八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 5-5

八大教材教本 天聖経(2012年版)p1383-1423

【天啓の御言】(5-5)

 


蕩減復婦は、血統転換、所有権転換、心情圏転換が3大目標です。そのような内容について聞いたことがありますね。血統が変わったので、血統を転換しなければ、ハナニムの国に連結され、入籍することはできないのです。血統の主人は、ハナニムです。堕落の血統を受け継いで、盗みを働いてハナニムの所有権をめちゃくちゃにしたので、ハナニムの愛で血統を連結することによって、これが整理されるのです。それゆえ、血統転換をしなければなりません。堕落の愛の関係によって血が変わったのです。血統が反対になったので、血統を転換しなければハナニムのもとに戻る道はないのです。
(258-287, 1994.3.20)
今後、所有が誰のもとに戻らなければならないのでしょうか。今まではハナニムの所有にはなれませんでした。悪魔の所有だったものを、ハナニムの所有として入籍させなければなりません。血統転換をすることによって、祝福を受けると同時に、所有権を天に返還し、心情圏を返還しなければなりません。心情圏とは一族のことです。4代から8代までつなぐことができます。一つの心情圏です。おじいさんを中心として親戚しんせきになれば、4代、5代とつながり、それが8代となるのです。
(272-214, 1995.10.5)
オモニ、アボジに会うために、皆さんはどのようにしなければならないでしょうか。皆さんは、父母様の前に直接出ることはできません。皆さんは、血統が違うので、入籍するまでは相続権をもらうことはできません。まだ、皆さんは入籍していません。先生の族譜に入籍しましたか。していないのです。では、いつ入籍するのでしょうか。祝福を受けたからといって、みな入籍するわけではありません。祝福を受けた位置は、長成期完成級です。完成期の7年路程が残っているのです。それが原理です。その原理を中心として復帰していくのです。
(139-279, 1986.1.31)

 

ハ) 心情圏転換
天国へ行く条件があります。自分の家庭をもたなければ行くことができません。ハナニムの息子、娘である以上、息子、娘としての使命があります。様々な使命を果たした上で、永遠の世界で真の父母と会うようになっているのです。そのような公式の内容を完成しなければ会うことができません。祝福を受けただけでは、天国へ行く門は開かれても、歩いて入ることはできません。先生の言うとおりに実践して、宗族のメシヤを完成した立場で入籍しなければならないのです。
(250-112, 1993.10.12)
心と体の統一世界をもつには、ハナニムの本質的愛を回復しなければなりません。そのような命題が残っているということを知らなければなりません。どんな苦労があったとしても、これを克服して、その境地を取り戻してから霊界に行かなければ、大変なことになります。このような真の愛の論理を中心として考えるとき、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏内に入るので、ハナニムの生命が私の生命となり、ハナニムの愛が私の愛となり、ハナニムの血統が私の血統になるのです。「ハナニムの所有である被造世界は、私の被造世界だ」と言って、天下を抱く父母の心をもち、そのように生きなければ、天国に入籍することはできません。
(200-230, 1990.2.25)


皆さん、祈祷してみてください。祈祷すればするほど、涙で前が見えなくなります。父の前に近づけば近づくほど、悲しみと痛哭つうこくが起こるのです。このような段階を越えて、父を思っただけで踊りたくなるようでなければならないのに、いまだにそうなっていません。ですから皆さんは、いまだにハナニムが私たちを本然の人間として慕うことができなかった歴史的な条件に引っ掛かり、時代的な条件に引っ掛かっているのです。ですから、希望となれなかった皆さんには、天と自分の間にある「慕わしさ」という条件を清算すべき時が、今後、来るということを知らなければなりません。
それから何をしなければならないのでしょうか。天の家族として入籍できる日を待ち望まなければなりません。皆さん一人だけが待ち望むのではなく、全世界の人類が待ち望まなければなりません。
(8-114, 1959.11.22)
皆さんが真の父母権を相続しなければなりません。そして、真の子女権、真の父母権、真の王権を中心として、真の父母権と一体化した天地とならなければならないのです。そこでは、まず地上天国、第2に天上天国、第3に王権と皇族圏です。皇族圏とは何でしょうか。カイン世界が残っています。カイン世界の長子権を復帰して、次子として絶対服従させて天国に連れていってこそ、皇族圏ができるのです。堕落しなければカインも皇族になるはずだったのですから、地獄に行くのを、天国に行けるようにしてあげなければならないのです。
それで皇族圏が出てくるのです。次に、何ですか。侍義じぎ、侍る家庭生活を完成しなければならないのです。天上、地上、そして王権と皇族圏を中心とした勝利の基盤の上で何をしなければならないかというと、真の父母に侍り、ハナニムに侍る家庭を完成しなければならないのです。天と縦的な関係を結んで、すべて入籍しなければならないのです。すなわち、先祖の立場に立たなければならないという話です。
(274-183, 1995.10.29)
真の父母の恵みは、言葉では表せないほどの恩恵だということを考えなければなりません。天下の、そのいかなるものとも替えることはできないのです。自分の一族が問題ではありません。自分の財産が問題ではないのです。この肥だめのような汚れたものを、ハナニムが受け取りたいはずはありません。「ペッ」とつばを吐くのです。先生の息子、娘を通して、オモニを通して、先生までの3代を経るのです。天使長を通して、天使長の息子を通して、お母様を通して、お父様を通して、ハナニムのもとに帰るのです。帰って本然の者となるのです。ハナニムの血族になって、再び分配してもらわなければならないのです。それは、先生が勝手に言っているのではありません。摂理的な観なのです。
(264-320, 1994.11.20)


 

② 宗族的メシヤの使命を果たさなければならない

イ) 宗族的メシヤの使命
これから、皆さんの根を整備しなければなりません。根は、どうなっているのでしょうか。堕落によって父母が駄目になってしまいました。ですから、まことの父母を中心として、真の息子と娘を中心とした本然の父母権と長子権を中心として、逆にして越えていかなければなりません。ただ、そのままではできません。180度反対にしてこそ、再び出発することができるのです。どういうことかというと、皆さんが故郷に帰って、先祖を取り替えるべき運命が残っていることを知らなければならないのです。
(178-99, 1988.6.1)
宗族的メシヤがすべきこととは何でしょうか。アダムが失敗したことをすべて復帰しなければなりません。真の父母が来て、イエス様が失敗したことを復帰し、アダムが失敗したことを復帰したのです。アダムは家庭的な基準ですが、家庭的な根をアダム、エバから連結できなかったので、これを逆に、宗族的メシヤの立場において、自分の父母と宗族を復帰しなければなりません。それが祖父母、父母、自分、息子・娘の4代です。この4代を連結させて、今まで根がなかったので、自分の父母を中心として、根を代置してあげるのです。
(210-273, 1990.12.25)
宗族的メシヤとは、父母の位置に立つことです。父母の位置において息子、娘を結び合わせるのです。宿命的です。避けることができません。それができなければ、あの世に行っても入籍できません。立つ瀬がないのです。自分の位置を定めてもらうことを有り難く思わなければなりません。先生が与え得る最高の贈り物であり、先生が一族の前でできなかった歴史的なハンを解くことを、代わりに皆さんにさせるのです。そうすることによって先生の父母が解放されるとともに、皆さんの父母まで恵沢を受けるのです。皆さんのお母さん、お父さんが、堕落していないお母さん、お父さんとして登場するのです。
(220-39, 1991.10.13)
自分の宗族を復帰するためには、宗族的メシヤの責任を果たさなければなりません。このような命令は、歴史上にありませんでした。宗族的メシヤの立場は、第2の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を賦与されたという、とてつもない価値があるのです。これは、いかなるものとも替えることができません。
なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母は第1のアダムの立場であり、皆さんは第2のアダムの立場にあります。父母を復帰して再創造し、アダムの使命を完遂しなければなりません。
第二の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局、宗族的メシヤの責任分担を果たさなければならない理由は、アダム家庭の完成のためです。具体的には、宗族を教育するということです。
(宗族的メシヤ-178)


ここに来た皆さんは、キム氏ならば金氏家門のメシヤの使命を果たさなければなりません。
金氏家門ならば金氏家門、パク氏家門なら朴氏家門において、天国を創建するに当たって、その宗族を代表して「私がメシヤだ」と考えなければならないのです。救世主だと考えるべきだというのです。金氏家門を救う救世主だと考えるのです。そのためには、金氏家門全体を代表して、祭司長的な責任を果たさなければなりません。
(155-265, 1965.10.31)
入籍というものがなければ、天国の国民になることはできません。宙に浮くことになるのです。そうなればサタンが思いのままに前後、左右、上下から攻撃するのです。今、皆さんは、真の父母様に代わって、宗族的メシヤの使命をもって自分の父母を解放できる立場に立っています。
(236-322, 1992.11.9)
なぜ宗族的メシヤが必要なのでしょうか。宗族的メシヤがいなければ、家庭基準を中心として連結されません。そのようにならなければ、皆さんの故郷があり得ません。先生には故郷がありますが、皆さんの故郷はないのです。家庭をすべて復帰したならば、今後、入籍時代が来ます。入籍時代になれば、支派編成が行われ、入籍する順序が決まるのです。先に入籍する人々が兄となり、彼らを先祖のように侍る新しい体制ができます。全世界がそのようになって、初めて地上天国が完成されるのです。
(210-273, 1990.12.25)
絶対的に宗族的メシヤが必要です。それができない人は、第1、第2アダム圏を連結することができません。先生とつながることができません。入籍することができません。ですから、絶対的に宗族的メシヤが必要ですか、必要ではありませんか。必要なのです。そのような天の恩寵おんちょうについて何の価値も分からない人は、宝物をもらっても、その価値あるものをないがしろにします。そのようにいい加減に考える基準に応じて、審判を受けるのです。宗族さえ復帰すれば終わるのです。
(192-233, 1989.7.4)
祝福を受けることによって、天国への入籍が可能になります。そして、ようやく人間が天国を得るのです。天の家庭を得て、天の宗族、天の民族、天の国家、天の世界を経て、天宙を経て国を得ることになり、その国に入籍することによって天国の国民になるのです。真の父母の血族が入籍するはずでしたが、堕落することによって長い歴史を経て世界の中から奪ってこなければならなくなりました。ですから、ここにおいて宗族的メシヤの責任を果たすことで、イエス様が失敗したことを蕩減とうげん復帰しなければならないのですが、そのためには世界各国に責任をもって、その国を天国に捧げなければならないのです。
(269-303, 1995.5.1)


宗族的メシヤがたくさん現れて、彼らが一つになり、宗族的メシヤを中心として自分の国を復帰する運動が起こるのです。東で西で、360度で祝福家庭が生まれ、誰が頂上に上るか競争するのです。天の国に入籍するまでは、先祖の立場を得ることはできません。先祖の立場が得られなければ、いつ押し出されるか分からないのです。
(269-93, 1995.4.8)
統一教会に通いながら20年間に何人を伝道したかということで等級をつけるとすれば、その間一人も伝道できなかった人は、寄生虫のようなものです。今後、入籍するときは、その数を重要視するのです。入籍時代に入るのです。自分の家庭を中心として一族にならなければなりません。アダム家庭は、アダムの一族です。
アダム家庭を中心として考えると、アダム家庭の息子、娘がいて、一族がいるならば、国が形成されるのです。そうなれば、じっとしていても国は形成されるのです。
(240-27, 1992.12.11)
自分の家庭を中心として、息子、娘がいて父母がいるので、3代がいることになるでしょう。自分の縦的な基盤を中心として、横的には平衡に家庭の理想をすべて受け継げる、数百、数千の家庭があるのです。それを連結すれば国になるのです。そのままにしておいても国になるのです。世界は、複雑で難しいものではありません。
(240-27, 1992.12.11)
統一教会の教団は、宗族です。宗族なのです。私の血が共に動くのです。私が涙を流すならば涙を流さなければならないし、私が喜べば喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を超えて、文化背景の異なるすべての国家基準を超えて、壁を打ち破って一つとなった新しい天国を創建するための民族です。この民族が聖なるものとされるとき、天国の創国(注:国を建てること)が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされ、その世界の上に天宙的な地上天国と天上天国が連結されるのです。
(168-136, 1987.9.13)
今、先生は、皆さんにメシヤという名を与えました。宗族的メシヤ! ですから皆さんは、どうすべきでしょうか。メシヤとして何をしなければならないでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤになり得るあらゆる準備をしておきました。山のような大きな宝物を皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝の山のようなものをすべて相続するのです。水道管のようなものがつながっていて、水が流れていくように、皆さんに相続させるのです。
(189-247, 1989.4.9)
宗族的メシヤが安物だとでも思っていますか。賢い先生がメシヤの使命を果たすために一生を捧げても到達していないので、恥ずかしく思っているのです。皆さんにとって、「宗族的メシヤ」という言葉は驚くべきものです。イエス様よりも貴い価値ある立場に立てるのです。そればかりでなく、統一教会に反対し、誹謗ひぼう中傷してきた人をも、堕落していないアダムの立場に引き上げてあげるのです。この世の中に、そのような話がいったいあるのでしょうか。語っているこのムンなにがしという人は、真の父母様の位置にあるので、今まで話してきたすべてのことを成し遂げてきました。成し遂げられなかったことはありません。
(219-150, 1991.8.29)


ロ) 160家庭完遂は必須
皆さんの一族をすべて祝福家庭にしなければなりません。160家庭から180家庭です。そうして初めて入籍するのです。これを中心として国を救うことができるのです。このような時が来たのですが、宗族的メシヤにならなければならないでしょうか、なるべきではないでしょうか。個人の救いの時代ではありません。家庭と、宗族と、国家と、世界が一度に帰り得る時になったのに、家庭的基準で座り込んでしまえばどうなるでしょうか。
(285-207, 1997.5.4)
祝福を受けた家庭は、宗族的メシヤの使命を果たさなければなりません。イエス様が失敗したことを、家庭的メシヤを中心として160軒、120軒を一つにできずに死んだがゆえに、今の時は世界的舞台で160軒を一つにすることによって、イエス様が失敗した基準を中心に、地上に着陸できる家庭的メシヤを形成して、堕落していない真の父母の歴史をつくることができるのです。そうなって初めて入籍がなされます。国に入籍することができるのです。自分の国になるのです。そうなれば、国に入籍し、戸籍に載るのです。先生は、迫害されながらなしてきましたが、皆さんは、歓迎されながら160軒をなすことができるのです。ですから、先生が反対されながら160ヵ国やったものを、160軒で歓迎されることによって蕩減復帰するのです。
(266-182, 1994.12.25)
王権時代になったので、多くの国、160の国家を中心として、先生がハナニムの代わりにメシヤを送るのです。ハナニムは、一人のメシヤを送って今まで救いの歴史を展開してきましたが、先生は、ハナニムの救いの歴史において地上に着陸し、サタンのいない世の中になったので、平面図上で全世界の祝福家庭に宗族的メシヤの使命を完遂させるため、世界に配置したのです。この宗族的メシヤが家庭的メシヤを引き連れて国に入籍するようになれば、世界に通じる基盤が開かれるのです。
(274-184, 1995.10.29)
160の国家さえ一つになれば、世界と天宙は自然に一つとなって結ばれるのです。先生は、160の国家を完成したということを知らなければなりません。皆さんがいかにして160軒をするかということが問題です。いかにして、宗族的メシヤとして160軒を救うかということです。そのようにして真の父母が160の国家を完成したのを連結するのです。ですから登録するのです。そのようにして皆さんの家庭が回れば、160家庭を中心として、国が回り、160の国家がすべて一度に回るのです。ですから宗族的メシヤが必要なのです。
(267-110, 1995.1.3)


アダム、エバが堕落することによって、アダム家庭を失ったばかりでなく、アダムの一族を失いました。7代です。7代を経たならば、アダムの一族を中心として、地上天国の基盤を完成するはずでした。7代がハナニムの血統を中心として結ばれなかったのです。7代だと何千家庭になるでしょうか。個人・蘇生そせい、家庭・長成、宗族・完成です。これが一つのカテゴリーです。これを切り離すことはできません。3段階過程です。ですから、み旨の道では、皆さんは一人で生きることはできません。家庭のために生きるべきであり、宗族のために生きなければなりません。その宗族を越えることができなければ、世界の国家圏に加わることができません。宗族編成ができなければ、世界国家、世界版図の上に入籍できないということは、皆さん、知っていますね。160家庭以上祝福をして、初めて天国に入籍するのです。これは話だけではありません。このとおりにしようということです。
(275-214, 1995.12.30)
宗族的メシヤがいなければ、復活し得る重生の橋を失うということを知らなければなりません。宗族的メシヤが160家庭を立てることができなければ、入籍できません。入籍において数千代の差が開くのです。50億人類が歴史的代数においての差が開くということを知らなければなりません。ですから、必死に宗族的メシヤの使命を果たさなければなりません。
(265-142, 1994.11.20)
これからは、真の父母を中心として入籍する人が先祖になるのです。霊界で先祖となって、その主流氏族とその傍系となる人を中心として、これを編成するようになっているのです。ですから入籍しなければなりません。しかし、ただで入籍できるようにはなっていません。160家庭、あるいは180家庭を完了しなければならないのです。これができていない人は、脱落することになります。36家庭とか何とか、それを主張する時代は過ぎたのです。平等化時代が来たので、ここでは誰が先にその数に入るかが問題なのです。
(286-247, 1997.8.11)
自己完成というのは、絶対真の愛、絶対真の生命、絶対真の血統、絶対真の良心を完成することです。そうして堕落後に失った家庭を復帰して、安着するのです。真の父母が安着したので、私たちも真の父母に従って宗族的メシヤになり、160家庭を連結し、160ヵ国を占有するのです。
そうすることによって、天国と地上を自由自在に行き来することができるのです。必ずやこれを相続しなければならないので、運命的というよりも宿命的にしなければならないのです。そうして入籍するのです。入籍して初めて皆さんが地上天国、天上天国を所有することができるのです。入籍して初めて、「私の国」、「私の王国」と言えるのです。
(268-88, 1995.3.5)
入籍する順序で先祖が決まるのです。つまり、誰が早く宗族的メシヤになって、先に入籍をするかによって先祖が決まるのです。イエス様が120門徒を登録しようとしたのですが、それができなかったので、再臨時代に160家庭を中心として登録しなければならないのです。180でもよいのです。みな「160家庭が良い」と言って、180家庭は願わないので、160家庭に定めたのです。6数はサタン数なので、サタン世界で完成しなければならないのです。4数は理想数です。4数の4倍は全体を象徴するのです。
(253-83, 1994.1.7)


皆さんがいかにして160家庭をするかが問題です。それが宗族的メシヤの使命です。このように160家庭を連結して、皆さんの家庭を中心に160国家と連結するのです。それが失われたアダム家庭を完成することです。160家庭が絶対に必要です。どうして必要なのでしょうか。ハナニムと真の父母様が勝利したすべてを相続するためです。相続というのは、すべてが解放されて、ハナニムのようになることです。
皆さんは、宗族的メシヤがそれほどまでに重要だということが分かりましたか。これがなければ、先生についてくることはできないのです。つまり、天国に行けないということです。それはまた、サタン世界を解放できないということでもあります。ですから、いかに困難でも宗族的メシヤの使命を果たさなければなりません。そうしてこそ天国に入籍できるのです。登録するのです。そうしなければ入籍できないのです。
(268-85, 1995.3.5)
なぜ160家庭かというと、これを世界に連結させるためです。ヤコブは12家庭、モーセは72長老、イエス様は120門徒、再臨主は160使頭しとうです。使徒かしらということです。イエス様は使徒といいました。「使頭」というのは私が初めて使う言葉です。誰も知らない言葉です。日本はエバ国家なので、先生が知っている秘密をすべて教えてあげました。
韓国人の責任者も知らないことまですべて教えてあげたのです。それで責任が果たせなければ首が飛ぶのです。160家庭を解放できなければ、第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムの勝利圏を相続できないのです。一次アダムの分しかしていなければ、二次アダム、三次アダムと関係を結ぶことができないのです。きたるべき再臨の主が、一次アダム、二次アダム、三次アダムをすべて完成して、一次アダム圏、蘇生の基盤さえつくるならば、接ぎ木してあげようというのです。
(265-127, 1994.11.20)
先生は、40年間迫害を受けながら、160ヵ国に宣教部をつくりました。これからは、祝福を受けた家庭、統一教会のメンバーが宗族的メシヤとなって、160家庭を連合しなければなりません。それは一つの水晶体、結晶体のようなものです。先生は迫害されながらつくりましたが、今や統一教会食口シックは、迫害されるのではなく、歓迎されながら自分の一族を救える時が来たのです。それができないという人は、資格がありません。160人に祝福を受けさせて初めて、国に入籍するための資格ができるのです。カナンの福地に上陸して、国を迎え得る立場に立つのです。
(252-288, 1994.1.1)


世界が先生の言うことさえ聞いていたならば、1952年から地上に平和の世界が、天国ができていたはずです。今日、皆さんに語っている「宗族的メシヤ」を派遣していたことでしょう。そうしていたならば、全世界のキリスト教徒は8億ですが、世界の8億の人が先生の側にいるのですから、一つの町内に1軒、一家3代がみな宗族的メシヤということになるのです。そうすればサタン世界は、完全に退くのです。そうして憲法を中心として、すなわち今後の世界をいかにして治めるかという憲法を制定して、治めるようになっているのです。
ですから今後、家庭を中心にどう進むべきかということは、まだ教えていないのです。一つ知っておくべきことは、大移動の時代が来るということです。先生の言う宗族的メシヤとなって、160家庭を祝福した家庭は入籍が可能です。先生を1代として、2代、3代、4代というように、先祖を定めるのです。先祖を立てれば王権ができるのです。王権の血統をつくらなければなりません。
(273-46, 1995.10.21)
実績のない人は、ハナニムには必要ありません。愛を中心とした実績がなければなりません。ですから、皆さんも36家庭、72家庭、120家庭、一族を率いてこそ天国に行くことができるのです。それができなければ入籍はできません。原理がそうなっています。そうですか、そうではありませんか。36家庭という威信を掲げていますが、ただ掲げているのではありません。恐ろしい立場なのです。サタンも誰かをつかまえて、その前で攻撃するかもしれません。
(303-166, 1999.8.17)

 

③ 天国の支派と族譜編成

国を復帰するようになるときは、皆さんすべてが入籍しなければならないのです。入籍とは何か知っていますか。族譜ぞくふをつくるのです。これから統一教会を中心として国に入籍する時には、族譜をつくらなければなりません。族譜をつくる時は、必ずすべてのものを天の前にお返しするのです。多くても少なくても、すべて精誠を尽くして自分の生涯のすべてのものを、生命の代わりであるすべてのものを国に捧げるのです。
最近、なぜ税金をあのようにたくさん定めたと思いますか。すべてかき集めていくというのです。98パーセントまで、かき集めていくのです。それはなぜそうなのかというと、国に捧げなければならない時が来るので、そのようにするのです。全世界がそのように回っていっています。それは、知らないからそうだというのです。そのようになることによって、そのような伝統を受け継いで世界が一つになって祝福を受けるとき、世界のすべてのものを天の前にお返ししなければなりません。
(101-289, 1978.11.7)
今後、皆さんが天国に登録するという新しい出来事が起こるでしょう。戸籍に載せなければなりません。戸籍に載せるためには、国がなければなりません。国がなければ入籍することができません。国がどんなに重要かを知らなければなりません。国があってこそ、その国を通してハナニムが思いどおりになさることができ、そうして初めて私たちにも迫害圏であるサタン世界を踏み越え得る基盤がつくられるのです。ですから、食べるときも、何をしていても、いつも国のことを考えなければなりません。
(54-228, 1972.3.24)


戸籍が変わらなければなりません。戸籍を新しくつくらなければなりません。サタン世界の戸籍は、すべて滅びるのです。それは、地獄圏に属するものです。ですから、天国の戸籍に入籍し直さなければならないのです。今日、それをはっきりと知って、今後、私たちの取るべき姿勢を整え、私たちの周辺にこの事実を伝えなければなりません。そのために、中心存在はいつも、投入して忘れなければなりません。
(251-273, 1993.10.31)
天国に新しい族譜が編成されるとき、入籍が行われるのです。
(105-189, 1979.10.21)
160ヵ国を中心として160家庭が一つになることにより、入籍時代となるのです。今、皆さんが生まれたとすれば出生しゅっしょう届を出さなければならないし、結婚すれば婚姻届を出さなければならないし、死ねば死亡届を出さなければならないのと同様です。国ができれば、憲法を中心に、戸籍であるとか、それに関する体系によって管理する基本法ができなければなりません。その国に入籍するためには、160家庭が完全に一つになって入籍しなければならないのです。
入籍するとき、母国語を知らなければ入籍できません。言葉と文化と生活環境が完全にまことの父母のものでなければなりません。真の父母様の文化圏を相続して心情文化世界を代表した、そのような家庭とならなければ、天国に入籍できる資格が剥奪はくだつされるのです。
(276-216, 1996.2.24)
天国の法を守って、天国の王宮法を尊重視することができなければなりません。今後、南北が統一された世界、そのすべてに対して備えなければなりません。その訓練が残っています。その時に、誰でも入れるのではありません。入籍時代が来るのです。その時は、大学を卒業して、博士になって、大学の先生になることよりも難しいのです。自分の1代に一族の歴史をすべて編成して、それにパスしなければなりません。需界、肉界から鑑定を受けて選出されるのです。
そのように考えると、皆さんは、先生が今まで45年間指示してきたすべてのことにおいて合格ですか、不合格ですか。何分の1合格したかが審判の条件になるのです。これは脅迫ではありません。見ていてください。私の命令は、私がすべて勝利した条件を立てた上で命令していることなので、天国の訓示第1条の条件として、法的条件として残っているのです。それについての問答がなされるのです。
(210-370, 1990.12.27)


憲法を作って法律を発表したのに、その法に引っ掛かるならば監獄行きなのです。「知りませんでした」という弁明は通じません。そのように考えている女性は今、悔い改めなければなりません。絶対に隠れて生きてはなりません。警告します。男性よりも女性に責任があります。男性は女性の言うことを聞くものです。どういうことか分かりますね。
(250-344, 1993.10.15)
日帝時代にサタンが先に創氏改名する運動をして、私たち民族を教育しました。ですから今、姓を変えることが難しいでしょうか。日帝時代にも変えたのですから。そうではありませんか。私は、姓を変えるために来た人物です。族譜を掘り起こすために来たのです。気分が悪いですか、良いですか。しもべの族譜を掘り起こして、王宮の王女、王子の族譜に入籍させてあげようとしているのに、嫌だという人がいますか。嫌ならばやめてください。そのような人は、滅びるべきです。ですから、喜ばざるを得ないのです。
(39-111, 1971.1.10)
アダム1代から族譜ができていません。初めて族譜編成がなされるのです。家庭を中心とする入籍時代が来ます。そのような恐ろしく、驚くべき時代が来るということを知らなければなりません。
(290-167, 1998.2.18)

 

④ 民族大移動時代が来る

宗族的メシヤとして入籍したときには、韓国語を知らなければ父母様の近くに行って立つことができません。遠からず、そのような時が来るのです。入籍は、超国家的、超民族的にしなければなりません。民族大移動の時が来るのです。ですから民族的メシヤの活動を急いでしなければなりません。この世は、何でも先生の言ったとおりになります。そうなるようになっているのです。
(253-48, 1994.1.1)
今後、入籍する順序を中心として、民族大移動が起こるのです。統一教会に反対する人は今後、荷物をまとめなければなりません。スターリンはサタン側の再臨主の象徴なので、サハリンの韓国民族を死ねとばかりに中央ロシアの砂漠地帯に連れていって捨てましたが、死にませんでした。
韓国民族は、とても忍耐力のある民族です。団結して生き残りました。その時のように大移動するのです。その時は、強制的に移動させられましたが、今は、志願して移動せざるを得ないのです。原理原則がそうですから、天国に行くといって、自分たちが良い暮らしのできる所に行けるのでしょうか。そうではありません。地上天国が顕現するときには、大移動が起こります。先に入籍した順番のとおりに、先生の側近となり、ずらりと並ぶのです。大韓民国で反対する人は、追い出すのです。荷物をまとめるのです。
(253-299, 1994.1.30)
エス様は結婚できなかったので、祝福を受けた人は、イエス様よりも上の立場に立つのです。ですから宗族が反対することなく、先生を歓迎する時代が来たのです。宗族的メシヤとして160家庭を糾合するのは、たやすいことでしょう。問題ないのです。早くそれをしなければなりません。それをしなければ、皆さんは一人残らず追い出されます。世界の人が行列をつくって来て、みな入籍するようになって、入籍する数が4000万を超えるとき、皆さんがそこから外れたならば、荷物をまとめて南米に、アフリカに行かなければならないのです。嫌でもそのような時が来るのです。大移動時代が来るのです。
(274-175, 1995.10.29)


ここに来た人たちは、「そんなはずはない」と言うかもしれません。そのような人は、見ていてください。今に、荷物をまとめて遠い南洋に追い出されるのです。世界における7000万人以上の統一教会のメンバーが、入籍して入ってくるのです。すべて韓国に入籍してくるのです。それを知らない人はみな、荷物をまとめて退くようになります。大移動が起こるのです。民族大移動が起こるのです。起こらざるを得ないのです。そのような困難な世界を知っているので、皆さんを集めて深刻にみことばを伝授してあげているのですから、よく聞いてください。ここに来ていた人が死んでから、「どうしてあの時はっきりと言ってくれなかったのか」と言ったときに、私が引っ掛かることのないように、はっきりと語ってあげるのです。
(283-211, 1997.4.12)
国があって初めて入籍がなされます。出生しゅっしょう届、婚姻届、死亡届を出すのです。私たち統一教会の多くの家庭が祝福を受けましたが、今は誰も手続きすることができません。手続きができないのです。国がないので、みな新しく登録しなければならないということを、知らなければなりません。
ですから大移動が起こるのです。北極の人が南極に、南極から北極に行くのです。今後、手続きをする順によって、国と支派が異なってくるのです。大移動が起こるのです。
(278-327, 1996.6.23)

 

3) 四位基台入籍統一祝福

 

① 三時代大転換一体圏統一祝福式

地上ではまことの父母によって祝福を受け、天上では興進フンヂン君によって祝福を受けたのですが、父と息子が霊界と肉界に分かれて祝福したものを一つにしなければなりません。地上の父母様を中心に、息子が霊界でしたことを地上に下ろして、父母様から皆さんが祝福を受けた基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結させて一つにし、父母様が地上で息子、娘を祝福する代わりに、霊界が天使長の立場で完成できる祝福基準の前に順応しなければならないのです。それゆえ興進君が地上に降りてきて、父と息子が一つとなった立場で一つの条件を立てて、父母様がなしたことをすべて興進君も共になしたといえる価値を認めるのです。
(332-287, 2000.9.24)
80の老人が世界を回って祝福する時代は過ぎ去りました。皆さんが父母様の代わりに、興進君も霊界で父母様の代わりに祝福する時代を設定するのです。そのためには、私が地上にいる父の立場で、息子である霊界の興進君に祝福する権限を伝授し、霊界で祝福してきたすべての基盤にも、先生がっていつでも祝福してあげることのできる基準を、同等の価値を設定したのです。ですから、平面の場において、お父様の前に息子を立たせて祝福しようと、お父様が天上世界、霊界の息子の所に行って祝福しようと、同じ価値のものとして、統一された祝福家庭の意味をもたせるために、お父様が息子に祝福の権限を相続してあげるのだということを知らなければなりません。
(332-287, 2000.9.24)


父親が霊界に行けば、兄になります。また、息子は、弟になるのです。ですから、父親の呼ぶ天の父も、息子の呼ぶ天の父も同じなのです。ハナニムの前では、みな息子になるのです。ですから、同じ息子といっても、父親が先なので、横的な面においては兄の立場を代表するのです。
ですから、父母様が父母様の立場を完成したということは、息子の立場の完成を、霊界でも地上でも同じ価値的内容を伝授し、一体化させるというようなことをするのです。父母様が、霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福された家庭を立て、一緒に統一的宣言をすることによって、先生が祝福をしてあげるのではなく、今後は興進君が祝福をするのですが、興進君がいなければ、顯進ヒョンヂン君がお父様の代わりに祝福できる時代になるのです。
(332-289, 2000.9.24)
3代の息子、娘、祝福を受けた家庭は、絶対に堕落してはいけません。堕落したならばどういうことになるかというと、今までのように真の父母が来て救える道理の時代は過ぎ去るのです。血統が異なったのを完全に転換し、3時代の先祖を代表した王権を受け継いで、祝福できる大将となった夫婦の血統は、千年、万年たっても汚されてはならないのです。血統の汚れたものを受けてはならないのです。純潔を守らなければなりません。深刻です。
「真の父母の名によって許してください」と、許しを請うことはできないのです。自分の先祖と自分の愛する兄弟を犠牲にしなければ、救う道がありません。それでもその血統はきれいな血統ではないので、はぎ取ってしまわなければならないのです。純潔な血統を残さなければなりません。深刻なのです。
(332-291, 2000.9.24)
3代圏内にある祝福家庭は、どのようなことがあっても、堕落の悲しさを味わうような血族になってはならないことを警告します。
(332-294, 2000.9.24)
入籍特別修練会に参加した女性たちは、入籍することによって、息子、娘に責任をもち、母と息子、娘が一つとなって父を完全に悔い改めさせて、堕落していない父母の立場に立てることによって、きたるべき真の父母のあとに従って、ハナニムを玉座にお迎えし、天宙のすべてを喜びの心をもって旧約時代、新約時代、成約時代、万物と息子、娘と自分たち夫婦をすべて捧げる立場に立たなければならないのです。


愛の実権を再び相続したその立場が故郷の地への出発の場であり、祖国光復の出発の場なので、今後、全体的歴史時代で願ってきた、祝福家庭がなせなかったすべてを蕩減とうげんして、南北統一のこの混乱時代に責任をもたなければなりません。
私たちの手で祖国光復することによって祖国を建てるのであり、本郷の地を求める厳粛な課題に出征した兵士の母であり、息子、娘であるので、天地全体が協力して、一方通行で、勝利に向かって1歩1歩前進するための出征命令であることを知らなければなりません。兵士となって、天の威信と伝統に汚点を残すような家庭、一世、二世、三世となるのではなく、霊界の先祖の前に恥じることのない、誇らしい家庭となることを天地父母は願います。祝福された長男の興進君、顯進君、一族全体を合わせて願いますので、その目的達成のために、1寸の狂いもなく一体理想を完成させ、天地の勝利的王子、王女となることを願います! アーメン!
(332-298, 2000.9.24)
地上世界の真の父母の勝利圏を、天上世界の長子圏を代表した興進君を中心とした勝利の伝統とし、一体的理想をもって伝授したことを宣布いたしますので、天地の存在は感謝の心で永遠不変の愛の国と、愛の地上天国、天上天国を抱いて、ありったけの精誠、忠誠を尽くし、孝子、孝女、忠臣、烈女、聖人の道理、聖子せいしの道理を果たします。お誓いします! アーメン! お誓いします! アーメン! お誓いします! アーメン!
(332-302, 2000.9.24)

 

② 四位基台入籍

家庭的基盤でなければ入籍することはできません。まことの父母というのは、家庭を中心として祝福の基盤を代表した世界的家庭なので、それと相対圏をなして入籍しなければなりません。家庭的出生しゅっしょうを届け出なければならないのです。真の父母のみ名を中心に、ハナニムのみ旨の平和境ができ、統一圏ができるそこにおいて、家庭的に入籍するという事実は、国家が一瞬のうちに帰ることができるということです。
(269-55, 1995.4.7)
アダムとエバが家庭的に堕落することによって、サタンにすべてを入籍したのと同じように、今度は皆さんの家庭を中心として皆さんの国と全体が入って、天に入籍して戻ってこなければならないのです。これは原理です。堕落するときに、家庭を中心として堕落しました。ですから、それを蕩減とうげんしなければなりません。この原理があるので、この世界に大統領がいれば、その国を引き連れて天に登録しなければなりません。登録したならば全体が、その国全体が救われるのです。
(184-96, 1988.12.20)


皆さんは、家庭を中心に入籍しなければなりません。ところが皆さん、まだ入籍していませんね。今後、恐ろしい時が来るのです。それに関しては具体的に説明しません。もしも引っ掛かるようなことがあれば、切ってしまわなければなりません。それが正に原理の法度なのです。
(28-333, 1970.2.11)
皆さんは、天を愛するように父母を愛さなければならないのであり、天と父母を愛するように兄弟を愛さなければなりません。自分の家庭と兄弟を愛するように万民を愛する人は、天国の民としての資格をもつ者として登場することができるのです。入籍できるということです。
(190-122, 1989.6.18)
潮が満ちてくるときは、初めはとても早く満ちてきます。どんなに早いことでしょうか。ところが、満潮となって交代するときは、1分以内に代わるのです。恵みの圏内で1分間だけ水平となって同じ立場に立てるということです。ですから、統一教会の熱心な青年たちが、サタン世界の人と、同じ祝福の位置に立って、50億人類が一朝一夕に、すべて統一されるのです。それで数万代が横的に連結されるのです。それから国家編成をするのです。国家というものを編成するときに、再び先祖として登場するのです。
(253-299, 1994.1.30)
これからは、祝福を受けたならば、一族に責任をもたなければなりません。押されてでも、強制的にでも祝福を受けたならば、天国に入籍するチケットをもらうのです。
(283-295, 1997.4.13)

 

③ 入籍家庭に対する真の父母様の訓示

イ) 純潔な血統を死守せよ
ロ) 一心定着
ハ) 子女に対する真の愛の実践教育
ニ) 国境撤廃と交叉こうさ結婚
ホ) 祖国光復と天国創建
ヘ) 訓読経フンドクギョン、原理暗記
ト)家庭盟誓カヂョンメンセの実現化
チ) 正午定着
(333-233, 2000.9.26)

 

④ 祝福家庭婦人動員と祖国光復

これから家庭が責任をもって越えていく時になりました。このようになったあとに入籍が起きるのです。したがって、妻を送り出さない人は引っ掛かります。引っ掛かれば、いくら先生にお願いをしても仕方ありません。先生もどうすることもできないのです。
(37-264, 1970.12.27)
今後、皆さんの一族がすべて天に入籍しなければなりません。今回、動かなければ、入籍できないのです。ですから祝福を受けた家庭を動員しなければなりませんか、しなくてもよいでしょうか。既成家庭はどうでしょうか。既成家庭の皆さんが、「既成家庭は動員しよう」と言うならするし、しないというならしないで、自由です。また、皆さん以外の人も、しようというならして、しないというならしないで・・・。我先に動員しようとするというのです。今、そのような時が来たのです。
(164-292, 1987.5.17)


父の前に、天国のすべての祝福を受け継ぎ、母を通して母の伝統を受け継ぎ、父母の伝統を受け継いで代表としてきたのが長子であり、長子の伝統まで受け継いだのが次子だというのです。ですから、父の命令に母が絶対服従して、母の命令に長男が絶対服従して、長男の命令に弟が絶対服従しなければならないのです。そのような家庭にならなければ、ハナニムに仕える家庭になることができないというのが、原理的総観です。総観です。
(283-56, 1997.4.8)
先生は、天の心情をあまりにもよく知っているので、誰かが一言でも語るならば、痛哭つうこくするのです。天下を統治し万国を治めるべきハナニムが、主権者の中の主権者となって、万世の大王のあらゆる権威をもって、万民を父子の関係の世界として統治しようという理想が蹂躙じゅうりんされたという事実、それがハンなのです。この時点から私たちが立ち上がって、悪なる権勢をすべて破り、天の願ってきた主権を立て得る栄光の1日が、私たちの目前に迫っているのです。
(164-216, 1987.5.16)
私たちがハナニムを中心とした自主的な国で生きられる希望の1日は、何ものにも換えることのできない価値ある時間なのです。霊界に行った人の中に、ハナニムを中心とした国家圏内で生きた人はいません。先生は、それを知っています。私は、統一教会のメンバーを苦労させましたが、国を建てて摂理的国家圏で国をもった主権者の前に国民として堂々と生きてきたという、本然の人間像をもてるという事実が、どんなに権威あることかというのです。
先生は一生の間、それを標準として生きてきました。今まで先生は、多くの人に苦労させましたが、その国の国民のために主権者としてのハナニムに仕え、その心情を注いで、一生涯をそっくりそのまま捧げ得る栄光の日のために闘ってきたのです。
(164-216, 1987.5.16)
私たちが復帰すべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が異なるのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。ところで、その主体的な思想というのは、絶対者である創造主がいるとするならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。
絶対者の願う国が存在するためには、その国の主権を中心として、その国の国民に一致し得る国になることを願わなければならないのです。そのような国民性をもって国家形態を備えなければならないのです。その形態を保存できる資格をもつ人になれなかったので、その国は形成されなかったのです。
(49-93, 1971.10.9)


今、私たちが生きている世の中に、祖国がどれほど多くあるでしょうか。大韓民国の人は、大韓民国を「祖国だ」と言いますね。北朝鮮の人は、金日成キムイルソンを中心として北朝鮮を「祖国だ」と言います。日本人は日本が「祖国だ」と言い、中国人は中国が「祖国だ」と言います。多くの民族が、根源的な国家や先祖を中心として民族を形成したならば、それを中心として「祖国」と言うのです。しかし本来、人間世界の祖国は、何百、何千もありません。本来の祖国は、一つです。一つでなければなりません。
(241-291, 1993.1.1)
私たちの祖国は、一つの国です。一つの国の中にある故郷を求めていくのです。「ハナニムが共にいらっしゃる故郷、ハナニムが共にいらっしゃる祖国、ハナニムの名をもった祖国だ」と言える国がないのです。それはモスクワでもワシントンD.C.でもありません。ないのです。そのような祖国と、私たちの故郷の地を創建できる宝物を探そうというのです。
(102-260, 1979.1.14)
先生は、横になりながらも、いつもそのようなことを考えました。ここは父の国の家ではないので、愛着がないのです。ここに愛着をもって、良い暮らしをしたり子を生んだりするのは、仕方なくしていることなのです。
ハナニムと霊界の霊人が祖国の統一を、どれほど待ち望んできたことでしょうか。どんなに待ちわびてきたことでしょうか。「たとえ自分は地獄で生きたとしても、天上の低い所にいたとしても、私たちの祖国が早くできてほしい」と願うのではないでしょうか。その祖国が顕現するとき、自分たちが解放されるのです。ですから特赦を下してあげなければならないのです。私は、監獄でもそのようなことをしてきました。門を開け放ったのです。肉界、霊界すべてにハイウェイをつくったのです。ですから、霊界がすべて父母様に対して、そのような方向に、一つの国へと進軍するのです。そのように願っているのです。
霊界が地上のために、まことの父母様がうまくいくように祈っているのです。それを知らなければなりません。「地上の真の父母様、どうかよく闘って霊界の恨を解いてください」。ハナニムの願っていらっしゃるのがそのようなことではないでしょうか。皆さんは、これまでハナニムの国で生まれて暮らすことができず、この地のサタン世界で生きてきた期間が長いということを、恥ずかしく思わなければなりません。
(164-218, 1987.5.16)

 

4) 入籍時代と私たちの責任

 

① 入籍と真の父母様の恵み

今日の人類は、サタンの血統を受けています。ですから悔い改めなければなりません。天地の大主人の前に顔を上げることのできないほど、恥ずべき内容があるのです。尻まで隠して岩の後ろに隠れて、ハナニムと呼ぶことのできない恥ずかしい子であることを知らなければなりません。愛の怨讐おんしゅうの血を受けたのです。ですから、涙と鼻水を流してはいつくばり、命を失ったとしても、「罰を受けて当たり前だ」と言うことができなければなりません。死んで埋葬された自分だということを知らずに生きる、かわいそうな人たちなのです。


誰も知らないこの道を探すために、私がどれほど大変だったか分かりません。人生問題の根本を解明しなければ、解決することができないということを知ったとき、暗中模索していた若い時の苦痛は、皆さんには分からないでしょう。しかし、それを可能にする組織をつくって、言葉だけでなく実戦の途上において、それが証明された世界の版図をすべて備えました。今や誰でも走ってきて旗を受け取って後ろを向きさえすれば、天国に入ることができる時代が来たのです。
(209-292, 1990.11.30)
自分自身がどれほど汚れた姿で悪臭を放ち、統一教会を汚し、サタンの舞台をつくってきたかを考えてみてください。それを考えれば、ハナニムの前で、先生の前で体を伸ばして座っていることはできないのです。答えてみてください。それができますか。解放されて長子権を相続し、王権を相続できる自然なハナニムの愛圏と血統圏が中心となっている人ならば、それが可能かもしれませんが、皆さんは、そのような人になっていますか。腐って、いつ落ちるか分からないこの者たちが、自慢しているのです。このような事実を知らなければなりません。
(206-255, 1990.10.14)
皆さんには何の資格がありますか。祝福を受ける資格があるでしょうか。祝福を受けようとここに来て座っているのですが、皆さんが統一教会に入ってから何年かの間にしたことは何でしょうか。祝福というのは、そのようにただ来て座っていれば受けられるというものではありません。千年の功を尽くし、万年の功を尽くしてから、その子孫が来て厳粛に千万回の謝礼を捧げながら、そして天上世界と地上世界の万民が仰ぎ見て、その日の栄光を称賛する中で、祝福を受けるべきなのです。果たして皆さんに、それができるでしょうか。
(30-224, 1970.3.23)
ムン総裁の言っていることがうそかどうか、死んでみれば分かります。私の言っていることがうそかどうか、今すぐにでもこの場で一度死んでみてはどうですか。霊界の度数に合った道理を教えてあげたということを知って、その教えどおりに行かなければなりません。いずれにせよ一度は行かなければならない道です。文総裁の教えを受けなければ、その峠を越えることはできません。案内者がいないのです。
ですから、天は今日、この滅びゆく世の中で私たちのような者を立てて、キリスト教が生きる道、自由世界、民主世界が生きる道を教えてくれるのです。今日ここで名実共にまことの父母の論理が出てくるのです。
(209-227, 1990.11.29)
「先生に似なさい」というのは良い言葉でしょうか、悪い言葉でしょうか。築かれてきた福をそのまま引き継がせてあげようというのです。先生が大きな峠を越えたとすれば、それを中心に同じ形をつくりなさいということです。そうすれば、その垂直線は同じなのです。
(199-188, 1990.2.16)


これからは、皆さん全員が絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンにある家庭には自己所有権はありません。ハナニムとハナニムの絶対愛と血統が一つとなった立場に立った真の息子、娘になりさえすれば、宇宙のすべてが私のものになるのです。愛によって一つになれば、自分のものになるのです。
(300-303, 1999.4.11)

 

② 祝福家庭の伝統を立てよう

天国の皇族圏を編成していく時代です。このどうしようもない者たち、今後ブルドーザーで押し倒してしまう日が来るのです。私の教えるすべての原理のみことば、教えるすべてのことを中心として、世界へ出ていくとき、この世界の伝統をせき止め得る韓国人がいるはずはなく、この世界の伝統をせき止める統一教会があるはずはありません。根を抜かなければなりません。目をつぶって断行しなければなりません。天国の伝統を立てるために刀を当てるときは、刀を当てる腹がなければなりません。私の目を見てください。とても早く話しますね。主張の強い人なのです。間違えたならば、許しというものはないのです。世界に向かっていく時代を前にして、そのような日がやって来るということを考えるとき、これからは厳粛に過去をもう一度悔い改めながら、自分の一身を整え、一家庭を整えなければなりません。
(184-243, 1989.1.1)
これからは、世界がすべて入籍しなければなりません。12支派を中心に、入籍するときは、皆さんの一生、統一教会に来てから今までのすべてを一つ一つ記録しなければなりません。教会からふろしき1枚でも持っていったとするならば、それをすべて記録しなければなりません。それが霊界で記録されたコンピューターの記録と合っていなければ、皆さんは入ることができません。正直にすべて告白書を書いていかなければなりません。そのように、一度清算して越えていくべき時が来るのです。ですから、皆さんの祝福も、教会祝福、南北を統一したあとの祝福、世界を統一したあとの祝福があるのです。そのようなものなのです。
短期間内に南北統一の時代が来ることを願わなければなりません。世界を越えて皆さんが祝福を受けて行ってこそ、天国に入るのであって、そうでなければ霊界に行ってとどまるのです。
(212-59, 1991.1.1)
人間の価値的結論は、二つではありません。一つです。その価値的結論の中心とは何でしょうか。まことの愛です。真の愛とは何でしょうか。真の愛の定義さえ下せずにいます。統一教会の思想は、愛を中心とした唯一の世界観です。個人はこう行くべきであり、家庭はこう行くべきであり、宗族はこう行くべきだということがはっきりと示されています。その法度は、レバレンド・ムーンの構想ではありません。天国の法度の反映体なのです。そうしなければ、霊界に行って入籍できないのです。
(147-194, 1986.9.21)
もう、理論的に考えるならば、み旨に関して説明することはなくなりました。すべて終わったのです。これからは、紙切れを持って越えていく時です。ですから、ハナニムと真の父母から歴史が始まり、今後、入籍時代が来るのです。ですから皆さんが入籍するのです。ハナニムの息子、娘としてみなハナニムのように、真の父母のようになったでしょうか。言葉で言うのは簡単です。寝ても覚めてもこれを考えなければなりません。食べている時も寝る時も、どこへ行ってもこれを考えなければなりません。そのためには、祖国で暮らしてから行かなければなりません。
(201-235, 1990.4.22)


人間の堕落によって、あってはならない内容が、天の道に反対する内容が、今日の人間世界に満ちているのです。これを払いのけなければなりません。これを裂いてしまわなければなりません。それは言葉だけではできません。サタンの愛を中心に、サタンの生命、サタンの血統につながるすべての民族は、それぞれ歩んできた歴史的文化背景を中心に、異なる習慣性、あるいは風習が各種各様に満ちているので、そのままでは除去できないのです。
ですから聖書に、「自分の命を失おうとする者は生きる」とあるのです。それで逆説的な論理が成立するのです。命を失おうとしてこそ生きるのです。自分の命を投入しなければならないのです。ですから、すべてのものを漂白して洗濯し、言い換えれば、蕩減とうげんして復帰しなければならないのです。そのような過程が絶対に必要なのです。それをせずに、堕落世界で所有していた習慣性や罪悪性が残っている限り、天との関係を結ぶことはできないのです。
(213-98, 1991.1.16)
救いの道というのは、皆さんが今まで生きてきた、そのままの習慣的生活を通して得られるものではありません。完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。ですから、再創造されるためには、堕落する前のものと同じように、本然の位置、ゼロの位置に戻らなければならないのです。そこには意識もなく、習慣もなく、今の自分のキムという姓もないのです。そのようなゼロの位置に戻らなければなりません。天の創造本然の基準を考えるならば、造られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。
(213-98, 1991.1.16)
統一教会のメンバーは、絶対に自分勝手に生きることはできません。自分の心をだますことができますか。自分の心を偽ることができない限り、天国の戸籍を偽ることはできません。すべてのことが籍に入るのです。私がこの手を挙げたとすれば、それがビデオテープにすべて記録されていますね。人間の世界でもそのように記録されるのですから、天国に記録されないはずはありません。祝福を受けたある夫婦について、ボタンを押しさえすれば、幼い時から、その先祖の時からすべて現れるのです。あっという間に出るのです。時間はかかりません。ここでは時間という概念がありますが、天国は、あっという間なのです。
(148-290, 1986.10.25)


女性が家柄の高い名家に嫁入りしたならば、いくら美人だとしても、その家の法度に従わなければなりません。法度に従えなければ追放されるのです。ですから、どんなに大変でしょうか。生活が合わず、習慣も合わず、風習が通じなければつらいのです。規則だらけの行路に従って愛し、それに拍子を合わせることは、容易ではありません。難しいのです。拍子を合わせられなければ、追い出されるのです。
(184-243, 1989.1.1)
絶対服従! 絶対服従しなければなりません。これはアボジの話ではありません。原理的な観です。これは実際です。観念ではありません。絶対信仰! 絶対愛! 絶対服従! そうであってこそ個人主義が反対に行くのです。そうであってこそサタンが逃げるのです。サタンが逃げるというのです! ですから絶対服従が必要です。
南・北アメリカがこのまま行きさえすれば、南・北アメリカは統一されます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。それがレール(軌道)です。このレールを走っていかなければなりません。そのような立場に立っているので、私は血統復帰、所有権復帰、心情圈復帰をすることができるのです。一族をすべて復帰することによって、「国も私の国だ。絶対的に私の国だ! 絶対的に家庭、宗族、民族、国家が私のものだ!」と言うことができるのです。
(269-94, 1995.4.8)
アダムとエバが絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を失って偽りの結婚をして、ハナニムの血統を失い、所有権を覆し、一族を滅ぼしたので、ここで絶対血統復帰をしなければならないのです。
真の父母の純潔な血統を、永遠に自分の子孫に残すことができるように守らなければなりません。アダムとエバは、それができずに結婚したのです。私たちは、それを守って結婚し、絶対血統、絶対所有権、絶対心情圏を復帰しなければならないのです。それを標語とするのです。三大標語です。
(269-94, 1995.4.8)


 

第10巻 成約人への道

 

第1章 人生観

   

1) 人生とは何か

 

① 今まで人生問題は迷路

私がなぜ生まれ、なぜ生きなければならず、どこに行かなければならないのでしょうか。生まれたことを、皆さんが自分で生まれたと考えてはいけません。生まれはしましたが、どのような動機で生まれ、何のために生まれたか、私を生まれさせた動機と目的が分からない私たちです。
生まれるには生まれましたが、私が生まれようとして生まれたのではなく、生きるには生きるのですが、私が生きようとして生きるのではなく、死ぬには死ぬのですが、私が死のうとして死ぬのではないというのです。ところで、私の何を誇るのでしょうか。自分自身が生まれようとして生まれることもできず、自分自身のその何かをもって生きることもできず、死ぬ道を避けることもできない自分の何を誇ってみても、哀れで物悲しいだけです。生まれたので生きなければならない運命であり、またそのように生きていかざるを得ない運命です。
(7-178, 1959.9.6)
今日まで哲学は、歴史時代を通じて人生問題を解決するために苦心してきました。まことの人間の価値、人間がどのように完成することができ、人間自体から勝利して万宇宙に誇れる勝利の完成した姿を、いかに成し遂げるかという問題を中心として、数多くの哲人たちが現れ、苦心しながらありとあらゆる主張をしました。それが今となっては、人間を通じて思想体系を立てたすべての主義主張が、もはや実験をすべて終え、既に落第してしまったというのです。みな脱落してしまいました。
(141-125, 1986.2.20)
なぜ人間が、このように特別することもなく生きながらも、死ぬことを嫌い、「なぜ生きるべきか。根源がどのようになっているのか」と、皆さん、疑問が多いでしょう。そのすべての疑問は、人間の哲学書籍を通しては解決できません。哲学というものは、今までハナニムを探していく道を開発したものです。宗教とは何でしょうか。ハナニムを知って、共に生きる生活から始めるのが宗教生活です。
(186-12, 1989.1.24)
人生を、このように生きて行く目的とは何でしょうか。この問題を、もう一度考えてみなければなりません。動機が私によるものではなく、目的も私だけのものではないことは間違いありません。生きる上において、幸福な場を嫌う者がどこにいて、豪華絢爛けんらんな場で生きたいと思わない者がどこにいるでしょうか。しかし、思いどおりにできないのが私です。それでも自分を誇り、思いどおりに生き、思いどおりに残りたい私です。このような心情の交差点をもった私だというのです。
(7-178, 1959.9.6)


皆さんが80年ほど生きたとします。その中で、夜寝る時間を除けば40年になります。半分に減るということです。寝ることも生きることでしょうか。寝ることは死んでいるようなものです。寝ることは死んだ命です。ですから、24時間の間で生きようともがく時間は、半分にしかなりません。
また、そこからご飯を食べる時間を1時間ずつ切り捨てたらどうですか。ご飯を食べる時間を1時間は見ないといけません。また、その中で友達の宴会の日、近所のお年寄りの還暦を祝う日、誰かが亡くなった日、葬式を行う日、病気になって寝ている日、すべての日を全部差し引くと、一生の中で生きているという日が半分にもなるでしょうか。この間、計算してみたところ、生きているという日が7年と出ました。その7年の中で、「本当に生きた」と言える日が何日出てくるかというのです。
(49-336, 1971.10.24)
一生というものは早いのです。物心ついて、この世の物情を知り、あれこれしていて40を超えたら50であり、もう10年はあっという間なのです。そして10年たてば60があっと言う間であり、60になれば70があっという間であり、私も、静かに考えてみると、一場いちじょう春夢しゅんむ(注:人生がはかないことのたとえ)という言葉を実感するのです。
(188-38, 1989.2.16)
自分が運を100ほどもって生まれたのに、120ほど生きて死ぬ人は、その子孫が滅びるのです。人の運は、ゴムひもと同じでピーンと張るというのです。しかし80ほど生きて死ねば20ほどの福を残し、その運勢を子孫に相続してあげて逝けるというのです。
(78-333, 1975.6.10)
運命は変更できますが、宿命は変更できないのです。大韓民国の人として生まれたことは、変わり得ますか。自分のお父さんの息子、娘として生まれたことは、変わり得ますか。その国の主権がどんなに強く、その国の慣習がどんなに強くても、お父さんの息子、娘だということは変更できないというのです。そのように復帰の道は、宿命的な道です。
(172-55, 1988.1.7)
出発を誤れば、とんでもない所に行くというのです。ですから、船が大海を航海するにしても、出発した港から羅針盤を中心として行くべき目的地に向かい、方向性を描いてこそ行けるというのです。それでは、人間が出発した港とはどこなのでしょうか。分からないでいます。羅針盤をもって彼岸の世界に到達できる目的地を描き、行き得る方向性がどこにあるのでしょうか。ないというのです。これがくねくねと、自分勝手に行ったり来たりしました。このように見るとき、人間は、どんなにやったとしても人間で終わるのです。
(172-28, 1988.1.3)

 

② 私たちはどこに行くべきか

一生を経たのちに、私は、どのような所に行くのでしょうか。これが、人間たちが解決しなければならない重要な問題です。宗教もこの問題を解決するために、哲学も歴史もこの問題を解決するために動員されています。それで皆さん自身も、このような運勢に捕らわれて導かれていっていることを否認できないのです。


それならば、いずれ行かなければならない私自身だとすれば、この体は、どこに行こうとするのでしょうか。この心は、どこに行こうとするのでしょうか。またこの生命は、どこに向かって傾いていて、私の心情は、どこに行こうとするのでしょうか。私の所願あるいは所望と理念は、どこに行こうとしているのでしょうか。この問題を解決できないとしても、私たちは、いずれ行かなければならない運命に置かれているのです。
私たちが生きて、そして死ぬ日、この体は、土に埋められることによって終わるのです。それならば体が埋められるその日、この心も、この生命も、この心情も、この理念も、あるいは所願までも一緒に埋められてしまうのでしょうか。消えてしまうのでしょうか。ここに確実な内容と、確実な解決点と、確実な目的観を立てておかない限り、これは不幸な人間でしかあり得ないのです。
(8-194, 1959.12.20)
せみの卵がせみになるためには、赤ちゃん時代、幼虫時代があります。幼虫時代には水たまりにみ、あるいは地面のくぼみにある穴の中に棲むとしても、それらが行かなければならない道は、そこではありません。
大空を飛んでいく道を行かなければならないのです。飛ぶためには、どんなに地面に穴を掘って入り、水の中で泳ぎ回ったとしても、その過程で何かを準備しなければなりませんが、それが絶対条件だというのです。なくてはならない条件だというのです。
幼虫時代から成虫時代に越えていくためには、幼虫時代において、飛ぶための万端の体制が準備されなければならないのです。そして、反対の要素である皮を脱いで整備する一時を、必ず通過しなければなりません。殻を脱がなければなりません。水の中で棲むのならば、魚のように平べったい姿のほうが水面に出たりするのにちょうど良いのですが、空中で飛ぶのならば、それではいけないというのです。そこに合うように、すべてのものが整えられなければなりません。
(120-222, 1982.10.17)
私たちは、何を中心として生まれ、何を中心として行くべきであり、何を目的として行かなければならないのでしょうか。このことは、ハナニム抜きには絶対駄目なのです。ハナニムを抜きにしては、動機のない因縁になるのです。
動機をもつことができない人は、どのようなことを成就しようとしても、その結果は収められず、価値が認定されることはないのです。ある建物を建てるときは、設計者が設計した設計図に従って建築するようになります。設計の原本もなく建てられた建築物は、設計者が目的とした建物になることはできないのです。
(21-100, 1968.11.17)
秋の季節が来たという事実は、冬が近づいているということを意味します。冬は、生命があるものだけが通過できる路程です。生命をもてないものはすべて、ここで後退するしかありません。それで、冬が来る前に新しい生命を注入しなさいというのです。新しい生命は、新しい愛を中心とした新しい主義と思想、そして新しい人生観、新しい世界観、新しい宇宙観をもたなければなりません。そうでなくては、冬の季節を通過することはできません。冬の季節を通過し得る生命力をもつようになれば、それを通過する過程には苦労が多いのですが、行けば行くほど春の日が近づくのです。春の日が訪ねてくるのです。統一教会は、その道を行くのです。
(35-68, 1970.10.3)


2) 人間は原因たる存在ではない

 

① 本来ハナニムの愛によって生まれた人間

本来、私たち人間は、自分の意志によって生まれたのではありません。また、父母なら父母自身がこれこれこのような息子、娘を生もうという計画のもとで生んだのでもありません。このように私たちは、父母の要求によって生まれたのではないというのです。ハナニムの摂理を中心として、私たちが存在するようになった根源を掘り下げてみるなら、私たち人間は、摂理の起源と一致し、その起源を中心として動いていく歴史と関係を結ぶ、重大な責任をもつための一つの生命体として、この地に送られたとしか考えようがないのです。それゆえ、歴史過程にある私自身、その中で生きている私たち個体がどんなに小さいとしても、一つの個体として終わるのではありません。
(34-155, 1970.9.6)
人間自体が、自分で生まれたのでしょうか。自分を主張できる起源は、どこにあるのでしょうか。この大宇宙の原則の前に人間を主張できる起源を、どこから探さなければならないのでしょうか。私たち人間は、生まれた結果的存在なのに、結果的存在が原因を知ることはできないのに、自分を主張しようとする人、そのような人たちは、正気ではない者たちです。全部が狂った人です。
(83-191, 1976.2.8)
生まれたことについて、なぜ生まれたかという問題、ハナニムが人間をなぜ造り、天地万物をなぜ造ったかという問題、その結論は簡単です。ハナニムも愛の対象が必要なので、愛の対象として人間を創造されたのです。
皆さんは今、「何でもない姿の私のような存在は、いてもいなくても同じだ」と考えるでしょう。それではいけません。ハナニムの愛の対象になるのに、父母は、子供が優れているからといって愛するのではありません。子供であれば、優れていようがいまいが愛するというのです。障害のある子供をもつ父母の胸がより痛むのと同じようにです。
天地の中心であられるハナニムの愛の心は、皆さんが優れているとかいないとかということを超えているのです。本性の愛の、その根本をもっているかいないかということが重要です。ですから、私がなぜ造られ、宇宙がなぜ創造されたかということを知らなければなりません。愛の理想を完成させるために造られた、という事実を知らなければなりません。
(130-44, 1983.12.11)


ハナニムがなぜ天地万物を造り、ハナニムが私をなぜ造ったのでしょうか。愛のためです。私がなぜ生まれたのでしょうか。ハナニムの愛ゆえに生まれたのです。ハナニムの愛の中で生まれ、ハナニムの愛の中で生きるために生まれたのです。
「ハナニムと共に私の家庭で愛することができる人だ、ハナニムと共に私の社会で愛することができる人だ、ハナニムと共に私の国で愛することができる人だ、ハナニムと共に私の世界で愛することができる人だ」と言える人になるために、ハナニムの愛の中で生きなければならないのです。
(97-266, 1978.3.19)
私というものは、父母から何を受けて生まれたのでしょうか。生命の連結体として生まれた、このように見るのです。お母さん、お父さんが一つになる所から、お母さん、お父さんの生命力の価値をもって生まれたというのです。その生命力は愛によって、その生命力と愛は、宇宙の目的を完成するためにと、このようになるのです。目的を完成するために生まれたというのです。男性なら男性、女性なら女性としてのある目的、大宇宙の目的の協助体としての自らを完成するために、このような生命力を中心とした結合によって生まれたというのです。
(110-72, 1980.11.9)
私たちが生まれたのは、なぜですか。何のために生まれましたか。ハナニムの愛ゆえに生まれたというのです。ここで「ドカン!」といえば、ハナニムの頭に「ガン!」と通じる、その愛だというのです。皆さんが何かを持って池に「ポン!」と投げれば、波紋が池全体に広がるのと同じように、この宇宙の中で愛を「パーン!」と投げれば、全宇宙に波紋が生じるはずだというのです。そのようなことをしているのです。皆さんが、何によって大きな波紋を起こすかが問題だというのです。
(103-254, 1979.3.4)
ハナニムとは、どういうお方でしょうか。創造主です。創造主とは、どういうお方でしょうか。宗教世界での概念では、「ハナニムは私たちのお父さんだ」、「私たちはハナニムの子女だ」と言うのです。では、そのお父さんは、どんなお父さんですか。どのようなお父さんだというのですか。これは漠然としているというのです。借りてきたお父さんですか、隣近所のお父さんですか、あるいは養父ですか、どんな父母ですか。そうでなければ妻の父母ですか、嫁ぎ先の父母ですか。「お父さん」という言葉はたくさんあります。根本を解決できずしては、どんなに環境が拡大されたその世界で解決しようとしたところで、解決は出てこないのです。千万年たっても解決ができないというのです。
それならば、人間とハナニムが問題です。「ハナニムが私たちのお父さんだ」と言うとき、皆さんは、ハナニムがお父さんだと感じられますか。私よりも、私がいる前にもっと確実なのがお母さん、お父さんです。お母さん、お父さんが私より先にいるので、私がいるということを前提とする時は、私がいるということを主張する前に、私たちのお母さん、お父さんがいると主張しなければならないのです。それが正しい定義です。お母さん、お父さんをのけ者にして、私がいるという主張は、愚かな主張なのです。
(188-190, 1989.2.26)


人間は、第1の原因的存在ではありません。第2の結果的存在だというのです。ですから私がいるということを語る前に、お母さん、お父さんがいることを語るべきなのです。このように見れば、根本に帰って宇宙の根本となるハナニムという問題を、根本的に、最初に解決しておかなければならないのではないかというのです。お母さん以上、お父さん以上、先祖の先祖といって上がっていけばハナニムになるでしょう。このような論理を追求すれば、私を主張する前にハナニムを決定しなければなりません。ハナニムは、どんな方だ、彼は、私のお父さんだ、そのお父さんは、どんなお父さんだということを。それで私たち統一教会は、これを教えてあげるのです。
(188-190, 1989.2.26)
「本然の出発点を正しくつかめ」、「正しく求めよ」というのです。人間は結果的存在なので、「原因の起点にもっていって合わせろ」というのです。原因の起点に合わせますが、その起点が盲目的起点になってはいけません。ハナニムが人格をもっているので、人格をもった人間においても、知情意のすべての良心的作用の内容を持ち合わせているのです。ですからその動機も、原因的内容以上の動機でなければならないというのです。そうしながら、絶対的でなければいけません。一度、出発したものが誤ったなら、永遠に是正することはできません。
(172-32, 1988.1.3)

 

② 人間が生まれた本然の目的

ハナニムは、宇宙の第1原因であられ、森羅万象の創造主です。そして、私たちの愛するお父さんであられます。ハナニムは、特別なみ旨を成し遂げるために万物を創造されたのであり、その目的は、正に愛の具現にあります。
ハナニムは、まことの愛の根源であられますが、どんなに全能なハナニムであられるとしても、一人では決して愛の喜びを感じることができません。ハナニムは、愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が帰ってくることを願っていらっしゃいます。その対象としての最高の被造物が、正に私たち人間です。そのような理由で、人間の生命には目的があるのです。
人生の目的は、成熟し、ハナニムと永遠の真の愛の関係を実現するところにあるのです。正にこれが、ハナニムと人間の間に平和をつくり上げる根本原理なのです。
(166-131, 1987.6.1)
豊かに生きることも重要で、何かをすることも重要ですが、まずは縦的な天の父母の前に孝の道理を立てなければなりません。縦的天の父母の前に忠の道理を立てなければなりません。縦的な天の父母の前に聖人以上の道理を立てなければならないというのです。それが、人間が生まれた本来の目的です。また、そのような人に出会うためにハナニムが人を造ったのです。そのような目的があるというのです。
(58-231, 1972.6.11)
人生が真実に行く道とは、どこでしょうか。人間は、どこから生まれたのでしょうか。愛から生まれました。人生は、どのような道を行くべきなのでしょうか。愛の道を行かなければなりません。どのように死ぬべきなのでしょうか。愛のために死ななければならないという結論が出てきます。その愛とは、どのような愛でしょうか。大宇宙が歓迎し得る愛です。小宇宙ではないというのです。ハナニムが公認し、天使世界が公認し、万物が公認し、すべての人が公認し、私たちの父母が公認し得る大宇宙の中で生まれ、その中で生きて、その中で愛し、その中で死んでいくことが、人生の目的だと見るのです。
(83-164, 1976.2.8)


人は、自分が良いときは、父母、兄弟、親戚しんせきを訪ねて、一緒に楽しもうとします。良いことは、幸福なことなのです。幸福は永遠なものであり、永遠なものは心情です。宇宙の中心は何でしょうか。それは、父母と子供だというのです。すなわち父母と私です。ハナニムと私だというのです。ハナニムはお父さん、私は息子です。人生の究極的な目的は、父を尋ね求め、切ることのできない関係を結んで喜びを感じることです。
(12-104, 1962.12.16)
先生はいつか、道を行く途中で、年を取ったおじいさんと話をしたことがありました。そのときおじいさんに、「どこに行かれますか」と尋ねると、「どこに行くも何も、うちの息子の家に決まっているでしょう」とおっしゃいました。「そうですか。行って何をされるのですか」ともう一度聞いてみると、「出されるご飯を食べて、たまににわとりでも出してくれるなら、鶏もおいしく食べるんだよ」と言うのでした。また、「それなら食べたあと、何をされますか」と聞いてみると、「食べたあとは、特にないよ」と、このような答えでした。私たちの人生を、このように送ってもよいのでしょうか。
(19-289, 1968.3.10)
家計の帳簿を整理するときにも、収入がいくらで支出がいくらかを正確に決算します。このように帳簿を整理するときにも、収支決算を徹底してやるのに、皆さんの人生はどうですか。一生の間、生きたことを収支決算してみましたか。赤字ですか、黒字ですか。赤字ならば地をたたいて痛哭つうこくしなければなりません。
人は、死ぬ場において、楽しく歌を歌って死ぬことができなければなりません。ところで、死を前にして生きようともがくことは、赤字の人生だという証拠です。私たちは、絶対性を中心として、心情の世界において黒字の人生を生きなければなりません。
(19-289, 1968.3.10)
人間は、誰のために生きるのでしょうか。「私のために生きます」と言えば落第です。自分のために生きる人の前に、家庭が存在できますか。希望の家庭がないのです。国が存在できますか。国は出てきません。そこに世界が存在できますか。世界が存在できません。世界が出てこれる場がないのです。天地の公約は、「この個人主義の悪党よ、立ち去れ」と制止するのです。個人を第一とするのに、そこに家庭が入れますか。そこにある理想的な国が入れますか。きりの先のような狭い所に入れるかというのです。どんなに入ろうとしても、入っていけないというのです。
(57-66, 1972.5.28)
皆さんは、愛を知らなければなりません。すべてのものが移動する目的、存在する目的は、愛だというのです。愛を求めて動き、愛を求めて存在しているというこの鉄則を、皆さんは、いつももっていなければなりません。鳥たちがお互い好きになり、「チュッチュ」とさえずりながら飛び回ることも愛ゆえであり、磁石のプラスとマイナスがお互いに合わさることも愛で一つになるためだというのです。人がみな、誰かに会おうとするのも一つになるためなのです。
(67-159, 1973.6.1)


 

③ 愛のために生きる

人生は、どのように生きるべきでしょうか。人間は、どこから、なぜ生まれ、どのように生きていくべきでしょうか。簡単だというのです。愛(ハナニムを中心とした)ゆえに、愛によって生まれたので、愛の道を求めて、愛の目的地に行くのです。そうすれば、循環法度上で、永遠に回れるのです。愛は、永遠の概念なので、愛を求めて、この中心に来るのです。それは、愛でのみ成立するのです。
(125-65, 1983.3.6)
私が一生の間、生きるのは、私のために生きるのではありません。ハナニムの愛のために生きるのです。その目的のために移動しながら生きるというのです。それが、どれだけ素晴らしいことでしょうか。そのように生きる人は、絶対滅びないのです。そこに大変なことがあり、涙もあり、時には悲惨なことがあったとしても、それはハナニムの愛ゆえなので、悲惨ではなく、悲痛でもなく、悲しみでもないというのです。その原則を知らなければなりません。
(67-159, 1973.6.1)
私たちは、何のために生きるのでしょうか。絶対的なまことの愛、真の愛のために生きましょう! ここに、すべてが入っているのです。ですから、私のポケットにあるハンカチも愛のためにあり、私が仕事をするのも、汗を流すのも愛のため、真の愛のためにするというのです。私が話すことも真の愛のため、食べることも真の愛のため、遊ぶことも真の愛のため、すべてがそうだというのです。
(107-205, 1980.5.1)
人間は、何を目的としなければならないのでしょうか。個人を目的とすることより、家庭を目的とすることより、団体を目的とすることより、国家を目的とすることより、世界を目的とすることより、天地を目的とすることより、ハナニムを中心としてハナニムと人間が合わさった目的に向かって進んでいかなければならないのです。
そうすれば、どの目的が最後に残るでしょうか。個人を主としたものは流れていき、家庭を主としたものも流れていき、団体を主としたものも流れていき、国を主としたものも流れていき、世界を主としたものも流れていくのです。しかし、最後まで残る一つの目的があるとすれば、それはハナニムと人間が共同で追求する目的です。そのような目的だけが、人間の歴史の最後まで残り得るものなのです。
(41-323, 1971.2.18)
皆さんの心が最後に安着できる終着点とは、どこでしょうか。ハナニムを求めて自分のものにしたとしても、そこに皆さんの心は、安息しようとしません。心の最後の終着点は、ハナニムを占領し、ハナニムの愛を占領する所です。ですから、皆さんがハナニムの愛を占領することができなければ、万事がむなしいのです。
(24-17, 1969.6.22)


人生の最後の目的は、ハナニムを中心として天の中心たるその方と出会うことではありません。その方と一緒に住むことが問題となります。その方と会うのにどのような場所で会うか、生きるのにどのような場所で生きるのかということが問題です。その方とは中心の場所で会い、中心の場所で生きようというのですが、その中心の位置は、ハナニムの愛の位置なのです。ですから、人類の良心が指向する最高の目標は、天運に従ってハナニムと一致し、ハナニムの愛を私のものにしようというのです。結論はそれです。
(24-17, 1969.6.22)
人間が最後に到達したいのは、最高であられる方の愛の対象者になることです。その最高の方とは誰かというと、私たちの父であられると同時に、ハナニムだというのです。
(65-46, 1972.11.13)
本来、人間の特権は、誰彼を問わず、天上王国世界において皇太子として生まれる権威をもっているのです。お姫様として生まれる権威をもっているのです。それが人間の価値です。それが本来の人間の権威だったのです。
(68-326, 1973.8.5)
心情が通じるようになれば、みんながハナニムの子女になります。文化の背景や歴史的環境、あるいは時代の位置いかんによって人間の価値が左右されるのではありません。そのいかなるものをもってしても、人間の価値を決定することはできません。人間が天を知り、地を知り、天の目的と地の目的と人間の目的を知るところにおいてのみ、人間の価値が決定されるのです。
(15-83, 1965.9.29)
私たちは、新しい価値観を模索して、それを中心としなければなりません。世界に対する新しい価値、人間に対する新しい価値、理念に対する新しい価値、あるいは愛に対する新しい価値を模索しなければなりません。その価値観がハナニムのみこころと一致できる内容をもって出発するとき、その価値観は、人間を中心とした価値観とは母体が異なるのです。人間の意志を中心として立てられた価値観とは異なるのです。
(44-227, 1971.5.23)
今日、この世界において確実な価値観をもたなければなりません。世界観を越えることができる価値観をもたなければなりません。私たち統一教会は、その価値観の中心をハナニムにおいているのです。私たちの主張する世界に帰ろう、理想世界に帰ろう、ではないのです。ハナニムに帰ろうというのです。ハナニムに帰らなければ理想世界もないのであり、幸福な世界もないのであり、永遠の世界もないのであり、愛の世界もないのです。そのすべての幸福の要因、私たちが願うすべての要件は、ハナニムによって始まらなければならないからです。それゆえ、ハナニムに帰らなければならないのです。これを懐かしく思い、これを求めてきたのが、人類歴史上に現れた宗教という機関だということを知らなければなりません。
(68-138, 1973.7.29)


私たち統一教会は、絶対的な価値観を提示するとともに、真の父母様を提示しています。私たちが願う絶対的価値の基準は、どこが終着点なのでしょうか。真の父母の息子、娘になるところです。永遠の生命をもてる、永遠の愛をもてるハナニムの息子、娘になることです。そのほかには、道がありません。アダムとエバが堕落するとき、ハナニムが許諾した立場で相対理想を結んだのではありません。自分たちが勝手にやったのです。ハナニムが許諾して関係をもって出発できるのは、父子の因縁しかありません。ところが、それが壊れたので、没落したので、それを標準にし、もう一度、継ぎ合わせなければなりません。
(68-138, 1973.7.29)

 

3) 人間の価値は偉大である

 

① 人間の価値はハナニム的価値

人の価値は、どのくらい大きいでしょうか。ハナニムがつえをついて、千年、万年、懐かしく思える存在が人間です。統一教会ムン先生が見ると、これが宇宙の根本だというのです。これが内外関係になったので、縦横の愛の世界観が成立するのです。上下関係と左右関係になれば、縦横の愛の世界観が広がるのです。その中心にはハナニムが臨在されるのです。心の深い谷間の位置で一つに固く結んであげられるその場は、縦横の中心地です。これを結んでおかずしては、縦横の基準が愛の理想型として出てこないのです。ですから人を、このように造らずにはいられなかったということを皆さんは知らなければなりません。
(48-224, 1971.9.19)
ハナニムは、絶対的な創造の観を所有した絶対者であられるので、絶対的な対象としての価値のある存在を追求するのです。これは、この地上における被造万物の中の何を与えられても換えられないものです。価値的に見るならば、相対的存在とは、ハナニムをあげても換えることができない存在です。「相対的価値」という言葉は少し難しい言葉ですが、相対的価値というものは、相対という言葉を中心として、その対象の価値というものはハナニムをあげても換えることができないのです。ハナニムをあげたところで、ハナニムお独りになられるのです。ハナニムだけが残ってしまうのです。
ですから、ハナニム自身を投入して、ハナニム自身の力を、エネルギーを消耗するのです。消耗戦をされるのです。ですから、ハナニムをあげても換えることのできない対象であるという、価値的存在として造ったものが人間なのです。このように、絶対的価値の存在が人間だということを皆さんは知らなければなりません。ハナニムがそのような観をもって、価値的存在として人間を造られたのです。
(68-134, 1973.7.29)


ハナニムは、人間を愛のために造られました。人間は、なぜ造られたのでしょうか。愛のために造られたのです。人間が万物と違うのは、ハナニムの息子、娘として造られたからです。ハナニムの直系の愛を受け得る対象者として造られたというのです。これが人間の特権です。
(132-245, 1984.6.20)
人は、誰に似ましたか。ハナニムに似たというのです。ですからハナニムが愛を願うのも結局は人と同じです。愛を中心とした理想の創造世界というものは、実体を中心とした愛の表示が形象として現れ、形象の表示が象徴として現れるのです。統一教会の「原理」は、そのように言っているのです。何を中心としてですか。愛を中心としてです。その実体が喜べば、その形象となるものも自動的に喜び、形象となる存在が喜べば、象徴的なものも自動的に喜べるのです。そのような作用を、何がしますか。愛のみがするのです。
(166-48, 1987.5.28)
ハナニムが、愛を求めていく対象を造ろうとするとき、誰に似るように造るのでしょうか。ハナニムに似るように造るのです。そのハナニムに似るように造るなら、ハナニムの中にあるもののように男性の性稟せいひんがなければならず、女性の性稟がなければなりません。自分に似たので自分の本性相からすべて抜き出し、見えない性相、見えない考えの形態を実体として展開させたものが人間だというのです。ですから聖書の創世記に出てくる、ハナニムが自分の形状のとおりに人間を創造したという言葉は、正しいのです。
(170-167, 1987.11.15)
見えないハナニムの形状を、私たちの体中に象徴的にすべて投入したというのです。目は、誰に似たのですか。ハナニムです。ですから顔の真ん中を見てみると、目は深い所にあるのです。そうしながら、すべてのものを観察するというのです。その次に、鼻はアダムとエバを象徴するのです。これが中心です。その次に、口は万物です。横的です。ですから、48しは、32(4×8=32)、32個の歯をもっているのです。この世の万物を中心として、4数を中心として。その次に、耳は四方を象徴するというのです。この首の上は、天の国です。天の国の情報センターがあるというのです。
(201-83, 1990.3.4)
顔は、天地創造の主人が自分の形状をすべて取り入れて造りました。ですから、人の中にはハナニムの性稟がすべて入っているのです。この目は何を象徴するかというと、ハナニムを象徴します。ですから生物が生まれるとき、目が最初にできるのです。天地の中心はハナニムであられるので、目はハナニムを象徴するのです。ですからどんな人でも、その人の目は、ハナニムを象徴するというのです。ですからどんな人でも、その人の目を見れば、その人が良心的な人なのか非良心的な人なのか、直ちに分かるのです。
(39-247, 1971.1.15)


いくら真理だといっても、その真理の核心とは何でしょうか。お金でもなく、権力でもなく、知識でもありません。愛です。本質的な愛は縦的なところにあり、真理的愛は横的に連結されているのです。ですから万物を見てハナニムが分かるし、アダムとエバはハナニムの形状なので、アダムとエバを見てハナニムが分かるのです。アダムとエバは、縦的なまことの愛の対象的主体なので、この二人、男女の愛を、東西南北を通して世界の軸に合わせるときには、ハナニムと霊界が通じ、全世界がすべて通じるのです。
(179-290, 1988.8.14)
皆さんは、主体と一つにならなければならず、対象と一つにならなければならないことを知るべきです。主体と対象が一つになれば、繁殖が起こります。与え受ければ、必ず繁殖が繰り広げられるのです。その繁殖できる場は、うれしい場なのです。
ハナニム自身も、性相と形状の二性性相になっているでしょう。各自が一人の時は、主体ではありません。男性と女性が合わさってこそ、家庭の主体が成立するのです。二人が合わされば、主体になるまいとしても主体になるのです。
(42-115, 1971.2.28)
人間たち自らが、ハナニムの本然の愛を再現させられる運動、ハナニムを愛する運動、ハナニムに接近できる運動をしなければならないというのです。「なんじの体と心を尽くして、主なる汝のハナニムを愛せよ」と言われた、それが第1の戒めだというのです。愛することが第1です。体と心を尽くして愛さなければならないのです。中間であってはいけません。終わりまで行かなければなりません。それで、ハナニムの形状が現れ得る真実な心、ハナニムと一つになろうとするその心の本性が絶対的であり、それがすべてのものの始まりであり、終わりだと考えられる境地に入っていかなければなりません。そのように愛せよ、ということが第1の戒めなのです。
(149-237, 1986.11.23)
ハナニムと人間との拍子が合って和動することができる喜びの拍子の前に、すべてのものが自分の姿どおりに音律を合わせることができ、自分の姿どおりにすべてが象徴的、形象的に踊り、すべてがこのようにすることができる、そのような喜びの表示がそうだというのです。そのようになれば、万物も、「ああ、私が生まれたかいがあるなあ」と言うでしょう。例えば、ハナニムと人間が愛の祝宴をするその日に同参できる因縁をもち、その喜びをお互いに分かち合える存在になったという事実が、被造世界の限りなく小さい万物が望む所願だったのではないだろうかというのです。
(166-46, 1987.5.28)
このすべての万物は、ハナニムの息子、娘たちを造るための土台なのです。関係を結び、連結するための土台なのです。動物もそうであり、鉱物もそうです。鉱物世界にもプラス、マイナスがあるのです。植物世界にも雌しべ、雄しべがあり、動物世界にも雌、雄があります。すべて橋を架けて、すべてのものが結集され、創造された最高の傑作品が、人間の内的形状と外的形状です。
(144-236, 1986.4.25)


それではハナニムは、なぜ夜と昼をつくられたのでしょうか。毎日のように一日中、お日様があれば、朝、何の刺激がありますか。光明な朝だ、輝く朝だというとき、光明といっても何が光明で、輝くといっても何が輝くというのですか。おもしろ味がないのです。しかし、すべてのものは、刺激のために、愛という課題をめぐって刺激的な象徴と形象でつづられながら、調和し得る拍子をもっているのです。
(124-85, 1983.1.30)
皆さんの生命の根は、どこにありますか。堕落していない父母にあります。では堕落していない善なる父母の位置は、どのような位置ですか。ハナニムが二性性相の主体であられるように、ハナニムが自分の二性性相を展開し、ハナニムの形状どおり万宇宙を造り、人間を造ったのです。アダムはハナニムの男性的性稟を展開させたものであり、エバはハナニムの女性的性稟を展開させたものなのです。このように見るとき、私たち一般の人が普通「天の父!」と言うのは、お一人ですからそのように言うのでしょうが、そのお一人という概念の中に「天の父、母」という概念が入っているのです。
(140-123, 1986.2.9)

 

② 人間はハナニムが臨在される聖殿

もし人間の先祖、アダムとエバが堕落しなかったならば、どのようになっていたでしょうか。アダムとエバは、ハナニムと一つの体になり、ハナニムと同じ立場に立ち、ハナニムの創造の威厳を継承し、ハナニムが創造後、お喜びになられたのと同じ位置に立つことになっていたはずです。ハナニムと人間の間で、そのような関係を結ぶようになるのです。堕落していない本然の人は、ハナニムの聖殿になるのです。
(54-64, 1972.3.11)
アダムとエバは、ハナニムの息子、娘であると同時に、ハナニムの聖殿です。彼らが共に成長し、聖殿が完熟するように造られたなら、ハナニムがアダムとエバの中に入ってこられるというのです。そして、完成したアダムとエバがハナニムを中心として聖なる式を挙げれば、ハナニムと一つの体になるということです。ハナニムは内的なハナニムになり、私たち人間は実体をもったハナニムの体になるというのです。
コリント人への第1の手紙第3章16節を見ると、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみことばがあります。信じて救いを受ける人もハナニムの聖殿になるのですから、本然の人類のまことなる先祖の位置に進むその方たちにおいては言うまでもないというのです。
(54-139, 1972.3.22)
ハナニムが父になり、人間はハナニムの息子になったとしても、父は上にいて息子は下にいる上下関係のような、そのような気分がするのです。そのとき私たち人間は、どのような考えをするのでしょうか。「お父さん、お父さんが座っていらっしゃったその席を、私に一度下さい。私もお父さんの席に座りたいです」という欲望が私たち人間にはあるのです。ここでハナニムが、「おいこいつ、駄目だ」と言えば、すべて壊れるのです。しかしハナニムは、そのように言われないのです。むしろハナニムは、私たち人間がそのような欲望をもっていることを知っていらっしゃるので、「早く、そうしなさい。早く、そうしなさい」と言われながら、その位置までも私たち人間に下さるのです。その位置まで人間に下さり、ハナニムは私たちの心に臨在され、私たちの心を聖殿として、そこにいようとされるのです。
(54-89, 1972.3.20)


聖書には、「私たちの体は聖殿である」とありますが、それはどういう意味か、解釈できずにいるのです。それは偉大な言葉です。いくら大きなハナニムだとしても、そのハナニムと私が愛をささやける愛の対象圏になれば、その愛の対象圏と一つになれば、宇宙を相続し得る権限が生じるからです。愛という原則基盤を通じてハナニムが造った世界、霊界、無形世界、実体世界、このすべて、すなわち宇宙の相続権を獲得できるのです。この驚くべき事実を知らないのです。
(137-67, 1985.12.18)
アダムは、実体をもったハナニムの体です。コリント人への第1の手紙第3章16節にあるでしょう。あなた方の体が聖殿であることを知らないのかと。聖殿は、ハナニムがいらっしゃる所でしょう。私たちの心に本然の愛が芽生えるその場所を、至聖所としているのです。ですから、アダムの心にハナニムが宇宙的な愛の聖殿を造り、愛の力を伸ばし、愛の花を咲かせようとするのです。これが、ハナニムがアダムとエバを造り、家庭と世界に繁殖しなさいと祝福してくださった目的であることを知らなければなりません。
(121-113, 1982.10.24)
番神聖な所とはどこですか。至聖所とはどこかというとき、エルサレムの聖殿が至聖所ではありません。人間が造った、そこが至聖所ではありません、ハナニムが造られた愛がとどまれる所が、最高の至聖所です。この至聖所を失ってしまったのです。ですから、人間の罪がどれほど大きいでしょうか。
(136-310, 1985.12.29)
ハナニムが人間を造ったのは、実体のハナニムの体として造ったということです。コリント人への第1の手紙第3章16節を見ても、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか」と言っています。聖殿とは何ですか。ハナニムの家だというのです。アダムとは誰かといえば、ハナニムの体であり、エバとは誰かといえば、ハナニムの夫人だったというのです。このようになっていたならば、その子供は、ハナニムの血統をもって生まれるのです。彼らがハナニムの血族になるのが原則です。
(135-313, 1985.12.15)
完成段階に至った人間が霊界に行くと、どのようになりますか。アダムは、ハナニムの体になります。ヨハネによる福音書とコリント人への手紙に、「あなた方はハナニムの聖殿であることを知らないのか」と出ているのと同じように、ハナニムが臨在できる聖殿です。家です。ハナニムと、どのように似ますか。責任分坦完成段階に至り、ハナニムが臨在し一つになれば、愛によってすべての生命の結合、一体化が成し遂げられるのです。生命が和合するのです。男性、女性が家庭、夫婦を成すということは、愛を中心として一体となり、和合するということです。それと同じように、その愛の力は、ハナニムと和合するようになるのです。ハナニムと和合するようになるということです。
(130-21, 1983.12.11)


人間が完成して成年になれば、そのとき、見えないハナニムが入ってきて愛をつくるのです。ハナニムが好むと同時に、アダムが好む激動的愛をハナニムができるというのです。それゆえ愛は、最高の神聖な聖殿です。神聖の聖という字です。ですから真の愛の中には、どこでもハナニムが入っていらっしゃるというのです。
なぜ人は、真の愛を好むのでしょうか。真の愛にさえ会えば、ハナニムがここにいらっしゃるというのです。ですからアダムとエバが成年になって愛するとき、アダムとエバの体は、この宇宙を創造したハナニムがその中に入ってきて最高の神聖な聖殿を築く、神聖なところになるのです。
(128-325, 1983.10.2)
エバとは誰かというと、アダムの妻です。アダムは、ハナニムの実体です。「あなたの体はハナニムの聖殿だ」と言ったのです。ハナニムは、アダムの心に臨在している、見えない父です。この二つの父が一つになるのです。合一されるのです。ですから霊的世界、無形の世界と有形の世界の合一の起点がアダムの本性的基準です。その本性的基準は何ですか。お金のふろしき、欲心のふろしきではないのです。純粋な思春期を通じてすべての細胞機能が総動員され、一つの触覚として、アンテナとして現れたその基準を中心として、ハナニムがそこに臨まれることにより、定着するのです。
(120-70, 1982.10.3)
コリント人への第1の手紙第3章16節を見れば、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊みたまが自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があるでしょう。これが何かというと、ハナニムの聖殿です。皆さんが神秘的な境地に入って祈祷しながら、「ハナニム、どこにいらっしゃいますか」と尋ねると、答えがとても素晴らしいのです。「ここにいる! なぜ、そのように大騒ぎするのか」とおっしゃるのです。「朝ご飯を食べられなかったのか。夜遅く、なぜ大騒ぎするのか」と言うのです。「どこにいますか」と尋ねると、「どこにいるも何も、その深い心の奥に立っているだろう! お前の心の中にいるだろう!」と言われるのです。天国がどこにあると言いましたか。心の中にあると言いました。
(224-214, 1991.11.24)

 

4) 人間本性の真なる生活

 

① 心に和合した生活をしなければならない

自分に一番近い先生とは誰かといえば、自分の心です。一番親しい友達よりも貴いものが自分の心であり、お母さん、お父さんよりも貴いものが自分の心です。心に尋ねてみるのです。その心には、ハナニムが入っていらっしゃるのです。その心の声を聞くことができなければなりません。その境地まで入らなければなりません。仏教には、自性じしょうを清めなければならないという言葉があります。「天上天下てんげ唯我独尊」とお釈迦しゃか様が言いましたが、それは何かといえば、私が私に尋ねれば、私にハナニムが入っていることが分かる、ということです。そのようになれば、できないことがないというのです。
(133-178, 1984.7.10)