を中心として霊界がすべて動揺して、大変なことになったというのです。ハナニムは審判の主人なので、最後に責任を負わなければなりません。全霊界がレバレンド・ムーンを前に立て、ハナニムに讒訴ざんそする局面なのです。
それで、ハナニムが定義を立て審判しなければならないというのです。二つの闘いを停止させるためには、正しいことと間違っていることを明らかにしなくてはなりません。二つの組に分かれたのです。先生は一人であり、霊界はすべてが反対です。ハナニムまで反対するのです。「こいつ、悪いやつ。そんな話がどこにあるのか」と言うのです。アダムが反対して堕落したがゆえに、ハナニムが反対しなければなりません。
父母がたたかなくてはならないでしょう? 罪を犯した子女ならば踏んだりけったりして、そうしてゆるしてあげるのですが、それと同じように、一番あとに文総裁を立てておいて、「前を見なさい!」と言ってハナニムが判断するのです。「今まで数多くあれこれ言い立てていたが、文総裁が主張することが正しい!」と言ったのです。
(273-67, 1995.10.21)