八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 6-5

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1680-1715

【天啓の御言】(6-5)

 


男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。それゆえに、男性の生殖器と女性の生殖器は自分のものではありません。ハナニムは知恵深い方です。主人がお互いに入れ替わっているのです。この男性たちは浮気するでしょう? この雷に打たれる者たち! 統一教会では絶対に許されません。
(198-122, 1990.1.25)
女性のへこんでいる生殖器は、誰のものですか。それが女性に必要ですか、男性に必要ですか。女性に絶対必要ですか、男性に絶対必要ですか。男性に絶対必要なのです。また男性のものは女性に絶対必要なのです。そのかぎを誰がもっているのかといえば、女性のものは男性が、男性のものは女性がもっています。それゆえに、それを開くことができる人は、ただ一人です。真の愛は一つなので、一つの真の愛を主管することができる人は、真の男性であり、真の女性だというのです。
(210-108, 1990.12.1)
女性の生殖器は、誰が主人ですか。男性です。男性のものは女性に必要であり、女性のものは男性に必要になっています。そのように相対的になっています。主体が交差するのです。
(227-59, 1992.2.10)
愛は、絶対的であることを願うというのです。絶対というのは一つです。二つではありません。絶対的だというのは、永遠に一つだという意味です。愛のパートナーは、一人の男性と一人の女性だけを許容するというのです。それゆえに、ハナニムがアダムとエバを一人ずつ造られたのです。それを、どのようにして否定することができますか。誰もそれを変えることはできません。
(254-273, 1994.2.15)
女性の乳房は誰のためにあるのですか。自分自身のためのものですか。息子、娘のためのものです。自分自身のためのものではありません。ヒップが大きいのも誰のためですか。それも息子、娘のためです。その乳房の主人は息子、娘です。生殖器はどうですか。相対のためのものです。なぜですか。相対のためにすべてのものが地上に現れるのです。女性の生殖器は誰のものですか。夫のものです。誰が主人ですか。夫が主人であって、女性が主人ではありません。男性のそれは誰が主人ですか。女性が主人です。ハナニムは素晴らしい方です。主人をお互いに入れ替えて、どこにも逃げられないようにしておいたのです。
(201-196, 1990.4.1)
女性のその顔は、自分のものではありません。夫が好む顔です。女性のものはありません。自分の正面の下にある生殖器は、自分のものではありません。夫のものです。女性は、自分のために造られたものが一つもありません。夫と息子、娘のためのものしかありません。その道を行くのです。二つの世界を一人で抱くことができるのです。手を取り合わなければなりません。縦横の地上世界を抱くことができる、そのような愛の器になることができるのが女性です。
(263-180, 1994.8.23)
女性の体を見れば、胸とおしりは赤ん坊のために、顔とその隠すものは夫のために生まれたというのです。上下左右がすべてそうです。自分のものは一つもありません。その主人は、誰ですか。何の主人ですか。女性の生殖器の主人をいうのです。それは自分のものではありません。男性のものです。男性のものを自分勝手にできないというのです。これだけ知っていても、世の中はこのようにみだらになりません。フリーセックスがどこにありますか。ホモがどこにいますか。他人のものを自分の思いどおりに使うのは泥棒どろぼうではないですか。泥棒たちは地獄に行けば、逆さまに差し込まれます。
(290-158, 1998.2.18)


きょう、ここに10ヵ国以上の大統領が来ていますが、その国の放送を通じて、これを通告してみてください。男性が男性のために生殖器をもったのか、女性のためにもったのかと尋ねてみてください。それが自分のものだという人は、どろぼうです。自分のものだと考える盗賊だというのです。笑うことではありません。歴史的な宣言です。このように生きれば、平和の世界が目の前に来ます。ハナニムのみ旨の中の重要なみ旨が、愛のみ旨です。この愛のみ旨を人間の前に伝授してあげるために、最も貴重な器官をつくられた、それが生殖器ですが、男性の生殖器は女性のものであり、女性の生殖器は男性のものなのです! アーメン!「そうではない」と言いますか。それが間違っていると思いますか。
(277-182, 1996.4.15)
男性と女性の生殖器官は、ハナニムの愛を所有することができる極です。プラス極とマイナス極です。電池の充電点です。これがなければ、ハナニムの愛が充電できません。人間のその器官を通じて愛を満たそうとすれば、人間は毎日のように愛を満たすことができます。しかし動物はそれができません。1年に1度だけです。
(134-200, 1985.7.20)
アメリカの家族制度は、いくらおじいさん、おばあさんがいても、孫の家に思いのままに訪問することができません。訪問したければ、先に電話をしなければなりません。そのような手順を踏んでから行くことができるというのです。考えてみてください。愛する間柄でも「今夜、愛しましょう」と許しを受けますか。妻であれ、夫であれ、「愛しましょう」と言えば、いつでもOKしなければなりません。これが夫婦の道理なのです。そうです。「私は疲れています。嫌です」と答えることはできないというのです。自分の器官は、自分のものではありません。女性の生殖器の主人は男性であり、男性の生殖器は女性が主人です。誰がそれを否定することができますか。
(246-53, 1993.3.23)
女性たち、そのように胸が大きいのは、自分のために大きいのですか。ヒップが大きいのは、自分のためですか。自分のものは一つもありません。女性がもっているすべてのものは、自分のものではありません。「ため」にあるのです。子供のために、夫のためにあるのです。すべての生理と生殖器官は自分のものではありません。男性のものの主人は誰ですか。主人は女性です。誰が鍵をもっているかといえば、夫人がもっているというのです。これを間違って使うことにより、天罰を受けるのです。ソドムとゴモラがなぜ滅亡しましたか。アメリカがなぜ滅びるのですか。麻薬と淫乱いんらんを通して滅びるのです。
(142-150, 1986.3.8)


男性が男性になり、女性が女性になるようにするものが何か分からなかったというのです。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きだというなら、どれほど好きですか。今までは、それが良くないものだと思っていたとしても、これからは、貴く思わなければなりません。未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるならば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。ハナニムが人間を創造される時、最も大切に精誠を尽くして造られたところがどこでしょうか。目ですか。鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。これらはすべて、死んでなくなります。事実がそうではないですか。「世界平和家庭連合」の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、あらゆる分野を完全に超越し、生殖器が一つになってハナニムまでも拍手で歓迎できる人が生きる世界があれば、どのような世の中になるでしょうか。
男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人は誰ですか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人がお互いに入れ替わっていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。
(279-244, 1996.9.15)
地上世界で、ハナニムの愛が宿るところは、どこでしょうか。男性と女性の生殖器だということを知らなければなりません。堕落していない本然の愛、これが、至聖所だったということを知らなければなりません。堕落したために、最も貴い天国の皇子の系統を受け継ぐべきこのような王宮が、ハナニムの怨讐おんしゅうであるサタンの一族の血統を受け継いだ、という驚くべき事実を知らなかったのです。
(134-185, 1985.4.7)
男性と女性が愛することができる生殖器なのです。ところが、ハナニムは、知恵があるので、この愛の器官を入れ替えておきました。離れようとしても離れることがないようにするためです。離れたとしても、再び戻ってきてそれを探さない限り、どこにも行く所がないというのです。どこかに行って安息する所がないというのです。それをもっていってこそ、天下のどこに行ってもみな和合して、歓迎するようになっています。
(148-290, 1986.10.25)

 

③ 真の愛は汚いものも消化

皆さん、ハナニムが最も重要視し、最も精誠を尽くしてつくられたところがどこか知っていますか。生殖器です。生殖器は、生殖する機械ではありません。それが最も貴いものなのに、最も汚いものとくっついています。それを知っていますか。小便の穴は、同じですか、違いますか。場所は同じです。男性も女性も同じです。なぜ、そのようにつくりましたか。いくら良い種でも、肥やしをかぶせて植えてこそよく育ちます。貴いものであるほど、良い肥やしをたくさん継続的に与えてあげなくてはならないというのです。


人は継続的に育っています。ハナニムを占領するように育ち続けているのに、肥やしも一生の間、共に降り注いでいます。それが汚いですか、有り難いですか。それを考えれば、すごいことでしょう? それがなぜ、そこにくっついているのかというのです。毎朝、生殖器はその匂いを必ずかがなければならず、小便をしてそこに毎日のように水をまかなければならないというのですから、これはどういうことでしょうか。天地の道理がそうです。
(261-170, 1994.6.9)
今まで、つくづく、宝物は天国にあるものだと思っていました。ところが、よくよく見ると、自分の体にもって歩いているものだったというのです。本宮がそこだということを知ったからです。ハナニムに侍ることができる本宮は、愛ではないですか。愛のまことの壺がどこにありますか。指にありますか。どこですか。男性の何ですか。女性の何ですか。男性の生殖器、女性の生殖器ですが、そこと同じところに最も悪いものがあります。小便がどこから出てきますか。生殖器から出てきます。女性も同じであり、男性も同じです。そのように出てくる汚い小便が愛と和するようになる時、汚いものになるでしょうか、きれいなものになるでしょうか。それでは、小便を真の愛にひたして冷茶を飲むように飲むならば、どれほど素晴らしいでしょうか。
(178-125, 1988.6.1)
愛は調和も多いのです。においも、悪いものでも香水だと思わせます。ですから、愛には汚いものがありません。それゆえに、ハナニムは真の知恵の王です。私たちの生殖器のようなものも、最も汚いところの近くにあります。これが和合する調和だと宣布して、配置したのが男性と女性の生殖器です。最も良くない、汚い部分に装置したのです。
(194-49, 1989.10.15)
皆さん、男性と女性の生殖器がどこにありますか。そこは最も安全地域、最も安全地であると同時に、最も汚いところです。それを見れば、ハナニムは、真の知恵の王です。人間世界に、「愛は、そのような汚いものも支配するのだ」ということを教えてくれているのです。肛門こうもんに近い位置にあります。また、小便が出てくる道と同じです。
(194-175, 1989.10.22)
関係する時、男性の生殖器が入ってくることを願うでしょう? それは、考えればどれほど汚いですか。神聖な穴と汚い穴が一緒にあるというのです。そうではありませんか。汚くてにおいがする同じ場所で、永遠の生命が芽生えるのです。これは明確な概念です。いつでもトイレに行けば、それを考えなければなりません。お父様のみことばを考えて、「真の愛と連結された神聖なところだ。すべてのものが神聖だ」と思わなければならないのです。いつも忘れずに覚えていなければなりません。
(293-43, 1998.5.1)
最も貴い生殖器が汚いところに連結されています。おしっこがどこから出てきますか。誰もこのように重要なことを、一度も考えてみたことがありません。そのようなことを知らなければ、完成は不可能です。春に種をく時、その種を水で洗いますか、肥やしで覆いますか。肥やしで覆います。汚くてにおいがする肥料で覆います。地に埋めて踏むというのです。
(277-274, 1996.4.18)


生殖器と小便や大便をするところとは、最も遠いですか、最も近いですか。偉大な人は、汚いところに行って尊敬されなければなりません。生命の場には肥やしが必要です。きれいなところはありません。砂浜にはないというのです。男性は、みそ汁の味がしなければなりません。女性は清潔でもかまいませんが、男性は少し不潔でなければなりません。出掛けて帰ってくれば、足のにおいがぷぅーんとしなければなりません。あまりにも清潔であれば、ハエも来ません。ハエさえも訪問しません。そこにありがくっつきますか、何か鳥がくっつきますか。
(247-323, 1993.6.1)
結婚とは何ですか。生殖器を合わせるための運動ではないですか。そうですか、そうではありませんか。これは下品な話ではありません。神聖な話です。人間の最も高貴なものが生殖器です。そこから生命が引き継がれ、理想が引き継がれるのです。限りなく貴いものなのに、便所に近いところにあります。
男性と女性の生殖器は、毎日のように便器に座る時、どうなりますか。肛門だけが座るのですか。すべてが座るのでしょう?
(187-70, 1989.1.6)
人間にとって最も貴いものとは何だと言いましたか。生殖器です。生殖器は最も神聖なものでありながらも、生殖器に最も近いものが最も汚いものでもあります。男性の生殖器からは小便も出てきます。それは、なぜそうなのでしょうか。それが宇宙の神秘です。また女性の性殖器から最も近いものが何ですか。肛門があります。それは毎朝、使用するでしょう? 小便もそうです。でも、おかしなところにあると考えてはいけません。それを讒訴ざんそする言葉を聞いたことがありますか。何も言わず、何でもないというのです。霊界に行けば高い位置に行きたいと思うのと同じように、最も卑しい所へも行って住みたいと思わなければなりません。
(213-283, 1991.1.21)
女性の生殖器から何が出てきますか。生命が出てきて、その次に、何が出てきますか。小便が出てきます。ふんのいとこです。私も、それが不思議なのです。全く、それがなぜ好きなのですか。おじいさんとおばあさんも、ハナニムも、それをつかむことができなかったと嘆息しています。気がついてみると、そうだというのです。唖然あぜんとします。それがどうして・・・。
(295-186, 1998.8.28)
愛は、人間にとって貴いものです。人間の愛が貴いものなのに、その貴い愛の器官の前に、最も嫌っているのに近くにあるものとは何ですか。それは何ですか。小便を、どこでしますか。女性も男性も、それが生殖器と連結していますか、していませんか。気分が悪くありませんか。
(263-95, 1994.8.21)
最も良いものは何ですか。指が良いですか、頭が良いですか。何が良いのですか。男性にとって何が良いのですか。男性と女性において最も貴いものとは、どこですか。生殖器ではないですか。どれほど貴くて、三煞方サムサルバン(注:三つの災いが重なった不吉な方向)の侵犯を受けず、保護するようにきちんとつくっておいたのでしょうか。通るたびにこれに触れるようになれば大変なことになるので、さっと保護してあげるのです。男性と女性、みなそうです。私がハナニムでも、ほかには取り付けるところがありません。それをつくって組み立てる時、これをどこにもっていって取り付けたでしょうか。ここにつけますか。ここにしておいたら、男性と女性が二人で歩く時、どうなりますか。
(199-323, 1990.2.21)


 

生殖器を中心に縦横のバランスをとらなければならない

建築する人たちは、三角定規一つで、すべて設計するでしょう? さっさっさっとすべて設計するでしょう? それと同じです。人を見てみれば、重要なものがどこにあるでしょうか。真ん中の垂直線形態に沿ってあるものが、一番重要です。それが何ですか。生理的体の形態、この体においてそれは何ですか。鼻です。鼻をふさいでみてください。この鼻を通じて、生命の要素が通るのです。それからどこに下りていきますか。へそに下りていって、どこに行きますか。生殖器です。女性の生殖器は逆さまになっていますか。横的になっていますか。私には分かりません。女性がよく知っているでしょう。男性の生殖器は縦的になっていますか。それを知らなければなりません。縦的な基準を備えたすべてのものは、神聖だというのです。生命の問題と直結されているのです。
(196-226, 1990.1.1)
皆さんの顔で、この水平(口の線)とこの垂直(鼻の線)がまっすぐな人々は、良心が正しいのです。これが90度になる人々は、良心が正しいのです。一番重要なところです。へそが上のほうにあってもいけなくて、ぴたっとセンターラインになって、あごまでこのようになり、唇がここにありますが、この鼻がこのようになって、血管があるところまでこのようになっている人は、出世する人です。これが、おしりともぴたっと合わなければなりません。このようにして腰も90度、おしりも90度が合わなければなりません。このように考えるのです。
(207-78, 1990.11.1)
目は横的になっていて、鼻は縦的になっているでしょう? この縦的な鼻を通じて口と食道を通じ、胃腸まで縦的に通じるのです。縦と横が調和をなさなければなりません。縦的な口や横的な目がゆがんでいたりすれば、既に人の性格が変わるのです。男性と女性の生殖器も、縦的な面に拍子を合わせているのです。男性たちの生殖器は縦的なものと横的なもの、二つがついているのです。それが宇宙を代表するのです。それゆえに、生命の種は男性から、生命の根源は男性から出てくるのです。アメリカの女性がいくら誇っても、赤ん坊の種はもてないでしょう? いくら有名なアメリカの女性だとしても、赤ん坊の種をもつことはできません。
(243-272, 1993.1.28)
皆さん、このように垂直にまっすぐにして、これがどこに通じるのですか。生殖器と通じるのです。それが垂直の通過点です。それゆえに、ハナニムの希望の場所です。体は、ここに90度で一つにならなければなりません。今まで人間は、心と体が正しくありませんでした。心は垂直的私です。体は水平的私です。どこからですか。垂直的父母、水平的父母、垂直的父母と水平的父母が一緒に私をつくったのです。彼らからまことの愛、真の生命、さらには真の血統を受け継ぐようになったのです。自分がそのようになっているのです。真の愛で一つになって生まれたのが私です。私は宇宙の中心であり、愛を代表した存在だというのです。水平的愛と垂直的愛が合わさって一つとなった真の愛の中心存在です。それが正に私なのです。
(217-152, 1991.5.19)


人は、縦的なことを考えるので立っています。頭がここにあり、生殖器が中心です。脱いで鏡を見れば、男性たちは分かります。毛が生えてその下の生殖器まで、これがゆがんではいけません。女性も乳房がありますが、これがすーっと合わなければなりません。おしりが大きくてもいけなくて、すべてが合わなければなりません。笑い事ではないのです。このようなことに感動できなければなりません。
(225-99, 1992.1.5)
私たちの体は、相対的になっています。焦点を合わせるために、そのようになっているのです。耳も目も、すべて焦点を合わせるのです。また、口も神経を中心に焦点を合わせているのです。そして、これが真ん中から下には、へそと生殖器が直線になっているというのです。それを恥ずかしく思うのは間違いです。
(229-241, 1992.4.12)
目の焦点も中心を中心として一直線上にあります。これとこれが合っているでしょう? へそから生殖器まで、ぴったり合わなければなりません。それで、二つをくっつけました。それゆえに、共鳴するのです。なぜ、そこにくっつけたかといえば、共鳴しなければならないからです。共鳴してこそ意識をするのです。
(226-19, 1992.2.1)
唇も焦点が合わなければならず、手と手も合わなければなりません。これがずれれば事故が起きます。口がいくら大きくても、すっと突き出て鼻筋と合い、へその緒と合い、あの下の重要な生殖器と合わなければなりません。鏡を見て、自分自体が合っているかを見て、私はどのように生きるべきかということもすべて知らなければなりません。
子供の時から、こうなっているからこのようなことに注意すべきだ、と教育しなければなりません。それを教育できる教材がありません。そのような話をすれば、きりがありません。
(221-227, 1991.10.25)
目がただあるのではありません。垂直に沿ってあるのです。人の目がゆがめば良くありません。垂直にならなければなりません。鼻は、アダムとエバを象徴します。目はハナニムの象徴です。歯は万物を象徴します。32本の歯は、4掛ける8で32(4×8=32)、すべて万物世界の表示的象徴です。このような視覚的なすべてのものが、どこに行って実を結ぶのかというと、頭ではありません。生殖器です。様々な神経の王宮が生殖器です。それは、生理学を研究すれば分かります。
(190-130, 1989.6.18)
男性は、なぜそれがとがっているのですか。女性も突き出るようになります。それは、山脈が途絶えるような形になっています。明堂ミョンダン地(注:風水で墓地として使うのに非常に良いとされる所)はそうでなければなりません。左の青龍、右の白虎びゃっこという言葉も、すべてそのように展開されるのです。それゆえに、愛のひもを通じて父母の愛から連結され、愛の生殖器と共に垂直にならなければならないのです。
(180-303, 1988.8.22)


すべてのものは球形に似ています。すべてのものは運動をしなければなりません。体の中で、人間の中で、最も球形に似ているのが顔です。顔の中で最も球形に似ているのは目です。
それから、男性においては生殖器の周囲にあるものです。私がそのことまで話をしなかったので、話さなくてもよいのです。それから、体の中に入っていって何がありますか。腎臓じんぞう、それから膀胱ぼうこう、それはすべて重要な器官です。
(214-56, 1991.2.1)
すべて種が流れ、これが結実できる、それが生殖器です。そこにすべて集まるようになっています。悪いもの、良いものがそこにすべて集まるようになっています。ですから、これを正しく使えば良い人になり、使えなければ最も悪い人になります。
(280-97, 1996.11.11)
鼻先とこれが合わない人は、良心的な人になれません。これは常識的に知っておかなければならない問題です。これがへそを通って生殖器まで、ずーっと直線にならなければなりません。男性たちを見れば、毛があります。女性は毛がないでしょう? 女性たちの胸に毛がありますか。男性の毛はこのように二つの側がつながっているのです。それも主体と対象です。二つが一つにならなければなりません。
(248-284, 1993.10.3)
鼻先と中央がすべて合わなければならず、へそと生殖器と、すべて中心が合わなければなりません。それがゆがんでいれば、その人は星回りが悪いのです。人生が平坦へいたんではありません。人をぱっと見れば、それによって、目がまっすぐになっているかを見るのです。肩からすべてのものがどのようになっているかを見るのです。歩く時、このように歩く人はみな良くありません。ここに数百人が集まっていますが、この人たちの歩き方は、同じではありません。すべて違います。自分の性格を表すのです。
ある人は、このように歩く人もいます。そのような人々は、変えなければなりません。いつも定着することができないのです。
(248-88, 1993.8.1)
頭が立っているのを見れば、まっすぐではないですか。ずーっとまっすぐです。人の重要な部分は、頭と生殖器です。ここから直接下りてくるのです。ここで分かれました。頭で考えるすべてのことは、夫は妻を考え、妻は夫を考えます。愛を中心として考えますが、それが生殖器、そこで一つになるのです。
(188-44, 1989.2.16)
乳房が一つになっていますか、垂直になっていますか。へそは中央にあるのですが、円形のへそになっていますか。その次に、これが生殖器までずーっと連結されているのです。水が流れればどこに行きますか。低い所を通ってどこに行くのですか。座って仕事をする時、一番たくさんぬれるのが下部の中央です。汗が途方もなくたくさん出ます。それで、毛がたくさんはえているのです。ここはみなそうでしょう? 水がそこにすべて集まるというのです。
(297-46, 1998.11.15)


鼻が良い形であれば、金持ちになります。それが分かりますか。さっと見る時、当てはまらなければなりません。ここがすべて生殖器まで、へそまで線が合わなければなりません。これがずれれば、相対が揺れます。結婚する時は、丸裸になってへそを合わせてみて、胸を合わせてみて、すべていったんぴったり合えば、夫婦間が理想的になるのです。生殖器もゆがんだ人がいるというのです。女性もどちらか片方に偏って、垂直にならなければ遊び人になるのです。未亡人になって死ぬようになるのです。創造の原則が、すべてそうです。
(295-30, 1998.8.16)
人体で最も貴いものが目です。目が最も貴いのです。それから心臓です。心臓も丸いのです。また、女性は子宮が丸いのです。男性は何ですか。男性の生殖器も丸くなっているでしょう? 丸いものは貴いものです。女性たちは、骨ばっていません。肉体が丸いので、美術家たちは、女性の裸体を描くのが好きなのです。
(272-154, 1995.10.1)
顔を中心として、へそから生殖器まで、ぴったり合わなければなりません。一度、自分の体を病院に行って調べてみて下ください。歩く時は、ぴたっと中央に伝達される重さが同じなので、靴底が一定に擦り減らなければなりません。靴を見て、ゆがんでいる人は間違っています。正しい人は、道人になるのです。
(286-219, 1997.8.11)
人の人相を見ようと思うなら、ここからどのように下りてくるかを見るのです。これがずーっと生殖器とぴたりと垂直になってこそ、良心的な人です。それがずれれば困るというのです。胸が片方に寄っていても駄目で、へそが寄っていても良くないというのです。
(252-108, 1993.11.14)
座るのも、まっすぐに座らなければなりません。歩くのも、まっすぐに歩かなければなりません。歩くのを見れば、ありとあらゆる人がたくさんいます。何千人がいたとしても、みな歩く姿が違います。それで、歩く時は、いつでもこのてっペんとここ、生殖器をぴたっと垂直に合わせて歩かなければならないのです。縦的なものを中心として、すべての器官が動かなければなりません。そうすれば、ハナニムがそれを見て、「やあ! 男性と女性が私の願ったとおりに歩いているなあ」と関心をもち、霊界が関心をもつのです。
(246-237, 1993.4.18)
人を見る時、頭からすーっと下りてくれば、鼻があるでしょう? その鼻を過ぎて、人中にんちゅう(鼻の下の溝)を過ぎて、唇を過ぎて、へそと生殖器に通じるのです。この縦的な線を中心として、目はどのようになっているか、横的によく合わさっているかということを見るのです。耳も見て、肩も見て、歩くのも正しいか、すべて見るのです。それゆえに、歩くのもいい加減に歩いてはいけません。歩く姿は、その人の一生を象徴するのです。
(246-235, 1993.4.18)


人間について考えてみるとき、人間の体の中で最も貴いものは何ですか。円形によく似たものが貴いのです。そのように見るとき、人の目と心臓、その次には、男性の生殖器です。男性の生殖器には、目のようなものが二つあります。男性にはありますが、女性にはそのようなものがありません。貴いものです。目は本当に貴いでしょう? 目はハナニムを象徴するのです。心臓は生命を象徴するものであり、生殖器は愛を象徴するものです。頭はハナニムを中心とした監視器官です。
(249-173、1993.10.10)

 

⑤ 愛は学んで知るものではない

愛の表示を教えてくれないものはありません。動物を見ても、よく見えない昆虫のようなもの、手でつかまえるとぴたっとつく、ちらちらしたものも、そこに目があり五官があります。このようなことを考えると、なければならないというのです。それにも生殖器がありますか、ありませんか。雄と雌がいるというのです。
その雄と雌が何をもって一つになりますか。焦点が何ですか。愛でしょう? それは否定できないのです。
(223-268, 1991.11.12)
教育は必要ありません。フリーセックスだの、性教育だのと言っていますが、この狂った者たち、やめなさいというのです。動物世界で性教育をしますか。そばにさえ行けば、自動的に合わせます。あるものは生殖器が羽の付け根の中にあるのですが、かかとでそれに合わせます。自然に合うようになっています。磁石が南北に通じるのは、「合わせろ」と言うから合うのですか、自動的に合うのですか。自動的に合うのです。ハナニムの愛があり、まことの愛に一致することができる心と体になれば、ほっておいても、自分で東西南北の方向を正しく探し当て、自動的に行って合わせるというのです。
動物たちが愛する時、どのように生殖器を合わせますか。体よりも大きのが生殖器ですか、小さいのが生殖器ですか。小さくても、体を引っ張っていって合わせるというのです。愛のために引かれていくのです。それは、強制的に引かれていくのですか、好きで引かれていくのですか。好きで引かれていくのです。自動的に天国に入っていくようになっているのです。
(272-91, 1995.8.30)
すべての動物たちの雄と雌の生殖器は、羽の付け根にあったり、ありとあらゆるところにあるのですが、それをどのようにして合わせますか。教育が必要ですか。合わせるための教育が必要ですか。教育を受けなくても、擦り合わせているうちに、すべて合うようになっています。それを教育するといって性教育するのですが、それはサタンがつくったものです。教育は必要ありません。
(284-122, 1997.4.16)
最近では、病原菌までもが夫婦で相対になっているといいます。顕微鏡で300万倍に拡大して見るのですが、その雄の中にも目があるでしょうか、ないでしょうか。鼻は? 耳は? 口は? 生殖器は? そのような小さなものも、生殖器を合わせることができますか。いったい誰が教えてあげたのですか。皆さんが嫁に行く時、「おいおい、生殖器はこのように合わせなさい!」と心配しながら教育して、嫁がせる父母がいますか。自然に動かせば合わさるようになっています。自然合徳です。強制合徳ではありません。人は和合して、和動が展開されるのです。一つになるのです。
(272-74, 1995.8.30)


ハナニムは、男性と女性の生殖器をなぜそのようにつくられたのでしょうか。天地すべてがその教材です。動物たちは、どのように愛するのかを見せてくれる愛の教材です。動物の中には人間が尊敬すべき動物が多いのです。
(180-336, 1988.10.5)
学校に行ってみれば、最近は先生と学生とが闘うでしょう? それは「ため」に生きる愛を知らないからです。天理の根本を教えてあげることができませんでした。より「ため」に生きる人が偉大な愛を占領することができるのです。愛には相続権があり、同参権、同居権があるのです。愛はそうでしょう? 愛する妻の前に金の塊を置いておいて、「それは私のものだ」と言い、体だけゆだねてあげながら、「あなたが好むのは愛なので、私の生殖器だけを受けなさい」と言うのですか。それが愛ですか。そうではありません。万物を捧げ、息子、娘をすべて捧げて、自分の体、自分自身まですべて捧げようとするのが愛です。
(204-41, 1990.6.29)

 

5) 生殖器を通して天国と地獄が分かれる

生殖器が貴い生殖器になる時、天国に連結されるのです。小学校からそのような重要性を教えなければなりません。男性と女性が追求する目的は、愛の生殖器だというのです。凹と凸にできているのは愛のためだというのです。なぜ、この生殖器が異なっているのですか。愛のためです。どのような愛のためですか。まことの愛のためだというのです。永遠の愛、不変のハナニムの愛のためにあるのです。
(278-271, 1996.5.26)
生殖器が地獄と天国に分けてしまった、ということを知らなければなりません。これを間違って使えば地獄と連結し、正しく使えば自然に天国に至るのです。出発地は、一つであって、二つではありません。愛の行為がどれほど重要かというのです。すべての女性と男性たちが家へ帰り、「今、真理が分かった。今から実践してみよう! これが、私たち家庭の希望の本拠地だ」と言うことができるようになれば、すべての解放が展開されるのです。
結論は、宇宙的宣布と共に私たちは宇宙的宣布の内容を知り、生殖器を保護しなければならないということです。母が、エバが堕落しました。その次に、カインが滅ぼしました。破壊しました。アベルがそれを助けて、滅びました。それで、統一教会では、母の世界団体をつくったのです。
(278-209, 1996.5.24)
地獄と天国はどこから出発したのでしょうか。どこから出発しましたか。空中ですか。どこですか。生殖器です。深刻でなければなりません。ここが天地をひっくり返して打ち込みました。それを否定することができますか。レバレンド・ムーンの「原理」の本にある堕落論理を否定する道はありません。ハナニムに尋ねてみてください。みな調べてみてください。そのような答えをもらえずに、自分たちは夢でも、聞くことも、知ることもできなかったことを、レバレンド・ムーンが理論的体系をつくっておいたので、反対する道理がないのです。
(279-118, 1996.8.1)


最も恐ろしい地獄に行くこととは何ですか。天理で決めた生殖器の反対の道を行けば地獄へ直行であり、これと反対に、正当なハナニムの絶対愛の道を行けば天国の高い所に行くというのです。すっきりとした結論です。
(279-121, 1996.8.1)
堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になり、天道を破綻はたんさせた魔物になったので、悪いものになりました。これが、今まで歴史に隠された秘密でした。
(197-175, 1990.1.13)
生殖器が解放されなければならないというのです。それで、今、フリーセックスの反対になるものが絶対セックスです。絶対セックス、唯一セックス、不変セックス、永遠セックスです。その四つのコンセプトがどれほど誇らしく、貴いでしょうか! その二人がただそのままでいれば、どのような変化もあり得ません。これが真の愛の根です。ここから真の愛が出発するのです。
(279-239, 1996.9.8)
今、サタン世界では完全に生殖器がすべて壊れてしまいました。フリーセックス、レズビアン、麻薬がはびこっています。麻薬は、精神を失わせるのです。人ではなく、動物と同じにさせるのです。動物のような考えしかできないのです。しかし、天国はこれと180度正反対です。フリーセックスではなく、絶対愛のコンセプトなのです。永遠の愛のコンセプトなのです。不変、唯一の愛のコンセプトです。これは、一気に天国に連結されます。地上でそのような基盤を築けば、地上天国になるのです。否定できない理論的な結論です。皆さんの愛の基盤に気をつけなければなりません。
(278-271, 1996.5.26)
生殖器を誤って使いました。それを革命しなければなりません。ですから父母です。母を立てて女性を動員するのです。「女性連合」を動員して、母の位置の定着です。そこに再臨主が来るのではないですか。メシヤは何をもってきますか。絶対セックスをもってくるのです。絶対、唯一、不変、永遠のセックス完成のために来るのです。
(279-269, 1996.9.22)
女性は男性の体を見る時どこから見ますか。目を見ますか、どこを見ますか。手を見ますか、どこを見ますか。男性を見る時、どこを見るかというのです。目ですか。その次はどこですか。顔、その次はどこですか。下りていってすべての五官がとどまる場所とはどこですか。どの器官が最も悪いものですか。歴史を通じて、生殖器が最も悪いものになりました。それを考えてみてください。
地獄が出発したポイントと180度異なる方向だというのです。真の生殖器は、天国に入っていくものであり、偽りの生殖器は、地獄に入っていく出発点だということを今まで知らなかったというのです。その基盤が生殖器だというのです。生殖器を誤って使用することは地獄に連結されることであり、愛を正しく行うことは天国に行くことです。簡単です。
(278-269, 1996.5.26)


絶対愛は、どこから探すことができますか。キスからですか。絶対愛を、どこから探すことができるかということです。絶対生殖器から絶対愛がつくられるのです。それがなければ、絶対愛を探すことができません。どこで絶対愛を探すことができますか。キスすること、見ること、聞くこと、触ることですか。性的な関係からしか探すことができません。これを知らずにいるのです。永遠の愛、永遠のセックス、セックスが定着するところがどこなのか知りませんでした。どこから出発するのかを知りませんでした。生殖器をもっていない人、手を挙げてみてください。皆もっています。それは、何をするためにそのようになっているのですか。それを尋ねると、生殖器が答えて、「私は二つの生殖器が共にしっかりと結ばれて、絶対愛を成し遂げるのが最後の願いだ!」と言うのです。それでは、絶対生殖器を願いますか。唯一の生殖器を願いますか。不変の生殖器を願いますか。永遠の生殖器を願いますか。そのようなものをもっているかということが問題です。
(279-220, 1996.9.8)
その生殖器は、誰のものですか。自分のものですか。夫のものです。これを知りませんでした、簡単な真理です。この宇宙のすべての陰陽の道理は、雄と雌です。鉱物世界も主体と対象関係、最近ではバクテリアまでも雄と雌になっているといいます。宇宙がペア・システムになっているというのです。愛という概念をもって、主体は対象のために、対象は主体のために生まれたというのです。「ため」に生まれたのですが、何のためにですか。愛のためです。愛を完成させるためだというのです。ハナニムがアダムとエバ、二人の男性と女性を造って成熟し結婚させようとされる時、その結婚式を中心として関係が結ばれる生殖器が絶対的な器官になっていて、その器官が絶対的な生命、絶対的な愛、絶対的な血統を植えるための本部だったということを知らなければなりません。
(280-62, 1996.11.1)
堕落とは何ですか。根本問題、根本は何ですか。アダムとエバ生殖器を自分のものだと思って自由行動をしたということです。成熟すれば、ハナニムを中心としてアダムのものはエバのものであり、エバのものはアダムのものとなって、永遠なるハナニムと絶対的な愛の基台をつくるためのものだったのですが、それを不信して自分のものにしたということです。それで、これが破壊されてしまったのです。自分のために生きる人は地獄に行くのであり、相対のために生きる人は天国に行くのです。ここから分かれるのです。この生殖器が地獄と天国の境界線です。それを知らなければなりません。
(280-63, 1996.11.1)
ハナニムの創造理想は絶対夫婦を立てることです。絶対夫婦は、絶対生殖器を中心として、自分のために生きるのではなく、相対のために生きるところから立てられるのです。生まれたのは「ため」に生まれたのです。「ため」に生まれたのであって、「ため」に生きなさいとして生まれたのではありません。男性に生殖器を与えたのは、女性のためです。女性の生殖器は男性のためです。男性のために生まれました。その生殖器をサタンが願うとおりに使うようになり、勝手に原則的な道を行かなければ、地獄に行くのです。絶対愛を中心として「ため」に生きれば、ハナニムの系列に入っていくのです。天国の皇族になることができるというのです。
(280-70, 1996.11.1)


どこで天国と地獄が分かれるのか、調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆さんの生殖器です! 深刻なことです。これが、天地をひっくり返してしまいました。いったい誰が否定することができますか。ムン先生が発表した『原理講論』の堕落論に説明されています。疑わしければ、ハナニムに尋ねてもいいのです。皆さんとしては夢にも想像できない内容と理論をもって、体系を立てておいた文先生の『原理講論』に反対することはできないはずです。目の不自由な人のように、方向を失ったまま生殖器を使用すれば地獄行きであり、反対にこれをハナニムの絶対愛の基準に合わせて使うようになれば、天国の高い所に行くのです。すっきりとした結論です。
(279-256, 1996.9.15)
悪なる先祖がいて、善の先祖がいますが、堕落することによって善の先祖が血族をもてませんでした。しかし、この天地の大主宰者であられるハナニムをサタンも無視することができません。自分のわざを実行するためには、必ず善のハナニムの決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なる業はハナニムの理想世界を破綻させるのです。愛の世界を破綻させる仕業をするのです。「終りの日」には、ハナニムの愛の理想のその本拠地である生殖器を、完全に破壊させる仕業をするのです。
(287-32, 1997.8.10)
サタンの血統は、どの部分から連結されたのでしょうか。キスを通じてですか。愛を通じてです。それがどこですか。その起点がどこですか。生殖器です。ハナニムの視点から見るとき、この生殖器が恐ろしい器官だというのです。それを知らなければなりません。
(304-11, 1999.9.5)
ハナニムは、男性と女性の生殖器をなぜ凹凸につくられましたか。凸同士で結んで結婚しますか。凹同士で合わせて結婚しますか。全く、狂った者たちです。そんな者たちは1代も行かずにすべて滅亡するのです。独身生活を強調する人は、あの世に行けば、天国と反対の方向に立っています。
(304-241, 1999.11.8)
ヤコブが母方の伯父、ラバンの家で21年間生活して帰ってくる時、ラバン家庭で最も愛する偶像を盗み出してきました。それが見つかれば雷が落ちます。それを砕いて飲み干しました。そのようなことを知っていますか。そうです、宗教圏は独身生活をしなさいといったでしょう? 男性と女性の生殖器を料理してしまったのと同様になれということです。同じことです。ですから、堕落をすることができますか。その一瞬間の行動が、億千万世の天地大王陛下をフック(かぎ)に引っ掛けて、解放の日を迎えられないようにしました。それを逆にひっくり返して打ち込むための統一教会食口シックが、祝福を受けて堕落をしますか。あり得ますか。
(296-204, 1998.11.9)


南米に行って、10万人の教徒を率いた教団の道主に、生殖器に対する話を2時間しました。そして、目がこのように回ったと思ったら、結論として「生殖器の専門家ですね」と言いました。皆さん、おじいさんが生殖器の専門家になれなかったために痛哭つうこくが起きるのです。おばあさんが生殖器の専門家になれなかったために家庭が破綻するのです。父母が専門家になれなかったために家庭がめちゃくちゃになって、夫婦がその専門家になれなかったためにめちゃくちゃになるのです。専門家になれば、天地をそのポケットにすべて入れることができるというのです。
(302-170, 1999.6.13)
愛の器官をいい加減に扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、ハナニムの幸福の出発の起源がそこから形成されるというのです。ハナニムの笑いの基台がそこから出発するのです。愛を探し当て、ハナニムが踊ることのできる場が、その場です。その場を尋ね求めていかなければなりません。
(256-199, 1994.3.13)
愛が中心となり、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血と女性の血が一つのるつぼで一つになる、その場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫より、ハナニムよりも貴いということを知らなければなりません。子女より貴く、夫より貴く、父母より貴い位置だというのです。それがなければ父母も無価値であり、夫婦も無価値であり、息子、娘も無価値なのです。
そのように貴いために、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、錠前を掛けてもっているのです。そして、そのかぎは男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、それぞれ一つしかありません。一つのキーだけもたなければなりません。フリーセックスのように10個、20個、もちたいですか。門を開け、主人がいない家のように、過ぎゆく人が全員出たり入ったりする、廃虚の家のようになりたいですか。
(280-199, 1997.1.1)
生殖器に対して、ハナニムに侍るよりもっとよく侍り、ハナニムよりもっと愛さなければなりません。それでこそハナニムが喜ばれます。全く、そのような話がどこにありますか。宗教界で聞けば、びっくりして飛び上がってひっくり返るかもしれませんが、これは明らかな事実です。ハナニムの理想の愛に待ってこそ、ハナニムが定着できる足場が生まれるのです。生命より大切であり、世の中を与え、天地を与え、ハナニムまで与えても取り替えることができないものです。創造物全体を合わせた以上に妻の生殖器を崇拝し、それ以上に愛してその価値を認めてこそ、ハナニムが自分の家に訪ねてこられるというのです。
(325-211, 2000.7.1)


 

第3章 人間の堕落と復帰

   

1) 人間堕落の内的意味

 

① 人間堕落は愛の事故だった

私が糾明きゅうめいした原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭で起こった天使長との不倫の事件でした。「統一原理」におけるサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。ハナニムの愛の理想を破壊し、ハナニムの血統をサタンを中心とした血統に変えた元凶です。イエス様も、ヨハネによる福音書第8章で、人類の父が悪魔であると明確に語られました。ハナニムが、御自分の外的体であるアダムとエバを通して実現しようとされた愛の理想を剥奪(はくだつ)した愛の姦夫(かんぷ)、それがすなわち悪魔サタンです。
皆さんには聞き慣れない話かもしれませんが、私が霊界を開拓し、宇宙の根本の曲折を糾明しようと血の涙の闘争をした結果として得た結論が、まさしくこれです。皆さんも真剣に祈祷してみれば、解答を得られるはずです。
(135-12, 1985.8.20)
宇宙の根本には脱線があり得ません。しかし、この悪魔が、完全に成長する前の未成年の時、15、16歳の時に・・・。女性たちを見れば、10代の時に堕落するでしょう? ちょうどその時です。その時に、天使長ルーシェルをよくよく見れば、その語ることは、天地の道理をすべて知っているかのようだったのです。ハナニムの使いもし、天地創造に対しても話すことができたのです。アダムは無口でむすっとしていて、近ごろの子供でいえば、鳥を捕まえようと歩き回っていた時期です。子供の時には、みなそうでしょう? 鳥でも捕まえに歩いたり、棒を持って蛇でも捕まえに歩いたり、かえるを捕まえに歩いたりして、このようにしながら自然に吸収されたすべてのものを、これから主管し、管理し、それらと親しくなろうとし、完全にそれらと同化した者になろうとしていたので、エバに対して関心などありますか。
(191-97, 1989.6.24)
堕落とは何でしょうか。天理大道たいどうの基準、愛の元軸、天地の軸となるべき中心ポイントが、堕落によって破壊されました。女性が目覚め、天使長が自分に目覚めて因縁を結ぶことによって宇宙の根本を撃破し、恨みのふちが生じたというこの悔しい事実を、人類は知らなかったのです。
サタンが人類の血統的先祖になったということに対するこのハンを、誰が解いてあげなければならないのでしょうか。それは何かというと、王妃となり得る人を、そのしもべが支配したということです。ですから、宇宙の大道の原則となり得る根本基準が壊れてしまったのです。結局、その悪魔とは何ですか。愛の天国の王宮を根本的に破綻はたんさせた親玉です。
(171-114, 1987.12.13)


なぜ、蕩減とうげんや父母権復帰や長子権復帰や王権復帰というものが必要なのでしょうか。サタンの愛とサタンの生命とサタンの血統が問題なのです。本来は、ハナニムから出発しなければならないのに、悪魔から出発したというのです。ところで、悪魔は、愛という途方もないものを中心として出発しました。
愛ゆえに宇宙が生まれました。創造は、愛ゆえに始まったのでしょう? すべての存在の起源となる愛を中心として、創造はなされてきたのです。その根本をサタンがひっくり返してしまったのです。ですから、そのひっくり返った根本を、再びひっくり返してしまわなければなりません。
(206-236, 1990.10.14)
人類は闘争の歴史を経てきたのですが、なぜ闘争の歴史ですか。善悪の闘争歴史だというのです。悪魔がハナニムの理想世界の全権を奪い取っていきました。奪い取ったものはほかでもありません。この全宇宙の中心となる女性と息子、娘を強奪したのです。
ですから、ハナニムには女性がいません。女性を通して生んだ息子、娘がいません。本来、そのようなことはあり得ません。本来の女性は、ハナニムの女性であり、女性を通して生んだ息子、娘は、ハナニムの息子、娘にならなければならないのですが、悪魔がこれを奪っていったのです。未成年の時に堕落することによって、このようになったのです。このような論理がなければ、人間の根本を悟らせることはできません。
(262-74, 1994.7.23)
愛ゆえに生まれたのですが、その価値をどのようにして失ってしまったのでしょうか。愛の反対行動以外には、それを失うことはありません。堕落の結果は何でしょうか。女性が男性のために生まれ、男性が女性のために生まれてお互いの愛を完成してあげるのではなく、その反対になったのです。私のために決着させたすべてのものが、堕落の結果をもたらしたというのです。180度反対の方向に行ったのです。
聖書には、善悪の実を取って食べて堕落したとあるのですが、根本的に愛ゆえに生まれた立場において、善悪の実を取って食べたというその事実だけでは、「ため」に生きる愛の基盤を破壊させることはできません。愛ゆえに生まれた根源を否定することはできないのです。男性と女性が引っ掛かるべき「ため」に生きる愛ではなく、「自分のために生きろ」という愛に二人とも引っ掛かったことが堕落です。
ハナニムが創造されたすべてのものはペア・システムになっていて、お互いが「ため」に生まれました。人間もこのような価値の世界へ入っていくようになっていたのですが、自分を中心として180度反対になったことが堕落です。それは、何を中心としてなったのでしょうか。女性が一番重要に思い、男性が一番重要に思う、その愛の器官を中心として破壊の行動が起きたのです。
(243-269, 1993.1.28)


ハナニムとは誰であり、悪魔とは誰ですか。悪魔はハナニムの怨讐おんしゅうです。愛の姦夫かんぷです。これがムン総裁によって明らかになりました。人類始祖の堕落の根源となった善悪の実は、男性と女性の生殖器です。それを正しく使えば国が発展し、間違って使えば国が滅びるのです。それが善悪の実です。国王であっても、正しく使う時には国が発展するのですが、間違って使えば国が滅びるのです。それによって家庭が崩壊し、社会が崩壊し、すべてのものが地獄と天国に分かれます。善の実を結ばなければならない場所に、悪の実を結んだのです。善悪の実とは何ですか。それが善悪の実ではないのですか。みな善悪の実をもっていますか、いませんか。男性の生殖器と女性の生殖器が善悪の実なのです。毒蛇の頭です。
エス様は、なぜサタンを「毒蛇」と言いましたか。なぜサタンを「蛇」と言ったのですか。それが蛇の頭です。毒蛇の頭です。女性も男性もすべてそれをねらっているでしょう? 女性も男性も、みなそうではないですか。
(227-251, 1992.2.14)
人間にとって最も貴い場所とはどこですか。男性や女性にとって、最も貴いものとは何ですか。女性は、一つのものを中心として女性となりました。一つのもののゆえに、女性が女性になったのです。その一つの場所とは、どの場所ですか。愛の器官である生殖器です。それは何かというと、生命を植える器官です。それは何と良い名前でしょうか! 生殖器ではないですか。「愛の器官」と言うよりも実感がわくのです。説明がなされました。生命を植える道具、それが生殖器です。生殖器を恥ずかしく思ってはいけません。生殖器を韓国語で何と言いますか。韓国語で何と言うのですか。性器を韓国語で何と言うのですか。それを言うのが恥ずかしければ、自分が恥ずかしいものをもって生きているということです。韓国語自体が恥ずかしければ、韓国人としての資格はありません。誇らなければなりません!
(260-73, 1994.4.11)
創造主であるハナニムが、ご自身の対象がご自身より何千万倍も立派になることを願ったのであれば、なぜ堕落するように人間を造られたのでしょうか。これが問題になるのです。ハナニムが堕落するように造られたのではありません。堕落してはいけないと警告をしました。「善悪の実を取って食べるな」と警告したのです。その善悪の実とは、何ですか。善悪の実とは、女性の生殖器のことです。女性は弱いのです。私たちの先祖がエデンの園で暮らす時は、裸になって暮らしたのです。
(262-74, 1994.7.23)
ハナニムは、「善悪の実を取って食べるな!」と命令されました。その善悪の実が何であるか知っていますか。それは、女性の生殖器のことです。「全く、そのような話がどこにあるのか」と言うかもしれませんが、エバはいつも「お兄さん、どこへ行ったの? 私は寂しい!」と言っていたのですが、このようなエバを天使長が犯したのです。天使長には、彼らが結婚する時まで保護し、育成すべき責任があったのです。
それで、天使も裸になって暮らすのです。服というものは、堕落したのちに生まれたのです。動物が服を着て暮らしますか。生殖器に何をかぶせるのですか。夫婦間で、お互いに恥ずかしく思うのですか。一緒に暮らしている夫婦が裸になることが恥ずかしいことですか、恥ずかしくないことですか。
(262-150, 1994.7.23)


堕落とは何ですか。生殖器を誤って使用したことです。誤って使用することによってどのようになったのかというと、新郎が変わり、愛する相対が変わりました。ですから、根本的な堕落です。これを犯すことによって、宇宙のどこにおいても、動物世界や植物世界や鉱物世界や人間世界のどこにおいても、ねずみの世界や何かの虫の世界においても、これを前面に立てることができないほど誤ったので、この宇宙から追い出してしまわなければならないのです。それで、エデンから追放したのです。
(279-215, 1996.9.8)
アダムとエバの堕落も、知ってみれば、この鉄則に背いたことに由来しているのです。アダムとエバは、自分の生殖器が、自分のものだと錯覚したのです。考えてみてください。果実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出したりしますか。ハナニムは、それほどでたらめなハナニムではありません。根本的な問題において誤り、宇宙のどこにおいても公認することができなくなったので追放してしまったのです。
鉱物界、植物界、動物界の雄や雌においても、すべて愛の相対のために自らの性器を保管しているということを、アダムとエバは分からなかったのです。
(279-246, 1996.9.15)
戒めに背いたのです。絶対生殖器をもって、絶対愛をもって、絶対的に「ため」に生き、絶対服従しなければなりません。「ため」に生きる愛の基台をハナニムは願われたのですが、自分を中心として自分勝手に行動してしまったのです。それゆえに、宇宙が「ペっ!」とつばを吐いてしまったのです。これを再び回復しなければなりません。それを回復しようとすれば、偽りの父母によって失ってしまったことなので、まことの父母が来て回復しなければなりません。
(280-77, 1996.11.1)
男性にとって最も恐ろしい怨讐は、女性です。開いた蛇の口のようになって、「男性の生殖器が入ってくればかみついてやろう」と、このようにしているのです。このようなものが至る所に散在していて、これが次の世代に引き継がれているのです。ですから、最も恐ろしいものが生殖器です。
(281-215, 1997.2.13)
エデンにおいて愛を失ってしまいました。悔い改めなければなりません。エデンにおいて、涙を流しながらハナニムとアダムとエバ惜別せきべつしたその何十倍、何百倍の痛哭つうこくをしなければなりません。涙と鼻水とよだれの三つが流れ、これがへその線を通じ、あの生殖器を経て落ちなければなりません。これが罪を犯したのです。アダムにエバを造ってあげたのは、何を造ってあげたということですか。寂しいということで女性を造ってあげて良しとされたのですが、何を中心として良しとされたのでしょうか。女性の何ですか。生殖器です! 凸の前における凹です。凹をつくってあげたのです。何のためにアダムにエバを造ってあげたのですか。目、鼻、顔ですか。何をつくりましたか。アダムのために、エバの何をつくったのかというのです。凸のために凹をつくったのです。
アダムとエバのその場所には愛の源泉があるので、それをつくったのです。凸のために凹をつくりました。最も価値があるもの、愛の根本だということを知らなければなりません。
(294-270, 1998.8.5)


今は、根本が出てこなければなりません。ハナニムはどうで、天地創造はどうで、人間の始祖はどうだということや、人間が家庭から始めて社会、国家、世界がこのようになるということ、それがすべて堕落によって否定されたので、これを再現し、理論的にぶつかって「そうだ」と認定させることができる個人解放、家庭解放、宗族解放、民族解放、国家解放、天宙解放をなし、ハナニムまでも解放しなければならないのです。この途方もない問題がアダム家庭における愛の問題であり、男性と女性の二人が生殖器を誤って合わせたことがこの天宙を爆破させたのです。
生殖器というものは何かというと、愛の本宮であり、王宮です。それがなければ愛は起こりません。それがなければ生命は生まれません。それがなければ血統の歴史性は生まれません。それを否定すれば、あらゆるものは1代ですべてなくなります。なくなるのをハナニムは認めることができないので、これを存在する立場に立てておき、私が創造に責任をもち、サタンまでも屈服させるのです。たたいて屈服させるのではありません。自然屈服させるのです。
(300-236, 1999.3.23)
先生のアダム完成の責任は、堕落のない解放された天宙的な愛の王の位置を復帰することです。サタンの血統のすべてに責任をもつのです。恥ずかしさや自分の威信や体面が問題ではありません。自分が最も愛する生殖器を犬のふんの上にも突っ込まなければならないのです。千年、万年、そのような想像もできないことをしなくては、女性を生かすことはできません。それを見たくないので、「新しい天地を造ろう」と言うことができます。
ハナニムを迎えて新しい宇宙を造ることができるのです。そのようなハナニムは、サタンである天使長の前に、愛の秩序を破壊させたことに対して着手することができないので、それはどれほど悲惨なことでしょうか。女性の生殖器を見れば、「これが、何千万年、ハナニムまでも監獄にほうり込んできた穴なのだなあ」と思わなければなりません。男性を見るときも、そうでなければなりません。男性の生殖器が、エバが「そうしよう」と言ったからといって、そのように天国をひっくり返してしまったという事実、そのことを思っただけでも、背筋が寒くならなければなりません。
(302-257, 1999.6.14)
男性5人の中に女性が一人でいる場合、ハナニムは安心されたでしょうか、不安だったでしょうか。皆さんがハナニムならばどうですか。それならば、誰に警戒させるでしょうか。女性一人が最も近いのです。将来のハナニムの相対となり、ご自身の体です。最も近い愛の相対です。戒めを与えるときは、近い人に与えるのです。家を出るとき、自分と最も近い人と最も遠い人がいれば、自分とは遠い人に命令しますか、近い人に命令しますか。近い人に命令をするので、エバに「善悪の実を取って食べてはならない!」と言われたのです。善悪の実とは何ですか。それは、女性の生殖器のことをいうのです。女性が善の男性と出会えば善の息子、娘を生むのであり、マフィアと出会えばマフィアの息子、娘を生むのです。結実がそこにあるのです。
(281-195, 1997.2.13)


ハナニムが愛を中心として投入して、投入してみると、この宇宙を包括して余りあるほどになったのです。愛の動機であるハナニムを中心として、この核を中心として、この宇宙の存在世界の末端まで愛の雰囲気で包括してしまうというのです。ですから、霊界に行っても愛の雰囲気であり、地上でもペア・システムを中心として、愛を歌いながら暮らすことができていたはずの私たちの人生行路が、堕落によってこのように悲惨になってしまったのです。このような事実を知らなければなりません。堕落を知らなければなりません。
(209-222, 1990.11.29)

 

② 善悪の実はエバ生殖器

エバは女性ですが、女性の根本とは何ですか。「目には美しい」その存在の核心とは何かというのです。目ですか。顔ですか。手ですか。体ですか。違います。生殖器です。女性は凹であり、男性は凸です。ハナニムは、凸であるアダムを造られ、アダムの前に凹のものを造ってくださったのですが、それが女性です。なぜアダムの前にエバを造られて「良し!」と言われたのでしょうか。ハナニムの愛を中心として見るとき、その愛を完成させることができる道が生まれたのです。それゆえに、ハナニムも良く、アダムも良く、エバも良いというのです。愛を中心として、そのように言われたのです。それは何を中心とした言葉ですか。生殖器を中心として言われた言葉です。おかしな話だと思ってはなりません。
(294-293, 1998.8.9)
エデンの園において、ハナニムは、アダムとエバに戒めを与えられました。「善悪の実を取って食べてはならない!」と言われたのです。その善悪の実とは、女性の生殖器のことです。女性が王と出会えば王子を生むのであり、マフィアと出会えばマフィアの息子、娘を生むのです。善悪の実を結ぶことができるのが女性です。女性は、夫が立つ位置に一緒に立つことができるのです。小学校すら出ていなくても大統領の夫人になって、愛の関係さえ結べば同じ位置に立つことができるのです。
(279-316, 1996.11.10)
「取って食べてはならない」と言われたのですが、何を「取って食べてはならない」と言われたのですか。エデンの園における命の木と善悪を知る木は、アダムとエバのことをいうのです。命の木とはアダムのことではないですか。アダムの生殖器が命の木です。それは正しいですか、正しくないですか。善悪を知る木とは何ですか。エバの愛のことをいうのです。マフィアと愛をなせば、マフィアの息子、娘が実を結ぶのと同じです。王と愛をなせば、王の息子、娘が実を結ぶのです。ですから、血統的に悪魔の血統を受け継いだというのです。
(275-218, 1995.12.30)
聖書を見ると、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない」とあります。兄弟の関係なので、手を握ったり、キスしたりしても構わず、すべての木の実を取って食べても構わないのですが、善悪の実と命の木、男性の生殖器と女性の生殖器は、触れることができないようにしたのです。そのように警告したのです。
(200-50, 1990.2.23)


ハナニムは、何ゆえに創造されたのでしょうか。「ペア・システムだ」と言ったでしょう? 何ゆえにですか。愛ゆえにです。ハナニムの愛は、何の愛ですか。まことの愛に対して知らなければなりません。真の愛とは何ですか。ハナニムが天地を創造されるようになった動機は何ですか。善悪の実ゆえに堕落したのです。そのような狂ったたわ言を言うのはやめなさいというのです。善悪の実とは何ですか。善悪の実が何なのかを知りません。
根源を知らず、罪の根が何なのか知らないのです。分からないで、どのようにして病気を治しますか。病人が天国に入っていくことができますか。できません! そのような論理は通じないというのです。
(209-214, 1990.11.29)
エデンの園にいる者たちを見れば、女性は一人しかいないのです。女性は一人ですが、天使長は3人いて、アダムがいて、ハナニムも男性的です。
ハナニム以外に4人の男性が一人の女性を取り囲んでいるので、警戒すべき問題は、正にそれです。善悪の実は、女性の生殖器のことをいうのです。
(272-297, 1995.10.13)
人間の堕落はどこから始まりましたか。生殖器です。この生殖器とは何かというと、愛の王宮です。生命の王宮です。そうではないですか。王の血統を相続するものが生殖器です。最も貴重なものです。それが、堕落してしまうことによって最も不潔な所になったのです。どの国でも同じです。そのような状況です。それが、ハナニムを中心として神聖なものでしょうか、罪悪である卑しいものでしょうか。モーセが造った契約の箱ではありません。ハナニムがつくられた至聖所です。
ハナニムが最高の至聖所としてつくられた場所が生殖器です。堕落する前は、その位置がその場所でした。人々は、堕落論に対してすべてを知ることはできません。それが原理ではないですか。
(216-107, 1991.3.9)
エデンの園のアダムとエバに、「善悪の実を取って食べてはならない」という戒めを与えられたのです。善悪の実とは何ですか。善悪を知る木です。それは誰の生殖器ですか。女性の生殖器を意味するのです。女性がマフィアと一つになればマフィアの息子を生み、王と一つになれば王の王子を生みます。善の実も結ぶことができ、悪の実も結ぶことができるというのです。善悪の実です。それは、女性の生殖器について言っている言葉です。「善悪の実を取って食べてはならない」というのは、何のことか分かりますか。将来、ハナニムは、エバを愛の相対にしようとされたのですが、男性がたくさんいたのです。男性は何人いますか。ご自身以外に4人います。
ですから、どのような警告をしましたか。「愛してはならない!」とおっしゃったのです。「善悪の実を取って食べなさい」と言われたでしょうか、「取って食べてはならない」と言われたでしょうか。それは何ですか。女性の生殖器です。警告するようなものがどこにありますか。戒め、訓示するようなものがどこにありますか。善悪の実という果実があったのですか。園の中で関心をもつのは、善悪の実という果実でしょうか、それとも女性でしょうか。私には分かりません。皆さんは、私よりももっとよく知っているはずです。発見した人に所有権はありません。
(285-190, 1997.5.4)


堕落したのですが、何ゆえに堕落しましたか。愛ゆえに堕落したのです。誤った愛が堕落です。誤った愛がどこから出発したのかというと、誤った生殖器の行動を通してなされたのです。これは公式です。アダムとエバ生殖器がなかったとすれば、人類が生まれることができますか。生殖器がなければ、地上天国が出発することができますか。その生殖器が、完全な、真なる、善の生殖器を通して、真なる善の地上・天上天国が生まれる、このようになっているのです。真実でない生殖器を通しては、どのようになりますか。地獄が生まれるのです。
(279-213, 1996.9.8)
堕落した愛を中心として一つになったので、「亡国の嘆き」になりました。最も下品な言葉になったのです。ハナニムが最も精誠を尽くしてつくられた場所が生殖器です。最も精誠を尽くされた場所です。生命の根源がすべて集まった場所であり、理想的、感性的なすべての総合地です。そして、愛の本宮です。愛の出発がそこから展開するはずだったのです。堕落していなければ、生命の起源地です。真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮だというのです。王宮です。「子宮」という言葉があるでしょう? どこを通して子宮が生じたのですか。その場所を通してではありませんか。愛を通して、男性と女性の血肉が混ざり合うのです。男性の生命と女性の生命が、愛を通して一つになるのです。
(253-40, 1994.1.1)
堕落したのちに、すべて壊れたのです。最も悪いものに変わりました。ハナニムの懐の中ではありません。それを否定する人がいますか。最高の貴い王宮が、汚い愛の宮、汚い生命の宮、汚い血統の宮になってしまいました。私たちの生殖器がです。
(230-134, 1992.5.1)
人間堕落の根本が愛によって成立したので、人類は真の愛を失ってしまいました。ハナニムは、アダムとエバが赤ん坊を生む前に追い出されたので、それはハナニムと関係がありません。私たち人類の堕落の始祖が生じたのです。その過ちを、私たちは知らなければなりません。
(287-16, 1997.8.10)
女性がどのような男性に抱かれるかによって、善にもなり、悪にもなります。泥棒どろぼうに抱かれれば、泥棒の子女を生むのです。ですから、善悪を知る木だというのです。善にもなり、悪にもなるということを知るようになっている木だというのです。聖書は、人間を木に例えているのです。生命の木だと言ったでしょう? 女性はみな、それをもっているでしょう? 注意しなければなりません。エデンの園で警告しましたが、今も同じです。
(258-183, 1994.3.17)
善悪の実は、エバ生殖器のことをいうのです。女性は、対する夫によって種が変わるという話です。善の男性に対すれば善の実を結び、悪の男性に対すれば悪の実を結ぶのです。そのようにすることのできる本宮が女性の生殖器です。女性は畑でしょう? 盗賊が来て種をけば、盗賊の子供が出てくるのであり、王子が来て蒔けば、王孫が出てくるのです。
(238-199, 1992.11.22)


人間が罪を犯した場所は、男性と女性の生殖器です。男性と女性の生殖器というものは、本来、愛が出発する場所です。
(229-7, 1992.4.9)
善悪の実とは何ですか。女性が良い夫と出会えば、良い赤ん坊を生みます。悪い夫と出会えば、悪い赤ん坊を生みます。私が知ってみると、善悪の実とは、女性の「それ」についていう言葉でした。女性のそれとは何ですか。若い娘の時期は、「それ」と言えば胸です。「それ」は女性の生殖器についていう言葉です。しかし、男性においては、悪の女性が相対になっても悪になりません。善の女性が相対になれば、より一層善になるでしょう?
(221-315, 1991.10.27)
男性よりも女性のほうが先に成長して堕落する素質が多いので、ハナニムが「善悪の実を取って食べてはいけない!」と警告されたのです。女性の生殖器は、善の人を迎えれば善の実が出てくるのであり、悪の男性を迎えれば悪の実が出てくるのです。善悪の実とは、女性の生殖器について語っている言葉です。男性にそのようなことがありますか。男性にはそのようなことはありません。
(221-282, 1991.10.26)
善悪の実とは何ですか。善悪の実は、善の男性と関係すれば善の実となり、王と結婚すれば王子を生み、マフィアのボスと結婚すればマフィアのリーダーを生むのです。善悪の実です。善と悪の実を結ぶことができるものとは何かというと、女性の生殖器です。女性の生殖器を犯してはならないというのです。韓国でも、若い女性を犯す場合、「取って食べる」と言うでしょう? 啓示的です。取って食べてはならないというのです。
(284-137, 1997.4.16)
堕落がどこでなされたのでしょうか。目ですか、鼻ですか、口ですか。それとも、手ですか、耳ですか。違います。生殖器で堕落したのです。偽りの愛によって、偽りの愛と連結して偽りの父母となり、偽りの父母によって偽りの生命、偽りの愛、偽りの血統、偽りの良心が生まれました。すべてがサタンと一つとなっています。ハナニムと一つになりませんでした。絶対的なハナニムと一つになりませんでした。ハナニムの反対側と一つになったのです。
(282-230, 1997.3.26)
善悪の実とは何ですか。愛を誤れば、永遠の悪の実を継承するのであり、愛を正しく行えば、永遠の善の実を継承するのです。その善悪の実は、何かの果物ですか。善悪の実というのは、女性の生殖器のことをいうのです。
(226-110, 1992.2.2)
アダムとエバの堕落とは何かというと、それが自分のことだということが分かりました。今回、来て学んだはずです。愛を中心として誤ったというのです。なぜアダムとエバを追い出したのでしょうか。善悪の実を取って食べたからといって追い出したりするでしょうか。そのような無責任なハナニムではありません。根本的な問題において誤り、宇宙のどこにおいても公認を受けることができないので、追放してしまわなければならないのです。
(279-106, 1996.8.1)


宇宙の根本はどこにありますか。堕落していない宇宙の根本は、そこにあります。これが天地を破綻はたんさせた邪悪な根拠地になったということを知りました。ですから、自らの生活をいい加減にすることはできません。1日の失敗が千万年の歴史をひっくり返し、ハナニムと真の父母と理想世界を完全に押さえつけてしまったのです。そのように恐ろしい器官です。おしっこをするたびに、それを考えるべきです。「こいつ、おしっこも正しく出さなければならない!」
(281-120, 1997.1.2)
高貴な価値をもたなければならない人間の本然の姿が、堕落することによって逆さまになりました。このようなすべての基準を連結させることができる「宮」とはどこですか。生殖器官です。
(240–315, 1992.12.13)

 

③ 悪魔サタンは淫乱によって堕落した

サタンとは、いったいいかなる存在ですか。特にイエス様を信じる人々は、ハナニムの前にサタンの正体をはっきりと明らかにしなければなりません。サタンとは何ですか。姦夫かんぷです。愛の姦夫です。そのサタンが父をたたき殺し、母を強奪して生んだ子女がまさしく皆さんです。気分が悪いでしょう? 本当だと信じることができなければ、先生のみことばが本当かうそか、命を懸けてハナニムの前に一度談判祈祷をしてみてください。
(38-175, 1971.1.3)
サタンとは誰ですか。ハナニムの夫人となるエバを強奪した姦夫です。エバは、アダムの夫人であると同時に、ハナニムの夫人です。ハナニムの夫人となるエバを強奪した姦夫です。サタンは愛の怨讐おんしゅうです。それゆえに、ハナニムは怨讐を愛するのですが、愛するにおいては、姦夫であるサタンまで「愛しなさい」とはおっしゃいませんでした。サタンは許すことができません。サタンに属した人は愛するのですが、サタンは許すことができません。それは原理なので、皆さんはそれを知らなければなりません。
(148-294, 1986.10.25)
私たちの先祖がサタンに讒訴ざんそされ、蹂躙じゅうりんされ、虐殺の祭物となってきたハンを解かなければならないのがキリスト教信徒であり、修養の道を行く人である以上、このサタンの正体を解明しなければならず、歴史的なハナニムの心情と時代的なハナニムの心情、そして未来を心配されるハナニムの心情を知らなければなりません。そのようにして、ハナニムが涙を流しながら、「おお! 私の息子、娘」とおっしゃることができてこそ、この世の中は戻っていくのです。
(8-130, 1959.11.29)
本来の主人を追い出し、その妻を奪い、その息子、娘まですべて死の位置に引きずり込んでいく悪党の親玉の立場が、悪魔サタンだというのです。このように見るとき、ハナニムの怨讐であり、人類の怨讐である悪魔サタンを許す道がありますか。結局、悪魔サタンは、愛を中心としてハナニムと姦夫の関係になってしまったのです。ですから、許すことができますか。そのようなサタンを許せば、世の中をすべて破綻させてしまうのです。皆さんがただそのままハナニムの息子、娘となれると考えることができますか。それゆえに、これを変える日まで、ハナニムと人類は、呻吟しんぎんと苦痛の道を避けられない立場で、歴史をつづっていくということを知らなければなりません。
(53-338, 1972.3.6)


皆さんの愛の関係は、どこから始まりましたか。どこから出発しましたか。悪から始まりました。この悪の親玉が悪魔サタンです。どのような因縁をもった悪魔かというと、愛の姦夫だというのです。その姦夫の血肉を受け継いで人間が生まれたのです。そうであるならば、私たちが受けようとする愛は、姦夫の愛ですか。姦夫の血統を通して受け継がれてきた、不正な血統の愛を受けようとしましたか。違います。ですから、これが問題なのです。
(35-90, 1970.10.4)
ハナニムは、希望にあふれた大業を夢見ながら、あらゆる最善を尽くして宇宙を創造されたのですが、その大業と生命と理念のすべての条件が一時に破綻して駄目になった時、天地が真っ暗になったというのです。ここに怨讐として登場したものが天使長ルーシェルでした。このルーシェルを打倒しなければなりませんか、打倒してはなりませんか。ハナニムが最も愛された骨の中の骨であり、肉の中の肉である息子、娘を、ルーシェルが自分の息子、娘にしたのです。このような怨讐の首を切らなければなりませんか、そのままにしておかなければなりませんか。このような問題について、歴史始まって以来、初めて苦心されたお方がハナニムです。
(27-60, 1969.11.23)
ハナニムが願われた王子、王女の資格を破綻させ、王子、王女の家庭的愛を破綻させ、王子、王女以後の王孫を破綻させ、ハナニムが理想とされる家庭と天国を破綻させた元凶が、悪魔サタンだということを知らなければなりません。
(302-220, 1999.6.14)
この元凶は、ハナニムの怨讐であるだけでなく、私たち人類の怨讐です。その怨讐の敵将にその国の王宮にいる王族、王族の王子、王女が捕らわれていき、しもべの生活をしながら、その僕の世界の子供を繁殖させたというのと同じです。王子、王女を中心として、王権のもとで繁殖していかなければならなかったにもかかわらず、悪なる悪魔の王権のもとで繁殖した群れのようなもの、それが堕落した人類だというのです。
(302-222, 1999.6.14)
聖書の内容を観察してみれば、人類始祖が不倫な愛をなすことによって、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。ハナニムの血筋を受け、ハナニムの絶対的な愛の中でハナニムの直系の息子、娘として生まれなければならない価値的な人間が、悪魔サタンの血統を受け、サタンの息子、娘として生まれたのです。
ローマ人への手紙第8章に、「御霊みたまの最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分(実子でなく養子として)を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)と記録されています。養子は血統が異なるのです。これが、私たち人間の実情です。
(53-261, 1972.3.1)


ローマ人への手紙第8章を見ると「御霊みたまの最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分(養子)を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(23節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分(養子)を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(15節)とあります。養子にしかなることができないのです。
今、キリスト教徒たちは養子です。養子は血統が異なります。ヨハネによる福音書第8章44節を見ると、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」とイエス様が語られました。ここで「父」と言っているので、血統、先祖は悪魔ではないですか。それゆえに、割礼かつれいとは何ですか。陽部を裂くことです。このようになっています。善悪の実とは、何かの実のことですか。
(154-337, 1964.10.5)
堕落によって、人間は偽りの父であるサタンに屈服せざるを得なくなりました。人間は、自分たちの父を取り替えてしまったのです。私たちは、まことの父であるハナニムを捨て、偽りの父である悪魔サタンと一つになったのです。このようにして、最初の男性と女性はサタンの息子、娘となってしまいました。
(御旨と世界-293)
本来、サタンとはどのような存在ですか。悪魔という存在がどのような存在かというと、ハナニムの僕です。しかし、この僕が主人の娘を強奪したのです。これが堕落です。聖書に出てくるその堕落とは何かというと、エバが善悪の実を取って食べたことが堕落だというのですが、善悪の実は果物ではありません。僕が主人の娘を強奪したことです。将来、代を継ぐ息子と娘を生んで育て、ハナニムの理想を成し遂げようとしたのですが、僕としてつくられた天使長というやからが、主人の娘を強奪したのです。それが人類の堕落の起源になりました。天地がそのようになったのです。このように複雑に絡んだ内容は、皆さんが「原理」を聞けば大概分かるはずです。
(85-308, 1976.3.4)
聖書を見ると、善悪の実を取って食べて堕落したとあるのですが、下部を覆ったということはどういうことですか。既成教会において聖書をもう少し知性的に解釈しようとする思いさえあれば、すぐに堕落の起源が分かるのです。なぜ下部が恥ずかしいのですか。口を覆い、手を覆わなければならないはずなのに、なぜ下部を覆ったのですか。下部だからといってとがになるのではありません。しかし、下部で堕落することによって、そこが天の愛を蹂躙した恥ずかしい宮殿となったのです。真の愛の泉がわいてこなければならなかったのに、悪魔の愛を中心とした偽りの愛の泉が噴き出てきたというのです。ですから、これが愛の基台の中で、最も悪い愛の基台になったのです。
(202-199, 1990.5.24)
アダムを追い出す時、息子、娘を生んだのちに追い出したのでしょうか、生む前に追い出したのでしょうか。見ることはできませんでしたが、息子、娘を連れていれば追い出すことができますか。涙をもっとたくさん見なければならないのです。「おばあさん、おじいさん、なぜこのように追い出すのですか」と、しがみついて痛哭つうこくするはずです。4人が両手両足にしがみついて大騒ぎすれば、それをすべて包丁で切って追い出してしまわなければならないのではありませんか。罪を犯したアダムとエバは分かりませんが、罪を犯していないアダムとエバの息子、娘はそれを見抜くのです。それを知っているハナニムは、息子、娘を生む前に追い出したのです。彼らは、追い出されたのちに任意で結婚して子供を生みました。ハナニムは、「あなた方は出ていって結婚し、息子、娘を生みなさい」と訓示して送り出したのでしょうか、それとも、そのような話はせずに追い出してしまったのでしょうか。答えてみてください。いずれにせよ、彼らは、追い出されたのちに息子、娘を生んだのではないですか。
(218-230, 1991.8.19)


「終りの日」になれば、再びそれを編成してハナニムの恨を解き、天倫の恨を解くと同時に、人類の恨を解かなければなりません。このようになるのですが、これを知らないで「善悪の実を取って食べてどうで」と・・・。ここで言っている人の言葉が間違っていると思うならば、首をくくって40日間祈祷してみなさい。そうすれば、統一教会ムン先生がうそを言ったかどうかが分かるはずです。皆さんは、正常な血統を受けて生まれたのではありません。ですから、独身生活を強調してきたのです。子女を繁殖しては困るのです。
(156-228, 1966.5.25)
ハナニムは淫乱いんらんを憎悪されます。なぜでしょうか。人間が不法な愛によって天地をひっくり返してしまったからです。この悪の血はどうすることもできません。ですから、修養の世界では独身生活を主張するのです。もし男性が神霊的祈祷の境地に入っていけば、必ず女性が現れて試験をします。必ずこのようなことが起こります。修養の道を妨げるのです。なぜそのようになっているのでしょうか。不法な愛によって歴史が結ばれたからです。善悪の実を取って食べて堕落したという教理をもって、2000年まで残ったということはすごいことです。
(41-292, 1971.2.17)
アダムとエバが堕落していなければ、ハナニムを中心としたアダムの直系の初孫が生まれていたはずです。アダムは初孫であり、真の父であり、王です。地上の国と天上世界の王です。また、真の父母であり、真の長子です。それゆえに、アダム家庭は天国の王室です。
それでは、アダム家庭のおじいさんは誰ですか。ハナニムがおじいさんです。それから、お父さんとお母さんはアダムとエバです。そして、過去の立場を身代わりした観点から見ると、おじいさんとおばあさんはハナニムの代身であり、またハナニムは父母の代身です。縦的に見ると、ハナニムが1代圏、2代圏、3代圏を中心として家庭に着陸がなされるのですが、1代圏が横的に展開したのがおじいさんであり、2代圏がお父さんであり、3代圏が私です。それで、息子、娘を中心として、万世一系の皇室の代を継ぐのです。
(218-255, 1991.8.19)
なぜハナニムがアダムとエバを造られたのか分かりますか。ハナニムも、父母の立場で息子、娘を一度愛したいと思われたのです。それから、アダムとエバと共に、新郎と新婦が愛し合っている愛を一度体験してみたいと思われたのです。おじいさんの愛、それから一度国を愛してみたいと思われたのであり、すべてをもちたいと思われたのです。すべてもちたいと思われたものを私たち人間世界に伝授され、それを受け継いだのが皆さんの一族であり、皆さんの民族であり、皆さんの国であり、この世界であり、この地であり、あの世の霊界だということを知らなければなりません。
(188-214, 1989.2.26)


堕落せずに完成の位置まで行っていれば、アダムとエバは個人完成だけではなく、宇宙史的な完成をしていたはずです。また、ハナニムの愛を中心とした新しい家庭が出発していたはずです。このようにして、家庭から氏族・民族・国家・世界ができていれば、ハナニムに侍る一つの大家族社会となっていたはずです。このような大家族社会の中心は、ハナニムとアダムです。
そして、その世界においては、ハナニムを中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が歴史的伝統として残されます。その生活様式、風習、慣習、そして生活的な背景が歴史的伝統になるのです。それは、ハナニムの愛によって絡み合った伝統とならざるを得ません。ハナニムの愛は、生命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れたとしても再び戻ってくるしかありません。
(91-240, 1977.2.23)
アダムとエバの堕落は、アダムとエバだけの堕落ではなく、全般的な人類歴史を総合した立場における堕落です。言い換えれば、アダムとエバが堕落したということは、善の父母になることができずに悪の父母になったということを意味します。悪の父母によって悪の子女が生まれたのであり、悪の子女が生まれることによって悪の宗族、悪の国家、悪の世界が形成され、この世界圏内で50億人類が存続しているのです。このような堕落圏内にいる今日の人類歴史は、喜びの歴史ではなく悲しみの歴史であり、人類も、喜びの人類ではなく悲しみの人類だということに間違いありません。
(38-149, 1971.1.3)
このような話を、お金を払って聞くことができますか。自分の家を売り、財産を売って、千年、万年、祭祀さいしを捧げても教えてくれる人はいません。統一教会の文先生以外にはいません。これは宇宙の秘密です。聖書にもこのような内容はないでしょう?
聖書では、「善悪の実を取って食べて堕落した」と言っています。善悪の実とは何かの果実ですか。そのような幼稚園児にも及ばない実力をもって、博士学位を検証し、博士学位の総会長になった文総裁を「異端である」と言うことができますか。「異端」という言葉は、端が異なっているということではなく、端が見えないという意味です。
(238-213, 1992.11.22)
この世においても、自分の罪の実相を知っている人がいない場合は、罪を犯した者でも、どこに行っても罪を犯していない人として堂々と振る舞うことができるのです。しかし、とても幼い少年がその人の「罪を犯した現場を見た」と指摘するようになれば、その犯罪者はそこで屈服するのです。したがって、悪魔サタンを屈服させようとすれば、サタンの正体を暴き、罪状を暴露し、天上と地上において追放運動をすれば良いのです。
(53-194, 1972.2.21)


ハナニムは永遠の公法の主人公であられるので、ハナニムの前にサタンを引っ張ってきて讒訴しなければなりません。サタンを告訴しなければならないのです。サタンが弁護するのを見て、検事の立場で論告し、どうすることもできないように激しく締め上げてしまわなければなりません。そのようにして、堕落した天使長ではなく、堕落していない天使長たちが、「正しい! やはり正しい! 正しい!」と言わなければなりません。
(65-201, 1972.11.19)

 

④ 堕落によってサタンの血統を受けた

アダムとエバは、堕落ゆえに血統が変わったのです。誰の愛によってですか。ハナニムの怨讐であり、姦夫であるサタンの愛によって、サタンの生命体になったのです。男性の生命体と女性の生命体が、サタンの愛と混ざり合って一つになり、その二つによって結実したものが息子、娘です。したがって、その息子、娘は、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を継承しているのです。
(227-47, 1992.2.10)
堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなることができなかったのかというと、父と母が違うからです。それゆえに、堕落が血統的になされたという論理が生まれたのです。堕落とは何ですか。血統を誤って受け継いだことです。誤った愛によって堕落したという論理を立てても理にかなっています。
それゆえに、統一教会で愛によって堕落したと主張している話を否定する道理がありません。聖書を見ると、善悪の実を取って食べて堕落したとなっているでしょう? 善悪の実が何なのか分かりますか。善悪の実が木の果実ですか。風が吹けば、落ちて、ころころ転がる木の果実ですか。違います。
(157-158, 1969.4.2)
アダムとエバの心にサタンが入っていき、一つになったので、サタンの血統を受け継いだのです。愛の豊かなハナニムは、なぜサタンを許すことができないのですか。殺人者や強盗も許し、「すべて許す」と言われ、イエス様を信じれば「許しを受ける」と言われたのに、なぜサタンを許してあげることができないのでしょうか。それは、人類の血統を汚したからです。それはどういうことですか。ハナニムの立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫です。
(156-226, 1966.5.25)
アダムとエバはサタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することはできません。もし善悪の実を取って食べずに堕落していなければ、ハナニムを中心として結婚式をしていたのです。統一教会まことの父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには、ハナニムが彼らを呼んで、ハナニムを中心として祝福してあげたはずなのです。
(228-254, 1992.7.5)
なぜ体を打つのですか。サタンの血、ハナニムの怨讐おんしゅうの血を受けたからです。ハナニムの怨讐とは誰かというと、姦夫かんぷです。ハナニムの愛の怨讐です。姦夫です。姦夫の血を受けたというのです。


天国の王権を受け継いで王妃になることができたエバが、悪魔の配偶者となってしもべの相対になったのです。これは天地の秘密ですが、先生の時代になって初めて暴露されたので、サタン世界は退かなければなりません。
(172-277, 1988.1.24)
なぜハナニムは悪魔を憎むのですか。キリスト教の論理でいえば、キリスト教は「怨讐を愛しなさい」と言ったのですが、ハナニムは、怨讐であるサタンをなぜ愛することができないのですか。愛の怨讐を愛すれば、天地がなくなるというのです。統治法がなくなります。存在法がなくなるというのです。
(191-43, 1989.6.24)
サタンがハナニムの理想的愛を破壊し、理想的生命、理想的血統を蹂躙じゅうりんしたのです。そのようにして子供を生んだのですが、それが人間たちです。サタンの愛の表示、生命の表示、血統の表示であるその息子、娘を、ハナニムは干渉することができません。
(197-286, 1990.1.20)
なぜサタンが、今までの人類歴史で修養の道を行こうとする人々に間違いなく来て、うんざりするほどその首を押さえ、背中に乗って、犠牲にさせようとしたのでしょうか。そのサタンとは何かというと、ハナニムにとっては、ハナニムの家族を強奪していった姦夫だというのです。本来、私たちの母がハナニムに侍り、平和の王国を成し、平和の天地を成し遂げなければならなかったのですが、父と私たちを追い出してしまったのです。サタンが入ってきて、今日、人間をこのような姿にしてしまったのです。何かほかの罪を犯したのではありません。
(156-226, 1966.5.25)
悪魔が堕落させたものとは何ですか。善悪の実を食べて、どこを覆いましたか。口を覆いましたか、手を覆いましたか。下部を覆ったのでしょう? これが悪の種になりました。ティーン・エージャー時代、成熟していない時期に堕落したのです。この歴史的な人間世界の血統がそこから広がっていったので、それが人間の終末時代において盛んになるのです。
全世界的に、青少年たちがアダムとエバのように、陰で独自的に愛の倫理を破壊させ、天地を恐ろしいとも思わない時になれば、サタンの全権時代が地上に到来するということを知らなければなりません。その時は、ハナニムの撤退が目前に迫ってくるのです。
(200-227, 1990.2.25)
血統を転換しなければなりません。その理由は、サタンの血統を受けて継承したからです。皆さんは、これをはっきりと知らなければなりません。
(183-308, 1988.11.7)
堕落とは、ハナニムを中心としてアダムとエバが一つになるべきだったのに、ハナニムの僕である天使長と一つになったことをいうのです。ハナニムの血統を受け継がなければならない人間が、僕の血統を受け継いだというのです。ですから、堕落した人間がいくらハナニムを「父」と呼んでも、実感がわきません。
これは、ハナニムであろうと何であろうと構うことなく、すべてのことを自己中心的に連結させて考える堕落的本性が遺伝されているからです。それで、すべてが相克的な存在となって宗族と民族を形成しているので、少したてば、すべて分かれるようになるのです。


このようにして立てられたものがサタン文化圏です。二つに分かれ、三つに分かれ、すべて分かれるものは、サタン圏に属しているのです。
(91-242, 1977.2.23)
血統的に曲折を経たので6000年かかるのであって、そうでなければすべて1日で復帰しています。血統的にこれが持病となっているので、能力多きハナニムが、それを一遍にすべて取り除くと死んでしまうのです。それゆえに、6000年かけてこられたのです。善悪の木の実を取って食べて堕落したというではありませんか。もしそうであったなら、どれほど良かったでしょう。
(155-295, 1965.11.1)
罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、このようなものが、具体的にどのようにして生じるようになったのかということが問題です。アダムとエバに立ち戻って考えてみなければなりません。アダムとエバがなぜ堕落したのかという根源を掘り起こしてみれば、アダムとエバは、ハナニムが命令した「善悪の実を取って食べてはならない」という言葉を不信して堕落しました。2番目は、自己中心的でした。3番目は、自分を中心として愛そうとしたことです。これが、堕落した中心骨子の内容なので、この内容と同じようにすることは、サタン側だという結論が出てきます。
堕落した人々は、みな不信の愛と自己中心的愛を行った人々です。結局、自己中心的愛を主張しているのが、この世界の人だとみるのです。
(79-198, 1975.7.27)
無知には完成はあり得ません。サタンとは誰ですか。ハナニムの姦夫です。このような問題を整理してあげたのに、これにすべてふたをして天国に行くのですか。ふたをして救われるのですか。とんでもないことです。でたらめな者たち。そのように信じて救われるのであれば、私たちのような人は、既にみな救われて余りあるというのです。このような苦労はしません。
(188-230, 1989.2.26)
先生の時代になって、「堕落は愛によってもたらされた結果だ」という事実を明らかにしたということは、驚くべきことです。これは、歴史的背景を通して理論的に体系化されたものであり、否定することができない内容です。
(128-88, 1989.2.26)

 

⑤ 蛇が誘惑したということの意味

男性と女性のそれは何ですか。それは毒蛇です。毒蛇のわなです。「蛇が欺いた」と言うでしょう? 蛇が誘惑したということは、どういうことですか。それは正に、生殖器のことを言ったのです。
女性の生殖器、毒蛇よりも恐ろしい生殖器がどれほど多いですか。同様に男性の生殖器、毒蛇のような生殖器で誘惑して強奪しようとします。それに誤ってかみつけば、大変なことになるのです。国が滅び、世界が滅びます。天国、永生の道がふさがるのです。
(227-372, 1992.2.16)


地球上に生存する男性と女性は、すべてサタンの生きた毒蛇です。女性の生殖器は、男性のそれに毒を吹き出す毒蛇です。失う日には一族が滅びるのです。それゆえに、蛇で比喩ひゆしたのです。皆さんは生殖器をもっていますか、もっていませんか。怒った毒蛇が口を開いているのですが、そこに手を押し込みますか。その愛の生殖器を入れますか。
(272-37, 1995.8.30)
血統圏を誤ってもちいれば、大変なことになります。血統圏を用いるというのはどういうことですか。愛するということです。ですから、男性と女性は、それを誤って使えば大変なことになるのです。正しい種を植えなければなりません。皆さん、エデンの園の毒蛇とは、何だと思いますか。男性の生殖器です。それを意味しているのです。女性のそれは、毒蛇の口です。口を広げた毒蛇です。毒をもっているというのです。一度連結されれば、すべてのものが終わるのです。天国が一度に破壊されます。生殖器は蛇の口であり、毒を含んだ開かれた口です。
それゆえに、化粧品でよく整えた女性は、美しい蛇だというのです。蛇は、周りで静かに見ていて、近くに来れば、突然攻撃するのです。女性はあまりにも恐ろしい存在です。蛇の口と、蛇の棒をもっているのです。それが生殖器です。本来は、そのような毒をもつ悪い血統ではなく、毒をもつそのような器官ではありません。それゆえ、それを誤って使えば国も滅び、家庭も滅び、権威も何もすべて滅びるのです。それはどれほど悪い毒でしょうか。毒を含んだ蛇の開いた口だというのです。
(228-31, 1992.3.1)
生殖器とは何ですか、蛇とは何ですか。男性の生殖器です。男性の生殖器が最も好むものとは何ですか。女性のそれです。そうですか、そうではありませんか。ですから、危険千万なのです。火薬の導火線に火を付け、ガソリンまでまいて、少したてば爆発するので警告したのです。男性の生殖器は蛇と同じです。妻たちは、行って夫のものを静かにのぞいて見てください。露骨な話のほうが理解しやすいので、このように話すのです。蛇は何だと言いましたか。天使長の生殖器です。実感がわくでしょう?「終りの日」が来たので、今回そのような面のことをすべて教えてあげるのです。女性のそれは何ですか。口を開くというのです。男性が興奮し、お互いが興奮すれば、それが開くでしょう? それがじっとしていますか。妻をめとるということは、それを合わせるということではありませんか。それを誤って合わせれば、国が滅びるのです。千年、万年、毒が抜けないのです。
(304-270, 1999.11.9)
男性と女性は、みなとても素晴らしい人たちを願っています。人それぞれ多様に願っているのですが、それをこのような観念から一度考えてみれば、それは毒をもった蛇です。エイズよりも悪いのです。一度ここに連結されれば、すべてのものが滅亡するのです。生殖器を誤って使えば、すべてのものがきれいに滅亡するのです。繁栄するのではありません。そこが最も悪い場所になってしまいました。そして、最も恐ろしいものがそれです。とらよりも、ライオンよりも、もっと恐ろしいのです。一度でも誤って使えば滅亡です。地獄に落ちるのです。
(228-31, 1992.3.1)


蛇とは何かというと、男性の生殖器のことをいっているのです。男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ているでしょう? 常に穴を求めて歩き回っているのです。女性の性殖器は、ちょうど口を広げた毒蛇の洞窟どうくつとも似ています。一度かんだり、かまれたりすれば、その毒が全身の血管に広がって、永遠に死ぬのです。淫乱いんらんとは、個人はもちろん、家庭、宗族、国家が破綻はたんする道です。蛇が善悪の実を取って食べたからです。そのことを意味しています。男性たちは、それをもって女性を誘い込もうとします。
(304-162, 1999.10.10)
人類がこのように滅びるとは、誰も知りませんでした。最も恐ろしいものです。火薬の筒とすれば、それほどの火薬の筒はありません。それゆえに、3時間に1度トイレに行くとすれば、24時間なら、1日に8回はトイレに行くということができます。そのたびに「おい、蛇の頭、出てこい!」と、そのように言いなさいというのです。それが、自分の本当の生殖器ならば、神聖な生殖器です。
美人が来てありとあらゆる誘惑をしたとしても、そこに動じることなく越えていくことができるように、崇拝をしなさいというのです。敬拝ではありません。崇拝というのは、敬拝以上のものです。服従以上のものです。先生はそのような訓練を受けました。誰が誘惑してきても動じません。そうでなくてはハナニムの息子、娘になることは難しいのです。ですから、「宇宙主管を願う前に自己主管せよ」という言葉は、すなわち生殖器を主管しなさいということです。
(304-270, 1999.11.9)
男性の生殖器は、堕落前の天使長と同じです。二つの舌をもって欺き、誘惑して、完全に地獄にほうり込んだように、そのような蛇の頭のようなものを中心として、再び堕落させる行為をしているのです。蛇がかむというのです。蛇に取って食べさせたというのです。男性にとって、女性を取って食べるということは、そのこと以外に何かありますか。食べるということは、それしかないでしょう。それは恐ろしい器官です。それが天使長、蛇の頭のような男性の生殖器なのです。
(287-116, 1997.9.19)
根本はどこかというと、女性と男性の生殖器です。生殖器自体が毒蛇の歯と同じです。一度かまれれば、一つの家庭が崩壊していくのです。どれほど名門の家系であっても、それを誤って使えば、あっという間に崩壊してしまうのです。たとえ王族であったとしても、めちゃくちゃになってしまうのです。今日のエイズというものは、「終りの日」におけるハナニムの審判です。
(229-25, 1992.4.9)

 

2) 堕落の結果

 

① 堕落人間と堕落した世界の姿

イ) 青少年問題とフリーセックス
アダムとエバが青少年、ティーン・エージャーの時代に、木陰でそのように堕落したのと同じように、世界史的に実を結ぶ審判の「終りの日」が来ることによって、今日、全世界の青少年がフリーセックスに陥ってしまったのです。フリーセックスとは何ですか。悪魔のソドムとゴモラわなです。末梢まっしょう神経を刺激し、そこでおしまいになるのです。すべてがけの下に落ちるのです。ディスコでどのような踊りを踊りますか。ツイストは蛇の踊りです。蛇は体をねじるでしょう? ツイストとは、ねじるという意味です。悪魔がいたとおりに、世界でこれを流行させて、人類を誘惑するのです。
(208-263, 1990.11.20)


淫行いんこうによって堕落したので、「終りの日」にはそのとおりになります。青少年がすべて堕落してしまうのです。先祖がそのように種を蒔いたので、収穫期には、そのように青少年が世界をカバーし、世界を滅亡させるのです。それが今日です。それを否定できません。フリーセックスというものがどこにありますか。誰がフリーセックスを主張しましたか。アダムとエバです。堕落したので、フリーセックスの先祖はアダムとエバです。
(257-60, 1994.3.13)
エデンにおいて、フリーセックスによって堕落したのでしょう? アダムとエバがフリーセックスをしたのではないですか。「終りの日」にもフリーセックスです。これを救わなければ、すべて滅びなければなりません。それを救うためのものが、先生の生涯です。それを収拾し、渡っていくことができる橋を造っておかなければなりません。それをしなければ、すべて落ちます。男性と女性がすべてそこに落ちて死にました。ですから、太平洋を渡っていくこの橋を架けなければなりません。先生でなければ、橋を架けることはできません。そして、川を渡っていったのちには、その橋は必要ありません。蕩減とうげんというそのようなものは必要ないのです。絶対セックス、絶対愛の時代に移っていくのです。
(281-293, 1997.3.9)
ディスコダンス、酒、タバコ、それらはすべて関係ありません。フリーセックスも関係ありません。ホモセクシュアルレズビアン、独身主義者たちも必要ありません。いかなる風が吹こうと、泰然と自分自身の位置を守っていくのです。風が吹き、台風が吹き、地球ぼしがどれほど移動したとしても、東西南北が変わらないのと同じように、統一教会の行く方向が変わることはないのです。ですから、ここで一度、統一をしておけば、これが最後です。
(206-62, 1990.10.3)
東西、四方から押し寄せてくるこのフリーセックス、淫乱いんらんの波を、誰が防ぐのですか。享楽主義、末梢神経の享楽を求めていくこの波を、誰が防ぐのでしょうか。麻薬でも満足させることができません。愛も不足し、麻薬、幻覚剤を求めていく「人種之末インジョンジマル(最も下劣な人間)」になりました。それが体ですか、心ですか。
(200-227, 1990.2.25)
今、アメリカにおいて皮肉なことは、青少年の間でフリーセックスが蔓延まんえんしているのですが、自分の家を離れるということです。これは、一方では天側です。家を出るので、血族から抜け出すことができ、国から抜け出すことができるのです。アメリカの青少年には、世界がなく、国がなく、家庭がなく、父母がいません。フリーセックスを中心として「ホモセクシュアルだ、レズビアンだ」と言って、男性と女性を否定しているのです。このようになれば、人類は1世紀以内ですべてなくなるのです。悪魔の魔法に引っ掛かってうめいているこの人類の惨状を御覧になるハナニムの心は、どれほど痛いかというのです。
(208-265, 1990.11.20)


ヒッピー、イッピーの運動や現実における淪落りんらく問題、麻薬問題等は、すべて共産主義者たちの世界戦略のある一面として現れた事実だということを、私たちは知らなければなりません。フリーセックスやホモセクシュアルレズビアン・ムーブメントなどのすべてのものは、人間の権利と人間の権威を破綻はたんさせる一つの行動にすぎません。このように見るとき、家庭基盤を中心とした破綻、社会基盤と教会基盤を中心とした現在の破綻形態は、既に極に達し、誰も、いかなる神学者も、また国家のいかなる力をもっても防御することができない段階に達したとみるのです。
(128-33, 1983.6.1)
私は、アメリカをよく知っています。このアメリカは、「フリーセックスだ、何だ」と言って、一晩楽しんでグッバイする愛をおこなっています。すべて個人主義であり、自己弁解主義であり、自分が中心でなければ嫌だというのです。あいさつするのも外交的あいさつであり、目を合わせながらも心は別の所に行っている外交的あいさつです。すべて適当主義による感情、生活風習です。
(127–328, 1983.5.22)
サタンは、どのような武器を利用しましたか。気体の武器を利用しました。それがタバコです。次に液体の武器は酒です。それから固体の武器は何ですか。麻薬です。このようにして、精神まですべて腐らせるのです。体を腐らせ、精神を腐らせ、鼻の穴から肺をすべて腐らせるのです。ですから、私たちは、酒を飲まないのです。タバコを吸わないのです。人類を滅亡させるためのサタンの武器です。ハナニムと通じることができる精神を妨害する要素であるこの三つは、怨讐おんしゅうの最高の武器です。その次には何ですか。愛です。フリーセックスです。愛の秩序を破綻させるのです。そのようなものを私の手ですべて整備するのです。
(126-70, 1983.4.10)
フリーセックス、ホモセクシュアルレズビアン、このようなものはあり得ないのです。終末となり、人類の歴史上になかったものが、あからさまに太陽世界に現れるようになったのです。この宇宙においてあり得ないものが、あからさまに現れるようになったのです。愛の秩序も、すべて完全に破滅です。ですから、アメリカは、地獄のどん底になっているということを知らなければなりません。愛の秩序を完全に破壊し、麻薬を中心として、男性と女性の生理的秩序を完全に破壊したのです。それは何かというと、若い青年たちを破壊させることです。道義や秩序というものを破壊させることです。
(125-168, 1983.3.20)
今日、「性解放だ」、「フリーセックスだ」と言って醜悪になったこの世界を、ムン総裁の手ですべて直して定着させようというのです。文総裁は、そのようにすることができる医者としての特許をもっている人です。それは、私しか直す人がいません。まことの愛を教えてあげることによって直すことができるのです。今後、統一教会を信じざるを得なくなる時が来るはずです。