八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 4-7

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1163-1198

【天啓の御言】(4-7)

 


4) 長子権勝利と父母権、王権復帰

 

① 長子権復帰

本来、ハナニムの創造理想から見ると、長子は神側から始まるべきであり、もちろん次子も神側から始まらなければなりません。
ところが堕落により、長子権がサタン側になり、次子権が神側になりました。これを入れ替えなければなりません。ですから聖書に出てくるエサウヤコブの問題を見ると、ヤコブが母の協助を受けて母と一つとなり、エサウにレンズ豆のあつものとパンを与えて長子の嗣業しぎょうを奪う役事をしたのです。今まで聖書の役事がなぜそのようになっているのか分からなかったのです。統一教会が現れることによって、初めてこれがはっきりしたのです。
(134-304, 1985.8.16)
堕落圏を越えて長子権も神側の長子権、次子権も神側の次子権を成してこそ、堕落しなかった本然の世界に立つことができるのです。これが本来の創造理想です。ハナニムが絶対的であるからには、その理想も絶対的なものとして残っているので、これを再び取り戻すための歴史過程を経て蕩減とうげん復帰し、これを越えなければならないのです。
(134-304, 1985.8.16)
長子権復帰。それはどれほど難しいことでしょうか。これゆえに、すべてひどい目に遭ったのです。修道者が数えきれないほど犠牲になり、キリスト教ローマ帝国で400年の間苦労し、サタン世界の版図を越えるために血を流したのです。皆さん、ローマに行って、その洞窟どうくつに入ったことがありますか。だんを作って先祖の死体をすべて壇の下に埋め、そのにおいをかぎながら暮らしました。天がそうするように言ったのでそのようにしたのであって、そうでなければ誰がするでしょうか。人間的にはできないことです。ですから天がどれほど苦労したかというのです。歴史上のその功を、皆さんは知りません。それを知らなければなりません。
(140-203, 1986.2.9)
皆さん、原理でカイン、アベルを考えたとき、カインが貴いでしょうか、アベルが貴いでしょうか。どちらが貴いですか。アベルが貴いとみな思っているのですが、それは間違っています。アベルは弟の立場であり、カインは長子の立場です。正しく知らなければなりません。アベルよりも、次子よりも長子の立場が貴いのです。
長子は一人ですが、次子はそうではありません。長子が何人もいるということがありますか。長子というのは一人しかいないものです。長子がなぜ貴いかというと、一人しかいないからです。次子は何人にもなり得るのです。それを知らなければなりません。
(136-126, 1985.12.22)
ハナニムが復帰摂理をしてくるにおいて、長子をサタンの側に立ててきたのがハンでした。
それゆえ今日、歴史は病んでいるのです。どんな病気にかかったのですか。愛の病にかかっています。愛の病気で過ちを犯して長子を生んだのです。ですから今までの歴史は、順理的な法度の基準を取り戻すために億万年かかったとしてもこれを復帰するための蕩減の恨を抱いて長子を探し求めてきた歴史だったのです。
(136-126, 1985.12.22)


アベルを立てた目的は何でしょうか。アベルの子を救うためではなく、長子権を立てて家の伝統を正すためだということを知らなければなりません。統一教会員はこれを知らずにいます。「えへん、私がアベルだ」と言いますが、責任者たちは心得なければなりません。「私たちはアベル的位置にいるので、これでいい」というものではありません。
皆さんを立てたのは、長子権の一族を定めるためなのです。自分たちが福を受けたいならば、長子権をつくって、その長子が福を分けてあげれば受けるのです。その長子権は自分ではありません。来たるべき主を中心として、縦的な天上世界と因縁を結ばなければなりません。横的世界だけではいけないのです。原理で解釈すべきところですが、皆さんはみな知っていると見て、このようにお話をするのです。
統一教会ムン先生がこの道を知っているがゆえに、「ために生きよ」という論理を立てないわけにはいかなかったのです。生まれたのも、「ため」に生まれたのです。男性が生まれたのも女性のために生まれたということを知らなければなりません。「私」というものはないのです。
(136-130, 1985.12.22)
サタン側はカインです。兄です。天側はアベルです。この闘いなのです。ハナニムは上の息子を愛してから下の息子を愛するようになっているのです。カインである上の息子はサタン側です。長男がサタン側になったのです。その長男を救うためにアベルを立てたのです。アベルを立てて長子権を復帰するのです。
長子権を復帰するのに力ずくで奪うのではなく、愛で感動させなければなりません。愛で溶かして復帰しなければなりません。愛したという立場に立たなければ、愛することによって彼らが変わらなければ自分の息子、娘を愛することができません。ハナニムの創造理想から見ると、本来は長子が先に愛されるのであって、次子が先に愛されるようにはなっていないのです。
(140-38, 1986.2.1)
自分の妻よりも、自分の子よりも、サタン世界をより愛したかということが問題です。妻や子のほうをより愛してはいけません。
ハナニムは、アベル圏を愛する前にカインを先に愛さなければなりません。それ以前にアベルを愛してはならないのです。
(140-38, 1986.2.1)
自分が勝利するには、出ていかなければなりません。出ていって長子権を復帰しなければなりません。長子が弟のような次子を兄として侍り、祝福はすべてお前によって受けるというほどにならなければなりません。そうして長子が次子の立場に来て、次子が長子の立場に上がらなければなりません。そうして長子が「お前が私の代わりに上がりなさい」と押し出してくれて初めて長子権宗族から長子権民族へと進みます。こうして初めて1段階ずつ上がっていくのです。長子が代わりに押してくれてこそ上がっていくのです。そのままでは上がっていくことができません。


このような原理的な内容があるがゆえに、この内容をもって長子権復帰基準を完成しなければなりません。そうせずしてはハナニムの摂理を成し遂げることができない、というのが歴史の秘密です。ですからまことの宗教の道を行くためには、家を出なければなりません。国を捨て、家を捨てて出家しなければならないという言葉がここから出たのです。
(138-204, 1986.1.21)
なぜ宗教が今日まで受難の道を行き、なぜ宗教が歴史路程で迫害を受けたときに発展するのか、その原因が分からなかったのです。すべての霊界と宗教世界、神秘の世界の背後でもつれた、サタンとハナニムのみぞ知る秘密の内容を暴いたのは、歴史上レバレンド・ムーン、先生しかいないのです。これは空論ではありません。そのように動くのです。そのまま、そのとおりに動くのです。
皆さんが伝道をしてみてください。その人が決心して統一教会に行くというならば、必ずサタンの役事が起こります。間違いありません。公式的なのです。
(138-204, 1986.1.21)
個人、家庭、宗族、民族、国家、世界、天宙まで7段階、ハナニムまで行くためには8段階を越えなければなりません。8段階の過程的長子復帰の基盤を通して、堕落していない本来の長子の位置に行かなければならないのです。アダムとエバは、長子であり長女でした。長子、長女が原理結果主管圏を通して直接主管圏まで、長子権の愛を中心として連結されるのであって、次子的愛をもっては連結されません。それゆえ、この位置に戻って長子権を復帰して、1段階、1段階上がっていかなければなりません。この闘いをするのです。
(138-134, 1986.1.19)
長子を屈服させる秘法は何でしょうか。サタンが言うには、「ハナニムも完全なハナニム、ハナニムの求めるアダムとエバも完全なアダムとエバなのだから、堕落しなければアダムとエバは本然の天使長である私を愛するのが原理の基準だ。それゆえ私が堕落して悪の立場にいるとしても、あなた方が善なる正しい立場にいるのならば私を愛したという条件を立てなければなりません。そうしなければ私の前でハナニムだということはできない」と主張するのです。それが問題なのです。
「私があなたと一つになれる秘訣ひけつが一つあるとすれば、それは何か。あなたが遣わした人が私を愛さなければなりません。ハナニムと一緒に私を愛する立場に立ち、愛したという条件を立てなければ、私が占めている長子の権利と嗣業を取り戻すことはできない」とブレーキをかけるのです。ですからイエス様が「怨讐おんしゅうを愛せよ」と言ったのです。
(131-182, 1984.5.1)
怨讐を愛するということは、怨讐の個人だけを愛しなさいということではありません。怨讐の家庭、怨讐の宗族、怨讐の民族、怨讐の国家、怨讐の世界を愛さなければ、怨讐の世界の長子権を取り戻すことはできないのです。それがハナニムの復帰摂理する歴史的路程だということをよく知っているサタンは、そのように主張してきている、という事実を皆さんは知らなければなりません。
(131-182, 1984.5.1)


長子権復帰をするためには必ず、サタンが迫害し生命を奪おうとする一線に出て闘って、愛で屈服させて、私たちのもっているすべてを教えてあげなければなりません。
そうして彼らが私たちの伝統が良いということを知って、自然に心に感動を覚え、涙で悔い改めて、生命を捧げてあなたのために祭物となりますと宣誓しなければ、カイン世界の祝福権を取り戻してくる道はないという事実をはっきりと知らなければなりません。
(131-182, 1984.5.1)
愛をもたずにサタンを屈服させることはできません。それゆえ、天国に行ける家庭となるためには、ハナニムも堕落した天使長を愛したという立場に立たなければならず、ハナニムの息子、娘の家庭も、サタンを愛したという条件を立てなければなりません。
そして皆さんが出ていって闘い、サタン世界を愛で屈服させたという条件の上に立たなければならないのです。「私は怨讐をみなたたきのめしたのではなく、怨讐を愛で屈服させて長子権を回復した」と言わなければならないのです。
(141-202, 1986.2.22)
ハナニムは怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血と汗にすべて打ち勝ち、耐えに耐えて自然屈服させ、ハナニムの愛を抱いて戻ってきて、初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。
「あなたはこれから天国へ行ける子女となれる」という公認を受けなければなりません。誰がサインしなければならないかというと、サタンがしなければならないのです。サタンがしたあとで皆さんがサインし、皆さんがサインしたものを真の父母様がサインしなければなりません。真の父母様のサインを通してこそハナニムの前を通過できるのです。それが天国です。
(141-202, 1986.2.22)
世界的にサタンを愛したという条件さえ立てれば、私に従う人はすべてサタンが連れていくことはできないのです。それではどうなるのでしょうか。カインとアベルが入れ替わるのです。皆さん、アベル圏は今までは追われる立場にありましたが、これからは天国の長子権をもって立つのです。そこでは、サタンの天下は崩れていくしかないのです。後退の一路だけであり、ここに対峙たいじするものはありません。対峙すれば、たたきのめされてしまうのです。それが原理観です。
(139-278, 1986.1.31)
蕩減路程において、世界長子権復帰の基準を成就することにより、初めてこの地上に原理結果主管圏と直接主管圏が真の父母様の名で連結されるのです。この連結された基準、一致した線上にはサタンは存在することができなくなるのです。
(139-285, 1986.1.31)


 

② 父母権復帰

それでは、蕩減とうげん復帰や父母権復帰、長子権復帰、王権復帰といったものがなぜ必要なのでしょうか。サタンの愛とサタンの生命とサタンの血統が問題なのです。もともとハナニムから出発すべきであったのに、悪魔から出発したのです。その悪魔は、愛というとてつもないものを中心として出発しました。
愛ゆえに宇宙ができました。創造は、すべての創造の起源になる愛を中心としてなされたのです。その根本をサタンがひっくり返したのです。ですからひっくり返った根本を元に戻さなければならないのです。
(206-236, 1990.10.14)
本来ハナニムの創造理想とは何でしょうか。真の父母の名を通して天の王国と地上王国を築くことです。真の父母の名をもってしなくては、天上天国と地上天国ができません。今日キリスト教徒に、「イエス様はハナニムの愛する長子であり息子であるのに、どうして天国に行かずに楽園にいるのか」と聞くと、答えることができないのです。天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通してのみ築かれるのです。霊界に行って王国を統一することが真の父母の使命であり、他の誰かの使命ではありません。
(131-182, 1984.5.1)
ハナニムと真の父母のことさえ確実に分かれば、すべて解放されるのです。生き返るのです。ですから皆さんは、ハナニムと真の父母を見せてあげなければなりません。皆さんがハナニムと真の父母を見せてあげるあかしの実体になりさえすれば、すべて解放されるようになるのです。ですからその人にすがり、真の父母にすがるのです。その人にすがるということは、ハナニムにすがるということです。本心を知っているので、とっさにそうするのです。今日、私がなぜこのような話をするのかというと、この日がそのような転換期を乗り越える一つの宣布の日なので、お話ししているのです。
(131-51, 1984.4.1)
このように大変なことなので、歴史時代において苦労しながら今まで延長してきたのです。能力のあるハナニムが、なぜこのように苦労をしてきたのでしょうか。教えてあげられるものならば、もう既に教えていたことでしょう。アダムが知らなかったので、アダムが責任を取って取り戻さなければならないのです。天地を分けて探さなければならないのです。そのために、どれほど涙を流したことでしょう。涙を流して追い出されたので、復帰路程でどれほど涙を流したかというのです。そのような点で、ムン総裁は涙をたくさん流した大王です。
歴史を代表して真理の道を探し求めて涙を流し、血肉を裂きながら受難の路程に打ち勝ってきた代表だということを知らなければなりません。そのような驚くべき父母に仕えているという事実を知らなければなりません。これが最後の峠です。
それゆえ父母権復帰基準とともに、次子権を一つつくらなければならないのではないでしょうか。先生は先生を中心として長子権、父母権を立てました。王権まですべて備えたので、一つとなれば、お母さんと次子の間に母子協助基盤さえ成せば終わりです。
(222-241, 1991.11.3)


長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の代行者だけが一族だという心をもたなければなりません。そうすれば、先生がいなくても自然と天下統一されます。2万4000双以上を祝福しました。24数。3×8=24、蘇生そせい、長成、完成の3時代を中心として8数を取り戻して立てました。それゆえ、世界宗族的メシヤ権を完全に設定したのです。
今は私がいなくても、すべてこのみ旨を中心としてその国を救おうと夜も昼も動けば、世界は一つの所に集まるでしょう。また世界的なあらゆる学者、組織、政治組織、あらゆる文化背景組織、レバレンド・ムーン以上に思想的な内容をもった文化的基盤は歴史上ありませんでした。どれを見ても、今やすべて終わったのです。
(206-272, 1990.10.14)

 

 

③ 王権復帰

本来アダムが完成すれば天国の父が完成し、エバが完成すれば天国の母が完成し、そして家庭の主人になれば、家庭的天の王権が生じるのです。したがってアダムとエバは個人的王であり、家庭的王であり、宗族的王であり、民族的王であり、国家的王であり、世界的王になるのです。今やこのような国家基準を越え得る時になったので、サタン世界の王権を踏んで、天の世界の王権を定めることができるのです。その日が1990年3月27日だということです。
これによって世界は、今やレバレンド・ムーンが風を起こすとおりに回るようになっているのです。
(1990.3.27)
では、天父主義とは何ですか。第1に兄弟権復帰、第2に父母権復帰、第3に王権復帰です。民主世界には王という概念がないでしょう。民主世界は、兄弟主義です。平面的に見るのです。それが兄弟主義ですが、兄弟主義世界では互いにけんかするのです。お前のもの、おれのものと言いながら争奪が起こるのです。
民主主義は争う概念ではありませんか。与党と野党が争い・・・。その内容は何ですか。王権を互いにもとうとするのです。大統領とは何ですか。王権ではありませんか。これが行ったり来たりして、みな搾取するので、うまくいかないのであって、絶対的な王が出てくれば問題がないのです。絶対的な平和な世界が来るのです。
(205-172, 1990.9.1)
民主主義の政治体制は闘争の体制です。ですから私たちが父母の立場に上がらなければなりません。そうしてこそ争いをやめさせることができるのです。兄弟たちがみな父母を中心として一つになるのです。そのように一つになるところから平和の世界が展開されるのです。他の方法はありません。まずまことの父母を探し出し、そこから真の子女、真の国家、真の平和を含んだすべてのものを探し出すことができるのです。それ以外に他の方法はありません。
(205-190, 1990.9.1)


「神主義」は、真の父母を中心とした思想です。神主義は垂直圏に属していますが、その垂直とバランスを合わせ、世界の形体全部を合わせて球体理想として現れるのです。愛は球体です。その球体は、どこからも垂直と通じるのです。その表面は、理想圏になるのです。
ですからこの世は、表面圏は不平を言うことができません。サッカーボールが転がっていって止まるとき、どの面からも垂直と通じる平等な面をもっているので、価値観によって平等の世界、均衡の世界に到達するのです。はっきり知らなければなりません。
(218-347, 1991.8.22)
天父主義、「神主義」を中心として統一するのです。真の父母は家庭の王です。家庭は様々な他の家庭と合わさって自動的に宗族になります。そうすると宗族の王が出てきます。また宗族は他の宗族と合わさって民族になり、民族の王が出てくるのです。国家、世界、天宙も同じです。
このように王たちが連結されてハナニムまでつながるのです。ですからハナニムは王の王になるのです。
(205-189, 1990.9.1)
天の国に王宮がありません。地上にも王宮がありません。ハナニムの愛を中心とした王宮がないのです。兄弟権を中心として今まで天の国の父母権に代わってこの地上に現れて、王権を立ててすべてを搾取しました。兄弟権王権時代にはなりましたが、本当の縦的父母権王権時代が地上に一度も現れたことはありません。
(206-219, 1990.10.7)
アメリカのCIAが聞いているところで私が堂々と「統一国開天日」を宣言し「ハナニムを中心とした王権復帰をしなければならない」、「民主世界の兄弟主義時代よりも、父母主義の方が優れている」と宣言したのです。民主主義は兄弟主義です。兄弟主義では争いが絶えません。父母が現れなければなりません。
父母が「お前たち、上の者と下の者がこうこうこうしなければならない。父さん、母さんがこうすれば、お前は従わなければならないのではないか!」、「はい!」という、これが父母主義というものです。
(193-159, 1989.10.3)
統一教会では今、王権復帰ということをいっていますね。これは統一家、統一家族を離れてはならないからです。統一家族とは何でしょうか。父母になれるということです。ハナニムが万国の父母の心をもっているように、私が国に対し、世界に対し得る父母の心をもったならば、その家庭から王の子孫が生まれるのです。
この王の子孫を連結することによって、王権が回復するのです。それで男性も女性もその道を行くのです。皆さんもそうですね。それは愛し、「ため」に生きる道を通して、いつでも占領することができるということです。
(194-291, 1989.10.29)
王権を復帰するには、東西南北、四方に引っ掛かるものがあってはなりません。皆さんの家に王が来るとすれば、24時間365日、いつでも迎えることができなければなりません。3ひろもある竿さおを振り回しても、360度どこにも引っ掛かるものがあってはなりません。いつも歓迎できなければなりません。そのようなことを知らなければなりません。
(206-268, 1990.10.14)


もし国家の責任者が原理を知った場合は、どうなるでしょうか。国を収拾するのは時間の問題です。ですから王権復帰という時代になるのです。今後は、国民がみな信じる必要はありません。その国の大統領が国の憲法を直して原理に立ち返るようにするならば、一度に復帰が可能です。
(198-242, 1990.2.3)

 

5) 復帰歴史の展開と摂理国家の使命

 

① 第二次大戦以後のキリスト教文化の流れ

私がこのような蕩減とうげん復帰原理を知っている立場で、第二次大戦直後にキリスト教さえ私を信じていたなら、博士(注:李承晩イスンマン)も私の前にひざまずいたでしょう。李博士が大統領になったのちに、私が祝福をしてあげなければならなかったのです。
昔、ローマ教皇たちが王を祝福してあげたように出発していたなら、大韓民国は分断されなかったのです。3年半の間にそれをやっていたならば・・・。しかしそのようにできなかったので、ざっくり二つに分かれたのです。
(138-286, 1986.1.24)
レバレンド・ムーンが韓国に生まれたのは、イエス様がイスラエルの国に生まれたのと同じです。イスラエルの国はローマの植民地と同じ立場ですが、ローマはサタン側のローマでした。このような立場でイエス様が亡くなったので、「終りの日」にイエス様が来るときは、そのような内容を蕩減復帰しなければなりません。
サタンがそのように天を打ったことを世界的にすべて除去しなければなりません。取り除かなくては、清算せずしては越えていくことができません。そのような立場に立てたのが韓国です。アメリカの保護圏内でハナニムの宗族圏、ハナニムのアベル圏独立国家としてアメリカを通じて独立させ、保護圏内に立てて、キリスト教とレバレンド・ムーンをカイン、アベルとして一つにしようとしたのです。ここで一つになっていれば、一度に大韓民国の国家基準を成立させたでしょう。
先生とキリスト教が一つになり、大韓民国を一つにし、その次にアメリカと連結していれば、7年以内に世界を収拾していたでしょう。これがハナニムのみこころでした。
(137-180, 1986.1.1)
もし先生がその時に成就していたなら、イギリスとアメリカとフランスが一つになり、韓国はアダム国家になったのです。天の国、縦的国の主権を中心としたアダム国家としてイギリスをエバ国家として率い、アメリカを長子として率いるのです。アメリカは何かといえば、アベル圏として世界の主導権、世界の版図を率いるのです。世界国家的な主導権を初めてアベル的立場に立ったアメリカがもったのです。それ以外の国々はカイン的立場ですが、カイン的立場はアメリカについていくのです。


ですから、長子権復帰世界化時代に合わせて、統一的なキリスト教文化圏時代の上に主が来られて、母子協助基盤と連結させていたなら、すべての問題がみな解決されていたのです。
(184-252, 1989.1.1)
エバが堕落するとき、アダムを誘惑したのと同じように、必ずサタン側エバ国家がアダム国家を強制的にのみ込んで40年間、4数蕩減路程を通過するようにするというのです。これが、40年間韓国が日本に圧制を強いられたことです。それは4000年の歴史を蕩減するためです。ですから、この闘いでサタンが倒れるというのです。それでは誰が解放されるのかといえば、アダム国家が解放されます。それによって天の側のキリスト教文化圏である英・米・仏は完全に一つにならなければなりません。
そうすれば天の側が、サタンがいたものを取り除き、アダム国家を取り戻し、エバ国家を取り戻し、アベル国家を取り戻し、その次にカイン国家を取り戻すのです。天の側が収拾するのです。こうして一度に天の復帰的天国開門が可能だというのです。
7年の間に、7数を完成できませんでした。第二次大戦が終わる1945年を中心として、1952年までの7年路程で完成できなかったのです。そのようになっていたなら、李承晩イスンマン政権を中心としてこの世界が完全に・・・。アメリカとイギリスとフランスが一つになっていたなら、今、日本はエバ国家になっていませんでした。ドイツがカイン国家になっていませんでした。
韓国を中心として、エバ国家イギリス、アベル国家アメリカ、その次は天使長国家フランスが、天の側の国家として一つになり、定着していたならば、その時に統一世界、キリスト教文化圏の統一世界になるのです。そうではないですか。初めてキリスト教文化圏を中心として統一世界が来るのです。なぜ来るのでしょうか。父の国が、アダム国家が顕現できる時を合わせたからです。
(188-53, 1989.2.16)
韓国は、いったいどんな国ですか。イスラエル民族は、滅びた第1イスラエルになりました。韓国は、イスラエルを継いでサタン世界で栄光の出発とともにハナニムを中心とした王権を立てなければならなかったのですが、それを失ってしまったので、サタンを中心として苦労して血を流す歴史を経て、回りに回ってアメリカを通過して帰ってこなければなりません。帰ってくるには、どこに帰ってくるのでしょうか。アジアに帰ってきますが、イギリスが失敗したことを日本が蕩減しなければなりません。
日本文明はイギリス文明と同じだということをみな御存じでしょう。ですから運転をするとしても日本は左側を行きます。みなイギリスのものを伝授されたのです。
(139-116, 1986.1.28)
原理結果主管圏というのは間接主管圏なので、サタンがいつも侵犯可能なのです。ですからイスラエル民族は個人的に犠牲になり、家庭的に犠牲になり、民族的に犠牲になり、国家的に犠牲になり、世界的に犠牲の代価を払ってきたのです。犠牲があるのが悪いことではなく、犠牲を払えば、その代価として新しい時代が開門されてやってくる、ということを私たちは知らなければなりません。


イスラエル民族はヨーロッパの戦争で、ほとんど全滅したかのようでした。600万人が虐殺されたのです。この虐殺によって新しい開門が起こったのです。そうして1948年にイスラエルが独立したのです。韓国が独立することによってイスラエルも独立したのです。それが自然に3年の期間内に関係を結んで越えたのです。
(68-20, 1973.7.23)
西欧を中心として世界的な基準にカイン圏を蕩減復帰して、韓国に植えなければなりません。韓国はアジアです。アジアの真ん中です。ここに植えておいたので、この錨綱いかりづながここに来ることになるというのです。ですから西欧文明がアジアに向かう、回ってくる運勢の時代になったのです。
(139-285, 1986.1.31)

 

 

エバ国家、日本の使命

島国日本は、イギリスの文化を100パーセント受け継ぎました。車もそれで左側通行でしょう。イギリスが左側通行だからです。左は日本の国を象徴します。そうしてどこに回っていくのかといえば、イギリスのような基準を中心として蕩減とうげん復帰するのに、半島の国イタリアのような韓半島に来ます。
韓半島は何かといえば、男性でいえば生殖器です。半島です。イタリアがなぜ世界の文化創造に歴史的貢献をしたのかといえば、半島だからです。半島は生殖器です。島国は女性の陰部と同じです。
(138-308, 1986.1.24)
カインとアベルが復帰されて誰を通じて入ってくるのでしょうか。お母さんを通じて入ってくるのです。その国が日本です。日本が1978年から世界的な経済大国として登場したのは、エバ国家として選ばれたので、「終りの日」にすべての物を収拾し、夫であるアダムにみな返すためです。なぜですか。堕落するときにすべての物をサタン、夫にあげたことを蕩減復帰しなければならないので、日本はすべての物質を収拾して、本然の夫であるアダム国家、韓国に捧げなければならないのです。
(139-285, 1986.1.31)
日本は、西欧社会のすべてのものをもってきたのです。政治風土はイギリスのもの、法律はイタリアのもの、それから軍隊はドイツのもの、西欧社会のすべてのものをもって模倣して基盤を築いたのです。日本・ドイツ・イタリアを中心としたここに対して、イギリスとイギリスの息子・・・。イギリスの息子が誰かといえばアメリカでしょう。日本の息子が誰かといえばドイツです。ドイツも「わあ、日本というあの小さな国がああだから、この西欧社会は瞬時の内に巻き込んでしまうな」と言うのです。それで戦うのです。
エバ国家日本とドイツと同じように、イギリスと息子のアメリカです。その次にイタリアと同じ天使長国家、これがフランスです。フランスは行ったり来たりするでしょう。
(188-147, 1989.2.19)


先生が日本をエバ国家に立てなかったならば、悲惨な国になっていたでしょう。キリスト教文化が先生を受け入れた場合は、イギリスがエバ国家です。アダム国家は韓国です。
イギリスがエバ国家で、フランスが天使長国家、ドイツがアダム国家として自動的に一つにならなければならなかったのに、これらがハナニムに背いて反対しました。ですから怨讐おんしゅうが一番愛するもの、エバ国家を奪い、ドイツ男性国家を奪って、み旨の中で立てたのが統一教会を中心としたアダム国家、エバ国家、天使長国家だということを忘れてはいけません。ですから日本を祝福したのは、日本のためではありません。世界のため、統一教会と韓国のためです。韓国統一のためにその祝福を使わなければ、日本は滅びます。
(186-116, 1989.1.29)
アジアを見回すと、アダム国家韓国、エバ国家日本、その次に三つの天使長国家です。アダムとエバが堕落する前は、アダムとエバを中心としてハナニムと3天使長がいました。アダムを中心として見るとき、エバはアダムについていかなければならないし、3天使長もアダムについていかなければなりません。
アダムを中心としてエバと3天使長がハナニムと一つになり、天国に入るのが理想です。それで今、アダム格の代表である先生がエバ国家である日本を動かし、アメリカを動かし、中国を動かし、ソ連も動かしています。それで3天使長とエバ圏を迎える立場に回ってきたというのです。
(199-84, 1990.2.15)
日本文化圏はイギリス文化圏です。イギリスのすべての文明制度をもってきて移したのが日本です。アジアにおいてイギリスのような国、イギリスを中心として世界を制覇していたそのような時代を再び蕩減復帰したのです。それを再現させるための形態が日本だというのです。ですから自動車が左側通行するのです。ハンドルがみな右側にあるでしょう。イギリスと全く同じです。イギリスは島国なので、アジアにおいてそれに対比できる国なのです。
(166-294, 1987.6.14)
人類の文明は世界を1周して、再び再臨時代を中心としたアジア圏を求めて入ってくるのです。入ってくるには、それが蕩減復帰原則によって文明発展の歴史を中心として、サタン世界をすべて天のものとして蕩減したという条件を立てずしては一つにならないのです。それが今、アメリカです。アメリカは、天使長国家です。アメリカは、イギリスが生んだのです。
天使長、息子と同じです。アメリカがそのような型になっています。そうして、それがアジアのイギリスを訪ねてくるのです。イギリスの文化を受け継いだ、そのような立場の日本を中心として韓国に回って入ってくるのです。これが回って入ってきて一つにならなければなりません。一つになるには、ただできるのではありません。それを誰かが主導して結んでおかなければなりません。
(166-294, 1987.6.14)


 

③ 世界的なローマ国家、アメリカの使命

アメリカは、ローマのような国です。それでは、このようなときに、先生がなぜ日本の食口シックと全世界の統一教会の食口をみなアメリカに連れてきたのでしょうか。イエス様が十字架で亡くなったのちに、すべての弟子たちはローマに集中しました。それと同じようにして、それを蕩減とうげん復帰しなければなりません。ここで追い出されて殺されるのではなく、歓迎されながら、天の国を建てて、天の前に奉献できる運動が起こらなければならないというのです。
(134-206, 1985.7.20)
私が新聞社をつくった理由は、少数民族を糾合するためです。インディアンの住む国は、レバレンド・ムーンのいとこの国でした。アジアは兄であり、そこから離れて出てきたのが弟です。これを蕩減復帰しなければなりません。
レバレンド・ムーンは、アングロサクソン民族のように、血を流さないで蕩減復帰しなければなりません。CIAとFBIも、「レバレンド・ムーン、これは大変だ」と言うのです。いくら大変だとしてもハナニムのみ旨です。ハナニムがそのようにするのです。
レバレンド・ムーンは、ハナニムのみ旨によって兄弟の関係を結びます。五色人種は、みな兄弟です。ハナニムが見るものにはカラーがありません。色盲です。その使命を中心としてこれをしないわけにはいきません。私が韓国に行っているときに、可能な組織をみなつくっておきました。私がアルプスの頂上に行って住むとしても問題がありません。世界は、私の舞台です。私の活動舞台です。
(134-297, 1985.7.20)
エス様の十字架上において、右側の強盗と左側の強盗が争いましたが、私の前では一つになったというのです。それを蕩減復帰するのです。これが歴史的な蕩減条件になったということを知らなければなりません。それでは、この人たちはどこに行くのですか。「お前たちはみな地上天国に行かなければならない」と言うとき、「イエス」と言えば終わるのです。さあ、そのようになりましたか、なっていませんか。
歴史的にイエス様は右側の強盗と左側の強盗が争いながら、讒訴ざんそを残す立場で死んでいきましたが、右側の強盗と左側の強盗が互いに和睦して歓迎することにより、復活して新しい次元に出発しなければならないというのが原理的な観点なのです。これが原理的に合いますか、合いませんか。
(135-68, 1985.8.22)
それでこのアメリカにおいて今、法廷闘争にまで連結されたのです。アメリカでの法廷闘争は1977年にすべて終わったのに、先生が牢獄に行ったのは、アメリカのために、アメリカを手放してはならないからです。その道は、キリスト教と自由世界を再び取り戻すための受難の道であることを皆さんは知らなければなりません。それをするのに4代が引っ掛かりました。
ニクソンからフォード、カーター、その次のレーガンまで4代にわたって蕩減復帰しなければ、キリスト教を捨て、自由世界を捨てなければならないのです。ゆえに、復帰摂理がどんなに難しいかというのです。統一教会だけでできるのかというのです。
(135-178, 1985.11.13)


アメリカの文明は、どのような文明ですか。一番遅れた国です。野蛮人のように生きる人もいるのです。山に行けば原始人よりも劣る人たちがいます。いのししと友達になって生きる人たちです。そのような国です。彼らが反対し、間違ったことをすべて、世界的に蕩減復帰しなければなりません。歴史路程に現れたすべてのものは、平面的に蕩減復帰しなければなりません。21世紀に向かうこの時代において、レバレンド・ムーンが摂理し得るように平面的にざっと展開された国です。歴史的に、すべてのものを代表的に蕩減しなければならない国だというのです。
(136-279, 1985.12.29)
韓国とアメリカは、イスラエルの国とローマのような立場です。ローマはその時、太陽神に仕えましたが、アメリカという国は、その時とは違います。今、韓国は、アメリカの保護のもとで自主独立した立場です。アメリカの立場がそうだというのです。ローマはイスラエルを滅ぼそうとしましたが、アメリカはローマの前にあるイスラエルのような国を滅ぼす立場ではなく、天の側の国として生かすために反対の時代をつくったのです。それゆえ、ローマとイスラエルがイエス様の前にできなかったことを蕩減復帰し得る自然的環境をつくり、韓国が連結されたのです。
(137-19, 1986.1.1)
先生が今までアメリカでしたこととは何かといえば、アダム国家とエバ国家、その次はカイン国家とアベル国家の復帰です。アダムが堕落して植えたので、世界的国家的基準でこれを蕩減復帰しなければなりません。韓国がアダム国家、日本がエバ国家、その次はアメリカがアベルの立場です。長子権復帰を成すために、主権復帰をするために出てきたのがアベル国家です。その次に、ドイツはサタン側のカイン国家でしたが、日本がエバの立場に立ったので、ドイツが天の側のカイン国家になるのです。この四つの国家が世界的な舞台の上で一つの国の伝統を立てなければなりません。その舞台がアメリカです。
(141-224, 1986.2.22)
エス様がユダヤ教に歓迎されなかったその時代を蕩減復帰しなければなりません。ですから、イスラエルの国とローマが一つになってイエス様に反対したのとは逆です。韓国政府がアメリカと一つになっているその基準において、キリスト教執拗しつように反対する、政府を中心として反対する、その立場に立って先生が蕩減復帰しなければならないのです。
1代で国家的版図の上に基盤を展開させて大勝利したというのです。それで世界の二世たちを通じて、霊的勝利基盤を再び実体の世界舞台に連結させるためにやってきたのが、1974年以後のアメリカ作戦です。3年路程を中心として、アメリカにおいて先生が1976年までの限界線を中心として、本格的に国家的次元で実体的戦争をしたのです。
(138-216, 1986.1.21)
アメリカの国民が協助していたなら、その時ニクソンさえ協助していたなら、今日、統一教会は瞬時に世界的基盤を築いていたでしょう。しかしニクソンが責任を果たせず、折れることにより、ニクソンからフォード、カーター、今のレーガンまで4代を経て12年目に蕩減復帰したのです。


今回の1988年を中心として、40年前の世界の共産圏以上の立場に戻さなければならないのが私たちの使命だというのです。何のことか分かりますか。
(138-216, 1986.1.21)
イスラエル民族の一世は、40年荒野路程でみな滅びましたが、二世たちが行ける橋を架けたのでカナンの福地に入ったのです。同様に、今日、第二次大戦以後、40年の世界の荒野時代において、統一教会を中心として二世を収拾してカナン福地基準をつかんでいくのです。
それで「終りの日」にはソ連共産党の一番の熱烈分子の息子が統一教会の熱烈分子になるでしょうし、アメリカにおいて統一教会を一番積極的に反対していた牧師や官吏たちの息子、娘たちがみな統一教会ムン先生のために立ち上がるでしょう。彼らの親が積極的に反対した数十倍も蕩減復帰することを知っているので、橋を架けなければなりません。何の橋ですか。愛の橋。愛の橋さえ架ける日には、「行け」と言ってけ飛ばしても決死的にしがみつくのです。
(138-275, 1986.1.24)
今回ダンベリーから出てくるとき、私を中心としてジェリ・フォルウェルと一つになるようにしました。右側の強盗、左側の強盗が争いましたが、一つになるようにしてあげました。全部蕩減復帰です。ですから私が出たダンベリー以後の120日期間、3、4、12(3×4=12)、120日期間に、これを中心として世界のすべての言論は方向を決定しなければなりません。この期間において、ワシントン・タイムズを中心としてアメリカの言論をひっぱたかなければなりません。
それで『インサイト(Insight)』という雑誌と月刊誌を作ったのです。世界の教授たちを先頭に立てるために雑誌を作ったのです。ワシントン・ポストワシントン・タイムズ、名実共に地上世界の人々における判定は既に終わったと見るのです。
(138-305, 1986.1.24)
アメリカは、イギリスが生んだので、息子です。息子が天使長になる前はアベルです。息子を生みましたが、これが長子権です。長子権をもったので、天の側の長子になって帰ってくるときには、天の側の長子として天の側の母に侍らなければならないのに、向こうから落ちるようになったのです。ローマから島国イギリスに離れて出てくるとき、エバになる以前には天使長の立場にいたのです。堕落した天使長ではなく、復帰された天使長の位置にいたというのです。それが何かといえば、アベル的位置です。長子権を受け継げるアメリカになって、蕩減復帰のために帰ってくるようになるのです。
(138-308, 1986.1.24)
エリヤがバアル神を屈服させたのちに7000の群れがいたように、ハナニムのみ旨を中心として、キリスト教を中心として7000人の宗族的基盤がなければなりません。それを蕩減復帰するために、私が牢獄に入っていながらキリスト教7000人をみな収拾したのです。7000人を教育しました。その基盤は国家的基準なので、イエス様を蕩減してあげなければならず、エリヤを蕩減してあげなければなりません。


その次には、出てくるやいなや、120日以内に、その基盤の上にその10倍の7万人の世界基盤を代表し得る蕩減基盤として連結させよと、先生が指示したということを知らなければなりません。蕩減復帰はできません。それでエリヤが来たのです。洗礼ヨハネが、エリヤとして来たのです。世界的です。世界的代表です。
(147-66, 1986.8.30)
40年前にレバレンド・ムーンとキリスト教と民主主義が一つにならなければならなかったのを、統一教会が再蕩減していくのです。統一教会キリスト教の失敗を蕩減復帰して、レバレンド・ムーンと一つになって初めて、世界的頂上であるこの自由世界に来てキリスト教を連結させ、アメリカを連結させて責任を果たせなかったことを蕩減復帰する基準を立ててきました。その次には、新しいカナン出発を命令しました。これが獄中、出獄から始まるという事実を知らなければなりません。
(135-134, 1985.10.4)
アメリカが自由世界を代表し、人類を代表して、歴史を通じキリスト教文化圏を中心としてハナニムの蕩減復帰の基準を備えたなら、そのアメリカがもつべき思想とは何でしょうか。ハナニムを解放しようということです。
ハナニムを解放しようという心がなければなりません。来られるまことの父母はハナニムの代身として来られるので、真の父母に侍って世界人類を自分の民族よりもっと愛さなければなりません。自分の民族、自分の国よりももっと愛さなければなりません。ですからこのアメリカの国の中には数多くの国家が入っていて、数多くの民族が入っていて、数多くの宗族が入っていて、数多くの家庭が入っているのです。
(148-166, 1986.10.8)
統一教会は昔と反対です。ユダヤ教イスラエルの国とローマが合わさってイエス様を打ったのと反対です。今度は、統一教会アメリカから勝利圏をもたらした基盤のもとで、韓国政府とキリスト教を押すのです。それでイエス様がその当時、イスラエルの国とユダヤ教とローマが合わさって反対することによって死んだのを、今日、統一教会を中心としてすべて蕩減復帰したのです。
アメリカで歓迎され、勝利した圏をもって全アメリカと全キリスト教の協力を受けたレバレンド・ムーンが帰ってきて、統一教会と政府が合わさってキリスト教を押し出すのです。このようにしてイエス様が死んだのを蕩減復帰しました。
(161-77, 1987.1.2)
少数の群れをもってしても、今まで韓国にこのような影響を私が及ぼしてきました・・・。蕩減復帰を知っているので、多くの人は必要ではありません。私が十字架を一人で背負って蕩減するのであって、従ってくる子女たちに苦労をさせないようにするのです。ですから私は、執念をもって行くのです。このような犠牲の代価を知って、万物が私のあとに従って役事するではありませんか。世界のきれいな二世たちが私のあとについてくるし、その次には祝福を受けたきれいな家庭が私のあとについてくるのです。日本で、そしてアメリカでもそのような傾向になるのです。
(166-85, 1987.5.28)


 

④ 蕩減復帰歴史は回ってくる運勢

蕩減とうげん復帰の原則上、歴史始まって以来単一民族として5000年の歴史を背負いながら、自主的な国家として世界で振る舞うことができず、血をたくさん流してきた民族が韓民族です。多くの忠臣たちは奸臣かんしんたちにより、犠牲になりました。それはこの国が、人類歴史路程においてサタンにより、天の国の多くの忠臣たちが犠牲になった表象的な国家であり、縦的な代表国家だからです。このようにこの民族は横的に悲惨だったすべての事実を縦的に蕩減する蕩減の道を、受難の歴史を歩んできたのです。
(166-249, 1987.6.7)
回り帰ってくるには橋を架けなければなりません。天使長が物を捧げるときは、ただそのまま天の物になることができません。エバによって失ったので、必ずエバと一つになることによって捧げなければなりません。天の物をサタンの物にしたので、蕩減復帰の原則によって、天の側の天使長がすべての物質を引っ張ってきてエバと一つにならなければなりません。エバである日本に接ぎ木しなければなりません。
日本が近世になって、なぜ経済大国になったのでしょうか。摂理時代においては橋を架けなければなりません。アメリカのすべてのものを引き継ぐのです。これが明治維新以後、1988年までの120年間です。計算してみなさい。1988年を中心としてこれが連結されるのです。来年まで120年間にアメリカのすべてのものを引き継ぐのです。
(166-292, 1987.6.14)
ローマ教皇庁を中心としてイギリスを経て、アメリカを経て、2000年かかって回り帰ってくるのです。回って入ってくるのに、ただ入ってきません。蕩減復帰の原則を中心として、それと反対の現象を経るようになるのです。
日本の国がイギリスのような国に該当し、イギリスに行く前のイタリア半島のような半島が韓国だというのです。同じ与件を中心として、その時代に責任を果たせなかったことを、世界版図で失敗したことを「蕩減して清算した」と言い得る基盤を経ずしては、サタンがついて入ってくるのを防ぐことができないので、蕩減という原則を中心として、そのような路程を歩んでいくのです。
(168-310, 1987.10.1)


 

第4章 蕩減路程と私たちの生活

   

1) 復帰の道は人が当然行くべき道

 

① 蕩減復帰は再創造の道

蕩減とうげん復帰というとき、それは復帰のための蕩減です。完成を中心として蕩減復帰すれば、完成します。蕩減されたのちに復帰をして、完成の道を行きます。ですから、蕩減と復帰は一つだと考えればよいのです。
完成は、自動的にできるのではなく、蕩減により成されるのです。ですから堕落世界に住んでいる人間は、蕩減条件を立てなければ完成することができません。
(御旨と世界-697)
統一教会でいう復帰の道とは、どのような道でしょうか。一般の宗教は、ただ救われなければならないと救いの道を求めますが、私たちは、復帰しなければならないと復帰の道を求めるのです。
それでは復帰とは何でしょうか。復帰をどのようにするのでしょうか。再創造の過程を通じてするのです。
(168-324, 1987.10.1)
復帰の道は、人間が元の姿に帰っていく道なので、蕩減条件を立てなければ行くことができません。蕩減条件は、ハナニムがお立てになるのではなく、人間が立てなければなりません。
病気になった人が病気を治すためには、薬が苦くて飲みたくなくても飲まなければなりません。良薬口に苦しです。苦いのが本当の薬になるのです。蕩減条件を立てるのは、苦い薬を飲むように難しいことです。しかし、蕩減条件を立てなければ復帰できないのです。救援の道は、蕩減して復帰する道です。蕩減とは、堕落した経路に従ってさかのぼっていくことです。反対に行くことです。
(92-254, 1977.4.18)
「蕩減」という言葉を知れば、皆が一番好きになります。蕩減がなければ福もありません。統一教会において無限な黄金の塊とは何かといえば、蕩減です。蕩減は死を押し切って、すべてを犠牲にし、すべての困難を克服することができる驚くべき単語です。
(97-71, 1978.2.26)
復帰歴史とは、説明してあげてするのではないのです。やっておいて、勝利しておいて収拾するようになっているのです。説明してあげて行くようであれば、聖書新・旧約の66巻は必要ないのです。10枚あれば、すべて記録されます。66巻がなぜ必要ですか。くだらないのです。10枚も必要ないのです。3枚あれば全部記録されるのです。
(62-126, 1972.9.17)


蕩減の概念は、再創造のためのものです。ですから私たちには、再創造のための蕩減が必要だというのです。蕩減は、再創造されて本然の人間になるために必須なのです。本然の人間が出てくれば、本然のみ旨の道を行く人間が現れるのです。
皆さんは本然の人間ですか。堕落した族属ぞくぞく(同じ姓に属する人)です。堕落した族属ですから、蕩減を通して再創造されなければならないのです。
(133-69, 1984.7.8)
アダムの堕落は、どのようにして起こりましたか。不信から堕落したのです。不信が第1の原因です。その次は、自己主張から堕落したというのです。自我主張、自己を中心としたのです。自己中心の立場で堕落したのです。
その次は、自己を中心とした愛の圏を要求したというのです。これが堕落の三大要素です。不信、自我主張、自己を中心としたこと。その次には自己を中心とした愛の圏を夢見たこと。これがサタンの足場なのです。堕落した天使がそのようになったのです。
(126-34, 1983.4.10)
先生が、なぜ皆さんに苦労させるのでしょうか。蕩減の道を行かなければならないからです。先生自身も一生蕩減の道を行こうとするのです。嫌々行くのではないのです。願って行かなければなりません。願って行かなければならないというのです。それを知らなければなりません。監獄にも願って行くのです。蕩減のためには行かなければなりません。不平を言えば蕩減にならないのです。
(133-69, 1984.7.8)
私たちには蕩減の道が必要なのです。皆さんは、この世の中を救うためには蕩減の道を行かなければなりません。イエス様がいくらハナニムの本然の息子として生まれたとしても、世の中を救うためには蕩減の道を行かなければなりません。世の中ができないので、すべき人が全部反対するので、イエス自身も行かざるを得ず、責任を負わざるを得なかったのです。
(133-69, 1984.7.8)
復帰の道は、堕落した経路と反対の経路を貫いていかなければなりません。蕩減の道は、堕落した者には原則として現れるのです。これを克服しなければ元の姿に復帰することができないので、自分を清算しなければなりません。個人的な問題から、家庭、宗族、民族、国家、世界をどのように復帰するのかという確実な理論体系をもっていなければなりません。
(御旨と世界-354)

 

② 蕩減の道を行かなければならない理由

再創造は本来、投入した力よりももっと投入しなければなりません。「修理するのは、新しくつくることよりも大変だ」という言葉と同じなのです。ですから、創造よりも修理するほうが大変なように、それ以上に投入することを蕩減という条件で払わなければならないのです。分かりましたか。蕩減という概念が分かるのかというのです。
(133-69, 1984.7.8)


皆さんは、ハナニムのみ旨を深く知れば知るほど、サタンによって汚されたこの肉体、サタンの汚れた血が流れる自分の肉体を焼き殺してしまいたい思いになるのです。サタンに利用された手と足、この体全体を一度に切ってしまいたい思いになるはずです。
サタンにより汚された自分の姿をそのまま保存していこうとするのは、とんでもないことです。皆さんは、このような心情を体恤たいじゅつしてみましたか。しかし、そのように殺すこともできないので、私たちには、サタンとかかわり合った過去の自分を清算するための条件が必要なのです。
(22-207, 1969.2.4)
復帰路程は、一人で行くことができません。必ず再創造の原理を通し、ハナニムと霊界の協助を受けて行かなければなりません。
また、そのようにならなければならないのが救援摂理なので、ハナニムと霊界が動員されて再創造の役事をしているのです。なぜならば、ハナニムは人間を創造される前に天使世界を造られ、天使たちの協助を受けて万物を造られ、その万物を材料にして人間を造られたからです。
(100-264, 1978.10.22)
完成は、蕩減完成を通じて成されます。蕩減の峠を越えない人には、絶対に完成の道はありません。それは、内的な意味から見れば個性完成を意味しますが、ハナニムの立場から見れば復帰だということができます。蕩減完成の基準を復帰完成だということができます。復帰は、蕩減を通じて成されます。ですから蕩減復帰というのです。それゆえ、蕩減と復帰は切り離すことができないのです。
(御旨と世界-697)
人類の先祖であるアダムとエバは、自分を中心とした間違った愛で堕落しました。天使長を介入させ堕落したことにより、ハナニムを追放し、本然のまことなるアダムの人格を追放し、本然の真なるエバの人格を追放した結果をもたらすようになったのです。
(35-215, 1970.10.19)
ハナニムは、堕落していないアダムとエバに現れます。ここでハナニムを発見することができます。私たちはみな、堕落以前のアダムとエバ、罪のないアダムとエバの立場に帰っていかなければなりません。そこで真の父母を迎え、真なる宗族をつくり、真なる国家をつくり、真なる世界をつくらなければなりません。このような主張をするのは、「統一原理」以外にはありません。
(御旨と世界-354)
天国は、ハナニムを絶対的中心として侍り、ハナニムを通じて愛の因縁を結んで生きる所です。この根本を正しく立てるためにハナニムは救援摂理をされるので、自分を立てれば絶対にできないのです。
(92-255, 1977.4.18)


2) 信仰基台と実体基台

 

① メシヤのための基台

信仰基台と実体基台を復帰してメシヤのための基台を成すのは、原罪を脱ぐためです。原罪を脱げば、ハナニムの生命圏と愛の圏内に新たに越えていくのです。そのようになろうとすれば接ぎ木されなければなりません。
野生のオリーブの木まことオリーブの木にするためには、野生のオリーブの木を切ってしまい、真のオリーブの木を接ぎ木しなければなりません。同じように野生のオリーブの木のような人間を真のオリーブの木のような人間にするためには、自分自身を否定する過程を経て、新しい肯定、あらん限りの肯定を提示する過程を経て越えていかなければなりません。
そのようにすることにより、その本質、素性そせいが野生のオリーブの木ではなく、真のオリーブの木と化し、完全に善のみを主としたそのような人間として登場し、一つの家庭、一つの氏族、一つの民族、一つの国家、一つの世界を形成していくのが統一教会です。そしてこれが今日、統一教会食口シックたちが願う現在の立場であることを皆さんが知らなければなりません。
(41-62, 1971.2.13)
信仰の基台を何で復帰しますか。祭物で条件を立てなければならないのです。実体基台は、堕落性本性を脱ぐことですが、それはカイン、アベルが一つになることです。体が堕落性本性を脱いで復帰されるためには、堕落性本性がなくならなければならないので、血肉の感情が完全になくならないといけないのです。「東へ行け!」と言えば「はい」と言わなければならず、「西に行け!」と言っても「はい」と言わなければならないのです。
異議があれば復帰されないのです。異議があって復帰ができますか。絶対についていかなければならないのです。
(46-233, 1971.8.15)
メシヤを迎えるためには信仰基台と実体基台がなければなりません。実体基台が完結されたのちは、メシヤのための基台が必然的に要求されるのです。
それでは実体基台が完結されたのち、メシヤのための基台の位置に立つ者は、誰でしょうか。堕落した人間の子孫として生まれた私たち人間は、サタンの血統を受け継いだので、いまだにその血統を越えることができません。その血統を越えるためには血統を換えなければならないのですが、人間は自分自身ではそれをなすことができません。それでメシヤが必要なのです。
(47-12, 1971.8.19)
人間が堕落することにより、第1に父母を失い、第2にサタンの血を受け、第3にサタンの支配を受けるようになったのです。ですからそれを復帰するためには、逆に上がっていかなければなりません。皆さんが「原理」を習うことにより、どこまで行くことができるかといえば、信仰基台を成し、実体基台を成して、メシヤを願うことができるようになっています。これが原理です。ですから、外的に信仰基台と実体基台まで成そうというのです。
(54-186, 1972.3.24)


人間は、完成基準に入ったとしても、これはまだ血統的には完全に清算されていないのです。サタンの血統を受け継いだことにより、血統的にはまだ清算されていないのです。血統的に清算するには必ずメシヤが必要です。
それで信仰基台、実体基台、メシヤのための基台が、堕落した人間には、絶対に必要なのです。最後の問題は、どのようにメシヤのための基台をつくり、メシヤを通じて自分が血統転換を成すのかということなのです。
(55-135, 1972.5.7)
信仰基台、実体基台を完成してメシヤのための基台を受け継ぎ、メシヤと接ぎ木するということをしなくてはいけないのです。接ぎ木されることにより、過去に野生のオリーブだったのを真のオリーブの木に変えられるようになるのです。
言い換えれば、サタンの血統を脱いで善なるハナニムの血統に帰ってくるので、その位置を受け継ぐことができるところでのみ新郎新婦の位置を迎えられるのが原理の道です。
(64-16, 1972.10.22)
「復帰の道を最後まで行った」と言うことができる人は、この世の中にはいません。ですから滅ぶしかない人間になったのです。これを滅びないようにしようとして、このような内容を備え、最後まで行けるようにする責任者として来られる方が、メシヤという方です。そのメシヤと接ぎ木されれば、私はついていくことができるのです。統一教会には、信仰基台を立て実体基台を完成するようになればメシヤのための基台を成すことができる、という言葉があるでしょう。それがこのことなのです。
(63-340, 1972.10.22)
復帰途上で、しもべしもべ時代からしもべの時代を経て養子の時代、直系の時代に上がっていかなければなりません。それでは完全に僕の僕時代を経て、僕の時代、養子の時代を通過し、直系の時代と因縁を結ぶことができるのでしょうか。直系の時代と因縁を結ぶには、ただ結ぶことができません。必ず原理によって信仰基台を経て実体基台を経、メシヤのための基台を経なければなりません。
すなわち、メシヤを迎えなければならないということです。メシヤはハナニムの真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が違います。ですから血統転換が必要だというのです。
(55-192, 1972.5.9)
さあ、それでは皆さんは、どのようにしなければならないのでしょうか。皆さんは、死ぬほどの苦労をしなさいというのです。縦的な歴史を横的に蕩減とうげんするために僕となれというのです。天使と同じように、ハナニムが愛する韓国国民は僕となれというのです。僕になれというのです。そこにおいて主人になれば、養子となるのです。
養子になるのは、信仰基台と実体基台を復帰することです。実体基台を復帰してこそメシヤのための基台が成されるので、これをしなければならないのです。
(62-259, 1972.9.25)
皆さんは、悪を屈服させて善を残すことにより、悪が自動的に順応できる立場に立ってこそ善なる人になるのです。それを原理的にいえば、実体基台完成です。これを成すためには、サタンと闘って勝たなければなりません。
(58-18, 1972.6.6)


イスラエルがどんなに世界を復帰し得る国家になったとしても、その国家だけでは駄目なのです。皆さんは原理を通じて、カイン・アベルの実体復帰時代、すなわち実体基台というものを知っているでしょう。
同じように、探し出されたイスラエル国家を中心としてカイン国家、すなわち天使長型国家を屈服させなければなりません。それを武力でするのではありません。
アベルが兄であるカインによって殺されたので、死ぬ位置、すなわち打たれる位置に入って死なないで、生きて彼らを屈服させ得る因縁をもつことができなければ、復帰の起点が現れないという事実を私たちは知らなければならないのです。
(30-46, 1970.3.15)
復帰の道を行くために、まず信仰基台を立てなければなりません。信仰基台は、自分が位置を確保し得る確固とした基盤を築き、主体的な立場に立つために必要なのです。その次は、自分自ら目的に向かっていけるようになったとしても、それだけでは駄目なので、戻ってきて実体基台を立てなければならないのです。
実体基台とは何でしょうか。アベルの前にカインを屈服させ得る基台です。カインとは誰でしょうか。怨讐おんしゅうの子です。このカインを通じて歴史的な闘争が行われてきたのです。カインを通じて悪の母体が根を下ろしたのです。カインを通じて今まで、死の波が歴史時代に向かって続いているのです。
このような事実を見る時、このすべての悪の要件と悪の側をここで防止するためには、アベル的立場、すなわち天の側に立つ人が、必ずカインの立場にいる人を屈服させなければならないのです。
(30-289, 1970.4.5)
私たちが行く道は、二つです。それは、カインと自分のために行く道です。怨讐のための道まで経ていかなければなりません。それは何を意味するのでしょうか。カインを収拾していかなければならないということなのです。実体基台というのは何なのでしょうか。アベルが自分の道を修めたとしても、カインを完全に屈服させなければ、ハナニムの前に行くことができないのです。怨讐を導いていかなければなりません。怨讐と闘っていくのではなく、怨讐を導いていかなければならないのです。
(30-338, 1970.4.6)
信仰基台が立てられたというのは、条件的立場で、ハナニムを不信することによって堕落したことを、信じることができるアダムの立場、すなわち希望的なアダムの立場にもう一度立ったということです。このようになったのちには、サタンと闘って実体基台を立てなければならないのです。アベルの立場でカインを屈服させなければならないのです。
(40-243, 1971.2.6)
皆さんは「原理」を通じて、信仰基台と実体基台を知っているでしょう。実体基台を成したとしても、その実体はハナニムの前に捧げられる実体ではなく、メシヤのための基台、すなわちメシヤを迎えるための実体となるのです。
(43-187, 1971.4.30)


 

② 結局は血統復帰が問題

アダムが信仰を失って実体を失ったので、信仰基台を取り戻し、実体基台を確保したのちでなければ愛を見つけることができないのです。
アダムが失ったものとは何でしょうか。最初は信仰を失い、その次は実体を失い、その次に愛を失いました。この三つです。これを取り戻そうというのです。
(65-314, 1973.3.4)
信仰基台というのは原理原則に立脚し、揺れない人、夜も昼も四季が変わっても青春時代や壮年時代、老年時代になってもそのまま変わらない立場で、ハナニムの原理と一致させ得る信仰の基盤を立てなければならないのです。そうしてこそ、原理を通じた実体基台が成立するのです。
信仰の基台の上に原理を通じて実体基台が現れ、その実体基台の上に原理と一つになった立場に立てば、対象価値の心情世界が賦与されるのです。これが堕落した人間の行く道です。
(68-189, 1973.7.29)
先生が偉大な貢献をしたというのは、ハナニムと人間との関係を、愛を中心としてはっきりとさせ、責任分担と蕩減とうげん路程、カイン・アベル問題、血統問題をはっきりとさせたことです。カインとアベルが一つになれなくては、メシヤが来ることはできません。
カインとアベルが一つになれば実体基台が成され、メシヤが来て、ここで一つになってこそ血統復帰をすることができるのです。これが原理の要点です。皆さんは、このようなプログラムをすべて知って祈祷しなければなりません。ですから頭の中は、全部その思いでいっぱいでなければなりません。
(161-149, 1987.1.18)
信仰基台、実体基台、その次はメシヤのための基台です。血統が問題になっているのです。アベルの勝利圏を中心としてアメリカの反対を押さえ、すべての自由世界のいかなる国の反対にも勝たなければならないのです。全世界が私に反対しても、先生はその反対に押されなかったのです。原理がすべてあるのに、大ざっぱにできると思いますか。原理原則が鉄甕城てつおうじょう(注:堅固に取り囲んだたとえ)のようなものです。
ハナニムが公証した理論がそのようになっているので、仕方がないのです。あなた方が怨讐おんしゅうの国、悪魔までも愛したという条件を立てられなければ天国に入り得る要件がないのです。
ですから、イエス様が十字架にかかり、ローマ兵のやりで突かれながらも、「彼をお許しください」という祈りをなぜしたのか知っていますか。それは個人ではありません。世界を支配するローマの国なのです。今日、キリスト教は個人救援を追求しているのではありませんか。
(182-285, 1988.10.26)

 

3) なぜ蕩減復帰が必要なのか

 

① 蕩減復帰しなければならない二つのこと

私たちが復帰路程を行くのに、なぜ蕩減とうげん法を重要視しなければならないのでしょうか。それは摂理的に見るとき、ハナニムが創造したものを人間が滅ぼしたので、私が再創造しなければならないのです。再創造するためには、ハナニムが創造の役事をするとき、精誠を尽くしたので、私も精誠を尽くす、その条件を復帰するのです。


ところでハナニムがこの宇宙を造るとき、遊びながら踊りながら造ったのではないのです。ありったけの精誠の限りを尽くして、100パーセント投入して造られたのです。ハナニムが創造された時と同じように、私が再創造するのが復帰の道なのに、ただ遊びながらしますか。
(96-114, 1978.1.2)
元来、アダム、エバが成長の各段階を完成するために、各々の責任分担が与えられていました。1段階の成長期間にはその段階の責任分担を、したがって3段階の成長には3段階の責任分担を完遂しなければなりません。
ここには例外がありません。すべての人は同じ条件をもっていて、責任を完遂することによって成長できます。もしハナニムが堕落人間に、同じ量の責任分担を要求されたならば、堕落前の本来の位置に私たち自身を復帰する希望は少しもありません。責任分担を完遂できる機会を失った代わりに、私たちは蕩減条件を立てなければならないのです。
(牧会者の道-711)
責任分担と蕩減は、一つは右側の立場であり一つは左側の立場です。また、一つは右足のようなもので一つは左足のようなものですが、それを失ってしまったのです。責任分担も知らず、蕩減も知らないのです。ですから、どうやって行くのですか。そのようにしては行くことができないのです。責任分担と蕩減復帰を連結しておかなければ、前進は不可能だということを知らなければなりません。そのようなことを考えてみましたか。蕩減、嫌いでしょう。
ハナニムも摂理もみな嫌いでしょう。きょうからは新しく、御飯を食べることを忘れたとしても、寝ることを忘れたとしても、自分の愛する人を思うことを忘れたとしても、これを忘れてはいけません。そのように深刻なのです。
ハナニムもこれを通らなければならず、レバレンド・ムーンも生きてこれを通らなければならず、すべての統一教会の教会員もこれを通らなければならず、全世界もこれを通らなければ行くことができないのです。みな何もなしに通過したいでしょう。博士や教授の位置を、ただ得ることができますか。そのコースを経て博士になってこそ、博士としてやっていけるのです。それを通過しなければ、それは偽物です。今こそ分かるでしょう。
(124-105, 1983.1.30)
サタンを縦横に分別するには、内的な蕩減条件と外的な蕩減条件があります。外的な蕩減条件はカイン・アベルの蕩減条件です。内的な蕩減条件は、アダムの蕩減条件です。責任分担を中心として、これを完全に克服し、サタンの支配権を取り除くとき、天の側が始まるのです。これが原則です。
(161-207, 1987.2.4)
アダムは、なぜ堕落したのでしょうか。アダムの堕落は、責任分担を完成できずに、ハナニムとの関係、ハナニムの愛の関係が切れたことです。責任分担を連結できず、その次にはハナニムの愛に連結させられなかったのです。堕落することによって、責任分担を喪失し、ハナニムの愛の圏を喪失したというのです。
(161-205, 1987.2.4)


サタンをどのように分別させるのでしょうか。蕩減条件を立て得る立場に立った、アダムの代わりの存在にならなければなりません。ですから本然の基準において責任分担を完成した資格者となったアダムの位置で、愛を中心としてサタンと対決し、サタン側に対する人たちよりももっと天の側的に、サタン側で愛するよりも天の側でもっと愛したという条件を立てることにより、分別が行われるのです。
ここに蕩減条件が成立することを知らなければなりません。サタンは、環境を支配しているので、中傷謀略をして、いかなる手段を使ってでも切ってしまおうとするのです。しかし、その環境を克服して、どのようなことがあってもハナニムに代わり、アダムが失った責任分担を取り戻すなら間違いありません。永遠なものです。そしてハナニムを愛するのに絶対に、誰が何と言っても、「間違いない」と言い得る基準を立てなければ蕩減ができないのです。
(161-205, 1987.2.4)
蕩減条件は、何を分別させるものでしょうか。責任分担を完遂して、その次にハナニムを愛するものです。サタンがどんなに迫害し、攻撃しても、それを退け、そこに動揺しないとき、サタンが打って打ちまくってそれでも退かないときは、自分が退かなければならないのです。このようにしてサタンを分別するのです。これが決定できなければ、カイン・アベルを蕩減する道がありません。
(161-205, 1987.2.4)
縦的な蕩減条件は、何によって立てなければなりませんか。責任分担完成とハナニムに対する絶対的な愛の復帰完成、この二つの条件です。このような基準があるのでイエス様も、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ10:37)と言われました。この原則から、このような言葉が出てきたのです。こうしてこそ聖書がすべて解けるのです。同じように皆さんも、先生をそのように愛しますか。
(161-213, 1987.2.4)
蕩減復帰の道は、必ず行かなければなりません。サタン分立をしなければなりません。サタン分立ができないところには責任分担完成がありません。責任分担完成ができなければ天国に入っていくすべがありません。アダムとエバも追い出したのがハナニムの法度なのに、皆さんがアダムとエバより優れていますか。答えてみなさい。劣っていますか。優れていますか。劣っているものは、いつでも捨てることができるのです。偉そうに大手を振って歩き回りながら、ちょくちょく出入りするからといって、誰でも統一教会の教会員なのではありません。原理をはっきりと知らなければなりません。
(148-156, 1986.10.8)
生活観念は、世界のために生きることです。世界のために生き、ハナニムのために生き、さらにはハナニムの解放と、父母様の解放と、世界の解放のために生きるのです。これが統一教会員の生活内容ではありませんか。解放するのに、蕩減復帰だけ知っていては駄目なのです。責任分担というものがあるので完全に整備されるのです。
(148-166, 1986.10.8)


カインとアベルは、責任分担を完成する責任がないのです。責任分担完成は誰がしなければならないのですか。アダムとエバ、すなわち父母がしなければなりません。
先生にその責任があるので、皆さんができないことを、キリスト教が失敗したことを、私が全部責任をもって40年間父母の位置から個人で整備し、家庭で整備し、宗族・民族・国家・世界的に整備したのです。このようにして個人責任分担の蕩減復帰、サタンを追放できる壁をつくっておいて・・・。責任分担の完成圏をつくったので、ここから新しい世界が始まるのです。世界理想の位置から成されたので、これから天国が可能だというのです。
それで「天国創建」という言葉、「祖国創建」という言葉が出てくるようになるのです。これはすべて原理的です。
(148-163, 1986.10.8)
今まで、この歴史を誰が動かしてきましたか。サタンが動かしてきました。ですからサタンを分別しなければなりません。サタンを取り除かなければ、ハナニムは入ってこられないのです。ハナニムの領土ではありません。サタンの領土なので、堕落した圏内から蕩減条件を立ててサタンを分別しなければ、追放できる蕩減条件を立てなければ、ハナニムの領域が拡大され、ハナニムが活動できる基盤が築かれません。ですから、分別して追放してしまわなければなりません。
(161-204, 1987.2.4)
サタン世界に、「いくらでも迫害してみよ、打ってみよ」と言うのです。私がお前たちを占領する。何によって。愛の力で。ハナニムの創造の能力で・・・。
そうすればハナニムが共にいるのです。ここには、ハナニムが共にされるのです。やってみなさい。共にされるかどうか。先生は、監獄にいても、どんなに拷問される所へ行っても、これを忘れないで闘ってきた人なのです。そうやってこそ分別されるのではないですか。
(161-213, 1987.2.4)
今日、統一教会員たちは、蕩減の道を好まないのです。それは何かといえば、復帰を好まないということです。「ああ、私は復帰というのは好きですが、蕩減は嫌いだ」と、このような言葉はありません。それでは、どちらが先ですか。復帰が先ですか、蕩減が先ですか。皆さんは、「復帰は好きだが、蕩減は嫌いだ」と言います。神側から見れば反対です。
皆さんは、どちら側ですか。神側ですか。サタン側ですか。これをはっきりと知らなければなりません。皆さんは、復帰が好きです。しかし、神側では復帰を好むことができないというのです。蕩減をした、蕩減を通じたのちに復帰があるのです。
(116-127, 1981.12.27)
蕩減復帰、蕩減はなぜ必要ですか。蕩減せずしてはサタンを屈服させるすべがありません。本来、ハナニムの愛の焦点が個人に合えば、そこにはサタンがいますか、いませんか。原理的に見るとき、サタンがいますか、いませんか。
(181-214, 1988.10.3)


蕩減復帰するには、反対にしなければなりません。それで絶対信仰が出てきたのです。人類の先祖が不信して堕落したので、これを踏んで上がらなければなりません。私たちの先祖が堕落した、その線以上に上がっていかなければなりません。絶対信仰をしなければなりません。絶対信仰は死ぬまで、死んでからも、死にながらも行こうとするのです。
皆さんは、絶対信仰を知らないでしょう。絶対信仰の限界とはどこですか。生命体をもった私自身と比較していえば、死にながらも行くのです。私は死ぬとき、横に倒れるのではなく前に倒れるのです。そのような意味で私の信仰を否定すれば、死の道を選ぶのです。
(126-34, 1983.4.10)
二つ目は自己否定です。100パーセント否定しなければなりません。自己否定です。私の見たい目、私の食べたい口、すべて否定しなければなりません。先生は30歳までおなかがすかなかった日がありませんでした。これは、私自身を否定することです。
(126-39, 1983.4.10)
三つ目は絶対愛です。絶対愛は怨讐おんしゅうを消化するのであって、怨讐を討つのは許しではありません。怨讐が自ら進んで自分の国と自分のすべての権限、長子の嗣業しぎょうまでも全部渡してくれなければなりません。渡してもらわなければなりません。
(126-46, 1983.4.10)
蕩減を嫌う者はサタン側であり、蕩減を好む側は神側だ、ということが今、分かりました。それでは、自分自身をじっと反省してみなさい。
自分は神側ですか、サタン側ですか。それは、皆さんがよく知っているのです。皆さん自身に聞いてみなさい。今まで皆さんは、み旨に従ってきましたが、復帰を好むのはサタン側で、蕩減を好むのは神側であることをはっきり知ったならば、今からどの道を行きますか。
(116-127, 1981.12.27)
皆さんも先生に従って、ファンドレイジングをしたでしょう。「ああ、私はファンドレイジングが嫌いなのに、何だこれは」と言うかもしれませんが、これからが始まりです。「これから逆に歩きなさい」と言うかもしれません。「世の中が悪なので、お前たちは逆に歩きなさい!」と。世の中が逆になっていますから、そう言うかもしれないのです。
悪なる人と一緒に行けば悪くなるので、私たちは反対に行かなければなりません。そうすれば善なる人になるというのです。それは理論的です。
(133-69, 1984.7.8)

 

4) 蕩減条件は自分が立てなければならない

 

① 他の人が代わりに立てることはできない

蕩減とうげん条件は、自分が立てなければなりません。他の人が代わりに立てることができるものではありません。堕落は、主管権を失ったことを意味します。復帰のためには、他の人がどのような干渉をしたとしても、自分自身の確固とした主体性をもって進まなければなりません。


他の人がどのような道を行こうと、私の行く道は忙しいのです。横で何を話しても、そこに気を遣ういとまもありません。夜、寝る時間もありません。落ち着いて、ゆったり座って御飯を食べる余裕はありません。そのような切迫した心情をもたずしては、復帰の道を行くことができません。
(22-211, 1969.2.4)
堕落は人間がしでかしたので、蕩減復帰も人間自らがしなければなりません。罪を犯した者が罪を蕩減しなければならないのが原則なのです。父母が偽りの父母となったので、まことの父母が来てそのすべてのものを蕩減してくれなければ、ハナニムに帰っていける道はありません。このすべてのものを解決してくださる方が真の父母なのです。
真の父母は、皆さんの生命を何千万、何億捧げたとしても換えることができない価値をもっていらっしゃる方です。ですから皆さんは、真の父母を求めて、「命を懸けて従います」と言うことができなければなりません。
(55-161, 1972.5.7)
人間が堕落することによって、どのような結果が現れたのでしょうか。人間世界からハナニムが追放され、天使世界が追放され、万物世界を失って、その次には個人基準、家庭基準、宗族・民族・国家・世界基準をすべて失ってしまいました。その責任は、誰にあるのでしょうか。その責任は、ハナニムにあるのでもありません。天使世界にあるのでもありません。万物にあるのでもありません。人間にあるのです。このような結果が現れたのは人間の責任です。ですから人間は、自分たちが責任をもって復帰路程を歩んでいくべき運命に置かれているのです。
(100-264, 1978.10.22)
復帰の道は、堕落した経路と反対の経路を突破していかなければなりません。そして蕩減の道は、堕落した者には原則として現れるのです。これを克服しなければ本来の姿に復帰することができないので、自分を清算しなければなりません。個人的な問題から、家庭、宗族、国家、世界をどのように復帰するのかという確実な理論体系をもっていなければなりません。
(御旨と世界-354)
皆さんが統一教会員として伝道をする時、「いやー、大変でできない」と言うならば、どうなるか知っていますか。それはハナニムを中心としたことにならず、自分を中心としたことになるのです。
このような原則を考えるとき、皆さんが統一教会に入ってきて活動するに当たって、行けないとか、不平を言いながら活動する人がいれば、不合格なことをしたということをはっきりと知らなければなりません。
自分を中心として統一教会で働く人は、困難に遭うとすぐにレバレンド・ムーンと統一教会に対して不平を言いながら、今まで統一教会に入って働いたことが私のものだと主張する可能性があるのです。
(92-256, 1977.4.18)


蕩減条件は、自分が立てなければなりません。他の人が代わりに立てることができるものではありません。堕落は、主管権を失ったことを意味します。
(22-211, 1969.2.4)
天国は、ハナニムを絶対的な中心として侍り、それを通して愛の因縁を結んで生きる所です。この根本を正しく立てるためにハナニムが救援摂理をされるので、絶対に自分を立ててはいけないのです。
(92-255, 1977.4.18)
アダムが責任分担を果たせなかったので、私たちは責任分担を全うするのに誰かの協助を受けては、その使命を完遂することができない立場にあります。最後の決定は、私たち自身がするのです。言い換えれば、善なる人になるのか悪なる人になるのかという決定は、ハナニムがされるのではなく、私たち自身がしなければならないのです。
(29-333, 1970.3.14)
皆さんは、生命以上に懇切なる立場に立たなければなりません。ですから、おなかをすかせた立場でも祈祷しなければなりません。断食をしながらも、自分をすべて投入しなければなりません。
ハナニムの愛とともに生命力を、万国に投入しなければならないのです。その過程では、ハナニムは絶対に答えられず、知らないふりをされます。干渉してはいけないのです。その投入が終わるまでは干渉されません。人間の責任分担とは何ですか。自分自ら完成することではないですか。同じように、自分が祈祷していくときはハナニムが中間で干渉されないのです。本当に不思議ですが、かえって反対するのです。
(180-195, 1988.8.22)
勝敗の起点をどこに置くべきでしょうか。先生に置いてはいけないというのです。先生がどんなに勝敗の起点をもったとしても、それは皆さんと関係がないのです。皆さん各自には5パーセントの責任分担があるのです。
(31-208, 1970.5.31)
個人の生活環境が変わり、時代の違いが生じるに従って、その時その時ごとにハナニムが呼ばれる道の前に、相対となる立場を決定するためには、私自身が努力していかなければならない責任分担5パーセントの路程がいつもあるのです。それは個人を中心としてもそうであり、教会を中心としてもそうであり、国や世界を中心としてもそうだというのです。
(40-66, 1971.1.24)
ハナニムは、どのような方なのでしょうか。玉座に座り、栄光を受けるハナニムだと思いますか。そうではないのです。堕落した人類に対してハナニムは、今まで何をされたのでしょうか。人類を救援しようと毎日痛哭つうこくしていらっしゃるのです。そのような立場で人類を引っ張ってこられたのがハナニムの姿です。
ハナニムは、このように悲惨な方です。悲惨な中に落ちた人類を救援するために、ハナニムは、眠りこけた人類を起こして、「来い、来い」と言われるのです。しかし、そのようにして行くようにはなっていません。皆さんは責任分担を果たさなければならないのに、それを代わってあげることができない立場で、(救援)しようとされるのが、どれほど大変だったでしょうか。
(20-220, 1968.6.9)


 

② 責任分担を果たす心構え

人間は、自分が今生きているところが善側か悪側かということを決定しなければならない、中間位置にいます。また、私が善なる方向に行くのか悪なる方向に行くのかということも、第三者の力を借りて決定するのではなく、自分自らの判断によって決定しなければならないのです。
さらに責任分担を全うすることができずに、堕落した人間の子孫になった私たちは、必ずこれを決定しなければならない、重大な岐路にあるということを知らなければなりません。
(29-333, 1970.3.14)

 

5) 蕩減法なしにはサタン分立できない

 

① 私は分水嶺に立っている

以北から以南まで、行く先々で、先生は監獄に何度出入りしたでしょうか。それを知らなければなりません。なぜ蕩減とうげん復帰しなければなりませんか。なぜサタンを分立しなければなりませんか。サタンを分立する目的は、責任分担圏自由化のためです。堕落する前のアダムとエバがサタンの干渉を受けましたか。サタンの干渉を受けていては天の国へ行けないのです。
皆さんは今、どこに立っているのでしょうか。自分がどこにいるのかは、自分の良心が知っているのです。それはだますことはできません。私がどこへ行こうとしているのかを良心は知っているのです。
(148-199, 1986.10.9)
蕩減復帰は不可避なものです。なぜ蕩減復帰しなければならないのか、なぜサタンを分立しなければならないのかといえば、自然な本然の責任分担、自由環境基盤を必要とするからです。そうすればサタンが讒訴ざんそできないし、サタンが因縁をもつことができない位置を私が占有するようになるからです。それで蕩減復帰、責任分担完成という基準は、論理的にも不可避です。
ですから、サタンを分立しなければならないのです。ですから、御飯を食べないで座っていても、サタン世界とは関係がないという考えをもっていなければなりません。ここが分水嶺ぶんすいれいです。これが境界線です。
(148-204, 1986.10.9)
蕩減復帰の道は、サタンを分立するための道です。サタン分立をなぜしなければならないのでしょうか。責任分担圏を探すためです。本来責任分担圏は、サタンがいない所です。アダムの責任分担圏がそうです。アダムの責任分担圏は本来、サタンが侵犯できる基準ではありません。その確実な思想を注入しなければなりません。
私たちは、いずれにせよ行かなければなりません。責任分担を完成して、ハナニムの愛の中に接ぎ木されなければなりません。ハナニムの愛の中に接ぎ木しようとすれば、サタンを分立しなければなりません。サタンと因縁をもったすべてのものを、完全に分立しなければなりません。
(148-197, 1986.10.9)


蕩減復帰は、なぜ生じたのですか。堕落以後、何のために生じたのですか。責任分担がなければ蕩減復帰という言葉も必要ありません。人がどの位置で堕落したのかというと、責任分担を果たしていく過程で堕落したのです。このとき堕落した人間は、責任分担圏をサタンに渡してしまったのです。サタンに奪われてしまったのです。それゆえこの責任分担圏を、もう一度取り戻してこなければならないのです。
(143-77, 1986.3.16)
もし堕落した人間にハナニムが責任分担を設定しなかったならば、今日の統一教会で主張する「蕩減復帰」という言葉は出てこなかったはずです。ただそのまま復帰すれば良かったでしょう。蕩減しなければならない! なぜ蕩減しなければならないのでしょうか。人間には責任分担があるからです。
人間が完成しなければならない責任分担を自ら壊してしまったので、その賦与された責任を果たさなければならないのです。そのようにするためには、サタン世界のすべてのことに勝利し、サタンを主管する位置に立ち、堂々とサタン世界の反対環境を取り除いたその位置に立ち、ハナニムの愛を受けることができる位置に入らなければなりません。そのようになればサタンは離れるのです。
(143-77, 1986.3.16)
堕落した子孫である私たちには、責任分担圏が残っているのです。責任分担を中心として見るときに、個人的な原理結果主管圏で個人完成してハナニムの愛と連結させハナニムの直接的な愛の因縁を結ぶことができる基盤をもったのかという時、もてなかったというのです。蕩減復帰はなぜ必要かといえば、サタンを分立させるためです。サタンを分立しなければ責任分担を果たすことができません。
(148-148, 1986.10.8)
責任分担がどれほど重要かを、みんな知らないで生きてきたのです。これが解放の基準です。蕩減復帰とは何ですか。責任分担を完成できる自由環境をつくるためのものです。サタンが侵犯するので、サタンを防御するにはどのようにしなければならないでしょうか。サタンよりもハナニムをもっと愛し、人類をもっと愛さなければなりません。
サタンがハナニムを憎み、人類を憎む反面、私たちは、「私は、お前よりハナニムをもっと愛し、人類をお前よりももっと愛する」と言わなければなりません。堕落しなかった人間がもっていくべきその基準を中心として、一方通行化させることができるこのような立場に立たなければ、サタンを分立することができません。
(148-154, 1986.10.8)
蕩減復帰の道は、必ず行かなければなりません。サタン分立をしなければならないのです。サタン分立できないところには、責任分担完成がありません。
責任分担完成ができない者たちは、天国に入る法がありません。アダムとエバも追い出したのがハナニムの法度ですが、皆さんがアダムとエバより立派ですか。返答してみてください。立派ですか、立派ではないですか。立派でない者は、いくらでも捨てられるのです。


偉そうに大手を振って歩き回っている、この者たち! この女性たち! しきりに出入りするからといって、誰でも統一教会食口シックなのではありません。原理をはっきりと知らなければなりません。
(148-156, 1986.10.8)
なぜ蕩減復帰が必要なのかというと、サタンを分立するためです。サタンを分立しないことには、責任分担を果たすことはできません。
(148-148, 1986.10.8)
サタンは、責任分担が果たせなかったという条件の上に侵犯しました。ですから責任分担が終われば、サタンは追放されるのです。責任分担を完成すれば、サタンはいることができません。
(137-254, 1986.1.3)
皆さんは、責任分担完成圏に立っていますか。未完成圏に立っていますか。未完成圏に立っているのに先生と何の関連がありますか。それを知らなければなりません。
蕩減復帰をなぜしなければならないのですか。責任分担を果たすにおいて、本来堕落する前の責任分担圏はサタンが讒訴することができないのです。サタンが侵犯するその場においては、責任分担圏が出てきません。ですからサタンが侵犯できないのです。その場が監獄です。
(148-156, 1986.10.8)
ハナニムを愛する力をもって、サタン世界の監獄を自ら進んでいくのです。サタンが一番嫌う所を、私が一番喜んで歓迎するのです。この世の中の人たちは、苦労を嫌うでしょう。統一教会の教会員は、苦労が好きです。なぜ好きなのですか、蕩減復帰をしようとするからです。驕慢きょうまんはサタンがする行動です。サタンは、下がっていく所へは下りていけないのです。
(148-156, 1986.10.8)
サタンを防御するには、ハナニムを誰よりも愛さなければなりません。この世界の誰よりも愛して、宇宙を誰よりも愛さなければなりません。自分よりも愛さなければなりません。自分は堕落した人間なので、自分より愛さなければならないのです。サタンは、ハナニムより自分を最も愛し、世界より自分を最も愛しました。それがサタンです。ですから、個人主義を中心とした皆さんは、サタンの王者たちです。
(148-161, 1986.10.8)
責任分担法がなければ整理ができません。責任分担があるのでサタンもきれいに整理されて、国もきれいに二つの国に分かれて、境界線をはっきりさせて、ハナニムの愛を中心とした宇宙的な主管圏時代に入っていきますが、これがハナニムが霊界と肉界を直接主管する天上天国であり、地上天国です。はっきり分かりましたか。皆さんが問題です。
皆さんは、どこにいるのかといえば、いつも境界線にいます。個人を中心とした蕩減復帰の境界線においては、サタンがついてきてはいけないのです。
(148-166, 1986.10.8)
統一教会の教会員の生活観念とは何でしょうか。世界のために生きるということです。世界のために生き、ハナニムのために生き、さらにはハナニムの解放と父母様の解放と世界解放のため生きるのです。これが統一教会員の生活内容とならなければなりません。
(148-166, 1986.10.8)


 

② サタン圏(堕落圏)を脱するには

完全に救いを受けるには、自分の罪を清算しなければなりません。皆さんの過去と現在のすべての生活を通じて犯した罪を清算しなければなりません。罪を清算するには、原理原則に食い違いがないようにしなければなりません。
(55-158, 1972.5.7)
堕落して故障したので、故障を直すには故障する前の原理原則に従って合わせなければなりません。
そして創造法度に一致できるようにするためには、再創造歴史の過程を経なければならないのです。堕落は相手のために自分を投入しないで、反対に相手に自分に投入しろというところから始まったので、反対に投入することを経なければなりません。ですから宗教は、「自分を犠牲にしなさい」と言うのです。
(69-84, 1973.10.20)
アダムとエバの堕落以後、人間がかかった病気とは何ですか。サタンを中心とした愛の病気になり、間違ったその愛の病気でサタンの血統を繁殖させてきたのです。
(92-255, 1977.4.18)
言い換えれば、サタンの血統を受けてサタンの直系として生まれたのが病気なのです。ところで、その愛の病気はどのように出発したのでしょうか。ハナニムが立てた秩序と天地の道理、環境などすべてのものを否定して、自分を中心として愛したところから堕落の病気が始まったのです。
(92-255, 1977.4.18)
ですからこの病気を治すには、自己を否定し、ハナニムを絶対的に中心として生きなければならないのです。天使長やアダムとエバがハナニムを中心とした愛を願ったならば、堕落しないで理想世界を成したはずです。
(92-255, 1977.4.18)
サタン圏を抜け出すには、ハナニムを中心とした観をもたなければなりません。そうでなければ、抜け出すことはできません。それ以外には抜け出すことができないので、このような道を選ばざるを得ないのです。
(御旨と世界-437)
私が行かなければならない道は難しいけれども、私の前を行かれるハナニムがいて、私のそばで歩む友達がいて、私たちの兄弟がいるという事実を考えなければなりません。また、人類が行くべき未来の運命の道が、まだ私たちの前に残っていることを考えなければなりません。
私の生命が尽きるまで行くと考えなければなりません。そのような考えをもつことにより、自分を中心として堕落したサタンの基準を越えていくのです。私中心ではなく、ハナニムを中心とした考えをすることにより、堕落圏を越えていくことができます。ですから、統一教会で最も大変な時は、最も大変なサタンの堕落圏を払いのけて解放され得る日が近づいた、ということを意味します。
(92-256, 1977.4.18)


元来、堕落は死の境地に落ちたことなので、救援するために死の境地に飛び込まなければなりません。いずれその過程を通過しなければならない運命ならば、男らしく喜びの心で臨む皆さんにならなければなりません。そのように決意をもってみ旨の道を歩む食口シックが多くなれば、世界は新しい方向に進むのです。私たちは、その母体を成す心情に燃えています。皆さんの心の中には、生死の境界を超越できる信念がありますか。
先生は、何十、何百、何千、何万にもなる生死の境界線を見守りながらサタンと対決してきました。言い表し難い大変な環境が波のように何度も押し寄せても、先生が立てた基準は変わりません。足が折れたとしても、目の玉が落ちたとしても、首が飛んだとしても、出発した時の心情基準から外れません。ですから死にさえしなければ勝利するのです。
(22-184, 1969.2.2)
どのようにすれば、サタン圏の愛とサタン圏の血統が脱げますか。自分を愛して自分だけ考えれば、いつでもサタンは引っ張っていきます。反対に私を否定し、ハナニムを中心として考えて生活するようになれば、サタンは私を管理できず、ハナニムが臨在して管理するようになるのです。それによって、サタン世界の天使長圏から解放され得るのです。堕落した天使長の位置から、堕落しなかった天使長の位置に上がっていくのです。死ねというのです。死んだふりをなさい。あの足の裏に何度も踏まれよというのです。
(92-264, 1977.4.18)
私が知るところによれば、高い所に上がって心と体を一つにできる道はありません。天下に高い心をもって上がれば、一つになる道がありません。踏まれなければなりません。先生も高くなるのではと思って、ハナニムが40年間足で踏んでしまったのです。踏んでみると、上がろうとするものがつぶされて一つになるのです。
三千里半島を歩き回った金삿갓キムサッカ(1870〜1863。本名金炳淵キムビョンヨン。家門が滅んだのを嘆き、生涯放浪生活を送り、多くの風刺の詩をつくった)のように、ののしられ、踏みにじられ、ぞんざいに扱われながら、さまよわなければならないのです。そうしながらも、それを消化することができ、それをみな喜んで消化できる自分自身を発見しなければなりません。
(144-255, 1986.4.25)
「愛という枠をもって私がサタンよりも愛するという心で、ハナニムを愛し、宇宙を愛する心をもって、ハナニムのみ旨と人類の解放のためにどん底に下りていく」と言うことができなければなりません。下りていくというのはどういうことでしょうか。踏まれてみなさいということです。40億人類に、みな踏まれてみよというのです。踏まれても不平を言わないのです。感謝し、愛によって消化するのです。このようなことをしなければなりません。
(138-288, 1986.1.24)

 

6) 信仰は蕩減法を守っていくこと

統一教会は、98パーセント、95パーセント生活的な面が全部信仰です。95パーセントハナニムが造られたものを失ってしまったので、95パーセントやってこそ再創造が始まるのです。その上でさらに5パーセントまで私がしなければなりません。ですから、どれほど大変なことでしょうか。堕落していなかったら95パーセントは天がしてくださり、5パーセントだけを私がしていたのですが、堕落したのでハナニムがもう一度してあげることはできないというのです。再創造を私がしなければならないのですが、95パーセント、プラス5パーセントです。ですから死ぬ覚悟をしなければなりません。犠牲になる覚悟をしなければなりません。世界蕩減とうげん路程を歩みきるまでは、楽な考えをしてはいけないのです。
(142-84, 1986.3.1)


先生がこの地に来て、信仰世界に残した偉大な内容は、四つです。ハナニムと人間との関係をはっきりさせました。責任分担と蕩減というものを、この歴史の中で誰も知らなかったことをはっきりさせておきました。その次に、良心的な人は生きていくことが難しく、悪人は良い生活をしていますが、これはどうしてかということです。蕩減法、カイン・アベルの問題を知らなかったこと、これをはっきりさせました。
(161-153, 1987.1.18)
人間は、堕落性を相続して習慣の奴隷になってしまいました。今日においては宗教者までも、このような惰性に浸り、安逸な生活をする傾向があります。習慣的な信仰生活は、危険です。このような信仰生活は、サタンの讒訴ざんそ条件を提示させてしまう要因になります。
人間たちが復帰路程を歩んでいくにつれて、一人でも失わないようにしようとするサタンは、あらゆる方法を通じて再侵犯の機会をねらっています。サタンは、個々人が立てた蕩減条件によって個人から離れていかなければなりませんが、また再び家庭的次元、民族的次元において、侵犯することもあり得るのです。
(167-98, 1987.6.30)
私たちが行くべき公式路程がありますが、皆さんは、そのような公式をはっきりと知らないでいます。「私たちには蕩減が必要ない。何のために私たちがこの大変な蕩減の道を行かなければならないのか」。このような人は、サタン圏内で死ぬしかありません。サタンは、彼らの圏を主張します。
皆さんは、このようなサタンの領域を征服しなければなりません。サタンを退かせなければなりません。サタン圏を占領しなければなりません。果敢に立ち上がりなさい。過去のことを清算しなさい。これが信仰生活において皆さんがしなければならない責任です。はっきりと知らなければなりません。
(167-319, 1987.8.20)
蕩減復帰は、条件復帰ではありません。事実蕩減だということを知らなければなりません。このようなものは原理にはありません。条件蕩減でありながら事実蕩減というようなことは初めて聞くことでしょう。したがって、今までの復帰路程を考えてみると、サタン世界で一番良心的な一人を立てます。ノアが正にそのような人でした。ノア一人の信仰を絶対信仰の基台の上に立て、ノアの家庭を中心として着陸するようになります。絶対信仰の男性、絶対信仰の女性、絶対信仰の四位基台が必要です。
(183-164, 1988.10.31)
ハナニムは堕落した人間を蕩減復帰させようとして宗教を立てられました。ハナニムは宗教を通じてハナニム中心の精神を強化させる方法、生と人格に対する肉体の支配を逆転させる方法を教えておられます。宗教が断食、犠牲的奉仕、温柔で謙遜けんそんな態度などを要求する理由は、正にこのようなところから来ています。これは、肉体の勢力を減少させ、肉体をして精神に服従させる方法です。


信仰生活を通じて、肉体中心的な生活習慣から脱して新しく精神中心的な生活方式をつくっていくまでに、通常3年ないし5年かかります。
(201-208, 1990.4.9)
蕩減は、何を中心としてするのでしょうか。蕩減の内容とは何でしょうか。サタンをより愛するのか、ハナニムをより愛するのかという愛の問題です。すべてのことが愛の問題です。蕩減するにはハナニムを絶対に信奉しなければなりません。ところがサタンは、ハナニムを絶対に信奉しませんでした。背信したというのです。歩んでいく途中でハナニムを背信しました。
それゆえに、まず蕩減の道を行くに当たって、信仰や行動が絶対的でなければなりません。
(206-238, 1990.10.14)
蕩減路程というものは責任分担圏を立てなければなりません。この責任分担は何を中心としてしなければならないのでしょうか。より天を愛すること、より絶対的な信仰とより絶対的な愛をもたずしては、サタンを屈服させることができません。
(139-279, 1986.1.31)
今までの蕩減復帰時代は、過ぎ去りました。蕩減復帰時代が過ぎたために、これからは法的な時であり、行動いかんで即座に引っ掛かる時です。蕩減復帰時代は循環するのです。第1次ができなければ第2次に移るので、前進的な発展に通じることができる過程でしたが、今の時は、蕩減復帰時代が過ぎたので復帰時代です。今は復帰時代なので、誤ったことを後日に延ばして解決する時ではありません。即刻的です。このようなことをはっきりと知って、過去のぼんやりした信仰概念があったならば、それをけ飛ばして先頭に立つ覚悟をしなければなりません。
(144-128, 1986.4.12)
み旨のために行く道で、先生自身の生活を中心として見れば、誰も理解できない道を歩んできましたが、その背後で天が理解してくださるその裏面的な深さと幅がありました。そのような事実を考えるとき、それは不幸ですか、幸福ですか。幸福なことです。彼らが私に反対するのは、反対したくてそうするのではありません。反対しなければ蕩減復帰は成立しません。
天がすべてさせているという事実を知り、皆さんは感謝しなければなりません。感謝していけば、結局は私が考えもしなかった世界に行くことになり、私に反対していた世界は考えもしなかった結果の世界に落ちてしまうということです。それゆえ、天に待っていく人の生涯は、感謝しなければならないということです。
(138-129, 1986.1.19)
自分がおこなった忠誠の実績をもって、それを貴く思い、天の前に1歩1歩前進することが貴いことであって、欲を張って大声を出して祈祷しても、み旨がすべて成就するというわけではありません。