八大教材教本 訓読

八大教材教本は、人類へ恵与された神聖なる御言であり、真のお父様がその畢生の掉尾まで精選された遺言書です。

天聖経 8-7

八大教材教本 天聖経(2012年版)p2352-2387

【天啓の御言】(8-7)

 


長子権復帰は父母権復帰であり、父母権復帰は王権復帰です。王権を復帰することによって皇族圏が広がるのです。皇族とは、生活舞台のことをいうのです。そのような時代に入ってきました。それで、勝利して反対に越えていくのです。越えていけば、何をするのでしょうか。家庭で失ってしまったので、家庭を取り戻すのです。
(235-42, 1992.8.28)
天国の国民、天国の宗族と国の民というものは皇族から始まるのです。したがって、本来、私たちがもたなければならない位置に帰っていこうとすれば、天国の真の愛を中心として、皇族的心情圏を体得しなくては、天国に帰っていくことはできません。そのようになっていないことがハナニムのハンです。ハナニムが王子をもち、王女をもって、王子と王女を愛せなかったのが恨です。そして、王孫を中心として孫をもてませんでした。
アダムとエバが成長しながら、王子、王女として、王の代を引き継げる位置において愛をなせなかったのです。すべて中間、すなわち原理結果主管圏内で堕落してしまいました。ですから、ハナニムの愛を中心としてハナニムと直接話し合うことができる相手とならなかったのです。天地創造の大偉業を中心として父と息子がお互いに相談し、歴史を編成していく、そのような相談相手とはならなかったのです。
(220-47, 1991.10.14)
堕落していなければ、天地の王権と天地の父母権と天地の長子権を中心とした直系の息子、娘となって、この地上の王宮となり、天国の王宮になっていたはずです。また、そこにおける傍系的なすべての兄弟たちは、直系の王宮の伝統を横的に受けることができるのであり、これと一つになって生きた人々が天国に行くようになっていたのです。それでは、天国とは何かというと、愛を中心として、皇族の伝統を通過したその家庭と一族が入っていく所だということを否定することはできません。
それゆえに、前にいる人も、枝のほうにいる人も、同じ皇族の生活環境で生活した人が天国に行くようになっているのです。それゆえに、すべての家庭は、愛を中心とした、皇族の伝統的生活をしなければならないという結論が出てくるのです。
(218-221, 1991.7.29)
統一教会で見れば、今まで蕩減とうげん時代の歴史を歩んできました。ここで蕩減時代の歴史を歩んできた目的は何かというと、長子権を復帰して、新しい父母権を復帰して、新しい王権を復帰して、新しい皇族圏を復帰しなければなりません。それは何を中心としてですか。今日の、人間世界ではありません。ハナニムを中心として復帰しなければなりません。ある王権や、ある家庭を中心としたものではありません。ハナニムを中心とした長子権、ハナニムを中心とした真の父母、ハナニムを中心とした王権、ハナニムを中心とした皇族圏だというのです。これは、今までの人類の希望だったというのです。
(230-171, 1992.5.3)


私が求めている人は、天国の皇族です。天国の愛の皇族です。皆さんは、種にならなければなりません。種になるということは、収穫されて倉庫に入っていき、北風や冷たい雪、寒風が吹き寄せる冬の季節を越え、明くる年に南方から吹いてくる春風と春の日ざしを受けて新しい芽が芽生え、その太陽の光とともに方向を備えて自分自体内に創造力を発揮し、生命力をつくりだせる、そのような種になることです。そのような種になってこそ、生命の芽となるのです。
(180-62, 1988.8.20)

 

ロ) 皇族圏とは
皇族圏とは何でしょうか。アダム家庭において、兄のカインがいて、弟のアベルがいました。アダムの息子、娘として、カインとアベルの兄弟が生まれたのです。カイン、アベルです。環境には、必ず主体と対象がなければなりません。この主体と対象が一つにならなければならないのと同じように、カインとアベルが一つにならなければなりません。一つになったその家庭を中心として、堕落した世界の家庭と一つにならなければならないのです。これが皇族圏というものです。
兄が中心者なので中心となり、自らの直系の兄弟たちは右側になり、復帰しなければならない立場にいるものは左側において、それを一つにしなければなりません。堕落したので、このようなことが起きるのです。堕落しなかったならば、アダム家庭の兄弟が一つになれば終わりです。ですから、世の中のサタン世界を救おうとするので、カインとアベルの兄弟が一つになったものをアベルとし、サタン世界をカインとして、それを一つにすることによって、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の基準を立て、これに弟が従順に従うことができるようになる時に皇族圏が成立するのです。
それゆえに、堕落した世界の息子、娘も、長子権の直系子女を通じて次子の立場に立ち、長子の立場に入っていくことによって、地上天国と天上世界で共に同居することができるのです。これが、皇族圏です。
(270-260, 1995.7.16)
皇族圏というのは、自分の息子、娘ではありません。堕落した世界の人たちですが、本来は堕落していない第一王子にならなければならない人たちです。堕落して悪魔にからまれ、サタン世界の長子権をもって天国を破綻はたんさせてきましたが、アベルがいくつもの恨の峠を越えて、それらを開拓し、自然屈服させることによって、長子が次子となり、次子が長子権を中心として、天地の大道たいどうを完全に変えなければならないのです。そのような場において、まことの父母を中心としたこのような基盤が広がったというのです。
(264-195, 1994.10.9)
皇族圏というものは、堕落した人類を第二王子のように扱って、その本妻になったレアも、ラケルを本妻のように侍り、本妻になった者がめかけと同じ位置に立たなければ、天の側に復帰されないのです。このような驚くべき逆説的な論旨があり、このように交替、遮断して行くべき道があることを、誰も分かりませんでした。


このような原則になっているので、イエス時代に来て、このようなことが起きます。長子権・父母権・王権・皇族圏を中心としたこのような基準を、イエス時代に来て蕩減とうげん復帰しなければなりません。失ってしまったものをそっくりそのまま、三角に穴が開いたのなら三角に穴を貫いて、そこを防がなければなりません。サタンがそのように侵害して被害をもたらしたので、天もサタン世界にそのような被害をもたらして復帰するのです。それが蕩減復帰です。
(262-203, 1994.7.23)
第3に入るようになれば、四大心情圏と三代王権と皇族圏が出てきます。これがテキストブックと同じです。それは、誰でもそのようにならなければなりません。そこの皇族圏とは何ですか。皇族圏とは、サタン世界のすべての人たちは、長子としてハナニムを破壊したのですが、これを救ってあげようとするのです。長子権を復帰して次子のように愛し、連れて入らなければならないというのです。連れて入る人がいるというのです。一人ではありません。それで長子権を復帰しなければならないのです。サタン世界のカインが弟になるのです。その弟がもっと多いのです。
全世界の人類がそこに入っていくのです。弟の立場にいるというのです。この長子権がひっくり返るのです。直系の子女、皆さんの息子、娘がサタン世界を連れて入っていかなければなりません。分かれていないで、連れて入らなければなりません。皆さんのお父さんもそうであり、すべての世代もそうであり、サタンが復帰される時までそれを継続するのです。皇族圏は、それをいうのです。それで、特別にそれを入れたのです。
(265-253, 1994.11.23)
本来、皇族圏はありません。これは、堕落した世界の息子、娘を、悪魔を弟にするのです。皇族圏に参与することができる立場に立たなくては、サタン世界のカインが天国に入っていくことはできません。
カインも、皇族圏、ハナニムの次子の愛の圏内に入らなければなりません。長子として天を破綻させて長子権を失ったからといって、追放すると考えてはいけないのです。弟の位置に立ったので、兄と父母たちが愛さなければならない環境圏を立てて愛することによって、堕落していない天国に入っていくのです。天国には、皇族愛を受けた人々が入っていくのです。このようなモデル家庭ができましたが、残っているものとは何かというと、世の中が残っています。
(267-151, 1995.1.4)
皇族圏とは何ですか。今は、家庭しかないのに、皇族圏とは何ですか。それはカインです。カインを救ってあげなければなりません。王子の道理を代身し、誤っている世界の王権を教育し、導いていかなければなりません。カインとアベルを救って弟にし、王家のすべての伝統を教えて弟の立場に導いていってこそ、地上の後孫たちも、王孫としてあの世に入っていくことができる皇族圏に連結されるのであり、地上にいるこのすべてのカイン世界が兄弟の因縁を結ぶことができなくなれば、皇族圏は地上に残るようになります。


ですから、カインを忘れてはならないのです。自分の家庭が皇族圏になるのではありません。その家庭と自分の家庭という兄弟が一つになることによって、世の中の王権をすべて引き継ぎ、カイン家庭を弟の位置に立てて、引き連れて入っていかなければならないのです。そのことをいうのです。ここで収拾されれば、カイン、アベルが逆さまに一つになるのです。それについて言っているのです。
(283-80, 1997.4.8)
皇族圏というものは、自分の一族がなるのではありません。必ずカイン、アベルが一つにならなければなりません。そのカイン、アベルにカイン的な父母がいて、カイン的なおじいさんがいるでしょう? 彼らを教育しなければなりません。それで、そのすべてのカイン圏の息子を中心として、その一族のおじいさん3代が、自動的に自然屈伏できなければなりません。そして、私たちの家庭が皇族圏に行けば、彼らも弟の立場で連れて入れるということです。それをいうのです。
(283-80, 1997.4.8)
皇族圏とは何でしょうか。これはアダムとエバの直系子女のことではありません。この堕落した世界が残っているので、皆さんが復帰されたとしても、祝福家庭を中心として、皆さんの息子、娘を中心としてカイン圏、宗族的メシヤ圏、世界カイン圏が残っているのです。それを復帰して長子の立場に立たなければなりません。サタンの反対を受けたアベルが、天の長子の立場である長子権を復帰し、昔、長子だった兄を弟にして、共に天国に入っていける、そのような責任を中心として皇族圏と言っているのです。
カインとアベルは横的に怨讐おんしゅうとなったので、横的に一つにならなければなりません。それで、誤って逆さまになっているアベルがお兄さんになり、カインが弟となることによって、堕落していない本然のハナニムの息子、娘を中心として、カインとアベルの兄弟が復帰されて天国に入っていかなければなりません。それで、故郷に帰って孝子、忠臣、聖人、聖子せいしの道理を果たし、ハナニムが来られて成そうとされた、家庭における公式的なテキストのすべての内容を完成すれば終わりです。
(266-147, 1994.12.22)
長子権、次は父母権、その次は王権、その次に皇族圏です。皇族圏とは何ですか。ハナニムの前で、大きな事件が起きました。どのような事件かというと、み旨を成してみると、願わなかった女性と息子、娘が生まれたのです。そして、その直系の息子、娘が生まれたというのです。ここから悲運の歴史が始まりました。今までこれを知らなかったので、収拾する道がなかったのです。
向こうの群れは50億人類なのに、こちらは息子、娘が数人しかいません。ムン総裁がそのような立場にいるとすれば、13人の息子、娘しかいないのです。13人しかいません。カイン、アベルをどのように収拾するのですか。どこに収拾する道がありますか。怨讐を愛さなくてはできません。アベルが愛をもって教育しなければならないのです。蕩減復帰した長子権をすべて復帰したのちには、彼らを自らの皇族圏として認定しなければなりません。皇族のように認めてあげなければならないのです。皇族として認めてあげなさいというのです。
(249-221, 1993.10.10)


長子権を中心として、次子までも上がっていける道をつくったので、アダムの体が過ちを犯したのですが、縦的な再臨主が来られて、長子権復帰をなし、次子圏を認定することによって、第一アダム、第二アダムも一つの体と同じ位置に立てられるようになったのです。ここから皇族圏が出てきたのです。
皇族圏とは、すべて堕落したサタン側の長子として生まれてきたのですが、天の側の長子権復帰を願って承認されれば、サタン側の長子が弟となるロイヤルファミリー(皇族)として扱われるのです。このことは、堕落していないアダムの体と同じ扱いをするということです。それが兄弟になります。再臨主はエルダーサン(長子)アダムであり、これはヤンガーサン(次子)アダムになるのです。
(253-89, 1994.1.7)
縦的な王権が主体です。この縦的な王権と横的な皇族圏が一つになり、より大きな統一された世界をつくるのです。そこでハナニムと連結されるのです。最高の相対と連結されるというのです。マイナスの立場で、より大きなプラスと一つになって発展するのが理想世界です。これが再創造の公式です。統一教会のこの概念以上の代案はありません。ですから、大統領であろうと、何であろうと、みなレバレンド・ムーンのあとに従ってこなければならないのです。
(246-263, 1993.4.18)
ハナニムも皇族圏をもてませんでした。先生が国さえ取り戻し、王権を備えるようになれば、皇族圏を編成していくのです。憲法によって一遍に秩序が確立するのです。今、統一教会の教会員たちは、そのようなことを知りません。「それは何の話ですか」と言うのです。霊界にはそれがありません。「天国が空いている」という話は、そういうことです。中心がないので空いているのです。これは唖然あぜんとすることです。
(270-279, 1995.7.16)
50億人類は、長子権の直系王権を受け継いだ王家の親族です。その皇族圏の心情を体恤たいじゅつした人々が天国に入っていくようになっているのです。それゆえに、全世界的に平面化された王族圏を中心として、それを実体化させた世界統一の心情圏を体恤する生活をしなければなりません。そこから、真の父母も長子の上の真の父母です。真の父母の王権です。このような王権を中心として、周辺の王族を率いていかなければなりません。天国は、このような家庭の兄弟はもちろん、父母を中心として、王権を中心として、王族を率いて王権に侍って入っていく所です。そのような心情を体恤して入っていく所が天国です。
(247-265, 1993.5.9)
先生のみことばを中心として見るとき、どれほど遠い関係にあるのかを、皆さんははっきりと知るようになるはずです。みだりに会うことができる先生ではありません。血統内の血統、心情内の心情を主流的な立場で収拾しておかなければ、永遠の主流世界へ行くことはできません。


ハナニムは、愛でいらっしゃるので、永遠の主流圏の相続権を、堕落した後孫である姦夫かんぷの子女たちに接ぎ木させ、真のオリーブの木の実と同じ価値を認めて天国の倉庫に入れようとされるのです。それで、このような立場のことをいうのが皇族圏なのです。
(249-319, 1993.10.11)
皇族圏とは、本来、ここに生まれた息子、娘は皇族になるのです。ハナニムが完成した成約時代と真の父母時代を発表する時は、50億人類の世界万民をすべて皇族として扱うのです。皇族圏として認めます。しかし、皇族圏の資格は認めません。皇族圏に入ってくることは許可するのですが、皇族になるためには蕩減復帰原則によって、個人からこの世界まで、誰よりもアベルを愛したという歴史がなければなりません。
(251-169, 1993.10.17)

 

ハ) 皇族圏は直系子女ではない
皇族圏は、先生の直系ではありません。先生の直系は蕩減とうげんを越えています。今まで、堕落した人々が長子権の権限をもってすべての人々を地獄に連れていくようなことをしてきたのですが、今は長子権を譲渡し、自分たちは次子圏に立っているのです。そのようになったので、次子の立場から、王族として全く同じく認められて神側に入っていくことによって、サタンとサタンに属するすべてのものは、ハナニムを讒訴ざんそするただの一点もなくなってしまうのです。ですから、公平なハナニムです。皆さんの一身と一族を中心として、一国を中心として、各自がこれを成し遂げなければならないということが今の使命です。
(258-229, 1994.3.17)
皇族圏とは、いったいなんでしょうか。皆さんが先生の直系の子女だと考えるのは、大きな錯覚です。復帰された立場から見れば、復帰された女性と復帰されたカイン、アベルがいます。そして、本来、先生の直系の子女であるカイン、アベル、すなわち先生の子女とお母様がいます。二つの流れがあるのです。復帰して世界が一つになれば、そのカイン圏の人々をどのようにするのですか。これを殺せば大変なことになります。本来のアダム家庭においては、それは皇族になるはずでした。皇族だったのです。それがサタン的な存在の前に引っ張られていったので、原状復帰されれば、本来の権限に接ぎ木してあげなければならないのです。それで、復帰された女性と子女たちを皇族圏に加入させてあげるのです。全世界の人々を皇族圏にしなければなりません。
(256-327, 1994.3.14)
皇族には二つの法律があります。国家の法律を守らなければならず、皇族の法律も守らなければなりません。アダムの子孫である50億人類が皇族圏に立つためには、先生の直系の息子、娘を中心としてカイン・アベルです。絶対的に一つにならなければならないということです。実際には、皆さんが先生のいる所に直行してくることはできません。祝福家庭は、サタンにもどこにも属さず、天の側にだけ属したカイン・アベル、長子・次子の立場にいます。


皆さんの中で、何人が選択されるかが問題です。50億人類が皇族圏にいるといっても、直接関係をもっているかどうかが問題です。先生の直系の血統と皆さんの子女が結婚することによって皇族圏と一つになり、カイン・アベルがなくなるのです。ここに集まった女性たちの最大の願いは、いかにして自らの子孫を先生の子孫と結ぶようにするかということです。
(249-114, 1993.10.8)
再臨主の直系子女たちには蕩減条件がありません。蕩減条件に引っ掛かりません。これは何かというと、直系ではなく、地上でカイン圏の女性とカイン圏の息子に残してあげるのです。オモニを中心として見てもそのようになるのです。聖進が、オモニと聖進を中心として、全くそれと同じことが起きるのです。カイン圏をすべて皇族圏として認めるのです。復帰された弟の位置に立て、皇族の扱いをすることによって、サタンが讒訴する道理がなくなるのです。
なぜサタンがそれを認めるのかというと、「自分の息子だ」と言うことができる条件が成立しないからです。皇族圏というものを認めなければ、堕落したサタン圏内に皇族から外れた群れがいるという話が出てくるので、サタンが残されるのです。しかし、皇族圏を認めるので、サタンはなくならなければならないのです。これは重要な話です。これを混乱させてはいけません。
(260-156, 1994.5.2)
今まで、歴史を通じて、数多くの宗教の宗主そうしゅや数多くの聖賢たちが現れましたが、まことの愛とは何の関係もありませんでした。このようなすべてのことを解決するために、この地上にイエス様がメシヤとして来られ、新郎新婦の基盤を築こうとされたのです。それでは、メシヤが来られてなさなければならないこととは何でしょうか。新しい家庭と、新しい宗族と、新しい国家と、新しい世界に向かって新しい皇族圏を設定しなければなりません。
皇族圏の直系の先祖は、誰でしょうか。本然の愛とハナニムの直系の子女であり、真の愛を中心として真の生命と真の血統の基盤を中心とした堕落していない人です。そのお方が種です。その種から根が出てくれば、中心の幹の根となり、そこから中心の幹、中心の芽へと大きくなっていくのです。これが縦的に大きくなるにしたがって、そこに対応して、横的世界へ拡大していくことから、家庭と宗族が連結され、民族、国家、世界が連結されるのです。
(263-194, 1994.10.4)
地上に生まれたすべての人間で、真の父母を通して生まれた人は一人もいません。真の母と真の父、すなわち真の父母の血統を受けずに生まれた者は天国に入っていく道がありません。ハナニムの創造理想から見れば、真の父母の血統を受け継ぎ、天上天国と地上天国の王権の主人である真の父母に侍り、その親族圏内で愛を中心として真の父母様と共に暮らしたのち、自らも結婚して子孫を残し、そのまま移っていく所が天国です。ですから、皇族圏の愛を中心とする体恤たいじゅつ的な経験をもっていない人は、天国に入っていけません。はっきりしています。
(250-49, 1993.10.11)


今までの愛の理想を、すべて総括的に標準として収拾してみれば、歴史になるのです。摂理史の主流思想になるのです。摂理史の主流思想とは、何でしょうか。大きく見れば4種類です。今までの堕落したこの世の主流思想や、創造以前の主流思想は、第1が長子権復帰です。長子権の創立です。それから2番目が父母権であり、3番目は王権、その次には皇族圏です。このように4種類です。この4種類がすべて入っていきます。
アダムが長子にならなければならず、アダムの兄弟が皇族にならなければなりません。アダム家庭において、アダムが堕落していなければ、長子が王になると同時に、次子は王族になるのです。姉や次子は、王族になるのです。この長子権を千年、万年引き継いでいくことによって、国となり、世界となって人類になっていたはずです。
ですから、主流の王権は一つであり、それは、皇族圏を中心とした王権であり、父母権を中心としてすべて一つの世界になるのです。根は一つです。二つではありません。
(247-134, 1993.5.1)

 

ニ) 皇族圏を中心として国家編成時代に
まことの父母と一つになって伝統を相続し、皆さんの家庭が主体的伝統をもって万国を統治できる基盤となり、主体性をもつことができる家庭になる時、天国の皇族圏内に入籍するのです。このようにして入っていく所が天国です。天国は、誰でも入っていける所ではありません。「その道を行こう」と3代が決意しなければなりません。おばあさん、おじいさんから、母、父、夫婦、息子、娘まで、段階は4段階であり、夫婦を備えた系列は3代です。
(228-295, 1992.7.5)
アダムとエバは、ハナニムの息子、娘として、ハナニムから王子、王女としての教育を受けることができませんでした。それから、兄弟の教育を受けることができませんでした。兄弟の教育を受けていれば、兄弟の因縁を中心として、天下の万民が一つになることができていたはずです。ハナニムの兄弟が人類ではありませんか。そうでありませんか。そこで長子権の宗孫チョンソン(注:宗家そうかの一番上の孫)を中心として、兄弟が横的に広がっていったものが宗族となり、国となって、世界へ拡大していったはずです。このように本来の人間たちは、天の王宮において王子権、皇族圏の心情を体恤たいじゅつして生活した人々なので、天国に行くのです。天国は、誰でも行けるようにはなっていません。
(226-130, 1992.2.2)
天国の皇族圏を中心として民族を編成していく時代です。今後、すべてブルドーザーで押しならしていく日が来るのです。私が教えるすべての原理のみことば、教えるすべてのものを中心として世界へ行く時、この世界の伝統を遮る韓国人がいるはずはなく、この世界の伝統を遮る統一教会があるはずはありません。根を抜いてしまわなければなりません。


私が母、父を捨て、妻子を切り捨てた薄情な歴史時代を回想しながら、目を閉じて断行しなければならないのです。天国の伝統を立てるためにメスを入れなければならない時は、メスを入れる度胸がなければなりません。
(184-243, 1989.1.1)
皆さん、今は夢のような話でしょう? しかし、行ってみてください。悪魔の愛を中心として、悪魔の生命と悪魔の血統を受け継いだ者が、天国の純潔なハナニムの愛を中心として、ハナニムの生命とハナニムの血統圏内に、統一的に理想化された、ハナニムの真の愛を中心とした皇族圏内に入っていけますか。自動的に地獄に入っていくのです。地獄に入っていって、それを望むことができますか。望むこともできないのです。何代、何十年かに一度、方向を合わせて望むことができるのです。なぜでしょうか。父母を愛する本性的欽慕きんぼの心情があり、愛のその吸引力の方向性が残っているので、何年かに一度、その回っていく運勢に自分の運が一致し、体と心が合う時があるのです。それも、アダムとエバが15、16歳まで育った基準があるがゆえにそうなのであって、それもなければ完全に不可能です。そのような怨恨えんこんの垣根を残しているのです。これをけ飛ばしてしまい、いかに平準をつくるかということが大きな問題です。
(220-18, 1991.10.13)
本来は、夫婦同士で尊敬語を使うでしょう? 士大夫したいふの家門では卑しい言葉を使いません。そのような国は、韓国しかありません。天の法がすべてそうです。それ以上です。これは、ハナニムが介在していませんでした。国家は介在していたとしても、これが天地の道理と連結されていなかったのです。ゆえに、統一教会の教えを受けなければなりません。そのようにしなければ、皇族圏に帰っていく道がないのです。
(253-323, 1994.1.30)
女性たちが誤ったことと男性たちが誤ったことを、すべて正してあげなければなりません。少しでも曲がれば、サタンがわなで捕まえようとするのです。「この者は誤った者なので、私が連れていきます」と言うのです。ですから、真の父母は、すべてを正してあげなければなりません。男性と女性が、生涯にわたって行く道を正してあげなければならないのです。それは何かというと、四大心情圏です。この点に行って、四大心情圏と三代王権と皇族圏を体験するのです。
(246-146, 1993.4.7)
いくら高速道路が敷かれたとしても、車がなく、ガソリンを買うお金がなければ、免許証は役に立ちません。皆さん自身が消化(解決)しなければなりません。先生の家庭に似ようとしなければなりません。皆さんの家庭は、自動車と同じです。コントロールできる運転手が必要であり、車が必要であり、様々なものが必要です。運転の仕方を学ばなければならず、お金も稼がなければなりません。そして、負債を負ってはなりません。負債を負えば、霊界に行って恥ずかしいのです。反対に、何とか私がプラスしてあげることを考えなければなりません。そのようにしなくては皇族圏に入っていくことはできません。科学的に組織されている所が天国です。そして、家庭が天国の縮小体です。
(246-79, 1993.3.23)


4) 家庭盟誓第4節の解説

第4節
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。」

 

① 「ハナニムの創造理想」

家庭盟誓カヂョンメンセの4節は、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と(統一と)幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。ここから幸福が広がっていくのです。ハナニムが願われる創造理想的家庭から、幸福と自由と理想が成し遂げられるのです。
(260-305, 1994.5.19)
ハナニムの理想は、世界がすべて一つの家庭になることです。一つの家族です。四大心情圏と三代王権を完成した人々が満ちあふれたところなので、ハナニムを中心として一つの家庭なのであって、二つの家庭とはなり得ません。私たちは、創造理想である天宙大家族を形成して、世界が一家族になるのです。
(260-191, 1994.5.8)
統一教会でいうハナニムのみ旨とは何か? それは創造理想を完成することです。創造理想を完成することです。ハナニムのみ旨を成すためには、私個人が完成する前に、ハナニムの創造理想を完成しなければなりません。その創造理想は、どこで完成しなければならないのでしょうか。個人を中心として家庭で完成しなければなりません。家庭を中心として完成しなければならないというのです。
(170-61, 1987.11.8)
創造理想とは何か? 統一教会では、「アダムとエバを中心とした四位よんい基台の完成である」と言います。四位基台の完成は、ハナニムの創造の面から見るとき、み旨の完成です。四位基台を完成しようとすれば、そこには完成したアダムと完成したエバがいなければなりません。
そのように、完成した女性と男性が一つになって完成した子女を繁殖していたならば、完成した勝利をもった創造理想の実体、主体、あるいは被造世界の中心となる人間完成体、人間完成圏が成し遂げられていたのです。それを中心として、ハナニムとハナニムの愛が連結されることによって、ハナニムが創造しようとされたすべての理想が実現されるのです。
真のアダム、真のエバ、すなわち完成したアダム、完成したエバ、完成した子女、このようなハナニムの前につくられた四位基台を中心とした家庭が、ハナニムの愛と連結されることによって、すべての創造理想が実現されるのです。
(164-9, 1987.5.3)
最後に残されるものは何か? 愛を中心としてハナニムと人間関係が残される、このようにみなければなりません。ハナニムを中心として人間との不変の愛です。この愛の法度は、誰も変更させることはできません。いかなる力をもっても変更させることはできません。このような愛を中心として、人間関係、すなわち人間対人間の関係と、ハナニムを中心とした関係が残されるのです。その世界のことを何というのか? その世界のことを地上天国というのです。天国の世界です。その世界のことを地上天国といい、そこで生活したのちに天上に行って永遠の理想生活をするようになるのですが、そこを天上天国というのです。私たちは、常にこのような概念をもっていなければなりません。
(164-9, 1987.5.3)


「ハナニムのみ旨」と言えば、創造理想を実現することです。それでは、創造理想とは何でしょうか。創造理想とは、「統一原理」で究明したように四位基台の完成です。このような定義を下しています。それでは、その四位基台とは何でしょうか。それはもちろん、ハナニムとアダムとエバと子女のことをいうのです。それでは、この四位基台の中心は何でしょうか。それはハナニムでもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。皆さんは、四位基台というものについて語りますが、この中心に何をおいて連結されるのでしょうか。何がセンターを設定するのかということが問題です。それは、ハナニムでもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。真の愛のみが中心を設定することができるのです。
(132-107, 1984.5.27)
父母と子女が、完全な愛の一体を成した真の家庭は永遠です。それは、永遠であると同時に絶対的です。その愛の起点というものは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、ハナニムにだけあるのではなく、父にだけあるのでもなく、母にだけあるのでもありません。家庭基盤の上で成立するのです。愛を中心とした家庭の信義というものは、愛が絶対的なので、絶対的です。それから、すべての関係においても、これは絶対的です。
そこにおいて、一つが侵犯されるということは、全体の破壊を意味するので容認することはできません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯される問題があるので、その愛を審判するものが自らの生命を凌駕りょうがするものであったとしても、これを擁護して保護しなければなりません。最も恐ろしいことは、この愛の基盤が壊れることなのです。それが一つの核になって拡大されたものが世界です。アダム家庭でその息子の家庭が生まれて、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が展開すれば、この四位基台は、未来において霊界の四位基台に移動するのです。
(106-57, 1979.12.9)
平和の世界をどのようにしてつくりあげるのでしょうか。平和の世界は一つです。統一の世界も一つです。なぜ一つでなければならないのでしょうか。ハナニムの創造理想が絶対的だからです。絶対的な創造主の創造理想は絶対的です。絶対的に一つしかありません。二つあるものを絶対的とはいいません。永遠に一つです。一つしかないその中心的存在がハナニムなのですが、ハナニムの創造の偉業、創造理想のみ旨を成し遂げることができませんでした。アダムとエバが堕落したがゆえに、めちゃくちゃになってしまったのです。
(263-10, 1994.8.16)


 

② 「天宙大家族」

イ) 天宙大家族の基本は家庭
アダムとエバまことの父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるようになっているはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、ハナニムの願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点となります。
(294-67, 1998.6.11)
「ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し」は、大きな家庭です。堕落していない皇族圏として天宙の大家族を形成するのではないですか。それを成し遂げられませんでした。皇族が連結した平和の基準を通して、天宙の大兄弟の友愛をもった一族にならなければなりません。天宙大家族を形成するのです。その次には、大家族を形成したので「自由と平和と」です。ハナニムも自由だというものです。ハナニムやハナニムの息子、娘も、詰まるものがありません。自由と平和です。詰まるものがないのです。それから統一が詰まることがありません。それから何ですか。幸福の世界を完成することを誓うのではないですか。全部入っているのです。ところが、つくっておいたとしても、見てみると天上世界が残っています。堕落した先祖は、心情的紐帯ちゅうたいができていないのです。
(283-82, 1997.4.8)
第4節は何ですか。天宙大家族です。世界が兄弟であり、一つの血統です。ハナニムのように保護しなければならないのです。ですから、ハナニムの王宮に座っていたとしても、この第4節は成し遂げなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を成し遂げなければなりません。先生の心情は、そのような心情です。天宙大家族主義者です。自由と平和と統一と幸福を植えつけてあげなければなりません。その言葉は、何を意味するのでしょうか。先生の歴史を表しているのです。先生の歴史が表題です。はっきりと知らなければなりません。
(280-35, 1996.10.13)
ハナニムが立ててこられた家庭を中心として、天下が要求する標準を立てようとするので、祖父母のモデル型、父母のモデル型、夫婦のモデル型、子女のモデル型がなければなりません。韓国は、親族大家族主義です。7代が一つの家で暮らせる主義をもって、何百名、何千名が、一つの家族として生活できる伝統的歴史を、皆さんがつくっていかなければなりません。
統一教会の宗族的メシヤの道と、どうしてこのようにぴったり一致しているのか分かりません。そして、今後、皆さんの家庭が、お互いに大家族を抱き、世界の前に誇っていく競演大会時代が来るのです。そして、一族の家庭が祝福を受け、一族で賞金をもらう時代が来るのです。その人々は、すべて皇族になることでしょう。
(276-180, 1996.2.19)


「ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し」とは、ハナニムのみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。
自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて、自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は、平和統一です。
(267-151, 1995.1.4)
平和は、ハナニムの真の愛と真理を、全人類が個人から始めて家庭に、家庭から社会・国家・世界が共に共有し、実践することによって、人類は兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を成し遂げた時においてのみ実現されるものだということを、はっきりと悟らなければなりません。
(259-47, 1994.3.27)

 

ロ) 共生・共栄・共義社会の核心は愛
理想的な社会や国は、すべての人が国境と皮膚の色を超越し、相互協力して調和を成して幸せに暮らしていく社会です。この社会は、人々が唯一なるハナニムの息子、娘であることを自覚し、まことの父母を中心として一つの兄弟になった大家族社会、そこは血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語、真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を成し遂げる所です。
人々は、ハナニムの心情文化の中で、共生・共栄・共義の生活をするようになるのです。
(269-155, 1995.4.17)
私たちの理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、ハナニムの真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、ハナニムの愛を基盤とした共同所有です。
家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、お小遣いをもつようになります。このように、家庭においては、全体目的と個体目的が調和を成すようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へ拡大されたものが、理想社会の所有形態です。
(271-76, 1995.8.22)
ハナニムと人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。ハナニムと私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々なケースはありますが、ハナニムの真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。
ハナニムの愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の自律性もあるので、個人所有や個体目的は許されています。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。


特に、真の愛による万物の真なる主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求ではなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。
(271-76, 1995.8.22)
共栄主義は、ハナニムの真の愛を基盤として共同参加し、自由・平等・幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族であり、政治はその愛中心の家族関係を拡大したものであることを理解するとき、代議員の候補者はお互いに敵対関係にはなり得ません。一人のハナニムを父母として侍る兄弟関係によって、周辺から推薦され、奉仕するための使命感をもって候補になるのです。
そして、いくつかの選出段階の過程を経る時や最後の決定には、人為的な条件が介入されるのではなく、ハナニムのみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。ハナニムのみ旨と天運によって当落が決定するので、みな感謝し、結果を喜ばしい心で受け入れるのです。
(271-76, 1995.8.22)
共義主義は、真の愛を中心とした普遍的な倫理道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、ハナニムの真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理道徳を普遍的に実践する道義社会を指向する理想となるのです。
理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提にしています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また、完成した人間は、真の愛によって心身の調和、統一を成した人になります。
このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、自律的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界がまさしく理想世界です。
(271-76, 1995.8.22)
理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、お互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。
(271-76, 1995.8.22)

 

③ 「自由と平和と統一と幸福の世界」

イ) 私たちの理念は、統一された一つの世界
ハナニムの世界的・宇宙的な家庭となり、自由と幸福と統一と平和の世界を完成しなければならないというのが家庭盟誓カヂョンメンセの第4節です。代表的な家庭となり、すべて統一するのです。四大心情圏がそうではありませんか。そして、送り出すのです。いくら統一された四大心情圏を成したからといっても、それで終わるのではありません。その家庭を中心として世界を収拾しなければならない責任があるのです。世界の不安と、サタン世界の混沌こんとんと不幸と不自由な環境を収拾しなければなりません。家庭盟誓の第4節は、そのことをいっているのです。


「私たちの家庭はまことの愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」なのです。
(267-151, 1995.1.4)
家庭盟誓の第4は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。家庭連合が出てくるのです。
各自がすべて四大心情圏と三代王権、皇族圏を完成しなければならないのです。今、カイン世界の人たちは弟の位置にいるのですが、皆さんが兄の位置で正しく教えてあげて伝統を立てなければなりません。そうしてこそ、サタン側が皇族圏に復帰されます。私たちが失ってしまった長子権を復帰して、彼らを救ってあげるのです。彼らを第二王子に立てることにより、私は、第一王子権をもって天国に入っていくのです。二つがそのようにすることによって皇族圏が復帰されるのです。それをしなくては、長子権とか皇族圏は復帰できないのです。
(264-201, 1994.10.9)
「ハナニムの創造理想である天宙大家族を形成し」とは、ハナニムのみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は平和統一です。共産主義と一つとなり、統一するのです。
(267-151, 1995.1.4)
今までの生まれては死んでいった聖賢たちは、外的世界をいかにすれば一つにすることができるかということばかり考えました。しかし、統一教会の異なる点は何かというと、内的な私たち自身からどのように整備して一つにするかという点です。統一がないところには平和はなく、自由もありません。統一が成されたその上に幸福もあり、自由もあるのです。統一が最も重要なのです。
(227-249, 1992.2.14)
統一の基盤の上においてのみ平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体が一つになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行っても、心と体が世界大戦をして安定していないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っているのに、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題において悩むのでしょう? これは、根本的な大きな問題です。心と体が一つになっていないのに、どこに幸福があり、どこに平和があるというのですか。


問題は、すべてこの線上で起きるのです。平和もここで成され、幸福もここで成され、自由もここで成され、希望もこの線上で成されるのです。これが駄目になれば、すべてのものが壊れていくのです。共産党やからの話です。マルクスヘーゲルのような人は、よく見ると心と体が闘っていたのです。ですから、それが人の根本だと思ったのです。堕落ゆえにそのようになったということを知りませんでした。堕落したという事実を知らなかったのです。ここから闘争概念が出てきました。
(242-60, 1992.12.27)
天宙大家族を成し遂げなければなりません。一つ一つの単位は家庭ですが、カイン、アベルで、それは一つの家庭ではありません。全世界の家庭が天宙的大家族理想を中心として、どこかの環境に行って自分だけ孤立無援の将軍になり、自分だけを中心としてはならず、環境に合わせて生きなければいけないというのです。
人類はハナニムの息子、娘であり大家族です。このような大家族にならなければならないのですが、そのまま盲目的に生きるのではないのです。その大家族形成の地上世界というものは、天上世界の基準に合わせて生きなければならないということです。
(266-150, 1994.12.22)
統一がないところには自由はなく、統一がないところには幸福もありません。統一がないところには平和もありません。統一がないところには希望もないということを知らなければなりません。そのようになっているか、いないか見てみましょう。皆さんの心と体が一つになっていないのに、幸福ですか。心と体が闘っているのに、幸福ですか。そこに自由がありますか。お互いがよく回らなければならないのです。平和は、お互いにバランスがとれていなければならないのですが、バランスがとれていますか。皆さんは、夫婦同士でお互いによく調和していますか。皆さん夫婦が、朝二人でけんかすれば、その1日は幸福ですか。そのようなことはありません。それを知らなければなりません。統一が成された基盤の上に自由があるのです。統一がなければ幸福もありません。統一がなければ平和もなく、統一がなければ希望もないのです。
(231-269, 1992.6.7)
統一がないところには幸福はありません。幸福もなく、希望もないのです。すべての人間が願う幸福や希望やすべての平和や自由も、その基盤の上に立たなければなりません。統一の基盤の上ですべてのものが成されるのです。父母と子女の間でも、統一の基盤の上に自由があり、幸福があり、真の喜びがあるのです。このようになっています。それを考えてみてください。今日、人類は、自由を求め、幸福を求め、平和を求めています。それは、どこで探し出すのですか。どのように探し出すのですか。統一的基盤の上で、主体と対象、縦と横、あるいは前後左右の関係において、その相対的主体と対象関係において、幸福や平和や自由が成し遂げられるのです。今まで、これが分からなかったのです。実際そうですか、そうではありませんか。
(225-93, 1992.1.5)


平和というものは、統一の土台がなければ成し遂げられません。平和や幸福という言葉があるでしょう? そして、自由という言葉があります。このすべてのものが一つにならないところでは何も存在しません。
夫婦がけんかするところに平和がありますか。一つになるところに平和があるのでしょう? 夫婦が一つにならなくて幸福がありますか。幸福が逃げていってしまうのです。自由も同じです。男女がぶつかり合うところに自由がありますか。対立するところには平和や自由はありません。自由も統一の土台の上にあるのです。
(229-228, 1992.4.12)
息子、娘が一つになり、平和の国を取り戻すために統一がなされるところに自由が生じます。また、平和と幸福が生じます。私の夫までそこで踊る家庭になれば、幸福と平和圏が生じるのです。踊った人がその次には、「おお、有り難い!」と言って、一家が踊り、国が踊り、世界が踊るようになれば、ハナニムも歴史的に解放された息子、娘として宣布し、万国の万民がすべて統一王国の国民として改善されていくのです。
(234-219, 1992.8.10)
平和というものは、水平線上におかれるのであって、傾斜したところにおかれることはありません。皆さんは、みな自由を求めているでしょう?「自由! 自由だ、自由!」と、そのように言うでしょう? その自由は、どこで暮らすことを願うでしょうか。統一された水平線上で暮らしたいと思うのです。その上に自由があり、その上に幸福があり、その上に平和があり、その上に希望があり、その上にすべてのものがあるのであって、傾斜したところには何もありません。皆さんの個人の希望、個人の自由がどこにありますか。心と体が一つになった上にあるのです。幸福がどこにありますか。皆さんの心と体が一つになった水平線上にあるのです。希望もそこにあるのです。
(254-252, 1994.2.15)
自由というものはどこに立つかといえば、平面上でなければなりません。統一の上です。幸福も統一の上に立ち、希望も統一の上に立ち、平和も同じことです。平和自身の名前がそうです。みな統一の上でなければ、それを得られません。
(257-141, 1994.3.14)
ハナニムの愛と人間の愛の出発が同じでなければ、この方向が二つになります。方向が異なり、目的が異なるようになるのです。そのようになれば、平和の世界、統一の世界を成し遂げることはできません。統一や平和、また幸福や自由や平和や希望がすべてなくなるのです。
(265-262, 1994.11.23)
統一された基盤の上に立たなければ、自由はあり得ないのです。心と体が闘っているのに、自由のふろしきを置いて、その自由をつかんでうれしいといえますか。自由が生じるのかというのです。到底、望めません。また、平和がどこにありますか。平和というものは、平坦へいたんな状態ですべてのものが欠如することなく、充満して自由なのです。ところが、心と体が闘っているのに、平和がとどまる所がありますか。幸福も同じことです。幸福、良いでしょう? 心と体が闘っているのに幸福を求められますか。到底、望むことができないということです。
(232-189, 1992.7.6)


一つになるところに自由があるのです。目も、焦点が一点に合う時は気分が良いのです。鼻が詰まれば大変ですが、鼻が通れば自由です。耳も自由です。手も自由です。体も自由です。一つにならなければ、自由はなく、平和もなく、幸福もなく、統一もありません。バランスのとれた平らなところに、すべての創造の完成があるのです。とがっているところには、とどまることができません。
(267-312, 1995.2.5)
世界的にすべてを勝利した真の父母を通して、すべて学んで知っているので、皆さんは家庭的天国だけつくればよいのです。先生は世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんが真の父母になろうとすれば、心と体を一つにし、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻せばいいのです。これが始まりです。平和・幸福・自由・統一・天国を取り戻さなければなりません。そのようになれば、万事亨通こうつう(注:万事滞りなくうまくいくこと)です。OKなのです。
(259-318, 1994.4.24)
理想的な社会や国というものは、すべての人が国境と皮膚の色を超越し、相互協力しながら調和をつくり出し、幸福に暮らしていく社会です。この社会は、人々が一人のハナニムの息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟になった大家族社会であり、そこは、血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語と真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を完成した世界です。ハナニムの心情文化の中で、人々は、共生・共栄・共義の生活をするようになるのです。
(269-155, 1995.4.17)

 

ロ) 愛だけが自由と平和と幸福の要素
堕落がなかったならば、まことの愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えていったでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になっていたはずです。アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成される世界になるはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、ハナニムの願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点になります。
(294-67, 1995.4.17)
人類にとって最も緊急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくして、人類の幸福や平和の世界を願うことはできません。今日の諸問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義とハナニムの真の愛主義によって整理されなければなりません。皆さんは、これまで先生が世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価しなければなりません。青少年に対する真の愛と純潔運動、また国境・文化・人種・宗教を超越した真の愛による「真の家庭運動」等を教団的行事としてのみ考えてはいけません。


世界平和は、まず平和な国家がなければなりません。そして、国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富や知識は、平和と幸福の必要十分条件になることはできません。真の幸福は、愛の所有に比例するのではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。真の愛とともにいる時に、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。真の平和も、無限の幸福も、真の愛によって人のために生きて与える時、そして与えたものが全体を回って再び訪ねてくる時にだけ、確実に得るようになるのです。
(294-68, 1998.6.11)
今、人類は、総体的危機時代を迎えています。特定分野の準備や努力だけでは不十分です。指導者たちは、時代の良心となって積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、それを人々に指導する運動に乗り出さなければなりません。先生が主管する3億6000万双祝福結婚式の儀式は、先生が生涯を捧げて理想家庭に対する教育をしてきた一つの結実です。祝福儀式に参加する者は、既にハナニムに婚姻を約束し、ハナニムの真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を成すことができる人々です。平和世界実現のために、真の家庭運動を通じた歴史的な真の愛の革命がとうとうと進行しているのです。
(294-68, 1998.6.11)
愛がないところには、幸福もありません。平和もありません。男性と女性は、どのようにすれば平和になることができますか。男性と女性が平和であろうとすれば、凹凸を中心として一つにならなければなりません。それは、男性と女性の夫婦同士しかありません。ほかの男性やほかの女性と幸福になれますか。それは、大きな事故です。すべてそうです。ほかの男性やほかの女性とでは、自由になれません。事故です。ゆえに、愛を除いてしまってはすべてのものが未完成だということを知らなければなりません。
(275-17, 1995.10.30)
理想や自由や平和や統一や幸福というものは、愛を中心として展開するのです。男性世界、女性世界において、自由というものは、愛で一体となっていない場においてはあり得ません。この地上の自由の出発基地はどこでしょうか。お金でもなく、物質でもなく、知識でもありません。愛から出発しなければならないという論理が出てくるのです。出発点が一つなので、目的点、定着点が変わってはいけません。
(270-268, 1995.7.16)


自由と平和も一つです。一つになる所に自由があります。しかし、自由だけあったのでは、立つ場所がありません。自由は実体ですか、何ですか。男性と女性がいれば、お互いに気兼ねすることなく一つになって行動するのです。そのようになるためには、何が必要ですか。ただ二人だけでいたのでは、一つになることはできません。これが問題です。何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。男性と女性が自由でいたければ逃げていくでしょう? それが自由ですか。夫を忘れることができず、行く途中で帰りたいと思い、行く途中で涙を流すことが自由ですか。違います。すべてのものは、愛を中心としなければならないのです。愛を除けば、すべて壊れていきます。
(247-153, 1993.5.2)
父母が愛で一つになる時、一つになったその場が自由の天地です。そこに平和が訪れ、幸福があるのです。また、兄弟同士がみな一つになろうとすれば、何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。「平等」という、そのような言葉が一つにするのでもありません。愛が一つにするのです。父母と息子、娘、また小さな子供たちと年を取った人たちを、何が一つにさせるのですか。何が、おじいさんと孫を一つにするのですか。自由が一つにするのですか。何かの主義が一つにするのですか。愛です。愛なのです。国もそうです。国の大統領が一つにするのではありません。国を愛する愛国者が一つにするのです。人類もそうです。博愛、愛を中心として一つになるのです。これは、どうすることもできません。
(247-153, 1993.5.2)
天国は、本然のハナニムの愛から出発しましたが、それは天上天国と地上天国の出発地です。自由の出発地、幸福の出発地、理想の出発地、平和と統一の起源がそこにあるのです。驚くべき話です。それを肝に銘じなければなりません。
(267-257, 1995.1.8)
真の愛がなければ、自由もなく、平和もなく、統一もなく、幸福もありません。真の愛を中心としてのみ、すべてのものを完成することができます。真の愛を中心とした自由・平和・統一・幸福の完成時代です。
(289-206, 1998.1.2)
歴史的な闘いを終息させるためには、ハナニムに帰らなければなりません。まずハナニムを中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真なる男性と真なる女性が、ハナニムを中心として真の家庭を築くことによって、その中に再びハナニムを迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、ハナニムが宿る地上基地となるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地となるのです。そして、これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。
(271-88, 1995.8.22)


5) 家庭盟誓第5節の解説

第5節
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します。」

 

① 「主体的天上世界と対象的地上世界の統一」

イ) 天上世界が主体である
第5節は何かというと、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、毎日、主体的天上世界」です。毎日のように、私たちは天上世界の主体の位置にいるのと同じです。そこには、数多くの宗族と数多くの民族が入っています。このような天上世界の秩序を基準として、地上もこれに合わせていかなければならないという話です。「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」です。一つになるためには分かれてはいけません。地上世界が、ハナニムの創造理想である超家庭的基準を中心として一つになったように、地上でそのように暮らすばかりでなく、天上世界がそうであるように、常に主体的なその天上世界に合わせて暮らしていかなければならないということです。ゆえに、皆さんの生活において、体恤たいじゅつ的な愛を感じなければなりません。霊界を感じて、ハナニムが悲しまれること、喜ばれることを感じられる体恤的生活にならなければなりません。これはすべて復帰路程の完成に組み込まれたものです。
(266-150, 1994.12.22)
霊界と肉界を誰が統一するのかといえば、人を中心として統一されるのです。そして、統一に向かって前進的発展を促進化させるのです。前進、毎日のように後退してはいけないのです。それではいけません。前進的発展を促進化させなさいということです。皆さんがこの世の中で生きるとき、一つの地域だけで生きずに、いろいろな関係をつくって、全体に影響を及ぼせるように動かなければならないということです。
春夏秋冬、東西南北、四季があって東西南北が回るように、皆さんも一つの国にだけいてはいけないというのです。今から国境がなく、すべてこのように統一の世界になれば、思いどおりに世界へ歩き回りながら生きなければならないのです。行って損害を与えてはいけません。促進的な発展をさせなければなりません。遊んで生きてはいけないというのです。
(266-150, 1994.12.22)
宇宙大家族には、霊界があり、肉界があるということを知らなければなりません。ここで、天宙大家族をつくりあげようとすれば、地上天国と天上天国を一つにしなければなりません。そのような使命があるのです。
それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」なのです。毎日です。1年に一度ずつではありません。「毎日、主体的天上世界と」です。天上世界の天国があるのです。その次に、対象である地上世界があるのです。天上世界と地上世界の何ですか。「統一に向かい、前進的発展を促進化」です。そのように休むことなく、興奮し、刺激的に発展させて、一つにしなければなりません。休む暇はありません。天上世界と地上世界の大家族になろうとすれば、天地を一つにしなければなりません。
(267-152, 1995.1.4)


堕落以後、地上はもちろんですが、天上の天の玉座の下までサタンの活動範囲になりました。それで、サタンは霊界、霊界と肉界の人間たちを讒訴ざんそしてきました。サタンがこのような権限をもって動かしてきたということを、今日、信じる人たちはよく知らずにいます。アダムとエバを中心として、ハナニムの栄光の創造理想を歌って楽しまなければならない被造世界が、人間の過ちによって、サタンの前にそっくりそのまま越えていくようになったことは、創造されたお父様に悲しみを抱かせる結果になったという事実を、皆さんは骨身にしみるほど感じなければなりません。
(1-282, 1956.12.16)
皆さんは、主体的天上世界を知りません。1日に何回霊界のことを考えますか。全世界的に見るとき、霊界に行っている人が多いでしょうか、それとも現在この世界にいる人が多いでしょうか。皆さんは、今考える時、どのように考えましたか。霊界のことを考えましたか。今、この世のことだけを考えるのは、しっぽのことしか考えていないということです。
堕落することによって、霊界の観念がなくなったのです。ですから、ここで私たちの家庭は、毎日、主体的天上世界があるということを知らなければなりません。どちらがプラスかというと、霊界です。心がプラスなのと同じです。体は世界を代表し、心は霊界を代表しているのです。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。ですから、主体的な心の世界を無視する生活をすれば、地獄に行かなければなりません。体が心を打ったのと同じように、心の世界を否定したのですが、これを反対にしなければなりません。
(260-193, 1994.5.8)
今まで、皆さんが生活する中においては、毎日、天上世界が主体になっているという観念をもっていませんでした。そのような観念を、ひと月に一度ももちませんでした。それではいけません。毎日考えなければなりません。1日生活圏がすべて主体的天国に向かい、今日、その相対である地上の完成形態を備えなければ、未来に天上世界の完成基盤を成すことはできません。直接的関係です。毎日、1年、一生を通じて、その直接的関係を築いてこそ、あの世に行ったのちに、そこが自らの第2の活動舞台となり、居住地になるのです。
(260-305, 1994.5.19)
ハナニムを中心とした霊界が主体です。今、霊界に連結されているあらゆる階層というものは、ないのと同じです。オリジナルは、ハナニムが主体であり、地上の真の父母が主体です。先生が教えることがハナニムの本質的な内容と一致しなければ、すべてのものが駄目になっていきます。この柱がつぶれていくのです。ですから、それらの内容が一致しなければなりません。内容が一致しなければならないのです。
(292-320, 1998.4.27)


家庭盟誓カヂョンメンセの第5節は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい・・・」、統一です。霊界と肉界の統一です。これが問題です。皆さんは、一遍にこの網の目に引っ掛かるのです。それを越えるために、先生も血の涙を流し、ハンに満ちた峠を越えてきたのです。
皆さんは、統一教会の背後に潜んでいる秘密を知りません。何も知らないのです。また知る必要もありません。それを知れば、どれほど多くの重荷を負わなければならないでしょうか。父母様がこのように苦労されるのに、私が昼食を1食だけでも恵んでもらえば、涙がぽろぽろ出るのです。私はそれを願いません。蕩減とうげん条件に引っ掛かって、歴史的な恨をすべて清算するために、父母様が苦労したことを中心として回想することは、ハナニムも願わず、父母様も願いません。それを忘れてしまい、希望に満ちた地上天国の名を呼び、ハナニムと真の父母の代身者として意気も高らかに天下を自らの舞台とし、天地を自らの国の舞台として飛躍しなければならないのです。跳躍でなく、飛躍しようという欲望をもって走り、力強く生きていかなければなりません。
(283-242, 1997.4.13)
統一圏内に、皆さんは、個人から家庭、宗族まで8段階です。8段階まで統一的内容を経ていかなければならない道があるというのに、一つも知らなかったのです。これを見過ごす国があり、主体国があるという時、皆さんが霊界に入っていって、この法の統治を受けなければならないとすれば、どうするつもりですか。個人的に拘束されるのです。
霊界へ行けば、皆さんの夫婦もすべて別れ別れになります。家庭に10人の家族がいれば、すべて別れ別れになります。一つの所に行くことはできません。それを知らなかったので、そのようにしているのでしょう。そのようなことをすべて知った上で見れば、天上世界の影のように地上世界があるのです。すべて実体がなければなりません。映像も実体に従って似ていくのです。一つになっていくのです。
(284-15, 1997.4.15)
霊界と地上に通じる道を探すために、地獄からすべてを遍歴し踏査とうさしながら、その内容を明らかにしたのです。皆さんは、歴史的な宝物を手に入れたのだということを知らなければなりません。家庭盟誓の第5節で何といっていますか。「毎日、主体的天上世界」です。毎日、主体的天上世界に対して知らなければなりません。これが分かるのです。
「主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい」です。対象的地上世界は、実と同じです。ここと、この霊界は同じです。ですから、統一です。霊界と地上を統一することができるという事実です。そのようになることによって、地獄の門天国の門が開き、天国に入っていくのですが、それを一刻でも早く促進化させなければなりません。強制的に、たたいてでも追い立てていかなければなりません。
(294-130, 1998.6.14)


ロ) 天上世界と地上世界を統一させなければならない
アダム家庭は、ハナニムが造られた地上世界の相対的なすべての主体と対象の核であり、ハナニムは天上世界の主体と対象の核です。それで、地上天国と天上天国の二つの核が合わさって一つの統一された天国になるのです。地上世界の天国の核になることができるアダムと天上世界の家庭の主人となる核が一つになるのです。
(269-118, 1995.4.9)
今、天上世界と地上世界が統一されていません。私たちが統一させなければなりません。5番は何ですか。「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって前進的発展を促進化することを・・・」です。前進するのも早く前進するのですが、さらに何ですか。促進化させなければならない時だというのです。
ところで皆さんは、おなかがすいていれば、「ああ、お昼を食べてからすればよい。」、みなこのように考えますか。先生はそのように生きません。1時間さらに延長しようとするのであって、早く行こうとはしません。皆さんは、そのようなことを感じなければなりません。そのことのためには、自分の肉を切って売ってでもしなければならないのです。
(280-38, 1996.10.13)
堕落した世界をすべて整理し、一つの世界にしなければなりません。まことの愛は、一つです。絶対的に一つです。真の愛を中心として連結された国は、全体が一つです。霊界と肉界は内と外と同じです。
家庭盟誓カヂョンメンセの5番と同じように、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的実体世界が一つになって整理をしなければなりません。霊界が主体的な世界です。この地は、対象的な世界です。
今、二つの世界が一つになることに拍車をかけるのです。強制的にでも、早く行かせなければなりません。たたいて追い立てなければなりません。
(295-261, 1998.9.8)
死ねば霊界へ入っていくのです。霊界を解決しなければなりません。その世界は、地上で解決しなければなりません。霊界に入っていって引っ掛かってはいけません。この地上ですべて解決しなければならないのです。これは、観念ではなく実在です。先生も、そのような世界が現実と同じだということを感じたので、迫害が多くても問題ありませんでした。反対して迫害することが観念ならば、これは実在です。そのようにしてこそ生き残るのです。霊界が実在するということをいかにして実感するかということは、最も重要なことです。
それゆえ迫害が問題ではありません。その目的を知っているのでそうなのです。朝起きれば、自然のすべての現実と同じように、霊界の事実をそれ以上にはっきりと知らなければなりません。霊界は膨大な世界ですが、そこにはイギリス人やアメリカ人だけが行っているのではありません。世界各国の人の中で、心霊状態がぴったり合う人同士で集まっているのです。五色人種が1箇所に集まっているのです。
ドイツ人や、どこどこの人や、昔見た世の中の人の形態は知っていますが、心の世界を見るので、心の世界がどれくらい美しいか、そこにどのくらい近くなるかという問題がかかってくるのです。心の世界がより美しい人と一つになろうとするのです。ですから、「一つになってはいけない」と言っても一つになるのです。何千年、何万年前の人であっても、ぱっと会えばすぐに分かるのです。先生の話を観念や夢のように思い、事実として感じることができないでしょう? 言葉だけではなく、事実として感じて生きることができるかが問題です。それを知れば、この世は影です。影と同じです。
(295-261, 1998.9.8)


天上世界には境界線がないので、その世界で愛の心をもつようになれば、人と出会うたびにすべて通じるのです。心は老いません。心は、長生きすればするほど、もっと美しくなるのです。心は美しくなるのですが、霊界でハナニムを中心とした息子、娘の姿が見た目に醜くてもよいのですか。深い愛の中で和合して暮らす人は、みな美男美女になるのです。
女性たちだけではなく、男性たちも同じです。すべての問題を祈祷し、先生の教えと導きを受けなければなりません。エデンで堕落していなければ、ハナニムに侍って暮らすはずでした。ハナニムが実体をまといたいと思って創造されたのがアダムの体なので、先生を中心として霊界も通じるようになるのです。ハナニムの愛を完成させるのは、ハナニムご自身ではありません。人間を通して完成するのです。
(295-261, 1998.9.8)
霊界を、はっきりと知らなければなりません。家庭盟誓の5番を見れば、「私たちは真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」、このようになっています。ですから、霊界を知らなければならないのです。霊界を知らなければ、完成時代に入ることができません。
(294-98, 1998.6.14)
霊界を知らなければなりません。家庭盟誓の5番は何ですか。「真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化」するのです。棍棒こんぼうで激しくたたきなさいということです。行くべき道が忙しいというのです。そのようなすべての言葉は、先生の生活的な一つの裏面を表示した内容にもなるのです。この世の生活というものは、いつもあるのではありません。一度しかありません。一度しかありませんが、堕落したすべてを、個人から天宙まで、ふさがった垣根を壊さなければなりません。
そこに高速道路を造るだけでなく、レールを敷かなければなりません。電車が通れるレールまで、飛行場まで造らなければならないというのです。霊界は飛行場以上でしょう? その基地が真の家庭です。真の父母、真の家庭です。その出発基地からいくら行っても、いくらでも戻れるのです。そのようなすべてのことを、皆さんが先生に侍ってしたということは、あの世に行って誇れる一つの標的になるのです。
(296-279, 1998.11.10)
それでは、「救援摂理」とは何ですか。霊界が天を中心としてぶら下がっているのと同じように、地上がハナニムのみ旨を中心として、どのようにぶら下がっているようにさせるかという運動をしてきたのです。数多くの宗教を立て、文化背景が異なり、レベルが異なりますが、そのような形態で復帰摂理を進行してきたというのです。


では、今まで、誰が霊界の中心的な役事をしたのでしょうか。イエス様が中心でした。イエス様と聖神聖霊)です。ハナニムを中心としてイエス様と聖神が一つになるために体制を整えてきた基盤である地上のキリスト教を中心として、ハナニムとイエス様の名と聖神の名を通じて、キリスト教文化の体制を形成してきたのです。霊界がそのようになっているので、地上もそのような形態になり、霊界と肉界の二つがすべて合わさって一つにならなければなりません。同じです。
そのようにして、霊的世界と肉的世界が、いつ一つに統一されるのでしょうか。再臨時代になって統一されるのです。そのようになれば、再臨される主は、霊界のすべての体制的内容を相続し、引き継いで地上に来られ、世の中をその体制に一致する環境に追い立てていって収拾するのです。世の中を収拾して上がっていくのです。
(161-220, 1987.2.15)
天上世界と地上世界を連結させ得る内容は何ですか。それは、一時的に存在したものをもってはできません。時間と空間を超越したものであり、過去においても同じであり、今日においても同じであり、未来においても同じ内容にならなければなりません。そして、その内容は、私たちの日常生活において、接している四方の環境の、すべてのものが拒否せずに常に好む内容にならなければならないのです。夜でも昼でも、好むことができる内容にならなければなりません。そのようになってこそ幸福なのです。
そのようなものは何かというと、愛です。それは、お金では不可能です。知識でも不可能です。そのようなものは、一方的なものにしかなりません。権力もやはり同じです。その時代的環境によって、権力の限界はありましたが、その権力をいかにして拡大させるかという問題を考えてみたとき、「私」という個人的権力を国家的に拡大させるためには、そこには何が橋渡しとならなければならないでしょうか。また、国家的権力を世界的権力へ拡大させるためには、何が橋渡しにならなければならないでしょうか。やはりこれも、橋となることができる何かがなければならないのですが、それが愛です。
(233-128, 1992.8.1)
霊界は、先祖が暮らしている所であり、肉界は子孫が暮らしている所ですが、この二つは、カイン、アベル関係です。霊界は天使長世界であり、肉界はアダム世界です。これが一つになって統一されれば、天上天国と地上天国になって共に暮らすようになるのです。地上世界と天上世界が一つにならなくては、天国になりません。霊界と肉界が一つになり、天使長世界とアダム世界が一つになるのです。カイン、アベルが一つになることによって、真の父母がいらっしゃることができる基準ができるのです。堕落する以前の状況へ戻っていくのです。
(255-24, 1994.2.27)


真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって前進しています。前進的発展です。出ていく時も、前進的発展をして促進化させなさいというのです。いかなる制裁を加えたとしても、私がこの地上で先祖から受け継いだ罪の皮を完全に脱がなければ、天に飛翔ひしょうし、解放された天国のハナニムの愛を受けることができる懐へ帰っていくことはできません。家庭復活です。家庭が行くにおいては、世界に遮るものがあってはなりません。
(299-46, 1999.2.1)
ハナニムを中心として、地上世界と天上世界が一つになるのです。真の父母を中心として、統一的立て札をもってくることによって、ここで一つになるのです。創造される時、ハナニムは絶対信仰・絶対愛・絶対服従により、「ため」に生きる愛をもって創造されたので、私たちも、このような全体・全般・全権・全能の基盤の上に立たなければなりません。創造本然へ帰っていき、そこで愛の対象を取り戻すためには、絶対信仰と絶対愛、そして絶対服従の心情をもって、投入し、忘れてしまうのです。ハナニムがなされたすべてのものを再び取り戻すために、私たち自身も、ハナニムの代身となって、この世界に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。
(303-153, 1999.8.17)
皆さんの心と体の焦点が合わないのです。これを是正しなければなりません。それゆえに、宗教は体を打つのです。それで、3年から5年の間で、習慣性を通じて、心の命令に絶対順応することができるようにしなければ、天上世界の道に直行することはできません。ここから京釜キョン線の線路を通じて以北(北朝鮮)と連結しようとすれば、レールの幅が同じでなければなりません。また、中国と連結しようとしても、レールの幅は同じでなければなりません。それと同じように、人間が地上世界で生きた幅と霊界に行く幅も同じでなければなりません。その軌道は何かというと愛です。霊界の愛と地上の愛が同じでなければ、統一はできません。
(242-51, 1992.12.27)
霊界をはっきりと知らなければなりません。家庭盟誓の5番を見れば、「私たちは真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」、このようになっています。ですから、霊界を知らなければなりません。霊界を知らなければ完成時代に入ることができません。それで先生は、成約時代のみことばと共に、霊界の内容を教育しようとするのです。
(294-98, 1998.6.14)
ハナニムは、思いどおりにすることができません。怨讐おんしゅう世界を殺そうとすれば、一瞬にして殺すことができる能力をもっているのですが、これを処断することができず、手をつけることができないのです。そのような血族が残されているのが堕落世界だということを、今日の宗教圏は知らなかったのです。真の父母の名をもって、初めて霊界のすべての実相を詳細に知り、堕落の動機からサタンの秘密、そしてハナニムの秘密までを探り出して知り、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理です。今、地上世界と天上世界に分かれて、混乱状態の相反的な歴史をなしているすべてのものを和合させるために、これをもって、霊界の根本や実相から、地上の人生の根本までのすべてを解消して連結させようとしているのです。
(304-214, 1999.11.8)


「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい」です。統一です。霊界と肉界の統一です。これが問題です。皆さんは、一遍にこの網の目に引っ掛かります。先生もそれを越えて立つために、一生涯血の涙を流し、ハンに満ちた峠を越えたのです。
(283-242, 1997.4.13)
私たちは、毎日、地上天国を成し、大家族を成すのですが、その大家族はどこを標準として生きるのかというと、天上世界です。天上世界がより大きな大家族です。毎日のように、相対的な世界のカイン的大家族が拍子を合わせ、統一を形成しなければなりません。内容がそのようになっています。「統一に向かい、前進的発展を促進化する」のです。前進的発展です。そのように一つになってじっとしているのではありません。発展していくのです。
家庭時代から宗族時代、宗族時代から民族時代、このようにして世界化へと進んでいかなければなりません。これができなければ、途中ですべて解散してしまい、めちゃくちゃになるのです。仕事をしても、どこに行っても、座っても、休んでも、いつも主体的霊界の前に対象として一つになり、それが停止しないで、発展に発展を重ねることによって、家庭から宗族・民族・国家・世界の峠を越える立場に立ち、そのようにして、初めて地上天国と天上世界に入っていくのです。このサタンが蠢動しゅんどうしたすべてのものをきれいに整理して、統一的ハナニムの本然の理想世界を完成するのです。ですから、促進化しなくてはいけないのです。順序がそのようになっています。
(261-90, 1994.5.22)

 

② 「前進的発展を促進化」

イ) 毎日、前進的発展を促進化しなさい
前進的な発展というものは、絶対に止まってはいけないのです。いつも前進しなければなりません。発展しなければなりません。前進的発展です! これは、東西、四方に発展しなければなりません。先生が約束したとおりにして、そのような道が一つにならなければならないのです。
むやみやたらに盟誓メンセ文を立てたのではありません。ですから、心と体が一つにならず、夫婦が闘っていれば、盟誓文を唱えることができません。息子、娘を中心として、一つになることができなければ、唱えることはできないのです。家庭がどれほど貴重なのかを知らなければなりません。そのような家庭の盟誓文をもったということは、歴史始まって以来のすべての天上世界が注視します。あのようにできる地上の幸福者がどこにいるのかというのです。
霊界に行ったすべての先祖がうらやむのです。ですから、私たちのオモニは、何も知らずに祝福をしてあげるのですから、どれほど喜びますか。先生が初めて還故郷の話をし、万民の解放圏を中心として、すべて共に祝福してあげるので、父母もそのケースに入っていくのです。このようにして秩序が立つのです。
(271-290, 1995.8.28)


前進するにも全力を尽くしてするのですが、促進化するというのです。統一に向かって前進的発展を促進化するのです。前進的に発展するにも、棍棒こんぼうでたたいて促進化させるというのです。家庭盟誓カヂョンメンセの5節は、何ゆえに出てきたのですか。地上無事通過、天上無事通過です! 地上と天上地獄の門は関係なく、天国の門にだけ入っていくための行列ができ、動き始めています。「統一に向かって前進的発展を促進化!」とは、激しく追い立てなさいということです。弟がたくさんいる兄ならば、弟たちを張り飛ばしてでも祝福を受けさせるようにしなければならないのです。自分の息子が祝福されないと問題が生じます。
(294-105, 1998.6.14)
今日、統一教会食口シックたちは、「霊界を中心として毎日歩調を合わせよう」ということを、数ヵ月に一度くらいしか考えません。ですから、自分勝手になるのです。これを毎日のように見直すのです。大家族を築いても、また堕落するかもしれません。これを保護するために、前進的統一に向かって、前進的発展を「促進化」するのです。拍子を合わせていくのです。その次には、「することをお誓い致します」です。まだ天上天国の統一は成されていないというのです。促進化して、そこに合うようにしていかなければなりません。これが、絶対必要です。
(261-90, 1994.5.22)
家庭盟誓の5節は何ですか。私たちは、毎日このように暮らしているのですが、地上天国を築いて、大家族を成したとすれば、その大家族は、どこに標準を合わせて生きていくのかといえば、天上世界です。天上世界がより大きい大家族です。カイン的大家族が、毎日のように相対的な世界の大家族に拍子を合わせて、統一を形成しなければなりません。「統一に向かって」です。内容がそのようになっています。「統一に向かって前進的発展を促進化すること」、前進的発展といえば、そのように一つになってじっとしているのではありません。発展していくのです。
家庭時代から宗族時代、宗族時代から民族時代、このようにして世界化に行かなければならないのです。それで、「前進的」といいました。停止する日には滑り落ちます。停止する日には地獄と連結します。1歩でも前進してこそ、繁栄と天国に連結します。そういうことです。前進的発展です。「発展」を促進化させなければならないというのです。絶えず発展するように催促させなさいということです。前進を早くしなさい、早くしなさいということです。
(261-90, 1994.5.22)
「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化」しなければなりません。統一に向かって一つになって行くのですが、前進的とは何ですか。統一して静かに遊んでいるのではありません。前進しなければなりません。世界が、霊界が残っているというのです。統一しても定着できません。さらに進んでいかなければならないというのです。前進的発展を促進化しなければなりません。早くしなさいというのです。促進化することを誓うのです。
(283-82, 1997.4.8)
家庭盟誓の5番は何ですか。「私たちはまことの愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化」しなさいというのです。前進的です。いつも進んで行かなければならないのです。停止してはいけません。「前進的発展を促進化!」です。発展しながらも促進化させなさいというのです。重要な言葉です。地上において、版図は小さくても、世の中の相対的世界を中心として、自分が暮らす環境に、天国と同じ模型的基準を備えた模型をつくっておいてこそ、あの国に移すことができるというのです。それはやむを得ないのです。そのようなことは、ムン総裁が適当に言っているのではありません。天国と地上世界のすべてのことを総合して、天が願う道は、このように行かなければならない道であるがゆえに、家庭盟誓が出てきたというのです。
(274-114, 1995.10.29)


育たなければなりません。停止は、死んでいること、死亡と通じるのです。皆さんが統一教会に入る時、みことばを聞いてどれほど喜びましたか。今、それ以上に喜びますか。私の喜びを越えて世界の喜びと一つになろうというのがハナニムの心であり、願いであり、み旨なのです。先生もその道を行っています。ですから、私の喜びが私の喜びではありません。
世界の喜びと一つになろうとする努力をしています。すべて天に始まって、自分に帰りました。人間によってふさがってしまったというのです。
(273-69, 1995.10.21)
家庭盟誓の5番目は何ですか。「私たちは真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を」です。前進的発展です。新しい人になるのです。生きている者は、育ちます。統一教会に入る時、喜んだその心が、ますます大きくなっていきますか、なくなっていきますか。大きくなっていくのです。前進的発展を促進化させなさいというのです。生きているものは、育つのです。育つことができないものは、死にます。霊界との相対的価値を失ってしまうために、失われてしまうというのです。それで、前進的発展を促進化させなさいというのです。
(273-69, 1995.10.21)
促進、急ぐのです。寝てばかりいて、怠惰で、食べて楽しんで、そのようなものは、歴史にありません。忙しいというのです。一生は短いのです。それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。休まないで走りなさいというのです。先生のようにということです。眠ることもせずに走りなさいというのです。
(260-193, 1994.5.8)
「主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」。毎日のように前進しなければならないというのです。停止すれば、死亡が展開します。死亡が展開するのです。ですから、停止してはいけないのです。「前進的発展を促進化」し、1歩でも、毎日毎日、前に行くべきだというのです。「そのようにすることをお誓い致します」というのです。ですから、天上世界に要求されるすべての内容を、地上世界で寸分も違わないように前進的発展をしなければなりません。
(260-305, 1994.5.19)


「真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化」すると言いました。統一に向かって前進すればよいのに、前進的発展を促進化させなければならないと言いました。激しく追い込まなければならないのです。たたきなさいというのです。地上でぐずぐずして歩調を合わせることができなければ、激しく追い込まなければなりません。
(301-83, 1999.4.16)
私たちの家庭盟誓の5節に、「前進的発展を促進化することを」というのがあるでしょう。一つにして前進するのはよいのですが、その促進化は、棍棒で何度もたたいてするというのです。強制です。子牛のように強制的に引っ張ってきて祝福してあげれば、祝福を受けたその人が、霊界に入っていくときに地獄には行きません。長い時間がかからずに天国に行くというのです。ですから、強制的にでもしなさいというのです。
(293-318, 1998.6.7)
毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一、主体世界と対象世界が統一されなければなりません。統一に向かって前進的発展、前進していく発展です。「前進的発展を促進化することをお誓い致します」。促進化、早く早く早くするようにというのです。停止してはいけません。停止すればいつの間にか落ちていくのです。地獄と通じ、死亡と通じるのです。停止は落ちていって地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。休まないで走りなさい、走りなさいというのです。
先生のように、眠ることもせずに走りなさい、走りなさいというのです。そして、自分が考えた世界に私が関係を結ぶのであり、考えない世界にどのように関係を結ぶのですか。それでこそ統一がなされるのです。共に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。
(260-193, 1994.5.8)

 

ロ) 真の愛のハイウェイを築こう
今までの霊界や地を、ハナニムは見たくないというのです。完全に清算してしまわなければなりません。それを皆さん自体が、一つ一つ救援するのではありません。イエス様の代身として一族の家庭を清算したのちに、宗族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ圏の地上天国、天上天国を完成しなければならないのです。イエス様の心情圏を体恤たいじゅつして、イエス様が十字架の死の位置に行きながらも果たせなかった、家庭のハンを解いてあげなければなりません。
ハナニムもそれを願っています。ですから、皆さんを通してそれを解いてあげなければなりません。その上に皆さんの家庭を築かなければなりません。
皆さんは、今までのキリスト教のように信じる、そのような習慣的な統一教会だと考えるなというのです。そのような統一教会ではありません。深刻です。全体に対して教えるみことばを中心として、皆さんの世俗的な家庭観念を撃破しなければならないのです。霊界と地上世界において、そのような観念をすべて清算しなければなりません。清算したのちに、新しい世界を成し遂げなければなりません。
(292-320, 1998.4.27)


ハナニムは、このように汚された地を再び回復されようと、人間と関係を結ぶ救援摂理をしてきていらっしゃいます。堕落することによって、ハナニムを裏切った立場にいる人間たち、万物とも比較できないほど完全に落ちた人間たちに、ハナニムが再び向かい合うために、救援摂理をしてきていらっしゃるのです。サタンが支配し、サタンが讒訴ざんそする人間をハナニムが主管されるために、橋を架ける役事をしてこられましたが、それが旧約時代を経て、新約時代を経て、今に至っています。
(1-282, 1956.12.16)
家庭盟誓カヂョンメンセの5節は、「私たちの家庭はまことの愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。これは、世界がすべて同じ家庭だというのです。
天地において、すべて主体的天国の対象的立場で一つにならなければなりません。一つになるだけではなく、まだ地上には地獄が、サタン圏が残っているので、これを早く促進化させなければなりません。1日の時間が惜しいのです。そこに2代、3代が展開すれば問題になります。ますます困難が繁殖していくということを知らなければなりません。至急だというのです。
2000年までに、すぱっと断ち切って総進軍しなければならない時代だというのです。急進的な発展を催促するので、急進的な滅亡の形態が世の中に展開し、すべて分立されて地獄に落ちていくのを、皆さんが死ぬ前に目で見ることができるのです。復帰の型をもっていく私たちの家庭が果たさなければならない使命と不可分の内容を中心として、盟誓メンセ文として設定したということを知らなければなりません。
(264-202, 1994.10.9)
祝福を受けた家庭は、先生が来ることを願いますか。皆さんの家に来ることを希望しますか。いつ行くか分かりません。ですから、10年間待つ祝いの膳をすべて売って備蓄しておいて、来るやいなや、何時間以内に祝宴できるように準備し得る心をもっていなければなりません。そのような家には、先生がどこかに行こうとしながらも訪ねていくというのです。行くことができなければ、車が家の前で故障して、その家に訪ねていけるようになるというのです。精誠を尽くさなければ考えられません。
霊界を知らなければ、先生が霊界を知らなければ、この道を行くことができません。霊界のお父様が先生のお父様です。ですから、霊界の秘密を誰よりも知っているのです。避難中にも空腹になった時は、先祖を動員するのです。道端の過ぎゆくお客さんのために、祝いの膳を準備するようにして接待するのです。そのようなものもたくさん恵んでもらいました。そのような話をすれば、うそのようなことが多いので話しません。
ハナニムの所有権が、アダムとエバを結婚させる前には、何もありません。堕落しなかったなら、どうなったか。ですから、所有していれば、盗人です。国でも誰でも、すべて盗人です。アダム家庭で結婚する前のその所有は、ハナニムの所有です。
アダムが堕落することによって、人間が所有権をもったという事実は、ハナニムを追放したということです。追い出したのです。物質の所有権、愛の所有権、家庭の所有権を破壊しました。この怨恨えんこんを知っているハナニムの前に、この怨恨を知っている真の父母の前に、これを蕩減とうげんしようとすれば、世界万民が真の孝子になり、忠臣にならなければなりません。そのためには、「体までも祭物としてください。自分がもっているすべての宝物、自分の生命までも捧げます」と言い、「これを父母のものとしてハナニムに返してください」と言えなければなりません。
(299-46, 1999.2.1)


メシヤはどのような位置に来るのですか。メシヤは、愛を中心として、地上の法も愛することができ、天国の王宮法までも愛することができなければならないのです。地上にそのような世界をつくるために来られるのです。そして、天上世界と地上世界が合徳されるのです。天上世界と地上世界を何によって一つにするのですか。天上世界にプラスになり、地上世界にプラスになることとは何ですか。ハナニムを中心とした愛です。
(207-250, 1990.11.11)
聖子せいしとは何ですか。聖子は、天地を愛する人です。聖子は、霊界と肉界を中心として、ハナニムを中心とした天上と、地上の王権を中心とした国を愛する人です。天上の王宮法も知り、地上の国法も知り、天地二つの世界のすべての法を守りながら愛そうとする人です。聖子は、ハナニムの息子です。「聖」の字に子供の「子」です。「者」ではありません。聖子、ハナニムの息子です。これがメシヤ思想です。
(207-250, 1990.11.11)
真の父母様がしなければならないことは何ですか。地上世界と天上世界のふさがった道を、すべて開いてハイウェイをつくっておかなければならないのです。ハイウェイを地獄から、ダンベリーから、霊界の地獄から天上までつくっておかなければなりません。
(134-127, 1985.2.25)
地上世界から天上世界まで行くことができる大きなハイウェイを、まっすぐに築こうというのです。この道は、真の愛の道でなくてはなりません。真の愛のハイウェイをつくり、終着と出発が同じ高さ、同じ広さの道を地上と天上に築いてみようというのです。その目的成就は、地上天国を達成したのちに可能なのです。
(135-168, 1985.11.12)
ハナニムの命令によって、天上世界と地上世界のすべての飛び石を片づけてハイウェイを、鉄橋をおくのです。出発すれば、休まずにロンドンまで走ることができるその道をつくろうというのが先生の希望です。それは、簡単なことですか、難しいことですか。難しいことです。どれほど難しいですか。死ぬようなことが1度や2度ではありません。途中でストップできません。なぜですか。冷遇されたことを耐えることはできません。無視されたことを忘れることができないのです。昼が来ても夜が来ても、それを忘れることができないので、昼も夜も走るのです。ついてくる者が一人もいないようにしてハナニムに会うのです。


ハナニムは、あの人類の果てにいらっしゃいます。そこに行って会い、談判することができて、覇権を握ってもってくるまでは休む時間がないのです。こうして霊界を統一して、地上の闘いで地上統一をしたのです。サタンの偽りの家庭出発によって壊されたすべてのものを、真の父母が来て、ハナニムに180度反対した場で再び180度背を向けて結婚することによって、地獄と天国が分かれるのです。天国は、家庭で入っていくところであることを知らなければなりません。
(271-200, 1995.8.28)

 

6) 家庭盟誓第6節の解説

第6節
天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します。」

 

① 「ハナニムと真の父母様の代身家庭」

家庭盟誓カヂョンメンセの6節とは何ですか。「私たちの家庭はまことの家庭を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します!」です。真の父母様が何をされたのかを見て、代身家庭となって、真の父母様が動けば天運がついて回るのと同じように、皆さんも父母様と完全に一つになって天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させなければならないのです。自分一人だけではいけないということです。周辺に自分と同じ家庭をつくるのです。そのような主体的家庭になることを誓うというのです。
(267-153, 1995.1.4)
「私たちの家庭は真の愛を中心として、ハナニムと真の父母様の代身家庭として」、ハナニムと真の父母の代身家庭にならなければなりません。このようになることによって、真なる家庭となり、天宙を動かす家庭として、ハナニムの祝福を自分だけが受けるのではなく、周辺に連結させる家庭を完成するのです。
動けば福となり、福を分け与えてあげることができる家庭になりなさいということです。皆さんの周辺に原理を知らない人がいれば原理を伝えてあげ、反対しても共に生き残って、どのようにしようと闘わずにそれを通過させていくのです。それからさらに周辺に教えてあげ、どんどん拡大させなさいというのです。一人で生きてはならないというのです。
(266-151, 1994.12.22)
「ハナニムと真の父母様の代身家庭として」。皆さんは、ハナニムの家庭と真の父母の代身家庭です。ハナニムと真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて良い生活をするというのではありません。結局は、王族となり、全体の人々を民族にしなければならないというのです。
(260-195, 1994.5.8)


天の代表的家庭になり、この地上に平和と幸福と自由をもたらす仕事をしなければならないのです。それで、いつも天地に歩調を合わせなければなりません。その次には、ハナニムと拍子を合わせたので、家庭を中心として周辺に天運を移してあげることができる家庭にならなければならないというのです。それが6節だというのです。結局は、そのようにして真の父母様の代身家庭と天の心情的統一圏が築かれ、心情文化世界が今日の全世界の途上に出発するというのです。それが盟誓メンセです。
(266-103, 1994.12.18)
先生だけが真の父母ではなく、皆さんも真の父母にならなければなりません。皆さんもやはり完成しなければならないのです。先生は大きい木になりましたが、細胞が繁殖するように、皆さんは細胞のようにならなければならないというのです。大きい木である先生に似て出てきた種です。根本に似たのです。
(259-318, 1994.4.24)
心と体が一つにならなければなりません。男性、女性、カイン、アベルが一つにならなければなりません。堕落することによって心と体が分かれ、アダムとエバが分かれ、息子、娘が分かれたので、それを統一しなければなりません。それは、理論的にはっきりと知っているので問題ないというのです。真の父母は、心身一体、夫婦一体、子女一体としての理想のモデルです。
世界的にすべて勝った真の父母によって、皆さんは、すべてを学んで、知っているのです。先生は、世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんは、家庭的天国だけつくればよいのです。
皆さんが真の父母になろうとするなら、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻さなければなりません。これが、平和、幸福、自由、統一、天国の始まりです。万事亨通こうつうだ、OKだというのです。
(259-318, 1994.4.24)
家庭盟誓の6節は、何というのですか。真の父母様の代身家庭として天運を動かすというのです。創造理想がすべて従っていくようになっています。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それを築いておくのです。そして、ハナニムの祝福世界と天上世界において、天国の功臣になれるかどうかという問題は、心情文化世界に絶対に血筋を汚さない歴史を何代、何千年残せるのかということにかかっているというのです。ぴたっと公式になっています。
(292-107, 1998.3.28)

 

② 「天運を動かす家庭」

天運が訪ねてくる道がどこかということを、私たち人間は知らなければなりません。天運は、永遠に動くのです。天運は永遠の道を行くのですが、その道は、永遠の原則に従って変わらずに巡り巡っていくというのです。
巡り巡っていきながら、因縁を合わせていきながら興亡盛衰の道をつづっていくのですが、ここに立っている私たち人間が、どのようにこれに合わせていくかということが問題です。
(149-151, 1986.11.21)


天運を誰が調整するのですか。この宇宙を創造なさった主人が調整するのです。その主人とは誰ですか。宗教的術語ではハナニムであり、そのほかにも様々な名詞がありますが、それは問題ではありません。しかし、ある中心存在がいなければならないのです。その中心存在がいることをはっきりと知って、その中心存在が行く道に確実に従っていくようになるときには、万事が亨通こうつうするのです。
(209-176, 1990.11.29)
天理の運勢が巡っていくのですが、その天理の運勢は、いい加減にいくのではありません。秩序と軌道があり、法則があるために、それを通じて動くのです。それゆえに、天運に隷属しているすべての存在は、「ため」に生きる存在としてあるのです。
(233-81, 1992.7.30)
天運は滅びません。私たちの人生は、一生を通して環境によって偏り、横道に流れていってしまいますが、天運は、ハナニムの経綸けいりんに従っていくにあたって変動がないというのです。永遠だということです。春夏秋冬の四季が変わらないように、人類を動かす天運の道義も、不変の軌道に乗って、人間の個人と家庭・宗族・民族・国家・世界に対しながら動いていくということです。それ知らずにいるというのです。
(204-57, 1990.7.1)
個人に運があるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運、そして、天と地の全体には天運があります。いくら良い運をもって生まれた人でも、その家庭が傾く時は共に困難を経験するのであり、個人運と家庭運が良い人でも、もっと大きい国運が傾けば共に没落するしかありません。さらに、すべてのものを包括して、すべてのもののためにある天運の方向と進行によって、国運や世界の方向が決定するのです。世の中で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合うようにするということです。
(234-258, 1992.8.26)
天運は、善の人が必要とするすべてのものを供給するようになっています。それゆえに、欲をもって、「私がこれをどのようにする」と考えてはいけません。善であろうとすれば、必ず私が高い位置に行くか、低い位置に行くか、その二つの道しかないのです。低い位置に行くようになれば、すべてのものが自然に供給されるようになっています。空気と水も満たされ、天運も入っていくようになるので、このくぼみが埋められるのです。
(237-114, 1992.11.13)
ムン総裁が一言言えば、世界がそのとおりになるので、みな恐れるのです。それは、ただそのまま成されるのではありません。歴史の行く道が明確なので、そのような時を知って話すのです。先生が予言して、それが当たるのではありません。そうなるようになっているのです。皆さんも、天運の方向をすべて見分けることができるようになれば、未来のすべてのこと、千年後のことも、「このようになるはずだ」と明確に話すことができるのです。
(233-161, 1992.8.1)