八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 6-4

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1644-1679

【天啓の御言】(6-4)

 


そして、血統を通じて縦的に子孫が連結する位置がその場です。そのように縦的に引き継がれて、横的に数え切れないほど多くの民族が連結されるのです。それによって地上天国が形成されるというのです。そのような価値をもつのが生殖器です。どれほど重要ですか。
(269-129, 1995.4.9)
本然の人間の先祖が、どこから始まったのでしょうか。目ではなく、鼻ではなく、口ではなく、手でもありません。
どこからですか。その神聖なところとは、どこですか。皆さんの生殖器です。そうではありませんか。そこに血統が連結されているのです。それゆえに、救援するということは容易ではないのです。
(218-179, 1991.7.28)
るつぼという言葉があるでしょう? 溶鉱炉とは何ですか。男性と女性の血がるつぼで溶けて混ざる場所はどこですか。生殖器です。生命を載せる器を生殖器というのです。それは愛の本宮です。ハナニムの愛が芽生える出発の園であることを知らなければなりません。
(302-166, 1999.6.13)
皆さんの生殖器もそうです。「やあ、この生殖器を通して子供が創造される」、このことを考えてみましたか。重大な内容です。
(298-180, 1999.1.1)
生殖器は、生じるの「生」の字に、食事の「食」の字でも、植えるの「植」の字でも良いのです。生命を植える器だというのです。その次には、繁殖するの「殖」の字でもかまいません。生植器が生殖器だというのです。そのように解釈します。生命を植える器です。
(302-181, 1999.6.13)
創造主と被造物が何を中心として一つになるのですか。愛です。これを知らなければなりません。ですから、先ほど話した、ハナニムが愛をもって創造されたという答えが、どうして出てくるのでしょうか。生殖器を中心として創造されたという事実は、愛という表題を中心として創造されたという事実をあかすのです。
(193-163, 1989.10.3)
歴史上のすべての人が、それに従っていったのです。とてつもない力をもっています。文化や経済を超越します。堕落した世界でもそうならば、堕落以前の世界ではどうだったでしょうか。考えてみれば、それが最も貴いものです。それが宮殿です。宮殿の中でも本宮です。また生命の宮殿にもなり、血統の宮殿にもなるのです。この三宮殿の基礎が生殖器です。一番重要なところです。ハナニムもそれを訪ねてこられるのです。ハナニムがこの三大王宮を占領したならば、この世はハナニムの一族になっていたでしょう。
(243-275, 1993.1.28)
人間世界において、最も貴いものが愛の本性です。愛の根源地、生命の根源地、血統の根源地です。それがどこですか。堕落していなければ、これが神聖な至聖所です。男性の生殖器と女性の生殖器は、愛の根源的本宮です。このことを知らなければなりません。堕落したために汚れたものになったのであって、本来は生命の根源地であり、血統の根源地です。ところが、私たち全体の最も貴い根源地を破綻させてしまいました。これが、最も悪いものになりました。ですから、これをひっくり返して打ち込まなければなりません。
(209-230, 1990.11.29)


男性と女性にある生殖器官とは、愛の器官であり、生命の器官であり、歴史的血統の器官です。これが分からなかったというのです。それは、最も貴いものです。ハナニムと共に、私たちの模範的で理想的な先祖と共に、理想の国と共に、理想の文化と共に共存することができるものであるにもかかわらず、これをすべて世俗的な人本主義によって破綻させてしまったというのです。悪魔は、ハナニムがこのような国を取り戻しに来られることを知って、これを完全に破綻させるための計略の形態として成しておいたもの、それが現在のアメリカの世俗的人本主義だというのです。
それは動物的な世界です。生殖器とは何かというと、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、水遠に変わらない天の伝統を受け継ぎ、血統を受け継ぐ王宮だというのです。真の生命の王宮であり、真の愛の王宮であり、真の血統の王宮なのです。最も貴いところです。好き勝手にはできません。ハナニムの公認がなければ、開くことができないのです。ハナニムと宇宙に公認された自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。ところが、アメリカの愛は、そうですか。
(216-207, 1991.3.31)
ハナニムが理想とした本然の、アダム以降、堕落していないその生殖器が、真の愛を中心としてハナニムと共に一つになり、血統と生命を連結させるべき本拠地となって、本宮にならなければなりません。これは、本然の愛の王宮です。愛の本宮です。
(290-17, 1998.2.2)
統一教会の教主が性教主になった、という話が出てくるかもしれません。性というものが堕落していなければ、それが愛の本宮です。いつも王が定住できる、生活し得る本宮だというのです。愛の本宮であることを知らなければなりません。生殖器が本部であり、愛の宮殿だというのです。
(278-207, 1996.5.24)

 

② ハナニムの創造目的を完成させる器官

皆さんの生殖器は、愛のための器官です。いかなる独裁者が現れて、その愛の器官を革命したいと思っても、不可能だというのです。歴史上に数多くの変化がありましたが、生殖器だけは永遠に変わらないのです。全宇宙を与えても取り替えることができません。人間がそのようなコンセプトをもっていないということが問題になるのです。
人間のすべての諸問題は、男性と女性から発生します。男性と女性が完全に一つになれば、すぐに平和の世界が目の前に展開するのです。
(276-130, 1996.2.11)
人間において、生理学的に神経と血管が最も集中しているのが生殖器です。それゆえに、自分と同じ者を再創造することができる器官になるのです。最も苦労してつくったものです。それが肥おけになってしまっているのです。
(275-74, 1995.11.3)


ハナニムが創造される時、男性と女性の生殖器を中心として造られたのですが、そこには霊的な要素、肉身的な要素、血の要素、すべての要素が連結できる、連合器官になっているのです。皆さんの目の要素も、そこにすべてかかっているでしょう? 歯の要素も、すべて父母に似るでしょう? 似ないところがどこかありますか。心もすべて似ます。ですから、その器官にすべて集約して、すべての神経器官、血統器官全体がそこにかかっているというのです。それが根です。人間の根は、頭ではありません。根がそこにあるというのです。
(194-139, 1989.10.17)
宇宙は、愛から始まりました。それはどのような愛ですか。縦的な愛と横的な愛です。そして前後の愛です。それは球形の愛をいうのです。上下、左右、前後を連結する中心は、家庭です。ハナニムに、「ハナニム、どこにいらっしゃいますか」と尋ねれば、「愛の中心にいる」と言われるのです。「愛の中心とはどこですか」と尋ねれば、「愛の定着地だ」と言われるのです。「愛の定着地とはどこですか」と尋ねれば、「生殖器だ!」と言われるのです。
(279-48, 1996.6.9)
男性にとって最も刺激的で、神経的で、敏感なところとはどこですか。舌ですか。味を見るのにいくら敏感だとしても、生殖器以上に敏感なものはありません。それでは、舌を満足させるために、一度食べればその翌日また食べたいと思いますが、生殖器を満足させられる相対がいれば、考えただけでもその満足を感じることができる世界になるというのです。味を見るのは食べなければ感じることができませんが、愛の相対は、考えるだけで感じることができるのです。千里、万里、無限空間世界を超えて喜びを感じることができるのは、死んでもまた生き返って愛したいのは、愛する妻、夫の愛しかありません。
(286-275, 1997.8.13)
人間世界において、愛の起源地はどこですか。生命の起源地はどこですか。血統の起源地はどこですか。口ですか、頭ですか。どこですか。生殖器です。生殖器を汚した、天地を破壊した堕落によって、これが凶悪な宮殿になりました。悪の本源地になりました。ここに偽りの愛を植え、ここに偽りの生命を植え、ここに偽りの血統を植えました。そのように天地を掘り返した一番の悪党なので、それが下品なのです。その話をするのは下品な話です。
(200-249, 1990.2.25)
生殖器という器官は、何か魔法を使う器官かというのです。愛というものを連結させる器官であり、男性の生命と女性の生命を連結させる器官であり、男性の血と女性の血を混ぜ合わせて連結させる器官が自分の体の中にあり、それが生殖器です。そのとおりですか。この根本を追求してみれば、ハナニムがなぜ創造されたのかという問題に入っていきます。


なぜ創造されたのですか。何を中心として創造されましたか。今日、そのようなことを考える人はいません。これは、世界の図書館に行ってみても。ムン先生が最初に提唱したことです。それが貴いものです。知ってみると、それがすべての結末です。なぜ創造されたのでしょうか。愛によってされたのだということを何で証明するのかといえば、生殖器を中心として男性と女性が一つになることです。それは、ハナニムの理想的な愛の根源になっています。
(194-63, 1989.10.15)
男性と女性が90度で一つになるところはどこだといいましたか。生殖器です。笑うことではありません。神聖なことです。そこが愛の本宮です。目でもなく、頭でもありません。男性と女性が愛する時は、どこが動きますか。目が動きますか。頭が動きますか。何が動きますか。生殖器なのです。悪いものだと考えるなというのです。堕落したために悪いものとして扱われているのです。
サタンが、この世を滅亡させる本宮にしています。それが愛の本宮であり、生命の本宮でしょう? 生命が、どこから出てきますか。そこから出てくるでしょう? その次に、血統がどこで連結されますか。頭で連結されますか、手の甲で連結されますか。
(198-353, 1990.2.11)
すべての物質の元素が願う本宮とは何ですか。人間において最高に精密な、理想的感覚を備えた男女の生殖器官が最高の希望峰だというのです。このような話、初めて聞いたでしょう? それゆえに、それを訪ねていくためにはお互いが投入しようとするのです。生命を捨てながらも行くことができる道は、愛の道しかありません。虫の世界から鉱物の世界、植物の世界、動物の世界、宇宙のすべてのものがそうだというのです。
(249-164, 1993.10.10)
主流に従っていくべきなのに、主流に従うことができずに中間でとどまって退化するものもあるかもしれませんが、最高の目的とは何ですか。すべての万物の願いは何ですか。ハナニムを愛することができる、その場を訪ねていくことです。ハナニムの立場で、創造物の中で最も精誠を尽くしてつくったものとは何ですか。男性と女性の生殖器官だというのです。全精力をすべて尽くして創造されたのが、人間の生殖器です。人間のすべての要素を合わせて、再度つくることができる起源としてつくったのです。そこは、細胞の王宮です。細胞は、元素で構成されているのです。
(249-162, 1993.10.10)
男性と女性の生殖器が一つになるところにおいて、愛の本宮が生まれます。歴史的な愛の宮殿が生まれます。安息の場になります。これは、誰も移すことができないのです。永遠です。絶対的なのです。その愛のすみかで、男性の生命と女性の生命が同化するのです。同化して沸き立って爆発するのです。その中から新しい生命が発生します。発生する爆発力によって、新しい生命が続いて出てくるのです。ですから、愛し合う時は、はとも「クウクウ」と鳴いて爆発するのです! 男性と女性が愛し合う時、しゅうとめしゅうとがいたとしても、大声をあげて叫ぶのは恥ずかしいことではないというのです。
(193-147, 1989.10.3)


左右の中心になるものとは何ですか。女性の生殖器と男性の生殖器です。これが一つに出会って天宙が回り、宇宙が回るのです。そのように貴重なものです。男性と女性自体が貴重なのではありません。
(243-27, 1993.1.1)
愛という観念があり、その愛と一つになることができるように分立されて生まれたのが、女性であり男性だというのです。その男性と女性が、何を中心として一つになりますか。愛を中心として一つになるというのです。男性と女性の生殖器は、愛を中心に一体化させる武器なのです。
それゆえに、凹凸になっているというのです。形がそのようになっているのは、一つになるためなのです。それは恥ずかしいことではありません。それを中心として合体し、一つになるのです。愛を中心に一つの体になるのです。心身一体になるのです。男性と女性の心身一体は、何によって成されるのですか。キスではありません。手を握ることでもありません。そこを完全に合わせることによって完全に一体化するのです。
(229-251, 1992.4.12)
ハナニムも愛を中心として天地万物を創造されました。それを何によって証明するのですか。その宿題が重要です。愛のために創造されたということを何によって証明するのですか。男性と女性ではありません。それでは何でしょうか。男性の生殖器、女性の生殖器を見れば分かるというのです。
ハナニムが何を標準として人を造られたのか、男性は何を標準として造られたのかという時、「男性の顔を中心として造り始めた」と言われれば、理にかなった話ですか。女性を造るのに、「女性はこうあるべきなので、女性の顔を見て造った。ひげが生えず、このようにすべすべしていて、身長が小さく、そのように造った」と言われるとき、そうなのでしょうか。違います。生殖器を中心として造られたということを知らなければなりません。男性がそのようになっているのは、生殖器に似てそのようになったのです。女性がそのようになったのは、生殖器に似てそのようになったのです。このような言葉は、文総裁から始まるのです。誰も、そのような話をしませんでした。図書館にはありません。人類歴史にない新しい言葉です。
(193-145, 1989.10.3)
ハナニムが創造される時に、生殖器をかたどって男性と女性を造り始めました。それゆえに、生殖器を動かすところには、人間全体のすべての構成要素が入っているというのです。それで、男性と女性が愛し合って、その二人が一つになり、赤ん坊を生むようになるのです。一つになって生めば何ですか。女性に似て生まれ、男性に似て生まれるのですが、何に似るのですか。神経系統がすべてつながっているので、つながってきます。根がないのに、枝が出てくることができますか。それは否定できません。それゆえに、愛が激動する時は、心と体が一つになるのが原則です。それは理論的です。
それでは、愛を連続的に連結させることができるところ、その生命を連続的に連結させることができるところ、自らの血統を自分の子供に連続的に連結させることができる器官とは何ですか。頭ですか。それは男性と女性の生殖器官です。


それでは、愛が先か、生命が先か、これが問題になります。最近、心が先か体が先か、唯物理論の哲学思潮が入っていき、世界で問題になっているのと同じように、愛が貴いか、生命が貴いか、これが問題です。どちらが先でしょうか。これは、先後を分けなければなりません。愛が先です。ハナニムが創造理想を立てられる時、ハナニムを中心として立てたのではありません。愛を中心として立てたので、相対世界を創造し始めたというのです。
(193-145, 1989.10.3)
生殖器、それは何をしようというのですか。愛を探し出そうというのです。女性を探し出すことによって愛が生じ、男性を探し出すことによって愛が生じるのです。それが結婚です。これは、宇宙の何をもらっても取り替えることができないのです。男性がこのように生まれたのは、自分の生殖器に似てこのように生まれたというのです。女性は、女性の生殖器に似てそのように生まれました。女性が女性になり、男性が男性になったのは、生殖器によってそのようになったということを知らずに生きてきたというのです。
(280-60, 1996.11.1)
愛を成し遂げることができる器官とはどこかという問題が、今まで重要な問題だったのですが、これが分からずに、これを最も悪いものとして扱ったというのです。それが何ですか。今まで生殖器を悪者扱いしました。愛をなす器官はどこですか。生殖器とは何ですか。凹凸、それではないですか。凹は何をするところですか。凸は何をするところですか。それを合わせることによって、愛が連結されるのです。それを合わせなければ愛が分かりません。完全な愛が現れて、絶対的に一つになるところが生殖器です。他の道はありません。
(278-203, 1996.5.24)
男性、女性の相対として必要な器官とは何ですか。キスするところですか。体を触ることですか。何の器官ですか。生殖器です。これは韓国語で言えば、「生命を植えておいた器」という意味です。それが正に生殖器です。
女性の生殖器は、男性を占領することができる武器です。それは、愛を求めるために使用することができる武器ですが、その武器の主人は自分ではありません。その武器を通して自分が愛の主人の資格をもつのです。女性も男性も同じです。
(301-74, 1999.4.16)
存在するものは、すべて愛のために生まれたので、愛のための存在は、自分のために生殖器をもっていてはいけないのです。相対のためにもっているのです。相対と連結しなくてはまことの愛を完成することができません。これが天法です。絶対、唯一、不変、永遠の主人になるのです。
男性一人で愛の主人になることはできないのです。生殖器を中心として相対と連結される時に完成が展開するのです。真の愛に連結してこそ女性が完成するのですが、男性の生殖器を完全に占領するその場で、完成が展開するというのです。男性も同じです。それで、そこに命を懸けて暮らすのです。
(297-155, 1998.11.19)


女性は、耳と口が王にならなければなりません。それは、聖人の「聖」なのです。「聖女になりたいか、悪女になりたいか」と尋ねれば、「聖女になりたい」と言うのがすべての女性の返事です。それが「聖」の字です。男女間の性欲の性ではありません。それも性の字ですが、この聖の字は耳と口が王だというのです。それを女性の生殖器だと考えればよいのです。事実です。これが王ではないですか。それを守れば聖人になるのです。いいことを学ぶでしょう? そのようなことは辞典にも、どこにもありません。日本の教科書でも見たことがないでしょう?
(283-48, 1997.4.8)
ハナニムの愛の世界、ハナニムの愛の根源地を訪ねていくのです。万物は、男性と女性の生殖器をもつために犠牲になっていくのです。人間は、ハナニムの愛の相対になるために行くのです。それは間違いない原理観でしょう? 先生が勝手に立てた理論ではありません。天地の大道たいどうの原則なのです。
(288-334, 1998.1.1)

 

生殖器は天が臨在する至聖所

男性、女性の愛の器官の細胞が最も精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。では、男性と女性が統一されるところとはどこですか。生殖器です。そこでは、直接、男性と女性が一つになり、ハナニムと一つになり得るところです。堕落したために、それが最も悪いものになりましたが、本来は限りなく神聖なものです。男性と女性がその門を開けた時、世界が開き、門が閉まれば世界が閉められて、それが幸福な時、世界が幸福であり全宇宙が幸福なのです。
ハナニムの息子になろうとすれば、その器官を通じて一つになった、その場から生まれなければなりません。その場でなければ、ハナニムの息子、娘がどこから生まれますか。それゆえに、男性と女性が愛する時はもちろん、すべての細胞の願いが生殖器の細胞になることなのですが、愛の場所に入っていくようになれば全身が同感するのです。体全体が一つになるのです。
(248-55, 1993.6.20)
愛のすべてのものがバランスよく完成して成熟したのちに、そこから成されなければなりません。世の中で最も高いアンテナとは何でしょうか。何が最も高いアンテナですか。それは、愛のアンテナです。人間において、愛のアンテナとは何でしょうか。男性と女性の生殖器官です。電波はただアンテナを通して流れるようになっています。それで円形を成すのです。アンテナを通して円形を成します。
人間がハナニムのアンテナです。ハナニムを中心としたアンテナです。人間世界のアンテナにハナニムの垂直愛がつながる日には、世界を包括し、全宇宙を包括して余りある圏に入っていくようになるのです。それは、人間世界と霊界に、雷鳴がして稲妻が走るようにする装置のようなものです。
(134-197, 1985.7.20)


ハナニムは、その中心に住みたいと思われるのです。理想的な家庭、国家、世界は、その根に連結されたいと思うのです。ところが、堕落によってすべてのものを失ってしまいました。悲惨な立場です。男性の生殖器とは何ですか。永遠の愛の王国です。皆さん1代においてだけそうなのですか。違います! 永遠です。永遠の王宮の位置、永遠の生命の王宮です。そこから、愛を中心として、男性の生命と女性の生命を初めて一つに結ぶのです。生殖器とは何でしょうか。第1に愛の王宮、第2に生命の王宮です。第3に血統の王宮です。これが最も貴いものです。皆さん、それをもって、「幸福だ」と言うでしょう?
(248-111, 1993.8.1)
夫婦の愛と父母の愛が永遠に定着する時は、結婚して愛する時です。愛する時、どこで愛しますか。口、目、耳でもって愛しますか。私は分かりませんが、皆さんはよく知っているでしょう。どのようなものですか。今まで人間は、生殖器を悪いものだと思ってきたのですが、今、レバレンド・ムーンがそれを神聖な本宮だと教えています。どれほど驚くべき男性と女性の生殖器でしょうか。生殖器がなければ、まことの愛、真の生命、真の血統、真の良心を連結できないのです。それなくして天国が出発できますか。できません! そこを通ってこそ、自由、幸福、平和の統一世界が可能なのです。
(278-153, 1996.5.5)
絶対信仰、絶対愛、絶対服従、それは何ですか。それは、生殖器をおいていう言葉です。堕落は、ハナニムと人間の生殖器が一つになることができなかったことです。合徳ができなかったのです。それを絶対信じなければなりません。私の家庭歴史の柱であり、私の一族歴史の柱であり、私の血筋歴史の柱だというのです。
(304-164, 1999.10.10)
ハナニムと人間がどこで出会うのですか。男性と女性が一つになって愛する時間、生殖器を中心として一つになる時間に会うのです。これが堕落したために、世の中を滅ぼし、天地を滅ぼしたのです。それゆえに悪いものになりました。男性と女性が愛する時、ハナニムを迎えにいくのだと考えなければならないというのです。
下半身を見る時、「どうやってこの器官を、愛を中心として連結させようか。どのように奉仕して歓迎しようか。どうすれば、真の愛を中心とした夫婦生活をすることができるだろうか」と毎日考えなさいというのです。私の体が、そのような位置にいるのです。
(246-73, 1993.3.23)
ハナニムのように永遠不変でなければなりません。ハナニムのように、絶対的にユニークで永遠不変の内容をもって愛が定着するところは、生殖器です。今まで誰も、それを知りませんでした。それほど貴い生殖器だというのです。祖父母、父母、夫婦、将来の皆さんの息子、娘もみな、生殖器が一つになるところで幸福な家庭が成されるのです。それが壊れれば、家庭全体が壊れるのです。おばあさんも、おじいさんの生殖器をつかんで永遠に放そうとせず、おじいさんも、おばあさんの生殖器を占領して永遠に失うまいとするのです。生殖器から、愛、幸福、自由等、すべてのものが出発します。それは、否定できません。
(278-203, 1996.5.24)


アダムとエバの位置は、本宮です。そのアダムとエバの子孫はそのまま宮になるはずですが、本宮の基台を失ってしまいました。男性と女性の生殖器は、そのように驚くべきものです。三大愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であると同時に、その場から地上天国、天上天国が出発する基地になっているという事実を知らなければなりません。驚くべき事実です。
(267-257, 1995.1.8)
地球世界の被造物は、男性と女性の生殖器の細胞になるために総動員されるようになっているのです。なぜですか。このような価値があるので、犠牲になる価値があるのです。それは何かというと、アダムとエバが愛の相対になれば、ハナニムが臨在され、縦的愛と横的愛がここで竜巻のようになるので、地を削ることもでき、山を造ることもできるのです。愛だけが世の中の悪なるものを占領することができ、愛だけが気高いハナニムを占領することができるのです。
(296-90, 1998.11.3)
皆さんは、男性と女性の生殖器を最も汚らわしいものだと思っています。しかし、そうではありません。最も神聖なものです。ハナニムが真の愛を中心として、そこから理想天国を拡大させようとされたのです。限りなく神聖な聖所です。それゆえに、愛の対象は絶対的です。1度結婚するようになっているのであって、2度結婚するようにはなっていません。
(245-151, 1993.2.28)
女性の愛の生殖器、男性の愛の生殖器が正にそれです。女性のものは愛の女性の宮殿であり、男性のものは愛の男性の宮殿だというのです。それらが出会うことが、最高のクイーン、キングになる理想です。それを愛といいます。そのように愛をおこなった人は、ハナニムのように、ハナニムの息子、娘となり、一つの同等な理想的生活圏に同参することができます。そのような価値ある人間として造られました。
(128-326, 1983.10.2)
自分にとって最も貴いものとは何ですか。自分の国よりも、自分の理想的家庭よりも、愛の生殖器が貴いのです。これがなければ、自らの家庭も成立せず、民族も成立せず、国も成立しないのです。これが一つにならなくては、絶対に永遠の生命にならないのです。地上世界の版図を越えていける、天上世界、無限な世界へ越えていける生命圏は、生まれることができないのです。地上にも天国がなく、天上にも天国がないというのです。
(298-155, 1999.1.1)
「教主の先生があのようなことを教えるなんて、統一教会は下品なやつらだ」と悪口を言っているでしょう? 下品なやつだと言ってもいいのです。偽物のメダルをもらうより、本物の金メダルをもらうほうが良いではないですか。それで、男性と女性の愛というものを中心として、男女の生殖器官は、創造主から受け継ぎ、先祖から受け継いだ、変わらない、ただそのまま連結された礼物です。


ハナニムも侵犯しない、貴い礼物です。先代たちもこれに背けない、貴い礼物です。これを侵犯する時は、天理の大道たいどうの中心となる愛の本宮を破綻はたんさせる悪魔の血肉となるのです。純粋な本質として、永遠の真の愛を中心とした、その基台から生まれたものが生命の本宮です。そして、新しい血統の本源地です。
生殖器、その生殖器は、何のために生まれたのですか。キムなにがしのために生まれたのではありません。天地の大道のために、天地の大摂理的経綸けいりんのために私に下さったのです。将来、人間世界に、理想世界がどのようにして訪れるのでしょうか。生殖器官を正しく使うことができる道理を明らかにしてあげない限り、世の中は滅びます。平和の世界を取り戻すことはできません。ローマを見てみなさい。アメリカを見てみなさい。アメリカは、お金がなくて滅びるのではありません。
今までサタンのために生殖器官の主人が誰かを知らず、どのような由来で創造されたのかということを知らなかったのですが、それを明らかにするために、天地の邪悪でよこしまなサタンの乱闘場をすべて掃除するために、私が旗を掲げて立ち上がったのです。
(193-147, 1989.10.3)

 

3) 神人一体と愛の理想完成

 

① ハナニムと人間が出会う愛の決着点

宇宙の愛の根本はどこでしょうか。ハナニムです。ハナニムの愛がどこに行って結合するかというときには、ここで論理的整理をどのようにするのかが問題です。ハナニムがアダムとエバを造られて、二性性相を分立し、中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在になるのでしょうか。愛を中心として中和的存在になるのです。格位においては、男性的主体格をもったというのです。何を中心としてですか。愛を中心としてです。それを知らなければなりません。
それでは、ハナニムはどのようになっていますか。アダムとエバは、二性性相の主体なので、体は蘇生そせいであり、心は長成です。そして、この心の中にハナニムが臨在しようとされます。
それでは、アダムとエバの体と体が一つになり、心と心が一つになり、そうなれば心の一番底にあるものが一つになるでしょうか、ならないでしょうか。それは何ですか。ハナニムが一つになるでしょうか、ならないでしょうか。ハナニムは、どこで一つになるのですか。愛のために造られたのなら、ハナニムがどこで人間と共に結合されるのですか。その場はどこですか。愛の場所だというのです。
(194-64, 1989.10.15)
統一教会の「原理」では、ハナニムは無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だといいます。二性性相でいらっしゃるハナニムご自身の分性的実体としてアダムとエバを造っておかれ、彼らが成人して愛を中心として横的に連結するようになる時、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何の話かといえば、アダムとエバが成熟すれば、ハナニムの男性性稟せいひんはアダムの心の中に、ハナニムの女性性稟はエバの心の中に入っていくというのです。かといって、ハナニムが分かれるのではありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃるハナニムなので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。
(138-245, 1986.1.24)


成熟したアダムとエバが、お互いに愛の因縁を結ぶことができるその時になれば、ハナニムは二性性相になっているために、男性性相はアダムに臨在し、女性性相はエバに臨在するのです。
ハナニムが私たちの心と体の中に臨まれ、ハナニムが結婚式をするのです。
(143-236, 1986.3.19)
中央線は、その距離がすべて同じであり、角度がすべて同じです。長さがすべて同じです。そのようになれる中央の平衡線は一つしかないのです。二つではありません。垂直も一つであり、垂直の中心点も一つであり、平衡線が交差する中心点も一つです。その一つの位置に初めてハナニムの愛、軸の愛が連結するのです。そこで一つになってぶつかる日には、360度、四方に行くすべての力の作用がこの点を経るのです。このような愛の力が爆発すれば、男性と女性は完全に一つとなり、その中にハナニムが入っていかれるのです。
ハナニムは二性性相になっているでしょう?「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃるハナニムは、どのような方ですか。二性性相のハナニムであると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃいます。その主体の本質は何ですか。愛だというのです。絶対的愛だというのです。
(136-37, 1985.12.20)
二性性相の実体圏は、まことの愛によりハナニムの相対として立ってハナニムに帰るのです。正、分、合です。一つだった性相と形状が分かれたのち、実体として再び会う、それがアダムとエバの祝福です。ここにハナニムも来て一つとなり、男性と女性も一つとなって、ここですべて統一されるのです。これが先生の偉大なみことばです。ハナニムがこのように近いというのです。自分の心の底にいたハナニムを知るようになった、それ以上のことはありません。何の話か分かりますか。ハナニムのその命令に従って、生涯、間違いない勝利の道を行かなければなりません。
(250-108, 1993.10.12)
ハナニムは、二性性相なので、ハナニムの男性性相がアダムの心に入ってくるのです。それで、ハナニムが内的な父になられるのです。ハナニムが内的な父の位置に入ってこられるのです。コリント人への手紙を見れば、『あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ 3:16)とあります。私たちの体を「神の宮」と言っています。私たちの体は、ハナニムが臨在することのできる「神の宮」だと言ったのです。その「神の宮」という言葉は、正しいというのです。ハナニムが二性性相の主体としていらっしゃるために、アダムはハナニムの男性性格、見えない性格を見える性格として現した存在です。


ですから、アダムは実体として現れたハナニムの体です。無形の実体が有形に実体化して、人類の父として立っているアダムの背後で、内的な父の立場に立つべき方がハナニムでした。
(139-233, 1986.1.31)
本来、堕落していなければ、ハナニムはアダムとエバの中に臨在することができたのです。二性性相の形状と性相の本体であられるハナニムは、その性相と形状の相対がアダムとエバなので、その心の中に入っていくようになっていたのです。入っていって、ハナニムとアダムとエバが心身一体圏を成すのです。
ハナニムが、堕落せずに完成した人間の心のような立場になり、人間はハナニムの完成した体のような立場になって心身一体圏に立ち、アダムとエバと共に結婚式をするのです。その結婚式は、実体的、平面的で、横的にはアダムとエバの結婚式ですが、それが縦的にはハナニムの結婚式になるのです。
(256-85, 1994.3.12)
アダムとエバは、いったい誰ですか。その位置が私たち人類の横的な理想の愛を中心として和合する位置であり、90度を合わせる位置であり、焦点を設定する位置です。その位置もまた、この前後、左右、上下、どこに合わせても合います。そのことは何を意味するのでしょうか。ハナニムは、二性性相の主体であられるので、その愛の焦点を合わせたアダムとエバの心の中にハナニムが入ってこられ、堕落していない人間の先祖の結婚式がハナニムの結婚式になるのです。
(223-267, 1991.11.12)
アダムとエバは、見えないハナニムの二性性相として来たのです。見えないお二人が、一人の方のような位置に立っているのです。真の愛を中心として一つになっているというのです。そのようになっているものが男性格位と同じようになっているので、その男性格位に対して相対的立場に立った息子、娘を再現させて、彼らが成長し、愛を中心として夫婦になる時、上にいらっしゃったハナニムがその位置に共に降りてこられるのです。それは、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って、愛して一つになるためなのです。
(222-317, 1991.11.6)
ハナニムは何をもっているかといえば、男性的性稟と女性的性稟をもっていらっしゃるというのです。それで、「二性性相の主体」という言葉が出てくるのです。統一教会は、「二性性相の主体がハナニムである」という素晴らしい結論を下すのです。見えないものがプラスであり、見えるものがマイナス的父母です。見えない父母が原因的であり、見える父母は結果的です。ゆえに、愛を中心として一つになるのが父母の位置ですが、ハナニムは見えない父母であり、これは見える父母です。これは何かというと横的父母であり、これは縦的父母です。
(161-306, 1987.3.1)
一つになった男性と女性は、ハナニムの愛と和して一つになった統一的な立場であり、一つは東方、一つは西方です。この宇宙を代表した一人の男性と女性は、二性性相の総性です。それは避けられないのです。彼らが統合するという事実は、この宇宙にハナニムの愛が結合できる中心軸が生まれるということです。
(149-229, 1986.11.23)


ハナニムを発見できるところとはどこでしょうか。今日、祈祷をして修行に励み、いくら宗教を信じてみたところで、ハナニムを発見することはできません。真のハナニムの愛を発見できないというのです。ハナニムならハナニムも、男性なら男性も二性性相になっています。内的と外的、二性性相だというのです。プラスとマイナスになっているのです。そのような意味で、ここには完成した男性とハナニムが関係しているのであって、それ以外には、息子もなく、何もないというのです。
(161-323, 1987.3.8)
ハナニムにとってエバは、内的、霊的な面においてハナニムの妻です。アダムの中に入っていき、エバの中に入っていってハナニムが愛そうとされるというのです。二性性相に分立し、愛を中心として一つにして、四方をすべて愛だけが連結させることができるのです。ハナニムと人間の関係は、そのようになっています。ハナニムは、内的な私です。ところが、二性性相の分立的な立場にいるために別々の存在だというのです。それは、なぜ分立したのでしょうか。愛をより刺激的に感じるためなのです。刺激的でありながら、位置を移動するためであり、また環境を変更させるためなのです。位置を変化させるので、繁殖が展開するのです。縦的なハナニムだけでは繁殖することができません。縦的な位置は1箇所であって、2箇所あり得るでしょうか。
(187-94, 1989.1.6)
女性をよく見れば、そこに新郎が一緒に存在します。一体となるというのです。ハナニムがそうでしょう? すべてのものは、二性性相をもっているのと同様に、二性性相が成されるのと同じように、結局はハナニムに帰るのです。
真の愛を中心に一体になれば、ハナニムの友達になります。ハナニムが彼らの中へ入っていくのです。女性の中心は男性です。女性は男性の相対圏に立っているために、男性を中心に回るのです。女性が男性を中心に回るというのです。女性を中心に回るのではありません。男性が中心に立つようになれば、女性は自然に男性を中心とするようになるのです。
(213-266, 1991.1.21)
ハナニムが父になるためには、血筋が関係しなければならず、生命が関係しなければならず、愛が関係しなければなりません。二性性相のハナニムが愛を中心として一人、心で喜んでいたことを別々に分け、東西南北、自然全体がペアで和動する世界において、中心的主人の形態を備えるために展開したものがこの世界です。それで統一教会では、「正反合」ではなく「正分合」だというのです。
(199-276, 1990.2.20)
結婚式をすればどのようになるのでしょうか。ハナニムは二性性相になっているでしょう? ハナニムの女性性相はエバに入っていき、男性性相はアダムに入っていって一つになるのです。別の言い方をすれば、アダムとエバは、実体をもったハナニムの体だということを知らなければなりません。そのようになれば、ハナニムは、アダムとエバの内的な二性性相に入っていかれて、愛で一つになるのです。そのようになれば、そこからハナニムの血統を受けるようになります。
(137-88, 1985.12.24)


ハナニムは、どこに入っていかれるのですか。ハナニムは、アダムの心の中に入っていき、エバの心の中に入っていかれるのです。二性性相でしょう? この二つが、一つの根を中心として入っていって組み込まれるのです。そして、息子、娘で連結されるのです。愛で連結して、心と体を中心として、霊を中心として根を合わせて、ここから生まれた愛の息子、娘が地獄に行くでしょうか。誰かが勝手にできません。絶対的な体、絶対的な心、絶対的な霊、絶対的な男性、絶対的な女性が、絶対的なハナニムの愛を中心として、生命の起源であり、愛の起源であり、血筋の起源である生殖器を中心として統一が展開するのです。
(194-343, 1989.10.30)
ハナニムとアダムとエバは、いったい何でしょうか。アダムは何であり、エバは何でしょうか。堕落せずにアダムが完成すれば、ハナニムがアダムの中に入られ、エバが完成すれば、ハナニムがエバの中に入られ、ハナニムの二性性相が分立された分立実体相に入っていかれて、分かれたものを再び一つにするのです。何を中心として一つになりますか。力をもって一つになるのではありません。愛をもって一つになるのです。そこから刺激が起き、そこから繁殖が展開されるのです。理想世界の繁殖が展開されるのです。
(148-290, 1986.10.25)
ハナニムは誰かといえば、縦的な父です。堕落していないアダムとエバは、横的な父母です。ハナニムは、二性性相で存在するすべてのものの縦的な父母です。そして、アダムとエバは横的な父母になるのです。それでは、彼らは、どこで出会うべきでしょうか。真の愛は、直短距離を通るのです。
(199-361, 1990.2.21)

 

② 神人愛理想の根本原理

イ) 神人一体をどのように解明するのか
先生が最も苦心したこととは何でしょうか。神人一体をどのように形成するのかという問題です。理論的にどのように説明するのかというのです。これが解明されなければ、理論的体制が定着できません。人間の愛の根本的位置が設定されなければ、すべてのものがずれていくのです。
(249-223, 1993.10.10)
ハナニムの愛と人間の愛が問題になります。ハナニムの愛と人間の愛は、色が同じか違うかという問題です。大きな問題です。ハナニムの愛と人間の愛がどこで結びつくのでしょうか。これが結びつかなければ、神人愛一体の拠点を見いださなければ、ハナニムも人間も共に定着できないのです。ハナニムが喜ばれるので人間も愛を通じて喜ぶ、そのような場が異なる場合には、大変なことになるというのです。
(257-58, 1994.3.13)


先生が根本問題を追求する時、神人一体圏はいったいどこなのかを、ずーっと考えました。これは重大な問題です。これを解決せずには、出発点と終結点が合わないのです。そのような中で、雷のようにぴかっと悟りがありました。「まことの愛は直短距離を通る」というのです。その一声が、すべてを解決しました。天地が真の愛で連結するならば、直短距離を通るというのです。言い換えれば、垂直は一つです。水平に対して90度以外にはありません。これは最高の直短距離です。
(250-153, 1993.10.14)
結婚は、なぜするのですか。愛を完成するためにするのです。横的に左右、東側と西側を男性と女性だとすれば、その男性と女性の真の理想というものは直短距離を通るので、直面に対して横的な愛の直短距離というものは中央に一点しかありません。これは、90度以外にはありません。これがこのように横になれば、楕円形になるのでいけません。すべて同じではありません。平等な位置にすべてが同じ基準として立つのは、90度以外にはありません。神人一体にする愛の結集場所というものは、90度以外にはないのです。
(224-167, 1991.11.24)
「ハナニムは縦的な父」という言葉が出てきます。真の愛を中心としてハナニムは縦的な父であり、アダムとエバは真の愛を中心として横的な父母です。縦横が90度で定着するのです。これが宇宙の根本です。結局は、ハナニムが結婚式をするために人間を造られたというのです。ハナニムの愛のために創造されたというのです。このように解明することにより、すべての根本的な難問題が解決されるのです。
(252-319, 1993.1.5)
ムン総裁が宇宙の根本を追求していくときに最も苦心したのは、愛がどのように動き、どのように定着するのか、という問題でした。愛は直短距離を通るという、この一点を解明することにより、すべてのことが解決されるのです。愛が上から来るとすれば、天が高くて地が低いので、真の愛が天から地に訪ねてくる時にどのような道を通ってくるでしょうか。最大の直短距離なので垂直です。これは垂直一つしかありません。直短距離です。愛が一番早く、直短距離を通るという時に、天上世界と地上世界の接着地は、完全水平の中の一点しかないというのです。二つではありません。絶対的に一つです。
(211-77, 1990.12.29)
アダムとエバは、見えないハナニムの二性性相として来たのです。見えない二人が一人の方のような位置に立っているのです。真の愛を中心として一つになっているというのです。そのようになっているものが男性格位と同じようになっているので、その男性格位に対して相対的立場に立った息子、娘を再現させて、彼らが成長し、愛を中心として夫婦になる時、上にいらっしゃったハナニムがその位置に共に降りてこられるのです。それは、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って、愛して一つになるためなのです。
(222-317, 1991.11.6)


人間が完成すれば神性をなして、天のお父様が完全なように完全で、神的価値をもつのです。ハナニムは絶対者ですが、真の愛の理想は一人で成し遂げることはできません。愛の理想は、必ず相対を要求するためです。
私たちはここで、ハナニムの真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、お互いにどのような関連をもっているのかを知らなければなりません。万一、ハナニムが真の愛の絶対的な対象体として人間を立てず、ほかの方法を通じて御自分の真の愛の出発と完成をなそうとされたなら、どうなるでしょうか。ハナニムと人間の真の愛の理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的は異ならざるを得なくなります。
(282-209, 1997.3.13)
アダムとエバは、いったい誰ですか。その位置は、人類の横的な理想の愛を中心として和合する位置であり、90度を合わせる位置であり、焦点を設定する位置です。その位置もまた、この前後、左右、上下、どこに合わせても合います。それは何を意味するのでしょうか。ハナニムは、二性性相の主体であられるので、その愛の焦点を合わせたアダムとエバの心の中にハナニムが入ってこられ、堕落していない人間の先祖の結婚式は、ハナニムの結婚式になるのです。
(223-267, 1991.11.12)
人間完成の出発点は、どこですか。これは、ハナニムにも最も貴く、人間にも最も貴く、この宇宙のすべての存続の根源になることができるのです。創造当時のあらゆる要因の根本になることができるのです。それは愛です。愛のために生まれたというのです。その愛は、どのような愛ですか。真の愛です。その真の愛には、目や口や五官が離れることはできないのです。それを中心として回るようになっていて、それに従って往来し、上がっていくにもそれに従って上がっていき、降りてくるにもそれに続いて降りてくるようになっているというのです。それゆえに、私たちの五官を一つの焦点に結びつけることができるのです。その力とは何ですか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもないのです。それはただ愛しかありません。
(210-317, 1990.12.27)
縦横がどこで一つにならなければなりませんか。天地合徳がどこで展開するのでしょうか。縦的な基準の前で展開するのです。愛が行く道は直短距離を通ります。これがどこで定着するのかという問題が、非常に苦心した問題でした。
宇宙の根本を解明するときに、縦的な愛と横的な愛があるということを知りました。なぜ知ったのでしょうか。垂直にさっと上がっていくことができません。そのようになれば、私が全く身動きせずに、ぴたっとここに立たなければなりません。そこを離れて縦的に愛すれば、私がぴたっとこのようにならなければなりません。これが、どこに行って回るのかというのです。回ることができないのです。このような問題、どのように連結させるのかという問題、天地の愛があれば、その愛は、どのように合徳するのかという問題が、大きな問題でした。しかし、一つ知ったこととは何かというと、愛は直短距離を通るということでした。
(214-232, 1991.2.2)


ハナニムが願われることも、真の愛による神人一体です。神人一体、ハナニムと人との一体圏です。ハナニムが喜ばれる理想の基準と人間が願う基準がずれれば、大変なことになるのです。真正面で一体にならなければなりません。
水平に一体になり、垂直に一体にならなければなりません。これを前後、左右90度に合わせれば、上弦と下弦と右弦と左弦、12箇所をすべて90度の角度で、どこに合わせてもぴったり合うのです。
(223-346, 1991.11.20)
ハナニムの愛と人間の愛がどこで一つになるのかという論理を、今まで誰も分かりませんでした。これが分からなくては、天のお父様という言葉は荒唐無稽むけいです。関係ない言葉です。アダムとエバはハナニムの体です。アダムとエバが名づけるとおりになるというのは、どのような意味ですか。その体にハナニムが入っていってつけられるのです。完成すれば、男性の心の中にはハナニムの性相が入り、女性の心の中にはハナニムの形状が入っていくのです。アダムとエバの実体結婚式は、ハナニムの結婚式なのです。霊界に行ってみれば、それをはっきりと知ることができます。知ることができないこのような理論が、すべて当てはまるのです。それゆえに、皆さんがハナニムの愛を占領してこそ、その欲心がいっぱいに満たされ、「もう、いっぱいだ」と言うのです。
(252-119, 1993.11.14)
ハナニムは、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。アダムとエバが結婚する時には、ハナニムがアダムとエバの心に入っていって一体的愛をなすのです。ハナニムは縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母です。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれたので、心は縦的な私になり、体は横的な私になるのです。
このようにして神人愛一体圏を形成するので、心身一体愛を完成した者は、ハナニムの息子、娘になるのです。ハナニムの王子、王女になれば、ハナニムと父子の関係になって、ハナニムのすべてを相続することができるのです。このような子女が真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、ハナニムに侍って暮らす家庭になることができ、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分である男性と女性は、一体となり、ハナニムの相対としてハナニムの理想の愛を完成させるようになるのです。すなわちハナニムは、真の愛を中心として、人間を無限の価値者として完成させることにより、ハナニムも真の愛の完成をなし、永遠の理想の愛が宿る創造理想世界を完成されるのです。
(254-106, 1994.2.1)
真の愛の主体者であられるハナニムは、その真の愛の相対者として人間を立てました。ハナニムの愛の理想は、人間を通じてのみ完成するのです。ハナニムの創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。
人間は、ハナニムの最高、最善の愛の対象として造られました。それゆえに、人間は、創造物の中で唯一ハナニムの実体をもった対象です。無形のハナニムの前に見える体として生まれました。人間は、完成すればハナニムの聖殿になります。ハナニムが自由に、また安らかに、いつでも入ってきてお住みになることができる有形の実体です。ハナニムの絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通じた父母と子女の縦的関係によって実現し、完成します。
(277-198, 1996.4.16)


ロ) 神人一体の拠点
ハナニムの愛と人間の愛がどこで会うのですか。その結着点は、愛の結着点、生命の結着点、血統の結着点になるのです。そこでなければ、愛と生命と血統を連結できる道がないのです。その場所はいったいどこですか。どのような生殖器で、どこに使う生殖器ですか。男性と女性の生命が連結されるところです。男性と女性の血統、血が交差するところです。
ハナニムの生命、ハナニムの愛、ハナニムの血統、そして男性と女性の生命、男性と女性の愛、男性と女性の血統が、この一点を中心として連結されるのです。これを中心として子孫が生まれるのです。
(205-63, 1990.7.7)
ハナニムの絶対愛と人間の絶対愛が出会う点とはどこでしょうか。一点です。それはどこですか。結婚して初夜、生殖器が一つになる場です。そうです、ハナニムに会うと考えてみましたか。どこで一つになるのかというのです。絶対的なハナニムが定着できる一つの起点と、人間のアダムとエバが理想として願う愛の起点が、一つになれる点が、一点ではなく二つの点になる時には、愛の方向と目的が二つになり、永遠にハナニムの絶対愛とは関係を結べない人間になるので、愛のために造られたというのは偽りだということになります。
そこから私が生まれるのではないですか。男性と女性がそこから生まれるのであって、キスするところから生まれるのですか。そこから男性と女性の生殖器が絶対的に一つなることを願うでしょう? 夫婦間で絶対的に一つになってみたいですか、適当に一つになってみたいですか。その場は何かというと、女性が愛を受けるためには、夫だけではなく、霊的にハナニムに侍る位置に立たなければならないのです。アダムの生殖器は、内的には見えないハナニムの生殖器であり、外的にはアダムの生殖器です。女性の生殖器も、内的にはハナニムの生殖器であり、外的にはエバ生殖器です。見えないものは縦的であり、見えるものは横的です。それで、縦的な父母、横的な父母が一つになるのです。
(282-306, 1997.4.7)
アダムとエバの結婚式の日が、その場を中心としてハナニムの結婚式の日になるのです。一つの縦的な結婚式であり、一つの横的な結婚式になるというのです。すべて生殖器を中心として、男性と女性が絶対愛に着地すると同時に着地の中心に来るので、ハナニムの愛を中心として一つになるのです。そのようになったならば、ハナニムのように心を中心として統一がなされたはずです。
(284-56, 1997.4.15)


絶対的に変わらない、そのような愛の位置にハナニムが臨在されるのです。ハナニムが生殖器に臨在されるのです。ハナニムが愛の根源であり、生命の起源です。男性の生命、女性の生命、血統の起源ですが、ハナニムと人間は、どこで愛と生命と血統が結集しますか。この場所しかないのです。
(287-29, 1997.8.10)
アダムとエバの結婚式は、内的にはハナニムの結婚式です。二重の結婚式の場だというのです。それを結束させるものが、男性と女性の生殖器です。それがなければ、自分の生命も生まれないというのです。それによって一族も、人類の歴史も続いてきたというのです。ハナニムの理想世界も、その門を通過した子供たちが、愛された子供たちが連結させていくのです。そのようにしてハナニムの国もつくられていくのです。
(290-81, 1998.2.3)
アダムとエバの結婚式は、誰の結婚式なのですか。ハナニムの結婚式です。もし、そのようにしていればどのようになりますか。そうなれば、どのような結果になったでしょうか。そのセクシュアル・オーガン(生殖器)が第1に何になるのかというと、ハナニムの愛の王宮になるのです。愛の本宮になるのです。それで、家庭は王宮だというのです。これが愛の本宮です。一般家庭は王宮であり、これは縦的な愛の本宮です。どれほど貴いところなのかというのです。
(265-269, 1994.11.23)
アダムとは何でしょうか。堕落しないで完成していたならば、ハナニムの体になるのです。エバも、やはりハナニムの体になるのです。ハナニムの体になるのですが、男性はプラス側の体になり、女性はマイナス側の体になるのです。そして、二人が何を中心として結ばれますか。愛を中心として、生殖器を中心として結ばれるのです。
内的な心の中にハナニムが入ってきているアダムとエバはハナニムの実体ですが、彼らが生殖器を中心として愛するようになれば、どのようになりますか。ハナニムは誰を通じて愛するのですか。心は何を通じて愛しますか。体を通じて愛するでしょう? 同じように、ハナニムが堕落していない完成したアダムに入られ、ハナニムの家のようになったところで、ハナニムが主人となった中で、二人が愛するのです。
(197-52, 1990.1.7)
ハナニムとは、いったい誰ですか。ハナニムは創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。
それによって、ハナニムご自身がハナニムの息子、娘を生むのです。ハナニムの子女です。皆さんは、二つの父母から生まれたのです。その縦的な父母の相対的な立場に立ったのが良心です。そのような面から見るとき、良心は縦的な自分自身です。肉身は横的な自分自身です。縦横が何によって一つになりますか。真の父母の愛、創造主の真の愛によって一つになれば、心と体は絶対に闘わずに一つになるのです。
(250-38, 1993.10.11)


ハナニムを「お父様」と言う、それはいったい何のことかというのです。創造理想の根源を知らなければなりません。ハナニムは誰ですか。お父様です。皆さんは子女です。皆さんは子女ですが、誰に似ましたか。ハナニムに似ました。ハナニムには目がありますか、ありませんか。鼻がありますか、ありませんか。口がありますか、ありませんか。耳がありますか、ありませんか。あります。その次には体がありますか、ありませんか。ハナニムに生殖器がありますか、ありませんか。そのようなことがすべて問題になるのです。このようなことを、すべて理論的に解決しておかなければなりません。
(196-41, 1989.12.24)
夫婦が愛する器官とは、どのようなものですか。ハナニムの愛と人間の愛がどこで一つになるのですか。この一つになる出発点が二つになれば、方向も二つであり、目的も二つなので、ハナニムと人間は喜ぶことができないという結論に到達します。ハナニムが人間を愛の対象として造られたならば、ハナニムの愛と人間の愛が接触できる出発点が同じでなければなりません。その同じ点とは、どこですか。心情ではありません。女性や男性に一番重要な器官とは何ですか。生殖器です。ハナニムが創造される時、最も精誠を尽くしてつくられた器官です。
(267-315, 1995.2.5)
アダムとエバの結婚式は、ハナニムの結婚式だというのです。そうあるべきではないですか。愛の対象を自分より高く造ろうとされたハナニムに、どこに行って会いますか。どこに行って一つになりますか。鼻で一つになるのでしょうか。どこでしょうか。問題が大きいというのです。ですから、女性がもっていて、男性たちがもっている生殖器というものは、ハナニムが臨在できる本然の園です。ハナニムの愛が初めてそこで完成するというのです。凹凸が一つになるその場で人間完成、すなわち女性完成、男性完成とハナニム完成が、愛を中心として展開するというのです。
(261-220, 1994.6.19)
心と体がその生殖器を中心として一つにならなければなりません。出発地は一点であるべきであって二点になれば方向も二つになります。人間の愛とハナニムの愛が接触して定着することができる寄着地(経由地)がどこかといえば、内的夫と外的夫が愛によって結ばれる生殖器だというのです。あの凹凸で結ばれるのです。
(264-330, 1994.11.20)
人間が成熟して結婚するということは、ハナニムの愛と人間の愛が関係を結ぶことを意味するのです。何を中心としてですか。愛の器官を中心としてです。霊的に見るとき、アダムの生殖器はハナニムの外的な生殖器であり、エバ生殖器はハナニムの内的な生殖器です。相対的に女性の生殖器と一つになるのです。
(223-19, 1991.11.7)


ハナニムの結婚式が、アダムとエバの結婚式です。それゆえに、地上天国と天上天国が同時に生まれるのです。愛の住みかから出発するのです。
男性と女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国と天上天国出発の起源地です。三代王権を樹立すべき基地がそこです。その場でなければ、愛の住みかを成すことができません。
(263-57, 1994.8.16)
アダムの結婚式は、ハナニムの結婚式です。これが天の最大の秘密です。気がついてみると、統一教会の文教主が生殖器解剖学の代表者になりました。生殖器ですべて一つになるのです。それなくしては愛が分からないのです。それ以外には、男性の生命と女性の生命が結ばれる場所がありません。そこで女性の血と男性の血が出合います。そこから歴史が連結します。そこから良心が出発します。
(275-68, 1995.11.3)
ハナニムが御覧になるときに、女性は本来、誰でしょうか。女性は、ハナニムとどのような関係ですか。ハナニムは、愛のために人を造られたのです。愛のために造られたのに、そのハナニムの愛と人間の愛が相反しなければならないでしょうか、一つにならなければならないでしょうか。一つになるとすれば、どこで一つにならなければなりませんか。どこですか、考えてみましたか。それを考えなければなりません。それが生殖器だというのです。
(265-256, 1994.11.23)
ハナニムと真の父母を中心とした愛の伝統が、すべての出発点であることを知らなければなりません。ハナニムと人間の真の愛が、どこで一つになって出発するのでしょうか。生殖器です。どのような種類の生殖器ですか。真の生殖器です。ハナニムが願われる生殖器です。そのような結論が出てきます。
(267-321, 1995.2.5)
ハナニムと人間の愛が連結されるところを本郷の地にして帰ろうとするのです。そこがどこかといえば、男性と女性の生殖器です。ハナニムの愛と人間の愛がどこで始まるのでしょうか。アダムとエバの生命と愛と良心と血統の根であるハナニムは、間違いなく縦的な立場から横的な位置のアダムとエバ、彼らの性相と形状が一つになったその中にすっと入っていかれるのです。ですから、アダムとエバの結婚式は、ハナニムの結婚式なのです。男性と女性がもっている生殖器は、ハナニムを解放してハナニムを完成させる器官です。ですから、ハナニムがお父様になるのです。縦的なお父様、横的なお父様は完成したアダムです。
(258-78, 1994.3.16)
皆さんがその長い棒をいい加減に扱ってはいけません。それに侍って生きなければなりません。それが最も貴いのです。ハナニムが見下ろしているのです。ハナニムがそこに臨むのです。そして、皆さんの妻のものはハナニムの夫人、女王のものであり、皆さんの夫のものはハナニムのスティック(棒)と言いましょうか。ハナニムと一緒にぶらさがっていると考えなければならないのです。それは二重ではありません。心と体のように、ハナニムが心ならば、皆さんは体になるのです。ハナニムは見えませんが、その生殖器と一緒にいらっしゃるのです。私たちの体にそれがぶらさがっていますが、それは二つが一つになってぶらさがっているのだと考えなければなりません。
(265-273, 1994.11.23)


夫の生殖器が、ハナニムの生殖器だと考えてみましたか。どれほど身近になりますか。ハナニムをどこか天のてっぺんに置いて信じるのではありません。自分の心の中に入ってきているのです。一つになっているから分からないのです。
(265-104, 1994.11.20)
堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になったために、天道を破綻はたんさせた魔物になったために悪いものになりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。堕落していなければ、男性と女性の生殖器は、愛の根本であり、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮になるのです。そこで縦的なハナニムの愛、横的な真の父母の愛が一つにならなければなりません。
真の愛は直短距離を通るために、横的な人間、アダムとエバの愛も直短距離を通る道は、90度の道しかないのです。ここで一つにならなければなりません。ここで爆発して、アダムとエバがハナニムと生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生そせいするところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、ハナニムの孫になることです。そうなっていれば、なぜ地獄に行くのですか。宗教に何の必要性がありますか。そのままそのように生きれば、すべて天国に行くのです。
(197-175, 1990.1.13)
ハナニムは縦的な位置、中央なので縦的であり、アダムとエバは横的なので、二人がどこで一つになるのかといえば、生殖器という基準を中心として一つになるのです。それゆえに、愛の源泉であるハナニムがその場に臨むことができ、生命の源泉であるハナニムがその場に臨むことができ、血統的根源がハナニムなので、その場からすべてのものが始まるのです。
それゆえに、生命の根源地であり、愛の根源地であり、血筋の根源地である、これをつかんで引っ張れば、すなわち血筋をつかんで引っ張れば、先祖の血筋がすべて出てくるのです。ここで生命をつかんで引っ張れば、先祖の生命がつられて出てきますか、出てきませんか。また、愛のひもをつかんで引っ張れば、つられて出てきますか、出てきませんか。そのように造化を集約させて、それを連結させることができる本部とはどこかといえば、最も貴いところだというのです。男性になれる性格、女性になれる性格、何がそれを分けるのかといえば、生殖器です。
それでは、男性の生殖器と女性の生殖器を、誰が先にこれと因縁を結ぶためにつくったのでしょうか。アダムでもなく、エバでもありません。ハナニムです。聖書に、悪魔は淫乱いんらんの神だとあります。なぜハナニムがそこまで嫌ったのですか。自らの理想的本基台を完全に破壊させてしまったからです。ですから、これは全宇宙からの追放を予告しているのです。
(194-64, 1989.10.15)


男性と女性の生殖器は、どれほど貴いでしょうか。これで堕落したために、この人類の全体の理想を破綻させてしまいました。その主人は二人ではありません。絶対的に一人です。女性が結婚して一人の夫にそれを許すようになれば永遠です。それゆえに、男性の生殖器、女性の生殖器は貴いのです。ハナニムの愛と人間の愛は、どこで会うのですか。
ハナニムが創造理想の愛のために天地を造られたのですが、その愛の対象が人間です。皆さんは、愛の対象が自分より優れていることを願うでしょう? そう願うでしょう? 何千倍ですか。「1000倍を願うか、1万倍を願うか」と尋ねれば、「1万倍を願います」と言うのです。「1万倍、10万倍か」と尋ねれば、「10万倍です。億万倍です」と答えるのです。
(263-121, 1994.8.21)
ハナニムが願う愛のパートナーに、被造世界の誰がなると思いますか。そのパートナーとは何ですか。男性一人だけでパートナーになりますか。女性一人だけでパートナーになりますか。ハナニムは何のパートナーを願われるのでしょうか。お金のパートナーではなく、知識のパートナーではなく、権力のパートナーではありません。愛のパートナーを願われるので、男性と女性の生殖器が一つになったその場を中心として、ハナニムに会うことができるのです。
(279-250, 1996.9.15)

 

ハ) 真の血統の根はハナニム
人間が堕落していなければ、ハナニムは内的な父と母になり、アダムとエバは外的な父と母になります。内的な父母の息子、娘として愛の種を受けて生まれた人間になるはずだったのですが、悪魔の愛を中心として堕落することにより、悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血筋を受けた人間になりました。
(223-234, 1991.11.10)
ハナニムは、見えない内的なアダムの位置にいらっしゃり、また見えない内的なエバの位置にいらっしゃいます。
アダムは、人類の前において、内的な父に侍る実体の父として立とうというのであり、またエバは、内的な母のハナニムに侍る実体の母として立とうというのです。このようにして縦的な基準から横的基盤へ拡大させようというのです。
(138-245, 1986.1.24)
エバは、未来におけるハナニムの愛の夫人です。ハナニム自体は縦的ですが、横的な相対がいません。縦横を結んで、もたなくては生産できないのです。ハナニムは縦的にいらっしゃいます。縦は垂直で、垂直は一つしかありません。垂直の世界は生産できません。生産できる環境は、横的な基盤です。ここには四方、360度があるので、面積があって生産圏が展開されるのです。ハナニムは、一人でいてはいけないので、天国を成す民族を生産するためにアダムとエバという体を造られたのです。
(203-296, 1990.6.27)
本来、堕落していなければ、エバはハナニムの夫人になり、アダムはハナニムの体になるのです。ハナニムの体になったアダムとハナニムの体になったエバが愛することによって、ハナニムと人の天地合徳が展開し、男性と女性、陰陽の合徳が展開して、初めて縦横に結びついた愛によって新しい生命、新しい血筋が絡み合わなければなりませんでした。
(196-233, 1990.1.1)


アダムとは誰ですか。ハナニムが根ならば、アダムは、新しく出てくる枝と同じであり、芽と同じです。ハナニムとアダムは一つの体です。生命の根もハナニムであり、愛の根もハナニムであり、血統の根もハナニムであり、良心の根もハナニムなので、ハナニムが先に、愛を感じなければなりません。根が先に感じて、幹が愛を感じなければならないのが原理です。
(264-136, 1994.10.9)
アダムとエバは、相対的愛の位置にいて、主体はハナニムです。ハナニムの愛は、アダムとエバが結婚して初日に愛するその時間、出発地から一つになるようになっています。ところが、一つになると感じられないのです。一つになっているために感じられないだけであって、既にハナニムは、愛と生命と血統の因縁を中心として、創造理想の喜びを感じるというのです。その喜びに反応して、男性と女性が愛し合いながら喜ぶのです。これは、アダムとエバが結婚して、夫婦が合徳することをいうのです。
(253-211, 1994.1.23)
ハナニムは、愛の源泉であり、生命の源泉であり、血筋の源泉です。このように見るとき、男性の愛と女性の愛が合徳し、男性の生命と女性の生命が合徳し、男性の血と女性の血が合徳するところとはどこでしょうか。男性と女性の秘密の場所、生殖器です。それで、人間世界における大事の中の大事が結婚です。
(211-240, 1990.12.30)
ハナニムと私たち人類の始祖であるアダムとエバの関係について考えれば、私たちの生命の起源はハナニムです。私たちの愛の主体もハナニムで、私たち一切の生活的な標準もハナニムです。
(53-238, 1972.2.29)
アダムとエバの結婚は、ハナニムと人間が結婚することです。同じように、皆さんも人間としてハナニムと結婚するようになっています。それでは、ハナニムは、どこにいらっしゃるのでしょうか。私の中にいらっしゃいます。
(258-276, 1994.3.20)
アダムとエバの結婚式は、ハナニムの結婚式です。アダムは誰ですか。ハナニムの長男です。平面の中の平面で横的です。ハナニムは縦的です。その一家で横的に発展することができるのは、長男から始まります。ハナニムとアダムは、愛を中心として父子一身です。それでは、愛は、どこで一つになるのでしょうか。縦的なアダムとエバの結婚式で一つになります。成熟してお互いに思い慕うのは、縦的な位置を求めるためなのです。
(263-124, 1994.8.21)
愛を中心として、アダムとエバにハナニムが入ってこられて内的な父になり、アダムとエバはハナニムの体になって、内外のハナニムになるのです。ハナニムは、宇宙を創造された内的なハナニムであり、人間は外的なハナニムになるのです。彼らが夫婦になって、天国の王宮を創設することが、創造の遺業です。宇宙の王権を中心とした王宮を設定して、アダムとエバを中心とした皇族編成がなされれば、地獄はあり得ません。
(140-115, 1986.2.8)


ハナニムとアダムが、内外に一つになれば、ハナニムは内的なハナニムであり、アダムは外的なハナニムになります。内にいるハナニムは内的なハナニムであり、外にいるアダムは外的なハナニムになるのです。
(41-290, 1971.2.17)
ハナニムは創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした縦的な父母だというのです。そして完成したアダムとエバは、真の愛を中心とした横的な父母です。この二つの父母が一体になるのです。愛するその場所で縦横が一体になるのです。そこは、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。そこが男性と女性の生殖器です。そうすることによって、ハナニム自体がハナニムの息子、娘を生むのです。皆さんは、二つの父母から生まれました。その縦的な父母の相対的な立場に立ったものが良心です。そのような面から見るとき、良心は縦的な自分自身であり、肉身は横的な自分自身です。それでは、縦横が何によって一つになるのでしょうか。真の父母の愛、創造主の真の愛によってです。真の父母の愛、創造主の真の愛によって一つになれば、心と体は絶対に闘いません。
(250-38, 1993.10.11)
ハナニムが創造当時、理想として願われた真の愛、偉大な真の愛を中心として、人間と関係を結んで一つになることのできる、神人愛一体の家庭を築いたならば、今日私たちは、天国だ、地獄だと心配することもなく、そのまま天国にみな入っていくようになるのです。ここで問題になることは、ハナニムの真の愛と真の人間の真の愛が、主体的真の愛と相対的真の愛で一つになって一点から出発しなくては、ハナニムの真の愛と人間の真の愛が異なった二つの愛の出発になってしまうので、二つの愛の方向と目的地になるということです。このようになる時は、ハナニムと人間が願う絶対的理想世界は探し出すことができないのです。
(275-54, 1995.10.31)
既成教会と統一教会が違うのは、統一教会は、愛を中心として神人一体を定着させるということです。既成神学では、ハナニムは神聖なもので人間は俗なるもの、罪なるものとして定義しています。そうであるなら、ハナニムの愛と人間の愛がどのようにして一つになることができるでしょうか。それは話にならないというのです。絶対的なハナニムは何でもできる、と考えているのが問題です。
したがってキリスト教の行く所には、たくさんの血が流れてきました。ハナニムの命令を名目に侵略し、奪取したのです。独裁者を出したのです。世界は、そのようにはなりません。ハナニムの本性から見るとき、そのようにはならないのです。
(249-145, 1993.10.8)


3) 神人一体と愛の理想完成

 

③ なぜ結婚が重要なのか

イ) 結婚の目的はハナニムに似ること
宇宙の根本がそうです。ハナニムの完成も、やはり同じです。アダムとエバが二性性相になって縦的に一つになるのです。それで、ハナニムを完成させて解放させるのが人間だというのです。また、人間を完成させて解放させるのがハナニムだというのです。離れることができません。その場で生きなければなりません。
(277-25, 1996.3.17)
アダムとエバは、ハナニムの二性性相がそのまま出てきたので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生まれた兄と妹のようなものです。その兄妹の双子が乳を片方ずつ分けて飲み、お互いに触りながら、愛を中心として考えるのです。すべて母の懐に抱かれて愛するのです。
(238-248, 1992.11.22)
ハナニムが二性性相に分立されるので、その本性が、そのように分立されるのではないですか。男性は何ですか。男性は性相的なハナニムであり、女性は形状的なハナニムです。この二人が一つになり、分立されたものが一つになることによって、愛を中心として愛の軸が生じるのです。愛の軸は誰もタッチできません。ハナニムも愛の軸の前に絶対服従するという論理が、ここから展開するのです。すべて理論的です。
(206-296, 1990.10.14)
統一的基準の内容があるところとはどこでしょうか。垂直線です。人間が堕落していなければ、ハナニムと人間はどこで会いますか。なぜ結婚するのですか。ハナニムに会おうとするのです。ハナニムの愛の前に、接ぎ木をするためなのです。愛のために生まれたので、その愛は宇宙と同参して、ハナニムのような愛の理想相対を探さなければならないのです。それは、一人ではできません。ハナニムが二性性相に分立したのです。
(203-247, 1990.6.26)
なぜ結婚するのですか。ハナニムの姿に似るためです。ハナニムは二性性相でいらっしゃる方として、各々の一性が合体化した一律的な存在であられ、そのハナニムの分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、ハナニムの本性の位置に帰らなければならないのです。その種を連結させるためには、愛の道理の道を通らなければならないので、生まれるときも愛を受け、育つときも愛を目標として育ち、生きるにも愛を中心として生きて、逝くときも愛に帰るために逝かなければならないのです。その道は、「ため」に生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向がずれるという事実を皆さんは知らなければなりません。「ため」に生きて愛するという心を先頭に立てれば、いくらこっちに行くといっても、南極と北極の方向を探し当てるように正しく行くというのです。
(138-97, 1986.1.19)
私が結婚をするのは、私だけのためではなく、相対のためでもあります。結婚が自分自身より相対のために行われるということは、どういうことでしょうか。天地間のすべての道理が主体と対象で成り立っているように、男性と女性が結婚するのも天地間の道理です。


男性が右側ならば女性は左側になりますが、それは、宇宙間の横的な関係をなすためであり、男性が主体ならば女性はその対象になりますが、それは、ハナニムとの縦的な上下関係をなすためなのです。したがって、結婚とは男性だけのためではなく、また女性だけのためでもない、天理の法度を合わせるためにするのです。それゆえに、男性と女性がお互いに異なる形を備えています。天理法度に合わせられるようにできているのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-357)
なぜ結婚するのですか。ハナニムを愛するためです。ハナニムを愛して何をするのですか。ハナニムの軸と一致するためです。一致して何をしようとするのですか。一致すればどのようになるのですか。なぜ一致しようとしますか。絶対的なハナニムの愛を中心として、永遠であられる愛を中心として、永生が展開するのです。それだけではありません。そのように接触したところから宇宙の相続権が伝授される、ということを知らなければなりません。愛を中心として造られた被造世界は、ハナニムのものですが、私のものとして相続権を与えられるのです。
(136-39, 1985.12.20)
なぜ結婚するのですか。アダムとエバが自らの愛を求めていくためではありません。縦的なハナニムの愛を核として、その核を中心として、客体として一つのバランスをなすためなのです。それが理想です。
ハナニムの創造理想も、そのような愛を中心として結びつくことであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開して、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるというのです。
(173-288, 1988.2.21)
結婚とは何かといえば、創造理想の完成の場です。ハナニムの子女の完成の場であり、兄弟の完成の場であり、男性と女性の理想的完成の場です。男性と女性が理想の場で一つになることは、創造前にアダムとエバが二性性相の性相と形状でいたものが実体として一つになることです。
(252-118, 1993.11.14)
ハナニムの無形の二性性相がアダムとエバの実体として分かれたのですが、これが再び縦的に会うのが結婚式です。結婚して一つになる瞬間は、未完成の半分が完成する瞬間であり、完成品として合格する瞬間であり、相対の世界を抱く瞬間です。愛の力以外にはそのようにできるものがありません。それだけではなく、ハナニムを占領するのです。結婚は、相対を占領してハナニムを占領するのです。それが正に結婚です。でたらめにするのではありません。
(255-260, 1994.3.11)


結婚とは何ですか。男性は、女性の世界を占領しようというのです。女性の世界を知りません。また、女性は、男性の世界を占領しようというのです。結婚する前は、女性は男性が神秘的です。男性には女性が神秘的なのです。同じです。結婚して神秘的な男性と女性の世界をお互いに占領して二つとも備えることにより、ハナニムの二性性相の主体の前に一つになる、その姿を備えるのです。このようにしてハナニムと一つになるのです。
(261-218, 1994.6.19)
男性は女性のために生まれて、女性は男性のために生まれたのです。結婚は何かというと、片側の身分が完成することです。男性半分、女性半分が一つになることであり、その次にはハナニムを占領するためです。男性と女性が二性性相になったので、愛で一つになることにより、正から分かれたものが合わさっていくのです。
(270-167, 1995.5.29)
アダムとエバの結婚は誰の結婚かといえば、ハナニムの結婚式です。愛の根、生命の根、血統の根、良心の根であるその根が、先に愛を体恤たいじゅつしなければならないのです。結婚するその場には、ハナニムをお迎えしておいて夫を迎えなければなりません。ハナニムの二性性相がアダムの心とエバの心に入っていかなければなりません。正から分立して入っていくのです。これで正分合になるのです。したがって、プラスとマイナスがすべて一つになるのです。
(273-84, 1995.10.21)
なぜ結婚するのですか。ハナニムの姿に似るためです。ハナニムは二性性相でいらっしゃる方として、各々の一性が合体化した一体的な存在であられ、そのハナニムの分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合成一体化して種のようになり、ハナニムの本性の位置に帰らなければならないのです。結婚は、ハナニムと一つになれる位置に行くということなのです。
(290-53, 1998.2.2)
結婚とは何ですか。男性を通じて愛を結ぶことにより、半品存在である女性が完品存在になることです。男性も同じです。結婚を通じて完成するのです。何によってですか。愛で一つになることによってです。ですから、男性と女性の生殖器は、絶対に必要なのです。
男性の生殖器は女性のためにできたのであり、女性の生殖器は男性のためにできたのです。自分のものではありません。
(265-101, 1994.11.20)
結婚初夜の愛というのは偉大なものです。初愛です。皆さんが女性として生まれて一生保護してきた自分の体、その一身を男性に捧げるのです。男性もそうです。自分一身を備えて純潔な体を女性に100パーセント捧げるのです。そのためのものが男性としての結婚前の生活です。
(250-97, 1993.10.12)


男性と女性は、出会って愛が芽生えれば、絶対的に一つにならなければならないと考えますか、絶対的に分立されなければならないと考えますか。絶対的に一つにするとは、どうなることですか。男性と女性がキスすることですか。どこが一つになりますか。何のために結婚するのかと言えば、生殖器理想の完成のためです。結婚とは何かといえば、生殖器官の理想を満たすためのものが結婚だというのです。それは間違っていますか、合っていますか。俗的な結論のようですが、俗的な結論ではないというのです。俗的な人間の世の中で話すので俗的なのであって、ハナニムの創造本然の世界では神聖なのです。ハナニムが願われる至聖所はどこかというのです。愛が永遠に宿ることができるところが至聖所だというのです。
(279-71, 1996.7.24)
女性が男性を訪ねていく時は、「ハナニムよりもっと貴いものを訪ねていきます。一生を大切に装って貴く思い、何よりも貴いものをもってあなたを訪ねていきます。あなたを愛します」と、こうでなければなりません。そのように女性が男性を慕えば、生殖器が息をします。
(206-141, 1990.10.3)
結婚して男女が初めて愛する瞬間、関係する時間は、子女の愛の完成の場なのです。兄弟の心情の完成場、夫婦の心情の完成場、未来の父母の心情完成の出発点です。それで、女性の生殖器というのは愛の本宮です。愛の根源です。そこから愛が始まるのです。空中から始まるのではありません。
(257-100, 1994.3.13)
男性と女性が完成するのは何ですか。それが結婚生活です。男性と女性の凹凸、これを一つにするのです。何を中心として一つにするのかというのです。男性と女性の凹凸が何のためにそのようになったのかといえば、愛のためにそのようになりました。愛で一つにすることを知らなければなりません。人間のすべてを構造的に見たとき、この生殖器のように全体の核的な内容をもって生まれたものはありません。ハナニムが創造されたなら、ここにすべての精力を込めてつくられたという話になります。
(263-261, 1994.10.15)
結婚とは何かといえば、半分の男性と女性が、生殖器を一つにすることによって、お互いに完成するのです。男性は、女性の愛を中心として完成するのです。男性は女性を完成させ、女性は男性を完成させるのです。それは、まことの愛を中心として完成させるのであり、真の生命の結合が展開するのです。真の愛で一つになるのです。
愛が中心になって生命が活性化され、二つが一つになる位置がその場です。男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになることのできる位置が、その場だというのです。その場から、息子、娘が生まれます。その場は、息子、娘より貴いということを知らなければなりません。夫よりも、ハナニムよりも貴いということを知らなければなりません。
(280-199, 1997.1.1)
男性と女性がお互いに愛し合って抱擁する、それ自体が、宇宙が一体をなす場になります。ハナニムの理想の中でなされる創造本然の姿は、そうです。
(22-201, 1969.2.4)


福の中で最も貴い福は、ハナニムの愛です。その次には、ハナニムの創造の権限を引き継ぐことです。ハナニムがアダムとエバを創造されたように、創造的権限を与えられるのが子女なのです。皆さんは、なぜ子女を愛するのでしょうか。ハナニムの創造の業績を横的に実体圏で受け継いだのと同じなので、アダムとエバを造ってハナニムが喜ばれた、その喜びを代わりに感じるためです。
その次には、ハナニムが天地万物を主管されたように、万物を主管するために私たちに主管権を賦与されました。したがって、結婚するその時間には、ハナニムの愛を相続して、再創造の権限と主管権を完成圏に立って受け継ぐようになる、ということを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権を賦与されることです。
(76-45, 1975.1.26)
世間で盛んにおこなっている自由結婚は、サタンが人々を堕落させてハナニムの前に出ていけないようにするためにつくっておいたわななのです。その罠に引っ掛かれば死に、サタンの支配を受けて餌食えじきになるしかないのです。今日、西欧社会、特にアメリカは、自由結婚が盛んに行われることによって、真なる家庭を築くことができなくなっていて、家庭生活に失敗した人々が日増しに多くなり、遠からず家庭をもたない人が多数を占めるようになるでしょう。
そのようになれば、アメリカ社会は愛が干からびた社会になり、不信によって不安と恐怖が支配する地獄のような社会になるだろうと、自信をもって確言することができるのです。このような時点に立っている皆さんには、このような社会風潮を一掃して、アメリカ社会に愛が満ちあふれ、ハナニムの願われる社会を建設しなければならない義務と使命が賦与されていることを知らなければなりません。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-364)
私たち統一教会は、結婚観が違います。結婚というのは根本に帰るためのものです。
(182-186, 1988.10.23)

 

ロ) 夫婦の愛と絶対性
夫婦が、ハナニムを愛して人類を愛する心の基台の上で爆発するようにお互いに愛するならば、その家庭によってハナニムが酔い、宇宙が酔うことができるようになるのです。その愛は、ハナニムのための愛であり、人類のための愛です。その愛の根は、自分にあるのではありません。ハナニムが愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。
(35-239, 1970.10.19)
結婚したなら、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時には、垂直的概念が生じます。平面的な歴史は宇宙を収拾し、天宙を収拾することができません。垂直と水平が出会って90度をなす時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろにしても、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面をくっつけてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界のすべての完成へ続くのです。
(230-259, 1992.5.8)


結婚して、夫婦が真の愛をなす場は、ハナニムと人間の、愛と生命と血統の根源である王宮の場であり、理想のための地上天国と天上天国の出発地です。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成し、ハナニムに侍って暮らす家庭となり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分である男性と女性は、一体となって、ハナニムの相対として、ハナニムの理想愛を完成するようになるのです。
(259-45, 1994.3.27)
男性と女性が祝福を受け、完全な愛を授け受けして喜びを享受する時、ハナニムが地上に咲いた花のように御覧になるというのです。また、彼らの愛によってなされるすべての調和万象は、ハナニムにとって良い香りと同じです。このような美しい香りの中でハナニムは暮らしてみたいと思って訪ねてこられるというのです。ハナニムの愛が訪ねてこれる基台が、すなわち夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場になるはずです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-889)
男性と女性の生殖器の主人とは誰ですか。縦的なハナニムです。どこでハナニムの理想的愛と人間の理想的愛が一つになりますか。生殖器です。ハナニムに出会うために結婚するのです。驚くべき話です。ハナニムがほかにいるのではありません。その場に入っていくようになれば、ハナニムが生きていらっしゃいます。三大主体思想がどこで結合して根を打ち込むのですか。愛です。ハナニムの愛と人間の愛が生殖器を中心として・・・。結婚は、ハナニムの縦的な愛に接ぎ木をするためのものです。
曇った日に陰電気と陽電気が合わさって雷が鳴ったり稲光がするのは、宇宙結婚の象徴です。大声で叫ぶでしょう? はとも愛する時、大声で叫ぶでしょう? 皆さんも愛する時、大声で叫びますか。声が出てきそうなのに両親に聞こえるかもしれないと思い、ただもう死ぬほど心配でしょう。率直であるべきです。なにもそのようなことを隠す必要はありません。これからは、窓ガラスが一度にガッシャーンと音がするくらい叫んでも罪ではありません。雷鳴がとどろき、稲光がするかのように、火が出なければなりません。聖女に侍って生き、聖男に待って生き、ハナニムに侍って生きる境地に入っていかなければならないのです。そのような愛の世界があります。ですから僧侶そうりょたちには、いくら修行に励んでもその世界を知るすべがないのです。
(203-255, 1990.6.26)
皆さんが夫婦関係をするのをハナニムが見ないと思いますか。公開的なのです。これは宇宙的に公開するのです。それを知らないということは大きな間違いです。
皆さんの先祖がすべて見ているというのです。霊界でも、すぐ目の前に見えます。手のひらに立ってするかのように、すべて見えるのです。ですから、それを恥ずかしいと考えれば大きな間違いです。
(250-244, 1993.10.15)
愛は永遠です。そのような愛は、二つではなくて一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で偕老かいろう(注:共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つですが、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、ハナニムと回るようになって愛の四位よんい基台を成し遂げるようになりますが、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛だけが臨在するようになるのです。
(祝福家庭と理想天国 Ⅰ-346)


理想的夫婦とは、どのような夫婦ですか。最高の芸術を実体として展開させることができる夫婦、最高の文学を展開させることができる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦が授け受けする、その甘い愛が世界最高の芸術作品にならなければならないのです。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならないのです。
(22-269, 1969.5.4)
家庭を芸術化させなければなりません。おもしろい夫、芸術的な夫にならなければなりません。何かの雑誌などに良いものがあれば、さっととっておいて、寝ようとする夫人の前で素晴らしい声で読んであげるのです。感動して寝る妻の姿を夢に描けば、それが再現されるのです。霊界と連結するのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのように暮らしたいですか。でなければ、そのまま風流さのない夫婦同士で暮らしたいですか。素晴らしく生きたければ、素晴らしくなれる姿勢から、素晴らしくなれる方向をとらなければなりません。それが第1条件です。
(271-282, 1995.8.28)
赤ん坊を生む位置は、ハナニムの上弦世界を占領するのです。ハナニムの位置に上がっていくことにより、子女を愛することで、ハナニムが創造以降に人間をどれほど愛されたのか、その内縁を体恤させるのです。
(224-28, 1991.11.21)
このように、夫婦が息子、娘を生んで父母の立場に上がっていくことで、ハナニムの立場でハナニムが人間を創造される時、どれはど喜ばれたかを体恤するようになるのです。天地の大主体であられるハナニムのすべての権限を相続できる立場に入っていくことができる体恤的環境において、体恤的内容として伝授させてあげるのが息子、娘の生産です。息子、娘を生産して大切に育てて結婚させるまでが父母の責任です。ハナニムがアダムとエバを育てて結婚させるはずでしたが、できなかったのです。アダムとエバも、息子、娘を生んで結婚させることができませんでした。このハンを解かなければなりません。これが教育の原論になるのです。
(223-196, 1991.11.10)
夫婦が一つになって息子、娘を生むことによって永続することができます。それで、創造した創造主の位置に上がっていき、息子、娘を生んでみることによって、ハナニムが創造された喜びを平面世界で感じることができるのです。それゆえに、自分の妻は、息子、娘と同じでなければなりません。息子、娘と兄弟の位置を合わせたものです。ですから、別れることができないというのです。愛は、いい加減になっていません。息子、娘を生もうとするなら、このようなすべての伝統を踏まえ、経ていったのちに息子、娘を生んでこそ、ハナニムが本来創造理想として願われた本然的基準に到達するのです。それゆえに、家庭が天国基盤です。
(223-24, 1991.11.7)


ハナニムを中心として一つになる時、千態万状に回るようになるのです。したがって、兄弟間で愛し合うことも、父母が子女を愛するのを見習いながら、兄は弟を愛さなければならないのです。そのように愛しながら一元化した家庭には、家庭愛が花開くことができます。これはまた、社会愛にもなります。これがさらには、民族を愛する民族愛になります。このように愛すれば世界になるのです。ところが、今日、これが漠然としているというのです。
(28-168, 1970.1.11)
ハナニムは、真の愛の本体なので、真の愛と連結すればすべてが同じ体になります。父母は、ハナニムの身代わりである生きているハナニムであり、夫と妻は、お互いがもう片方のハナニムであり、息子、娘はもう一人の小さなハナニムです。このように、3代が真の愛を中心として成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を築かなければ、天国を成すことはできないのです。家庭とは宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛して宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。このような場合、ハナニムは、全体宇宙の父母として愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。
(298-306, 1999.1.17)
平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の節操と男性の志操です。そのようになれば、男性でも女性でも絶対に信じます。これが水平にならなければなりません。永遠に水平になるのです。そうなれば幸福です。自分たちの宝物の中の宝物が何かといえば、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。夫も占領しましたが、天地が半分のかけらだけだったものが一つになるのです。上弦のハナニム側に下弦の息子、娘が生まれるのです。上下関係が生じるのです。
その次には夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そのようにして、前後を中心として、初めて家庭が定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟をもたないといけません。上下関係、左右関係、前後関係です。その器官を完全に定着させなければなりません。
それゆえに、唯一、私にあるものは何ですか。男性には妻一人しかいません。財産でも何でも、全部捨てるとしても、これは取り替えることができないのです。ただ一つの宝物は妻だというのです。
(325-166, 2000.7.1)

 

4) 生殖器は最高の神秘、最大の関心事

 

生殖器は最も精誠を尽くしてつくったところ

宇宙は、なぜペア・システムになっているのでしょうか。独りでになっているのでしょうか。今日、進化論もいいのですが、進化論に先立って広がっている事実は何でしょうか。男性と女性の生殖器、繁殖器官があります。そこに進化がありますか。進化があるなら、男性と女性の愛する方法が変わらなければなりません。昔の人と今日の人と、それが発展していなければならないというのです。昆虫世界においても、虫が愛するそれが、昔と今日と変わらなければなりません。鳥もみな、変わらなければならないというのです。そのような内容を中心として論じることができるのです。生命の起源である愛の器官を中心として、その本拠地が進化的内容で発展するようになっていますか。それが、ただそのまま眉毛が生えたり、勝手に涙が出てきたりしますか。狂ったことを言うなというのです。


この宇宙の根本になる主人がいて、考えがなければなりません。私たちのこの体は、どれほど神秘的ですか。この体が理由もなくできましたか。生殖器がどれほど神秘的ですか。それは、想像できないほど神秘的なのに、それがただそうなっているのですか。生命が連結しているものは簡単ではないのです。
(191-53, 1989.6.24)
男性と女性の生殖器の細胞が、物質世界が最高に願う希望の終着地だというのです。そこに行くことにより、ハナニムの愛に接することができる高貴なものになるというのです。
それゆえに、男性と女性の生殖器は、宇宙のすべての精髄の核が、細胞が作動し、集まっているというのです。その力は、宇宙を動かすことのできる力が通過する愛だというのです。したがって、愛する人のためには自分が犠牲になろうとするのです。
(287-303, 1997.10.6)
生理的感覚の集結地が生殖器です。ハナニムが創造される時、最も精誠を尽くされたところです。それゆえに、歴史を連結して、生命を再び創造する器官になっています。皆さんは何も知らずに夫婦関係をして、息子、娘を生みますが、そのようになっていません。そのようにすることができるように造られたハナニムは、全体の要素がそこに連結されるようにされたのです。それゆえに、それが活動するようになれば、生命の根本要素がすべてそこに連結して、発電所のように爆発するのです。それを愛というのです。
(255-306, 1994.3.11)
結婚しましたか。新郎がいますか。恋しい時は、動物が発情する時に、見ないで、においをかいで自分の相対を訪ねていくのと同じように、皆さんにも、生理的な大革命が起こらなければなりません。堕落したために、その基準に至らないというのです。動物が愛する時、どのようにしますか。きょう、さっき映画を見たでしょう? 江原道カンウォンド東江トンガンにいるヤタガニこいという魚を見れば、魚たちは生殖器がありません。魚がこのような形をしているとすれば、ここにひもがあります。これが生殖器です。雌が発情すれば、そこに行ってこするのです。電気が通じて精液を放射するのです。実に神秘的です。水中でどのように卵をかえすのかというのです。そのように、みな愛するのです。
(301-195, 1999.4.26)
進化論から考えれば、男性と女性の性を誰が区別しましたか。アメーバがしたのですか。このダーウィン、こいつめ、私が胸ぐらをつかまえて、首根っこを押さえつけておかなくてはいけません。「男性と女性の生殖器の構造が、私たちの骨格の構造よりも何次元もさらに神秘的で複雑だということを知っているのか」と尋ねるとすれば、ユン博士はどのように答えるつもりですか。さあ、どのように答えますか。骨格の構造よりももっと複雑なものが生殖器の構造だという時、これは正しいですか。もっと複雑なのが生殖器の構造です。
(197-22, 1990.1.7)


 

生殖器の主人がお互いに入れ替わった

男性の宝物は、男性自身はもっていません。男性の宝物は女性がもっていて、女性の宝物は男性がもっているというのです。取り換えてもっているのです。女性の生殖器は、女性のものではありません。男性のものだということを知らなければなりません。自分のものではありません。男性も同じです。したがって、自分の思いどおりにできないのです。アメリカの女性たちは、自分がもっている生理的五官が自分のものだと思って自由に行動して、ありとあらゆることをします。男性たちもありとあらゆる行動をします。皆さんは管理人です。管理人が主人のように振る舞っているというのです。
女性に尋ねますが、皆さんがいつ、その主人に出会いましたか。主人は夫です。また、男性は、男性のものが自分のものですか。それでは、結婚とは何でしょうか。お互いに主人を訪ね求めていくためのものが結婚だというのです。陰電気と陽電気とが飛び交って、雷を落とすのが愛です。それと同じだというのです。女性が結婚するのは、男性の顔よりも、それのためです。男性が結婚するのは女性の手ではなく、それのために結婚するのです。男性や女性同士で結婚する男性同性愛者や女性同性愛者など、そのようなものがどこにありますか。それはなくなるのです。100年も続かず、1代ですべて終わるのです。このように見る時、結婚をすべきですか、すべきではありませんか。結婚は、なぜするのですか。このようになっているので、結婚をしなければならないのです。絶対に結婚しなければなりません。
(162-50, 1987.3.22)
女性の生殖器は、自分のものではありません。男性のものです。夫のものです。今まで自分のものだと思っていましたが、自分のものではありません。女性には必要ありません。これを必要とするのは男性です。男性のものをもっている、ということを知らなければなりません。男性のものです。夫のものだというのです。夫のものなのに、自分のものだと思っているので、世の中の万事を、よこしまにすべて破壊してしまうのです。男性がいなければ、それを何に使いますか。何に使うのかというのです。重要な問題です。今まで、それが分からなかったのです。
(275-132, 1995.12.4)
男性の愛の主人は女性です。女性がもっています。女性の愛の主人は男性です。男性がもっています。男性たちはみな知っている話です。男性たちがぶらさげているのは誰のものですか。今までは、このことを知りませんでした。自分のものだと考えたのが罪です。女性がもっている生殖器を自分のものだと思ったことが、大きな罪です。
(141-172, 1986.2.21)
まことの男性は変わってはなりません。真の女性は変わりません。真の愛を中心として、絶対的に変わらない男性と絶対的に変わらない女性をどこで探し出すのですか。そのような人々が出てきたとすれば、宇宙全体がその前にすべてひざまずくようになります。そのようになるのです。ハナニムは知恵の王であられるために、男性の宝物は女性がすべて大事に保管するようにし、女性の宝物は男性がすべて大事に保管するようにしました。生殖器官がそうです。
(142-335, 1986.3.14)


人間が生まれた目的とは何ですか。愛の道を訪ねていくためです。それで、男性と女性がもっている生殖器官は、自分のものではありません。男性についているものは、男性のものではありません。ところが、これを自分のものだと思っていました。女性についている生殖器官の主人は、女性ではありません。その主人は男性です。そして、男性についている生殖器の主人は誰かといえば、女性だというのです。このように、愛の主人を取り換えて配置したという驚くべき事実を知らなければなりません。
(143-66, 1986.3.15)
女性と男性で違うものが一つあります。それは何ですか。生殖器でしょう? 女性の生殖器が自分のものですか。結婚したのちには自分のものですか。夫のものです。また、夫にぶらさがっているものは何ですか。それは誰のものですか。女性の万年所有です。真の愛を中心として、絶対的な愛の所有権が決定されます。サタン世界で夫が浮気をし、刃物を持って自分でこれを切るといって大騒ぎをしても、妻が駄目だといって手で阻むことで、「切ることができなかった」となってこそ許しを受けます。
(180-334, 1988.10.5)
男性と女性を統一するには、キスすることによって統一されますか。お互いに抱擁することで統一されますか。完全統一は、男性と女性がお互いに入れ替わった(生殖器の)主人を見つけられる、結婚生活から展開するのです。
(190-130, 1989.6.18)
男性がいるのは、男性の相対である女性のためにいるのです。ハナニムは知恵の王なので、けんかをして離れることがないようにするため、最も貴いものの主人をお互いに入れ替えて装着したのが、男性の生殖器と女性の生殖器です。これが愛の至聖所です。モーセの契約の箱のために建てたのが至聖所だと言ったでしょう? これに触れば、雷に打たれるようになっています。当代と万代に滅亡が訪れるのです。その主人である祭司長は、唯一、夫です。
(190-134, 1989.6.18)
ハナニムが創造される時、男性と女性をでたらめに造ったのではありません。生殖器を中心として造られました。なぜでしょうか。ハナニムは、愛の先祖であり、生命の起源であり、血統の起源であるからです。ここで男性が理想的愛を伝達するのです。女性の生殖器は男性のもので、男性の生殖器は女性のものです。自分が主人ではないのです。それを開くことができるのは自分ではありません。女性が自分のものを開くことはできません。男性のものを男性が開くことはできません。女性だけが男性のものを開くことができ、女性のものは男性が開くことができるのです。愛の焦点がそこに結実するのです。
(193-301, 1989.10.8)