八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 8-2

八大教材教本 天聖経(2012年版)p2167-2202

【天啓の御言】(8-2)

 


皆さんは、自分の息子、娘を教育する時に、父母だけを愛する息子、娘になりなさいと教えてはいけません。「私は、この国を愛する忠臣だ、愛国者だ。母としての愛国者ではなく、愛国者としての母、忠臣としての父だ」と教育しなければなりません。
(26-295, 1969.11.10)
母、父が素晴らしければ、その家の息子、娘も素晴らしく、息子、娘が素晴らしければ、その家で育つ子犬、にわとりのひなも素晴らしいのです。犬がほえることができず、鶏が鳴くことができなければ、それが素晴らしいことですか。「母、父はなごやかだが、その家の犬はよくほえるし、鶏もよく鳴く!」。そのようになってこそ素晴らしいのです。「あの家の人はそうではないのだが、鶏のひなはあまりにもよく鳴くし、子犬はよくかんだりもする」、そのような家庭は、滅びるのではありません。栄えるのです。
(202-229, 1990.5.24)
息子、娘が、母、父を、ハナニムの代わりとして、真の母、真の父よりも素晴らしい母、父として侍らなければなりません。
そのようにして、真の父母に敬拝する前に、先に自分の母、父に敬拝できる家庭にならなければなりません。家庭生活の中でハナニムに代わるのが自らの父母です。ですから、四大心情圏と三代王権は一つの家庭で成さなければなりません。
(241-179, 1992.12.24)
ハナニムの愛の主権は、絶対、唯一、永遠、不変です。その国の主権もそうであり、その国の民もそうであり、その国の万物もそうであるがゆえに、今、再整備して、絶対、唯一、不変、永遠の国民性で再登録しなければなりません。万物もそのように再整備する時なので、全体を反対に回さなければなりません。このように回っていたものが反対に回らなければならないという事実を知らなければなりません。ハナニムの国では、絶対主権が必要であり、民が必要であり、万物が必要です。私たちの家庭を見れば、主権の代わりに父母がいて、民の代わりに息子、娘がいて、万物の代わりに物があります。それが小さな天国の基盤です。それをハナニムのために、すべて捧げてしまわなければなりません。そのようにしてこそ、大きな国、大きな世界が成し遂げられるのです。
(304-258, 1999.11.8)

 

4) 天国の基盤は真の家庭から

ハナニムは、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのお方のみ旨も同じです。絶対者であり、不変なお方なので、そのお方のみ旨もそうだというのです。
創造主と人間のまことの愛を中心として完成する真の家庭を願っていらっしゃったハナニムは、人間と一体となる条件が必要でした。ですからハナニムは、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。その戒めとは何でしょうか。愛の家庭、愛の全体、最も貴いものを相続してあげようという約束の条件が戒めだというのです。


人間には成長過程を経て成長して上がっていく未完成段階があるということを御存じであるハナニムが、最も貴い真の愛と家庭を人間に相続してくださろうとした条件が戒めでした。真の愛と真の家庭を相続してあげようというのが、ハナニムの約束された戒めです。
(283-171, 1997.4.12)
ハナニムのみ旨は、一つにすることです。堕落しなかったとすれば、私たちの心と体は一つになるのです。男性の心と体が一つになり、女性の心と体が一つになっていたのです。そのようにして、二人が心と体の一つになった家庭を成していれば、そこからは統一の世界が展開していたのです。
今日、この世界は一つになっていません。この世界というものは、男性と女性を拡大したものです。
(133-259, 1984.7.20)
ハナニムは、最も深い所に隠密にいらっしゃいます。より深い所に下りていけばいくほど愛は大きくなっていき、最後にはハナニムの真の愛を探し出すようになるのです。皆さんが子女をより一層深く愛すれば、ハナニムの愛と出会うようになるのです。このような真の愛の家庭は、地上天国の基盤となります。それゆえに、天国が別の所にあるのではありません。
(161-325, 1987.3.8)
天国は、真の家庭によって構成されます。ハナニムのように暮らすのです。内的な父母であるハナニムと永遠に共に暮らせる夫婦の生活環境だというのです。天国とは、そのような人々が入っていける所です。
ハナニムの体、ハナニムの家庭に属する家庭が入っていく所です。完成したアダム家庭が、そこに入っていくのです。ですから、天国は、家庭的に入っていくようになっているのであって、一人で入っていくようにはなっていません。今まで「個人救援を受けよう」と言っていたのは、天使長世界です。ですから、真の家庭の所有は、天国です。真の家庭が所有する物であり、主人となるのが天国だというのです。真の家庭と真の主人が真の所有権をもつのが天国です。家庭的主人が所有するのが天国だというのです。
(297-165, 1998.11.19)
皆さんが、ハナニムの息子、娘となり、ハナニムの家庭を築いてこそ、天国が成されます。一つの家庭においても、すべて同じです。サタンがわなを仕掛けて引っ張り、ハナニムも引っ張っているのですが、その食口シックがハナニムの前に完全に帰ろうとすれば、限りない精誠を尽くさなければなりません。そのようにしてこそ、個人個人に対して、5人家族ならば5人家族に対してサタンが引っ張り、ハナニムが引っ張っていても、サタンの綱を切ってしまい、天の側に帰っていくのです。
(115-49, 1981.10.28)
夫婦は、ハナニムをお迎えして愛の部屋に入っていくことを、お互いが考えなければなりません。そのようにして、心と体が完全に一つになれば、その夫人は、天下の女性の中で王の中の王であり、美人の中の美人であり、一つしかない絶対・唯一・不変・永遠なる私の体だと考えなければいけません。愛する私の体だと考えなさいというのです。愛の体だというのです。


主体と対象が愛で一つになることにより、夫人は私の愛の所有になります。愛で一つになる時は、相対を中心として、その愛も私のものなので、主人も私のものになり、その主人の所有も私のものになるのです。同じ価値をもったので、宇宙がすべて私のものになるというのです。このことは、ハナニムを感じなければならないという話です。ですから、誰もが、ハナニムに侍って生き、愛したという体験をしなければなりません。そのようにしてこそ、天国家庭としてハナニムの貴族となり、血族となれるということを知らなければなりません。ハナニムが天国においてこのような祝福家庭を御覧になれば、星のように輝いているというのです。ですから、ハナニムが常に喜ばれるというのです。
(297-167, 1998.11.19)
栄光の真の家庭とは、地上でも幸福であり、霊界でも幸福になれる、真なる家庭のことをいうのです。あの世の中心存在であられるハナニムと直接、共に暮らせる家庭が、栄光の真の家庭になるのです。嬉しくて、また嬉しくて、永遠に喜べる真の家庭にならなければなりません。お互いに嬉しくなければ、協助して愛の理想的世界を築かなければなりません。愛の理想的な主体と対象として、自らを愛の対象として迎えてくれたので、お互いに感謝し、「ため」に生き、尊敬できる世界を築かなければならないというのです。
(294-312, 1998.8.9)
真の家庭の核心は、夫婦です。それでは、夫婦とは何でしょうか。ハナニムの実体対象であるハナニムの体です。真の愛をもったハナニムのことを、皆さんは父と呼びます。ハナニムが父ならば、私とは父子の関係だというのです。父と息子であり、母と娘ですが、一つの体です。縦横を一つにしたものなので、そうだというのです。
(297-167, 1998.11.19)
若い青年男女の願いは、理想家庭の完成、すなわち真の家庭を築くことです。ここで真の家庭とは、ハナニムが喜ばれる家庭のことをいいます。それゆえに、最も重要なことは、ハナニムをいかに知るかということです。
(298-248, 1999.1.16)
真の家庭は、ハナニムの目に入れても痛くないというのです。胸に抱いて踊られるのです。どれほど踊り騒いでも、ハナニムは全能でいらっしゃるので、抱いて空中を舞いながら踊りたいと思われるのです。真の家庭は、ハナニムを解放して慰労できる対象です。
(301-169, 1999.4.25)
真の家庭とは、ハナニムが築き、ハナニムのみこころどおりに理想が成し遂げられた家庭です。
完成したアダム家庭が真の家庭だというのです。しかし、アダム家庭がそのようになれなかったので、そうなるためには復活が必要です。復活した家庭によって、復活した宗族・民族・国家・世界を立てようというのです。そのようになれば、この地上において、サタンや、罪悪や、ハナニムとサタンが闘う人類歴史の戦争などというものはないはずです。そのようになれば、サタンもいなくて、この世界は、今日のように様々な国に分かれ、民族が異なり、文化が異なり、言葉が異なり、すべてが異なる、このような世界にはならなかったというのです。


それでは、真の父母とは、どこから来られたお方でしょうか。ハナニムからです。ハナニムから連結されているのです。ここで、第1にハナニムの愛、第2にハナニムの生命、第3にハナニムの血統にならなければなりません。これは何かというと、ここにあるすべての世界も、ハナニムの愛、ハナニムの生命、ハナニムの血統のために生じたということです。
そのようになれば、ここには、サタンを中心とした愛や、生命や、血統などというものはあり得ないのです。そのためには、今までの愛と生命と血統、このすべてのものは、ハナニムに帰らなければなりません。しかし、直接帰っていくことができないので、ここで息子、娘を通じて帰っていくのです。この時、カインとアベルが問題になります。ですから、アダムとエバを中心としてハナニムに帰っていくのです。
(230-67, 1992.4.19)
男性も、真の愛でなければ心と体が一つにならず、女性も、真の愛でなければ心と体が一つになりません。心と体が一つになってこそ、真の愛のカップルになることができます。真の愛のカップルになってこそ、真の愛をもったハナニムの子女となります。そのようにしてハナニムの家庭になるのです。
ハナニムが最も好まれるものとは何でしょうか。ただ、真の愛だけです。愛は、一人でなすものではありません。ハナニムが人間を造られたのは、ご自身のパートナーを造られたということです。真の愛のパートナーとして人間を造られたのです。それを手本として、全宇宙がペア・システムをもって造られたのです。
ですから、ハナニムの愛も永遠であり、男性の愛も永遠であり、女性の愛も永遠であり、子女の愛も永遠なのです。これがハナニムの家庭です。
(201-192, 1990.4.1)
ハナニムを中心として家庭生活を始めるということは、ハナニムの家庭が出発するということです。そのようにして、ハナニムと人間が愛を中心として一つになって家庭が出発するのですが、私たちの家庭だけが出発するのではありません。天国の家庭の出発とともに並行していかなければなりません。
(248-12, 1993.5.30)
ハナニムの解怨かいおんを成就した家庭が、ハナニムの家庭です。兄弟以上に愛し得る長男の資格、夫の資格をもった人々によって構成された家庭が、安息の場所なのです。父母として、乞食こじきまでも自らの子女として迎えて暮らしたいと思う安息圏をつくらなければなりません。それが統一教会の祝福家庭の使命です。それが祝福家庭の宿命的使命だということを忘れてはなりません。
(295-245, 1998.8.28)
真の父母の真の愛を通じてハナニムの真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通じて真の国と真の世界人類に対する普遍的真の愛を訓練させる、平和世界の基本、その核の立場が真の家庭です。
(288-199, 1997.11.28)


霊界に行けば、理想的夫婦、理想的な真の家庭は、ハナニムといつでも共に暮らすことができます。ですから男性は、ハナニムの性相、心の立場にならなければならず、女性は、形状となって一つにならなければなりません。これが一段階さらに大きくなって一つになるのです。この二人の心的な面が性相になり、体的な面が形状となって、ここで初めて実を結ぶようになります。それで、ハナニムを中心として、心と体の一体圏が成されるのです。
そのようになれば、アダムの息子、娘には、ハナニムの心、ハナニムの愛を中心とした骨が生まれ、アダムとエバのような体が生まれるようになるのです。それゆえに、ハナニムご自身は、アダムとエバのような形状をもって、見える人類を支配できるのです。そのようになれば、完全に地上天国となり、ハナニムを見ることができるのです。
今は、天国に行ってもハナニムが見えません。真の父母がそのようなすべてのことを成し遂げてあの世に行った時、ハナニムは真の父母の心の中に入っていかなければなりません。そのようになれば、ハナニムが体をもたれ、すべての宇宙を動かし、支配できる時代に入っていきます。ハナニムが神聖な形状をもたれるというのです。
それらをすべて完成すれば、すなわち天上世界が完成し、地上天国が完成すれば、ハナニムが形状をもたれるのです。それは、愛を中心として可能なのです。アダム家庭において肉体的に愛が一つになっていれば、ハナニムも、性相と形状を兼ね備えることができるので、体をもてるというのです。それは、愛でなければできません。「一体」という言葉は、そこから出てくるのです。
霊界は、真の愛、絶対的な愛によって統治する世界です。すべてのものが真の愛と連結しているのです。真の愛は、種です。堕落していない種が連結して、地上と天上に満ちるのです。ですから、今の世の中は、堕落した結果の世界なので、なくならなければなりません。堕落した世界の血統はなくしてしまい、本然のハナニムの血統を連結しなければなりません。どのようにしてそのような世界をつくるのでしょうか。その方法が結婚です。結婚とは何かというと、家庭を接ぎ木することです。
(294-316, 1998.8.9)
霊界にいる人々も、真の家庭が必要です。その真の家庭がなければ、ハナニムの位置に連結されず、天国に入っていくことができません。地上天国で暮らした夫婦も、あとから天国に入っていくようになります。それがハナニムの創造理想です。そこには宗教もなく、文化も一つしかなく、家庭がすべてのものを完成するのです。家庭があらゆるもののセンターです。ですから、私たちの家庭は、センターに立ちたいと思うのです。
そこには、宗教が必要ありません。キリスト教も解放であり、仏教も解放であり、すべて解放です。イエス様も家庭が必要であり、釈迦牟尼しゃかむにも家庭が必要であり、ムハンマドマホメット)も必要であり、すべての聖人も家庭が必要なのですが、その家庭は、誰によるものでしょうか。真の父母の家庭です。
今までは、すべての家庭が偽りの血統で連結されていました。本然の家庭ではなかったのです。祝福家庭が現れることによって、ハナニムの血統が連結された真の家庭が生まれるようになったのです。


レバレンド・ムーンは、四方八方のあらゆる場所に勝利的な基盤を築きました。霊界と肉界も同じです。そのようにして、真の家庭から真の世界に発展していくのです。真の家庭から、真の宗族・真の民族・真の国家・真の世界・真の宇宙・真の天国が築かれるのです。
(279-237, 1996.9.8)
今や、「私」というものをはっきりと知りました。私は、どこから因縁を結び、どのような生活過程を経て、どこに向かって行くのかということを知りました。このように行く私は、何をもって行くのでしょうか。ハナニムの憂いを抱いて行くのです。私の個性が復帰されていれば、私がこの家庭だけに安息するのではなく、私には、家庭を中心とした宗族があり、宗族を中心とした民族があり、民族を中心とした国家と世界人類が残っているという事実を知って、死んで土に埋められる前に、この世界の果てまで行って数多くの民族を父の前に導き、その後ろから万民を祝福していける1日が私に来ることを待ち望みながら、毎日のように闘っていくことができなければなりません。そのような人が、ハナニムに代わり得る人です。
(152-192, 1963.5.10)
今まで、私たちが信仰してきた観念というものは、「私は、ハナニムを信じて天国に行こう」というものでしたが、天国に行く前に何をしなければならないのか分かりますか。私自身が、心と体を中心として一つに統一されなければなりません。そのような闘いをしなければなりません。自分を統一できない人が天国に行くことはできません。私の家庭を中心として一つになることができなければ、天国に行くことができないというのです。私が、親族を中心として善なる所に導いていくためには、精誠を尽くさなければなりません。そのようにしなくてはならないのです。
(155-213, 1965.10.30)
アダムとエバは、堕落することによって死亡世界に占領され、死亡世界を主管するサタンは、ハナニムの創造理想時代において、反対にハナニムに背く家庭をつくり、現在までハナニムと対峙たいじする世の中をつくりあげてきたことを考えるとき、ハナニムが心で思い描かれるのは、もちろん理想的な家庭ですが、その内心は、怨讐おんしゅうが願う基準よりも、怨讐が知っているその基準よりも、堕落前の理想時代の家庭基準よりも、もっと素晴らしく、愛情の深い家庭を成したいと思われたのではないのでしょうか。そのようなことを私たちは考えなければなりません。
(159-128, 1968.3.7)
エスがこの地上に来て教えられた真理は、簡単です。「天地を創造したハナニムは、私の父だ。私は、その息子だ。あなた方は、私を信じればその息子になれる。私の父であると同時に、あなた方の父だ」と言いました。その次には、私たちに子女の道理を教えてくれると同時に、自分の父を教えてくれました。それから、「私は新郎であり、あなた方は新婦だ」と言いました。これは何でしょうか。ハナニムを中心として家庭を築くのに必要な要件を、イエスが来て初めて叫ばれたのです。聖書がそうです。ほかのものは必要ありません。
(156-224, 1966.5.25)


聖書を見れば、ハナニムを「父だ」と教えてくれています。イエスは、「自分はひとり子だ」と言いました。またイエスは、信者を見て「新婦」と言い、それから「兄弟だ」と言いました。
これが、ハナニムの家庭を中心とした愛の型において、すべてのものを備えた内容を明らかにする教理となっているので、ハナニムの家庭をつくっていく教理であり、その息子がハナニムの家庭に安息し得る家庭の道理を教えてくれたものです。
(195-195, 1989.11.15)
聖書が教えてくれたものは、家庭です。イエスは新郎であり、私たちは新婦だというのです。新郎新婦が出会ってハナニムを中心とした「小羊の婚宴」をなし、家庭に帰っていくのです。これが新約・旧約66巻を総合した結論です。それゆえに、聖書は偉大だというのです。
聖書が指向する最高の目的は何であり、聖書が要求する希望とは何でしょうか。イエス個人ではありません。イエスが新婦と一つになったハナニムの家庭を、待ち焦がれていたというのです。ハナニムの家庭をつくれば、何をするのでしょうか。家庭、すなわち新郎新婦が出てくれば息子、娘が出てくるのであり、息子、娘が出てきて繁殖すれば、宗族になり、民族になり、国家になり、世界になるのです。その世界とは、どのような世界でしょうか。ハナニムの愛と連結した「神主義」の世界です。「神主義」の世界であると同時に、アダムとエバ主義の世界です。アダムとエバ主義の世界とは何でしょうか。父母主義の世界です。
(160-277, 1969.5.17)
天国の終着点は、真の家庭の完成です。真の家庭の中には、真の国があり、真の世界がなければなりません。真の世界と真の国に影響を及ぼし得る真の愛の伝統として、「絶対セックス」という言葉が出てきます。絶対セックスとは、絶対、唯一、不変、永遠のセックスをいいます。ハナニムの属性である愛を中心として連結された対象的なパートナーと、そのような観点において愛で一体化するのは、すべて性関係によって結ばれるのです。
(281-282, 1997.3.9)
互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦であっても、ハナニムの真の愛で一つになった家庭を築いたならば、そこから生まれる子女の間には、人種や文化的な葛藤かっとうが存在できません。
その子女たちは、父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするはずです。世界の至る所で深刻な社会問題となっている人種間の葛藤を、政治や経済によってのみ解決しようとすれば、その結果は失敗しかありません。人種差別は赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなくては、この問題の根本的な解決は不可能です。
したがって、その中心理想は、やはり一人のお方、すなわちハナニムの真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。人類が歴史の最初からハナニムと一つになっていたならば、既に人類は、真の愛を中心とした真の家庭を築き、「ため」に生き、より「ため」に生きる真の愛を実践することによって、真の国家、真の平和の世界をすでに成していたでしょう。


この歴史的な闘いを終息させるためには、ハナニムに帰らなければなりません。まず、ハナニムを中心として個人の心と体が一つにならなければなりません。そのような真の男性と真の女性が、ハナニムを中心として真の家庭を築くことにより、その中に再びハナニムを迎えるようになるのです。真の愛を中心とした真の家庭こそ、ハナニムがお住みになる地上基地になるのであり、さらに真の国家、真の平和世界の出発地になるのです。これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。
(271-88, 1995.8.22)
今からは、デモをしなければなりません。デモをして、真の父母を誇り、真の家庭を誇り、真の血族を誇り、真の純潔を誇らなければなりません。父母様がこの地上に来た目的を世界化させるのと同じように、皆さん個人や、家庭、宗族、民族、国家も、すべて真の父母になるためです。個人において家庭的な真の父母、家庭的な基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、民族基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、国家基準において真の父母、真の家庭、真の純潔、これが世界化されるのです。国家基準において世界化し得る立場になるので、真の父母の基準が私たち個人から世界と天宙まで連結し、真の家庭基準が連結し、真の純潔の血筋が連結することによって、堕落がなかった解放の時代に越えていくのです。ですから、この全体を清算するためのデモをしなければなりません。伝道よりも、このことをしなければなりません。
(298-221, 1999.1.8)


 

第3章 ハナニムと真の父母

 

1) 真の父母はハナニムと人類の希望

ハナニムは、私たち堕落した人間にとって、先生の中の最も大きな先生です。先生の中の大王の先生だというのです。それは、ハナニムが知らないことはないからです。
また、父母で言うなら、父母の中でも最初の父母です。すなわち、まことなる父母です。王としては、万王の王です。
(41-307, 1971.2.17)
今日、堕落した人間の願いは、ハナニムの息子に会うことです。ハナニムの息子としては、個人的な息子、家庭的な息子、宗族的な息子、民族的な息子、国家的な息子がいます。それらをすべて探さなければならないのですが、このように探そうとすれば、人類がどれほど苦労するでしょうか。ですから、国家的基準にある息子圏を代表したメシヤを送るのです。このメシヤを迎える日、個人的ハナニムの息子・家庭・宗族・民族・国家的息子まで、すべての息子を探し出したという、喜ばしい知らせを人間世界に与えるためのものが、メシヤの降臨だという事実を、皆さんは知らなければなりません。
堕落した私たちは、ハナニムの息子、サタンの讒訴ざんそ圏から外れたハナニムの息子に会わなければなりません。会ってからのちには、ハナニムが愛し得る父母を取り戻さなければなりません。またその次には、父母の家庭を取り戻すのです。父母の家庭を取り戻し、ハナニムの愛を取り戻すのです。そして、ハナニムに会うというのです。
(114-29, 1981.5.14)
ハナニムの愛を中心として愛の関係を結べるものは、ただ完成したアダムだけです。アダムは、真の父です。それゆえに、先生が真の父の位置にいるというのです。それでは、パートナーは誰ですか。女性です。絶対女性です。世界的な女性を代表したものがキリスト教の新婦教会です。新婦宗教を代表したものがキリスト教です。キリスト教の主流思想は、再臨主、メシヤを中心とした新婦思想です。真の父母は、二つではありません。唯一です。それは、男性も絶対的に一人であり、女性も絶対に一人です。二人ではあり得ません。そのように、二つの唯一な存在が出会って真の父母になるのです。真の父母は、ハナニムの創造理想を中心とした真の理想的夫婦だというのです。
(248-138, 1993.8.1)
真の父母は、個人的、絶対的一つの標的になり、家庭的標的、宗族的標的、民族的標的、国家的標的、世界的標的となり、地上・天上天国の一つの中心形態を代表するのです。真の父母を立てるということには、ハナニムの愛を中心として創造理想を完成した地上・天上世界を、統一させるという目的があります。


それゆえに、個人から世界、天地まで、その統一的中心になったので、個人も接ぎ木することができ、家庭、宗族、民族、国家、世界が接ぎ木できるところにまで来たというのです。
先生は今まで、一生涯このことを準備してきました。ハナニムの真の愛を中心として、個人の中心にならなければならず、家庭の中心、宗族の中心、民族の中心、国家の中心をどのように形成するか、これが目的でした。そのような目的に向かっていくという概念をもって、これから始めなければなりません。
(266-112, 1994.12.22)
ハナニムが「終りの日」に約束された1日は、「父母の日」です。真の父母に侍ることができる日です。別の言い方をすれば、堕落によって父母を失ってしまったこの地上の数多くの人々が、ハナニムの祝福を完成し得る本然の父母を、再び迎える日です。
人類が、ある復帰の一つの目標を定め、ハナニムに向かって進んでいく中において、必然的な条件とは何かといえば、父母の門を通らなければならないということです。父母の門を通るまでは、心情を連結させることができません。
この時代は、心情的にはこの民族とあの民族が通じることができず、この宗教とあの宗教が通じることができず、この家庭とあの家庭が通じることができない時代です。私たちがこれを通じさせるためには、必ずハナニムの心情を知らなければならず、ハナニムの心情と因縁を結ばなければならないのですが、これを連結してくれる仲保者が真の父母です。ですから、失ってしまった本然の真の父母を探し出してこそ、ハナニムの心情と連結できるというのです。
(11-59, 1961.1.1)
エデンからアダムとハナニムを追い出しました。それで、霊的な父と肉的な父に分かれました。これを家庭で失ってしまったので、世界的に取り戻すときには、世界型の大家庭が生まれなければなりません。それでキリスト教文化圏は、母の文化圏なのです。新婦の文化圏です。東洋と西洋を中心としてカインとアベルが一つになった息子、娘をキリスト教が抱いて、誰のところに行かなければならないのかといえば、来られる再臨主のところに行かなければなりません。そのようにしていれば、7年以内に世界を統一するのです。その来られる再臨主が真の父母です。真の父母が現れ、真の子女が現れ、真の家庭が出てこなければなりません。真の家庭を編成するのが統一教会でいう祝福です。家庭を編成するのです。
(278-79, 1996.5.1)
エデンの園で真の父母になることができなかったことが堕落です。真の父母が来られることによって、試練と迫害の路程がなくなるときには、世の中は真の父母の道理を求めてくるのです。真の父母の息子、娘を見ると、彼らの生活とすべての人生は、世の中の人とは違うというのです。貧しく見えても、そこには平和があり、哀れに見えても、そこには希望があり、苦しんでいるように見えても、そこには喜びをもった人生があるというのです。
(201-330, 1990.4.29)


アダムとエバは、ハナニムが本当に願う真の人類の先祖、人類の真の父母にならなければならなかったのです。その真の父母の血族によって、私たち人類は生まれなければなりませんでした。歴史の出発から始まらなければならなかった人類の真の父母、その真の父母は、ハナニムの栄光の実体として、人類の前には勝利的な永遠の実体として現れなければならなかったのです。それにもかかわらず、アダムとエバは、勝利的な実体として現れることができませんでした。
これが、今までの悲しい歴史を成してきた怨恨えんこんの基台になったということを、私たちはよく知っています。それによって天の法度を離れ、自らの実体を失ってしまい、ハナニムの心情を蹂躙じゅうりんした私たち人間は、みことばによって実体を取り戻し、心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているということを、私たちはよく知っています。
このように堕落した人間は、万物よりも悪なる位置に立つようになり、ハナニムに自由に対することができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自ら回復することができないので、ハナニムは、彼らを目覚めさせて再創造の役事をしてこられました。しもべの位置を経て、養子の位置を経て、息子の位置を経たのち、勝利的な主管圏を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたという事実を知らなければなりません。
(14-239, 1965.1.1)
皆さんは、堕落の宗族です。皆さんは、ハナニムがどのような方でいらっしゃるのかを知らなかったのです。真の家庭・真の社会・真の国家・真の主権がどのようなものか分かりませんでした。それでは、皆さんは、これからどのようにしなければなりませんか。人間の堕落以後6000年間、数えきれないほどの涙を流されながらサタンと闘うハナニムではなく、栄光のハナニムを知らなければなりません。
2000年間闘ってきたイエス聖神聖霊)ではなく、栄光のイエス聖神を知らなければなりません。闘う天上世界の億千万の聖徒ではなく、栄光の中で生き、栄光を享受する億千万の聖徒を知らなければなりません。地上で迫害されて苦痛を受ける聖徒ではなく、栄光の中にいる聖徒を知らなければなりません。そのような聖徒を見ましたか。見ることができませんでした。
アブラハムも、ヤコブも、モーセも、イエスも栄光のハナニムを紹介するために来て、死んでいきました。栄光の真の父母を紹介して、栄光の真の息子、娘を紹介して、栄光の真の民族と真の天民をつくるために努力しました。
(10-354, 1960.11.27)
ハナニムが御覧になる時、この世は堕落した世の中なので、愛国者が一人もいませんでした。孝子もいなくて、聖人・聖子せいしもいなかったのです。メシヤが地上に来て、ハナニムの家庭を築かなければなりません。そこから孝子が出てきて、国の基盤の上に愛国者が出てきて、世界的基盤の上に聖人、天宙的基盤の上に聖子が出てこれるのです。第一、第二アダムが失ってしまったものを取り戻すことが、私の使命です。すべてのものを売り払ってでも、その国を取り戻さなければなりません。統一教会員ならば、霊的、肉的、すべてのものを投入して犠牲になっても、「私が天国を成し遂げる。愛国者になる。聖人、聖子になる」と考えなければなりません。


それでこそ、ハナニムの祝福を受けるようになります。「あなたこそ本物の孝子であり、本物の愛国者であり、本物の聖人・聖子だ」と言われるその時、初めて「私があなたを祝福する」と言われるのです。そこから、すべてのものを相続するようになります。その場が、すべての統一教会員の本郷です。
(293-217, 1998.5.26)
本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘をいうのです。そのような父子がなければ国もできません。万民は、平和の世界を願っています。その世界は、今日の世界の先進国家が追求している、そのような文化を通して成されるのではありません。
真の父母を通して成されるのです。真の父母がいくら1枚のむしろを使い、ぼろきれのふろしき包みを背負い、色あせたよれよれの服を着ていたとしても、また千尋せんじんの谷から気力の果てた姿で現れたとしても、堕落した人間は、その真の父母を中心としてハナニムの心情を学ばなければなりません。
それでは、どの程度に心情を接ぎ木しなければならないのかといえば、父の腹中から接ぎ木をし、父と共に生きたという条件を立てたのちに、母の腹中を通して生まれ、成長しながら父母に侍って暮らさなければなりません。しかし、それによって終わるのではなく、父、母と共に暮らせる親戚しんせきと愛の因縁を結び、親戚を中心とした宗族と心情の因縁を結び、その宗族は民族と心情の因縁を結び、その民族は国家と心情の因縁を結び、その国家は世界と心情的な因縁を結び、その世界は天地と心情の因縁を結び、その天と地を通してハナニムまで心情の因縁を結んだという基準を立てなければなりません。それでこそハナニムが、「あなたは私の息子である」とおっしゃるのであって、自分自身だけを中心として心情の因縁を結んだ人を、ハナニムが私の息子だとはおっしゃいません。
(17-129, 1966.12.11)
再び生まれなければならないというのは、堕落したアダムとエバの子孫である父母の血肉を通して生まれなければならないということではなく、堕落とは関係のない父母の血肉を通して生まれなければなりません。そうでなくてはハナニムのもとに帰ることができないのです。
罪の根本は、アダムとエバから始まったので、これを踏み越えて、すなわち原罪と因縁がない位置で生まれたという資格を備えることなくしては、ハナニムのもとへ帰ることができないのです。ハナニムが私たち人類を救援しようとされるとき、堕落圏以下ではいくら救援しようとしてみたところで救援できないのです。
それで、ハナニムは、堕落していないアダムとエバ以上の真なる父母をこの地上に再び送り、その父母を通して人類が再び生まれる路程を経るようにして、サタンと永遠に関係がなくなり、サタンが讒訴しようにも讒訴できないようにされ、ハナニムだけが主管し、ハナニムだけが干渉し得るようにされるというのです。そのような位置で人類が再び生まれることなくしては、原罪をもった人間が、原罪のない位置には帰れません。
(22-269, 1969.5.4)


堕落した父母の因縁によって、ハナニムから離脱した伝統を受けて、この世界がこのようになりました。ですから、真の父母が来て新しい主義を立てなければなりません。それが真の家庭主義です。真の家庭主義が出てこなければ、世界主義が出てこれません。この真の家庭主義の代表者は、ハナニムの真の息子にならなければなりません。彼は、ハナニムの心情的なすべてのものを相続する内情的な相続者であり、外形的な相続者、そして、万物所有権の相続者にならなければなりません。
別の言い方をすれば、ハナニムの心を相続できる方であり、体を相続できる方であり、万物を相続できる方でなければなりません。そのような息子であればこそ、ハナニムの代身者になれます。その息子が来て、初めて天国が築かれるようになるのです。
真の家庭主義は、神の愛主義です。愛がなければ、いくら世界の第一主義だと威張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば、その息子、娘が父母のあとを永遠に従っていく主義であり、また兄が行けば、弟が永遠に従っていく主義であり、弟が行けば、兄が永遠に従っていく主義です。ですから、弟の国があれば兄の国が従っていき、兄の国があれば弟の国も従っていかなければなりません。
それでは、神の愛主義とは、どのような主義ですか。国境を超越して、このすべての平面的な世界を超越して、お互いが授受することにおいて、争って先に与えようとし、受けることを遅らせようとする主義です。そのような主義の世界が今後、訪れる理想世界です。理想世界は、何か大きな権勢をもって号令する世界ではありません。理想世界というものは、自動的に心が動いてハナニムの愛に和合できる、万民兄弟主義世界です。今後、そのような世界になるはずです。
(21-49, 1968.9.1)
四大心情圏と三代王権を私の家庭で花咲かせ、嫁に行って、妻をめとって、そのまま本郷の地に移しておくことがハナニムの創造理想でした。ここに、すべてのことがかかっています。ここに真の父と母、真のおじいさん、おばあさん、真の夫婦、真の子女がいるのです。天国にあるのではありません。ここで一つになって、もっていくようになっています。人類平和の家庭、王の家庭を築き得る教材、テキストブックが、統一教会にだけあるというのです。
その教材をもってこられた方が真の父母なのです。真の父母の家庭には、真の父母のおじいさん、おばあさんもいらっしゃり、真の父母の息子、娘もすべているのです。その真の父母様は、どのようなことをされるのでしょうか。世の中の国は、すべて滅びていきます。アメリカも滅び、イギリスも滅び、韓国も滅びる兆しでいっぱいでしょう?
真の父母は、家庭を収拾して国を収拾するのです。この二つの責任が真の父母にあります。真の愛と真の愛の生命の種で接ぎ木することにより、収拾し得るのです。人類が堕落したので、今日の偽りの愛、偽りの生命の種を受けました。これが野生のオリーブの木になったので、真のオリーブの木に接ぎ木して真の愛に接ぎ木し、真の愛を中心とした生命を再び受け継がなければなりません。そうでなければ、真の父母の血族になれないのです。
(238-73, 1992.11.19)


今日の既成教会では、「イエスを信じて天国に行く」と言うでしょう? 私たちは、「天国を成していく」と言います。天国は今、空いています。本然の理想的な家庭形態をもつことができず、これを成そうとしましたが成すことができなかったので、再臨時代にメシヤが来て成し遂げなければなりません。再臨主は真の父母です。そして、真の国の王、天地の王として来るのです。
(238-44, 1992.11.19)
先生は、天地の全体を代表して開拓した真の父母になりますが、それは一つの種と同じです。種を植えれば、それを中心として根から幹を経て芽が出てくるのです。
千年、万年、いつまでも大きくなるのではありません。大きくなれる時まで大きくなって、次第に縮むのです。それと同じです。種は、実を結ぶようにしてくれるのです。
(300-246, 1999.3.23)
帰ることができなかった故郷を、真の父母を中心として真の国を築いた立場で取り戻せるように、勝利的権限を下さったことが、天下を与えられても取り替えることができないほど有り難いことだということを知って、涙を浮かべながらその故郷の道を帰らなければなりません。
不平を言えばのろわれます。先祖がしりをたたくので、今後、息子、娘が平安でなくなります。皆さんに対して薬を与え、病を与える時が来るというのです。
(219-220, 1991.8.29)
私たちは、サタンから生まれた堕落した人間なので、サタンの愛から出発しました。それで、ハナニムの愛と真の父母を中心とした愛の因縁をもつことができなかったので、真の父母の息子、娘になれなかったというのです。結局、メシヤとは何ですか。真の父母です。それでは、なぜ真の父母の愛を必要とするのですか。私が真の父母の愛を通して再び生まれなければ、生命が出発できないからです。生命は、愛によって出発するのです。ところが、私たちは、堕落した生命から出発したので、これを否定して真の父母の愛と因縁を結ぼうとするので、真の父母の愛を求めるのです。それで、メシヤが必要なのです。
(65-314, 1973.3.4)
救世主、その方さえこの地に来られれば、その方の中では、ハナニムが求めてこられた個人も生き返ることができ、ハナニムが求めてこられた家庭も生き返ることができ、民族、国家、世界が生き返ることができるので、今日、道義世界を望んでいる数多くの民族は、「救世主よ、来たりませ!」と言いながら、救世主を待ち焦がれているというのです。


なぜなら、その方が完成した世界的な真の父母の立場にいらっしゃるので、私たちは、その方にさえ侍れば、真の父母の息子、娘になります。また息子、娘になって育ててもらえば、私たちも結婚して真の父母になれるというのです。
(151-194, 1962.12.15)
統一教会食口シックだけは、世界を兄弟のように考え、一つの国のように考え、ハナニムを中心として一つの血筋を受け継いだ兄弟のように考えられるのです。この運動が統一運動です。先生が今まで、40年の闘争過程で滅びなかったのも、ハナニムが願われるそのような考え、そのような思想をもっていたからです。ハナニムと同じ立場にいるので、保護を受けて滅びないのです。それと同じように、皆さんも自分を中心として考えるなというのです。
このすべての国境を越えて、ハナニムの息子、娘の代わり、真の父母の息子、娘の代わりとして生きるようになれば、今後、成されるすべての版図は、皆さんのものになるのです。
(224-338, 1991.12.29)
ハナニムの理想が分からず、統一の概念が分からない者たちは、地獄に落ちるのです。彼らは、恥ずかしい姿になってしまうのです。皆さんは、子女です。今、この時の皆さんは、子女になるのです。旧約時代には兄弟でした。兄弟として長子権を復帰する、そのような時代は過ぎました。メシヤの心情は、父母の心情です。祝福を受けて、周囲の堕落した人々を一度、見回してください。サタンは滅びていくのです。
(189-278, 1989.5.1)
歴史上のいかなる聖人、賢哲、いかなる孝子、忠臣であろうとも、私がハナニムを愛することにおいては、彼らとはその根本が違います。私は、世の中を中心としてはいませんでした。
完全に新しい次元において、ハナニムの本然的愛を中心として、本然の愛による生命と一つになり、その生命と一つになった血統の因縁を自分が伝授されて、ハナニムが「私の息子、娘を抱いた家庭だ」と誇れる家庭が、今日の堕落した世界には一つもないというのです。家庭を夢見て、それを成すために送った方がメシヤであり、これがメシヤの使命なのです。
(206-59, 1990.10.3)
真の父母は、家庭を収拾するために必要です。サタンが家庭を破綻はたんさせてしまったので、その混乱した家庭を収拾するために救世主が必要なのです。
サタンが国を滅ぼしてしまったというのです。家庭を破綻させて国を滅ぼし、ハナニムの家庭とハナニムの国を永遠に編成できないようにすることがサタンの最高目的です。ですから、家庭をサタンから奪ってくるために真の父母が必要なのであり、サタンが滅ぼしてしまったものを奪って、ハナニムが願う国をつくるために救世主が必要なのです。
(237-21, 1992.11.10)
皆さんが知っているように、レバレンド・ムーンの夫婦は、「真の父母」という言葉で全世界に知られています。今日、私たち夫婦が本当に真の父母として、真の愛、真の生命、真の血統によってハナニムと連結したことが事実ならば、この地上には、平和を成し遂げた「真の家庭と私」から解放と自由と統一と幸福の天国が芽生えてくるということを記憶してくださるようお願いします。
(270-246, 1995.6.7)


ハナニムが愛の理想を中心として、解放された位置に堂々とお立ちになり、「私は解放された天地創造の主人である!」と言って万歳をお叫びになられるためには、地上で真の父母を中心として愛の因縁を、血縁的関係を結ばなければなりません。また、そこで血縁的関係を結んで生まれた息子、娘がいなければなりません。その息子、娘を中心とした家庭によって一つの国家、世界まで形成することが、創造主と全人類の歴史を通じた希望の基準だということを知らなければなりません。
(202-198, 1990.5.24)
父母の中の真の父母がハナニムです。ハナニムは、私たちの真の父母だというのです。真の家庭の王、真の国の王、真の世界の王が私たちの父母様だというのです。その方に侍り得る千年太平時代を迎えなければなりません。韓国の「月よ、月よ、明るい月よ、李太白イテベクが遊んだ月よ・・・」という歌のように、この地上で父母様に侍り、千年、万年生きたいという、そのような希望を成し得る統一教会員各自の使命と、召命的目的があるということを知らなければなりません。
(277-89, 1996.3.31)
天地に運動する数多くの存在物の価値基準を決定し得る核心であり、中心が真の父母です。すべての存在の希望の価値を決定し得る要因が真の父母だというのです。したがって、ハナニムが常に共にいらっしゃるのです。ハナニムがそのようなお方としていらっしゃるからです。歴史的な結実を追求する原理の原因になるのであり、時代の中心であり、未来の主人がハナニムです。したがって、真の父母は、ハナニムが臨在なされる中心本部なのです。
(30-237, 1970.3.23)
真の父母は、ハナニムの体です。私たちに良心と肉身があるのと同じように、宇宙の原点、最初の出発点はハナニムと真の父母です。人を例に挙げれば、ハナニムはアダムとエバの心です。それが平面的な心ではなく、立体的な心です。その立体的心と平面的心が自分の位置を決定することは、それ自体では不可能です。愛の力によって永遠の位置を決定するのです。真の愛の出発は、そこからなされます。そのようになる場合には、すべて一体です。良心に苦痛があるときには、肉身も苦痛を感じます。避けることができません。一体です。
(192-200, 1989.7.4)
真の父母という人は、ハナニムの心の中における息子の中で、最高の息子だというのです。永遠の相対完成した息子として、その息子の歴史は、このようになってこそ永遠の息子が生まれるというハナニムの教本となるものであり、そのような歴史を残した息子だというのです。
(232-138, 1992.7.3)
ハナニムが見ていらっしゃるレバレンド・ムーン、真の父母の価値と、皆さんが知っている価値とは、天地の差です。原理的な観点で、あまりにも差があります。ハナニムの立場で見れば、レバレンド・ムーン、真の父母というものは、歴史が始まって以来、創造の時代から願ってきたことです。真の父母というものは、堕落した人間たちが願う前に、創造されたハナニムが願われたものです。創造する前から願われたものなのです。創世以前にハナニムが願われた目的だったというのです。


それでは、この被造世界は何億万年などと言いますが、何千万年の歴史を経ながら、創世以前の理想をこの地上に実現するために、あらゆる努力をしてきたのが今までの宗教歴史です。それが主流宗教の歴史だというのです。ユダヤ教は第1次選民、キリスト教は第2次選民、統一教会は第3次選民圏を通して出てくるのです。長い歴史時代を通して多くの犠牲者を出したのは、その一つの目的を再び取り戻すためなのです。
(248-138, 1993.8.1)
真の父母にはハナニムの愛が宿っています。今まで私たちが考えることもできず、夢にも考えることができなかった、そのようなハナニムの愛が宿っています。ハナニムの愛を中心として父子の因縁が連結するのです。それゆえに、皆さんが祈祷するときには、ハナニムを直接呼ぶのではなく、真の父母を通さなければなりません。皆さんが祈祷するとき、最後に真の父母の名によって祈祷するということは、簡単なことではありません。習慣的に感じる、そのような簡単な内容ではありません。
そのような内容が成される一つの起点は、天上ではなく地上だというのです。それで、地上で新しい天地が展開することを皆さんは知らなければなりません。真の父母との因縁は、霊界のような漠然とした世界ではなく、地上で連結します。真の父母は、実体を備えて地上へいらっしゃるというのです。ですから、真の父母は、私が呼べば返事をしてくださり、私が難しい立場にいれば同情してくださるのです。このように平面的な途上において、真の父母に出会えるということが、人間にとってどれほど幸福で楽しいことか分かりません。
(31-77, 1970.4.19)
地上に生きなければならない人々は、本来、ハナニムの真の愛から生まれ、真の父母を通して真の子女を中心とした血縁関係を経て、この血縁的基盤を縦的として、世界に拡大しておかなければならなかったのです。そのような主体的家庭を中心として、相対的家庭によって連結した世界像、すなわち地上世界と天上世界が成し遂げられなければならなかったのです。これがハナニムの愛を中心とした創造理想世界です。
(184-195, 1989.1.1)
皆さんの中心は、イエスを中心とした真の父母です。歴史的な万民は、真の父母を中心として一つにならなければなりません。ここから未来の伝統的起源が立つようになります。統一することのできる伝統の起源は、ここからだというのです。3数の中心がここからです。それでは、私たち統一教会員は、どのような群れですか。真の父母の教理を教わり、真の父母の息子、娘になる群れです。真の父母の息子、娘にならなければならないという教理を教える所は、統一教会しかありません。
それゆえに、統一教会は、歴史が探し求めてきた中心である真の父母に侍り得る所です。時代が要求する中心である真の父母に侍り得る所です。未来の起源となり得る真の父母の因縁を、私が相続できるというのです。したがって、私は、歴史的な結実です。私は、時代的な中心です。未来の起源となるのであり、先祖になるのです。真の父母の心情と一致できる因縁を結んでこそ、そのようになるという事実を知らなければなりません。このような心をもって、このような祈祷をすれば恥にはなりません。


これを何によって統合するのですか。真の父母の愛によって統合させなければなりません。誰に統合させるのですか。息子、娘に統合させなければなりません。その息子、娘とは誰ですか。真の父母の愛を中心とした息子、娘です。別の言い方をすれば、堕落していないアダムとエバが生む息子、娘と同じです。
ここから天国の息子、娘になり得るのです。したがって、今日、3時代の愛の因縁をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、歴史過程をさかのぼっていき、その位置を取り戻さなければなりません。
(26-199, 1969.10.25)
真の父母と生活すれば、どのようになりますか。個人的な生活、家庭的な生活、宗族的な生活、国家的な生活、世界的な生活、天地においての生活、ハナニムに侍る生活、すべてが通じるのです。皆さんが真の父母の家庭を中心とすれば、宗族も皆さんの家庭であり、民族も皆さんの家庭です。私の家庭です。民族も私の民族であり、国家も私の国家であり、世界も私の世界であり、天地も私の天地であり、ハナニムも私のハナニムだというのです。このような観念を知らなければなりません。すべて真の父母と一つになっているのです。
真の父母は、ハナニムと一つになっているのですが、ハナニムは世界人類と共に生きようとされるのであって、一つの宗派と共に生きようとはされないのです。
宇宙と共に、理想世界全体と共に、その愛を中心として生きたいというのがハナニムの創造理想であり、ハナニムの家庭を中心として始まる生活方法です。
(287-142, 1997.9.14)
霊界に行けば、アダムとエバがハナニムの形状に似てハナニムと一つになるのと同じように、皆さんが真の父母を通さなければ、ハナニムの形状を完全に受け継ぐことはできません。また、ハナニムがアダムとエバを中心として愛の世界を成し遂げられなかったので、真の父母を通して愛を再現させるのが復帰です。
(107-173, 1980.4.27)
今、すべての父母が「レバレンド・ムーンが真の父母ならば、私たちは何だ」と言いながら大騒ぎです。聖書を見れば、来られる主は真の新郎だといいます。それでは、自分の新郎は何になるのですか。それは偽りの新郎です。そのようになるのです。聖書には二人の人の話だけが出ています。一人は新郎、一人は新婦です。本然のエデンの園における理想的な新郎はアダムであり、新婦はエバでした。彼らは、ハナニムが造られた理想的なカップルだったのです。
(203-98, 1990.6.17)


かわいそうなアメリカの家庭に、真の父母を教えてあげたという事実は驚くべきことなのです。真の父母を知るようになったという事実は、驚くべきことです。また真の兄弟、真の家族を取り戻したという事実は、驚くべきことです。真の家庭、それ自体をアメリカが本当に願うのであり、真の世界が願うのであり、真の宇宙が願うのです。ところが、アメリカの人々は、父母の愛を知ることができません。それが恨です。
(149-304, 1986.12.14)
王は、自国の家庭のために自らの息子、娘を犠牲にし、王自身が犠牲にならなければなりません。そのように犠牲にしてでも、自らの民を食べさせて生かす責任を果たす人が善君です。
それゆえに、母と息子が一つになり、王と一つになるのです。そのためには、この王が父母の愛をもって、よく食べさせるために、すべてを投入し、投入し、投入しなければなりません。それが善君です。
(278-173, 1996.5.5)
真の父母になれば真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の宗族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。その中で「真の父母」という用語が最も重要です。
(125-117, 1983.3.14)

 

2) ハナニムは縦的父母、真の父母は横的父母

まことの父母は、ハナニムが創造される前、ハナニムの心の世界から始まったというのです。ハナニムが創造されたすべての理想は、真の父母を中心とした愛の理想を表題として始まったので、真の父母は、創造前からハナニムが願われた希望の言葉だということを知らなければなりません。
真の父母を探し出すために、ハナニムの摂理路程において数多くの人々が犠牲になったという事実を知らなければなりません。ハナニムは、数多くの宗教を立てて摂理してこられました。宗教の中では、天使世界の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、庶子的な宗教、養子的な宗教、庶母しょぼ的宗教、養父母的宗教、それから真の母の宗教、真の父の宗教があります。
新教と旧教が、ハナニムの摂理の全体的なみ旨に合わせて世界を指導する責任を負ってきたすべての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、一つの平和世界を成し遂げなければなりません。一つの平和世界を追求するハナニムのみ旨を完成させようという数多くの宗教が現れたのですが、その主流宗教がキリスト教だったというのです。
キリスト教は、何を教えるのですか。真の父母と愛を教えるのです。イエス様に関しては新郎だという話を教えてあげ、兄弟だという話を教えてあげ、ハナニムに関しては父母だという話を教えてあげました。家庭的理想を中心とした内容を全面的に備えたものがキリスト教なので、そのキリスト教は、ハナニムが理想とされる家庭を全面的に完成させられる内容を教えてくれたというのです。それゆえに、数多くの宗教を越えて、キリスト教だけが世界を統一したのです。
それでは、再臨主とは誰ですか。エデンで真の父と真の母を失ってしまったので、真の父としてこの地に来られ、真の母を立て、ハナニムとの心情的一体を中心として、血統的一体、血肉の一体を中心としたハナニムの家庭にならなければなりません。ハナニムをお迎えして暮らせる第1次の家庭が、メシヤの家庭だというのです。メシヤとは、完成したアダムの位置をいうのです。完成したアダムとエバが夫婦となり、ハナニムをお迎えして暮らし、ハナニムを中心とした息子、娘を生んで、ハナニムの一族を生み、この地上で生きて、ハナニムと共に天上世界へ移っていくのが天国だというのです。
(282-51, 1997.3.10)


見えない針の先端がハナニムならば、見える先端は私たち人類の先祖です。それで、ハナニムは垂直的な父母です。そのようなハナニムが霊界で息子、娘を生めばどれほど良いでしょうか。しかし、霊界では生産ができないのです。
ハナニムはなぜ、横的な父母、アダムとエバを造られたのですか。アダムとエバは、天国の民を生産するための生産工場として造られたのです。なぜなら、垂直には一つの焦点しかないので生産できないのです。中心で生産すれば、どのようになりますか。今までのすべてのものを押し出さなければならないという結論になるのです。そのように、垂直には一点しかないので生産が不可能なのです。
(214-204, 1991.2.2)
赤ん坊は、ハナニムが生むのではありません。真の父母を通して生むのです。横的な真の愛の父母の位置に立った方が誰かといえば、今日の統一教会でいう真の父母です。ハナニムの前に、縦的な愛を中心とした真の父母の前に、90度を備えた横的な愛をもった方が真の父母です。それゆえに、二つの父母の愛が必要なのです。一人のお方は、創造主である父母であり、一人のお方は、被造物の、ハナニムの対象として理想を描きながら造られた肉的な父母です。それゆえに、ハナニムは心的な父母の位置にいらっしゃり、真の父母は肉的な父母の位置にいます。このように、縦的な愛と横的な愛を中心として生まれなければならなかったのが人間でした。
皆さんも、これに似なければならないので、自由に縦的な愛に似るようにするために「縦的な私」がいるのです。それが心です。今まで心が分かりませんでした。仏教でも心を知りません。しかし、統一教会では心を知っています。ハナニムの創造理想を通して縦的な愛の前に、横的な愛を中心として、それから前後の愛、球形的な理想を描いてこそ、東西南北に通じる力の消耗がなく、いつ作動しても良いことばかりであって悪いことはないというのです。相克がないというのです。
(182-258, 1988.10.23)
皆さんの心は縦的な私であり、体は横的な私です。真の愛を中心として、この点で一つになるのです。そうでなければなりません。皆さんの心と体は闘うでしょう? なぜですか。堕落したからです。これがどのように一つになるのですか。真の愛がなくては一つになりません。ここで、ハナニムのように真の愛を通して一つになれば、そのまま天国に行きます。救世主が必要ないのです。そのまま入っていくのです。
(201-123, 1990.3.27)


天の王は縦的な中心となって心の位置に来て、地上の王は体になるのです。それゆえに、完成したアダムとエバの理想的結婚式は、ハナニムが中心になり、アダムとエバが体となってする結婚式です。それがハナニムの結婚式であり、アダムとエバの結婚式だというのです。
(245-89, 1993.2.28)
カインとアベルが一つになってハナニムの前に帰る時、初めて横的基盤が築かれるのです。ハナニムの前に帰ろうと思えば、どのようにしなければなりませんか。真の父母を通して行かなければなりません。
このように完全に一つになったその場を中心として、主である真の父母が来る時まで引っ張ってきた歴史がキリスト教歴史です。それが霊的なキリスト教歴史だというのです。
(34-93, 1970.8.29)
皆さんも先生が行く天国に行こうとするなら、資格がなければなりません。それをもとうとすれば、先生のみことばどおりに一つでもしなければなりません。それによって皆さんがどのようになりますか。皆さんが真のハナニム・真の父母・真の国・真の世界・真の天国を中心として、愛で連結される価値をもつようになります。ハナニムを、私個人の父であり、家庭の父であり、その次には国の父であり、世界の父であり、全天地の父として侍り得る権限を得るというのです。
言い換えれば、ハナニムを私の個人的な父として侍ることができ、家庭的な父として侍ることができ、宗族的な父として侍ることができ、民族・国家・世界的な父として侍ることができる権威を相続されるというのです。それは、父母になるためのハナニムであり、父母の立場にいらっしゃるハナニムだからなのです。
それで、個人のハナニムであると同時に、個人の父であり、家庭の父であり、宗族の父であり、民族の父であり、国家の父であり、世界、天の国の父だというのです。それは世界でも同じであり、霊界でも同じです。
(98-224, 1978.8.1)
先生のものは、私のものではありません。これは人類のものであり、ハナニムの愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴ざんそ圏から外れた、本然の所有決定の条件基地だと考えるのです。アベル、天の側の愛を中心として相続された所有物だというのです。初めて地上に、真の父母を中心としてハナニムの所有が生まれるのです。それゆえに、統一教会では、物を買ったなら売ってはいけません。必ず真の父母様が手放すという方式を経なくてはいけません。それゆえに、先生が一度買ったものは乞食こじきになっても売ろうとしないのに、それを売り飛ばした者たちは、あとですべて法に引っ掛かるのです。
真の父母は、ハナニムの愛と一つになった所有の決定を受けました。この横的な祝福を受けた家庭に、父母の位置に進んでいける道がなければなりませんが、そのような愛を中心とする所有の決定を父母から受けることができませんでした。


ところが、「父母の日」を共に記念することによって、皆さん自身にも、今まで万物から子女、このように逆に上がっていったものが、この直接主管圏時代に来て平面で連結するのです。ここで個人・家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙、この7段階の形態がすべて成され、中央線に連結されなければなりません。それは、男性の7段階、女性の7段階を中心として、すべて連結するためなのです。
(137-270, 1986.1.3)
救世主がこの地上に来られる時は、自らの新婦を取り戻されるというのです。真の女性を取り戻さなければなりません。真の女性を取り戻すことによって、ハナニムを中心として歴史上初めて、堕落しないで完成できる縦横が連結するのです。内的天の父と外的真の父母を通して初めてこの地に着陸して、天国と直通する道が連結するのです。
先生は、歴史始まって以来、世界人類の中で、最も多くの迫害を受けた人です。多くの反対を受けた人です。一つの時代において、個人的にも世界的迫害を受けなければならず、家庭的にも世界の迫害を受けなければならず、それから宗族も同じです。
統一教会の宗族は、世界の祝福家庭を通して全世界160ヵ国のすべての民族に接ぎ木しなければなりません。それを復帰していくのです。宗族的に、それから民族的に、その次には国家的にしていくのです。
(176-332, 1988.5.13)
皆さんは、先生が世界的条件を中心として勝利した基盤の上にいるので、先生の心情を受け継がなければなりません。その心情を受け継いで、「私は真の父母の息子、娘に間違いなく、アベル的立場に生まれたが、この世界のカインを屈服させることは間違いない」と言うことができなければなりません。なぜなら、それは霊的な面において完全に勝利の基盤を築いたので、実体圏にある力は消えるようになっていて、押せば、退くようになっています。
(100-319, 1978.10.22)
皆さんは、ただの一個人ではありません。「自分は世界全体を代表した中心だ」という観念をもてば、それがそのようになるのです。誰でもそのような考えをもって世界を代表しています。息子、娘は父母を代表していて、父母はその一家を代表しています。同じです。感謝しなければなりません。
「摂理は自分のためのものだ」というその内容は、簡単なものではありません。自分が負債を負っていくことなので、四方を見回せないほどの恥ずかしさを感じなければなりません。一時でも、そのような過程を通過しなければなりません。父母によって自分が生まれたことを幸運だと考えて孝行したとしても、すべての歴史が自分のためにそのようになったと考えれば、その孝行した以上に国と世界を愛さなければなりません。そのような関係をもって行かなければできません。そのような主体性をもった息子、娘が、真の父母の息子、娘になり得るということを記憶してくださるようにお願いします。
(251-47, 1993.10.15)


今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も生きています。本来は、真の父母の血肉を通して、ハナニムの愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になったので、私たち人類始祖が誤ったことを、すべて解怨成就してあげるために再び来られる父母が再臨主であり、救世主だというのです。ですから、その方が来られて、先に生まれた長子を復帰しなければなりません。その長子が庶子のようになりました。血筋が変わりました。庶子と同じです。本然的愛では、ハナニムの血統を受けたのですが、堕落することによって、他の血筋を受け継ぎました。だからといってハナニムが捨てることはできません。
(210-360, 1990.12.27)
皆さんが労働することは、創造です。一生働いても疲れを感じないで、ハナニムの愛の世界に接触することができ、ハナニムを慰労し得る道を訪ねていくことが愛の一生だというのです。ハナニムが創造されたものを、私が趣味として、楽しく天の記念品にしていくと考えて生きなければなりません。
それで、真の父母様がそのように自然を訪ね、海という海、五大洋六大州、川という川、山という山、景色の良い所をすべて実地調査しながら生きるのです。
皆さんも、そのようにハナニムの愛をもって自然の嘆息圏を解放させるという真の父母の生活に従っていきますか、都市にいて自分個人を中心として環境を破壊し、公害を起こし、子女の情緒的側面を発展させる道を妨げる父母になって生きるつもりですか。このようなことを比較してみるとき、先生がこのように自然を愛していった道を統一教会食口シックたちは自然に従っていくので、都市分散、自然化した都市世界、自然と和合し得る理想的天国が可能だというのです。
(288-72, 1997.10.31)
ハナニムが生きていらっしゃるということが本当に実感できます。韓国の独立万歳運動の指導者が33人です。韓国の反対側がウルグアイですが、ウルグアイの独立軍指導者も33人です。南米の国も33ヵ国で、今、私がジャルジンに行って仕事をしていますが、そこも都市が33だというのです。本当に不思議です。その周囲にある主要都市が33だというのです。それは本当に不思議です。摂理のみ旨を見れば、ハナニムが生きていらっしゃるからそうなのです。ですから、33人にしなければいけません。自分まで入れれば34人です。重要です。国家的メシヤと、何が何でも一つにならなければなりません。不平を言ってはいけません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなさいというのです。
(281-245, 1997.2.14)

 

3) ハナニムを解放する真の父母

悲惨にも、ハナニムが理想とされたまことの家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えました。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結ばれた不倫なる愛の結果から始まりました。


個人を復帰して、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただ、この真理だけが、争っている教派を一つに統一することができ、また地上天国を成し得るという事実を知っている私は、50年前にこの啓示をキリスト教徒に明らかにしました。私は、もう一つの分離した教派をつくる意向は絶対にありませんでした。
しかし、ハナニムのメッセージは、既成教団から拒否されて迫害を受けました。私は、やむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、過去43年の苦労がそれでした。1954年、韓国で「世界基督キリスト教統一神霊協会」として出発し、日本・アメリカ・ヨーロッパ、そして、全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に私たち夫婦は、多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術・言論・宗教・芸術・産業分野等で扱われ、この世界を蕩減とうげん復帰し得る標本と典型をつくろうと努力しました。
(288-168, 1997.11.27)
エデンの園で失ってしまったすべてのものをどのように復帰するのか、これが先生の還故郷という考えです。故郷へ帰らなければなりません。それで、宗族的メシヤと国家メシヤを派遣しました。ハナニムは、イエスという一人のメシヤしか送ることができませんでした。そのメシヤは、宗族を解放するメシヤでした。今この時に、先生は、ハナニムの立場で185ヵ国に国家メシヤを派遣しました。その国家メシヤは、イエスの時の宗族的メシヤより次元が高いのです。
そのようなコンセプトがイエスの時にはありませんでした。十字架ですべてのものを失ってしまいました。家庭がなかったのです。それで、天国に入っていけず、楽園にとどまるようになったのです。本然の天国では、家庭から宗族・民族・国家へと続いていくのです。
エスは、家庭を完成することができませんでした。エデンの園でも、家庭が失敗したのでアダムが追い出されました。それを復帰するために真の父母が現れ、失ってしまった家庭以上のレベルである国家基盤の上でメシヤを派遣したのです。
(282-29, 1997.2.16)
人間が堕落することにより、ハナニムを失ってしまい、真の男性、真の女性、真の夫婦、真の子女の位置を失ってしまいました。粉々にすべて壊れました。堕落した人間は、ハナニムと一つになることができません。ハナニムに侍る真の男性と女性が一つになり、離れようとしても離れることができず、別れようとしても別れることができない真の夫婦を成して、真の息子、娘を生まなければなりません。すなわち、ハナニムを中心とした真の父母、真の夫婦、真の息子、娘となって四位よんい基台を成し遂げなければなりません。
したがって真の父母は、ハナニムをお迎えしてきて、すべての家族の中心にならなければなりません。ここでの生活制度は、万民が生活し得る生活制度であり、ここで望む国家観、ここで論議される世界観、ここで教える理念は、全世界の万民が共通してもたなければならない国家観であり、世界観であり、理念だということを知らなければなりません。


ところが、これがそのようにできないので、現在、修羅場が展開されているのです。しかし、人類は、今まで一つの門に向かって終末の時を願ってきたのです。真の父母の願いは、人類がハナニムを中心として真なる家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙を成し遂げることです。そのようになれば、ハナニムの愛までも復帰できるのです。
(19-205, 1968.1.7)
ハナニムの怨恨えんこんとは何でしょうか。民族を抱えて泣かれ、地に対して泣かれましたが、ハナニムが願われる勝利した息子を抱いて喜びの涙を流せないということが天の怨恨だというのです。すなわち、天から「あなたは勝利した息子だ」と認められる人がいないことが、天の怨恨であり悲しみです。
それだけではなく、失った息子、娘を復帰するために、そのようにさまよわれたハナニムを抱いて泣いた人が一人もいなかったというのです。
(4-290, 1958.9.14)
「神の日」において、人間として成してさしあげなければならないハナニムの願いとは何かといえば、ハナニムの真の愛を中心としてハナニムを完成させてさしあげることです。ハナニムを完成させようとするならば、人間が完全な主体の前に完全な対象の位置に立たなければなりません。それが真の父母です。また、ハナニムを真の愛を中心として解放しなければなりません。それを誰を通してするのですか。真の父母を通してするのです。このような内容を知っているので、ハナニムを解放してあげられるのです。主体的ハナニムを中心として、先生がマイナスになって一つになったのと同様に、皆さんが真の父母を中心として、実体的にプラスとマイナスになることによって、ハナニムと一つになった位置に思いのままに行けるのです。再創造原理がそのようになっています。
(275-333, 1996.1.1)
先生が祝福してあげることによって、ハナニムを中心とした一族、一国が、一世界、天上天下に垣根がつくられるので、ハナニムが解放されるのです。ハナニムの胸に打ち込まれたくぎを、地上で真の父母の胸に打ち込まれた釘を抜かなければならない責任者とは誰ですか。真の父母だというのです。
また、そのことを最後にしなければならない人が、オモニです。オモニを前面に立てて世界を巡回するのです。女性たちは全員、オモニの代わりにならなければなりません。
(301-169, 1999.4.25)
今日の歴史は、父母を取り戻さなければならない歴史的な方向に流れています。ハナニムがいらっしゃるならば、そのハナニムを中心として創造の目的を完結し得る、すなわち救援の目的を完結し得る真の父母がいて、その真の父母がハナニムに孝心を尽くさなければなりません。同時に天使たちは、その真の父母の息子、娘を中心として忠誠の道理を果たすのです。
それが本然の創造原則ですが、それが壊れてしまったのです。ですから、私たちは、それを再現させて蕩減しなければなりません。失ったとすれば、失ったその姿どおりに取り戻さなければなりません。
(15-242, 1965.10.17)


皆さんは、父母が所有する父母の息子、娘ではなく、先にハナニムの息子、娘にならなければなりません。堕落していなかったならばハナニムの息子、娘ですが、逆になっています。
今は、ハナニムの息子、娘になることができていません。ですから、真の父母の息子、娘になったという条件的基準で、根が違うのでその根を切り捨て、大木の根元を切り捨てて、ここに接ぎ木をし、先生を中心として新しい芽を連結するのです。接ぎ木をするのです。それがハナニムを解放してさしあげることです。
(166-306, 1987.6.14)
キリスト教だけでも数百の教派に分かれ、教派間で闘っています。そのように闘うところがハナニムの肢体とハナニムの踏み台になれますか。なれないというのです。そのような観点で見てみるとき、ハナニムが思いどおりにできる教派がないというのです。
それでは、ハナニムにこの地上で天国を成し遂げようという理念があるならば、ハナニムはどこに行かれるでしょうか。仕方なく一つの家庭でも訪ねていかれるしかないという結論が出てきます。それでは、父母がハナニムと直接一つになり、その父母を中心とした子女が父母と完全に一つになり、ハナニムがその家庭の唯一の主人になり、その家族が主人であるハナニムの家族になり、その家庭の所有がハナニムの所有になる、そのような家があるかというのです。
(96-15, 1978.1.1)
アダムとエバエデンの園で夫婦になることができなかったことを、歴史時代を通して克服してきたすべての結果を締めくくるものとして、真の父母を再現するその祝宴が「小羊の婚宴」です。「小羊の婚宴」を通して真の父母が結婚式をもつならば、その息子、娘もその伝統に従って結婚することにより、すべてのものを真の父母の理想に、ハナニムの願われる愛の世界に包括することができるのです。その中心から全体の環境的要件まで、自分と接触させ得る愛の解放的王子、王女として登場する家庭が、私が暮らせる私の家庭だったのです。ハナニムの家庭であり、私たち人類の家庭であり、私の家庭だったのです。それが大きければ大きいほど、ハナニムと、人類と、愛し得る国を代表するのであり、それが平等と統一がある愛の天国だったというのです。
(296-237, 1998.11.10)
アダムが堕落することにより、偽りの父母が生まれたでしょう? ですから、真の父母が現れなければなりません。偽りの父母は、サタンを根拠として生まれたので、ハナニムを中心として真の父母にならなければならない本然の創造理想が残っているというのです。
それゆえに、堕落したアダムを救い、本然の真の父母の理想を地上に実現しなければなりません。それはどのような力でできますか。偽りの父母を通して生まれたこの世界人類が、もし堕落していなかったならば、ハナニムの息子、娘になり、本来、真の父母の息子、娘になっていたのです。それが創造原理なので、偽りの愛によってこのようになったことを放棄できないというのです。
(208-303, 1990.11.21)


皆さんがいくら忠臣の家庭になったとしても、国がなくなれば何の意味もありません。国でいくら忠臣でも、国がない時は歴史に定着できる基盤がないというのです。ですから、家庭を通して国を取り戻さなければならず、国を通して世界を取り戻さなければならず、世界を通して天宙を取り戻さなければなりません。そのようになれば天宙の主人です。
ですから、個人は家庭のために投入しなければなりません。投入して忘れてしまわなければなりません。「ため」に生きて犠牲になりなさいというのです。個人は家庭のために、家庭は宗族のために犠牲になるのです。
宗族は民族のために犠牲になり、すべて犠牲にならなければなりません。民族は国家、国家は世界、世界は天宙、天宙はハナニムのために犠牲にならなければなりません。ハナニムまで行くようになれば、ハナニムも犠牲になり、私に戻ってくるというのです。そのまま流れていくのではありません。最後にハナニムに投入して忘れてしまえば、ハナニムがすべて所有され、それに愛を加えて天地の世界を私に与えてくださるのです。
(297-211, 1998.11.20)
人類の解放とともにハナニムが解放されることを知らなければなりません。皆さんの家庭が解放されることは、家庭を失ってしまったハナニムの悲しみを私が慰労してさしあげることです。一族を解放させ、一族を失ってしまったハナニムの悲しみを慰労して、一国を私が建国し、ハナニムが国を失ってしまったことから解放してさしあげなければならないのです。先生の一生は、失われた天宙を取り返して、ハナニムの悲しみを慰労するということです。私の願いはありません。私の考えはありません。絶対信仰、絶対愛、絶対服従するのです。「死になさい」と言えば直行します。死んでも戻ろうと思いません。
それで、ハナニムを完成させて、ハナニム自体を永遠にサタンから解放しなければなりません。自然監獄に閉じ込められたのと同じように、捕らわれの身になったことを解放し得る息子にならなければなりません。それでこそ、家庭で解放されなかったハンを抱かれた、かわいそうなハナニムが、「終りの日」に世界と天宙で解放され、初めて自分の姿勢を備え、ハナニムを中心とした家庭愛、宗族愛、民族愛、国家愛、天宙愛の法度を中心とした主権を立てることができるのです。
(300-72, 1999.2.21)

 

4) 真の父母は天国への通路

アダムとエバの位置が、ハナニムに代わる位置であり父母の位置ならば、先生も霊的に見れば父母の位置、ハナニムに代わって地上を代表した位置にいるのです。この地を通して霊界に行ったすべての霊人たちは、アダムとエバを追いかけていったのです。ですから、先に行った霊人たちは天使世界に属しています。したがって、皆さんを思いのままに後援できるというのです。
今、霊界に行っている霊人たちは、まことの父母を通して生まれたのではなく、偽物の父母を通して生まれたので、真の父母を協助できません。しかし、天使長が失敗したすべてのものを蕩減とうげんして、子女の位置でアダムとエバが成長しているそのような立場に対しては、いくらでも後援できるようになっています。それゆえに、霊界が協助することにより、世の中がますます短期間のうちに崩れていくというのです。
(146-312, 1986.7.20)


母、父がお互いに愛し、息子、娘を愛しながら、国を代表してそれを見せてあげ、その次には天地に代わってそれを見せてあげ、自分の親戚しんせきに代わってそれを見せてあげ、母、父を見せてあげ、兄弟を通じて見せてあげるように教育しなければなりません。これが世界から順番に下りてこなければなりません。天地を愛する標本、世界を愛する標本、国を愛する標本にならなければなりません。将来において、見せてあげられる教科書にならなければなりません。
それだけではありません。主人にしようとするので、父母の心情と、先生の心情と、ハナニムの心情を知って所有権を相続しなければなりません。教会に入ってきて再び生まれ、教育を受けて完成するのです。成長すれば、すべてのものを知るようになるのです。私も、主人の位置に立ちたいと思うようになります。すべてを相続するのです。それが主人です。どこでも同じです。それが主流思想です。こちらについていっても真の先生に会い、あちらについていっても真の父母に会うのです。すべて同じです。それゆえに、天国はどこに行っても同じだということができます。
(205-19, 1990.7.15)
皆さんが残さなければならないことは、天から真の愛、真の父母から真の愛を受け継ぐと同時に、真の血統を受け継がなければなりません。これが誇りです。それを誤れば天国に行くことができないのです。行けません。結婚というものは、それ自体が父母様の愛を受け継ぐことです。皆さんは、堕落したために真の血統をもつことができなかったのです。真の血統は、祝福によってのみ可能です。堕落した世界の根は、堕落した父母です。それで、真の父母を中心として新しく接ぎ木をし、新しい真の血統を受け継がなければなりません。そのような位置が統一教会の祝福の位置だということを知らなければなりません。
(162-63, 1987.3.27)
「重生」という言葉があるでしょう、生まれ変わるという言葉? ニコデモが夜にイエス様を訪ねてきて、生まれ変わるということに対して尋ねた時、イエスが「あなたはイスラエルの教師でありながら、重生ということも知らないのか」と答えられたのですが、重生は再び生まれるということです。生まれ変わるというのです。生まれ変わるとはどういうことですか。偽りの父母から生まれた人が、真の父母を通して再び生まれることを意味するのです。再び生まれる時、ハナニムの愛、ハナニムの生命、ハナニムの血統を受け継ぐためには、「サタン世界の愛と、サタン世界の生命と、サタン世界の血縁とは全く関係がない、それは意識にもない」と言えるようにならなければなりません。
(211-306, 1991.1.1)
堕落する時と反対に、真の父母を通して、イエス様を中心として二人が一つになって蘇生そせい・長成・完成の位置に復帰してあげなければなりません。アダムの息子、娘を霊界と肉界が一つにして、イエス様の息子、娘を一つにして、再臨時代にも一つにして、すべてここに入ってこなければなりません。このようにすることによって、アダムの息子、娘になるというのです。
(219-241, 1991.9.8)


皆さんには、父母がいて、息子がいて、万物がありますが、家庭教会はこのような姿を拡大させたものです。アダムが堕落により、この三つを失ってしまいました。ですから、この三つを一度に取り戻し、ハナニムに捧げなければなりません。失われたものを取り戻し、真の父母を通してハナニムに捧げようというのです。ですから、ハナニムを経てこなければなりません。失われたものを探してあげ、ハナニムが所有され、父母から再び相続しなければなりません。それでこそ皆さんの家が生じ、皆さんの世界が生じるということを知らなければなりません。その基台が、正に家庭教会です。これは何かというと、祭物です。これは、一つの祭壇です。ここで三大祭物を捧げるのです。
(101-338, 1978.11.12)
自らのものをすべて自分の所有権にはできないのです。自らの所有権をもてばサタンです。私のものという心をもてばサタンです。本来のハナニムのものとして帰らなければなりません。帰るには、そのままでは帰ることができません。天使長を通して、エバを通して、アダムを通してハナニムに帰るのです。それは何かというと、真の父母を通して帰らなければならないという意味です。皆さんが着た服も、皆さんのものではありません。
家庭を築くためには、皆さんに所有権や所有観念があってはなりません。私は誰々の父だ、という所有権を越えなければなりません。私は何をもっている、という所有観念を越えなければなりません。これがすべてハナニムの所有になり、そして、ハナニムが本来人間をすべての万物の主人として造られたので、真の父母を中心として真の父母の所有の系統を通したのちに、3段階ごとにハナニムに公証され、真の父母から皆さんが所有権を伝授されて、初めて皆さんの所有権時代が来ることを知らなければなりません。
(120-208, 1982.10.16)
皆さんが天国の所有を受けるためには、皆さんの財産、息子、娘、皆さんの一身、すべてを捧げなければなりません。旧約時代型、新約時代型、自分自身をすべてハナニムの前にもっていって所有権を決定し、「あなたの家庭は私の家庭であり、あなた方はすべて私のものであり、あなたの息子、娘は私の息子、娘である」と言うことができ、ハナニムの物、ハナニムの息子、娘、ハナニムの分身という公認を受け、ハナニムが「今はもう必要ない」とおっしゃり、真の父母を通して、父母様を通して、母を通して、息子を通して相続する時、初めて皆さんにおいて天上世界と地上世界の所有権が決定するのです。愛の所有権ではなく、万物の所有権が決定するのです。
堕落の愛によって、すべてのものが堕落の所有として決定したのと同じように、本然の愛によって、すべてのものに対する所有権が決定するというのです。
(121-254, 1982.10.27)
所有権をハナニムに返してさしあげるためには、真の父母の名前を通さなければなりません。真の父母の名前を通さずには帰る道がありません。それゆえに、世界統一は統一教会を中心として成就せざるを得ません。手をつけなくても、争ってより早く入籍しようと列を成して待つようになるのです。最初になるか、2番目になるか、3番目になるかを争いながら、必死になって闘う時が来るでしょう。
(198-242, 1990.2.3)


個人が行く道も真の父母を通して、家庭が行く道も真の父母を通して、宗族の道も真の父母を通して、民族の道も真の父母を通して、国家の道も真の父母を通して、世界の道も真の父母を通して、天国に行く道も真の父母を通して行かなければなりません。そのような道を真の父母が築くために、一生を懸けて受難の道を歩いているという事実を知らなければなりません。
(129-18, 1983.10.4)
真のアダムは、真の父母です。真の父母の言語は、真の子女が真の父母を通して引き継ぐ言語です。それが原理です。真の父母は、レバレンド・ムーンとして来たのではありません。天から来たというのです。ハナニムから来たというのです。それゆえに、ハナニムが分からない人は、真の父母が分からないとみなすのです。
(129-20, 1983.10.4)
皆さんが生んだ息子、娘は、ハナニムが4000年間準備して生んだメシヤ、イエスより立派になれる息子、娘です。イエスの母、父がいるならば、その母、父が祝福を受けてイエスを生みましたか? 皆さんは、真の父母を通して祝福を受けて生みました。
(146-22, 1986.6.1)
祝福は、先生の主張ではありません。すべてハナニムが教えてくださるとおりに処理し、このような論理体系を間接的につくりました。私がもともと分かっているならば、私の口で話をします。どのようにも否定する道理がないのです。
(231-155, 1992.6.2)
復帰するためには、母の腹中で絶対的に一つになり、母、父が率いた世界の人と絶対的に一つにならなければなりません。それは、女性が一つになるようにしなければなりません。女性が堕落することにより、真の父母を失ってしまい、ハナニムまで失ってしまいました。今、女性が復帰されることにより、ハナニムと真の父母を知ったので、その真の父母と完全に一つにならなければなりません。真の父母を通して生まれなければならない全人類が、偽りの父母を通して生まれ、偽りの父母になったので、女性が彼らを真の父母のように愛し得る運動を起こしてこそ、世界は復活して解放が展開するのです。その運動が「世界平和女性連合」の運動です。
それで、世界的な基準で家庭と相対するのです。家庭では、母と息子、娘が一つにならなければなりません。そして、父と一つにならなければなりません。ところがこの父は、偽りの父だというのです。ですから、真の父が来られれば、この真の父母を中心として一つになり、母と息子、娘が偽りの父を教育しなければなりません。そして、一つになって本然の家庭を復帰するのです。母と息子、娘が父を救ってあげなければなりません。
(244-161, 1993.2.1)


地上に生まれたすべての人間の中で、真の父母を通して生まれた人は一人もいません。真の母・真の父・真の父母の血統を受けずに生まれた者は、天国に入っていく道がないというのです。
ハナニムの創造理想から見れば、真の父母の血統を受け継ぎ、真の父母を天上天国、地上天国の王権の主人として仕え、親族圏内で愛を中心として真の父母様と共に暮らし、自分も結婚して子孫を残し、そのまま移って行くところが天国です。ですから、皇族圏の愛を中心として、体恤たいじゅつした経験をもたない人は天国に入っていくことができないのです。
(250-49, 1993.10.11)
勝利した真の父母と、国家的に祝福を受けた家庭が一つにさえなれば、その国が帰ってくるようになります。国連で真の父母と国連の各国が決定さえすれば、1日で復帰できるのです。そうすれば、祝福さえしてあげればよいのです。堕落は、結婚式を間違ったのです。
ハナニムと真の父母を通して、正しい結婚さえしておけば、完全に復帰するのです。来られる再臨主がすべてのことを勝利したので、思いどおりにしても、サタンはこの横的な線を侵犯することはできません。
(255-20, 1994.2.27)
サタンが最も無念で悔しいこととは何かというと、皆さんが真の父母に出会ったという事実、その次には、真の父母が皆さんに、「皆さんが真の父母の息子、娘だ」ということを教えてあげたことです。このように教育することを最も嫌い、最も恐れます。ですから、その伝統を見習うことが問題です。
(66-142, 1973.4.22)
皆さんの希望がほかのところにあるのではありません。真の父母の息子、娘になるのです。真の父母の息子、娘となり、真の孝子、孝女になるのです。その真の父母が、今後、天下を中心として地上の万王の王になるのです。それゆえに、人類の希望や歴史の希望、時代の希望、すべての希望の中心が結実できるところがここです。
(46-167, 1971.8.13)
原理から見れば、真の父母の愛が、成し遂げたその基盤の上で、万物が支配されるようになっているので、このような愛の内容を皆さんが決定的に備えたのかという問題が、何よりも重要な問題です。
(67-148, 1973.6.1)
養子が直系の位置に行こうとするなら、アダムとエバの時代に天使長がもった心情的なすべてのものを蕩減しなければなりません。猜忌さいきというものを蕩減するためには、信仰の息子、娘が信仰の父母の腹中にいる息子、娘を、自分の生命より貴重に思い、愛さなければなりません。その次にサタン世界を取り戻さなければなりません。このような内容は、すべて本質的な内容です。
それは、皆さんが先生の息子、娘を愛さなくては入っていくことができないという意味です。腹中から愛したか、尋ねてみなさいというのです。
先生を愛して、ハナニムのみ旨をもっと愛して、腹中から私の息子、娘を自分の体よりも愛したのですか。問題は、自分より愛したのかということです。イエス様は、「自分の息子、娘より、自分の家族よりも、私を愛したのか」と言いました。これをしなければ行くことができません。それが引っ掛かっていれば、今からでも3年間で蕩減しなければなりません。
(127-128, 1983.5.5)


エス様が宗族的なメシヤとして立つためには、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つになった基台をつくらなければなりません。そして、国家を蕩減しなければならなかったのですが、それができませんでした。しかし、統一教会は、この国家に対して蕩減できる民族的基盤を築いていっています。今は、宗族時代が過ぎた基台の上にいます。一つは真の父母様に侍ったということであり、また一つは真の父母の息子、娘という名前をもったということです。子女になれるというのです。それは、本当の子女ではなく庶子です。養子は血筋が通じていないのですが、庶子は血筋が通じるのです。そのような位置に立つことなくしては、この世の中を救う道がありません。言い換えれば、宗族圏を越えて民族圏に向かってきたというのです。その圏内において、皆さんが祝福を受けました。
(141-209, 1986.2.22)
ハナニムが万物をつくられましたが、主人になれずにいるというのです。本来、万物は、愛を通して、愛と一つになるその場でハナニムの所有として決定します。ハナニムの所有として決定した真の父母様を中心として、その真の父母の愛と因縁をもった基盤のもとで、真の父母の子女も愛の中から出てくるので、真の父母の息子、娘の所有圏が展開し、その息子、娘の所有圏を通して一つになり得る万物の基盤が愛と連結するとき、その息子、娘の所有物が出てくるようになるのです。
(166-286, 1987.6.14)
エスとアダムの解怨かいおんを成就しなければなりません。イエスが失敗し、アダムが失敗して父母になることができなかったので、それを解怨成就しなければなりません。それで、3代のために生きなければなりません。おじいさんから3代です。アダムが蘇生であり、イエスが長成であり、真の父母の息子、娘まで、3代圏を連結しなければなりません。これは不可避なことです。
(212-54, 1991.1.1)
「真の父母の日」が展開することによって、「真の子女の日」が生じ、「真の家庭の日」、「真の国家の日」、「真の世界の日」、「真の天宙の日」、真のハナニムの解放まで連結されるというのです。それゆえに、どの時代であっても、「真の父母」の名がなくては連結することができないという事実を知らなければなりません。
皆さんの目は、先に真の父母に会いたかったというのです。どれほどこの目が涙を流したか分かりません。鼻が真の父母の胸で、真の父母のにおいをかいでみたかったというのです。偽りの父母に会ったことを、どれほど嘆いたか分からないというのです。口が真の父母の話をして、真の父母の乳を飲みたかったのですが、偽りの父母のうそを学び、偽りの伝統を立てたのです。この耳が真の父母の話を聞いてみたかったというのです。この手が真の父母の胸を触って、真の母と真の父を引き寄せられる手になりたかったのですが、偽りの父母と怨讐おんしゅうもてあそばれ、ハンを抱いた手になったのです。広げようにも広げることができず、握ろうにも握ることができない恨の手になったことを知らなければなりません。


永遠に真の父母に侍り、出発と同時に永遠に分かれることのない真の父母の伝統を受け継ぎ、そこに満足感を感じて生きなければならない体であり心だったのですが、歴史の恨をもって悲惨さと怨恨えんこんを抱き、嘆息圏内から抜け出すことができない心と体になったという事実を知らなければならないというのです。この地球ぼしのすべての地も、真の父母に踏んでもらうことを希望するというのです。真の父母の息子、娘が踏んでくれることを希望するのです。
(268-164, 1995.3.31)
ハナニムが、家庭から所願成就できる道を計画されたので、真の父母を願われたのです。
真の父母の考えから真の父母を創造され、真の父母の愛とともに一致することを願われました。そうです、蘇生・長成過程を経て成熟し、アダムとエバの結婚式が、ハナニムご自身の結婚式として、人間とハナニムの愛が定着できる一つの焦点を合わせなければならないというのです。
(282-290, 1997.4.7)
ほかの父親には真の愛がありませんが、レバレンド・ムーンは真の愛をもっています。それで、白人も喜び、黒人も喜び、万物も喜び、天地もすべて喜ぶというのです。私たち統一教会の家庭には、真の父母、真の子女、真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界、真のハナニムがいるということを知らなければなりません。そして、永遠に変わらない真の血統をもっています。人は、真の血統の橋を通じて、すべて愛で連結されています。愛を中心として、ここから始まり、ハナニムまで、すべて真の血統です。真の家庭は、一つの言語と文化をもつのです。文化は、言語を意味するのです。文化は、言葉によって、言語によって形成されます。
(162-138, 1987.4.5)
新・旧約聖書をすべて捨てても、真の父母を求めなければならないという事実を知らなければなりません。真の父母をもたなければならないということなのです。それで、真の兄弟が出てきて、真の国が出てきて、すべて出てくるのです。それで、世界的な因縁を通じて基盤を築き、その父母が出てきたのちに、父母を通して子女が出てこれるのです。そのような天地の調印式をしなければなりません。
それをハナニムが公認して、サタンが公認して、その次には真の父母が公認しなければなりません。その時から「真の子女の日」が世界的に設定されるのです。
(95-173, 1977.11.11)
歴史的な転換時代に置かれている私たちの責任は、ハナニムに代わる位置に立つことであり、真の父母に代わる位置に立つことであり、真の家庭と、真の国家、真の世界の代表者の位置に立つことなので、歴史時代に孝子の中の孝子になるのです。歴史時代の孝子が私を本物の孝子だと称賛し得る天国の孝子にならなければならず、天国の忠臣にならなければならず、天国の聖人にならなければならず、さらには天国の聖子せいしにならなければなりません。
(214-306, 1991.2.3)


偽りの父母は、サタンの愛を中心として落ちたのですが、真の父母は、ハナニムの愛を中心として上がっていくので、愛の世界へ前進していくのです。愛とは、偉大で永遠に平等なのです。愛という名前だけ聞けば、いくら高い位置にも一度に同参できる資格をもつようになります。女性が無学文盲で、男性が世界の大学者でもそうです。
それは、私たち人間がどんなに至らぬとも、ハナニムと愛の関係を結ぶようになれば、ハナニムの位置に上がっていけるということです。そのような価値の内容があるために、すべての人間の心はどうなのかというと、最高のものを願うのです。世界をすべてもったとしても、それ以上に良いものがあれば、またもちたいと思うのです。
(144-241, 1986.4.25)
偽りの愛の立場にいるものを真の愛で取り戻してこようとすれば、すべてのものを否定しなければなりません。真の父母を通して、真の愛を知ってからは、過去・現在・未来に対する垣根がない、すべてのものを完全に清算した息子、娘として生まれたという解放的な位置に立つので、皆さんが結婚をして夫婦で暮らせるのです。そうでなければ、到底、望めないというのです。イエス様も、今まで夫婦生活ができませんでした。
世の中の家庭・宗族・民族は、すべて滅びるようになっています。中心がないというのです。サタンがそのようにしておいたのです。ハナニムは、その中で個人的中心、家庭的中心、国家的中心、世界の中心的存在を求めて、統一教会を通して祝福をしてくださったというのです。サタン世界の50億の人類を滅ぼしたその代わり、それ以上の資格で立てたものが祝福家庭だということを知らなければなりません。
キリスト教を中心として、アメリカがアベルならば、ここ(ブラジル)はカイン、カトリック圏です。ラテン文化圏、カトリックはカイン圏です。お兄さんと同じだというのです。プロテスタント、弟を通さなければなりません。弟がこのカトリックを助けてあげなければなりません。
アメリカを中心に、新教で弟であるアベル国家圏の北米を一つにし、その上に父母様が来て、アメリカに築かれたすべての勢力基盤を通して、この南米諸国、カトリック文化圏を消化しなければなりません。先生がカトリック文化圏についていくために来たのではありません。
また、統一教会カトリック文化圏に従っていくのではありません。統一教会が生まれれば、カトリック文化圏が統一教会を通して行かなければならず、ブラジル人が父母様を通して行かなければなりません。そうでなくては行く道がありません。
(268-196, 1995.4.1)
宗族的メシヤの宗族的基盤である180家庭は、すべてを天の前に奉献しなければなりません。祝福される前のすべての所有、家も、土地も、万物も、所有物というものは、本来、ハナニムの所有だったのですが、祝福とともにアダムの前に伝授してあげなければなりません。これが原則ですが、堕落することにより、ハナニムが主人の立場に立つことができなかったのであり、真の父母が主人の立場で来ることもできなかったのです。


今に至っては、主人の立場に立つことができなかったことを、サタン世界で天使長の使命を行える人を通して、息子を通して、母を通して、父を通して、族長を中心とした全体が献納しなければなりません。血統復帰・所有権復帰・心情圏復帰を、7代を中心として献納して戻っていかなければなりません。
(285-231, 1997.6.5)
地獄が二つあります。地上地獄、天上地獄がありますが、天国の門は一つです。地獄の門が開くからといって、地上から天国に直接入っていくのではありません。真の父母を通して入っていくのです。真の父母を通して入っていく門が、一つの天国の門です。
(294-103, 1998.6.14)
所有権・心情圏・実体圏をハナニムに返してさしあげなければなりません。家族と共に、国家と共に、世界と共にハナニムに帰らなければなりません。それを祭物として、真の父母を通してハナニムに返してさしあげ、すべてのものを清算しなければなりません。
そのような基盤の上で、真の父母を通して皆さんの家庭の父母と、子女と、万物の所有権の平面的基台が連結するのです。そこが地上天国です。堕落していない立場で所有権を地上に連結しなければならなかったのですが、堕落したので、蕩減の道を経て再度連結しなければなりません。
そうすれば、天国の所有権、絶対的な愛の主権時代を迎えられるのです。そのような解放圏を迎えるために、家庭盟誓カヂョンメンセの8番に地上天国の解放圏を完成し、その目的を達成することを宣言したのです。
(295-243, 1998.8.28)
いくら理想家庭を願い、いくら理想的な父母を願い、いくら理想的な夫婦を願い、いくら理想的な息子、娘を願ったとしても、いないというのです。それが、真の父母を通し、初めて総合的な完成が成されるのです。
皆さんがそのような伝統の位置で、ハナニムに代わり、真の父母に代わる後継者として、天下になかった兄弟の位置で、同じたねの価値、アダムとエバがハナニムと一つになったのと同等の種の価値を得なければなりません。
世界で収穫された家庭を拡大したその基盤において、すべての人間の新しい子孫の種を、ハナニムと真の父母が一つになっていた種と同じ価値の種をつくっておけば、チャンピオンの記録を引き継げる後継者になるのです。
力のある者が世界を指導するといいました。お互いが力で対決して闘うのではありません。力のある者が力をもてるように環境条件をつくり、弱い者をすべて巻き込んでしまって、チャンピオンシップ、新記録達成者のような行いをしているので、これは、ハナニムが願われる善意の競争を通して勝利の結果をもつことができなかったというのです。
それゆえに、これは、いずれ地球上で清算されてなくならなければなりません。
(301-19, 1999.4.16)
世界のすべての家庭が、真の父母を中心として、「真の父母の息子、娘だ」と言い得る再覚醒かくせいが展開するようになる時、そこから世界的天国が顕現するのです。世界の家庭全体を中心として、このようになる時、新しい地上天国の世界へ入っていくのです。
(146-132, 1986.6.8)


成約時代というものは、全世界が等しく真の父母の恩恵を受けられる場に入ってきたというのです。その代わり、血統転換・所有権転換・心情圏転換をしなければなりません。これが宗族的メシヤの責任です。正に女性時代になったのでこのようなことが可能なのです。
(251-286, 1993.11.1)
堕落したこの世界に、悪魔の愛と生命と血統を受け継いだこの世界に、ハナニムの所有権を完全に奪われました。今、私たちは、これを元に戻さなければなりません。ハナニムの真の愛を受け得る息子と娘が一つになり、この世界を収拾しなければなりません。
ハナニムの愛を受け得る息子、娘を中心として、アダムとエバカインとアベルを中心として失われた家庭の血族的因縁を収拾しなければなりません。そして、万国が解放され、歓迎するその基盤の上で、このすべての悪魔の、サタン世界の所有権を真の愛の主人、愛を受け得るナンバーワンの男性と女性、ナンバーワンの息子、娘を中心としてハナニムにお返ししてさしあげなければなりません。
全世界の人間たちは、真の父母の愛を通って行かなければなりません。その門を通らなくては、天上世界の本然的故郷の地へ帰る道がありません。地獄しか行く道がないのです。これをさかのぼっていかなければなりません。反対する国と闘い、勝ち進んでいかなければなりません。そして、今日の統一教会は、世界的メシヤ圏の勝利を受け継ぎ、国家的メシヤ圏を越え、宗族的メシヤ圏を尋ね求めてきたのです。サタン世界の宗族圏を中心として、サタン家庭に入っていって世界と交替しなければなりません。
(210-42, 1990.11.30)