天聖経 8-3
八大教材教本 天聖経(2012年版)p2203-2238
【天啓の御言】(8-3)
p2203 第15巻 天一国主人の生活
第4章 天一国の民となる道
1) 人類に対するハナニムの希望
ハナニムと人間が一つのみ旨を中心として一つの愛に和合して生き、全天地がハナニムの愛を喜びながら、その愛を実際の生命の中心として立てた中で、すべてが一つになって生きることがハナニムの創造本然のみ旨でした。しかし、アダムとエバが堕落することにより、ハナニムの愛は、ハナニムの愛としてのみ残るようになりました。すなわち、人間と関係を結ばなければならないハナニムの愛は、人間と関係を結ぶことができずに人間から離れるようになり、すべての被造世界から離れるようになったのです。
それゆえにハナニムは、ご自身が立てようとされたその愛を中心として、すべての万物を糾合し、ハナニムと万物が共に喜べる1日を願われながら、今まで6000年の歴史を経過してこられたのです。しかし、いまだ全被造万物がハナニムの愛を中心として一つに統一されないまま、そのハナニムの理念は、理念のまま残っていて、取り戻さなければならない希望の愛もそのまま残っているのです。ですから、今までハナニムは、そのみ旨を必ず成し遂げるために摂理してこられたのです。このように、人間の堕落以後、今日まで、時代を問わず、ハナニムは、ハナニムの希望を成し、人間に対して信じ得る心と、愛し得る一つの心を取り戻すために、長い間摂理してこられたのですが、いまだにそれらを成し遂げることができず、取り戻すことができずにいらっしゃるのです。
(1-88, 1956.6.6)
※
創世以後、今日まで、宇宙的な勝利の1日を迎えることができなかったハナニムは、地上の人間を通して、願われた勝利の日を迎えようとしていらっしゃるのです。それゆえに、地上の人間たちがその日を探し立ててさしあげることができなければ、この地で人間を蹂躙しているサタンを処分することができないばかりでなく、天上でハナニムの前に、人間を讒訴するサタンの勢力も退けることができないのです。
それゆえに、ハナニムは、いかなる苦労も意に介されることなく、いかなる犠牲も意に介されることなく、いかなる闘いも意に介されることなく、きょうこの時間まで、皆さん個人個人を立てるために盾となってこられたのです。
これを見れば、私たちは、ハナニムの希望とは何かを知ることができます。ハナニムは、皆さん個人個人を立てられ、人間を堕落させた怨讐サタンを分別して、サタンが主管する悪の歴史を終結させようとしていらっしゃるのです。
第4章 天一国の民となる道 p2203
p2204 第15巻 天一国主人の生活
私たちは、そのようなハナニムの希望を成してさしあげ、天の前や万物の前に堂々と立つことができ、ハナニムに勝利の栄光をお返しできる人間にならなければなりません。そのようになってこそ、苦労してこられたハナニムの摂理の目的が成し遂げられるようになるのです。
(2-301, 1957.6.30)
※
ハナニムは、アダムとエバを造られ、彼らが希望の人格者になることを懇切に願われたのですが、そのアダムとエバが堕落してしまいました。堕落前から抱いてこられた慕わしい心情、堕落前から抱いてこられた希望の心情に対して、人類の先祖アダムとエバが裏切ることによって、ハナニムの心には悲しみがしみわたるようになったのです。ハナニムは、アダム家庭に対する悲しみの心情、憤りの心情を抑え、慕わしい心を再び取り戻すためにカインとアベルを立てられたのですが、彼らは、その希望をかなえてさしあげることができず、逆に悲しみだけをハナニムに与えたという事実を、皆さんは考えなければなりません。その後、1600年という歳月を経て、再びノアを立てられました。しかし、結果は同じことになりました。そこからまた400年を経て、アブラハムを立てられたのですが、やはり同様でした。慕い続けてきた一人の人に出会って心情を分かち合おうとされたのですが、アブラハムも、やはりハナニムが抱かれた慕わしい心情を完全に解いてさしあげることができなかったのです。そのようにして、数千年間抱いてこられた慕わしい心情を悟らせるために、3代を経ながらヤコブ家庭を立てられたのです。しかし、その家庭においても、完全にみ旨を成し遂げることはできませんでした。
イスラエル民族を立てられても、このような慕わしい心情を躊躇なく話すことができず、教えることもできず、支配することもできない立場で、彼らのあとから従っていかざるを得なかったハナニムの事情を、私たちは知らなければなりません。
慕い続けてきた一つの民族形態を地上に立てられ、その民族が塗炭の苦しみに陥るたびに、ハナニムは、その慕わしく思われる心に比例して苦衷を感じられ、悲しまれ、困難に遭われたという事実を、私たちは知らなければなりません。
長い歴史路程を経てこられる間、ハナニムは、慕わしい心情を私たちの心に植えつけ、歴史に植えつけ、世界に植えつけるために闘ってこられました。それゆえに、私たちが接する物一つにもハナニムの慕わしい思いに染まっているという事実を知らなければなりません。私たちが対する食口にも、歴史的なハナニムの慕わしい思いがしみ込んでいるということを知らなければなりません。私たちが生きているこの国、この世界にも、ハナニムの慕わしい思いがしみ込んでいるというのです。
したがって、私たちが目を上げて、ハナニムがつくってくださった万象を見つめる時、その万象がハナニムの切実な慕わしさの対象だということを感じなければなりません。万物でもそうであるならば、万物の霊長である人間はどうでしょうか。たとえ悪の姿をしていても、ハナニムは間違いなく一つの基準をもって慕ってこられたという事実を皆さんが感じるようになる時、天の前に本当に感謝しなければなりません。
(8-93, 1959.11.22)
※
ハナニムが、今まで数多くの悲しみの歴史過程を経てこられながらも、人類を捨てることができずに胸に抱いてこられた内容とは何でしょうか。それは、ハナニムが人間に対して、「お前は、私の実の息子、娘だ」と言えるようになることを願われたのです。このような理想を成し遂げるために、今までハナニムは闘ってこられたのです。
第4章 天一国の民となる道 p2204
p2205 第15巻 天一国主人の生活
ハナニムの善の園において、ハナニムの栄光の中で、ハナニムの愛を中心として万物が和動する中で、万物の主人の資格を備え、ハナニムに「私の父よ! 栄光をお受けください」と言えたはずのアダムは、堕落により、そのような価値を喪失してしまいました。ですからハナニムは、創世以後本然の息子、娘が現れて、「お父様」と叫ぶその一言をお聞きになりたかったのだということを、皆さんは知らなければなりません。
今日、私たちが呼んでいるその父は、罪悪の立場において呼ばれる、そのような父ではありません。したがって、私たちは、罪悪の世の中から抜け出して、善の理想の園に入っていかなければなりません。その理想の園とは、人間がハナニムの栄光を現し得る世界であると同時に、喜びに陶酔して生き得る世界です。別の言い方をすれば、人間が動ずれば万物が動じ、人間が静ずれば万物が静ずるようになり、人間と万物が動じ静ずると同時に、創造主であるハナニムも動じ静じ得る世界です。そればかりでなく、ハナニムと人間の相対的な関係を超越して一体となり得る理想の園なのです。
ハナニムはこのように、人間がハナニムご自身と一つになることを願われたのであり、一つになった中で驚くべき愛を中心として喜びに酔う、その一場面を思い描きながら、そのような世界を創造してこられたのです。ところが、人間が堕落することにより、これが自分たちの恨みとなると同時に天倫の恨みとなり、堕落以後、今日まで、その恨みに恨みを加重させる悲しい歴史を引き起こしてきたのです。
それでは今日、ハナニムがこの地に対して摂理なさる最大の希望とは何でしょうか。それは、堕落の父母をもっている人類を再び神側に立て、「私は、あなた方の永遠の父であり、あなた方は、私の永遠の息子、娘だ」と呼ぶことです。そのようにできる日を迎えることが、堕落した人間たちの歴史的な希望であり、天倫に対する天的な希望だということを、皆さんは悟らなければなりません。
(3-26, 1957.9.15)
※
今日、この地上には、数多くの人々が生きています。彼らは、各自のビジョンと意見をもって生きており、また何かの主義主張をもって生きています。しかし、心からハナニムに敬拝し、ハナニムを主張しながら、ハナニムから召命を受けたと、天と地の前で自信をもって立ち上がる人はいません。
今、私たち人間が最後に取り戻さなければならないこととは何でしょうか。自らの主義主張と、自らのあらゆる主観的な行動をすべて放棄し、自分の心と体はハナニムに代わり、自分はハナニムに代わって行動すると主張して立ち上がる人がこの地上に現れることを、今日まで歴史上に現れて死んでいった数多くの人々が望んでいたのです。また、ハナニムは、このような代身者が現れることを願われ、無限な苦労と忍耐をされながら、長い間摂理していらっしゃるのです。
第4章 天一国の民となる道 p2205
p2206 第15巻 天一国主人の生活
したがって、地上の悲しみとは何かというと、何かの主義がなくて悲しいのではなく、また行動する人がいなくて悲しいのではなく、ハナニムの心情に代わり、ハナニムのみ旨に代わって主張できる主義がなく、またハナニムに代わって行動する人がいないということが悲しみであり、切なさだというのです。今日、この地と人間世界に散在している嘆息と苦痛と、しみわたっているあらゆる恨みを除去することにおいても、ハナニムに代われる主義主張と、ハナニムに代わる一人の人が現れなければなりません。したがって、摂理の目的もこの一人であり、歴史の目的もこの一人だということを知らなければならない時になったということを、再び感じなければなりません。
(3-317, 1958.2.2)
※
皆さんは、ハナニムに代わって心から本当に信じ得る一人の友人をもたなければなりません。さらには、ハナニムに代わって信じ得る一つの兄弟、父母、夫婦をもたなければなりません。そのようにして、家庭を越えて、社会・国家・世界的な舞台にまで伸びていかなければなりません。これがハナニムの願われた希望だったのです。しかし、ハナニムは、人間を個人の立場で追い出され、信じることができない立場に立てられ、人間世界のいかなる希望もすべて絶たれた中で、人間をしてハナニムを信じさせるようにされました。そのようにして、その信じる人が一つになって、すなわち兄弟同士、友人同士で、ハナニムに代わってお互いに信じ得る関係を結ぶことをハナニムは願われたのです。これがまさしくハナニムの願われた最高の希望なのです。
(4-146, 1958.3.30)
※
レバレンド・ムーンがサタンに、「サタンよ、お前が要求するものはすべて満たしてあげたか、あげなかったか」と尋ねれば、「満たしてもらった」と答えるというのです。ハナニムの本然の愛を中心としたすべてのものを中心として、堕落したサタンまでも愛して余りあるほどに、天国に入っていき得る堂々とした基盤を築いたので、サタンは、「あなたが行く世界は解放であり、あなたの願いで成し遂げられないものはない」と言って祝福しなければなりません。「どこに行こうと、あなたが願うもので、成し遂げられないものはなく、あなたが願うもので、あなたのものではないものはありません」と言うというのです。
「ハナニムのみ名によって、真の父母様のみ名によって、真の家庭の名によって世界は解放されなければならない!」と言う時は、「アーメン」と答えるようになっているのです。春が来ました。雪がどれほど冷たく、氷がどれほど硬いとしても、溶けるようになっているのです。ですから、春の季節には種を蒔きなさいというのです。サタンが悪の種を蒔いた以上に世界の果てまで、アメリカの果てまで種を蒔くのです! 良い種は、家庭です。サタンは一つ植えたのです。それが堕落したアダムとエバです。今、私たちは、新しい家庭をつくるために、どこにおいてもそれを築き上げなければなりません。そこにおいて、すべてのものを栽培することができます。それを、このアメリカの地でしなければなりません。それがハナニムの願われた目的です。
(189-65, 1989.3.12)
※
第4章 天一国の民となる道 p2206
p2207 第15巻 天一国主人の生活
ハナニムが男性と女性を造られ、大きくなることを願われたのは何ゆえでしょうか。愛するためです。愛するためだとすれば、その愛はハナニムよりも高くなるほうが良いでしょうか、低くなるほうが良いでしょうか。ハナニムが、「おい、お前たち! 私がお前たちを愛するよりも、お前たちが私を愛するほうが大きくなってはいけない」とおっしゃるでしょうか。そのようにはおっしゃらないというのです。
それでは、今、皆さんが永遠のハナニムとつかみ合って闘えば、ハナニムのほうがより情熱的でしょうか、それとも弱いでしょうか。情熱的です。ハナニムには、すべてあります。ないものがありません。ハナニムがより情熱的な時とは、どのような時でしょうか。新しい男性と女性が現れて、昔の私たちの先祖よりも情熱的に愛するようになれば、ハナニムも息切れされるようになるのです。
そのような情熱的な夫婦に出会ったならば、ハナニムは、人間と離れて生きられるでしょうか、それともくっついて生きられるでしょうか。くっついて生きられるのです。
したがって、愛を中心としてのみ、愛においてのみ永遠性があるということを知らなければなりません。真の愛には永遠という概念がある、という話が成立するのです。
(195-312, 1989.12.17)
※
2) 天一国は本然の故郷
人間は、誰かの子女にならなければなりません。その誰かの子女とは、ハナニムの子女のことです。誰かの兄弟にならなければなりません。その誰かの兄弟とは、ハナニムの家庭の兄弟です。誰かの夫や妻にならなければなりません。それは、ハナニムの家庭の夫や妻のことです。
内的なハナニムのすべてのものを実体的なものとして御覧になり、刺激をお受けになるために、ハナニムはアダムとエバを創造されました。アダムとエバは、第二の実体のハナニムです。愛の相対を必要としてお造りになったからです。ハナニムの愛の相対は、猿ではありません。人間以外にはいないのです。
(258-274, 1994.3.20)
※
今までハナニムは、所有権をもつことができませんでした。サタンがすべて所有したのです。サタンの国、サタンの民、サタンの物、すべてがサタンの所有です。サタンがハナニムの所有権を盗んでいったのです。真の父母も所有権をもったことがありません。いまだに真の子女、真の国、真の世界としての所有権をもったことがありません。
真の人、真の男性と真の女性が生まれなかったのであり、所有し得る人が生まれなかったので、そのような所有権をもつことができなかったのです。
(186-118, 1989.1.29)
※
今までハナニムは、所有権者になることができませんでした。悪魔が主人になったのであり、ハナニムの息子、娘が主人になることはできませんでした。主人に代わって悪魔と悪魔の息子、娘が、ハナニムの創造された被造物に対して権勢を振るい、害を被らせてきたのです。これをすべて回収しなければなりません。万物は、すべて本然の父母のもとに帰らなければなりません。真の父母と真の子女・真の国・真の宗族のもとに帰らなければなりません。
(203-185, 1990.6.24)
※
第4章 天一国の民となる道 p2207
p2208 第15巻 天一国主人の生活
今、私たちは、誰々の息子、娘、誰々の兄弟という考えから抜け出さなければなりません。私は、ハナニムの息子、娘であり、真の父母の息子、娘であり、世界と天宙を解脱させ得る相続権を受け継げる私自身だというのです。そのような私に、サタンの立場で一族が矢を投げつけましたが、私が何千年の歴史を経るのではなく、生きている間に私の備えるものをすべて備えてメシヤとなり、過去に反対した一族と父母を訪ねていって救ってあげられる平面的再臨の形態を備え得る、このような時代を迎えることにより、初めて地球星の天国化が可能なのです。
このように見るとき、今日、祝福家庭が今まで暮らしてきた生活と行動は、すべて零点です。悪魔の巣窟の中にいたということを知って、自らの解放圏を迎えるために努力しなければなりません。そのようにせずに、昔と同じ習慣性をもって息子、娘を抱いてそのまま幸福になることを願えば、すべて滅びるのです。
(203-180, 1990.6.24)
※
未来、国家を建設するにおいて、あなた方がハナニムのために準備したものは何ですか。それは、実を意味し、中心核を意味し、事実を意味します。それは何でしょうか。ハナニムの国の民です。ハナニムの国の民は、りんごや桃の実ではないというのです。
今までハナニムは、天国の民をおもちになることができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつことができなかったのです。
(215-339, 1991.3.1)
※
真の国を地上天国と呼びます。その国ができてこそ、ハナニムが本然のアダムとエバに、「完成した時に、あなた方は、万物を主管しなさい」と祝福されたそのみ旨を成し、人間は初めて、この地の真の主人として現れることができるのです。また、その時に初めて人類は、お互いに真の兄弟になれるのです。その時に初めて私たちは、ハナニムの真の息子、娘になるのです。天のお父様に対しては真の孝子、孝女になり、主人に対しては忠臣になり、この宇宙万物に対しては真の主人になるのです。そのようになれば、ハナニムは、私たちに全権をゆだねられるのですが、外的な全権だけではなく、内的な全体の心情の中心まで移してくださるようになるのです。ハナニムがすべてのものをゆだねられても、安心できる息子、娘になるのです。
(5-329, 1959.3.1)
※
人類歴史は、暗い夜を過ぎ、夜明けを経て新しい光明の太陽を迎えるために進んでいます。
それでは、太陽とは何を表しているのでしょうか。人類の太陽は、「人類の父母」を表しています。この父母が現れるまでは、人類の故郷である本郷の地が現れることはできません。
(16-258, 1966.6.19)
※
第4章 天一国の民となる道 p2208
p2209 第15巻 天一国主人の生活
愛の故郷をもてるという事実は、宗族的メシヤの福音であり、朗報です。その次には、祝福を中心として血統が転換されるのです。今からは、故郷が私の故郷になるのです。私の血筋は、そこから流れ出てきました。その血筋を広め、万国の愛の流れがきれいな水になり、天国という大海に入っていくのですが、そこが霊界です。
霊界は、この地上の愛の大海が連結された世界であり、そこが天上天国です。それゆえに、あの世では、愛の体恤的心情をもたなければ生き残ることができないのです。
愛の心情は、子女の心情、その次には兄弟の心情です。兄弟は拡張であり、夫婦は統合です。このように一つになって中央を占領するのです。
結婚とは、本然的ハナニムが愛という概念を中心として一つになれるようにされたことです。彼らは、成熟して愛を中心に一つになることによって、この実体の位置でハナニムと一つになるのです。
そこにおいて何が垂直かというと、愛が垂直です。それゆえに、縦的なハナニムを中心として、初めてここにおいて横的なアダムとエバが、縦的に運動する愛の実体の前にさっと入ってくるのです。そのようにして、初めて家庭的な定着地が生まれるのです。個人と家庭・宗族・民族・国家・世界がこの一点を中心として完着するのです。これが軸です。
ハナニムは男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。ハナニムと一つになるためのものです。生命の種がハナニムでしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、ハナニムの愛と一致する所です。
(226-173, 1992.2.4)
※
現在、堕落圏内にいる私たち人間が行かなければならない目的地は、天国です。別の言い方をすれば、還故郷しなければならない、故郷へ帰らなければならない、このようにみるのです。故郷へ帰るにおいては、私一人では行くことができません。創造目的というものがあるので、創造目的を完成した立場で故郷へ帰っていかなければなりません。堕落していないアダムとエバの立場から見れば、たった二人で帰ったとしても、彼は天地を代表し、世界を代表し、国を代表し、家庭を代表した立場で帰っていけるのです。これが、本来、ハナニムによって息子、娘として造られたアダムとエバに賦与された責任でした。
(113-162, 1981.5.3)
※
自分が生まれた故郷を中心として、いかにしてこれを天国の故郷に代置して拡大させるかということが問題です。それゆえに、宗族的メシヤを設定したのです。宗族的メシヤを設定することによって、母親はアダム家庭に代わり、それから自分はイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。3代、2代、1代が、歴史の根源地である自分の先祖と真の父母圏を横的に連結するのです。
第4章 天一国の民となる道 p2209
p2210 第15巻 天一国主人の生活
それゆえに、自分を生んだ母親がアダムとエバに代わり、皆さんはイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。これによって、皆さんの母親と皆さんの生まれた場所が天国の故郷になるのです。天の領土圏内にある故郷の位置を再び復帰してきたのです。
(215-129, 1991.2.6)
※
皆さんの故郷は、故郷ではありません。国が故郷となり得る時が来たのです。それゆえに、皆さんがあの世に行くようになれば、今まであった境界線はなくなります。今は故郷に境界がありますが、このようなことをしておけば、霊界に行って国境なく連結できるのです。どの故郷の地にも連結できる地上天国の基盤となるのです。
ですから、これを連結すれば、すべての国家の戸籍に入籍したものが、そのまま天国に編入されるのです。ですから、堕落せずに繁殖した人間の故郷が天国の故郷に代わるようになったので、天国に生まれた立場に立ち、すべて接ぎ木されて天国に入っていくようになるのです。そのようにして、故郷復帰が成されるのです。そのような故郷、そのような国家が復帰されれば、天宙が復帰されるのです。そのような基盤の上で真の父母復帰が完成するのです。真の父母復帰、真の父母が立ち得る位置で、このようにすべての天国の条件、天宙復帰の基盤を完成してこそ、真の父母が使命を完成するのです。
(216-131, 1991.3.9)
※
皆さんの故郷はどこかというと、真の父母が生まれた所であり、天国です。ソウルが真の父母の生まれた所であり、天国ですか。そのコンセプトをどのように克服するのですか。そのコンセプトをどのように越えていくのですか。「私は全羅道の人だ。私は京畿道の人だ。私は韓国人だ。私はアメリカ人だ!」というコンセプトをハナニムは願われません。エデンの園のアダムとエバに、そのようなコンセプトはなかったというのです。
(169-174, 1987.10.31)
※
ハナニムの遺業を相続するために最後に越えなければならない条件とは、ハナニムをもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないということです。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言うことができ、分けることのできない兄弟の心情を通じて、天的家庭の家族として生き得る人にならなければなりません。
「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言える真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、ハナニムの遺業を相続し得る皆さんにならなければなりません。
(10-354, 1960.11.27)
※
今日、私たちの信仰生活とハナニムを信じるというキリスト教を注意深く見てみるとき、天国に残れる民は、どれくらいいるでしょうか。さらには、「ハナニムの所有だ」と永遠に主張できる民族はどこにいて、「ハナニムの国だ」と主張できる地はどこにあり、そのような物、そのような人はどこにいるのかというのです。これを皆さんは知らなければなりません。
(5-17, 1958.11.9)
※
第4章 天一国の民となる道 p2210
p2211 第15巻 天一国主人の生活
どれほど立派な夫をもらい、どれほど良い暮らしをしたとしても、ハナニムが分からなければ、地獄に行くのです。
ハナニムの民として入籍しなければなりません。いくら有名なハーバード大学の総長だったとしても、ハナニムの国の民として登録されなければ、地獄に行くのです。家庭・社会・国家・世界・人類の歓迎を受けたのちに天国に入っていくのです。
(278-263, 1996.5.26)
※
天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(2001年)のハナニム王権即位式は主権復帰でした。それから、ハナニム祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成されるためには、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、ハナニムのように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押せないものはないというのです。
(364-87, 2002.1.1)
※
ハナニムの王権を樹立したのはハナニムではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのはハナニムではありません。真の父母です。天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地上の人の二重構造になっているのです。皆さんは、心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の国民になることができません。
(364-101, 2002.1.1)
※
ハナニム王権即位式ののちには何をしたのでしょうか。韓国において先生が何をしましたか。ハナニム祖国定着大会をしたのでしょう? それは、真の愛の血統を受け継ぎなさいということです。それを世界的に行いました。その次には何をしたのでしょうか。天一国を宣布しました。天宙平和統一国、それが天一国です。
天一国とは二人が一つになる国です。分かりますか。天は二人でなければなりません。父母は二人でなければなりません。この世の万物も、すべてペア・システムになっているのです。天一国とは何でしょうか。昆虫世界、動物世界から、すべてペア・システムになっています。それが一つにならなければなりません。二つの物、二人の人、二人の父母、二つの性格、主体と対象が一つになった所には本然の基台が生じ、ハナニムがお立ちになれるのです。
聖書にも、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら」(マタイ19:19)とあるでしょう? ハナニムまで合わせれば3人でしょう? 同じことです。2、3人の人が国の基盤になるのです。家庭の基盤になり、国の基盤になり、世界の基盤になるのです。そこから家庭が生まれ、宗族の出発がなされるのです。二人以上でそのようになるのです。
(370-88, 2002.2.19)
※
第4章 天一国の民となる道 p2211
p2212 第15巻 天一国主人の生活
きょうは、天一国2年11月5日、第43回を迎える「真の子女の日」でございます。「神の日」と「子女の日」と「万物の日」を総合して、エデンの園において家庭で成し遂げられなかったことを、天上世界にまで拡大した人類を中心として、エデンの家庭完成を総決算し得る天一国を中心とした平和統一平定時代を発表いたしました。
今やハナニムが、天上地上平和統一解放聖火式の終わった各祝福家庭を訪問するにおいて、支障なく思いどおりに訪問され、苦楽を共にし得る時代として、同じ生活圏において迎えられるように、天上世界の願いは地上にあり、地上世界の願いは天上にあるので、天の願いどおり、地の願いどおりにお互いが一つになって平定された基準に立ち、解放された忠孝の道理を残し、天国中心の先祖たちとして地上に残れるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。
きょう、天一国平和統一平定時代の到来を発表し、今や、霊界の恨を解き、地上に再臨して子孫たちを協助し、また教団の教主たちは宗教を中心として世界に協助し、不義によって苦衷の中に束縛された天のすべてのものを解怨成就し、解放できる時代、自発的に、自由に活動できる時代、蘇生の天国を創建し得る時代を迎えましたので、許諾してください。
(396-158, 2002.11.5)
※
きょう掲げた標語は何ですか。真の愛で? 私たちの家庭は、天一国の孝子・忠臣・聖人・聖子の真の家庭を完成することを願います! ここにはハナニムの創造理想のすべてが入っています。個人・家庭・宗族・民族・国家のすべてが、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されるのです。
ですから、相続とは、王権を手にしたその基盤において成されるのであり、自分のもっている所有意識であれ、国に属しているものはすべて否定されなければならないのです。それは、あってはならず、いずれにしろ決別しなければならない堕落した結果だというのです。ハナニムが願われない怨讐の血筋で連結された汚れた世界です。ハナニムは、そこに影を掛けることも願われないのです。
それゆえに、ハナニムは、今日この世の中におけるすべての悪の世界、戦争によって数多くの人々が死んで滅び、栄枯盛衰を経てきた今までのすべて世界に対しては、管掌なさることができなかったのです。
(400-192, 2003.1.1)
※
一度、ハナニムの前に100パーセント本物の孝子の家庭になってみたいと思いますか。そのようになってみたいと思うならば、何が惜しいでしょうか。それしかありません。そのようになろうと思えば、自分の7代先祖から燃やして祭物にしてでも、しなければなりません。祖業の田畑や国まで売ったとしてもしなければなりません。
このようになっているにもかかわらず、「総生畜献納を教会に納付しなさい」と言っても躊躇し、食べて残ったものを・・・。アナニヤがペテロの前でそのようなことをして、夫婦ともその場で死んでしまい、地上から消えてしまったという聖書の話を知っていますか。それよりももっと恐ろしい時代が来たということを知らなければなりません。
(400-220, 2003.1.1)
※
第4章 天一国の民となる道 p2212
p2213 第15巻 天一国主人の生活
3) 天一国の民の態度と資格
ハナニムは、ただ外的に民族の形態だけを備えた民族を待ち望んでいらっしゃるのではなく、外的な形態だけを備えた国家を待ち望んでいらっしゃるのでもありません。民族がいれば、その民族を動かせる、国家と主権があれば、その国家の主権を動かせる、心情で連結された一つの主権と、一つの民族と、一つの民を待ち望んでいらっしゃるのです。
選民ならば、彼らは、ハナニムがいかなるお方かを知り、いかなる目的のために自分たちを立てられたのかを、はっきりと知らなければなりませんでした。そのようにして、いかなる苦難に直面しても、いかなる患難が迫ってきたとしても、それを貫かなければならなかったのです。このようなことが、当時のイスラエル民族の取るべき態度であり、ハナニムに対する心的基準でした。
しかし、選民であることを誇ったイスラエル民族は、歴史路程においてハナニムに多くの罪を犯しました。もちろん、その時代に対する犯罪よりも、その時代を動かしているハナニムの心情に対する犯罪のほうが大きかったということを、まず私たちは知らなければなりません。
それでは、ハナニムが人間を復帰するには、何から復帰しなければならないのでしょうか。願いも願いですが、事情、さらには心情を復帰しなければなりません。切っても切ることができず、分けても分けることができない心情の世界を復帰しなければなりません。ですから、今までハナニムは、心情の基台を広げるために、その1日を見つめながら、歴史の峠ごとに背後で苦労してこられたのです。今日、私たちは、このような事実を知らなければならないのであり、これを知らなかった先祖に対しては、公憤の心情を抱いて抗議しなければなりません。
私たちが様々な事情に絡んだ生活環境で暮らしているとしても、それは結局、すべて過ぎ去ってしまうものです。いくら「地上で幸福な生涯を生きた」と言って自らの栄華を謳歌する者がいたとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。
しかし、何かの使命をもって生涯を生きた人ならば、その人には残るものがあります。それは何でしょうか。事情ではなく、事情を支配し得る心情です。この心情が歴史を支配し、民族精神を鼓吹させ、思想を連結させていくのだという事実を、私たちは否定することができません。
(9-337, 1959.6.21)
※
今までハナニムが働いてこられたとすれば、それは、人間を救援し、ご自身のみ旨を成すためです。ハナニムのみ旨とは、ハナニムの国を築くことです。それゆえに、その国の民となることができ、その国の息子、娘となることができ、ご自身の側にいることができる人を育ててこられるということは、間違いないというのです。
ハナニムは、どこに国を建てようとしていらっしゃるのでしょうか。霊界に建てようとしていらっしゃるのではありません。正にこの地に地上天国を建てようとしていらっしゃるのです。それでは、この地に立てられ、ハナニムの国の民となれる資格者とは誰でしょうか。それが、正に皆さんです。皆さんは、天国を建国できる中心です。
(87-106, 1976.5.16)
※
第4章 天一国の民となる道 p2213
p2214 第15巻 天一国主人の生活
皆さんは、「過去の人間は、こうだったのだなあ。今日の私は、どうであり、今後はどのようになろう。ハナニムの事情はこうであり、ハナニムのみ旨はこうであり、ハナニムの心情はこうであり、お父様は悲しいお父様だったので、私は、そのお父様の前にどのように進んでいかなければならないのか。お父様が血と汗と涙をもって祭物となってこられたので、その祭物を受けるためには、血と汗と涙を流さなければならない」。このようにして悲しい涙をもって、「お父様は、与えるために悲しんでこられ、与えるために血と汗を流してこられたが、私たち人間は、受けるために死に、受けるために涙を流し、受けるために苦痛を受けてきたので、授け受けできるその1日は、どれほどの喜びとなるだろうか。涙で出発し、喜びの涙が目の前を遮り、募った恨が込み上げて爆発し、私の口で喜びと栄光と勝利の凱歌を歌える、その日をもたなければならない」。こうでなければなりません。
そこにおいて初めてハナニムが、「お前は私の息子だ、お前は私の娘だ」とおっしゃることができ、天下万物のすべての福を前に置いて、心情と事情が通じ合う立体的な理念圏内において、ハナニムが「お前は私の息子であり、私はお前の父だ」とおっしゃり得る父子の因縁を復帰して印を受け、初めて天の家庭を築き、天の民族を築き、一つの世界、一つの主権、一つの天地をつくることが、人間である私が取り戻さなければならない因縁の中心だということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。
(151-336, 1963.2.5)
※
天国の民の段階に入っていかなければならない運命が、皆さんの前に置かれています。このような皆さんは、新たな歴史的な意識をもたなければなりません。私という一存在は、自分のために生きようとするのではなく、天国の民である同胞のために生きようという観念をもたなければなりません。それだけではなく、天国の兄弟のために、天国の夫婦のために、天国の父母のために努力しようという観念をもたなければなりません。それは、部分的な観念ではなく、宇宙的な観念です。
ただイエスを信仰する人として、むやみにイエスを信奉するのではなく、内的にも外的にも天地の運勢と和合してイエスを信仰する人にならなければなりません。ハナニムは、宇宙的な摂理を中心として、天国復帰の理念を立てていらっしゃいます。私たちは、そこに立ち得る息子、娘、そして民にならなければなりません。そして、天国の同胞を愛することができなければなりません。
皆さんの周囲に信じる民がいれば、皆さんは、彼らを兄弟と、また同胞と思える人にならなければなりません。また、すべての人がそのようになるようにしなければなりません。このようなことを考えてみるとき、皆さんの責任は、この上なく大きいのです。
6000年歴史を縦的に見れば、旧約時代には天の民を集め、新約時代には天の子女を集めました。このように歴史は、逆に流れてきたのです。
(1-336, 1956.12.30)
※
第4章 天一国の民となる道 p2214
p2215 第15巻 天一国主人の生活
この地の誰もが異口同音に、今日を「終わりの日だ」と言っているこの時、すなわち歴史的な終結、科学的な終結、倫理と宗教的な終結を予告している世界的な終末時代に置かれている皆さんは、どのようにしなければならないのでしょうか。
イエス様が叫ばれたみ言、すなわち「まず神の国と神の義とを求めなさい」のように、自らのことは考えずに、ただこの地上にハナニムの国とハナニムの義を立てるために不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。そのようにして、皆さんは、自らを万宇宙に誇ることができなければならず、ハナニムの代身者の使命を完遂する人にならなければなりません。
すなわち、その国の本質的な理念の内容を皆さん自体の生活に適用し、それが皆さんの生涯の実体的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望の1日を実現するようにしなければなりません。もし、そのような皆さんになることができなければ、皆さんは、ハナニムがアダムとエバの堕落以後、4000年間苦労されたのちに、イエス様を送られて役事させたみ旨と、イエス様以後、今日までイエスと聖神(聖霊)を合わせた三位神が役事してきたそのみ旨とは、何の関係もなくなるというのです。
このような観点から、今、皆さんは何を探し出さなければならないのでしょうか。皆さんは、その国とその義を立てられないようにしている、すなわち天宙的な理念を立てられないようにしている不義の条件を探し出さなければなりません。そのようにして皆さんは、一身の生活において闘争して勝利し、ハナニムの息子であるイエス様に代わる存在にならなければなりません。すなわち、皆さん自身が、その国に処することができる人、その国の義の民になろうとすれば、食べること、着ることで争う愚かな人になってはいけません。食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人にならなければならず、むしろそのような物が自分に少しでも付与されれば、ぼろを着て飢えている人にそれを分け与えられなければなりません。一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思っていらっしゃるのがハナニムの心情です。イエス様は、このような心情を身代わりしたのですが、イエス・キリストの前に現れた人間たちは、そうではありませんでした。
それでは、今日、家庭において不和が生じる原因、争いが起きる原因は、どこにあるのでしょうか。それは、家庭は自分だけのために存在すると考えているからです。食べ物があれば、それは自分だけが食べるためにあると考えるので、争いが起き、不和が生じるのです。正にこれが罪の矢であり、サタンだということを、皆さんは肝に銘じなければなりません。
それゆえに、今日皆さんは、食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。自分だけのために生きようとする心、すなわち家庭不和の条件を打破しなければならず、正にそのような歴史的な矛盾を踏み越えなければならないのです。このように、皆さんは、衣食住のすべての問題を超え、真の勝利者の姿をもってハナニムの前に現れなければならない立場に立っていることを忘れてはいけません。
(3-125, 1957.10.13)
※
第4章 天一国の民となる道 p2215
p2216 第15巻 天一国主人の生活
皆さんは、国と義のために生きる人にならなければなりません。いかなる難しい環境に直面したとしても、自分自身に対する父の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、「ハナニムの真の息子、娘だ」と言えるのです。
それでは、ハナニムの国を建設し得る人とは、どのような人でしょうか。自分自身を否定し、切ない心でハナニムのために生きる人です。自らを否定し、社会と民族・国家・世界のために生きる人が、まさしくハナニムの国を建設し得る人だというのです。さらには、国家と世界を否定してもハナニムのために生きる人が、天国を建設し得る人だというのです。また何かの悲しい環境に直面しても、自分自身のために悲しむのではなく、社会と国家・世界、ひいてはハナニムのために悲しむ人であってこそ、ハナニムの国を建設できるのです。
今日、皆さんは、皆さん個人の何かの欲望を満たすために努力するのではなく、より大きな目的のために犠牲となり、奉仕する信仰生活をしなければなりません。そのようにして、ただハナニムのみ旨と人類だけのために苦労されたイエス様の心情的基準まで行かなければならず、今まで苦労してこられたハナニムの切ない心情を慰労してさしあげる、ハナニムの真の子女の立場まで行かなければなりません。
皆さんは、不義を見れば憤慨する心をもち、また与えたいと思われるハナニムの愛をもち、この世の果てにまで行って、ハナニムの国とハナニムの義を探し立てるために苦労しなければならず、さらには、今まで人類を救援するために悲しみの中で苦労してこられたハナニムの心情を慰労できなければなりません。
それだけではなく、皆さんは、ハナニムの国とハナニムの義を探し立てるその過程において、サタンとの闘いで敗北せずに勝利し、個人から家庭・社会・民族・国家・世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち皆さんは、いかなる立場に置かれたとしても、そこにおいてサタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。
社会に出ていけば、その社会のどのような環境の中でもサタンと闘い、勝利しなければならず、国家に出ていけば、その国家の最も難しい問題に責任をもって立ち上がり、サタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。
もしこのような人が現れれば、私たちがその人を見ると、今は滅びるように見えるのですが、あとから繁栄するようになるということを、皆さんは知らなければなりません。また、正にそのような人が、家庭や職場・団体・国家の主人です。家庭において父母のために自らの生命を捧げて孝の道理を尽くし、夫と妻が各々烈男烈女の道理を尽くし、国王のために忠臣の道理を尽くす人が、正にその家庭の主人であり、その国家の主人です。このような心が皆さんの心の中からわき出てきて、体と一つになり、サタンまでも皆さんを尊敬して従うようになる時、初めて皆さんは、その国とその義を探し立てる民として立てるのです。
(3-131, 1957.10.13)
※
第4章 天一国の民となる道 p2216
p2217 第15巻 天一国主人の生活
今日、数多くの人々は、「私はいかなる人間だ」、「私は国の民だ」と言って誇っています。今日、アメリカ人たちは、「大国の民だ」と言って誇っています。しかし、それは永遠ではありません。アメリカは、自分の国だけのために生きているのであって、他の国のために生きなければならないということを知らずにいます。昔、ギリシャ文明がローマのためにあったという事実を知らなかったのと同じです。ローマも、自分の国の文明がイギリスを経て現代文明のためにあったということを知りませんでした。それゆえに、今日、アメリカの国民は、自分の国のために働くのはもちろんですが、他の国のためにも働かなければならないことを知らなければなりません。しかし、大部分のアメリカ人は、これを知らずにいます。そのような中でも、自分たちだけのために生きるのではなく、天倫のために働かなければならないという理念が一部の人々に立っているということは、不幸中の幸いです。
今日、統一教会に集まった皆さん、皆さんは小さな教会に座っていますが、これを広げれば世界の代身となることができ、さらには天性の代身となることができるという心情を感じたとすれば、問題は解決するでしょう。いかなることも解決できるのです。皆さんは、ハナニムのみ旨の代身となった子女なので、ハナニムをこの世界の主人として侍る天国の民にならなければなりません。そして、皆さんは、いつどこにおいても、父のみ旨から外れることができないということを肝に銘じなければなりません。
(4-110, 1958.3.16)
※
歴史的な終末時代において、私たちは、華やかに着て、おなかいっぱいに食べて生きる民族ではなく、歴史の代身として耐え、奉仕する民族にならなければなりません。逆さまにならなければなりません。そうであってこそ公平です。主権をもって他の生命を奪ってきたいかなる理念に対しても、反対の立場に立たなければなりません。そのような時が来なければなりません。必然的に、このような過程を経なければならない歴史路程です。そうでなければ、道がふさがります。
そうだとすれば、ハナニムが行く道、ハナニムの息子、娘が行く道、ハナニムの民が行く道とは、どのような道でしょうか。耐えて、奉仕し、犠牲になりながら行く道です。皆さんは、耐えることにおいて盲目的であってはいけません。救い主のために、ハナニムのために耐えなければなりません。ハナニムのみ旨のために耐えなければなりません。一時があるので、その時のために耐えなければなりません。それゆえに、再臨思想がない高等宗教はありません。
一時が来ると言いますが、その時とは、どのような時でしょうか。心の主体であられるハナニムが、心の目的を達成される時です。人間は、心の主体であられるハナニムのみ旨に従って闘い、その時のために求めていくべき歴史的な運命に置かれています。人間がハナニムに従い、ハナニムの目標に向かっていくところでは闘いの路程がないはずがないので、このような曲折を記録しているのが歴史です。
その闘いとは、どのような闘いでしょうか。耐える者が先に打たれる闘いであり、犠牲になる者が支配される闘いであり、新しい理念と新しい希望をもって立ち上がる人々が殺される闘いです。そのような闘いの歴史路程でした。
第4章 天一国の民となる道 p2217
p2218 第15巻 天一国主人の生活
それゆえに、この地上で善を叫んできた人は、誰もが苦痛の路程を耐えなければならなかったのであり、民族に代わって犠牲にならなければならなかったのであり、自分の信念を曲げないために死の場に出ていかなければならなかったのです。
(10-230, 1960.10.16)
※
貧しく暮らしている人に対しては、助けてあげなければなりません。日本を中心としてアメリカを助け、アメリカを通して飢えて死んでいるアジアの人、かわいそうなインドのような所を助けなければなりません。この世界の人々は、一つの国の人々です。アメリカ人がアメリカの国民を愛するよりも、天の国の人が天の国を中心として愛するほうが、より強いというのです。
今、韓国は悲惨な立場にありますが、ここで支援しているすべてのものをもって韓国を助けてあげれば、韓国民族が私を褒め称えながら喜ぶことを知っています。しかし、私は、韓国を助けずに、アメリカに来て、このようなことをしているのです。なぜならば、アメリカには世界へ向かい得る、より高い次元の何かがあるからです。
(122-282, 1982.11.21)
※
自分の生活文化の背景に歴史時代の痕跡が残っていては、本然の純粋な天国の民になることができません。サタン世界の文化背景を中心として習慣化した、そのような痕跡は、天国の本然の世界にあってはならないのです。生活的、習慣的な要素が残っていては天国に入っていくことができないのです。
(197-286, 1990.1.20)
※
民さえ転換すれば、地は自然に転換するようになります。主権さえ立てられれば、民も転換し、国も転換するのです。ですから、レバレンド・ムーンは、世界的な主権を手にし得る最も近い基地である、アメリカとソ連に対して関心をもつのです。今まで、ソ連はアメリカと両極化していましたが、彼らさえも世界の頂上で一つに統一されています。ハナニムは、そのような頂上を導きたいと思っていらっしゃるのです。強いて比較するならば、そのようになった時、導いていく機関車のようなものがレバレンド・ムーンだというのです。このような一つの主権における一つの民、一つの地、一つの文化圏がエデンの園ですが、エデンの園には言語問題がないというのです。なぜならば、天国には天国の母国語(真の父母様の言語)を使う人が入っていくようになっているからです。
(216-30, 1991.3.3)
※
一つの国家を見ても、そこには代表者がいて、宗族には宗族の代表者がいて、家庭には家庭の代表者がいます。人間は、このようなすべての世界と関係をもっているので、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母に侍っていってこそ天の民となり得るということを、皆さんは知らなければなりません。
今日、全世界の人類が探し求めているものとは何でしょうか。宇宙的な父母です。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れることを願っています。その宇宙的な父母が現れる日が、正に再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母と対面させ得る摂理が成されていません。
第4章 天一国の民となる道 p2218
p2219 第15巻 天一国主人の生活
ハナニムは、6000年間摂理のみ旨を立ててこられましたが、教団を中心として大祭司長の責任を担って来るべき再臨主の使命が残っているのを見るとき、新郎新婦という約束圏内の摂理は成されたのですが、新郎新婦が教団を中心として生活し得る真の父母の位置には、まだ達していないことを知ることができます。
真の父母の位置が決定するまでは、真の子女たちによって築かれる真の家庭は成立しません。一段階さらに進んで、宇宙的な父母の位置が決定するまでは、教団的な父母の位置が決定されないのです。
(5-122, 1959.1.4)
※
24時間、常に明るい光を発し、常に熱い情熱を発する人がハナニムの国の人です。虫たちが、真っ暗な夜に、光りのある所に寄り集まってくるのと同じです。
それゆえに、ハナニムの生命力と愛の力、明るく熱いものを永遠にもち続けられる人ならば、その人は天国の人に間違いありません。
(86-302, 1976.4.11)
※
真の父の国、真の母の国、真の長子の国があります。そこに連結されて天国の民が生まれるのです。ですから、私が天国の民であり、天国の息子、娘であり、天国の主人だ、そのような結論が出てくるというのです。家庭から出発して、天国の主人になるのであり、皇族圏に入っていくのです。家庭の主人は孝子、国の主人は愛国者ですが、これが一つにずっと連結されなければなりません。一つの道を行かなければなりません。孝子から愛国者、愛国者から聖人、聖人から聖子になるのが一つの方向です。あとに戻ることはありません。
ハナニムは、一つの道を行くことを願われます。最初は、孝子にならなければなりません。「あなたが絶対的に必要だ。苦難の場であろうと幸福な場であろうと一緒にいたい」と言われる私にならなければなりません。「生涯、永遠に一緒にいたい」と言われる私にならなければなりません。誰かがいくら否定し、迫害したとしても、皆さんは、その道を行かなければなりません。天国の民になれば、そこには蕩減がありません。一度成し遂げた結果は、永遠に存続するのです。
(293-209, 1998.5.26)
※
皆さんは、この国が認めてこそ真の家庭になるのです。この国の民が認めなければなりません。この国の宗族が認め、この国の家庭が認め、この国の個人が認め、皆さんの家庭が個人・家庭・宗族・民族・国家の認定圏を超えてこそ、世界へ入っていけるのです。ここで認められなければ、皆さんの行く道は、ふさがるのです。認められることによって、歴史始まって以来、初めて皆さんは、天国の民として入っていけることを知らなければなりません。
(134-218, 1985.7.20)
※
第4章 天一国の民となる道 p2219
p2220 第15巻 天一国主人の生活
皆さんの婚約者が気に入らなくても、耐えて犠牲となり、耐えて奉仕しながら行かなければなりません。「あの人と出会わなければ、私は学ぶことができなかったはずであり、私を天国に行かせるためにあの人を私に与えられ、もっと苦労し、奉仕し、犠牲になれる精神を私にもたせてくれるのだなあ!」。そのように考えれば、偉大な人となり、天国に行ける人になるのです。
ハナニムは、罪人までもその息子、娘にすることを願われていらっしゃるのに、婚約者の顔が少し悪く、日本人で、背が小さいからといって、「ああ、私の好みに合わない!」と、そのように考えることができますか。男性として生まれ、最も醜い女性を連れて、より犠牲となり、より奉仕すれば、1等天国に行くのだということを考えなさいというのです。最も偉大な夫となり、聖人の夫になるのだということを知らなければなりません。統一教会の食口ならば、それくらいのことは考えられなければなりません。
(116-95, 1981.12.20)
※
女性にとって最も幸福であり、最も貴いことは、夫をもったということです。それから、夫婦にとって最もうれしいことは、子女をもったということです。その子女は、父親のものでもなく、母親のものでもありません。この世界のものです。天国のものです。族譜は天国にあるのです。
自分の息子、娘ですが、みな国籍に入っているでしょう? 国籍があるということは、その国の民だということです。それと同じように、その息子、娘は、天国の息子、娘だというのです。それから、その夫婦は、天国を代表した夫であり、天国を代表した妻だというのです。そのように思える心であってこそ、入籍する時、天国の基準に拍子が合うのです。そして、その基準に共鳴できるのです。この地上において共鳴的体験をしなくては、いくら祝福を受けたとしても、天上世界では困るというのです。男性も同じです。女性をもったということが最高の幸福です。二人が一つになって、愛を中心として息子、娘をもったということが第2の幸福です。そのような愛の家庭を世界に伝授しなければなりません。そのようになれば、天国の民としての資格を完全に備えるのです。
(233-212, 1992.8.1)
※
三位基台は、3大祭物です。アブラハムの3大祭物があり、ノアにも3層の箱舟があったでしょう? すべて3大祭物です。
このように祭壇を築いて3人が祭物を捧げ、その地域の民のために忠誠と誠心を尽くし、自分の息子、娘に対して福を祈る心情をもって、その地域を抱ける人にならなければなりません。そのような地域を受け持って3年間だけ活動すれば、天の民の資格を備えるのです。
(150-26, 1958.8.17)
※
真の人とは、全体のために犠牲となって苦労した人です。真の人の中には、真の息子がいて、真の娘がいて、真の師・真の友人・真の父母・真の兄弟・真の家庭・真の国・真の天国があります。
それでは、真の天国とはどのような所でしょうか。全体のためにより犠牲となり、苦労した人々が行く所です。
(124-168, 1983.2.6)
※
第4章 天一国の民となる道 p2220
p2221 第15巻 天一国主人の生活
アダムとエバは、個人で間違った結婚をすることによって滅びたので、今は逆に、国家間において二世が交叉結婚をするのです。今は、愛さざるを得ません。愛によってその怨讐を溶かさなければなりません。このような基準を立てるためには、アメリカという国を中心として、6ヵ国の怨讐の国々、日本・韓国・ドイツ・フランス・イギリス等の怨讐が集まり、その怨讐の国に行き、その国の忠臣以上になり、新しい国を蘇生させるための伝統として、怨讐を愛したという挙国的な愛の基台を通してのみ、一つになったその基台の上で天国が出帆するのです。
(192-85, 1989.7.2)
※
天国に行こうとすれば、怨讐を愛さなければなりません。エデンの園には、ハナニムを中心としたアダムとエバ、それからアダムとエバを中心とした天使長がいました。アダムとエバが完成して天国に入っていく時、天使長も一緒に入っていくようになっていました。愛して入っていく所が天国です。天使長が、ハナニムの愛とアダムとエバの愛を受けたのちに、一緒に入っていくのです。それが創造原理です。
(243-280, 1993.1.28)
※
生きるのは、自分のために生きるのではありません。全体を代表して生きなさいというのです。自分が女性ならば、すべての女性の代身としてこの時代に生まれ、自分を見ている女性の手本にならなければなりません。一つの標本として生きるのです。そのようになれば、子孫たちは間違いなくその標本に従っていくのです。そのように標本に従って連結する所が天上世界であり、永遠の世界です。ここに合格すれば、すべてのことが無事通過ですが、合格できなければ、大変なことになるのです。そこは、真の父母が教えてあげるのではなく、真の父母を通して完成した人々が行く所です。あの世には、そのような教育制度がありません。この地上で教育を受けてから行かなければなりません。地上でつなぐことは、天でもみなつながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるのです。
(227-376, 1992.2.16)
※
天国の民は、万民の前に奉仕の旗を掲げて立ち上がった人々です。それゆえに、今日、私たちがある民族を救うためには、自分が所有しているすべてのものを、その民族のために分け与えなければなりません。それでも救うことができなければ、自らの生命まで捧げられる人にならなければなりません。このような人が、すなわち天国の民です。このような民を糾合して天国理念を成就しなければならないハナニムの事情があることを、皆さんは考えなければなりません。
(5-17, 1958.11.9)
※
怨讐の子女を自分の息子、娘よりも愛さなければ、天国に行く道がありません。今日の既成教会員たちは、ハナニムに「いつも幸福にしてくださり、私たちの罪と悪なることを、すべて許してください」と祈ります。それは、すべて偽物です。それを知っている文総裁は、ハナニムに祈祷することができません。祈祷する前に実績を収め、それを捧げながらも恥ずかしさを感じなければなりません。ハナニムの前に面目ない私たちの先祖の罪を、何をもって赦していただくのですか。
いまだに真の父母が結婚式を挙げることができていません。真の父母が定着できていないのです。しかし、今は、真の父母が「真の父母と成約時代安着」という時代を迎えたので、真の父母が初めて還故郷することができるようになったのです。還故郷する時には、散在していたすべての子女を連れていくのです。故郷に行き、真の父母が定着して結婚式を挙げたので、息子、娘を結婚させるようになるのです。
第4章 天一国の民となる道 p2221
p2222 第15巻 天一国主人の生活
それゆえに、統一教会は、今まで他の宗教と反対の道を歩んできましたが、誤った宗教ではなく、正統の道を教える宗教だというのです。なぜならば、「真の父母」という言葉をもっているからです。偽りの父母が教えた世界とは、反対の世界に立っているのです。
偽りの父母の立場から、修養して真の父母の道を求めていくためにこのようなことを教えてあげたので、真の父母は、当然、還故郷をしなければならず、家庭をもたなければならないというのです。ですから、真の父母の息子、娘も還故郷し、家庭をもたなければならないということは理論的です。
(273-289, 1995.10.29)
※
皆さんの心が、「今、私は、新しい時代に越えてきた」と思えば、後ろも振り返らずに、「世の中よ、さようなら! 私は行く」と言わなければなりません。天宙平和統一解放聖火式をしたので、その峠を越えたのです。ソドムとゴモラを離れる時、後ろを顧みてはならないと警告したにもかかわらず、ロトの妻が、「ああ、行く道が漠々としている」と言って・・・。行く目的地も知らず、どこに行くのかも知らず、避難することよりも、今の苦痛が目の前をふさいでいて真っ暗な天地だと思って行くので、女性たちは、昔の暮らしを慕わしく思い、間違いなく後ろを顧みるのです。ですから、「終りの日」にはそのような時があるので、「身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」(マタイ24:19)と言ったのです。
(396-134, 2002.11.5)
※
皆さんの国がありますか。この国のすべての結論を出さなければなりません。ですから、今から盟誓文も天一国主人です。主人になるのです。「天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として」。これが主体です。このようにするのです。分かるでしょう? 盟誓文が変わるのです。盟誓文に主人が生まれました。誰もがみな売り飛ばすことができますか。しかし、天一国という言葉は、永遠に、真の父母によって生まれた言葉です。
ハナニムの王権を樹立し、天地父母安着生活圏を経て、地上天上和合統一大会を経て、天宙、地上天上平和統一解放聖火式が終わったので、新しい国が必要なのです!
(396-149, 2002.11.5)
※
統一教会に入ってきてどれほど信仰したとしても、心と体が一つにならなければ天国に行くことはできません。闘うところには影があるからです。
皆さんがここで入籍修練を受け、祝福を受ける時、正午定着ということを言いました。影があってはなりません。
皆さんの心と体が一つになっていなければ、日の光がさすとき、心が高い位置にあれば、左側に影が生じます。体が良心よりも高くなれば、左側から影が生じます。正午定着にならなければなりません。上・中・下が完全に垂直に立たなければなりません。
第4章 天一国の民となる道 p2222
p2223 第15巻 天一国主人の生活
ハナニムが1代だとすれば、アダムが2代であり、3代圏が垂直にならなかったというのです。ハナニムには3代がありませんでした。孫と孫娘をもつことができなかったかわいそうなハナニムだということを知りませんでした。私たち人類の先祖であり、私たちの師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、天下の大主宰であられるそのお方が、このように悲惨な立場に立っていらっしゃったという事実を、堕落した人類は知らなかったのです。
(400-197, 2003.1.1)
※
4) 天国の所有権を得るには天の民を大勢連れていかなければならない
皆さんは、「私たちは、希望の民を求めてきた群れだ。希望の国を蘇生させるための群れだ。私たちが手を付ける日には、国を蘇生させ得る、一つの要素となる国民が蘇生する。私たちは、国の伝統的思想を受け継いだ者として、私たちの願う国を再建するために立ち上がったので、正しい伝統的思想によって彼らと一つになり、正しい国を求めていかなければならない。私たちは、そのような群れを募集するための募兵責任者だ」、このように考えなければなりません。
ここで、国を愛する心にあふれていなければならず、民を愛する心にあふれていなければなりません。今までのような、国の民として国を愛した立場とは違わなければなりません。今までの自分の親戚、あるいは父母・兄弟・妻子を愛したものとは違わなければなりません。それらとは異なる意味で民を愛し、国を愛することができなければ、ハナニムが求めていらっしゃる希望の理想世界を再現することはできないのです。
私がハナニムを正しく見せてあげてこそ、彼らが私に従ってきて天の民になるのです。また、その集まる民を正しく連結させてこそ、天の祖国光復が蘇生するのです。
(57-179, 1972.5.31)
※
「一つの民」という言葉の中には、黒人、白人、黄色人がすべて入っています。一つの民は、すべての文化を消化させることができる能力をもたなければなりません。また、歴史的なすべての習慣と環境を消化し得る能力をもたなければなりません。
この一つの民となり、父母を中心として兄弟になろうというのです。しかし、まだこの世界は、そのようになっていません。それを完全に一つの民になれるようにしなければなりません。そのままほうっておけば、そこにはいつも悪なる人が残ります。私たちが家庭教会活動をすることにより、一つの民をつくることができるのです。一つの民をつくる方法は、家庭教会活動を通じなければならないという事実を知らなければなりません。それ以外には道がないというのです。数多くの宗族がいても、一つにする運動をしなければなりません。
(116-215, 1982.1.1)
※
第4章 天一国の民となる道 p2223
p2224 第15巻 天一国主人の生活
サタンの愛よりもハナニムの愛が気高く、原則的な愛の基盤で祝福を受けた男性と女性として立ったので、サタンが讒訴し得る基準ではなく、その上にいるがゆえに、讒訴できません。
なぜならば、真の父母様の血筋を通してすべて本然の血統基準を立てたので、その血統圏にいることができるならば、サタンは生まれることもできないというのです。ですから、完全にサタン分別圏に越えていくのです。
(172-66, 1988.1.7)
※
統一教会は、家庭天国理想のために前進する代表的教会です。この家庭の中には、国が宿り、世界が宿り、天地が宿り、ハナニムが宿るということを知らなければなりません。
真の父母の血族の因縁をもったので、今後、野生のオリーブの木になってはいけません。真のオリーブの木の種をもって、万国のどこに行って根を下ろしても、真のオリーブの木の実が結実しなければなりません。万国万邦を越えて同じ実を収め、天国の神聖な民族として倉庫に納めなければなりません。それがハナニムの創造理想だったことを知らなければなりません。
天国の民を拡張させなければならない責任、蕩減の役事がない自由解放圏内の天国の民を拡張させなければならない責任が、私たち統一教会の家庭にはあるのです。それが皆さんの使命だということを忘却してはいけません。
今から宗族圏が発足するのです。今からは、ハナニムが主管するのではなく、皆さんの一族を天国の宗族化させる時代に入っていくようになります。それゆえに、先祖が役事して、我知らず統一教会に行くようになるのです。春が訪れてくれば、葉が強制的に出てくるのではありません。自然に出てこなければなりません。ですから、徐々に朝日が昇るその世界が目前に迫ってきたので、解放された姿で、ハナニムの子女の名分を中心として、威風堂々と天地の大主人として出ていくことが、私たちの義務であり使命だということを忘却してはいけません。
(202-256, 1990.5.24)
※
先生の願いは、天国の民を生かすことです。しかし、サタン世界に属した民をどのように変化させるのでしょうか。これが問題です。それを否定して、180度方向を転換させるのです。今、サタンは上に位置し、ハナニムは低い所に位置していらっしゃいます。それをどのように変えるのですか。零点にならなければなりません。天国の民をどれだけ連れていったのかということが、最も貴いことです。
皆さんは、先生のおかげで全員天国の民になったでしょう? 同じです。皆さんの息子、娘が天国の民になれるようにするためには、自分が死んでも、天国に連れていって暮らせる息子、娘として教育しておかなければなりません。それが皆さんの財産です。それをシステムにして、皆さんの息子、娘を教育しなければなりません。それでこそ、彼らが一つの所に行くのです。すべての人々が一度に天国の民になるならば、ハナニムがどれほど喜ばれるでしょうか。そのようにしなければなりません。それが、あの世の財産です。嫁いでいく新婦が嫁ぎ先に行くときに、所帯道具をもっていくのと同じように、それがあの世に行く時の贈り物です。自分の国の人はもちろん、数多くの国の人を連れてきたというときには、天国で祝宴が催されるのです。
(215-182, 1991.2.17)
※
第4章 天一国の民となる道 p2224
p2225 第15巻 天一国主人の生活
原理のみ言を通じて、事業ならば事業分野において、天国の民を連れて入っていくことが最大の贈り物です。天国に入っていく時に、何をもっていくのですか。自分の家族だけ連れていくのではありません。自分の家族だけ連れていけば、サタン世界のカインの息子、娘を、誰が救ってあげますか。ですから、今まで、真の愛を中心として天国に入っていった民がいなかったというのです。それで天国は空いているのです。ですから、天国の民をたくさん復帰していくことが、ハナニムから賞を頂き、天国の近くに行ける贈り物だということを知らなければなりません。知識や何かの活動や実績ではいけないというのです。
(216-135, 1991.3.9)
※
永生基盤がなくては、長久な闘争はできないのです。実績がなければ流れていきます。先生は、永生を懸けて闘ったので、今まで残ってきたのです。
同じです。深刻な問題です。その力を知らずにいます。いずれ、一度は死ぬのです。どのコーナーで死ぬのか分かりません。いつかは霊界に行くのです。行く時に、天の前に何をもっていくのですか。体をもっていくことはできません。すべての人が天の民を率いていかなければなりません。それゆえに、先生の後ろには、多くの民が従うようになっているでしょう? それをしなければならないのです。
(230-61, 1992.4.15)
※
霊界においての所有権は、天国の民をどのくらい連れて入ってきたかということで決まります。それが自分の財産です。これからは、それをはっきりさせるべき時が来ました。今からは、1日に何百万が伝道される時が来ます。統一教会には、そのような素晴らしい内容があるのです。世の中を見なさいというのです。今、死ぬとか生きるとか、人生が何だとか、地に足をつけることができずに空中をさまよいながら、狂ったように歩き回り、最後に自殺する人がどれほど多いですか。
これからは交流時代に入っていくのです。統一教会の食口交流時代、近隣の3、4ヵ国を中心とした交流時代、その次には大陸間の交流時代、さらには東洋と西洋の交流時代が来るのです。このように交流すれば版図が変わるのです。
なぜそれが必要でしょうか。その国家と国家を見れば、境界線に接している国家同士は、大概が怨讐視しています。自らの実利を追求しているのでぶつかることが多く、怨讐になったというのです。それゆえに、霊界では、暗黒の時代で生きた人は、すべて障壁でふさがれているのです。これをどのように開くのですか。地上で子孫が崩してあげなければなりません。
その子孫が崩すことにより、その障壁が崩れるというのです。その障壁を崩そうとするので、日本の人を、憎んだ以上に愛し得る人にならなければならないというのです。それがアベルの使命です。先に知った人が、先に十字架を負わなければなりません。
(218-227, 1991.8.19)
※
第4章 天一国の民となる道 p2225
p2226 第15巻 天一国主人の生活
あの世に行くにおいて、個人所有になるものは、この地上にいる時に天国の民をどれだけ多く接ぎ木させていったかということです。宗教では、この意識を植えつけてあげなければなりません。
私たち統一教会の食口が二世に、この意識を植えつけることができなかったので、ほかの所に行こうとするのです。「就職だ」、「何だ」と言って、世の中に流れていこうとするのです。ですから、この地で霊界、天国の民を生産するようになっているというのです。霊界では生産ができません。地上で生産するのです。ですから、本来は、アダムとエバを中心として、原則的に生産したとすれば、すべてが天国の所属なのですが、堕落したためにひっくり返ったのです。
(230-24, 1992.4.15)
※
ご飯を食べることよりも重要なことが、天国の民を収穫することです。それが、この地上に生きる私たちの本業です。生涯にしなければならないことの中で、それ以上に貴いことはありません。世の中で就職して出世したり、お金を集めたりすることは、すべて流れていくのです。あの世では、お金を集めても何の意味もありません。あの世では、物質が必要ないのです。知識が必要ないのです。学ばなくても心が先に知っています。1週間以内に何でも、すべて通じるのです。
今後、皆さんはあの世に行き、復帰歴史をされるハナニムの前に、一人のアダムを取り戻すために今まで苦労されたハナニムの前に行って、何と言うのですか。ハナニムは、創世以後、今まで一人でアダム完成者を尋ね求めてこられたのではありませんか。しかし、皆さんは、原理を知りました。これは、数千、数万の民を救い得る武器です。今までハナニムが人間に教えることができず、それが分からない中で摂理なさるハナニムの切なさ、それに代わって地上でハナニム以上のことを私たちがするのです。私たちには、原理で数百、数千のアダムを教化して連れていける道があるのです。
皆さんは、天国に連れていける息子、娘を何人つくりましたか。皆さんがしなければならないことは、それしかないのです。いくら億千万のお金をもって幸せに暮らしても、すべて流れていくのです。それは、自らのすべての物質と知識と自分の命まで、堕落した自分の命まで投入してでもしなければなりません。それを別々に投入するのではなく、一度に投入して天国の民をつくろうと思わなければなりません。投入して全体が加重されるに従い、その価値は比例していくのです。
(230-28, 1992.4.15)
※
皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収められる鍬が、今まではなかったのです。分からないのでできなかったのです。
第4章 天一国の民となる道 p2226
p2227 第15巻 天一国主人の生活
しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫できるのです。
(230-32, 1992.4.15)
※
自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。
地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? このことを前提として語られた言葉です。
(235-58, 1992.8.28)
※
磁石のN極とS極がお互いに「引っ張れ」と言って引かれていくのではありません。そのように自然な作用が展開するのです。台風が吹くのです。これが定着しなければなりません。エバ圏を中心として、母を中心として、台風のように吹いてくる世界の運勢と共に、カイン・アベル圏を家庭にしっかりと植えておかなければなりません。出産するのです。皆さんがする出産は、母の出産であり、息子、娘の出産です。この道を行くにあたって、女性たちは解放者です。男性たちは、無関心な自由天地圏にいるので、自分の息子、娘が行くことに干渉できないのです。女性は、24時間いつでも占領できる時代圏に入ってきたという驚きを、天地の前に、父母様の前に感謝しなければなりません。それゆえに、どれだけたくさん収穫して天国に行くのかということが問題です。
最近韓国では、嫁入り道具の問題で騒々しいでしょう? ちょうどそのような時になりました。天国に、どれだけ多くの民と家庭を連れて入っていくのかということが問題です。
天国には家庭も民もありません。民とともに家庭をつくってさしあげれば、ハナニムがどれほど有り難いと思われるだろうかというのです。真っ暗な夜中に天を見れば、星が輝くのが見えるでしょう? 皆さんはその中で、どのような星になりたいですか。大きな星になりたいと思うはずです。そのような大きな星になるかならないかは、民をどれだけ、家庭をどれだけ率いていくかにかかっているのです。
(235-119, 1992.8.29)
※
山に行って山菜を摘む女性が、良い山菜を採ろうと1日中あちこち飛び回っていたのでは、夕方に帰ってくる時には、かごが空だというのです。おなかが空き、その山菜をつまみ食いして、空のかごで帰ってくるのです。しかし、着実に落ち着いて採る人は、元気に飛び回っていた女性を、家に使いとして連れてこれるというのです。
今、天国には民がいません。天国は空いています。それゆえに、統一教会の門を通じて、空いている膨大な天国を民で満たさなければなりません。そのような時代が来たにもかかわらず、世界のことは考えずに自分のことばかり考えていてはいけません。うずらのように頭の羽が抜け、せきれいのように頭の羽が白くなってはいけません。仕方なく尾を振りながら、哀れに飛んでいくせきれいになってはいけないというのです。貴婦人にならなければなりません。
(237-303, 1992.11.17)
※
第4章 天一国の民となる道 p2227
p2228 第15巻 天一国主人の生活
なぜハナニムがアダムを造られたのかというと、横的な面積が必要なので造られたのです。多くの男女が結婚して家庭を築くのは、家庭の息子、娘をすべて移動させ、天国を満たすためなのです。それゆえに家庭は、天国の民を創造、製造する分工場です。家庭が分工場なので、多くの息子、娘を造り出しなさいというのです。天国では、誰が民をたくさん連れて入ってきたかによって天国の位階が、栄光の位置が決定するのです。息子、娘をたくさん育ててみれば、12タイプの人間、24タイプまで育ててみれば、人間をすべて愛したという位置に立つというのです。
(256-238, 1994.3.13)
※
今回、私がハワイに出発する時に、今までハナニム王権即位式と、それからハナニムの故郷と祖国定着、それから天一国宣布とともに国民・・・。国を成すためには主権がなければなりません。それが王権樹立です。国がなければなりません。祖国定着です。その次には、国民がいなければなりません。ですから、天国入籍カードをもつようになっているのです。
このようなことをなすことによって、天の全権を中心とした主権と国と国民を備え得る天一国の基盤がすべて準備されました。ここにおいて自らの確定的な価値決定は、今から皆さんが天の前にどれくらい一族を収拾するかにかかっています。逆に行かなければなりません。ここから上がっていかなければなりません。
(364-131, 2002.1.1)
※
今からは、先祖を動員する時代です。先祖たちを動員して協力させなければなりません。そのようにしようと思えば、この内容をはっきりと知り、天上の構造がどのようになっていて、どのように再臨役事が成されるのかということをはっきりと知って動員しなければなりません。そのようにして、皆さんが旗手となり、誠心誠意を尽くす彼らの方向を先に定めてあげ、模範とならなければなりません。地上がお兄さんです。地上が模範とならなければなりません。分かりますか。ですから、一人でするのだと思わないでください。先祖を動員すれば、すべて協助してくれるのです。
(370-132, 2002.2.19)
※
堕落とは何かというと、ハナニムにも創造なさった責任があり、アダムには堕落させた責任があります。その堕落は、家庭破綻であり、それは、国家、世界、全宇宙を滅ぼし得る破綻です。偽りの父母がこのようにしてしまったので、偽りの父母の王であるサタンが生まれ、偽りの父母と一つになってハナニムを追放し、ハナニムが願われる世界を滅ぼしたのです。そのようにして、今まで、政治世界が宗教圏を犠牲にしてきたのです。しかし、今からは、これがひっくり返ります。
ですから先生は、超宗教・超国家・超NGO運動をして、秩序がひっくり返っているものを順次的な方向に立て、天と地が統一された解放の結果として合わせるのです。合わせるにおいては、霊界で合わせるのではなく、地上で合わせてすべてのものを解放して越えていかなければなりません。越えていく時は、サタンが汚した血痕の残っている一切、汚した痕跡が残っている一切を燃やしてしまうのです。今まで、自分個人や、家庭や、おしりにぶらさがっていたものをすべて燃やしてしまい、この聖火式を通して越えるのです。
第4章 天一国の民となる道 p2228
p2229 第15巻 天一国主人の生活
越えるのですが、その越えた位置は何かというと、祝福中心家庭です! 越えるにおいては、家庭から失敗したので、家庭をもたなければ越えることができません。個人では越えることができません。それゆえに、今、霊界でも祝福完結のために大騒ぎです。地上に対して要求するのです。
それゆえに、地上で生きたのちに死んでいった皆さんの先祖や、また宗教の責任者である宗主たちには、地上に再臨し、その氏族や宗教を中心とした主人の立場で責任行為を完結して越えていかなければならない責任があるので・・・。「今、統一教会は外部の人を伝道してはならない」と言いました。自分の一族、自分の家庭に属している僕を救ってあげ、それから養子を救ってあげ、庶子を救ってあげ、直系の子女を救ってあげ、一つになって父母に侍り、本然の家庭の夫であるメシヤを中心として教育を受けるのです。そのようにすることによって、新たに解放された地上の個人から天上解放圏まで完結し得るのです。
(396-127, 2002.11.5)
※
5) 天一国主人の生活
① 一心・一体・一念・一和
あなたと私は、心と体が一つになった同じ位置、それはすなわち夫婦一心、父子一心という位置です。一心は、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況では成立できません。父親が上にいて、息子、娘が下にいれば、一心になることはできないのです。お互いが同等な立場で平面的に位置していてこそ一心になるのです。内的外的関係が平面線上の位置に立ってこそ一心になるというのです。
夫婦も同様です。横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になることはできないというのです。
(41-30, 1971.2.12)
※
一心統一です。目が一心にならなければならず、鼻も一心であり、すべて一心です。心と体も一心であり、男性と女性も一心です。国の宗族も一心であり、国も一心にならなければなりません。
王が願うとおりに一心にならなければならず、世界の大統領と一心となり、ハナニムと一心となり、天地の大統領と一心統一になれば、世界は一つの国になるのです。その統一された国は、人の国ではなく、正に私の国なのです。
(284-76, 1997.4.15)
※
アダムとエバがハナニムの前に責任を果たしていたならば、ハナニムが祝福式をしてくださったのです。祝福を受ければ、そこから善が出発し、真理の一体化、実体の一体化、心情の一体化が成されるのです。真理の一体化とは、ハナニムが「このようにしなさい!」とおっしゃれば、「はい」と言って、ハナニムのみ言どおりに従ってすべて成されるのです。ハナニムのみ旨から見たアダムとエバは、本来、二人ではありません。アダムがエバに引かれて天法に背いたので二人になったのであって、本来は一人なのです。真理の一体化、実体の一体化が成されたのちには、心情の一体化が成されなければなりません。そのようになれば、ハナニムと一体化するのです。ハナニムは、そのようになる日を待ち望んでこられました。
(15-263, 1965.10.17)
※
第4章 天一国の民となる道 p2229
p2230 第15巻 天一国主人の生活
天国は、ハナニムの愛を中心として完全に一体となった夫婦が入っていく所であり、その一体となった夫婦によって生まれた子女たち、すなわち、ハナニムを中心として一体となった家庭・宗族・民族をすべて率いて入っていく所なのです。
(18-331, 1967.8.13)
※
統一教会の第1条件は、心身一体です。それで、ハナニムが天地創造される時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従を命じたのです。自分が言えば、信じたとおりに実体が現れます。現れなければ、投入して現れるようにして成し遂げるのです。いくら大きなものでも、自分が命令したとおりに成し遂げられるというのです。願った以上に投入するので、完成するのです。
(400-203, 2003.1.1)
※
エバの堕落は、絶対信仰・絶対愛を追求できなかったということです。それで、蕩減復帰原則において、良心を中心として絶対信仰、絶対愛を取り戻すために、天のために生きる一念、一片丹心しかないというのです。世の中のすべてのものは、天とは背反するものなので、これを断ち切って絶対否定しなければなりません。
(275-30, 1995.10.30)
※
一和という言葉は、「一」という字に、和するの「和」という字です。化けるの「化」という字ではありません。和するの「和」という字は、皆さんの個性がそれぞれ違いますが、個性の違う人たちが一つになるのと同じように、個性の違う民族、個性の違う国家が一つにならなければならないという意味が内包されています。
(68-232, 1973.8.3)
※
一和という言葉の「和」という字は、本質が変わっていきながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合するのです。どちらが貴いかというと、本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。
(173-241, 1988.2.21)
※
一心・一体・一念です。一心は何かというと愛天です。天を愛しなさいということです。一体は何かというと、人類を愛しなさいということです。そうではありませんか。一念は愛国です。愛国は国家を愛しなさいということです。国家は家庭を拡大したものです。家庭を愛しなさいということです。男性と女性におけるすべての願いの骨子、主流が、一心・一体・一念の思想です! 分かりますか。
ですから、きょうの表題を言うと、一心・一体・一念安着、これは一念と言ってもかまいません。一心・一体・一念はハナニムと天宙人の主流思想です。天宙と言えばみな分かるでしょう? ハナニムの家なので、万物世界、天地がすべて入るのです。天宙人の主流思想です! 分かりますか。一度言ってみてください。(「一心・一体・一念は、ハナニムと天宙人の主流思想です」)。天宙人とは、天地の家の人です。すべて入ります。被造万物がすべて入るのです。天宙人の主流思想です。分かりましたか。一度言ってみてください。(「一心・一体・一念は、ハナニムと天宙人の主流思想です!」)。それ以外にはありません。
(381-106, 2002.6.11)
※
第4章 天一国の民となる道 p2230
p2231 第15巻 天一国主人の生活
万福の根源であられるお父様! 地上に真の父母を送られて数多くの恨の峠を蕩減させられ、今は、天上地上和合統一大会とともに天上地上和合統一解放聖火式を終え、天上地上和合平和統一平定時代を迎え、天と地が共に一体理想を中心として、個人から天宙まで、水平的基準で一つの目的に向かって前進するようになりました。個人完成を中心として、心と体が一つになり、一心・一体・一念を中心として和することができる一和の実体を中心として、天が願われた相対的理想を完成するための愛の理想のために絶対的に必要なものは、対象的基準として創造されたアダムとエバです。無形の天国の父母と有形の実体の父母が、一心・一体・一念・一和の統一的基準を中心として、愛の理想相対をもたなければ、絶対愛・唯一愛・不変・永遠の愛、ハナニムにおける属性の主流的理想の目的を完成することはできません。
(400-189, 2003.1.1)
※
② 純潔の8段階
救援摂理は再創造摂理です。再創造摂理は、ハナニムの創造原則にかなう純潔な万物、純潔な人、純潔な血統、純潔な愛を立てるためのものであり、これが創造の過程なのです。純潔な地上に純潔な万物、純潔な人、純潔な愛を立てるためのものが創造の理想であり創造目的なので、これを成し遂げるためには、私たちの一身において自由にならなければなりません。
純潔な体を取り戻すためには、サタンの基盤になっている体を打って、サタンを追放してしまわなければなりません。
そして、純潔な心と体、物質と精神が一つになり、それからサタン圏を抜け出し、約婚段階において3年を経たのちに完成圏の祝福家庭を成すのです。これを原理から見るときには、人間の責任を完成し得る立場に上がっていくということです。このような復帰路程と蕩減路程を知らなければなりません。このようにしなければ上がっていく道がありません。
(268-114, 1995.3.31)
※
純潔の8段階とは、純潔・純血・純愛・純孝・純忠・純聖・純婚・純家庭の道理を果たし、真の父母によって個人から家庭・宗族・民族・国家・世界・天宙・ハナニムまで、地上において8段階の秩序を完成した形態として立てることによって、初めて対象的な横的個人・家庭・宗族・民族が相対的基準で一体化するのです。
第4章 天一国の民となる道 p2231
p2232 第15巻 天一国主人の生活
それで、無形のハナニムと実体の天地父母の愛を中心として、家庭的出発形態を拡大した世界理想の基準として抱き、一つの家庭形態として結論づけ得るようになるとき、地上天国と天上天国が解放され、天の国に直行し得る道が開かれるようになるのです。このような内容を成し遂げることが、ハナニムと真の父母の使命です。
心と体が一つになり、一心・一体・一念・一和の姿でハナニムの前に真の孝子となり、国の前に忠臣、世界の前に聖人、聖子の道理を果たし、純潔な孝誠の心で、「私は、永遠に真の父母に侍って暮らします」と言える群れにならなければ、天一国の民になることはできません。
自分一人だけが幸せに暮らそうと考えることはできないということを発見しながら、世の中にいかなる困難や幸福な環境があったとしても、それを越えて不幸な立場にまでも自分が行き、開拓の王子の立場でハナニムの代身者になろうと思うことができてこそ、天一国を相続し得る相続者になるのです。
一緒に暮らしたいと思って真の父母様が苦労されるので、私は、千倍、万倍苦労しても良く、持っているものをすべてかき集めて、その生活圏内に相対基準を造成し、誰よりも真の父母様を解放された喜びの立場に立てようと思わなければなりません。
自分は極の極の立場で苦難も消化しながら感謝することができ、賛美を捧げ、天の前に栄光を捧げ、子孫の前に永遠に誇りを残してあげようと思える人になってこそ、天一国の主人になれるのです。
(396-156, 2002.11.5)
※
習慣性にとらわれ、サタンにずるずる引っ張られる糸口を残さないためには、ハナニムの摂理としてこれは、良いチャンスだと考えなければなりません。純潔の血統を残すためには、真の父母様の血統を受けて継承した清潔な基盤の上に、純潔な愛によって純潔な種を蒔いて、純潔な子孫を迎えるその日の喜びを思って耐えて越えていかなければなりません。そのような道が、山の峠が重なりあっています。それを重大だと思って希望に満ちて越えていくことを先生はお願いします。分かりますか。
(183-86, 1988.10.29)
※
真の父母は、アダムとエバが失敗したすべてのことに責任をもち、解決してあげなければなりません。そのようにしなければ、真の父母の立場に帰る道がありません。父母が植えたので父母が収穫し、悪いものは火で燃やし、良いものは倉庫に入れ、万民が要求する種を分配してあげなければならないというのです。それが原理のみ言です。真の愛のみ言です。純潔な血統のみ言です。理想の夫婦に関する愛のみ言です。それ以外に、人間として尋ね求めていく道はありません。それ以外は、すべて消えていきますが、これは、人間の生命と共に、永遠の生涯と共に行くのです。そのように貴重なのです。
(256-28, 1994.3.12)
※
血統を維持しなければなりません。清い血統、純潔な血統を維持しなければならないというのです。ハナニムが堕落したアダムとエバを追放したのと同じように、血統が汚されれば、自分を完全に除去してしまい、堕落した人と同じように、再び人類の後ろに戻っていかなければならないのです。今後、天国の責任者は、このような純潔を守って生きてきた人だけがなれるのです。この人たちは、主流の伝統思想を受け継いで相続していかなければなりません。祝福を受けた家庭が再堕落することは、絶対に許すことができません。
(268-110, 1995.3.31)
※
第4章 天一国の民となる道 p2232
p2233 第15巻 天一国主人の生活
家に帰ってくれば、誰よりもまず父母にあいさつし、孝道を尽くす伝統がありますが、それは、特に女性に強く強調されたことです。なぜ沈清でしょうか。それは、女性が不孝をしたからです。世界的な歴史を蕩減し、孝子の伝統を立てるために、一人の女性をナンバーワンの位置に立てなければならないのです。復帰天国を成していく時に、これが蕩減の第1条となるので、女性が孝子の伝統を立て、志操を守り、純潔を誇れる娘になったというのです。
(286-103, 1997.8.9)
※
天国の主人になるということは、孝子になったのちに言う言葉です。孝子の次には、忠臣、聖人、聖子の家庭です。聖子の家庭が真の家庭です。真の家庭になってこそ、天国の主人になるのです。
(400-204, 2003.1.1)
※
心と体が一つにならなければ、今後、天国に行くと考えてはいけません。
もし原理のみ言を知って一つになろうと思ったならば、一つになる時まで、あの世に行って待たなければなりません。
(400-205, 2003.1.1)
※
皆さんは、孝子にならなければならず、孝父にならなければならず、それから孝聖にならなければなりません。その次には、純潔・純血・純愛を中心として、家庭基盤の上でハナニムに対して家庭的孝子にならなければなりません。一人だけではありません。家庭全体が孝子にならなければなりません。
そして、孝子忠臣家庭、それから孝子聖人家庭、孝子聖子家庭です。そのような立場で、個人から天宙まで、あの世の天国の王権を受け継げる王子、王女として、遜色のない主人の代身者とならなければなりません。私たちは、常にそのような訓練をしなければなりません。天一国主人という言葉は、そのような意味です。
(406-316, 2003.3.12)
※
真の父母がすべてを収拾し、主人の位置に奉献してさしあげなければなりません。なぜかというと、アダムとエバは、結婚したのちに相続するのです。結婚前に所有しているということは、盗品を購入したということです。盗んだ品物を買って使っているか、借りて使っているか、自分で盗んで使っているか、主人ではない者が主人の役割をしているということです。すべて果たし、純潔・純血・純愛の家庭を中心として、家庭的孝子忠臣、家庭的孝子聖人、家庭的孝子・聖子を真の父母の前にすべて捧げ、ハナニムの前に収拾してさしあげなければなりません。その国も、すべてこのような婚姻申告をしなければならず、出生申告をしなければなりません。
(406-320, 2003.3.12)
※
第4章 天一国の民となる道 p2233
p2234 第15巻 天一国主人の生活
祝福された家庭は、純潔血統、純愛家庭を中心として、家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子になって、「ハナニムは私の父だ」と言わなければなりません。内外にあるすべてのものが似て、心も似て、体も似て、細胞も似て、一心・一体・一念・一和にならなければなりません。しかし、相対がいません。一和の立場で愛を投入しなければなりません。投入し、万物時代から絶えず上がっていかなければなりません。最終的にはハナニムにまで上がっていかなければなりません。ハナニムが喜ばれれば、天下が喜び、天地が和動できる本然の創造理想、完成完結した解放的起源がそこから出発するのです。そこまで行かなければなりません。それを早くしなければなりません。雷のごとくしなければなりません。
(406-322, 2003.3.12)
※
③ ハナニムと真の父母に侍る生活
今日、堕落した人間たちに父母はいますが、その父母は真の父母ではありません。その父母は、ハナニムに認められた父母ではないというのです。それでは、「終りの日」に私たちがしなければならないこととは何でしょうか。私たちが生きているこの時に、宇宙的な父母をお迎えしなければならず、教団的な父母をお迎えしなければならず、その次には家庭的な父母までをお迎えしなければなりません。すなわち3代の父母に侍らなければなりません。
家庭は、民族を代表し得る型であり、教団は、子女の代身となる型であり、宇宙的な父母は、真の父母の代身となる型です。今日、地上に人間たちが生きていますが、ハナニムが許諾された真なる父母の愛の圏から外れています。父母と血と肉が相通じる因縁が、生まれながらに、永遠の世界まで連結していないことが寂しいことなのです。それゆえに、家庭的な父母から教団的な父母と、宇宙的な父母と、ハナニムの愛が絡み合って、初めて6000年全体の愛の圏に入っていき、ハナニムに顔を上げて立ち得るということを皆さんは知らなければなりません。これが、私たち人間が必ず行くべき路程です。
(5-122, 1959.1.4)
※
もし人間が堕落せずに生まれていれば、ハナニムの愛と生命がすべて連結された種から生まれていたのです。それでは、その生命はどこに行くのかというと、ほかに行く所はないというのです。その生命は、自動的にハナニムに帰ります。磁石があれば、N極は、S極に向かって自動的に行くのと同じです。そのようになっていれば、ハナニムがいるのかいないのかを尋ねる必要はないというのです。空気があるのかないのかは分かりませんが、なければ息が苦しいのです。同じように、ハナニムもいるのかいないのか分かりませんが、その愛とその生命力によって生きなければ、すべてのものが窒息してしまうのです。
(104-45, 1979.3.28)
※
真の父母を通して生まれ変わってこそ、天国の民になることができます。それでは、どのようにして再び生むのですか。生むことができる条件を掲げるのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえに、女性は、真の母の命令に絶対服従しなければなりません。エデンの園で戒めを守ることができなかった恨を解かなければなりません。絶対服従しなければならないのです! また、その母の言葉に息子、娘が絶対服従しなければなりません。それを誰が教えてあげるのでしょうか。父、完成したアダムが教えてあげるのです。
(237-301, 1992.11.17)
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第4章 天一国の民となる道 p2234
p2235 第15巻 天一国主人の生活
蒔いたとおりに刈り取るということは真理です。エデンの園のアダムとエバは、何の種を蒔きましたか。フリー・セックスの種です。それで下部を隠すのです。幼い子供も、父母が買っておいた菓子や、おいしいものがあるとき、それを隠れて食べていて、父母が来れば隠します。犯罪の部分を隠すのが本性の作用です。ハナニムの前に現れることができないのです。
堕落した人間が地獄に落ちたので、天国に行こうとすれば、180度反対の道を行かなければなりません。ここで、間違った血筋をもって生まれ、地獄に落ちるようになりました。血統が変わったのです。それゆえにメシヤが来なければなりません。ハナニムが創造されたエデンの園で、堕落しないで堕落前の位置に行き、家庭を築き得る主人として送るのがメシヤです。これが理論的に合わなければなりません。ハナニムに侍る家庭を通してそれを連結し、国家を中心として家庭的に切って接ぎ木した位置で、一度にひっくり返そうというのです。
(279-118, 1996.8.1)
※
フリー・パスをもつためには、真の父母の名前を通じなければなりません。そのようにしなければ、それをもつことができないのです。父がもっているものは子女に相続してあげるのが道理です。それゆえに、皆さんの家庭教会活動は、真の父母の代身であり、ハナニムの前に真の父母の息子、娘として行うのです。
(117-158, 1982.2.28)
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ハナニムを中心として真の父母のみ旨に一致することができないときには、他人の息子、娘です。彼らが真の父母の息子、娘として心情一体になるとき、自分の息子として伝授されるのです。堕落した人間は、他人の息子を生んで育て、その息子を通して自分が高い位置に行かなければなりません。このような観点がきちんと設定されることにより、ここには否定があり得ないのです。
(205-274, 1990.10.1)
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ハナニムの息子、娘になろうとすれば、ハナニムのようにしなければなりません。皆さんが真の父母のようにしなければ、真の父母の息子、娘になることができないのです。同じ原理です。先生も「蕩減」という言葉は嫌いです。しかし、なぜいつも蕩減を中心として話さなければいけないのでしょうか。これが公式だからです。公式を解くことができなければ、落第するのです。10年ではなく、1000年たっても落第するのです。
(246-42, 1993.3.23)
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ハナニムを宇宙の父母として侍れば、ハナニムの愛がこの地上に君臨するというのです。そのようになる日には、ハナニムの愛を受けて兄弟を愛するようになり、「闘いなさい」と言っても闘わなくなります。エデンの園で堕落したことは、どれほどひどいことでしょうか。エデンの園で争い、今まで血を流してきた路程がどれほどひどいことでしょうか。個人が天国に行こうとすれば、一人では行くことができません。二つが一つになり、兄と一つになって父母に侍っていかなければなりません。
(105-339, 1979.10.28)
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第4章 天一国の民となる道 p2235
p2236 第15巻 天一国主人の生活
エデンの園でアダムとエバは、自分勝手に堕落して、その堕落圏内で生きたので、直接的な侍義の生活をしてみることができませんでした。このような侍義の生活ができない人間たちは、天上の天国に入っていく資格がありません。しかし、皆さんは、堕落の血統を受けて生活したとしても、一つの復帰路程を蕩減し、アダムとエバが地上で実体をもって侍ることができなかった真の父母に侍り、ハナニムに侍って暮らしたという条件により、天国に入っていける資格を得るというのです。そのようにしてこそ、天国の市民権を得るようになります。
(150-233, 1961.4.15)
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「天一国平和統一平定」を宣布するのです。「天一国平和統一平定」です。どこも同じだということです。分かりますか。同じでないところはないということです。「平定世界時代」を発表するのです。天一国平和統一平定時代到来発表宣言! ですから、この言葉は何かというと、天国も地上も同じだということです。平定です。
皆さんがある宗教を信仰したとすれば、その宗教の責任者を呼んだときに答えなければなりません。また、先祖を呼べば、子孫たちは本当に天一国平和統一の祝福を受けた家庭なので、答えてあげなければなりません。
ですから、霊界が自由自在に地上に再臨することができ、地上の人の願いが先祖とハナニムの前に自由自在に伝えられ得る時代を意味するのです。天一国平和統一平定時代到来発表を宣言します。「アーメン」と言ってください。きょうを記憶しなければなりません。きょうの早朝、このような内容を祈祷する中で、このような時が来たのだなあということを感じ、このような内容を発表するのです。ですからそのような時代が来たので、きょうは、どのように生きなければならないのかということを、しばらくの間話そうと思います。
私たちの願いは何かというと、ハナニムと同じ位置に立ちたいということです。同位権です。同居権は共に住むことです。それから同参権です。同参権も同行権も同じです。共に参席し、共に行動するのです。そのようにして、その次には同愛権です。共に愛の目的のために生きるのです。
それでイエス様も、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言いました。しかし、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言いましたが、愛の言葉を抜きました。のちの統一教会は、天一国は愛を中心として進むのです。
ですから、皆さんの願いは何かというと、真の父母様と同じ位置にとどまりたいということです。それが願いでしょう? 真の父母様と共に生きたい。真の父母様と共にすべてのことに同参し、行いたい。そのようにして何をしようというのでしょうか。愛を中心として、幸福に、自由に、解放された位置で永遠に共に生きるのです。アーメン。そのような意味において、天一国平和統一平定時代が来たのです。
それゆえに、皆さんが活動する時は、一人で活動するのではなく、皆さんの国がついて回ります。霊界全体が、天の国全体がついて回り、地上世界と万民が擁護する中で主人の資格をもって生きているのです。ですから、ハナニムの愛の伝統を私の一族を通して、一国の伝統のその骨のような思想に自分が仕えるべき主人にならなければなりません。アーメン。
(396-151, 2002.11.5)
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第4章 天一国の民となる道 p2236
p2237 第15巻 天一国主人の生活
6) 天宙・天地真の父母様の勝利圏相続
① 名前
先生の説教集を調べてみてください。40年前に語った話や、今、語っている話がそのとおりになってきているのです。すべて読んでみましたか。説教集を読んでいますか。(「はい」)。私は、イエスをこの上なくよく知っている人です。「真の父母」という名前は、60年から生じたのです。歴史時代に「真の父母」という名前が登場したということは、驚くべき事実です。それは言うまでもないことです。
(168-259, 1987.9.27)
※
統一教会が世界主義になることによってどのようなことが起きるのかというと、霊界の霊人たちがすべて霊界にとどまっていません。地上で完成して入っていくのが目的なので、すべて再臨するようになります。すべて再臨するようになるのです。すべて活動するのです。世界に散在している統一教会の教会員たちが先端に立ち、「動け! 動け! 動け! 動け!」と言うのを願っているのが、数千億になる霊界の霊人です。それが霊界の霊人たちの願いです。ですから、ここで合わせ、霊界にもっていって一つにすれば、ハナニムが主管なさる世界になるのです、真の父母の前に一つに統一された世界が永遠に継続するのです。
(161-222, 1987.2.15)
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今、全世界の統一教会の人々は、「先生が韓国に行った」と言えば、既に韓国を中心として全員が一つになっているのです。怪しげでしょう? そのような意味において、ここの全(斗煥)大統領がアフリカに行くからといって、人々がみなそこに行ったりしますか。しないでしょう。ところが、統一教会は奇妙でしょう? 白人、黒人、誰彼を問わず、私のあとをついて回るのです。なぜでしょうか。どうしてですか。愛ゆえにです。先生の名前は何ですか。名前が二重にあるではないですか。ただの名前は文鮮明であり、愛を代表しては真の父母です。ただの真の父母ではありません。それを知らなければなりません。愛を代表して、ハナニムの統一的な愛を中心として、宇宙的な統一理念を広げるのに愛を中心として、それが一つの鍵、キーになっているので、真の父母なのです。
(164-101, 1987.4.26)
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私たち統一教会の教会員は、西洋の人々も、東洋の人々も、あるいは黒人たちもすべて同じです。統一教会の教会員はそこが違います。統一教会の人々は、西洋の人ともよく結婚するでしょう。皆さんを西洋人と結婚させれば、しますか、しませんか。(「します」)。しますか、しませんか。(「します」)。なぜですか。どうしてですか。世界を一つにしようとするからであり、アダムとエバの夫婦同士が間違って愛することによって滅ぼしたからであり、今日、ハナニムの名と真の父母の名により、男性と女性が、世界を越えてハナニムの愛で完全に一つになって生きることにより、世界は一つになり得ることを知ったからです。それゆえに、私たちはそのようなことをするのです。韓国人同士で結婚するよりも、できるならば、韓国に対して怨讐の国の人と結婚するのです。
(164-159, 1987.5.10)
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第4章 天一国の民となる道 p2237
p2238 第15巻 天一国主人の生活
皆さんは、ハナニムがそのように待ち焦がれ、願いのみ旨をもってこの地上に送ってくださった人に対して、どれくらい歓迎しましたか。男性だけではありません。真の父という名前をもってこの地に根を下ろし、そこに真の母を中心として、真の父母という名前をもったという事実、この地上の白衣民族がそのような栄誉ある立場に選出されたということは、驚くべき事実です。それを88年のオリンピックに比べることができますか。
(172-293, 1988.1.24)
※
今日、文総裁が真の父母という名前を誇れるのは何ゆえでしょうか。愛を中心として、塀で遮られていたものを崩し、歴史時代における縦横のすべての段階的分野を解決し、門を開放させられる内的心情圏を備えたからです。そのような勝利的基盤は、私の喜びだけではなく、天地が喜び、歴史が喜び、時代が喜び得るものでなければなりません。そのような段階において喜ばなければならないのであって、歴史を否定し、過去を否定して喜んではいけません。過去と現在と未来において共に喜べる内容として残らなければならないのです。
(174-189, 1988.2.28)
※
これをお立てになって第四次アダム圏を準備するために、イエスの名によって祈祷し、真の父母の名によって祈祷していたすべてのことを越え、祝福された家庭の名前をもって祈祷できる時代を迎えました。それゆえに、今や祝福された家庭が、アダムから堕落せずに夫婦の名前をもって自らの息子、娘たちを祝福してあげられる、このような時代を迎えることにより、本然の第四次アダム、地上・天上天国の解放圏をもたせられる、このような頂上を越えるこの日を「二・十節」として定め、ここに訪ねてきてお父様の前に申し上げます。
この日を分別し、この日を立てるために、「二・十節」を期してここに訪ねてきて、この日を第四次アダム圏の頂上を越える日として定めることを願い、この日を立てて宣布いたしますので、天がこれと共に天上天下が共に一つになった場、祝福家庭が一つになった場において、天地父母の名前に従ってこのような日を制定することを、すべての万象と万宇宙、サタン圈全体が喜んで従うことを願い、真の父母の名によって「二・十節」第四次アダム解放圏を宣布いたします。アーメン!
(304-157, 1999.10.10)
※
ハナニムとサタンが闘ってくるときに、誰がその闘いをやめさせるのですか。ハナニムも止めることができません。サタンも止めることができません。なぜでしょうか。偽りの父母がこの闘いを起こしたので、偽りの父母以上の資格をもった人が現れてハナニムの前に立つようになった時に、(ハナニムが)「あなたは私の願う者なので、私はやめる」とおっしゃり、サタンも、「あなたが勝利したので、私は退きます」、このようになってこそ止まるのです。ハナニムも、どうすることもできないので、長い歴史時代を経てこられたことを知らなければなりません。分かりますか。
第4章 天一国の民となる道 p2238