八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 6-1

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1532-1571

【天啓の御言】(6-1)

 


真の父母は、私のものです。真の父母を私のものにするためには、この地球ぼしを売ってでも買わなければなりません。地球星でも足りません。地球星と霊界と肉界を売っても買えないのです。今日、特別に決意しなければならないことは、真の父母様は絶対的に私のものだ、唯一的に私のものだ、不変的に私のものだ、永遠的に私のものだ、という決意です。
(303-266, 1999.9.9)
皆さんはこれから、「九・九節」を中心として「総蕩減献金」をしなければなりません。「総蕩減献金」とは何をするのかというのです。怨恨えんこんと解放式です。解放式をしなければなりません。ハナニムのハンを解いて、解放をしてさしあげなければなりません。それだけでなく、天宙を解放し、皆さんを解放させ得るのが「総蕩減献金」だということを知らなければなりません。
1999年9月9日、「九・九節」宣布以降、14日午前7時15分を期して、今までの真の父母の名によって祈祷したものを、自分の名前で祈祷する時代に入りました。天宙統一解放圏を迎えて、第四次アダム圏の自主自由の解放の時代に入るからです。
(304-154, 1999.10.10)

 

祝福家庭の場合(一世二世を含む)
〔例一〕夫(妻)が祈祷する時:真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだ祝福家庭誰々(祈祷者の名前)の名によって祈祷いたします。アーメン。
〔例二〕子女が祈祷する時:真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだ祝福家庭(父親の名前)家庭の息子、娘(息子、娘の名前)の名によって祈祷いたします。アーメン。
〔例三〕大衆の前での祈祷の時:真の御父母様の勝利圏を祝福によって受け継いだ祝福家庭(祈祷者の職責)、誰々(祈祷者の名前)の名によって祈祷いたします。アーメン。(教区長の場合:〇〇教区長〇〇〇の名によって祈祷いたします。)

 

祝福家庭でない場合は前と同じように祈祷します。
〔例〕真の御父母様のみ名によってお祈りいたします。アーメン。

 

⑫ 第四アダム時代宣布(二・十節)

<1999년 10월 10일 우루과이>
1999年10月10日、ウルグアイ
1999年10月10日の10月の10数は、天を中心とした再出発数を意味し、10日の10数は地を中心とした再出発を意味します。それで10月10日を「二・十節」として宣布するのです。
(304-157, 1999.10.10)

 

3) ジャルジン7大宣言と新エデン創建

 

① 第1宣言:新希望農場宣言(ニュー・ホープ・ファーム)

「ハナニムが人間と万物を創造されるとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をもって造られました。ハナニムの対象体である私たちも、ハナニムに絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません」。
(268-262, 1995.4.3)
エデンの園で失った絶対信仰、絶対愛、絶対服従を取り戻すために、サタン世界を完全に否定してきたのが、ハナニムの復帰の使命であることを知らなければなりません。旧約は割礼を通して、新約は水で洗礼をしてあげることにより、不信によって汚されたすべてのものを洗い流すのです。
成約は何でしょうか。愛です。犠牲になることにより、自分を投入して忘れるのです。ハナニムと共に投入して、堕落した世界を再創造しなければならないのです。ハナニムの息子、娘になろうとするならば、この世に自分を投入して早く復活しなければなりません。ですから、血統転換の祝福を受けなければならないのです。また祝福を受けたなら、その一族を犠牲にしても、早く国を収拾しなければなりません。絶対的な信仰、絶対的な心情、絶対的な服従なので、それは絶対的な行動です。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従できる人になりさえすれば、統一教会の「原理」を知らなくてもよいのです。そうしながら、その上に絶対的な血統復帰、所有権復帰、心情復帰を地上で成して越えるようになると、その人は、天の国の民になります。


レバレンド・ムーンが世界的に160ヵ国家を中心として、自由民主世界および共産世界を収拾して既に勝利の覇権を握り、南半球に来て、地上天国、理想王権の世界を建設できる時運が始まりました。これから皆さんは、先生の代身であり、ハナニムの代身です。先生がどこに行ってもついてきて、天がどこに行ってもついていかなければなりません。きょう1995年4月3日を中心として「新希望農場(New hope farm)」を宣言します。
(268-292, 1995.4.3)

 

② 第2宣言:絶対、唯一、不変、永遠の理想家庭

「ハナニムは、絶対、唯一、永遠、不変であられます。私たちは、ハナニムの子女であるので、ハナニムの属性に似て、絶対子女、唯一子女、永遠子女、不変の子女にならなければならず、絶対夫婦、唯一夫婦、永遠夫婦、不変の夫婦として生きなければならず、絶対父母、唯一父母、永遠父母、不変の父母にならなければならず、絶対家庭、唯一家庭、永遠家庭、不変の家庭として完成しなければなりません」。
(1998.8.7)
ハナニムを中心として、全被造世界の本質的真の愛の、理想の愛をもっているので、絶対夫婦、絶対子女、絶対兄弟、絶対父母を中心とした家庭にならなければなりません。これが第2ジャルジン宣言です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、ハナニムの属性とは何かというと、絶対属性、唯一属性、不変属性、永遠属性です。そのような属性をもっているので、その属性は四つの必要とするすべての全体相対を願われるに違いないのです。自分よりも良いものを願われるがゆえに、より絶対、より唯一、より永遠、より不変、このようなものを願われるのです。
皆さんは、ハナニムを、絶対父母、唯一父母、永遠父母、不変父母として仕えてみたことがありますか。そのような父母、起源者がいて、その起源者が見えないその父母と、見える夫婦としてのアダムとエバになったのですが、アダムとエバも見える絶対、唯一、不変、永遠のハナニムの代身者にならなければなりません。
(?, ?)
「創造主」と言い、「万宇宙の根本だ」と言い、すべての存在世界の主体となる一つの中心があるのですが、その中心が願う理想世界は、この地上の存在世界ではないのです。ハナニムが願われる世界は、天上にある、何かの理念の世界でもなく、だからといって外的な世界でもないのです。その世界は、心情の因縁を中心として動く情的な流れの前に、全体を巡って「息子であり、娘である」と呼べる世界です。ですからハナニムがいくら立派な方で、創造主で、絶対者であるとしても、やはりそのような内容をもった人を願われるということを、私たちは否定できないのです。
歴史は、真の人、真の国家、真の世界を指向しています。私たち自身も、真の存在になろうとする意識をもって目指しています。それでは真の因縁の中で、標準になる因縁とは何でしょうか。ハナニムと人間の間に結ばれた、父子の因縁です。この因縁から始められた心情は、どんな存在の権限によっても曲げることのできない、永遠で、不変で、唯一なものです。また、この心情の権限は、絶対的なものです。ですからこの権限をもって現れるようになるとき、すべての存在物は、その存在の前にこうべを垂れるしかないのであり、この心情の権限をもって動くようになるとき、満天下は、それに従って動かなければならないのです。これが宇宙の鉄則です。もしそうでないとすると、私たちが願う本当の目的を成すことができず、一つの絶対的な因縁を結ぶことはできないという結論が下されるのです。


人類と天倫の前に「終りの日」があるとするならば、その「終りの日」は、どのような日になるのでしょうか。その日はハナニムが人間に対して、「お前は永遠に否定しようとしても否定することのできない私の真の息子、娘だ。私の息子、私の娘、今こそハンをすべて解いた」と言える、安心して安堵あんどできる、安心して楽しめる日でなければなりません。そのような息子、娘がこの地上に現れる、その日その時が来てこそ、ハナニムの新しい理念世界は始まるのです。
(7-104, 1959.7.26)

 

③ 第3宣言:第一、第二、第三の創造主宣言

「ハナニムは第一創造主としてアダムとエバを創造され、アダムとエバは第二創造主として私たちを創造しました。それゆえ、私たちは第三の創造主になるのです。
ハナニムは息子、娘(アダムとエバ)を失った悲しみも大きいですが、孫をもつことのできなかったハンもあります。3代が第一創造主(ハナニム)のような心情をもって、一つの家で共に生きなければなりません」。
(1998.8.21)
天は、「ため」に生きる人に「滅びなさい」と言うでしょうか、「栄えなさい」と言うでしょうか。保護するのです。統一教会の教会員たちは、よく知らなければなりません。誰よりも「ため」に生きる人は、中心存在になるのです。これは天理です。
朝ご飯を食べるときには、夕べの怨讐おんしゅうの名前を忘れなさいというのです。昼食を食べるとき、朝の怨讐の名前をみな忘れるのです。彼らのために救ってあげようとするハナニムの心の道に従えば、天運がその後ろから保護し、そむこうとするときには何度も振り返り、怨讐を怨讐と思ってはいけないのです。先生は、怨讐の名前を、全部忘れてしまいました。先生は、怨讐の子女たちに学費がなければ、学費を送ってあげました。食べることができなければ、食べるものを送ってあげました。誰だか、私も分かりません。そのような心情があるので、今日、世の中を正し、ハナニムを中心として天下を収拾し得る中心、永遠の中心が決定できるという事実が、このような論理で結論づけられることを知らなければなりません。
「ため」に生きて滅びた人はいません。「5000年の歴史の中で、生きている聖人がムン総裁だ!」と、そのようなことは聞きたくもないのに、そのように言う人が多いというのです。直接、会ってみると、「生きている聖人として侍らせてください」と、そのように言う人に多く出会いました。誰がそのように教えたのでしょうか。自分の心に、高いその何かが関係して、先祖とか、通り掛かりの天国に近い忠臣の家系の中で名前を残した人たちが訪ねてきて、夢の中で、思いの中で、投入して、そうできる行動の結果を招来した驚くべき事実を忘れてはいけないのです。
(305-288, 1998.8.27)


 

④ 第4宣言:宿命的提案解怨(ジャルジン・ニューホープ・ファーム)宣言

「ハナニムと私たちは、父子の関係です。父子の関係は宿命です。父母のすべての恨と問題を子女のみが解いてあげられるのです。それが子女の道理なのです。入籍した家庭は二度と、不信したり背信することはできません。ハナニムと私たちは父子の間で共鳴統一されなければなりません」。
(295-167, 1998.8.28)
父母の愛は、公平でなければなりません。ですから父母は、長男、長女がいれば、自分の代わりに愛せるように、お兄さんたち、お姉さんたちが、その弟妹たちに尊敬されるように、つなげてあげなければならないし、そのように結んであげなければなりません。それを中間で結びつけてあげなければなりません。それができなければ、家庭に不和が起こり、兄弟の紛争が起こります。それで教育をしなければなりません。ですから宿命的提案解怨かいおん! それがアダムとエバ、個体復帰の完成をしなければならないハナニムの素性そせいを中心として、四大原則は絶対男性、唯一男性、不変男性、永遠男性、また絶対女性、唯一女性、不変女性、永遠女性だというのです。そのような男女になって祝福を受けなければなりません。まことの夫婦にならなければなりません。
親不孝の中の親不孝です。その方が求めて成そうとした家庭において孝子を願っていたのが、失った長子ですが、それを成すことができませんでした。このような長子の伝統を受け継いで国を建てるはずだったのが、国ももつことができませんでした。世界ももつことができませんでした。地上の天国を成して天上天国をつなげ得る、これをもつことができませんでした。
すべてのことが宿命的課題を成就することができなかった、という事実が分かりますか。これをすべて解決できる方法が、このジャルジン宣言です。これは絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。
ハナニムは、私たちの父母です。この世の堕落した人間も同じように、父母は、愛する主体は自分の愛する相対が自分よりも優れていることを願います。この天理原則が、根本がハナニムと父子の関係なので、ハナニムを中心として夫婦関係、父子の関係、アダムとエバはハナニムの体となり、ハナニム的夫婦になるのです。
父の精子は、骨です。骨を中心として母は、肉です。精子が母親の卵子と合わさって構成されて生きることにより、母親の卵子が構成されるのです。骨! 骨に対するものがどのように生まれるのでしょうか。父親の赤ちゃんの種が根本のプロジェクトです。根本の計画というものです。それが母親に入って、母親の肉を受けて大きくなって、みな形を整えて本来の父親の赤ちゃんの種としてあった構成的、その実体がプラスになり、母親の腹中で、母親の体をマイナスとして大きくなっていくのです。このようにして初めて、計画されたプログラムの形態に一致して生まれたのが私です。


夫婦の生活に愛の自由があります。そこは制裁のない解放された天地、どこに行ってもそれが拘束されない自由的愛の立場から出発しなければなりません。自由の愛を中心として自由の生命の結合夫婦となって、自由生命の結合を通して、自然な腹中生成の過程を経て生まれるのです。そうすると自分に自由があるというときには、これは父母の自由を、愛の自由を尊敬しなければならず、父母の生命的自由、血統的自由の因縁を否定する自由はあり得ません。
ですから父母を尊重視しなさいと言うのです。父母が守ってきた愛を尊重視し、伝統を受け継がなければなりません。それを受け継いだのちに、その上に自由があるのです。木の枝が生きるためには、根から、幹から、すべての栄養が連結された立場において育つ自由権があるのであって、これを否定する自由はありません。切ってしまえば、みな死んでしまうのです。
真の愛の道は、順理です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従のために生きれば愛が育つというのです。信仰の上に愛の種を植え、芽が出れば、これを誰が育てるのでしょうか。これはすべてハナニムご自身が、自らを投入し得るものです。
コディアックに行くとさけがたくさんいます。鮭が寒い冬に、11月に卵を産みます。そのように寒いので、昆虫もいません。小さな魚もいません。すべての魚が暖流を探していくので食べるものがありません。ですから母親、父親がえさになるのです。父母、先祖は、子供のために犠牲になるのが当然の原則です。動物世界は今まで伝統に従って数億年が過ぎても続いているので、人間はさらにそうしなければならないのに、それさえもできずにいるので、人間は動物よりも劣っているという話になるというのです。また、愛することも同じです。勝手に愛することをしません。鳥も真の愛の種に従います。勝手に愛し合わないというのです。カップルになれば、それが絶対的です。
これから家庭法をつくってあげなければなりません。全部規範をつくるようにと、私が指示しています。これから私が霊界に行っても、霊界に行って国を立てるようになると、その国を立てる法に従って、先生がいなくても、その法を先生の代身として守って一つになっていけば、天国と連結されるのです。
自分中心、個人主義、自分の存在意識を主張できないのが「私」だということを知らなければなりません。私自身を主張する前に、父親、母親がいて、父親、母親の生命から父親、母親を通した血統があり、その上に愛がありました。血統を尊重し、歴史を尊重し、先祖を尊重し、先祖たちを整え得る因縁とは何かというと、父母なのです。父母を尊重し、その次にハナニムを尊重し、ハナニムの上に何でしょうか。愛です。


絶対愛、絶対父。絶対父母、絶対父母を通じた絶対愛から絶対生命、絶対血統が、その母親、父親に集まっています。ここから出てくるということを知らなければなりません。それで私は、血統の代表者であり、母親、父親の生命体の代表者、母親の愛の代表者だというのです。その代表者として受けたので、それを拡大することが生まれた本位の目的であって、これも成さずに自由行動して、自分の欲望を立てて勝手にしては亡国の種になるのです。
宿命的な課題と運命的な課題である、父子の関係のすべての因縁が一つにならなければならないのですが、何が中心になるのでしょうか。骨の髄から、赤ちゃんの種から、真の愛を中心として一つにならなければなりません。それで生まれて今、体と心をもって大きくなってこの世をすべて抱いて、父親も抱いて母親と一つになるのです。父母様が言うそこには、絶対信仰・絶対愛・絶対服従、おじいさんが言うときには、孫も絶対信仰・絶対愛・絶対服従、父親も絶対信仰・絶対愛・絶対服従で、同じです。
ですから永遠に伝統的に相続されていくのです。宿命的提案解怨! このようにしてこそ第8番の誓いにおいての、成約時代を迎えて絶対信仰・絶対愛・絶対服従による神人愛一体、ハナニムと人間の一体、愛による一体となるのです。一体を成して、その次には、そこから地上・天上天国の解放圏です。
(295-167, 1998.8.28)

 

⑤ 第5宣言:家庭的四・四節宣布

地上世界の完全完璧かんぺきな摂理完了時代を迎えるようになった。
イ) 霊界でも四位よんい基台が成されて地上でも四位基台が成された。
ロ) 父母と子女が四位基台を取り戻し、理想家庭の種をいた。
ハ) 一世代と二世代が一つになった。
ニ) 南(パンタナール)と北(アラスカ)が一つになった(天と地が一つになる)。
ホ) サタン血統が断切されハナニムの側として血統が転換された。
(1998.9.8、4・4節、アラスカ、コディアック)
きょうが1998年であり9月8日ですが、このすべての数字を足すと44数になります。アダムの四位基台、子女の四位基台、相対の四位基台を越える9数はサタン数であり、8数は出発数です。「19」も20の前です。全部サタン数だというのです。ところで、全体、全般、全権、全能の時代、ハナニムの思いのままにできる時が来ます。
サタン世界のすべてのものが一つの世界になるのです。それでは、44数はいつ現れるのでしょうか。歴史的な宣言をしようとするのです。1998年9月8日の合計44日、それできょう「四・四節」を宣言するのです。
(?, ?)
いずれにせよ帰らなければなりません。それで、北の方のコディアックに行って二世を中心として「四・四節」をつくるのです。ここの南方には国家的メシヤ、北方には母国ははぐにのカイン的メシヤ、このように分かれるのです。これを連結して心情的なものを中心として、その前には二世が立つのです。ここにプラスとマイナスがあり、プラスがあればマイナスをくっつけなければなりません。


北方に入って将来、二世たちがプラスとマイナスに連結されて初めて、そのとき「四・四節」を宣布することにより、アダム家庭の四位基台着地、息子、娘の四位基台着地をして、二人とも初めて四位基台が着地することによって、天上世界の門を開けることができるのです。ですから、このことを準備するために6月13日、聖人と殺人鬼たちを祝福してあげたのです。みんな兄弟です。ハナニムのことをサタンが打ってしまったので、ハナニムが思いのままにするのです。それで解放的地上・天上天国になるということを知らなければなりません。
(298-64, 1999.1.1)

 

⑥ 第6宣言:総霊界霊人解放式 ‐ 全体解放統一式

「すべての霊人たちは、何の功績もなく祝福を受けたので、地上の子孫を助けて地上天国建設を助けなければなりません。」
(1998.10.5(陰 8.15)、ブラジル、サンパウロ)
(祈り)愛するお父様! きょう1998年10月5日、この日は韓国では秋夕チュソクであり、先祖に侍る記念の日です。今から、韓国の清平チョンピョンと、この西洋社会のサンパウロの聴衆と、天地を巡ってすべての被造万物と、すべての霊界にいる霊人たち、先祖たちと、千万聖徒たち、ハナニムをはじめとした地上の愛によって造られた被造万物たちと、この地上に生きている全人類が、一致圏をなした愛の決定をもつことができないハナニムのハンを解くために、歴史時代の旧約、新約、成約解放完成圏に向かってこられたお父様、悲しかった歴史を、みな取り除いてください。
(296-9, 1998.10.5)
(祈り)お父様の願いであった、6月13日に祝福した五大聖人を中心とした、その基盤と共に関係している宗団の因縁の霊界に行っているすべての弟子たちと共に祝福を受けたこの群れが、これから最後の転換の一時を迎えなければならない地上に、再び兄弟と共に、父母様に待ってハナニムと共に、天上と共に、忠孝の道理と伝統にその足跡を踏んでいくこの地上の天使長家庭を、この地に完成したアダム家庭にある地上祝福家庭解放圏の前に同参させてくださり、ハナニムの前に、家庭では孝子の道理、国では忠臣の道理、世界では聖人の道理、天地では聖子せいしの道理の愛の因縁を共に相続することができるように、天のハナニムとまことの父母様が一つになり、このことが永遠に可能になり、彼らを中心とした、その従ってくる弟子と、そのような先祖をもったアダム・エバと共に、連結された後代の先祖たちも解放してください。
そうして、真の父母様に地上で待った本然の完成的天と一体の愛圏血族を中心として、侍ることのできなかったすべてが、地上・天上の先祖たちが兄弟の因縁、父子の因縁の本然的創造理想、縦横の決定の愛の一家庭を中心とした定着点に、地球ぼし全体、全霊界が一つの真の父母を中心とした宇宙史的な家庭的基盤を永遠に定着できる宣布の日に、霊界解放、地上解放、すべての家庭が縦横無尽に自由の往来ができるようになり、共に活動する時代を真の父母の名により、これからこのすべてのことを一つに束ねて地上着地活動することを、全被造万物と共に、真なる愛を中心とした、ハナニムと真の父母の真なる血統的心情圏を中心とした、ハナニムの愛の地上・天上天国、永遠のハナニムの主権勝利のために出動することを、真の父母様の名によって宣言いたします。アーメン! アーメン! アーメン!
(296-14, 1998.10.5)


 

⑦ 第7宣言:天宙的四・四節宣言 ‐ 真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放宣布式

(1999. 1. 8 우루과이 푼타 델 에스테)
1999年1月8日、ウルグアイ、プンタ・デル・エス
心と体の統一、夫婦統一、子女統一を成さなければならないのです。それで絶対家庭が成されなければなりません。これが「ジャルジン宣言」において第2です。第3、第4まで連結され、その次には「四・四節」まで連結されるのです。アダム家庭は、四位よんい基台完成を通して定着することができませんでした。その次には、息子、娘が定着することができませんでした。ところが「四・四節」を越えて、これからジャルジンに来て家庭訓練をして天国に帰っていくのです。
旧約時代は、万物を統一祭物として捧げなければならず、新約時代は、息子を完全に統一祭物として捧げなければならず、これから成約時代は、父母を完全に一つにして捧げてこそ恨の世界に解放と統一を宣布できるのです。それで今回、ハナニムがどっさり祝福をしてくれると思っているのですが、水道管が太ければ水が多く排水されるのと同じように、皆さんが精誠を捧げて努力した、それいかんによって、勝利的すべてのパイプが各々天上世界と連結されるのです。このような事実を知り、あらん限りの精誠、精誠、精誠を尽くして、敗者になるのではなく、勝世者になることを祝願いたします。
(298-57, 1999.1.1)
サタン世界の権能がどんなに強くても、ハナニムの権能の時代が来るのです。ハナニムが思いのままにできる時代が来るのです。そのようにできる時代が来て、始めて地上天国になるのです。
ハナニムを解放しなければなりません。それも4数です。旧約時代、新約時代、成約時代、その次には解怨かいおん時代です。解怨時代には全体を捧げなければなりません。こうすることによって、それをもらってハナニムがもっているのではありません。ハナニムが全体を受けて、初めてアダムに渡すのです。アダムは、受けたものをもう一度、ハナニムにお返しして、ハナニムが真の父母の前に渡すことにより、そこから所有権分配が始まるというのです。
(298-63, 1999.1.1)

 

4) 世界平和統一家庭連合

統一するためのキリスト教時代は、既に過ぎました。長子権復帰、父母権復帰を完成したので、キリスト教統一だけでなく、世界統一時代へと越えていくのです。それできょうから名称を、統一教会の名を替えて、世界平和統一家庭連合を4月10日付で使用しなければなりません。
(283-11, 1997.4.8)


世界基督キリスト教統一神霊協会の使命が終わることにより、宗教の使命は終わり、救いを必要としない、人類史上初めて宗教を必要としない新時代に入るのです。
家庭連合は、家庭を理想家庭にすることにより、ハナニムの創造理想を復帰完成して、天的理想世界を立てるものです。
(283-9, 1997.4.8)
家庭が定着しなければなりません。今まで宗教は、個人圏を目標にしたのであって、家庭圏を目標にする宗教はありません。全部、出家です。家庭を捨てていきました。時代が違います。どんな宗教でも個人の救いをしたのであって、家庭救援、宗族救援、国家救援という言葉はありません。私たち統一教会は、家庭を中心とした国家救援、世界救援を唱えているのです。
(283-106, 1997.4.8)
家庭が定着して、世界に通じる家庭になってこそ、エデンで願ったハナニムの創造理想の結実が現れるのです。息子、娘を中心として横的に拡大され、それがハナニムが願った宗族になり、自動的に民族に連結されなければなりません。それで家庭が重要です。すべてのことが、世界平和統一家庭連合でみな終わるのです。さあ、世界平和統一家庭連合。一度、言ってみてください。世界平和統一家庭連合。その中心は何かというと家庭です。
(283-84, 1997.4.8)
家庭が世界を代表する平和の道を、統一の道を行かなければなりません。すべてのことが、家庭と連合された基準に連結された、ということを知らなければならないのです。ですから、立派な家庭が、これから出世するのです。
(283-54, 1997.4.8)
これからは家庭中心です。ですから一人で行くことはできません。これから人事処置も夫婦一身です。夫が長であれば、妻は副責任者です。その息子、娘がすべて実力基準で優秀であるとき、彼らを重要な部署に家庭的に配置して、一族として配置できるのです。
これから重要視しなければならないのは世界平和統一家庭連合なのですが、世界を忘れてはいけません。世界を忘れれば、平和になってどうしますか。平和を忘れれば、統一してどうしますか。統一がなければ、家庭を成してどうしますか。家庭は、一つの家庭ではありません。連合主管がなければ、家庭を成してどうしますか。全部、関係しています。連合を考えるとき、統一を考え、家庭を考え、平和を考え、世界を考えなければならず、世界を考えるとき、平和を考え、統一家庭連合を考えなければなりません。一体だというのです。世界の代表主人になり、平和の主人になり、統一の主人になり、家庭の主人になる、連合世界の統一天下の主人になる、その場に、ハナニムが臨在できるのです。
(283-51, 1997.4.8)


5) 堕落の峠を越えるためには

 

① 父母の道と子女の道は違う

カナン復帰路程では、先生についていかなければなりません。かもが大洋を渡る時には、親分がもの前に、絶対服従です。異議がありません。「飛べ!」と言えば飛ぶのです。大変でも、死んでも、ただついていかなければなりません。今まで、そういうことをしてきました。
これからは、目的地に来てひなを生んで、みなこのようになったので、自分たち同士で互いのために生き、愛して一族を成し、その一族自体を愛し得るようにしなければなりません。それが今、この時にしなければならないことだというのです。今まではカナン福地に向かって行く時であり、これからは定着時代に入っていくのです。
(115-107, 1981.11.4)
カインとアベルは、責任分担を完成する責任がありません。責任分担完成は、誰がしなければならないのでしょうか。アダムとエバ、すなわち父母がしなければならないのです。先生にその責任があるので、皆さんができないことを、キリスト教が過ったことを、全部私が責任をもって40年の間、父母の立場で、個人として整備し、家庭として整備し、宗族、民族、国家、世界的に整備したのです。このようにして個人責任分担蕩減とうげん復帰、サタンを追放できる塀をつくっておき、責任分担完成圏をつくったので、そこから新しい世界が始まるのです。
世界以上の場で成したので、これから天国が可能だというのです。それで「天国創建」という言葉、「祖国創建」という言葉が出てきたのです。これがみな原理的です。
(148-163, 1986.10.8)
皆さんは、天国に行く道を知りません。蕩減の道を知りません。蕩減の道が分かりますか。責任分担を完成できなかったので、責任分担条件に引っ掛かっているのです。責任分担を果たせなかったことにより、サタンが侵入したのです。個人、家庭、社会、国家、世界、または霊界まで、全部サタンが侵入しているのです。
(137-104, 1985.12.24)
欲張ってはいけません。先生を中心として完全に、絶対的に一つにならなければなりません。一つの根です。根を引っ張ったら、引かれていくべきなのです。幹や枝は、自分の存在意識をもつことができません。主張することができません。二方向はあり得ないのです。一つです。これが勝利的基盤を築く立場を取ってこそ、東西南北に自由が起こるのです。そうでなくては自由がありません。ですから自由行動をすることができません。
(169-199, 1987.10.31)
先生が教えてあげたすべての内容が、天国に入るためのかぎです。ここに合わなければ、全部開けることができません。私があげるキーでもって開けてこそ天国が開くのであって、どんなことをしても駄目なのです。先生のキーは、本質的キーです。金で作ったり、銀で作ったり、どんなもので作ったりしても、いくらやっても開きませんが、これは真鍮で作って、大したことはないようでも開くというのです。誰も、そのようなキーを作ることはできません。尊いキーだというのです。
(260-186, 1994.5.8)


絶対的な信仰をしなければなりません。「まことの父母様を絶対的に信じていく」と言わなければなりません。
(46-99, 1971.7.25)

 

② 子女の道は絶対従順の道である

絶対的に服従しなさい。絶対的に服従するのは、滅びることではありません。服従すれば、どうなるのでしょうか。一つになります。一つになれば、どうなるのでしょうか。悪は反発します。完全に一つになっているので、悪は反発するのです。それで悪が除去され得るのです。これが原則です。
(57-114, 1972.5.29)
皆さん全員が、これからは絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンにおいてのその家庭は、自分の所有物がありません。ハナニムとハナニムの絶対愛と血筋が一つになった立場に立っているまことなる息子、娘になりさえすれば、この宇宙のすべてが息子、娘に相続されるようになっているので、全部自分のものになるのです。愛によって一つになると、自分のものになるのです。
祝福は、ハナニムの真なる生命の血筋が連結される基盤を相続するのです。祝福を通してハナニムの血筋を相続した人が霊界や肉界にいるので、ハナニムが思いのままに主管できるのです。それで、ハナニムの思いのままに再創造、復帰歴史を、今も蕩減とうげん条件なく全権をもって押し出しているのです。ですから、皆さんが、そのような信念をもった相対的立場に立つか立てないかということが問題です。決心した、そのような絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つになるときには、一瀉いっしゃ千里にすべてのことが水平世界に線を引けるのです。
(300-303, 1999.4.11)
ハナニムが創造するとき、ハナニムご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従する位置にあったので、その相対的な家庭を成すことができず、すべてが地獄に落ちたのです。真の父母様の勝利圏と一つとなったすべての基盤により、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によりアダム家庭で失ったものを、世界的に越えたこの時なので、統一教会は、真の父母を中心として絶対信仰、絶対愛、絶対服従をしなければなりません。真の父母は、ハナニムの前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の伝統を受け継いできたので、それを伝授されなければなりません。分かりますか。天の祝福が共にあるのです。
(1996.11.3)
今までの道人(修道者)たちは、何を中心として生活してきたでしょうか。イエス様も、かわいそうな人です。夜も昼もハナニムのみ旨のみを抱き、自分の意志はありません。ハナニムのみ旨の前に絶対服従でした。絶対服従! なぜ絶対服従したのでしょうか。絶対的な主体、円形的な主体がいるのにもかかわらず、もう一つの三角形的な主体の圏を成したのがサタンなので、そのサタンを除去するためにそうしたのです。今日、人間は、サタン圏内に隷属されています。サタン圏内に隷属されている人間を脱出させるためには、サタンが最も嫌う道を行かなければなりません。
(57-114, 1972.5.29)


それで宗教は、良心を中心として絶対服従だというのです。良心と心が、本来は、ハナニムが絶対的なので、絶対的なハナニムを中心として絶対的に一つにしようとするので、宗教世界ではマイナスになれというのです。
(57-114, 1972.5.29)
絶対信仰には愛がついていきます。父子の関係においては絶対に信じ、絶対に愛し、絶対に服従するのです。互いに完成するためには、父母は子女のために生まれたので、自分の血と肉と精誠、このすべてのものを投入し、自分よりも良くなることを願います。無限に良くなることを願うのです。投入し、投入し、投入して忘れて無限に投入、永遠に投入して忘れるのです。それは何かというと、個人の家庭を越え、宗族、世界を越え、ハナニムがいるならば、ハナニムの上にまで上がらなければならないというのです。
堕落のハンをもって、徹頭徹尾、地上において天が見ている観点で順理的な内容で、全部この地で解いていかなければなりません。逆理的内容をもっていっては、すぐに引っ掛かります。許しがありません。
先生が生きて、誰よりも先頭に立って苦労するのです。本来は、誰よりも栄光の立場であることを知っていますが、栄光の出発と、栄光の生涯と、永遠の栄光の世界を連結する橋を架けなければならないのに、その反対のサタン世界で苦労を始めたので、苦労で終わろうとするのです。
(295-255, 1998.9.8)
霊界を、はっきりと知らなければなりません。適当に生きることはできません。地上で完全に合格した家庭として天国に直行できる、条件に引っ掛からずに解放直行できるように、家庭を皆さんがつくらなければなりません。それは、先生の責任ではありません。みな行けるように祝福してあげたでしょう。ハイウェイを造っておいたでしょう。自動車に乗って、油さえ入れればよいようにしておいたのです。どこにでも行けるのです。
解放をみな宣布したのです。駄目な時は、「こいつ」と言って制裁を加えるのです。天国に入る時に、この地上から合格者を送らなければなりません。
今まで、合格した者たちだけ送ったのではなく、ただ送ったので、あの世の牢獄や中間霊界に行っています。地上の中間霊界とか楽園家庭とか、または地獄家庭がないように、きれいに整備して、天国に直行できる、このような基盤を築かなければならないのです。
(298-232, 1999.1.8)
ハナニムが絶対的ならば、自分も絶対的な立場を願わなければなりません。ハナニムが不変ならば、自分も不変でなければなりません。ハナニムが唯一ならば、自分も唯一でなければなりません。ハナニムが永遠ならば、自分も永遠でなければなりません。このような観点で、人間の永生は不可避的であり、それは結果的な帰一点とならざるを得ないという結論を、堂々と下せるというのです。


いくらハナニムに愛があるといっても自分に愛がなく、いくらハナニムに生命があったとしても自分に生命がなく、いくらハナニムに理想があったとしても自分たち人間に理想がなければ、すべてのことが空しいのです。
(69-74, 1973.10.20)
四大心情圏と三代王権を失ったので、これを取り戻さなければなりません。それを成すためには、絶対服従と絶対従順と絶対犠牲を中心として順応し、何をさせても、みな「やります」と言わなければなりません。そのようにしたのちにこそ、父母がサタン世界から、ここに来るのです。ですからサタン世界の男性は天使長なので、切ってしまわなければなりません。そうすると、ここから上がっていくのです。
(235-293, 1992.10.25)
先生は今まで、「お前たち、先生の言葉に絶対服従しろ」と、そう言わなかったのです。私たちは、歴史的な路程に順応していかなければなりません。歴史的な路程とは何かというと、ハナニムのための摂理的な歴史路程です。今まで皆さんに、復帰摂理路程を教えたのは、統一教会ムン先生のためではないのです。
ですから先生も行くのです。主体となり得るハナニムの目的に向かって、相対となり得る人類の目的に向かっていくのです。その目的を一点で結末をつけることができなかったので、これに結末をつけようとするのが、今日、この時代に統一教会が主張する「統一原理」であり、「統一思想」だということを知らなければなりません。
(71-64, 1974.4.28)
本当の孝子は、服従する者です。本当の忠臣は、奸臣かんしんとして追われて死んだとしても、王に対して無能な王だというのではありません。奸臣として追われて死んだとしても、忠臣の不変の心でかわいそうな心を抱いて、涙を流しながら王の御安泰を願う人が本当の忠臣です。絶対服従だというのです。絶対服従で成功をもたらせるたった一つの道は、真の愛の道しかありません。
(164-48, 1987.5.3)

 

③ 義務と守るべき規則(心得)

ジャルジンが重要です。そこは、韓国とは正反対の地です。そこから家庭を中心として、先生と国家メシヤと宗族的メシヤが再び天国に行けるように公認してあげるのです。ですから先生の一族圏内に加入できる、先生の血族圏内に入り得る圏を中心として、地上から天国行きのハイウェイに入るのです。ジャルジンで40日修練を受けた祝福家庭は、避難民のように荷物をまとめ、何でも売り払い、大移動の準備をしなさいというのです。
今後、南北が統一されることにより、私たちが一つとなって天が認めるホームタウンができるのです。地上・天上天国のホームタウンが始まるのです。
まことの父母の家庭からすべての宗族、一族から祝福家庭が一つとなって定着すべき時がついに来たのです。今後、南北が統一されれば、世界はあらゆる思想的な面でも、私たちに従わざるを得ないのです。一つの世界となるのです。


「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」という言葉は、サタンの血統を引っこ抜いてひっくり返して打ちつけろというのです。それでお父様が80になる2000年に入ると、すべての地上の一族たちは、全部天国行きだというのです。サタンの地獄から出エジプト、脱出するように、地上世界の出発が起こるのです。モーセが80歳で出エジプトしたのと同じように、これから真の父母の家庭王としての世界地球ぼしが出発するのです。
(300-305, 1999.4.11)
イスラエル民族がモーセのあとについていったように、これから地上地獄を出発する天国への大移動が起こらなければならないのです。ですから、荒野のような過程を経ていかなければなりません。そこでは、今のエジプトにあるすべてのものを売って、自分の故郷を建設できる資金を持って帰っていくのと同じ道理です。すべて売り払い、荷物を背負って避難民のように大移動するのです。
エジプトに住んでいたころのことを、懐かしく思ってはいけません。エジプトで食べた肉、生活していた豊かなそのすべてのものが、荒野に入って砂原の風の吹く中で乞食こじきのような生活をする時、どんなに恋しいことでしょうか。しかし、その時、恋しがった人たちは、みな滅びてしまったということをよく知らなければなりません。
これから国家的メシヤの家庭は、3代、7代を中心として、一族がみな一つとなって自分のすべての財産を売り払って祖国光復をしなければなりません。そうすれば、全世界が一度にくるっと回るというのです。すべての所有は、ハナニムと真の父母の所有を中心として世界のすべてのものが集まってくることによって、もう一度再分配して、地上・天上天国、ハナニムの祝福を受けた家庭の所有権時代に越えていくのです。そうすると霊界が、全天使世界が一度に入り、アダム家庭の復活圏を成すのと同じことが起こるのです。個人から家庭を成し、宗族、民族、国家、世界を成し、一度に父母様が成してくださった基盤を中心として祖国を取り戻し、入ることによって、自分の家庭、宗族、民族、国家、世界が全部解放されるのです。それが嫌な人は、地獄に行くのです。
韓国の地がもし買えないならば、南米の土地を全部買って、全部分割しようと思います。南米の土地を買ったら、韓国の延長の土地として認定するのです。キリスト教アメリカが一度に韓国に移動するというようになったら、南米までの世界キリスト教圏を全部一つとして、一度にみな復帰できるのです。一度に入籍できるというのです。それで家庭連合、宗族連合、国家連合をつくっておいたのです。
(300-307, 1999.4.11)
自信満々に、どこに行こうと自分が爆発的な中心になって、天の中心から下りてくる力を受けて、横的に押し出せというのです。はばかることのない、このようなことを自信満々にやっていけというのです。祝福天宙化です。このような家庭は、天地がみな注目する家庭なので、ここから解放圏が広がっていくのです。それこそ天宙が回るのです。それで、これから皆さんの祝福を受けた一族が一つになって、ジャルジンで教育を受けなければならないというのです。
(298-57, 1999.1.1)


ハナニムが創造当時に、宇宙を愛した以上の心をもって、このすべてのものを引っ張って集結させ、ここに一方的な投入をしなければなりません。このような家庭の最後の終着点に、芸術的な家庭の理想を備えて、ハナニムに待って真の父母様が自分の家庭に来られたなら、「永遠に離れたくない」と言えるこのような家庭、万民のすべて責任者たち、さらには天の国の直系の真の父母の息子、娘を含んだ皇族圏があるとすれば、どのような皇族であっても、その家に行って住みたいと思えるようなモデル的家庭を成さなければならないのが、私たちの責任だというのです。
(298–54, 1999.1.1)
皆さんの家庭が問題です。一族の核になれる家庭、統一的基準を成せる家庭、これが問題です。どれほど今まで、自分勝手に生きてきたでしょうか。自分たちが知っているでしょう。本当に心と体が一つになったでしょうか。あのクリスタルのように、四方がみな輝くものとして一度、輝いてみなさいというのです。自分たちがよく知っています。夫妻同士で闘ってはいけないというのです。
(298-63, 1999.1.1)
皆さんは、これから先生の誕生日を中心として献納祭をしなければなりません。「総生畜献納祭」ですが、「総生畜献納祭」は何をするのかというと、怨恨えんこんと解放式です。解放式をしなければなりません。ハナニムのハンを解いてあげ、解放をしてあげなければなりません。ハナニムを解放してあげなければならないのです。
(298-59, 1999.1.1)
自分の財産も何も、みな捧げなければなりません。その捧げる行列が、この世の歴史始まって以来、最も長くなくてはなりません。それを捧げることによって、最初の先祖が1代になり、2代、3代、と代数が生じるのです。ここに座っている、これは何代でしょうか。500人であれば500代になるというのです。500代の差が生じるのです。一緒に一つ所に座っているここで、誰がこれを完成して、先にこれを献納するかによって、入籍する問題において500代の差が生じるのです。これが天上世界に行って、会うに会えない段階へ分かれてしまうのです。ですから競争が起こるのです。この世で最も恐ろしいことが起こるのです。先祖たちは地団太じだんだを踏んで、「こいつ、お前の財産を全部、早く献納しろ」と言うでしょう。やらなければ、その財産を踏みつけてなくしてしまうというのです。
(298-60, 1999.1.1)
旧約時代の祭物、新約時代の祭物、成約時代の父母の祭物を捧げなければなりません。ハナニムの心情的な姿を引き出すためには、私たち全体が合わさって祭物を捧げなければなりません。真の父母様を中心として、統一的祭物を献納することによって、ハナニムに全体の主人として侍り、この地上に私たちの家庭から、宗族、民族、国家に君臨することによって、上下関係、左右関係、前後関係を思いのままに回ることによって、ハナニムが主管する世界になり、全体が一時に同じになるのです。
(298-63, 1999.1.1)


ハナニムが憤り、悔しく恨めしいことを解怨かいおん成就するその日を迎えなければならないにもかかわらず、自分のこの腐るもの、地獄に行く家庭をつかまえて防御し、保護しています。とんでもないというのです。
(298-60, 1999.1.1)
ですから、ここの教育が終わったら、一族教育を指示するのです。その時になったら、家庭教育時代が過ぎるというのです。行かなかったら棒で追いやり、たたいてでもジャルジンの教育に行かせなければなりません。
祝福家庭は、家庭を中心として、家庭的メシヤ、宗族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤがあることによって、新しくジャルジン教育を受けるその基地に来て、天国に行けるチケットをあげるのです。皆さんと写真を撮ってあげるのです。この人たちは、間違いなく先生の歴史的先祖の隊列に参加させるのです。その写真がなくてはいけません。問題になるのです。
(298-62, 1999.1.1)
いつ、先生が大移動を命令するか分かりません。もう皆さんが方向を変えなければならない時です。方向を変えなければならないというのです。全世界の祝福を受けた食口シックたちは、早く南米に行って教育を受けてこそ、これから天国に入れるチケットをもらうことができ、先生は一族に写真を撮ってあげているのです。これは先生の命令です。ここアメリカの責任者、州の責任者が問題ではありません。先頭に立って教育を受けなさいというのです。お父さんが行けなければ、お母さんと息子で、お父さんの代わりに来て条件を立てながら、このような避難の荷物を整理して行きなさいというのです。それを経なければならないのです。それは、入籍の手続きを取ることなのです。
(300-309, 1999.4.11)
「先生に似なさい」という言葉は、良い言葉でしょうか、悪い言葉でしょうか。築いたすべての福を、ただそのまま受け継がせるというのです。先生が大きな峠を越えたなら、これを中心として同じ型をつくりなさいというのです。そうすれば、この垂直線は同じだというのです。そのように蕩減とうげんしていくのです。
(199-188, 1990.2.16)

 

6) 第四次アダム圏、自由自主の時代

 

① 第四次アダム時代は自然復帰時代

第四次アダム時代は、自然復帰時代へ進入するのです。蕩減とうげん復帰時代が終わったことにより、第四次アダム時代は、皆さんの努力によって、個人アダム圏を勝利して、家庭アダム圏を超え、宗族アダム圏、世界まで超え得る自由解放圏が起こるのです。
これからは、皆さんの家庭が理想的家庭となって、父母様とハナニムに直接に侍り、父母様の代わりにならなければなりません。皆さんは、旧約時代、新約時代に来たメシヤ、新約時代を越えて成約時代に来たメシヤ、一次アダム、二次アダム、三次アダムの代身家庭となることによって、ハナニムに待るようになり、万民が天国に直行できるようになるのです。そのようになることによって、第四次アダム圏解放の祝福時代に入るのです。第四アダムの時代が確定されれば、祝福二世たちは、親が直接祝福してあげる時代が開かれるのです。
(298-224, 1999.1.8)


今、解放時代を迎えたということを考えるときに、この地球を中心とした宇宙が、どんなに賛美しているか分かりません。どんなに今日を、喜んでいるか分からないというのです。それで今年に入って今日まで、祝賀する雰囲気一色になったというのです。これから私たちがしようとするすべてのことは、天運がついて回りながら助けてくれるのです。天運をつかもうと苦労しますが、天運が私たちのあとについて回りながら助けるというのです。これは何のことかというと、ハナニムと霊界が数多くの先祖たちと数多くの善なる人たちが動員され、この地を助けられる時が来たというのです。解放圏を成すことができ、形を変えられる時代が来たというのです。
(298-226, 1999.1.8)
万国に聖酒をまかなければなりません。聖酒を飲ませて生かすのです。堕落圏解放が加重されるのです。万物にまで飲ませなければならないのです。そうすれば全部、ハナニムの側に帰るのです。それでこれから万世界、地球ぼしに聖酒を飛行機でぱーっとまいてあげながら、全部できなければ、主要都市にだけでもまきながら祈祷するのです。父母様が祈祷することが、どんなに恐ろしいことか知らなければなりません。滅べといえば、その国は滅びるのです。
(298-232, 1999.1.8)
まことの家庭、真の父母、真の夫婦、真の息子、娘にならなければなりません。純潔を守り、伝統的血筋を受け継いだ王子、王女には、サタンが相対する世界がないのです。
(298-242, 1999.1.8)
ハナニムは第一創造主、アダムは第二創造主、孫は第三創造主です。ここから、蘇生そせい、長成、完成、3を超えることによって定着します。それで四次アダムを立てることにより、みなアダム、息子、娘から繁殖していくのです。
真の愛、ハナニムに待っていくのです。真の父母様と共に行くのです。それが、本来の創造原則です。真の父母は、中心の根、中心の茎、中心の芽となっていますが、皆さんは枝なので、枝は中心の根が必要であり、中心の茎が必要であり、中心の芽が必要です。これは連結させなければ、根の力を受けて大きくなることができません。また茎の影響を受けずしては、その木が大きくなることができません。その次には、芽がなければ花が咲くことができません。絶対的に一つにならなければなりません。
ハナニムは第一創造主、アダムは第二創造主、アダムとエバも第三創造主を経て、この世に地上天国、祝宴が開かれるので、私たち統一教会においての第四次アダム圏時代に越えて定着して、本然の祝福と万代の子孫が自分の父母の伝統を尊敬して、子孫が自分の父母の伝統を尊敬して息子、娘が一つになって、天国に入り得る転換された世界が目の前に来たのです。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に、絶対唯一家庭、永遠不変の家庭、ハナニムに侍る永遠の家庭になって、それが永遠の宗族、永遠の民族、永遠の国家、永遠の世界を成して地上天国を成し、それが天上天国として直結される一つの体制を成さなければなりません。ハナニムに対して、孫も「父」と言い、息子も「父」と言い、父も「父」と呼びながら、ハナニムに同価値的に父として待る、アダムのような立場を、万民がもつようにならなければなりません。皆さんは、これから先祖になるのです。
(295-255, 1998.9.8)


 

② 自分の名前で祈祷する時代

1999年9月9日、「九・九節」宣布以後、14日午前7時15分を期して、今までのまことの父母様の名前で祈祷してきたのを、自分の名前で祈祷する時代に入ります。天宙統一解放圏を迎え、第四次アダム圏の自主自由の解放の時代に行くからです。
(304-154, 1999.10.10)

 

③ 第二創造主格 ‐ 自分を創造する時代

まことの父母と一つになり、伝統を相続して、皆さんの家庭が主体的伝統で万国を治め得る基盤となり、主体性をもてる家庭となるとき、天国で皇族圏内に入籍するのです。こうして入る所が天国です。天国は、誰でも入れる所ではありません。その道を行こうと、3代が決心しなければなりません。おじいさん、おばあさんから父親、母親、夫婦、息子、娘まで、段階は、4段階で、系列は、夫婦になったものは3代です。
(228-295, 1992.7.5)
個人完成するためには、何をしなければならないでしょうか。創造性の完成です。(それは)第二創造主格の立場に立てるためのものです。そうでなければ、永遠な主体であるハナニムの前に、永遠な対象格として立つことができないのです。被造物自体では(駄目なのです)、分かりますか。それゆえに、創造の主格の立場に同参させるためには、これ(創造性の完成)が絶対不可欠の要因です。これがなければ、人間が天の絶対者の前に、対等の立場を取ることができないので、このような法を立てざるを得なかったのです。
(137-266, 1986.1.3)
ハナニムに似るには、内的な面では絶対愛を中心として、その愛が絶対愛であると同時に唯一不変の永遠の愛なので、その愛を通してハナニムと永遠に同苦同楽でき、同参でき、相続できるのです。ハナニムの愛の対象なので、絶対的ハナニムの愛が私の愛であれば、絶対的ハナニムの対象でしょう。そのような内的な基準を、ハナニムの属性を中心として創造世界を拡張するためには、創造性の属性がなければなりません。
(303-260, 1999.9.9)
環境創造をしなければなりません。そこに、主体性をもって相対を再創造しなければなりません。再創造するようになると、愛のパートナーをつくるためのハナニムは、自分以上のすべてのものを投入し、また投入しようとするので、自分の生命を捨てるようになったとしても、また投入しようとする心をもつようになると、自動的に相対は生まれるようになっているのです。完全なプラスは、完全なマイナスを創造する原理があるでしょう。空中で完全なプラスができると、マイナスは自動的にそれに伴って生じるのです。
(221-25, 1991.10.20)


本性的なハナニムの属性に一体となり得る、本然的愛の定義に一体となった存在は、ハナニムの代身、ハナニム自体がそのような立場なので、創造するようになるときは、その相対を造るのにこのような本性自体と共に投入して、そこに何を加えるのかというと、創造性、絶対創造性、唯一創造性、不変創造性、永遠創造性です。愛を中心とした、このような絶対的な創造性を投入しました。創造するには、何かを残さなければならないのですが、主体性がなければなりません。私に似なさいというのです。
(303-260, 1999.9.9)
私と皆さんと、どちらが優れているでしょうか。優れているのは何でしょうか。心は同じでしょう、何が優れているでしょうか。その心がしようというとおりに行うことにおいて、その活動に少し違いがあるのであって、違いはないというのです。心は、みな同じです。人の根本は同じなのですが、思いのままにしようとするとき、どのくらい関係性を拡大させるのか、舞台を、環境をどれだけ開拓するのか、その差であって、心の根本は同じなのです。
(222-303, 1991.11.6)

 

7) 愛の皇族となれ

 

① 天国は皇族の名誉をもって行く所

天国は、ハナニムの愛を中心として王子、王女となって、王と王妃の愛を受けた皇族たちが入る所です。今日、キリスト教では、「イエス様を信じて天国に行く」と言うでしょう。どのようになるか、行ってみなさいというのです。ムン総裁の言葉が合っているか、合っていないか、行ってみればわかるのです。それは、理論に合わないのです。今まですべての宗教は、理論に合わなかったのです。
(237-172, 1992.11.16)
天国に入る人は、ハナニムの愛を中心として王子、王女として完成して、家庭で息子、娘を生み、皇族圏の中で愛を味わい、その全体をそのまま移していく人です。そのような人が、天国の国民なのです。ところが、イエス様を信じて天国に行くのですか。イエス様一人では行けません。イエス様に相対がいますか。環境には、相対理想がなければなりません。ところが、イエス様は主体として対象がありません。ですから、楽園に行って待っているのです。時が来れば、もう一度来なければなりません。事実も知らずに、このように騒いでいる既成教会を見ると、白痴の中にも、そのような白痴はいないというのです。
(236-261, 1992.11.8)
天国に入れる人は、ハナニムの愛の直系子女として、天国の王孫として、ハナニムの前に王子、王女の門を経なければならないのです。天国は、どこでしょうか。王孫として、皇族として行く所です。この地上に、模範的な兄弟の友愛の直系子女と傍系的子女となって、模範的な一つの一族と国家を形成した立場で、皇族の名誉をもって生きたのちに、ただそのまま移動していく所が天国です。
(236-204, 1992.11.8)


おじいさんは、天の国から送ってきた王権の代わりとなる主人です。ですから、ハナニムのように侍らなければなりません。母親、父親は、全世界の家庭を代表した王と王妃です。皆さんも、父親、母親が王になり、王妃になったらうれしいでしょう。その伝統を失ったというのです。王子、王女の伝統を、天上世界の皇族的道理を立てて、もう一度原点に帰らなければなりません。堕落して破壊されたフリーセックスのようになったすべてのものが、絶対的な愛を中心として原点に戻って初めて、本然の立場に戻って順理の道理を受け継ぎ、個人から家庭、宗族、民族、国家、世界を再編成してこそ統一の世界になるのです。
(233-45, 1992.7.20)
天と地の国が、愛によって一体化しなければならないのです。このように皇族圏さえ成すようになれば、霊界に行っても地上に行っても、すべての中心になるのです。ですから、どこでも一体を成せるのです。それを訴えているのです。天上天国、地上天国、愛の一体化です。愛によって初めて皇族を中心として、すべてが一つになるのです。世界のすべての民族が一つになり、天のすべての一族が一つになるのです。
(232-326, 1992.7.10)
堕落した以後に、地獄ができたでしょう。ですから、天上世界と地上世界のすべてが、まことの父母の愛の門を経て入っていく、その世界が天国です。アダムとエバが堕落せずに、真の父母の愛を通して天国に入れば、万民家庭のモデルになっていたはずです。一つの本然的なモデルの家庭形態が入るのです。そうすることにより、その伝統的な歴史を受け継いだ皇族圏の愛を連結したすべての家庭は、一つの中心の幹の前に、東西南北の枝のようなものです。ですから、同じ圏統合の原則によって天国に入るのです。そうしてこそ、統一世界になるのではないですか。これをはっきりと知らなければなりません。
(231-76, 1992.5.31)
王族、皇族を中心として入籍する時代が来ました。それをするためには、まず血統転換をしなければなりません。アダムとエバによって、原理型の悪魔の愛によって、すべての所有権がサタン側に渡ってしまったのを、返還しなければならないのです。
(229-253, 1992.4.12)
アダムとエバは、王の愛の相対者であり、皇族圏を相続する皇太子なのです。王子、王女だというのです。堕落していないアダム、エバがそうだというのです。全宇宙の大王であられるハナニムを中心として生まれた長男、長女が、アダムとエバだった、ということをはっきりと知らなければなりません。
(229-57, 1992.4.9)
家庭を中心として、天国家庭をつくらなければならないというのです。女性たちが、これをはっきりと知って、この伝統を教えなければなりません。息子、娘たちに乳を飲ませながら、天の国の皇族にならなければなりません。「ハナニムの代わりに私はお前を愛する。お父さんとお母さんが夫婦として愛し合うことを中心として、お前は将来、私たち夫婦よりも素晴らしい夫婦にならなければならない。これがお父さんとお母さんの願いだ」という伝統を植えてあげなければいけません。
(236-159, 1992.11.4)


偽りの父母が種をいてめちゃくちゃになった愛におぼれ、この地は、悪魔の巣窟そうくつになってしまいました。悪魔の肥だめでどろどろになったそれを洗い清め、本然的天の国の皇族圏のいんを押すために教えてあげなければならない、その仕事が簡単なことですか。ハナニムが今まで6000年の間、6000年どころか億万年の間、苦労してこられましたが、アダムとエバを完成させることができなかったのです。
(227-279, 1992.2.11)
これから、みんな故郷に帰らなければなりません。故郷とはどんな家ですか。「天の国の王宮を代表する家だ」と、このように考えるとき、気分は良いですか、悪いですか。わらぶきの小さな家であるほど、天の国の皇族が王宮を離れ、この山川が慕わしく訪ねきて、水が良く山水が良いので、ここに来て住んでいるんだなあと考えるのです。水1杯をついであげるとき、それは薬水よりも貴重なのです。水1杯にも愛が入っているのです。ここには何よりも、無限の価値の真の愛のエキスが投入されていることを知らなければなりません。このようになるとき、そのご飯を千年食べても、病気にかからないのです。夫を迎えて一度、そのようなご飯を食べてみたくありませんか。(夫の)お父さん、お母さんがそれを喜ぶでしょうか、喜ばないでしょうか。私たちの家に帰るたびに、田舎が懐かしくて訪ねきた、天の国の皇族を代表し得る家だなあと思うのです。
(222-101, 1991.10.28)
おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さんは、その王権を王孫として継承しなければならないのです。皆さんが長男、長女のような位置にいれば、これを譲り受ける時なので、生活する上で王孫のように生きてこなければならなかったのです。ところが、そのように生きてくることができなかったのです。ですから、今からでも、みことばを聞いたので、このような方法で家族のため、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さんと愛で一つになるときには、間違いなく天国のハナニムもここに入ってきて住むのです。そのようになれば、永遠のハナニムの一つの愛を中心として永遠に生きるために、自動的に、その主体となった家庭は、永生できるようになるというのです。
ですから永生する家庭は、天国の本宮として、天の国を再拡張編成するのです。それが現世界の韓国でも、160ヵ国を中心として、天の国を連結させる運動が広がっていることを知らなければならないというのです。そこにあって、代表的な心情的旗をもっている人がレバレンド・ムーンだ、ということを知らなければならないというのです。
(222-101, 1991.10.28)
ハナニムの愛を中心として、ハナニムの生命に体と心が完全に結合できる位置に行かなければなりません。天下の誰が誘惑しても、私が行く道を行くのです。どこかに避けて生きるのではありません。私は、堂々と天の国の本然的王宮を通して皇族圏をもち、天国の民になるという自負心をもって堂々と勝ち、越えていかなければならないというのです。それができなくなるときは、サタンの中に入っていくのです。
(222-89, 1991.10.28)


今から皆さんは、真の愛を中心とした皇族にならなければなりません。皇族、アダムがそのようになれば、アダムが直系の子女ならば、傍系の子女であるその兄弟、お姉さんたちは、すべて民になるのです。ですから天国に入るのは、天の国の王子と王女の愛を備え、その権威と威信を堂々と身につけ、生涯の路程に足取りも堂々と威信をもって入っていくべき所が、本郷の国、天国であるということを知らなければなりません!
(220-219, 1991.10.19)
天の国の国民、天の国の宗族と国の民というのは、皇族から始まるものです。ですから本来、私たちがもつべきその立場に戻るには、天の国の真の愛を中心として、皇族的心情圏を体得せずしては、天の国に入っていくことができないというのです。そのようにできなかったことがハナニムのハンです。ハナニムが王子を得て、王女を得て、王子と王女を愛することができなかったのが恨です。そして王孫を中心として、孫たちをもてなかったのです。
アダムとエバが成長しながら王子、王女として、王の代を引き継げる立場で愛せなかったのです。みな中間で、原理結果主管圏内で堕落してしまったのです。ですから、ハナニムの愛を中心として、ハナニムと直接話し合える、天地創造の大偉業を中心として、お父さんと息子が互いに話し合って歴史を編成できる、話し合いの相対になれなかったというのです。
(220-47, 1991.10.14)
皆さんが今まで暮らしてくる中で、大変なことがあったでしょうが、宗族(宗族そうぞく)復帰、皇族復帰、これをなぜしないのかというのです。私がやるなら、6ヵ月あればすべて終えてしまうというのです。切なる思いで「お母さん!」と呼ぶその言葉には、千年の歴史が連結されているのです。「お兄さん!」と呼ぶ言葉には、千年の愛があるのです。「お姉さん!」と呼ぶ言葉には、千年歴史、ハナニムの心情を感じるというのです。創世以降、心情がどこにありますか。そのような心情の主体性を中心としてハナニムに対し、進み出て呼ぶようになるときは、再創造の役事が起きるのです。
(220-14, 1991.10.13)
家庭で失われたことによって、天国家庭が現れなかったので、天国民族が生じることができるでしょうか。天国が生じ得るでしょうか、できないでしょうか。その天国を成し遂げなければならないハナニムが、人間の堕落によってすべて失ってしまったのです。天国は空いています。天国は、真の愛を中心として皇族圏の権威をもち、天地の愛の中心として恥ずかしくないハナニムの代身者として、相対者として備えるべき内容を備えてこそ、入っていける所です。文総裁の言葉が間違っていなければ、既成教会の教会員たちは大変なことになります。
(219-33, 1991.8.25)
愛の価値というものは永遠にあります。自分の夫を迎えるにあたり、自分は王妃として王を迎える心をもって、世界全体が尊敬するその瞬間における愛の中に入っていくと考えたことがありますか。そのような価値観をもって、自分の子女たちを生まなければならないというのです。生むのに先立ち、妊娠したその日から王子、王女を妊娠しているという心をもたなければなりません。そして生まれるようになるときは、朝日が昇る希望の皇族、天下全体を相続する皇孫が生まれると考えなければならないというのです。そんなふうに考えたことはなかったでしょう。
(218-358, 1991.8.22)


堕落しなかったならば、天地の王権と、天地の父母権と、天地の長子権を中心とした、直系の息子、娘になり、この地上の王宮となり、天の国の王宮となったことでしょう。またそこに、傍系的なすべての兄弟たちは、直系の王宮の伝統を横的に受けることができ、これと一つになって生きた、そのような人たちが天国に行くようになっているのです。それでは、天国が何かというと、愛を中心として皇族の伝統を通過した、その家庭と一族が入っていく所だということを否定できません。ですから、皇族生活環境、前にいる人も支流にいる人も、同じ生活をした人が天国に行くというとき、すべての万民の家庭たちは、愛を中心とした皇族伝統の生活をしなければならないという結論が出てくるのです。
(218-222, 1991.7.29)
今、アメリカではどのようになっていますか。もともとは祖父母と別れることができず、父母と別れることができず、息子、娘と別れることができません。この3代は、別れることができないのです。これが一つになり、四位よんい基台を成就しなければならないのです。
そうでなければ、理想的な基盤を築くことができないというのです。そのようなことを、皆さんはよく知っているでしょう。ですからハナニムが、愛を中心として、人間を中心として、横的な基盤を築くのです。この地上に、真の父母が現れなかったならば、霊界に、永遠にハナニムの息子、娘がいなくなるのです。初めて私によって、ハナニムの本然の息子、娘たちが生まれるようになるのです。
私によってハナニムの皇族が生じるというのです。皆さんは、そのような自負心をもたなければなりません。私たちが、すべての国を本然のエデンに連結しなければなりません。
(218-199, 1991.7.28)
世界の主流とは何ですか。ハナニムの愛、宗教を中心として、天地全体の代身となった、このような人間たち全体を代表して、理想的な血肉を連結させる父子関係の愛、理想の愛圏を、家庭を通して環境を越え、世界の果てまで影響を及ぼせる人生を生きる人は、天の国の王子になることができ、天の国の皇族に間違いなくなるのです。息子、娘になるのです。
(194-220, 1989.10.22)
(*)「사랑」と「이상의」の間にスペースを追加

 

私が求める人は、天の国の皇族です。天の国の愛の皇族です。皆さんは、種にならなければなりません。そうなれる種となったものは、刈り取られ、倉庫に入り、翌年の北風寒雪、激しい風が吹きつける冬の季節を越え、南から吹いてくる春風と春の陽光を受け、新しい芽が太陽の光と共に方向を備え、ここで自体内から創造の力を発揮して生命力をつくり出せる種になってこそ、生命の芽になるのです。
(180-62, 1988.8.20)


私の生涯において、何をするのですか。愛の墓を残していこうというのです。これが結論だというのです。愛の墓を残していきましょう! 愛の墓の中で今、生きるとしても恨がないというのです。墓のような所でどんなにうんざりとするような生活をしても、愛の中で生きれば恨がないというのです。愛の墓を生きながら残していきましょう! そうすれば、その生涯は永遠に成功することでしょう。そのように皆さんが生きて死ぬときは、ハナニムが祝福してくれるでしょうし、ハナニムが息子、娘を連れて歓迎しに出てくることでしょう。
そのときには、指輪がはめられなかった手であるならば、天の国のダイヤモンドをはめてくれるでしょうし、服が着られなかったなら、天の国の皇族たちが着る、最高の服を着せてくれることでしょう。
(97-167, 1978.3.12)

 

② 愛の人になれ

愛で和合しての喜びは、昔、創世前の時代のハナニムの喜びと、創世以降の相対的実体たちが出会い、同化して感じる刺激的な愛の衝撃とは、天地の差があるのです。
踊りを千年、万年踊っても、終わることがないというのです。ハナニム一人で踊りを踊ることができますか。ハナニム一人で歌を歌うことができますか。一人で「うれしい」と言って笑うことができますか。香りをかぐことができますか。愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために宇宙世界を統一し占領することのできる、主人の相対になるのです。その次に、愛を中心として、私も主人の位置に立てるのです。ハナニムの愛する相対は、ハナニムよりもっと素情らしいゆえに、創造した所望的な基準から見るとき、ハナニムより高い位置に立っているのです。
ですから、私が「ハナニム!」と言えば訪ねてくるし、私が「早く来てください」と言えば、ハナニムは後ろからついてきながらも、不平を言いません。千里、万里ついていっても、いつもハナニムは喜びながらついてくるようになっているのです。子供についていく親の喜びというものは、口で言い表すことができないものです。天地が和動して自分以上に歓迎をするのを見るとき、父母の満足した細胞全体が、笑いのふろしき包みとなり、どっと、はちきれて出てくるのです。
(215-109, 1991.2.6)
愛を中心としてまことの愛に通じるなら、すべてが友達です。岩も話すというのです。そのような境地があります。創造されるときの自分の存在圏、すべての生態、すべてのことを話すのです。ハナニムが知らないはずがありません。大きな磐石ばんせきの山、姿がどんなに荘厳な山だとしても、ハナニムを見るときは、愛を受けたいのです。ハナニムが山を見て、「こいつ、どうして大きくなったのか」と言えば、「ハナニムを喜ばせるためにこんなに大きくなりました」と答えるのです。だから、しかることができません。存在するものはすべて、愛に同化しないものはないというのです。すべて、愛する主人になっているのです。
(183-49, 1988.10.29)


自然の美しさを、私たちは、ここで悟れるのです。「お前の姿はこうだが、お前は私を中心として、宇宙の前に、愛をテーマとして創造された世界の前で、足りない面を補うため、音が調和するための刺激的なある音を出すために、宇宙には高低の音があるのと同じように、お前もそれと同じ面を補うために、共同的な理想体圏に存続するんだな」と言うとき、ハナニムの目のような目で見るようになるのです。
愛は、いつも、どこでも、新しいものを追求するのです。永遠の前に出発したことと、今、永遠後に継続するものも同じであるために、ハナニムが創造したその本然の心情を感じられる力が愛にあるために、ハナニムのように感じられるのです。それで、話もするし、すべてそうだというのです。
(182-125, 1988.10.16)
ゴムひもは「ひゅん」と音を出して、伸びたのが元の長さに戻っていくのです。ハナニムは、真の愛がゴム紐のようなものだということを理解していらっしゃるのです。それを永遠に切り離しません。それゆえ、挙句の果てには、完成された位置に立つようになられ、「私はゴム紐のような真の愛によって、お前に永遠についていく。お前は、お前の中に強い力があっても、それを断ち切ることはできない。少なくても、それだけはもっと保護せねば。その価値のあるものを保護してやらねば!」とおっしゃるのです。
ハナニムご自身が、その真の愛のゴム紐なのです。従順に、完全に従順になって、絶対的に尊敬しながら、ハナニムに何が必要か聞いてみなさいというのです。そうすれば、「私は、お金は必要ない。私の中は、お金でいっぱいに満ちた山と野原の天地だ」と答えられるというのです。ハナニムは、すべての被造物を創造されたので、お金が必要なら、そのような創造の力を利用して、この世のすべての場所に、ダイヤモンド鉱山と金鉱をお造りになることもできるのです。どんなものでも問題ありません。
(217-255, 1991.6.2)
子供のために千年苦労し、千年十字架を背負っても、また背負おうとする父母の前に、孝子でない人がいないということを知らなければなりません。孝子でない人がいないのです。どうですか。そのようなお母さんの愛、お父さんの愛の世界に、ハナニムまでも来て、「うわー、私よりも素晴らしい!」と言い得る立場を願いませんか。すべて与えても、十年、百年、千年の間、また与えても、それを考えながら今の生活に感謝する心をもって生きるのを見るとき、それはハナニムも褒めたたえるのです。
子供が父母に対してそのような子供に、夫が妻に対してそのような夫に、妻が夫に対してそのような妻になり、家庭が国に対してそのようになり、国が世界に対してそのようになるとき、その世界はどれほど素晴らしいでしょうか。ハナニムが「天上世界にいなさい」と言ってもそこにいないで、人間世界の真ん中に来て生活しながら、みんなが幸せに暮らせるようにしてあげようと、再び創造の役事が始まるというのです。
(215-243, 1991.2.20)


 

第11巻 宇宙の根本

 

第1章 宇宙の根本秩序

   

1) ハナニムの二性性相の大展開

 

① ハナニムは二性性相の中和的本体

イ) ハナニムは中和的な愛の本体
宇宙を観察してみれば、すべての存在において、陽性と陰性の二性性相が相対的関係を結ぶことによって存在していることを知ることができます。これは、鉱物という次元から始まり、すべての場合に適用されています。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通して形成され、植物の場合、生存と繁殖は雌雄しゆうを代表する雌しべと雄しべの結合を通じて成されます。このような二性性相は、動物の場合、より一層明らかです。魚類、鳥類、哺乳ほにゅう動物等、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、ハナニムの最高の創造物である私たち人間も、男性と女性で区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは、人類の始祖です。このような二性性相の存在目的は、何ですか。ハナニムは、なぜこのような方式によって創造されたのでしょうか。
(201-204, 1990.4.9)
ハナニムが男性と女性を造られて何をしようとされたのでしょうか。見ようとされたのです。ハナニムは、女性ですか、男性ですか。女性にもなり、男性にもなられます。男性性稟せいひんだけをもっているとするなら、女性だけを見つめられるようになるのです。アダムは、陰で生きなければなりません。そのように、女性も見つめて男性も見つめることができる二種類の性稟を、共に備えていらっしゃいます。ですから結局、縦的な立場に立ち、男性も好まれ女性も好まれる、二性性相をもった中和的主体だというのです。それがハナニムでいらっしゃいます。男性も必要であり、女性も必要であり、どこへでも行って迎え入れ、いつでも主体の位置にいらっしゃるので主体格です。それゆえに、格位では男性格位です。そして、横的というものは女性格位をいうのです。
(188-92, 1989.2.19)
ハナニムはお一人でしょうか、お二人でしょうか。お一人です。お一人なのに、どのようにして二人の人に入っていくのでしょうか。この人に入ってからあの人に入っていき、あの人に入ってからこの人に入っていってと、そのようにするのですか。また、世界には数多くの人々がいますが、数多くの人々にどのように入ったり出たり、出たり入ったりされるのでしょうか。これが問題になるというのです。それで、私たち統一教会の「原理」で、ハナニムは二性性相の中和体だという話が出てきたのです。ここには規則があります。ハナニムは二性性相でいらっしゃる中和的本体です。これはまことに素晴らしい結論です。
(41-290, 1971.2.17)


ハナニムは、二性性相の男性的主体だというのです。それでは、そのハナニムは、誰に似ているのでしょうか。私たちに似ていて、私に似ていて、皆さんに似ているというのです。同じなのです。それゆえに、「主体格」という言葉は、必ず相対格位を介在させて成立するのです。そのような概念が含まれています。相対格というものを必要とするために、「主体格」という言葉が出てくるというのです。
(124-83, 1983.1.30)
原理講義をする時、創造原理で、「ハナニムは二性性相の中和的主体としていましたまい、中和的存在になっている」と簡単に言います。中和的主体になっているというのですが、それはどういうことですか。座ってそのままハナニムが男性と女性の中和的存在になって、何がおもしろいでしょうか。何を中心として中和するのですか。愛を中心として、中和的存在だということを知らなければなりません。
(193-153, 1989.10.3)
ハナニムは何を願うのでしょうか。創造をされて、創造理想を完成して何をしようというのですか。ハナニムご自身も愛をなそうというのです。ハナニムご自身が願うことは何でしょうか。ハナニムは、「原理」でいえば二性性相の中和的存在です。主体的存在です。このように、ぱっと一言で定立します。男性格を備えた主体的存在だというのです。
(149-9, 1986.11.1)
何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃるハナニムを、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、ハナニムは二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。
絶対的ハナニムも、絶対的に服従してみたいというのです。愛には、絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいという、そのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合もありません。それは、根源がないために分散してしまいます。
(195-20, 1989.11.1)
ハナニムから造られた人間だという時、人間は、どのようにしなければなりませんか。ハナニムが愛の相対を造られた目的は、喜ぶためなのです。何を中心として喜ぶのでしょうか。愛を中心としてです。絶対者であられるハナニムも、愛が必要だというのです。そうではないですか。
ハナニムが二性性相の主体としていらっしゃるといいましたが、二性性相のハナニムだとしても、必ず愛の対象が必要なので、天地万物を創造されたのです。
(223-300, 1991.11.17)
愛は、男性と女性だけではできません。男性と女性は、ただの二つの存在です。男性と女性だけを連結させては、愛が成り立たないというのです。男性と女性を総合して、中心に立って動かすものが愛です。


それでは、男性と女性が和合して愛を中心として動くことが、どこから始まったのかといえば、ハナニムの二性性相からなのです。男性性稟と女性性稟が和合したものを、相対的に展開させたのです。それでハナニムは、自分の愛の相対が自分より優れていることを願われるのです。
(210-317, 1990.12.27)
統一教会ムン先生は、知恵深い方なので、「ハナニムは二性性相の中和的主体だ」と結論づけたのです。右側から見れば男性に見え、左側から見れば女性に見えるというのです。二性性相がそうではないですか。内外になっているので、上から見れば男性に見え、下から見れば女性に見えるというのです。それでこそ、女性も「良し!」と言い、男性も「良し!」と言うのです。
(139-56, 1986.1.26)
原因と過程と結果が明確な内容をもたらす、科学的論理のような論理をもたらす、そのような宗教人が出てこなければ、宗教世界を救うことができないのです。統一教会の「原理」がそうです。これこれこうだからこうだ、ハナニムは二性性相で存在される、宇宙の存在が主体と対象である、ゆえにハナニムが愛の主体であり、人は愛のパートナーとして造られた、という結論がぴたっと合うのです。それが歴史を超越して愛によって、永遠の世界と結び得る力の作用によって、続くのです。そのように千年、万年、愛の作用によって続いてきました。それは普通の力ならば弱化するのですが、弱化しないのです。
(219-178, 1991.8.29)
ハナニムも愛を中心として一つになるのと同じように、統一教会もそのような観念をもっているために、世界を統一させることができるのです。キリスト教は、そうではありません。「ハナニムは絶対的な万能のハナニムだ。何でもすべてなさることができる」と考えています。しかし、それは誤りです。ハナニムは何でもできますが、本来の原理原則においては、愛は二人で成すことができるようになっています。それゆえに、二性性相を成すようになっていて、愛もその条件の上で可能なのです。
(224-155, 1991.11.24)
ハナニムが二性性相の中和的存在としていらっしゃるならば、二性の中和的存在の中心は何ですか。愛です。ハナニムも、愛を中心として生きてきました。
(193-303, 1989.10.8)
「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃるハナニムは、いかなるお方ですか。二性性相のハナニムであると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃるお方です。その主体の本質が愛です。絶対的愛だというのです。
(136-37, 1985.12.20)
「原理」の総論は、ハナニムに対してどのように表現しましたか。、ハナニムは、二性性相の中和的主体であると同時に、愛的主体です。「愛」というこの言葉も入れなければなりません。それを必ず入れなければなりません。
(223-160, 1991.11.10)


ハナニムが、アダムとエバを造って、二性性相を分立した中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在でなければなりませんか。愛を中心として中和的存在でなければなりません。そうしながら、格位においては男性的主体格でなければなりません。
(194-64, 1989.10.15)
なぜハナニムが人間を創造されたのですか。このような根本問題、私がなぜ生まれたのかという根本問題をはっきり知らなければなりません。ハナニムは、愛の主体です。「原理」を見れば、ハナニムが二性性相の中和的存在だというでしょう。中和的立場で愛を中心とした統一的存在だという話は、まだしていなかったのです。そこに、愛を中心として統一的存在だ、ということを添付しなければなりません。
(223-268, 1991.11.12)
男性の愛と生命の起源は、どこですか。ハナニムでしょう。二性性相の中和的主体であると同時に、愛の根本であるお方がハナニムです。『原理講論』に「真の愛の起源」という言葉を入れなければなりません。「真の愛の起源がハナニムだ」という言葉を入れなければならないというのです。
『原理講論』を修正することができる主人公は、私しかいません。それを知っていますか。
(224-228, 1991.11.24)
問題の出発点は、ハナニムがいるか、いないかということなのです。ハナニムがいらっしゃるならば、人間とどのような関係にあるのですか。ハナニムが人間と関係を結ぶためには、人格的神でなければなりません。人格的な神だということをはっきり悟ったのです。人格的神になろうとすれば、人間のようでなければなりません。人間には心があって体があるように、このような素性そせいがあるので、人間を造られたハナニムも、人間と共に共同目的をもつことができるその本体ならば、人間に似ていなければなりません。二性性相という概念は、ここから出てくるのです。
(167-243, 1987.7.21)
ハナニムが人格的な神であるならば、ハナニムは誰に似ているのでしょうか。ハナニムは、アダムとエバを一つにした、そのようなお方なのです。二性性相の主体は、ハナニムです。男性と女性を雑然と一つにしたようなものではありません。一つに合わせたものですが主体格を備えた、そのようなお方です。この主体格の無形のハナニムの前に、主体格の代身となって、男性と女性が一つになり、その無形のハナニムの前に相対格位を備えて結ばれることが、ハナニムの創造理想を完成することであり、私たち人間、アダムとエバの理想を完成することになるのです。
(166-208, 1987.6.7)
東洋哲学では、人格的な神を知らなかったのです。人格的な神がいるということを知りませんでした。陰陽といいますが、漠然とした陰陽では人格的な起源となることができないのです。それではいけないというのです。根のすべてのものを備えなければなりません。人がこのようになっているならば、男性と女性のすべての神性を備えることができる、そのような根にならなければなりません。そのような意味で、統一教会で教える二性性相、この論理は、偉大な論理です。
(145-196, 1986.5.4)


 

② 被造世界はハナニムの二性性相に似て出てきた

宇宙の根本であるハナニムがいらっしゃるなら、そのハナニムは、主体と対象的な観念をもった存在だというイメージが出てきます。それゆえに、私たち統一教会の「原理」でいう二性性相は偉大な言葉だという結論に到達するのです。主体と対象が作用し始めるところから、存続が展開するのです。生まれ始めるというのです。このような根本のもとでなされているので、すべての宇宙は、二重的です。二重的になり、授け受ける相互作用をするのです。
(106-296, 1980.1.13)
被造世界は、ハナニムの性相に似ています。すべての被造物は、二性性相の分立体として展開されていることを知っています。主体と対象の関係、それから上下関係、前後関係、左右関係の相対的関係によって連結していることを私たちは知っています。そのような環境的制度の条件をもった目的とは、何でしょうか。愛を目的として動くのです。
(106-57, 1979.12.9)
主体と対象は、どこから出てくるのですか。これが出てこれる基台がなければなりません。統一教会では、これを二性性相といいます。この主体と対象は、人間自体からつくられた主体と対象ではありません。ここに、その基台が必要なのです。その基台が二性性相であり、二性性相の中には本性相と本形状がなければなりません。
(33-36, 1970.8.2)
主体と対象があり、お互いに作用しなければ力が生じないのです。力は、一人で出てくるものではありません。力は、必ず主体と対象があって初めて生じるのです。私が対象である時、私が心に悪いと感じても主体がなければならず、良いと感じても良いと言える主体がなければなりません。それで、統一教会の「原理」に、「二性性相」という言葉があるのです。
(21-344, 1969.1.1)
「原理」から見ると、ハナニムは二性性相の中和的主体です。主体というものは、何を中心として成立するのですか。愛を中心として成立します。ですから、横的な基盤が必要なのです。刺激的な基盤を、多方面にもちたいと思い、拡大展開させたのが被造世界です。
(193-217, 1989.10.4)
どのような種でも、二つのかけらが一つの皮で包まれています。豆のようなものも、二つのかけらです。ハナニムが宇宙の根本なので、ハナニムの形状に似なければ根本の種になり得ないのです。
(53-232, 1972.2.28)
生命の種は、必ず二つになっています。これは天地の道理です。ハナニムは、二性性相としてお一人の人格になっています。種の根本を象徴するのです。種には胚芽はいががあるのですが、胚芽には、根になる部分、芽になる部分があります。自らが存続できる内容を、すべてもっているのです。そのまま置いておいても、完成した実体を構成できるようになっているのです。
(262-147, 1994.7.23)


ハナニムが二性性相になっているので、私たち人間も二性性相になっているというのです。万物もプラスとマイナスの二性性相になっています。ハナニムと人間と万物を合わせて連結させれば、7数になります。これは、段階で見れば3段階であり、広げれば四位よんい基台です。この3数と4数が調和をなして統一されれば、7数になります。7数は、創造目的完成数です。
(26-187, 1969.10.25)
宇宙は、すべてプラスとマイナスになっています。分子を見ても、プラスイオンとマイナスイオンになっています。すべて相対圏になっているというのです。原子を見ても、陽子と電子になっています。宇宙構成の根本が、そのようになっているのです。植物は雄しべと雌しべ、動物は雄と雌、人は男性と女性になっています。すべてが相対的になっています。そのように相対的になり、一つの体制圏に収拾されなければなりません。ハナニムが主体なので、ハナニムを中心として収拾されなければなりません。その創造の意志に一体化した相対圏がつくられなければ、ハナニムの創造の喜びはあり得ないのです。
(247-183, 1993.5.9)
統一教会で、ハナニムを「二性性相の主体としていらっしゃるお方だ」と言うのは、すべて科学的な分析結果により、間違いなくそのようにいらっしゃるという事実を知って言うのです。ですから、主体と対象が完全に一つになれば、ハナニムの力がそこに永遠に存在するのです。主体がなく対象がないところには、力は存在しません。それでは、ハナニムはどのように存在するのでしょうか。ハナニム自体内にある主体と対象の力が、授け受けすることによって永存します。
(39-166, 1971.1.10)
「原理」は二性性相を言っています。二性性相は、なぜ必要ですか。二性性相がなければ創造の調和をつくり出すことができないのです。二性性相があるのでお互いに授け受けできるのであり、その一つは骨と同じで、一つは肉と同じなので、授け受けすることによって、新しい形態が展開できるのです。ハナニムが二性性相それ自体なので、ハナニムを中心として、その相対世界が生まれざるを得ないというのです。このように二性性相は、創造的妙味を成し遂げるために必要なのです。
(27-340, 1970.1.1)
「原理」でいえば、全体を連結するものが万有原力です。すべてのものにハナニムの二性性相が入っていって、それがすべて万有原力になっているのです。核心は同じです。
(293-11, 1998.5.1)
男性には、女性の性相があります。女性も男性の二性性相の要素をもっているために、男性が暮らすことのできる場所があるのです。ハナニムは二性性相なので、女性とも男性とも暮らすことができます。それと同じように、一つの相をもった夫も、女性が二性性相の要素をもっているために夫人の胸の中にとどまることができます。女性も男性の心の中にとどまることができます。一つです。離れることができないのです。
(256-58, 1994.3.12)


アダムとエバ、男性の先祖、女性の先祖です。男性の種、女性の種です。半分の種なのです。すべてのものが一つの殻の中で、二つになっています。それで、ハナニムと宇宙を象徴するのです。ハナニムが統一された中には二性性相があるのですが、その二性性相には胚芽があります。種があって、核があるのです。
(253-249, 1994.1.30)
ハナニムも無形の主体でいらっしゃるために、実体相対圏、絶対的な有形の実体を必要とせざるを得ないということが理論的な結論です。それゆえに、ハナニムも二性性相をもっているのです。それは、無形の性相を有形の実体として展開する創造のためのものです。それを中心として宇宙の被造世界を考えてみれば、鉱物世界もすべて主体と対象の関係をもって運動をしています。分子で見るときはプラスイオンとマイナスイオンが主体と対象の観念であり、原子で見るときは陽子と電子が主体と対象の観念です。
(228-140, 1992.3.27)
ハナニムは、女性性稟せいひんもあって男性の性稟ももっている二性性相によって成されています。ハナニムは、ハナニムの中にある男性の性稟を集めて男性を造られ、女性の性稟を集めて女性を造られたのです。このようになれば自然に主体と対象に分かれ、この主体と対象がお互いに授受作用をすれば、これが再び一つになって作用するようになります。これが正に、統一教会の「原理」でいう正分合作用だというのです。この偉大な統一教会の「原理」が、今後、哲学において、宗教において、問題になるでしょう。
(41-290, 1971.2.17)
ハナニムは人間を、愛を実現し得る存在として造られました。愛のみ旨を成していくためですが、ハナニムの中にあるものをそのまま表したような、一つ残らず自分に似た同じ姿の息子と娘として人間を造られたのです。
それゆえに、統一教会でいう「二性性相」という言葉は、この地球上で初めて聞く、驚くべき内容だというのです。二性性相の中和的主体、これはどういうことでしょうか。天地の道理が、すべて入っている言葉です。
(144-236, 1986.4.25)
愛といっても、一人でいる所には通じません。二つが和合する基準を中心として、より高い次元に引き上げるために作動するのです。これが愛の力です。愛が作動する時は、相対との橋がなくてはならないので、万有のものは愛の理想に和合することができるようになっているのです。ハナニムがさらに愛の理想を実践するためには、相対になるようにせざるを得なかったという事実を知らなければなりません。それで、「二性性相」という名前をつけたのではないですか。
(177-271, 1988.5.20)


全体を糾合きゅうごうして一つの原則的な基本を明らかにしてみれば、主体と対象の関係、ここから存在と作用を起こすのです。主体と対象によって存在し作用すると見るのです。私たち統一教会は、これを中心として二性性相という概念をキャッチしました。
それでは、二性性相がただそのままいるのでしょうか。ストップしているのでしょうか、動いているのでしょうか。動いているとしたら、どうして動くのでしょうか。なぜ動くのかというのです。損をするために動くのでしょうか、利益を得るために動くのでしょうか。作用して運動するのに、損をするために運動するという法則があるならば、私たちの理想の作用や希望に向かって前進する作用は、あり得ないのです。損をするならば、これがますます小さくなっていくというのです。小さくなってストップしてしまうというのです。しかし、この小さいものが利益のために動くならば、ますます大きくなっていきます。
(125-72, 1983.3.13)
ハナニムご自身は、一つの体です。二性性相の主体としていらっしゃるために自体内で愛するといいますが、思考では「男性格主体の位置だ、女性格対象だ」といって愛を感じることができるのかもしれませんが、男性と女性が分立された立場では、刺激的な衝撃を感じることができないというのです。
したがって、アダムとエバがハナニムご自身をさておいて、自分たちの間でもっと衝撃的に愛するのを見る時、愛の主体であられるハナニムは、悪く思われないというのです。なぜですか。その二人が一つになったその場を、相対として喜びを感じることができる主体者でいらっしゃるために、その相対がより価値的な愛を感じるようになる時、ハナニムも幸福を感じられるようになるというのです。
それが、ハナニムの人間創造を中心とした愛の第1法度ではないかというのです。したがって、そのような愛の教育を受けることなくしては、その場に行くことができないのです。
(51-173, 1971.11.21)
本来、力とは、作用すれば減少するのですが、愛の力だけは、作用すれば強くなります。無限に拡散したものは、その中に無限に集約された力があるので、引き寄せるのです。ですから、循環作用の内的な力を、自分自体がもっているということを知らなければなりません。そのような論理を適用しようとするので、私たち統一教会では、二性性相の論理がどこにでも適用されるのです。ムン先生に知恵があるので、それをすべてキャッチしておきました。
(164-87, 1987.4.26)
まことの愛がどれほど良いかというのです。ハナニムも、愛ゆえに生まれました。愛ゆえに生じました。気分が良いでしょう? 「ああ、文総裁が言うには、ハナニムは愛ゆえに生まれたそうだ!」。ハナニムを捕まえて分析してみてください。ハナニムの二性性相まで先生が分析しました。その二性性相にも、また二性性相があるでしょう? 皆さんもすべて、男性ホルモンと女性ホルモンが出てきますね。分からなければ病院に行って診察してもらってください。それゆえに、すべて通じるようになっています。
(222-179, 1991.11.3)


創造原理の二性性相がなぜなければならないか、どのようなものが主体でどのようなものが対象かという問題を根本的に解いて、解いて、これ以上解くことができない時、戻ってくるというのです。いくら掘り下げても、戻ってくるというのです。これが千年、万年、そのようになるので、仕方なく、「ああ、この道しかないな。これ以上、探す必要はない」という時、「原理」という言葉が成立するのです。それで、原理というものは変わらないのです。
(173-127, 1988.2.14)

 

③ ハナニムの宇宙創造の動機は愛

天と地自体も、自ら存在したくて存在するようになったのではなく、ある力の源泉に立脚して生まれたということを考える時、ここよりも1段階上がり、中心的な主体を備えて天地を動かすか、あるいはここに創造をするという力の作用体、根本の作用体が必ずなければなりません。このような立場にいるそのお方を、私たちは「ハナニム」と言いますが、民族が違い、言語が違うことによって異なった表現をします。しかし、その名詞が問題ではありません。この宇宙の中心がなければならないというのです。全体が作用して移動しても、その移動するところについていって移動するのではなく、動く相対的な世界の中心において、億千万年動かない中心的な本体がないといけないというのです。
(154-298, 1964.10.5)
宇宙の根本を掘り返してみた時、ハナニムがなぜ生まれたのかという問題は、根本に該当します。ハナニムはなぜ生まれたのか、何のために生まれたのか、ハナニムは何をするのか、このようなことが問題なのです。今日、キリスト教の盲目的な信仰時代は、過ぎました。むやみにハナニムを信じる時代は、過ぎました。
このような推理的な結論において、適切なハナニムに対する内在的性稟せいひん、外向的なみ旨に対する世界との関係、ハナニムにおける内外との関係、この関係というものが問題です。
(191-13, 1989.6.24)
人間が、第一の存在になることはできないのです。いくら優秀であっても、原因的存在になることはできないというのです。私たちは、あくまでも第二の存在です。結果的存在です。それでは、この宇宙の原因的存在とは何ですか。ハナニムがいらっしゃるならば、ハナニム自体が原因的存在であり、絶対者です。そのような絶対者がいらっしゃるとするなら、絶対者自身が何を必要とされるでしょうか。何を中心として、人間や被造物と関係を結ぼうとされるでしょうか。これが根本問題です。神学で取り扱わなければならず、哲学で取り扱わなければならない重要な問題です。ハナニムと人間、原因と結果を連結できる内容とは何なのかというのです。
(198.283, 1990.2.5)
ハナニムは何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、ハナニム自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、ハナニムもそのように大きくなったというのです。ハナニムも、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。
(207-27, 1990.10.21)


まことの愛というものは、最も深いところから出発します。では、真の愛の起源は何ですか。ハナニム、ゴッド(God)です。「ゴッド」という発音を韓国語で言えば、昔の人々がかぶったカッ(帽子)のことを表します。帽子は、てっぺんにかぶるものを言います。同じ意味だというのです。ここにおいて、性相と形状がなぜ分かれるのかが問題です。宇宙の根本とはどこでしょうか。宇宙の根本は、どのように生まれたのでしょうか。これが問題です。ハナニムがどのように生まれたのかというのです。ハナニムを見ましたか。それは、どのように生まれましたか。皆さんは、どのようにして生まれたのですか。宇宙のすべての要素のエキスを取って、総合して生まれたのが正に「私」です。
(207-24, 1990.10.21)
愛の中心はハナニムなのです。宇宙生成以前からいらっしゃる、唯一的であり、永遠的であり、不変的な存在なのです。ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえにハナニムの本質は、心情です。このようなハナニムが、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正にハナニムの宇宙創造だったということは言うまでもありません。
それでは、ハナニムは、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、ハナニムが心情をもっていらっしゃるからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が展開するためです。ところが、その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来、心情というものは目的を指向するものだからです。ですから、創造目的は、心情を充足させる喜びだといわざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間がハナニムに似た時に訪れるのです。
ゆえに、ハナニムの愛と創造性に似た人間と国家が、ハナニムが創造しようとされた目標だったのです。これは、人間の理想がそれを追求するのを見ても知ることができます。理想とは、当然、享有するようになっている世界を追求する熱望なのです。
(65-258, 1972.11.26)
宇宙の根本とは何でしょうか。この宇宙が生まれる前には何があったのでしょうか。ハナニムですか。ハナニムだけいましたか。愛が見えますか。愛は、実体がありませんが、愛は、どこにありますか。愛は、コンセプト(概念)です。ハナニムにおいても、愛は、コンセプトなのです。ハナニムにとっても、愛は、コンセプトだということを知らなければなりません。
(293-132, 1998.5.26)
ハナニムは、なぜ創造をされたのでしょうか。愛のためにされました。愛は、一人ではできないのです。相対がいなければなりません。一人でいる愛は、縦的な愛なので、環境的条件がありません。
(193-303, 1989.10.8)


ハナニムは、絶対者ですが、何が慕わしくて人を創造されたのでしょうか。黄金も何の知識も必要ない全知全能のハナニムが、もっていないものは一つもないハナニムが、何が必要で人を造られたのですか。すなわち、創造の根本動機は何ですか。それは権力でもなく、知識でもなく、所有でもないのです。ハナニムには愛の基盤がなかったのです。ハナニムも、一人では愛を成し遂げることができないのです。それゆえに、天地創造の動機が愛だというのです。
(149-149, 1986.11.21)
ハナニムは、なぜ天地を創造されたのでしょうか。その全知全能の絶対者が、何がなくて人を創造されたのでしょうか。愛のために創造されました。愛は、相対がなくては現れません。相対がいないのに作用するようになれば損をします。すべて自分を保護するようになっています。損をするところでは絶対に動きません。愛は、相対が現れれば、ないようですが、飛び出してきます。ハナニムにも愛がありますが、男性的なハナニムが静かに一人でいる時には、その愛が現れません。これを現してみせることのできる相対が、正に人です。
(60-76, 1972.8.6)
全知全能のハナニム、遍在するハナニムが、何が不足で人を造られたのでしょうか。ハナニムにおかねが必要で、きんの塊が必要で、ダイヤモンドが必要ですか。そのようなものはいくらでもあります。それでは、知識が必要ですか。ハナニムは知識の王なので、知識はいくらでもあります。それならば権力が必要ですか。権力とは、ハナニムにとってあってもよく、なくてもよいものです。ハナニムに不足だったのは愛です。
愛というものは、相対的関係においてのみ成立するものだからです。ハナニムも、愛を必要とするハナニムにならずしては、この創造世界と人間世界が関係を結べないのです。ですから、愛をもって訪ねてこなければ存在世界とは関係ないという結論が出てくるので、ハナニムは愛を標準として定めてこられたのです。
(121-100, 1982.10.24)
ハナニムがなぜ天地を創造されたのでしょうか。いくら絶対者であっても一人では喜びを感じられず、仮にうれしいと思っても喜びの刺激を感じられないので創造されたのです。絶対者がいくら、「私は絶対者だ。私は愛の主人公だ。生命の主人公だ」と言ったとしても、絶対者一人では愛の刺激を感じられず、天地が私の体の中にあるという生命の刺激を感じられないのです。
(38-152, 1971.1.3)
ハナニムが自分自身だけを考えたとするなら、天地創造をされたでしょうか。創造とは、力の投入をいうのです。芸術家は、最高の傑作品をつくることが願いです。芸術家は、傑作品をつくるためにあらゆる精誠を投入します。すべてを投入するところにおいてのみ、完全な傑作品が出てきます。これ以上できないという時に、初めて傑作品が生まれます。