八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 5-1

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1239-1274

【天啓の御言】(5-1)

 


血統の同一性が必要なので、ハナニムの心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうなのかといえば、根が違います。幹が違います。しかし、根が同じでなければならず、幹が同じでなければならず、芽が同じでなければなりません。そこには絶対的に、血統転換という、とてつもない問題が起こるのです。それは、一人ではすることができません。まことの父母がいなければなりません。
(172-55, 1988.1.7)
神側では、サタンの偽りの愛圏にいる人間を、より大きなハナニムの愛によって奪ってきて、重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたがゆえに、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通じて再び生まれてこそ、ハナニムの子女、ハナニムの民になるのです。イエス様の聖血が貴いのも、聖餐せいさんの儀式もみな、血統転換を通じてハナニムの子女になる摂理を形象的、象徴的に表すものです。
(135-12, 1985.8.20)
皆さんは、血統転換、これの実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。先生がアベルになるとき、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので皆さんが先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きな問題が起こるというのです。
(161-153, 1987.1.18)
ハナニムの心情は、どこで連結されるのでしょうか。理論では連結されません。血統を通じてのみ連結されるのです。皆さんは、ハナニムの心情の血統を受けました。今までは知らなかったというのです。それで皆さんが祝福を受ける前に、血統転換式があります。その時は、私は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が、私から始まるという信念をもたなければなりません。
(180-159, 1988.8.22)
皆さん、祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは、何も知らずに先生が命ずるまま従ってやっただけですが、それがそのように簡単なものではありません。
エス様が夫婦関係を成すことができなかったために、歴史がこのように混乱してきたということを考え、その目的に合う一双を立てるという心情的基準から見るとき、祝福の血統を汚すような何かがある場合には、大変なことになります。これは刑罰が問題ではありません。エデンの園では未完成期に堕落した者も追い出しましたから、完成の心情的基準で罪を犯したとすれば、言うまでもありません。そのような者は、後ろ姿も見たくないハナニムであられます。先生も、やはりそうです。
(198-220, 1990.2.3)


皆さんは血統転換式をしたあとからは、完全に変わらなければなりません。真の父母が出てこなければ、このことが可能ですか。創世以後、どんなに険しい道を歩んできましたか。真の父母が現れたことだけでも有り難いのに、真の父母から祝福を受けたということは、もっと驚くべきことです。このようにして血一筋の伝統、真の愛と真の生命と真の血統を植えた伝統ができているのです。これを、いつも考えなければなりません。
(216-36, 1991.3.3)
サタンは(ハナニムに対して)「私は、堕落して、あなたのすべての血統的なものを蹂躙じゅうりんしましたが、あなたがご自身の息子と天国に入るためには、血統転換をさせなければならないのではないですか。あなたが生命の主体ならば、アダムは、あなたから生命の種を受けたのです。ですから、アダムがあなたから受けた生命の種をもって、エバを中心として連結して根となれる本然の基準を成して、その基準を中心としてあなたの血族の位置に立たなければなりません。そのようにしようとすれば、今、私の血族の中に立っている彼らの血統を転換させて、根を改造しなければ天国に入れません。天国にアダムを根にした人が入っていくようになっているのであって、天使長を根にした人が入ることができますか。入れません!」と言うのです。
(197-286, 1990.1.20)
祝福家庭は、どんな意味をもっているのでしょうか。祝福家庭を中心として見るとき、サタンは、祝福家庭を支配できないというのです。どんな国においても、先生を完全に信じ、真の父母に属したという信念をもって立つようになるとき、サタンはそれを、侵犯できないのです。なぜそうなのでしょうか。父母様の心情を中心として血統転換した心情圏に連結されているからです。それで、ここからはサタンが手をつけられないのです。
(149-53, 1986.11.2)
復帰途上でしもべしもべの時代からしもべの時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がらなければなりません。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系の時代と因縁が結ばれるでしょうか。直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結ばれません。必ず原理によって、信仰の基台を経、実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。
すなわち、メシヤを迎えなければならないということです。メシヤはハナニムの真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が違います。ですから血統転換が必要だというのです。
(55-192, 1972.5.9)
堕落人間は、血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。ハナニムと人間との関係は父子の関係ですが、このようなすべてのものが未知の事実として残っていたがゆえに、歴史が解けず、今までハナニムの摂理を知らなかったのです。血統転換も、個人圏、家庭圏、民族圏、国家圏、世界圏、みなしなければなりません。これをするには、メシヤにならなければなりません。父母が出てくることにより、父母から血統が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。


このようなすべての問題に個人が責任をもたなければなりません。個人がみなこういうことをして、越えていかなければなりません。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにやってあげるのです。
(161-147, 1987.1.18)
堕落人間は、出発が間違ったというのです。ですから、また帰らなければなりません。帰ることは帰るのですが、どこに戻るのでしょうか。原点へ戻らなければならないのです。偽りの父母によって始まったので、原点へ帰って真の父母によって再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻ですか。私がハナニムの愛と、ハナニムの生命と、ハナニムの血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。それを自分の生命よりも信じなければなりません。
統一教会の一つの儀式ですが、ただ一般の宗教儀式だと思ってはならないのです。これは死んだ人を回生させる注射と同じです。解毒注射です。
(216-107, 1991.3.9)
聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになって父を欺いて祝福を受け、タマルの歴史を中心としてもこのような非人間的行為をしたのに、ユダ支派を通じてイエス様が来るとはどういうことですか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。キリスト教だけが血統を重要視して、血統転換を主要思想とみなしてきました。他の宗教にはこういう歴史がないので、ここに従わなければならないという結論が出てくるのです。
ですから血統転換というものを中心として見るとき、ムン総裁はキリスト教を外すことができませんでした。選民思想を受け継いだキリスト教を外せなかったというのです。(世界基督キリスト教統一ではなく)「万教統一」と言っていれば、どうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨髄思想がこのようになっているためです。
(227-349, 1992.2.16)

 

 

④ 血統転換の3段階過程

イ) 聖酒式
統一教会の祝福を受けるとき、血統転換式があります。皆さんは血統転換式をしたでしょう。蕩減とうげん棒行事とか三日行事とか、どれほど複雑ですか。そこには、サタンは入ることができません。それはまことの父母とハナニムの法によって天国の門を開き、解放を宣言して立ったものであるがゆえに、長成期完成級で活動していたサタンは関係をもつことができないのです。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたことを知っていますか。それを経なければならないのです。
(235-215, 1992.9.20)
皆さんが婚約式(約婚式)をしたあとには聖酒式があり、その次に結婚式があります。それでは、この婚約式と聖酒式、そして結婚式はいったい何でしょうか。これは、ある前例に従って行う式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度、象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避な行事なのです。
(35-215, 1970.10.19)


堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定して、新たにハナニムの愛を中心として真の父母の愛を再現させ得る復活的な実体を備えずしては、祝福の場に行くことができません。
したがって聖酒式は、まさしく真の父母の愛の関門を通じて、新しい生命の基準を成すことを約束する儀式です。
(35-215, 1970.10.19)
聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心としてハナニムの体を自分の体の中に投入させる儀式です。堕落した体は一つしかないので、ハナニムの愛を中心として取り替えるのです。これが正に聖酒式だというのです。イエス様が、「パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない」と語ったのと同じように、愛を中心として、ハナニムの実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清め得る式です。この式を経ずしては、祝福の場に行けないのです。ですからこの式は、血統を転換させる式です。
(35-245, 1970.10.19)
「血統転換」という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。その血統を転換するためには聖酒がなければなりません。そして聖酒という酒が出てくるためには、21種類の選別過程を経なければなりません。それが何か知らないでしょう。
それは空中で実を結ぶものと、地で実を結ぶものと、地の下で実を結ぶものを中心としています。その次には鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように21種類の選別された物を通じて、その過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴ざんそ条件に引っ掛かってはいけません。7ヵ月間、使わずにおきますが、そこに不祥事が生じてはいけないのです。
(215-109, 1991.2.6)
聖酒式は、蕩減復帰式です。聖酒式は、天使長の立場でするのです。ですから、血統とすべてを捧げます。すべて復帰する条件になります。ここで、オモニを通じて先生がするのです。皆さんも全く同じ立場です。そのような立場で橋を架けるのです。聖酒式をこのように挙行することによって、皆さんが父母の位置と同じ復帰の位置に入っていくというのです。それを知らなければなりません。
聖酒は、女性が先にもらいます。女性が先に先生に敬拝して聖酒をもらい、半分だけ飲みます。その次は、夫が敬拝しなければなりません。これは、女性が半分飲む時は、男性は頭を下げているのです。この時は、女性がオモニの立場にあります。オモニの立場と同じです。こうして女性が半分飲んで残ったものを男性にあげ、男性が飲むことによって因縁が結ばれます。それで、男性も対等な場に行けるというのです。
(113-309, 1981.5.10)


聖酒式は、アダム、エバが堕落したその反対のコースで行うものです。結婚するには、婚約式(約婚式)がなければなりません。その次に聖酒式です。そうしてこそ結婚式に進むのです。皆さんは、堕落したので、アダム、エバになれなかったのです。婚約式は、息子を取り戻そうというハナニムの前に、真の父母の前に、「堕落した息子より立派なアダム、エバになりました」と言うものです。アダム、エバは婚約段階にあったのです。こうして一つの世界がここから誕生するのです。ですから、このようなすべての因縁を連結させる条件を成立させることが聖酒式だ、ということを知らなければなりません。
(120-167, 1982.10.13)
聖酒を飲むには、天使長からエバエバからアダムです。皆さんは、どのようにするかといえば、エバが先に受け取ります。エバがいなければ、男性は再び生まれることができません。復帰なので、エバに杯を受けさせ、半分だけ飲んで、その次にエバが夫に与えます。(エバは)杯をもらう時は、お父様から頂く代わりなので、礼をします。実際には三拝ですが、礼を1回だけでもいいです。三拝するという気持ちをもって、それを頂いて半分を飲んで、それを夫に渡します。それを飲んだあとは、返してもらいます。そして反対にします。お父様からお母様、そして天使長に渡してから置きます。そのようにすれば、心情的に一体化します。実際には、その前に先生が女性たちに手をのせて祈祷しなければなりません。
先生が女性の手に、このように祈祷します。これが一体化の祈祷です。そういう祈祷をして聖酒を飲めば、堕落の血統をきれいにすることになります。それが条件です。キリスト教の洗礼式のようなものです。血統転換式! 分かりますか。
(183-89, 1988.10.29)
天使長を通じてエバが堕落したので、復帰歴史においては、エバがアダムを通じて天の前に立って天使長復帰をしなければなりません。そのために行うのが聖酒式です。聖酒式をするとき、先生が女性に先に与えるでしょう。なぜそうなのか知っていますか。それが失ったエバを復帰する式なのです。聖酒式をすることによって霊的に一つとなり、心情的に一つとなり、肉的に一つになるのです。絶対的な内約なのです。
(46-233, 1971.8.15)
聖酒は、ただ作られるのではありません。ただそのまま、できるのではないということです。サタンとハナニムの立ち会いのもとに、霊界にいる数多くの天使たちの立ち会いのもとに作られるのです。そして、そこには皆さんが知らない21種類の物が入っています。万物世界と人間の復帰歴史の過程で形成される、すべての物が入っているのです。聖酒を作る時は、霊界の霊人たちが来て、「頼むから1杯だけ注いで自分に飲ませてくれ」と強要します。聖酒を飲めば、復帰されることを知っているからです。それで、群れになって来て、しきりに「自分たちにも恵みをくれ」と言います。先生にはそれができる、ということを知っているのです。しかし、先生は、霊界のための先生ではありません。地上のための先生です。ですから、「君たちは待ちなさい」と言って、苦労した皆さんに与えたのです。
(46-233, 1971.8.15)


聖酒には、父母の愛を象徴するものが入っています。そして血を象徴するものが入っていなければなりません。したがってそれを飲めば、父母の愛と一体になり、また血と一体になります。こういうものが聖酒の内容なのです。
(35-211, 1970.10.18)
それでは、聖酒は、どのように作られるのでしょうか。それは地と海と空を象徴し、全体を象徴するものから作られた酒です。聖酒には3種類の酒が入っています。それ以外に、すべての万物を象徴するものが入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。この式がなければ、原罪を脱ぎ、血統を転換することができません。血統が転換されなければ、完成基準を通過してハナニムの愛と一体となることができないのです。したがって聖酒式は、そのすべてのものを蕩減する式だということを知らなければなりません。
(35-211, 1970.10.18)
聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を取り除く式だということです。
(35-215, 1970.10.19)
聖酒には、サタンの讒訴のない万物の要素がみな入っています。その聖酒をもらって、真の父母と一つになった自分自身を汚す行為をすれば、サタンよりも恐ろしい立場に立つようになります。サタンは長成期完成級圏を汚して蹂躙じゅうりんしましたが、祝福を受けた者が過ちを犯せば、完成期完成級圏でハナニムの実体を犯した罪が残るので、永遠に許されません。これは実に恐ろしいことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-596)
聖酒式をしたその場は、父母様が通過してきたすべての受難の道をみな蕩減してあげるためのものです。それは天下、宇宙を与えても替えられない貴い立場です。それを汚してはいけません。そうすれば当然、責任追及を受けなければなりません。
(172-61, 1988.1.7)
祝福家庭の二世たちと新しく入ってくる若い層、祝福対象者たちとは何が違うのかというのです。皆さんが祝福を受けるときは、聖酒式が必要であり、それ以外に必要なものが多いのです。複雑なのです。しかし、祝福家庭の二世は、そのような聖酒式がありません。根が違うというのです。皆さんの根は堕落世界の根ですが、彼らはそうではありません。
もちろん、人はみな同じように見えますが、歴史が違い、背景が違うというのです。出発が違うので、過程も違い、今、現在置かれている立場も違い、未来において行く目的地も違います。目的地が同じだとしても違うというのです。祝福家庭としての立場なので、同じではありません。
(144-281, 1986.4.26)


ロ) 祝福結婚式
祝福式は、愛の伝授式です。ハナニムの愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛をハナニムの愛の代わりとして受けるのです。「このように生きなさい!」という愛の伝授式が祝福式だというのです。ハナニムの愛を父母から受けるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは、天使長がしてくれる結婚です。名のある人が片方だけ来て結婚式をしてくれるのは、みな天使長にしてもらう結婚式です。
(96-236, 1978.1.22)
結婚式というものは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を与えられることをいいます。
(76-46, 1975.1.26)
祝福結婚式は、ただ単に男女が出会い、一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、ハナニムに喜びを返し得るだけの内容をもって、歴史を蕩減する条件として、神聖で盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダムとエバの堕落で始まったハナニムのハン解怨かいおんし、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過することであると、「原理」は明らかに説明します。
(22-212, 1969.2.4)
主札の前に歩いていくのは、6000年の摂理路程を歩むことです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-679)
蘇生そせい、長成、完成を意味する路程に、21人、12人の介添人を立てます。これは3数を代表するものです。7歩歩いて、蘇生を越える条件として3回、敬拝しなければなりません。この路程は、アダムから今までの歴史路程です。
(19-268, 1968.2.20)
特にアダム、イエス様、再臨主の3時代の過程ですが、この介添人の中を通過して、真の父母様と出会うことを意味します。介添人を立てるのは、12支派、24長老の霊的基準を立てるためです。敬拝することによって、蕩減条件を立てるのです。真の父母様は聖水をまきますが、これは蕩減復帰した立場に立てるためであり、その条件を立てるためです。また、霊界の先祖たちの土台を越える条件を立てるものです。
(19-268, 1968.2.20)
合同結婚式は、ハナニムの新しい家庭を取り戻し、立てるためのものです。合同結婚式は、ハナニムを何よりも愛せるようにするものです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-563)
統一教会の誇りは、合同結婚式です。しかも、同じ民族同士で結婚することより、東洋、西洋の人が合わさって結婚式をもつということは、誇り以外の何ものでもありません。そのことは、統一教会でなければ、誰もできないことです。大統領もできないことです。それは、先生が優秀だからそのようなことができるのではなく、ハナニムの力が作用しているからです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-563)
先生の聖婚式は、今までのどんな結婚式よりも盛大にしなければならないのに、苦難の中でおこなったので盛大にできませんでした。ですから今後、盛大にしなければならない条件が残っています。食口シックたちは自分を中心とした3代の中で、外的に最も結婚を素晴らしくおこなった立場に立たなければなりません。そうしてこそ、サタンの前に条件を立てることができます。それで合同結婚式をするのです。内的な面でもハナニムが喜ぶ結婚をするためには、祭物的な条件を立てなければなりません。
(19-70, 1967.12.26)


ハナニムが催した宴会は、サタン世界のどの宴会よりも壮大でなければなりません。しかし、個体としては、その基準に立つことができないので、歴史始まって以来、かつてなかった合同結婚式を挙げなければなりません。
(19-32, 1967.12.15)
祝福結婚式の目的とは何でしょうか。それは、世界を救うためのものです。この結婚式は、国境と人種と言語と文化、習慣を超越した国際合同結婚式でした。新しいハナニムの民が編成されるのです。したがってこの結婚式場は、和解の広場でした。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-565)
ハナニムを中心として世界民族の編成のために、統一教会で祝福結婚式を行います。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-565)
今日のこのような成婚式は、ハナニムの希望であり、理想でした。アダム、エバが成熟すれば、成してあげようとしていた成婚式なのです。創造理想の心情の中にあったもので、これは実に歴史的なことです。このような式典は創造以後、初めて行われたということを痛感しなければなりません。
(9-83, 1960.4.16)

 

ハ) 三日行事 ‐ 実体復帰式
祝福を受けて40日が過ぎたのちには、三日間にわたり実体的な復帰式があります。この40日期間は、歴史的で総合的な蕩減期間なのです。人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。
(御旨と世界-552)
アダムの時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代のハナニムの蘇生的な愛圏を継承できずに、キリスト教を中心としてハナニムの長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、長成の愛圏を受け継いだのちにこそ、完成的な成約時代圏に立てるようになるのです。そのような条件を立てることが、三日行事の実体復帰式である蕩減式です。三日行事の実体復帰式の最初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。二日目は、新約時代のイエス様の立場を蕩減復帰するのです。三日目は、イエス様の代わりの新郎として新婦を再創造するのです。そこで初めて、正式軌道に乗って出発することができます。このように具体的に蕩減条件を立てるのは複雑なのです。
(御旨と世界-552)
三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。


結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは3時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の3代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。
(90-134, 1976.10.21)
ところが、相手がいないのです。この地上には今、主が、主人がいないというのです。ですから、それを生んであげる責任を果たさなければならない立場に立ったのが女性たちだというのです。エバがアダムを完成させなければならないのに、堕落させ、イエス様がその使命を完成できるように、イエス様をしっかりと生んで責任を果たさなければならないマリヤが、責任を果たせなかったというのです。それを、すべて復帰してあげなければなりません。結局は、アダムとして生んであげなければなりません。完成したアダムでなければ、結婚することができないということです。再臨時代まで3代かけてきたので、3人、3代にわたるお産の使命を果たさなければならないのです。
(90-134, 1976.10.21)
エバがアダムをこれくらい産み育てて、そこにまたイエス様をこれくらい育てたのちに、完成段階に入って夫を育てます。そののちに、夫としての権限を中心としてエバを愛し、越えていくそのような過程があるというのです。そこにおいて告解こっかいをなさなければなりません。再臨時代になって初めて夫になります。完成したアダムの立場に立つので、祝福の場、新郎の立場に立つようになるというのです。
(90-134, 1976.10.21)
先生を通じて妻は、お母さんの使命を再び与えられるのです。これは、3段階で生んであげる形式で愛さなければならないということです。愛によって生んであげるので、そのような条件を立てるためには、愛するときに、今までとは反対にするのです。女性が上になり、男性が下になります。愛するとき、それを間違えないようにしなければなりません。
(90-134, 1976.10.21)
三日行事の式を進行するとき、まず女性が祈祷します。蘇生的アダムをお産するのに、祝福がなければなりません。その次には、イエス時代に入ります。「イエス様のような第二次アダムをお産する祝福をしてください」と、同じ式を行います。それで二度生めば、イエス様の立場であると同時に完成的な立場に育ったという段階へと越えていくのです。そのとき初めて、夫の立場に進みます。主体的立場へと進むのです。
(90-134, 1976.10.21)
その次からは、男性が上に復帰されます。それで三度目の愛は、男性が上で行います。二人がそのように愛を終えたのちは、ハナニムの永遠の夫婦として、天の相続を受けた永遠の家庭として、父の眷属けんぞくになると祈祷して、その次に夫婦生活に入るのです。
そのようになれば、完全に蕩減復帰された家庭として、天の国に堂々と入るというのです。そのように難しいものです。ですから、こういうことを知らなければ、復帰は不可能なのです。これを知らなければ、復帰できません。今日、既成教会で、イエス様を信じて天国へ行こうというのは、でたらめで、こっけいなことです。天国へ行くのではなく、楽園へ行くのです。楽園は、待合室です。
(90-134, 1976.10.21)


聖酒式は、3人のお母さんから生まれたという条件を立てる式です。聖酒には蕩減の血が入っています。聖酒を飲むことにより、内的に清め、聖巾せいきんで体をふくことにより、外的に清めようとするのです。
(19-270, 1968.2.20)
これから実体の子女を繁殖しなければなりません。父と心情的な因縁を結べる子女を生むようにしてください、と祈祷しなければなりません。心情的な祭司長になれる子女を生むために、祈祷しなければなりません。先生は、天地の代身となり得る心情的基準の上で子女を生むことを願います。先生は、一度祝福すれば、責任を負います。私たちは世界の代わりに、もう一度祝福を受けなければなりません。ですから条件的な結婚です。それまでの40日間は、4000年を蕩減する期間に該当します。事実、結婚生活はきょうからです。今までは蕩減期間でした。
(11-161, 1961.6.24)

 

3) 祝福家庭の責任

 

① 真の父母と一体圏を成さなければ

人間は、長成期完成級で堕落したので、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が長成期完成級で堕落したので、堕落したその線以上に上がって、初めて原罪を脱げるようになっているということです。原罪は、長成期完成級で脱ぐのではありません。したがって今日、皆さんが祝福を受けて立ち上がったこの場は、完成期完成級ではなく、長成期完成級だという事実を知らなければなりません。
(35-233, 1970.10.19)
堕落したアダム、エバを中心としてカイン、アベル、セツと彼らの対象(相対者)を含んだアダム家庭の8人がみな落ちていってしまったので、ハナニムの前に蕩減とうげん条件を立て、再び完成級に向かっていかなければなりません。そこでは、父母の愛を感じなければなりません。生命の起源は、父母の愛を通じて生まれるのです。こういう生命の価値を世界の何よりも尊重視できるその場を経てこそ、新しい道を行けるというのです。原理がそのようになっています。
(35-233, 1970.10.19)
今の個性完成は、絶対的な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成ということを知らなければなりません。それで彼らが父母の立場に立っていますが、ハナニムの心情圏というものを知りません。自分の妻は宇宙を与えても替えることができず、夫は宇宙を与えても替えることができず、二人が愛するそこに、天地をつかんでいける偉大な力があるということを体験できませんでした。


ですから祝福してあげた家庭は、この堕落圏を越える時までは、条件完成圏内に立っているということを知らなければなりません。天国完成圏ではありません。条件完成圏です。条件完成圏にあるので、ここで生きたのち、霊界に行けば手続きを別にしなければなりません。手続きの手順を済ませて、完成的完成をすれば、パスポートをもらって天国に入るのです。
(100-144, 1978.10.9)
「私は、祝福を受けたからもういいだろう! じっとしていても天国だ」とそのように座っていれば、めちゃくちゃになるのです。祝福を受けたことが完成段階ではありません。皆さん、7年路程を習ったでしょう。このような複雑な内容を知り、合わせてくれる人がいないので、全能なるハナニムも仕方なく引っ張られてくるのです。皆さんが祝福を受ける時、「私たちはハナニムの原理原則に従って祝福を受けた。きょうから一つになった」と言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりません。
(68-148, 1973.7.29)
お互いに再創造しなければなりません。怨恨えんこんの夫婦の溝を埋めなければならない道が残っていることを、統一教会の祝福を受けた者たちが忘れてしまえば、滅びます。私がいくら、「滅びない」と言っても、滅びるようになっています。
一組の夫婦は、ハナニムが願う理想的復帰完成の夫婦に向かい、再び再創造の過程をたどらなければならないのです。それで統一教会では、個人復帰完成、その次に家庭復帰完成をいうのです。
(68-148, 1973.7.29)
人類が願うこととは何でしょうか。まことの父母に侍ることです。6000年前に、アダム、エバの成婚により、全人類がハナニムの子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落することにより、人間たちはサタンの子孫になってしまいました。ですから、これから私たちは、6000年前に失った天側の真の父母を再びこの地上に探して立て、その真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ、天国の民になれるのです。
(19-203, 1968.1.7)
すべての始まりは、真の父母からです。すべてのものの出発、初めは皆さんではなく、真の父母です。生きるのもそうであり、行動するのもそうであり、愛の家庭を連結するのもそうです。初めは真の父母です。これは、先生の話ではなく、私たちの初めの先祖に対するハナニムの公式的な概念であったというのです。どうすれば私たちの家庭を父母様の家庭のようにつくれるか、それを考えなければなりません。
(277-250, 1996.4.18)
皆さんの家庭の中心は真の父母です。エデンの園で、真の父母と一緒に暮らせる家庭を築くことができませんでした。皆さんが、それを復帰しなければなりません。そのようにしようとすれば、父母様の命令に絶対的に従わなければなりません。父母様の前で、皆さんの意見はあり得ません。皆さんに個人的な概念がなくなることによって、初めて真の父母の名前が皆さんの家庭に定着し始めるのです。そうでなければ、理想的な家庭を復帰できません。これは、先生の考えではなく、本然的なハナニムの創造概念です。
(277-250, 1996.4.18)


皆さんはこれから、真の父母と共に生きなければなりません。ですから真の父母は、おじいさんの立場であり、自分のお母さん、お父さんの立場であり、自分たちは長子の立場だというのです。3代にわたって共に生きるという結論、これが違うのです。ハナニムが私と共にあり、真の父母が私と共にあって、自分の父母が共にあるのを感じて生きなければなりません。ハナニムがいない、死んだというのは、考えられない時代に入りました。
(131-97, 1984.4.16)
人間は誰でも、心情的にハナニムと一つになるようになっています。ハナニムである父と、子である人間は、正に心情で結ばれています。
(55-163, 1972.5.7)
ハナニムを信じることができずに堕落したので、メシヤを信じて、ついていかなければなりません。ついていって何をするのでしょうか。愛の住みかを用意しなければなりません。簡単でしょう。それから新郎であるイエス様と実体的に一体化して、心情一体化しなければなりません。それで復帰しなければなりません。そうしてハナニムと真の父母と真の子女が対面する場、すなわちハナニムが初めに願われたその場が、この天地間に繰り広げられれば、そこから新しい天地が開かれるのです。
(15-263, 1965.10.17)
皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木するには、皆さん自体に残っている蕩減路程をみな清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通じて清算されなければなりません。それで真の父母に接ぎ木されなければならないのです。アダムが真の父母になることができず、偽りの父母になったので、ハナニムは今まで、真の父母を探してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか「小羊の婚宴」とかというものも、みな父母を探すためのものです。
(24-203, 1969.8.10)
父母の愛を受けるには、何をしなければならないでしょうか。父母様が愛するすべてのものを愛さなければなりません。そうして、初めて愛されるのです。家庭でいえば、自分の親に愛されることを願うならば、その息子は親がもっているすべてのものを愛してから、愛されなければならないということを知らなければなりません。これをしないで愛されようという人は、泥棒どろぼうです。父母が貴く思うものを、すべて自分勝手に引き継いでは、愛されないのです。
(133-26, 1984.7.1)
皆さんは、真の父母の本当の息子、娘ですか。真の子女とは、何を中心としていうのですか。真の血統です。もちろん真の愛を通じて因縁をもちますが、成されるのは真の血統を通じて連結したということです。真の血統を通じて連結されたものは、お母さん、お父さんに似るのです。皆さんは、先生に似ていますか。皆さんの目は青く、私は黒く、髪の毛も違うではありませんか。髪の毛がみな白いではありませんか。私は東洋人で、顔が平らです。似るのは、一番の骨子だけが似ます。骨子だけが似ますが、どういうふうに似るかといえば、サタンに勝つこととハナニムを絶対に愛することだけ似ます。それだけ似るというのです。そうして、サタンを主管し、コントロールするというのです。
(170-237, 1987.11.21)


皆さんが先生を、どれだけ愛さなければならないでしょうか。根本問題に戻ります。サタン世界の愛の痕跡こんせきがある、その愛に染まったところで愛してはいけません。それ以上でなければなりません。皆さんがサタン世界で生まれたお母さん、お父さんと妻子、その誰よりも愛さなければなりません。
それで聖書で、「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ10:37)と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そうしながら、あとでは、「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」(同10:38)と言いました。十字架を背負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架でしょう。ここで、悲痛な涙を流さなければなりません。
(178-97, 1988.6.1)
今日、堕落した人間は、すべてのものを否定し、全体を否定する中で、愛の芽を育てなければなりません。そのような論理が必要になっています。全体を否定して、ただ主体の愛をもったハナニムを中心とした、愛を中心とした絶対基準を発見しなさいというのです。
(109-146, 1980.11.1)
一切を父母と共にかかわり、父母と共に決定し、父母と共に話し合い、父母と共に解決しなければなりません。
(44-175, 1971.5.6)

 

 

② 性の絶対的な価値観確立

男性、女性の愛の象徴とは何でしょうか。愛の終着地点とはどこでしょうか。男女を一体とならしめる性器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさる通路になるのです。
(132-146, 1984.5.31)
男性と女性は、何が互いに違いますか。性器官(Sexual organ)を含むその体がまず違います。それでは、男性の性器官は、誰に絶対に必要ですか。男性の性器官は、女性のためにあるのです。
人間の性器官が一つは凹で一つは凸ですが、なぜそのようになっていますか。二つともとがるようにするとか、二つとも平らにすることもできるのに、なぜそのように違うのですか。みな相手のためです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。絶対に女性のものが男性のもので、男性のものが女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することにより、愛を知るというのです。
(299-119, 1999.2.7)
生殖器とは、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、永遠に変わらない天の伝統を受け継ぐ血族を、血統を受け継ぐ王宮です。まことの生命の王宮、真の愛の王宮、真の血統の王宮だというのです。その王宮は最も貴いところです。自分勝手にできません。ハナニムの公認がなければ、開けることができません。ハナニムと宇宙の公認を受けた自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。
(216-207, 1991.3.31)


男性と女性が、凹と凸が一つになるのは、ハナニムが完成し、半分の女性、半分の男性が完成する場です。凹と凸が結婚して初愛の関係を結ぶその場で、ハナニムの愛的理想が完成する定着地が展開するのです。男性と女性の愛を中心としたハナニムの相対的位置としての完成の位置が決定するのです。
これは宇宙の核です。これが動けば、すべての宇宙が行ったり来たりします。地上天国の本拠地であり、天上天国の本拠地なのです。ここは愛の本然地なので、「愛の本宮」と言います。多くの王宮の中で、中心の宮を「本宮」と言います。ここが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、その次には、天上天国と地上天国の出発地であり、人間が願っている自由と幸福と平和がここから始まるのです。
そこは、愛、生命、血統、すべてのものの王宮であり、個人、家庭、宗族、民族が、そこから連結されます。天上天国と地上天国の本然地、出発地だということを知らなければなりません。その次は、自由と幸福と平和の起源地です。女性に男性がいなければ絶対暗黒であり、男性に女性がいなければ絶対暗黒です。
(261-173, 1994.6.9)
平和の基地もそうで、地上天国と天上天国、すべてのものが愛から始まります。何の愛ですか。男性の愛ですか、女性の愛ですか、男性、女性が合わさった愛ですか。合わさった愛です。その男女の愛はどこで合わせますか。顔で合わせますか、指先で合わせますか。凹凸で合わせるのです。
(263-52, 1994.8.16)
男性が崇拝できる最高の場所とはどこでしょうか。女性の顔ですか。女性の胸ですか。女性の体ですか。どこですか。凹と凸を合わせられる所は一つしかありません。そのために、予備的環境が、社会が連結され、国家が連結され、世界が連結されて、地上・天上天国、宇宙がみな連結されます。これが存在世界の鉄則であり、公式です。
(262-55, 1994.7.23)
男性完成、女性完成、ハナニムまで完成させ得る、その本拠地とはどこでしょうか。どこでハナニムの愛を完成させることができ、どこで男性、女性を完成させることができるのでしょうか。その中心の定着地とはどこでしょうか。これが問題です。これを知らなければ、地上に愛の理想天国を拡張、拡大することはできません。それは目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか。どこですか。凹凸です。
(261-167, 1994.6.9)
生殖器というものは何ですか。それは真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。一番貴いものです。これがなければ、ハナニムの理想、ハナニムの家庭、ハナニムのみ旨が成されないのです。これは、全体完成をなすことのできる一つの起源です。
(216-218, 1991.4.1)


女性の生殖器は、宇宙的な本源です。愛の関係を結ぶその場が、愛の本宮になっています。本然の宮中です。愛は、そこから始まるのです。結婚した初夜の愛が、愛の本宮の出発です。女性の生命、男性の生命が、初めて一つになるのです。ですから理想的な生命の本宮がそこであり、血統がそこから始まるために、血統の本宮がそこなのです。
そして天国がそこから始まるために、そこが地上天国の本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、ハナニム完成の本宮です。
(257-324, 1994.3.16)
生殖器は、愛の王宮です。今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるもの、そのように貴いのが人間の生殖器です。神聖なものです。それが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然のハナニムの観点から見れば、汚いものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、血統がここに連結されています。このように神聖なものをサタンが汚しました。
(218-176, 1991.7.28)
生殖器を絶対的に貴く思う世界になれば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。ハナニムが人間を創造なさるとき、最も大切に精誠を尽くして創造された箇所とはどこでしょうか。目でしょうか。鼻でしょうか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。これらはすべて、死んでなくなります。事実がそうではありませんか。
(279-244, 1996.9.15)
私の生殖器は、愛の本宮です。私の生殖器は、生命の本宮であり、王宮だというのです。私の生殖器は、血統の王宮です。このようになってこそ、ハナニムが臨在できる王宮になれるのです。
ハナニムは王の王であられ、本宮を訪ねてとどまられるお方なので、ハナニムに仕えるために、愛の本宮にならなければならず、生命の本宮にならなければならず、血統の本宮にならなければならず、良心の本宮にならなければなりません。
(280-197, 1997.1.1)
愛が中心となって、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになる場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫よりハナニムよりも貴いということを知らなければなりません。子供より貴く、夫より貴く、父母より貴い場だというのです。それがなければ、父母も無価値なものであり、夫婦も無価値なものであり、息子、娘も無価値なものです。そのように貴いので、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、じょうをかけておくのです。


そしてそのかぎは、男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、各々一つしかありません。一つの鍵だけをもたなければなりません。フリーセックスのように、10も、20ももちたいですか。門を開けて、主人がいない家のように、過ぎゆく人がみな出たり入ったりする廃虚の家のようになりたいですか。
(280-199, 1997.1.1)
男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれに取りすがって生き、今後生まれてくる息子、娘もみなそれに取りすがって生きるでしょう。それに取りすがらないで生きる女性、男性がいるでしょうか。ところが、それが何ゆえ悪いものになりましたか。「下品な言葉」と言うでしょう。何ゆえ下品な言葉ですか。聖なる言葉です。聖なる言葉として受け入れなければなりません。そこで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いものです。
(210-101, 1990.12.1)
女性、男性の貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性、女性の愛の秩序が、宇宙の根本だからです。
頭よりも、それがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源がありません。頭には真の血統の起源がありません。その起源は、どこにあるのでしょうか。生殖器です。それは間違いないでしょう。生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。
血統も同じです。人間の体だけでなく、人間世界と人類歴史を通じて、一番貴いところです。それがなければ、人類の繁殖は不可能です。
(203-104, 1990.6.17)
堕落した世界において、愛は最も危険なものになってしまいました。愛をよく管理できなければ、天下が崩れ、ひっくり返るのは、堕落したからです。愛が何ゆえ偽りで醜くなったのかよく分からなかった人間が、その愛を守り、保護しようとしてきたのは、真の愛が現れてくれることを希望する本能のためでした。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-346)
堕落することにより、男女の生殖器が、この妖邪ようじゃな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮となり、天道を破綻はたんさせた魔物のつぼとなったために、悪いものになりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。
(197-175, 1990.1.13)
愛の王宮とはどこですか。こういう話をするからといって、変に考えないでください。それを正すことができなければ、世の中がみな狂うのです。標準が合わなければ、全天下に妖邪なものが横行します。ムン総裁がこれまで苦心して、人間の根本問題、宇宙の根本を究明してみると、行き着いたところが生殖器でした。生殖器に行き着いて、よくよく考えてみると、天地の調和がここで渦巻いていたのです。驚くべき事実です。
(197-24, 1990.1.7)


真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性がなく、個々人の愛の自由だけを主張して実践するならば、どんなに大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成す人間の完成は、愛に対する責任性をもつとき、可能なのです。
(277-200, 1996.4.16)
人間は、愛の自由を下さったハナニムに感謝しながら自己修養、自己主管によって、自由の主体となる責任性をもたなければなりません。人において愛の責任性は、法や人目を気にすることによって守られるのではなく、ハナニムとの生命的、縦的関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるのです。
(277-200, 1996.4.16)
生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば、地獄行きであり、反対にこれをハナニムの絶対愛の基準に合わせて使えば、天国の高い所に行くのです。明白な結論です。
(279-256, 1996.9.15)
愛の器官をいい加減に扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、ハナニムの幸福の出発の起源が、そこで形成されるというのです。ハナニムの笑いの土台がそこから出発します。愛を見つけて、ハナニムが踊れる場が、その場です。その場を探していかなければなりません。それは正しいですか、違いますか。このように貴いものです。
(256-199, 1994.3.13)
人間が堕落するとき、愛ゆえに堕落したために、この性器が一番恐ろしいのです。宗教では、姦淫かんいんすることを一番恐ろしい罪として扱っています。アメリカのフリーセックスは、悪魔の地獄膨張主義ですか、天国膨張主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これはすべて滅亡するのです。
(261-302, 1994.7.24)
文総裁がすべての真理を探究し、霊界、肉界を探査し、すべての経典を探査しても、これは解決する道がありません。ハナニムがいらっしゃるでしょうか、いらっしゃらないでしょうか。ハナニムがいらっしゃるとすれば、世界をこのようにつくったハナニムを、そのままにしてはおきません。見極めるための談判闘争をしたのです。人間が生まれた根本原則とは何であり、何ゆえ生まれたのでしょうか。男性は女性のためです。それが全体の真理の中の、最高の真理です。女性の前に理想的な男性は、最高の真理です。宇宙全体を完成した理想の真理の本体だということを知らなければなりません。男性の前にそのような女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的な真理体です。
(267-230, 1995.1.8)
祝福を受けた血統を汚してはなりません。それを皆さんは、よく知らなければなりません。天国を受け継ぐことができ、相続することができる財産です。それは血族の文書、血族の権利証書と同じです。族譜と同じです。純潔をどのように守るかということです。
(263-62, 1994.8.16)


 

③ 理想的夫婦生活が重要

男性は、ハナニムの陽性的形状をもった存在であり、女性は、ハナニムの陰性的形状をもった存在です。夫婦は、天下を一つのふろしきに包んだようなものです。ゆえに夫婦は、ハナニムの理想的な愛の心情を感じることができます。
(13-67, 1963.10.17)
夫婦がハナニムを愛し、人類を愛する心の土台の上で、爆発するように愛し合うならば、その家庭によって、ハナニムが酔い、宇宙が酔えるようになります。その愛は、ハナニムのための愛であり、人類のための愛でないはずがありません。その愛の根は、どこにあるのでしょうか。自分にあるのではありません。ハナニムが愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。
(35-240, 1970.10.19)
結婚したならば、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結されるときは、垂直的概念が生じます。平面的な役事は、宇宙や天宙を収拾できません。垂直と水平が出合って、90度の角度を成すとき、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面に付けてもぴったり合うのです。地上の完成基準は、霊界のすべての完成へとつながります。
(230-259, 1992.5.8)
ハナニムの結婚式とは、アダム、エバの結婚式です。ですから地上天国と天上天国が同時に生じるのです。愛の巣から出発するのです。男性、女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国、天上天国出発の起源地です。三代王権を樹立しなければならないその基地がそこです。その場でなければ、愛の巣を成すことができません。
(263-57, 1994.8.16)
人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分散することを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、親子間の縦的な愛の関係とは違い、分散すれば既にその完全性が破壊されます。
夫婦間において絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。人間には、自分の相対に絶対に「ため」に尽くさなければならない愛の責任性があります。
(277-200, 1996.4.16)
男性と女性が祝福を受けて完全な愛を分かち合い、喜びを享受するとき、ハナニムの目には、地上に咲いた花のようだというのです。また彼らの愛によって成されるすべての調和万象は、ハナニムには香気のようなものです。ハナニムは、このような美しい香りの中で暮らしたくて訪ねてこられるというのです。ハナニムの愛が訪ねてこれる根拠地が、まさしく夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場となるでしょう。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-645)


ハナニムの愛が人間の三大愛を中心として共に花咲ける家庭を成すことが世界の願いであり、人類の願いであり、未来の願いだというのです。これが初めて天地の法度の前に歴史の香りを漂わせることができ、新しい花として登場できる貴く美しいものが、夫婦の愛だということを知らなければなりません。
(35-241, 1970.10.19)
男性と女性の愛の完成が宇宙の完成です。この愛が壊れる日には、宇宙の秩序が破壊され、縦的な世界がみなつぶれるようになります。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-545)
心情的な愛によって結ばれた夫婦は、その愛情が生活圏に満ちあふれ、生涯を通じて満ちあふれ、ハナニムの目的と間違いなく一致したという家庭を成さなければなりません。そうでなくては、ハナニムがいらっしゃる天国へ帰ることはできません。
(35-180, 1970.10.13)
愛は永遠です。そのような愛は、二つではなく、一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で百年偕老かいろう(注:夫婦が仲むつまじく年を取ること)し、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つでも、一つとなって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、ハナニムと回るようになり、愛の四位よんい基台を成すので、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただまことの愛のみが臨在するようになるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-897)
人には常に刺激が必要です。幸福は、刺激なしには成されません。刺激がなければなりません。いつも食べる御飯も、食べるたびに、おなかがすいていてこそ味が新しいように、夫婦間の愛も同じように、常に新しくなければなりません。妻と夫がお互いに見れば見るほど、より一層共にいたいし、一日中、共に過ごしたいと思わなければなりません。そのために自分に対する研究をしなければならず、ハナニムに対する研究をしなければなりません。
(23-57, 1969.5.11)
理想的夫婦とは、どんな夫婦でしょうか。最高の芸術を実体で展開させられる夫婦、最高の文学を展開させられる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦がやり取りする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければなりません。
(22-270, 1969.5.4)
結婚して夫婦が真の愛を行う場は、ハナニムと人間の愛と、生命と、血統の根源の王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成して、ハナニムに仕えて生きる家庭になり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分の男性、女性たちは一体となって、ハナニムの相対としてハナニムの理想愛を完成させるようになるのです。
(259-45, 1994.3.27)


赤ちゃんを生む場は、ハナニムの上弦世界を占領するのです。ハナニムの立場に上がることによって、子女を愛することにより、ハナニムが創造以後、人間をどれくらい愛したのかという内縁を体恤たいじゅつさせるのです。
(224-28, 1991.11.21)
皆さん、愛するのをハナニムが見るでしょうか、見ないでしょうか。天下時空を超越するハナニムが、この世界の50億人類が愛する夜になると、目をつぶるでしょうか、つぶらないでしょうか。見ているなら気分はどうでしょうか。良い妻、良い夫がどれほど多いですか。考えてみてください。ありとあらゆることがみな展開されるでしょう。やむを得ず女性としての役割を果たし、やむを得ず引っ張られていき、やむを得ず機嫌を取って、そのように生きるのではありません。それが愛ですか。それが人生ですか。世の中が、すべてハナニムの願っていた創造理想どおり、花の香りが漂うエデンの園のように、ちょうはちが思いのままに飛び交い、天地に和動しながら生き得る環境となり、ハナニムがそこに酔い、眠ることができるなら、どんなにいいでしょうか。それを考えたことがありますか。一度そのように生きてみてください。
(222-252, 1991.11.3)
夫婦の愛を通じて一つになることによって、ハナニムのような立場で、創造の能力を成したのが子女です。
(52-319, 1972.2.3)

 

 

④ 祝福は理想家庭完成にある

人間に対するハナニムのみ旨は、創造目的を完成して創造理想を実現することです。創造理想の実現は、男女が結婚して愛によって一つになることで終わるのではありません。そのようになったのちは、息子、娘をもたなければなりません。何ゆえそうなのかといえば、天地の道理は上下、前後の関係が連結されることだからです。きのうがあればきょうがあり、きょうがあればあすがあるのです。連結されなければなりません。ですから夫婦だけでは、きょうはあっても、あすはありません。あすがなければ、すべてのものが終わるのです。それで天地の道理は、上下が連なってこそ左右になります。
(85-178, 1976.3.3)
人間の始祖を通じたハナニムの理想は、男性と女性が結合して、理想的な家庭を成すことでした。理想的な家庭の中心は、男性でもなく、女性でもありません。家庭とは、父母と子女、夫婦の結合によって成された一つの束なのですが、その結ばれた中心が、正にハナニムの愛です。ハナニムの愛を中心として、家庭を完成させることがハナニムのみ旨だという結論が出てきます。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-301)
家庭は、ハナニムの理想が顕現する基点であり、人類の幸福の顕現の基点となるのです。人間としての仕事がみな終わる場であり、ハナニムもすべての物事の完成を見る場です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-934)
家庭がなぜいいのですか。それは、父母の愛を中心として自由に活動する基地になるからです。
(99-305, 1978.10.1)
家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうしてこそ、その家庭が幸福の土台になるのです。ハナニムが人類を訪ねてこられる目的も、ハナニムご自身の幸福を模索するためのものであるに違いありません。ゆえにハナニムご自身が幸福の土台を訪ねてこられるのに、人間を離れた所では、そのような理想はあり得ないというのです。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭で情緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同じように、ハナニムもやはりそういう立場で幸福を感じようとされるのです。
(32-198, 1970.7.15)


ハナニムを中心として一つになるとき、千態万状に回るようになるのです。したがって、兄弟間で愛するのも、父母が子供を愛するのを見習い、兄は弟を愛さなければなりません。そのように愛して、一元化した家庭は、家庭愛を花咲かせることができます。これがまた、社会愛にもなり得ます。さらには、民族愛になり、世界愛になるのです。ところが今日、これが漠然としているというのです。
(28-170, 1970.1.11)
まことの家庭は、自分のお母さんのように妻を愛して「ため」に生き、自分のお父さんのように夫のために尽くして愛し、兄妹のように愛し合う所です。その次は、ハナニムのように自分の妻を愛し、ハナニムのように自分の夫を愛して尊敬する世界が、理想家庭が暮らす天国です。このような伝統が、この地球上に立てられなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-920)
ハナニムを中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この3種類の愛があるのが理想的家庭です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-913)
人の一生において、最も重要な時はいつかといえば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないでしょうか。正しく生まれなければなりません。私たち統一教会でいえば、心情の因縁を中心として生まれなければなりません。その次は、結婚する時です。結婚とは、生きるためにするものです。
すなわち、四位よんい基台を成すためにするものです。これと同じ宇宙の公法を地球上に立ててこそ、ハナニムのみ旨が成され、人間の願いが成されるというのです。このような宇宙の法度が指向する内容を備え、その形態を備えるためのものが家庭です。
(24-230, 1969.8.17)
天国生活は、どこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏を離れたものではありません。ですから、皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てられる場が、正にこの家庭です。
(30-83, 1970.3.17)
父子関係の真の愛は縦的であり、夫婦関係の真の愛は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場であり、球形の真の愛の理想が願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点において、統一は成されるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、ハナニムを中心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり、中心になるのです。


したがって結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。
(259-42, 1994.3.27)
一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは、家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、または名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは、父母以外にないというのです。その次は、皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには、皆さんの子女になるでしょう。
事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で絶対的に必要なものです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-915)
ハナニムは、真の愛の本体なので、真の愛と連結すれば、すべてが同じ体になります。父母はハナニムの代身である生きているハナニムであり、夫と妻は互いに違う片方のハナニムであり、息子、娘はもう一つの小さなハナニムです。このように、真の愛を中心として3代が成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を築かなくては天国が成されません。
家庭とは宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように、宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。このような場合、ハナニムは、宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃるのです。
(298-306, 1999.1.17)
統一教会の「原理」でいう四位基台は、三大愛圏をいうのです。三代が一つの家で暮らしながら、愛によってむつまじく幸せなとき、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛し合うことはもちろんですが、子女たちに愛によって祈祷してあげ、精誠の心で世話をしてこそ、家庭がむつまじく、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき、完全な愛が成されます。いとこと、またいとこの兄弟たちまで愛によって一つになって、初めて愛の円形となり、完全になります。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-947)


理想的な愛は、家庭で成されます。しかしハナニムは、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また父母になることができませんでした。ゆえに、このようなことを成そうというのが、ハナニムのみ旨です。このようなところにこそ、愛がとどまるのです。このような愛が成されるところには、人々が世の中のすべてのものを捨てて、訪ねてくるのです。
(19-314, 1968.3.17)
ハナニムは、家庭の中心となるお方として、この世界はハナニムの国にならなければなりません。祝福家庭は、ハナニムの国を連結させられる家庭になるように努力する生活をしなければなりません。ハナニムの代わりに、「ため」に生きる生活をするところから、宗族が展開され、民族が展開され、国家が興って形成され、世界が形成されます。
それで家庭は、ハナニムを中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。先生を中心とした統一教会は、一つの宗族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色人種が合わさって単一民族を形成し、世界に誰よりも「ため」に尽くせる国家を形成することが、統一教会の目的です。それが、先生のしようとする目的であり、ハナニムが先生を通じて成就しようとする目的です。
(100-310, 1978.10.22)
統一教会では、天国は宗族圏内から成されると見るのです。おじいさんを中心として、父母と兄弟が一つになり、いとこと、またいとこまで一つに連結されるとき、完全な3代が成されます。このような宗族圏の愛が、地に立てられ、ハナニムと一つになるならば、すべての世界はハナニムと一致する愛の世界であり、天国になるのです。女性が嫁に行っても同じです。夫の祖父やしゅうとは、ハナニムの代わりの立場であり、夫の代わりの立場ですから、愛で侍らなければなりません。
また義理の弟や小姑こじゅうととも愛によってむつまじくなければなりません。こういう愛の関係が、社会へ拡大して、民族と国家、世界へ拡大するならば、この世界は罪悪と戦争の代わりに、平和と愛で満ちるでしょう。その世界が、正にハナニムの理想が実現された一つの天国であり、理想世界です。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-947)
この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着できる基地は、どこでしょうか。皆さんが生きている皆さんの家庭だというのです。したがって本来の家庭は、宇宙愛を掌握して宇宙の保護様相を体得しながら、宇宙愛圏を拡大させ、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行かなければならず、ひいては民族と国家を越えて、世界を愛する道へと行かなければなりません。
家庭を愛する人を「孝子」または「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人は何と言うのでしょうか。その人を正に「聖人」と言うのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-925)
ハナニムの愛圏の中で理想的な家庭を成し、宗族を成し、民族と国家を形成して、もっと拡大して、アダムの理想が実現する一つの理想的世界を成し遂げていたでしょう。木の根、幹、葉が一つの生命で連結されているように、愛を中心として上にはハナニムを父として侍り、下には万民を兄弟のように、一つの生命体、愛の生命体と化すようにして、ハナニムを中心とした永遠の理想世界を成さなければならないのが、正にハナニムのみ旨から見た世界観です。このような世界の人間たちには、救いが必要ではなく、メシヤも必要ありません。なぜかといえば、その世界に住む人間は、ハナニムの善の息子、娘だからです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-320)


この地球上にハナニムのみ旨が成されていたなら、アダムを中心とした単一文化圏が形成されていたでしょう。今日のように数多くの民族がそれぞれ文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心とした単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になっていたはずです。このようになっていたならば、文化、歴史、風習、言語、伝統などがみな統一されていたでしょう。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-320)
家庭とは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる代表的な広場です。そこで互いに信頼し合い、幸福な生活を営めば、全宇宙の中心が立つようになり、幸福を享受するようになるというのです。それが理想圏の始まりです。愛なくしては、何の存在の意味もありません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-925)
統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭で、結論も家庭です。まだこのような問題を解決した人がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるので、これを体系化させ、天宙化させて、無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。したがってこの主義を嫌う人々がなく、みな頭を下げて好きになれば、世界は自動的に統一されるのです。
(26-103, 1969.10.18)
これから先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないと感じています。しかし、復帰の路程を歩むべき人たちは、「原理」を中心として教えてくれる人がいるので、その人たちを通じて教えを受けなければなりません。先生が直接そのような問題に責任を負う時代は過ぎました。家庭一つ一つを中心として、再び収拾しなければなりません。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を中心にするというのです。個人を中心にしてきたものを、家庭を中心にするということです。
(22-334, 1969.5.11)


 

第2章 真の父母と祝福の歴史

   

1) 真の父母と第三選民圏

 

① 祝福家庭は真の父母の新しい宗族圏

先生の家庭を中心として結合した祝福家庭は、新しい宗族です。これが日に日に発展していくと、新しい民族になります。そこから少し発展すると、国家・世界圏を成すようになります。すなわち、新しい民族、第3イスラエル民族が形成されるのです。日本人であっても、今までの日本の歴史過程に現れた先祖から血統を受け継いだ子女ではなく、新しくハナニムによる血統圏を受けた子女になれるようにするのが統一教会です。
(22-197, 1969.2.2)
霊的な第1、第2イスラエルを連結して、第3イスラエル圏を地上に成さなければなりません。そのために再臨主は、第1イスラエルの代わりの第1家庭(アダム家庭)と、第2イスラエルの代わりの第2家庭(ノア家庭)と、第3イスラエルの代わりの第3家庭(ヤコブ家庭)を探し出して立てなければなりません。それで36家庭は、人類の先祖とならなければなりません。
(19-317, 1968.3.29)
これから統一教会を中心として第3イスラエルの民になるためには、祝福を受けなければなりません。その昔、アブラハムの時代には、イスラエルの民になるためには割礼をしなければなりませんでした。また、イエス様の時代には、洗礼を受けなければなりませんでした。同じなのです。統一教会では、祝福を受けなければ第3イスラエルの民になれません。しかし、祝福を受けるための条件は簡単ではありません。
先生もその条件ゆえに、今までの40年の生涯を捧げてきました。それゆえに、一生をみな捧げてきたのです。
(19-172, 1968.1.1)
祝福家庭の版図が広がるというのはどういうことかといえば、ハナニムを中心とした主流の家庭圏が拡大されたということであり、ハナニムの宗族が形成されたということです。このように真の父母の因縁と天倫の内的な心情を受けた家庭が生まれて横的に拡大されたのは、ハナニムを中心として宗族が形成されたということであり、民族、国家が形成されたということです。さらに、一国家の形成で終わるのではなく、ハナニムを中心として世界を形成することなのです。
(100-267, 1978.10.22)
本来、統一教会の祝福家庭は、一国家の形成を目標として始めたものではありません。ハナニムを中心として善の世界を目標として出発したものです。ですから、統一教会の祝福家庭は、全民族的であり、全国家的なのです。ハナニムのみ旨を中心として出発したので、皆さんの家庭がたとえたった一つの家庭であり、皆さんがキムなにがし、パクなにがしという個人だとしても、統一教会の祝福家庭は、個人のみを代表とした家庭ではありません。全世界の人類を代表した家庭です。言い換えれば、国家を超越し、民族を超越し、宗族を超越し、全体を代表した家庭だというのです。
(100-267, 1978.10.22)


統一教会は、他人同士が集まって新しい家庭を形成し、今までの宗族観を超越した新しい宗族を形成しなければなりません。また、様々な宗族を合わせて単一民族を形成しなければならず、様々な民族を合わせて自分の民族を愛する以上に愛せなければなりません。これが統一教会統一教会員が行く道です。
(113-135, 1981.5.1)
祝福の基点の上に現れた責任者、すなわち中心存在は、その時代という制限された環境のみに処している存在ではありません。世界史的な内容をもった中心人物だというのです。ですから祝福は、夫婦の因縁をもつことだけで終わるのではありません。その祝福によって新しい家庭を形成しなければならず、新しい宗族、新しい民族、新しい国家が形成されなければなりません。そのすべてのものがここから出発しなければならないのです。
このような観点から見る時に、1960年代から新しい歴史時代に入ったということを知らなければなりません。新しい歴史時代に入ることにより、新しい宗族がここに顕現し、新しい国家、新しい世界の形成がここに現れるようになるのです。今まで統一教会では、このような基点を中心として祝福行事を挙行してきたのです。
(30-168, 1970.3.22)

 

② 祝福家庭を通した第3イスラエル圏の編成

ハナニムの側では祝福家庭を誕生させることにより、新しいイスラエル圏を編成しなければなりません。それで1960年からはハナニムの側の運勢が高まるのです。そこから家庭・宗族・民族時代を経て、世界時代に向かうのです。
ヤコブのような先生が家庭を中心として、エサウのような皆さんと一つになって宗族と民族を編成しなければなりません。
(81-109, 1975.12.1)
第3イスラエルの先祖にならなければならない「終りの日」に処した皆さんは、最後のみことばはハナニムの愛のみ言だということを知らなければなりません。ハナニムの愛に基づいたみ言です。ハナニムのみ言の見える実体にならなければなりません。ハナニムの内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければなりません。
(3-331, 1958.2.2)
皆さんは、ハナニムのみ言を繁殖させ得る第二創造主の使命を果たさなければなりません。すなわち、み言の繁殖体にならなければならず、生命の繁殖体にならなければならず、実体の繁殖体にならなければなりません。


そして愛を中心として一つになってこそ、ハナニムに永遠に侍ることができるのです。このような基準が第3イスラエルの基準です。このようにしてこそ、み言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植えつけることができるのです。ハナニムに侍り、み言を読んで感じることができるみ言の実体、生命の実体、6000年の心情に代わった実体になり、第2イスラエルを再創造する使命を完遂しなければなりません。そうしてこそ、ハナニムの内的な心情が完全に通じた息子、娘になることができ、そのようなハナニムのまことの子女になってこそ、ハナニムの愛を中心とした永遠なる栄光の中に生きることができる、ということを心に刻まなければなりません。
(3-331, 1958.2.2)
第3イスラエルは、悲しみから復活した民族です。喜びの場から復活したのではなく、悲しみの場から復活したのです。悲しみの世界でサタンを屈服した、ということが違うのです。前にも媒島ヨンメド事件のことを話しましたが、そのようにするのは難しいことなのです。
しかし避難の道をたどる時も、この3000万の民族の中で最も困難な避難の道をたどろうと心に決めました。そして「死ぬ時までこの道をたどる! 私の脈拍が止まる時まで行く! まだ息をしているのだから行かなければならない!」という決心をして行ったのです。
(26-16, 1969.10.14)
世界が一つの心情によって一つの形態をもち、天の心情とイエス様の血と肉を通して歴史が流れてきたのですが、今日この実を結び得る一つの実体が皆さん自身であることを知らなければなりません。皆さんは、イエス・キリストの悔しい心情と脈打つ心臓を所有する相対者になってこそ、第3イスラエルとして残れることを知らなければなりません。
エス様がそのような心情を抱いて祭物になられ、第2イスラエルをつくったので、今日私たちがこのような覚悟をしてこそ、第3イスラエルの先祖になることができます。また、地上天国、すなわちエデンの園の本然の子女になることができるのです。
(3-313, 1958.1.26)
統一教会の祝福家庭は、その昔、イスラエルを中心としてユダヤ教を通してメシヤを待ち望んだ立場ではなく、メシヤに出会って新しい宗族編成をした1段階さらに前進した立場に立っているのです。
(35-299, 1970.10.30)
韓国を見た時、ハナニムを不信する人たちは第1イスラエルで、既成教会は第2イスラエル統一教会は第3イスラエルに該当します。そして、サタンがこの摂理の中心を攻撃するのです。
(19-268, 1968.2.20)

 

③ 第3イスラエルの入籍は祝福によって

アブラハムは祭物によってイスラエルを形成しましたが、統一教会では祝福によってイスラエルを形成するのです。それで第3イスラエルの入籍は、祝福によってのみ可能なのです。
(158-258, 1967.12.29)


統一教会は、アダムとイエス様がサタンに侵入されて立てることのできなかった、その絶対基準を立ててきました。聖婚式は1960年、先生の家庭を中心として始まりました。そののちには、家庭圏編成を超えて宗族圏を編成しなければなりません。宗族圏を成すためには、イエス様を中心として弟子たちが一つになった立場に立たなければなりません。イエス様が弟子たちと相対基準を結んで家庭を築いたなら、その弟子たちも相対基準を結んで家庭を築かなければなりません。そうして、ユダヤ教内で新しい宗族圏を編成するのです。
(55-147, 1972.5.7)
エス様が聖婚式を挙げるなら、12弟子が聖婚式を挙げない立場で、まずイエス様の家庭と完全に一つにならなければなりません。その次に、イエス様の家庭を中心として祝福を受け、霊肉共にサタンが侵入できない勝利圏をつくらなければなりません。祝福を受けて新しく編成された宗族というのは、堕落によって復帰された養子圏とは全く違います。それは、初めてハナニムの息子から始まった宗族圏が出現することを意味するのです。
(55-147, 1972.5.7)
キリスト教が霊と肉を中心として完全な立場に立つことができなかったので、すなわち肉的基準を除いた霊的基準だけを中心として第2イスラエル圏を成したので、私たちが肉的基準までも成さなければならないのです。この肉的基準を成す日が再臨の日なのです。この1日を願ってきたキリスト教徒たちは、第2イスラエルの霊的基準の上で再び来られる主に出会い、第3イスラエルの世界的な選民圏を成さなければなりません。
(16-223, 1966.6.19)
エス様は、霊的には勝利されましたが、地上にイスラエル圏を成し得なかったので、霊界のイスラエル圏を立てることも、個人から始まるのです。
(19-317, 1968.3.29)
今日、全世界を見る時、2000年前の国家のように腐敗しつつあります。このような国の中からイスラエルの立場の国家として韓国を、またローマの立場の国家としてアメリカを立てて摂理をしていらっしゃるのです。この二つの国家さえ一つになれば、世界を一つにし得る基盤が成されるのです。霊的なキリスト教の世界的基盤の上に、共産世界を吸収して地上天国を完成するのです。
ですから再臨主には、共産世界と民主世界を一つにしなければならない責任があります。では今、どこまで来たのかといえば、既に世界的基盤を越えたというのです。統一教会は、個人、家庭、宗族、民族、国家、世界の完成基盤をつくり終えたのです。ですから五色の人種が一つの家族になっているのです。第3イスラエル民族は、世界的な国の基盤の上に霊界と肉界を中心とした天の国をもち得る民族なのです。それで私たちは、新しい第3イスラエル民族になっているというのです。
(92-202, 1977.4.10)


第3イスラエルは、ハナニムの心情を相続した群れです。再臨主によって心情的実体基台が世界的に拡大されなければならず、その基台を通して蕩減とうげん復帰していかなければなりません。そして復帰した家庭の基準をつくらなければなりません。
(55-146, 1972.5.7)
エス様は、人類のまことの父母になられるはずのお方でした。それで、真の父母として来られたイエス様がサタンに侵害されたことは、真の父母によって生まれ変わらなければならない全人類がサタンに侵害されたことになるのです。父母が侵害されたので、父母から生まれたすべての子孫たちは、その父母の基準を凌駕りょうがすることはできません。それでハナニムとみ旨のみを思って出発できなくなった人間は、イエス様の十字架のもとに集まるようになり、それが今、世界的に広がって信仰しているキリスト教徒たちなのです。
(55-146, 1972.5.7)

 

2) 祝福家庭の歴史

 

① 36、72、124家庭の歴史

天の歴史は、宗族での民族編成運動なので、統一教会の先生を中心として1960年代の聖婚式、すなわち祝福のあとから本格的な宗族編成が展開するのです。それが36家庭から72家庭です。36家庭は、イスラエルの民族歴史、ユダヤ教の歴史の中において、先祖たちをもう一度探し出したものです。先祖の代表を立てたものなのです。そのような蘇生そせい基盤が展開されたその基盤の上に、72家庭があるのです。
それでは72家庭とは何でしょうか。36家庭の2倍なのですが、祝福家庭があると、いつもカイン家庭とアベル家庭の闘いが問題になるのです。ですから父母の家庭を中心として、息子の家庭である長子の家庭と次子の家庭が一つになれませんでした。常にカインがアベルを打つ立場にあるので、一つになれなかったのです。それで象徴的な面で蕩減とうげん条件を立て得る家庭として合わせたのが、72家庭だということができます。
(110-120, 1980.11.10)
横的に見ると72家庭は、イエス様の時代における12使徒の次の立場の72門徒を代表とした家庭なのです。これは今日、私たちの時代においての36家庭を中心として見るとき、すべての家庭の前にアダム家庭のカイン、アベル家庭に該当します。今まで、その時代に影響を与えてきたすべての先祖たちが摂理の中で、カイン、アベルを一つにするのに失敗しました。そのカイン、アベルを一つにする基盤を形成し得なかったので、堕落の世界は延長してきました。そして36家庭を中心として72家庭型をつくり、カイン家庭とアベル家庭を連結させて、一つの先祖の家庭をつくるのです。
(110-120, 1980.11.10)


120門徒とは何でしょうか。イエス様が昇天したのちにできた120門徒。12使徒が一つの宗族的基準だといえば、72門徒は民族的基準であり、120門徒は世界的国家に代わる基準です。このようなすべてのものを再び蕩減復帰して、来られる主が解怨かいおん成就しなければ、世界の生きる道がありません。それで36家庭を立てて72家庭を立て、これが一つになることによって、民族的中心を確定できるのです。
(110-120, 1980.11.10)
36家庭は、アダムからアブラハムまで2000年間の先祖たちに代わる家庭です。ですから36家庭の前にはカイン、アベルがなければなりません。この立場に立てられた家庭が72家庭です。また、12数を中心とした、全体数のために立てられた家庭が120家庭です。124家庭のうち4家庭は、この世で既に結婚していた家庭を立てました。これは堕落した人間の立場を復帰することであり、イエス様が歴史の中で探し出そうとした家庭を復帰することを意味するのです。
(17-216, 1967.1.1)
先生は、先生の家庭を中心として3家庭を祝福し、3家庭を中心とした12家庭を中心として36家庭、72家庭、120家庭を祝福しました。これは、先生が世界史的な闘争を経て祝福したものです。これは、イエス様を中心とした3弟子と12弟子、70門徒、120門徒と同じです。イエス様がハナニムの息子の立場で父の代わりに勝利的責任者になったのと同じように、皆さんも息子の立場で責任を果たさなければなりません。
(22-163, 1969.2.2)
これから問題になるのは祝福家庭です。3人の息子は、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭に代わる家庭です。36家庭というのは、どのような家庭でしょうか。歴史的に提示されたすべの蕩減条件を果たさなければならない代表的な家庭です。このようになるのです。
結局、36家庭とは、歴史上の各時代においてすべての家庭がみ旨を成し得なかったので、家庭の形態を成せずに受け継がれてきたすべての歴史的な蕩減条件に対して、この時代に地上で予防線として張るための家庭です。言い換えれば、歴史的に受け継がれてきた蕩減条件を防ぎ得る代表的な家庭が36家庭です。
それでは72家庭と120家庭とは、どのような家庭でしょうか。36家庭は歴史的な代表の家庭なので、過去からつづられてきたものの代わりになる家庭です。この家庭を中心として現実的な基盤として立てられたのが、72家庭と120家庭です。過去から願ってきた家庭的な蕩減条件を防ぎ得る家庭が36家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぎ得る家庭が72家庭と120家庭です。72家庭は宗族と民族を代表した家庭であり、120家庭は世界を代表した家庭です。そのようになるのです。
(28-60, 1970.1.3)
国家、民族を代表する立場で、生死の岐路、生死が隣接する境地において、最後の決戦を果たすべき息詰まった過程を経ていくのです。皆さんも御存じのように、1960年を中心として、先生の聖婚式を中心として、36家庭から72家庭、120家庭へと、ずっと発展してきたのです。


36家庭を選ぶためには3家庭を中心とし、続いて12家庭を中心とした3時代型、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代型を代表に全体を連結させたのです。12数というのは横的基盤のみではいけないのです。縦的な立場において霊界と連結させる基盤をつくらなければならないので、36家庭を中心として、それを一つの先祖が再臨した基盤として、72家庭、120家庭に連結されたのです。72家庭とは、氏族から民族を編成して天を代表し得る中心者を選んで立てたということなのです。
(100-171, 1978.10.14)
モーセが72長老を中心として民族的な指導基盤をつくったのと同じように、統一教会においても氏族圏から民族圏に発展しなければならないというのです。それは家庭です。どこまでも家庭を中心として天が役事するというのです。ですから統一教会合同結婚式は、ある個人の結婚問題を解決するためのものではありません。
祝福家庭は、今まで歴史時代に数多くの先祖たちと民族、国家が天と相克してきたものを打ち破るために、一つの時に、一つの群れとなり、時代的な一つのチームの使命的負担を担わなければならないのです。120家庭であれば120家庭が一つのチームになり、430家庭であれば430家庭が一つのチームにならなければならないのです。歴史的なすべての結婚を中心として成された家庭の失敗を蕩減して、一つの中心的な復活家庭として登場させたのが、合同結婚式をした家庭だということを知らなければなりません。
(100-171, 1978.10.14)
先祖を中心としてカイン、アベルが一つになったなら復帰されていたでしょう。その復帰の目的は、国家のみではありません。世界です。国家のみの復帰ではいけないのです。世界が復帰されなければならないのです。イエス様が昇天され、五旬節の日が来た時に屋根裏部屋に集まった120人の門徒とは、世界的国家代表だというのです。民族を中心としては72家庭まで基盤ができれば、それが一つの中心になり、世界的な国家形態が成されます。これは12支派を中心とし、72門徒を中心として国家の中心になることはできても、世界の中心にはなれないのです。
(84-144, 1976.2.22)
民族を中心とした72家庭の基盤の上に、世界の代表120国家を糾合したならばイエス様がこの地上でみ旨を成し得たというのが摂理観なので、これを蕩減復帰するのが統一教会の責任です。統一教会の責任であると同時に、統一教会の祝福を受けた家庭の責任です。
では、この家庭はどうしなければならないのでしょうか。36家庭を中心とした72家庭、120家庭が完全に一つにならなければなりません。形で見るとどうなるかといえば、世界を代表したのが蘇生で、その次の72家庭が長成、その次に36家庭が完成です。これが先祖ですから、そのように見るのです。120家庭が終わることによって1965年に、先生が全世界に聖地を選定したのです。


なぜそうなったのかといえば、ハナニムのみ旨を中心として36家庭を探し出し、その次には72家庭を探し出して民族的中心にし、世界国家型の120家庭のような基盤をつくっておいたので、世界国家を管理しなければならないのです。そのようにできる時代に入るので、全世界40ヵ国に、120箇所の聖地を選定したのです。そうすることによって、ハナニムのみ旨の中で先祖が探し出され、その次には72家庭を中心としてカイン・アベル型が探し出され、世界代表者が探し出されたので、世界の国家の地を探し出さなければなりません。
そうすることによって、ハナニムの摂理時代に人を探し出し、地を探し出したので、世界的な時代へと越え始めたのです。このようなことが1965年に、聖地を選定したのちに起こったのです。
(84-144, 1976.2.22)
縦的な歴史を横的に蕩減する歴史を経てくるためには、蕩減復帰の基盤を築かなければならないので、36家庭と、72家庭と、120家庭を立てたのです。その中で36家庭は、縦的な先祖36代の縮小型です。その次に、1代下ったカイン・アベル型が72家庭です。そして120家庭は、世界の120ヵ国を代表した家庭です。国連加入国とぴったり合わなければならないのです。事実、そのようにぴったりと合っているのです。
(34-103, 1970.8.29)
36家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、72家庭はその先祖たちの息子、娘が復活した型であり、その次の120家庭は世界の人たちが復活した型です。ですから、これらが一つになれば結局、家庭と息子、娘が一つになって、世界が一つになります。それで120家庭までは、個人が責任をもたなければならないのです。
これからは皆さんも、先生のような考え方をしなければなりません。一つの世界を探し出すためには一つの国を立てなければならず、一つの国を探し出すためには一族、ムン氏であれば文氏の宗族を動員しなければなりません。宗族を動員してこの大韓民国の民族を救わなければならないのです。このような観点をしっかりともっていなければなりません。
(82-245, 1976.1.31)
再臨主は、アダム家庭の立場を蕩減復帰しなければなりません。したがってアダム・ノア・アブラハム型の家庭を探し立てて、先祖として立てなければならないのです。そのためには、まずアダム型の12家庭を立て、次にノア型の12家庭とアブラハム型の12家庭を立てて、縦的な先祖を立てなければならないのです。それで先生が36家庭を立てたのです。この先祖たちを中心としたカイン・アベル型の家庭として立てたのが72家庭です。そして120家庭は、世界120ヵ国の指導者を象徴しているのです。
(22-215, 1969.2.6)
120門徒は、世界を代表します。イエス様も120門徒を中心として世界的な出発をしようとしましたが、それができませんでした。私たちは、これ(120数)を備えなければなりません。世界を標準として行く道を前にして、橋を架けられる自分の子孫を段階的に立てなければならないのです。子孫を立てるときには、誰でもいいのではなくて、世界的な代表になり得る人を立てなければならないのです。これが何でしょうか。統一教会の36家庭、72家庭、124家庭の合同結婚式です。36家庭は12双の3倍であり、3時代を代表しているのです。
(34-262, 1970.9.13)


それでは、この36家庭の責任とは何でしょうか。今までの歴史的なすべての蕩減条件を防ぐことです。言い換えれば、サタンを完全に取り除ける、一つの完璧かんぺきな囲いにならなければならないのです。ですから家庭のすべての伝統と思想を、サタンとは完全に隔離されたものとして立てなければなりません。
この伝統を中心として、横的な因縁を72家庭と120家庭が立てていかなければなりません。このような立場で見るとき、36家庭の責任がどんなに重要であるかを皆さんは知らなければなりません。
(28-60, 1970.1.3)
36家庭と72家庭は、私たちの教会の中でしたものです。違うというのです。これは教会を中心とした、ユダヤ教を中心とした民族形成の基盤を築くのと同じなので、内的基盤を確保するのです。その次には、外的基盤を見ると、世界史的キリスト教文化圏をつなげ、124家庭を中心として世界基盤を拡大させていくことなのです。
124家庭が祝福を受ける時は、国連の加入国も124ヵ国にならなければならないのですが、これが間違いなくぴったりと合ったのです。これは、世界各国の代表である韓国において、内的蕩減要因を確立させる世界史的な条件を立てる、このような祝福だったというのです。
では、祝福とは何でしょうか。家庭を確保したのです。先生の家庭を中心とした3家庭、36家庭、72家庭、124家庭・・・。これによって世界的蕩減条件を形成したというのです。
(110-123, 1980.11.10)
今日の統一教会を中心として見るとき、1960年から3年間にわたって祝福を受けた36家庭、72家庭、124家庭は何をしなければならなかったのでしょうか。これらの家庭は、イエス様が生きていらっしゃった時に勝利できなかった外的な基準を中心とした、囲いの使命を完結しなければなりませんでした。そうして内外において世界を代表し、国家を代表し、または民族、宗族、家庭を代表し得るすべての蕩減内容を連結させて、一つの相対基準を接続させる責任を果たさなければならないのです。
このような囲いの使命を果たさなければならないのが、1960年から3年の間に祝福を受けた家庭の責任だ、ということを知らなければなりません。
(25-22, 1969.9.21)

 

② 430家庭は民族を代表したもの

聖地祝福ののちに、私たちは430家庭を祝福しました。それは、ユダヤ民族のエジプトでの430年に該当し、韓国歴史においての4300年に該当するのです。それは、新しい歴史の出発を意味しました。また、430家庭は、世界の家庭を代表しました。そののちに、先生が第二次世界巡回の時、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本で43双を祝福しました。それによって先生は、その43家庭を、世界的な次元で430家庭に連結させたのです。43家庭を430家庭と連結させることによって、先生は、韓国で成した勝利の基盤を再び世界に連結することができました。先生は、その基台を西洋の世界に連結することができたのです。


これらを成すことにより、統一教会食口シックだけではなく世界のすべての家庭は、その時に、天的な運勢が受けられる立場に入ることができたのです。それで門は、この地のすべての家庭に開かれているのです。
(52-131, 1971.12.26)
430家庭は、4300年の歴史とぴったり合うというのです。イスラエルが430年ぶりに4代を中心として(エジプトから)出てきたのと同じように、4300年ぶりに43数の地上基盤を経て出発し得る、新しい全体を代表とした国家、民族を天のみ旨の前に立てる土台を広げるための代表家庭が430家庭です。この43数、すなわち4と3を合わせて7数になり、これを掛けて12数になるのです。このような原則を通して430家庭を韓国で祝福したのです。
このようにして430年ぶりにイスラエルの解放が起こり、移動が起こったのと同じように、統一教会でも移動が起こるのです。ですから全羅道チョルラドの人は江原道カンウォンドに行き、江原道の人は全羅道に行って、みな混ぜて大移動をするのです。
(58-59, 1972.6.6)
4300年になる年に430双をこのように祝福したという事実は何かといえば、氏族的な、一つの系列の宗教の勝利的な基盤だけではいけないので、全氏族の前に共通する門を全部開放させるのです。
ですから氏も、これからはハナニムのみ旨の中では国家的な恵沢を受けることができ、世界的な恵沢を受けることができます。キム氏も、パク氏も、いかなる姓の氏族もみな、全体が福を受け得る基盤を築かなければならないので、その道を開門するのが430家庭です。
(84-146, 1976.2.22)
430家庭を私がつくってきたので、この大韓民国の国民であれば誰でも、ハナニムの摂理のみ旨の前に、横的にすべてが連結され得る運勢圏の中に入ったのです。ですから、大韓民国は滅びるはずがないのです。滅びてはいけないというのです。このような結論になるというのです。このような歴史時代に入ったのです。
(84-146, 1976.2.22)
ですから1968年を中心として、その時から世界的な時代です。私たちが1968年に「神の日」を設定したでしょう。「神の日」を設定したその年に、430家庭の祝福をしたのです。世界的時代だというのです。世界的に連結されているのです。それで先生がこの韓国に基点をつくったものを世界的に連結しなければならないので、1969年に初めて430双の代わりに43家庭を世界から取り出して祝福したのです。それはなぜでしょうか。韓国で築いた運勢を世界に連結するためです。
(84-146, 1976.2.22)


韓国という国は世界の代表国家なので、その国家にあるすべての宗族を超越しなければなりません。それはムン氏のみを中心としたものではありません。ここにはどんな姓であっても、すべての姓が天の前に自由に接し得る門を開けておかなければならないのです。
ですから統一教会合同結婚式というものは、ある個人の結婚問題を解決するためのものではありません。祝福家庭は、今まで歴史時代に多くの先祖と民族、国家が天と相克した内容を壊すために、一つの時に一つの群れとなって時代的な一つのチームの使命的分担を背負わなければならないのです。
36家庭が一つのチームになり、430家庭であれば430家庭が一つのチームにならなければならないのです。歴史的なすべての結婚を中心として成されてきた家庭の失敗を蕩減して、一つの中心的な復活家庭として登場させたのが合同結婚式をした家庭だということを知らなければなりません。
ですから、統一教会合同結婚式は、そのような意味をもっているのです。430家庭を中心とした世界的な連結体をつくることにより、統一教会は、平面的に世界民族圏として発展したのです。韓民族だけではないというのです。430双と43双を世界舞台に家庭的基台として連結させたということは、超民族的、超国家的基準において、新しい超民族形成の出発がなされたということなのです。そのように見るのです。
(100-171, 1978.10.14)
世界的基盤を築かなければならなかったので、430家庭を祝福したのちに10ヵ国の人たちが国際結婚をしました。ところで、ここから韓国が抜けてもいいでしょうか、いけないでしょうか。それでは、外国の女性たちが韓国の男性と出会うことは栄光でしょうか、そうでないでしょうか。外国の男性が韓国の女性と出会うことは栄光でしょうか、そうでないでしょうか。そうなれば、万民に栄光を与える国が良くなるでしょうか、ならないでしょうか。ですから男性たちは、栄光の妻になろうとする人と結婚するため、国家を超えて相対を迎えなければならず、また女性は、栄光の夫になろうとする人と結婚するために、国家を超えて相対を迎えなければなりません。
(26-201, 1969.10.25)
先生が430双を祝福したということは、世界的な次元の使命を遂行できる門が開かれたということを意味します。皆さんが世界的な次元でその目標を達成したならば、それは皆さんが宗族的な次元でメシヤになる立場にあることを意味します。祝福を受けた人として皆さんは、今、死んだイエス様の立場にいるのではありません。皆さんは祝福を受けたからです。


皆さんは、宗族を復帰するための再臨のイエスの立場にいます。430双と777双の祝福は、イエス様の基台を築くことに成功したということを意味します。
(52-193, 1971.12.29)
エス様が十字架で亡くなるとき、ユダヤ教イスラエルの国とローマが合同で反対しましたが、その時と同じような、危険の絶頂期である1960年に聖婚式を断行したのです。
そして36家庭を全部サタンから奪ってきたのです。このようにして36家庭から72家庭、120家庭、430家庭を中心として社会に物議を醸しながら、私たちが追い出されたのではなく、社会を押し出しながら大きくなってきたのです。
(161-72, 1987.1.2)

 

③ 777、1800、6000、6500家庭の歴史

私たちの合同結婚式の歴史がそうです。3家庭、次の36家庭、その次は72家庭、その次には124家庭、そして430家庭、43家庭、777家庭、その次は何でしょうか。1800家庭。最後は8数です。そのように進むのです。これは全世界的です。それで今は、世界のどんな民族でもすべてハナニムの祝福圏内に入り得るように開門する時代なのです。それでアメリカとドイツと日本を主体国として、みな祝福したのです。それで宣教師も、みなその国から引き抜いたのです。
そのような土台が築かれたので、これからは777家庭、これは3・7数なので最後ということなのですが、ハナニムの摂理圏内において最後だというのです。それで1970年に777家庭を祝福することによって初めて、どんな民族でもハナニムの摂理圏内に入ってこれるようになるのです。地上天国に入ろうとすれば相対理念を完成しなければならないのと同じように、どんな世界の民族、または氏族もこの全体圏内に入り得る恵沢を賦与するそのような代表的な式が、777家庭の祝福式だということを知らなければなりません。それで777家庭には、世界復帰のためにみなばらばらになって3年の動員がありました。日本の食口シックの場合には、5年間、聖別したのです。1970年から71、72、73、74年を経て、75年の6月10日に初めて同居するようにと先生が特別処置をしたのです。なぜそうしたのでしょうか。世界的基盤を築くためだったのです。
(84-148, 1976.2.22)
統一教会が、なぜ父母や兄弟から反対されなければならないのでしょうか。レバレンド・ムーンが行く道、統一教会が行く所には、なぜ反対があるのでしょうか。なぜ、そうでなければならないのかというのです。そうなるのがまことでしょうか、そうならないのが真でしょうか。
ですから天とサタン世界が分かれるというのです。このようにして韓国に基盤を築き、36家庭、72家庭、124家庭まで立て、430家庭、777家庭、1800家庭まで立てて、世界的に基盤を築いたのです。
(86-239, 1976.4.1)
その圏内で、皆さんが祝福を受けたのです。これを中心として民族基準を経て、世界基準の777家庭、1800家庭に連結したのです。777家庭は7数完成を意味します。全体の家族を中心として世界の国家において、蘇生そせい、長成、完成の3掛ける7は21、21段階の過程を経たすべてのアダムとエバの子孫たちは世界に広がっています。777家庭は、その圏内のすべてのものを代表できる家庭と見ることができます。ですから、世界的な21段階に連結させたのです。
(141-209, 1986.2.22)