八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 8-8

八大教材教本 天聖経(2012年版)p2388-2423

【天啓の御言】(8-8)

 


先生はそれを知っているので、天運の風が吹くようにしたのです。低気圧になっていれば、高気圧の風が吹くようになっています。私たちが全力を尽くして、最大の低気圧の精誠を尽くせば、神様の高気圧の愛圏が押し寄せてくるので台風が吹くのです。このような話を信じなかったでしょう。この天運の風をつかみ取らなければなりません。
(234-160, 1992.8.10)
先生を見て、おばけのような人だといいます。世の中の誰も知らないことを知って、天運がどのように巡っているのかを知っています。今、大韓民国の国運がどこに行き、アジアの運がどこに行き、世界の運がどこに向かっているのかを知っているのです。これを縛りつけておけば、すべて引きずられます。走る千里の馬(一日に千里を走る名馬)のおしりにくっついているハエは、血を吸いながらも千里を行くのです。そうなのです。天運にしがみついて落ちなければ、万事がOKだというのです。
(233-66, 1992.7.30)
世界を抜け出すことができない人々は、天運を扱えません。それゆえに、統一教会は、世界を乗り越えなさいというのです。天運をもって越えなさいというのです。それで、天運をもって神様を中心として神様と対等な位置に立ち、神様から、「あなたは、この地上に天運を活用できる主人である」という名前を受け、いんを受けてきて、初めてメシヤになるのです。そうしてこそ救世主、まことの父母になるのです。それゆえに、先生一人をおいて全世界が打ってきましたが、本来、善の人は打ちません。
(233-66, 1992.7.30)
天運に乗ろうとするなら、先に天運が行く道がどのようなところかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶところ、楽しんで飲み食いするところではありません。すべてが嫌う位置です。その場は、どのようなことでも常に感謝して、責任を遂行しながら栄光を神様の前に返して、自分自ら感謝することができる位置でなければならないのです。そのような位置に立つ人が天運に乗れるのです。それゆえに、皆さんは、必ず勝利しなければなりません。
(19-145, 1968.1.1)
大韓民国に、神様の愛を中心として、天上天下てんげに代わり、歴史を代わり、「ため」に生きる愛をもって、万国の愛、万民の愛の権限、自らの権限ではなく全体の権限を代行し、自らは影となりながら、「あなたがたは太陽になれ、陽光になれ」と言うことができる慕心ぼしんの位置に立てば、神様が私を訪ねてこられて、直接太陽の光になってくださるというのです。天国を移していくことができる力が、万福を移してくることができ、天運を左右できる力が、真の愛の道の前には同伴するというのです。
(179-318, 1988.8.14)
今、天運が韓国の地に発動できる時になったので、皆さんは、この民族のために、再創造するところに同参しなければならないのです。堕落したために、主体は、再創造しないといけないというのです。思想をもって神様の代身相対をつくっておかなければならないのです。


それゆえに、家庭を新しくつくらなければならず、国家を新しくつくらなければならず、世界を新しくつくらなければなりません。皆さんは分かりませんが、このような使命が天道という命題のもとに、24時間、時間を超越して作用しているので、皆さんがこれを受け入れて新しい人生の春を迎え、世界を抱いて歌っていくことができる、人生行路の成功者にならなければならないのです。
(137-79, 1985.12.18)
自分だけが幸せに生きようとしてはいけないというのです。私たち祝福家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として ― ですから、天運が神様と真の父母様と共にあるのです ― 天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、「私たち祝福家庭は、どこに行っても全体に福を分け与えることができる中心家庭になる」ということです。そのように生きられなかったのではないですか。
(260-156, 1994.5.2)
その次は何ですか。「天運を動かすこと」が6節でしょう。「真の愛を中心として、真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になります。真の父母様のすべての受難は、自分が幸せに暮らすためのものではありません。全人類を自分が解放させて天運を振り分けてあげ、天運を移してあげるためのものです。真の父母に従ってくる天運を、そのまま譲り渡してあげなければならないのです。祝福の基になりなさいということです。いくら促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分自体の福ばかり受けていってはいけないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足し、大きい天運の恩恵を受けることができるものを譲り渡していかなければなりません。
(261-91, 1994.5.22)

 

③ 「天の祝福を周辺に連結させる家庭」

家庭盟誓カヂョンメンセの6節は何ですか。「神様とまことの父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり」です。神様のすべてを相続し、天運を動かす家庭となり、周辺に神様の祝福を分けてあげなければならないのです。周辺とは誰ですか。カイン世界のことをいうのです。それが必要です。自分一人で天国に行きますか。周辺にいる人、全員がつるはしを持って、「こいつ! お前だけ天国に上がっていこうというのか。み旨がそうなっているのか。私が『統一教会は嫌いだ』と言えば、むちをたたきながらでも死ぬまで忠告しなければならないのに、なぜしなかったのか」。いつか、このようなことが起きるというのです。
(283-82, 1997.4.8)
「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。これは何かというと、祝福の基です。私が祝福を受けたのは、私一人がうまくいくためのものではありません。先に召命されたならば、全世界の兄弟の家庭を、私と同じ家庭にしなければならないのです。


「天運に従って、私と同じ家庭をつくるための家庭になります」というのです。一人だけのためのものではありません。「家庭において『家和万事成いえわしてばんじなる』を成して、すべての家庭が和合して統一することができるようにします」、そのような意味です。
(260-305, 1994.5.19)
「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します!」です。代身家庭、真の父母様が何をしたのかというと、代身家庭となり、天運を動かす家庭となり、父母様が動けば天運がついて回るのと同じように、皆さんも父母様と完全に一つになって天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させなければなりません。自分一人だけではいけないということです。周辺に自分と同じ家庭をつくるのです。そのような主体的家庭になることを誓うというのです。
(267-153, 1995.1.4)
6番は何と言いましたか。「真の父母様の代身家庭として天運を動かす」と言いました。創造理想がすべてついていくようになっています。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それをしておくことによって、心情文化世界、絶対に血筋を汚さない歴史を自分が何代、何千年残すかということが、神様の祝福世界で、天上世界で天の国の功臣になるかどうかという問題がかかっているというのです。きちんと公式になっています。
(292-107, 1998.3.28)
「真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します!」。自分たちだけ幸せに暮らすのではないのです。自分だけ幸せに暮らしてはいけないのです。神様は、そうではありません。父母は、そうではありません。息子、娘がもっと幸せになるようにしなければならないというのです。四方にすべて連結させる家庭を完成しなければなりません。
(280-35, 1996.10.13)
今から皆さんが、天の祝福を周辺に伝えてあげなければ、霊界の先祖が皆さん自身を蕩減とうげんさせるのです。反抗するというのです。絶えず道を妨げて妨害するというのです。「盟誓メンセ文にこのようになっているのに、なぜ行動しないのか、こいつ!」と言います。ですから、すべて分けてあげなさいというのです。それをしなければ、霊界に行って引っ掛かります。重要な一つの契約文書です、契約文書。盟誓文です。
(266-151, 1994.12.22)
家庭盟誓の6節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。祝福の基になりなさいというのです。それでこそ、一つになった天と地のすべてのものを備えて、その場を中心として神様が下さった祝福の基になるのです。福の泉になりなさいというのです。
(264-202, 1994.10.9)


大豆のもやしに毎日、水を与えれば、水は流れていきますが、もやしは育ちます。皆さんの立場は、ただ、何と言いましょうか、水におぼれたねずみのように哀れですが、統一教会が大きくなっていけばよいのです。先生の身の上は悲惨で、ダンベリーの監獄に入っていって指弾を受ける人になりましたが、これで神様のみ旨が拡張されると考えていった先生の道は、ダンベリー以後に、一躍飛躍したというのです。そのような事実を皆さんは見たでしょう。誰の名によってですか。先生の名前によってではありません。この宇宙の名によって、神様が共にいてくださったのです。天道が連結されているがゆえに、神様が運行できる道にならなければならないので、宇宙が協助して、勝利に向かって前進するようになっているということを知らなければなりません。
(147-197, 1986.9.21)
家庭における孝子とは何ですか。愛を中心とした孝子です。国の忠臣とは何ですか。愛を中心とした忠臣です。世界において、四大聖人とその教えを中心として文化圏を収拾し、世界的な新しい背景を形成したのも、愛を中心として民族を越えて世界の人を愛そうという者たちです。このようなことを見るとき、最後に天運に帰結するにおいて、旗手となることができる人は、どのような人でしょうか。神様は、天も愛して地も愛します。ですから、天地を愛することができる愛のチャンピオンでなければなりません! そのような結論を得ました。
(199-215, 1990.2.17)

 

7) 家庭盟誓第7節の解説

第7節
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します。」

 

① 「本然の血統と連結された家庭」

家庭盟誓カヂョンメンセの7節が重要です。簡単ではあっても重要なのです。「私たちの家庭はまことの愛を中心として、本然の血統と」です。本然の血統です、堕落していないアダムの、堕落と全く因縁のない本然の血統を受け継いで、「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。私たちの世界は、心情文化世界です。
神様のただ一つの愛を中心とした、統一家族、一つの家族です。高いも低いもなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。今後、そのような時が来ます。
(261-93, 1994.5.22)
神様を中心とした本然の血統です。その本然の血統を受け継げば、本然の心情文化が展開されるのです。本然の血統を失ってしまったところには、心情文化は生まれません。文化というものは、歴史性を通して連結するのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結しなければならないのです。
「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」。純潔な血統を残すのが問題です。そのようにしなければ、自分たちと心情文化世界が中断されるのです。あの膨大な天国が、私の暮らし得る心情的基盤になっているのですが、心情文化世界ができなければ、その世界が断絶されるのです。それゆえに、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。
(260-305, 1994.5.19)


「本然の血統」とは何ですか。アダムとエバを中心として、純潔な真の父母の直系子女の血筋を、千年、万年残さなければなりません。この環境は、非常に混乱しています。私たちは、節操を守り、貞操を守ることによって、非常に混乱した中ですべての最高の福を受けられる位置に行くのです。これは、先生の特権です。誰も手が出せません。誰も根本の根になり得ないのです。
(291-181, 1998.3.11)
本然の血統は、堕落した血統ではありません。サタンの血統を根絶した、堕落したものを蕩減とうげん復帰した血統です。接ぎ木をしたのです。根を抜いて接ぎ木をすれば、3代以後には、本然の血統の種を受けるというのです。接ぎ木をした木から種を受けたものが、本然の真のオリーブの木にならなければならないというのです。そのためには、3代を経なければなりません。自信がありますか。深刻なのです。皆さんは、偽りのオリーブの木でしょう。偽りのオリーブの木が接ぎ木される以上にならなければなりませんが、母の腹中に再び入っていって出てくることはできないのです。3代を経て、そこで収めた種を植える時、真のオリーブの木にならなければならないのです。3時代を経なければなりません。深刻です。
(301-85, 1999.4.16)
統一教会で最も重要なことは、本然の血統を汚さないことです。それは何かというと、皆さんの子孫が、アダムとエバが堕落したように血統を汚すことがあってはいけないというのです。「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。
(260-196, 1994.5.8)
エバが犯した、たった一度の失敗によって破壊された本然の血統を、億千万世にわたって蕩減条件を立てて取り戻したというのですから、考えただけでもむごたらしいというのです。血統関係とは、本当に恐ろしいのです。
(290-312, 1998.3.4)
本然へ帰るのです。7節はそのことです。本然の血統、本然の血統は、神様を中心とした血統です。本然の血統と連結された「ため」に生きる生活を通じて、心情文化世界を成し遂げようというのです。血筋、数千代の清い血筋を残さなければなりません。千年、万年。男女が一瞬のうちに犯した堕落が、このような歴史的な世界史を、願わない世界を霊界と肉界に広げてしまったというのです、これをどのようにしますか。
(292-320, 1998.4.27)
本然の血統とは何ですか。堕落した血統ではないのです。皆さんは、堕落した血統と連結した夫婦でしょう。いくら誇っても、それを否定できません。本然の血統には、堕落していない本然の神様が連結しています。今から、「ため」に生きる生活を通して、心情文化世界を創造しなければなりません。神様は、それができなかったのです。本然の血統圏を中心として、地上に創造理想の根本である「ため」に生きる方策を連結できなかったので、心情世界は、永遠の地獄と連結しているというのです。それゆえに、これを天国側に転換させるには、本然のものに変えなければならないというのです。
(297-312, 1998.12.22)


真の愛を中心として、本然の血統、血筋です、血筋! 千年、万年、子孫が汚さないように精誠を尽くす第1代先祖にならなければならないのが統一教会の祝福家庭です。その前に、二度と堕落したものを見ることができないというのです。何百倍の世界的途上において堕落した代表的な家庭になるので、許しがない時代に越えていきます。恐ろしい時代が来ます。
それゆえに、私は、この話ができません。今は、結論を話すことができません。堕落した祝福家庭から生まれた息子、娘を、神様は見ることができないのです。これは、罪の中の罪を犯したので、地獄に逆さまに打ち込んでも、神様は見ることができないというのです。そのように、男女関係の愛において、支流を通じることは恐ろしいということを知らなければなりません。
(261-93, 1994.5.22)

 

② 「為に生きる生活を通して」

家庭盟誓カヂョンメンセの7節で、「私たちはまことの愛を中心として、本然の血統と連結した」の次に付加すべきものがあります。「ために生きる生活を通して」、これを入れなければなりません。「本然の血統と連結した為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成」するのです。「為に生きる生活を通して」を入れなければならないのです。「為に生きる」では漠然とします。具体的な為に生きる生活を通して、個人、家庭、全体の生活を通して、心情文化世界を完成するというのです。
(297-209, 1998.11.20)
「真の愛を中心として、本然の血統と連結した為に生きる生活を通して」、「ため」に生きる愛です。愛を感じることができなければなりません。神聖なのです。愛を主管できなければなりません。自分の思いどおりにしてはいけないのです。為に生きる生活を通して「心情文化世界」をつくるというのです。心情文化世界とは何ですか。神様の愛の文化世界であり、根本的な文化世界を追求するのです。どこかに愛があるならば、真の愛が関係していないものがないのが文化世界です。
(304-273, 1999.11.9)
私たちの中で、他人に主管されることは死んでもできない、と考える人々が多いと思います。しかし、一つ知らなければならないことは、今まで、人間たちのために存在するものに主管されて暮らすことがどれほど幸福なのかという事実を、夢にも考えることができなかったのです。霊界の組織を見れば、天地の大主宰であられる神様、その神様は、宇宙万有の存在の中で、「ため」に存在する中心存在であるがゆえに、その方に支配されることが、どれほど幸福でしょうか。それが分からなかったのです。千年、万年支配されても、感謝することができる理想的統一圏が、ここに成立することを知っているので、神様は、「ために存在しなさい」という原則を立てざるを得なかったのです。
(75-322, 1975.1.16)


「ため」に生きる人になりなさい。これが、天宙生成、形成の根本です。神様も「ため」に存在していらっしゃるのです。天宙のすべてのものの中で、これに逆らうものはありません。このように主体的、生成の根源、エキス的、核心的な位置に立ったその人は、天宙、神様までも歓迎するのです。先生のような人がそうです。皆さんは、それを知らないので実感できないのです。霊界も先生を中心として動いているのです。そのような世界を知らないでしょう。ですから、いい加減にしているのです。
(255-176, 1994.3.10)
愛は、一人では成り立ちません。愛は、どこから出てくるのですか。私から出てくるのではなく、対象から来るのです。対象から出てくるので、私が頭を下げて対象のために生きなければならないのです。「ために生きなさい」という天理が、ここから生じるのです。限りなく高貴なものが私を訪ねてくるので、それを受けようとすれば、敬って「ため」に生きなければならないのです。「ために生きる哲学」を成してこそ、愛されるのです。
(143-277, 1986.3.20)
真の愛を中心として「ため」に生きる人は、夜でも昼でも、天宙万宙、どこに行こうと歓迎を受けるのです。皆さんは、いずれ霊界の展示場に展示されるのです。人間の博覧会をする所が霊界です。霊界では、地上でどのような生涯を送った人間なのか、すぐに展示されるのです。そこでびりになってみたいですか、全員が称賛する人になってみたいですか。どちらですか。最高に称賛を受ける人になってみたいでしょう。そのようになるためには、先生が話すとおりに生きなければならないというのです。最高に称賛を受けようとする前に、最高に「ため」に生きなさいというのです。そのような人は、間違いなく中心者になるのです。
(255-179, 1994.3.10)
永遠という概念、これは、自分のために生きるところには不可能なのです。皆さんが運動するのを見ても、押してあげ、引いてあげる相対的方向が、大きければ大きいほど速く回るのです。知恵の王である神様が「ため」に存在する法度を立てたのは、永遠であり得るようにするためです。
(75-322, 1975.1.16)
「ため」に生きる人は滅びません。また、「ため」に生きる人は、霊界が絶えずコーチしてくれます。絶えず新しいものと関係を結ぶようにしてくれるというのです。新しいものと関係を結ぶので、その人は、自然に有名になり、世界的に知られるようになります。
(292-26, 1998.3.27)
一つになることができ、平和の起源になることができるその道は、どこにあるのですか。神様ご自身だけでなく、真の人間は、「ため」に生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。それゆえに、真の愛は、「ため」に生きるところから、真の理想も「ため」に生きるところから、真の平和、真の幸福も「ため」に生きる位置で成立するのであって、「ため」に生きる位置を離れては見いだすことができません。これが、天地創造の根本だということが、私たち人間は分かりませんでした。
(75-318, 1975.1.16)


しばしば世の中で言われることは、「ああ! 人生とは何か」ということですが、人生観、世界観の確立、その次には、宇宙観の確立が問題になるのです。これをどのように確立するのですか。系統的段階と秩序をどこにおき、その次元的系列をどのように連結させなければならないのかという問題は、最も深刻です。しかし、「ため」に存在するという原則に立脚して見るときに、最も価値ある人生観は、私が全人類のためにいて、全世界のためにいて、国家のためにいて、社会のためにいて、家庭のためにいて、妻のためにいて、子女のためにいるという立場で幸福な自我を発見できるならば、これ以上の人生観はないとみるのです。
(75-324, 1975.1.16)
統一教会に来るようになれば、「地上で幸せに生きなさい」とは言いません。ひどく貧しく、激しく苦労して死に、道端に倒れて犬もかみつかない死骸を残したとしても、その場には、花が咲く日が訪れるはずです。そこには、すべての神聖な人々が集まって都城をつくるはずです。統一教会の群れを、国のために、世界のためにうんざりするほど苦労させて、孝子、忠臣にしてみようというのが先生の考えです。「行かない」と言えば、張り飛ばさなければならないのです。足でけ飛ばしてでも、現在の悲惨さを、現在の困難を克服させるのが愛です。
(49-303, 1971.10.17)

 

③ 「心情文化世界を完成」

心情文化世界は、本然的神様の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化は二つではありません。一つしかないのです。言語も一つであり、風習も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になるのです。そこにおいてのみ、神様が個人と共にお暮らしになり、家庭で共にお暮らしになるということを知らなければなりません。
(261-93, 1994.5.22)
心情文化世界とは何か知っていますか。神様の心の世界や、天上世界、地上世界、まことの父母の心の世界、すべてが一つだというのです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」、これが、私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。堕落した世界は、文化が複雑多端です。心情文化世界でなくては、個人から天宙まで連結することができないのです。ジグザグです。今まで世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしたので、何千年かかってもまだ終着点に行くことができないというのです。心情文化世界では、あっという間に行くのです。ただ真の愛によってのみ可能なのです。
(260-196, 1994.5.8)
「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した心情文化世界を完成する」です。私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した・・・本然の血統です。血統が重要です。血統が変わってはならず、汚してはいけません・・・心情文化世界を完成するというのです。心情文化ということは、すべての生活において、真の愛によって「ため」に生きるという思想が入っていなければならないというのです。心情文化世界といえば、全体を代表した「一つの垣根」をいうのです。心情圏、宗族をいうのです。
(260-156, 1994.5.2)


本然の血統と連結した心情文化世界を完成しなければならないのです。アダムとエバは、堕落していない純潔な神様の真の愛を中心とした血統の関係を結ばなければならないというのです。それで、私たちの文化には、サタンが存在せず、神様が喜ぶことができる文化圏を形成しなければならないのです。心情文化世界を成し遂げなければなりません。真の愛を中心として、心情文化世界の内容も一つであり、方向も一つです。一つです、二つではありません。
(266-153, 1994.12.22)
本然の血統を失ってしまったところには、心情文化は生まれません。文化というものは、歴史性を通して連結するのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結しなければならないのです。「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」。純潔な血統を残すのが問題です。そのようにしなければ、自分たちと心情文化世界が中断されるのです。あの膨大な天国が、私が暮らし得る心情的基盤になっているのですが、心情文化世界ができなければ、その世界が断絶されるのです。それゆえに、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。
(260-305, 1994.5.19)
本然の血統と連結した、神様の血統がある心情文化世界には、どこに行っても神様が訪ねてこられるというのです。心情文化世界では、すべてが拡大して和動するのです。このように息をするようになれば、細胞たちも拍子を合わせていくので、同じように息をしなければならないというのです。
神様の真の愛において、「ため」に存在する原則において一元化され、より「ため」に生きることができるのです。そのようにすることによって、神様に栄光をお返しすることのできる道があるのであって、自分のために生きなさいというところでは、神様に栄光をお返しできません。その心情文化世界は、本然的神様の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化は、二つではありません。一つしかないのです。言語も一つであり、風習も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界にならなければなりません。そこにおいてのみ、神様が個人と共に暮らし、家庭と共に暮らせることを知らなければなりません。
(261-93, 1994.5.22)
今後、理想的な世界においての主流、あるいはその基台になることができる文化の源泉は何ですか。原料になる文化として、誰もがみな必要とする文化とは何ですか。心情文化です。父母が子女を見なければならず、子女には父母がいなくてはなりません。兄弟がいないのもいけません。私の民族がいなくてはならず、私の国がなければなりません。すべてそうです。私の世界がなければならず、私の天と地がなければなりません。これが心情の文化です。それゆえに、東方に明けてくるきらびやかな文化というのは、どのような文化ですか。心情の文化です。これから私たちは、心情的な文化世界を創造するのです。
(151-29, 1962.10.7)


真の父母と皆さんの家庭を中心とした文化になるのです。真の愛を行うようになれば、家庭を中心とした文化です。真の愛の文化とは、何かといえば、一人では成すことができないのです。家庭文化のことをいうのです。皆さんが食べて生きるその生活は、真の父母の文化圏で生きなければならず、一つの文化圏で生きなければなりません。一つの文化を中心として、一つの言語と一つの文字を中心として生活しなければならないのです。
ソドムとゴモラをすべて燃やす時、ロトの妻が後ろを振り返って塩の柱になったのと同じように、今後、皆さんの文化全体を火で燃やして捨てるこのような時、そこに未練をもって後ろを振り返れば、塩の柱になるのです。このような歴史的な転換時代が来るということを、皆さんは知らなければなりません。真の父母と1日生活圏内で生活しながらも、同じ文化や言語や文字を用いないでいるとすれば、霊界で、それ以上に恥ずかしいことはないというのです。
(266-91, 1994.12.18)
統一された言葉を使わなければ、過去のような文化の差が生じるのです。本当に困ります。霊界に行ってもそうです。習慣性は、永遠に続くのです。そのように難しいのです。しかし、地上では直すことができます。今まで慣れたことよりも、もっと新しいものを習慣化させれば、地では取り消すことができます。今しなければなりません。今しなければ、霊界に行って問題になります。霊界に行って引っ掛かってしまいます。
(289-208, 1998.1.2)
到来する未来の世界は、神様と人間と万物が調和を成す新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって「ため」に生きながら、和合、協力して共に生きる、共生・共栄・共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する、人種を超越した真の愛による真の家庭、真の父母中心の真の家族理想によって「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。
(288-172, 1997.11.27)
真の愛を中心として楽しく生きなければなりません。動物と話し、すべての万物と和合して、神様と和合しなければならないのです。そのようになれば、国境というものがありません。文化が違いません。愛の文化です。愛の文化は、趣味文化であるがゆえに趣味生活が愛です。自分が妻を愛して、息子、娘を愛そうとすることを世界版図ですることができるのです。すべて自分の家庭を拡大した文化祝典の対象圏です。
それゆえに、楽しむ心情文化世界が地上天国の文化だというのです。趣味文化です。趣味文化は、堕落していない本然の愛の文化です。趣味文化は、地上天国の文化だというのです。
(276-209, 1996.2.24)


本然の血統と連結した心情文化世界は、心情世界です。真の愛が表面化した世界です。心情を表面化させ、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界、統一文化世界が訪れるのです。戦争がなく、紛争がない一つの世界、地上天国と天上世界になるのです。心情文化世界になれば終わりです。そのすべてのものが思いのままであり、私たちの家庭が地上で天国の皇族圏に入っていくことができ、内外の内容を整備して、そこにすべて一体化することができることを願って、このような盟誓メンセ文を設定したことを知らなければなりません。
(264-202, 1994.10.9)

 

8) 家庭盟誓第8節の解説

第8節
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します。」

 

① 「成約時代を迎え」

イ) 成約時代とは何か
成約時代というのは、これからの新しい時代のことをいうのです。家庭から宗族・民族・国家・世界まで、一つの平和世界を築き得る統一された世界になる、この時のことをいうのです。これは、全体を代表したものです。家庭ではありません。世界を越えて、全体を越えて成約時代に行くのです。
四大心情圏と三代王権を中心とした新しい家庭を通して、世界版図を越えて成約時代の型を備えるようになる時、初めて一つの世界、平和世界になるのです。
(243-262, 1993.1.17)
成約時代とは何ですか。まことの父母と真の神様をお迎えして、真の神様が、愛と、生命と、血統の因縁を中心として、万国の主体の代わりに天下の中心的位置に立ち、神様の全権行使を代行できる人間覇権時代に戻っていくというのです。希望に満ちた時代が来ます。遅れないように、このことを早く準備してくれることを願います。
(245-160, 1993.2.28)
神様の復帰摂理は、創世以後に何千万年の歴史を経てきたのですが、まだ、その基準を立てていません。統一教会の時代に、先生が来て初めて明らかにすることによって、これが可能になったのです。それゆえに、成約時代を発表して真の父母を発表したのです。これは世界的な事件です。事件というよりは、新しい世界を創建できる一つの起源となるのです。真の父母という思想と成約時代というその言葉自体がそうだというのです。


成約時代は、何の約束を成すのですか。神様が人間と共に創造したその約束を成すというのです。復帰摂理時代ではなく、救援摂理時代が成されるのではありません。創造理想世界が成されるのです。
それゆえに、「真の父母」という名前は、人間よりも神様が先に考えたのです。真の父母の顕現とは、創造理想です。太初から神様が創造した理想の根本がそこにあるのです。ですから、天がじっとしていることはあり得ません。世界的大変革、大変化時代に入ってくるのです。
(248-188, 1993.9.30)
旧約時代の万物、新約時代の息子、娘、成約時代の自分たち夫婦、それから神様です。堕落によって、神様を地上にお迎えすることができずにサタンを迎えてしまい、神様と離別したので、今から神様をお迎えしてすべてを連結しなければなりません。それゆえに、皆さんの所有物は、皆さんのものではありません。万物は旧約時代に該当するものであり、息子、娘は新約時代に該当するのです。旧約時代は、万物を犠牲にして息子、娘の行く道を築くためのものであり、息子、娘が犠牲になるのは、父母が来る道を築くためです。再臨主、真の父母がこの地に来られて苦労するのは、神様をこの地にお迎えするためなのです。サタンを地に迎えたので地獄です。神様をお迎えしなければなりません。これは、真の愛でしなければなりません。
(211-352, 1991.1.1)
今まで摂理的な聖書の歴史、6000年の歴史を経てきたのも、この一つの道をつくるためだったというのです。イエス様の時代において、成約時代に連結させて地上と天上を一つにしようとしたのですが、それが失敗したのです。それで、2000年を延長して新約時代を迎え、400年間にわたるローマの迫害によって、多くの血を流しながら世界拡張運動をしてきたのです。新約時代の拡張運動によって、多くの殉教者が出ました。血を流しながら世界的に蕩減とうげんを拡大してきたのです。
神様は、それを延長させて、世界的基準において再蕩減することを願われて、救援の摂理を世界的に拡大してこられました。それでは、新約時代を中心としてそれを越え、どのように成約時代になっていくのでしょうか。成約時代とは、神様と人間との一体圏のことをいうのです。
真の愛によって一体圏を成して、平等な価値の内容を連結する立場になるのです。神様だからといって縦的だけでなく、人間だからといって横的だけではありません。縦と横が一つになるのです。
(252-154, 1993.12.29)
堕落して偽りの父母が生まれたので、真の父母が出てこなければならないということは、歴史的な事実です。堕落というものを認める限り、これを否定する道理がありません。堕落したがゆえに、約束を果たすことができなかったのです。旧約は昔の約束、新約は新しい約束、それから成約時代です。論理的な基準に合うのです。成約時代は、何の時代ですか。サタンと暮らすのではなく、神様と暮らすのです。そのようにしようとすれば、堕落圏が整備されなければなりませんが、すべての国と世界が帰ってくることができる時なので、サタン世界の整備が可能だというのです。


天国の内容をはっきりと知ることによって、その内容に違反し、原則に違反する偽りであることが分かるので、偽りの世界を清算できるのです。個人が行く道、家庭が行く道、宗族が行く道、民族が行く道、国家が行く道、世界が行く道、天国が行く道まで、はっきりと知らなければ、処方して代案を提示することは不可能だというのです。
(249-159, 1993.10.10)
今、特別に「侍義じぎ」というのは、生活化天国時代のことをいうためです。それで、侍義を掲げてきたのです。復帰歴史というものは何かというと、神様の創造理想を再現するのです。
それゆえに、神様が理想とされたすべてのものが、神様を中心として天上世界と地上世界に展開するのです。天上世界と地上世界は、堕落によって本然の基準が立っていないので、これをサタン圏内の支配を受ける環境で、新しい創造理想、新しい創造世界と同じものとして再現しておこうというのが救援摂理だというのです。
(161-218, 1987.2.15)
人類歴史を見れば、旧約時代、新約時代、成約時代、このように3時代があります。ここでいう旧約時代はどのような時代ですか。祭物を犠牲にして子女を救済する時代です。神様の息子が来る準備をするのです。
新約時代は、イエス様が祭物となって父母を迎える時代です。それゆえに、再臨時代を迎えて新郎新婦を立て、父母を迎えるための準備をしてきました。成約時代において、先生が中心となり、今まで「真の父母」という名前をもって40年以上苦労してきたのは、神様を地上にお迎えするためです。そして、神人一体になるのです。
(227-94, 1992.2.10)
真の父母と成約時代というのは、アダムとエバが完成して堕落していない位置に帰らなければならないのです。そして、全世界の女性は、オモニの分身として扱うのです。アダムも一人でエバも一人です。これが重要です。アダム一人、完成したアダム一人、エバも一人にならなければなりません。
(266-64, 1994.12.11)
成約時代とはどのようなことをいうのですか。成約時代とは、約束が完成するという言葉であり、人類を祝福してあげるということです。結婚できないのは旧約であり、結婚することを希望したのが新約であり、結婚することが成約です。神様を中心としてアダムとエバが結婚し、神様の愛を中心とした生命力をアダムとエバの生命に連結させて、血筋を残そうとするのが神様の創造理想ではないですか。そのようになっていれば、真の父母になりました。真の愛とは偉大なものです。
(291-178, 1998.3.11)
真の父母というのは一組しかいないのです。人類の一組しかいない父母だというのです。歴史に初めて登場した、空前絶後の真の父母が顕現した時代が成約時代だというのです。
(248-226, 1993.10.1)


ロ) 真の父母様の勝利による成約時代宣布
1992年を中心として、すべての世界にメシヤ宣布をして、まことの父母宣布をしてきたのです。これですべて追い込んで、今回のアメリカを中心として、1993年に入って5月13日から「真の父母と成約時代」を発表したのです。そのようにすることができる環境をすべてつくったというのです。皆さんが知っているように、アメリカは、全世界を代表した国です。キリスト教文化圏において最終定着地となる国だというのです。
今、真の父母を中心として、新しい時代に転換するのです。成約時代に入っていくというのです。今回宣布したことは、地上では初めてのことでした。今まで神様は、この時をどれほど待ち焦がれていらっしゃったかというのです。歴史時代に神様はどれほど悲惨な位置にいましたか。今希望の時代が迫ったというのです。真の父母を宣布できる時代に入ってきたというのです。これは歴史的で、宇宙史的な事件です。今まで、歴史にこのようなことはなかったというのです。
(248-175, 1993.8.3)
1972年から1992年までの20年期間は、韓国を中心として、キリスト教の使命を越えていく期間です。この期間、私は、国家的な次元において旧約時代に相当することを成したのです。真の父母様が1960年度に結婚式を行い、世界的舞台であるアメリカで成してきたことは、旧約時代と新約時代の関係と完全に一致するのです。内容が同じです。
そのようにして、この期間に真の父母の世界的な定着が完了したのです。それで、成約時代を発表しました。今からは、神様と共に暮らすのです。私たち統一教会員たちは、神様と共に暮らすのです。
(246-301, 1993.4.20)
成約時代とは何でしょうか。中心である真の父母の家庭が、堕落圏世界において完全に勝利して越えた時のことを意味するのです。そのようになれば、その環境には「ムン総裁の家庭をやっつけよう」と言う怨讐おんしゅうはいなくなります。そのような人たちは、闘って負けたのでいなくなるのです。いくら射撃のチャンピオンであっても、オリンピックに出て負ければ、「自分が1等だ」と言うことができますか。自分がもっているチャンピオン・メダルを渡してあげなければならないのです。
(234-295, 1992.8.27)
成約時代と真の父母という言葉は、サタンと何の関係もない言葉です。サタン世界に成約時代と真の父母という言葉があれば、サタンは退かなければならないのです。これは特権です。それで、再臨の時代が来て、これがすべて完成するのです。
(252-130, 1993.11.14)
今、先生が考えていることは、アダム時代、イエス様時代、真の父母時代です。なぜ3代ですか。アダム時代は蘇生そせい、イエス様時代は長成、真の父母時代は完成時代です。この3代圏を中心として、旧約時代のエデン復帰、新約時代のエデン復帰、成約時代のエデン復帰、このように展開するのです。今では、成約時代の先生しかいません。
(229-69, 1992.4.9)


成約時代は、家庭へ帰るのです。統一は個人からです。この峠を越えなければ、千年、万年、天国に入っていくことはできません。長子権を復帰することができません。自然屈服させなければならないのです。強制屈服ではありません。説得屈服です。皆さんは自然屈服ですか、強制屈服ですか。説得されたのですから、自然屈服しなければならないでしょう。
このようにして、地上天国と天上天国の家庭的エデンにおいて成し遂げようとしたことが、何千年を経て勝利の覇権が立てられ、すべての国家が、真の父母の家庭をモデルにして、同一の立場で一時に家庭を中心とした鋳型いがたを取ることができるブループリント(青写真)があるのです。それをすべて配布しなければなりません。それによって型を取りさえすれば、どこでつくろうと、がちゃんがちゃんと出てくるのと同じように、全世界50億人類の家庭が、家庭的に接ぎ木して解放され、失ってしまった国と天国に帰るのです。この時が成約時代、約束を成す時代です。
(245-157, 1993.2.28)
旧約時代に失ってしまったものを復帰しなければなりません。旧約時代は万物を犠牲にして、新約時代は息子を犠牲にして、成約時代は父母を犠牲にしました。ですから、このようなすべてのことを中心として、自分の家庭の父母、自分の息子、娘、このすべてを否定しなければなりません。否定して、天からサタンが奪っていったものをすべて主人の前に返すために、取り戻したすべてのものにサタン世界以上の愛を加えるのです。そして、それを天にお返しし、すべて否定する位置に入っていくことによって、歴史的旧約時代、新約時代、成約時代を越えていく条件とみなすことができる一時が来るのです。清算する時が来るのです。この準備のために、また祝福家庭が復活の原則を通して引っ掛からないで解放されるために、このような話をするのです。
万物は旧約時代、アダムは新約時代、自分の実体は成約時代、これは神様を中心として180度、方向を元に戻さなければならないというのです。自分の前にあったものが、反対に父母の前に帰らなければならないのです。神様の前に行かなければなりません。愛を復活させていかなければならないのです。私個人が蘇生であり、家庭が長成であり、宗族は完成です。この3段階が一つにならなければなりません。
(216-204, 1991.3.31)
今日、歴史的路程において、最も重要なこととは何かというと、選民圏が生じたということです。この時代になり、世界的途上において、蘇生、長成、完成の3段階基盤と連結させようというのです。イスラエル民族は蘇生級、キリスト教は長成級、そして統一教会は完成級です。イスラエル圏を中心としたものが旧約時代ならば、キリスト教は新約時代であり、統一教会は成約時代です。成約時代とは何かというと、成し遂げるということです。何を成し遂げるのでしょうか。個人的に成し遂げ、家庭的に成し遂げ、宗族・民族・国家・世界的に成し遂げるのです。何を中心としてですか。神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として連結するのです。単一血統、単一愛、単一生命の伝統です。このようになれば、サタンが離れなければなりません。接ぎ木をすることによって、サタンの血統的因縁がなくなるのです。
(226-275, 1992.2.9)


宗族的メシヤを派遣すれば、成約時代が来るのです。宗族的メシヤを派遣することによって、すべての家庭が蕩減とうげん路程なくして宗族的メシヤに接ぎ木されれば、地上世界と天上世界の垣根がなくなるのです。天国の民へ帰ることができるというのです。天国皇族圏に入っていくことができるというのです。
それで、宗族的メシヤが自分の母、父を父母の位置に立てることによって、自分の故郷が天国と直結し、自分を生んでくれた父母は、堕落していない完成した父母の血統として復帰される立場に立つことができるのです。そのようにすることによって、皆さんの故郷の地全体が天国に帰るという、驚くべきことが起きるのです。最も重要なことは、成約時代は神様と共に生きるということです。
ですから、この三大要件、血統転換、所有権転換、心情圏転換を早くしなければならないのです。それで、四大心情圏、三代王権、皇族圏を皆さんの家庭で実践しなければなりません。これさえ連結させれば、すべて終わるのです。これが、祝福家庭がしなければならない最後の任務です。これが、最後の宿命的な任務です。
(243-222, 1993.1.10)
真の父母を中心とした成約時代というのは、神様を中心とした祝福のことをいうのです。すべてのものを超越して、万民、人類の解放を提示するこのような再臨理想の完成によって、平和統一世界になるのです。真の父母を中心とした成約時代を迎えることが、世界的に繰り広げられる祝福結婚だというのです。
(287-14, 1997.8.10)
成約時代は、完成基準で祝福したので、万民が平面的基準に立ち、その後孫が祝福を受けることができるのです。地上に50億人類が、3代先祖の子孫が生きているのですが、彼らに3代先祖の解放圏と祝福を与えてあげることによって、それを分割する立場ですべて共通の恩恵を与えることができるというのです。
なぜなら、父子関係の因縁と連結しているからです。そのような時が来たというのです。急を要する時が来ました。
(252-139, 1993.11.14)
今は、所有権を復帰しなければなりません。旧約時代には万物を犠牲にして、新約時代には息子を犠牲にして、成約時代には父母を犠牲にして神様をお迎えしたので、今から何をしなければなりませんか。皆さんが父母の代身の位置に立たなければなりません。息子、娘は新約時代であり、万物は旧約時代です。この旧約時代・新約時代・成約時代が、そっくり神様の真の愛を中心として脱却することによって、サタンが主人になったことをすべて蕩減し、本然の主人のところに帰ってきて、これをお捧げしなければなりません。
(208-345, 1990.11.21)


 

② 「絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって」

イ) 神様の創造原則と絶対信仰、絶対服従
エデンの園にアダムとエバを造っておいて、神様が一つしかない戒めを語る時、「善悪のを取って食べるな」と言いました。それを絶対信仰、絶対愛、絶対服従する立場で守りなさいと言ったのですが、それができなかったのです。戒めを語る時は、神様が絶対信仰し、絶対愛し、絶対服従する立場でそのような戒めを語ったので、その相対もそのようになって、初めて相対と一つになるはずだったのです。それができなかったのです。「終りの日」に本然の世界に帰って天国に入っていき、父母の門を通って新しい世界へ入ろうとすれば、エデンでできなかった絶対信仰・絶対愛・絶対服従の行動を取らなくては、越えていくことができないというのです。父母様の腰につかまり、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する姿勢をもって、離さずについていかなければならないというのです。
神様が主体です。絶対信仰の実、絶対愛の実、絶対服従の実を結ぶことができなかったために、神様が愛のパートナーを失ってしまいました。アダムとエバの家庭とその息子、娘を失ってしまったのです。いかなる力も、このように先生のベルトにつかまるものを妨げることはできません。
このような統一の勝利者のために、すべての万物は万歳を叫びながら、「アーメン!」と言うのです。
(282-41, 1997.2.16)
神様が宇宙を創造される時、絶対信仰の上でされました。神様が語ったことは絶対に成るというのです。できないことがないというのです。また創造は、愛の対象をつくるためです。絶対愛です。疑心がありません。二つの心はないというのです。その次には、絶対服従です! 絶対服従とは、神様ご自身までも存在意識がないというのです。
(274-201, 1995.11.3)
神様が絶対信仰の上で万物を造り始められました。絶対愛の対象のために造り始めたのです。絶対服従して、自らの意識観念がなかったというのです。完全にゼロです。完全に無だというのです。無に帰ることによって、自動的な循環運動が展開されるのです。完全にすべて与えて、何もないので下に戻ってきます。これが、宇宙運動の起源となっているのです。完全に投入したあとには戻ってくるのです。
(282-68, 1997.3.10)
創造される時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の上に創造されたというのです。完全真空状態になるので、絶対有の限りなく小さなところまでいってくっつくのです。一つになるというのです。それゆえに、これが自動的に一つにさえなれば、完全に満たしてしまいます。運動が展開するというのです。絶対無の立場で自分が投入すれば、投入したその世界は、絶対の有圏、高気圧圏が完全に占領する大革命的な運動が展開するのです。このような原則を利用すれば、ムン総裁が絶対信仰・絶対愛・絶対服従の上に、宇宙を中心として投入していくようになる時は、世界が自動的に一つになり、高気圧圏がすべて満たしてくれる時が来るというのです。闘わないで自動的な統一世界が顕現するという論理を見いだすことができるのです。
(273-297, 1995.10.29)


神様は、アダムとエバを絶対信仰の上に立てたいと思われたというのです。絶対信仰の上に、創造した理想世界の愛の安着地がそのようにならなければならないので、絶対信仰の上に、絶対愛の上に、絶対服従の上に立つことができるアダムとエバの家庭となることを希望されたのです。ところが、アダムとエバは堕落してしまいました。絶対信仰基準が破綻はたんしてしまったというのです。絶対愛基準を蹂躙じゅうりんしたというのです。絶対服従基準をすべて放棄してしまったというのです。このような人は、どこへ行きますか。地獄に行かなければならないでしょう。
それで、エバに命令したのが愛です。善悪の果が愛です。ですから、絶対信仰の上で結託し、絶対愛の上で絶対服従した神様の愛の中で一つにならなければなりません。その場を失ってしまったので、それが見つけられる以前に、今日、文総裁が出てきて、このような話を理論的な基準で常識として受け入れ、誰彼なく環境を整備していくことができる真理の体制を整えたということは、驚くべきことです。億千万金以上の富者、今日の万国の大統領よりさらに価値のある富者の位置に、王と王妃の位置に立ったという事実を知らなければなりません。
(273-299, 1995.10.29)
神様が創造される時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の上で、理想的な絶対愛の統一世界を願って創造されました。神様ご自身がそうであるために、私たちも、その神様の相対圏を訪ねていくためには、必然的に絶対信仰・絶対愛・絶対服従をしなければなりません。自分が死の境地に行っても、生命が途絶えても、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準に立たなければなりません。それでこそ、絶対信仰の上で絶対愛を取り戻すために、絶対投入しながら投入して忘れてしまう歴史を経てこられたお父様の息子として、その姿に似ることができるのです。それで、イエス様がこの地に来られて、天国に行くための宣言の標語として、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言われたのです。
(295-181, 1998.8.28)
アダム家庭で失ってしまったものを再び取り戻してくるのです。絶対信仰、絶対愛・・・。絶対愛とは何ですか。神様の創造の目的は、愛の相対者を探し出すことです。ですから、絶対的な愛のパートナーを取り戻すためには、神様ご自身が絶対愛を標準として投入してきたというのです。したがって、絶対服従は、自らの意識構造まですべてなくなるのです。私のすべてを投入して忘れてしまうのです。神様ご自身が、天地を創造した創造主としての価値的内容を認められません。最後まで降りていくのです。最後まで降りていきながら投入されるので、相対は上がっていきます。上がっていって神様が立っている位置を越えるようになれば、自動的に二人とも生き返るのです。
(282-323, 1997.4.7)


神様を愛さなければなりません。神様を絶対信仰しなければならないのです。絶対信仰し、神様を絶対愛して絶対服従しなければなりません。なぜそうなのかというと、神様の愛を中心として、神様が相続してくださる所有権を認めてもらうためです。神様が絶対信仰の上で、絶対愛の上で、絶対服従する立場で天地を創造されたのです。神様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の上に立てておいたものが被造万物の創造理想です。
そこの中心存在が、神様の愛の対象であるアダムとエバです。それゆえに、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の上で立てたその基準が、絶対信仰と絶対愛と絶対服従です。キリスト教も信仰と希望と愛です。その中で第1は何ですか。(「愛です」)。ぴたっと同じです。絶対信仰の上に万物をつくられ、絶対愛の上につくられ、絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。希望とは、今、現在ではありません。未来に願うことができる相対的な実践のことをいうのです。同じ内容です。
(284-135, 1997.4.16)
絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。この圏内において、すべてのものが成されるのです。神様ご自身が愛の相対を造られる時、絶対信仰をもって造られました。「私がこのようにした」、このあとに造られたのです。絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、自分自身を完全に投入されたのです。絶対愛の上で絶対信仰であり、絶対愛の上で絶対服従です。これが、霊界の主流思想です。永遠の霊界の主流思想です。また、地上の主流でもあります。地上天国と天上天国、二つの世界において主流だというのです。ですから、皆さんがそのコンセプト(概念)をもたなければなりません。このコンセプトさえもてば、どこでも通じるのです。どこでも通じるというのです。
(292-271, 1998.4.27)
神様が全権をもって創造される時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従で投入して創造されたのと同じように、皆さんもそのような立場に立たなければなりません。神様が創造された主体的理想圏内の相対になって一つになれなければならないのです。皆さんが知らなければならないことは、原理のみことばのすべての内容は、先生が絶対的に信じているということです。それを知らなければなりません。絶対愛するのです。他の何もありません。自分の世界を捨てて、家庭を捨てて、妻を捨てて、子女を捨てても、それ以上に絶対愛するのです。絶対服従するのです。自らの一生、生命もすべて投入するのです。投入して忘れてしまうのです。今まで皆さんは、観念的に絶対信仰・絶対愛・絶対服従を考えていたかもしれませんが、それは観念ではありません。実際に皆さんが、すべて行わなければなりません。
(293-92, 1998.5.24)


人類の解放とともに神様が解放される、ということを知らなければなりません。皆さんの家庭が解放されることは、神様の家庭を失ってしまった悲しみを、私が慰労してさしあげることです。一族を解放させて、神様の一族を失ってしまった悲しみを慰労し、一国を私が建国して、神様が国を失ってしまったことを解放しなければならないのです。先生の人生は、失ってしまった天宙を取り戻して、神様の悲しみを慰労することです。私の願いではありません。私の考えではありません。絶対信仰・絶対愛・絶対服従するのです。死ねといえば、直行します。死んでも、戻ろうとは思いません。
(300-72, 1999.2.21)
愛の調和のポケットに、すべての平和の世界、統一の世界がないはずはないという論理は、統一教会食口シックが千万年研究しても先生以上に研究することはできないので、否定する道がないという結論が下され、絶対信仰・絶対愛・絶対服従といえば、すべて終わるのです。皆さんが結婚して、「私を絶対に信じますか。私を信じますか」と聞くでしょう。新婦が結婚した初夜に、「私をどれだけ愛しますか」と言うとき、「心と体が一つになって絶対に愛します。心身一体になって絶対に愛します。絶対に信じます」と言うでしょう?
(296-94, 1998.11.3)
まことの父母の思想は簡単です。絶対信仰・絶対愛・絶対服従を中心とするのです。愛を中心として絶対信仰であり、これは一つの概念です。愛は中心です。生きていても見えません。
それから、服従とは実践です。愛を成すためには、愛を中心として服従しなければなりません。服従するそれ自体の概念は、もっと大きいことを成し遂げようとするので、自分を投入しなければならないというのです。自分を中心としてこれが育つ時には、それ以上大きくなることはできません。投入すれば、いつでも、どこでも継続して、神様の無限な愛の伝統が伸びていくのです。問題は、夫婦の二人だというのです。それで、ジャルジンを中心とした宣言とは何かといえば、最初は絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。創造した神様の本然の位置に帰るのです。
(296-31, 1998.10.11)
エデンの園の結果主管圏、直接主管圏、責任分担直接主管圏は、愛を中心として祝福を受けてこそ責任分担完成だというのが原理観でしょう? その原理観に立つようになる時は、体、心が完全に神様に似て、神様が絶対信仰の上で、絶対愛、絶対服従の上でこの万物を創造したので、人間のアダム、エバも絶対信仰で一つにし、絶対愛、絶対服従する相対的位置に立たなければ、一体になれる道が永遠にないというのです。その一点で、その基準で一致できているのであって、一つが違ってもできないというのです。それが理論的です。深刻な問題です。
(285-72, 1997.4.21)
堕落とは何かといえば、絶対信仰をもつことができなかったということです。これを知らなければなりません。絶対信仰・絶対愛・絶対服従です! これを神様が強調したのです。なぜですか。自らの愛の理想をすべて相続してあげようとするので、神様と同じでなければなりません。
(282-297, 1997.4.7)


絶対というのは、一つしかないということです。それは、一つに通じる道です。二つではありません。どのようにして、そのような一本道を連結することができるのですか。「ため」に生きる概念をもって連結するのです。神様もそのような概念をもって創造されました。絶対信仰・絶対愛・絶対服従だというのです。神様においても、他の概念は全くありません。ゼロ、ゼロだというのです。
(281-217, 1997.2.13)
神様がアダム、エバを造る時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従したというのです。神様がそのように造ったので、その相対は絶対信仰の上にいなければならず、絶対服従できる位置に立っていなければなりません。そうでなければ、神様の愛の圏内に入ることができません。天国と地獄が、ここで分かれるのです。戒めの内容が、これです。
(278-128, 1996.5.1)
ところが、アメリカの人々は、個人主義になり、「自分が一番高いのであって、レバレンド・ムーンとは何だ。たかが統一教会の教祖だろう。私とは関係ない」。このように言っています。レバレンド・ムーンが絶対信仰・絶対愛・絶対服従と言うので、「そのような言葉がどこにある。独裁の王が言うことだ」と、このように言っています。独裁の王は、神様です。神様が本物の独裁の王です。偽りの独裁の王は、サタンです。それを知らなければなりません。神様に「主人になるな」と言えば、主人にならないでしょうか。永遠に違うというのです。
(293-297, 1998.6.7)

 

ロ) 絶対信仰、絶対服従すれば、天国に直行
第四次アダム圏を解放して定着しなければなりません。まことの父母様が霊界に行く前に、このことをすべて教えてあげなければならないのです。先生は、絶対家庭を中心として、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。ですから、神様がその家庭のために生きるのです。そこに永遠の真の愛の道が連結するのです。皆さん自身が絶対信仰をすることができなければ、絶対愛が植えつけられないというのです。芽が出てくれば育てなければなりません。育てようとするなら、自らのすべての血肉を投入して、犠牲にならなければなりません。
(295-163, 1998.8.19)
蕩減とうげんが必要ありません。救援が必要ないのです。それで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従という原理のみことばを中心として、天と地の法度に従わなければなりません。今から、新しい法が出てきます。憲法が出てくるのです。地上で絶対信仰・絶対愛・絶対服従すれば、永遠の天国が築かれるのです。皆さんが、地上において自然に天の世界をすべて見て、感じて、知って暮らすのです。
(293-274, 1998.6.2)
創造する時、絶対信仰の上で絶対愛、絶対服従する心情でしたので、その上に私たち統一教会は、父母という名をもち、天の父母と地上の父母に侍るところで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従する立場にいるので、創造理想的愛の家庭を中心として、すべてのものが一体となって勝利の覇権を立て、愛の主権国家の出発を形成できたというのです。そのような時代です。
(303-155, 1999.8.17)


祝福家庭とは何かといえば、霊界も肉界も、神様の真の生命の血筋が連結することができる基盤を相続した人です。それゆえに、神様が思いのままに主管することができるのです。ですから、今から神様が、蕩減条件なく全権をもって思いのままに復帰歴史を処理されるのです。皆さんがそのような実力をもった相対的立場に立てるか立てないかということが問題なのであって、決意をもって絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準と一つになる時は、一瀉いっしゃ千里にすべてのものが、線を引くように水平世界になることができるというのです。神様と神様の絶対愛と血筋が一つになった位置に立っている真の息子、娘にさえなれば、この宇宙のすべてが息子、娘に相続されるので、所有するようになるというのです。愛で一つになれば、私のものになるのです。
(300-303, 1999.4.11)
祝福家庭は、世界的です。天宙的なのです。先生を代行できる直系の息子、娘のようなものです。先生が祝福してあげる時は、私よりももっと成功し、私のあとについてきなさいという思いでしてあげたのです。ですから、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の心さえもてば、先生がしたことを同じようにすることができるのです。神様が創造される時、そのような心情をもって出発されました。主体である神様が、「私が言えば、実体愛の対象が生まれる」と言われたのです。絶対信仰です。絶対愛の相対に会うというのです。愛の主人になるためには、相対がいなくてはできません。それゆえに、愛の前には神様ご自身も絶対服従するというのです。絶対順応するところで循環運動が展開されるのです。
(301-74, 1999.4.16)
エデンの園で神様が創造されるその時に、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって創造されました。絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体圏をつくるのです。地上天国と天上天国が神人愛一体圏となり、絶対的な神様のように、息子、娘のすべての権限も自由に行使することができ、自由奔放な世界になって、どこにでも通じることができるのです。そのような活動ができる能力者になって、初めて神様を解放させることができるのです。
(301-85, 1999.4.16)
不信することにより、すべて壊れました。神様に対して絶対愛ができずにこのようになったのです。神様を絶対愛して、神様の前に絶対服従できないことによって堕落したがゆえに、真の父母がこのすべての蕩減の道、高速道路をつくっておいたのです。ですから、真の父母に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従すれば、天地が夜も昼も叫んで10回起こしても順応するのです。一夜に100回起こしても、不平を言ってはいけません。それが服従です。従順は、自分の素性そせいをもって従っていくことですが、これにはそれがありません。1日に何千回しても、順応しなければならないのです。
(300-238, 1999.3.23)


神様を中心として、地上世界と天上世界が一つになるのです。真の父母を中心として、統一的立て札をもたらすことによって、ここで一つになるのです。神様が創造される時、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をもって「ため」につくられたがゆえに、私たちもこのような全体・全般・全権・全能の基盤の上に立たなければなりません。
創造本然に戻ってきたので、ここで愛の対象を取り戻すために、絶対信仰をもち、絶対愛、絶対服従の心情をもって投入して忘れてしまうのです。神様がなされたすべてのものを再び求めて、私たち自身も神様の代身として、この世界に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。
(303-153, 1999.8.17)
皆さんの家庭は、歴史と天地を代表した家庭です。絶対信仰・絶対愛・絶対服従の上に絶対・唯一・不変・永遠の家庭であり、そこで神様をお迎えした永遠の家庭となり、それが永遠の宗族になり、永遠の民族になり、永遠の天国になる時、地上天国時代から天上天国に直結して一つの世界になるのです。
(295-255, 1998.9.8)

 

ハ) 一体の基準は絶対信仰、絶対愛
神様を愛で完成させて解放させなければならない道が復帰の道であり、まことの父母が立てた道というものを考える時、父母様が神様の前に、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道を行ったのと同じように、皆さんも父母様の前に、そのような絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道を行ってこそ、先生が水平となって従っていくのです。
(280-33, 1996.10.13)
絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。エデンにおいて、アダムとエバに願ったことが、与えられた戒めです。「私が愛の相対を取り戻すためには、絶対的な基盤の上で万物を創造したので、その上に上がっていかなければなりません」ということです。ですから、絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなさいというのです。服従とは、自分という意識がありません。
(284-183, 1997.4.17)
復帰の道がどれほど険しいですか。そこまできたことを蹂躙じゅうりんしてはいけません。それでは、父母の資格がないのであり、新郎の資格をもてないのであり、兄さんの資格をもてないのであり、兄弟の資格をもてないのです。そのような心情があるので絶対信仰です。絶対信仰しなければなりません。絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。それで、先生が投入して忘れてしまって、時間さえあれば導いてあげるのです。ですから、私がこのように思想によって育てて、誰よりも愛する人を皆さんに分けてあげるのです。皆さんは、天使長の後裔こうえいですが、結婚する相対がいますか。アダムの体を切って接ぎ木してあげて、弟のようにして結んであげるのです。そうです、サタンは、弟を打ち殺したでしょう。ここは、どのようにしますか。弟を打ち殺すのですか。思いの限り生かすことが兄だというのです。それで、絶対信仰して・絶対愛して・絶対服従しなさいというのです。
(290-321, 1998.3.4)


蕩減とうげんの道が残っています。しかし、先生がすべての道に大通りを築いておきました。皆さんの家庭が、すべてこの道を越えていかなければならないのですが、先生が代表的にして、サタン世界のすべてのものに高速道路を築いておいたので、真の父母を絶対信仰・絶対愛・絶対服従できる一体的心情圏を通じれば、先生のあとに接ぎ木されて、先生が開拓した道を自由に越えていくことができます。ですから、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。アダム家庭において、神様が絶対理想からつくられたその基準を中心として、また真の愛の理想を中心としてつくられたその基準を中心として、相対的な面において先生の相対となり、一体となってこの環境的個人を越え、宗族、親族を連結するのです。家庭時代を経て親族時代に入りました。
(284-161, 1997.4.16)
この方は、善の個人的な父母以上の父母であり、国以上の国であり、世界以上の世界であり、悪なる人々の父母以上、国王以上の方になったという事実を知らなければなりません。この方を支えて絶対的に愛することによって、サタン世界、堕落した世界のすべての凶悪な環境も勝利的に越えていくことができるというのです。このような主体的な方のみ旨の前に、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって一つになっていくという決意を誓うことが、堕落した世界を救援して再創造する統一教会の信条にならなければなりません。
(277-80, 1996.3.31)
偽りの愛によって分かれた心と体を一つにすることができるのは、真の愛しかありません。真の愛を行うのです。真の父母様の命令に絶対服従しなければならないのです。その上でこそ、そのことが可能なのであって、絶対信仰・絶対愛・絶対服従以下では不可能なのです。
(274-199, 1995.11.3)
絶対に先生と離れてはいけません。絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければできません。離れれば、皆さんに隙間すきまが生じるのです。隙間が生じてはいけません。では、先生は、信じるにふさわしいですか。私がそのように生きましたか、生きていませんか。
(290-129, 1998.2.15)
成約時代に家庭を定着させなければなりません。そのために、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。それで、心身一体理想を成して地上、天上天国の解放圏を築こうというのです。それが最後です。家庭定着のことをいうのです。地上、天上天国をつくって解放圏を築くのです。天とすべてを清算してしまわなければなりません。
(292-320, 1998.4.27)
皆さんと私が分かれる時が来るというのです。自分たちは民家であり、先生の行く道は高い位置だというのです。縦的な位置に行くので、縦的な位置が横的に越えて入っていくことができますか。続いて上がってくるべきではないですか。角度が同じでなければなりません。角度がずれれば落ちるのです。それで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従、この縦的基準を中心として、絶対的に一つにならなければなりません。絶対愛、絶対服従です。
(300-163, 1999.3.3)


どのようなことがあっても、先生が言う家庭的基準において、神様が祝福してくださり、すべての相続権を受け継ぐことができる人にならなければなりません。そのようになろうとすれば、絶対信仰の上に愛を行わなければならないのです。絶対愛、絶対服従しなければなりません。一家を放棄し、一国を放棄してでもこの道の前に立ち、アダムとエバに戒めを命令しても守ることができなかった先祖のハンを解いて、解放的勝利の家庭として、天国に直行する家庭にならなければなりません。それが、ムン総裁が許すことができる特赦だというのです。特赦、特権的特赦を付与するのです。これがうそなのかどうか、死んでみてください。がちゃっと引っ掛かります。そのように深刻だというのです。
(274-181, 1995.10.29)

 

③ 「神人愛一体理想を成して」

イ) 神人愛一体理想が神様の創造目的
まことの愛の主体者であられる神様は、真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通じてのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は、神様の最高最善の愛の対象として造られました。それゆえに、人間は、創造物の中で唯一、神様の実体をもった対象です。無形の神様の前に見える体で生まれました。人間は、完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入って滞在できる有形の実体です。
神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通じて、父母と子女の縦的関係によって実現し完成します。
(277-198, 1996.4.16)
神様の愛と人間の愛が、どこで一つになるのかという論理を、今まで誰も分かりませんでした。これが分からなくては、「天のお父様」という言葉は荒唐無稽むけいです、荒唐無稽! 関係ないというのです。アダムとエバは、神様の体です。それゆえに、アダムとエバが完成すれば、男性の心の中には神様の性相が入っていき、女性の心の中には神様の形状が入っていくのです。アダムとエバの実体の結婚式は、神様の結婚式だというのです。霊界に行ってみれば、それがはっきり分かります。
知ることができなかったこのような理論が、すべて当てはまるのです。それゆえに、皆さんが神様の愛を占領してこそ、その欲望がぎっしり満たされ、「これでよし」と言うのです。
(252-119, 1993.11.14)
人間が完成すれば神性をもち、天のお父様が完全であられるように、完全で神的価値を成し遂げるのです。神様は絶対者ですが、真の愛の理想は、一人では成し遂げることができません。愛の理想は、必ず相対を要求するからです。ここで私たちは、神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、お互いにどのような関連をもっているのかを知らなければなりません。万一、神様が、真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、他の方法を通じてご自身の真の愛の出発と完成を成そうとなさったとするならば、どのようになりますか。神様と人間の真の愛の理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的は異ならざるを得なくなります。
(282-209, 1997.3.13)


神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。アダムとエバの結婚の時には、神様がアダムとエバの心に入っていって一体的愛を成されるのです。神様は、縦的な真の父母であり、アダムとエバは、横的な真の父母です。そのような二つの父母の血縁を受けて生まれたので、心は縦的な私であり、体は横的な私になるのです。
このようにして神人愛一体圏を形成するので、心身一体愛を完成した者は、神様の息子、娘になります。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係となって神様の全体を相続することができるのです。このような子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になるのであり、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分である男性と女性が一体となり、神様の相対として理想愛を完成させるようになるというのです。
すなわち、真の愛を中心として神様は、人間を無限の価値者として完成させることによって、神様も真の愛の完成をみて、永遠な理想愛が宿る創造理想世界を完成されるのです。
(254-106, 1994.2.1)
心身一体を成し、夫婦一体を成し遂げれば、当然、神様に帰るようになっているのです。真の愛の基盤は、神様を中心として定着するようになっています。それが完成統一一体圏です。そこが統一の基盤なのです。そのようになった場合には、神様自体も統一します。神人一体を分離するものは何もありません。それを分ける力はどこにもありません。
(249-144, 1993.10.8)
創造主と人間との真の愛を中心として、完全、完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで、神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。人間が、成長期間を経て育っていく未完成段階にいることを御存じだった神様は、子女である人間に最も貴い真の愛を相続してあげようとされ、そのための条件が戒めでした。
(282-209, 1997.3.13)

 

ロ) 神人一体はどのように成されるのか
子女の完成基準、兄弟の完成基準、夫婦の完成基準、父母の完成基準は、いったいどこで立てられるのでしょうか。神人一体圏は、いったいどこなのでしょうか。神様が息子、娘として創造された人間が、成熟して一つになる場合に、神様はどのような立場になるのですか。これは重要です。


宇宙の根本を明らかにするには、この内容を明らかにしなければなりません。それを解決できなければ大変なのです。
(249-282, 1993.10.11)
先生が最も苦心したこととは何ですか。神人愛一体をどのように形成するのかということが一番の問題でした。理論的にどのように説明すべきかというのです。これが、解明できなければ、理論的に体制が定着できません。人間の愛の根本的位置が設定されなければ、すべてのものがずれていくのです。
(249-223, 1993.10.10)
神様の愛と人間の愛・・・。それが問題になります。神様の愛と人間の愛は、色が同じか違うかという問題です。大きな問題です。神様の愛と人間の愛が、どこで結びつくのですか。これが、結びつかなければ、神人愛一体の拠点を見いださなければ、神様も人間も共に定着できません。
神様が喜ばれ、人間も愛を通じて喜ぶ、そのような場が違った場合には、大変なことになるというのです。
(257-58, 1994.3.13)
神人一体は、どのようにするのですか。神様は、まことの愛の縦的なお父様です。真の愛を中心としたお父様です。そのようになれば、神様が近いですか、遠いですか。皆さんの目に見えますか、見えませんか。なぜ見えませんか。近いので、より近い場合には、永遠に見ることができません。霊界に行っても、神様を見ることができないのです。だからといって、いらっしゃらないのではありません。いらっしゃいます。愛を見た人はいません。空気を見た人もいないのです。
(249-31, 1993.10.7)
先生が根本問題を追求する時、神人一体圏は、いったいどこなのかをずっと考え続けました。これは、重大な問題です。これを解決せずには、出発点と終結点が合わないのです。そのような中で、雷のようにきらりとひらめく悟りとは何だったのでしょうか。真の愛は、直短距離を通るということです。それはどういうことかといえば、垂直は一つです。水平に対して90度以外にはありません。これは最高の直短距離です。90度なのです。
(250-153, 1993.10.14)
原子世界は、陽子と電子を中心として回ります。分子世界は、プラスイオンとマイナスイオンが運動するのです。その運動は、中心を中心として運動するのです。男性と女性も運動します。何を中心として運動するのですか。愛を中心として運動します。神様と人間も運動します。
神人一体という言葉は何ですか。合同という言葉も使います。何を中心として一体ですか。父子一体、夫婦一体とは、何を中心として言う言葉ですか。愛を中心として言う言葉です。父子間で、夫婦間で一つの体である、一体だというのです。それが神様と人間で神人一体です。何を中心としてですか。お金ですか、権力ですか、知識ですか。それが愛だということは、間違いありません。何の愛ですか。真の愛、神様的な愛です。神様的な愛とはどのような愛ですか。絶対的愛です。絶対的愛とは何ですか。永遠と通じるのです。永遠の愛です。
(251-120, 1993.10.17)


神人一体、神様と人との一体圏です。神様が喜ばれる理想の基準と、人間が願う基準が食い違えば大変なことになるのです。正に、正面で一体とならなければなりません。
水平で一体になり、垂直に一体とならなければなりません。これを、前後、左右、90度に合わせれば、上弦と下弦と右弦と左弦、12箇所に90度の角度でどこに合わせても、すべてぴったり合うのです。
(223-346, 1991.11.20)
結婚は、なぜするのですか。愛を完成するためにするのです。横的に左右、東方と西方を男性と女性だとすれば、その男性と女性の真の理想は、直短距離に通じることなので、直面に対して横的な愛の直短距離というのは一つしかありません。それは、90度以外にはありません。これが、このように横になれば、楕円形になるのでいけません。すべて同じではありません。平等な位置で、すべてが同じ基準として立つのは、90度以外にはないのです。神人一体という愛の結集場所というのは、90度以外にはありません。
(224-167, 1991.11.24)
神様は、ご自身の体としてアダムを先に造られました。アダムは、神様の息子であると同時に、体をもった神様ご自身でもあります。それから、アダムの相対者としてエバを造られ、横的な愛、すなわち、夫婦の愛の理想を完成しようとされました。エバは、神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体として完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成し、神様の祝福のもとで結婚して初愛を結ぶ場は、すなわち神様が実体の新婦を迎える場なのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が、横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参なさるので、神様の真の愛と人間の真の愛が、縦横の起点を中心として一点から出発して一点で結実、完成するのです。
(277-198, 1996.4.16)
アダムとエバは、どのような立場ですか。その立場は、私たち人類の横的な理想の愛を中心として和合する位置であり、90度に合わせる位置であり、焦点を設定する位置です。その位置は、この前後・左右・上下、どこに合わせても合います。それは、どういうことですか。神様は、二性性相の主体であられるので、その愛の焦点に合わせたアダムとエバの心の中に神様が入っていかれるのです。それゆえに、堕落していない人間始祖の結婚式は、神様の結婚式になるのです。
(223-267, 1991.11.12)
神様は、どこに入っていかれるのですか。神様は、アダムの心の中に入られ、エバの心の中に入っていかれるのです。二性性相でしょう。この二つが、一つの根を中心として入っていって打ち込まれるのです。そして、息子、娘に連結します。愛で連結し、心と体を中心として、霊を中心として根を合わせるのです。そこから生まれた愛の息子、娘が地獄に行きますか。誰も思いのままにできません。絶対的な体、絶対的な心、絶対的な霊、絶対的な男性、絶対的な女性が、絶対的な神様の愛を中心として、生命の起源であり、愛の起源であり、血筋の起源である生殖器を中心として統一が展開するのです。
(194-343, 1989.10.30)


アダムとエバは、見えない神様の二性性相から来たのです。見えない二人が一人のような立場に立っているのです。真の愛を中心として、一つになっているというのです。そのようになっているものは、男性格位と同じなので、その男性格位の相対的立場に立った息子、娘を再現させるのです。それは、彼らが成長して愛を中心として夫婦になる時、あの上にいらっしゃった神様が、その場に共に降りてこられて、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って愛で一つになるためだというのです。
(222-317, 1991.11.6)
縦横は、どこで一つにならなければならないのでしょうか。天地合徳は、どこで展開するのですか。縦的基準の前で展開するのです。愛が行く道は、直短距離を通じるのです。ムン総裁はこの一言を解決すること、これがどこで定着するのかという問題で、本当に苦心しました。
宇宙の根本を解明するにあたって、縦的愛と横的愛があるということを知りました。なぜ分かったのでしょうか。垂直にさっと上がっていくことはできません。そのようになれば、私が身動きできずにぴたっとここに立たなければならないのです。そこを離れて縦的に愛すれば、私がぴたっとこのようにならなければなりません。これがどこに行って回るのかというのです。回ることができません。このような問題、どのように連結させるのかという問題、天地の愛があれば、その愛がどのように合徳するのかという問題が大きい問題でした。しかし、一つ分かったことは何かというと、愛は直短距離を通じるということでした。
(214-232, 1991.2.2)
文総裁が宇宙の根本を明らかにしていく時、最も苦心したことは何ですか。愛がどのように動き、どのように定着するのかという問題でした。「愛は直短距離を通る」というこの一言を知ることによって、すべてのことが解決するのです。
愛が上から来て、天が高くて地が低いとすれば、真の愛が天から地に訪ねてくる時、どのような道を通して来るのでしょうか。最大の直短距離なのですから、何ですか。垂直でしょう? これは、垂直一つしかありません。直短距離です。愛が一番早くて直短距離を通るというときに、それは、天上世界と地上世界に接着する完全水平の中で一点しかないというのです。二つではありません。絶対的に一つです。
(211-77, 1990.12.29)
神様の愛と人間の愛は、どこで出会うのですか。その結着点はどこですか。そこは、愛の結着点、生命の結着点、血統の結着点になるのです。そこでなければ、愛と生命と血統を連結できる道がありません。その場は、いったいどこですか。男性と女性の生命が連結するところです。男性と女性の血統、血が交差するところです。神様の生命、神様の愛、神様の血統、そして、男性と女性の生命、男性と女性の愛、男性と女性の血統がこの一点を中心として連結するのです。これを中心として子孫が生まれるのです。
(205-63, 1990.7.7)


アダムとエバが善の子女をもつ真の父母になることは、すなわち神様が永存の父母位を実体的に確定されて、神様が人間の血統を通じて子々孫々に栄えることによって、天上天国の市民を無限に広げたいと思われた理想を成就なさるようになるということです。
(277-198, 1996.4.16)

 

ハ) 神人愛一体理想を定着化しなければならない
神様が創造当時の理想として願ったまことの愛、その偉大な真の愛を中心として、人間との真の愛の関係を結んで一つになり得る、このような神人愛一体の家庭を築いたとすれば、今日、私たちは、天国に行くのか地獄に行くのかと心配する必要がなく、そのまま天国にすべて入っていくようになるのです。ここで問題になることは、神様の真の愛と真の人間の真の愛が、主体的真の愛と相対的真の愛として一つになって一点から出発しなければ、神様の真の愛と人間の真の愛が異なり二つの愛の出発になるので、二つの愛の方向と目的地になるというのです。このようになる時は、神様と人間が願う絶対的理想世界は見いだすことができません。
(275-54, 1995.10.31)
結婚とは何ですか。自我の完成です。男性と女性の完成と同時に横的なすべてのものの完成です。ここで子女と兄弟がいるために、この線が入ります。兄弟がいて、夫婦がいて、父母がいるので、天国の上弦下弦・右弦左弦・前弦後弦が一つになって理想的球形となり、神様は、結婚するとここに、ぴたっと入られるのです。家庭にとどまるようになっているというのです。神様が生活をしなければなりません。このスペースに入っていった球形のすべての力は、この基準を通じないものがありません。
それで、神様がどこにいらっしゃるのか、夫婦を中心にするとしても、どこにいらっしゃるのかという時、それは何ですか。子宮です。そこにいらっしゃるというのです。愛の根がそこにあるというのです。歴史始まって以来、先生によって、霊界がこのように構成されていて、このような内容になっているということが明らかにされたのです。これは、誰も知りません。
(252-119, 1993.11.14)
アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想を破った不倫の犯罪です。守らなければならない戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様ご自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中で酔う幸福な祝宴の連続でなければならないのです。神様の愛と生命と血統が、人間の中で始原を成しながら定着する、幸福な儀式でなければなりません。そのような彼らが、下部を覆って木の後ろに隠れて不安に震えました。天道を拒む偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった、不倫の関係を結んだからです。
(288-126, 1997.11.26)


神様が入っていかれる位置にサタンが入っていってしまいました。アダムとエバとサタンが結婚したでしょう。同じことです。アダムとエバが堕落しなければ、神様の真の愛と人間の愛が一点で結着するのです。一点で出発しなければなりません。二つの点になれば、二つの世界になるのであり、二つの方向になるのです。神人一体となって、一つの方向に行くようになれば、一つの方向に現れる個人も完成であり、一つの方向に現れる家庭も完成であり、一つの方向に現れる宗族・民族・国家・世界が完成するのです。愛で一つになります。これが、理論に合うのです。
(265-80, 1994.11.20)
既成教会と統一教会が異なることは何ですか。統一教会は、神人一体の愛を中心として定着させたのです。既成神学では、神様は神聖で、人間は俗であり罪なものとして定義します。それでは、神様の愛と人間の愛がどのように一つになることができますか。それは、説明することができないのです。絶対的な神様は何でもできると考えているので問題なのです。したがって、キリスト教が行くところは、血をたくさん流してきました。神様の命令だとして、侵略して奪取したのです。独裁者を出しました。世界は、そのようにはなっていません。神様の本性から見る時、そのようになることはできないというのです。
(249-145, 1993.10.8)

 

④ 「地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏」

イ) 地上と天上天国建設は真の愛によって
アダムとエバが堕落しなければ、神様が何をしてあげようとされたのですか。神様が祝福によって結婚式をしてあげ、神様が喜ぶことができる息子、娘を生むようにして、神様が喜ぶことができる家庭を編成し、これを繁殖させて宗族と民族を編成しようとされました。これが、もっと広がれば、その世界は何主義の世界ですか。「神主義」の世界であると同時に、アダム主義世界です。その世界に理念があるならば、これは、アダム主義理念であり、そこに宇宙観があるならば、アダム主義宇宙観であり、天宙観があるならば、アダム主義天宙観であり、生活観があるならば、アダム主義生活観だというのです。
そして、五色人種がいて、まだらになっていてもかまわないというのです。それは、環境によって変わったことなので、数多くの民族の皮膚の色が異なっていてもかまわないというのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が異なってしまったのですか。人類始祖が堕落することによって、天が分立させたというのです。
(156-202, 1966.5.25)
一つの国を見れば、国が形成されるためには、その国の主権がなければなりません。民族がいなければなりません。国土がなければなりません。そのような観点で、地上に天国を実現するという問題をめぐって考えてみるとき、天国の主人は誰ですか。主権者は誰ですか。間違いなく神様が主権者です。そして、民族は誰ですか。民族は万民です。それでは、国土はどこですか。地球ぼしです。
(96-15, 1978.1.1)


先生が80歳までの1代ですべてのものを、霊界を完全に解放するのです。地上天上、夫妻なら夫妻、家庭が天国に入っていくのです。夫婦で天国に入っていかなければならないのであって、一人で入っていくことはできません。地獄の門天国の門をすべて開いておいて、戻りながら上がっていくのです。自分の先祖が列をつくって番人になり、案内してくれます。昔は、サタンが自分の欲望を中心として穴を掘っておいて、千年も万年も行くことができないようにしていました。そして、使いをさせるのです。今では、それをすべて撤廃してしまいました。うそのようでしょう。そのようになるのです。見ていてください。なぜですか。霊界の事実がどのようになっているのかすべてよく知っているからです。それをしなければ、後代になって引っ掛かるのです。
(300-74, 1999.2.21)
地上世界と天上世界の地獄まで平準化させなければなりません。その道を開拓し、平和の天国基地まで、地獄の門を打破して天国の門を開門することができなければならないのです。神様が自由自在に往来できるようにしなければなりません、地上世界と霊界、どこでも・・・。地獄というハンの門は、神様には意味がないというのです。それをすべて押し倒しておかなければなりません。そのことを誰が知っていますか。それでは、ムン総裁がしたこととは何ですか。地上世界と天上世界の地獄までふさがっていた個人的門を壊してしまったのです。それで、ハイウェイを築いておかなければなりません。平準化しなければならないのです。それは、地上ではありません。霊界がすべて平準化しなければならないのです。ですから、家庭的平準化、宗族的平準化、民族的平準化、国家的平準化、世界的平準化、天宙的平準化にならなければなりません。それは、何によって成されるのですか。男性と女性の家庭形成によって成されるようになっています。
(302-226, 1999.6.14)
まことの父母様は、実体世界において、超民族的な祝福の因縁を中心として祝福しています。これが連結することによって、地上で個人解放、家庭解放、宗族解放、民族解放、国家解放圏が築かれます。その解放圏は、霊界で築かれるのではありません。このように、天国の愛の国、天宙の愛の国まで連結させることができる基盤は、地上にあるので、真の父母を中心としたすべての霊界と肉界が一つになり、統括的な面において総清算して、個人祝福、家庭祝福、宗族祝福、民族祝福、国家祝福、世界祝福、天宙まで祝福の完成を成さなければなりません。それで、霊界と肉界の祝福家庭の一体化圏が展開することによって、堕落していないアダムを中心とした天国理念の基盤が、歴史始まって以来のすべての家庭を中心として同一的な価値の位置で成立するのです。その地上天国の顕現と天上天国が顕現するところにおいて、神様が臨在されるのです。神様は縦的な父母であり、真の父母は地上を平準化できる横的な父母です。それで、「七・八節」を中心として天地父母天宙安息圏を宣布して、新しい時代が出発することによって、「九・九節」を中心として完全に越えていかなければなりません。
(303-257, 1999.9.9)


潮水が出ていく時は、悪いものが出ていきます。入ってくる時は、一番後ろから出ていったものが先に入ってくるのです。蕩減とうげん復帰するために、同じ水、同じ月を見れば、中間に立ち、この二つが入って一つになる時、そこにぴたっと引っ掛かるというのです。歴史的にこれが一時に水平になる時、プラス・マイナスのように祝福してあげることによって、サタンを完全に追放できるのです。偽りの父母を追い出して真の父母と一つになるのです。それをしたがゆえに、地獄を撤廃して霊界にいる先祖を結婚させてあげるということが起きるのです。今、数億、数百億、数千億が結婚するのです。霊界を天国にリードするのが私たちの先祖です。地上の後孫は、父の位置、息子の位置を縦的に、真の愛を中心として一つにするのです。東洋と西洋を連結させることができる始発点が、真の愛を中心とした家庭基盤です。
(300-224, 1999.3.14)
これから国家、民族的なグループが連合できる時代に入っていくのです。それで、地上の国と宗族、家庭が連合して統一圏に越えていくのです。このように越えていくことによって、世界は急速に変わります。ここに反対する人々は、サタンが来て、ほうっておきません。今までサタンは、地獄に連れていこうとしましたが、天国に連れていくというのです。このように協助して、先祖まで天国に連れていこうとするので、天国に行くことを妨害する者が存在しません。解放圏ができることによって、急速に未来の世界化時代に越えていくというのです。
(298-221, 1999.1.8)
霊界は、真の父母主義とアダム主義が現れることを願い、イスラームの群れや孔子の群れや釈迦しゃかの群れも、すべて願っているというのです。ですから、統一的な方向を経なければならないので、地上においても真の父母の役事が世界的な基準に上がっていくようになる時、すべての宗教の境界線はなくなり、統合運動が霊界の動きに従って自動的に展開し、その結果が地上で現れるようになるというのです。それで、統一教会が世界主義になることによって、どのようなことが展開するのかといえば、霊界の霊人たちがみな霊界にいるのではありません。その目的は、地上で完成して逆に入っていかなければならないので、すべて再臨します。すべて地上で活動するのです。世界に広がっている統一教会食口シックが先頭に立って、「動きなさい! 動きなさい! 動きなさい! 動きなさい!」と言うことが、数千億になる霊界の霊人たちの願いなのです。ですから、ここに合わせて霊界と一つにしておけば、神様が主管する世界になるのです。真の父母の名前の前に、一つの統一された世界が永遠に継続されるのです。
(161-222, 1987.2.15)
今、霊界の解放圏まで成し遂げました。霊界と地上の平準化運動を、今しているというのです。春が訪ねてきます。天国の春、地上の春が訪ねてくるのです。今までは、天国に春が来て、地上は夏だったのですが、今は、地上で夏が行き、冬が行き、永遠に続く天国の幸福の理想、すべてを消化して新しい生命を復活させることができる春の季節が地上に訪ねてくるので、地上には、平和の時代が訪ねてきます。それで、統一教会の先生が今していることは何ですか。「世界平和統一家庭連合」をはじめとして、すべて「平和」という言葉が入っているのです。
(301-288, 1999.5.5)


今、解放時代を迎えたということを考える時、この地球を中心とした宇宙が、どれほど称賛しているか分かりません。どれほどきょうを喜んでいるか分かりません。それで、今年に入ってきょうまで、祝賀する雰囲気一色になったとみるのです。今、私たちがしようとするすべてのことは、天運が従っていきながら助けてくれるのです。天運をつかもうと努力していますが、天運が私たちのあとに従いながら助けるというのです。これは何かというと、神様と霊界が、数多くの先祖と数多くの善の人々を動員して、この地を助けることができる時が来たというのです。解放圏を成すことができ、変革できる時代が来たというのです。
(298-226, 1999.1.8)

 

ロ) 解放圏を完成することを誓おう
神様を何によって解放するのですか。力によってですか。知恵によってですか。神様解放とは何ですか。北韓にいた人々が南韓に来て喜び、南韓にいた人々が北韓に行くようになれば、北韓が解放されて南韓が解放されるでしょう。それは何ですか。神様は、あの天国の玉座にいらっしゃいますが、サタン世界の家庭、あのどん底でも喜ばれます。貧しく暮らす人の家庭に行っても、誰彼問わず、神様を第一に侍れば、喜んで幸福を感じられるというのです。そして、今まで統一教会においては、このような歴史過程を経ながら、先生を中心として解怨かいおん成就の話をしてきましたが、解怨とは何ですか。解放しようというのです。ごみ箱のどん底に入っていっても、そこに神様が共にいらっしゃることができる喜びの場があるのかというのです。心を解放しようとするならば、ごみ箱までも自分の心に合わないものがなく、すべて「良い」と言うことができる立場にならなければなりません。それでこそ解放されるのです。それが引っ掛かれば解放されません。
(181-191, 1988.10.3)
まことの愛を完全にもってこそ、神様が創造なさったこの世界のすべてのものを、私が再現させることができます。それは、どういう意味ですか。真の愛の完成を成した人は、神様のようにつくってみたければつくり、なくしてみたければなくして、思いどおりの生活をすることができるというのです。何であっても自由自在にできます。直感をもって、全能的な体験をすることができるというのです。真の愛をもてば、すべて征服できます。神様も征服でき、サタンも征服できます。ですから、先生を通して神様が解放されるのであって、神様を通して先生が解放されるのではありません。ですから、霊界で堕落の時から取り戻そうとしてきたその価値的なすべてのものを、地で成し遂げようというのです。そのことが成されれば、天地がひっくり返ります。
(292-277, 1998.4.27)


先生の80年の生涯で、神様を解放しなければなりません。そのようにしようとするので、霊界から地上世界に至るまで、すべて蕩減とうげん復帰し、解放圏のためにイエスが死んだ事実を解いておかなければならないのです。そうでなければ、再臨する道がないというのです。キリスト教文化圏によって統一天下ができる時は、すべての条件を越えていけますが、統一天下ができない基盤において、来られる主人に侍ることができずに反対する時は、すべてサタンのわなに捕らえられていくのです。それゆえに、ムン総裁は、荒野に追い出されて独りです、独り。父母までも私を理解できませんでした。ですから、ここから再び上陸して、歴史的なすべての蕩減路程を40年以上歩んできたのです。
(211-198, 1990.12.30)
先生の時代は、すべてのものが解放です。すべてのものが解放された位置に立ちました。その解放された価値は、到底、言い表すことができません。歴史時代に数多くの先祖から、神様の分別的歴史の価値を積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて解放圏をつくったという事実を考える時、それ自体である私たち祝福家庭は、全体の解放された位置にいるので、すべての被造世界の汚れたものから光栄なものまで、全体を身代わりした祭物だというのです。祭物のような位置に立っているということを知らなければなりません。
(280-292, 1997.2.13)
心情圏は、どれほど素晴らしいところですか。億千万金を与えても買うことができません。地球ほどのダイヤモンドを与えても買うことができないのです。そのように貴いのです。宇宙を与えても取り替えることができないほど貴いのです。心情圏を中心として、主体と共に相対関係を結ぶので、宇宙が私のものになるのです。
神様までも私のものになるのです。そのような人間の価値基準を自ら知って、その中で解放者として天宙を闊歩かっぽしながら、愛で抱いてすべてを指示し、私の要請によって天下万象が和合し呼応する、そのような自由解放圏をもつことができる人間の特権が、どれほど驚くべきものなのかというのです。これが統一教会の誇りです。
(210-320, 1990.12.27)
私たちの先祖が父母様です。父母様の恩恵によって従っていくのです。あの下の霊まですべて清算しなければなりません。これが、2次になる時は、完全に門を越えていくことができます。蘇生そせい・長成・完成を越えれば、3次、この2000年までにすべて父母様が、この地に真の父母として来て、偽りの父母が傷つけたすべてのものを整備できるように、一つの新しい天地法を発表します。天地解放法です。
それで、最近、「家庭盟誓カヂョンメンセ 」の文に8節が加えられたでしょう。「成約時代を迎え、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏(と釈放圏)を完成することをお誓い致します」です。解放ではなく、解放圏です。皆さんの家だけではいけません。皆さんの国、皆さんの世界に対して、地上で完全に責任をもたなければならないのです。
(293-252, 1998.6.1)


真の父母様の勝利圏を相続しようとするならば、絶対服従・絶対従順・絶対信仰で生きなければなりません。血を流して、汗を流して、すべてのものを犠牲にしても、父母様のために生畜の祭物になるという心情一致圏を中心として、父母様が愛する以上の愛をもっていてこそ、父母様が解放されるのです。父母様が人類を愛する以上に愛する、そのような社会になってこそ、神様の解放圏が生じるというのです。そのようなことができる息子、娘をもつことによって、初めて息子、娘を称賛し、息子、娘を愛しながら自分が喜ぶことができる解放圏と釈放圏が生じるというのです。
(266-288, 1995.1.1)